2012年11月30日

幼稚園・小学校の1日自由参観 ―ある教室の光景―

昨日の1日保育参観のタイムスケジュールが案内されたのはその前日だった。登園後すぐに園庭で「お店屋さんごっこ」が始まるというので、知子は会社に連絡や伝言して電車を1台遅らせて参加することにした。

たった15分間という短い時間だったが、私はユキと知子のために強く勧めた。知子が行くことになったので、私は洗濯物だけ干して一緒に出た。朝早くからたくさんのお母さん方が参加しておられた。

園庭には洋服屋さん、おうどん屋さん、みたらし団子屋さん、ジューススタンドにアスレチック、輪投げ、落ち葉の温泉などたくさんのお店が出ていた。
まずは銀行の自動機ATMでお金を引き出してから買いに行くのであるが、ユキはATMなど知らないだろうから本物を見せてやらねばと思った。
ユキはハンバーガー屋さん.jpg

ユキはハンバーガー屋さん!
知子は毎晩子供を寝かせてから12時半頃まで仕事をするので、たくさんの書類を手にしての参加である。父親にあずければよかったね。

うさぎ組・作品展より.jpg
   親子で作ったケーキ。
「(幼稚園で)さみしかったらママの写真を見に行って、
安心したらおともだちの写真を見るの」。
 
これを作ったのは私の誕生日だったので「おばあちゃんへのバースデーケーキ」と書いてくれている。そして、その日の午後にママと一緒に本物のケーキ(アップルパイ)を作ってくれたね。ありがとう!

作品展の見学、保育室での参観、そして、小学校5年生との交流では5年生の教室でもみすり(脱穀)を参観した。すり鉢が足りないのでザルに収穫した米を入れて野球の硬球でこすり、あとは扇風機で籾殻を飛ばしていた。

毎回お世話する園児は決まっていて、ユキの担当はI君でそれはそれは素敵な少年だった。I君は見るからに利発そうな目をしており、それだけではなく優しさが滲み出ていて、そのうえに美男子だった。

I君はユキの手をとって籾すりの力加減を教えてくれているのだろう。ユキにこんなお兄ちゃんがいればいいのにねと胸が熱くなった。

5年生のお兄ちゃんと脱穀@.jpg

5年生と籾すり.jpg

毎回交流会の最後は5年生の児童が園児を抱っこしてくれるとのことで、そのツーショットを撮らせてもらった。
私はそれをカメラごしにI君に見せ、「この写真をどのようにしてお届けしましょうか」と尋ねると、彼は少し考えてから「届けてくださらなくていいです」と穏やかに答えた。

今もこんなに正しい日本語を話す子供がいるんだと感動し、I君の言動からご両親を想像させた。
ユキが小学校に入学する時はI君は卒業していないけれど、共にりっぱな青年に成長して再会した時のふたりを想像した。是非、そんな日がありますようにとI君とユキの健やかなる成長を祈った。

この感動の少し前、「(籾殻飛ばしを)やってない奴(園児)を連れて来いよ」と児童に声をかけた教師の言葉を耳にしていただけに救われる思いがした。若い教師は問題意識など皆無で気づきはないのだろう。

児童に失礼なだけではなく園児にも何という失礼なことであり、何のための交流学習なのだろうか。これでは教育と対極にあるものであり、これがおおかたの実態だと思う。


この日、10分間ほど時間をいただいて園の主任先生と幼児教育について親しく話し合い、共感と出会いを深めたいと思って私の教育観を書き綴った次女の小学校時代の広報誌を持参していた。

しかし、オープンスクールの日は無理だと判断したが、たまたま校長(校長は園長でもある)と出会ったので、運動会の練習で目撃した教職員の暴言を改めていただくように要望した。

教育者という意識があまりにもなさすぎること。子供たちに失礼のないように関わって欲しいことを話し、自己紹介かたがた持参していた広報誌をお渡ししたのだった。

幼稚園では情熱をもって素晴らしい幼児教育を実践されており、しかも、ここは幼・小一貫教育とでも言うべき教育環境だけに、是非とも改善してもらいたいものである。本気で取り組めば改善されていくのだから!

「時間はつかの間に過ぎていきますから、子供だけではなくお母さんも十分に楽しんでほしいです」。
立ち話をしていた時に仰った主任先生の言葉が今も耳に残っている。知子のことを思いつつ。


附記:美濃紙業のホームページ" being & doing " が更新されました。タイトルは「断裁の取組みについて ―全体会議より A―」です。ご覧ください。
http://being-and-doing.seesaa.net/


posted by 優子 at 23:31| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年11月29日

60代を生きよ!

今日は孫が通っている幼稚園が小学校と共に「オープンスクール」と銘打って終日開放された。これは年中行事になっていて、かつて民生委員として小学校を見学し給食を試食させていただいたことがある。

知子は15分間ほどだけ参加して園をあとにして駅へ走って行った。
私も洗濯物を干しただけで出かけたので1時間ほどで退散するつもりだったのに、保育参観や作品展などを見学して2時間半も滞在することになった。感動と共にいくつか感じたことを書きたいのだが、夜も遅いので次の機会にゆずり、昨日の記事を読んでくださった友から嬉しいコメントメールをいただいて、気づかされたことがあるので書いてみたい。

友は渡辺和子さんの「ふがいない自分と生きる」から言葉を贈ってくださった。
「若い頃は人生の量が大事だったけれど、人生の終わりはする事が限られ、丁寧に自分のあり方を見る暇もできるので量より質に目を向ける向けることができる。『老い』を受け入れる事ができる」というものであった。

友のメールを読んで「そういうことなのかもしれない」と思った。
最近は血圧もほぼコントロールできて体調は良いのだが(こういうことを書くとてきめんに調子が悪くなることが多いが)、今日も幼稚園で1時間も立っていると腰が痛くてたまらなくなってくる。左の股関節は疼(うず)いてくるし、空いている園児のイスを借りて座らねばならなかった。家に居るときでさえ休憩をとらずに横にならないでいると痛くてどうしようもない。

体調が良くてもこんな具合いだから情けない気持ちになってしまう。同じ世代の人どころか、教会や自治会でも私よりももっと年上の人たちがよく動いておられるだけに、私は怠け者で自分に甘いからダメなんだと思ってしまうことしきりである。

そんな日常であり心情なので、私は私の老いがわからないからイライラして不機嫌になりやすいのかもしれないと思った。

30代や40代の頃を思い出すことで自分の老いを認めることができるように思う。それでもなお多くの活動的な人々を思うと、まだまだ自己確立できないような心境ではあるが・・・


第一、私よりも6歳年上の夫は毎朝6時半過ぎに家を出て、10〜20分すらの昼寝もしないで一日を過ごす。
義父が現職だった頃は運転手の送迎で10時に出社し、まずは会社の向かいにある喫茶店でコーヒータイムを取り、6時に帰宅という時代だった。今や「重役出勤」という言葉は死語で時代は全く変わってしまった。

夫と比べなくても私は自分の体力のなさや仕事量の少なさに苛立ちをおぼえる。ユキの世話があるとは言え4時間は自分の時間があるのに何も形になっていないし、動き続けているのに自分の時間がとれないこともしばしばだ。

ところで渡辺和子さんと言えば、私が30代になる前から何冊も著書を買い求めては何十回も読んでいた人だ。ここ10年ぐらい手にすることはなかったが、アメリカ・ボストンカレッジ大学院で教育学の博士号を取得したのち、36歳という若さで岡山のノートルダム清心女子大学の学長に就任されたシスターである。

私がクリスチャンになってから自分の遅々とした歩みに悩んでいた時、一度だけ手紙を出したことがあった。
渡辺さんはカトリックの方なので信仰が違うのだが、多数の著書を熟読し尊敬していた方だった。するとあの多忙な方が肉筆でお返事をくださったのだった。

私はこれからこそ質的に人生を高めていかねばならないのに、老いの焦りからか若い頃にも求めてはいなかった量的なものに目がいっていたように思う。
そのことを友のメールに気づかされた。J姉に感謝!


posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年11月28日

葉の落ちた木々も美しい

今週から年の瀬の寒さになっている。今朝の最低気温は0.3度だった。木々はすっかり葉を落として幹と枝だけになっtていた。

冬の始まり.jpg

「でもステキよ」と、私は木々に声をかけた。
「生命みなぎる時や紅葉の時だけではなく今もステキよ」と。
 
木々の枝には11月初めには新しい蕾をつけていた。それから半年近くもかけて咲く準備するとは・・・と、今朝は万物を創造された神さまのことを思いつつチャッピーと歩いた。

木は花の季節や、新緑や万緑の時だけが美しいのではない。幹と枝だけになって寒さに耐えている姿も山桜らしく、本物の美しさに心惹かれる。
人間も同じだ。試練に耐え笑顔を失っている時も美しいのであり、苦しいい時は苦しいと言い、弱さを分かつことのできる人に惹かれる。


私もまた人生のどの段階においても自分らしく、ほかの誰でもないユニークな私らしさを失わないで生きていきたいと思う。造花のような生き方は嫌だ。

しかし、最近は心の弾力性がなくて困る。年齢を重ねた血管は弾力を失って高血圧になるというが、それと同じだ。心の弾力を失っているのだろう、家族に不機嫌をぶつけることが多い。悔い改めるのにも時間がかかる。だから感動することも乏しくなり楽しくない。

短所がいっぱいの私だが、最たる長所は悔い改めが速いことだったのに・・・と、そんな今夕、宝物がいっぱい詰まった郵便物が届いていた。

いつも祈りに覚えているお一人で、このブログを読んでくださり「チャッピーは讃美犬ですね」と言ってくださったI牧師からだった。

それはこの記事のことを仰ったのだった。http://yukochappy.seesaa.net/archives/20060126-1.html 私がつけたタイトルの「讃美歌犬」より「讚美犬」のほうがふさわしい。

このような師の存在が私を元気づける。聖霊に満たされて感謝の気持ちを刻んだ。書き終わったとき悔い改めへと導かれて自分らしさが戻っていた。二重の喜び、溢れる感謝!


附記:昨日、美濃紙業のホームページ" being & doing " が更新されました。タイトルは「経営改革初年度の手ごたえ ―全体会議より @―」です。ご覧ください。
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posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年11月24日

経営改革初年度の刈り取り

知子が父親から経営改革と人材育成を一任された2月から10カ月が過ぎた。美濃紙業の決算が11月という関係から、例年11月に開かれている全体会議が土曜日の今日開催された。

知子は経理課はもとより、営業、店頭、倉庫、断裁に至るまで、全ての部署に関わり統括する任務を与っているだけに、この会議のための準備にも4〜50時間はかけていたと思う。

9月末の営業会議に予告なく知子と良輔が共に出席した時のこと。この御時世に相も変わらず会議とも言えない無意味な時間を重ねていることに愕然とし、知子が3時間にわたり具体的指導と叱咤激励をして帰宅したこともあった。

他の部署においても、就業規則にある「僅かの注意をすれば防げたにもかかわらず、その程度の注意を払わなかったこと」による多額の損失額を伴うミスが多々あることがわかり、まだまだ認識できていない人が想像以上にいることがわかった。

既に意識改革した人もいる一方で意識の低い人も多くおり、10月の朝礼でだったと思うが、夫(社長)は「この改革についてくる気持ちのない人は自然淘汰されていくと思う」と語った。

税理士、経営コンサルタント、銀行など異口同音に、当社は業界平均より人件費が高く社員数が多いと指摘されている。知子もまた同じ時に、「3名のリストラも視野に入れている」と伝え、以後、意図的に沈黙して見守っていた。

サポート役の私から見ていても知子の集中力と努力は凄まじく、美濃紙業のHP・『ビーイング&ドゥーイング』の更新に割く時間はなく2ヶ月の空白となった。

今日の全体会議では昨年までのおざなりな内容を一転させた。
已む無く法事などで欠席する人たちにも事前に資料が配布され、「基本的には自由席だが討議するためにも部署が偏らないように」着席してもらったという。

11月1日にはあらかじめ、経理、倉庫、断裁の3名を呼んで全体会議で発表してもらいたい旨を伝えた。3名の選出は職位によるものではなかった。

会社の利潤を上げるのは営業だけではなく、全ての部署が一体となって積み上げるものであるという思いを全社員の心に焼きつける会議にするためだ。

過去にも1度あったようだが、今回は社長の発案で会議のあとに昼食も共にしようということになった。
せっかくの機会である。知子は普通のお弁当を買うのはやめようと即役員会で提案、承認された。そして、「大阪府障がい者工賃向上計画支援事業・エルチャレンジ」に依頼。献立も一緒に決めたそうだ。

知子は今朝の通勤中7時30分頃、父親に言った。
「今頃、障がい者の方が私達の為に一生懸命お弁当を作ってくれている」と。すると、「・・・そうか。」と噛み締めるように言ったという。

知子がこのことを私に話してくれたのは、父親の異変(勿論、評価すべきプラスの異変)を感じ取ったからだ。ハレルヤ!

知子が会社のトイレ清掃業者を障がい者施設に変更したことを聞いたとき、私はすぐに知子にこのみことばを贈った。

「あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたし(イエス・キリスト)にしたのである」。      
            (マタイ 25章40節)

そして、その方々との関わりだけではなく、「全ての部署が一体となって利潤を積み上げる」という知子の経営理念の源は聖書に由来する。
コリント人への第一の手紙 12章14節〜27節:

「実際、からだは一つの肢体だけではなく、多くのものからできている。もし足が、わたしは手ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。

また、もし耳が、わたしは目ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。もしからだ全体が目だとすれば、どこで聞くのか。もし、からだ全体が耳だとすれば、どこでかぐのか。

そこで神は御旨のままに、肢体をそれぞれ、からだに備えられたのである。もし、すべてのものが一つの肢体なら、どこにからだがあるのか。

ところが実際、肢体は多くあるが、からだは一つなのである。目は手にむかって、「おまえはいらない」とは言えず、また頭は足にむかって、「おまえはいらない」とも言えない。

そうではなく、むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、からだのうちで、他よりも見劣りがすると思えるところに、ものを着せていっそう見よくする。

麗しくない部分はいっそう麗しくするが、麗しい部分はそうする必要がない。神は劣っている部分をいっそう見よくして、からだに調和をお与えになったのである。

それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。
もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である」。

つまり、ある人は手であり、他の人は足である。人は皆、それぞれ違った賜物(能力)を与えられている。それゆえに互いに協力してこそ正しく統一性のある良き仕事をすることができると言うわけだ。


一個の体も、会社においても、社会においても全てに通じる真理である。

知子は改革当初から常々私に語っていることを社員に伝えた。
「有能な人を採用して社員を入れ替えて来期の目標を達成するのではなく、ここにいる皆で、このメンバーで達成したい」と。

今日知子が話した30分間の話の内容と、業務・営業両部長が話した内容とは矛盾がなかったと非常に喜んでいる。改革の波は確実に社員たちに及び始め、改革初年度の喜びの刈り取りであった。今後も気を緩めずに神と共に前進していくことだろう。

神の愛をもって励んでいる知子のミッションが成就するように、これからも祈りをもって支えていこう。

附記:今日は10時から3時まで自治会の祭りが開催された。
公園には10基(?)のテントが張られ、自治会内の病院や保育園、町の郵便局、隣町のケーキ屋さん他、市長の挨拶まであり、「町おこし」のごとき驚くべき大イベントだった。
私は午後から「ヨーヨー釣り」を受け持った。
知子と良輔は1時半過ぎに帰宅して合流した。

集会所の花壇で.jpg
今朝のユキ。
集会所の花壇はもうクリスマス!
ユキ、ママとおじいちゃんが来てから嬉しそうだったね。


posted by 優子 at 22:50| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2012年11月23日

日本人は「真実を知ろうとしない、知る努力をしない、砂に頭を突っ込んだダチョウ状態だ」。

昨日の「香芝市・放射能からこどもをまもる会」事務局会議に参加して、自分自身の市政への関心の希薄さだけではなく、食品の安全についての意識の低さ、社会への無知と無関心さに自己嫌悪した。

事務局長ご夫妻と息子さんは11月初めに2度目の福島を訪問され、飯舘村や南相馬市(小高区・「希望の牧場」)を見て回られた。

その報告の中で話された『ぬまゆのブログ』、木下黄太(こうた)さん、「希望の牧場」など、全てが初めて耳にすることばかりだった。それは私があまりにも知らないだけで、放射能汚染問題に関心を持っておられる方でなくても多くの人に周知されている事柄だと思う。

それらを検索している関連のサイトで、私が常々感じている心情が記されていた。

日本人は「真実を知ろうとしない、知る努力をしない、砂に頭を突っ込んだダチョウ状態だ」。

その通りだと思う。日本人の多くは現実から目をそらし、物事を判断する場合周囲の影響も大きい。それは私だけではないと思う。

時に持論があっても発言する勇気のない私は、自分の旗印を鮮明に掲げ、自分の考えを発言する人に強く惹かれる。

私たち次第で現状は今よりもっと最悪にもなるのだから、今からでも多くの科学者、医師、メディアの人々が勇気を出して声を上げ、苦しんでいる人々を助け、日本を導く使命を果たすべきだ。
そのための学問ではなかったのか!
そのために報道の仕事を選んだのではなかったのか!

そして、私たち一人ひとりもまた真剣に生き直そうではないか。このままでは日本が滅んでしまう。国は経済だけで滅ぶのではない。未来の子供たち、若者たちの健康、命をないがしろにしていたら、結局国力が衰退していくのだから。

何百年単位で、いや永遠に続く放射能汚染問題を、たかが1年半余りしか経っていないのに、もう「喉元過ぎれば」の心境なのだろうか。

現実の厳しさを伝える人々に対して、反対論者は不安を煽ると言うが事実を知らされないほうが不安に陥る。私たちは情報の信頼性を吟味したならば、厳しい現実を受けとめ最善を求めて努力する勇気を持ちたい。


事務局長ご家族は第2回福島訪問で、原発から14キロの「希望の牧場」の吉沢正己さんと話してこられた。
殺処分や餓死は悲惨だ。しかしまた、運ばれてきた汚染された草を食べて生きる300頭余りの牛もまた胸が痛み、考えさせられる。

野田内閣が解散し総選挙となったが「混沌」の一言に尽きる。
とにかく争点は脱原発。これが私の最優先することである。

posted by 優子 at 20:46| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2012年11月20日

母教会のMさん、奥さんに続いてご主人も召天される

昨日は知子の手の傷のことで頭の中がいっぱいになっていたからか、知子が帰宅したと同時に「Mさんが亡くなられたよ」と言われても咄嗟に理解できなかった。

昨年の今頃、母教会のMさんが召されたことを知って動転したが、その1年後にご主人も天に帰られたとの報を受け取るとは思いもしなかった。

喪中の葉書きには、「昨年8月に母が亡くなってからの父は 入退院の生活でしたが 少しずつ健康を取り戻してくれていた矢先 突然体調を崩し永眠しました」とあり、
「今年5月に母の故郷へ旅行した時の 元気な父との思い出のものです」と、一人息子のK君ご夫妻と3人の写真が載せられていた。

懐かしいMさん。

昨年、Mさんの訃報を知ってすぐにお電話した時、ご主人はお独りで暮らしておられるとお聞きしたので個包装の魚の味噌漬けをお送りしたら、お電話をくださり喜んでくださってしばらく話していたのに・・・Mさん、あなたも逝かれたのですね。

天国で再会できるとわかっていても寂しく悲しくて号泣したい気持ちだ。独りで静かな時間がとれるなら思いっきり泣いていただろう。もうあのお家にはお二人ともいないと思うと悲しくてならず、あの頃の光景が明るい声と共に見える。

Mさんご夫妻との出会いは1986年で、Mさんの家庭集会へ集うようになったのは私が洗礼を受けてからだった。
35歳の頃と言えば人生盛んな時、経験を重ねながら豊かな精神活動がなされている時だ。その頃に教会生活を共にしていた方々だっただけに懐かしくてならない。

「昼間はなんとか過ごせても、夜になれば一人っきりになるので・・・」と力なく話しておられたMさん。「ともちゃん、まっちゃん」と呼んでくださっていた声も忘れることはないだろう。

Mさんとお出会いしてそんなに経っていない頃に、Mさんが夫にりっぱな聖書を贈ってくださった。こちらからお願いして署名していただいた時、「神もし我らの味方ならば、誰(たれ)か我らに敵せんや。」と、ご自身の愛唱句(ロマ書8章31節)を記してくださった。
             
それから25年余りの時が流れたのに、夫が信仰を賜ったという吉報をご報告することなくお別れしてしまったことが残念でならないが、あちらで再会した暁には必ずやご報告できると信じて歩み続けたい。
          
昨日は知子の35歳の誕生日であった。34歳の時に続いて35歳の誕生日にもMさんの召天を知らされたことは記憶に残るだろう。http://yukochappy.seesaa.net/archives/20111119-1.html

「いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である」。       
      (コリント人への第一の手紙 13章13節)

真剣に祈り求めて悔いを残さないようにと自らに言って聞かせ、聞いていたクリスマスの讃美歌の音量を大きくして立ち尽くしていた。

附記:美濃紙業のホームページ" being & doing " が更新されました。タイトルは「小さな変革なれど美濃の中核を据える」です。ご覧ください。
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posted by 優子 at 21:24| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2012年11月17日

第35回関西北越会 鹿児島・指宿の旅 ― 特攻隊出撃の地、知覧に立つ ―

15日・16日は夫と同伴で関西北越会から本土最南端の鹿児島を訪ねた。私は今回で7回目の参加である。大阪組は約4時間かけて新幹線で行き、帰路は飛行機を利用した。

昼前に東京組と鹿児島中央駅で合流し島津藩邸跡の重冨荘で昼食。夫は2度目である。かつてここは日本料理だったが、オーナーが変わったのでフランス料理に変わったとのこと。

今回の旅行は特攻隊出撃地だった知覧(ちらん)を訪ねるので楽しみにしていた。2007年5月にも民生委員会の旅行で行く機会があったが、2ヶ月後に出産を控えていた知子のことを思って断念。知覧については記事の最後で取り上げたい。

指宿白水館の広かったこと!!!
懇親会の前に初めての砂風呂体験は楽しかった。
指宿・砂風呂.jpg

2次会では夫を含む二人が、北越紀州製紙の社長さんから紙パルプ業界の情況を聞かせていただき、その横に座っていた私も興味深く聞かせていただいた。夫もまた関西の紙市場状況を話し、互いに良き情報交換のようだった。

製紙メーカーのトップが話される内容だけに国(経済産業省)の話や外国との交渉などのエピソードばかりで、さながら経済ニュースの実況中継のようだった。


翌16日、ゴルフ組19名は6時にホテルを出発して1時間半かけてゴルフ場へ向かった。帰りの飛行機に間に合うようにと空港に近いゴルフ場が選ばれたからだ。今回は昨夜の2次会で盛り上がったメンバーでのプレイだった。

私は夫を見送って朝風呂に入った。指宿温泉は塩分が強いので上がるときはよくゆすがないといけない。

錦江湾を臨む日の出.jpg

この写真は16日朝6時45分頃、指宿白水館の部屋より錦江(きんこう)湾を臨む日の出だ。2年前の伊豆・川奈ホテルの日の出を思い出させる。

観光組10名は大型バスをゆったり使って、車窓から開聞岳や「イッシー」でおなじみの池田湖を見ながら知覧へ向かった。池田湖には体長2メートルにもなる天然記念物の大うなぎがいるそうだ。

開聞岳.jpg

開聞岳、別名「薩摩富士」。
かつては海門岳と表記していた。手前はそら豆の畑だ。 

「知覧基地を飛び立った特攻機が最初の目印としたのがこの山であり、それはまた日本本土の最後の光景でもあった。多くの隊員がこの山に挙手の礼を捧げたと言う」。 (『新編 知覧特別攻撃隊』より)

甘く香り豊かな知覧茶は私の一番大好きな銘柄だ。静岡茶には知覧茶がブレンドされているという。
知覧の街は電柱を地下に埋めた美しい街並みだった。知覧特攻平和会館、知覧武家屋敷の街並みを散策し、鹿児島市の城山観光ホテルで昼食を摂った。

ホテル最上階のレストランで桜島を前に豪華なランチをいただいていたら、幸運なことに桜島の噴火を3回続けて見ることができた。これは2回目が爆発したところだ。

桜島噴火.jpg 

黙々と水蒸気が上がっている時は大きく爆発し、1日に7〜8回も噴火する日があるという。噴火情報によれば2009年から噴火活動が活発になっており、昨年は1355回も噴火していた。この写真は今年813回目(午後2時3分頃)の噴火だった。

車道の端に火山灰が落ちていた。鹿児島では灰のことを「へ」と言い、「へが降ってきた」と言うそうだ。(へぇ〜〜〜)

そら豆やスナップエンドウ畑を見るとさすが南国と思うが、「南国と言えども雪も降り、私は峠を越えての通勤なのでろそろスタッドレスタイヤに変えようかと思う」とガイドさんが言っておられた。
また、柿の実がよくなる年は台風がよく来ると言われている鹿児島は、落ち着いた居心地の良い街だった。

では最後に、今から67年前に知覧から特攻隊で飛び立った若者たちを偲びつつ記したい。

かつての特攻隊滑走路.jpg(「グーグル画像検索」より拝借)

↑ 献灯の石灯籠が並ぶ桜並木は、かつて特攻機が出撃する滑走路だった。
三角兵舎内.jpg

隊員たちが寝起きしていた「三角兵舎」を再現したもの。

三角兵舎.jpg
 
これは海から引き上げられた本物の特攻機「零戦」だ。

特攻機「ゼロ戦」.jpg(「グーグル画像検索」より) これを見た瞬間に「ああ!」と声が漏れ、涙あふれてしばらく立ちつくしていた。  

「知覧から飛び立った若者達の最年少は17歳だった。出撃は昭和20年3月から多くなった。昭和4〜5年より日本は隣国を侵略し終戦までの暗い15年間だった。その遺恨が今の日中・日韓関係に続いている。終戦の判断の遅れゆえに原爆投下の大きな犠牲に繋がった」。     
             (バスガイドさんの話より)

記念館の見学が50分間ではとても時間が足りず落ち着いて見ることはできなかったが、購入した本を読みたいと思う。ここに展示室で書きとった遺書と書物から引用した遺書をご紹介したい。

今 出撃二時間前です。
我々一行皆朗らかです。
私もニッコリ笑って行きます。

今はもう総ての俗念も去ってすがすがしいきもちです。
数時間後には
此の世を去るとは思えない程、
抱える爆弾はどす黒く光って居ます。

しっかり爆発するぞと云はぬばかりに。

では行って来ます。

皆様御元気で
四月二十八日十五時
さようなら

あんまり緑が美しい
今日これから
死にに行く事すら
忘れてしまいそうだ。

真青な空
ぽかんと浮かぶ白い雲
六月の知覧は
もうセミの声がして
夏を思わせる。
  作戦命令を待っている間に

小鳥の声がたのしそう
「俺もこんどは
小鳥になるよ」
日のあたる草の上に
ねころんで
杉本がこんなことを云っている
  笑わせるな
本日一三時三五分
いよいよ知ランを離陸する

なつかしの
祖国よ
 さらば
使いなれた
万年筆を”かたみ”に
   送ります。


枝 幹二 (大尉、昭和20年6月6日出撃戦死 22歳)

附記:今日の日本クリスチャンペンクラブ関西ブロックの例会は已む無く欠席した。この記事の正確な更新時刻は11月18日午前1時28分。

posted by 優子 at 23:59| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2012年11月13日

四季は晩秋から冬へ、私は人生の秋を往く

晩秋@.jpg

緑の季節.jpg  
落ち葉.jpg
「裏を見せ 表を見せて 散る紅葉」 
良寛が死んだ時に詠んだ貞心尼のうた。

昨日の朝に撮した木々は今朝はもっと葉を落としていた。今夕の嵐でかなり散ったことだろう。天気予報通り寒冷前線が通過して急激に温度が下がってきた。明日の最低気温は5度で12度しか上がらないという。季節はいよいよ晩秋から冬に移る。

9月からブログの更新が途絶えぎみになっているのは精神活動が緩慢になっているからだ。そんな先週初めからたびたびギックリ腰のような腰痛を4〜5回繰り返している。

痛みは階段も上がれないほどなのに、おかしなことに強い痛みは1日ほどたてば嘘のように消え普段の状態に戻る。まるで学校へ行きたくない、行けない子供が朝になれば腹痛を起こす登校拒否の症状だ。
こんなことは初めてだが、継続中のストレスをうまく処理できなくて身体が反応しているのだと思う。

その合間に孫のスモックを縫ったり、年頭に予約していた植木の剪定があったりと忙しい日々もあり、今月に入ってからはパソコンを開けるのも夕方になることもしばしばだ。
腰痛で身体を休めることが多かったこともあって、すっかり怠け癖がついてしまい思考力や感受性も萎えている。

そんな昨朝、美しい紅葉に魅せられて人生の四季を想った。
私は今、人生サイクルで言えば秋を生きている。人生のどの段階も大切だが、冬に入るまでの年月はとても大切だ。しかも四季と違って突然に冬がやって来るかもしれないのだから、もはやかつての演習を繰り返していてはいけない。


経験を生かして精神的ストレスをうまく処理することだ。
それは神と共にでしか不可能なことも経験済みなのだからと、自らを叱咤激励しつつもエンジンがかからず長女に励まされ支えられるばかりの日々でもあった。

人生が秋色になってきた私は、梢から離れて落ちていく葉っぱをしばらく眺めていた。今一度情熱を奮い立たせて創造的に始めねばと思った。

人生苦を知らぬ幼いユキよ、正しく強い人物になれ!
おさなごたちが喜びと希望を全身に充満させて歌う「まっかな秋」は、一昨日が今秋の歌い納めになるのだろう。http://www.youtube.com/watch?v=jPg15ndgc1w&feature=fvwrel

14日21時56分追記:
今日は幼稚園の都合でいつもより1時間早くユキの迎えに出た。
午後1時10分頃、マン悪く急に雨風の空模様になり、1〜2分間だったが霰(あられ)が降った。明日はもっと寒く、2〜3日は真冬の寒さだそうだ。


posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年11月04日

クリスチャン政治家・石破氏に期待できるか

私が注目しているクリスチャン衆議院議員の石破茂氏の発言をご紹介したい。
それは6月20日に衆議院第一議員会館(東京都千代田区)で開催された第61回国政報告会でのことで、いささか旧聞に属するが一般のメディアからは報じられない貴重なものである。

以下は、『Christian Today』(キリスト教インターネット新聞・2012年7月4日更新)より抜粋引用したものである。

国政報告会は1960年に河上丈太郎、長谷川保を中心に党派を超えて、国会開催中毎週欠かさず行われてきた。その活動が竹村泰子氏に引き継がれ、2001年まで続けられた。その後中断されたままになっていたが、現代の世界と日本、国政のために、また全議員の祝福のために祈る必要性を感じた人々により再開に導かれた。

国政報告会では、第1テモテの手紙2章1節から3節「すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私達の救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです」、およびゼカリヤ書3章9節「万軍の主の御告げ―わたしはまた、その国の不義を一日のうちに取り除く」をテーマに参加したキリスト者らがグループに分かれ、国政報告でなされた祈りの課題をもとに祈り合う時間がもたれた。

4代目クリスチャンである石破茂氏は、クリスチャン政治家としての活動について、「『自分たちでやっていることは正しいのか』という思いがいつもあります。それは神様に対する恐れ、そういう気持ちでもあると思います。『本当にこれで良いのだろうか、御心に適うものなのだろうか』と常に思っており、『御用のためにお用いください』という祈る気持ちだけは常に持っています」と述べた。

最近の国政については、「今の争点は税制改革だけではございません。道路、橋、トンネルや空港など次の時代に残るものは借金をして次の時代の方にお支払いいただくというのは理屈に適うのではございますが、医療・年金・介護とか自分たちの時代だけで終わるものを次の時代に先送っていいと言う話には全くなりません。それはやはり今の時代にやってしまわねばならないことです」と述べた。
          (略)

今後の日本の政治の在り方について石破氏は、「『日本が役割を負え』という話は(国民に)受けません、『受けないからしゃべらないほうがいい』と言うなら、政治家と言う仕事を止めた方が良いと思っています。

政治家の仕事は『何が真実なのか』を知り、それを語る勇気をもつこと、『あいつの言う事だったら本当かもしれないな』と思って聞いてもらえる人間性を持たないといけないと思っています。総理でも大臣でもそうですが、『いつかは総理になる、大臣になる』ではなく、なって何をするのか、何をやるのかが大事だと思います
 

          (略)
 
石破氏は次の選挙について、「次は党を選ぶのではなく、人を選ぶ選挙になると思います。政治をやるときに『何を言うか』ということを良く主権者に見ていただきたい。もう一度選挙をすることが今の国には必要なことだと確信をしております」と述べた。(後略)

石破さんは顔がこわくて幼児に泣かれたことがあるらしいが、私は彼がクリスチャンであることを知らなかった時から注目している政治家だ。

クリスチャン(プロテスタント)である。父は仏教徒で故郷にいる時には父祖の墓参りを欠かさないほど浄土宗西橋寺を信奉していたが、母方が曽祖父金森通倫から続くキリスト教徒であったため、教会附属の幼稚園に通い、18歳のときにプロテスタント系では日本最大となる日本基督教団の鳥取教会で洗礼を受けた。
石破は「46年間、キリスト教に触れつつ信仰をもちながら生きてきた」と述べている。

                (ウィキペディアより)

石破さんに期待して注目しているとはいえ、脱原発を最重要課題とする者にとって原発問題については同意できず、憲法問題も意見を異にする。

尚、過去ログ(2008年12月11日)でも石破氏さんついて取り上げており、この記事にも毎日10名ほどのアクセスをいただいている。
http://yukochappy.seesaa.net/archives/20081211-1.html


posted by 優子 at 20:59| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2012年11月01日

全ては通過点

「だから、皆さん、元気を出しなさい。万事はわたしに告げられたとおりに成って行くと、わたしは、神かけて信じている」。    
             (使徒行伝 27章25節)

以下は目に止まった『東京プレイヤーセンター』のコラム記事だ。
◆自分の持っていない専門知識を持つ人に助言を求める。
        (使徒行伝 27章10節)

◆絶対に、絶対に、絶対にあきらめない。
        (〃 27章24節)

◆逆境にあるとき、これは終点ではなく通過点と考える。
        (〃 27章25節)

◆自分の目標をすでに達成したかのように行動する。
        (〃 27章34節)

◆成功後、誰かのメンターになって他者を助ける。
        (〃 27章31節)

私たちも厳しい状況下に在っても、パウロの信仰に倣って生きがいある人生の歩み方をしたいものだ。祈りに覚えている方々を思いつつ励ましと希望を発信!
誰よりもまず私自身に!わーい(嬉しい顔)

posted by 優子 at 11:09| 随想 | 更新情報をチェックする