2013年09月30日

ユキは我が家の生き物係

チャッピー以外は「生き物お断り」で金魚すくいをしても金魚を持ち帰ることはなかった。しかし、私も子供の頃は何匹も金魚を飼っていたし、知子もユキの要望を叶えてやろうと8月末の自治会主催の夜店で金魚をもらってきたが、案の定その3匹の金魚は次々と死んでしまった。

そして、私がJCPの例会に出かけていた夜、近隣の保育園の夜店で6匹持ち帰ってきた。それも今では3匹になってしまった。
数日前に小さい方のデメキンも死に、今朝、「クチシロ(口だけ白い金魚)が元気ない」とユキが言っていたが、ユキを迎えに行くときに浮いていた。
死ぬ時は苦しかったんだろうか・・・と、私はしばらく見つめていた。

ユキは夏休み以来、今も継続してチャッピーの世話をしている。今では毎朝チャッピーと金魚の世話をしてから登園する。

「これは何だろう?」
初めての金魚.jpg初めて見た金魚。

金魚のエサやり@.jpg
金魚にあげる麸をおねだりするチャッピー。
金魚のエサやりB.jpg

金魚のエサやり.jpg
麦わら帽子の赤いリボンが白くなっているのは汗の結晶だ。
かわいい麦わら帽子姿も今日で、そして、今夏でおしまい。
明日から布のベレー帽に衣替えだ。

そんな夏の終わりに私は真夏の服を来てユキを迎えに行った。9月末でも日中は28度から30度あるので寒くはないが、これは34〜5歳の頃に着ていた服だ。34〜5歳頃に着ていた服A.jpgクローゼットを開くと目にとまって着てみると、まさか入ると思わなかったのに入ったものだから、お風呂場の鏡に姿を映したものを写真に撮って遊んでいた。服がはち切れそう。わーい(嬉しい顔)

私は白髪になっているのも忘れて、しばしのあいだ懐かしい日々に抱かれていたくて、現役の子育てママの気分でユキを迎えに行った。

ユキは私の後ろ姿ではわからなくて「靴を見てわかった」と言った。そして、子供たちの方を振り向くと、一斉に「あっ、ユキちゃんのおばあちゃんや!」と言われて現実に引き戻されてしまった。ふらふら

明日から10月。今夜から流し始めたクリスマスキャロルは私の娘時代からの習慣で、毎年今頃から我が家のBGMはクリスマス一色になる。
しかし3年前までとは違い、今も深刻な福島原発が脳裏から離れない。原発事故から2年半、これからどうなっていくのだろうと再びフクシマ関係の検索ばかりしている。

寒い季節に入っていくので身構えてしまうが、深い闇の中に希望の光を感じて気持ちが引き上げられる。


posted by 優子 at 22:03| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2013年09月24日

私の遠藤観 ―例会に関連して―

例会は昨日のページに記した学び(遠藤文学)のあと、それぞれが書いてきた作品の相互講評に入ったが、この日はずっと血圧の関係でしんどくてついに途中で降圧剤を飲んだ。

と言うのは、40度近くの高熱時のように顔面がカッカして、血圧が(180〜190)に上がった時の症状になって恐怖を感じたからだ。このような時は頓服として処方されている薬を飲まねばならないのだが、睡眠導入剤を服用するわけにはいかなかった。
そして、まもなく私の発表の番が来た。

私は今回初めて二作品提出した。いつも文章が書けなくて作品を提出しない時も珍しくないだけに、独りよがりな文章を書いていないか是非とも講評してもらいたかった。
共に一気呵成に書けた文章なので自分なりには良しと思えるものだったが、二作品共に両師から「よく書けている」と評価されるとは思わなかった。久々に充足感を得た。

ところで、私も遠藤文学について、「遠藤周作が世に問うたことと聖書的視点からの問題点  (『海と毒薬』、『悲しみの歌』より)」と題して論じたことがあった。

かつて所属していた「東大阪読書友の会」の関係で、大阪商業大学に事務局をおく『あしたづ』(2005年2月発行)に掲載された。原稿用紙25枚〜30枚くらいの評論だったと思う。そこからピックアップしてご紹介したい。勝呂(すぐろ)とは『海と毒薬』の主人公である。

戦後、影を潜め開業医として生きてきた勝呂は、『悲しみの歌』の最後で首を吊って自殺した。新聞記者の執拗な追跡や世間の風評が、勝呂を自殺に追い込んだというのが読書会の一致した意見のようであった。確かに世間の眼はたいへん辛かったであろうが、私はそれで自殺したとは思えないのである。

「あの事件」については戦犯として裁かれて刑罰も受けたにもかかわらず、勝呂にとっての解決、罪からの解放が無かったために自殺せざるを得なかったのだと思う。

       (略)

遠藤は、汎神的な日本でキリストの神と取り組むうちに、いつしか汎神的に反れて行ったのか、あるいはもしかして、神と出会っていなかったのかと考えたりもしている。

勝呂は最後まで罪の意識を自覚することはなかったと思うのだが、人は罪意識があろうとなかろうと、罪の解決がないと魂の平安を得ることはできない。それゆえに無意識であっても罪から逃避せざるをえなかったのであろう。

ところが、遠藤は遠藤のイエス像と思われるガストンにこんなことを言わせているのである。(過去ログ・2006年9月8日より抜粋)

遠藤が抱いていたイエス像と考えられるガストンに、
  
「・・・ほんとに、あの人、いい人でした。」
「・・・ほんとにあの人、今、天国にいますです。天国であの人のなみだ、だれかが、ふいていますです。わたくーし、そう思う。」

と語らせていることから、勝呂に対する作者の憐れみの気持ちが伝わってくる。それだけではなく、この犬の「眼」やガストンの言葉から、勝呂に魂の救い、神の救済が実現されたという解釈になる。
私が最も興味深いのはこのところである。

(追記・今月2日のペンクラブでの学びで文学者・久保田先生と意見の相違があったのは、このような箇所である。)

この件について「日本キリスト教文学会」の懇親会で自己紹介を兼ねてスピーチを求められた時、昨日のページでも名前が上がっていた遠藤研究の第一人者である笠井秋生氏から遠藤の考えを聞くことができた。(過去ログ2008年1月29日より抜粋)

あとの4作の論述テーマもご紹介し、遠藤周作の『海と毒薬』と『悲しみの歌』については、少し内容にも触れた。遠藤が主人公・勝呂を自殺させたことについてだ。

そのことについて最近次女との話題に上った時、「作者がクリスチャンだからじゃないの?」と語った次女の発言で、私には気づかなかった視点を示されたことを話した。

その時、笠井氏が、「いや、違う。あれは勝呂を救いきれなかったと遠藤自身が言っている」と発言され、「なんでですか?」と瞬間的に言葉が出ていた。

上掲通り私にとって勝呂の自殺は理解できても、ガストンの言葉がわからない。救いきれなかった勝呂が天国に入ったとするところがわからないのだ。ここは自分なりにもっと掘り下げていきたいところだけに、2004年夏のように資料を読みあさって自らの見解を導き出したいものだが・・・。

そういえば、あの時、数ヶ月で5キロも減量したほど没頭していた。毎日毎日パソコンの前に座ると食事さえ忘れて5〜6時間は座っていた。昼食が2時を過ぎていたこともたびたびで、一日中自分の時間だった。

その後、4年間ほど軽快な体重を維持していた。血圧を下げるためにも今一度燃えて減量は好ましいのだが、今では集中すること自体が血圧を上げることになるからどうしようもない。

年を取るということはこういうことだと思う。高齢になると個人差が大きいが、60代前半でこれでは情けなくてならない。

いずれにしても今後は一つひとつ手を離して失っていくことを学ぶ年齢には違いないから、失ったものを嘆くのではなく、今あるものを感謝して魂の躍動を感じつつ生きていきたい。

posted by 優子 at 23:37| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2013年09月23日

遠藤周作の文学 ―JCP関西ブロック例会より―

私たちの師のお一人である久保田暁一先生は『滋賀近代文学事典』にも名を連ねておられる作家・評論家である。21日に大津教会で持たれた日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の定例会では、今年5月に出版されたご著書・『遠藤周作の文学 その視点と道程』よりご講演くださった。

講演内容とその後の文学と信仰についての談義は、キリスト教文学や信仰について、また人生を深く考える人にとって非常に興味深い内容であるので、ノートテイクしたものをお分かちしたい。

久保田先生の講演より:
『沈黙』と『深い河』が遠藤の二大作品になると思うが、『沈黙』では隠れキリシタンに対する思いが書かれている。
遠藤は歴史に埋もれて無視されてきた弱者を蘇らせたい、キリストを信じているのに無理やりに去らねばならぬ隠れキリシタンの苦悩の心情を明らかにし復権させたいとの思いがある。

『沈黙』を経て『深い河』へ入っていく。
『深い河』はキリスト教のヨルダン川を想起するガンジス川のほとりが舞台だ。
ガンジス川はインドの人にとって何もかも呑み込んで、しかも同化しているという深い意味を持った川で、『深い河』は寄り添って生きていってくれる遠藤のイエス像を書いている。

イエスのことを「玉ねぎ」と呼ぶ表現や、西欧のキリスト教を批判し日本の汎神論的な考えも取り入れて日本に合ったキリスト教を描いているが、輪廻転生と復活については実に大きな問題だ。

遠藤は歴史小説も書いているが無神論の立場ではない。
遠藤の歴史に対する考え方は神さまへの信頼は生きているというものであり、つまり、歴史の中に神さまは生きておられるということだ。

遠藤は表面的にイエスを讃美するのではないが、イエスを愛し畏敬している人だと感じる。遠藤の描く同伴者のイエス、三浦綾子の描く贖罪のイエス、椎名麟三の描く復活のイエスと、三人の作家が僕の中で混在している。

アルベール・カミュは不条理を作ったのは神であり神に反抗するが、カミュも根本的にはキリスト者であると思う。

このあと文学と信仰についての語り合いで大田正紀先生(今春、梅花女子大学退官、名誉教授)が語られたこと:

遠藤文学は神さまを信じていない人のよりどころで評価されており、キリスト教以外から高い評価を受けてきたのも素晴らしいことだが、遠藤は神さまを信じている人に問いかけているんだということを一貫して訴えている

遠藤や有島など惹かれる作家がいるが、神さまを求めていく過程の中にあるということで僕が自分の中で戒めていることがある。

それは「おまえのキリスト教は間違っている」と裁断していくのではなく、本当に聖書が教えている神さまにどうやって近づいていけるのかと問うていく中で、それぞれの作家と直面していきたいと思う。作家それぞれの生涯でぶつかった問題、また、自分がぶつかった問題を尋ねていきたい。

日本の風土で生きている限り神を求めるのは闘いだ。作家たちは「神さま、こうされているのはなぜですか?」というのを持っていた。それが文学である。 

我々が陥りやすいのは信仰告白だけしか認めないということだが、そうではなくて神さまを問うていく中で悩んだり苦しんだりすることを認めなくてはいけないのではないか。「ヨブ記」がそれを示している。


遠藤は強い者と弱い者があって、どうして弱い者は背教者というレッテルを貼られて終わってしまうのか。そうではない。

遠藤文学が叩かれなければならない点はあるが、無理な宣教によって人々を追い詰めていったということを謝罪したバチカンと遠藤のことと重なるところがある。

遠藤文学が世界的文学と言われるのもこの点であり、それゆえにアメリカの大学が遠藤を呼んで博士号を与え、我々の宣教は間違っていたとしたのである。

遠藤が行った教会はフランスのカトリックの流れの一つであるジャンセニズムの教会で、信仰義認でありプロテスタントの考えである。
 
※ 「信仰義認」とはキリスト・イエスを信じる信仰によってのみ義とされる(救われる)意味であり、これに対してカトリックは善行によってでしか救われないという立場である。

つまり、信仰は恵みとして与えられたのであり善行によっては救われないというのであるから、信仰に揺らぎの持っている人にとっては悪魔みたいな発想に陥ってしまう。
遠藤も何か善行によって救われたいと思っていたのではないか。この点に私は疑問を持っている。

遠藤は今死のうとしている人に愛のわざを果たさないでいいのだろうかと問いかけるところに良心の心の動きを持っていた人である。

プロテスタントは神学的には信仰は恵みであるから「善行善行」と考えなくてよいと教えるので、それに居直っている人が多い。ところが、最後までそれでいいのだろうかと問いかけていった遠藤を認めてよい。

未だにカトリックでは遠藤を否定する人もおり、プロテスタントでもあまり薦めないということもある。日本キリスト教文学会の韓国の研究者も、遠藤文学は基本的な正統な信仰、教会から離れていくような危うさがあると言われた。

ロドリゴ(『沈黙』の登場人物)は決して日本を愛していなかった。誰も愛していなかった。きたない日本人、簡単に転んでいく(拷問に耐えられずに踏み絵を踏む)日本人を侮蔑していた。

文学的には反則であるが、遠藤は小説の中で誰もが読み飛ばす「あとがき」の中で、ロドリゴは日本人の妻を与えられてクリスチャンとして生きていったという人がいるのだということを出した。これを明らかにした人が笠井秋生先生(遠藤周作研究会会長)だ。

以上、聞き書きの文責はブログ著者にある。

この日、中部ブロック(名古屋)からも出席者があった。関西出身の方なので故郷へ帰ってきたようだと言われ、4時間の会合のために新幹線を利用して来られた。

来年2月の第3土曜日は名古屋で中部と関西ブロックの合同例会を検討している。厳寒の季節だが真剣に体調管理と血圧をコントロールして是非とも参加したい。

附記:次回の例会は、11月16日(土)午後1時より、日本キリスト教団・千里ニュータウン教会にて開催。テーマは「夏目漱石とキリスト教」です。
後日、日本クリスチャン・ペンクラブのHP(お気に入りリンク)にて案内掲載されますのでご覧下さい。

posted by 優子 at 18:34| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2013年09月20日

ユキの異変は沈静化、ユキが戻ってきた!

今日は7・8・9月生まれのお誕生会で誕生月の子供たちの保護者が出席した。誕生会のあとは園長(小学校校長兼務)と保護者たちの懇談会があり、その後、わが子と一緒に給食という盛りだくさんの一日で、知子も無理を押して出席した。

知子は帰宅するなり「ユキの笑顔に戻っていたから安心したわ!」と満面の笑み。先生は今日のユキの様子を次のように話してくださった。

「朝からソワソワソワソワして、ネジがはずれたみたいに喜んで喜んで・・・昨日から楽しみにしておられましたよ。今も嬉しすぎてか(2回も給食をおかわりして)食べ過ぎてはりますけど、大丈夫ですかね?」

それを聞いて私まで満面の笑みになった。ママが大好きならば心配はない。
ユキは今日、この笑顔よりももっともっと笑っていたそうだ。

お誕生日会のユキ@.jpg 

「すごい嬉しかった。すごい楽しかった!
 まさかこんなに楽しいとは思わなかったのにすごく楽しかった。
 ママがおって嬉しかった」。

先生はお誕生ブックに、「おともだちに とってもやさしい ゆきひさくん」と書いてくださっており、今日でお別れの教育実習の先生も、「これからも ともだちおもいの やさしい ゆきひさくんでいてね。」とお手紙に書いてくださっていた。ユキの特質は変わっていないのだ。

6歳のお誕生ブック.jpg

先日、担任の先生からユキの反乱のことを聞かれた園長は、「それは素晴らしい。いい子すぎたから反抗できるほど成長したということですよ」と喜ばれたという。

私も今はそのように受け止めている。
ユキの異変に翻弄されそうになっていた時、真智子や友人たちに言葉をかけていただいてから落ち着きを取り戻し、友達と遊びたいユキの気持ちを第一に努力し始めるとすぐに穏やかになってきた。

幼稚園でお友達から覚えてくる悪い言葉については、いつの時代も誰でも経験する通過儀礼のようなものであるから特に問題視していない。

そういえば、17日に知子が書いたお便り帳を読まれた先生がさっそくユキと話し合ってくださった時も、「すごく舌を巻いてはりましたよ」と笑っておられた。この日は午前中で終わり生協の共同配達時間と重なるので私が直接迎えに行ったのだが、そのうち自ら良い言葉を選び取ってくれることだろう。

ついでながら私が子供を育てていた頃、小学校高学年になっても授業中の発言で「あんなー(あのね)」と、「なー、なー」で話している子供たちに驚いたものだ。

これは子供が悪いというよりも教師と子供との関係性や指導力の問題であり、強いては社会性(自他)の問題だ。我が子のことを他人に話す時に「ちゃん」づけで話す人がいるが、これも聞き苦しく同じ問題である。

私は子供であっても小学生にもなれば時に応じて「です・ます」で話し、「お父さん、お母さん」ではなく「父、母」と言うことなど、社会性を身につけるためにも我が子には小学校に入った頃からパブリックスピーチを教えた。


今週は残暑厳しい中、一昨日は降園後に1時間半も公園で遊んでいた。この日は私の体調が悪くてしんどかったので、昨日は40分間ほど眠ってからユキを迎えに行ったところ、公園で少し遊んでからそのまま自動車に乗せてもらってお友達の家へ遊びに行くことになり、夕方5時頃に送り届けてくださった。

2時間半もあずかってくださるとあっては休憩していては申し訳ない。眠って体力もあったので1200字の文章を仕上げた。明日、大津教会で開催されるクリスチャン・ペンクラブの例会で発表するものだ。

今後は私の体調のよい時は我が家にもお友達を呼んであげたくて、おやつも常備しておかねばならないなどと知子と話していたのだが、体調の関係で予定も立てられない状況だ。
かつてに比べれば血圧はかなり安定しているのだが、やはりたびたび150くらいまで上がる。肉体だけではなく、ストレスにも強くならなくてはならないと思う今日この頃。以前はこんなではなかったのにと情けなく歯がゆくてならない。

そして、この頃しみじみ思うのは生きるとは命を削っていくことであり、命を使っていくことだと思う。だから惜しまないようにしたい。

posted by 優子 at 22:15| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2013年09月16日

ユキからの「敬老の日」のお手紙

大型台風18号の接近で昨日のお昼すぎから雨足が強くなり、夕刻から夜が明けるまで強い風雨が朝までガラス窓をたたき続けていた。外に出してあった深さ40センチのバケツにはほぼ満杯の雨水が溜まっていた。
午後から晴天になったが吹き返しの風で木々が大きく揺れている。甚大な被害が出ていなければいいが。

今日は「敬老の日」で祝日。
これは昨日の夜、寝る前にユキからもらった「敬老の日」の手紙だ。
敬老の日の手紙.jpg
「おばあちゃん 元気?
また幼稚園と思ったら敬老の日やから嬉しいね。
また遊ぼうね。ゆきより」
手作り封筒のポケットにはビーズの腕輪が入っていた。昨日、百均ショップで買ってもらったビーズで作ってくれたのだ。
ありがとう、ユキ!
お手紙を書くのが大好きなユキはお友達にもよくお手紙を書く。先週末の夕方はお友達の家に配達するというので、私もチャッピーを連れて4軒を回るコースを歩いた。犬わーい(嬉しい顔)

ところでユキ、おじいちゃんも「敬老の日」の対象者なんだけれどお手紙ないの?

また、「敬老の日」を前に幼稚園で神戸のおばあちゃんに書いたはがきのお返事が昨日の朝届いた。
叔母はユキのはがきが届いた夜に返事を書いて翌朝投函してくれた。ユキが読めるようにと全部ひらがなで書いてくれている。

003.JPG

例年、幼稚園からはがきを持ち帰って祖父母の宛先を書いたものを再び持参し、宛先の人物の似顔絵を描く。そこに先生がこどもの言葉を代筆してくださり、子供たち全員で郵便局へ出しに行った。

昨年は私たち宛にしたが、今年は神戸のおばあちゃんに書くことにした。母屋の大ばあちゃんには毎日のように会いお手紙も書いているので。

叔母は喜んでくれ、ユキの気持ちを大切に思って返事を書いてくれた。
ユキに「おばあちゃんにはお手紙をあげても全然お返事をくれないし」と言われないうちに私も書かなくては!
私はブログ上で感謝の気持ちを伝え、ユキのために成長の足跡を記録しているのだが今は理解してもらえないよね。今から書かなくてはね。(^ー^)
ユキ、ありがとう!

15時45分追記:台風一過の午後、おじいちゃんと2時間近くも散歩に連れて行ってもらって、台風で折れた木の枝を持って嬉々として帰ってきた。
「こんなにどんぐりがあったよー!」台風一過の散歩で.jpg
 

ユキの目は輝いていたけれど、ご老体で75%腎不全のチャッピーはしんどくなかったのかなあ。

17時00分追記:
思ってもいない「敬老の日」のプレゼントをいただいた!
そう、私にである!
ユキのお友達のYママが手作りのパンを「おばあちゃんに」と届けてくださったのだ。包みを開いて知子もびっくり!外で遊んでいたユキに手渡して帰られたので、すぐに知子がお礼に出かけた。

私はお礼を申し上げる前に、知子の帰りさえ待てなくて薄く切ってお腹に入れてしまった。何て美味しいんだろう。このようなパンまで自分で焼けるのならばYママ宅ではパン屋さんは不要だ。

ゆかりママからのプレゼント!.jpg
右端を食べてしまってから写真を撮った。

Yママには幼稚園児の坊やだけではなく9ヶ月の赤ちゃんがおられ、今再びツワリでしんどいのに、洋裁だけではなくパン作りまでマメでプロ級の腕前だ。
羨ましいけれど「これでいいのだ」。
私にこのような才能があったら作っては食べ、作っては食べで、自ら命を縮めることになる。(笑)

この感謝の気持ちをどのように伝えればいいだろう。手作りのものは無理だけれど何かステキな本を探そう。かつて幼稚園の先生をしておられたYママにも喜んでいただける本をプレゼントしたい。
ありがとう クマさん.pngハイエナ家族、パンは一瞬にしてなくなってしまった。


posted by 優子 at 14:07| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2013年09月15日

神さまを感じた聖日の朝

※ 2013年4月から2014ね5月末まで西大和教会で礼拝を捧げていたが、この記事はカテゴリ「馬見労祷教会関係」に収録。

クリスチャンは日曜日を「聖日(せいじつ)」と呼ぶ。「神に聖別された日」という意味だ。そんな聖日の今朝、家族皆が神の気配を感じる出来事があった。

昨日の朝、義母宅の冷蔵庫が故障しているとのことで、私は無理したくなかったが動かざるをえなくて眼科に行く前から一日中忙しくしていた。

夕方になってやっと修理屋さんに来てもらったものの修理は連休明けになるとのこと。既に14年使用していたこともあって少人数用の新しい冷蔵庫を買うことになり、商品選びと発注して翌朝の9時から12時の間に来てくださることになった。

お金や書類はすべて用意したものの義母一人では心もとない。しかし、私たちは家族そろって教会へ行きたいので、夫に「義弟さんに来てもらったら?」と言うと夫は自分が残ると言った。
「これぐらい協力してもらえばいいのに・・・」といつものように思ったが、主に在っていろいろ考えた末に夫が残ることになった。

その話が終わった瞬間だった。
電話が鳴って「あと数分で行きます」との連絡が入ったものだから夫まで目を丸くした。
神さまは家族全員を教会へ導こうとしておられるのだ。きっと私たち一人ひとりに必要なメッセージを聴かせようとしておられるんだと思った。


20分後、新しい冷蔵庫の設置が終わって配達の人を見送った時は、子供の礼拝が始まる時間になっていた。ユキは礼拝に出られなくて残念だったが隣接の「愛の園幼稚園」で、CSの子供たちとの交わりの中で1時間余り過ごすことができた。

早くもクリスマスの讃美歌練習がスタートしたようで、ユキから手渡された楽譜は私の良く知っている歌で夫の大好きな歌だった。

私は礼拝で讃美歌を歌うとこめかみの血管が破裂しそうで、特に前半の数曲は清々しく讃美することができなかったが、歌詞の一句一句が私の心を潤していった。

ユキのことについては昨日の出来事で、また、多くの人たちが祈ってくださっているおかげで、私は主(しゅ、イエス・キリスト)の平安をいただいて既に大らかに楽しく過ごしているが、いくつかのみことばを通して新しい力をいただいた。

「招詞」の一節が私を捉え我が祈りと呼応した。

「あなた(神)の救いの喜びをわたしに返し、
 自由の霊をもって、わたしを支えてください」。
          
              (詩篇51篇12節)

そして、詩篇119篇37節:
「わたしの目をほかにむけて、むなしいものを見させず、
 あなたの道をもって、わたしを生かしてください」。
 

神の援軍によって悩み込みそうになった私を立ち上がらせてくださったあとに、御言葉で主の平安と喜びで私の霊をコーティングし、私の危うい部分をも補強してくださったように感じた。


「イエスの十字架によって全て永遠の命を得ているという福音(喜びの知らせ)を信じて伝えることが私たちのミッションである」。

「私たちがさまざまなことに向き合う時にいつもイエスさまがいてくださいますように。私たちの生活にはいろんなことがあり、毎日穏やかなものではありませんが、常に私たちを支えてください」。
牧師の祈りに共感し大いに励まされた。

イエスの示される姿勢、即ち互いに愛し合って生きることが全ての人の新しい出発である。
先週おかした罪をお赦しくださり、どうか全知全能なる神が新しい週も一切のことに愛をもって関わらせてくださいますように。救いの知っている者の生き方、歩みをさせてくださいますように。
主よ、感謝します!!!

posted by 優子 at 23:59| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2013年09月14日

ユキの異変 A ―中間反抗期―

最初に先の記事で誤解が生じないように補足しておきたい。私や知子がユキを叩くのは滅多にないことである。

ユキの異変を心配して昨日のうちにメールを送ってくださった友と次女、今日はお電話をくださった方々もいて、いつものことながら本当に感謝している。どんなにリラックスさせられたことだろうか。特に体調不調な時だけに神さまを通してのサポートが身にしみる。

お電話くださった友の一人はお孫さんに同じような経験をされており、「中間反抗期」があることを教えてくださった。それだけではなく、神の不思議な計らいで同じ体験をされている方とも会わせてくださった。

今夕、知子がユキと公園へ行った時に、近隣の知子の友人が同じことで悩み尽くされていたことを知らされた。しかも、ほかにもおられたのである。
反抗期は結構長期間に及ぶが、中学生になると反抗期のなかった子供よりもしっかりしているとの希望と共に体験談を分かち合ってくださったのだ。

私は娘たちを育てる中で、ユキのような年齢でこんなに凄じい反抗を経験したことがないので、男の子の特徴かと思っていたがそうではなく、しかも次女も「そういう年齢の時の激しい感情を覚えてるよ」と書いてくれていたので私は忘れているのだろう。しかし、マチがユキのよう親に暴力を振るったことはなかった。

私は今まで反抗期は3〜4歳頃の「第1反抗期」と13〜14歳頃の「第2反抗期」だと思っていたが、6〜7歳頃に「中間反抗期」と呼ばれるものがあるのだ。

最近のユキも意に反すると喚き、ひどい時は知子(母親)を叩くのだ。この前は思いっきり叩き返してくるので夫(ユキの祖父)も必死で止めるほどだった。今のところ私への暴力は滅多になく、私には力加減をして一回程度で終わる。

この年齢の子供が激しく反発するのは批判力が出てきた証拠で、親への批判という形で現れるという。
子供は何かにつけて干渉されているように感じて感情的に反発するが、まだまだ大人は偉いという尊敬の気持ちを持っているので、その期待を裏切らないように対処し押さえつけないようにと書いてあった。


とにかくユキも「ああ言えばこう言う」で、少し前まであんなにかわいかったのにびっくりするような理屈をぶつけてくる。例えばこうだ。

ユキ:保育園へ行きたい。
   おばあちゃんはご飯作ったり、パソコンとか御用ばっかりで遊んでくれないから。


知子:保育園やったら夜7時まで我慢しないとあかんよ。

ユキ:そやけど、先生か誰かがユキのこと相手にしてくれるもん。

知子:ユキもみんなが行っている塾へ行きたかったら行かせてあげるよ。

ユキ:ユキが○○(塾)へ行ったら、そのあいだ、おばあちゃんは御用したりパソコンしたり寝たりするんや。おばあちゃんやママはユキが邪魔やから○○へ送るんやろ。ユキは遊んでほしいねん!

こうしてユキの訴えを文字に起こしているとユキの主訴がよくわかる。ユキは遊んで欲しい、遊んでくれないのが不満なのだ。
幼稚園の年長になってまで・・・という思いはあるが、今は心を満たしてやるのが最善だ。

ただし、子供の顔色を見て恐るのではなく、毅然とし、そして、ユキの気持ちを十分に理解してやろう。こんなに生意気でも、まだ6歳になったばかりだ。私たちでさえ自分の気持ちを十分に言語化するのは難しいのだから、ユキならなおのことだから。

ユキの場合、中間反抗期の背景に次のようなことも関係しているのではないかと私なりに考察している。
知子の代理で出席した学級懇談会で(5月9日の記事)、「幸悠は1年遅れで発達してきたという感じです。」と話したように、ユキはついこの前まで恥ずかしがり屋で自己主張の乏しい子だった。

知子が勤務するようになって育児を託された3歳過ぎから今まで、私には育てやすい子だった。しかし、おとなしいだけではなく自己抑制できる子だったから、降園時の迎えの時にグズって泣いている子を見ると「子供らしいなあ」と羨ましく見ることがよくあった。

とはいうものの、知子や真智子は幼稚園に入ってからそんなことはなかったので、おとなしいユキゆえに周囲の子供の姿をうらやましく思ったのだろう。

そんなユキが4月からその殻を脱皮した。
まるでこれまでのプロセスを一気に通過しているかのようで、その著しい成長の速度に心がついていけないのではないかと思うほどだ。
異変から1ヶ月、とにかく言葉や力で押さえつけないようにと知子にも話していたところである。

精神的に疲れた時は普通の祖母のように責任のない優しいおばあちゃんでいたいと思うことがある。しかし今再び、知子と共に子育ての大任を担い、子育てでしか経験できないことを学ぼうと思う。謙虚にさせられて神に祈りつつの歩みである。

ある友より:
なかなか元気で頼もしいではないですか。大きく大きく包んであげたらと思います。

ユキくんが成人するまでは優子さんには使命が与えられています。神様からの使命です。楽しく美しく貴重な使命です。

主が成し遂げさせてくださいます。肩の力を抜きつつ、気を張りつつ、バランスを上手に保って、気を長くしてお励みください。
感謝!
真智子より:
ゆきちゃんのこと、保護者としては大変だと思うけど、心配しすぎないほうがいいよ。そういう年齢の時の激しい感情を覚えてるよ。

怒ってる理由はあるんだけど、それにまつわる感情が複雑になって来るんだと思う。だから深く怒ったり、怒りを伝えきれてないというか。でも、同時にどう終わるかも分かってないような。

ママとのやり取りも覚えてるよ。
泣き叫び続けてる時の記憶とか。泣き叫んでると、その内すっきりしてきてるんだけど、泣き止んだと思われるのが嫌で泣き続けたりとか。

でも、そういう繰り返しで、「壊れない」感覚がはぐくまれた気がする。自分を全部出してもママも本気で向き合ってくれて壊れない関係。安心につながったよ。ママ、ありがとうね。

しかも、ママは早速反省を行動に移してるんやし、ゆきちゃんは手ごたえを感じてるんじゃない?
そういう、コミュニケーションの手ごたえってかけがえがないような気がする。がんばれ!

真智子

真智へ:ありがとう!
その時の子供の気持ちが書いてあるので、同じことで悩んでいる人の参考にもなると思って詳しく載せさせてもらいました。無断でごめんね。
ユキも真智のようにしっかり生きていける大人になりますように!かわいい

メールや電話をしてくださった友、祈ってくださっている友に感謝!
神の援軍により信仰を奮い立たせることができた。
キリストの愛と赦しにより忍耐してユキに関わっていきたい。


「子供を怒らせてはなりません。
主がしつけ諭されるように、育てなさい」。

            (聖書:エペソ人への手紙 6章4節)

色水作り.jpg
今日のユキ。
ヨウシュ(洋種)ヤマゴボウの実で色水を作っている。

今日は公園でお友達と薄暗くなるまで遊んで満足して帰ってきた。
初秋のバッタ.jpg
バッタの美しい色に見入ってしまう。


附記:昨朝から左の眼球に痛みがあり今朝は少々吐き気もあったので、血圧が高いだけに放ってはおけず今朝眼科を受診した。幸い眼圧も正常で傷もなく「疲れからでしょう」ということで安堵したのだが、休養が必要と言われた。

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2013年09月13日

ユキの異変 @

8月28日記事の冒頭に記したユキの変化は一過性ではなく、今も心配な中にある。
2学期が始まりかなり沈静化したのだが、一昨日の夜も大騒動だった。網戸なので近隣にも丸聞こえで、まるで虐待しているような、あるいは、子供の家庭内暴力かと思われるような騒ぎだった。

わかりやすく描写することは難しいし、今は表現できたとしても書けない。問題の渦中にあるときはそういうものだ。この年代の子供のことやユキのことをよく知っておられる先生にも理解してもらえないだろう。それほどの異変である。

今までならば反論するときも、「ユキちゃんも悪いけど」という言葉を何度も何度も言いながら話していたユキなのに、素直さは全くなく、ふてくされ、すごい目つきで喚く。6歳になって間もない子供とは思えない反抗だ。

「おじいちゃんは遊んでくれるけど、おばあちゃんとママは遊んでくれない。おばあちゃんはパソコンや本を読んだり寝たりして遊んでくれない」。

「おばあちゃんとママは神さまを信じているのに叩く。マチは叩かない。おじいちゃんは神さまを信じていないし、生まれたままや」。

「こんな家 いやや!
おばあちゃんはおばあちゃんのおなかから生まれてきたママを叩くからママもユキちゃんを叩くんや。ユキは悪いところに生まれてきた」。


何かきっかけがあったわけではない。敢えて言えば、今夏の異常な猛暑で外で遊ぶ時間が少なくてエネルギーを発散できなかったことが関係するのだろうか。2学期から降園時はみんなが帰るまで遊ばせることにした。

お友達のお母さんが、「ユキちゃんはあとで送っていきますから家で休んでいてください」と声をかけてくださり、知子にも私のことを心配して言ってくださっており、良い人間環境の中で私の心も育ち続ける喜びも感じている。

私はその申し出をありがたく感謝し、「今は幸悠が注意信号を出していますので私も一緒に居ようと思います。おばあちゃんも楽しんでいるよと感じてもらいたくて」と伝えた。今しか味わえない時を大切にするために今まで以上に時間を孫に捧げようと考えてのことである。

子供の行動は「ある日突然」に現れるが、それは今までの積み重ねがあってのことだ。私は子育て中に学んだことを総出力して関わりつつ、まずはユキと一番関わっている私自身と知子が自分自身を省みている。
今後はどんなことがあっても手を上げることはしまいと決心した。


昨日はお友達の家へも遊びに行った。一人でお邪魔するのは初めてと言っていいだろう。私も変わらなくてはとの思いからだが、ユキは大いに楽しんだだけではなく早速貴重なことを感じたようだ。

お母さんが小学生の子供に「宿題してきなさい!」と言ったが子供は応じない。その後も何度か言ったが行かないので、強い口調で「怒られるで!」と言われてようやく嫌々応じたという。その様子をお風呂に入りながら知子に話していた。

こんな何でもない日常の光景を見せてもらったこともユキには貴重な体験だった。どのお母さんも子供に注意するし、子供は最近のユキのような反抗をしないで親の言いつけに従うことを新発見したかのようだった。

ユキはこの4月から非常に闊達になった。
「かくれんぼする人、この指とまれ!」と人並みに言えるようにもなり、お友達と楽しそうに遊んでいる。そんなユキを見るのは幸せだ。そのことをユキに話すと、「おばあちゃん、ユキが楽しそうに遊んでいるのを見るのは幸せ?」と嬉しそうに聞いてきた。

私は幼い子(お友達の弟)の手を引きながら「ユキも危ない時はT君の手を引いてやってね」と言うと、翌日からT君に関わっていた。そして昨日は、「おばあちゃん、T君を起こしてあげたの見てた?」と嬉しそうに聞いてきた。

これはとても嬉しいことなのに素直に受け取れず、ユキは私に気に入られようとしているのだろうか・・・と思うほど悩んでいる。しかし、悩み過ぎてはいけない。

自己弁明になるがパソコンを開くのは非常に少なくなっている。関心や意欲がないのだ。
と言うのは、身近にいる夫や長女に疑惑を感じさせることもあるほど記憶力に欠けるので、実は11日に認知症の心配でホームドクターの医院へ行ってきたほどだ。

昨日のことか今日のことかわからなかったり、最近は今やったことかどうかもわからないことが目立つ。ごくふつうの決まり文句(日常語)がわからないこともしばしばで、論理的に話せない。すぐにボヤーっとしてしまうというか、気がつけばボヤーっとしている。

今はアルツハイマーも早期に発見すれば進行を遅らせることができるというので、さすがに放置していてはいけないと思って行ったのだが、医師はアルツハイマーよりも降圧剤を飲み続けているとボケることも珍しくないのでと検査を勧めた。そのことは私も知っている。

そして、認知症の問診を受けた。
問診中に「ここはどこですか?」と聞かれた時は、さすがに耐えられず「見当識まではおかされていません」と言ってしまった。自分でお願いしながらの無礼を詫びた。

さすがに30点満点中30点だったが、25点でも疑いがあるという。医師は心配ないと言われたが、「初期症状はこんなものではわからないのでは」と言うと、「わかったところで生活習慣病の心がけと同じだから」とのことで、それでもというならば脳ドックを勧められた。今はそこまでする気持ちはない。

しかし、ユキが高校に入るまでは知子を助けてやりたいと思う。肉体の病気も然ることながら精神寿命も含めて真剣に健康管理をせねばならないと自覚したが、そのような心配で前記事の最後に「健在でオリンピックの開幕式を見たい」と書いたのであった。

そして昨日はこんな頼りない私が90歳の義母のことで近隣の福祉施設へ行った。職員の中で民生委員をしていた頃の私を覚えてくださっている方が何人かおられて嬉しかった。

元気な義母とは言えさすがに高齢なので時々ぼんやりしたことを言う。しかし、達者だから要介護認定はされていないためデイサービスではなく、一般高齢者向けの認知症発症や進行を予防するためのクラブに週1回通うことになった。

そういえば7月に再び民生委員になってほしいと訪ねてこられて困ったが、こんなことでは私自身がお世話になる立場になりかねない。あの時はユキの世話があるので定例会や諸会合にさえ出られないのでお断りしたが、若年認知症にならないように本気になって生活改善し、出不精の性格も改善しなければならないと思う。

今はユキのことが目下の重大事である。
「主よ、私に忍耐と愛をください」と今日も真剣に祈ってから迎えに行こう。主の平安をいただいてストレスにならないように。体力的にも無理しているので血圧が上がっている。

附記:
数日前に神戸の叔母が『メメントドミニ』を初めて見て、8月31日の記事「ランドセルの思い出ふたたび」を読んだという。何度も謝ってくれる叔母に申し訳なくてならなかった。
私たちは叔母の優しさをどんなに嬉しく感謝しているか。
ユキのことをこんなに想ってくれる叔母の存在はとてつもなく大きい。

posted by 優子 at 12:37| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2013年09月09日

2020年五輪開催は日本第2の復興の時

7日(土)夜10時半、2020年夏季五輪の開催都市を決める日本の最終プレゼンテーションが始まった。
私は英語弁論大会に出ている我が子を見ているような緊張感で見ていた。イスタンブールとマドリードのプレゼンは見なかったが手応えを感じた。

何よりも参加者の心が一つになっているのがよくわかった。みんな日本を愛し、日本を誇りとしているその心が一つになっていた。
チームで一つのことを成し遂げた喜びを味わうのは人生の宝だ。しかも日本中の人々が、そして、世界の人々が注目する場で経験できるのは何て幸運だろう。

政治家たちも東電もこの心でフクシマの旗振りをしてほしい。
問題が厳しければ厳しいほどに敵対関係になっている暇はない。共に愛する日本国のためではないか。悲しみも喜びも共にして努力できたらどんなに素晴らしいことだろう。これを機に一人ひとりが新たなる歩みを始めよう。

7日夜、長女は夜中に目が覚めて再びテレビの前へ行き結果発表まで起きていた。毎朝早朝に目覚める夫は、毎晩つけっぱなしのラジオで日本に決まったことをタイムリーに知った。
私は目覚めた瞬間(5時40分)に夫が速報してくれ、「起こしたら怒ると思って」と付け加えた。(^ー^)

1964年の東京オリンピック開会式を想う。
あの時、まさに日本は敗戦後の焼け野原から戦後復興を遂げた時である。それを成し遂げてくれた働き手の人々はどのような思いであったのだろう、父と母はどんな気持ちで見ていたのだろうと思いを馳せた。戦後19年、私は13歳だった。

余談になるが、第2次世界大戦で日本が投入した戦費は、現在の金にして4000兆円という想像を絶する額であり、それは国家予算の70倍を超えていたという。この無謀さ!その殆どが日銀の国債引き受けで賄われた。

ついでながら、その後、準ハイパーインフレになったために実質価値は大幅に減額され、結果的には国民の資産を全て犠牲にして帳尻があったというのだから絶句する。


母はよく「日本は(アメリカに)物量で負けた」と言っていたが、今更ながら実態を話してやりたい思いだ。しかも、4000兆円の金よりも計り知れない尊い人命が天文学的数字なほどに失われたのである。


東京五輪の時、戦争のことも戦後の大変さも何も知らなかった私でも、あの時の開幕式はオリンピックマーチの強烈な印象とともに残っている。2020年の五輪でも古関 裕而さん(こせき ゆうじ・1989年没)の マーチが聞きたい。

嬉しいことに多くの人が私と同じ思いをしており、驚くのは現在10代の人たちからも多数の声が上がっていることだ。日本の歩みを後世に伝えるためにも開会式を演出する人に是非とも採用してもらいたいものだ。

東日本大震災で被災された人々は、「東京に決まったのは嬉しいが、私たちは今日のことで精いっぱいだ」、「私たちのことも忘れないでほしい」と語った。私たちはこの言葉を中核に据えて2020年に向かって歩み始めよう。

2020年五輪開催は日本の第2の復興の時。
7年後には被災地の修復がなされていることを胸に、今より希望をもって歩み始めよう。
「希望は幸せよりも大切なもの」。
古関裕而さんの音楽(1964東京オリンピックマーチはここをクリック!)はその願いを反響させ元気づけてくれる。


2020年、ユキはあの時の私と同じ13歳だ。
そして、私は68歳で夫は75歳になっている。私たち夫婦も健在でオリンピックの開幕式を見たい。

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2013年09月06日

シリア情勢に思う国家と人間 

シリアの首都ダマスカス近郊でサリンが使われたと報じられて以来、世界の動きから目を離せない。

オバマ大統領は主張する。
「化学兵器の使用を “越えてはならない一線”としたのは私ではなく世界だ。『化学兵器禁止条約』の批准によって私の信用ではなく、国際社会やアメリカ議会の信用がかかっている。
(米国が何もしなければ)独裁的な政権による化学兵器使用を容認することになりかねない。」
と。

ケリー国務長官は、「独裁者が大量破壊兵器を使ったことに目をつぶれば、歴史がわれわれに非常に厳しい評価を下すだろう」と訴えた。

その直後にオバマ氏が軍事行動は議会の承認を得てからとした。「オバマは土壇場になって『変身した』」、「時間かせぎだ」とメディアは言うが、私はとにかく武力行使が遅延したことを喜び、武力ではない道が開かれることを祈りつつある。

ロシアにとってシリアは友好国であり主要な武器輸出先だ。
ということは、シリアはロシア製の高性能の「地対空ミサイル」を大量に保有しているわけで、それゆえにアメリカ支持国は地中海上にミサイル駆逐艦を配備し、そこから誘導ミサイルで攻撃しようとしているのだが、それでさえ迎撃される危険があるという。

アメリカが軍事行動をとればプーチンも黙ってはいない。そうなった時、アメリカやアメリカを支持する国々は手を引くことができるのだろうか。攻撃は数日間では終わらず第2のベトナム戦争、いや、第2がイラクならば第3の地獄を見ることになるだろう。

「国際社会やアメリカ議会の信用がかかっている」、「歴史がわれわれに非常に厳しい評価を下すだろう」と言うが、信用や評価のためではなくシリアの人々のためにどうするかだ。

「越えてはならない一線」を超えたシリアを放置しておくことはできない。しかし、軍事行動も悲惨さを増すことでしかなく、「ノーベル平和賞」受賞者でもあるオバマ氏は今こそ勇気をもって賢い選択をすべきであると思うのだが、これは愚者の弄する理想論なのだろうか。

私にはオバマ氏やケリー氏の言い分は、かつてアメリカが「戦争を早く終わらせるために原爆を投下した」と言ったのと同じに聞こえるのだ。

先月末の米国務省の定例記者会見で、ロイター通信の記者が軍事介入の正当性について鋭く突いた。
「米国が核兵器を使用し、広島、長崎で大量の市民を無差別に殺害したことは、あなたの言う同じ国際法への違反だったのか」。
これに対してハーフ氏はコメントを避けた。

複雑な内情を抱えるシリアへの立場は、各国の思惑だけではなく国家主権者自身の自己顕示も働くのだろうか、シリアの混迷は深まるばかりだ。
人間はいつになったら血を流すことに嫌悪するのだろうか。いつになったら歴史に学ぶことができるのだろうか。私は国家と個人のエゴ、人間の実相について考え続けている。

アメリカの同盟国である日本はアメリカと複雑な利害関係にある。しかし、第一のことを第一にして考えねばならない。

また2020年のオリンピック招致も大事だろうが、今はフクシマに心血を注ぐべき時だ。福島第一原発の汚染水の現状は今でさえどうしようもない状況になっているのに、今後ますますとんでもないことになっていくと思えてならない。

東日本大震災から2年半、今からでも神の前に悔い改めて事に当たるべきだ。そうしてこそ危険な現場で動いてくださっている人々の労苦も報われるというものだ。

シリア問題も自国のことも結局は同じ問題だ。
即ち、第一のことを第一にできるかどうかということだ。私の人生においては、重要な局面においてほどこの理念を堅持することを最優先にしている。


国連本部前の「イザヤの壁」に刻まれているイザヤ書2章4節:
「彼(神)はもろもろの国のあいだにさばきを行い、
多くの民のために仲裁に立たれる。
こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、鋤(すき)とし、
その槍を打ちかえて、鎌とし、
国は国にむかって、つるぎをあげず、
彼らはもはや戦いのことを学ばない
。」

「これは日本国憲法9条と同じ戦争放棄の立場であり、キリスト者が、また、教会が憲法を考えることは必要である」。


posted by 優子 at 23:14| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2013年09月02日

新島襄 ―神の見えざる手(Unseen Hand of God)に導かれて―

幼稚園児の孫がいると夜8時頃はとてもテレビを観る状況ではなく、今期のNHK大河ドラマ・『八重の桜』も見ないまま過ごしていた。ところが、帰国中のマチ・クマとたまたま8月4日(日)に観たのがきっかけになって、以来家族で見るようになった。

その後、夕刻6時からBS3で放送されているのを見つけ、子供の教育上悪いながら夕食中に観ている。昨日の内容は新島襄が八重にプロポーズしたところだった。

熱烈な愛国の情熱に駆られて国禁を犯して脱国した新島襄。その生涯は、まさに神の見えざる御手に導かれてのプロビデンス(摂理)であった。

吉田松陰が下田から蜜出国を図って失敗したのは、新島襄が函館から脱国する10年前のことであった。

函館からベルリン号に乗り込んで脱国した新島は、船長・W.T.セイヴォリーの計らいで乗船できたが、そのことが明らかになってセイヴォリーは船長を解雇された。

ベルリン号は日本と上海との往復便だったため、上海でワイルド・ローヴァー号に乗り換えた。そのテイラー船長は、新島の名前が呼びにくいために「ジョウ」(Joe)と呼んで愛してくれた。
そして、1年余りかけてボストン港に到着したのが1865年8月で、その10年後に同志社創設を見ることになる。

セイヴォリー、テーラーなど良き人々との出会い。そして着米後、新島の運命を開花させていくためにワイルド・ローヴァー号の持ち主ハーディとの出会いへと導かれていくのである。

敬虔なクリスチャンであったハーディは新島の保護者となり、新島を「ジョウ」ではなく「ジョセフ」(Joseph)と呼び高等教育を受けさせた。
最初にフィリップス中学校で英語の基礎を学び、その後、デービスが理事をしているアーモスト大学(シーリー総長より薫陶を受ける)、アンドヴァー神学校で神学を修めた。帰国するとき新島は「ジョセフ・ハーディー・ニイシマ」と改称した。

日本国が新日本建設のために有力な大勢の官吏を欧米へ派遣した時、新島は岩倉具視一行の文部省当局者・田中不二麿の官吏グループの通訳として抜擢された。

この時すでに在米7年で英語に精通していたこともあるが、新島襄は政府の留学生ではなく国禁を犯して蜜出国した者である。
その時、森有礼(キリスト教に強い関心を持っていた初代文部大臣。息子は牧師、孫がプロテスタントの哲学者・森有正)の特別な依頼を受けて通訳者に抜擢された。

これら一切の出来事に神の摂理が働いていた。
通訳者に抜擢されたことで不二麿との深い交わりを得、そのことにより木戸孝允とも知遇を得て同志社創設につながっていくのである。

国禁を犯して脱国した者が、よりによって尊王攘夷の中心地に、こともあろうに日本国が厳禁していたキリスト教主義の学校を創設できたことは、まことにまことに神の摂理であった。

新島襄は述べている。
「私の一生はアンシーン・ハンド(Unseen Hand・神の見えざる御手)に導かれて今に至っている。今後も私はこのアンシーン・ハンドの導くがままに行くべきところに行くのである」。

明治23年に同志社普通学校を卒業し、後年、同校の教頭になった波多野培根は次のように書き残している。

「『彼は其往く所を知らずして出ていけど』(ヘブル書11章8節)、不思議なる「見えざる手(アンシーン・ハンド)」が彼を導きて目的の地カナンに至らしむる。
自己の意識せるよりも意義の深遠なる大事業を為し、不朽の感化を後世に垂れるのは此種の人である」。


また、新島襄から洗礼を受けた安部磯雄は襄の人物を次のように描写している。

「先生の平等主義は頗る極端であって、或時の如きは、『今後自分を先生と呼ばずに、単に新島さんと呼んで下さい』と懇願されたけれども、これだけは学生が承知しなかった」。
                     (『新島先生記念集』より)
八重との関連では、過去ログの 
「『ハンサム・ウーマン』として生きた新島襄の妻・八重」
に、新島襄夫妻と触れ合った生徒の貴重なエピソードを昨年の同窓会報より引用紹介させていただいている。

「八重さんと新島先生の性格が対照的で、会津出身の気丈な八重さんに対し、先生は非常にお優しく、周囲に対して大変な気配りの方であったこと、・・・『八重さん、八重さん』と言っておられ、周囲はその様子を見て仰天していたことなどです」。

次週の予告で襄と八重の結婚式の場面が映っていたが、2人の結婚式が京都で初めてのキリスト教式の結婚式だった。八重は結婚式の前日に洗礼を受け、京都で初めての受洗者となった。
どのように描かれるのか次週が楽しみである。

附記:
新島襄.jpg 

左の本は同志社女子中学校入学時の必読書。
岡本清一著、1952年7月、同志社大学出版部発行、全211ページ。

『新島先生記念集』は、永眠50年を記念して昭和15(1940)年に同志社校友会から刊行された。これは第3版・昭和40(1965)年発行、全294ページ。兄が手放したのでもらった。

右は同志社同窓会報の特集号・『同志社創立百周年記念誌』で、100周年にあたる1975年の翌年に発行されたものである。


posted by 優子 at 10:50| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2013年09月01日

「ラガルドさんが真智のオフィス訪問!」と「ワシントンの教会で盆踊り」

まずは真智の故郷便りから(笑)。
今日は昼食に続いて夫(真智の父)の68歳の誕生日のお祝いケーキタイムになった。バースデーケーキは知子から。ケーキには知子とユキからのメッセージ、「おじいちゃん 大すきよ!」と書いてあった。
バースデー68歳の.jpg

ユキからは手作りのバースデーカードをプレゼントした。
おじいちゃんと今朝の散歩で拾った青いドングリと赤くなりかけた木の実で飛行機の胴体を形作り、葉っぱの羽の先には点灯する電気もついている。

ハピーバースデーを歌ったあとユキがロウソクを消したので誰のお誕生日かわからない。今日の夫の顔も載せたかったが、毎度お馴染み夏の制服(ランニング)姿なので登場するのは遠慮してもらった。わーい(嬉しい顔)

知子がケーキを切り分け終わる前に食べ終わった夫。続いて私。アッという間にケーキは影も形もなくなってしまうハイエナのような家族である。わーい(嬉しい顔)

真智からもタイムリーにバースデーカードが届いた。
「今日は日曜日だから、ママに転送してみようと思うよ。よろしくね。Happy Birthday to Papa!」と。
早速夫に伝えるとすぐに読んでいた。ここに一部を記録しておこう。

パパ、お誕生日おめでとう!

この夏は短い滞在だったけど、濃厚な時間が過ごせて本当に嬉しかったよ。本当にありがとう!2人で食後のコーヒー行けたのも楽しかったね。邪魔じゃなかったら、また行きたいな。

常にビジョンを持って働いているパパを尊敬しているよ。逆境やストレスにも負けず、逃げず、前を見て進む。生きていく上ですごく大事なことだと思う。まちも、挑戦し続けていきたいと思うよ。
                (略)
この一年も、パパにとって実り多い幸せな一年になりますように!
パパ、大好きよ!

真智子

クマもメッセージを寄せてくれている。
「僕は明後日にリベリアに出張ですが、お義父さんに胸の張れるような仕事ができるように、頑張ってきます。 お義父さんのこれからの一年が素敵なものでありますように」。

数日前の真智のメールには、「そういえば、今日はラガルドさんと会ったよ!」と書いてあった。
ラガルドさんはスタッフの仕事をもっと知り、スタッフと触れ合う機会を持つために各局を訪問されていて、真智の所属する能力開発局にも来られたというわけだ。

局内の各課を回り、真智のオフィスにも入って来られた。知子とユキも案内してもらった真智の部屋に!
IMG_0140.jpg

そこで握手を交わして挨拶し、所属する局長から「彼女は日本から来ていて、EP(経済学博士・Economist Program)です」と紹介され、「あら、じゃあ入社したばかりですか?」とラガルドさんが聞かれた。
「いいえ、2011年に入社しました。ここは2つ目の局です。」と答え、改めて「Nice to meet you!」を交わしたという。
私はそのシーンを目の前で見ているかのように想像できた。


研究の感覚も戻ってきたという真智子。しかし、限られている時間への焦りと闘いながらの頑張りである。

また18日は、教会の子供夏季学校の最後のイベントだった夏祭りのお手伝いをした。東京音頭をするというのでユーチューブで覚えていったので有難がられたという。

真智にとって東京音頭なんて耳にするのも初めてだっただろうに、何事も心を込めて楽しむ2人は素晴らしい。それがまた最高の気分転換になり職務にも打ち込めるのだろう。

アメリカの教会で盆踊り@.jpg
アメリカの盆踊りで.jpg
「くまは、お姉ちゃんにプレゼントしてもらった甚平を着ていけて、嬉しがっていたよ。結構よく似合ってたよ。お姉ちゃん、ありがとう」。
※ これはTシャツを着ないで素肌に着るものだけれど肌寒かったのかな?
DSC09741.jpg

「自治会の盆踊りは本格的やね。いいな〜。
河内音頭は難しいね。昔から踊りたいけど、なかなかレベルが高くてマスターしてないから、参加したかったよ。ゆきちゃんも楽しそう。

今年はアメリカに行って、海でも泳いだし、いっぱい挑戦してるね。あんな上手な貼り絵を作っただなんて、びっくりしたよ。上手やね。
お姉ちゃんの優しさにも感謝。

まちは7月8月が一番好きなのか、8月が終わってしまうのはいつももったいない、と思うよ」。


共に過ぎ行く夏を惜しみつつ、少しずつ新しい季節に入っていこう。

posted by 優子 at 16:11| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする