2013年05月28日

チャッピーが75%腎不全になっていた!

柴犬の寿命はだいたい12〜3才ぐらいだと言われている。人間でいうならば64〜8才ぐらいだ。今月10日に14歳になったチャッピーは72歳の老犬である。
犬を飼い始めた頃は犬が老いるなんて考えたこともなかったので、信じがたいことであり認めたくないことでもある。しかし、4〜5年前からチャッピーも老いることを実感できるようになって尚更に愛おしくなった。

今年も蚊のシーズン直前の25日(土)になって、ようやくフィラリア予防のために動物病院を受診した。
今年の2月頃からだったと思うが、寒い冬も水をたくさん飲むのが気になっていた。そして、たくさんの排尿について話すと、昨秋の排尿が止まったこととの関連から、フィラリアの血液検査に加えて生化学検査を勧められて検査した。

血液検査結果のいくつもに正常値を越える異常が出ていた。腹部の超音波検査では、本来ならば黒く映る膀胱が白く映っていた。良くないそうだ。

「(チャッピーの今の)症状だけで50%の腎不全状態であると言われ、血液検査でこのような状態だと75%腎不全になっていると言われている」。

獣医から腎不全を告知されたのだ。
あまりにも突然のことだったので、「腎不全って、・・・あの腎不全のことですか?」と、私は意味不明な言葉を発していた。不全になってしまったところはもはや回復せず、死期が近いことを意味する言葉なので信じられなかったのだ。

「じんこう血圧も高くなっている」とも言われたが、その言葉の意味も漢字もわからないのに聞き返すことさえしなかった。今これを書くために検索して「腎高血圧」(腎性高血圧)のことだとわかった。腎高血圧も高くなっているので心臓に負担がかかっているとのことだった。

医師に治療するかどうかを聞かれたが勿論すぐにお願いした。これまでの統計から治療の効果は著しいようだ。
そう言えば、知り合いの犬(マック)が似たような状態だったことを思い出した。その後腎臓食の餌で3年ほど元気に生きて最期は老衰で死んだ。19歳だった。いずれにしてもチャッピーに残された時間はこれまでのような長い年月ではない。

チャッピーの現体重8.6キロから計算したごく僅かの粉薬と2種類の錠剤が処方された。抗生物質と心臓に負担がかからないようにという説明だったが、動揺していたので聞き逃したことがあるかもしれない。

治療とはまずは3週間薬を服用し、餌を腎臓食に変えるというもので、2種のドライと缶詰のサンプルからチャッピーの好むほうをとりよせてもらうことになった。
早速月曜日の昨日に動物病院に発注した。料金はこれまで購入していた餌の10倍もするが抵抗なく受け入れることができた。

犬を飼い始めた頃、犬にかかる医療費や高価な餌代の話を聞いて驚き、そのようにしてやらねばならないのかと悩んだものだ。
そして、そのことに悩むような飼い主に飼われているチャッピーがかわいそうに思ったものだが、それが現実になった今は一瞬の迷いもなかった。私はそのことが嬉しかった。

と同時に、アニマルライツ(動物の権利)のサイトで知った残酷極まりない苦しみを受けるために生まれてきたような、数え切れない犬や動物たちの姿が何度も脳裡を過ぎった。

チャッピーには私たちにできる精一杯のことをしてやりたいと思う。夫も神妙な顔をして頷いてくれた。勿論、チャッピーを苦しめるだけの過剰な医療ではなく、薬を飲み、餌を変えるだけで穏やかな日々を過ごせるならばそうしてやりたい。


動物病院から帰宅してすぐに薬を飲ませると、即刻その日の午後は玄関先で排尿しなくなった。そして、27日には飴色の尿になった。そういえば、この半年間は無色透明で水のような尿をしていたので、「尿はいつもこんな色だったなぁ」と思い出したほどだった。

「800ミリ以上飲むのを多飲とされている」と言われたが、私は400ミリぐらいとかなり少なく伝えていた。しかし今計量すると、やはり800ミリ強も飲んでいた。大量に飲み大量の尿を排泄していたのだ。チャッピーの体はそれほどに水分を求めていたというのだ。
脱水状態になっているようならば点滴も必要だとも言われたが、食欲がなくなったら点滴しなければいけないそうだ。

昨秋、獣医さんが言われたとおり、チャッピーが玄関先で排尿するのは老化現象ではなかったのだ!
多飲多尿になっているのに半年間も放置していたことを悔やむ。


これは昨日のチャッピーだ。その前日(26日)、1年ぶりに洗ってもらって気持ちよさそう。もっと洗ってやらなくてはね。

今朝のチャッピー.jpg

顔も真っ白になって年を取ったチャッピー。
これからも、いつも、いつまでも、このように玄関に居てほしい。特にチャッピーにはいろいろと苦労をかけてきた。チャッピーが健在なうちに真の家族平和を実現させたいとの思いが募る。
 チャッピーの後ろ姿.jpg
プカプカ浮いているのは抜け落ちる前の冬毛。
チャッピー、まだ逝かないでね。
最後の、そして、仕上げの努力を皆で始めたからね。
 

附記:カテゴリに「愛犬・チャッピー」を追加し、隙を見てこれまでの記事からチャッピー関連の内容記事や私にとってチャッピーとの印象深い記事を移行させたい。

22時45分追記:気象庁は本日午前、「近畿と東海地方で梅雨入りしたとみられる」と発表した。いつもより10日ほど早い梅雨入りである。

posted by 優子 at 13:28| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2013年05月23日

岩を打ち破って咲く花  

美濃紙業の経営改革は頓挫している。
今月14日に経理の事務員が退社することになっていたので、新たに一人雇用して早速仕事の引継ぎを始めた。ところが、その1ヶ月後に新人は突如辞めてしまったからだ。それがゴールデンウィーク前日のことだった。

膨大な数の意味不明な照合作業でマンツーマンでないとわからないし、少なくとも引継ぎに2ヶ月は要する仕事である。その時すでに事務員が退社するまで8日間しかなかった。とにかく手をつけなければ業務が立ち行かない状態になるので、知子ともう一人の社員でやることになった。

というわけで、今月から私が知子に代わってユキの見送りや参観も務めることになったのだが、アクシデントが重なった。5月8日朝早々に経理のコンピューターが壊れてしまったのである。

銀行の決済もすべてできないとあっては、即刻業務停止状態に陥ってしまうので引き継ぎ作業も中断するしかない。これが中小企業の実態であろうが、だからこそ危急に及んだときもこのようなことにならないようにと改革に着手していたのであるが。

昨年(?)に1000万円投資して新しいPCに入れ替え、すべてのPCを連動させた時に、経理にももう一台用意していたのは幸いだったが、そのPCに全て移行させて使える状態にしておく時間的余裕はとてもなかった。とにかく改革の何もかもが知子の肩にかかってしまっていたからである。

PCのことは誰もわからないし知子も何もわからないが、これもまた知子がやるしかなかったのである。経理関係の立ち上げのことか・・・知子から概要を聞く時間すらないので私には何がどうなっているのかもわかっていない。

その日は1日中受話器を持ちながら一つひとつPC操作をしていたので、帰宅が遅くなるという連絡が入ったのも夕刻7時を過ぎていた。

ある銀行の担当者は、通常ならば2週間かかるところを1日で復旧してくれた。これを機にメインバンクはそこに変えるべきだろう。どんなに助けられ力づけられたことであろう。翌日には銀行関係を完了させた。

このような連日で5月1日から昼食を取る時間もなく8〜9時間やり続け、電車に乗っている時間も惜しくて周囲をはばかることなく仕事に没頭しているという。

もう一人の経理の人も実に責任感が強い。そのことは知子が入社してから常に言っていたことであるが、このような心ある社員や銀行マンの存在はどんなにありがたいことか。苦しい状況だが周囲の人々に助けられ支えられて必死でやっている。

帰宅は連日11時前後で、私もまたずっと緊張した日々だ。先週末は風邪のようなしんどさで土・日はダウンし、昨日あたりからようやく回復してきたところである。

ユキの心もまた叫びをあげている反応を示し出したので、今週から知子はユキを見送った足で出社しているが、昨夜は帰宅してからも午前2時前まで仕事をしているので、私は知子を労うどころか憤ってしまった。

この危機を乗り切るために私自身の健康管理も真剣なだけに、いつまでも起きている知子のことが気になって眠れないのは困る。それにそこまでやるのは優先順位を間違えているのではないかなど、夜になっても神経を緩めることもできない連日にイライラが爆発してしまった。

知子はユキのために「明日(つまり今日のこと)は早く帰れるようにしたいから頑張っていた」と言うのだが、そこまでピンチならば、そういうことも伝えておくべきではないのか。
とにかく理解することができたので今朝は快く送り出した。

私とギクシャクしている時も「ユキをお願いします」と、笑顔を向けて家を出る知子はえらいと思う。
明日からは再び早朝に家を出て7時半過ぎから仕事をして早く帰るようにした。朝ママがいない寂しさもユキの了解を得てのことである。

久々に国際弁護士・佐々木満男氏の文章を読んだ。弱っていた霊性を目覚めさせてくれた。この記事は知子への励ましにもなるだろう。しかし、ずっとメールチェックもできず休日でさえブログを開く時間などあるはずもないので、先ほど読んで伝えてあげた。

佐々木氏はご自身のブログで私の記事に共感してリンクしてくださっている。これは氏の「あらゆる問題は解決できる」から抜粋させていただいたものである。苦境の中におられる方にも届けたい。
岩を砕く花

アメリカのコロラド州に春一番に咲く「サクシフラージュ」という美しい花があります。この花の根は岩の小さな裂け目に深く入ってそこに種を植え付けます。するとその種はものすごい力で生長して岩を砕いてしまうのです。こうして岩から花を咲かせます。「サクシフラージュ」は、英語では「ロック・ブレイカー」、日本語では「岩を砕く花」という意味です。

私たちは岩のような難問題に直面すると、これを解決することはとうてい不可能だと思ってしまいます。常識では確かにそうかも知れません。しかし神に不可能なことは何もありません。「サクシフラージュ」はそれを証明しています。

神は私たちを「サクシフラージュ」のようにすることがおできになります。神を信じることによって誰でも「ロック・ブレイカー」になれると、聖書の各所に書かれています。私たちは、問題によって砕かれてしまうのではなく、「ロック・ブレイカー」になって、逆に問題を砕いてしまうことができるのです。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私たち人間の考えるタイミングと、主のお考えになっているタイミングとは、往々にして一致しません。しかし、「神のなされることは皆その時にかなって美しい」(伝道の書3章11節)のです。

なぜなら、人の考えには限界がありますが、主はすべてのことをご存知の上で物事を運んでおられるからです。ですから、私たちは物事が自分の思うようにはかどらないときでも、決してあきらめないで、主の解決を信頼しつづけていけばよいのです。

私たちが主を信頼しつづけるなら、主は、ご自身の時に、ご自身の方法で、問題を解決してくださいます。主は問題を通して私たちを鍛錬してくださり、主のご計画を悟らせてくださり、ついには主のご栄光を見させてくださるのです

昨夜20分間ほど知子と話す時間があった。
職場の状況や心の触れ合いなどを聞いていると、これが主(神)のやり方だったのかもしれないと思った。改革は頓挫しているが、思いもかけない喜びを刈り取らせてくださるような希望の光をかすかに感じる。サクシフラージュの小さな蕾がついているように感じる・・・

私は自分自身に言い聞かせた。
神にギブアップした者は、どんなに苦しい状況であっても神を信頼しつづけギブアップしないことだ。そして、知子は頑張り過ぎではなく今は頑張り抜かねばならないのだと。

明日は見送り当番なので、知子の代わりに年少組のお母さんと二人で子供たちを園まで送ることになっている。

posted by 優子 at 23:16| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2013年05月16日

「とにかく前へ進もう」 ―ラガルドさんの言葉より―

「私には家族の中に、そして、若い弁護士だった頃の職場に、良いモデルとなる人たちがいた。そして、疑いの余地なく、本当に一生懸命、働いてきた。また、託児所の恩恵を受けられたことが幸運だった」。

これは、今世界で最も著名な女性リーダーの一人、IMFの専務理事クリスティーヌ・ラガルドさんの言葉だ。

今日、久々に友と4名でランチに行った。ランチなんて10ヶ月ぶりぐらいだろうか。友の一人が昨夏の頃からのIMF関係の新聞記事を切り抜いて持ってきてくださった。次女・真智子がIMF職員ということで何枚もスクラップしてくださっていたのである。感謝!

現在21時25分、「今ようやく会社を出て駅に向かって歩いている」と長女から連絡の電話が入った。連日の激務である。
長女の帰りを待ちながら、ラガルドさんの言葉を打ちたい。長女を励ましたく、いや、何よりも私自身が励まされたからだ。以下は、朝日新聞・2012年8月25日付けより抜粋したものである。

人生では、自分の侵した間違いや、つまづきから学ぶものです。そして、それを乗り越えて前進することを決意するのです。失敗は人生の一部であり、恥ずべきことは何もありません。失敗に足をとられているべきではないのです。

もし最初に目指そうと思っていた方向でうまくいかないときは、別の方向を目指せばよい。立ち直り、頑張り続ければいいのです!

私は若い時、米国に留学したが言葉がうまく通じず苦労しました。しかし、言葉も習慣も異なる環境で1年間暮らしたことで、多様な価値観や文化に触れる出発になった。そのことが人々の違いに対する寛容さや、尊敬の念を身につけるのを助けてくれたのだと思います。

(ラガルドさんは、米国への留学後にも行政学院の入試に2度失敗するという挫折を味わっている。その後、法律方面に進路を変えた。
米国系大手法律事務所パリ事務所では、「男性優位」の文化での処世術を仕込まれた。特に、「十分に考えて自分が正しいと思ったことは、決して曲げずに通す大切さを学んだ」という。)

そしていつも、周りの人々を脅かすことのないように努力してきました。周りの人に対して攻撃的になったりすると、うまくいかないものです。
そういう行動を取ると、相手は自分の身を守ろうとするし、反発してくる、ということが分かっていました。

ただ、実際には難しい時もありました。「男性優位主義」に直面することもあり、そんな時は、そういった敵意のせいで立ち止まったり落ち込んだりすべきではないので、とにかく前に進もうと考えてきました(そうやって難しい環境を生き抜いてきたのだ)

「自信」というものは非常に大事だと思います。

「弁護士出身で経済政策の決断をどう下すのか」という批判にも、「それぞれの分野に詳しい人たちのアドバイスを信頼している。私は、いい指揮者になる」と意に介さない。

そして、彼女の人生の原点ともいうべきワシントンで、いまこう思う。
「人生は変わりゆくもの。そして何事も可能なのだ」。

真の意味で楽天的な考え方と正しい意味の自信を有する人物だと思う。その人格形成の背景が興味深く知りたい。つまり両親の人物像や彼女の世界観、特に宗教観、私の関心は常に人間の本質に焦点が当てられる。

今まさにキャリアを積んでいっている次女もまた、IMF加盟国の財務省や中央銀行の人々への授業にあたり、手応えを感じて終えることができたそうだ。10日ほど前にこんなことをメールに書いていた。

「ロジックは何か、データではどうか、課題はなにか、といったことを明確におさえていけるように意識し、授業中に参加者の発言を多く取り入れるようにした。
途中、スモールグループディスカッションもして、参加者参加型で、まちにとってもとても学ぶことの多いものになったよ」。


 「とても良い授業だった」と直接伝えてくれる人もたくさんいて、とても良い反響だったようだ。その充足感は努力した者でしかわからないだろう。
それにしても高度な内容を英語で、しかも受身型の教育に慣れていた娘が、それを外人相手にその授業形式で展開させていくなんて、そんな娘の姿を私は想像することすらできない。

一方、長女の方は会社で先月末より大きなアクシデントがたびかさなり、知子もまた日々非常な努力をしている。神より与えられた頭脳と心をフルに用いての闘いの日々でもある。

いろんなところで多くの人たちが一生懸命頑張っている。この記事はその人々への励ましになるだろう。特に、生かされている喜びを知り、真摯に、且つ、自らに与えられた賜物をフルに磨いて活用している女性たちへの励ましになるだろう。

ようやく今、最寄りの駅に電車が到着した時刻だ。夫は眠ってしまったので迎えに行ってやれない。タクシーに乗ってくるように言っておいたが、帰宅は23時になる。

「疑いの余地なく、本当に一生懸命、働いてきた」。
ラガルドさんの言葉が耳に響く。
一生懸命やれる者は幸いなり!

「ママが帰ってきたら『おかえりなさい』って言うからね」と言いながら眠ったユキ。子供へのしわ寄せがこれ以上いかぬようにと思う。
私も聡明な母親でありたい。
知子を労い迎えてやろう。

この記事は「引用文」に収録しようと思ったが、知子だけではなく、まさに真智子にとっても大いなる励ましになるであろうし、私自身が再読する時に探しやすいように「真智子(ワシントン便り)」に収めた。

posted by 優子 at 22:49| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2013年05月12日

ワシントンから届いた愛

「母の日」に寄せて、ワシントンの次女夫婦から昼すぎにカードが届いていた。読みながら大粒の涙やまずここに返信を刻む。マチとフーの愛の言葉を記録させてね。
ママ、

今日は母の日だね。いつも本当にいっぱいの愛をありがとう。

ブログの言葉からも、何度も励まされているよ。ママの生き方に、ママという存在に、いつも励まされているよ。

時々会える所に住めてたらどんなにいいのかと思う。最近はメールもできてないからか、今日は寂しく思うよ。毎日お祈りしているよ。いつも真智のことを理解してくれて、支えてくれて、本当にありがとう。

遠いところになんでわざわざ住んでるのかとか思うこともあるけど、最終的には「神様がここを与えてくださったから」と思う。必ず最善に導いてくださると信じる。

真智が担当するレクチャーは月曜日が最後で、準備はひと段落したので、今日はようやく休息を取れたよ。月曜日が終われば、かなり楽になるよ。なんとかここまで来れてるのも、神様が一緒だったからだと信じるよ。

ママとまた話したいわ。また電話するね。大好きよ。

真智子
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
優子お義母さん

いつも僕たちのことを想い、祈ってくださってること、嬉しく思って感謝しています。

会社のことで大変な中、家族みんなが、優子お義母さんの愛で支えられてると思います。僕たちもとても楽しみにしている、知子お義姉さんとユキちゃんのアメリカ旅行も、お義母さんの支えがあってのことです。僕たちへの食品のお気遣いもありがとうございます。

色々あってのことでご体調もよくないとのことですが、主イエスが共に居て、支え導いてくださるよう、祈っています。ユキちゃんの参観日の様子、メメントドミニで知ることができて嬉しかったですが、同時にお義母さんの体調を思い、祈っていました。

いつも主を見上げて生きていこうとする優子お義母さんの姿には、いつも励まされています。自分もそうありたいです。

優子お義母さんが素敵な母の日を過ごせていますように。

太志

真智子と太志君へ

いつもいつもいっぱいの心をありがとう。
緊張の日々だけに嬉しくて涙が止まらなかった。倉敷へ行ったときも何度も何度も2人のことを想っていたよ。一緒だったらもっと楽しいだろうになあと。

屋根の上の犬を見たときも瞬間的にマチとフーを思い出したよ。2人とも絶対に笑うだろうなと思ってね。実際に右後ろを振り返ったらマチとフーがいるみたいで、ふたりとも声も出せないほど大笑いの静止状態だったよ。ママはいつだって、特に楽しい時はふたりのことを想わない時はないよ。

きっとブログでも笑ってくれると思って、実はワシントンに発信するために「おまけ」をつけたの(5月6日記事)。いつかまた是非一緒に行こうね。犬の置物を見にではないよ。(^0^)

このカエルはマチとフーを想って買いました。
マチとクマへ.jpg

左のは「お願いカエル」で、右は「考えるカエル」なんだけれど、いつだったかマチが電話でね、「最近は疲れているのでほとんどクマに『朝ごはん作って〜ってお願いグマを呼ぶ』」って話していたのを聞いて、その光景とピッタリ一致したの。(笑)

それでね、左のカエルはマチが「クマ、朝ごはんおねがい〜」って言っているみたいで、「いいよカエル」はなかったけれど、右のカエルはクマがチョット考えて、「う〜ん、いいよ」って言っているみたいで、二人ならきっと笑ってくれると思って買いました。
お姉ちゃんが見つけてくれたんよ。小さな小さなお土産だけれどお姉ちゃんに託すね。

私も何度も何度も2人の存在を思って励まされています。最後まで神さまと共に素直な心を失わないで誠実に生きる努力を続けるね。

2人が今度帰国した時は5月3日の記事に書いた私たちのナルニア国へ案内するね。きっとびっくりするよ。今から楽しみにしています。
マチ、フー、これからも良い日々をね。揺れるハート

追伸:
「まま いつもありがとう いつまでも げんきでね まま だいすきよ」
ユキが知子に書いた「母の日」のメッセージです。

知子は「これをそのままママに」と言って、ユキの書いたものを差し出して大笑いしていました。時間的にも精神的にも全く余裕のない日々で、知子は今も仕事をしています。そんな中にあっても今日は台所仕事を全部やってくれました。

私の生涯においても、今は「試練度ランキング」の8〜10位くらいに入ると思います。
But we have survived anyhow.


posted by 優子 at 23:01| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2013年05月11日

『おとうさんだいすき』の読み聞かせから読書会に!

昨日は社員との関係で仕事の段取りがつき、知子が欠勤することができたのでゆっくり休養することができた。私が代役を務める予定だった朝の見送り当番も知子が務め、子供たちの降園後に園で家庭訪問代わりの懇談をお願いした。

その中で、毎週週末に借りて帰る絵本を今週は『おとうさんだいすき』を選んだことを話してくださり、「数ある絵本の中からこの絵本を借りてきはってね」と仰った。父親のいないユキだけに私も書名を見て微かに緊張が走った。

それを今日の朝、知子が読み聞かせていた。私もコーヒーを飲みながら一緒に聞いていた。内容は私たちが予想していたよくあるものではなく、しかも、「え?これは何が言いたいんだろう」というような終わり方だったので知子との話に花が咲いた。

文・絵ともに司 修著の『おとうさんだいすき』は、動物たちがそれぞれ自分のお父さんの自慢話をする。ぼくのお父さんは自転車に上手に乗れる、自動車を運転する、気球で空を飛ぶ、船、飛行機と自慢するのだが、くまのお父さんは何も運転しない。くまはみんなに「ねえ、きみのおとうさんは」と聞かれてしょんぼりしてしまう。

そこでおとうさんに尋ねると「地球の運転手さ」とすまして言い、「きみも運転手だよ」と森の中へ連れて行った。その次のページには「ドカーン」と光が突入したような場面から動物たちが逃げるような絵が描いてあり、最後はそれぞれ父と子が全員集合して「おとうさんだいすき」で終わるというものだった。

私たちは何のことだかわからなくて何度も読み直し、「作者は何が言いたいんだろう」と話が盛り上がって読書会のひとときとなった。

著者は次のように解説している。
「くまのお父さんは、たぶん次のようなことを思って言ったのではないでしょうか。
私たちの住んでいる大切な地球を、破壊しないように、また戦争もなく仲よく運転する方法を考えているのだ、と。
私たちも、そのようなこと、またそのほか考えられる、地球を大事に長く運転する方法を、お子さんたちと話し合ってみませんか。いつの時代の子供たちも、しあわせな時をもてるように」。


こんな時代だからこそ作者の言葉に重みがある。
出版年度を見ると、1975年に初版が発行されて2006年には57刷を重ねる名著だった。それだけではなく、「啓林館 編集」だったので驚いた。啓林館は美濃紙業の主要のお得意先だからだ。教科書や学習参考書以外に児童書も扱っていることを知らなかった。

さて、肝心のユキの感想は、「おもしろかった。笑いたかったけれど、どこもおもしろかったからどこで笑おうかと思っていたら笑えなかった。」と言い、私と知子には解せない光(?)と動物たちの絵について尋ねると、「みんなも何かするために走って行った」と即答した。

「みんなも何かするために走って行った」とはすごい! 

私たちは「逃げていった」と思ったのに、ユキは「何かするために走っていった」と思ったのだ。
確かに作者もそのような意図を込めているようで、よく見ると動物たちの顔は驚いているのではなく微笑んでいるようにさえ見える。絵も子供たちが何度も見るに耐える良質なものだ。


ユキの感想を聞いて想起したのが、次女が5年生の時に書いた『星の王子様』の一節である。
『星の王子様』が読書会のテキストだった時、会をリードしてくださっている西口孝四郎氏(読売新聞東大阪支局長)が次女の感想をご覧になって、「ああ、ここに答えが書いてある!」と感嘆の声を挙げられたことがあった。

真智子(小5)の新聞.jpg

この時の例会でこの読書新聞を配布したのだが、ごれをご覧になった瞬間に、「ここに来るまで電車で家内と喋っていたんですが、なぜ作者は羊をかいたのか答えがわからんかったが、ここに答えが書いてある!」と褒めてくださった。  

私はそのような疑問さえ感じなかったが、次女は自らの不思議を質疑応答形式で書いていた。子どもの感性はかくも新鮮で鋭いことかと思い知らされたのであった。
これを書いた次女は経済学者になり、IMFのエコノミストとして活躍している。アメリカに住まいを移して6年。今も子どもの頃の柔らかい心を保持して真智子らしい歩みを続けている。

この絵本のストーリーや絵をどのように感じるかは自由である。今朝の読書会では、タイトルは『おとうさんだいすき』よりも『おとうさんすばらしい』の方がぴったりするというのが、知子と私の一致した思いであったが、これもまた感度の悪い大人の感想なのかも知れない。

今や本の電子化が進んでいるが、絵本は従来の本でないと読書の醍醐味を味わうことはできない。読みたいところを何度も開いて味わう楽しみは紙の本ならではのもの。児童書の世界はネットに侵食されないであろうが、それを祈るのみである。

これからユキが持ち帰ってくる絵本が楽しみだ。そして、毎週土曜日の朝は「ユキとママとおばあちゃんの読書タイム」になれば最高だ。機会を見つけて「地球を大事に長く運転する方法」をユキと話し合ってみたい。
posted by 優子 at 14:38| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2013年05月09日

ユキの保育参観と懇談会に参加して30年前にタイムスリップ

若葉の二上山.jpg
若葉の二上山(雄岳)、6月半ば頃には万緑の姿に変わる。

連日の、そして、昨夜の出来事で体調が激変して今朝は強い頭痛で目が覚めた。血圧が(168/105)にもなっていた。吐き気もあり、今日の保育参観と懇談会にはとても出席できそうになく、すぐに頓服を飲んでベッドに戻った。

知子は泣いているユキのことで心痛めながらも私の体調を心配して、「参観日に休んでいる人もいるから」と、今日はユキも休ませることにして7時前に大急ぎで家を出た。どうしても会社を休めないのだ。

私は祈り、考えた。しんどいだけならばいいが、こんなときに動いて何かあればどうしようもなくなってしまう。それも重々承知の上だ。気分はかなりよくなっていたので、ユキのために行く決心をした。しかし、家を出るときの血圧も(162/100)あった。

知子は電車から見送り当番さんに欠席の連絡メールを流したのだろう。ひと足遅くユキと2人で登園すると、仲間の人たちが「大丈夫ですか?」と優しい言葉をかけてくださり、妊婦のお母さんから「私は自動車だから帰りは一緒に乗ってくださいね」と言われて、優しさが身にしみ人間の麗しさで心癒された。

うんていもクリアーした!.jpg

上手にうんていもできるようになった。後ろ向きでもやってたね!

子供たちが歌う「こいのぼり」と「ことりのうた」は、もっともっと聞いていたかった。元気ならば感無量になっていたことであろう。
保育参観は遊戯室で年少組と合同で「親子でチャレンジ元気タイム」。動かなくてはならず全て祈りつつやった。

代理保育参観C.jpgこれは競技の実演をしているところ。

懇談会では自己紹介と今年子供にチャレンジしてほしいことを一人ずつ話した。私はこのようなことを言った。

「今日は30年前にタイムスリップしたような気持ちです。このような参観や懇談会をとおして私自身が育てられてきた子育て時代を思い出し、懐かしい人生の最良の時を再び味わっています。

子育ては親自身が育ち直す時期ですが、どのぐらい育ったのか・・・ときどき幸悠に感情的になり、その時の自己嫌悪たるやとても辛く、あとで『ユキ、ごめんね』と謝るのですが。

幸悠は1年遅れで発達してきたという感じです。
(「1年遅れで発達してきた」とは、ユキに対して誤解を生むような言い方だったかもしれない。おとなしいユキはようやく外でも自己主張ができるようになってきたことを言ったのだが、先生がうなずいておられたのは理解してくださってのことである。というのは、昨日、ユキが鼻血を出したことでお電話くださった時に話すと同じような印象を持っておられた)。

今年は自信を持たせてやりたいと思っています。
幸悠はやりたいことがあっても自ら手を挙げられないようなところがあるので、例えばひよこ組のおもちつき大会でも、「もう一回おもちつきしたい人!」と言われたとき、私は率先して「はーい!」と手を挙げて前へ出て行きましたが、それも幸悠にエンジョイしてほしいから意識的にやったことです。

今は人生(人格形成)で最も大切な時ですから、幸悠の良さを引き出してやり、自分らしく成長していってほしいです」。


参観、学級懇談会。何て懐かしい光景だろう。まさかこの年齢になってもう一度体験できるなんて思わなかった。懇談会ということだから十分想像していたし想像通りだったけれど、とても不思議な感じだった。

桜とこいのぼり.jpg

ユキの絵:「さくらがいっぱいさいて、そのよこで こいのぼりがきもちよさそうにおよいでいた」。みんなどの絵も素晴らしく、園のこいのぼりも心が和む。

園のこいのぼり.jpg
 

ユキ、今日は楽しかったよ。一生忘れないよ。
ユキ、今日は「モーツァルトの子守歌」をリクエストしてお昼寝したよ。


附記:昨夜、ここまで体調が激変したのには原因がある。それは神が私に与えられた生涯の課題によるものであり、そういうことこそ書きたいし、書いてこそ意味があり、悩む人々を慰め励ますことにもなると思うが、これがブログの限界だ。しかし改めて今、この言葉に深い意味を込めたい。

昼食後1時間寝てユキを迎えに行き、ユキの世話や洗濯物を取り入れたあと気分がましになったので、夕方にこの記事を一気呵成に書いたが、その後、起き上がることもできず今迄寝込んでいた。走り書きの記事であるが、ユキのために更新しておきたい。
posted by 優子 at 22:48| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2013年05月06日

倉敷の旅 ―大原孫三郎の生き方―

急きょゴールデンウィークの1週間程前に旅行会社に電話した。倉敷で宿を探してもらったところ、5・6日ならば一室あるとのこと。教会を休むことになるが仕事に忙殺されている日常でユキのことが気になっていた。
「ママはお仕事が忙しいし、おじいちゃんもお仕事が・・・」と幼稚園の先生に話しているのを知って心が痛み、ユキと知子のために旅に出た。

倉敷は大学時代から行きたかった所であるが、ここもまた今回が初めてである。新大阪から岡山までたった45分、そこから15分ほど在来線に乗るだけで倉敷に着いた。
大きくなったね.jpg
そう言えば、次女が神戸大学に通っていたとき、毎日倉敷から神戸まで新幹線で通学している友人がいると聞いて驚いたが、確かにこの時間ならば通学可能だ。それどころか2時間半も要した次女の方が長かったかもしれない。しかし、学割とは言え定期代は相当な額だっただろうと改めて驚く。

倉敷は江戸時代そのままの白壁の街並みが残されており実に美しい。そして、日本で初めて誕生した私立西洋近代美術館である大原美術館はあまりにも有名だ。

私は絵画がわからないので館内はほぼ素通り状態だったが、美術館とその隣りの「エル・グレコ」に入るのを楽しみにしていたのに、コーヒーを味わうどころか店の前で写真を撮るのも忘れてしまった。

時間は結構あったのに時間不足を思わせるほど楽しくて退屈しなかった。しかも美術館創建者・大原孫三郎の生涯には深い感銘を受けた。彼がクリスチャンであったのを最近知ったところだったから、現地を訪れることができて感激もひとしおである。

彼は倉紡の2代目社長であり、しかも、昨夜泊まった赤レンガに囲まれた倉敷アイビースクエアホテルが、明治時代の倉敷紡績工場を改築したものであったと知って感慨無量。倉紡記念館はみんな興味深く見学した。


思い出のスナップより:
これは5日夕方5時半頃で、あんなにいた観光客がまばらになっていた。
倉敷の街.jpg

そして翌6日、朝一番の船流しをゲット!一艘5人乗り。

倉敷の旅@.jpg

20分間ほどの短いコースだが、船頭さんのガイドつきで1人300円(5歳〜小学生未満)とは安い!みんな大満足!

倉敷の旅D.jpg

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アオサギと白鳥が一羽ずついた。つがいの相手は卵を温めているのか姿を見せないそうだ。
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倉敷の旅C.jpg

そして、この新幹線(ひかり)に乗って帰ったよ!新幹線

「ユキちゃん、旅行で一番楽しかったことは?」
「かき氷を食べれたこと!」ちっ(怒った顔)
知子がもう一度尋ねてみたところ、@(朝食の)バイキング、Aお船、Bかき氷、C新幹線だった。わーい(嬉しい顔)

束の間のリクレーションだったけれど、大原孫三郎の生き方に励まされて私たちもそれぞれの務めに励もうではないか。

孫三郎の思想は人道主義、人格主義であり、20歳(明治32年)の時に出会ったクリスチャン・石井十次との交わりが彼の思想と行動に画期的な影響を及ぼし、キリスト教社会主義、社会改良主義に移行していったという。

彼の労働理想主義は「従業員の幸福なくして事業の繁栄はなし」であり、工場内に尋常小学校を設置して従業員教育に熱意を示したとは、経営人としても時代を越えて卓越している。


附記:旅行中、留守を守ってくれていたチャッピーは哀れ、期間中餌なしだった!
昨朝、夫が12時間ごとにセットしたはずの餌の自動機が機能していなかったために、昨日の朝食のあとは夜も今朝も餌をもらえず34時間も絶食させられていた。かわいそうに、きっと夫のセットミスだと思うが・・・犬犬 

おまけ:チャッピーがこれを見たらどんな顔をするだろう。
ホテルに行く途中で見つけた屋根の上の犬、犬、犬。今は見なくなったビクターのマスコット犬だ。

屋根の上に犬犬犬.jpg

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あれは何だ?!
それを撮っている私.jpg
それを撮っている私も撮られていた。わーい(嬉しい顔)
posted by 優子 at 23:59| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2013年05月03日

2010.4 知子の足あと ―慰めのアヤメ―

近畿自然歩道@.jpg

今日の午後1時頃、知子とユキと3人でウォーキングに出た。自宅から10分ほど歩くと近畿自然歩道・「旗尾池⇔辰池」の道標があり、そこから5分も歩くと突如このような世界が現れた。自宅から僅か2000歩ほどの所である。

我が家は国定公園内とあって朝は鶯の声で目覚め、一日中鶯の声が聞こえる恵まれた環境であるが、この世界に一歩足を踏み入れると空気は一新し、森閑とした中で鶯の声がこだまし小川のせせらぎの音が聞こえていた。

まるで『ナルニヤ国物語』の4人きょうだいが、古い屋敷の空き部屋にあった衣装ダンスを開けて、別世界のナルニア国に引き込まれたような感じで、私たちは「ナルニアの森」と名づけた。
近畿自然歩道A.jpg

今日はカメラを持っていなかったので、これを今日の記事にしたくて再び夕方5時15分から知子と2人で写真を撮りに行った。ユキはまだ昼寝中だった。
実際は写真よりももっと薄暗く、行き交う人もなく、私はチャッピーを連れていても一人で歩くのは怖い。

2010年4月初め、知子はユキを寝させてこの道に入った。独りで森の奥深くに吸い込まれていくように歩いて行ったと云う。

近畿自然歩道B.jpg

その年の1月末に調停離婚が完了して2ヶ月経った頃のことである。
知子はあまりにも理不尽な悪に打ちのめされ、心はズタズタで血がしたたり落ちる瀕死の情態だった。
(神が)全てを明るみにされた前年の春は、「ユキちゃん、ママと死のうか・・・」と、運転しながら2才にならないユキに言ったこともあったそうだ。

その後、神の恩寵により信仰を強くされて、今は神の恵みの中で雄々しく歩んでいる。私は知子が完全に復活した去年あたりから、是非一度この道を知子と歩いてみたいと思っていた。

歩きながら、その時のことを話してくれた。

「あれだけいろんなことがあった時も、ここは毎日こんなに静かだったんだと不思議だった。
落ち葉や木や誰にも見られてもいないのに咲いていた花々・・・神さまが造られた自然はこのままあった。こんな静かな世界が存在していたなんて不思議でならなかった。
このままずっと戻りたくないと思った。何も苦しむこともなく静かで平和だったから・・・・」


この道を15分ほど行くと竹林があり、そこを最後に突然視界が開かれ野原に出た。
近畿自然歩道C.jpg

近畿自然歩道・竹林.jpg

※竹林の写真は5月4日10時30分追載:今朝、良輔とユキが出かけて撮ってきてくれたもの。8時48分撮影。

3年前、知子はそのあたりで年配の男の人と出会い、誰とも話したくなかったであろうが、「こんにちは」と挨拶するしかなく声をかけたようだ。

しかし、あまりにも暗く沈んだ気配を相手も感じられたのだろう。尋ねられて事情を話すと、
「僕は子供の時からそこの川に裸足で入って小魚を取ったりしてこの環境の中で育ったけど、あなたたちにとっては住宅地と異世界のこの自然が新鮮でしょう。
その住宅地からだと15分ぐらいで来れるから、今度また子供さんとおじいちゃんとおばあちゃんとみんなでお弁当を持って時々散歩に来たらいいねん」。

と優しく声をかけてくださり、アヤメを抜いて持たせてくださった。土つきなので重たくて何度も休憩しながら持って帰ってきた。

そのアヤメが今年も花を咲かせた。
2010.慰めのアヤメ.jpg
これが「2010・慰めのアヤメ」である。

知子は今、神に愛されていることを実感する者の魂の輝きと喜びにあふれて生かされている。そして、このアヤメのように人が見ようと見まいと精一杯自分の花を咲かせている。

おかげで今日は数年ぶりに11312歩、7.3km歩いた。
知子は「親孝行した」と喜んでいた!わーい(嬉しい顔)
「知ちゃん、愛してるよ!よい人生をね!!!」揺れるハート

posted by 優子 at 23:15| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2013年05月01日

「1日の苦労は1日にて足れり」。

今年はひと月早く今日から「クールビズ」が始まったというが、今日も3月並みの寒い1日だった。5月に入っても電気毛布が気持ちいいなんて、さすがに初めてだと思う。

今朝、知子は5時半に起きてユキのお弁当を作っていた。私もまたいつもより緊張感をもって過ごしている。ユキの母代理の2日目が終わった。
朝は食前の祈りだけではなく、登園する前にユキを抱きしめて祈る。しゃがんでいる私の胸に、ユキは子犬のように飛び込んできて抱きついてくる。
「ユキ、愛してるよ。大好きよ。イエスさま、今日も一日お守りください」。

「あなた(神)のむちと、あなたのつえはわたしを慰めます」。
私の信条、詩篇23篇のように生きたいと励む日々にあって、詩篇のこの一句が体内に充満しては強くされ、このような生涯を歩ませてくださっている主(イエス・キリスト)に感謝があふれる。

知子もまた主に在る希望と情熱を失わずに愛をもって励んでいる。先導する者はあとに続く者よりも何十倍も熱く燃えていなければならず、私は先導する知子の背後で祈り続けている。神よ、知子の霊肉を強めて最善に至らせてくださるように。
           
主に従って生きる者は、困難な状況になればなるほどイエス・キリストと強く結ばれ、聖霊の働きにより自分の信仰が明確になってくる。それは証し文書を書く過程で体験することと全く同じだ。

困難が立ちはだかり弱気になりそうになった時は、神さまが開いてくださった道であるのだから、必ず最後まで成し遂げさせて下さるという確信を握ることだ。
事実、相も変わらず絶望させられる状況の連続であってもなお、こうして行わせる力を与えてくださっているのである。


今は苦しい中を次々と通されているが、必ずや神さまは最善へと道を開いてくださるであろう。これまでの方針どおり社員全員が同じ意識でやれるように感化し続けることだ。そうすれば結果として社員教育にも結びつくであろう。

明日に対する不安や思い煩いを神に委ねて今日を最善に生きよう。
今、置かれている境遇を大いに活用するのだ。それはすなわち、この真っ只中で神さまに用いてもらうのだ。
困難を通り過ぎて克服した暁には本人が喜びに満たされるだけでなく、周囲の人たちにも神さまの希望と喜びをもたらし影響を与えることになるであろう。


「これは、主が設けられた日である。
 この日を楽しみ喜ぼう」。
(詩篇118篇24節)

「現在」のことを英語で " present "と言う。まさに「今日」は神さまからの贈り物だ。私たちが地上を去るときは、今の試練もまた「それらはまことに些末で、泣いたり悩んだりするに値しなかったことが、はっきりわかる」だろう。

だから悪戦苦闘できることもまた感謝なり!
そして大切なことは、
「明日のことを思いわずらうな。
 明日のことは、明日自身が思いわずらうであろう。
 一日の苦労は、その日一日だけで十分である」。


恐れずに神と共に進め!!!

附記:1週間後の参観と懇談会も見通しがつかないために、私が出席することになった。私も楽しもう!

posted by 優子 at 23:10| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする