2012年10月31日

Birthday blessing!

知子はユキの参観と教育講演会で8時半過ぎから幼稚園へ出かけた。親子揃って帰宅した時のユキの嬉しそうな顔!
お腹をすかしたユキは食前のお祈りもしないで「イエッしゃま、いただきまーす!」と先に昼食を食べ始めた。

私たちも食事をとり始めてまもなく電話が入った。真智からだった!!!
アメリカを離れて出張先からだ。現地時間は午後11時前とのことだった。その3時間ほど前にもかけてきてくれていたらしいが、その時はチャッピーの散歩に出かけていた。

受話器から聞こえる真智の声に、「まちーーーーーー!!!!」と叫ぶユキは、嬉しくて嬉しくて部屋中を飛び回って喜んだ。そちらでは夜が遅いので気になりつつも、「もう寝るだけだから」との言葉に甘えて結局40分間近くしゃべっていた。
真智は言わなかったが、きっと昨日のブログを読んで心配して電話してきてくれたのだと思う。

祈り祈られて立ち直りも早く、今朝は清々しい気持ちで散歩に出た。秋の景色を写真に撮りながら聖霊(神さま)を感じていた。昨日のブログを読んでくださった友が祈ってくださったのだろう。祈られていたことをビンビン感じていた。

私の気持ちはすっかり新たに変えられていたので、真智にも29・30日のことについては「いつものことだから」と一言話しただけだった。

楽しい一時だった。
それだけに寂しくもあった。太志君にいたっては日本の裏側に居り、その国と日本の中間くらいに真智子が居るなんて! IMFは転勤がないと聞かされて喜んでいたけれど、出張は地球規模やね。

そう言えば、ユキは先週こんなことを言っていたよ。
「マチはどうして英語の国でお仕事するの? ここに住んでママやおじいちゃんのように日本でお仕事すればいいのに」と。わーい(嬉しい顔)

真智と電話を切って知子とユキがアップルパイを作り初めた時のこと、今度は牧師が来られてビックリした!

実は今週の礼拝は急きょ休むことになり朝9時過ぎに欠席の連絡をした時、私の話し方が不明瞭だったこともあり心配をおかけしたようだ。

役員会や社員たちへの働きかけについてなど時間を要すると思われ、しかも翌日のことゆえにこれまでの経験から優先せざるをえなかった。

その気持ちが先走り、「昨夜、夫が北海道から帰ってきまして今朝ようやく話す時間が取れましたので・・・先週は鹿児島に行っていましたし」と欠席の理由を言ったものの、話の内容に触れなかったものだから会社に緊急事態が起こったと誤解させてしまったのだ。

牧師は祈ってくださっていたことだろう。親近感をこめて話し始めても無反応だったことに違和感を感じたが、「今日は真智の電話とK先生が来てくださって神さまからの祝福やね」と知子に言われて気づかされたことだった。昨日のメールやバースデーカードに加えて忘れられない誕生日の出来事となった。

トモとユキのアップルパイ.jpg

3個のりんごを全部切ってくれたユキ!

一日遅れの誕生祝い.jpg

世界を飛び回っている真智と太志君に日本の秋を贈ります。

2012.10.31秋.jpg

今朝の景色です。桜の枝には小さな蕾がついているよ。
ついでに今朝のチャッピー。2012.10.31@.jpg

今日のように晴れの日の午後は室温が27度にもなって気持ちいいけれど、朝晩は寒く電気カーペットを使っています。風呂暖房も今夜から入れました。

明日から11月、暑い国からワシントンへ帰ってきて風邪をひかないでね。神さまは私たち一人ひとりをいつも見守り導いてくださっている。マチとクマに感謝と愛をこめて。

posted by 優子 at 23:59| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2012年10月30日

腰の帯しめ直して61歳を往く

61歳の誕生日の今朝、パソコンを開けるとふたりの友がメールを送ってくださっていた。友の誕生日を覚えてタイムリーに「おめでとうメール」を送るには心がなくてはできないことで、私など一人の友にさえタイムリーさを欠く時がある。

その友は「おめでとうメール」で日野原重明さんの「101歳 私の証 あるがままに行く」と、40年間ホスピスに関わってこられた柏木哲夫さん(73歳)の「人は死を背負って生きている」を紹介してくださっていた。  

「せめて、一年に一度自分の誕生日に自分の死についてよく考え準備すると良い。人は生きてきたように死ぬ。魂が平安である事が一番大切。生活の中で、魂の養いをして行かないといざと言う時に大変」と。

全くその通りであり、私も日々考えて備えつつあるつもりだが。
ところが今日はこれまでの誕生日の感慨とはかなり違う。61歳だからということではなく、まだまだ越えていかねばならぬ問題が山積しているという現実を見せられて、それらを越えねば死ぬこともできないという思いの方が強く、その思いに押しつぶされそうになっている。

というのは61歳の誕生日前夜、とても耐え難いことがあって(新しい問題ではなく相変わらずの、相も変わらない問題だから心配しないで!)、血圧は何時間も(170以上/105)に上昇したままだったので、知子と共に神への信仰を強くして寝たのだった。降圧剤と緊張を緩める頓服も服用して。

人生とはまさに山あり谷ありの歩みである。その中でも健康が揺さぶられた時の恐怖、深刻な病気との闘いに比べれば、どんなことだってたやすいはずだ。きっと病気ではなかったら頑張れるのにと思うに違いない。

そんなことを思うと例えば伴侶に裏切られようと、経済が困窮しようとも、何だって耐えられるはずだと。勿論それさえ大変なことなのだが、どんなことも逃げないで雄々しく生き抜かねばならない。

とは言うものの現実は絶望・・・と大きなため息ばかり。これだけ誠実を尽くしても所詮は徒労でしかないのか・・・と気力が萎えてしまいそうだ。

しかし、お手上げになった時こそ神が働かれる時だ。人や状況に目を奪われて失望してはいけない。こんな時こそ信仰を奮い立たせて主イエスを見上げるのだ。人に期待しないで神に期待して祈ろう。

私が神に助けと導きを祈り、神の導きに応えるならば、人知では計り知れない神の最善へと導かれていくことは保障されている。それは何度も何度も経験済みだ!

しかも私のそばには知子と真智子、そして、太志君という心強いメンター(mentor:良きアドバイザー、良き指導者)が与えられているではないか!


今日はミッションに出発して1日半経った太志君からの無事到着メールを待ちながら、ただただ知子の上に神の強力な守りがありますようにと祈りつつ過ごしている。
そして、ユキの昼寝中にPCを開けたら真智と太志君からバースデーカードが届いていた。今は二人ともアメリカにはいないのに!

「真智、太志君、無断でカードを掲載させていただくことを許してください。これからも挫(くじ)けそうになった時に何度も何度もこれを読んで励まされたいからです。

こんなに嬉しかったことはなかったと思う。いつもそう言っているとすれば常にそのように喜んでいるってことよね・・・読み始めから深く慰められて涙があふれてきました。

真智、太志君、本当にありがとう!
私は幸せ者です。知子と真智子の母として恥ずかしくないようにしっかり生きていきます。太志君の生き方と愛にも励まされて 」。


二人とも今はミッション中なので返信は自粛して、これを感謝メールに代えさせてね。それにメールで説明するのも大変だし帰国した時に話すね。その頃には助言をいただく必要もないだろうけれど。

ママへ

昨日は、夜寝る前に久しぶりに“ミネソタ便り”を読んでいたよ。ミネソタ・サンフランシスコ旅行は最高だったね。どの記事からもママの愛情をすごく感じて、なんか泣きそうになったよ。深く愛されいて、まちもママを深く愛していて、(パパやみんなのことも)こんなに温かい愛に包まれて生きていたことを改めて感じて、神様に本当に感謝したよ。ママ、本当にありがとう。冬休みが本当に本当に楽しみ。

神様からのチャレンジに正面から立ち向かい、苦しみながらも神様と共に乗り越えていくママの姿は、真智の人生を歩んでいく上での励ましだし、希望です。そして、どんな時にも自分の心から目をそらさないからこそ、愛が溢れるんだと思う。真智もそのように生きていきたいといつも思ってるよ。

これまでママを愛し、導き、いつも共に歩んで来てくださった神様は、これからもどんな時も一緒よ!お誕生日、本当におめでとう!

P.S. ミッションは、今までで一番やりがいを感じるよ!チームが良いこともあるし、なんか色々分かってきて、苦労しながらも楽しいよ。くまも無事にロンドンまでたどり着いて、今は南アフリカのヨハネスブルグに飛んでいると思う。出発前にメールくれたみたいで、ありがとうね。すごく喜んでいたよ。

真智子


優子お義母さん

お誕生日おめでとうございます!

いつも優子お義母さんからの愛を想うと励まされます。

近頃はご体調、血圧はいかがですか?夏の気管支炎の時は驚きましたが、治って本当に良かったです。

ご健康が守られ、執筆活動にもますます情熱をそそげますよう、祈ってます。

この一年も、お義母さんに主の恵みがたくさんありますように!

太志

ありがとう!(涙)
それぞれのミッションの上に神のお守りと祝福を祈っています。
ママも懐かしいミネソタとサンフランシスコの記事を開きます。まさにpriceless やね。色あせることのない思い出をありがとう!時間をとってゆっくり浸ろうと思う。

日々の務め

人格をつくり上げるものは
私たちの日常の行動、
私たちの日々の務めである。

私たちの言行
私たちが苦悩に処する方法
私たちのとる態度
私たちの楽しんでいる娯楽
私たちのつくる友人である。

私たちの現在のひととなりをつくるのは
大事件だけではない。
また、万事好都合よくいって幸福の絶頂にいる
目のくらむようなときでもない。

そうではなく
私たちが歩む道中に起こる小さな事が
私たちの人格をつくり上げるのだ。
小さな事が
神にとっての私たちの価値を決めるのだ。(Patience strong)

今日は大好きなお赤飯を作るのも忘れて、しかもそれを思い出したのは夕食を終えてからだった。こんなことは初めてのこと、かなりの重症だ。今や私は人に期待するほど柔ではないのに、よほど大きな衝撃だったのだろう。

明日はユキの参観日で、午後から知子とユキがアップルパイを作ってくれるというので楽しみだ。
ユキの笑顔を消さないためにも神さまは放ってはおかれないだろう。
主よ、61歳を迎えられれたことを感謝します。アーメン!

22時25分追記:
今朝一番にユキが「おばあちゃん、裏紙で悪いけど」と言いながらバースデーカードをくれた。
ユキからもらったバースデーカード.jpg

「新幹線の中でおばあちゃんがケーキを食べているところ」だって!
ありがとう、ユキ。愛してるよ!!!


posted by 優子 at 17:44| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2012年10月27日

「ペンの巨人」天に帰る

昨夜、「ペンクラブの巨人」と言われているクリスチャン詩人・原 毅(たかし)さんの訃報が入った。

「『信徒の友』11月号の詩掲載は希跡の報と思います。
その独特の詩は60年前に設立されたクリスチャンペンクラブとしては正に宝の存在で、『ありがとうございます』、『書く』は絵にまで創造に及びました。

24年間ペン友として写真(写心)を詩に添えて『ことづて』詩集10冊を出し、教会では月1回月報に公表してきました。

常に原稿用紙に書かれた原本は正に原兄(はらきょうだい)の歩み、『生かされている』そのものです。ここ地上は今、淋しいと思うのみです」。


何年も前から毎月Nさんが送ってくださる月報を読ませていただいていた。 
残念ながら私は原さんにお目にかかることはなかったが、クリスチャンペンクラブの「あかし新書」第12篇の『私とイースター』(1988年発行)より、原さんの文章を掲載させていただきたいと思う。私の拙文が初めて掲載された年の新書だ。

病床からイースター礼拝へ

 「起きて
  あなたの床を取り上げ
  そして歩きなさい」
   ヨハネによる福音書(5・8)

肉腫の手術を受けた私の何よりの願いは、イースターの礼拝に出席することでした。手術後の経過も順調で、日々快方に向かって居りました。それで執刀された医師に外出を申し出たところ許可されました。それで何かしらうれしくそれからの一日、一日が待たれるおもいでした。

その日ハイヤーで教会へ参りました。そして、礼拝はただ感激でした。涙、涙、涙、でした。主イエス様の御復活と、自分の身体の復調が重なって感動でした。お祈りして涙、読んで涙、歌って涙でした。

礼拝がすんでイースターの喜びをわかちあう昼食会には出席せず、またハイヤーで病院へ帰りました。思えば30数年も前の事ですが、その時の感動は今も新たです。そして、今日も新しくされて、生かされて居ります

その後も常に「今日も新しくされて、生かされて」こられた24年間だった。そして、2012年10月26日召天、97歳の御生涯を終えて命をくださった神のみもとへ帰っていかれた。(年齢は再度確かめたい)

「肉体がその使命を終わる時、その意識はキリストに伴われて、み国へ行くのです。召天です。・・・すべては主のご支配の中で起きているのです。・・・痛い時は痛いと言い、苦しい時は苦しいと言います。が、心の底に、感謝と平安があります」。(金田福一牧師)

ようやく明日の連祷の祈りへと導かれつつある。
私たちも欠点や罪もあるままで神に受容されていることを忘れないで、赦され赦されて、感謝して歩んでいきましょう!

ご遺族の上に神さまの豊かな慰めを祈り、病床で闘っている方々に平安を祈ります。

posted by 優子 at 18:22| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2012年10月24日

あの時、私はファンタジーの世界にいた

前記事(21日)の続きである。
昨日ユキが帰宅して直ぐにひょっとしてと「お便り帳」を開いた。先生は早速曲名を教えてくださり歌詞まで挟んでくださっていた!

曲名はスタジオ・ジブリの「- さよならの夏 〜コクリコ坂から〜」で、歌詞は全く同じだった!ふらふら 屋外だったのでよく聞きとれなかったとは言え、「昨日流れた曲は歌詞が違っていた。しかも聞かせる歌詞だったので」とは! ちっ(怒った顔)

私らしいミステイクだが、ジブリの話題作や曲も今初めて耳にするというのもまた私らしい。しかし、あの空の下で感じたことは今も全く変わらない。歌詞が違うと思ったのは、叙情的なメロディに誘われてファンタジーの世界に入ってしまったのだろう。

あの時、この歌詞が耳に新しく聞こえたのだ。
「・・・ゆるい坂を おりてゆけば 夏色の風に あえるかしら・・・夕陽のなか 振り返れば あなたはわたしを 探すかしら・・・」。その「会えるかしら・・・さがすかしら」の歌詞が耳にとまって、その瞬間に私は時空を超えた世界に立っていた。

時が流れて30歳くらいになったユキがこの園庭に立っている。幸悠はあの日の光景が音と共にあり祖父母の姿をさがしている。
そして、私たちの姿を見つけて視線で追う。あの日の笑顔や笑い声も彼の目や耳に届いている・・・

この時は勿論私も夫ももう居ないのだが、その私もまた幼いユキと私たちをさがしている成人した幸悠の姿を見ていたというものだった。


私はあのフィナーレでそんな光景を見ていた。
『コクリコ』の手嶌葵さんの声や歌い方が一瞬にしてそんな世界へ誘ったのだろう。そして、「あしたの愛 それはルフラン おわりのない言葉」と、聞きなれた歌詞が聞こえて現実に戻ったのだと思う。

気がつけば子供たちが飛ばしたシャボン玉が空いっぱいに広がっていた。孫の運動会は何かしら私の心に弾みを与えてくれたように思う。
今朝のユキ.jpg
25日追載:今朝のユキ

明日10月25日は母を看取った日だ。あれからもう16年の時が流れたとは! これからも夢の如くにアッというまに過ぎゆくのであろう。すべては過ぎ去っていく。

だからこそ今日という日を心を込めて生き、今日しかできないことを悔いの残らないように、今日しか味わえないことを精一杯満喫するのだ。喜びも悲しみも鬱陶しいと思うことも!

母や父に会えなくなってしまった悲しみや過ぎ去った日々への寂しさは幸せの感情だ。愛し合っていた証しだから。生きることは愛する人の死を超えていくことではないだろうか。

ここで嬉しいニュースもある。
真智子と太志君がほぼ1年ぶりに帰国することになった!
ユキは「ヤッター!!!」と飛び上がって喜んだ。クリスマスを一緒に過ごして家族揃っての越年となる。

「まち、ふー、今度またボーリング持ってきてね。自転車のゲーム持ってきてね。忘れたら怒るからね」だって!

「ゆきちゃんもさすが、覚えてるんやね! Wiiは確実に持って帰るから楽しみにしててね」って言っておいてね。
またカラオケ大会もするか!? みんな、歌を思い出して準備しておいてね」。


真智は21日から担当国へ今年最後のミッションに出かけており、クマも28日から出発する。クマの担当国は乗り継ぎが多くて2日間もかかる遠い遠い国だ。
マチ・クマの無事と良き働きを祈っています。
いつもイエスさまと一緒やね!黒ハート パンチ

posted by 優子 at 17:18| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年10月21日

ユキの運動会、神の恩寵に知子の涙やまず

秋晴れの運動会.jpg

昨日20日(土)はユキの初めての運動会だった。最低気温は8度と冷え込んだが最高気温は22度の秋晴れに恵まれた。
ユキの初運動会A.jpg
ユキの初運動会B.jpg   ユキの初運動会@.jpg

知子はプログラム最後の年長児の組体操を見ながら泣いていた。
「あの危機を乗り越えられたことや、入園以降のユキの成長を思うと感謝で胸が一杯になって、この子達全員の幸せを願いつつ見ていたので、この中に我が子はいないのに涙が止まらなくて困った」。

そんな知子を何人かの子ども(見学席の年少児)が怪訝な顔で見ていたという。

私は知子に言った。
涙は神さまの恩寵だ。若くしてそんなに深く我が子の成長を喜び、神さまと幼稚園の先生方に感謝できるというのは神の恩寵であると!


ユキもまた初めての運動会を経験して達成感を感じているようだった。その夜、ユキは心から溢れ出る喜びを表現しようと、担任の先生とクラスのお友達へのプレゼントを作っていた。

「これは先生とみんなにあげる宝物!
N先生にこーんなにきれいな金メダルもらって嬉しいの。だから、N先生に指輪作ってあげようと思って。みんなも大好きやからみんなにも!」
先生とお友達への贈り物.jpg
知子はこの宝物に添えてユキの気持ちを伝える手紙を書いた。娘の子への関わり方と母親を生きる娘の姿に深い喜びと充足感を覚えた。

運動会は園の教育が目に見えるような心あふれるものだった。その中でも最も印象に残ったのは閉会式のあとのフィナーレだ。

子供たちにシャボン玉が配られて一緒にシャボン玉を飛ばしたのだ。その時に流れた曲がまたよかった。
メロディーは22〜23歳の頃からよく聞きなじんでいる森山良子さんの「さよならの夏」で、兄か妹のカセットテープでよく聞いていた曲だ。

しかし、昨日流れた曲は歌詞が違っていた。しかも聞かせる歌詞だったので耳を傾けていたために、空いっぱいに飛んだシャボン玉を撮り損ねたのであるが、感動することの稀な夫までが「ええ終わり方するなあ」と感慨深げに言うほど印象的なフィナーレだった。

この演出に深いメッセージが込められているのがわかる。保育者の子供たちへの深い愛が伝わってくる。子供たちの幸せな成長を願い、良き人生を築き上げてほしいとのメッセージだ。

長い時間が経って子供たちが大人になった時、そして、人生の試煉の時は無邪気に駆け回っていた幼い日々を思い出し、苦難に耐えて雄々しくあれとの励ましだ。

そのために心のふるさとである幼き日々の幸せな原風景を、子供たちの心の深くに刻んでおいてやりたい。そんな先生方の想いが感じられた。

昨日は楽しかっただけではなく、あんなに感動したのに昨夜中に書けなかった。その感動と感慨をどのように言語化してよいのかわからなかったのだ。

今朝は町内会の草引きを終えて教会へ急ぎ、午後は知子と教会関係のことで語り合っていた。そして夜になってから昔のテープを引っ張り出してきて運動会の余韻に浸っていた。

すると豆乳鍋に湯葉が張ってくるような感じで言葉が浮き上がってきた。ようやく書けそうな気がしてユウチューブで聞きながら書き始めた。


是非歌詞が知りたいので、代休明けの23日に私からも先生への手紙をユキに託そう。

幼稚園は秋の色:
黄金色の稲穂.jpg
色づいた稲穂

園庭の柿.jpg
青い柿の実(過去ログ・6月27日「感謝!」)が色づいていた。

あけび.jpg
夫が見つけて教えてくれたあけびの実。
まもなく61歳にして生まれて初めて見た!

自然と愛いっぱいの山の上の小さな幼稚園。
昨年の明後日が願書受付だったそうだ。


posted by 優子 at 23:17| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年10月15日

ユキ、白バイに乗る!

10月13・14日に東大阪アリーナ(東大阪市立総合体育館)で開催された「東大阪産業フェア」に、美濃紙業のお得意先の印刷屋さんが参加されるというので13日(土)朝家族揃って出かけた。

東大阪は中小企業の町、モノづくりの町で有名だ。その印刷屋さんは、東大阪を盛り上げていきたいとの思いで町並みのイラストを絵葉書にして展示販売されていた。

広場にはいろんな屋台があり、布施警察(?)は子供たちを白バイに乗せてくれた。
ユキちゃん、白バイに乗る!.jpg

「ユキ!かっこいいよ!エンジョイ!」

写真でこそ笑っているが、恥ずかしがり屋のユキは最初乗りたくないと抵抗した。しかし、ユキの本心は知っているので、「お友達に写真を見せたらびっくりするよ!」の一言が功を奏してユキの心を動かした。
このような何気ないことにも教育的配慮を込め、何かしらの自信につながっていくことを願っている。

このあと神戸の叔母宅へ向かった。昨年亡くなった従兄弟の墓参のあと、三宮の海岸通りビルディング15階の店へ入った。ポートタワー、モザイクなど真正面の神戸港の夜景を楽しみながらお料理をいただいた。

ところで、「東大阪産業フェア」の会場アリーナと言えば、知子の成人式に成人代表でスピーチした場所だ。あの日、式が終わって出てきた時は雨が降り出していたことを思い出し、今これを書き始めたと同時にその日のことがはっきりとよみがえってきた。

※私たちは結婚と同時に東大阪市に22年間在住。当地へは次女の大学入学式前日に引っ越してきた。1999年4月6日のことである。

式のあと父が入院している病院(大阪)へ知子の振袖姿を見せに行った。その時はもう土砂降りの雨になっていた。
母を天に送った半年後の1997年5月に重度の脳梗塞に倒れた父は、微かに残る思考力で知子の姿を見てくれたように思う。

その後、母もいない無人の実家で知子は服に着替えて、東洋ホテルでお祝いのディナーを囲んだ。ここは私たち夫婦がお見合いしたホテルだった。

知子が成人代表に選ばれたのは、その前年1997年7月下旬(8月上旬?)に東大阪市の姉妹都市であるドイツ・ヴェデイング自治区(旧東ドイツ・ベルリン内)への青年派遣に抜擢されたことによる。

ドイツでは2週間のホームステイ期間中に市長や区長を表敬訪問し、さまざまな行事に参加して市民との交流を通して友好を深める経験をさせていただいた。

その関係から翌年の成人式で成人代表に選ばれた。その写真が見当たらなくて残念だが、そのスピーチで語ったドイツ見聞についての内容に反響があり、役所の会合の講師として招かれたこともあった。

成人式から15年、私はずっと忘れていた記憶をたぐり寄せた。まだ15年前のことだからはっきり覚えていた。
知子は今、5才の息子の母である。

今日の午後は今週末の運動会で保護者と共に参加する競技の練習があり、私は知子の代わりに参加した。
いつも笑顔のユキなのに今日は微笑んでいなかった。体を動かしながらずっとユキの表情を注視していたが微笑みはなかった。お友達はみんなお母さんが来たからだと思う。

ユキ、運動会を楽しみにしているよ!
エンジョイ!


posted by 優子 at 23:59| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年10月10日

IMFのエコノミスト募集ビデオにマチ・クマ出演!

経済学博士を取得した若手(34歳以下)対象の採用枠であるEconomist Program(EP)としてIMF(国際通貨基金)に就職したマチ・クマこと次女夫婦は、9月初めに IMF の EP 募集用の写真モデルになり、その後募集ビデオ作成にも協力して出演している。

添付してきてくれた写真モデルの中からいくつかを記録しておきたい。ビデオではこれらの写真や動画が大きく見やすくなっている。

tn.jpg

IMFのマチ・クマB.jpg  IMFのマチ・クマC.jpg  IMFのマチ・クマG.jpg
   ↑ 前列中央が真智子、右端が太志君。↑
  IMFのマチ・クマF.jpg  IMFのマチ・クマE.jpg  IMFのマチ・クマD.jpg  

ビデオでは多様性に重きをおいて選ばれた数人がインタビューに答えており、クマがその一人に選ばれて頑張ってしゃべっている。

マチ曰く:
「英語が得意じゃなくても頑張ってる人代表で頑張っておいでって言って励ましたよ。本番では練習の時よりうまく話せなくて、当日はへこんでたよ。ご了承ください(笑)」。

マチの書き方が面白くて、いつまでもクスクスと笑いが止まらなかった。
いやあ、クマ君、よく頑張っているよ。がんばれ、ニッポン!!!

それぞれに与えられている部屋はインターンシップ時代と同じようだ。(http://yukochappy.seesaa.net/article/129873554.html
IMF 内の雰囲気も想像していたとおりだった。

この1年間にマチ・クマも何度かそれぞれの担当国へチームで派遣され、財務大臣や中央銀行総裁、そして経済関係省庁や民間の人々と会っていた。
出張前後は協議のための準備や報告書作成でかなりハードになるので、私からチャットやメールで声をかけないようにしている。こうして国際舞台で頑張っている二人の姿を見せてもらって感動と感謝!

家族はIMF内を見学させてもらえるそうだから、是非、ワシントンD.C.を訪ねたい。いや、若い知子とユキこそ行ってくればいいね!

折しも昨日から「IMF世界銀行年次総会」が東京で開催されている。IMF に加盟する188か国の財務相や中央銀行総裁が出席し、会場周辺では警備が強化されて1日最大5000人態勢で臨んでいると報じている。

「IMF世界銀行年次総会」については「真智子(ワシントン便り)」の過去ログ、「母国、日本へ IMF日本人スタッフからのメッセージ」(2012年3月9日)でご紹介した。

では”IMF Economist Program”(IMF エコノミストプログラム)をご覧ください。画面の下の方にビデオ画面があります。http://www.imf.org/external/np/adm/rec/job/econpro.htm 

附記:「IMF職員募集について」(日本語版より)
■IMFでのキャリアとは

国際通貨基金(IMF)は、優秀な日本人スタッフを積極的に募集しています。
IMFは現在、加盟国188カ国のうち113カ国以上の国々から約2,200名の職員を採用しています。IMFの本部はワシントンD.C.にあります。職員の大半はそこに勤務していますが、パリ、ジェネーブ、東京、さらに国連にも事務所を設置しています。

IMF職員のなかで最も大きな割合を占めるのはエコノミストですが、それ以外の専門職も募集しています。

IMFでは英語が標準語であることから、応募を希望される方は、英会話能力が堪能であること、そして相当の読解力が必要となります。英語以外にも堪能な言語があれば尚可。
日本のIMFへの分担金からすれば日本人スタッフは非常に少なく、全体の3%で毎年の合格者は殆どが1名である。

posted by 優子 at 10:27| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2012年10月09日

講演・遠藤周作と夏目漱石から思ったこと ―JCP創立60周年記念感謝の集いA―

60周年記念講演の第1部は、黒川知文氏(愛知教育大学教授、文学博士、聖書キリスト教会牧師、日本ペンクラブ会員)による『遠藤周作の信仰と文学』で、午後は大田正紀氏(梅花女子大学教授、近代日本文学研究者、日本キリスト改革派灘教会長老、JCP理事)による『夏目漱石の文学と聖書』だった。

55周年の時の黒川氏による「ドストエフスキーの信仰と文学」は今も印象深く残っている。今回は遠藤周作の講演から励ましになることをお分かちしたい。
我々の生活を決定しているものに3つの要素がある。
それは「遺伝、環境、本人の応答」であり、「応答」とは前向きな生き方か後ろ向きな生き方であるかを意味する。

この観点から遠藤周作を考えると、遺伝は良いが、環境はマイナス面が多い。9歳の時に父母の不和、離婚。そして、カトリック教会で受洗。当時は敵国(フランス)の宗教だった。学業は劣等生、30代は病気ということから、遠藤は弱者の意識があり弱者の気持ちがわかる人だった。

「本人の応答」については、カトリック信仰と友人に恵まれたこと、そして、留学と前向きであった。

「狐狸庵」は「保障」の意味で、人間は厳しいことばかり考えていると精神のバランスを崩すので、その保障としてユーモア小説を書いた。このことからも遠藤は前向きに生きていったことがわかる。

遺伝や環境はどうすることができなくても、いかに生きるかは本人次第であることがよくわかる。

1970年に封切られた映画『沈黙』の演出を遠藤はひどく怒ったそうだ。しかし、手放した瞬間にその監督のものになるんだということで納得したという。
これは文筆活動している私にとって興味深いエピソードで、遠藤の思いや彼の納得した内容と結末に感慨深いものを感じる。


これに関連して、私が今こうして講演の内容について書く場合、明確な間違いがあれば指摘していただいて訂正したいと思うが、そのことは別にして、話し手にとって時にはニュアンスの異なる書き方をされたり、あるいは、「そこを強調するのではなく、ここを強調して欲しいのに」と思われることもあると思う。

私は常にそのことを感じながら書いているのであるが、そのことについては遠藤のエピソードと同じことが言える。それは致し方ないことであると。つまりこうだ。

書いたものは書き手のフィルターを通して書いたものであるから、話し手が話をした瞬間から内容の伝わり方は話し手の希望どおりにはならないということである。

そのことは、私の書いたものを読んでくださった人々全てが、私の願うような感想を持ってくださるわけではないのと同じである。

先月初め、私はこのエピソードの監督の立場で考えさせられたことがあり吟味していただけに、実にタイムリーに客観的な結論を与えられたのである。
つまり上述したとおり、そもそも私は遠藤周作が納得したことと同じ考え方であるので非常に嬉しい完結となった。


午後の講演者は私たち関西ブロックの例会でご指導いただいている大田先生だ。前者と同じく読者の励ましとなることを記したい。

漱石の心の傷は自分は要らない子ではないかというもので、これがトラウマになっており、「どうせ自分は世に入れられない頑固者だ」という意味で「漱石」と名づけた。

倫理を追い詰めていったら自分を殺す(『心』)か人を殺すしかなく、裁き裁かれの自他を追い詰めるところがあるが、漱石はそうではないのではないかと考えていたように思われる。

『銀の匙』(中 勘助)を読んで目が開かれていき、『硝子戸の中』の途中から自分の幼少期のことを書き出した。

自分のところに金めあてでやってくる兄貴にお金を出しながら、もし神の目から見たら、時を惜しんでい生きている私とこの人たちとどう違うのか。私の人生はいったい何だったんだろう。

自分が思い出したらゾッとするような怖い記憶を思い出し、妻や兄弟から受けた愛に対して何ひとつ応えてやることができなかったという罪意識を持ち、イエスさまの愛って何だろうと、イエスさまの愛に徐々に近づきつつあったのではないか。

漱石や遠藤周作など内側の傑出した人々は、自分の責任の及ばぬところで悲しいことが多い。しかし、その苦悩ゆえに葛藤し、苦悩ゆえの感情を昇華して卓越した文学を創造したのである。大いに励まされるではないか。

最後の黒川先生による『文章作法の学び』では「小説をいかにして書くか」について語られた。小説への志のない私にも小説の文章作法について興味深く聞かせていただいた。

氏は月に3回は無牧の教会(むぼく・牧師のいない教会)へ説教に行くという奉仕もされており、次のように言われた。

「私は学者でありますから学問を通して、牧師ですから聖書を通して、そして、作家でありますから文学を通して神の栄光を現したい。地上生涯は限られた時間でありますが、言葉を通して証ししていきたいと思います」。

何と時間を大切に生きておられることだろうか!ここに集う人々は皆そうだ。55周年の時にお知り合いになった70代の男性は、

「私は19年間人工透析をしています。昨日も行ってきました。
昔、火事で家を追い出されたのですが、神さまの摂理ってありますねえ。
すべて神さまの祝福になっていますね。それはあとになって、こういうわけだったのかってわかるんですね。」


と、この日もまた主の平安と恵みの中で笑顔笑顔で輝いておられた。
今週中に400字で感想を書くように言われているので、ペン友との再会の恵みを通してJCPへの思いを書こう。

出席者46名。創立60周年は豊かに祝福された。
翌日、欠席された久保田暁一先生からお電話をいただき当日の様子をご報告した。私からご報告すべきだった。川上与志夫先生にはお見舞いメール方々一報したが、両先生のお姿が見えなかったのはさみしいことだった。

今後はもっともっと真剣に関西ブロックのために労していきたいと強く思わされ、神さまは私をも豊かに祝福してくださった。

posted by 優子 at 23:49| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2012年10月08日

真のクリスチャンの輝き 池田勇人牧師の言葉 ―JCP創立60周年記念感謝の集い@―

JCP60周年.jpg

関東ブロックのリーダーである友は、その著『希望の風』10月7日の記事で、JCP(日本クリスチャン・ペンクラブ)について、JCPへの熱い想いをほとばしる筆力で書いておられる。私の記事を補っていただくために併せてお読みいただきたいと思う。

60周年記念のプログラムのすべてが重厚なものであった。
その中でも今の私自身にとって特筆しておきたいことは、開会礼拝で語ってくださったJCP理事長・池田勇人牧師の生きざまとメッセージだった。

池田先生とは2010年8月に京都で開催された夏期学校以来の再会であるが、その後、闘病生活を余儀なくされ、関東ブロックの活動拠点である当会場にもこの時が2年ぶりの御出席だった。

関東ブロック主要メンバーのお一人である友のブログ(『生かされて』)10月7日の記事に、「闘病生活を送っておられたI先生がこの場所に来られ、お話をされていること自体が奇跡です。」と書いておられるように、私もまた先生の経過を折々に教えていただいていたので、言葉にはならない思いでメッセージを拝聴した。

私は食い入るように先生を見つめ、時に奥様にも目を向けながら聴き入った。そのためにペンを走らせるのを忘れてしまったところがあり、正確さを欠くところは「・・・」で表示した。

「抗がん剤治療は12〜13回が普通であるのを23回もやってしまったために再手術もできず、何をしても肝不全になってしまう状態です。九死に一生を得て与えられた命、(神さまの)御霊(みたま)の宿るこの神殿(体)を管理していかねばいけないと反省しつつ教えられています」。

そして、ヨハネによる福音書10章16節のイエス・キリストの言葉を引用されて、「囲いに属していない人たちの中から多くの方々が加わるであろうと信じるわけであります。そのために私たちはどのようにすべきでしょうか。囲いに属さない羊たちを導かねばなりません。」と語られ、次のように続けられた。

ドラッカーは、明確な社会的な存在意義が必要であり、それをメンバー全員知っているのが必要だと言っている。従って、JCPの存在意義をよくわきまえて・・・福音宣教のために言葉でもって宣教している者に召されているという明確なビジョンをもちたい。私たちに力である聖霊が臨んでくださりペンの技に励みたい。

私は日々、日本語の美しさにしびれることがある。
「生きる」は古語では「生く」であり、これには「息をする」の意味がある。昔の人は息をすることが生きることなんだと考えた。息をするためには生かされていくことが必要だ。酸素を与えられ、空気を与えられている。これが日本語の中に入りこんでいるのではないか。

神さまの息吹をうけて、私たちは生きることができる。
「祈りつつ書き、書きつつ祈る。文は信(信仰)なり。」と言われた満江先生(前理事長・牧師)の言葉が響いてくる。

 ―後半は師の語り言葉のまま刻みたい―

最近考えているのは、囲いに属さない人々をどのように導いていけばいいのかということです。JCPのホームページがあり、ブログを書いている人もおられます。

また、関東ブロック・関西・中部ブロックの活動がありますが、創立70周年に向かって小さなミニミニ文章教室があちこちでできないだろうか。共通の証し文章の講座になるマニュアルを作っていただけないでしょうか。

私にはもうその力はありませんから、みなさんの心にとどめていただけないでしょうか。高齢になれば出かけることはできなくても自宅で、また、教会でならできるというように。

囲いに属さない人々のために考えていくことが、JCPが長く残っていくことになるのではないかと思います。書くことの祝福・・・
70周年、再び元気でお会いいたしましょう。

ヨハネによる福音書10章16節:
「わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう」。

奥様(牧師夫人)は終始口元を固く閉じ、目に力をこめて伴侶を見つめ、全身を耳にして聴いておられた。
池田先生は実に謙遜で知識に富む優しい牧師だ。この日は昼食後に退席されたが、その前に先生の方から私たち一人ひとりに挨拶して回っておられた。

その時、私はブログを書くにあたり病気のことを書いてもいいですかと先生にお聞きすると、「それはもう自由に」と仰った。そこで勇気を出してお聞きした。「では先生とのお写真も載せさせていただいてもいいですか?」
すると、「それはもう自由にどうぞ」と仰り、「こうして今生かされているのですから」と言葉を継がれた。

神に生かされているいのち、クリスチャンの本質が輝く池田牧師の言葉。神さまはこの一言を私に聞かせんがために、「東京へ行こう。60周年に出席したい。」との思いを与え、実行させてくださったのだと悟った。
そして、「書き続けなさい。あなたでしか書けないものを書き続けなさい。」と、神さまに示されたと固く信じられるのである。

池田勇人牧師と.jpg 

私は池田先生に癒しの奇跡があると思えてならない。

附記:池田先生が牧会しておられる霞ヶ関キリスト教会のHP:http://kasumich.yu-yake.com/

posted by 優子 at 19:54| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2012年10月06日

東京駅1番線でのハプニング ―天皇・皇后両陛下と会釈交わす―

午前7時、新大阪駅のプラットフォームに到着。まもなく「のぞみ106号」が入ってきた。席は一両目の16号車だ。新幹線はカッコイイ、ユキに見せてやりたいなあと思いつつ横に目をやると、直立不動で敬礼しているユキの姿が見えるようだった。

2時間半は退屈することもなく東京に着いた。今日の日本クリスチャンペンクラブ60周年の集いは、個人的にも忘れることのできない恵み豊かな一日だった。神さまのお計らいを何度も感じた。

まず、関東の友たちとの再会を喜び、先に着いておられた関西の方々と挨拶を交わしてまもなくのこと、東京に在住されている大学の同窓の方が私を訪ねて来てくださったのだ。私よりもかなり若い方で、共に恩師にあたる川上先生(JCPの理事)のご紹介だった。

そして、感動の讃美は五臓六腑にしみわたった。
関東の方々ともすっかり顔なじみでお名前も覚えている。懐かしい親戚のようで東京が第2のふるさとのように感じた。
そして最もスペシャルだったことは、JCP理事長・池田牧師のお言葉だった。メッセージはもとより、牧師としての池田先生の生き方、あり方は、ここしばらく保留にしていた問題に対する神さまからの明確な答えだった。

今夜は疲れているのでそのことは次に譲り、ユキが大喜びしてくれたお土産を記録しておきたい。それはこれだ!

はやぶさ&こまち@.jpg

「ユキ!『はやぶさ』と『こまち』がいるよ!!!」
東京駅に降り立ってプラットフォームを歩いていると、私は声を殺して叫びながら小走りした。
接続!.jpg
はやぶさとこまちの接続。
「かっこいいなあー」
やっぱりユキはこれが一番のお気に入りだった。

そして、新幹線の改札口を出て中央線の上りエスカレーター前へ行った時だった。綱が張られて乗客は足止めされていた。
「天皇・皇后陛下が通られるのでお待ちください」とのこと。
「さすが東京だな」と思い、目の前にいる係員に「こういうことはよくあるのですか?」と尋ねたところ、それには答えてくれず「今日は山梨へ行かれるので」という。

ちょうど私は新幹線の中で大江健三郎の『あいまいな日本の私』を読み直していて、現憲法下での政治権力を持たない天皇と日本文化との関係を考えていたところだったので、私のすぐそばに天皇陛下が居られるということに現実感が伴わない妙な感覚を味わいながら待っていた。

すると目の前のエスカレーターを上られるのではなく向こう側から上られるとのことで、「なあんだ」と少々がっかりしたものの、足止めが解除されたのでエスカレーターを元気溌剌として上っていった。

とその時、プラットフォームに上がった瞬間にお二人が歩いてこられて、両陛下それぞれと目が合って会釈し、瞬間的な早わざでシャッターを押した!
東京駅1番線のハプニング!.jpg

お二人とも穏やかで深いお人柄のようにお見受けした。やっぱり私も日本人、常々親しみを感じているお二人だったので嬉しかった。今日は明治末期に皇室から山梨県に贈られた森林を視察に行かれたそうだが、そんなハプニングがあって無事お茶の水駅に到着したのであった。

さて、昨夜は眠れるかどうかが最も大きな緊張要因だったので、長女のアドバイスを受けて睡眠導入剤を服用し、6時間眠ることができて体調万全での出発となった。

薬に頼るのは抵抗があったが、「薬品は神さまの恵みの賜物なのです」という言葉を思い出して受け入れた。
それでも眠るまで20分ほどかかったが、今朝の早朝血圧まで正常範囲で今もこうして速報を書く体力があった。感謝!

posted by 優子 at 23:59| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2012年10月04日

今年2度目の季節を咲くイソトマ 

未だ太平洋高気圧の勢いが強い今秋、初夏に咲くイソトマが再び咲いた。今年も6月6日の次女の誕生日に開花したイソトマは8月末まで咲き続けた。いつものように茶色くなった葉(茎)を土近くから切り落とした。
例年ならばこの状態で冬越しして春まで眠っているのに、今年は再び芽を出して蕾までつけた。私は花を咲かせたい、咲いて欲しいとの思いで、9月30日の大型台風17号襲来を機に夜は室内に入れている。きっと寒さは苦手なようだから。
2012イソトマ秋に初夏再び.jpg
10月1日に蕾が開き、2日の朝に2つ目、その夜に3つ目が咲いた。残る1つも明日には蕾を風船のように膨らませて開くだろう。
しかし、やはり季節は秋、昨日からキンモクセイの香りが漂い始めた。

今週末6日はいよいよJCP(日本クリスチャンペンクラブ)創立60周年記念と感謝の集いである。会場は日本の「キリスト教界の中心地ともいえる『お茶の水クリスチャン・センター(OCC)』」だ。

OCCは関東ブロックの方々の活動の本拠地で毎月の例会会場である。私は今回3回目で5年ぶりの訪問だが東京駅から心もとない。そんな今朝、詳細なアクセス案内メールをいただきワクワクしてきた。

東京駅新幹線改札口を出たら1番線の中央線を目指し、電車は一番前が便利。お茶の水は神田の次で二駅目。目の前の階段を上ってお茶の水橋口の改札を出れば、向かい斜め左上に十字架が見えるビル、それが目的地OCCだ。
頭に入れながらメモした。このメモを忘れることも間々あるので、その手でバッグに入れて準備完了。(^ー^)

「ママが一人で東京に出向くなんて、未だにびっくり(笑)。
御茶ノ水か〜。東大時代が懐かしいわ。帰国して東京に滞在した時は御茶ノ水の近くに行ったりしてたよ。」
とは、ワシントンD.C.在住の真智だ。
「パパは先週も日帰りで東京へ行ってきたよ。そして、週末には鹿児島(霧島)だった。ママも真智が東京に居ないことにももう慣れたよ。東京っ子のフーのことも想いつつ行ってくるね」。

ただし体が気温に反応して朝晩が涼しくなった9月初めから血圧が変動して170以上になるときもある。7・8月は降圧剤を飲まないでおられたが、長浜へ行く時も高かったので薬を飲んだ。勝手に薬を増やして飲むことを長女に戒められ、医師の指示を受けて今週から2倍の服用となった。

6日は早朝5時半の出発である。睡眠不足も血圧には要注意だ。しかし、一人で行くので待ち合わせているわけではないから最悪遅刻するだけと自らをリラックスさせ、体調のことは神さまに委ねよう。帰宅は夜10時頃になるだろう。

当日は『遠藤周作の信仰と文学』と『夏目漱石の文学と聖書』の講演や、『文章作法』の学びと楽しみ満載だが、今回は特にJCP理事長・池田勇人牧師による開会礼拝に万感の想いが溢れるだろう。

病む方々に想いをいたし、今年のイソトマのようにもう一度命が戻されますようにと祈るばかりである。


posted by 優子 at 18:08| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2012年10月02日

ピエロの仲間たち、ようこそ我が家へ! 

ピエロの仲間たち.jpg 
『ピエロの仲間たち』

9月29日(土)朝、敬愛する姉妹のおかげんをお聞きしたくて電話した。病床の姉妹とその伴侶の気持ちが伝わってきた。私が病気ならば来てほしい。かつて母に寄り添っていた時、私のためにも来てほしかった。内なる促しに導かれるまま急きょ滋賀県長浜へ出かけた。

この作品は病床にある姉(しまい)が押し花で作られたものだ。背景は和紙で、白いところは光を感じさせる。何て上手なんだろう。
若い頃から数え切れないほど作ってこられ、今入院されている病院にも寄贈された大きな作品が目のつくところに掲げられていた。

この『ピエロの仲間たち』はご自身のお気に入りの作品で教会にも飾っておられたものだという。そして、病院にも持ってこられてベッドサイドに掛けておられた貴重なものだ。これを私にくださったのだ!

生涯大切にしよう。いや、私が去ったあとも長女に託して末長く大切にしてもらおう。


肉体の痛みは耐え難いものである。今年7月末に数日間ではあったが経験したことは幸いだった。

あの時、微熱が出た数日後から胸が痛みだしまもなく極度に達した。その痛みたるや出産直前の陣痛のようであり、ひょう疽でのたうち回った痛みのようであり、痛くて痛くて夜も眠ることができず、少しウトウトしても痛みで目が覚めてしまうほどで、呼吸するのも浅くしかできなかった。

そんな状態を2日間くらい続けていたように思うが、それでもお医者さんに行こうとしなかったのは、そのうちにおさまっていくと思っていたからだ。しかし、熱が39度近くに上がってどうしようもなくなってタクシーを手配して医院へ急いだのだった。

診断は気管支炎だった。咳など全く出ないのに気管支炎だった。右側肺の下部が白くなっていた。幸いに1日1回の飲み薬を3日間飲むだけで完治した。その夕刻に1回目を飲んだだけで痛みが和らぎはじめ、その夜から眠ることができた。

薬のありがたさと全ての病がこのようであればいいのにと病気の方々のことを想っていた。
そして、先月半ばに生活習慣病の薬を処方してもらうために受診したのは、タクシーで駆け込んだ時以来である。

この時気管支炎で胸が痛くなった原因を尋ねたところ、肺には痛みの神経はないが炎症が痛みの神経がある胸膜にまで達していたためだった。肝臓にも痛みの神経はないが病気が進むと痛むのも同じ理由だという。

あの痛みの中では祈ることもできなかった。痛みを緩和しないと人間の尊厳を奪うという意味がよくわかった。

先日は病床で1時間も長居してしまったが、共に讃美歌を歌い、「主の祈り」を捧げて礼拝し、三人が祈り合った。この時、主が共に居られてご夫妻を支えておられるのを感じた。

そして、ご夫妻があんなに愛して仕えてこられた教会は間違いなく「終生の教会」であると私も確信している。
教会の横に生い茂る草花の一つは、押し花の材料であるウラジロだと教えてくださった。今度はご夫妻と一緒に3人で散策したい。そして、作品を作っておられるところを見たい。

「地の道を与えてください。夫婦共存とさせてください」。
主の平安を祈り、ご夫妻の祈りに合わせて私も同じ祈りを捧げている。


主よ、今夜も病院にいる全ての人に祝福をお与えください。
そして今この時も、神さまの力強い愛の御腕が姉妹を放さずにつかんでおられることを感じさせてください。痛みを和らげて眠らせてください。そして、ご家族の健康と心をも支えお守りくださるように祈ります。

ピエロさんたち、ホームシックになっているでしょうね。長浜へ帰りたいでしょうね。でも、よろしくね。

ピエロさんたち、ようこそ我が家へ!
〇〇子さん、ありがとう、大切にします。
ピエロたちを見るたびに
〇〇子さんに微笑みを贈ります。
祈っています。


posted by 優子 at 23:59| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2012年10月01日

育まれていくユキの情緒と知力

初めての記事.jpg「この電車は来年から そこの近鉄のとこに走ります。しまかぜ」。
9月29日付け毎日新聞朝刊の一面トップは、来年3月から運行する近畿日本鉄道の新型観光特急「しまかぜ」の記事で、写真が目に飛び込んできた。
ユキに見せると早速ハサミで写真を切り抜いた。私はスクラップするのかと思ってクリアファイルを勧めたところ要らないと言い、このような記事を一気呵成に書き上げた。

「すごい!!」
私と知子は感嘆した。
これはユキの初レポートだ。これこそが最高の学習なのだ!
小さな子どもの知力と情緒の成長は著しく、子育てを何回経験しても感動する。電車一筋のユキのプラレールも日々進化する。
積み木や本を使って長いトンネルを作り、トンネルを抜けて.jpg今年から小さな懐中電灯も加わった。たびたび消灯させられるのは困るが、電車がトンネルから出てくるところなどお世辞抜きで中々のものだ。

懐中電灯を電車の横に付けると幅が合わず側壁の積み木が倒れ、屋根に付けると2階のレールにつかえて動かないなど、一つひとつ失敗しては考えて根気よく工夫する。

5歳2ヶ月のプラレール.jpg

進化したプラレール.jpg

これは9月24日朝のふたり。
ユキと知子のシルエット.jpg

集団登園の集合場所まで送って行くところだ。
母と子の交わす笑顔、美しいシルエットは私を喜びで満たしてくれる。うさぎ当番.jpgこの日は2回目の「うさぎ当番」だった。リュックのうさぎの人形はキャベツや人参を持って行くのを忘れないようにと、前日に先生がつけてくださったものだ。

そしてまた、この日は7・8・9月生まれの子どもたちのお誕生日会で、その子たちのお母さんが招かれて給食も一緒にいただく日だった。
ユキはこの日をどんなに楽しみにしていたことか!
私もユキに負けないくらいに心待ちにしていた。
お誕生日会A.jpg  お誕生日会B.jpg  お誕生日会C.jpg
当日はお誕生日の子どもたちに給食当番させてくださり、
園のいろいろな配慮に愛を感じる。 

ユキの給食.jpg

でも、副食は園児にも少なく試食のようだ。右に見えるスープはママのだって!

毎日時間に追われて職場ではオールラウンドに集中力を傾ける知子に、ゆったりとした時間の中で専業主婦の生活を味わわせてやりたいと切なくもあるが、仕事を持つ母親と子の時間は濃い。

お誕生会の日に.jpg

「ユキ、元気に楽しく大きくなあれ!」新幹線


posted by 優子 at 21:33| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする