2014年04月30日

遠い春の日を思い出させる孫の入学

知子・入学時のお便り.jpgこれは知子の入学式の日に配られた「学年だより No.1」だ。
日付けは1984年4月6日(金)、今からちょうど30年前の春のことである。

「しばらくの間は、2時間ほどで下校し、11時前後に帰宅します。毎日、ランドセルの中を確かめてください。ふでばこには、Bの鉛筆4本、赤鉛筆2本、消しゴム1こがいつも入っているようにしてください。毎日ランドセルに下じき、ふでばこを入れて持たせて下さい。・・・」

なんと懐かしい!
こんなお便りまで保存していることに読者は驚かれるかもしれないが、全てを保存していたわけではなく残っているのはこれ以外に数枚だけだ。第一子の入学はよほど嬉しかったのだろう。このお便りを見るとあの時の光景があの年の春の空気と共によみがえって来るのだ。

4月18日の学級通信(入学式のあと既に8号を重ねておられる)には、「藤本さんがつくしんぼをたくさん持ってきてくれました。みんな少しずつ分けてもらって”春がいっぱい!”と大喜びでした。めずらしいものは、学校へ持ってきて子どもたちにぜひ見せてやってください。理科の勉強になります。」と書かれている。
そのつくしは知子の父方の祖父母の家(今私たちが住んでいる地)の近くで摘んだものだ。

すると10号(20日・金)の通信には「藤本さんへ お礼のお便り続々と」と、保護者からの手紙が掲載された。私は感激してお便りを書いた。

「つくしのことでこんなに子どもたちが喜んでくれたなんて、私は頬をぶたれたような思いがしました。何を見てもほとんど感激しなくなっている自分、驚きも喜びもしないのですから子どもたちに教えられました。
知子も17日は、なんと嬉しそうに帰ってきたことでしょう。『先生につくしのおいしい食べ方教えてもらったよ。あのね・・・』と、息つくひまもなく一生けんめい話すのです。玄関に立ったまま。
教わった通りにしていただいたら、知子と私は『おいしいねー!!』と大喜び。知子は早速おばあちゃん(私の母)に電話です。
今日は小さな黄色い花を三つ持って、『タンポポの仲間見つけたよ!!』と意気揚々として帰ってきました。これこそ本当に身についた学習だなと嬉しく思いました。
両手いっぱいの春を本当にありがとう。忘れていた一番大切なことを思い出させてくれました」。


その後、何度もお便りを書き何度も掲載していただいた。私にとっても子育て時代の忘れられぬ学級通信だ。

それだけではなく、実はこの学級通信を通して私の精神界が開かれていき、私の生涯学習のスタートへのエンジンがかかった。知子が4年生の時、学年委員長として保護者による通信を書かせて頂いた時も、その影響を顕著に感じた。

懐かしい先生も60代になっておられるが、きっと美しく年齢を重ねておられることであろう。


「子をその行くべき道に従って教えよ、
そうすれば年老いても、それを離れることがない」。
        
                    (箴言 22章6節)

神の恵みの中で幸悠の個性を引き出してやり、自分自身の志向と目的をもって生きていく人間に育つように、私もまた孫との関わりを通して自己訓練していきたいと思う。

posted by 優子 at 16:52| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年04月29日

頼りないようでしっかりしているユキ

体操服も背中にA.jpg24日から体操服はリュックに入れて背負っている。
多忙な知子は連日父親と早朝に出社するが、朝は幼稚園の時から私を煩わすことはない。その間に私はパソコンの前に坐る時もたびたびで、ユキの方から時間を気にして教えてくれるほどだ。

ところが、昨日は早く終わったからと制服に着替えないで駒を回して遊んでいたので、ギリギリになって慌ただしく出て行った。途中で私が体操服の袋(リュック)を忘れているのを気づく始末で、その場でユキのランドセルを預かって走って取りに帰らせた。
そして、ユキを見送って少し経ってから鍵を返してもらっていないことに気づいて追いかけて行くはめになった。チャッピーも走った!走らせて心配だったが、まるで若い頃のように勇ましく走った。

ところが、ユキは黙って私のカーデガンのポケットに鍵を入れていたというから、老体の私とチャッピーは走る必要はなかったのだ。ちっ(怒った顔)

そんなわけで朝から大仕事を終えて帰宅すると、玄関に上靴が残っているではないか!いつも一緒に置いてあるのにユキは気がつかなかったのだ。
困っているだろうと思ったが、意外なことにユキはしっかり対処し、「先生、上靴を忘れました」と申し出て学校が備えてあるものを借りて過ごしていた。

昨日の経験から自ら学習したユキは、今夜から体操服のリュックも忘れないようにランドセルにセットしていた。
家庭訪問は最終日の明日午後5時。少しでも仕事をして3時退社の要望に応えようと、先生は遅い時間に合わせてくださっているようだ。感謝!

附記:おじいちゃんと行ったよ!@.jpg
26日(土)はおじいちゃんに名古屋の鉄道博物館「リニア・鉄道館」へ連れて行ってもらった。
どうせならば運賃が無料だった先月までの幼児時代を有効活用すればいいのにと思ったが、楽しかったようで何よりだ。
ジオラマの前で↓
模型の新幹線は本物同様に16両つないでいたそうだ。
ジオラマの前で.jpg

パンタグラフ.jpg 『しなの』の連結器.jpg
ユキのカメラで撮ったパンタグラフと「しなの」の連結器。
ユキの関心事がわかる。

このあと名古屋市科学館で大恐竜展とプラネタリュームを見学して8時過ぎに帰宅した。
この日、私と知子はNTT光フレッツの工事とパソコン設定で大変だったので、世話のかかる2人共が12時間外出してくれたのでありがたかった。

工事が終わって知子にリモートサポートサービスを受けながらパソコン設定してもらおうとすれば、プロバイダーの登録証など記憶になくて再発行の手続きをしたら、数時間後にたまたま見つかった。

そこで大急ぎで設定し、続いて有線を無線ランの環境に整えようといろいろと試行したが、クマから譲り受けていたルーターは中国製だったので国産のルーターでないとサポートできないからと断念。
翌27日に購入してネット関係は無事完了した。速度はかなり速くなったが回線変更は2度としたくない。テレビ工事は明日30日、これで完全にNTTに移設完了となる。


Ȕ
posted by 優子 at 22:17| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年04月27日

1・2年生の道徳の教科書に二宮金次郎?!

先週は何か忙しく落ち着かない1週間だった。ようやく今週からユキの給食が始まり3時過ぎの帰宅になったが、それも束の間で家庭訪問が始まり1時過ぎに学校をあとにする。

23日には入学後初めての参観日があり、知子は消費税変更の関係で仕事が増えて夜遅い帰宅が続いており、参観日で半日とられる時間を捻出すべくどうしようもないほど激務を極めている。

私も給湯器の付け替えの打ち合わせやインターネット工事の打ち合わせで落ち着かない中、オバマ大統領来日の日米交渉や共同声明を見守っていた。アメリカ在住の冷泉彰彦氏のニューズウィーク・コラムによれば、
「そもそもアメリカでは今回の大統領のアジア訪問に関しては、それほど大きく取り上げられていな」くて「今回の首脳会談を一言で言い表すのであれば『同床異夢』であり、そのことは、アメリカの報道の『寿司抜き』『安倍抜き』『尖閣抜き』にあらわれている。」と論評している。

その同じコラム欄で冷泉氏の「道徳教材に『二宮金次郎』、何が問題なのか?」 を興味深く読んだ。小学校に入学した孫の道徳の教科書を開くと、確かに「小さなど力のつみかさね」の表題で二宮金次郎(尊徳)が取り上げられている。

私も「あの二宮金次郎?!」と少々驚いた。娘たちの小学校は新設校だったということもあるが金次郎の像もなく、我が子の世代は教えられないまま育った。そもそも道徳の教科書は一度も使ったことがなかったようだが、私は小学校卒業以来ずっと忘れていたことから金次郎が遠い存在になっていたので驚いたのだと思う。

親孝行をして寸暇を惜しんで勉強して偉い人になったと教えられてきた。「兄弟仲良く孝行を尽くし、手本は二宮金次郎」という歌を私は今も憶えている。学校ではなく母か祖母に教わったのだと思う。

私の小学校時代には殆どの学校に二宮金次郎(幼名)の像があった。像の尊徳が読んでいるのは『大学』であり、それはブログ前ページにある4月22日記述の中江藤樹が影響を受けた書物でもある。

しかし、今なぜ道徳教育に金次郎を用いたのだろうと国の思惑を考えたりもするが、金次郎は「虐待被害の話であり児童労働の話で・・・要するに21世紀の現代社会では、この『二宮金次郎』のストーリーというのは批判的な討論の材料にしか使えないのです。それを小学校1・2年生用の教材に使用するのは誤りだと思います。」という冷泉氏の論評は、空洞化した頭ごなしの批判であり知識の羅列に過ぎないと思った。

そうではなくて子供たちは二宮金次郎の生き方を知って、どのように判断を下し、自分の考えをどのように発表するか。そのことにこそ教育の重点を置くべきであり、自分の頭で考えて発表するという能力を養うにふさわしい教材だと思う。

日本古来の文化を否定して遠ざけるのではなく、今を生きる子供たちに考えさせてほしいものである。
さて、孫もまた教科書を使用することなく終わってしまうのか、私にはそのことのほうが関心がある。


附記:昨日、「NTT光フレッツ・はやぶさ」に乗り換え工事を終え、本日、無線ランの環境にも整えて無事完了した。これで今までの100メガから1ギガの速さになった。

posted by 優子 at 22:40| 教育 | 更新情報をチェックする

2014年04月22日

中江藤樹の陽明学とキリスト教の親近性 ―JCP関西ブロック例会より―

4月19日、JCP(日本クリスチャン・ペンクラブ)関西ブロックの2014年度最初の例会では中江藤樹について学んだ。私たちの師・久保田暁一先生は著名な文芸評論家で、2007年には第1回中江藤樹賞を受賞されている。

この日、ご体調がすぐれなかったが1時間講演してくださり直々に拝聴できたことは大きな恵みであった。

大田正紀先生が久保田先生の本と出会われて、「明治期に多くの文学者がキリスト教の洗礼を受けたが、そのバックボーンになったのは儒教、しかも陽明学ではないかと気がついた。ここに福音を根づかせるのを見つけられるのではないかと思って」と、久保田先生に講演依頼されて今回の学びとなった。

以下に講演内容の要諦を記した。

『近江聖人』と称えられた藤樹は農家に生まれ、僅か41歳(満40歳)の生涯だった。この短い生涯で与えられた才能に打ち込み人間として生きる道に精進した。

27歳の時に母親に孝養を尽くすべく脱藩して郷里へ帰ったことや、当時の学問の指導者であった朱子学者・林 羅山(らざん)を痛烈に批判したことも中国の古典『大学』との出会いであり、藤樹の生き方と生涯に深い影響を与えた。

その後『陽明全書』と出会い、王陽明の主張に深く触発されたが王陽明の陽明学とは違い独自の思想を打ち立てた。

陽明は「格物致知」を「物を正して知に到す」と読んでいるが、藤樹は「物を正して知に致る」と読んだ。
「物」とは五事「貌、言、視、聴、思」のことであり、陽明は自己の心を内省し正して実践していくことにより「知に到す」とするが、藤樹は「知に致る」とした。
前者はそれらを正して練磨し強い意志を持って知に到すとするが、後者は受け身的で自然になるとした。

藤樹研究の第一人者・木村光徳は、「藤樹は朱子学や陽明学、ないし道教、仏教を媒介として自己を育てたのである。人は思想の単なる受容器的存在ではない。」と主張し、久保田先生も同じ見解だ。

藤樹は宗教性の深い人であった。藤樹の代表作『翁問答』で述べられている「太虚皇上帝(たいきょこうじょうてい)」は、天地万物を生み出す根源の神、即ち天地の創造主、人格神を指し示しており、人間はそこから生み出されたのであるから、人は皆、善き良心を生まれながら与えられた存在であるとする。

そして、神意を体して生きていくことが人として求めるべき根本の道であると説いている。藤樹は「神」とは言っていないが、キリスト教の教えと根底において相通じるものがある。著述から人格神なものを考えて信仰していたことがわかる。

これまでキリスト者の中で藤樹を高く評価してきた人は多く、清水安三、海老名弾正、宮川経輝(つねてる)、内村鑑三、賀川豊彦、小出哲夫神父などである。

来月85歳になられる師はパーキンソン病との闘いの日々にあり、先月送付してくださった『だるま通信』にも「手がふるえてまともに字が書けないこと、スムーズに発声できないこと、転倒しやすくなってきていること」。
しかし、「パーキンソンなんかに負けないで、一歩、一歩歩んでいこう。その力が与えられていることを信じて。」と書いておられ、おひとりで例会に出席される勇気にはすごいものだ。私はいつも私の中に深く記憶させている。

この日カメラを持参していなかったために、白板に板書されている先生を撮れなかったのはまことに残念だ。

「あとがき」には、「やっと271号ができあがりました。『やっと』と言いますのは、80の手習いではじめたパソコンですが、その操作が未熟なために機器を良く使いこなせずにもたつくことが多かったからです」とあり、私の心を強く打った。

「天命を信じ安定した心と決意をもって、それぞれが自己に与えられたと思う課題にとりくんで行きたいものである」。

久保田先生の穏やかにして常に変わらぬ気魄を我がものとしたい。この日より心新たに姿勢を正して歩んでいる。

附記:このあと総会に移り、2013年度の活動報告、会計報告と続き、2014年度の活動計画では今年11月に証し文集『種を蒔く』第2号の発行が決定した。
次回の例会は6月21日(土)、会場は日本キリスト教団・千里ニュータウン教会にて。
私は今年度も引き続き書記と会計を務めることになった。例会報告は明日中に作成して送付すべく努力したい。


posted by 優子 at 21:50| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2014年04月20日

イースターに思うキリストにおける復活信仰

先週は無力感と自己嫌悪に苛まれ霊肉共に冴えず風邪まで引いてしまった。花冷えの昨日、クリスチャン・ペンクラブ例会出席はしんどかったが、主に在る方々との安らぎと総会で会計報告を終えた充足感を得て夜8時前に帰宅。

開口一番にマチの消息を聞き、予定通り無事に日本に到着し再び離陸したことを知り安堵した。今回は一部マレーシア航空を利用するというのでいつも以上に緊張が高まったが、今朝の子供の礼拝中にマチから目的地に無事到着のメールが入った。

※2013年4月より2014年5月末まで馬見労祷教会ではなく、ここ西大和教会で礼拝を捧げていたがカテゴリは「馬見労祷教会関係」に収録。

イースターの礼拝堂.jpg今日はイースター。イエス・キリストが十字架につけられて3日目に復活された喜びの日である。
子供の礼拝では「マタイによる福音書28章1節〜10節」から話され、そのメッセージが私の耳に入ったと同時に癒されていくのがわかった。まるで冷えきった体に暖かいお湯をかけられているような心地よさを感じていた。

「私たちは泣いたり笑ったり文句を言ったりして、いつでも神さまを忘れている。でもイエスさまを思い出すと元気になり、生きていく力が与えられる。

墓の『石』は、私たちにはどうしようもない『死』であり、その石が取り払われてイエスさまの命に生きるようにしてくださった。よみがえられたイエスさまを忘れないで私たちも前を向いて歩いて行きたい」。


イースターエッグ見つけたよ!.jpg礼拝のあと、こどもたちは園庭のあちこちに隠されたイースター・エッグ(装飾した卵)探しを楽しんだ。礼拝まで少し時間があるので私も知子を誘って園庭へ出た。

ユキは遊具土管の中に置いてあった卵をスタートと同時に見つけて大喜び!
「早く見つけすぎ!」と笑う幼稚園の先生。
そんな光景が私の疲れた心を癒してくれる。

そして、「キリストの十字架の前に希望を失っていた弟子たちが再び立ち上がったように、私たちも新しい一歩を踏み出しましょう。」と書かれた週報の言葉に、弱った心身(骨組み)が立て直されていくような音を体に感じた。

森有正が「キリストにおいて赦されているということを思い出すと急に元気になる」と言っていたのを思い出す。その前後には次のようなこと(原文通りではない)を書いている。

人生を重ねて最後に残るのは死の問題であり、それは罪の問題であるということ。罪があるから人は死を恐れるのであり、その問題を解決へと導いてくださったのがイエスだ。

霊的に具合いが悪い時は目の前が灰色にふさがってしまうが、キリストにおいて赦されているということを思い出すと急に元気になる。その信仰の根本的なものがキリストの復活だ
と。

年々歳々イースターに深まりを覚えるのは感謝なことだ。
イエスが私の罪のために十字架上で死んでくださり罪の贖いと赦しを完了してくださったのであるから、神に赦された者の唯一なすべきこととして、イエスを見上げて主の平安の内を歩み、終わりの日まで経験を深め続ける努力をしたい。

近年の私は経験を深めるどころか衰退しており、今よりもう一度手ごたえのある歩みになるように克己したい。


附記: 教会から入学のお祝い.jpgCSでは進級式があり小学校に入学した2人の男の子に『こどもさんびか』をプレゼントされた。
ユキはさっそく大好きな『天にいますわたしたちの父』を歌っていた。
手前にある教会でいただいたイースターエッグは夕飯のサラダに使っておいしく完食した。

夕方4時半頃、マチは長旅で疲れていたようだが2週間滞在するホテルの部屋から仕事の手を止めて声をかけてくれ、「明日から頑張る」と数分間だけスカイプで元気な顔を見せてくれた。

posted by 優子 at 19:57| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2014年04月18日

長い学校時代の始まり

登校初日@.jpgこれは入学式翌日、学校生活1日目の朝の光景だ。時間は7時50分頃、ユキの班は20名ほどの集団で登校する。
黄色いカバーをつけたランドセルの子がユキ。背丈はクラスで後ろから2番目ということもあってか、ランドセルが大きすぎるようには見えない。1年生は置き傘を持参している。

登校2日目、4月10日朝。
登校二日目の朝@.jpg  登校二日目の朝A.jpg
交通安全の黄色いカバーがなかったら1年生には見えないね。
2年前の4月、入園式翌日のユキ。登園初日A.jpg
ああ、何と懐かしい!かわいかったね。

初めての宿題.jpg4月16日、初めて宿題が出て嬉しそう。
一生懸命「ふじもとゆきひさ」と書いているよ。

11時半下校最終日@.jpg





そして、今日が11時半下校の最終日。
こんな光景を見ていると我が子の時を思い出さずにいられようか。もう30年も前のことなのに昨日のことのように思い出される。私はマンションの8階からいつも眺めていた。遠くに集団が見えた最初から最後までずっと見ていた。

担任の先生に要所まで見送られて帰るのも今日までだ。今は幼い頃のユキの姿を脳裏に焼きつけなくては!

いよいよ来週から給食が始まり5時間目まで授業がある。

今日は「あいうえお」と「あね」という字を5回ずつ書く宿題だった。
「あね」に意味はないだろうに、ユキは「おばあちゃんみたいに調べる」と言って国語辞典を持ってきた。最近はネットの辞書で調べることが多いが、やはり辞書を手にすることも多いのでユキには見なれた光景なのだ。

ユキはどれだけ理解できたかわからないが辞書の調べ方を一生懸命聴いていた。私は良いスタートだと心の中で微笑んでいたが、夕食後にこんなことも言った。
「『あ』を覚えただけで頭の中が満杯でもう何も入らない」。ふらふら
先が思いやられる。わーい(嬉しい顔)

幼稚園の時も思ったけれど、ユキが学校から帰って来るのを知子に迎えさせてやりたい、宿題をする様子を知子に見せてやりたいと切ない思いでいる。

それは私が専業主婦だったからより強く思うのだろうが、毎日毎日娘たちが学校のことを話してくれるのを聞くのが楽しみだった。中学校になっても高校になっても大学になっても飽きなかった。

だからユキの成長をブログに刻み続けるのは未来のユキへの贈り物としてだけではなく、知子へのそんな想いを込めて今日もシャッターを押した。
 

「ユキちゃんの 写真有り難う。 ヤッパリ笑って居る顔は幼顔が残っていて可愛いね。まして 声を聞いたら なを 前のママで 可愛いよ」。
          (明日86歳になる神戸の叔母より)

附記:今夜夜半、ワシントン時間18日正午過ぎ、真智子は再びアジアに向かう。乗り継ぎ地は成田空港。日本の地を踏んだ2時間半後に次の乗り継ぎ国に向かって離陸する。成田空港からの直行便が取れなかったので、次の乗り継ぎ地で4時間ほどのホテル泊になり、目的地到着は20日の朝になる。

明日、私はクリスチャンペンクラブ例会で大津教会へ。マチが東京を発つ頃、私は大阪駅に戻る列車の中だろう。
旅の無事とミッションの成功を祈りつつIMFのビデオを見て出かけたい。


posted by 優子 at 21:18| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年04月16日

「憲法9条にノーベル平和賞を!」ノルウェー・ノーベル委員会正式に受理!

今年1月12日の記事でご紹介した「憲法9条保持する日本国民にノーベル平和賞を!」を、ノルウェー・ノーベル委員会が推薦を受理し正式に候補となった。
以下は『クリスチャン新聞』(2014-4-11)より抜粋:
戦争の放棄、戦力の不保持を定めた憲法9条を保持する日本国民をノーベル平和賞に推薦した「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会に4月9日、ノルウェー・ノーベル委員会から推薦を受理したとの通知がメールであり、正式に候補となった。

通知には「ノーベル平和賞の申し込みを受け付けた。今年は278の候補が登録された。受賞者は10月10日に発表される予定だ」と書かれていた。
賛同の署名は現在3万名を越えている。

 【日本国憲法】
第2章 戦争の放棄
第9条
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

私は石破さんが昨年4月に「時代に合わなくなった憲法を見直すことが自民党の責務だ」と述べたことに頭をかしげてしまう。

「時代に合わなくなった憲法」。
まさにここに憲法改正の賛否を分ける考え方が集約されている。
確かに今や憲法9条では対応できない新たな国際問題が起こっており、自衛隊の装備もしっかりとした理念の枠組みの範囲内で高度にしていくべきと思うが、そのことと憲法改正は別問題だ。

時代に応じて変更や追加することは多々あるが、どんなに時代が変わっても変えてはならないものもある。
人間とは実に不確かで弱いものであり周囲の状況に影響されやすい存在だ。どの国民にも共通して危険なメンタリティがあり、憲法を改正すればより容易に戦争への道を開いてしまう恐れがある。

「こんなはずではなかった」と悔いるような危うさからは一線を画すのが賢明だ。それは一個の人生においても国家においても同じだ。

この種の問題は議論を続けていても解答を見出せるものではなく、信仰と同じく自分の生き方を選び取る問題だと気づかされた。


posted by 優子 at 11:14| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2014年04月14日

新聞記事の写真譚続編

そしてまた昨日の記事の追記として:
昨日の新聞掲載の写真を幼稚園のN先生が見つけてくださっていたのだ!
1年生は毎日11時半過ぎに下校し先生に引率されて帰って来る。私は集団登校の集合場所である公園まで迎えに行くのだが、ちょうど同じ頃に幼稚園の子供たちが帰って来る。

そして、幼稚園の先生もまた当番の保護者と共に同行されるので、9日からN先生にも毎日お目にかかっていた。

今日はN先生が、「ゆきひさくん、新聞に載ってましたね。」と仰ったので驚き、瞬間的に「悪い人相で写っていますでしょ」と言っていた。
「いえいえ、でも、ゆきちゃん、こんな顔するかなあ」と先生も笑っておられた。また、今朝ユキに昨日のことを尋ねてくださった時の様子を話してくださり、いつもこのように子供の様子を保護者に話してくださるのだ。

そして、「S先生(今の担任の先生)に(新聞記事を)お渡ししましたから、今日はクラスで盛り上がったことでしょう」と仰った。久々にN先生との触れ合いで私の心まで活性化された。

幼稚園と小学校は道路を隔てて真向かいにあり、N先生は毎朝ユキたちに「行ってらっしゃーい!」とに声をかけてくださっていると、昨日ユキから聞いたばかりだったから、私は心からの感謝の気持ちを伝えた。

このような先生に2年間保育された子供たちは本当に幸せだ。
心をこめて育てられた子供たちは小学校の先生方に委ねられたのである。当小学校がどのような教育を提供しているのか、今、外観を探りつつあるところである。


「しかし、よく見つけてくださったね」と知子。
ホントホント。「真剣な顔」というよりもつい先月まで幼稚園へ通っていたユキとは似ても似つかぬ表情だから。ユキの目つきを見た瞬間、早くも親譲りの強度の近視が始まってきたのかとドキッとしたのだった。がく〜(落胆した顔) ちっ(怒った顔) もうやだ〜(悲しい顔) ふらふら わーい(嬉しい顔)

台所に立つ私の後ろ姿.jpg本当はまだまだかわいいユキ。
「カウンターに座ってはダメ!」と言っても聞かないユキは、今夜もお気に入りの場所に坐ってこんなにかわいい絵を描いていた。
台所で食器を洗っている私の後ろ姿だ。
後ろ髪はワカメちゃんより短いのでは? 
カウンター時代.jpg

posted by 優子 at 22:08| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年04月13日

ユキが今日の朝刊記事に写っていた!

昨日の追記として:我が家は毎日新聞を購読しているが、読売新聞を先週初めから1週間だけ無料購読していたところ最終日の今日、朝刊の地域欄に昨日から開催されている馬見丘陵公園のチューリップフェアが取り上げられており、その記事に掲載された写真にユキが写っていた!

新聞掲載記事.jpg   (笑).jpg

ユキが持っているカメラは、昨年マチ・クマからクリスマスプレゼントされたものだ。今も飽きずに愛用している。
ユキも驚いて笑っていたが、「ユキは何も嬉しくないよ。だってユキが頑張ったことで載ったんではないから。」と言い、「マチも新聞に載っていたね」と付け加えた。マチを意識しているのか?(^−^)

ユキが写したものを見るとなかなか良い写真を撮っていて、私などよりもよほど上手だ。構図が良いし、何よりも自分が何を撮りたいのかわかっているのだと思う。

「おじいちゃんとおばあちゃんが仲のよいところを撮りたい!」と言って撮ってくれた一枚。

ユキのカメラで.jpg
「ありがとう!これでどう?」

今日は15〜6度の曇り空で暖房を切れない肌寒さだ。

posted by 優子 at 16:30| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年04月12日

チューリップ2014!

「仕事と生活の調和」は現代人の重要なテーマだが、知子はそのようなことを言ってはおられない日常だ。昨夜も夜遅くまで仕事をしていたがはかどらず、せめて4時間ほど静かな時間を作ってやりたくて3人で外出した。

私は桜見物もさほど行きたいと思わない出不精だが、珍しく馬見丘陵公園のチューリップフェアへ行きたくて夫とユキと3人で出かけた。自宅から自動車で30分ほどの所だ。
そのあと食料品の買い物や給湯器設置の仮契約など5カ所の用事を終えても3時間少しで帰宅した。

馬見丘陵公園はチューリップなど20万株の春の花々が鮮やかに開花して、それはそれは美しかった。
チューリップ満開A.jpg
↓唯一中に入って写真を撮ってもよい場所で。カメラマンはユキ。
ユキが撮ってくれたツーショット!.jpg

チューリップフェアG.jpg

とても美しかったが深い感動はなかった。
新聞折り込みに入っていたチラシと同じ光景を見て満足したからだろうか、新しい感動はなかった。森有正が言うところの「体験の対象として」見ていたのかもしれない。

自分の心の中を眺めながらゆったりした時間がなかったことが大いに関係すると思うが、ベランダで咲くチューリップは何回見ても、何十回春を重ねても感動は常に新しい。


2014.4.16.jpg

生きるとは自分自身の探究にほかならない。感動できるのは自分が深化し変貌をとげているからであり、それゆえに自分の心の中を眺めつづけなければならない。そんなことを思った春の一日だった。


posted by 優子 at 20:48| 随想 | 更新情報をチェックする

2014年04月08日

ユキが1年生になった!

幼稚園の入園・卒園式は雨模様だったが小学校の入学式は春の晴天に恵まれ、予定通り知子は着物を着て式に臨んだ。知子の着つけのために朝早く駆けつけて下くださった呉服屋さんに心から感謝している。

入学式@.jpg
この写真は校門前で幼稚園のN先生に撮っていただいたもの。
幼稚園のチューリップがきれいに咲いていた。
(この日の最高気温21.1度、最低気温3.4度)

1年生は34人学級の2クラスでユキは2組だった。クラスの半数弱の子供たちが幼稚園のお友達だったこともあり、ユキはリラックスした表情だった。

入学式は厳かに始まった。国歌斉唱を初めて耳にした子供たちは、周囲の大人や在校生もみな歌っているのでキョロキョロして横や後ろを見ていた。

入学児童の氏名点呼の時、来賓席に座っておられた幼稚園の先生がニコニコして見ておられ、私は子供と先生と交互に見入っているうちに2年前の春のことを思い出していた。嬉しい嬉しい春だった。

私の子育てでは小学校入学がとても嬉しく印象的だったが、ユキの場合は今日よりも幼稚園に入園した時の方が印象深く残るように思う。それは子と孫の違いというものではなく、2009年春の痛々しい状況が強く影響しているのだろう。

入学式A.jpg入学式のあと子供たちは別の部屋で過ごし、保護者たちは各クラスで担任の先生からたくさんの説明を聞いていた。
今日の午後は教科書から細かい教材まで名前書きや提出する調査書などの記入で大忙し。ユキをベッドに送り今も第2ラウンドに精を出している。

3月初めにお母さんを亡くされたお友達も同じクラスになった。保護者の中で一人だけ父親が坐っておられるのを見て悲しみが込み上げてきた。
私の場合はユキの世話と言ってもユキの母親がいるからいいが、制服とはいえ大まかな決まりだけで帽子以外は自由に購入することになっているので大変だ。

私は労いの言葉をかけて少し話していた。今夜も妻のことを悲しむ暇もなく頑張っておられることだろう。

教科書.jpg
ゆきひさ、入学おめでとう!
知子、おめでとう!

入学式を終えて@.jpg

鯛の塩釜焼.jpg附記:夕方、近隣のNさんがお祝いにと「鯛の塩釜焼き」を作って持ってきてくださった。鯛の塩釜焼A.jpg
塩に卵白を混ぜて厚く塗りかためてオーブンで焼くそうだ。
お昼に炊いたお赤飯とお鯛さんがメインの食卓を囲んだ。おいしくアッという間に完食。感謝!


posted by 優子 at 22:02| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年04月07日

明日の入学式を楽しみに眠ったユキ

入学式前日D.jpgおじいちゃんとおばあちゃん
おいわいありがとう
らんどせるもありがとう
ちゃんとべんきょうします 
ゆきがんばるね。
          ゆきより
↑これは今日のユキ。
今夜、良輔がユキにメッセージを語りながら入学祝い手渡した。するとさっそくこのような手紙を書いて持ってきてくれて目頭が熱くなった。これは永遠保存版だ。私が生きている間の。

ありがとう、マチ.jpgマチの滞在中に学校の制服姿を見てもらい、その時にマチ(夫婦)からもお祝いをいただいた。
神戸のおばあちゃん(大ばあちゃん)、藤本の大ばあちゃんからもいただき、そして昨日はKおばちゃん(私の妹)からオシャレなポーチが贈られてきた。


ユキは今夜の祈りで、「イエスさま、いよいよあしたは入学式です。これから一生懸命カタカナや漢字も覚えます。あしたはママが着物を着るから嬉しいです」とお話して嬉しそうに眠った。

恥ずかしがり屋で固まってしまうユキだけれど、知子の入学式の写真を見ると、きっとユキのほうがリラックスした気持ちでいると思う。何よりも幼稚園の2年間に何度も交流し行き来している学校だからね。

知子の入学式当日.jpg1984年4月6日。
これは式の前に来た者順に教室の席に着いたところ。
知子・入学式.jpgそして、帰る頃にはこの笑顔!→
ユキのママも1年2組だったね。
この日は肌寒く大阪の最高気温は15.1度で最低気温は6.4度だった。



今日までユキを守り育ててくださった神さまに感謝します。今は疲れてその溢れる感情が弛緩しているが、静かに独りになって祈りの時を持ちたい。


附記:私は5日の土曜日になって着物の用意をし始めたものだから呉服屋さんに大変なご迷惑をかけてしまった。
訪問着の袖の長さに合う長襦袢が見当たらなくて短くてもいいかと思っていたら、それは絶対に良くないということで急きょ仕立ててもらうしかないという展開になった。

そこで色留袖を着せることを提案したところ紋の数を調べよとのこと。
一つ紋ならば良いが三つ紋や五つ紋になると入学式には不可。着物の格式が高くなりすぎて場違いになるとのこと。

そこで一旦帰宅して紋の数を調べた。母は五つ紋で最高の礼装に作ってくれていた。
次に母の着物も手元にどっさりあるので母の長襦袢を調べかけたが、振袖の袖を短く直してもらうことを思いついた。振袖の話も出ていたのに、その時はうっかり聞き流してしまうほど私はパニクッていた。

この際長襦袢の袖を短く切ってしまっても良いのだが、海外では振袖は既婚者でも全く不都合無く重宝に着られるというので真智子のために切らないことにした。

呉服屋さんは早速仕立て屋さんに袖の手直しをお願いしてくださり、入学式に間に合わせてくださった。掛け襟もつけておいてもらった。本当にありがたく感謝している。お世話になっている名倉屋さん。 

「私は着物のことは何も知らなくて」とは今や言い訳にもならないほどいい年をしているから恥ずかしい。
娘時代に3ヶ月間だけ着付け教室に通って7分だったか8分間で着ることができたが、結婚してからも母に着せてもらっていた。ましてや着せてやることなど全くできず、明日も呉服屋さんが7時過ぎに自宅まできてくださることになっている。

その方は私と2〜3歳しか違わないのに、私はいつもその方に母の姿を重ねている自分に気づく。

私は母の心づくしの品々を無にしたままで、「お母さん、ごめんね」と心の中で何度も詫びるばかり。明日は知子が着る姿を見て嬉しそうな母の顔を想像する入学式でもある。


posted by 優子 at 22:23| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年04月03日

冤罪は悲劇の三重構造だ

【袴田事件】 一審死刑判決、今も悔やむ 「謝りたい」と元裁判官
静岡地裁の元裁判官、熊本典道さん(76)は、袴田巌死刑囚(78)を死刑とする判決文を書いたことを今も悔やんでいる。「こんな証拠で死刑にするのはむちゃ」と訴えたが、先輩の裁判官2人を説得できなかった。
TR2014032400392.jpg「袴田君に謝りたい。申し訳なかった」。
その目は止めどない涙であふれる。判決から46年、この思いが晴れたことはない。  

▽告白
「心にもない判決を書いた」と良心の呵責に耐えきれず、判決の翌年に裁判官を辞めた。弁護士になったものの、法廷で「私はやっていません」と訴えた袴田死刑囚のまなざしが忘れられない。酒浸りの生活を送り、一時期は自殺を考えたこともあった。弁護士も辞めてしまった。
 

第1次再審請求の特別抗告審が大詰めを迎えた2007年に、無罪の心証を持っていたことを初めて明らかにした。「勇気ある告白」と称賛する声も多く寄せられたが、自分の中では「もっと早く言わないといけなかった」との思いの方が強かった。最高裁は特別抗告を棄却し、告白は実を結ばなかった。

▽洗礼
「袴田君の気持ちを少しでも理解したい」。東京拘置所で84年にキリスト教の洗礼を受けた袴田死刑囚の心に近づこうと、自身も今年2月22日、カトリックの洗礼を受けた。

熊本典道さんの行為は遅きに失したが心からの敬意を表したい。ようやく魂の平安を得られたことであろう。私たちも地上での出来事は地上で解決したいものである。

冤罪は袴田さんの悲劇だけではなく、殺された被害者たちは真犯人を見つけてももらえず二重の悲劇である。そして何よりも真犯人を野放しにしていることを忘れてはならない。真犯人もまた悔い改めることなく生きるのはこの世の地獄であり悲劇だ。

48年も経っているから真犯人は死んでしまっているかもしれない。悔い改めることなく人生を終えたとすれば永遠の滅びであり、これ以上の悲劇はない。


私が常に思うことは司法の世界にも通じることであると考えるのだが、そもそも検察官も弁護士も裁判官も互いに対峙する立場ではないはずだ。
共に真実を究明するために立てられた者であり、互いに違った視点から物事や事実関係を客観的に見て、それらの見解を統合して真相究明していくのではないだろうか。

私たちは客観的に見ることは非常に難しい。主観的になりやすく意地やメンツで物事を正しく見ようとしない、見ることができない弱さもあるだろう。
しかしながら、1人の人間が極刑になるかどうかを決定するような場合にも己の姿勢を吟味しないならば非常に恐ろしいことだ。

静岡地検は静岡地裁の再審開始を認める決定を不服として、裁判をやり直さないよう求めて即時抗告した。

主よ、全ての者に遍く神の正義を知らしめてくださるように。そして、袴田さんの上に奇跡的な祝福をお与えください。


posted by 優子 at 23:49| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

ユキとチャッピーと一緒に春を歩く

春開く.jpgマチが発った翌朝チューリップが咲いていた。これから次々と色とりどりの花を見るのは春の楽しみだ。


池の周りの桜もほぼ満開になっていた!
今日はチャッピーと桜の花の下を歩いた。チャッピーにとっては今年初めての長い散歩に出たが大丈夫だった。今日はPM2.5の影響も少なく空はこんなに青い!
マチが発った翌日ほぼ満開.jpg

ユキ入学の春@.jpg

今春からユキにチャッピーを任せられるようになった。もうすぐユキは小学生になる。
春を歩くチャッピー.jpg

真智たちがミッションに出発した頃はワシントンに雪が降っていたけれど、ワシントンも春になっていた。

posted by 優子 at 21:27| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2014年04月02日

またね!

今朝は4時起き。まもなくユキまで起きてきた。
朝食を終えてスーツケースもトランクに積み終え、今回は伊丹空港に間違いがないか空港名を再度確かめていた。というのは、ワシントン出発時にレーガン空港に行くべきところをダラス空港に行ってしまったからだ。

チャッピー、元気でいてね!.jpgマチはチャッピーに「また会う日まで元気でね」と愛の挨拶をした。
家人を待つ.jpg

午前5時半、ようやく夜が明け始めた。

知子も一緒に妹を空港まで見送り、6時48分に会社に着いたとのメールがあった。高速道路がすいていたので7時50分の飛行機にも十分間に合い、会社にも早く着きすぎたようだ。

昨夕、夫が西アフリカでエボラ熱が大規模拡大のニュースを伝えてきた。エボラ熱に感染すると治療法やワクチンが無くて致死率が非常に高いので、真智子と私に張りつめた緊張が走った。

マチがすぐに伴侶に連絡をとり無事を確認して胸をなでおろしたが、前回のミッションでも体調を壊したことを数日前に聞いたところだっただけに心配した。

マチ・クマはミッションの時はペットボトルの水を大量に持参するそうだ。アフリカ出張となればそれに加えて、マラリア感染予防の薬を毎日服用しなければならず心身にかなりの負荷が加わる。

今回も水や食べ物が原因と思われる腹痛と発熱でWHO(世界保健機関)のクリニックを受診したという。
幸い2日間休養して仕事に戻れたが、今度はエボラ熱とあって私たちにはわからないIMF職員の苦労を垣間見る思いだった。

真智子は今、日本を発ってまもなく6時間。あと7時間でワシントンだ。
太志君(クマ)は午後3時すぎにフランスの空港のラウンジからメールを送ってくれた。パリまで戻ってきたのでホッとした。シャルル・ド・ゴール空港は1999年秋に知子と真智子と3人でヨーロッパへ行った時に利用したことがある。

真智を見送ったあと、私は洗濯物を干してお昼過ぎまで眠っていた。
真智はワシントンに帰って2週間後には再び2週間のミッションに出なければならない。アジアを担当しているのでその帰りに2泊だけ日本に立ち寄れそうだからと、化粧品、衣類、一部の食料品はその時に持って帰ることにして置いて行った。

チャッピー元気A.jpg昨日の夕方、チャッピーとツーショット。
チャッピーは信じられないほど元気になった。寿命があったのだ。3月に入ってからグイグイ引っ張り、4本足を浮かせて走る。柴犬らしく尻尾もクリっと上がっている。


23時20分追記:家を出て18時間、たった今マチから無事ワシントン到着のメールあり。感謝!現地時間は同日午前9時20分。
「お疲れ様。お昼寝するのよ〜〜〜」


posted by 優子 at 17:04| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2014年04月01日

楽しかった春のひと時

21日夜遅くに帰国した時の嬉しかったこと!楽しい時はかくも速く過ぎ去るものか。真智子が日本の春を過ごしたのは何年ぶりのことだろうか。昨日五分咲きだった桜が今日は桜色に染まっていた。

今回の滞在中は4月1日からの消費税増税を前にして、デパートやスーパーの商戦の様子やテレビ報道などをつぶさに見て、日本のおみやげ話のひとつになることだろう。

次女の帰国と重ならなければ私もまた買い物に駆り立てられていたことであろう。制限時間直前に買い忘れがチラホラ思い出されて残念無念。わーい(嬉しい顔)

真智子は11日間の滞在で疲れた心身も癒されてようやく元気になったと言っていた。その間にも土・日は身近な店での買い物があり、メガネも作り変えて日本の細かい技術に感動していた。

3月24日は5時間という短い再会だったが、ユキと一緒に3人で神戸の叔母(86歳。娘にとっては大叔母)を訪ねた。今年も手作りのイカナゴのくぎ煮を持たせてくれた。

E58F94E6AF8DE381A1E38283E38293E38081E381BEE3819FE4BC9AE38186E697A5E381BEE381A7.jpg「今日はマチちゃんも忙しい中、母を訪ねてやってくれてありがとうございました。今母と電話でそちらの様子を聞かせてもらったところです。 マチちゃんは相変わらず可愛い子やと喜んでいました」。

従妹のメールはとても嬉しく、叔母が喜んでくれたことを神さまに感謝した。
叔母に母の姿が重なる。

27日、「日本の大学を訪ねるのは久しぶり」と京都大学大学院経済研究所で研究発表をさせていただき、その後参加者と共に恩師を囲んでのひと時は海外生活の緊張を緩める時になったようだ。

「今日は本当に楽しかった」と帰宅する娘を迎える幸せ。
私は真智子の大学時代を思い出し、そしてまた、まもなく遠く離れて暮らさねばならない寂しさも募ってきて辛かった。

28日はブログを書いた直後に散歩に出た。途中の道で急きょ「ナルニヤの森」へ行った!
自宅からそう遠くない所にこのような所があることに驚き感動していた。次はクマ(マチの伴侶の愛称)も一緒に帰国した時にお弁当を持って行こうと盛り上がった。その日が楽しみだ。

29日は全員で高島屋へ。真智子自身が優先予定に入れていた買い物だが、最初に娘たちの黒のフォーマルウエアを買って昼食に。
その後知子と私が真智子に同行したが体力の限界で午後3時に撤退。私たちは先に帰宅することになり、マチはその後も4時間頑張って8時前に帰宅した。

30日夜遅くから知子と真智子と私の3人で午前2時まで話していたから今日は眠たい。
明朝は始発の電車で伊丹空港へ向かう予定だったが、夫(真智子の父)が自動車で送ってくれることになった。それでも5時半には家を出なければならない。そして、成田空港から午後の便でワシントンへ戻る。

ちょうど今頃、アフリカでのミッションを終えたクマはホテルをチェックアウトしてオフィスに向かっている頃だろう。ワシントンには真智子よりも数時間あとに到着する予定だ。共に無事に帰米できるように。

ユキは今夜の食前の祈りでマチとクマの無事を祈り、「すべての飛行機が無事に着きますように」と祈った。純真なこどもの祈りは神さまに届いたことであろう。
明日の別れが辛くて微笑むのも努力が要った。明日また行ってしまうマチ.jpg

公園の桜はほぼ満開だった。桜の季節は何年ぶり?.jpg

「マチとフー(クマのもう一つの愛称)、入学祝いをありがとう!」
ユキ、入学の春に.jpg
ユキもママやマチ・クマのように勉強好きになあれ!

2日前からチューリップが顔を出し、今日は少し色づき始めた。マチの出発までには間に合わなかったけれど、花が咲いたらブログで知らせよう。
チューリップは「春から夏への希望のしるし」
ですよ春.jpg
今年の希望はすでに始まっている!


posted by 優子 at 22:57| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする