2012年12月31日

感謝に溢れて2012年を送る

アメリカから元気に帰国したマチ・クマは父親にうつされて風邪を引いている。こんなにひどいのは6年振りだそうだ。マチは29日朝から声が出ない。お正月はみんなゆっくり休養するといい。

今年は私も例外ではなく手応えのある一年だった。神さまが年の初めから今日まで私たち一人ひとりを導いてくださったことを感謝して2012年を送ろう。

「主は今に至るまでわれわれを助けられた」。 
                      (第Tサムエル記 7章12節)

2013年が皆様にとって良き一年になりますようにお祈りし、私もますます充実した日々を送ることができますように。

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2012年12月29日

2012年述懐

この1年は人間の自我の強さ、頑なさを見る出来事が多くあった。自分自身からの苦悩ではなく外側からのものであり、他者を通して人間の弱さ、限界を見せられ考えさせられる年だった。

「この人が」と思う人が自分の立場のみを主張して譲らない姿を見たこと、伴侶の死を堺に無慈悲で非道な本性を現した人、ある職業人として資質の問題について考えさせられたこと、組織対組織の争い事について(2件)・・・など、自分自身との問題と相談された問題と半々であった。

いずれの場合も共通しているのは話が空転してかみ合わないことだ。
客観的な筆致で叙述することは難しいという理由もあったが、ブログでは事実関係に触れられないので更新が途絶えがちになった。

画家が自画像を描くのは自分の内面を描くのであり、物を書く人は自分の内面を書くのである。私もそれをこそ書きたいのであり、心の内を書かねば読む人の心を打たない。

しかしながらブログという性質上自分の心の内を書くのは難しく、それならば私の求めるブログの意義がないではないかと存続意義に疑問を感じたこともあった。


しかし、「これからもブログに勇気を頂き続けます! 読者に勇気をください!」と反響を寄せて下さる友や、「幸いなブログを感謝します」と言って下さる牧師に支えられて続けることができた。

私はPTAの広報誌を書いていた時も、「たった一人の人でもいい、私の書いたものを読んでくださるならば」との祈りと信念で書いていた。そして、このブログを通してたった一人の人でもいい、まことの神さまと出会ってくだされば嬉しいとの真摯な気持ちで書き続けている。

さて上記に挙げた問題は解決とまではいかなくても未だ終止符が打たれていない1件については、今後は明確に自分の意見を述べることになるだろう。

家族については、今年も家族の健康が守られてそれぞれの持ち場で精一杯のわざを尽くせたこと、ユキが楽しく幼稚園生活を送っていることことが何よりも嬉しく感謝している。

そして、夫の事業経営の大改革に着手したこと。これは何よりも大きな出来事であり、今後も気持ちを緩めないで続行するミッションである。

私の体調も今秋からかなり安定している。ここ数日の血圧は150台になるなど、夜ふかししたりストレスに感じる話になるとてきめんに具合いが悪くなるが、12月早々からの厳しい寒さでもさほど恐怖感はない。

2012年を振り返るとき、今月16日の衆院選について触れずにはおられない。信じ難い結果だった。

日本人は原発事故を経験しても何も学ぶことができないのだ。何が一番大切で何を最も優先させねばならないのか。永遠に解放されない放射能の危険をも後回しにするのが日本人なのだ。


選挙前と選挙後で文言が変わる政治家たちがおぞましい。投票率も59・32%で戦後最低を記録したことにも日本人の意識が現れているのだと思う。世代の違いだけではあるまい。 

今まさに日本の歴史的な節目である。
真の政治家は一人も居ないのだろうか。サラリーマン化し、あるいは、名誉欲か、パフォーマンスを楽しんでいるだけなのだろうか。ただただ日本が破滅への道を進まないように祈るのみ。政治家たちの言動から目が離せない。

今年もあと2日。
病床にある方や悲嘆の中にある方には神の支えと励ましがあるように祈るばかりである。病気以外のことで苦しみの連続であった方には具体的に何か助けにならないものかと思う時、まずお薦めするのが「バウンダリーズ」だ。何人かの人にこの書物を贈っている。

悩みは様々であろうが人間関係においてはシナリオ的に似ているように思う。その処方箋として「バウンダリーズ(境界線)」は大いに助けられる。

バウンダリーズは「自分の責任と他人の責任の領域の境界線のこと」で、自己洞察し、自分の限界を知ることにより境界線を引くことができ生きやすくなる。http://yukochappy.seesaa.net/archives/20080725-1.html
私も心新たに自己への旅を続けたいと思う。


附記:この記事の正しい更新時間は30日午前1時38分。


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2012年12月26日

2012・IMFのクリスマスとマチ・クマの派遣国でのスナップ集

マチ・クマの帰国中はいつもタイトなスケジュールだ。
クリスマスの昨日はマチ・クマそろって美濃紙業へ出かけるはずだったが、父親の風邪がうつったためにクマだけ知子と出かけた。IMF職員は国際公務員ゆえにアルバイトは厳禁、従って全くの奉仕である。

特にクマはPCに詳しいので何かと助けてくれている。美濃紙業のHPからブログを開けるようにしてくれて『ビーイング&ドゥーイング』を開設してくれたのもクマである。私がイメージしたとおりのものを作ってくれた。

そして、今日はマチの大学時代の友人宅を訪問する予定だったが、残念ながら今日もキャンセルになり、明日もクマ一人で出かけることになった。

明日は大学教授がわざわざ次女夫婦のために東京から京都まで出向いて下さっての再会なのだが、マチが行けなくて残念だ。クマはIMFのエコノミスト募集ビデオに出た時の写真集も持参するようだ。

10月10日の記事でご紹介した「IMFのエコノミスト募集ビデオ」(http://yukochappy.seesaa.net/archives/20121010-1.html)に登場している中からビッグサイズで2枚だけ記録しておきたい。

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EPProgram25.jpg


では今年のIMFのクリスマスパーティからいくつかをご紹介したい。
2012年IMFクリスマスパーティB.jpg
今年の着物は紬だ。

「本当に何度もおばあちゃんのセンスのすごさ、着物の良さに感動しているよ。ママも、かわいい小物も箪笥も全部そろえてくれてありがとう!!!」

喜びと感謝を伝えてくれる真智子、ありがとう。(涙)


今年も和服姿は世界各国の人々の目を引いたようだ。真智はますます着物の魅力に惹かれているようで、また、着物のことを尋ねられても答えられるようにと早速着物の本を取り寄せていた。

2012年IMFクリスマスパーティ@.jpg

2012年IMFクリスマスパーティA.jpg

アメリカにもカラオケがあった! しかし日本の古いタイプのものだそうだ。これは Britney Spears の " Overprotected " を歌っているところ。二人の表情から最高にエンジョイしているのがわかる。わーい(嬉しい顔)
この歌は5年ほど前に日本で流行っていたそうだ。5年前と言えば既に日本には居ないのによく知っている。
(1月9日追記:6日だったか歌って聞かせてくれた。よくそれだけ舌が回るね)

次はクマの担当国・ジンバブエでの休日のスナップから:

クマ、象に乗る!.jpg

クマさん、象に乗る。
キリンもこんなに近くにいるよ!

キリンがいる!.jpg

4〜5年前、ハイパーインフレだったジンバブエは、何とまあ、0が14個の "one hundred trillion dollars "、100兆円札を作っていた!!!

ジンバブエのお金.jpg

それでどうなったのかと尋ねれば、皆がUSドルなど他国のお金に換えてインフレは終息したそうだ。今では100兆円札がジンバブエのお土産として5ドルで売られており、クマが話の種に買ってきたというわけだ。5ドルの値打ちはあった!わーい(嬉しい顔)

一方、マチはカプリ地域の国をいくつか担当しており、その中の一つがバハマで、バハマへは既に3回派遣されている。
内閣の全閣僚が揃う会議にも出たそうだ。女性の中央銀行総裁とのツーショットや関係省庁の人たちとの歓談している写真が掲載できなくて残念だ。

ある時、「今回の選挙では争点は何だったの?」と、過日の衆議院議員総選挙のことを聞かれたそうだ。

「まず原発政策、次に消費税導入のタイミング、そして、憲法問題も含めて外交政策と金融政策です」と熱く語ったようで、我が子ながら大したものだという思いで聴いていた。

そして今日、第2次安倍内閣が発足した。

さて最後のスナップは、ジンバブエのミッションを終えたクマがマチと休暇を過ごすためにワシントンへは帰らずに、ミッション後もバハマにとどまっていたマチと落ち合った。11月初めだったと思う。

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ドルフィンA.jpg

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片足はボードの上に乗せており、もう一方の足の裏をイルカが口で押してくれ、それで前へ進むのだそうだ。押してくれている時、イルカの泳ぎ(ドルフィンキック)が伝わってくるという。
前にいるイルカはマチのところへ遊びにきたそうだが「ぶつかるよー!」。
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バハマの海は本当に美しいそうだ。
神さまが創造された地球をこれ以上破壊してはいけない。


附記:この記事の正しい更新時間は27日午前2時25分。
   夫の咳がとてもひどい。早く回復しますように。マチもね。


posted by 優子 at 23:59| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2012年12月24日

至福の時、祝福されたクリスマス!

21日夜8時過ぎ、次女夫婦が元気に帰ってきた!
ユキは嬉しくて嬉しくて真智子から離れない。太志君にも早速カルタをしてもらっていた。28時間の長旅から帰宅した1時間後から!

ユキの嬉しそうな顔を見ると胸にこみ上げてくるものを感じる。
昨夜の食前のお祈りも喜びに満たされて祈っているのでユキの顔を見た。ユキは目を閉じながらニコニコして長い間祈っていた。
この前もふたりだけの夕食だった時、豆乳鍋を前にしてユキが5分間も祈っていたので湯葉ができていた。イェスさまが大好きなユキは素晴らしい!!!

22日はクリスマスケーキ(結婚10年後頃から毎年商売の関係で売上協力している〇〇ホテルのケーキ)を前にして、「happy birthday Jesus!」と大きな声で歌ってユキがろうそくを消した。

23日のクリスマス礼拝は全家族そろって集い、礼拝後の集合写真やクリスマス祝会も共に過ごすことができ、私は至福の時だった。


その夜から天気予報通りクリスマス寒波になった。今日はこの寒空の中をユキはマチとクマに公園で遊んでもらっていた。

太志君とユキがキャッチボールをしている動画を見せてもらうと、父親のいないユキを想って胸がいっぱいになった。

ではここに至福の時、23日のクリスマス礼拝と祝会のモーメントを記録しておきたい。

クリスマス礼拝で.jpg  

クリスマス祝会A.jpg

一生懸命自らお手伝いするユキ。ステキよ!
これはキャンディを配っているところ。

クリスマス祝会E.jpg  

これはお料理を運んでくれているところ。
おじいちゃんは21日から風邪気味で、
この3連休でひどくなるばかり。

クリスマス祝会B.jpg

CSの子供たちと歌っているところ。
そして、「主われを愛す」を歌うマチ・クマ。
クリスマス祝会で!.jpg

次のページでIMFのクリスマス・パーティの様子をお伝えしたい。何とアメリカにカラオケがあった!!! 

クリスマス祝会@.jpg

ユキはマチと一緒に「赤鼻のトナカイ」を歌っている。
伴奏は勿論ママ!

そして、年賀状の写真にしようと祝会のあとで撮っていただいた。↓ 私は36年前の服を着ている。(2011年12月17日に掲載)

クリスマス祝会D.jpg 

2013年の年賀状は家族全員でご挨拶申し上げます。

知子が昨夜中に年賀状の編集をしてくれたのはいいが、前年度から導入した住所の打ち込み(夫関係)が完了していない。もうやだ〜(悲しい顔)
26日には投函できるかな?(笑)
 
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附記:この記事の正しい更新時間は25日午前2時。
大人も早く寝ないとユキのところにサンタクロースがきてくれないね。


posted by 優子 at 23:59| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2012年12月21日

飛行機は無事到着済み、もうすぐ会える!!!

定刻16:25  変更16:26  サンフランシスコ発
ユナイテッド航空 UA0885便  到着済み


関空のフライト情報を開く。
無事到着していた。
神さま、お守りくださってありがとうございました!!!
真智子と太志君は今はもう日本にいる!!!

ワシントンの家を出て我が家まで27時間もかけて帰ってきてくれるのである。外国から帰ってくるというのに飛行場どころか、今夜は夫が忘年会のために最寄りの駅にさえ迎えにいってやれない。真智子たちは知子と同じ電車かも知れない。

これは昨日の16:16(日本時間)に送信してくれた二人からのメール。
優子お義母さん
とても嬉しいご返信をありがとうございます!
いま真智と二人で、予定を読ませていただきました。本当に色々ととても楽しみです!
駅からのタクシーのことも了解いたしました。
色々と考えてくださって、お心遣いありがとうございます。

それではそろそろ出発します!
ではまた。
太志

もうすぐ出発!
くま、ママからのメールめっちゃ嬉しがってたよ。
荷物片付けて出るね!
大好きよ!

もうすぐ会えるね!
ゆきちゃんも、待っててね〜!

真智子

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クリスマスとは「あなたは愛されていますよ」という神さまからのメッセージである。

クリスマスを心から感謝し、この喜びを一人ひとりが個人的に受け取ろう。そして、神さまのギフトを受け取った人は神さまの恵みを決して無駄にしないように生きよう。

「いと高きところでは、神に栄光があるように、
 地の上では、み心に叶う人々に平和があるように」。


「神にとって不可能なことは一つもありません」。

今、悲嘆の中にある人々に神の慰めと支えがあるように。
そして、この喜ばしい季節に主があなたとあなたの家族を祝福してくださいますように、クリスマスの喜びをもって祈ります。

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posted by 優子 at 16:35| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2012年12月19日

まもなく日本に向かう次女夫婦

真智子夫婦の帰国が近づいた。ユキの幼稚園の終業式に帰国し、始業式の1月7日夕刻に再び日本をあとにするので、今年はクリスマスも共に過ごすことができる。

16日のIMFのクリスマスパーティーでは今年も和服の装いで参加したようだ。大島紬を着た写真を送ってきてくれており、その時のエピソードは帰ってからのお楽しみ。

今年も慌ただしい年末に積もり積もった話に花が咲き掃除もそっちのけにになること必至。「それもまた良し」と、体調のためにも気楽な気持ちで過ごそうと思う。

しかも今回は1年ぶりの再会である。2人の帰国を私以上に毎日毎日指折り数えて待っているのはユキだ。「マチにいっぱい遊んでもらう」と、今からマチとフーの帰りを待ち構えている。

そのユキは咳き込みからとは言え、昨日も一昨日に続いて朝食後に吐き、昨日は夕方も吐いた。本人は元気なので心配はしていないが就寝中も咳がひどいので昨夜受診した。

5時半過ぎにネットで小児科の予約を入れると30人待ち。知子と夫は大急ぎで帰宅してくれたものの、夕食を終えて8時半過ぎに家を出たが、診察室に入ったのは夜9時20分過ぎだった。ネットをまめに覗いていると「ただいま〇〇番診察中」と出るので様子がわかるのだ。

関西でもノロウィルスが流行っているので気が気ではないが、診断はやはり風邪でも何でもなかった。
診察室ではユキは顔が赤くなるほど一生懸命に風ぐるまを吹き、その間に丁寧に聴診器で音を聞いてくださり喘息の心配も全くないとのこと。敢えて言えば乾燥のせいかもしれないとのことだったが、3種類の薬を処方されてかなり落ち着いた。

そんなわけで昨日の知子は午前の参観日を終えて会社へ急ぎ、夜も息子のことで帰宅は10時前になっていた。そして、ユキをお風呂に入れて寝させたあとも午前1時まで仕事をしていた。

真智子たちもまた多忙な日々を過ごしている。そうこうしているうちに今から24時間後にはアメリカを離陸する時間だ。

ワシントンダラス空港を現地時間20日早朝の便に乗るので午前2時半頃に家を出ての長旅だ。今回は関空へのチケットを取ったが、関空へはワシントンからの直行便がないためサンフランシスコ経由である。母国の地を踏むのは日本時間21日の夕方4時半頃だ。

”It's the most wonderful time of the year.”
と、私は歌が出てくるほど心が弾む。
どうか今回も神さまがあらゆる危険から守ってくださり、マチ・クマと無事再会することができますように。


附記:美濃紙業のホームページ" being & doing " が更新されました。18日に「経理部の取組み ―全体会議より C―」が、そして今日、今年最後の記事となる「改革初年度の総括」です。ご覧ください。
http://being-and-doing.seesaa.net/


posted by 優子 at 17:30| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2012年12月17日

知子と共に御奉仕できる喜び −子どもの礼拝で語ったこと A−

今年から会社の仕事に精魂を傾けねばならなくなった知子は、今年半ば頃より教会のご奉仕から外していただいていたので、昨朝は半年ぶりの奏楽だった。

私もまた「こどものおはなし」は半年ぶりで、しかも前回は叔母の一大事で神戸へ走ったはいいが夜遅くなり、しかも血圧があまりにも高くなって土曜日中には帰れず、知子に代読してもらったのだった。

昨朝は教会のことで心痛む中、知子と共に大きなご奉仕を務めさせていただけたことを心から感謝し、主(しゅ)の御名を崇めた。

さて、キリスト教会では幼児から中高生までが通うCS(シーエス・教会学校)は、大人たちの礼拝より1時間前に始まるのが一般的であるが、私たちの教会では子供たちも一緒に大人の礼拝の前奏から席を共にする。

司会者による「招詞」に続いて「こどもさんびか」を讃美し、その次に5〜7分間ほど聖書の話を聴いてから別室へ移動して分級(クラス)に移る。

これはユキへのご配慮から始まった。
というのは、数年前私たちが集うようになった頃、CSの子どもたちはいなくて殆どがユキ一人だったからだ。

娘たちが子供の頃のように、私たちの礼拝の前に先にユキを教会へ送るのは難しく、ユキは毎週教会へ通ってはいるものの「こどもさんびか」や聖書の話を耳にすることはなかった。今では4〜5名の子供たちが集うようになっている。

ではここに昨日お話させていただいたことを記しておきたい。「遅刻して聞きそびれた」と残念がってくださった方のために、そして、将来のユキの思い出のために。
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おはようございます。今日はアドヴェントの3週目に入りました。ご覧なさい。今朝は3本目のロウソクに火が灯されましたね。今日のお話はルカによる福音書1章39節から56節です。

今日のお話をする前に、1本目のロウソクがついた時のお話を覚えていますか?
エリサベトとザカリヤさんのところに天使が来て、「もうすぐ子供が生まれますよ。それまで大切に待ちなさい。そして、その子にヨハネと名づけなさい。」と言いましたね。

そして、先週はどのようなお話を聞きましたか?
今度はガリラヤのナザレという町に住んでいるマリヤのところにも天使が現れて、
「マリヤ、あなたはもうすぐ男の子を産みますよ。その子をイエスと名づけなさい。その赤ちゃんは神さまの子と呼ばれる方です。」と言いました。

マリヤはビックリしました。
マリヤはまだ結婚もしていないし、それに神さまの子を産むだなんて、とても信じられないことだから心配になりました。

すると天使が、「エリサベトも赤ちゃんを産みますよ」と言いました。
「親類のエリサベトは赤ちゃんを産むには年を取っているし、赤ちゃんはできないと言われていた人だったのに、今、エリサベトのお腹の中に赤ちゃんがいますよ。それは神さまのお考えで神さまがされたことなのですよ。」と話しました。

それを聞いたマリヤは、「では私も神さまのお考えの通りになりますように」と、お祈りしました。

そして、ここからが今日のお話しです。
マリヤは神さまのお考えの通りになりますようにってお祈りしたんだけれど、これからどうなっていくのだろうとやっぱり心配になったのね。

皆さんはどうですか?
神さまにお祈りして安心したんだけれど、でもやっぱり大丈夫かなあと・・あとで考えることはないですか?

大人になるとそのようなことがあるのですが、きっとマリヤもそんな気持ちだったのではないかと思います。

マリヤは天使が「エリサベトも赤ちゃんを産みますよ」と言っていたのを思い出して、エリサベトさんならきっと私の気持ちを分かってくれるかもしれないと思ったのではないでしょうか。

マリヤはエリサベトに会いに行って、天使が現れたことをお話しました。するとね、エリサベトのお腹の中にいる赤ちゃんが喜んで踊ったの!

みんなもお母さんのお腹の中で時々動いていたのですよ。エリサベトのお腹の中の赤ちゃんは、マリヤのお話を聞いてとても激しく動いたので、マリヤのお話も神さまから来たものだってわかったのです。

そしてエリサベトは言いました。
「マリヤさん、おめでとう!心配しないでいいのよ。神さまのことを信じていればいいのですよ」。

その言葉を聞いて、マリヤは神さまがどんなに大きなことをしてくださったのかが本当にわかったので、神さまは素晴らしいお方ですと言葉に出して言いました。

その中に出てくる言葉が今朝の分級で教えていただくみことばです。ルカによる福音書1章50節、
「その憐れみは代々限りなく、主を畏れる者に及びます」。

皆さんには難しい言葉ですが、この意味はね、マリヤのように神さまを信じて生きる人は、神さまはどんな時もずっと慰め助けてくださいますという意味です。

ではお祈りしましょう。
天の神さま、私たちもマリヤのように神さまを信じる子供にしてくださってありがとうございます。これからもずっと神さまと共に大きくなっていけますようにお守りください。

来週はいよいよクリスマスです。エリサベトとマリヤのように気持ちを話しあい励ましあうことができますように。そして、家族や神の家族がひとつになって良きクリスマスを迎えることができますように、この1週間もお導きください。

このお祈りをイエス・キリストのお名前によって御前にお捧げします。
アーメン。

下記にルカによる福音書1章39節から56節(口語訳聖書)を掲げた。エリサベツ(口語訳聖書と新改訳聖書)はエリサベト(新共同訳聖書)と同名である。

そのころ、マリヤは立って、大急ぎで山里へむかいユダの町に行き、ザカリヤの家にはいってエリサベツにあいさつした。エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、その子が胎内でおどった。

エリサベツは聖霊に満たされ、声高く叫んで言った、「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう。ごらんなさい。あなたのあいさつの声がわたしの耳にはいったとき、子供が胎内で喜びおどりました。主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」。

するとマリヤは言った、
「わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救主なる神をたたえます。
この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。
今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、
力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです。
そのみ名はきよく、
そのあわれみは、代々限りなく
主をかしこみ恐れる者に及びます

主はみ腕をもって力をふるい、
心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、
権力ある者を王座から引きおろし、
卑しい者を引き上げ、
飢えている者を良いもので飽かせ、
富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。
主は、あわれみをお忘れにならず、
その僕イスラエルを助けてくださいました、
わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とを
とこしえにあわれむと約束なさったとおりに」。

マリヤは、エリサベツのところに三か月ほど滞在してから、家に帰った。


posted by 優子 at 13:57| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2012年12月14日

「我らは後にまた前のごとくにあるのである」。

昨夕、ペン友が伴侶を天に送られた。
その夜、友は午前3時まで切々と半身(伴侶とはまさに自分の半身である!)に語り綴られた惜別の辞を、今朝FAXで送ってくださった。
それは5枚にも綴られており、死別直後の悲しみがどうしようもなくて書かずにはおられなかったのだろう。

私は3度繰り返して読み続け、しばらく冬晴れの天空を見上げていた。すると山の高さのあたりで、小さな金色の細粒がキラキラ光って見えた。これはまた光視症の仕業なのだろうか。

キラキラ光る一つひとつは、M姉が地上で積み上げられた数え切れない愛の行為だと思った。天に上がっていくところなのだろうか、いや、天上から降ってきたのだろうかと、私はじっと見つめていた。


御伴侶M姉は62年余をキリストと歩み、33年にわたって日赤病院で働きつつ、患者さんたちに押し花ボランティアを続けられた。「惜別の辞」には「クリスマスを待たず、いや待つことできなく召されましたね」と書かれていた。

私たちクリスチャンは「祈りが聴かれる」とか「聴かれない」とか言うが、それはいったいどういうことなのだろうか。
また、それ以上に思うのは、私たちはしばしば祈りが聴かれたことを取り上げて証しするが、もしもそれのみを強調するならば勝利主義信仰に陥る誤謬を犯す。

祈っていたことが実現した時は勿論感謝し証しもするが、私は祈りが聴かれなかった時は神の最善ではないと受け止めるのだ。その願いが御心にかなわなかったり、あるいは良きものであってもまだ神の時ではないと理解するのだ。

なぜ祈りを聴き入れてくださらなかったのか、その時にはわからなくても神さまは必ずやそれが最善であったと納得させて下さると信じるのである。私も私の歩みの最後まで助けて生涯を全うさせてくださいますように。

内村鑑三の詩・『我らは四人である』を読みつつ友の慰めを祈りたい。これは鑑三の長女ルツ子が結核で召された時、葬儀の直前に詠んだものである。
我らは4人である

我らは4人であった、しかして今なお4人である。
戸籍簿に1人の名は消え
四角の食台の一方は空しく
4部合奏の一部は欠けて
讃美の乱されしといえども
しかも我らはいまなお4人である。

我らは4人である。
地の帳簿に1人の名は消えて
天の記録に1人の名はふえた。
3度の食事に空席はできたが
残る3人より親しくなった。
彼女は今は、我らの中(うち)にある。
1人は3人を縛る愛の絆となった。

しかし我らはいつまでもかくあるのではない。
我らは後にまた前のごとくにあるのである。
神のラッパの鳴り響くとき
ねむれるものがみな起き上がる時
主が再びこの地にきたりたもう時
新しいエルサレムが天より降る時
我らは再び4人になるのである。

私たちには体の復活と再臨信仰を賜っている。それ以上の慰めがあるであろうか。私は何度も壁にかけられた『ピエロの仲間たち』を見てはM姉を偲んでいる。(http://yukochappy.seesaa.net/article/295131005.html

posted by 優子 at 22:05| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2012年12月13日

イエス・キリストを祝うクリスマスを伝えたい

クリスマスの飾り付けは年々早くなり、その盛り上がりようは日本が世界一ではないかと思うほどだ。

娘たちが幼かった頃、テレビや幼稚園で歌っていた「あわてんぼうのサンタクロース」は84歳の叔母も知っており、今やクリスマスソングのスタンダードナンバーとなっている。

そんな昨今、ふと不思議に感じることがある。
以前ならば「きよしこの夜」も同様に歌っていたのではないだろうか。これはクリスチャンでない人も皆、日本では皆が知っている讃美歌だった。しかし、最近ではこの曲さえあまり耳にすることがないように思う。

幼稚園や学校ではクリスマスが何の日であるかも教えないので、子供たちはなぜケーキを食べるのかもわからず、クリスマスは「サンタクロースの日」になっている。ましてやクリスマスの意味などとてもわからないだろう。

私もまたアドヴェントに入ってからこそクリスマスのことを書き続けるべきだった。
アドヴェント第1週目の日に起こった出来事について考え続けていたので書けなくなっていたようだ。

そんな昨日、久々に懐かしい友と電話で交わる機会が与えられた。
私たちはもう何年も前からお互いに忙しいからと、電話で話すことさえ1年に2回ほどなっている。勿論、メールも遠慮しているから、日々の出来事や思いを話して信仰を分かち合うこともこともなく、よほどのこと以外は互いに祈りの要請することもない。ただいつも心に覚えて祈り合っている。

友は母や父の看取りまでずっと私を支え寄り添ってくださった方であり、知子の一大事の時も近くにいる人々の中で唯一最後まで寄り添ってくださった方だったから、受話器から懐かしい声を聞くと母に会って胸に泣きつきたいような気持ちになった。

友には悩みを話すつもりはなかっただけに私の応答は気のない話しぶりになっていた。ところが電話を切る前に私の心を重くさせている出来事が口に出てしまった。そして、30〜40分間話し合って受話器を置いた時、闇は取り払われて心が軽くなっていた。

神さまはいつも神さまを信じる者が祈り求める時、いつも最も良い時に導きを与えて最も良いもので満たして下さるのだ。

神によって結ばれた友との語らいの上に聖霊(神)が豊かに働いてくださったことを肌でも感じる。エリサベツとマリヤの間に起こったことと同じだ。
(それは次の記事でご紹介したい)

その午後、久々に『クリスチャン・トゥディ』を開いていたら万代栄嗣牧師の記事が目に留まり、読んでいくうちに私の中に神の息吹きが吹き込まれていくようだった。

ここに『クリスチャン・トゥディ』2012年12月3日に更新されたものをご紹介させていただきたい。

 キリストの必要とされる証し人 万代栄嗣牧師

「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。…すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。

この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

神から遣わされたヨハネという人が現われた。この人はあかしのために来た。光についてあかしするためであり、すべての人が彼によって信じるためである。彼は光ではなかった。ただ光についてあかしするために来たのである」。

          (ヨハネの福音書1章1節〜8節)

街はクリスマス一色ですが、私たちの教会も飾り付けがなされ、クリスマスがスタートしました。ぜひ、イエスのおられるクリスマスを体験しましょう。

1.イエスの事実を体験する

皆さんはイエスに対してどんなイメージを持っていますか? 聖書の中では、王の王、主の主、羊飼い、常世の岩などとして表現されていますが、クリスマスのたびに、イエスが闇(やみ)の中に輝く光であり、闇はこれに打ち勝たなかったことを思い起こしたいのです。

日々の生活は楽なことばかりではなく、心が暗くなり、落ち込み悩み、生きることが嫌になることもあるでしょう。闇は確かにあります。しかし、闇が事実なら、それ以上に光として来られたイエスを事実として受け入れましょう。

クリスマスの物語は、救い主が誕生されて、幸せでほのぼのするから祝うのではありません。クリスマスの神髄は、世の初めからおられた神が、人となってこの世に下ってこられて、私たちの命を正しく整え、救いの道を開かれたことにあるのです。

御子イエス・キリストをこの世に送って下さり、どんなに弱く迷いやすい私たちでも、神の命と救いを受けて生きることができるのです。

この汚い心にイエスが宿って下さり、救いの道が成就する。だからイエスに感謝するという思いを込めて、メリークリスマスと言うのです。イエスの誕生は、単なるおとぎ話や2000年前の昔話ではなく、文字通りの事実として、神が人となってこの世に現れたのであり、そして私たちの心にも現れるのです。

2.イエスを証しする者となる

大変興味深いのは、イエス降誕の物語に、洗礼のヨハネがイエスの証人として登場することです。

先日、東京の中学生の女の子が満員電車で通学中、隣に座っていた50歳ほどのサラリーマンの男性が突然切れて絡んできて、本人も学校もひどい苦情を言われてしまいました。

幸い、ひとりの男性が「大丈夫、何かあったら証言してあげる」と名刺を渡して励ましてくれたそうです。正しいことでも、証言してくれる人がいなければ事実が誰にも伝わりません。

同じようにイエスも、誕生の時には証言する人が必要だったのです。神は、マリヤを母、ヨセフを父とし、ガブリエルや羊飼い、博士たちなど、イエスを証しする者を準備され、洗礼のヨハネをイエスの前に遣わされました。イエスを証しする人が必要だったからです。

2012年、あなたにとってイエスは事実でしょうか。神は、イエスを体験し事実として確認する人、そして証しする人を必要とし、待っておられます。私たちは、羊飼いのように、取るに足らない存在かもしれません。でも神は、証言者を求めているのです。

さあ、クリスマスをスタートさせましょう。全国のクリスマスで、イエスの元に人々が集まるように。2012年、洗礼のヨハネの代わりは私たちです。

現実はどうしようもない状況でも必ず神さまが何かをされる。神を「信じきった人は何と幸いなことでしょう」。「神にとって不可能なことは一つもありません」。
Blessed Assurance !

イエス・キリストを祝うクリスマスを伝えたい。
そして、
イエス・キリストの居られるクリスマスを体験してほしい。

附記:何年も前に初めて万代(栄嗣牧師)という珍しい名を見たとき、すぐに万代恒雄牧師を思い出した。やはり栄嗣師は彼の息子さんだった。

私は大学卒業後に4ヶ月間だけ会社勤務したことがあり、その通勤帰りに毎日ホール(大阪・毎日新聞社)で毎月一回開かれていた万代恒雄牧師の伝道集会に何度か参加したことがあった。

彼の温かみのある明るい人柄やバイタリティ溢れるメッセージも、松山からプロペラ飛行機に乗って大阪へ来られていたこともよく覚えている。

このようなことは夫も娘たちも知らないことだ。何かの関連でこのようなことを、特に娘たちに聞いてもらえるのは嬉しい。私ならば父母に関わるエピソードは小さなことでも知りたいから、きっと娘たちも同じように思ってくれると思う。

ウィキペディアによれば、万代恒雄牧師は「聖霊派の日本福音宣教会松山クリスチャンセンターの創設者。哲学博士」。すでに1994年に65歳で召天されていた。


posted by 優子 at 13:48| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2012年12月08日

徒然なるままに駄文を打つ

12月5日の記事最後に6日朝の追記として風邪でダウンし、熱は微熱程度だが6日から今もまだ声が出ない。6・7日はひたすら休んでいたおかげで今日はかなり元気になったものの、昨日の夕方から目が赤く(充血程度)目やにが出てきたので、今朝はユキ共々に眼科を受診した。

ユキはすっかり良くなっているので行くつもりはなかったが、医師に「もう一度見せてください」と言われていたので、夫と3人で出かけた。知子は今週できなかった掃除をしてくれている。

「おばあちゃんも言われるよ。目
はい、テレビ(診察室の医師のデスク上にあるパソコン)の上の人形(ポケモンだったピカチューか何かの人形)を見て!
はい、上の??(アンパンマンだったかのシールが天井に貼ってある)を見て!
はい、下のドラえもん(シールが床に貼ってある)を見てーって言われるよー」

と言うので笑ってしまった。
大人には言いはらへんって!わーい(嬉しい顔)

眼科医は子供のためにいろいろと工夫して眼球の上下左右を診察してくださるのである。
「アンパンマンもポケモンもユキちゃん大嫌いやから、全部新幹線にしたらいいのにな」と付け加えるユキである。孫もまた娘たち同様に流行ものではなくスタンダードが好きだ。

というわけで、今週は眼科に受診した。9月末に光視症のことで受診するようにいわれていたが、急きょ長浜へ行く用事ができ、その後、毎回の眼底検査が苦痛だったこともあってそのままにしていた。今では殆ど光は見えなくなった。

医師はユキの目があまりにもすぐに良くなったので驚いておられた。そして、私の炎症も熱(風邪)の関係だろうとのことで、ユキと同じ薬の濃度の濃い点眼薬を処方された。

先週の今日は知子と共に内科を受診しており、私もすっかり医者通いが普通になってしまった。私は知子が行くというのでついでに済ませたまでだが、知子は私たち夫婦が鹿児島旅行で留守した時に受診しており、結果を聞きに行くにも多忙で12月に入ってしまったのだ。

会社の健診でいろいろと引っかかり再検査が必要だった。健診時よりも良い結果だったのでホットしたものの、心配事はクリアーされたわけではない。少し様子を見て再検査することになっており、調子の悪いときにこそ検査する必要があるという。診断がつきやすいのだろう。

私たちが鹿児島旅行の時くらいはゆっくりユキと過ごしてほしかったが、仕事が山積みなので翌日は出社しなければならなかった。
その朝はチャッピーを連れてユキを集団登園の集合場所まで行き、ユキを当番さんに託した。ユキを見送ってやる時間もなく犬子(チャッピーのこと)の散歩を済ませての出社だった。

2時過ぎのお迎えにもどうしても帰宅することはできず、近隣の私の親しい友にユキの迎えをお願いして預かっていただいたのだった。本当にいろんな方々に助けていただいている。

私の風邪のことでお見舞いメールを送ってくれた次女夫婦はアメリカ生活7年目に入って、ようやく選挙の手続きをすませて在外選挙できるようになったとのこと。9日までに済ませねばならないそうだ。

ネットで各党のHPを開き、当市の選挙区を検索しているという。私たちもしっかり考えて選ばねばならない。原発問題は最優先だし、経済政策、憲法、防衛問題・・・どれもこれも深刻な問題ばかりである。

昨日も宮城沖で大きな地震があった。
「道を間違うと国が滅ぶぞ」という神の呼び掛けのように感じた。真剣に考えて選ばねばならない。

明日はクリスマスのファミリー礼拝で敬愛する高見牧師も来られることになっているが、全員欠席することになるだろう。
赤鼻のユキトナカイ.jpg
赤鼻のトナカイだって!!!

posted by 優子 at 23:38| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年12月07日

美濃紙業鰍フ新たなる経営理念

12月1日より美濃紙業鰍フ新しい経営理念を掲げ、本日HPの「会社概要」に掲載された。これは夫自身によるものであり、HP掲載については次女の伴侶(クマORフーの愛称)の手になるものである。

         経営理念

● 仕事に誠心誠意取り組み適正利潤を頂き、社員や社員の家族を支えてゆく。

● お客様に信頼されるセールスをめざし、喜んでいただける企業になる。

● 地域社会に密着した企業をめざし、社会に貢献する。

この経営理念は著名な経営学者・ドラッカーが語るところの、「世界はグローバル化と同時に、反面、次第に反対の方向、すなわち、トライバル化(部族重視)やローカル化(地域重視)の度合いも深めてきていく。」という理念に通じる。

ドラッカーと言えば、日本クリスチャンペンクラブ60周年の開会礼拝で、敬愛する池田勇人牧師がドラッカーの理念に触れ、「それをメンバー全員知っているのが必要だと言っている」と語られた。

私は池田牧師が広い視野と細やかな心配りで牧会されていることに深い感銘をおぼえた。(過去ログ・2012年10月8日)
牧師の中には経営者を間違った固定観念で見る人もおり、それが起因して物事の本質が見えず神の導きをいただき損なっているのをしばしば目にしている。


ドラッカーは語る。
「企業経営のエッセンスは、何かに『卓越』することと、『決断』することである。 ・・・経営者に必要なのはキャラクターの高潔性だ。・・・経営者が第1になすべき、また絶えず行うべき職責は、現存の資源を用いて最高の成果をあげることである」。

今年2月より父親の片腕として公の立場で改革に取り組んできた知子は、この1年間に多くのことを決断し、現在の社員を用いて内実多くの成果を上げてきた。

これからも知子自らの強みを活かし、「物事の本質を鋭く透察する心を持」ち、常に謙虚さを忘れないで今までのとおりに進んでいくことだ。

山崎パンがクリスチャン経営者であるというのはよく知られているが、彼は「右手に聖書、左手にドラッカーの理念」でミッションを貫いてきたという。

この1年間、知子は通勤中も仕事関係の読み物に時間を割いていたが、今後はかつてのように聖書を読む時間に当て、より一層に神の恵みと与えられた賜物という強みの上に築いていくようにと願う。

「革新とは、単なる方法ではなくて、新しい世界観を意味する。」もまたドラッカーの言葉だが、最終的には社員たちと世界観をも分かち合えるにまで至りたい。

「打ち破る者は彼らに先だって登りゆき、
 彼らは門を打ち破り、これをとおって外に出て行く。
 彼らの王はその前に進み、
 主(しゅ)はその先頭に立たれる」。

       (ミカ書 2章13節)

「過去から脱却」、知子が率いる美濃紙業の「Exodus ミッション」は続く。

附記:美濃紙業のホームページ" being & doing " が更新されました。タイトルは「倉庫の取組み ―全体会議より B―」です。ご覧ください。
http://being-and-doing.seesaa.net/



posted by 優子 at 23:58| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2012年12月05日

「うわぁ 虹や!」 ― 生まれて初めて見た虹 ―

昨日の最低気温は7.3度と高かったが、連日0度に近い真冬の寒さである。
そんな今日、ユキが園庭のジャングルジムに登っている時に虹を見つけたと、幼稚園の帰り道で心躍らせて話してくれた。しかもユキにとっては生まれて初めて見た虹だった。
 
「『うわぁ、虹や!』と叫んで、おばあちゃんに早く伝えたいなあと思って。それでね、消えたり出たりして3回も場所を変えて出て、3回目は長いこと虹がかかっていたよ!」

この幼子の感動こそ感動だ!
目をキラキラ光らせて話しているユキを見ていると、ワーズワースの詩(「虹」”My Heart Leaps Up ”)が想起された。

空に虹を見る時 私の胸は飛び上がる
私の生が始まった時もそうだったし
私が大人になった今もそうだ
私が老年になった時もそうあれかし

この詩と出会ったのは大学4回生の時だった。
卒論では国木田独歩のキリスト教信仰をテーマにしたので、独歩が強く影響を受けたワーズワースの詩を原文で読むように指導された。そして、今も唯一心に残っているのがこの詩である。
    
あれから40年、私も老年に入った。しかし、感動と敬虔な気持ちは若い頃よりもはるかに新鮮で深い。そんな自分が私を喜ばせる。

昨朝はユキの目が赤く少し目やにが出ていたので、登園の服装で眼科へ行った。自動車で行けば5分ほどだが体がしんどいわけではないのでタクシーではなく、ひと駅電車に乗って出かけた。

結膜炎だった。人から移されたものならば1週間ぐらいかかるとのこと。抗生物質の目薬を処方されて9時過ぎには受診を終えたものの、目が赤いうちは登園してはいけないとドクターストップがかかった。もうやだ〜(悲しい顔)

ユキの体は元気だし、私も血圧はコントロールされて体調がいいので歩くことにした。それにここよりさほど遠くない所から登園するグループがあるので歩いてみたかった。
まず、医院向かいにあるスーパーで重くないオヤツだけ買って帰路についた。

私は念の為に持ってきたユキの傘にスーパーの袋をぶら下げ肩でかついで歩いた。途中でユキのお友達のお母さんの自動車とすれ違ったので手を振った。この姿も見られたかな?わーい(嬉しい顔)
自宅まで40分間のウォーキングだった。遠くから通うグループの通園時間も40分あまりだと思う。毎日この往復だと体力と精神が養われ大きな力になるだろう。


夕方、柿を持ってきてくださった親しい友も歩いている私たちを見たそうだ。
「Uターンしようと思ったけれど、すごくルンルン気分で歩いていたから」と笑っておられた。そして、「これからは送っていくから言ってよ。終わった時に電話してくれたら迎えに行くからね!」と何度も何度も言ってくださった。感謝!

昨日の午後はウォーキングあとの心地よい疲れでユキと一緒に1時間半熟睡してしまった。幼稚園の先生が当番のお母さんに託けてくださったポン菓子を届けてくださった時も全くわからないほどに。ふらふら

昨日は食育の取組みでもみすりしたお米でポン菓子作りがあった。「バーン」と大きな音を立てて作るポン菓子だ。欠席して非常に残念だったが今日は元気に登園し、月曜日から始まったかけ足(マラソン)にも参加した。
アドヴェントカレンダー.jpg
教会で作った今年のアドヴェントカレンダー。
日曜日ごとに窓を開くとろうそくが増えていく。4本のろうそくが灯されるとクリスマスだ。

翌日10時50分追記:この記事を書いたあと風邪でダウン。いよいよ喉が痛くて熱っぽい。血圧も高い。

posted by 優子 at 23:59| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年12月02日

「最後だとわかっていたなら」

今夜10時過ぎになって笹子トンネルの天井崩落事故を知った。私たちが教会へ行く前に大事故が起きていたのだ。

今朝午前8時ごろ、「山梨県大月市と甲州市にまたがる中央自動車道上り線の笹子トンネル(全長約4.7キロ)で、トンネル内のコンクリート製の天井板が崩落し、少なくとも3台の車が巻き込まれた」。

このトンネルは日本の高度成長期に作られたもので、40年前に作られたインフラはとても多い。
思えば人類史は試練の連続だ。そして、救助、修復工事、土木工学・・・など、どの時代にも同時代に生きる人たちが助け合ってきたことを強く思う。

そして、今日何が起こるかはわからないことを思い知らされ、亡くなられた方々のこと、遺された御家族のことを思うと言葉が出ない。
3.11やこのような時はこの詩を思い出す。

この詩が書かれたのは1989年で、溺れた子を助けようとした10歳の長男を失ったノーマさんが、長男に伝えたかった気持ちを詩にしたもので、9.11同時多発テロの追悼式で読まれ世界中に広がった。

「最後だとわかっていたなら」                 
作・ノーマ コーネット マレック / 訳・佐川 睦

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても
分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための 
ほんのちょっとの時間を
どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも
いつまでも 大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう そうすれば
もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

私たちも明日のことはわからないのだから、いつもいつも家族を大切に生きていきたい。日々関わる人々とも。

posted by 優子 at 23:06| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年12月01日

7年前のオープンスクールでの出来事

ところで「オープンスクール」(終日の学校開放)と聞いて、民生児童委員として小学校を訪問した2005年のオープンスクールでの出来事を思い出した。

これは学校のことではなく民生委員会のあり方を象徴する出来事であり、翌月の定例会で公の前で発言する機会が与えられた。

その出来事はあまりにも常識を疑う出来事であったので、(当時の)校長から各自に郵送されたオープンスクールの案内を今も保存している。
2005年は10月末に開催され、それに記載されている連絡事項には次のように記載されていた。
「当日、学校給食の試食を用意しております。準備の都合上、試食される場合は」いついつまでに連絡してくださいと。

この頃すでに私は校長(女性)と教育観で大いに共感し合い、人生観をも語り合い個人的な出会いを深めていた。校長から給食試食会も是非にと何度も誘っていただいたことから出席することにした。

と言うのは、あの頃は例年11月は原稿の締め切り(原稿用紙20枚余り)に追われ、執筆に集中していたので時間を割きたくなかったため、1時間ほど参観して帰宅するつもりだったところをやむおえず試食会にも参加した。私にも現代の給食状況に関心があった。

試食会の席に親しい犬ともだちがいたので話していた時のこと。定刻になり管理栄養士さんも来られて始まる直前のことだった。

民生委員会の中枢の人とでもしておこう。彼が私のそばへきて、「ここはあんたのような新人が来るところではない。見たらわかるやろ。偉いさんばっかりや。すぐ帰り。」と言ってきたのだ。

「????」
私はあまりにも滑稽で陳腐でならなかった。
「偉いさん」って誰のことだろう。
旧村の地元の人たち(70歳前後の人たち)を指しているのだろう。

そう言えば民生委員の人は彼以外に誰もおらず、校長・教頭ほか10名ほどの男性ばかりだった。そこに1期目の委員がいるので彼の肩書カーストとでも言えばいいのだろうか、それが許さなかったのだ。

あまりな内容を強烈に言われたのでかなりの衝撃を受けつつも、次のように言った。

案内状にはそのようなことは記されていないこと。学校教育における試食会の目的と意義を教育的視点から述べ、校長先生からもお誘いを受けて参加したことを述べた。

私には帰るという選択肢はなく、精神を冷静に保持して試食を終えた。いつもなら食べるのが早いほうであり、おしゃべりもしないで黙々と食べていたにも関わらず最後になっていたことを思うと、かなりの衝撃だったことがわかる。

私は常に彼から目をつけられ圧力をかけられていた。というのは、どうしても出ねばならないとき以外の宴会には参加しなかったからだ。

帰り際に校長・教頭先生にこのことを伝えると、強く眉をひそめて批判しておられたが、かと言って主催者側の主旨を説明されたわけでもない。

そもそも私が所属していた地区の委員会のあり方(要するに彼のこと)には当初から非常に問題を感じていたので、帰宅後すぐに福祉課に電話して問題提起しようと考えながら家路についたが、心を静め考え直して直ちに行動に移すのはやめた。

すると、思いもかけず対峙する機会が相手側からやってきた。
それは翌11月の定例会の冒頭で開口一番に彼は次のように話し始めたのだ。

「誰やとは言いませんが、オープンスクールの試食会に来た人がいて・・・」と、こっぴどく私をなじった。40名ほどが向き合っての会合である。
しかし、私は至極冷静だった。心は平安で全く動じず、「神さまが機会を与えてくださった」と確信し喜んだ。そして、彼が言い終わるのを忍耐強く待って口を開いた。
「今、〇〇(彼)が言われたのは私のことです。〇〇地区ではオープンスクールというのがありまして、・・・」と私は話し始めた。
すると別の人からびっくりする怒号が飛んだ。
「そんなことええやないか!」

私は間髪いれずに、「そういうところに、この会の精神性が暴露しているではありませんか!!!」と言ったと同時に、右手手のひらで机を叩き、まさに女性版・田原総一朗流で訴えていた。

その時、「いや、詳しく聞きたい」と他校区(地区)の女性の声が出て、もう少し詳しく話を続けたのであったが、面白いことにそのあいだ彼が何一つ言葉を発しなかったのは印象的であった。

そして、もっと驚いたことは、休憩時間に入った瞬間に、「そんなことええやないか!」と言った男性が私のところへ来て肩を叩きながら言うのだ。
「藤本さんの言うことはみんなわかってるねん」。
これには更に驚愕し絶句した。

なんやこれは!!!
この会は自浄作用もなく、その違和感たるやどうしようもない。


この地区の民生委員に任命される人は地元(旧村)の名のある人達が多く、互いに幼なじみが多いようだった。

その休憩時間に、会議のオブザーバーとして列席している福祉課の人に意見を求めたが、民生委員会のあり方やアドバイスは何もなく、ただただ賢く自分の身を守るばかり。社会とはこういうものかと、いい年をして改めて社会勉強をする思いであった。

そして、悩みに悩み考えた末、自分の力量の限界を感じて1期3年で委員を辞任した。

先日も私と同じ立場で彼に対して私以上の強靭さで頑張っている後任の人が、堰を切ったように憤っておられた。ただし私がその人と違うのは、私は彼と会えば今も笑顔で挨拶すれば喋りもするので彼も言葉を交わす。
しかしながらやっぱり言いたい。
民生委員会はこんなことでいいんかい?!

附記:同委員会のことで悩み闘っていた時の関連記事
「己に問う」
http://yukochappy.seesaa.net/archives/20060413-1.html
posted by 優子 at 23:59| 社会的なこと | 更新情報をチェックする