2012年09月27日

友との語らいに活力を得て

友とランチに出かけるのはこれまでも1年に1回か2回だったが、今日の1年ぶりのおしゃべりは実に楽しかった。ここしばらく停滞していた精神に気力が与えられて、ブログの更新が止まっているのを心配してくださっている方々に消息方々書いてみたい。

ブログを書き始めてから6年9ヶ月になるが、今回のように長く休筆していたことは初めてだと思う。その間にも幾つもの深刻な出来事があったが、常に生きることには前向きだったように思う。しかし、このたびのある信仰者の不可解な考え方には気力が萎えた。

いい年をして人に躓いたわけではない。私はそのような感情に負けることを自分自身にゆるさない。しかし、どんなに奮起しようとしても気力が出なくて無気力状態になってしまった。

かと言って物わかり良く通り過ぎていくことはできなくて、この際焦らずに悶々と考えればいいではないかと思うようになっていた。


かつて私は拙著『私にとって書くということ』の中で、「『虚像の中で執筆活動させられているような』というものとは異質のものであろう。」と、柳田邦男氏のことを批評したことがあった。(http://yukochappy.seesaa.net/archives/20070228-1.html

このたびの一件で感じたことは、書く内容が虚像になる危うさを想像できたことと、語ることを使命としている者もまた虚像の活動に陥ることがあるということをつぶさに見た思いである。


休筆の日々、日中・日韓の領土問題には心が痛み、国家間の問題も一個の人生で経験する問題も同じであるとの思いで見ていた
私は「これが人間の限界だ」と呟きながらも、違いを超えて努力し続けねばならぬこと、同意できない部分以外のところで交渉し続けねばならないことを学んだ。

また昨日の自民党総裁選は今まで以上に関心をもって見ていた。
そして、今月に入って常に脳裏から離れない祈りは病床にある知人の容態だ。痛みが和らいで平安を祈るばかりである。

ランチの途中でNさんのお知り合いが入ってこられて、驚いたのはその中に教会で親しくしていただいている方も居られたことだ。席を立った時、J姉のお知り合いがJ姉の後ろの席に居られてまたまたビックリした。皆んな何と遠くまで来るのだろう。

帰路もまた40〜50分のドライブはアッという間で、シンデレラのごとくユキの迎えの時刻に間に合うように送っていただき、私は歩きながらユキの祖母に戻っていった。 

公園の木にツクツクホウシが鳴いていた。今日の気温も30度近くになったことだろう。9月半ばを過ぎてから、夏の名残りの蝉の声を毎日毎日耳を澄まして聞いていた。

ついに今日こそ別れか・・・「去らないで!」と悲しくなるが、今日を機に活力が戻ってくるような気がする。


posted by 優子 at 18:12| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2012年09月17日

私も敬老の日の対象者になった

初めてもらった敬老はがき.jpg

敬老の日を前にして、ユキが幼稚園で書いてくれた葉書きが13日に届いた。「これ(左)がおばあちゃんで、これ(右)がおじいちゃん。ハートマークもいっぱいかいたよ!」とユキは微笑んだ。
ありがとう!

今日、ユキはママと一緒に三笠饅頭(関東では「どら焼き」?)を作って、カードを添えて大おばあちゃんにプレゼントした。私は買ったものだが、小さなプレゼントを用意して家族揃って義妹も交えて幸いな時を過ごした。

ところで、孫との関係においては年齢に関係なく若いおじいちゃんやおばあちゃんもおられるが、社会では何歳から敬老の日対象者になるのだろうか。60歳か65歳からか・・・

今朝夫婦二人でスーパーへ行った時のこと。
「60歳以上の方には鯛焼きを差し上げます」というアナウンスが耳に入った。
私はニヤッと笑い、夫と目が合った。こういうことだけは「あ・うん」の呼吸で一致する。

券を配布しているカウンターへ行った時、「私も60歳です」と、私は電車の定期券を見せるように健康保険証を見せていた。しかし、そんなものは不要だった。店員さんは言われた。

「声をかけていいやら悪いやら声をかけるのも気を遣うんですよ」。
「そうですね。ところで私は該当者に見えました?」
「先に自分で言うてはりましたやん」(笑)
ふらふらそうでしたね」。わーい(嬉しい顔)

残念。時は社交辞令とわかっていても、「いえ、見えませんよ」と言ってもらいたいたくて訊ねたのだが、否、内村鑑三は「年齢を数えるのは罪だ」と言っているのを思い出してハンセイ。

では、「敬老の日」にふさわしい詩を開こう。これまでにもブログで何度も引用した私の大好きなサムエル・ウルマンの詩だ。
1994年2月、大阪商業大学で講演させていただいた時も、その最後はこの詩を朗読して閉じた。
          青春            
                 サムエル・ウルマン作 

青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方をいう。
バラの面差し、くれないの唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意志、豊かな想像力、燃える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは臆病さを退ける勇気、
安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる。

歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。
苦悩、恐怖、失望により気力は地に這い、
精神は芥(あくた)になる。

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、
驚異にひかれる心、おさな児のような未知への探求心、
人生への興味の歓喜がある。

君にも我にも見えざる駅逓(えきてい)が心にある。
人から神から美、希望、喜び、勇気、力の霊感を受ける限り
君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、
悲嘆の氷にとざされるとき、
20歳であとうと人は老いる。

頭(こうべ)を高く上げ希望の波をとらえる限り、
80歳であろうと人は青春にして已(や)む。

この記事をダークダックスの名曲、「青春 Youth 」を聞きながら書いている。
その曲はダークダックスの喜早(きそう)さんが、サムエル・ウルマンの詩 "youth" を歌にしたいとの思いから作られたものだという。1987年のことだ。

私は母が召された直後の1996年晩秋に出会い、何度も何度も聞き続けていた。以来、思い出しては心の中でダークと歌っている。

私が生まれた1951年に結成されたダークダックスのメンバーも、既に全員の姿を見ることはできない。
トップテナーのパクさんこと高見澤さんが2011年1月に急逝され、セカンドテナーのマンガさんこと佐々木さんは1997年に一過性脳虚血発作で倒れて療養生活になられた。その後鬱病になられたことまでは知っているが・・・
バリトンのゲタさんこと喜早さんと、バスのゾウさんこと遠山さんも80代になっておられる。

では、どうぞ老いも若き方も是非お聞きください。http://www.youtube.com/watch?v=xHAKSFQ4FpA

気持ちが引き上げられるではないか!
命は神さまから賜ったもの。
生命がある限り大切に
地上を去る時まで精神を崇高に保持して生きよう!
肉体の苦痛時には難しくとも
痛みや療養生活に耐え忍ぶこと自体が崇高なことだ。
心がしぼんだ時は
互いに慰め励まし合って気持ちを引き上げよう。
今、苦難の中にある方々、友のことを祈り続けよう。

附記:
尖閣諸島をめぐる領土問題で起こしている中国でのデモはテロだ。
メディアは、明日「18日は満州事変の発端となった柳条湖事件から81年を迎える記念日となり、デモが続く恐れがある。」と報じている。

どうか神の介入により両国間の緊迫した危機的状況が回避されることを祈る。為政者たちに神の知恵を示して下さるように。
野田首相の重荷はいかばかりだろうか。
首相の心身を支え助けてくださるように。
石破さん、谷垣さん初め、クリスチャンの政治家たちのためにも祈ろう。

posted by 優子 at 22:26| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2012年09月16日

心新たに日本クリスチャン・ペンクラブ創立60周年を待ち臨む

昨日は日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)関西ブロックの例会に参加した。
証し文章で主(しゅ、イエス・キリスト)に仕える日本クリスチャン・ペンクラブは創立60周年を迎え、10月6日午前10時半から午後4時まで、東京(お茶の水クリスチャンセンター)で「感謝と記念の集い」が開催される。

当日はJCP理事長・池田勇人牧師による開会礼拝に始まり、記念講演が2本ある。
黒川知文師(愛知教育大学教授、聖書キリスト教会牧師、日本ペンクラブ会員)の『遠藤周作の信仰と文学』、そして感謝昼食会のあと、大田正紀師(梅花女子大学教授、JCP理事、日本キリスト改革派灘教会長老)の『夏目漱石の文学と聖書』があり、最後に黒川師による『文章作法』の学びが予定されている。

私がのっぴきならぬ所用で欠席した6月の例会では、「漱石晩年の思想『硝子戸の中』『私の個人主義』を読む」について、昨日は「夏目漱石『道草』を読む―〈神〉の眼から見た自己」を「即天去私」にも触れて大田先生が講義された。

今回は記念講演の内容と重なる部分もあるので、学びを通して感銘を受けたことをお分かちする内容は2〜3にとどめたい。

漱石は「則天去私」と書では書いているが自分の解説はない。今は「則神去私」(神を則って私を去る)の意味として定着している。

「漱石は人生の意味を求めて『道草』を書いたのではないかというのが私の見通しです。」との大田先生のお説に、漱石への関心を強くされた。

「もし世の中に全知全能の神があるならば、・・・私はその神のまえに跪いて、私に亳髪(ごうはつ)の疑いをさしはさむ余地もないほど明らかな直覚を与えて、私をこの苦悶から解脱せしめん事を祈る。でなければ、この不明な私の前に出てくるすべての人を、玲瓏透徹(れいろうとうてつ)な正直ものに変化して、私とその人との魂がぴたりと合うような幸福を授けたまわんことを祈る」。(『硝子戸の中』33章より抜粋)

この文章に対して、「この文章はクリスチャンの文章である。」とのコメントは、キリスト者の文学者でないと語り得ぬものだ。

また、「漱石は近代日本の散文の手本を作った人だと思う。特に手紙は文化遺産だと思う。」と言われたが、今回私は『道草』の再読はそこそこにして書簡に引き込まれていた。

多忙な人にしてその筆まめさは漱石の誠実な人柄を物語っており、その内容からも漱石に強い親近感を感じているので最後まで読み終えたい。

60周年では友との再会の楽しみと、夏目漱石と遠藤周作という興味深い作家の文学や信仰について拝聴できるとは実に楽しみだ。

当日は早朝5時半過ぎに家を出て、新大阪7時過ぎの「のぞみ」に乗って10時前に東京着となる。今回はそれぞれに行くのでお茶の水まで行けるかどうか心配だが、「東京駅でその時刻ならゆうゆうです。近くなったら、お茶の水までの道順をくわしくお知らせします。」と、早速嬉しいメールを着信!

お茶の水クリスチャンセンターは今回で3度目だが、思い出すために過去ログ(http://yukochappy.seesaa.net/archives/20071012-1.html)を引っ張り出し、文香さんの過去ログも開いてメモしておこう。

関東の方々、準備が大変ですがどうぞよろしくお願いします!
JCP創立60周年記念事業、すでに神さまの豊かな祝福を感謝します!!!

なお、関西ブロックの次回例会は、11月17日(土)、日本キリスト教団・千里ニュータウン教会で開催される。

附記:
14日に " being & doing " 「ビジネスにおいても人間力が問われる時代」(http://being-and-doing.seesaa.net/)が更新されました。ご覧ください。


posted by 優子 at 16:46| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2012年09月12日

赤面のリーマンショック!

今日のタイトルの「リーマン・ショック」とは、世界的金融危機の引き金になったリーマン(Lehman)・ブラザーズの破綻ではなく、私の、ただし経済的破綻ではない赤面の「リーマン(Riemann)ショック」なのだ。少々長くなるが最後までお読みいただければお分かりになるだろう。

今週10日と11日のNHKテレビ・BSプレミアムの午前中の番組で、『数学者はキノコ狩りの夢を見る 〜ポアンカレ予想・100年の格闘〜』と『素数の魔力に囚われた人々 〜リーマン予想:天才たちの150年の闘い〜』というのがあった。

私は初めて見たのだが既に何度目かの再放送で、しかも二日間とも後半部分しか見ることができなかったのが残念でならないのだが、非常におもしろい内容だった。

「ポアンカレ予想」とは、1904年にフランスの数学者アンリ・ポアンカレが提出した予想で、「単連結な3次元閉多様体は3次元球面S3に同相である。」というものである。

私には何のことだかさっぱりわからないが、宇宙の形を解明するための重要な役割を担っているらしい。それ自体はわからなくとも人間に強い関心がある私にもおもしろい内容だった。

「ポアンカレ予想」はこれまで100年にわたって多くの数学者が研究してきたが解明されず、ようやく2002年秋にロシアの数学者グレゴリー・ペレリマン博士が解明した。
それを何人もの数学者による検証の結果、証明に間違いないと認定されたのが2006年のことだった。

ペレリマンは数学界の最高峰であるフィールズ賞を受賞するのだが、その称賛も100万ドルの賞金も辞退拒否するという前代未聞の出来事があった。
その後、世の中から姿を隠し、今も(?)サンクトペテルブルグの一室に閉じこもったままということだ。

もう一つの「リーマン予想」もまた番組のタイトルにあるように、150年間に渡って多くの数学者が挑戦し続けている命題である。ウィキペディアによれば、
 リーマン(Riemann)は素数の分布に関する研究を行っている際にオイラーが研究していた以下の級数をゼータ関数と名づけ、解析接続を用いて複素数全体への拡張を行った。
ゼータ関数を次のように定義する。

3c295b03578ef959e080c322d9682ee0.png

1859年にリーマンは自身の論文の中で、複素数全体 (s≠1) へゼータ関数を拡張した場合、ζ(s) の自明でない零点sは、全て実部が1/2の直線上に存在する。と予想した。
と、これまた何のことやらさっぱりわからないし数式の読み方すらわからない。せいぜい「素数」の意味を理解するのがやっとという状態であるが、私は数学者の没頭ぶりに引き込まれるのだ。
全生涯を数学の魔物にかけて、その死闘で精神を病んだ人も何人かいたが、そこしか見えなくなってしまうと病むのだろう。

「人生はむつかしい。時には間違った道を選んでしまうこともある。しかし、そのような形でしか目標は達せられない」と、80歳ちかくになっても挑戦し続ける学者が言った。
この言葉には共感できる響きがある。しかし、彼の世界観が科学合理主義でしかないならば虚しい。

私が驚いたことは、数学という学問もまた研究者自身の内面を要求してくるということと、人生という限られた時間を一生懸命生きている人が大勢いることを改めて思い知らされた。

それが最初の感想であり、畢竟、どの分野の学問も神の存在を証明する道であるように思えてならない。

素数は神の暗号か?!
素数という究極の暗号は「創造主(神)による宇宙設計図」という学者もいた。そう言えば、かのアインシュタインは「神のパズルを解くのが好きだ」と言っていた。

さて「赤面のリーマンショック」の意味であるが、今朝、久々に真智子とメールのやりとりをしていた時、簡単に前述の番組内容を話して「ポアンカレ予想」や「リーマン予想」を知っているか訊ねたのだ。経済学もまさに数学の世界そのものだから。

すると、積分方法にはルベーグ積分とリーマン積分があって、
「ポアンカレさんやリーマンさんが築いた数学は沢山使ってるよ。とくに、リーマンはリーマン積分(高校で習う積分はリーマン積分の演算)で有名よ。」
と言われて、恥ずかしいやら可笑しいやらで笑いが止まらなくて、「リーマン(Riemann)ショックやわ!!!」と返信すると真智にも大受けしたのだった。
わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)

メールでおしゃべりした小一時間(?)は実に楽しかった。こんなたわいないことで笑ったことも久々だっただけに大いに気晴らしになり、心が澄んできた。

最後に日本人で二人目のフィールズ賞受賞者の数学者・広中平祐の言葉を真智に贈ろう。もうPh.Dの学位を取得した学者には釈迦に説法かもしれないが。

「独創のコツは第一に結果がどう出るかわからないのにコツコツ努力を続けること。第二はここ一番という時に打って出ていく勇気、博打根性といってもよい。この両方がないとせっかく持っている力も出し切れない」。

健康管理を疎かにしないで体力を養い、集中力、精神力、論理力を働かせて良い仕事を祈っている。真智子とともに知子もまた神さまからのギフト(賜物・能力)を磨き続けている。勿論、太志君もまた!

posted by 優子 at 16:41| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2012年09月09日

「心を高くあげよ!」

今日は礼拝のあと昼食を済ませて、香芝市ふたかみ文化センターで開催された「朗読劇グループ遊夢10周年記念公演」の午後の部に参加した。東大阪の読書会でご一緒だった方からご案内をいただいて、8月早々に図書館に整理券を申し込んでいた。

プログラムは以下の通り。朝の散歩で疲れていたユキと夫まで開幕と同時に引き込まれてしまった。

@ 絵本「おじさんのかさ」(佐野洋子 作)
A 朗読劇「あらしのよるに」(木村裕一 作)
B みんなで楽しく「子どもたちの詩」 
  灰谷健次郎さんの『たいようのおなら』より
C 朗読劇『ブレーメンの音楽隊』(グリム 作)
D 群読『平家物語』より「祇園精舎」「小督」

どれもこれもすごい熱演だった。私は時々夫の顔を横目に見ていたが終始熱心に笑顔で観ていた。

明日からの私の絵本の読み聞かせにも熱が入る。
是非『おじいさんのかさ』と『あらしのよるに』を読んでやりたい。いや、ユキを前にしてどこまで感情表現ができるかやってみたい。
『平家物語』の群読には大いに魅せられつつも、無教養な私にはまるで外国語を聞いているようで、英語のほうがもう少しはわかるだろうと思うほどわからなかった。(>_<)

0歳児から5〜6歳(?)までの子供たちから60歳以上の人々まで、いろんな世代の人々60人近く集っていたと思う。会場の小ホールは人で埋まった。
吉田市長も来られたのでご挨拶したら、「今、調べているところです」と給食食材の放射能汚染のことを仰ったので、「さすが(覚えておられる)」と思った。

懐かしい友との語らいは私を元気にさせた。友は宝だ。民生委員でご一緒だった方も活動されていて、この方もまた今も変わらず良き日々を重ねておられるようだった。目や声の表情はその人の生き様が多分に現れるからだ。

そして、劇団の良い雰囲気が漂っていた。きっと団員一人ひとりのベクトルが同じ方向に向いているからだろう。言葉を代えれば、「for what」がわかっているからこそ同じ目的をもって良きパフォーマンスを生み出せるのだ。

私はここずっと私の関係するところで、何のためにやるのかを見失って言葉だけがひとり歩きしている人たちに失望していただけに深い感銘を受けた。この人たちはお金にならないことであるにも関わらず、かくもモチベーション高く磨きをかけ、しかも楽しみつつ社会教育にも貢献しているのである。


今日のタイトルは、今朝の礼拝で歌った『讃美歌21』の18番、「心を高くあげよ!」(Lift up your heart !)からとった。
「霧のような憂いも、闇のような恐れも、みな後ろに投げ捨てて、心を高くあげよう」。

そして思い出した。
「私の誉れよ、我が栄えよ、私の内にある最上最高のものよ、目覚めよ!」(Wake up my glory !)

友よ、感謝!


追記:2010.9.20に新設したカテゴリ「馬見労祷教会関係」を本日削除し「神(聖書)」に組み入れた。


posted by 優子 at 22:49| 奈良 ☁| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年09月02日

夏休み最終日の夜に仕上げた「なつやすみおやくそくノート」

ユキの人生初めての夏休みもアッと言う間に終わってしまった。
幼稚園入園と同時に毎日が刺激的な日々に変わり、6月頃から4時間も5時間も昼寝するようになったのはしんどかったのだろう。頻繁に発熱を繰り返すようになり、体調が整えられたのは8月上旬になってからで、その頃から本来のユキらしくなって自らお祈りもするようになった。

ところで、娘たちの幼稚園時代には無かったと思うのだが、「なつのおやくそくカレンダー」なる宿題がある。朝の挨拶と朝顔の水やり、寝る前の挨拶、お手伝いなど、3項目にシールを貼ることになっている。
このような生活習慣やしつけがとても大切であることは、若い頃とは比べものにならないほどよくわかる。

ところが、ユキは休みの初めから忘れがちてママに注意されていた。
知子は「40回は言ったと思う」と言うが、1日に複数回言った日もしばしばなので40回ではきかないだろう。几帳面なママとは正反対である。

とは言うものの実践はしっかりできている。
ところが、「ママが貼っといて」、「ユキちゃん、シール貼るの嫌いやから」と言うばかりで、あとで100枚ものシールを貼る姿を想像する知子は、仕方なくお盆以降にまとめてシール貼りを代行した。

「おやくそくノート」の方も同様に色もぬらず空白が目立っていたので、ついに「白紙のまま持って行きなさい」と何度も言われていた。ようやく昨夜から気になりはじめたユキは、今日の昼寝から目覚めた瞬間に「ユキちゃん、ぬりえしないと」と言って起き上がった。わーい(嬉しい顔)

おじいちゃんに「ユキちゃん、散歩行こうか」と誘われても「ぬりえがあるから行かない」と断った。・・・が、10分ほどたってから「やっぱりユキちゃん帰ってきてからするから」と散歩に行った。
そして、夏休み最終日の夕食後になって仕上げにかかったのである。これでは先が思いやられる。ふらふら

ただし、いろいろと工作したり絵本を書いたり、それはそれはどれも力作で、夏休み中に作った作品展を開きたいほどだ。ユキはユキらしく、ユキの良さを引き出して伸ばしてやりたい。

夏休み最後の追い込み.jpg
夏休みの最後の最後になって追い込みにかかるユキ。わーい(嬉しい顔)

できた〜〜〜!.jpg
やっとできたね!
今夜のユキとの会話より:
神さまは朝になったらおひさまを(ボールを両手で頭上高く持ち上げて前に投げるような格好をして)ボーンってやって、夜になったらおひさまを取ってお月さまをボーンってやるの?

どうして、おひさまはあんなに暑くてユキちゃんは汗をかくの?
晴れ
是非来年の「夏休みこども電話相談」(NHKラジオ)で聞くといいね。わーい(嬉しい顔)

蚊や悪い虫は殺していいの?
それはイエっさまは怒らないの?
 
― そうね。でもセミやトンボなど、虫は殺したらあかんね。
イエっさま知らない(幼稚園の)子でも、わざと虫を殺したりしないよ。

ユウチューブでアニメの『フランダースの犬』の最後の場面を見せてあげると、目に涙をいっぱいためて言った。
チャッピーも死ぬの? いつ死ぬの? どこで死ぬの? 死んだら天国へ行くの? 骨(遺体のことを言っているようだ)はどうなるの? 

おうちはどうなるの? 本や家は残るの? 本はどうしたらいいの?

― (おっと、私のことのようだ)おばあちゃんの? 
 ママやマチやユキが読んでくれたら嬉しいな。
 ユキちゃんが大きくなって、「おばあちゃん、こんな本を読んでたのか」って思ってくれたら嬉しいな。
天国にも聖書を用意してあるの?冷蔵庫もあるのかなあ・・・

ユキの質問は尽きず、明日から幼稚園が始まるので打ち切った。明日のお昼寝前の絵本は、きっと『フランダースの犬』を選ぶことだろう。先週は毎日『おやすみなさいフランシス』を読んでいた。今はフランシスが大好きで、ある箇所へくると毎回声をたてて笑う。

いよいよ明日から新学期。
夏休みに入って始まった園舎の耐震工事の関係で、新学期早々の5日に秋の遠足がある。行き先はキッズプラザ大阪だ。

私たちも気持ちを新たに始めよう。
病気の方々のことを思いつつ・・・

posted by 優子 at 22:23| 奈良 ☁| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年09月01日

" being & doing " 更新のご案内

美濃紙業のホームページ" being & doing " が更新されました。
タイトルは「" for what " から生まれるもの」です。
http://being-and-doing.seesaa.net/

今年初めのことでした。私が所属している会のことで悩んでいた時、知子から " for what " を教えられ、" for what " によって軌道修正されました。今も別の会のことで問題があり、娘からレクチャーを受けていたところです。(笑)

今や私の人生のキーワードにもなっている " for what " について、内なる促しを感じたときに書いてみたいと思います。

今日は夫の67歳の誕生日です。
私は所用があって外出するのでお赤飯の用意だけで、今夜は知子の手料理に期待したいところですが、仕事を持ち帰っているので無理かな?

これをお読み下さっている全ての人に神の祝福を祈ります。


posted by 優子 at 08:31| 奈良 ☁| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする