2014年06月30日

チャッピー15歳の夏も健やかなれ

チャッピーが75%腎不全と告知されて1年余りになる。その時、膀胱炎にもなっているとのことで抗生物質を処方されたが、2ヶ月目に入っても処方されたので悩み考えた末に一切の薬を拒否した。餌も腎臓食ではなく普通の高齢犬用に戻した。

重篤なときA.jpgその後も変わりなく元気だったが、今年1月は関節炎で歩けなくなり、何をあげても食べなくなって痩せていき眠ってばかり。死を覚悟して納める箱まで用意したほどだった。

ところが2月に入ってから徐々に回復していき、春が訪れる頃にはすっかり元気になり周囲の人々にもびっくりされた。

桜の花びらをチャッピーに.jpg
4月7日:ユキの入学式前日。
チャッピーに桜の花びらのシャワー?

ただ今衣替え進行中.jpg4月22日:冬毛はまもなく抜け落ちて夏毛に衣替え中。
毛の生え換わりも例年並みの勢いだった。


肥料を食べる@.jpg
5月7日:野菜の苗近くに埋めた追肥の臭いをかぎ分けて食べようとするチャッピー。冬に寝込んでから殆ど耳が聞こえなくなってしまったので、ベランダから大声で叫んでも全く聞こえず棒を投げてしまった。
チャッピーと写っているキュウリの苗はこんなに大きくなった。これは28日朝。キューリの花がとても美しい。

キュウリの赤ちゃん.jpg5月初めに植えた4本のキューリの苗は早々に虫に茎を噛み切られてしまい、残ったのは1本だけ。

キュウリがベランダに.jpg6月17日からすでに7本収穫し、今や1階の高さのベランダにまで届こうとしている。右側はピーマン。
体調のよい時は草を引きたいが、やぶ蚊がいっぱいでとてもできそうにない。

吠え続けたチャックン.jpg
5月12日:「eo光」最後の撤去工事のため木につながれて待機中。チャッピーは30分間吠え続けた。

「元気になったねえ」、「良かったね、顔つきが違う」など多くの人から声をかけられ、数名の人に至っては「同じ犬ですか?」と聞かれたほどだ。

ある朝、近所の犬の飼い主さんに呼びとめられて「どうやって治ったのですか?」と尋ねられたこともあった。そのワンちゃんは生まれながら関節が弱くて3度も手術をしたという。
セント・バーナードではなくラブラドール・レトリバーか、大きな美しいあの犬がそのような苦痛を負っていたのかと胸が痛んだ。過去ログ「神を信頼するとはこういうことだ! ―今朝の出来事より―」に登場した犬だ。

現在15歳と1ヶ月のチャッピーは、かつては町内の「3大吠え犬(けん)」とまで言われたものだが、13歳の頃から吠えなくなり、それもまた話題になった。

それが今では再び藤本の親族に吠えるようになり、今冬お世話になった義妹にまで吠えるのは申し訳なくてならないが、このことにより「チャッピーの全快宣言」をした次第である。

ただし不思議なことに義母には吠えなくなった。これまでは犬の本性でもある縄張り意識も働いてか、義母が椿の木よりこちらに近づこうものなら激しく吠え、軽傷だったものの2度ほど咬んだこともある。

これまで一度もチャッピーの名前さえ呼ぶこともない義母である。しかし、今冬の容態が悪かった時は本当に心配してくれたのは意外だった。以来、義母が近づいても吠えることなく寝転んでいる。

散歩は5分か10分だけと獣医さんから言われているのだが、5月頃から知子がユキの世話をして出社する日は、昨年末までのようにチャッピーと一緒に知子を見送りに駅を往復している。

しかも行きは以前同様の急ぎ足だ。私がユキの世話をする時はチャッピーの散歩も兼ねて一緒に公園まで行っている。もうしばらくこの生活が続いてほしい。

散歩に出る時は喜んで喜んで地面に顔を擦らないかと心配なほど、低い姿勢でクルクル回り続け、引っ張る力は私の速歩でも追いつけない。自動車に轢かれる心配さえなければ自由に走らせてやりたいほどだ。

そんな6月25日のお昼前のこと、急にチャッピーが「キャンキャンキャンキャン」と激しく鳴き出した。見ると、右後ろ足を高く上げて(曲げて)鳴いているではないか。この冬の緊張がよみがえった。  

20〜30分後ようやく鳴きやんで私の動揺も治まったが、チャッピーは坐りたくても坐れず、横になりたくても横になれず、ようやくうまく着地したので、そのあとは様子を見るのも怖くて見なかった。

そして、学校から帰って来たユキがいつものように庭で遊んでいると、「おばあちゃん、チャッ ピー歩いているよ!」と言いに来てくれたのでどんなに嬉しかったことか!!!!

たぶんムカデに刺されたのではないかと思う。
チャッピーのかたきを討ってやりたいが、ムカデも毒虫に生まれたくて生まれてきたわけでもないだろうに、みんなに恐れられ嫌われて殺されるのかと思うと気持ちが沈んだ。

シュバイツァーが蚊も殺さなかったというのはこういう気持ちからではと、今まで理解できなかったことが分かったような気がした。

その日の朝はちょうどこんなことを思っていた。
マチがチャックン(チャッピーの愛称)のリードを持っているところをもう一度撮ってやりたい。太志君(クマ)もチャックンをかわいがってくれているから一緒のところを写しておいてやりたいと思っていただけに、チャッピーの激変を見て「遅かった!!!」と愕然としたのだった。


幸いこのたびの心配はすぐに去ったが腎不全の老犬ゆえに急変することもあるだろう。今度マチ・クマが帰国したら、是非それぞれの写真を撮ってあげようと思う。きっと喜んでくれるに違いない。

花をつけてもらったレディー・チャッピー.jpg

6月25日:「散歩中に花を拾ってつけてあげたよ!」
ノウゼンカツラの花をつけてもらって笑っているみたい。
年を取って真っ白な顔になってしまったね。


posted by 優子 at 13:00| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2014年06月29日

ユキの創作 ―『とのさまがえるのいくところはどこだ』―

昨日の記事に続いて昨夜書きあげたユキの創作をご紹介したい。鉛筆で書いたために見にくいのが残念だ。
 『とのさまがえるのいくところはどこだ』
ユキの創作.jpg

とのさまがえるは、なるにあの森からきて ゆきひさっていうこが、ぼくをとりました。

でもぼくは、そとにおって なんかいっぱいいれられて、いやだけど、でも ちょっとは、たのしかった。きれいなおうちだしね!

でも、ぼくが みみをすましてねようとしていたら、きこえてきたんだよ。
「とのさまがえるくん にがさなあかん」というこえがして、ぼくを にがしてくれるというて 4(にん)と2ひきでいくと、そのときは、よるでした。

でも ついたら さびしいなとおもうけど がんばって ともだちつくろうと いってしまいました。
                       おわり

まず、物語が主人公のカエルの視点で書かれているのに驚き、「ぼくが みみをすましてねようとしていたら、きこえてきたんだよ。」というところなど上手な展開だ。このタイトルはユキが印象的だったことなのだろう。私には考えつかないものだ。

学校で教わった句読点もついており、「森」という字は自ら覚えたものだ。今、象形文字に関心が高い。
最後の「いってしまいました」はカエルではなくユキの視点になっていたが、今も似たようなミスをしている私は良い作文の勉強にもなった。

posted by 優子 at 15:39| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年06月28日

「ナルニアの森」でトノサマガエルを捕まえた!

昨夜から降りだした雨は明け方まで降っていたようだ。
毎週土・日曜日の朝、ユキはおじいさん(良輔)と長い散歩に出かけるのが習慣になっている。ユキだけではなく夫も楽しみにしているようだ。日々のストレスを和らげているのだろうか、そんな気の合うペアだが、仲間割れもする年齢差62歳の男ふたり。時は今、1ヶ月前から虫取りのシーズンに入っている。

いつも一緒だったチャッピーは引退し、先に20分間ほど散歩に連れて行ってもらっている。
腎不全の老犬チャッピーが元気になっている様子を書きたいと思いつつも未だ書けていないが、昨日は急に激しく鳴きだし3本足で立って苦しんでいた。
どうやらムカデに刺されたのではないかと思うのだが、一瞬にしてこの冬の苦痛がよみがえってしまったので、元気いっぱいの様子を書いておきたい。

さて、今朝は「トノサマガエルをとったよ!!!」と、ユキが虫かごの中の水をチャプチャプさせて帰って来た。
2人とも足はボトボトで膝まで泥が跳ねていた。ふらふら 

なんと「ナルニアの森」へ行ったという。雨上がりの朝に森に入って行くなんて。しかもおじいさんが誘い、森を抜けて行った先でカエルを捕まえて来たというのだ。
「おじいちゃんが裸足になって川に入ってたよ」だなんて子どものように楽しんでいる。

カエル君@.jpg

ユキは学校へ持って行きたいと言うが、広い水槽もなく飼い方もわからないので、今日中に逃がしてやることを納得してくれた。
7時前から夕食を食べ始めたがゆっくりしていては暗くなってしまうとあって、既に食べ終わっている夫以外は食事を中断してチャッピーと一緒に水のある所へ逃がしに行くことになった。

カエル君A.jpg
ユキは少々腰が引けている。
カエルが怖くて触れないのだ。
カエル君B.jpg

カエル君C.jpg「あっ、あっちへ泳いで行ったよ!」
カエルは「ナルニアの森」から5キロほど離れた田んぼに放された。帳が下りる頃の家族揃って「カエル帰る」の見送り散歩だった。

そして、カエル君の物語を書きたいと鉛筆を執ったユキは、夕食後とお風呂上がりに一気呵成に書きあげた。その推敲中に体力尽きてベッドイン。私は明朝に見せてもらうことになっているが、我が家のエジソン君がすごい傑作を書いていた。

タイトルは『とのさまがえるのいくところはどこだ』。乞うご期待!
トノサマガエル君も今日はとんでもない恐怖の一日だったであろう。否、ユキの描く世界は冒険談だったから、カエル君も今は楽しかったと思っているに違いない。

イソトマ、つばめ、カエル、そして、チャッピー・・・驕りとは無縁の花や小動物は疲れた心を癒す。


posted by 優子 at 23:07| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年06月26日

梅雨のシャワーを楽しむツバメ

梅雨入りしてから日中にこんなに雨が降るのは初めてではないだろうか。今日は午後3時半頃から大粒の雨が降り出した。

雨が激しく降っているのにいつまでも空を旋回している黒い鳥の群れがいた。何羽かが燕尾(えんび)をピンと張って猛スピードで目の前を通り過ぎたのでツバメだとわかった。

まもなく軒下に入るものもいたが、電線に止まったままの鳥もいた。そこには親鳥はおらず、尾はまだ短い巣立った雛たちばかりだった。そのうち気持ちよさそうに羽をバタバタして毛づくろいをやり始めた。

7月3日追記:このツバメたちは雛ではないようだ。7月3日の「ラ・ゴロンドリーナ」をご覧ください。
大雨に打たれたままのツバメたち.jpg
ツバメは雨が好き?

そして、雨脚が弱くなるとどこかに行ってしまった。
その後も雨はシトシト降り、ようやく梅雨になったという感じがする。今日も洗濯物は気持ちよく乾いたのに、今はジメジメとしている。
カレンダーを見れば今年も早半分が過ぎようとしている。そして、梅雨が明ければいよいよ本格的な夏の到来だ。

6.26乾いていた.jpg附記:今朝、洗面所につけた点検口の蓋を作ってくださって全て完了した。
3つの蓋を作ってくださったのは、見るからに誠実で善良な方だったのが嬉しくて、これからも蓋を見るたびに感謝が溢れるのが嬉しくてならない。
仮蓋を外すと水漏れはなく、濡れていたところも乾いていた。水道屋さんたちが一生懸命修理してくださったことも決して忘れない。


さて、防蟻処置をするのかどうか。きっと長い間の排水漏れ情態だったのだからするに越したことはないだろうが、床下に散布する薬剤は液体で半日がかりの仕事になるという・・・目下思案中。


posted by 優子 at 18:17| 随想 | 更新情報をチェックする

2014年06月24日

「『行人』にみるキリスト教受容としての自己本位」 ―JCP関西ブロック例会より―

21日(土)は日本クリスチャンペンクラブ関西ブロックの例会だった。
東(あずま)牧師はいつも教会(日本キリスト教団・千里ニュータウン教会)の入り口に「日本クリスチャンペンクラブ研究例会」と看板を立てて迎えてくださる。

この日は5年ぶりに和歌山在住の古いメンバーの方が、新来者のご夫妻と共に参加してくださり、また、1年間休会されていた2名の方々も元気な顔を見せてくださり、部屋狭しとにぎやかな会合だった。

開会礼拝では「イザヤ書40章7節から10節」より、東牧師でしか語ることのできないヘブライズムに満ちた力強いメッセージを賜った。
西洋神学ではなくユダヤ人の本来の聖書の読み方を教えてくださり、「人生に挫折しない、希望を失ってはいけない」と、参加者たちは大いに激励された。

学びでは2013年11月18日(千里ミュータウン教会にて)に続いて漱石を取り上げ、宮園美佳氏より「『行人』にみるキリスト教受容としての自己本位」の講演を拝聴した。

『行人』は4章から成り、最後の「塵労」は一郎の苦悩について描かれており、宗教的なところを見るとなればこの章になる。
「自己本位の発見」、「『行人』における自己本位」、「一郎にみる媒介物への不信」など、『私の個人主義』や『断片』、また、「塵労」より論じられた。

一郎(兄)は個人の感情を知りたいのであるが、外界との媒介物を否定し嫌悪感を持っている。ところが、多くの媒介物を経ないと感情の伝達はできないというパラドックスに満ちた行動になっている。

この作品で有名な言葉が、「死ぬか、気が違ふか、夫でなければ宗教に入るか。僕の前途には此三つのものしかない」。

以上、テキストを熟読していないのでお粗末なリポートである。
漱石は膨大な問題意識を持った天才だったが、最後の方では笑いが出てしまった。これでは神経衰弱になってしまうというのが私の感想だった。
そして、ここで思い出すのがパンセの言葉だ。
「人間が息抜きをしないで生きるとすれば3つの道しかない。気が変になるか、自殺するか、宗教信仰に入るかの3つである」。
北森嘉蔵曰く、「漱石はパスカルを読んだ形跡はないのに、東西の両天才が同じようなことを言っている」。

margaret1b.gif

感謝録:過去ログ・2014年5月3日の「村岡花子は日本クリスチャン・ペンクラブ初代会長」をお読みくださった方が、村岡花子のウィキペディアに花子がJCPの前身である基督教文筆家協会の初代会長であったことを加筆してくださった。
その記事に「ウィキペディアに加筆したいがやり方がわからない」と書いていたからだ。
ありがとうございました。


posted by 優子 at 18:10| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2014年06月20日

イソトマの咲く頃

蕾が弾けるよ.jpg
生まれて初めての傑作! 会心作だ! 
蕾が今にも弾けて花開く直前、まさにその瞬間だった!
デジカメを使い始めて5年2ヶ月目のことである。

洗濯物を干し終わってからでは間に合わないと、途中で手をとめてカメラを取った。この写真を撮ってまもなく右側の蕾の一ひらが弾けた。昼前に左側の蕾も開いた。

これまでは撮り方が下手という以前に、何を撮りたいのか不明瞭だった。ようやく撮るコツがわかった。
それは文章を書くのと同じだ。まず書きたい焦点を定めて書き始める。それでも会心作はめったになく、自分が感じていること、考えていることを表現したくて書き続けている。


昨日はブログを更新したあと2時間かけて一気呵成に1作書いた。時間を忘れて集中し、2000字に自分の書きたいことを書きこんだ。自分としては「良し」だ。
ところが徹夜した朝のように疲れてしまって、昼食も摂れず長いことソファーに横になっていた。これが年を取るということなのだ。

話をイソトマに戻そう。イソトマの生命力は強い。それを知っているのをいいことに、冬季中に何度水をやっただろうか。昨年も半分枯らせてしまった。

今冬はもっと水やりを怠ったために4月には壊滅状態になっていた。そんな植木鉢の端っこに1センチにも満たない葉っぱが数個あったので、それを抜いて真ん中に集めた。根っこはモヤシの髭よりも細く、絹糸よりももっともっと細いのが一本長く伸びていた。

予想通り枯れないで少しずつ大きくなっていった。
4月半ば頃からグングン伸び始め、今はこんなに大きくなった。
夕方のイソトマ.jpg

蕾がつくまで時間を要し、最初はひとつ、ふたつと数えるほどだったが、例年よりたった3日遅れただけで6月9日に一つ目(左端)が咲いた。今週から蕾がいっぱい顔を出した。もう2度と枯らせてはならない。

昨年6月8日、ワシントンへ発つ知子とユキを伊丹空港へ見送った時、送迎デッキの花壇にたくさんのイソトマが咲き乱れていた。
飛行機が空高く見えなくなったあと、しばらく6月の風に揺られるイソトマを見ていた。今年も咲いているのだろうか。 

posted by 優子 at 18:00| 随想 | 更新情報をチェックする

2014年06月19日

拙著・遠藤周作評論が2年前の知恵袋で紹介されていた!

『メメントドミニ』に1日平均750〜800のアクセスをいただいているが、1週間ほど前から多い時は1200を越え、今朝9時半の段階で500を越えていた。
内容については共感してくださる方ばかりではないのは当然のことであるが、何かを感じてアクセスしてくださっていると思うので励ましになっている。

今朝は久しぶりにいくつかリンク先を見たところ、見なれない「知恵袋」があったので覗いてみた。
「メサイア」や「聖書の人間観」などは、今も知恵袋からのアクセスは絶えず、最近ではどこかの教会のHPで水野源三の窓口としてリンクされていたり(こんな光栄なことなのに記録していなくて申し訳ない)、今朝のリンク先では私の遠藤周作作品の評論が紹介されていた。

すでに2年も前の2012年6月のことだ。
卒業論文で遠藤周作の「悲しみの歌」を取り上げることになったのですが、論文が全く見つかりません。この作品について少しでも触れられている論文、本をご存知でしたら教えていただけないでしょうか? (閲覧数:374 回答数:2)
その「ベストアンサーに選ばれた回答」を一部抜粋すると、

「『悲しみの歌』と深い関係のある『海と毒薬』に関する論文も含めて、『遠藤周作に関する論文』を片っ端から読んで、少しでも関係のある箇所を探されることは必須だと思います。」として、私の評論が紹介されており、しかも私のだけであったのは嬉しいことだった。

『悲しみの歌』について、日本キリスト教文学会で遠藤周作学会会長の笠井 秋生氏と意見を交わしたことがあり、そのことも過去ログ2008年1月29日(カテゴリ・文学)「(その2) 懇親会で求められたスピーチで語ったこと」に書いているので是非参考にしていただきたい。

今改めてその記事を読むと、今ならば笠井氏のコメントがよく理解できた。
遠藤が主人公・勝呂を自殺させたことについてだ。
そのことについて最近次女との話題に上った時、「作者がクリスチャンだからじゃないの?」と語った次女の発言に、私には気づかなかった視点を示されたことを話した。

その時、笠井氏が、「いや、違う。あれは勝呂を救いきれなかったと遠藤自身が言っている」と発言され、「なんでですか?」と瞬間的に言葉が出ていた。
「どうしてですか?」と私の中で言葉を変換させることもなく口をついていた。私にはそれほど興味深いことなのだ。

あの時、私はどのようなことを話したのだろうか。
このくだりを読むと、マチ(次女)の指摘は見事に遠藤自身が語ったところと同じではないか!!!

つまり、クリスチャンである遠藤だったから勝呂を救いきれなかったのであり、そのことは評論で私が導きだした結論と一致するではないか!

私は遠藤の作品だから勝呂が救われることを願っていたのだと思う。その思いが無意識にあるゆえに遠藤周作が勝呂を自殺させたことが残念でならなかったのだ。

無意識ではあってもその思いが強かったために笠井氏とのやり取りの時も、小学生でもわかるような理解力が欠如していたとしか思えない。ここにも大きな示唆がある。


そのことについてもこの記事に書きたいし、自分の書いたものも読み直してみたいのだが、明日中に書かねばならない2000字(できれば2作)に集中せねばならず強制終了したい。 

21日の日本クリスチャンペンクラブ関西ブロックの例会では、漱石(講師の関係であるいは有島武郎)について学び、そのこともお分ちしたいと思うので、初めて『メメントドミニ』を訪ねてくださった方が「お気に入り」(ブックマーク)に入れてくださり、時々でも訪ねてくだされば感謝に堪えない。


posted by 優子 at 10:30| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

2014年06月17日

久々のスカイプは神の計らい

昨日の朝、久しぶりにマチとスカイプした。
我が子のことなのにマチのミッションが近づいていることをすっかり忘れていた。とりあえずは7月のミッションがアジア圏最後の出張になる。

アジア圏だと日本がワシントンへの中継地になっていることが多く、仕事帰りの帰国は好都合だった。昨年12月、3月、5月と半年間に3回も会えた。

昨日のスカイプでは、次回の帰国はクマ(伴侶の愛称)も一緒にということなのでこちらの都合を聞いてくれた。1ヶ月ほど前に私の心身が冴えないことを伝えていたからだ。

マチ自身も仕事に加えて論文執筆があり体力や時間の余裕があるかどうか思案中だった。また、クマのミッションも9月に控えており、その準備(仕事)が始まるので休暇が取りにくいなど諸事情があるようだ。

とは言えミッション出発まで1ヶ月を切っており、飛行機のチケットを取る限界になっている。1時間半も話していたのに話は尽きず帰国するか否か結論を出せなかった。

とにかく私はもう大丈夫なのでこちらの斟酌はご無用にと伝えたい。今朝、ユキがこんなことを言った。
「フー(クマの別称)はいつになったら来るの?いつ2人で帰ってくるの?」 
「今度帰って来る時はマチとフーと2人で帰って来るよ。1週間ほどだけれどね」
と話していたところだ。

特にマチは昨秋から多忙な日々が続いており、メールのやり取りも1ヶ月に1〜2回ほどだけだった。その間に(IMF内での)就職活動も終わり、「とても嬉しい結果になった。」との吉報が6月初めに入った。

「またしても、一番予期しがたいところから、道が開かれた。最後の最後に。希望で満たしてくださる、わくわくする道を開いてくださった。」と、夫婦ともに9月からのそれぞれの部署を喜んでいた。
私としては娘のミッション(海外出張)がかなり少なくなるので安堵した。

私たちは時間を忘れて喋っていた。スカイプを切った時、家族でも交わりが途絶えがちになってはいけないとしみじみ思った。
マチが「月に1回ぐらいはスカイプタイムを作ろうよ」と提案してくれ、ワシントンと日本は14時間の時差があるけれど、例えば読書会のように毎月第○土曜日の夜と決めておいてもいいねと、私たちの思いは即座に一致した。

忙しいからと共に過ごす時間を取らないでいたら、人生のかけがえのない時を逸してしまう。私たちが週の初めに礼拝に集うのと同じだ。
私たちは時間があるから教会へ行くのではない。時間を聖別して神に時間を捧げるのである。外国に住む娘夫婦も一緒に全家族の時間も月に一度は取りたいものである。


ついでながら、私に洗礼を授けてくださった小山恒雄牧師は説教で何度も仰った。
「1週間の最初の時間をどう守るかによって1週間の勝利が決まる」と。
そして、
「神さまの前に出られる私ではないが、徹底的に人を裁くことのできる神さまが、徹底的に人を赦される。慈しみと憐れみに満ちておられる神に感謝する。
神に感謝する人は人へも感謝する。この感謝が溢れてくると心豊かな生活をすることができる。礼拝に集まって来るのは神への感謝の気持ちからだ」
と。

マチと私は共に神の息吹に満たされ豊かな恵みを受け、神の臨在を感じた。遠く離れている私たちをスカイプが同じ時間を過ごさせてくれた。文明の利器を尊く用いることができるのは何と素晴らしいことであろうか!

マチ、「母の日」に贈ってくれた言葉を無断で記録することをゆるしてほしい。いつか私が居なくなってブログを開いた時、「ママは喜んでくれていたんだ」と思ってくれるに違いないから、そう思ってゆるしてほしい。

このメッセージをもらった頃は冴えない心だったので喜びも鈍感になっていた。それでも最後の言葉が嬉しかったのを覚えている。
今再び読んでマチがどんなに多くの仕事をこなしていたかがわかり、またマチの一言ひとことが心に沁みこんでくる。


ママ

いつもありがとう。弱っている時には耳を傾けてくれて、挑戦しようと思っている時には背中を押してくれてありがとう。
去年の秋ごろから真智は色々と大変だった上に、忙しかったけど、なんとかギリギリ乗り越えてくることができたと思う。先週日本に帰った時、こんなに気持ちのいい季節もあったんだな、と改めて思った。

DCも今は清々しい気候で、こんな季節を享受できることを忘れていたような感覚で、とても嬉しい。人生の意味でもこのような季節にあるのかもしれない、また自分らしくがんばろう、と思えているよ。いつも祈っていてくれて、ありがとう。

ママ、これからも益々自分らしく輝いてね。
ゆきちゃんが小学生になってまた少しずつ時間が作れそうだから、今後どうやってその時間を活用していくか考えている、とママが言ったとき、素敵だと思ったし、まちもまた頑張ろうと思ったよ。
やっぱり、生きることってチャレンジってことやね。
イエス様も一緒!

いつもありがとう。
真智子

IMFに入ってもうすぐ3年。真智子は神さまに与えられた能力を精いっぱい磨きながら活躍している。知子もまた父親の会社で!

マチとクマへ:
健康と仕事へのしわ寄せがなければ会いたいです。7月末だとユキも夏休みに入っているので喜ぶことでしょう。
今日は今週の説教でいただいたみことばを贈ります。
「わたし(イエス・キリスト)は、あなたの行いと労苦と忍耐を知っている」。
感謝と励ましと愛をこめて
ママより

※ 6月6日の記事・「真智の誕生日に幼き日々にタイムスリップ」に、7日朝マチから届いたメールを昨日追記させてもらった。嬉しかったから。ありがとう!

posted by 優子 at 14:19| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2014年06月15日

床下水漏れの大工事

先月29日のこと、築15年のメンテナンスでシロアリ駆除業者さんが床下を見てくださったところ、どこかで水漏れしているようだと言われた。

「どこかで」というのは土地半分(南側)の床下が極めて低くて入ることができなくて、しかも南側に点検口を作っていないので濡れている場所を特定できないのだ。5年10年のメンテナンスでは点検できないことさえ見落とされていたのである。

このたびの業者さんは実に誠実な仕事人だったからわかったのだ。畳をめくっての床下点検に留まらず、台所の収納庫の小さい穴からも覗いてくださり、漏れの箇所はどうやら水道管からではなく排水管からだろうとの察しまでつけてくださった。察しは的中していた。

そこで13日の朝9時に水道屋さん3名と大工さん2人、そして、住宅メーカーのメンテナンス担当者の計6名で作業が始まった。

孫は床に穴をあけるのを見られなくて残念がっていたので遠慮しながら写真を撮っていたが、漏れている場所が特定できないため次々と床に大きな穴を開けて行く状況になり、このままだとどうなるのだろうとの心配から血圧が上昇し、一時は気分が悪くなって夫と長女に写真を添付してメールを送った。

すぐに娘から電話があり、何とか仕事の段取りをつけて夕方に帰ると伝えてくれ、本当にありがたかった。「支えられた」というのはこういう事だと改めてわかった。
現状を聞いてくれ、言葉をかけてくれることで人はどんなに助けられることだろうか。支えられた者はその感謝を忘れないことだ。

しかしながら、ストレスにかくも弱くなってしまった自分が情けない。母や父の介護から看取りという過酷なことも持ちこたえる心身だったのに・・・持病があるとちょっとしたことで体調が悪くなる。


夫は私のメールを読んで、この家を建てた時の営業担当者にも現状を見ておいてほしいと連絡したらしく、訪ねてくださった。
過日14〜5年ぶりにお目にかかった時にも話したが、木造建築の住宅メーカーゆえに尚のこと、点検口が設けられていないのは完全な設計ミスであることを伝えた。これではシロアリのチェックができない。
幸いメーカー側も誠実な対処をしてくださるようだ。

それにしてもそれぞれのプロの方々に感謝があふれる。
医療現場で言うならば、各専門分野の外科医たちが知識を結集して診断・手術し、最後に形成外科医の処置と言ったところだろうか。熟練のプロたちが根気よく原因を突き止め修理してくださる姿に感動した。

以下は大工さんと水道屋さんへの感謝の気持ちを忘れないための記録であるが、全てを見ていたわけでも説明を聞いたわけではないので間違いもあろうと思う。


工事@.jpgまず台所の床収納庫の中の小さな穴から覗き、水漏れは台所あたりにあるL字管周辺ではないかということで、収納庫から80センチ(?)のところに点検口を作ることになった。

工事B.jpg
大工さんが見事な手つきで点検口を作ってくださっているところ。



工事F水がこんなに!.jpg開けると水が溜まっていた!
バケツ内はスポンジで吸い取った水。
しかし、漏れはここではなかった。水圧をかけて漏れの場所を探りもしたがここではなかった。
そこで、僅かな深さしかない側面にある穴から洗面所の方を覗きこみ、洗面所あたりがもっと濡れているということで洗面所にも穴を開けることになった。
圧力をかける.jpg
水圧をかける機械。

工事I.jpg 工事J.jpg
同じ頃、外では点検口の蓋を作ってくださっていた。

工事G.jpg台所と洗面所間の管に漏れがないか確かめるべく、再び水圧をかけたまま時間をおいたが漏れは確認できなかった。
次に洗面所の下を点検中。


ついに洗面台をはずしての作業となった。
管をつなぐA.jpg
体をよじらせ、呼吸もしんどい姿勢で長い時間洗面台側を覗いてくださっていた。

庭では2つに分解した洗面台が。
外では洗面台を.jpg

その頃チャッピーはパーキングでお昼寝。
チャックンも待ちくたびれて.jpg

湯の管を壁から床下へ通す@.jpg水道屋さんの豊かな経験から洗面台の後ろの壁に穴をあけることや、その場所の見立ても的中し、「想定していた通りだった」との一言に感銘を受けた。
ピンクの管はお湯の管。今のは柔らかくホースのように見えるが、これまでの管より頑丈になっているという。

管をつなぎ終えて.jpg洗面所の後ろの壁も穴を開けて管をつなぎ終える。
配管完了!完了!.jpg

このあと黒い管すべてにも白い断熱材(保温材?)を巻いて工事が終わった。

どうしても漏れている箇所がつきとめられなかった場合はどうなるのかと尋ねたところ、その時は新たに設置するそうだ。
その場合、庭の地面を掘って管の交換となると大工事になり費用も多大になるので、古いのはそのままにしておき、新たに家の壁に配管して後付けにするという。
不細工であっても直るならばありがたいことだ。最悪の場合にも方法があることを聞いて安心した。

尚、洗面所の点検口開口は予想外のことだったため、蓋の資材発注の関係から完成は後日になる。

大工さんは一足先に1時間ほど前に帰られ、最後の方々を見送る時チャッピーはこっちを見ていた。
工事まだ?.jpg
「やっと終わったワン」

そして5時10分頃、最後の人を見送ってパーキングを見ると、チャッピーは腹ばいになって呆れたような顔でこっちを見ているので大笑いした。
写真が撮れなかったのが残念でならない。常にカメラを携帯しておくべきだった。
このあと午後4時前に帰宅してくれていた知子と手分けして掃除と後片付けに取りかかった。そして7時15分、掃除が終わった瞬間に夫が帰宅。その直前に出前のお寿司も到着していた。

この翌日(14日)はユキの土曜参観日で知子と私たち夫婦も一緒に小学校へ。私は参観後、班長さんの代理で班長会出席のため集会所へ。夕刻、知子はユキを皮膚科へ。それぞれ多忙な週末であり1週間だった。

6月26日追記:
6.26乾いていた.jpg洗面所につけた点検口の蓋を作ってくださり全て完了した。
2週間前の工事で排水管からの水漏れはとまり、濡れていたところも乾いていた。さて、防蟻処置をするかどうか。するに越したことはないが、薬は液体で半日がかりの仕事になるという。


posted by 優子 at 22:09| 随想 | 更新情報をチェックする

2014年06月11日

1人ひとりに問われている日本の未来 ―小出裕章氏の講演会ご案内―

「平和の時代と言いながら、問題を多くはらんでいるこのような世に生きていればこそ、われわれはペンを武器として、神の正義のため戦わねばならない。
文章を書くことによって、この時代にプロテストし、ゆがめられた神の聖意を明らかにし、その実現のために懸命にはげみたいものである」。
   

これは満江巌牧師(日本クリスチャンペンクラブ理事長)が1994年出版の著書に書かれた言葉である。

20年後の今、日本は原発事故が収拾のつかない状況になっており、その上に集団的自衛権行使を容認する憲法解釈の変更実現に安倍首相は躍起になっており、歴史上未曾有の危機的状況だ。

私も満江牧師より薫陶を受けた1人として、信仰をもって小出裕章氏の講演会のご案内をしたい。

d0108399_14211759.jpg7月20日(日)午後7時から、奈良県香芝(かしば)市ふたかみ文化センター市民ホールにて小出裕章氏の講演会が開催される。
1ヶ月ほど前に「9条の会」からこのポスターが届き、先週協力券を届けてくださった。8日の礼拝後、馬見労祷教会でも案内されていた。

小出氏のことは2012年2月25日の記事・「小出裕章『原発と憲法9条』を読む」で取り上げたことがある。以下はその記事に引用させていただいたものだ。

原発と憲法9条.JPG「どんなに苦しい事実であっても、見ないよりは見たほうがいいと思っています。歴史、あるいは事実に目を閉ざしてはならない。・・・

安全だよ、安心だよ、大丈夫だよと言ってくれる専門家がいたら、その言葉にすがりつきたいという気持ちは、誰だってある。それくらい切実に願っている。

でも、それは、正しいあり方ではない。・・・どんな未来を手に入れるかは、私たちの手にある」。


そして新たに引用したい。
「福島の悲劇をものともしないで、この国が原子力を進める意図はどこにあるのか。要するに『核兵器を持ちたい』、こういうことなんだと私は思っています。

そう思いながら・・・いや、それを知りながら、何の抵抗もしないまま生きることは、私には出来ません」。 


私たちはメディアで報道される政府寄りの情報で満足するのではなく真実を知る努力が必要だ。それらを自分の頭で考える。それは取りも直さず各自に問われている自らの生き方を選び取るということである。  

多忙な小出氏の講演会は極めて貴重な機会であり、大阪からでも遠すぎることはない。
専門家の中で真実を語る小出さんは圧倒的なマイノリティである。神さまが小出裕章さんの勇気を支え強め守って下さるように背後で祈ろう。


posted by 優子 at 15:25| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2014年06月10日

ユキが挙手して「はい、先生質問です!」

宿題の本読み中.jpg ここずっと本読みの宿題になっていた「なぞなぞあそび」の単元を授業でやった昨日のこと。
ユキは手を挙げて質問したというのだ!

「みどりの うわぎに きいろい おなか、おなかの なかには つぶつぶ いっぱい。こたえは、なあんだ」。

子どもたちは口々に「かぼちゃ!」と答え、「そうですね、答えはかぼちゃです」と先生が言われた時、ユキが「はい、先生、質問です!」と手を挙げて尋ねたという。

「かぼちゃの種は大きいのに『つぶつぶいっぱい』って書いてあるけど、なんで、つぶつぶって言うの?」

実はこの質問は全くユキから出たものではなく、予習をしていた時に私がつぶやいたことであった。
「カボチャのような大きな種をツブツブというのはピッタリこないね。イクラなど魚の卵のような小さなものに使う言葉やねえ。先生に聞いてみるとおもしろいね」と。

しかし、それにしても驚いた。未だに恥ずかしがりで大きな声で挨拶できないユキが、授業中に手を挙げて発言するとは思いもしなかった。どんな顔をして言ったのだろう。
先生も1年生の児童から授業中に質問を受けるとは驚かれたことであろう。

失礼ながらその時の先生のコメントを聞いてガッカリした。
「そうやけど、つぶつぶって書いてあるから」と。ふらふら
子どもの発言には常に感動をもって強化し次へとつないでいってほしいのだが、とにかくユキの能動的な姿勢をうまく引き出して行ってやりたいものである。


今週末は土曜参観日。おじいちゃん(我が夫)は父親代わりに是非参観してやってほしい。
夫は今夜、東京(ホテルオークラ)泊。今朝は早朝5時に家を出て同ホテルで会議に出席。長年務めてきた日紙商西部ブロック会理事長最後の仕事を務めている。

     kasa3.gif

6月7日、ユキはおじいちゃんと一緒に初めて理髪店で髪の毛を切った。生まれて初めてお店でカットしたのは4月。この時は美容院だった。その時もひどく緊張していたが今回はもっと緊張していた。

初めての理髪店A.jpg

ところが終わってから「理髪店と美容院、どっちがいい?」と尋ねると、「どっちも!」とすっかりリラックスして気に入っていた。

6月11日正午追記:
この記事をお読みくださった友からのメールです。


ゆきひさくんが学校で先生に質問したこと、すばらしいですね。
わたしが先生だったらこんなふうに言うのになあと思いました。

「ゆきひさくんは、すごいことに気づいたんやね。みんなが気づかへんことに気づくって、大切なことやねんよ。
たしかに「つぶつぶ」っていうのは、ぴったりな言葉とはいわれへんね。
かぼちゃの種は、つぶれたお豆さんみたいやね。
かぼちゃの種をあらわすには、どんな言葉があると思う?……みんなで考えてみよか」

(へんな関西弁で失礼しました)


いえいえ完璧な関西弁でした!!!
そして見事な授業展開で、精神が弛緩している私は尚のこと感動しました!!!ありがとうございました。

目下の私は感動できるけれど自ら溢れてこない情態で、21日の例会が迫っているのに提出する文章が書けなくて、今ではイヤイヤ机の前に坐っている子ども状態です。
文章は頭で書くものではなく魂で書くものゆえに祈りが足りないのです。


posted by 優子 at 19:21| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年06月09日

神の促しを感じて所属教会へ

西大和教会に通い始めて1年2ヶ月になる。先週の高見敏雄牧師の説教の中で神の促しを感じて、昨朝は籍を置いている馬見労祷教会で礼拝を捧げた。

西大和教会は高見牧師が40年の長きにわたってで牧会された教会で、今は引退されて名誉牧師であられる。キリスト教界指導者たちの世界会議に出席のために何度か渡米されたそうだ。

私たち夫婦が初めて馬見労祷教会を訪ねた2009年秋頃、高見牧師が代務牧師として労しておられた。その数年前から馬見労祷教会は牧師がいない無牧の状態だったからだ。

その後、2010年春に牧師が赴任されたが今年2月に突如辞任されたために、第1週目は西大和教会の主任牧師が、そのあとの週は高見牧師が助けに来てくださっている。

そういうわけで6月第1週目の礼拝は西大和教会で高見牧師の説教をお聴きし、その礼拝の中で、そして、説教の最後に読まれたフランチェスコの詩の一節が耳に留まった。

「分裂のあるところに一致を」

有名な「平和の祈り」は私も中学生の時からよく知っている。この時、穏やかに、しかし、力強く心に届き、神による内なる促しを感じて所属教会を訪ねようとの思いが与えられた。

父母は亡くなってからも私たちきょうだい3人が仲良くしてほしいと願っているように、その一節に主のまなざしを感じ、特に主に在る兄弟姉妹は共に慰め励まし合っていくようにとの主の思いを実感をもって感じたのである。

次週はとにかく馬見へ行きたいとの旨を知子に伝えると、娘の心もまた思いもかけず整えられて備えは完了していた。
他の一切のことは神に委ねて、とにかく次週は馬見労祷教会へ行く旨を高見牧師に一筆して翌朝投函した。

折しも昨日はペンテコステ(聖霊降臨)礼拝で、私の27年目の洗礼記念日でもあった。
 

      平和の祈り 
                アッシジのフランチェスコ

神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。
憎しみのあるところに愛を   
いさかいのあるところに赦しを
分裂のあるところに一致を
迷いのあるところに信仰を
誤りのあるところに真理を
絶望のあるところに希望を
悲しみのあるところに喜びを
闇のあるところに光を もたらすことができますように
助け導いてください。

神よ、わたしに
慰められることよりも慰めることを
理解されることよりも理解することを
愛されることよりも愛することを
望ませてください。

自分を捨てて初めて自分を見出し
ゆるしてこそゆるされ
死ぬことによってのみ
永遠の生命によみがえることを
深く悟らせてください。

懐かしい方々1人ひとりと挨拶を交わして教会をあとに、馬見丘陵公園で開催している「花菖蒲まつり」に出かけた。教会から自動車で5分ほどだった。
丘陵公園は、今春読売新聞のローカル紙面にユキの写真が掲載された「チューリップまつり」と同じ公園で、チューリップ畑はバラ園になっていた。

花菖蒲まつりJ.jpg

花菖蒲まつりA.jpg

梅雨とは言え雨は少なく、昨日も今日もカンカン照りだった。紫陽花や花菖蒲は曇り空や雨の方が風情がある。

花菖蒲まつりE.jpg

花菖蒲まつりG.jpg

花菖蒲まつりD.jpg

2013年2月24日を最後に1年3カ月ぶりに馬見労祷教会で礼拝を捧げたことは特筆すべきことであるので、カテゴリを「我が心の旅路」に収めた。

posted by 優子 at 23:59| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2014年06月06日

真智の誕生日に幼き日々にタイムスリップ

今日は真智子の誕生日。34歳になった。
ユキの成長に合わせてその頃のマチのことを思い出したくて、昨日は久しぶりに育児日記を開いた。

育児日記と言っても2歳になるまではマメに書いていたが徐々に無精になり、最後の方は途切れてばかりで1989年に2回、その次は1992年4月2日を最後に終わっている。60枚綴りのノート2冊、2冊目も最後まで書いていない。

鮮明に覚えているエピソードもあるが、結構忘れているものである。読んで思い出すこともあれば、「そうだったんだ!」と初めてのことのように感動することも多い。

入学して登校5日目の帰り道でのこと。お友達と鬼ごっこしながら歩いていて転んでオデコに怪我をした。パックリあいた傷口からたくさん出血しているので近くの東長原病院へ駆け込んだことがあった。

治療台に横になっていよいよ傷口を縫おうとしたところで、医師はやっぱり縫わなくてもよいと判断されて縫わずに終わったものの、そこそこ大きな怪我だった。

真智子は言った。
「転んだ時にお友達は『大丈夫?』って聞いてくれるのはいいけれど、血が地面に落ちてくるし、帽子に血がしゅんで(しみ込んで)いっていると思ったから、『誰か大人の人を呼んできて!』と頼んだ」。
泣きもしないで冷静に判断して友達に指示したのには驚いた。
そのことは忘れていたが、今も私の脳裏に鮮明に記憶しているエピソードがある。
1986年12月8日(月)
幼稚園年長組のクリスマス会(参観日)のこと。クラスの劇は「孫悟空」で、真智子は孫悟空の役。真智子以外の孫悟空は男の子ばかり。(附記:こんな時代からすでに主人公は一人ではなかった)

出番はセリフが2回だけで、その一つは「おまえは孫悟空か?!」と言われた時のセリフ、「おお、そうだ!」という言い方がとても上手だと先生が仰っていた。

マチの孫悟空@.jpg紙を丸めて作った石をぶつけられた時、真智子は石に当たって倒れなくてはいけないのに、当日の本番で当たらないように石をよけた上に「残念でした!」と嬉しそうに言った。

私は真智子から劇の内容を聞いていなかったので違和感なく見過ごしていたところ、福岡先生が「真智子ちゃーん!」と言われ、それで真智子がハッとして床に伏せたことから台本通りではないことがわかった。このことを聞いた夫も大笑い。
マチの孫悟空A.jpg
こういうところもとても真智らしいエピソードだ。(附記:このお面は今も大切にしまってあるよ。) 
今は午後1時35分、あと10分少しすれば迎えに行くが、幼稚園へのお迎えもあとわずかだ。1日1日を大切にしたいと思う。

1987年3月1日(日)
ランドセルが我が家に届いた2月末から、真智子は毎日ランドセルを背負っている。食事の時とピアノの時だけ下ろすといったぐあいなので笑ってしまう。

夫が帰ってきた時もいつも背負っている。
漫画を見ている時も、本を読んでいる時も、このごろは大事な物を入れて持ち歩いている。

早く4月がきてほしい真智子。幼稚園生活ももう少しで終わる。嬉しいようなさみしいような私。

そして、小学校入学後初めての家庭訪問の時、先生のコメントに大笑い。これはすっかり忘れていたし、思い出すこともできない。
1987年5月26日(火)
20日は家庭訪問だった。
「お姉ちゃんがとてもしっかりしていて、何も言わなくてもよくできると(知子の)先生に聞いていたので安心していたら、忘れ物が多いし・・・、聞かなければよかったです。」というのが先生の第一声だった。

入学して早々の4月17日の電話では、「今日は体育の時間に1人で(ウオータークーラーで)水を飲んでいて、まだ幼稚園の気分が抜けないのでしょう。」と笑っておられた。

知子にはこんな注意をされたことは全くなかったが、忘れ物がないように宿題や時間割を合わすのも一緒に見てやらねばと反省。入学したばかりの子どもなのだから親の責任、親の怠慢だ。

「でも、大きな声で誰よりも上手に発表してくれますし、素直でとてもかわいい子だし、お姉ちゃんと違ってこの子はこの子なりに大きくなっていけばいいですね。」
と先生。

私はこのようなエピソードさえ忘れていたが、どの子もその子らしさは小さい時から顕著に出ているのだと改めて思った。この時のK先生は結婚式にお出でくださった懐かしい先生だ。その後、心にとめながらもご無沙汰ばかり。

最後のコメントは全く覚えてはいなかったが、「この子はこの子なりに大きくなって」というのは、聞き様によってはあまり期待されていないようにも聞こえるではないか(笑)。

日記には、「男の子のようにワンパクで、真智のエネルギーをどのように向けてやればよいのでしょうか・・・そんな真智ですが食前と寝る前には自分から祈る子です」と、私の祈りも書いてあった。

とにかく大らかな子どもらしい子どもだった真智が、今は経済学者になってIMFで働いている。わーい(嬉しい顔)
今週、この秋からの新しい部署が決まったとか。IMF内での就職活動のようなものだからオファーがなければ成立しないのでクリアーできてよかった。


あのねノートB.jpg娘たちは「ひらがな」の学習が終わった6月から「先生あのねノート」が始まったが、ユキたちはないのだろうか。
教育ってすばらしい。真智もまた「あいうえお」や「1.2.3」から始まったのだ!

あのねノート@.jpg
ノートの最後に先生が赤ペンで「がんばっておおきなこえでいってね。」と書いてくださったのに対して、毎回赤ペンで返事を書くユニークな子で、そのうち先生のコメント場所を指定して「ここにかいてね」と書いていた。わーい(嬉しい顔)

1年生の七夕集会.jpgこれが上の左のページに書いている七夕集会でクラス代表になって祈りごとを発表しているところだ。

全校で「はだしの教育」に取り組んでいたので壇上も裸足。

「もっと教会へ行って、もっとイエスさまのことを知りたいです。     1年1組 藤本真智子」 

この時のマチの祈りごとも素晴らしく、公立の学校でこの祈りを選んでくださった先生も素晴らしい!


写真は担任の先生が撮ってくださったものだ。今はデジカメだから珍しくはないが、K先生は学校での子どもたちの様子を撮ってくださる珍しい先生だった。

あのねノートA.jpg

知子にも真智子にも作文に書かれてしまったお菓子好きなパパは、もうすぐユキにも書かれることだろう。おじいさんになった今も毎晩お菓子争議は続いている。ふらふら わーい(嬉しい顔)

まち、お誕生日おめでとう!

このような思い出のノートを見ていると、マチと一緒に時間を忘れて語り合いたいけれど、帰国した時もそのような時間は全然ないから、お互いに思いを馳せて心と心で語り合おうね。

ママは育児日記を見てよかった。
平凡な日々であっても子どもが大きくなるまでは病気や怪我など何回も心配事があり、私のあまりの至らなさで真智の心を傷つけて無用な反抗をさせたりといろんなことがあったけれど、神さまがここまで守り導いてくださったことがよくわかったよ。

それに、ちょうど今のユキと同じ頃だけれど、頼りないユキであっても「ユキはユキなりに」大きくなっていけばいいと思った。

そして何よりも自分自身を振り返ることができたよ。このあたりで全部読み直してみるのも有意義だと思ったよ。人生最後の育児日記の読み直しをしたいと思う。

まち、これからの1年もイエスさまと共に充実した日々を重ねていってください。遠く離れていてもママはいつもマチの幸せを祈っています。


「人の心には多くの計画がある。
しかし、主の計りごとだけが成る」。
 

この御言葉はママの愛唱句の一つで、神さまを象徴しています。

6月16日追記:6月7日朝に届いた嬉しかったマチのメールより。
ママ、
お誕生日のメッセージと愛情たっぷりの記事をありがとう!
おでこをケガしたのは小学校に入って5日目やったんやね。覚えてるわ。景色とか、血とか、感覚もちょっと。

ゆきちゃんが、どんどん同じような年齢を生きてるのね。すごいね。ゆきちゃんはゆきちゃんらしく!いいね!
まちも、まちらしく、挑戦していくよ!

今日は、くまがDCで評判の良いフランス料理やさんを
調べて7時半から予約してくれたというので、
これからいくところ!おいしかったら、今度また行こうね!

こっちはさわやかなすっきりした日が多くて、
すごく心地よいよ。楽しんでます。

日本は猛暑だったり大雨だったり大変みたいやね。
体調崩さないようにね。

ママ、大好きよ!ありがとう!
イエス様と一緒!

真智子

posted by 優子 at 15:25| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2014年06月04日

続・無常感との霊的葛藤

昨日の記事にも関連して5月29日の「無常感との霊的葛藤」で書いた心情に寄り添ってくれるナウエンの言葉を刻みたい。

私たちの生涯は、待ち望みつつ生きる短い期間です。そこでは、悲しみと喜びとが常に口づけしています。私たちの生涯のどこを見ても、そこには何らかの悲しみが染み込んでいます。曇りない純粋な喜びというものは存在しないかのようです。

人生の最も幸福な瞬間にも、かすかに悲哀の色が感じられます。どんな満足感に浸っていても、それには限界があることをすでに気づいています。・・・

喜びと悲しみは、互いにごく近い所にあるのです。・・・久しぶりに帰ってきた友の手を握るとき、彼はまた行かなければならないことをあなたはすでに知っています。・・・喜びも、悲しみも、心の深い所から同時に湧きあがるので、この複雑な心の動きを捉える言葉が見つかりません。

私の哀しい無常感をうまく言い表してくれている。
そしてそれら一切のものに「死が少しでも触れていないものはない」というナウエンの言葉に、「ああそうなんだ。だから哀しみを感じるんだ」と納得させられてひとまず葛藤から解放されたのである。

この感情は命あるものの存在の限界であり、そのことが分かってきてこそ我々の存在の限界を越えた先に眼差しを向けるようになるとナウエンは言っている。

そのところも「ウイ、ウイ」で、私は生から死へ移されていく両親を看ながら、また、両親の死を通して、そのような感情が私の中に強く生まれ、祈りつつ待ち望む者へと導かれていった。

この個所は共感しつつも以前は読み流していたが、私の魂の底にある言葉にならない無常感を語っているナウエンをもっと深く読みたいと思う。

附記:6月2日、九州と山口が梅雨入りしたが、近畿以東では連日午前中に30度ラインを突破する真夏日が続き、北海道では昨日37.8度を記録した。
当地では5月28日から続いた真夏日から一転して、雨が降りだした夕方から肌寒いほどだ。近畿地方も今日あたり梅雨入りするのだろう。
※ この記事を更新した時、すでに梅雨入り宣言されていた。


posted by 優子 at 17:13| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2014年06月03日

続・独り静まりの中で

5月18日の説教で牧師が語られた「『出エジプト』の出来事は救いの記憶として大切だ」とは、知子とよく語り合う話題だ。

それはエジプトで奴隷になっていたイスラエルの民が、モーセに率いられて神の「約束の地」カナンに向かう物語で、十の災いと過越しや、追いかけて来たエジプトの軍勢から逃れるために、海が割れて陸に渡り危機一髪で救われる奇跡を経験した。

ところが、イスラエルの民はこのような明確な奇跡を経験したにもかかわらず、その後も水がない、パンがない、肉がないと、約束の地に着くまで事あるごとに不平不満をぶちまける。
これが我々の実相であり、私たちはどんなに神さまの助けを経験していても苦しくなると感謝を忘れてしまう。

しかし、神が私の人生を常に最善に導いてくださっていることを思い出し信じられるのは神の恩寵だ。

次女もまた闘いの日々にあって先のブログを読んで思いを分かち合ってくれ、魂が響き合った。そこで前述の記事・「独り静まりの中で」で紹介したナウエンの言葉を続けたい。

神は私たちと共におられるのでしょうか、それとも、おられないのでしょうか。
私たちが今言えることは、神の不在を悲しむその悲しみの真ん中にこそ、神の臨在の最初のしるしを見つけることができるということです。

そして、私たちの待ち焦がれるその渇望のただ中にこそ、その思いを起こされた方の足跡を発見するということです。・・・

私たちにとって最大の誘惑は、うんざりしてどうでもよいと思ってしまうことと、悲痛な思いで恨みがましくなることです。・・・・(数多くの思いがけない出来事でうまくいかない時、死の現実によって打ち砕かれる時)私たちは身動きならない投げやりな思いに負けたり、破壊的な恨みがましさをもって反発する誘惑に直面します。

しかし、忍耐によって私たちの待ち望む心が強くされると信じるなら、運命は召命に変えられ、傷はより深い理解への招きとなり、悲しみは喜びの生まれ出る所となります。・・・

神は善にして善をおこなってくださる方。
神が私たちの人生の計画者であることを信じ、試練の時も神が良くしてくださったことを忘れないで、神が目的とされた生涯、神さまにしっかり結ばれた生涯を全うさせていただきたいものである。

「イエスは彼女に言われた、『もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか』。    
                   (ヨハネによる福音書11章40節)
神の臨在を覚えつつ
When you believe in Jesus:あなたがイエスを信じる時。



posted by 優子 at 23:16| 随想 | 更新情報をチェックする