2014年05月31日

独り静まりの中で

堂々たる木々を創られた神よ、
あなたが木々に勇ましい頑健さを
与えられたように
私に不屈の精神を与えてください。

大きくなったね.jpg

おお、神よ、
私たちはあなたが植えられた木、
私たちはあなたの森の木々です。

さあ、いのちの樹液を
私たち全ての脈管に流してください。
太陽と雨をつかさどる神よ、
あなたの始められた事を
完成してください。

風の強さを計られる神よ、
私たちを圧迫や緊張に耐えるものと
なさせてください。
               
                           (エミー・カーマイケル)

新緑は深い緑になった。木々は豊かな葉を茂らせ、風に揺れる葉の音がとても心地よい。私は神に愛されている者として生き、深い静まりの中で祈りつつ生きよう。

祈りに導かれてナウエンの言葉を贈りたい。仕事が順調に進んでいる人とそうではない人に。
独りきりになれる場所(時)を持たなければ、自分の生活が危うくなることに、私たちはうすうす気づいています。・・・独りきりになる所のない生活、つまり、静かな中心を持たない生活は、簡単に破壊的なものになっていきます。・・・

結果を重んずる社会においては、・・・何かを成し遂げたというだけではなく、自分の成し遂げたことを自分自身だと思うようになってしまいます。・・・・

私たちの業績 ― したことの結果 ― を、自分の価値を決める物差しにすればするほど、私たちの心も魂も、いつもびくびくして暮らすようになります。・・・

キリスト者として生きるということは、この世に属さずに、この世に生きるということです。こうした内なる自由は、独り静まる中で育まれます。


「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた」。

     (『静まりから生まれるもの』 ヘンリー・ナウエン著より)

3日前から真夏日が続いている。それでも朝晩は肌寒いので冬物を片づけないでいたが、もう6月になるからと、ようやく昨日畳の上の敷物を取り除き、毛布をシーツに交換した。11月には冬支度になっていることを思うと夏の時期は短い。

今日も暑い一日だった。明日はもっと暑くなると予報している。今朝早くからゴルフに出かけた夫は日焼けして帰って来ることだろう。

附記:今月ご夫妻でクロアチアとスロベニアへ旅行された友からおみやげが届いた。お礼の電話後、「パンフレット以上の美しさ」というユネスコ世界遺産・プリトヴィッチェ湖群国立公園をネットで調べ、長い間見ていた。

良い時間とお金の使い方をされているといつも思う。ご夫妻そろって私たち夫婦と同じ年齢である。私も行きたいと初めて思った。

お手紙は、「ヨーロッパはどこへ行っても教会がたくさんあり、いつもイエス様を感じることができました」と結ばれており、神の祝福が溢れていた。



posted by 優子 at 18:04| 随想 | 更新情報をチェックする

2014年05月29日

無常感との霊的葛藤

ブログを書き始めて以来10日間も更新しなかったことはなかったように思う。更新が長らく滞っているのを心配してくださっている方々やメールをくださった友のことを憶えつつ、その間の消息をお伝えしたい。

電話・ネット回線変更で最後の撤去工事や家のメンテナンス(今も継続中)で落ち着かないこともあるが、特に何かあったわけではない。
何かあったわけではないが精神界がいつもと違っていた。きっと初老の者が感じる持ち時間が少なくなっていくことへの焦りもあるのだろう。

そして、自宅近辺の小さな自然界ではあれあまりの新緑の美しさに、この今の時空にずっと留まっていたいという気持ちから無常感に苛まれたのかもしれない。

60代になってからそれまで以上に無常を感じるようになり、常にその視点から人間の一生や世の中のことを観ている自分に気づく。そういう思いに寄り添ってくれる文章はないかと、時間があれば取り留めもなく文書を読みあさっているうちにブログの空白を重ねてしまった。

小林秀雄の『無常という事』も読み直して思いにふけり、昨日一昨日は王維の漢詩を読みたくて『唐詩選』を捜した。このただ中に留まっていたいというような詩があったと記憶するのだが、書棚のどこを探しても見つからなくてガッカリした。ネットで検索できるだろうが書物に書きこんだことも読みたいのだ。

すべては変化し過ぎ去っていく。人は過去と未来には存在せず、ただ現在に存在し、現在を生きるのみ。そして、いつか過去、現在、未来が一つにされて、その中で生かされるのだと思う。人生を終えた瞬間に一つにされるのだと思う。

サクランボの季節.jpgそう思った時に、小林秀雄の言にも満足しなかった私の探究にひとまず終止符を打てた。
同時に神をリアルに感じながらの霊的な葛藤であったと気づかされた。

生かされている間は、ただその日その日の最善を尽くし努力することが全てであり、それら一切のことを神が益としてくださることを知って生かされている幸いを感謝する。

私は聖書の話をただ教訓的にではなく、それを生きている者の感慨を分かち合い深めていきたいのだ。


posted by 優子 at 18:13| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2014年05月18日

ユキ1年生5月の光景

若葉が日増しに色濃くなり、初夏の強い光に眩しく輝いている。
5月16日はユキの2回目の参観日と懇談会だった。

知子は経理の仕事に加えて、21日に出張があり前夜から出向かねばならず、プレゼンテーションの準備が加わり、参観日に出る余裕など全くない状態だ。しかし、子どもの養育はことのほか大切ゆえに無理を押して出席した。参観日はユキが大喜び、母と子のスペシャルタイムである。

我が夫(知子の父親)も知子の会社への多大なる貢献を素直に認めることができるようになったのだろう。そしてユキのためも思ってのことに違いない。先月の参観日の時同様に自ら申し出て近鉄沿線の駅まで知子を送ってくれたという。こういうことは考えられないことだった。

今月は図工の授業でカタツムリを描いた。

頭だけ汗っかきユキ.jpg
 
1年生になっても頭だけ汗でボトボト。汗をかいているのはユキだけで、いつものように髪の毛から汗が滴り落ちていたそうだ。わーい(嬉しい顔)

20日追記:ついに昨日はお友達に言われたそうだ。「ゆきひさくんの頭、汗でボトボトやね」と。ユキは「そうやねん」と返した。小さな子ども同士が会話しているところを覗いてみたい。)

ユキは1年生.jpg

カラフルでかわいいカタツムリができたね。
おとなりのカタツムリもかわいいね。
ユキのカタツムリ.jpg

封筒で作った鯉のぼり.jpgこれは封筒で作った鯉のぼり。
かわいいね。
ユキの学習ぶりはいかに。
知子や真智子と比べてはいけないと自らを戒める日々だ。

さて4月18日で先生の下校時同伴が終わり、そのあとも私は公園まで迎えに行くつもりが数日で終わってしまった。

というのは、その3日目のこと、私が迎えに行く前にユキが先に帰って来て、「おばあちゃん、ユキはもう一人で帰れるから!」と、その意気揚々とした表情にユキの自信が輝いていたので、自立心への配慮から私の迎えは終了した。

こちらもまた行かなくて良いとなればやはり楽である。特に雨の時はわざわざ出ていかなくてもよいのでありがたい。我が子の時は一度も迎えに行ったことはなかったが、1年生の時はよくベランダから子どもの帰りを見ていたものだ。

5月13日、ユキの帰ってくる様子を見たくて2階へ上がった。娘たちの時のように見渡せる方向ではないので、どの窓から見るのが一番良いのか、いくつかの窓から見比べて次女の部屋の出窓から撮ることにしたが、ユキの姿が見えた瞬間に撮らないといけないほど距離が短いのでボンヤリしていられない。

ユキの帰りを待ちながら外を見ていると、知子と真智子をマンションの8階のベランダから見ていたことが懐かしく思い出された。

不思議なことにこういう時はあの時のままなのだ。私は30代に戻ったというのではなく30代のままで、マチが言ったとおり「心は年を取らない」ことを実感した。


帰ってきた!.jpg帰って来た!
えっ?!これがユキ?
真剣な顔つきというか、ユキではないみたい。


おかえりなさい!.jpg「ユキちゃん! お帰りなさい!」

これは15日、雨風の日。2014.5.15.jpg

5月7日、ユキが初めてチャッピーの糞を始末した。
花壇の中で.jpg

このあと坂を下りて行った所で糞の袋を花壇に忘れているのに気づき、1人で取りに行かせた。しかし、なかなか戻ってこない。私はチャッピーと集会所の下の道で待っていたので、十分に声が届く距離なのに呼んでも返事をしない。

誰かにさらわれたのだろうか。
緊張が走り花壇へ急いだ。

花壇の傍に糞袋があるのにユキが居ない。

私はオロオロして右往左往したあと、一緒に歩いて来た道を捜しに行った。

すると悲壮な顔をしたユキが走りながら戻ってきた。まるで大切なものを落としたかのような子どもの純真さに感動しつつ駆け寄った。
なんとまあ、ユキはチャッピーが糞をした所まで行ったが無かったと言うではないか。
昨今は目と鼻の先で子どもが居なくなる事件が珍しくないゆえに、私は安堵したと同時に疲れてしまった。

少年になったユキ.jpg 
印象的なチャッピーの姿.jpg

チャッピーには自動ドアのように開けてやらねばならない。




次の写真は5月6日。真智がマレーシアへのミッションの帰りに2泊だけ帰宅して再びワシントンへ旅立った翌日だ。

5日の朝早く家族みんなで真智を伊丹空港まで見送った帰り、夫は私と知子のために美容院を経由して待っていてくれた。そのあと、コーナンで夏野菜の苗を買って帰った時、マチは成田空港から日本を離陸する時だった。その日は疲れたので翌日の苗植えの光景である。

夏野菜の苗植え@.jpg
6歳10ヶ月にもなるとこんなに頼もしくなるのか!
この姿からはぐずるユキを想像できない。

義母にもトマト、キューり、ピーマンの苗を買い、夫とユキが植えてやっているところだが、キューリは害虫に茎を噛み切られてほぼ全滅した。ベランダのプランターに植えたプチトマトの葉に黒い斑点があり、今年の収穫は期待できそうにない。野菜作りは素人には難しい。

附記:昨日ユキを忍者屋敷に連れて行ってくれた夫は、今朝の礼拝を欠席し休養してもらった。ユキもCS(子どもの教会学校)の礼拝には間に合わず、教室へ入ってからの参加だった。

posted by 優子 at 17:41| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年05月17日

今日2つ目の記事、伊賀流忍者になったユキ!

今朝9時過ぎのこと、夫がユキを松尾寺のバラを見に連れて行ってやろうと誘ってくれたが電車では不便とあって、私は伊賀上野の忍者屋敷を薦めた。『忍たま乱太郎』のアニメが大好きなユキは大喜びで出発した。私たちも大喜び!

9時半過ぎ、家の中は静かになり知子は真智子の部屋で仕事に集中、私も1畳ばかりの我が書斎コーナーにて集中と相成った。2人ともゆっくりゆっくり帰っておいで!演劇

伊賀鉄道A.jpgそんなわけで伊賀神戸(かんべ)で伊賀鉄道に乗り換えて上野市で下車、到着。そして、伊賀流忍者博物館へ。

伊賀忍者A.jpg







伊賀忍者@.jpg「くのいち」(女忍者)に手裏剣の投げ方を教わっているところ。

「くのいち」の漢字を知りたくて調べると、「女」という字を「く」「ノ」「一」に分解したものだったとは!


上野城.jpg 上野城公園@.jpg
後ろに見えるのは伊賀上野城。移動保育園園長さんはお疲れ気味。
良輔さん、ありがとう!

伊賀鉄道B.jpg
買ってもらった手裏剣を持って、すっかり忍者気分。

今回の2人の外出は、先月末の名古屋の鉄道博物館「リニア・鉄道館」へ行った時と違って全く電話がなかったので、少なくともまだ帰りの電車には乗っていないと思いきや、16時半、ユキから電話が入った。私と知子はようやく15時半頃から買い物に出発し大急ぎで帰宅する途中だった。

私たちはこのあと休憩してもう一仕事するつもりだっただけに、「今どこ?」「着いたよ」「どこに?」「(家の最寄)駅に」と聞いて、私は「キャー」と悲鳴を上げてしまった。次回はもっともっと遠くまで遠征してきてもらわないと時間不足だ。わーい(嬉しい顔)

それにしても長距離の運賃を出して、現地でたった2時間半しか滞在しなかったとはもったいない。



posted by 優子 at 20:58| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

“Grow old along with me ! The best is yet to be,”

今朝はNHKの連ドラ・『花子とアン』をBSで7時半過ぎからユキと2人で見ていたのだが、大いにインスパイアされて、昨夜も遅くまで仕事をして起きて来たばかりの知子と、チャッピーの散歩から帰宅した夫にも紹介して8時から再度家族全員で見た。

卒業式シーンのブラックバーン校長の第一声、“Grow old along with me ! The best is yet to be,”は、私の座右の銘とする言葉だっただけに感動しメッセージに共鳴した。

「今から何十年後かにあなた方がこの学校生活を思い出した時に、あの時代が一番幸せだった、楽しかったと思ったならば、この学校の教育は失敗だったと言わなければなりません。
人生は進歩です。若い時代は準備の時であり、最高のものは過去にあるのではなく将来にあります
」。


まさにブラウニングの詩を語ったのである。

「我と共に老いゆけよ。最善の時は未だ来たらず」。
私は「我と共に老いゆけよ。最善は常に未来にあり!」と訳すほうがシックリする。
「我と共に老いゆけよ!」は、イギリスの最盛期・ヴィクトリア朝時代の詩人、ロバート・ブラウニングの詩である。娘たちの結婚記念誌にはなむけの言葉として私の愛を刻んだ。

私達の人生において避けることのできない試練がたくさんあるだろうが、嘆き悲しむことも敗北も失敗も恥ずべきことではない。試練にあって嘆きの底に追いやられるが、人生とは何度も何度も立ち上がることだ。一つの扉が閉まる時、神は必ず別の扉を開いて下さっていることを忘れないことだ。

それどころか、人生は失敗に見える時においてこそ成功を生み出すのである。自分の運命は自分の在り方、何を選ぶかによって決定されるのであるから、苦しくても決して短気を起こして人生を投げ出さないことだ。神に祈り、神と共に生きる仲間と慰め励まし合って通り抜けるのだ。

「倒れるは立ち上がるため、敗れるはより善戦するため。眠るは目覚める(死は天国に移されて生きる)ため」と歌って天に凱旋したブラウニングに魂が喚起される。

これは母に続いて父を天に送った2年後、私が50歳の頃にたどり着いた胸中を書いたものである。苦悩を通して霊的な目覚めを得て、もはや神学に重きを置いた頭だけの信仰ではない。

最善は常に未来にあり!.jpg

その後もまた大きな出来事がいくつもあった。
しかし、私も、知子も、そして、真智子もまた、苦悩を突き抜けて新たなる道を歩ませていただいていることを今一度感謝し、旅路の終わりまで魂を躍動させて共に人生を謳歌しよう。

愛する幸悠が中学生になったら是非この言葉を贈ろう。その時、私が生かされているかどうかはわからないが、ここに刻んだ私の思いを見つけてくれるだろう。

 

       Grow old along with me !

The best is yet to be,
The last of life, for which the first was made:
Our times are in His hand
Who saith “ A whole I planned,
Youth shows but half ; trust God: see all nor be afraid ! ”

        老いゆけよ、我と共に!

   最善は常に未来にあり。
   人生の最後、そのために最初も造られたのだ。
   我らの時は御手(神の手)の中にあり。
   神言い給う「全てを私が計画した。
   青年はただその半ばを示すのみ。
   神に委ねよ。全てを見よ。しかして恐れるな!」と。 


これをお読みくださった方々に主の祝福を祈りつつ。


posted by 優子 at 13:28| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2014年05月15日

日本を戦争のできる国にしてはならない!

本日夕刻、安倍首相は集団的自衛権行使など安全保障上の課題について記者会見を開き、「政府の基本的方向性」を表明した。私は会見やその後のニュースを聴く時間がなかったので、孫を寝させてから首相官邸のHPで読んだ。

キリスト教信仰の中で憲法をどのように位置づければよいのか。これまでにも憲法が神よりも上になってはいないかと自らに突きつけられる時や場面があったが、日本は今、解釈で憲法を変えようとする危険な岐路に立っている。

まず私が最初に訴えたいことは、日本国憲法は「硬性憲法」であり、改正する場合は通常の法律の立法手続よりもはるかに厳格な手続を必要とするにも関わらず、安倍首相の運び方に非常な危惧を感じている。

周辺国の動静はかつてないほどに緊迫しているので首相の主張は感情的にはよくわかるし、その懸念からも最低限度の防衛力は必要である。
しかし、「日本が再び戦争するという誤解があるが平和主義を守り抜く」というのは甘い。必ずやズルズルとエスカレートしていくのが人間の弱さであり実相だ。ゆえに反対論者は2度と再び日本を戦争をできる国にしてはならないと訴えるのだ。

過去の悲惨な歴史から学ぶならば、集団的自衛権の容認や憲法9条改正するのは命とりになる。今まで通り個別的自衛権と警察権で行使すべきであり一線を動かしてはならない。

現在全国各地に132ヶ所の米軍基地があり、そのうち米軍専用基地は84ヶ所(83ヶ所?)置かれていて、日本はアメリカを支えている最重要な国でイギリスよりも最も対等に近い同盟国だという。

基地に加えて莫大な金を出しているのであるから、それだけで同盟国としての責務を果たしているではないか!
何よりも忘れてはならないことは、沖縄の人々の大きな犠牲の上に成り立っているのであり、そのことを真にわかっているならば、これ以上に積極的に新たに踏み出す必要があろうか!
集団的自衛権を拡大させていくと日本がテロの標的にもなる。


国家のことと個人の人生を同じ線上で考えるのはトンチンカンかもしれないが、どんなに状況が変わろうとも変えてよいことと変えてはいけないことがあるのは両者に共通している。

例えば、あまりにも理不尽な考え方で暴言や愚行で主張してくる者には一線を画し、私は自己主張することなく退くことにしているが、集団的自衛権を考える時、いつもこのこととオーバーラップして同じ価値観に立っている自分に気づく。

新憲法が公布された昭和21年は小学校6年生だったというクリスチャン・ペンクラブの同志は、2006年に次のようなことを書いておられる。静かな筆運びながら訴えてくるものがあり、今も私の心に強く残っているので一部抜粋してご紹介したい。

「この憲法は、戦争に勝利したアメリカの押しつけ憲法ではないかと言う人がありますが、私はそうは思いません。

敗戦当時はまだ明治憲法の流れの中にありましたから、マッカーサーは3原則を示して、それを織り込んだ新しい憲法の参考案を作るように命じました。
1 天皇の地位、2 戦争の放棄、3 封建制の廃止。それは古い体質の日本に新しい風を吹き込んだのです。

『こうしてこの草案は、国民みずから選んだ代表である国会の手で昭和21年夏の暑い間、熱心な審議が続けられ、若干の修正を加えて可決、11月3日国民の歓呼の声の中に公布された。』(鵜飼信成『憲法』より)

学校でも『あたらしい憲法のはなし』(文部省編)という教科書になって、先生も生徒も感動的に学びました。憲法は守るものです。この平和憲法を次世代へそのまま送りたいと、私は思います」。


戦時中をくぐりぬけてきた世代も少なくなり、私とて戦後生まれで戦争の悲惨さは知らず、戦争の話を親から聞いてきた世代である。
しかしながら、現代においては直に聞かされただけでも貴重な存在だ。私たちは子や孫のために断固として非戦の声を上げねばならない。

最後に「日本国憲法 前文と第9条」を掲げ、改めて何度も熟読し自らの考えを吟味したい。
日本国憲法 前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。

これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。


日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。

われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。


われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

「日本国憲法の前文は(上記色分けしたように)4段から成り、1段から3段までは、主体( Government of the people )、方法(Government by the people)、目的(Government for the people)が述べられている。そして、平和主義の持つ一つの理念は国際協調主義で普遍の原理である」。
大学の一般教養で法学博士の原 龍之介先生より憲法を教わった。

日本国憲法 第9条
第2章 戦争の放棄

第9条 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 

posted by 優子 at 23:56| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2014年05月14日

村岡花子のこと再び ― 結婚後50年間は東京都大田区に在住 ―

" Christian Today "の4月25日付け記事の「村岡花子と大田区の関わりを知ってほしい」 東京・大田区立郷土博物館で常設展が開催中」を興味深く読んだ。

それによると、花子は「1919年に結婚後、残りの生涯にわたって50年間暮らした」のが現在の東京都大田区だった。

花子が所属していた教会は、現・大森めぐみ教会(東京都大田区)で、この教会は新島襄の影響を受けた熊本バンドの流れで組合教会に属し、戦時中に国家統制で設立された日本キリスト教団に合流した。

大森めぐみ教会に所属する前は、1925年1月に大森組合教会から夫・村岡儆三(福音印刷合資会社経営)が所属する大森日本基督教会に転会した。

1926年(花子33歳)、 6歳の長男・道雄を疫痢で亡くし、これを機に英書の児童文学翻訳に入ったという。このあと子どもには恵まれなかった。

私は2週間ほど前から『花子とアン』を見るようになり、今では見忘れることもなくなった。朝は無理でも昼や夜の再放送で見ている。

今日は子ども時代に読んでいた村岡花子訳の『若草物語』や1冊目の『赤毛のアン』を手にとりたくて探したが、結婚する時に持ってこなかったようだ。

村岡花子のように死んで世に名を残す人も多いが、そうではない人のほうがはるかに多い。しかし、どの人の人生にも悲喜こもごものエピソードで織りなされたドラマがある。誠実に一生懸命生きている人も何と多いことか。

神と共に在る人生ならば、困難な時ほどクリスチャンの本質が輝くのだと信仰を強くされ、私はこのブログを通して主イエス・キリストを伝えていきたいと思った。


posted by 優子 at 23:56| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2014年05月12日

母を偲ぶ私の「母の日」

母を偲ぶ.jpg私にとって「母の日」は母を偲ぶ日である。
この写真は母の介護で週2回、東大阪から実家(大阪市内)に通っていた1994年の「母の日」だ。

この時すでに母は1人で歩くことも立つことさえできなかった。それでも私には贈り物を持って訪ねて行ける母がいた! 母は68歳で私は42歳だった。
これは「母の日」の讃美歌510番歌っているところ。この時からちょうど20年目の「母の日」とは、まことに感慨深い。

今では母のいない生活にもすっかり慣れたが、今も時々辛い思いがよぎる時がある。母より3歳年上の91歳の義母に、義妹(娘)が贈り物を届けたり孝行している姿を見る時だ。私にはもう贈り物をする母がいない。

ああしかし、70歳近くなっても親が健在な人がいれば、○○ちゃんのように幼稚園時代にお母さんと死別する子もいるのだ。
幼くして、また、若くしてお母さんを亡くした方々の上に、どうか天来の慰めがありますように。45歳になっていても母の死は悲哀の底に落とし、慟哭し、思いっきり泣くこともできず、涙があふれ出るまで長い月日がかかるほどの悲嘆だったから。

私の中で「父母に捧げる」と副題をつけた「受け継がれるもの」を読んで、母と父を偲びたい。
この文章は東大阪から当地に移って2年目に入ったばかりの2001年5月のこと、当地広報誌の「ペンリレー」で顔写真入りで掲載されたものである。

このとき私は49歳で、1996年10月に召天した母に続いて2000年8月に父が亡くなってから、まだ1年も経たない時だった。

ペンリレー.jpg        受け継がれるもの

今年、次女も成人式を迎え、素晴しい子育ての季節が終ろうとしている。
私は子供の成長に気をとられていつしか人生の半ばを過ぎた。結婚して24年が経ち、まもなく両親のもとにいた年月と同じ時間が流れる。

長女が中学校に入学した頃から、私の中で母の姿がクローズアップされていった。私が子供だった頃の母の姿だ。わが子の成長と共に、子育ての大任に目が開かれていったのであろう。と同時に、両親の深い愛と子供が賜物であることを深く味わえるようになった。

父と母は言葉で教え、自らの生き方を通していかに生きるかを示してくれた。
悩みや苦しみが意味を持つかどうかは、その人自身にかかっている。また、感謝や真の喜びは状況によらず、自分の内側から湧き出てくるものであり、人はそれぞれの成熟の度合いにふさわしいものを受けている。

私の人生も年を取るに連れてますます開花し、自分自身の内に多くの喜びを見出す者となりたい。

娘達は今、自分の根を下ろし枝を張ろうとそれぞれの道を歩み始めている。この子たちがこれからどのような人生を築き上げていくのか、私は幸せな期待に胸をふくらませている。
そして、父母の教えをその孫たちも受け継ぐことができるように、私も良き人生を全うしたいと願う。

未来を語り合う二人は、若い命が眩しいほど輝いている。
(※ 過去ログ・2006年03月01日「父母に捧ぐ 受け継がれるもの」より抜粋。)

ユキにも愛を注いでくれる叔母(母より2歳年下)に感謝の気持ちを届けたく、今年は「母の日」の包装で贈り物をした。この時期に贈り物をしたことはないが、どことなく私の気持ちが和んだ。

今も父母が健在ならば父は89歳、母は88歳である。両親がどのような老人になっているのか、もはや想像するのは難しいけれど久しぶりに声を出して呼ぼう。「お父さん お母さん」と。

私は両親からあふれる愛をいただいたから、それを子どもや孫に返そう。我が子も私のようにいつまでも親の願いのわかる子でありますように。そのことだけを記した遺言を書いておこう。

「みくにの門を 開きて我を 招きたまえり、いさみて昇らん」。

今朝(11日)の礼拝で歌った「主われを愛す」の言葉を感謝した。

附記:▼今年も次女夫婦から「母の日」のグリーティングカードが届いた。
▼この記事を「母の日」の11日20時26分に更新したが、22時39分に12日の日付で再更新する。

posted by 優子 at 00:00| 父母を想う | 更新情報をチェックする

2014年05月11日

「互いに愛し合うのみ」

アメリカで5月の第2日曜日を「母の日」と定められたのは今から100年前のことで、日本では1949年頃からという。(ウィキペディアより)

今年は「母の日」が近づくたびに3月初めにお母さんを亡くしたユキのお友達のことばかり思っていた。私にとって「母の日」は母を偲ぶ日であるが、まさに「母の日」は亡くなった母を追慕する日でもあるという。

またイギリスでは、遠くに仕事に出ている子どもたちが年に一度母に会いに帰って来る日ということで「家族の日」としている。そこでキリスト教団では(?)「母の日」としてだけではなく、家族の人をどのようにすれば思う事ができるかを検討中だという。

そのような理由から日本キリスト教団の教会では「母の日」礼拝と定められていないのだ。私の母教会や同志社でも毎年「母の日」礼拝が持たれていたが、教会から生まれた「母の日」なのに、日本キリスト教団の教会は「母の日」礼拝がないので疑問に感じていたから解消されてよかった。

「母の日」の礼拝に.jpg今朝の「互いに愛し合うのみ」との説教題に期待した通り、悶々としていた心に風穴を開けてくれるタイムリーなメッセージだった。以下は私が受け取った説教メモである。

※この記事の最後に今日の聖書箇所(ヨハネによる福音書13章31節〜35節)の前後も加えて読みたい。
今日の聖書の個所は、ユダの裏切りの予告とペテロの離反の予告の間にあり、つまり別れの後の話である。

イエスが「わたし(イエス)が居なくなった時、あなたがたはわたしを探し求めるだろう」と言われたように、私たちもそんな状況で生きる時にイエスを探し求めるだろう。今もイエスを探し求めている我々であり時代である。

「わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」。               
               (ヨハネによる福音書 13章34・35節)

これを聞いた弟子たちは「こんなことは旧約時代から、『あなたの隣人を愛しなさい』と言われていることではないか」と思ったかも知れない。
この「新しい」というのは時間的な新しさではなく質的な意味であり、今までとは違う意味で語られた言葉である。

そもそも「隣人」とはレビ記19章18節、「あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。」から出てきたものであり、自分を愛するのと同じ気持ちで隣人を愛せよと言う。即ち、その根拠は自分である。

しかし、イエスはそのようには言っていなくて、「互いに愛し合いなさい。わたしがあなた方を愛したように互いに愛し合いなさい」と言っている。

この違いは明白で今までの掟(戒め)とは全く違う。
私たちは自己中心的存在であるのが人間の本質で、いくら他者のためにやっているとは言っても、とどのつまりは自分中心になってしまう。それは生きている限りしようがない。 

イエスは自分を基準にしてはいけないと言っており、そのとどのつまりは究極の十字架である


即ち、ユダの裏切りの予告とペテロの離反の予告との間の十字架の予告であり、イエスの強烈な愛である。それを互いのためにそうしなさいと言っている。

ユダもペテロも共に十字架を負う覚悟であったが、我々もまた同様で、覚悟をしていてもできないこともわかっておられた上で語られた言葉である。

私たちも挫ける時もあり逃げ出すこともあるだろう。
「愛」は「好きになれ」や「仲良くしなさい」と言う意味ではなく、聖書で言う「愛する」とは「大切にする」という意味である

即ち、どんな命でも神に創られた大切な命であるから、大切な存在として敬意をもって接するのである。
十字架までは無理でも、その人が好きではなくても頑張って努力することはできる。仲間内だけに留まって大切にし合うのではなく、外向きにならねばならない。

「わたし(イエス・キリスト)にはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。」(ヨハネ・10章16節)にあるように、自分の救いだけしか考えない内向きな信仰ではなく、教会の外への働きかけ、他者への働きかけ、社会に生きている人たち一人ひとりにどうやって接していくのかを考えねばならない。

私たちは社会の出来事に対してどのように発言していくのか。そのことによって世界が主を知っていくという使命があり、今を生きるキリスト者の働きは大きい。
まず祈ること、何もできなくても祈ることができる。

教会でイエスと出会い、この説教を通して疲れが癒されていくのがわかった。

遠くの人を愛することは簡単だが自分を悩ませる人、自分の人生に関わる人を愛するのは至難である。しかし、疲れすぎてはならない。

昨日のリフレッシュタイムは本心に立ち返らさせてくださるための前段階として、神の配剤であったと受け止め感謝している。


ヨハネによる福音書 13章21節〜38節:

イエスがこれらのことを言われた後、その心が騒ぎ、おごそかに言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」。
弟子たちはだれのことを言われたのか察しかねて、互に顔を見合わせた。 弟子たちのひとりで、イエスの愛しておられた者が、み胸に近く席についていた。

そこで、シモン・ペテロは彼に合図をして言った、「だれのことをおっしゃったのか、知らせてくれ」。その弟子はそのままイエスの胸によりかかって、「主よ、だれのことですか」と尋ねると、イエスは答えられた、「わたしが一きれの食物をひたして与える者が、それである」。

そして、一きれの食物をひたしてとり上げ、シモンの子イスカリオテのユダにお与えになった。この一きれの食物を受けるやいなや、サタンがユダにはいった。
そこでイエスは彼に言われた、「しようとしていることを、今すぐするがよい」。

席を共にしていた者のうち、なぜユダにこう言われたのか、わかっていた者はひとりもなかった。
ある人々は、ユダが金入れをあずかっていたので、イエスが彼に、「祭のために必要なものを買え」と言われたか、あるいは、貧しい者に何か施させようとされたのだと思っていた。

ユダは一きれの食物を受けると、すぐに出て行った。時は夜であった。
さて、彼が出て行くと、イエスは言われた、「今や人の子は栄光を受けた。神もまた彼によって栄光をお受けになった。
彼によって栄光をお受けになったのなら、神ご自身も彼に栄光をお授けになるであろう。すぐにもお授けになるであろう。

子たちよ、わたしはまだしばらく、あなたがたと一緒にいる。あなたがたはわたしを捜すだろうが、すでにユダヤ人たちに言ったとおり、今あなたがたにも言う、『あなたがたはわたしの行く所に来ることはできない』。

わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい
互いに愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」。

シモン・ペテロがイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのですか」。
イエスは答えられた、「あなたはわたしの行くところに、今はついて来ることはできない。しかし、あとになってから、ついて来ることになろう」。

ペテロはイエスに言った、「主よ、なぜ、今あなたについて行くことができないのですか。あなたのためには、命も捨てます」。

イエスは答えられた、「わたしのために命を捨てると言うのか。よくよくあなたに言っておく。鶏が鳴く前に、あなたはわたしを三度知らないと言うであろう」。


posted by 優子 at 18:12| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2014年05月10日

葛城山麓公園で孫とはじけ、ユキのお友達ママとの出会い。気分転換も神のご配慮。

最近気持ちが冴えなくて悶々としていた。さすがに出不精の私も気分転換しなければいけないと思いたち、今朝になって葛城山麓公園行きを発案したところ、家族の合意を得て急きょ行くことにした。

その前に今朝はどうしても私の内科受診とチャッピーのフィラリアの薬を処方してもらわねばならず、私は医院近くで降ろしてもらい、夫と知子とユキは少し先の動物病院へ直行した。その1時間後、私が薬局から出てきた時にチャッピーの用事も終わって来てくれたところだった。

一旦帰宅し、お茶とコーヒーだけを用意して途中でお弁当を買って出かけた。葛城山麓公園へは何回目だろうか。ここは入場も駐車場も無料で、しかも人が少ない最高の穴場だ。

まずお弁当を食べて入り口近くの鯉のぼりの所へ下りてきた。

葛城山麓公園は4度目?@.jpg
鯉のぼりの絵を描いている。
こんなかわいい絵を描いていたよ。
こんなかわいい絵を描いていたよ.jpg

お弁当を食べた場所へ戻る道でおじいちゃんがカエルを見つけたよ!
026.JPG
「おじいちゃんがオニヤンマをつかまえて持たせてくれたよ!」
オニヤンマを見つけたよ!.jpg

ユキは何事もおっとりしている。夫は「恥ずかしがり」だという。
遊具で遊び始めるまで時間がかかり、誘ってもなかなかやらなくて、人がいなくなるとようやくやり始めるといった具合だ。理由を尋ねると、うまくやれなかったら嫌なのだという。

ユキのチャレンジ.jpg

ようやく面白がった.jpg
だからこんな遊びもユキにとっては大きな経験なのだ。自信につながっていくことだろう。最後に夫も挑戦したが、腕力で体重を支えるので落下すれば大変だったというから私はやらなくてよかった。この向こう正面でグラスソリ滑りを楽しんだ。

草の上のソリ滑りもユキはなかなかしない。私とてすぐにやりたくても年齢が年齢だけに自粛していたが、ついにやって見せ、私が楽しくやっているのでようやく勇気を出した。
グラスボード.jpg ねようやく面白がった.jpg
グラスボードの代わりにダンボールでソリ滑り!
今度はソリ滑りのボードでやりたいね!
私など面白くてその瞬間から自分の年を忘れてしまい、ダンボールが空くのが待ち切れなかった。私の子供時代はユキとは正反対の性格だったから、ロープにぶら下がる遊具だって本当はどんなにやりたかったか!!
遊んでいると私は10歳前後に戻って、そばで見てくれている父と母の姿が見えるようだった。


ユキも滑った!.jpg smileユキA.jpg
右の写真は2010年5月、2歳9カ月のユキだ。
大きくなったね、ユキ。
そして、68歳8カ月の夫が滑り台に挑戦した。

ピーがはじけた!.jpg

良輔がやったからには私もトライしたくなって、60代の夫婦が年齢を忘れてはじけた!!!楽しかったねー!!!
面白かった!!!.jpg

公園内を移動中の自動車の中から。若葉が目にしみる。
新緑の中を走る.jpg

次はここから数分で行ける小さな牧場・「ラッテたかまつ」へ。一度来たことがあるユキだが覚えていなかった。牛さんには悪いけれど臭くてすぐには入れなかった。ごめんね。

ラッテたかまつ.jpg
牛は何を思って生きているんだろう。牛の一生は悲しい。

そして、アイスクリームを食べながら一服し、帰ろうと駐車場へ行った時、ユキのお友達がお母さんの運転する自動車で到着し声をかけてくださった。幼稚園の時から一緒で今も同じクラスの○○○くんと2年生のお兄ちゃんだった!

もっと驚いたのは、このすぐそこにおじいちゃん(お母さんのお父様)の農園があり毎週来ておられるというのだ。「イチゴを摘みに来たから一緒にどうぞ」との心からのお誘いを受けてご一緒させていただいた。

「ここから、香久山、畝傍山、耳成山の大和三山が見えるんです。ここは私にとってパワー・スポットなんです。
動きたくもないほど(心が)しんどい時でも、ここに来るとパワーをもらえるんです」
と○○○君ママ。
その言葉からこの方の成熟した生き方を感じ、一目お目にかかっただけでお父様のお人柄もよくわかった。

イチゴ、スナップエンドウ、エンドウ豆、玉ねぎ、ジャガイモ、キャベツ、グリーンアスパラ、にら、トウモロコシ、スイカ、トマト、かぼちゃ、なすび、イチジクの木、・・・それから何があったかな・・・全て無農薬で丹精込めて作っておられた。
はるき君のおじいちゃんのイチゴ畑で!.jpg

はるき君のおじいちゃんの鶏.jpg清潔な鶏舎には生後1年になる鶏が5羽飼われていた。
2年生の坊やは慣れた手つきで餌をやっていた。

雛の時から愛情をこめて育てられた鶏は気持ちが通い合っていた。私が「コッコッコ」と話すように声をかけると人なつっこく寄って来たのでびっくりした。

「鶏でも気持ちがわかるのだから強制給餌をしてフォアグラを作るなんて考えられないね」と知子が言った。人間よ、EUでも強制給餌は禁止されているのだから、フォアグラを食するのはもうやめようではないか。

帰りには、もぎたてのグリーンアスパラとスナップエンドウ、イチゴをいただいた。
はるき君ママとおじいちゃんにいただいたよ!.jpg

スナックエンドウとアスパラの甘かったこと!!!
そして、イチゴも香り豊かで甘くて何ておいしかったことだろう。もう20年来食べたことのない味だった。かつては露地物のイチゴの季節だけはイチゴをつぶして、牛乳嫌いの私でも牛乳と混ぜて飲んでいたものだ。

しかし、もうかなり前からそのようなイチゴにお目にかかったことがない。今年は一粒がいくらという高価なものまで試してみたが全然満足しなかった。今のイチゴはまるでプラスティック製のようだ。形や色だけは美しくとも、あの芳(かぐわ)しい香りと味がしない。忘れられぬ2014年春の味だった。

三浦綾子のカレンダー.jpg居心地良く作っておられた手づくりの休憩所には、農園の設計図が掛けてあり、連作してはいけない野菜など何もかも見事に記載されていた。

壁には電子時計が掛けてあり、その隣には三浦綾子さんの言葉を記したカレンダーが掛けてあるのも印象的だった。

豊かな自然と愛に満ちた環境で育っていく子どもたち。祖父と孫との会話は私の心を癒した。82歳になられたおじいちゃんとの時間をいっぱい過ごして、心の奥深くに大切にしまっておいてほしい。それこそが人生の宝なのだから。

この思いもしない出会いと良き交わりの背後に神さまを感じていた。知子は同世代のママ同士だから、知人から友人へと出会いを深めていってほしい。

そうそう、○○○君ママは『メメントドミニ』を時々読んでくださっていた!!!
2010年の夏だったか葛城市の『ぞう列車がやってきた』で、教会の姉妹が歌の指導をされていた関係で1度だけ行ったことがあったが、その関連記事を書いたものを読んでくださった時に幸悠をご覧になられたのがきっかけだったという。
このように私は知らなくても身近な人が読んでくださっていることもあるのだ。感謝!

今日の記事は今の季節にふさわしい讃美歌122番「緑も深き若葉の里」を聞きながら記録したので、ついでにご紹介したい。ユウチューブでは森山良子さんの歌でアップされている。

1) 緑も深き 若葉の里 
   ナザレの村よ 汝(な)が巷(ちまた)を
   こころ清らに 行きかいつつ
   育ちたまいし 人を知るや

2) その頭(こうべ)には かむりもなく
   その衣(ころも)には かざりもなく
   まずしく低き 木工(たくみ)として
   主は若き日を 過ぎたまえり

3) 人の子イエスよ 君の御名(みな)を
   みつかいたちの 誉(ほ)むる時に
   めぐみににおい 愛にかおる
   み足のあとを 我はたどらん

附記:正確な更新時間は、5月11日01時17分。


posted by 優子 at 23:55| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年05月08日

あの虹は「環水平アーク」だった!

朝目覚めてしばらくウトウトしながら6時のニュースと天気予報を聞いていた。すると、「4日に観測された帯状の虹が今日も見られます」と言ったので目が覚めた。
4日の帯状の虹とは、マチが見つけたあの虹だ!

マチが見つけた虹A.jpg

すぐにパソコンで検索すると、これは「環水平アーク」と呼ばれているものだとわかった。上空の氷の粒に太陽の光が屈折してできるそうだ。

「一般の虹が太陽とは反対の方向に見えるのに対し、環水平アークは太陽と同じ方向に、ほぼ水平に現れ」、「太陽高度が58度以上の場合に見られるもので、太陽が最も高い所にある正午過ぎに出る」。

「出る条件としては、薄雲があること、・・・上空の薄雲を作っている氷が六角形をしている必要があり・・・特に環水平アークは太陽の高度が高いことも条件なので、夏至を挟んだ数ヶ月間に」出現し、日本国内では年に数十回観測される」そうだ。

確かにシャッターを押した時間は12時49分とある。数日前に時刻設定したこともラッキーだった。

それにしても珍しい現象を見ることができたものだ。しかも、バッチリ写真まで撮ることができて、今後はカメラを常時携帯しておきたいものである。現代人必携のスマートフォンや携帯電話のように、それらを意思的に持たない私だがカメラは携帯したい。

2012年5月21日の見損ないつつも感激した世紀の金環日食、「チャッピーと見た世紀の天体ショー 、『もろもろの天は神の栄光をあらわし、 大空はみ手のわざをしめす』」を思い出させた。

ユキが帰ってきたら話してあげよう。これこそが知的探究心を高めていくにふさわしい環境だ。


posted by 優子 at 13:56| 随想 | 更新情報をチェックする

2014年05月06日

2日間の滞在で再びワシントンへ A ―4日、おめでとうの春を祝う―

おめでとうの春!.jpg2週間前に予約しておいたデコレーションケーキには「おめでとうの春」と書いてもらった。
何といっても今年1月のマチの手術成功と回復祝い。そして、ユキの卒園と入学祝いがメインである。
それに加えて今年1月、重篤だったチャッピーが奇跡的に回復し、今月12日に15歳の誕生日を迎える。そのお祝いとユキの「子どもの日」のお祝いも込めた。
それだけではない。ついでに6月から11月まで毎月1人ずつ迎える誕生日祝いも兼ねて、6人と1匹で7本のローソクを立てた(笑)。毎週末のケーキ屋通いを断つために。

マチが帰国した3日のお昼は毎回帰国するたびに行く回転寿司・長次郎へ、夜はささやかながら料亭で懐石料理でお祝いした。

そんなわけで今回の家庭料理は4日だけだった。
昼食は手巻き寿司を、夜は天ぷらそば(3日にユキと良輔が摘んできたワラビ入り)をメインに、脂の乗った鰆の焼き物や小鉢を数種とお赤飯も作ったが、たった5食分の滞在では何も食べさせてやれない。お豆腐さえ口にすることもできなかった。

ここからは4日の散歩で目に入った美しい5月を記録しておきたい。
野の花.jpg

「野の花のことを考えて見るがよい。紡ぎもせず、織りもしない。
しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、
この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
きょうは野にあって、あすは炉に投げ入れられる草でさえ、
神はこのように装って下さるのなら、
あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか」。
 
                  (ルカによる福音書 12章27・28節)

マチが写したツツジ.jpg
マチが撮ったツツジ。小さな蜂がいるね。

「母の日」はカーネーションよりも満開のツツジを思い出す。
結婚2回目の「母の日」は生後5ヵ月の知子を抱いて義母を訪ね、公園のツツジが満開だった。結婚後、「母の日」はいつも義母を第一にしていたが、その日、母はどうしていたんだろう。
母が亡くなって18回目の「母の日」、健在ならば88歳か・・・

そばにマチがいた.jpg

マチが見つけた虹.jpg
マチが見つけた虹の帯。
Beautiful!!!
夕方5時すぎから家族そろって散歩に出た。
自然界は命輝き、大きく広げる枝々にも新緑が噴き出していた。私は今年ほど新緑が輝いて見えたことはなかったように思う。 

新緑の大木.jpg

マチが好きなナルコユリ.jpg
マチが好きだと言ったナルコユリ。
何て美しいのだろう。緑色にもさまざまな色があり、これらを創造された神を思いながら歩いた。

しばしの時を家族そろってA.jpg

「神のなされることは皆その時にかなって美しい。
 神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた」。
 
           
                      (伝道の書 3章11節)

そばにマチがいたA.jpg
集会所花壇の小さな花々。

ついにカメラの電源が切れて古いほうのカメラで写した。↓
しばしの帰国@.jpg

これは5月4日。いつもはおじいさんに相手をしてもらっている。
帰国した翌日にA.jpg

マチとの2日間は良いお天気だったがPM2.5は最悪だった。指標は「有害」で、健康な大人は「屋外での活動を減らす」、心肺疾患者や高齢者や子供は「屋外での活動を中止する」だった。

マチはワシントン時間5日の午前11時前に無事帰宅し、「ワシントンも ものすごく清々しい気候。気持ちいいです。」と無事到着のメールを受信した。
「くまがサプライズでお昼に抜け出してきて帰って」きて、午後のミーティングがあるからまもなく戻って行ったようだが、私はその光景を思い浮かべた瞬間にマチ・クマのテーマソングが聞こえた。るんるん

アジア圏に出張中は時差が1時間だから活動時間が同じなので何か嬉しい。
これを更新する今、ワシントンはまもなく6日朝6時。時差ボケも加わって疲れているだろうが今日から出社する。
私たちもゴールデンウィークが終わり明日から日常に戻る。マチとの豊かな時間を主に感謝し、良き思い出を胸にそれぞれの務めに励もう。

posted by 優子 at 19:53| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2014年05月05日

2日間の滞在で再びワシントンへ @

「いい気候でびっくり。この季節はひさしぶりかも」。
次女からこのメールが入ったのは5月3日の朝8時半頃だった。蒸し暑いマレーシアからの帰りということもあって、日本の5月の爽やかさもひときわだったことだろう。

そしてまもなく9時10分頃に真智が帰宅し、そしてまた、今朝早朝に家を出て日本を発った。天気にも恵まれ、爽やかな日本の5月の2日間を過ごしてワシントンへ戻る。
先月の見送りでは早く空港に着きすぎたからと、今朝は20分遅れの5時50分に出発した。所要時間は40分で、電車で行く2分の一にも満たない時間で行けた。

大阪から東京までの短い旅であってもビジネスクラスはサンドイッチとコーヒーが出るからと、今朝はお茶を飲むだけで家を出たのだが、今回はエコノミークラスに設定していたことを忘れていた!ふらふら 
夫以外はみんな何も食べていないので搭乗手続きを終えてカフェに入った。
伊丹空港@.jpg
こんなに背の高いイスに座ったよ!

外出する予定のないゴールデンウィークだったが、空港は新鮮な刺激でいっぱい!
それにしても朝の飛行機の離陸ラッシュは地下鉄の御堂筋線やJRの環状線以上で、いくら空が広いからと言ってもこれではニアミスしないかと心配だ。
マチ、行ってらっしゃい!.jpg
「ユキちゃん、またね!」
「マチ、またかえってきてね!」

展望デッキから見送っていたが、マチが搭乗した飛行機がどれだかわからなくて8時前に退散。ところが、予定の時刻よりも20分も遅れて8時5分頃に離陸したとのことで、またしても私たちは違う飛行機を見送っていた。もうやだ〜(悲しい顔)

クアラルンプールからは3月8日に消息不明になったマレーシア航空を利用したことを知ってびっくりしたが、マレーシアの人々は親日的だと聞いて一気に親しみを感じ、その気持ちが助けになって愛を感じてアジアの平和を祈れるようになった。

マチ、またね!.jpg 

マレーシアのミッションを終えた夜、他の職員3名もまたクアラルンプールからソウル経由で、あるいはパリ経由でワシントンへ向かった。

そして今、真智もまたワシントンへの帰路についた。到着は日本時間の今夜(6日)0時半頃だ。無事到着を祈りつつ、明日の記事に「おめでとうの春」を刻もう。私たちの心の記録と録音を。

posted by 優子 at 17:15| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2014年05月03日

村岡花子は日本クリスチャン・ペンクラブ初代会長

先月の日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の例会で、現在放映されているNHKの朝ドラ『花子とアン』は村岡花子のことだと耳にしたので、先週からお昼過ぎの再放送を時々見ている。
「時々」というのは、見る習慣になっていないので見忘れてしまうからだ。お昼の再放送で見ようするのだが、忙しくしていることもあって昨日も今日も忘れてしまった。

村岡花子.jpgところで、この村岡花子は私が所属している日本クリスチャン・ペンクラブの前身・基督教文筆家協会の初代会長でもある。
在任期間は、1952(昭和27)年6月〜1958(昭和33)年10月までの6年4ヶ月間で、花子59歳から65歳の時である。ウィキペディアに加筆したいがやり方がわからない。

2012年10月のJCP創立60周年記念会の様子は当ブログにも記録したが、50周年記念誌の「日本クリスチャン・ペンクラブ略史」には創設当時の様子が残されている。その概要は下記の通りである。

キリスト教の出版を盛んにするためにクリスチャンの執筆者を養成しなければならぬという声が起こり、全国の各方面に活躍しているクリスチャン・ライターに協力を求めたのが始まりだ。

そして、1952年6月4日に開かれた総会で、クリスチャンの著作家を中心とする文筆家協会が誕生した。当時の会員は47名だったという。

どこからの資金の援助がなくとも、人材を養成し、その著作活動を助けて我が国のキリスト教界に貢献しようと歩み出し、神はこの志を祝福してキリスト教界の有力な人材を与えられたと記されている。


2000年になって関西と中部にブランチができ、私が所属しているのが関西ブロックである。

「『文は信(信仰)なり』という心がまえで、一字一句に祈りをこめて文章を書くようにしよう。聖書にあるように、筆と墨とによる文ではなく、神の霊によって、書かざるを得ないような命の・・・あふれる文章を一行でもいいから書いてみたい」。

これは、熱血の2代目理事長・満江巌牧師が何度も何度も熱く語っておられた言葉である。今も私の耳に鮮やかに響く。昭和43年より「会長」を「理事長」と改称したので、創立から数えると満江師は5代目にあたる。1999年8月に87歳にて召天された。

満江先生のことを思い出し、今一度JCPの気風を全身に充満させて励みたいと強く思わされた。

尚、5月2日付けの”Christian Today”に「山梨県立文学館、村岡花子展に大きな反響 キリスト教に関する資料も」が掲載されている。

花子展のロビーでは、「1964年12月7日にNHKテレビで放送された教養特集・日本回顧録『太平洋戦争開戦前夜』で、戦時中に自らがなすべきことを決心した当時の思い出を語る花子さんの映像と音声」が流れているとのこと。どんな方だったのか聴いてみたい。

さて、朝ドラを忘れないように大きく紙に書いて張っておこうかと思いきや、昨夜は長女の帰りを待ちながらテレビをつけると23時からBS3で昨日の分の再放送が始まったので見ることができた。
しかしテレビを観るにも、疲れていると感受性が鈍麻し面白みが激減するものだ。精神だけではなく肉体の状態も大きく左右することを再認識させられた。


附記:知子は連日早朝6時半過ぎに出社して、昨夜の帰宅は午前12時だった。ちょうどその頃、真智子は無事マレーシアでのミッションを全うして、搭乗を待ってクアラルンプールを発つ頃だった。
そして6時56分、無事にKIXに着いたとのメールが入った。到着予定時間よりも20分も早かった。神さまに感謝!
2日間足らずで再びワシントンへ戻ってしまうが、家族そろってのゴールデンタイム、どこにも行かない最高のゴールデンウィークが始まる。クマのことを覚えつつ。



posted by 優子 at 07:00| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2014年05月02日

ヴォーリズが愛した冬の木立

前ページ記載の『かわちの』に寄稿されたNさんが、「とりわけ冬の木々の美しさはたまらない。天に向け枝を縦横に伸ばしている様、広葉樹、落葉樹もしかりである。」と書いておられるのを読んで、冬の木立を詠ったヴォーリズの詩を思い起こした。

日本で隣人愛を尽くしたアメリカ人・ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、建築家、社会事業家、伝道者として知られているが、詩と文学の才能にも恵まれて京都帝国大学、同志社大学、東京帝国大学から文学部講師を委嘱されて講じていた。同志社カレッジソングや讃美歌236番もヴォーリズの作詞である。

ヴォーリズの「森の春」("Spring in The Forest")は、春を待つ心というよりも過ぎ去る冬を惜しむ気持ちを詠っている。

     森の春

冬の間ずっと見なれて来た力強い幹や枝よ、さらば
やがて春が来てあのみどりの葉が見られるというのに
私の心の奥には何か悲しみがある
それは春が来ると、幹や枝がつくる窓飾りを通して
あの大空が眺められなくなるからだ

冬の木立はそれぞれがたましいを持ち
それぞれが個性を持っている
だが春が来れば木の葉が生い茂り
それはちょうど織物のタテ糸のように
木の葉のヨコ糸にかくれてしまうのだ

私は頑丈な樹々の骨組みとの
こうした別れに
じっと耐えなければならない

やがて秋の日の黄金と深紅の炎が
あのじゃまな木の葉の掛け物を燃やし尽くし
まことの樹々の姿を取り戻してくれるまで
その別れに耐えなければならない

なぜなら春の樹々は暖かいいのちを
私の心に告げてはくれるが
身じろぎもせず立っている冬の幹や枝は
私の心に堅い意志をしみ込ませてくれるのだから
そして、春を待つ心も詠っている。
      冬の歌

いかに冬の日々が冷たくても
わたしの心は歌わずにはいられない
この冷たい冬の一日一日
やがて私たちの身近に
あの春の日をつれてきてくれるのだから

これらは1944年に軽井沢で作られた詩で、ヴォーリズ64歳の時である。ヴォーリズは1941年に日本の国籍を得て一柳米来留(ひとつやなぎ・めれる)と改名しているが、戦時中の敵国人として憲兵や特高警察の監視下にあった厳しい心境が窺える。

私もまた六十路に入って裸になった冬の木々に引きつけられることが多い。厳寒の中、人生に思いを馳せながらしばし立ち止まって見入る時がある。
そしてまた、まぶしいほどに輝く新緑に覆われた、まさにこの時期の木々にも目を奪われて聖書の一句を口ずさむ。

「木には望みがある。
たとい切られてもまた芽をだし、
その若枝は絶えることがない。

たといその根が地の中に老い、
その幹が土の中に枯れても、
なお水の潤いにあえば芽をふき、
若木のように枝を出す」。
                    (ヨブ記 14章7節〜9節)
植物のいのち溢れるさまは見る者を引きつけずにはおられない。ここに神の摂理がある。

附記:次女は2週間のミッションを終えて明朝KIXに着陸予定。
そして、40時間余りの短い時間を共に過ごして、5日早朝には再びワシントンへ帰る。

posted by 優子 at 17:02| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2014年05月01日

「拝啓 二宮金次郎様」 ―東大阪読書友の会会報より―

20年間所属していた「東大阪読書友の会」を退会して6年になる。毎年4月に発行している読書会の会報が昨日届いた。今年の62号からA4のワイド版にリニューアルされており、新年度の役員名やテキスト名を見て会に心を馳せながら、懐かしく一気呵成に読んだ。

その紙面でDさんが二宮金次郎のことを軽妙洒脱に書いておられ、最近ブログで取り上げた金次郎のことを興味深く読ませていただいた。いつしか家に居ながらにして読書会に参加しているような気持ちになって心が弾んだ。

まずは感謝の一筆をと、今では1年に1度さえメールしなくなっていたので届くかどうか心配だったが、アドレスを知っている2名の方に送信したところ着信!😃

Dさんからすぐに返信をいただいて、今朝お電話もいただき時間を忘れて1時間も話していた。世間話ではないから退屈せず疲れない。電話の最後にDさんのお許しを得たので転載させていただいた。

拝啓 二宮金次郎様

読書会B.jpgおや、こんなところに金次郎様が。平成のこの時代に、よもやお目にかかるとは思ってもいませんでした。働き者の金次郎様は、江戸時代のお姿で薪を背負い本を読んでいらっしゃる。きっと難しいご本なのでしょうね。

大阪商業大学谷岡記念館は、昭和初期の建物とか。この記念館の脇にひっそりと立っていらっしゃる金次郎様は、谷岡記念館と共にめまぐるしく変わる激動の時代をつぶさに見てこられたことでしょう。

東大阪読書友の会は、この記念館内で毎月一回読書会を行っています。入会以来ここに通うこと十年近く、今ではすっかり顔なじみになってしまいました。

ところで、最近巷であなた様によく似た姿を見かけます。リュックを背負い、あるいは鞄を肩に寸暇を惜しんで歩きながらスマホをする若者の姿。つまり歩きスマホです。

一見金次郎様に似ていますが、あなた様の勤勉の精神とはちょっと異質なもののように思われます。溝にはまったり、ホームから落ちたりぶつかったりと事故も多発し、社会問題にもなっています。

私共の読書会は、本を愛する者が集う会です。本を手に立たれているお姿をいつも拝見しているうちに親しみを覚え、いつしか金次郎様が読書会の名誉会員のような気がして、ついお声をかけてしまいました。

会は今、高齢化という問題に直面しています。もし、フレッシュな会員を紹介していただけると嬉しいのですが。勿論江戸時代のお方ではなく、平成の今に生きる人限定で! 

何と新鮮な視点で書かれた洗練された文章だろう。
今朝の電話で金次郎像出現の顛末譚を興味深くお聴きした。

「スマホとは精神性を異にする金次郎像は昭和初期に建てられた。貧しくともそれに耐えて生産的な生き方をせよと軍国主義に利用されて、昭和10年頃に建てられた学校に金次郎がいた。

石像ではなく銅像の場合は、最後は鉄砲の弾にされ、戦後は校舎解体と共に姿を消していった。ただし、古い学校には今も金次郎像が残っており、大阪商大では記念館として置いてあるので今も残っている」。


同年5月9日追記: 「今日は何の日」で、「1942年の今日、兵器・弾丸等に転用する為に金属回収令により寺院の仏具や梵鐘などの強制供出が始る。」と耳に入り、このことだとわかった。

『かわちの』の「あとがき」を「カプチーノ」にもじって「かわちーの」にされた斬新さもDさんの発想だ。この3月まで4年間会長を務めてくださって、今年度から顧問として会を支えてくださるという。

「お孫さん もう一年生?おめでとうございます!すばらしい! メールでは書ききれません。もどかしいです。」との言葉に、Dさんの深い人柄が窺えた。
久々に読書会関係の最新記事を更新できたことも嬉しい。
感謝!

附記:同じく会報に「冬の裸の木々の美しさはたまらない」と書いておられるNさんの文章から、冬の木々を愛したヴォーリズの詩を次のページでご紹介したい。


posted by 優子 at 13:15| 読書会関係 | 更新情報をチェックする