2013年02月28日

病院初診と耳鼻科で両耳の鼓膜に穴をあける

知子は今朝、ある病院の内分泌科を受診した。 
「ママはここへ来ていたのか・・」と、私が膀胱がんの疑いで通った時のことを想って歩いたそうだ。あれは2008年のこと、ユキがまだ1歳前だった。

紹介状と予約をもらっての初診だったが2時間半も待ってようやく呼ばれ、午後2時前にメールが届いていた。
「今支払済んだとこです。次回なし、検査なし、詳細は帰宅後。安心してね!」
とにかく安堵した。

そして、夜は1週間後の再診を待たず耳鼻科にも行くことになっていた。両耳がほとんど聞こえなくなっているのだ。

もう少し薬で様子を見て、治らないようだったら鼓膜に穴をあけようかと医師が話しておられた時、知子が「4月末にアメリカへ行くことになっているのですが」と言った瞬間、医師と看護師さんたちの顔色が変わり、アメリカどころか飛行機には乗れないということで穴あけ手術(?)をすることになった。

鼓膜に穴をあけて水を抜いているとき、あまりの多さに医師が驚かれたそうだ。片耳に15分ずつ要して麻酔をかけるので時間がかかり、帰宅したのは8時半を過ぎていた。

怖かっただろう。
神に祈り、覚悟を決めて医師を信頼して委ねたという。
しかし、これでさえアメリカへ行ける保証はなく、薬を飲み続けて様子を見て、再び穴をあけねばならないこともあるという。

そして、内分泌科医(院長だった)の診断は、「あなたの顔を見たら(内分泌の病気ではない)違うと思った」と2度も仰ったそうだ。一目にして意欲的で努力家、溌剌とした表情からそのように言われたということだった。

知子が引きずる体調不調とは、何も食べないのに半日や1日で2キロ増えたり、ひどい寝汗、排尿が止まったり・・・などの苦痛が今もある。
しかし、クロミッド(薬名)に反応することや、血液検査の数値からも内分泌に異常はないとのことだった。

ホームドクターの紹介状には簡単にしか書かれていないので、知子がホームドクターに渡したものの一部を提示したところ、専門医として興味を持たれて、
「あとで読ませてもらうけれど、これだけ自分のことをまとめて書き、分析してることからして間違いない。血液検査の数値からも入院して検査する必要なし。治る薬はない。要はストレスの原因を取りなさい。・・・のことや。」

「・・・」の部分は今は書かないでおこう。
会社経営のこともさながら、それ以上に根本的な大きなストレスがある。いつか語る時がきたときに書こうと思う。早くそうなってくれることを願う。

そう言えば、私のスーパーバイザーで敬愛するクリスチャンドクターが、先月くださったメールにこのような助言をしてくださっていた。

「優子さんのその真面目な性格は周りの方には便利でありがたいのですが、ご自身には必要以上の霊的、精神的、肉体的負担をかけてしまいます。
くれぐれもやりすぎない様ご注意なさって下さい。
(自分の思う60%程度でも、他の方の100%以上の仕事をされる方ですから
・・・・藤本家のお嬢様方も此の傾向があるので要注意です!)」


これはお褒めの言葉ではないことはわかっている。
私は努力が伴わない人間だから除外すべきだが、それに比べて真智子の頑張りと言い、知子もまたそうだ。親に似ない努力家だ。
昨年2月からの知子の日常は相当なもので、それゆえに気分転換をさせてやりたくて、ユキのためにもワシントン行きを薦めたのだが実現できるかどうかは神のご意志というわけだ。

知子が耳も患っている大変な時に、私は昨日の昼前頃から風邪の症状と吐き気でダウンしていた。3回も吐いて昨日は夕食を作ることもできず、そのまま寝てしまった。

今朝は食パンを食べ、その後、嘔吐しなかったが、胸はムカムカして昼食は食べられなかった。しかし、昨日よりははるかに楽になり、夕食も作れた。食べたいなと思う炊き込みごはんだけは一膳おいしくいただけた。

明日はようやく週末だ。知子のこと思って毎週の休日を待ち焦がれながら過ごす日々である。
明日は月初の1日なので朝礼でリーダーとして語ることになっている。
今日で一人の社員が退職した。初めてのリストラ断行だった。この心の痛みを無駄にしてはならない。


posted by 優子 at 23:59| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2013年02月26日

ある群像

私たちが生きていくとき、家庭であれ、学校や職場であれ、どこにおいても問題が起こるのは避けられないことで、意見の衝突や争いは必ず起きる。それらをいかに理解し合っていくか。その道程が生きるということであり生きる喜びを感じることのできる機会でもある。

先日出席したある会合で意見を述べた時、稚拙なほどに攻撃性を顕わにする人たちに驚かされた。異論を聞くと自己を攻撃されたと思うのであろうか。

このような場合は同じ土俵に引きずり込まれないために引くしかなく、まさにこれがこの会が呈している問題の本質であり、現在の状況を招くに至ったことの確認でもあった。

かつて活動していた読書会はどんな意見でも自由に発表できる場であったが、どのような組織体においても誰もが自由に発言できる安全な話し合いの場でなければならない。そしてそれは互いに育てていくものである。

異様なほどに自分の問題を見ようとしない人、場違いを思わせる激しい攻撃的な人、あとは何事も盲従していく人たちか・・・

そんな中で常々心惹かれていた一人、謙遜でキリストの香りを放つ穏やかな女性が公然と手を挙げて、客観性に満ちた意見を発言された。その人の存在はこの組織体にとって唯一の希望だと思った。

あの中で客観的に物事を見ようとする人は果たして何人いるだろうか・・・。しかし、数は少なくとも見る人は見ている。見えているはずだ。

聖書は辛辣な論争は危険であると警告しているがゆえに、「明確な表現力で力強く反対意見を言う能力」を備えねばならないと読んだことがある。その視点から国会中継を見ていると、冷静かつ論理的に突っ込んでいく辻本清美さんは一目する一人だ。

今回は長年の怠けと精神的負荷がかかりすぎないようにとの配慮から、その準備不足と訓練度の未熟さゆえの悔いは残るが、逃げずに対峙できた充足感と爽快感がある。これで私は人生を前に進めることができる。あとは全て神に委ねよう。

他者の声に耳を傾けられるかどうか、それがその人の生き方を決定すると言っても過言ではないだろう。
そして、問題が起きた時は互いの誠実さこそが大切であり、それぞれに誠実さが求められ、誠実さが試されているのである。私もまたそうであるように細やかな自己洞察を忘れないでいたい。

附記:
@ 今日4冊の本が届いた。
T牧師が家族一人ひとりに本を贈ってくださったのだ。言葉では言い尽くせない感謝の思いをいかにお伝えすればいいのだろうか。

神がT牧師を通して神の愛と励ましを届けてくださったのであるが、T牧師が私たちの労をねぎらい励ますために神の愛を届けてくださったとの想いが強い。「失望しないでくれよ」と。
T牧師の深い愛に涙する。
私も本当に変えていただかねばならぬ。本物の愛の人に!

A 昨日今日とユキが幼稚園を欠席。
実は19日も欠席し、20日はNさんに眼科まで送っていただき、その後、タクシーで登園した。

B 知子は先週末から耳に異常を感じて昨夜受診。風邪から両耳とも中耳炎になっていた。心身の激務で体力が弱っているとのこと。

28日には長年の不調の原因を突き止めるためにホームドクターの紹介状を持って病院へ。耳がかなり聞こえにくくなっているので、事故回避のために帰りの運転は父親に。前途多難。

この間、叔母にも心血を注いで関わってくれている。このような知子を神は放っておかれるわけがない。神のお守りを信じて心安く前進あるのみ!私は祈りで支えよう。

C 午前11時過ぎ(ワシントン時間25日21時過ぎ)マチから電話あり。
今日の記事に書いた出来事と知子の激務のことへの労いと励ましの電話だった。そして、次女夫婦が通っているアメリカの教会のことや仕事が多忙であることを話してくれた。祈り合える家族に感謝!


posted by 優子 at 23:44| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2013年02月23日

クリスチャンとの出会いのハプニング

昨夏頃からユキはクラスメイトのK君と特に気があって仲良くなり、親同士も参観の時などに少し話したりして親しくなりかけていたそうだ。私もまた同じ頃ユキから毎日K君ことを聞いていた。

今月初めパスポートの申請に行った時もユキは満足に誕生月日を言えなかったのにふらふら、昨年末にK君に自宅の住所を書いて渡していたことがあとでわかった。住所のほうが誕生月日よりも難しいと思うのだが、「迷子になったら住所を言うのよ」と一度だけ教えたことがあったのを覚えていたのだ。

それでK君から年賀状が届きユキ(知子)も出した。
K君ママはその年賀状に「聖書の言葉が書かれてたので、もしかして!と思ってました」と、知子と会った時に渡せるようにとメールアドレスを書いたものをいつも持ってくださっていた。

そして今月14日朝、夫が日帰りの東京出張で知子は父親と同じ電車で行くのかと思っていたら、「ユキを見送った足で行くわ」と言って先に出かけた。それが幸いした。駅へ向かう途上で子供たちを引率するK君ママと出会ったのだ。

互いに挨拶を交わし、知子が「です・ます調」で話しかけた時、K君ママは知子の腕に手をかけて「私もクリスチャンなの」と言われたものだから、知子は狂喜し共に歓喜の声を上げた。喜び合う2人の姿を子供たちはキョトンとして見ていたという。

その後すぐに知子は一報を入れてくれ、私もまたまるで我が子が志望校に合格した時のような歓声を挙げ、そばにいた夫に話すと小さな目を大きくして微笑んだ。

私は私と千里さんのように、知子にもクリスチャンの友を与えてくださいとずっと祈りに覚えていた。私と千里さんと出会ったのもちょうど30代半ばだった。知子が4年生の3学期だったと思う。
クラスメイトの男の子に「お母さん、教会へ行ってるよ」と言うと、「お母さんも教会へ行ってるよ」と言うわけで、私たちも子供を通しての出会いだった。

「私の苦境の状況下にあって、神様は必ずこうして人知を超えた計らいをしてくださる。主は本当に真実なお方。そして、やはりユキは神の恩寵だ!」

「イエス様からの支えを感じれるの、幸せよね。イエス様一緒!ゆきちゃんエンジェル!」
 
と、マチもまた共に喜んでくれた。

ではこれに関連して、2月17日に発行された教会報(『ろうとう新報』234号)に掲載されたものを転載したい。
これは1月13日の「交わりの会」で述べたことに加筆したものである。「今年の抱負」というテーマに沿わせようと精一杯の拙い虚構を加えての一文は私の切なる祈りである。

昨年は体調が悪かったこともあって意欲的ではなかったのですが、昨秋から血圧もほぼ安定するようになり、今年はしんどい話にも逃げ腰にならないで、問題意識と当事者意識をもって関わっていこうと思います。

今もいろんな相談を受けていますが、問題はそれぞれ違っていても、どれもシナリオ的に似通っていて、解決に向かうか否かもまた、自分自身に正直であるかどうかにかかっていることがよくわかります。

ところが、クリスチャンであっても自己と向き合えない人も珍しくありません。私たちにはこんなに福音が与えられているのに無防備になれなくて、自己防衛と自己保身に躍起になって問題を複雑にしています。これでは神さまの祝福を逃してしまいます。

主に信頼して生きることがどんなに素晴らしいことか!
私にいただいている祝福を周囲の人々に流していきたいです。主に在る教会と神の家族のことを祈っています。

主の愛に満たされて主の祝福を周囲に流していきたい。

posted by 優子 at 23:24| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2013年02月21日

「ユキちゃんのおばあちゃーん!」で始まった一日

「ユキちゃんのおばあちゃーん!」
今朝、チャッピーの散歩を兼ねて知子を駅まで見送った帰り道でかわいい声がした。振り向くとY君が自動車の後部座席から手を振ってくれていた。
今月初めY君の弟生後3ヶ月の赤ちゃんが肺炎になって入院してまもなく退院されたが、今朝も遠い実家から登園する途中だった。

「おはよう、Y君! 行ってらっしゃーい!」
「いってきまーす!」
運転席のお母さんとも会釈した。
なんて気持ちのいい挨拶だろう、なんてステキな表情だろう!
「行ってらっしゃい。今日も良い一日をね!」としばらくY君を思慕してご家族のことを祈り、お母さんの育児奮闘ぶりから自分の若い頃を思い出していた。忙しく頑張れることへの感謝と子供たちの心身の成長を祈りながら歩いた。

私たちの子育て時代、子供たちは友達のお母さんを「おばちゃん」と呼び合っていたものだが、今それをやるとブーイングなのだ。昨春ユキの入園を前にして、現代の言葉遣いを知子に教わってから「ユキちゃんのおばあちゃん」デビューをしたのだった。

「ユキちゃん(ゆきひさくん)のママ」「ユキちゃん(ゆきひさくん)のおばあちゃん」というように常に固有名詞をつけて呼ばねばならない。見事にどの子もそのように呼び合っている。最初は長ったらしくて馴染めなかったが今ではスッカリ慣れ、良い呼び方だと思う。

そう言えば互いに「奥さん」と呼び合うことは日常語から完全に消えた。とは言え、私たちより一世代の上の人は今も常用されており、先日103歳のおばあさんに言われた時は何とも妙な感じで陳腐に聞こえた。言葉は少しずつ移り変わっていくのだ。

ところで、今月に入ってユキは毎週祖父と休日たびに外出している。全て祖父からの誘いによるものであるがこの寒さである。特にこの一週間は連日氷点下前後の最低気温で、最高気温も5度以上は上がらない日々だ。

1週目は高島屋。2週目はこの寒空に奈良公園へ行き、3週目は大阪の交通科学博物館と毎週男同士で出かけている。夫も幸せなおじいさんタイムを楽しんだことであろう。

その間、知子は3週間とも医者通いの土曜日で、ようやく大病院の専門医につないでもらって今月末に受診する段階だ。今も引きずる長年の体調不調の原因がわかればいいのだが。

明日は早、年少組最後の参観日で知子は久々に欠勤するが超多忙な一日だ。8時過ぎに家を出て園のいくつかの用事をこなし、9時半からの保育参観後はお迎えの時間まで集団登園の同年次組児童のママメンバーとランチに参加。園が終わればユキとパスポートを受け取りに行くというハードな予定に組んでいる。

昨年2月から経営改革に着手して以来、会社にとって無くてはならない存在になっており、参観後出社しないで予定を組んだ。それにしても仲間とランチなど知子は生まれて初めてだろう。たまには息抜きして楽しい時間を過ごして欲しい。

昨日予告した私の信仰者としての生き方についてはページを改め、バレンタインデーの朝に起こった神による出会いのハプニングと共に書きたい。知子にクリスチャンの友が与えられたことを!


posted by 優子 at 23:57| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2013年02月20日

真智子の詩に心広げられて

   いつもイエス様といっしょ
   
    わたしは くずばこ

    わたしは くずばこ
    いやなことや かなしいことが
    とびこんでくる

    わたしは くずばこ
    いっぱいになると イエス様が
    とってくださる

    わたしは くずばこ
    イエス様わすれないくずばこ
    いつもわたしは イエス様のもの

        ・・・・・・・・・・・・

これは、3年生の夏に書きました。
この詩を、教会の人達だけではなく、イエス様を知らない学校の先生や、パパのお仕事のおじちゃんや、いろんな人が、ほめてくださいました。
そんな時、本当にこの詩は、そんなにすごいのかなーと思います。
でも、ほめられたのだから、とってもうれしいです。
わたしの黄色いかさに、緑のマジックで、『わたしはくずばこ』の詩を書いています。
だから、雨の日はいつも、この詩といっしょに歩いています。
もちろん、イエス様とも歩いていますよ!


 (1990年10月発行、放出教会創立40周年記念誌より)

この「わたしはくずばこ」は、1989年10月号の『百万人の福音』に掲載され、「作者は小学校3年生。まさに幼な児のように捉えている明快な信仰の世界を、大人たちも学ばねばならない。」と評された。評者は一昨日の記事に登場した加藤常昭師だ。

過去ログ(2006年1月29日:http://yukochappy.seesaa.net/article/12437071.html?1361266368 掲載)には、「いやなことやかなしいこと」が何であるか詩の背景を書いている。

黄色い傘に緑色のマジックで詩を書いた傘をさして通学していた真智子。今も雨の日は近所の登校する小学生の中に真智の姿を探しそうになるくらい、私の脳裏には今も鮮やかに残っている。本当にユニークで活発な真智だった。
どうして写真を撮っておかなかったのだろう。今なら絶対に残しておいたであろうに!

失望した時も悩みの時も「いつもイエス様と一緒よ!」とメールで励ましてくれる真智子。寄稿文のタイトルから、その明快な信仰は既に小さい時にマチの心深くに刻印されていたのね。今初めて気づいたよ。

そして今、幼かった我が子の詩に心を広くされて深呼吸した。ああー、とても心地よい。

マチはワシントンで教会を見つけたようでクマと一緒に通い始めている。
その教会は「どのような教会としてありたいか」ということをテーマにシリーズで取り上げているという。「とても聞きたい内容で、そのスタンスもすばらしいと思う」とは、小・中・(高)時代に熱心に教会生活に励んでいたゆえの視点であろう。教会の宣教ビジョンやスタンスはとても大切だ。 

主の安らぎがあり、一人ひとりの個性や賜物を活かし合える教会に導かれるように神の祝福を祈っている。


真智へ:
今回帰国した時に話題に出た速水優さん(1998年3月に第28代日銀総裁に就任、2009年に84歳で召天)のエピソードを記しておくね。

「自慢するわけではないが、自分は職業柄、さまざまな立場の人と出会うことが多かった。中には世界的に有名な指導者も多くいた。そのような時、どうしてもドキドキしたり、気後れしたり、卑屈になったりするものである。

しかし私は相手の方を見ながら、『この人も罪人の一人である。イエス様の十字架によって赦されなければならない罪人である。私と同じなのだ』と自分に言い聞かせた。すると不思議なことに、心に平安が与えられた。
そして卑屈になるのでもなく、また、優越感を持つのでもなく、対等に、同じ人間として語り合うことができた。それが良い結果を生んだのだと思う」。


日銀総裁という要職にある人がこのように思われ、また、それを臆することなく公で話される人柄にママは強く心惹かれたの。この話を読んだ瞬間に彼の深さを直観したよ。イエスさまに救われて恵みの中で生かされている本当の自由人だったんやね。

これぞ「主に在る主体性」とも言うべき筋金入りの主体的な生き方だ。だからこそ肩に力を入れなくてもいいのよね。真に主に出会った人は劣等感や優越感から解放されて自分らしく生きられるよね。

ちょうど今、これと対極の生き方をしている人のことで頭を悩ませているので、何とか伝えたくて、神さまが働いてくださってその人の心に届けばとの願いで書いたものがあるので、それを次の記事に書くね。ママの信仰者としての生き方をね。

真智の詩のおかげで神さまの息吹きをいただいて心を高くに引き上げられたよ。Thank you!!!

posted by 優子 at 16:50| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2013年02月18日

JCP関西ブロック例会 A ― クレッパー 愛と誠実と信仰の生涯 ―

    「神よ、わたしをあわれんでください。
     わたしをあわれんでください。
     わたしの魂はあなたに寄り頼みます。
     滅びのあらしの過ぎ去るまでは
     あなたの翼の陰をわたしの避け所とします」。

               (詩篇 57篇1節)

ヨッヘン・クレッパー著『みつばさのかげに 愛と死の日記』(抄訳)は、1932年から1942年までの10年間を綴ったもので、1977年に日本基督教団出版局から発行されている。

私は書名だけは本の目録などで受洗後まもなくから知っていたがクレッパーのことは知らなかった。

クレッパーはドイツのプロテスタント作家・詩人で、13歳年上のユダヤ人女性と結婚し二人の娘の義父となった。「ユダヤ人迫害・虐殺の狂乱激動の中で信仰と愛溢れる家庭」を築いたが、「ナチの兇悪な力に押しつぶされて妻と娘とともに1942年12月11日自ら生命を絶った」。長女は大戦勃発直前に亡命させえたために助かった。

きっすいのドイツ人であるクレッパーだが「結婚は聖餐と同じである」とし、離婚によって助かろうとはしなかった。

講演者は加藤常昭牧師(神学者・説教塾主宰)の言葉を紹介された。
「本当の自死という意味を見逃さずに書いていくことをしなければならないということを言いたいために、詩を何度も何度も朗読した。
クレッパーの中に神の祝福がある。
書くということはこれほどすさまじく大変なことだ。
あの惨状で私たちはどのように証ししたらいいのかという重いテーマを考えさせられた」。


そして、次のように講演を結ばれた。
「クレッパーの詩や小説を通してクレッパーの魂に触れることができた。彼の言葉はイエス・キリストの願いと共につながっている。
クリスチャンたちにもあまり知られていないクレッパーを伝えたい。クリスチャンはクレッパーを伝える使命があるのではないかと感じて話させていただいた」。


今関氏の「〇〇さんの感受性に感動した」との感想どおり、演者の語られる言葉の震えや表情からその感動ぶりが空気をも振動させてこちらに伝わってきた。

私は話を聞きながら私自身の歩むべき方向を示されたように思う。つまり、闇を深めているのは混迷する世界だけではなく、社会生活を営む我々の日常生活においても然り。

今こうしてイエスに繋がれた真のキリスト者・クレッパーの生き様に触れ、改めて聖書の光に照らされて自己や周囲を見つめた時、ギアチェンジしなければならないと痛感し、キリストの希望をこそ強力に伝えていきたいと思わされた。

そして、また一歩こうして願いを深められたゆえに、私もまたイエスに繋がれた生きた形に変えていってくださるのだと思う。


クレッパーはベルリンのプロテスタント教会墓地に葬られている。彼が作詞した讃美歌が『讃美歌21』に3曲(243番、273番、472番)収められている。
この名著が今年オンデマンド出版から復刊されたので、キリスト教書店か日本キリスト教団出版局へ注文すれば印刷・製本されて3週間で手にすることができる。(四六判・296ページ・3675円)

附記:親しくしていただいている祈りの友が、2か月前のブログにクレッパーのことを書いておられるのでご紹介したい。http://kibounokaze.jugem.jp/?eid=1402
                                             


posted by 優子 at 13:39| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2013年02月17日

JCP関西ブロック例会 @

昨日、大津教会で今年初めての日本クリスチャンペンクラブ関西ブロックの例会が開かれた。奈良も寒いが大津はもっと寒くて比叡おろしには震え上がった。昨年は血圧がコントロールできなくて、2月例会は当日朝に欠席の連絡をしたのだった。

今日の午後は次回例会で予定されている総会の議案書にとりかかった。昨年度より書記に加えて会計も預かっているので会計報告をしなければならない。特に苦手な領域だ。
ただし、今回から会員による研究発表の場合は担当者に提出していただくことにしたので、書記としてはそれ以外のところを仕上げて既に事務局へ送付した。

今回は大田正紀先生(大学教授)が入試の関係で休会されて残念だったが、久保田暁一先生(作家、文芸評論家)と今関信子氏(児童文学作家)の作品講評は盛り上がった。

関東ブロック面々の筆力にはとても及ばないが、昨年度から関西ブロックも書くことに力が入ってきており8名が作品を発表した。時間の関係から7名分の講評で終わったのは残念だった。私の拙文も講評していただいたのは幸いだった。

作品講評でそれぞれに語られたコメントから心にとめておきたいことをここに記しておきたい。
まず今関氏のコメントより:
書くにあたってこっちの思いをどうつなげたらいいか、読者にどうひっかけていくかを考える。
自分の書きたいものを持っていても、その表現を読者である子供にどうつなげるか、子供の体験にどう触れるかが一番大切である。

(キリストの)伝道の文章として使おうとするならば、この文章で用が足りるだろうか。あるところに達観した自分が書いても読者にはわからない。

私は、クリスチャンは、このところで、この時間を、クリスチャンとして生きている。キリスト教は「悟り」を求めていない。心が揺れたことが描かれることで読者もまた共感する。

次に久保田先生のコメント:
書くということは自分が発見した真実を読者のものにしていくことであり、共有していくことが文学である。客観的な存在にしてもらうことが作家の役目である。

従って独りよがりになってはいけない。書く人の姿勢や描写も大切だ。そのために書き方の修練が必要だ。
エッセーや小説は具体性が大切で心をとらえるものを書く。題材の選び方も大切だ。

太宰治の『人間失格』と椎名麟三の『自由の彼方で』は題材が一緒だが全く違う。太宰は書くことにより死に、椎名は復活の主(しゅ・キリストのこと)に出会い61歳まで生きた。

どちらの作品も読ませるものがあり読者をひきつけるが結論が違う。それぞれの見出した真実(書こうとすること)が違う。それは自由だが、書いたものが読んだ人に共有されるかどうか問われるだろう。そして、読者がどちらを選ぶのも自由である。

共に非常に興味深く聴いた。
私はこの2〜3年ほど前から書けなくて困っている。正直のところ書けば書くほど退行していくような感じがしている。しかし、これを書いている今その原因がわかったような気がする。
つまり自分が書きたいこと自体がなく感性が鈍麻しているのだ。そのことは生きる姿勢に起因するのだろう。

それでも尚、久保田先生が今回の作品にも「真がある」と評してくださったことは大きな励みだ。

久保田先生の話をお聴きしながら西口氏の言葉が重なった。
「もの書きで一番あかんのは、自分の書きたいことに不足がある時や。書物の資料不足ではなくて、自分の中の書きたい資料不足が一番あかん。
見たもので自分が感じることを書くんや。
本当に感じたものは人に教えたくなるやろ?
人に教えてやりたい、伝えてやりたいと思うことを書くんや」。


西口孝四郎氏は「東大阪読書友の会」を東大阪市の読書会に位置づけてくださった方で2年間薫陶を受けた。(過去ログ http://yukochappy.seesaa.net/archives/20080224-1.html

私もまたもう一度テーマを決めて燃えたいと思った。ボードレールの表現を借れば酔いたい。まずはかつて別のところで発表したものでもいいから、JCP例会にふさわしいテーマに絞って発表の場を与えていただこうと思う。

今関氏はこれから戦争物の長編にとりかかられるそうだ。健筆を祈ろう。そして、私も没頭したい。
この複雑な人生や不可解な人間を深く洞察し、そしてまた、そこに常にある神の明確なる臨在を書きたい。

次のページでヨッヘン・クレッパー(Jophen Klepper)についてお分かちしたい。
キリスト者にとって自殺が最大の罪であると重々わかっていながらも、アウシュビッツ収容所に連行される直前に妻と娘と3人で自死したドイツの詩人・クレッパーだ。

現在18日午前1時25分だが17日の日付で掲載。
夜更かしは耐えられない体になってしまった。血圧が上昇してきているのがわかる。また体調を崩さねばいいが。
これにて擱筆。


posted by 優子 at 23:59| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2013年02月12日

固まる君が活発君になった

カメラを手にするのは久しぶり。ユキのことを書くのも1ヶ月ぶりだろうか。それよりもはるかに長い時間が過ぎたように感じる。 

今日のユキは夕方からジグソーパズルに夢中になっていた。3歳の頃にジグソーパズルを薦めたことがあったが、幼い時の知子や真智子と違って苦手なようだった。

ところが昨夜、祖父と2人で作ったことから興味を持ったのか、今日は一人で完成させた。しかも小一時間で150ピースのパズルを!

!突然の快挙.jpg
この真剣な顔!根気もある!

150ピース、できたよ!.jpg
できたよ!近鉄のアーバンライナー・ネックスト。
既にピースを一つ失っているが。
このあとお風呂の前後に再挑戦し、もっと短時間で仕上げた。

幼稚園生活も2学期頃から活発にエンジョイしているようだ。「お便り帳」から幼稚園のユキの様子を覗いてみたい。
保護者と先生の交信録の「お便り帳」はすでに最後のページまで使い終わり、11月から知子自らが大きめの手帳形のノートを2冊目にして使っている。こんなことは前代未聞だろう。(笑)
(2012年)12月5日:
「昨日(前日は病欠)会えなくてさみしかったわ・・・」と話していると、飛びついて来てくれたのでしばらく抱っこして2人の時間がもてました。
甘えてくれる姿が生まれたのは私にとっても嬉しいことで黒ハート今日は私にとっても記念日です
黒ハート

1月21日:
薬を12:15服用しました。(食後の風邪薬を飲ませていただく)
「ゆきちゃん元気やねんけど、これは咳の薬やねん」と、いろいろお話しをしてくださいました。
その際に「今ねーおばあちゃんも元気!ママも風邪ひいてなくてー元気でー昨日も一緒に遊んでくれてねー」と、必ず家族のことを話してくださいます。


1月?日:
最近は男・女問わず、いろんな友達にもどんどん話しかけていく姿が一段と増え、まわりから大切に思われることで自分が大切になり、人にもこんなに優しい笑顔で接することができるんだなと感じさせて頂いています。 

おもちゃの片付けをしている際、「これ重たいから持ったげるわ!」と自然に手をかしているゆきひさくんのステキな姿があったので、思わず嬉しくお知らせしたくて手紙に書きました。


2月4日:
パスポートの話しを聞かせてくださいました。積み木で遊んでいても電車が多かったのに、最近は飛行機を作って空を飛んでいます。いろいろ夢は広がっているようですね。

2月1日〈金)はパスポートの申請に行った。
その日、私はユキを園まで迎えに行き駅へ向かった。プラットフォームで2時半過ぎの電車を待ち、その電車に乗って来た知子にユキを託した。その時のことをユキはさっそく月曜日に先生に話したのだ。

ところが、未だ飛行機のチケットを買っていない。
会社へは3日間の欠勤届けを出しているが、知子は日々の多忙さから果たして行けるのだろうか懸念しているのだ。だからこそ知子自身の気分転換のためにも薦めたい。
それに先週末の見送り当番の朝も先生からユキの様子を聞かせていただき、ユキがどんなに楽しみにしているのかわかったのだから!

1・2歳の時は「固まる君」との異名をとったユキは、その後もずっと恥ずかしがりやだったが今では見違えるほど活発になった。園でのユキが目に見えるようだ。
帰宅後の1時間はおやつのタイムで園の様子を速報してくれる。
「今日はねえ、こんなことをしたよ」「今日は嫌なことがあってん」と、楽しいことだけではなくお友達の様子もいろいろと話してくれる。

その表情の感動的なこと!命の輝きだ。
人間は人の交わりの中で育っていく。子供は子供の中で良きものが引き出されて成長していくのだ。
細やかな保育をしてくださっている先生に感謝!
健全で心あふれる幼稚園の存在は私を大いに元気づける。



附記:★今日正午前に北朝鮮が3回目の核実験をした。
放射能汚染、核の恐怖・・・これまでの時代とは全く別次元に切り替わり、これからどうなっていくのだろうと暗澹たる思いだ。
   
    ★中国の深刻な大気汚染が西日本にも「PM2・5」汚染。
1月末からたびたび喉に異物感があり特に子供たちの健康が心配だ。
先週末に市の生活環境課に問い合わせたところ、奈良県にも一台測定器をつけようかという話が出ている程度でガッカリした。

かつての光化学スモッグ注意報のように高い数値の時は市が園や学校など各教育機関に通達し、子供たちを屋外に出さないように指示命令を出してほしいと要望した。この程度でもしないよりは良い。異国の大気汚染による大気汚染とは唖然とする。

posted by 優子 at 23:59| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2013年02月11日

彼が生涯の終わったあとに残したものは・・・

「明日」(作者不詳)

彼は人間の達しうる最高の者になろうとしていた ― 明日

彼は誰よりも親切で勇敢な者になろうとしていた ― 明日

彼は悩み疲れたひとりの友を尋ね、
どうすればよいか相談しようとしていた ― 明日

彼は朝ごとに、書こうとする手紙を山のように積み重ねた 
― 明日

そして、彼が喜びをもって満たそうとしている人々のことを考えた 
― 明日

きょうは忙しすぎるのだ、一瞬の息をつく暇もない。

彼は言う
「私は他の人々のために働く時間を持つようになるだろう ― 明日」と。

彼は、最も偉大な働き人になったであろう ― 明日になれば。

世界は彼を知ったであろう ― もし彼が明日まで生きていれば。

しかし、彼は死んだのだ。

そして彼は人々の見える所から消え去った。

彼が生涯の終わったあとに残したものは

明日しようとしていた山のような仕事だった。

毎日のように思い出す詩だ。
これは誰にとっても心すべきことだが、特に60歳を過ぎた者にとっては命は限りがあることを実感させられるのではないだろうか。
今日という日を、今を活かそう。

posted by 優子 at 23:09| 引用文 | 更新情報をチェックする

2013年02月10日

『ベン・ハー』から人間の実相と信仰を語る

「最近毎日起きている出来事、良いことも悪いこともすべての出来事に身震いし、神さまがいつも必要な人を送って助けてくださっていることは驚くべきことだ。」と語る長女は、少し前から『ベン・ハー』を観たいと言っていた。

重過ぎるストレスと試練が続く日々に在って、これまでの年月を振り返り自己と自己に関わる人々や出来事を神さまの光に照らして吟味したかったのだろう。

昨夜10時から娘と二人で『ベン・ハー』のビデオを観た。娘が最後に観たのはもう10年以上も前のことなのに、節々のシーンで語られるセリフを見事にすべて覚えていた。

私たちは深い感動を味わった。いや、私よりもはるかに深く感動したのは知子だった。
特に作者の人間への鋭い観察と描写、ベン・ハーの上に起こる理不尽で不条理なできごと、それゆえの恨み、憎しみの苦悩の描き方は問題を直視して生きている者をも納得させる。


この映画は世界を風靡し、私も8〜9歳頃(?)に両親に連れられてシネラマで観たことを鮮明に記憶している。『十戒』、『天地創造』、『偉大な生涯の物語』など封切られるたびにシネラマへ連れていってくれたものだ。

手元に『ベン・ハー』の文庫本がある。昭和42年11月に発行された新潮文庫17判だ。46年も前のものだから紙は茶褐色になっている。

『ベン・ハー』の作者、ルー・ウォーレス(弁護士、州知事)は反キリスト者で、徹底的に調べ上げてイエスが神の子であることを否定しようと研究し始めたところ、調べれば調べるほどにキリストが神の子であることを信じないではいられなくなって『ベン・ハー:キリストの話』を書いたのである。

ユダヤの貴公子ベン・ハーは、ふとした出来事から奴隷に追いやられてローマのガレー船を漕いでいる。その船を率いるアリアス長官は次のようにベン・ハーに言った。
「戦いに負ければ足の鎖と共に海に船は沈み、勝っても永遠にガレー船の中じゃないか、逃げられるわけがない」。

これに対して彼に言わせたセリフは衝撃的だ。
「3年と11日、ガレー船で一漕ぎひとこぎに誓った復讐。そんな死に方をするために神が3年も生かして下さったとは信じがたい」。
と、常に神を認めているところに知子と目と目を合わせて唸ったのだ。

3時間の映画を観終わって話し終わった時は午前3時半になっていた。私だけではなく知子と二人共の体調が気になっていたが明日には譲れなかった。
知子は熱く語り続けた。
メッサーラのように、最期の一呼吸まで悔い改めない人もいるということも忘れてはならないことだ。今後、無用な苦しみの時間を取らぬようにと教えてくれたような気がする。神さまは私たち一人ひとりに、選択の自由を与えておられるということが本当によくわかった。

人は生きている限り選び続けている。イエス・キリストを信じて救われた人(神に罪赦されて平安と永遠のいのちを与えられた人)もそうだ。
救われたあとも常に神の導きを求めて歩いていかねばならないのに、自我を通して間違った道を突き進むことも多分にあることがわかったし、神さまはその人々を決して見放してはおられないこともよくわかった。

ベン・ハーがバルタザールに「あのお方だ。ついに見つけた」と声をかけられた時も、「おめでとう。よかったな」と他人事のような挨拶を交わして立ち去って行った。不条理な人生を受容するまでに至らない心象をよく表現している。

かつて(イエスに)水を飲ませてもらって助けられたのに、「あの時、死んでいたらよかった。この渇きは水では癒せない」とバルタザールに言って立ち去って行くところも然り。
そのベン・ハーを遠くからイエスが目で追うところには涙する。神の愛を知らない者には描けないところだ。


神さまに自分がどんなに赦されて愛されて忍耐されているかがわからないといけない。しかし、神に至る道はなんとけわしいことだろう。

ベン・ハーはあらゆる苦悩の果てに、「前に水をくれた人だ」と、かつて助けてくれた人がイエスだとわかった。そこに至るにはエスターの存在が大きい。神さまはまずベン・ハーにエスターを遣わしてくださっていた。

主(神)の忍耐と愛は自分がどんなに赦されたのかがわからないとわからないし、それが希薄になると憎しみに捕らわれそうになる。それゆえにそのことがわからない者は伝道などとてもできないということもわかった。

だから、
「わたし(イエス・キリスト)はあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」。
(ルカによる福音書 22章32節)のみことばをいただいたのだ。

これは知子が救われた時にいただいたみことばである。
是非、『ベン・ハー』をお薦めしたい。

ある教会が抱えている問題はあまりにも稚拙だ。一人ひとりが神さまと本当の出会いをしていないのか、あるいは、忘れてしまっているのか、神さまとの真剣な交わりがないと私たちの祈りは成就しない。それでもなお、私は神さまに期待して祈り続けている。

知子の真剣極まりない日々を通して先週になって未解決の問題が山積していることがわかった。残り少なくなってきた自分の持ち時間内に解決できるのであろうかと信仰が萎える。

今こそ知子に健康を完全に戻して、霊肉を強めてくださるように祈るばかりである。
夫のことも諦めずに希望をもって祈り続けねばならない。

posted by 優子 at 23:59| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2013年02月07日

新島八重

「今年こそは絶対に見る!」と思っていたNHK大河ドラマ『八重の桜』だが、時間的に無理で一度も見ておらずついに断念した。

八重さん:同志社女子大学資料室所蔵.jpg

これが実物の新島八重だ。(同志社女子大学資料室所蔵)

昨年9月21日に淡交社より発行された同志社同窓会編『新島八重 ハンサムな女傑の生涯』(A5判 128頁、カラー32頁、定価1260円税込)をご紹介したい。
新島八重@.jpg 
同志社大学創立者の夫・新島襄をして「ハンサム」と言わしめた八重ですが、「女丈夫」「悪妻」というキーワードが先行してしまい、正統な評価が定まっていないのではないでしょうか。

いつまでも会津の魂を忘れない保守性と、真っ先に洋服に身をまとい、洗礼を受ける進取性。その狭間にある八重の実像に迫るため、「個性」「夫婦生活」「会津での日々」「教育」「キリスト教信仰」「看護精神」「茶の湯」という七つのテーマで、その生涯に迫ります。

全国の書店でお求めいただけます。
同志社同窓会でも、ご注文を受付ています。その場合、売り上げの一部が、同志社同窓会120周年記念事業の基金に用いられます。送料無料でお送りいたします。お申し込みは、右上のお問い合わせ欄より同窓会事務所までお願いいたします。       

             (同志社同窓会ホームページより) 

購入希望される方は、当ブログの「お気に入りリンク」の「同志社同窓会」からどうぞ。同志社同窓会HPの「会員リンク集」に『メメントドミニ』をリンクしていただいている。

過去ログ(http://yukochappy.seesaa.net/archives/20120604-1.html)に掲載させていただいた、新島襄や八重と接した同志社草創期の生徒の話は興味深い。その方はその思い出話を語られてまもなく昨年2月に亡くなられたそうだ。

posted by 優子 at 22:36| ご案内 | 更新情報をチェックする

2013年02月05日

領土問題をクリスチャンはいかに考えるか

今夕、小野寺防衛大臣が緊急に記者会見し、「東シナ海で先月30日、中国海軍のフリゲート艦が海上自衛隊の護衛艦に射撃管制用のレーダーを照射していた」ことを明らかにした。沖縄県・尖閣諸島付近ではないというが、日中関係は緊迫した危険な状況だ。

日野原重明氏(聖路加国際病院理事長、101歳)は領土問題について、2012年12月24日づけ毎日新聞(オピニオン)で、帝国主義の激動期に時流の大勢と正反対の持論を張った石橋湛山の生き方に触れてから次のように語っている。

「本来、日本の領土は北海道と本州、四国、九州の本土だけで、他はすべて日清・日露などの戦争を介して獲得した領土だ。沖縄だって元々は琉球王国を接収したものです。

領土問題を考える時、我々はその歴史をまず認識し、その自覚を元に、尖閣諸島や竹島や北方4島の問題を再検討したらどうか」。


そして、「不戦」ではなく「非戦」思想を訴え、日中・日韓境界近くの資源は日本が技術提供して共同開発し、利益は折半にする。領土問題は心の問題も絡み、それを解きほぐすには愛が必要だとし、次のように続けている。

「愛のマントの裏は真っ赤な血で染まっていて、苦しいことがある。愛の徹底には犠牲がある。寛恕(かんじょ)。自分が自分の過ちを許すように、相手の心もおおらかに許す。今の政治や外交には、愛がないね。損得条件の話ばかりで、精神がない。」と説いた。

愛のマントの話は日野原氏がいろんなところで書き話しておられる。
確かに犠牲がなくては真の愛ではない。安易にできるものは愛とは言えないのだ。涙し、血の出るような苦悩や悲しみ、心の痛みを越えて受け容れる犠牲の愛である。
そして、その後も続く" long suffering "を通して本物の愛の人に造り変えられていくのだ。

主イエス・キリスト教会(大阪市西成区)の牧師・大久保みどり氏は領土問題について、神様の定められたとおりに国境が決まるように、何年かかっても(武力ではなく)話し合いで決まるように、リーダーたちに知恵が与えられるように祈らなければならない」と説く。

私は両氏の意見と同じである。しかし、クリスチャンと言えども考え方はいろいろであろう。この1年間、身近で2件のクリスチャン同志の裁判問題に心を痛めている。深く考えさせられてもなお私の結論は当初と全く変わらない。

即ち、聖書はクリスチャン同志の裁判を認めていても、もっと高い次元の原則「キリストの倫理」を教えている。それは、日野原氏が語っている「愛」であり、「愛の倫理」だ。
ゆるし、手を離して神に委ねるというのが主(しゅ・神であるイエス・キリスト)の喜ばれることだ。

クリスチャン同志の争いとなれば信仰解釈や神学に関わることゆえに神に明け渡す。それが「主に在る一致」であり、違いを乗り越えていく「健全なる不一致」である。

個人の争いごとも組織の争いごとも、また、国家間の争いについても全て同じ延長線上の問題である。


中国がこれ以上武力行使してこないように。
日本国は冷静に対処し、世界に現状を訴えかけ、話し合いで回避するように祈り見守りたい。

現内閣の中にも数名のクリスチャンが配置されている。彼らも全能の神に祈っていることだろう。私たちは彼らが選択を間違えないように、神の知恵が与えられるように祈るばかりである。

附記:石橋湛山(たんざん)
1884〜1973年。戦前を代表するリベラル派言論人。元首相。
「中学生時代、かつて札幌農学校(現・北海道大学の前身)第一期生としてクラーク博士の薫陶を受けた校長・大島正健との出会いは、湛山の人生観に大きな影響を与えており、晩年に至る迄湛山の枕元には常に日蓮遺文集と聖書が置かれていたという」。(ウィキペディアより)


posted by 優子 at 23:47| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2013年02月02日

神の導きに期待して

つい昨日新年を迎えたかと思えば、早2月に入った。
今日は北日本付近を通過した低気圧の影響で南寄りの風が吹いて、日中の最高気温は17.7度(最低気温も7.6度)、東京では20.9度まで上がり、全国的に4月頃の暖かさになった。44年ぶりだそうだ。

ということは、私が17歳の時だったのかと、いつものように亡くなった両親の年を数え、その時母は43歳で父は44歳・・・と、懐かしい父母に思いを馳せた。
明日は今日よりも10度前後も低くなるそうだ。ワシントンは最低気温が‐9度で日中も0度と厳しい寒さが続いている。ミネソタで鍛えられた2人にはどうということはないだろうが。

さて、ここ1週間ブログを更新できなかったのは、2件の共同体の問題と1件の家族問題が深刻で、祈りと聖書や信仰書を読むことに費やしていたからだ。

今再び人間の実相について深く考えさせられており、先月の教会の「交わりの会」でも神の希望を語ったが、祈り導かれて400字にまとめて教会レターに寄稿した。それは「今年の抱負」として参加者全員に原稿依頼されたものであり、発行されたら公開したい。

最後に『山頂をめざして』より:
私たちは、ツバメが太洋に面と向かって恐れずに、波の上を飛んでいくのを見るのが好きである。たとえ私が海の向こうに陸地があるという証拠を一つも持っていなくても、つばめの本能だけで私は満足である。
                    
     小鳥が道なき道を見るように
     私は私の道を見る。
     そして私は到達する
       いつどのような道を通ってか
        私はそれを問うことはしない。
     神は神の良しと見られるとき
     私を導き、小鳥を導かれるのだ。

         (F・W・ボレハム)

            

posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする