2014年03月28日

キリスト(カトリック)者・袴田巌さんの獄中書簡

日本フェザー級6位、プロボクサーの袴田巌さんは、その後勤務した先の一家4人殺し(1966年)の冤罪で死刑を宣告され、死刑が確定した約4年後の1984年のクリスマス・イブに、教誨師の志村辰弥神父からカトリックの洗礼を受けた。

袴田さんが獄中で真実の裁きを求めて書き綴った書簡、『主よ、いつまでですか〜無実の死刑囚・袴田巌獄中書簡』(1992年・新教出版社)は「身の潔白と再審を願う祈り、肉親への切々たる思い、そしてキリスト信仰を持つに至った信仰的断章を、『救う会』の責任で編集し紹介している」。

「私はこの死刑囚という特殊な境遇にデッチあげによりおかれ、初めて死刑の残虐のなんたるかを熟知した。
確定犯は口をそろえていう、死刑はとても怖いと、だが、実は死刑そのものが怖いのではなく、怖いと恐怖する心がたまらなく恐ろしいのだ」。


第1審で合議制により死刑判決を書いた静岡地裁の元裁判官・熊本典道氏は次のように言った。
「許されなくてもいい。でも巌さんに直接会って、謝りたいんです。許されることではない。しかし、許されなくてもいい。でも、巌さんに直接会って、謝りたい」。

そして、袴田巌さんのことを心配して亡くなったその母親をはじめとする今は亡き支援者たちや弁護士の名前を挙げ、
「ほんとにここで一緒に(再審開始決定を)迎えたかったです。あの・・・すみません。本当に・・・。天国で喜んでいると思います」と涙声を詰まらせながら語った。
        (『クリスチャン・トゥデイ』3月28日記事より)

「主よ、いつまでなのですか。
とこしえにわたしをお忘れになるのですか。
いつまで、み顔をわたしに隠されるのですか。

いつまで、わたしは魂に痛みを負い、ひねもす心に
悲しみをいだかなければならないのですか。
いつまで敵はわたしの上にあがめられるのですか」。

      
  (苦しみの中から祈ったダビデの祈りより:詩篇13章1・2節)

48年という長さはギネスブックにも載り、それほどに日本は人権後進国なのだと!
これまで多くの人達の祈りと努力が積み上げられて、今ようやく祈りが聞かれたことを知った。日本に真の夜明けがくることを祈らねばならない。

また同じく、「主よ、いつまで待てばいいのですか?!」と祈り続けている横田早紀江さんたち拉致被害者家族の方々の上にも、祈りが成就されることを信じて熱心に祈らねばならない。


posted by 優子 at 16:48| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2014年03月27日

袴田さん逮捕から48年

「元被告は死刑の恐怖のもとで極めて長い間、身柄を拘束された。これ以上勾留を続けることは耐えられないほど正義に反する」。
裁判所は極めて強い言葉で指摘し、釈放を認める異例の決定をした。

袴田さんの50年に及ぶ不条理な人生を前にして、私は2人の裁判官を想起した。1人は団藤重光だ。
団藤は刑事法全般を専門とする戦後の日本刑事法学の第一人者であり、死刑廃止論者の代表的人物である。晩年にカトリックの洗礼を受け、2012年98歳にて召天。

「誤判の可能性の内在する死刑制度は、いかなる意味においても正義論によって擁護されることはあり得ないでしょう。

かりに殺人の真犯人に対する死刑がいかに正義の要請だったとしても、無実の者が処刑されることは、それを帳消しにしてはるかに余りある、とうてい許すべからざる不正義であります。

無実の者が死刑になるという恐るべき犠牲において犯罪の予防を重複するという論者がもしいるとすれば、私はその人の人間的なセンスを疑う者です」。
(『死刑廃止論』より)

もう1人は、第7代最高裁判所長官・藤林益三で、就任早々ロッキード事件が起きた。
夫人は明治の文豪、巖谷小波の末娘。藤林は熱心な無教会主義キリスト教徒であり、毎日曜に聖書研究会を続けていた。2007年99歳にて召天。

藤林は「クリスチャン判事」や「明るい人柄」と言われた通り、全人格的判断で、常に自身の良心に忠実に下してきた判決は、時にタカ派と呼ばれたこともある。団藤と共に「津地鎮祭訴訟」判決に対して、異例の「長官の反対意見・補足反対意見」までつけて話題になった。

私はこのような裁判官だったならば、袴田さんにここまで長い年月を犠牲にさせずにすんだのではないかと思うのだが・・・。

48年ぶりに自由を得た袴田さんは「淡々と」というよりぼんやりしておられた。もはや夢か現実か信じがたい感覚なのであろう。78歳の高齢となり、死刑という恐怖生活による拘禁反応による精神障がいとは、まことに不条理極まりなく筆舌に尽くしがたい。

最後に過去ログ2010年3月26日・「冤罪被害者の訴え」より、免田栄さんの心の絶叫で結びたい。

「事件に巻き込まれなければ、人の喜ぶことを喜ぶ人生だった・・・いつの間にか暗い穴の中に落ちていった。
なぜ私が無実の罪を背負うことになっていったのか!
明白なアリバイがあったにも関わらず、間違った日を証言していた。それを証明するために34年もかかった。

自分が被告にされた時はどうなるだろうかということを考えてやらねばいけない。人が人を裁くことはできない。

無実を訴えている者には、その声に耳を澄ませてほしい。それが、私、免田栄の願いです」。


袴田さんが心身の健康を取り戻して、少しでも長く幸いなる日々を過ごされるように祈るばかりである。


posted by 優子 at 23:59| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2014年03月26日

マチの横でお勉強

ランドセルが入っていた箱の中に入学準備の計算ドリルが入っていたのには驚いた。卒園式で「勉強(足し算、引き算)がんばります」と大多数の子供が言っていたように、就学前から学習を始める時代に「『ひきざん』ってなに?」とユキの発した言葉は名言に値する。

私はわーい(嬉しい顔)と笑ったが、そのあとふらふらの心境になり、しかし、やはりこのままわーい(嬉しい顔)でスタートすればいいと思った。頼りないユキなので教育理念が揺らぎそう(笑)。

マチと一緒にお勉強A.jpg雨の日の今日、ユキはマチの横に座ってドリルをやり始めた。

私も今年になってから一緒に何度かやったことがあるが、子供の勉強を見るのは苦手だ。というよりも就学前の子供にドリルを与えて足し算・引き算などの学習は必要ないという考え方だ。

マチと一緒にお勉強@.jpg手の指で足りなくなったら、そのうちに足の指も必要になってくるのでは?

このしぐさがあまりにかわいくてマチはビデオを撮っていた。この状態からユキの長い生涯学習が始まるのだと思うと心が躍る。

昨日は仕事の合間にリフレッシュもかねて外で遊んでもらっていた。そういえば、マチはもうこんなこともできるようになったんだと、手術した日の出来事が遠い昔のように感じる。
マチは高校時代にバスケットボールをしていたから知子と違って運動も得意だ。
マチとバッティング練習.jpg

22日の土曜日は我が夫が相手をしてくれていたが、それを見ていて男の子には父親がいないと・・・と、私の心が少し痛んだ。
父親代わりのおじいちゃん.jpgこの日は半ドンの土曜日で夫は1時過ぎに帰宅した。
しかし、18日は卒園式で欠勤し、21日が祝日だったこともあり、知子が帰宅したのは夜8時半を過ぎていた。「マチが帰国しているのに・・・」と、昨夜も帰宅したのは10時半だった。

ユキはマチと一緒で嬉しい春休みを過ごしている。
マチは再び2日の午前中に日本をあとにする。その1週間後にはユキの入学式だ。マチが出発するまでに是非ユキのランドセル姿を見てもらおう。

posted by 優子 at 17:52| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年03月23日

ユウチューブ上のIMFビデオにマチが登場!

21日夜、真智子(次女)は無事に帰国した。派遣国でのミッションを終え、飛行機は日本を通り越してソウルへ、そして関空に着陸。最終電車より1時間早い電車で帰宅した。
とても疲れた顔をしていたが、すぐにチャッピーの家(小屋)を訪ねていた。1月にチャッピーの死を覚悟したほど重篤だったからだ。

日本滞在中は毎回多忙でゆっくりできる日は稀だ。まずは買い物優先、そして、仕事。そんな中、昨夜遅くに私たちを驚かせる出来事を話してくれた。
昨年12月よりIMFの「オンライン・ラーニング」(過去ログ・2013年12月17日)の教材ビデオに着手していたが、その紹介ビデオをミッション出発前の今年2月末に収録し、それが3月13日にユウチューブで公開されたのだ。
IMFonline@.jpg

このビデオはIMFのオンラインコースの紹介で、国家債務の持続可能性をどう分析するかについてのコースを紹介している。ユウチューブで「IMF online」で検索すると出てくる。

このビデオで真智が話している内容を翻訳すると、
「このパートでは低所得国における国家債務の持続可能なフレームワークについて解説します。一緒にモデル経済を分析し、実例も学びます。また、この分析をあなたの国に応用する上でのヒントもお話します」。
とのこと。私にはチンプンカンプンわーい(嬉しい顔)

しかし、家族の者にとっては感激の一こまだった。何よりも真智らしさが出ているのが良い。
この "Introducing new online course - Debt Sustainability Analysis (DSAx)"を収録した2月末と言えば、今回のミッション出発を控えての準備があり、このあとにも4本分の教材ビデオ収録があったというから本当に大変だったことだろう。

そして、ミッション中にビデオが公開された。オーストラリアで勤務している友人がユウチューブで真智子を発見してフェイスブックで声をかけてくれたそうだ。共に東大大学院からミネソタ大大学院へ移籍して学んだ学友だ。

昨年のワシントン旅行でIMF内を見学したユキは、「ここがユキがお昼ご飯を食べた所やったよ!」と2階のカフェテリアを指して嬉しそうに言い、「ここでぐずってたんやね」と1階フロアーを指して知子が言った。

私は娘がどのような仕事をしているのか、その一端を見ることができてとても嬉しい。真智が授業する場合もこのビデオに出てくる通りの雰囲気だそうだ。

今回の滞在中に京都大学大学院経済研究所に出向くので、先ほどまでパワーポイントでスライドを作って準備をしていた。

ワシントンへ帰れば、その2週間後には再び太平洋を越えてアジア圏4カ国目の国へ向かう。健康と共に事故や危険から守られるように祈るばかりだ。

では、2分48秒の紹介ビデオを是非ご覧ください!
ここをクリックしてください!

IMG_0228.jpg
まもなく本番!

IMG_0256.jpg
教材ビデオ収録現場
PS: Thank you very much for photos, Kuma.


posted by 優子 at 20:57| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2014年03月18日

幸悠 卒園 

卒園式@.jpg「チューリップの芽がグーンと伸びて春がやってきました。
 今日、僕たち、私たち、思い出いっぱいの○○幼稚園を卒園します」。


第38回卒園式の今日、男子14名、女子18名が卒園した。
卒園の記念品の中に入っていたCD、近年の卒園ソング「たいせつなともだち」を聞きながら記録しておきたい。

先生とのお別れは淋しいが卒園は喜びだ。
しかし、3週間前にお母さんを亡くした○○ちゃんのことを思うと胸が詰まる。まずそのことを書かねばならない。

園長先生から1人ずつ修了証書を手渡される時、園児の名前が呼ばれたら保護者も後方で立ち、園児は修了証書を保護者のところへ預けて席に戻る。

○○ちゃんの名前が呼ばれた時、お父さんは遺影を抱いて出られた。
○○ちゃんはお母さんの遺影を目にした瞬間に涙があふれ、それを見て私も涙があふれ先生とお母さん方も涙を拭っておられた。その後しばらく○○ちゃんは泣いていた。

その姿はあまりにも切なく、この幼子の上に起こった不条理な出来事を神に反発をもって問いかけたが、これは神の領域のことと黙するしかなかった。
式が終わってお父さんと話した時、「夜寝る時がたいへんで・・」と言われ、慰めの言葉もなく「ご家族のことをお祈りしています」とだけ述べるのが精いっぱいだった。

「今日はお父さんがいっぱいいたね」と明るい声で言ったユキ。ユキも知子も心暗くすることは全くなかったようだ。これからも雄々しく歩んでいくことができるように神の導きを祈りつつ進もう。

園長先生から修了証書をいただいた後、それを掲げてそれぞれの抱負を語る時、「小学校へ行ってからも足し算を頑張ります」「引き算を頑張ります」「国語を頑張ります」などと語る子もたくさんいて、お友達は読み書き計算などかなり先を行っているようだ。
修了式@.jpg

修了式A.jpg

ユキは「小学校へ行っても勉強がんばります」と言った。
「ユキは何もやっていないから『小学校へ行ったら勉強がんばります』と言わないと!」と知子がコメントしていたが、幼稚園生活最後の昨日も帰宅してコップやタオルを出さず最後の最後までだめだった。
私は決して甘やかしている祖母ではないのにであるから先が思いやられる。

知子や真智子に「勉強しなさい」など言ったこともないがユキの場合はどうなんだろう。上手に導入していかねばならない。勉強は面白いということを感じさせてやりたい。

昨日のお便り帳に各自宛てに先生からメッセージが貼られていた。
藤本さんへ
2年間ありがとうございました。
入園した頃、初めてのことにドキドキするシャイだった幸悠くんが、とてもたくましくクラスの中で、時にはリーダーになって頑張ってくれていました。2年間一緒に過ごした日々は、私にとって宝物です。・・・時々お会いした時にお話しするのが楽しみでした。本当にありがとうございました。

卒園式の朝.jpg今朝のチャッピー。
犬「ユキ、卒園おめでとう!ワン!」

昨日の晴天と打って変わって入園式同様に小雨模様の卒園式というのも懐かしい思い出になることだろう。しかし、入学式は春の晴天でありますように。

今日まで幼稚園生活を守り導いてくださった神さまに感謝します。これからもどうぞお導きください。


附記:17日からミッションに出発した太志君が、先ほど中継地パリの空港ラウンジからメールを送信してくれた。真智も8日からミッション中で、その後ワシントンへは帰らないで21日の深夜に帰国する。

今月8日未明に消息を絶ったマレーシア航空の出来事は他人事ではなく、次女夫婦の旅の無事を祈るばかりである。


posted by 優子 at 18:34| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年03月16日

N先生からこどもたちへ愛の贈り物

「ようちえんのおもいで」は先生が子供たち1人ひとりに作成してくださった愛の贈り物、子と親にとって生涯の宝物だ。

幼稚園の思い出.jpg

入園した時は109.4p だった身長が120.9p になり、体重は17sから21.3sになった。
これは最新の測定結果で、インフルエンザで最後まで休んでいたユキは、復帰した11日に一人だけ測定していただいた数値である。

さて今日の夕食後、卒園式で保護者が子供と一緒に歌う歌を親子で練習していた。
10日の午後に保護者の練習があったが、ユキはまだインフルエンザの出席停止期間中だったため親子共に欠席となった。しかし、知子は予定通り見送り当番を引き受け、その時に先生から楽譜をいただいていた。

知子自身の練習もあるがユキも休んでいたためか頼りなさそうで誘ったのだ。「ママとやからあかんねん。幼稚園でみんなとやったら完ぺき!」と言った。わーい(嬉しい顔)
卒園式前に歌の練習@.jpg『ありがとう』(宮地雅彦・作)は知子も全く知らない歌だったが、メロディーだけ記された楽譜でも即刻伴奏をつけて弾いていた。繰り返しや飛んだり戻ったりでややこしいところもあり、弾きながらユキに説明していた。

卒園式前に歌の練習A.jpgるんるん知子は1度弾けばすぐに覚えてしまい、楽譜はユキに渡して弾いていた。わーい(嬉しい顔) 

「ありがとう」

「ありがとう めぐりあえたこと/ありがとう いろんな素晴らしい日々の中で/出会った人たちが そばにいる

ありがとう 優しい笑顔を/ありがとう いつでもそっと見守って 包んでくれた/忘れないよ ずっと

どんなに つらいことがあっても/立ち向かい 進んでいきます/心の中には いつも あなたの笑顔があるから

ありがとう 勇気と元気を/ありがとう いつでも 大切に胸の中にしまって/忘れないよ ずっと

どんなに つらいことがあっても/立ち向かい 進んでいきます/心の中には いつも あなたの笑顔があるから

ありがとう おうちのひとたち/ありがとう 先生/私たちは 新しい一歩を 歩き始めました/見守ってください いままでありがとう」


ユキは昨日、おじいちゃんも卒園式に来てほしいとしつこく頼んでいたが、その日は東京で大切な会議があるので無理な話だった。

父親代わりにというユキの無意識の願望なのだろうかと聞いてみるとそうではなく、、「卒園式はすごく楽しいから来てほしい」と言った。誇らしい気持ちなのだろう。喜ばしいことだ。感謝!

附記:18日は西大和教会附属・愛の園幼稚園も卒園式で44名が巣立っていく。愛の園は高見敏雄牧師ご夫妻の愛労と教会の方々の祈りにより50年前に創設されたとのこと。今朝は馬見労祷教会へ出向されていたのでお目にかかれなかった。

posted by 優子 at 21:48| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年03月14日

小保方晴子氏暗転 −問われるべきは人間としての倫理観―

1月28日に世界を驚かした小保方晴子氏。その小保方氏14名のチームが発表した新万能細胞「STAP細胞」論文が大きな問題になっている。
発表後まもなく、「不自然な画像やデータが掲載されているとの指摘がインターネット上で相次ぎ、理研が調査を開始」。そして今日、外部の専門家を交えた調査委員会の中間報告が公表された。

その会見で、現時点では多くの疑義に不正は確認できないとするも事の重大性は明らかだった。私もまた一報が報じられたとき、耳を疑うほどの衝撃であり残念でならない。

博士論文の序文(緒言)を他から引用したというのは信じがたいことだ。また、修士論文や博士論文とまで言わなくても、学部(大学)の卒論でさえ、いや、私など名もなき冊子に掲載してもらう評論でさえ、参考文献として引用箇所は全てページまで明記するのは常識だ。

なぜ、プロの小保方氏はこういうことをやったのだろうか。私の最たる関心はこの点にある。
小保方氏はやってはいけないということを本当に知らなかったのだろうか。しかし、細胞画像にも手を入れており、それが悪いことだとは知らなかったというのは不思議でしかない。

論文が公開されて大きく取り上げられることに不安や恐れを感じなかったのだろうか。私には研究者としての倫理観以前に人間としての倫理観を問いたい。

やってはいけないことをやってしまうというのは私たち皆が持っている危うさであるが、吉報が一瞬にして世界をめぐることを可能にするのがインターネットならば、世界中の研究者の目にさらされて嘘を暴くのもインターネットのなせるわざだ。

そのようなことも熟知しているはずなのに、なぜこのようなことをするのだろうか。もはや小保方氏がどうのこうのではなく、人間の実相に私の関心事の焦点が向けられていく。

いずれにしても最終的な結果がどうであれ、すでに小保方氏は信頼を失ってしまったゆえに、博士号が剥奪されなかったとしても学者生命は終わるだろう。


しかし、人間としては出直すことができる。この大失敗を決して無駄にしてはいけない。
大失敗をしても素通りしていく人もまた多いので、この挫折が良き人生への始まりとなり、神と出会うことができるように祈りたい。憔悴している小保方さんに神さまが臨んでくださるように祈るばかりである。


それにしても果たして発明自体は真なのか?!
科学で大切なことは再現性であり、STAP細胞があるかないかについては第3者の検証による答を待つしかないという。

posted by 優子 at 23:54| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2014年03月12日

卒園を前にママがお迎え当番!

朝ちょっぴり照れた表情で登園して来たゆきひさくんの姿を見て、なんだかはじめて出会った日のことを思い出していました。
休んでいたことがうそのように卒園式の練習にもスムーズに参加して頑張ってくれていました。
食欲も、前よりは少ないながらもおかわりをして食べてくれています。

インフルエンザから全快したユキは、ようやく昨日登園した。その日の先生のお便りに私も知子も目がしらが熱くなった。

知子は今日、仕事を最大限にやりくりしてお昼で退社し子供たちのお迎え当番を務めた。
というのは、一昨日は保護者も卒園式の歌の練習があるので会社を休んで送迎当番に組んでもらっていたところ、ユキのインフルエンザが長引いて出席できず知子に要望した。

ユキは入園早々に、
「Gちゃんもみんなママが居るのにユキだけママがいない。ママも迎えに来て、家に一緒に帰ってから会社へ行けばいい」
と泣き、大きい組になってからも
「みんなずるい。だっていつもお母さんがいるもん!」
と声を出さずに泣いたことがあった。

その姿が忘れられず卒園前に1回だけでもユキを喜ばせてやりたい。知子にも普通のお母さんを体験させてやりたかった。

そして私もまた、幼稚園児のユキを脳裏に焼き付けたくてカメラ持参で園に出向いた。 

今日、ユキはウサギ当番だった。ウサギ当番の子はキャベツやニンジンなどを持って行き、お帰りの時は園庭で台に上って「今日一番楽しかったこと、伝えたいこと」を発表する。

9日記事の最後に記した相談とはこのことだった。ユキは最後まで休んでいたこともあるだろうが先生のご配慮を感謝している。もう一人は先日お母さんを亡くした○○ちゃんだった。

「ふじもと ゆきひさです。今日、自分の顔を作ったのが楽しかったです」。 
「○○○○ ○○です。今日、レミ(ウサギ)がキャベツを食べてくれたのがうれしかったです」。


時に微笑みもした○○ちゃん。
卒園式で歌うはずだった母親と子供のかけ合いの歌詞はあまりにも酷だから変更された。
(園児)お母さんたち見て見て今日は うれしいうれしい卒園式 こんなに大きくなりました。もうすぐ1年生。
(母親)ほんとにこんなに大きくなって 入園した頃思いだす。小さかったあなたがもうすぐ1年生。
(園児)おかあさん
(母親)なあに

と続く・・・
幼くして母と死別して生きて行かねばならない○○ちゃんを前にして、私の心は深く黙し、○○ちゃんの上に神の特別なお守りがあるように祈らずにはいられなかった。
ママのお迎えA.jpg

ママのお迎えB.jpg今日は1年分の作品(絵)を持ち帰った。黄色の袋が大きい組で、オレンジ色の袋が小さい組の子。
道路を歩く時も外側は大きい組の子が歩き、道が変わると同時に子供たちは内外入れ替わる。

今朝も−0.1度と冷え込んだが春らしい陽気になり、子供たちは防寒着をリュックに入れて降園した。
私は途中で別れて先に帰宅し、知子は子供たちを公園まで送り届けた後、遊ぶ子供たちを見守りながらママ友たちと間延びした穏やかな時を過ごした。

「すごく楽しかった!」
入ってくるなり知子は言った。そのあとも何度言ったことだろうか。ゆったりした時空は異世界のように感じたことであろう。
知子とユキの顔は幸せ色に輝き、そんな娘と孫の嬉しそうな顔を見て私は深い喜びと充足感に満たされた。



posted by 優子 at 17:53| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年03月11日

3.11から3年 混沌たる日本

原発事故を機に核が牙をむいた。最新の報道では地上タンクから2億4千万ベクレルもの高濃度汚染水があふれ出ていた。

人間よ、驕ることなかれ。
核は人の手には負えないことを認め、今からでも進む方向を180度転換すべきだ。未だ原発を否定しない政治家がいるのは信じがたく、方向を変えなければ日本は加速度をつけて衰退していくことだろう。

3月8日の記事でも触れたが、「人々はエイズの根本に何があるか考えない。この問題を問われない」。混沌を深めるばかりの現況にあってもなお本質を問おうとしない人間は哀れだ。

ネット(『上洛上京物語』)で見つけた記事から、「3.11大震災から何を問うべきか」について、大江健三郎、鶴見俊輔、坂本義和のコメントを引用させていただきたい。これは岩波書店『世界』の5月号より抜粋したものであるという。

■ 大江健三郎(作家):「私らは犠牲者に見つめられている」(ルモンド紙記者との問いに)
日本というあいまいな国、という私の定義は、さらに意味を明らかにしたと思います。その意味のいま現在きわだってきている側面は、破局に面している・危機的な行きづまりにいたっている、その『あいまいな日本』の逃れがたさということです。

1994年に私の言及した『あいまいな日本』は、なお執行猶予にある、あいまいな国でした。あいまいなの対義語は、はっきりしているです。
『あいまいな日本』とは日本人という主体が、この国の現状と将来において、はっきりとしたひとつの決定・選択をしていない、それを自分で猶予したままの状態です。そして、他国からもおなじく猶予されていると感じている状態です。

なによりそれは、過去についての国の過ちをはっきりさせないままでいる。その国の人間として責任をとらずにいる、という状態です。さらに現状としての日本の態度を、はっきりさせないでいれば、将来にかけて二様、三様の決定・選択がありうる、と考えることです。日本人はあいまいさゆえの〔自分にもよくわかっていない〕国の発展がありうると考えていました。

あの本(『あいまいな日本』)を書いてから時がたち、いま「最後の小説」を書いています。老年の私が、この狂気(制禦できないかもしれない幾つもの大暴力が動き始めている社会)を生き延びることができれば完成できる長編の扉に、ダンテの「地獄篇」最終一行を引用しています。

「かくてこの処をいでぬ、再び諸々の星をみんとて」

■ 鶴見俊輔(哲学者):「敗北力」
今回の原子力事故に対して、日本人は、どれほどの敗北力をもって対することができるのか。
これは日本文明の蹉跌だけでなく、世界文明の蹉跌につながるという想像力をもつことができるのか。

原子炉をつくりはじめた初期のころ、武谷三男が、こんなに狭い、地震の多い島国にいくつも原子炉をつくってどうなるのかと言ったことを思い起こす。この人は、もういない。

■ 坂本義和(政治学者):「人間のおごり」
とっさに頭をよぎったのは、起こった自然の前に自分がこんなに小さく無力な存在なのかということだ。すぐに思ったのは、「環境保護」という言葉がいかに人間中心の観念か、だった。
環境を人間が保護するのではなく、自然環境が人間の生存を保護してくれてきたということなのだ。

多くの人命をあずかっていながら「想定外」ですむ問題ではない。しかも地震や津波は、「想定」したものものと異質の災害では全くない。かれらの「想定」におごりがあったのではないか。

原発だけでなく、はるかに設計・製作が容易なはずの二つの火力発電所までこわれたとは、地震国日本で、いったいどういう「事故」を「想定」していたのか。

原発は、そもそも自然界に存在しないウラン235を原材料にするという点からして、根本的に自然に逆らう「おごり」の発想の産物なのだ。

3年経った今も仮設住宅生活者が9万人、避難している人は26万7千人に上るという。

東日本大震災で家族や大切な方を亡くした方々に主の深い慰めと癒しを。困難の中にあっても主が支えてくださり希望を失うことがありませんように。そして、原発で働いてはたらいてくださっている方々の健康を守ってくださるように祈ります。

posted by 優子 at 23:21| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2014年03月09日

ミッション出発時の空港まちがいハプニング

1月9日の手術から2カ月、2月に入ってから激務もこなせるほど体力も強くされて真智子はミッション(海外出張)に出発した。ミッション前から超多忙な日々を過ごしているので私は邪魔をしないようにメールを控えていた。

そして今朝(日本時間)、ファーストクラスってどんなだろうと、ワシントンからロスに向かっているマチを思いながらパソコンを開けた。

いつものようにメールをくれていたが、「すべてイエス様に委ねて、いってきます! 真智子」とだけの超短信だったので気になって、マチに返信するよりも先に出発前の状況を知りたくてクマにメールした。

するとクマの返信で予想外のハプニングがあったことを知った。ワシントンを発つ空港を間違えたというのだ。私なら心臓が止まるほどパニクッたことだろう。

「真智が忙しくしている中、タクシーのネット予約を僕が代わりに引き受けたのですが、今回はレーガン空港に行くはずだったのに、いつも使うダラス空港に間違えてしまいました。

幸いにしてすぐに航空会社の人が解決策を提示してくれ、その空港から予定通りロサンジェルスに行ける便に代えてくれたので、事なきをえました。
ロサンジェルスへの到着は遅れますが、なんとか予定通りの○○行きの便に、乗り継ぐ予定です」。


そういえば、マチが送ってくれている旅程表には " WASHINGTON REAGAN, DC "と書いてあった!
ダラス空港(Dulles International Airport)は成田-DC間の唯一の直行便(全日空)が就航しており、ロナルド・レーガン空港 (Ronald Reagan Washington National Airport)はワシントンDCのダウンタウンに最も近く、DCの玄関口となる空港で国内線が中心だという。

その後、クマが返信をくれているのに夕方まで休んでいた。午後1時過ぎにはマチから無事ロスに到着メールもあり、予定の飛行機への乗り継ぎも終えて目的地に向かっていることだろう。

クマもまた来週からミッションが始まる。その1ヶ月ほど前から(?)ミッションに向けて派遣先の国の財務関係レポート(?)の準備に大変忙しいそうだ。クマの忙しさも拍車がかかる。
マチはクマに手伝ってもらったからいいけれど(大ハプニングつきだったけれどわーい(嬉しい顔))、クマは1人だからかわいそう。ダラス空港かレーガン空港かチェックを忘れないで!

私はクマとだけメールのやり取りをして、マチへの返信をすっかり忘れていた。ふらふら マチは今、太平洋上を空高く飛んでいることだろう。

マチが帰国するのは21日、予定表を見るとKIXに着くのが夜遅くで、これでは最終電車に間に合わない。夫にリムジンバス到着のターミナルまで迎えに行ってもらおう。12月のミッション(中国)からの帰りに3日間帰国した時のように。

ユキはインフルエンザ菌との戦いも終わり、今から1週間ぶりのお風呂に入る。明日は自宅待機で欠席するが、知子は先生との相談もあるので予定通り見送り当番に出る。

posted by 優子 at 19:36| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2014年03月07日

母は強し、知子のママ友のたくましさ

インフルエンザBに倒れたユキは食欲もあり、肉やエビフライを食べたいとリクエストするほどだが、熱は上がったり下がったりでなかなかしつこい。そんな中にあって暇を持て余しながらも隔離状態を健気に耐えている。

今朝も38度の熱があり、昼間は37度2分に下がっていたが今夜再び39度1分になってがっかりした。10日月曜日は保護者も出席して卒園式の歌の練習があるからだ。

この日は知子を朝の見送り当番に組んでもらっていることもあり、そのことで一斉メールを流すと次々と体験談のお見舞いメールが届いた。病状の経過も大いに参考になり、みんな頑張っていたんだと大いに励まされた。
ゆきひさ君インフルエンザならずにさすがだなぁと思ってましたが、可哀想になっちゃいましたね。でも、卒園式でなるよりはまだ良かったのかも。
○○はまだ食欲だけ戻らずまた痩せました。
藤本さんも、お母さんもくれぐれもうつらないように。
マスクは寝るときも苦しいけど私はしてました。残した物も食べずに。
気をつけて。ゆきひさ君お大事に。

ずっとマスクを離さず、必ず消毒して、潔癖症並みに徹底していたよ!
長い長い闘病生活やったから…。大変さがわかる。
でも、必ずよくなるから…。
ゆきちゃんも、おばあちゃんも、ともちゃんも、みんな頑張って乗り越えてね。
大丈夫だからね!!

ゆきひさ君最後の治る前の高熱かもー!
○○も土曜から発熱で、やっと今日熱なくなりました。
上がったり下がったりで、結局6日間、熱ありました。
昨日はさすがに熱がなかなか下がらないから病院に行ってみて
血液検査と点滴して、特に悪化とかはしてないみたいでした!
ゆきちゃんも心配やし明日土曜、もう一度病院いってみて。

こんばんは 
ゆきちゃん、熱上がったんやね(T_T)
このインフルエンザは上がったり下がったり…かなりしつこかったよ。
うちも同じく解熱して翌々日からまた再発熱の39度超えやったよ(>_<)
○○も同じ過程辿ったよ。
ゆきちゃんが同じかわからないけど、高熱が続くと目も離せないし心配だね…。どうか早く下がりますように!
看病する知ちゃんも気をつけてね!
返信いいよー(^^)/
お大事にね

ゆきちゃん、頑張ってるんですね!!順調そうで何よりです。(これは5日に年少ママからの私への交信メール)
今週も1組さんは3人しかいないので、さみしいですよ。
月曜日にはぜひみんなそろって欲しいです!
みんなで泣いたり笑ったりしながら幼稚園まで歩いた日々は本当に大切な思い出です。お当番など大変だったりしますが(笑)、やっぱり集団登園って良いなと思います。
来週からまたみんなでワイワイ登園できるのを楽しみにしてますね!
ゆきちゃんにも待ってるよーってお伝えください。
早く良くなりますように…
みなさんも気をつけてくださいね。

感謝!
ママ友はみな、我が子のために一生懸命の愛を尽くす。そんな当たり前のことに感動し、人は皆同じなんだなあと思う。だからこそどの子もみな大切なかけがえのない存在であり、どの子の幸せも我が子のことのように願う。

この心の動き、このような良きものの積み重ねが心の豊かな人間に育てていくのだと深い感銘を受けるのだ。本当に友は人生の宝だ。
卒園式まであと7日。卒園前にインフルエンザで気を揉んだことも懐かしい思い出になることだろう。ママ友との温かい触れ合いと共に。


先週の今夜は○○ちゃんのお母さんのお葬式だった。
ユキはインフルエンザが治ればそれまでの日常が戻ってくるが、○○ちゃんには戻ってはこずお母さんがいない日常を受容していかねばならないのだ。
附記:正確な更新時刻は8日午前1時6分。

8日朝追記:ついに今朝36.5度に下がっていた!!!
今度こそ本物だと思う。油断はできないが、声の元気さも全く違うから「治る前の高熱」だったみたい。


posted by 優子 at 23:59| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年03月06日

深い暗闇の時代に希望を見出す

昨日の記事に関連して、『アンネの日記』の本が破られたからと「電子版で解決?」という記事は、まさに現代の世相を鮮明に表わしている。

ネット上には『アンネの日記』の「電子版」を出したらいいというアイデアは多い。脳科学者の茂木健一郎氏が、
「誰かが『アンネの日記』を引きちぎる、という事件のニュースを知ったとき、真っ先に思ったことは、『電子書籍は引きちぎれない!』ということだった」・・・

これを読んだ時、「人々はエイズの根本に何があるか考えない。この問題を問われない」という言葉を思い出した。
これは今から30年ほど前にエイズが社会問題になった時、小山恒雄牧師が説教で語られた言葉で、今も私の脳裏に焼きついている。

このたびの『アンネの日記』事件から電子書籍にというアイデアはわかるが、電子化してもサーバ攻撃の危険もあるとか。
インターネットは画期的な文明の利器となっているが、とんでもない時代に入ってしまったものだ。あらゆる分野で飽くなきバンコマイシン開発のような闘いが延々と続いて行くのだろう。

文明が進めば進むほど便利さと物に溢れ、その結果人は生きる意味や使命感を見失っていく。今や人間の絶望は深く内向するばかりだ。
しかしまた、その暗闇に希望が燦然と輝いている。

自分(人間)の努力だけではどうにもならないと限界を感じた時、また、感じることができる者だけが神による希望を見出すのだ。
「希望は強い勇気であり、あらたな意志である」。
そんなルターの言葉も思い浮かべた。
               
                 
posted by 優子 at 23:59| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2014年03月05日

『アンネの日記』事件で考えさせられていること

『アンネの日記』や関連図書が多数破られる事件に心を痛めている。日本では反ユダヤ主義の感情は考えられないが、一日も早く犯人が捕らえられて事件の真相が明らかにされることを願っている。

数日前のニューズウィークに公開されたイラク政治史、現代中東政治に詳しい酒井啓子氏のコラム、「『アンネの日記』事件に思う」は興味深く読んだ。

私の関心事はあくまでも人間の実相という視点で、持論を述べるための導入として酒井氏の言から一部引用したい。
アラブやイスラーム社会の反イスラエル政策を、反ユダヤ主義と誤解してはいけない。彼らのイスラエル批判は反ユダヤ主義ではなく、ユダヤ教徒だけを他の宗教と切り離して独立国を造ったシオニズムという思想に反対している

アラブ、イスラーム側のイスラエル批判のロジックが、「ホロコーストを経験したユダヤ人なのに、なぜ同じ人権無視と人種差別を、パレスチナ人に対して行うのか」ということだ、という点にあり、アンネ・フランクの存在も、その延長に位置づけられているという。

エジプトの英字紙「アハラーム・ウィークリー」が2012年7月に掲載した記事が、典型的な例だ。
そこでは、2003年にガザでパレスチナ人のためにボランティア活動をしていたところ、イスラエルの戦車によって轢き殺された23歳のアメリカ人、レイチェル・コリーとアンネ・フランクを比較している。
両方とも、若くして非人間的な暴力によって命を奪われた女性であること、日記を残したという点で、似ている。

その記事は、いう。「アンネ・フランクは、生きたいと思い、最悪の事態に抵抗しようとする人間の意思と願望を体現している。・・・・だがアンネ・フランクの死は(ホロコーストのシンボルとされたことで)永遠に生き続けているが、(パレスチナの地でイスラエルに殺された)レイチェル・コリーの名前と生と死は、パレスチナ人がそうであるのと同じく、アメリカの歴史から消し去られている。・・・アンネ・フランクはきっと、レイチェル・コリーを尊敬したに違いないのに」。

つまり、 アラブ、イスラーム社会のアメリカ、イスラエルに対する批判は、なぜ自分たちがされて嫌なことを他者にするのか、ということに尽きる。アラブ対イスラエルの対立は、ユダヤとアラブ、イスラームの人種間の否定のし合いでは、決してないのだ。

私も単純に欧米の姿勢はけしからんと言いたいのではない。私の主張はこうだ。
人間は物事の事実関係を全体的に見るということがいかに至難なことであるかということだ。そのことをお互いにもっともっと意識して生きていけないものか。私自身もまたその罠に落ちないように心がけているが危うさを感じることが間々ある。

「ホロコーストを経験したユダヤ人なのに、なぜ同じ人権無視と人種差別を、パレスチナ人に対して行うのか」。

このことはまさに「パレスチナ問題はキリスト者の問題だと思っている」と言明する村山盛忠牧師の弁と同じである。
村山師は中東キリスト教会、パレスチナ問題のために心痛め重荷を負うておられる著名な牧師で、2年前に馬見労祷教会の小さな集会で聴く機会が与えられ、それまで疑問に感じていたことは正しかったとの裏付けを得た。

私たちは立場が変われば同じで、お互いにかくも弱き存在であるという人間の実相を押さえ、神さまはユダヤ人にもアラブ人にも祝福の計画を持っておられることをキリスト者は覚えねばならない。

一日も早く犯人が取り押さえられるように。
『アンネの日記』を破ることもホロコーストと何ら変わらぬ愚行であり、何よりもその行為が自らの魂をも傷つけていることに気がついてほしい。

posted by 優子 at 18:45| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2014年03月04日

ヴォーリズの愛した近江八幡、テレビ放送ご案内

ヴォーリズファンのみなさま

3月15日(土) 16:55〜17:25 『歴史街道スペシャル〜建築家ヴォーリズの愛した近江八幡〜』が、ABC朝日放送でテレビ放送されます。(関西地区のみの放送です)

ハイド記念館、ウォーターハウス記念館、ヴォーリズ記念館、旧八幡郵便局等が紹介されます。
ぜひ、ご覧ください。

これは関西クリスチャン・ペンクラブの友人を介して近江兄弟社から送られてきた情報です。折しも家族で近江八幡を訪ねようかと話していたところでした。

IMFで働いている次女がまもなくミッション(海外出張)に出発しますが、その任務を終えた後10日間ほど帰国する予定です。残念ながら伴侶はミッションと重なり今回は次女だけの帰国ですが、日本に滞在中に近江八幡を散策しないかと夫から案が出ていたところでした。

近江八幡と言えば、近江商人発祥の地、水郷の町、そして、メンソレータム(現メンターム)で有名な近江兄弟社、その創業者である ウィリアム・メレル・ヴォーリズ の足跡など、見どころ満載な歴史の街並みです。
近江八幡の街並みをタイムリーにテレビ放送されるとは楽しみです。皆さんも是非ご覧ください。

posted by 優子 at 15:52| ご案内 | 更新情報をチェックする

2014年03月03日

インフルエンザから逃げ切れなかったユキ

ユキは昨夜もいつもと変わらずに眠ったが、今朝知子が母親の感で体温計を当てると38.4度の熱があった。がっかりしたが、これで卒園式に出られるという安堵感が同時にきた。

月初めの今朝は朝礼があるので知子はどうしても早朝に家を出なければならず、私の出番となった。医院の窓口の受付は8時50分からで、その人たちの受付が終わった9時から携帯電話やパソコンからの受付が始まる。

名前、カルテ番号、電話番号を打とうとスタンバイしていたにもかかわらずしくじった。「TAB」キーを打ち忘れたのかカルテ番号に続けて電話番号を打ってしまい、受付がスタートしてまだ30秒しか経っていなかったのに9番だった。30〜40代前半の人にはかなわない。というわけで25人待ち、呼ばれたのは正午に近かった。

まずインフルエンザかどうか鼻水で調べるのだが、発熱後からあまり時間が経っていないため判定できるかどうかわからない段階だった。しかし、Bのところに薄い線がかすかに出ているとのことでタミフルを処方された。

しかし、B型にはあまり効かず、B型は熱が高く5〜6日間続く子もいるそうだ。しかし、合併症の心配はないので何日間も熱が上がり下がりしなければ様子を見ていればよいとのこと。

インフルエンザによる園・学校の出席停止期間は、「発症した後5日を経過し、かつ、解熱した後2日(幼児にあっては3日)を経過するまで」との説明を受け、とにかく今週いっぱい欠席することになった。
タミフル服用で異常行動が報告されているので、投与後2日間は子供が1人にならないようにとの注意も受けた。

家を出る時は39度5分もの熱でユキの顔は真っ赤だった。タクシーなのでもう少し遅く来てほしいとも変更できず、39.5度の高熱で2時間15分の外出は拷問だっただろうに、ユキは愚図ることなく耐えた。

今日の給食のちらし寿司と雛あられを楽しみにしていたユキ。
夕刻6時半頃にチャイムが鳴り、何と幼稚園のN先生が雛あられを持ってきてくださった!
「雛あられは是非今日届けたくて」と、欠席した子供たちの家々を回ってくださっているとは、何という愛の行為だろうか!


ついにインフルエンザBに.jpg

錦糸卵なしの手抜きだったが夕食にばら寿司(ちらし寿司)を作ると、高熱にも関わらずユキはおいしく食べてくれた。タミフルが効いて早く熱が下がりますように。

2月15日は雪道を歩きながらロシアのアヴァンギャルドを思い起こしていたが、ついにユキをも捉えてしまったインフルエンザは14世紀のヨーロッパで流行した黒死病(ペスト)を思い起させた。感染症は怖い。

にもかかわらず今日もマスクもしないで50人以上(?)もの子供たちを診察する女医さんには驚いた。免疫ができているのだろうが、医療従事者は愛がなくては務まらない職業だと改めて思った。

N先生の自動車を見送りながら先生の健康が守られるように祈った。感謝の言葉をかみしめながら。

posted by 優子 at 23:59| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年03月02日

最後の1人、インフルエンザの猛威から逃げ切れユキ!

寒さと戦っている間に3月になった。今年は例年以上に厳しい寒さだったのに、春を待ち遠しく思う余裕さえなかったのか気がつけば春の入口に立っていた。
2月28日には、「幼稚園でウグイスの声を聞いたよ!」とユキが嬉しそうに春の到来を知らせてくれた。

○○ちゃんは明日登園するのだろうか。
お母さんを亡くされた○○ちゃんのことが脳裏から離れず、寝ても覚めても○○ちゃんのことを思い祈る日々。日常の記事を書くのをためらいつつも書くことをゆるしてほしい。

幼稚園では今もインフルエンザの勢いが衰えず28日には15名が欠席した。卒園式までの登園日はあと12日。卒園式に欠席するのだけは避けたいと親たちは神経をとがらせていたが、集団登園のメンバーで罹っていないのはユキとRちゃんの2人だけになった。クラスの中でも数名ではないだろうか。

今ならばまだ卒園式までに元気になれる。どなたかが「お友達の家へ行ってうつっておいで」と話していた冗談も理解できる心情だ。お友達が次々と発症していくのは戦場で戦友が倒れて行くようだった。

そして今朝、Rちゃんママから「1週間休みます」と一斉メールを受信。最後まで頑張っていたRちゃんだったので知子はお見舞いメールを発信、その返信には、
「ついに、とうとう、やっぱり、なってしまった、インフルエンザBに!
この地区でユキちゃんが残り1人になってしまったから最後まで逃げ切ってね!」
と書いてくださっていた。Rちゃん、お大事にね!

39度40度の熱でしんどいだろう。お母さんも大変だ。特に妊娠中のお母さんにうつると大変と案じている。10日は保護者も一緒に卒園式のリハーサルを控え、いよいよ直前になってきた。

そして、我が家にもランドセルは2月25日に到着済み。
最初は3月15日到着でお願いしていたが、近頃は12月までに購入する人たちが殆どで、幼稚園でランドセルの用意ができている人と聞かれてユキも手を挙げたという。子供心を察し、私自身もまた待ちきれなくなって納品日を変更してもらった。

その日は夕方の4時半からランドセルを背負ってママの帰りを待つと言い、夕食時もママが帰ってきたらすぐに見てもらおうと、ランドセルを背負ったまま食べ始める嬉しがりようだった。
私は写真を撮るのを忘れてしまうほどユキの喜びに圧倒されていた。


この嬉しそうな顔@.jpg
この嬉しそうな顔!A.jpgユキの身長は後から4番目で一番大きくもないのに、ランドセルがそれほど大きく感じない。

posted by 優子 at 23:40| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする