2013年07月29日

マチとクマはミッション先の大統領に会っていた!

昨日は次女夫婦の帰国と6・7・8月生まれのお誕生会感謝ランチを楽しんだ。
いつもは食べるだけになりがちな食いしん坊の良輔・優子だが、今回は初めてというほど充実した歓談のひと時だった。

最初に次女夫婦の職務について話してもらい、日本国の財政政策とIMFの見解、また、マチ・クマの見解など私も興味深く聴いた。このような話題になるといつも、「お父さんはよくご存知だから」とクマやマチから評価される我が夫である。

ここにいくつか記録したいこともあったがメモを取っていなかったので全く書けなくて、今日は二人とも早朝から父親と出かけて不在。あとで聴き直して書こうと思うが、大統領に会っていたというのは印象的だった。

派遣先では最初に中央銀行総裁と財務大臣と会うことから始まり、場合によっては総理大臣や大統領とも会見するという。その時は「大統領が来られます」との言葉で立ち上がり大統領を迎えるそうだ。

また、日本は先進国だが女性の進出についてはまだまだで、他国の方がもっと多くの女性が高い立場で活躍しているという。そういえば、ある国の女性の中央銀行総裁とのツーショットの写真を見せてもらったこともある。


では、出張先の国のウエルカムディナーには及ばないが、ささやかな感謝ランチをここに刻みたい。

コース料理最後のデザートのプレートには、それぞれの名前入りのおめでとうプレイトを用意していただき、3名のウェイトレスさんたちがテーブルサイドで「ハピーバースデー」を歌ってお祝いしてくださった。そして、バラの花を一本ずつと写真もプレゼントしてくださった。

6月生まれのマチ:
辻湛でA.jpg  

7月生まれのユキ:
辻湛で@.jpg  辻湛でいただいた花.jpg
自分で撮影したユキのプレート。
8月生まれの太志君:
辻湛でB.jpg

このほかにかき氷もいただいて大満足のランチだった。

C辻湛で.jpg

ユキの可愛い盛りは過ぎたとは言え、髪の毛が短いのは似合わないね。プールで日焼けした顔は少年のよう。
可愛かったユキ.jpg同じレストランで2歳10ヶ月のユキ。

家族の誕生日はこれからも続く。
9月は良輔、10月は優子、11月は知子、そして、12月のイエスさまと続き、マチとクマが日本に住んでいたら7ヶ月連続でバースデーケーキをお相伴できるのに!(^0^)

posted by 優子 at 17:37| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2013年07月28日

夏に全家族が揃うのは2年ぶり

子の帰りを待つ父親.jpg 昨日の朝8時35分過ぎ、
時計を見ながら子どもの帰りを待つ父親とチャッピーと。
その後まもなく、
「真智、お帰りなさい!」
まち!おかえり!!!.jpg 

真智子が出張先のシンガポールから帰ってきた!

その12時間後、太志君(クマ)もワシントンから無事到着!
「太志君、お帰りなさい!」 
太志君!おかえり!!!.jpg

昨日は私も睡眠不足でしんどかったが、午後から真智と一緒に美容院へ行った。今回の滞在期間は10日間と短いからだ。9月初めにクマのミッションがあり、その準備に入らねばならないためだと聞き仕事の様子を想わされた。その出張先の国へは2回目の訪問になる。

クマはアフリカ局に所属し、マチは能力開発局アジア課に所属している。マチもまた12月に次の出張が予定されている。

今回はアジアの各国から1名ずつ集まった人(官僚)たちに、エコノミスト4名がそれぞれに授業とワークショップ(少人数で行う集中的なセミナー、研修会)を毎日開催した。
日本人のマチとイタリア人の男性は、「母国の財政状況が悪い国の私たちが財務政策についてレクチャーするというのもおかしいのですが」というようなユーモアを交えて始まった。

ワシントンのIMF本部で真智子の研修を受けた人が、シンガポールに真智子が来るからと同国の参加者にメッセージを託してくださったり、授業を通して体験した麗しい心のふれあいや人間愛を話してくれた。

今朝は11時前になってようやく二人が起きてきた。
今日のお昼は予約していたレストランで、再会の感謝と6・7・8月生まれのお誕生会を兼ねて楽しいひと時を過ごした。次のページで感謝なひと時を記録しておきたい。

posted by 優子 at 18:34| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2013年07月26日

マチとクマ、それぞれ日本に向かう!

真智子より 16時50分着信:
無事に任務完了しました!
今からホテルを出て、空港に向かいます!
明日の朝には日本やね。
くまももうすぐ出発やね。
長旅がんばってね。
またね〜
真智子

太志君より 21時7分着信:
良輔お義父さん、優子お義母さん、知子お義姉さん
これから日本に向けて出発します。
午後○時○○分にワシントン・ダラス空港発の○○便で、成田空港に土曜日の午後○時○○分に到着します。

真智も、もう○○の空港にいるそうです。
時差を考えると、真智が離陸して2時間後に僕が離陸する予定です。
成田空港に着いたらまずご一報差し上げます。
お会いできるのが楽しみです。またお世話になりますがどうぞよろしくお願いします。

それではまた!
太志

嬉しいメール。
楽しい時はアッという間に過ぎてしまうから、今が一番嬉しい時!

いよいよ二人が帰ってくるというのに、私は昨夜の不眠がたたって案の定体調が悪くなってしまった。知子はまだ帰宅しないが、ユキはマチとフー(くま)の帰国を楽しみに眠った。ブラームスの子守唄を聞きながら。

ユキ、明日目が覚めたらマチはもう日本にいるよ。朝6時に関空に着くよ。フーも夜に帰ってくるよ!楽しい時を過ごそうね。
世界中の空を飛んでいる飛行機が無事に目的地に着きますように。

posted by 優子 at 22:53| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2013年07月25日

コミュニケーションの難しさ

ここ数ヶ月前から眠つきが悪く、ベッドに入る前にテレビを見ながら眠くなるのを待つことが多い。今日は朝からいろんなことがあったので疲れているのに眠れそうになくて、頭は朦朧として目もショボショボさせながら24時過ぎからの『クローズアップ現代』を見ていた。

今夜は「人を動かす“共感力”」と題して共感的コミュニケーションについて紹介されていたが、ちょうど今朝のこと。21日の記事に関連して、あることで話し合っている人々の様子を傍観していて、話し合いの難しさを考えさせられていたのでコミュニケーションについて考えてみたい。

何事についても話し合う時は、まず話し合おうとする問題や事実関係について共通認識してこそ意見を交わすことができるのであるが、私たちは往々にして話し合おうとする問題を共通理解するまでの段階でうまくいかないことが多い。

事実関係については時系列かつ論理的に話さねばならないのは言うまでもないことであるが、言葉の選び方などコミュニケーション能力が問われる。

一方が相手の話を責められているように感じるとそのように反応してしまい、相手の発する一言一言を客観的に聞けなくなったり反発を覚えたりする。そのうちに他方も相手同様に陥りやすく、お互いに相手を責めたくなる気持ちが強くなって互いの関係が思わしくなくなってくる。殆どがこの構図だ。

言い方は問題と同じだけ重要で、日本人は互いに相手を気遣いすぎて率直に言えなくて問題を複雑にしてしまうことも珍しくない。
今朝の人々も互いにスッキリしない感じで終わったが、より良き方向を選び取っていける人たちのようなので、「これぞ生きることである!」と喜ばしく期待をこめて見守りたい。

私が常々心がけていることは、自他ともに客観的に物事を見る目を養うことだ。そして、周囲の人の良いところを引き出す器にならせていただきたいと願っている。

共感的理解を示し共感的コミュニケーションを図っているつもりでも、時に感情に支配されそうになり主イエスに助けていただくこともしきり。昨日も私を支えてくださっているのがよくわかった。

『クロ現』では共感的コミュニケーションが技法のように響いたが、常に主体的人生を生きることが大前提であると言いたい。円滑なコミュニケーション対応のためにも、自分の人生をしっかりと生きることに尽きる。


私は自分が不完全であるということを知っているので、他者に完全を求めたりしない。そして、話し方は死ぬまで勉強、改善あるのみで、その焦点は心を磨くことにかかっていると理解している。

さて、こんなことを書いていたらますます目が覚めてしまった。
いよいよ27日に次女夫婦が帰国するので、明日は掃除や準備で忙しくなるからと今夜のうちに書いたのだが、眠れるか心配だ。しかし、今朝の出来事のタイムリーなテーマだったのでどうしても取り上げて考えないではおられなかった。


附記:この記事の正確な更新時刻は26日午前2時。
26日朝8時12分追記:昨夜ブログを書き終わった1時間後、ついに睡眠導入剤を飲んで4時間半ほど眠れたが、今も薬が効いていて朦朧としている。
昨日に続いて今日も夏休み中の当園日のユキは、今しがた元気に登園した。左目は異常なし(昨日降園後の公園で、お友達が振り回した棒が左目に入り眼科に走る一大事が起きた)、今日もプール遊びに参加する。
大事にならなかったことを神に感謝!


posted by 優子 at 23:59| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2013年07月21日

『人生の朝の中(うち)に』

「どんなに小さい小鳥でも 神さまは育ててくださる」って、
 イエスさまのおことば。

「名前も知らない野の花も 神さまは咲かせてくださる」って、
 イエスさまのおことば。

「よい子になれない私でも 神さまは愛してくださる」って、
 イエスさまのおことば。  アーメン
 
                      (讃美歌21・60番)
 

私はこの讃美歌を歌うたびに幼子のようになっている自分に気づき、平安と意欲が充満するのを覚える。

そして今、数日前にユキのことで話してこられた方々のことを思い、養育する者の大任について黙想させられている。
あの時、会話の中で機会を見つけて私はこのようなことを話した。

「そういえば昨日(7月11日)のお昼ご飯の時だった。ユキに卵を割らせたら大失敗して見事に床に落ちて、私の目は点になった。私はユキを怒らないように数秒間葛藤した。しかし、ダメだった。

『ユキ、どうしてそんなに強く力を入れるの!
卵はボールではないよ。あっちへ行って!』
と言ってしまった。
弱い自分と必死で葛藤したあとだっただけに挫折感に苛まれた。

しかし、床の掃除を終えてテーブルについた時にユキに謝った。
『ユキちゃん、ひどいことを言ってごめんね。ユキは何も悪くない。悪いのはおばあちゃんや。ユキはわざとしたのではないのにひどいことを言ってゆるしてね』。

そして、寝る前のお祈りでも、―私たちは寝る前に神さまにお祈りしているが、この日も知子の帰宅が遅かったので、私はユキの手を握って祈った。
『神さま、ユキにひどいことをしたことをおゆるしください。ユキちゃん、ごめんなさい。』と」。


すると話しておられた方々は口をつぐんで、「おばあちゃん(私のこと)は偉いわ」と、つぶやくように小さな声で何度か言われてひどく感じ入っておられた。
この時、私の思うところのコメントは控えたが、私が言おうとしたことを羽仁もと子は見事に書いている。

「子どもをどう育ててゆこうかというよりも、自分自らどうなるべきかが問題である」。(『人生の朝の中に』)

育児は「育自」であり、子育ては自分自身が育ち直すことでもある。まず自分自身を見つめ、本気で自己を改造しようとする苦闘を避けては子どもの養育はできない。

私はこの年齢にしてこのような情けない現状だが、何度失敗しても何度も悔い改め、神のみ声を聞き入れる者でありたい。現実は情けなくてもこれこそが神に喜ばれる生き方であるのだから。


羽仁もと子は子供側にも力強い励ましを書いている。
花は花であり、実は実である。親は親であり、子は子自身である。
それゆえに肉親の親が親甲斐のない時も、それに附属したさまざまの環境のよくない時も、決して自分はよい人間、幸福な人間になれないのだと思うのは間違いである。

父なる神によって生きることを自覚して、そこに自分の生命の立場を置くものは、その兄弟たちの手でエジプトに売られて行っても(創世記37章〜50章:エジプトに売られた「ヨセフ物語」)、輝くその使命を果たすことができ、どんなに良い環境に置かれていても、父なる神を信じそれによって生きる自覚がなかったら、多くの不満をその親しき人々をはじめすべての周囲に持つことになり、それが他の生命を弱くすることになるのである。

私はその両者の極端な例を思い浮かべることができる。全ては自分自身がいかに生きるかなのだ。お互いに悔いのない人生を送りたいものである。

上記の数日前の出来事については内容よりも、話してこられた動機に大きな問題を感じている。
私は忘れないでいたい。
全てのことは愛の中でのみその働きをすることができるということを。


posted by 優子 at 22:59| 教育 | 更新情報をチェックする

2013年07月20日

神秘の塊、殻つきの蝉が歩いていた!

昨日の夕刻7時頃、ユキがママとおじいさんの帰りを待ちながら家の前で自転車に乗っていた時のこと。
「おばあちゃーん!パーキングに殻がついたままの蝉が歩いている!!これは絶対に写真撮ればいい!!!」と興奮して入ってきた。尋常でないユキの驚きに私はカメラを持って走った。

庭の水やりをしていた大ばあちゃん(ユキの曾祖母・90歳)の水がかかって、ユキはボトボトになりながら幼虫を追った。水やりを終えた義母も殻つきの幼虫を見てびっくり。

その時の義母の身のこなしかたと生き生きした表情は、全く老いを感じさせない40代の姿だった。私は足早に歩く幼虫だけではなく義母に目を見張りながら、私自身もすっかり子供に戻って歩く幼虫をビデオに撮った。

気がつくと帰宅した夫がパーキングに自動車を入れられないと窓越しに微笑んでいた。知子は駆け寄り、6歳、35歳、61歳、90歳の感動でいっぱいになった。

背中が割れて始まる羽化。何という神秘なのだろう。全てを創造された神による命の神秘に驚くばかりである。海の中も地上も生命の神秘に満ち溢れている。


これは7月17日の午後7時15分頃に見つけた羽化を終えたばかりのクマゼミだ。
2013.summerB.jpg蝉の羽化は無防備になるので鳥に狙われないように安全な夜にするそうだが、危険がいっぱいの明るいうちに済ませたことになる。

この写真をカメラ越しに見た義母も感動していた。我が子が虫を追いかけていた60〜70年近く前の故郷と重なったのだろう、「岐阜と同じや!」と喜び、自然がいっぱいの当地の環境で子供が大きくなっていくことを誉めたたえた。

1970年代に入ってから大阪市内でも蝉は珍しくなかったと思うが、私の子供時代は蝉などおらず、大阪府和泉市の祖母の家や神戸の叔母の家で夏を感じていたので、私も今、ユキと一緒に幼い時を大いに楽しんでいる。

昨日の幼虫は無事に羽化を終えて抜け殻だけが残っていた。
写真にある抜け殻は、ユキがマチとフーに見せてあげたくてそのままにしている。

2013年7月17日の朝2013,summer@.jpg
毎日のプールでお尻以外は真っ黒のユキ。
そして、今日から夏休み。元気に楽しく大きくなあれ。

附記:夫は今日、日帰りツアーで倉敷へ行っている。

posted by 優子 at 11:48| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2013年07月19日

ワシントンで故キング牧師しのぶ展示会開催中

今年は米公民権運動指導者キング牧師が率いた「ワシントン大行進」から50周年にあたり、今ワシントンでマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師しのぶ展示会「一つの人生」が開催されている。(2014年1月1日まで)

来週、マチ・クマが派遣国やワシントンからそれぞれに帰国するが、再びワシントンへ帰ったら是非展示会へ行くといい。
知子とユキが渡米したときは開催されていなかったのが残念だが、その場に立ってきただけでもよかったと、行っていない私が感激して、IMG_0159.jpg今も過去ログ「知子のワシントン便りB」を見ていた。

ユキが大きくなったらキング牧師のことを熱く話してやってほしい。
周囲には愚劣な親や大人も多いが、りっぱな人もたくさん居ることを教えてやって欲しい。私たちの教育目標は自らの行動を理解し、歩む方向を自ら決定できる人間に育てることだ。

過去ログより「私には夢がある」" I have a dream. "の最後の部分を今一度我が魂に刻む。

私には夢がある。
いつか、私の子どもたち4人が肌の色でなく中身で判断される、そんな国に住む日が必ずくる。I have a dream today!

私には夢がある。
「谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを、肉なる者は共に見る」。 (イザヤ書40章4・5節)
これが我々の希望。この信仰を抱いて私は南部に帰って行こう。

この信仰があれば、絶望の山から希望の石を切り出すことだって叶う。
この信仰があるなら、この国に溢れる騒々しい不協和音を友愛の美しいシンフォニーに変えていくことだってできる。

この信仰があるからこそ我々は共に働き、共に祈り、共に闘い、共に牢に入って共に自由のために立ち上がることができる。いつかきっと、いつかきっと自由になる日が来る、そう信じればこそ。

すべての村、すべての部落、すべての州、すべての町から自由の鐘が鳴り渡るその時、私の夢はもっと早く実現の日を迎え、ありとあらゆる神の子は黒人も白人もユダヤ教徒も非ユダヤ教徒もプロテスタントもカソリックも共に手を携えて、あのいにしえの黒人霊歌を歌うのです。

やっと自由になった!やっと自由になった!
おお、全能なる神よ、感謝します。
とうとう我々は、自由になったのだと!

            Dr.Martin Luther King Jr.

詳しくは、こちらを!
今「持続的植物状態」にあるネルソン・マンデラ元大統領(94)のことを思う。AFP通信によると、担当医らは家族に生命維持装置を停止するよう助言している。

posted by 優子 at 23:59| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2013年07月17日

年老いた芸術家たちの日々

1ヶ月ほど前から朝から2時間近くテレビを見ることがある。洗濯物を干して孫を幼稚園へ見送り、愛犬の散歩を終えたら家事は中断して、NHKで反響の大きかったものを再放送する「BSプレミアム・アーカイブス」にチャンネルを合わせる。家族や同世代の人々や神さまに後ろめたさと焦りを感じながら。

先週11日(木)は途中からだったが『ライオン 空前の王交代劇』に引き込まれた。そして、今朝の『残照 フランス 芸術家の家』は非常に心を打たれた。

そこはパリ郊外にある芸術家の老人ホームで、ある芸術家が自分の大邸宅(18世紀の貴族の別荘)を提供し、老いた芸術家たちのために使ってほしいと遺言を残した。

もっと驚いたことは、寄贈された邸宅を国が運営していることであり、フランスゆえに芸術家への尊敬の念の現れだろうか、日本では考えられないことだ。

そこに住んでいる人たちは、音楽家、画家、彫刻家・・・など、かつて栄光を経験した芸術家たちである。それぞれが老いと向き合いながら創作活動を続け、そこで織りなす人間模様、老いていく者同士のいたわりや愛をナレーションなしで描かれていた。

殆ど目が見えなくなっている88歳の彫刻家〈男性)・シュナイデールさんが、82歳のピアニスト〈女性)・マリニーさんにかけた言葉は胸を打った。
「自信を持ちすぎると演奏が冷たくなる」、「音楽に間違いなんかない」、「批判できるほど詳しくない」など、さすが生涯を芸術に捧げた人の言葉だと感じ入った。

また、ある女性は、「自分の死についてはいつだって考える。とても自然なこと、当たり前のことよ。私もいつか死ぬわ。でも、いくら年を取ってもその瞬間までわからない。」と穏やかに言った。

私は30歳代の頃から「老い」や「死」に関する読書も多く、老人と関わることが多かった。しかし、最近はそのようなテーマを避ける自分に気がついていた。

しかし、今日は避けないで最初から見ることにした。すると今までとは違う自分を感じた。見る姿勢、スタンスが違っていた。40代までとは全く違い、いや、50代の時とも違い、そう遠くない将来に私も衰えていく現実ゆえに、親の老いでもなく関わる人のことで見るのでもなく、まさに私自身のこととして見ていた。

最後の短いシーンで流れた曲はショパンだったか・・・たまらなく悲しかった。それゆえに生かされてある日々は尊く、生きるということがどういうことなのか今まで以上にわかったように思う。


60代はいよいよ自分の思想を深めて仕上げていく年代だ。しかし、幼児が一緒ではなかなか思索できるような時間が取れなくて、自分の努力不足も多分にあるものの、思索や生産的なことが何もできていないので自分自身のライフワークを諦めつつある。

振り返ってみると私自身の子育て時代でさえ娘たちが幼稚園や小学校低学年の頃は無理だった。社会的に自分の時間を取り始めたのは次女が小学校2年生の時からで、それも上に長女がいるからできたことだった。
そのことを思うと、今はもう若い時のような体力はないので両立できないのは仕方がないと思うことにした。

では、雌伏して時の至るのを待つのか。
いや、そんなことをしていたら気がついた時には墓の前になってしまう。現実の生活を感謝をもって受容しつつも、そのような時間的余裕はないと常に落ち着かなくて、ライフワークに集中できていないので常に焦燥感がある。

しかし少なくとも、このような番組ならば「朝からテレビを見て」という後ろめたさと闘う必要はないと思った。少なくとも「見る」ではなく「観る」のであり大いに意義深いことだからだ。

今日はテレビを観終わってからずっとマリニーさんの影響でベートーベンを聴いていた。みんな最期の日まで生を丁寧に生きている。遠い将来のことではない私の老い、私の死が、具体性をもってクローズアップされてきた。

この作品が放送されたのは2008年3月。再放送は7月25日(木)午前0時45分から109分間だ。
附記:この記事の正確な更新時刻は、18日午前1時半。

posted by 優子 at 23:59| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2013年07月14日

「部落解放祈りの日礼拝」で自らに問われたこと

※ 2013年4月から2014ね5月末まで西大和教会で礼拝を捧げていたが、この記事はカテゴリ「馬見労祷教会関係」に収録。

今日は日本基督教団部落解放センターが提案する「祈りの日」で、同教団の各教会では「部落解放祈りの日礼拝」をささげたことであろう。
この働きは1990年に西大和教会から始まったことを知った。しかも、1962年に同教会に着任された高見敏雄牧師(名誉牧師)を通して始められたようである。

今朝の礼拝では高見牧師がマタイによる福音書22章34節〜40節から「隣人と共に生きる」と題して、力強く養いになる説教をされた。

師はこのたびのメッセージに備えて御所(ごせ)市の水平社博物館に足を運ばれ、見てこられたことを感動をもって話してくださった。
それは、被差別部落の人たちが国内のみならず世界の近代医学発展のために大きく貢献したことだ。

『蘭学事始』を著した杉田玄白は、腑分け(人体解剖)をして内臓の説明をしたのは部落の人(90歳の老人)であり、部落の人たちの助けがなければできなかったと書いている。
被差別部落の人たちが厳しい差別の中で身につけていた優れた技術と知識が大いに役立ったのである。


謂われなき差別をなくすために、部落解放の祈りの日が定められたのは本当に素晴らしいことである。隣人の持っている問題を自分のものとして担っていく覚悟をもって、「神の友」と呼ばれる人として生きていきたいと語気を強めて説教を閉じられた。

人間の中に巣食う差別意識は人間の根源的な問題だ。
島しづ子牧師の話も強烈な印象として残っている。「ホームレスの中にも階層があり、人を馬鹿にする。テントを持っている人は豊かで、次にダンボールを持っている人、そして、何もない人である。・・」
詳しくはこちらを!

とにかく今朝教えていただいたことを無駄にしないためにも今一度自分自身と対峙したいと思う。
近代医学樹立のために貢献した部落の人たちから誰一人として恩恵を受けていない人はいない。現代もなお根深く残っている謂われなき差別を無くすためには、まず知ることから始まるのだと改めて思った。

そして、知った人は伝えなければならない。それはイエス・キリストの福音(喜びの知らせ)を伝えるのと同じである。知らされた者、知った者は使命がある。そういうことだと思う。


今朝の聖書:
さて、パリサイ人たちは、イエスがサドカイ人たちを言いこめられたと聞いて、一緒に集まった。そして彼らの中のひとりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。

イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。

この新しい週も神の恵みによって生かされますように。そして、その恵みに気づく力を与えてくださるように。


附記:上記関係過去ログ
部落解放フィールドワーク・水平社博物館見学

『に・ん・げ・ん』に掲載された「水平社の使命と今日的意味」


2013年07月13日

3時間の日本滞在で再び飛び立った真智子

アフリカから無事に帰米したクマから今朝早くメールが入っていた。
「さきほど無事に、DCの自宅に帰ってきました。・・・・
出張帰りに家に一人なのはたまにあることなので、いまはそれほど違和感がないですが、夕方には真智が帰ってくるような、そんな感覚がある気がします。

真智は飛行機に搭乗した時点でメールをくれてましたが、そのメールを僕が読めたのは着陸後なので、約20分後でした。・・・・

真智の乗ったANAの0001便は無事に運行中です。引き続き安全を祈ります。(後略)」


結婚7年目にして熱い熱い夫婦である。いや、キリストにより結ばれた愛を育み合う二人である。私はメールを読みながら涙が溢れてきた。傍にいた夫と知子にも声を出して読んでいると、声が詰まったり震えたりで恥ずかしいほどだった。

その夜、クマは真智を想いつつ眠ったことであろう。現在ワシントンは13日午前5時過ぎだ。

真智が経由地成田に到着する15時35分近くになったのでフライト情報を見ようとパソコンをつけると、すでに15時8分に真智から無事到着メールが入っていた!定刻よりも50分も早い到着だった。

メールには、日本の暑さに驚き、「日本は冷房控えめでいいね。なんで他の国はみんなこれぐらいの温度にしないんだ。」と素晴らしいコメントが書いてあった。外国に住んでいるからこそ見える率直な感想だ。

そういえば、真智たちの住まいするアパートメントの廊下も冷房で冷やしすぎとは、先月渡米した知子の弁であるが、例えばアメリカでは洗濯物も全て乾燥機で乾かすので節電の改善余地は多分にある。
しかし、アメリカは京都議定書に入らない。その理由を理解する人もいるが私は国家のエゴだと思う。

今や地球温暖化問題だけではなくエネルギー問題も・・・と書き続けていたら、スノーデン氏が暴露したアメリカ政府の情報収集にひっかっかってはいけないので話を元に戻そう。(笑)

「それにしても、ANAのビジネスクラスはすごかった。夕食の前菜(添付写真)、おいしかった!メインは鮭の西京漬けを焼いたもの。夜食は・・・・」
と、アメリカ発の飛行機でも満足できる日本食が用意されていた。

成田着陸後、ANAのビジネスラウンジで軽食をいただき、3時間の滞在で再び飛び立った。私には落ち着かない3時間だった。目的地到着は7時間後だ。

真智、では良いご講義を!
日本国にも財政政策を講義してくださいな。

「日本はいいなぁ。お店も色々あって楽しい」。

 
「搭乗しました。まもなく出発かな。今は激眠い。
 では行ってきます。
 またね〜」
飛行機

「日本で真智と皆さんと再会できるのを、とても楽しみにしています。それまであと二週間、頑張ります!」

いつもイエスさまと一緒!


posted by 優子 at 18:33| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2013年07月12日

まもなくワシントンに着陸するクマと、その30分前にワシントンを飛び立つマチ。そして、ミッションが終わればマチ・クマ共に日本に集結!

アフリカへ出張していたクマ(次女の伴侶)は2週間のミッションを終えて、今は乗り継ぎ地ロンドンに向かっている飛行機の中だ。
ワシントンに着くのは(ワシントン時間)12日午後だが、彼がワシントン・ダラス空港に着陸するその30分前に、マチは東南アジアに向かって同空港を離陸。マチもまたこれから2週間のミッションのために夫婦は1ヶ月間会えないすれ違いの生活だ。

ミッション前は日々の仕事に加えて準備で忙しく残業も多くなる。娘の主な任務は財政政策や??(忘れた)についての授業だ。

今朝届いたメールには、「これから洗濯して、荷造りです。」と書いていた。出発前夜に荷造りとは大変だ。しかし、私たちの旅行と違ってビジネスクラスだからよく眠って元気に彼の地に降り立ってほしい。
Good luck on your business!

今回の派遣国へはワシントンからの直行便がなく成田空港で乗り継ぐので少々気になってしまう。というのは、「今、マチが日本にいる」と思うと嬉しいが会えないからだ。

しかし、26日に仕事が終われば一泊しないですぐに日本へ向かってくれる。今回の帰国は滞在期間が短いので到着時間が一番早い飛行機を選んで、27日(土)早朝6時に KIX(関空)に到着する。クマもまたマチと同じ頃にワシントンを発って、マチより12時間遅れて夕刻6時頃に伊丹着の予定だ。

私は二人が帰ってくるまでに大掃除をしなくてはと、数日前から一つずつ年末にもしない掃除をしている。
私たちがミネソタへ行った時も、このたび知子とユキが行った時も大掃除をして迎えてくれたマチとクマ。私は専業主婦なのにひどいものだから。ふらふら

どうか今回も飛行機事故やあらゆる危険から守ってくださって、家族全員が元気な姿で再会できますように!

posted by 優子 at 17:42| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2013年07月11日

6歳の誕生日 ―幼稚園時代は珠玉の時―

今年は5月28日に梅雨入りし、平年よりもかなり早く7月8日に梅雨が明けた。その前日からの猛暑は太平洋高気圧にチベット高気圧が重なっての熱波らしいが、連日正午頃には室温が33度に達する。幸い風があるので扇風機さえ要らないのだが、午後の風は熱風に近く外に人影はない。

このような時にあって、集団登園メンバーには先月末に第2子を出産された方や、来月に出産を控えている方がおられる。

その方は先週4日の参観日も知子に代わって私が出席すると思って、「おかあさんは血圧が高いから」と送迎の道順を考えてくださっていた。その頃は土砂降りの雨やゲリラ豪雨の注意報が多発していたからだ。

しかし、妊娠8ヶ月以降の運転は禁物だ。仮に私が運転できたとしても通り道ならばいざ知らず、怖がりの私には来月臨月を迎える身体で複数の人の送迎はしないだろう。それゆえにその方の優しさにひどく心が揺さぶられた。

そういえば今日ユキが6歳の誕生日を迎えたということは、知子も暑い夏は大変だったのだろうと当時の気温を調べてみたところ、2007年7月はまだまだ過ごしやすい気温だった。
赤ちゃんがお腹にいると火の玉を抱えているようでそれだけでも暑い。女性にかかる負荷は大きい。その分喜びも大きいが、母子共に守られて無事安産されることを祈らずにはいられない。

幸悠は6歳になった。
ユキと一緒に暮らすようになって4年4ヶ月。幼児の可愛さもいよいよ終わりつつあり、これから少年になっていく姿を想像したり、1歳すぎから3歳くらいまでのかわいい盛りの頃を懐かしく思い出している。


幼稚園では今日から学期末の個人懇談会が始まり、知子は今日の5時過ぎに予定を組んでいただいており、毎回時間外の遅い時間に合わせてくださっている。ワシントン旅行の写真を持参すると言っていたが、先生から幼稚園でのユキの様子を伺うのが楽しみだ。

個人懇談会か・・・知子と真智子を育てていた頃のことが懐かしく思い出される。

幼稚園時代は本人以上に親のほうが思い出に残るのではないだろうか。我が子を初めて託す教育機関であり新鮮な子育て時代ゆえに、子供とともに親自身も多くのことを気づかされて育ち直していく時だ。

私は今も娘たちがお世話になった幼稚園の先生が懐かしくてならない。勇気を出して数年前に一度電話をかけたこともあるほど、お目にかかりたい子供たちの恩師のおひとりだ。
あの時、30年近く前の番号にかけて呼び出し音は鳴ったものの不在だったのでそのままになっている。

夏の初めからアブラゼミの声よりもクマゼミの声が盛んな2013年。
ユキ、6歳のお誕生日おめでとう!
幸せな生涯をね!
人は幸せに生きるために生まれてきたのだから。

ユキは今、飛行機に夢中だ。 

飛行機に夢中.jpg

右から ANAは成田空港でママに買ってもらったもの、UNITEDとJALはネットで探してもらって私たちからのプレゼント。そして左端のは1歳の時に買ってもらったANAの飛行機。

ママからのバースデープレゼントは『飛行機とパイロット』の本だった!お誕生カードのメッセージと共に。


posted by 優子 at 15:56| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2013年07月06日

感動する心を養う私の孫育て ―『ごんぎつね』に泣いたユキ―

お昼寝の時に読む2冊の本はいつもユキのリクエストで決まる。先日は『かちかち山』と『ごんぎつね』を読んだ。日本の民話は「仕返し」が多いのでおとぎ話を味わいつつも、読み終わったあとは聖書の話を用いて考え方を是正することが多い。
この3年間に『ごんぎつね』(新美南吉著)を何十回読んだことであろうか。ユキのお気に入りの一冊である。

―ダ〜〜〜ン!―
たおれながらごんは、この音、いつか聞いた音だと思いました。
―母さんと最後に別れたあのときだ―。
ごんぎつね.jpg

いつもこの最終ページにくると私は泣けて泣けてどうしようもなく、毎回読み終わると体を起こして泣いている。ユキが3歳頃まではユキが途中で眠ってしまったのも知らずに最後まで読んで泣いていた。

ユキは4歳頃になると、ごんが兵十(ひょうじゅう)と兵十のおっかあの様子をのぞき見した場面で、母を亡くしたごんが「ちょっ・・・、おっかあ・・・か。ふふんのふんだ!」と言うところを面白がった。

勿論ユキはこの時のごんの気持ちもよく理解している。しかし、「ふふんのふんだ!」という言い回しを面白がり、読み終わったあとに何度も言う幼児らしさが微笑ましい。

今回もここで一声笑ったが、今日はユキが私よりも先に泣いていた。読み終わったあともしばらく声を立てずに泣いているので慰めねばならないほどだった。

「ユキ、泣かないで。ごんは死んでしまったけれど、きっと死んだ瞬間に母さんぎつねと会ったよ。ごんも母さんぎつねも元気な姿でね。ごんは母さんに抱きついて言ったよ。

『ママー!
ママはあのあと帰ってこなかったね。ぼくはずっと待っていたのに、赤い椿の花が散ったあとも、赤とんぼの秋になっても、寒い冬になって雪が降ってきた時も帰ってこなかった。ずっとボクはひとりぼっちだったよ。』


そして、母さんぎつねは言った。

『ごんはママがいなくなってからも本当にいい子だったね。優しく一生懸命生きたね』ってね。
ゴンはもうママと離れ離れにならずにずっとずっと一緒にいるよ」。

そんなことを話していると徐々に泣きやみ、まもなくスースーと寝息をたてた。

これに端を発して私はアンデルセン童話集を読みたくなって、数少ない蔵書から何度も岩波文庫を探すのだが見つからない。
今は原書に忠実な絵本は出回っているのだろうか。
私が子育てしていた頃のアンデルセン童話の絵本といえば全てリライトされたものばかりで、アンデルセンが伝えたかった一番大事なことが削り落とされていた。

1987年秋、アンデルセン研究者の横山麗子さんから完訳の岩波文庫を薦められて早速購入して読み始めた。子供には美しい話だけを伝えるのではなく、全てあるがままの厳しい現実を伝えることが大切だからだ。

私は早速娘たちにも読んでやり、一時期自分でも読んでいた次女は感性鋭く、ますます個性的な素晴らしい文章を書くようになったので、これはきっとアンデルセンの影響に違いないと思ったことを覚えている。

ユキにもアンデルセン童話という宝物を用いて神の愛を伝え、信仰の芽を育てるためにも幼い頃から本物に触れさせたいと思う。


posted by 優子 at 20:43| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2013年07月05日

こどもを映す七夕の願いごと

娘たちが小学生時代のこと。クラスの子供たちの七夕の短冊に書かれた願い事を読んでいて仰天したことがあった。

「いい学校を卒業して、いい会社に入って金持ちになりたい」

これを書いた子供にとって、いや子供だけではなくその親にとって勉強とはなんだろうと考えさせられたものだが、孫と関わる今も、しかも、幼稚園時代からこれに通じるようなことを書いている園児がいるので今更ながら驚いた。
illust1072_thumb.gif
そういえば昨日、ユキが「小学校へ行くのは嫌、幼稚園がいい」と妙なことを言うので聞いてみると、「勉強が嫌」と言うのだ。勉強の意味も知らないはずだから問うてみると、やはり周囲の友達の受け売りだった。私も塾に通っている子供たちが「塾はいや」とたびたび耳にしているからだ。

ユキの言葉を聞いて知子は私よりも速くすかさずに言った。
「ユキちゃん、勉強ってユキちゃんが今やっていることが勉強やよ。マチとフーの居るワシントンがどこにあるか地球儀で見つけたり、フーが今行っている国も知っているし、それが勉強やよ。勉強ってすごく楽しいんやよ!」と。

近隣の子たちは幼稚園へ行く前から塾関係に通っている子も珍しくない。これではせっかくの幼稚園時代を台無しにしかねない。

もし学力向上だけに焦点を当てるのであれば子どもを潰してしまうだろうし、仮に何かのスペシャリストになったところで獲得した知識を真に生かすことはできないだろう。

ユキにはまず神による楽観的価値観を育んでやり、情緒力、即ち感動力を最優先にして育ててやりたいと思う。

そもそも人間の能力的なものは伯仲しているから、結局のところ、いかに集中できるかどうかだ。並はずれた集中力と努力こそがその道を極める人であり、天才はその最たるものであろう。
要はそれぞれの子供に与えられているキラリと光る一点を見つけてやることが親の役目だ。

昨日は一学期最後の参観日だった。久しぶりに幼稚園へ出向いた知子は異世界のようだったと何度も言った。

クラスみんなの合奏ではユキはピアニカを弾いた。母親だけではなく祖母も来ていた人もいたようで、私も何度も誘われていたのに行ってやらずに申し訳ない。

合奏のあと親子で七夕の笹飾りを作って、親子共にスイカをいただいたそうだ。知子と幸悠の心に幸せな思い出として刻まれたことだろう。

年長時の笹飾り.jpgユキは来週6歳になる。
(この写真は翌6日朝に撮ったもの。昨日帰宅した時に37.9度の熱があり、今日も上がったり下がったり。)

今年はプラスチックの笹で風情に欠けるが、飛行機がつるしてあるユニークな笹飾りだ。今年の願い事は、
「もっいかい ひこおき のれますように ゆきひさ」
字も表記法も1年前から全く進歩していない。ふらふら

では、ユキのママの幼少時代を。
1982.7.6.jpg
1982年7月6日。
知子4歳7ヶ月、真智子2歳1ヶ月。
この二日後に知子が水疱瘡になった。

ついでにユキの大好きなマチの幼少時代。
これは1年生の代表で七夕集会で祈りごとを読む真智子。「はだしの教育」に取り組んでいたので壇上も裸足だ。

1年生の七夕集会.jpg

「もっと教会へ行って、もっとイエスさまのことを知りたいです。1年1組 藤本真智子」

7月2日朝、今夏初めての蝉の声に「蝉が戻ってきた!」と声をあげたが、「いや、一匹として去年鳴いていた蝉はいない」と悲しみがこみあげた。
しかし、とにかくこれからしばらく賑やかだ。蝉が居るあいだにエンジンを全開しなければと毎年のように思う夏の到来である。


posted by 優子 at 23:59| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする