2014年07月31日

強靭な頭脳と集中力で経営改革続行中 

知子が美濃紙業の経営改革に着手して2年半になる。その間に人事管理はもとより、幾多のことを改善し解決していく頑張りに驚き尊敬の念を抱いている。

内容によっては10年単位でほったらかしにしてある前時代のやり方をパソコン処理に変えるなど、不得意とする分野にも関わらず一つひとつ着手し、結果的に大幅な合理化と経費削減に協力してくれている。

今夜も遅くに帰宅し、夕食と入浴を済ませてホッと一息ついた11時前のこと、知子が何気なく話し始めたことに驚いてしまった。

電債(でんさい)のことだ。
1年前から銀行が電債でやりませんかと声をかけられていたものの、毎日毎日最高度の集中力で仕事をしていてもとても手が回らなくて、つい半月ほど前から着手し始めたそうだ。

それが今日、大手メガバンクのテキストが間違っているのを見抜いたというのだ!
何度も何度も読んでもわからなくて、おかしいおかしいと思っていた知子は、当然のことながら自分の理解不足ゆえのことと思っていた。

しかし、これでは前へ進めず28日に銀行に質問をしたという。すると漸く今日の夕方になってマニュアルの操作ガイドが間違っていたとの連絡があった。がく〜(落胆した顔)
私は知子の努力にびっくりし、諦めないで追及する根気強さに感動した。これならば真智のように学者の資質も大いにあると思った。知子といい真智子といい私には似ても似つかぬ努力家だ。

「電債」とは「株式会社全銀電子債権ネットワークが取り扱う電子記録債権」のことだというが、これだけでは何のことだかさっぱりわからない。

聞くところによると10000円から100億円まで取り扱えて、今までのように印紙税がかからない。例えば、手形で言えば印紙代に2万円払っていたのが1000円未満の振込手数料で済むというわけで経費削減にもなる。

しかし、1ケタ間違うと大変なことになる。そのミスを見抜いてもらうためにも経理の人にしっかり伝授しておかねばならない。そのためには他者にも分かりやすく説明できるように、自らが十分に理解しておかねばならないと今も書類を開いて仕事をしている。
「ここまで勉強する人はいない」と銀行にびっくりもされているのもよくわかる。

「実際に浸透しているのは大企業だけで、少なくとも紙業界の中小企業においては殆ど浸透していないということもわかった。」と言った。
そして、これもまたすべてペーパーレスの流れだという。

もう午前12時だ。
仕事はやめて早く眠ってほしい。明日も6時半に家を出るのだから。
しかも数日前には急に首が回らなくなりひどい肩コリになって、会社帰りにレントゲン検査までしたのだった。幸い、しびれや頭痛、吐き気がなかったので怖い病気ではなかったが、今も本調子ではないので心配でならない。

感謝なことは、この2年半に自分の半身と思える助け手(経理部の同年齢の女性)が与えられたことは、この上ない神さまからの励ましである。
このこと1つとっても経営改革の進捗状況を端的に語っている。
美濃紙業には希望がある。


posted by 優子 at 23:53| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2014年07月30日

次女夫婦とのプライスレスタイム B

27日は朝1番をめがけてマチの(ついでに私も)カットを済ませたくて夫に協力してもらった。8時15分に家を出て2駅離れた美容院に向かった。
営業は9時からだが8時32分着で既に2番目で、9時前には10名近くになっていた。初めて夫に店の中で待ってもらったので気楽だった。私たちは9時20分頃に終わった。

帰宅した時、ユキは太志君とザリガニを取りに行って不在だった。朝とはいえ暑かったことだろう。
26日の朝にザリガニがいなくなって、翌27日の朝に別のがやってきた。ちっ(怒った顔)「この前のはオスやったけど、これはおしりがフワフワになっているからメスや」と熱心に話していた。

そして、教会へ向かった。
この日は「ヨハネの黙示録」3章7節〜13節より「試練の時に」と題して説教された。
「苦しみが無駄になることはありません。私の悩みは誰も知らないと思う時があります。しかし、主イエスは『知っていたもう』。深い深い主イエスのいたわりを思わざるをえません」。

礼拝の祝祷のあと、高見先生(牧師)自ら「藤本さんのお嬢さんご夫妻が帰国中で来られています」と紹介してくださり、教会の方々も私たちが戻ってきたことを喜んでくださった。

次女夫婦はワシントンに移ってから Washington International Japanese Church (ワシントン・インターナショナル日本語教会)に導かれて通っているが、その西郷牧師を高見牧師がご存じのようだ。

高見牧師がプリンストンに滞在されておられた時に、西郷牧師が開拓牧会されていたプリンストン日本語教会で高見牧師がメッセージを語っておられたという。

6年後の?周年記念に渡米したいと言われた高見牧師と同行させていただく光栄を想像した。マチ・クマも西郷牧師へのおみやげ話ができて嬉しかったことであろう。

高見先生は多くの働きをされてこられた著名な牧師であり、その方に次女夫婦のことも憶えていただき光栄に思う。

7月27日:高見牧師と@.jpg
感謝!
帰る時、師は真智子に言われた。
「思いっきりお母さんに甘えるといい」。 
師の言葉は私の心を打ち、師の愛に神の愛が重なって聞こえた。


教会の帰りは蕎麦屋さんへ。その後のクマは多忙だった。
パソコンの点検、テレビの録画の仕方を教え、また、ユキのカメラ(マチ・クマからの昨年のクリスマスプレゼント)からパソコンにインストールできなくなっていたのでチェックしてくれた。パソコンの差し込み口が良くないらしく断念した。

その夜「おやすみなさい」を言ってからマチ・クマは再び起きて、ウィンドウズ8のパソコンでインストールできるようにしてくれた。私はすでに夢の中だった。
思い出のスナップより:
フーとチャッピー.jpg
一番なでてくれるのはクマやね。
写真ではわからないが、この時も37度の猛暑だった。

チャッピーとマチとクマ@.jpg
「チャッピー、また会う日まで元気でね。」

いくでー.jpg
「いくでー(投げるよー)」。楽しそうなユキ。

ベランダにもキュウリ.jpg
クマのシャツブラウス。
マチ・クマにキュウリとトマトとイソトマも見てもらって嬉しかった。収穫したピーマンで「じゃこピーマン」を作れなくて残念。
今が旬の甘い大阪ぶどう(デラウエァ)、そして、「日本の桃はいい香り。甘い!おいしいねー」
2人は口をそろえて言った。もっともっといろいろと食べさせてあげたいのに・・・

家族全員で過ごしたしばしの時、楽しかったね。時々ブログを開いて思い出に抱かれよう。
また会う日までそれぞれの時を悔いなく活かそうね!

附記:最近「Machiko Narita」からのアクセスが多い。シンガポールやマレーシア・・・などでマチの授業を聴講した方々ではないかなと思う。

そういえば、「ユウチューブ上のIMFビデオにマチが登場!」のビデオで紹介している"DEBT SUSTAINABILITY FRAMEWORK FOR LOW-INCOME COUNTRIES" のオンライン・ラーニングが10月から(?)一般にも公開されるそうだ。

これまでは財務省官僚や中央銀行の人たちがログインして学んでおられた。期間中は聴講生からの質問に答える仕事も増えて忙しかったそうだ。聴講者から嬉しい反響がたくさん届いており、親バカながらすごいなあと思っている。

前回帰国した時に私のPCに入れてくれたので、時々開いてはマチを見て楽しんでいる。公開された時にはご紹介したい。


posted by 優子 at 15:05| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2014年07月29日

次女夫婦とのプライスレスタイム A ―マチ・クマから感謝ディナーに招待されて―

昨夜はワシントン到着の知らせを待てずに寝てしまい、今朝目覚めた瞬間に枕元から聞こえるラジオに耳をそばだて航空機事故やテロがなかったか聞いていた。まもなく知子から無事到着を聞き安堵して起床した。

日本を発ってちょうど12時間後、昨夜11時過ぎに無事到着していた。心を尽くして神に感謝します。

また遠くへ行ってしまった。
見送るさみしさは何回経験しても薄まることはない。到着を待つ時の心躍る喜びもまた慣れることはない。2人を迎えたのがたった3日前のこととは思えない。
帰って来る時のメールのやり取りの嬉しいこと!!!


「もうすぐホテルを出発します。
日本も暑そうやね。会うのを楽しみにしています!
くまもよろしく言ってます。」(7月25日:18時28分着信)

「無事伊丹に着いたよ〜(^O^)。めっちゃ暑いね!シンガポールもビックリやわ。」(7月26日:9時21分着信)


もうリムジンバスに乗ったかなあ・・・いよいよ駅に着く!
26日の土曜日はお昼まで仕事があったため夫と知子は不在で、マチ・クマはタクシー乗り場へ。そこで待たされて予定よりも20分も帰宅が遅くなった。ユキも猛暑の中20分以上も家の前で待っていた。

駅では、真智子に「藤本さんですか?どうぞ乗ってください!」と声をかけてくださった方がいて、名前をお聞きするとK君ママだった。

マチは感謝しつつ荷物が多かったのでお断りしたが、思いもかけないホームカミングの喜びを感じたことであろう。
「K君ママ、ありがとうございました!」
このことは私には大きなハプニングであり、とても嬉しいことだった。


こうして今回も再会の喜びを味わい、眠る時間を惜しみながら1日半の短い時間を目いっぱい楽しんだ。
今回のエピソードは何といってもマチ・クマから感謝ディナーに招待されたことだ。夕刻6時から難波(なんば)のホテルの22階でフルコースをいただきながら歓談した。

フォアグラは選ばず、オードブルは3品もあった。肉料理(特に鳥肉)が苦手な私は2品の魚料理にしてくれたりと、2人がパソコンを前にして心をこめてメニューを選んでくれていた姿が目に見える。ワシントンにいて大阪のホテルにリザーヴするのも驚かなくなったが、やっぱりすごい時代になったものだと驚く。

マチ・クマの心のこもったディナーを感謝し、もう一度申し述べたい。
「太志君、真智、ありがとう!」


マチとクマ、ありがとう!.JPG
ユキもいるよ、かわいい!
この写真を撮ったあと、太志君が食前の祈りを捧げて歓談しながらおいしくいただいた。

素晴らしき夫婦!.jpg

マチ・クマ、ありがとう!.jpg
ユキは・・・
デザートを待ちくたびれて.jpg19時50分:
デザートを待ちくたびれて眠ってしまった。




What about your manners!

眠っちゃった.jpg
20時35分:
デザートをいただいて
再び眠ってしまった。



神は愛なり!
神は愛にして愛なるお方。
昨日も今日も聖歌392番を聞きながら書いています。私は本田路津子さんで聞いていますが、ユーチューブにもスタンダードな讃美がありました。ここをクリックしてください。

「 神は独り子を たまうほどに 世人(よびと)を愛したもう 神は愛なり
 あゝ神は愛なり 汚れ果てし 我さえ愛したもう 神は愛なり

 罪ゆるさんために 我にかわり イェスきみ十字架に 死にたまえり
 あゝ神は愛なり けがれはてし我さえ愛したもう 神は愛なり

  いざ とく(すぐに)来りて 神の愛に 汝身をゆだねよ 救わるべし
  あゝ神は愛なり けがれはてし我さえ愛したもう 神は愛なり」。


〜最終章Bにつづく〜



posted by 優子 at 11:30| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2014年07月28日

次女夫婦とのプライスレスタイム @

昨夜は窓を閉めるほど涼しくて快適だったが、今朝は寒くて目が覚めた。まもなくマチ・クマが下へ降りて行ったので時計を見ると4時15分、まだ夜は明けていなかった。

出発の朝@.jpg今朝5時半頃、マチ・クマは2日間(実質1日半)の滞在を終えて家を出た。

↓ ユキ、おへそが見えてるよ!

出発の朝B.jpg知子は駅まで見送らないで家に残ると思っていたのに自動車に乗ってきた。
ところが鍵を閉めていないと言うし、見送って戻ってきたら玄関のドアも全開だった!

駅ではエレベーターも動いていなくて階段で降りねばならなかった。通りがかりの人が、6時半にならないと駅員さんは来ないから困ると不満げに教えてくださった。
いつもならば駅員さんに断って改札口を入るのだが、出られなくなると困るので私たちもプラットホームで見送るのはやめた。しかし、改札口は開いたままだからプラットホームまで行っても大丈夫だったんだ!もうやだ〜(悲しい顔)

そういえば今年になって2回、マチは同じ便でワシントンへ帰ったが、その時は女性ひとりというわけで伊丹まで送っていったので知らなかったのだ。ビジネスクラス用の重いスーツケースだからクマが一緒でよかった。

出発の朝F.jpg

出発の朝G.jpg良輔さん、アメリカの大統領とでも握手しているみたい。恥ずかしがっているの?
この謙虚さも特徴であり、かと思えば無礼千万な特徴も兼ねそろえている。わーい(嬉しい顔) 揺れるハート るんるん
まあ人間は誰も皆、矛盾を抱える存在だからね。今回もいろいろと協力してくれてありがとう。わーい(嬉しい顔)

出発の朝E.jpg



お姉ちゃん、自分らしくって素敵やね。まちもまた自分らしく頑張るわ。
ゆきちゃん大好きよ。サッカーとかキャッチボールとか全部楽しかった!またあそぼね。写真またとってね!生き物係も頑張ってね(^O^)
行ってきます!

マチとフーと野球、嬉しいねユキ@.jpg

マチとフーと野球、嬉しいねユキA.jpg

嬉しいね、ユキ!.jpgユキの嬉しそうな顔!
到着早々に肩車をしてくれたクマ、ありがとう!
やっぱりマチ・クマ揃っての帰国が絶対にいい!本当に楽しかった。
プライスレスな時だったね。
神さま、ありがとう!


二日間だけやったけど、物凄く濃厚で楽しかった!
しかもカットもできて、スッキリ!ありがとう!
みんなは週末ゆっくりできなかったし、しかも今朝もめっちゃ早くてごめんね。一週間なんとか乗り切ってね。
ママとパパは次はワシントンで会おうね!

プライベイトではバリバリの現代日本語を使いこなし、バリバリの英語で活躍しているというところに魅かれて載せさせてもらった。

さて、マチ夫婦から私たち夫婦のワシントン行きが浮上した。その時はマチのマイルを使ってビジネスクラスにアップグレードしてくれるとか。この3年間で2万マイル飛んだマチ。何と地球4周だ!
学生時代の海外旅行やホームステイやミネソタ時代から数えると地球10周はしているだろう。

神の御心ならばワシントン行きを実現させてくださるであろう。とにかくこれを機に本気になって健康管理しなければ!脳トレもね。


Marlion.jpg今この時、2人は東京に向かって飛行中。そして、11時過ぎの便で日本を発ちワシントンへ戻る。
神さまに旅の無事と今後の活躍を祈っています。



11時20分追記:
「もうすぐ出発です。くまもよろしく言ってます。行ってきます!」
出発前のメールに気づかず返信できないまま2人は日本を飛び発った。4月からメールの着信音や表示が出なくなって不便だ。

附記:この日、ユキは夏休みに入って初めてのプールで登校した。集団登校班の出席者は2人しかいなかったので学校近くまで見送り、少しだけ現実感が戻ってきた。


posted by 優子 at 08:20| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2014年07月26日

ようこそ日本へ!お帰りなさ〜い!

昨夜初めて知子とユキは、マチの部屋で朝までクーラーをつけて眠った。知子の部屋のエアコンは故障したままでつけかえていないのだが、朝までクーラーをつけたというのは今年初めてではなく自宅初だと思う。

私たちもクーラーをつけて眠るつもりだったが夜半12時前には涼しくなり、扇風機さえ必要なく朝までぐっすり眠った。前夜も私は扇風機もつけずに快適に眠ったが、夫は暑いからと深夜2時頃に1階へ移動して寝ていた。

ところが快眠したはずの私は目覚めた時からしんどくて、しかも高血圧による頭痛でもしんどさでもなかった。次女夫婦が帰って来るので休んでもおられず掃除やベッドメイクをするのだが、どうにもしんどくて昼食をはさんで午後3時過ぎまでかかっていた。呼吸すると熱い空気が肺に入るのがわかるほどの猛暑だ。

会社から帰宅した知子に話すと軽い熱中症の症状にピッタリだと言われた。自覚症状もないのに救急車で運ばれる人も急増というわけで、知子から何度も注意された。(ありがとう揺れるハート

今朝のこと、「この部屋は涼しいね」と、知子が私のベッドに来て喋っていたら、ユキが「まさかマチ、もう来てる?」と目覚めの一言を言った。ユキも首を長くして2人の帰りを待っている。マチ・クマは無事羽田に到着したとのメールが入っていた。

ユキは今も生き物係で仕事中。今朝、ザリガニが外に出て母屋の玄関で足やハサミがバラバラになって死んでいた。チャッピーがやったようだ。被せてあったザルがずれていたというから逃げたのだろう。
18匹いた金魚は昨朝3匹になってしまった。メダカ3匹は元気に泳いでいる。

マチたちの話をしながら夫と知子は出社した。今日も出勤で、月の最終週に祝日がある時は土曜日もお昼まで仕事なのだ。
伊丹着は9時10分。
2日間だけの滞在中にそれぞれに話したいことがいっぱい!
まずは7時半からBSで『花子とアン』を見てからお迎えスタンバイに入ろう。

9時30分追記:
「着いたよ〜(^O^)

Sent from my iPhone
On Jul 26, 2014, at 9:20 AM, 」
感謝!!!
おっ帰りなさ〜〜〜〜〜い!!!!



posted by 優子 at 07:29| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2014年07月25日

ユキも小人の切符を買って乗車!

収穫後の1滴.jpg2階の高さまで伸びたキュウリをベランダでも収穫している。
夕刻7時前、収穫したあとに美しいいのちの水が光っていた。




甘い甘いプチトマト.jpg
葡萄の房のようになってプチトマトの実が完熟した。明日帰国するマチ・クマに見てもらってからユキが収穫することになっている。
この品種は皮がとても薄くて口の中で果物のような甘さが広がる。マチ・クマもきっと驚くに違いない。


昨日は妹と阪急梅田のプラットホームで待ち合わせて、ユキと3人で神戸の叔母を訪ねた。
初めて切符を買って@.jpg小学生になったユキも小人の切符を買っての乗車である。4月初めにおじいさん(我が夫)と伊賀上野の忍者屋敷へ行ったので初めてではなかったが、入園する前からユキと2人で叔母の家へ4〜5回行った私には、少なからず感慨深いものがあった。
とても1年生とは思えない雰囲気だ。


初めて切符を買ってA.jpg

まだまだ幼いね.jpg行きも帰りもラッシュアワーで坐れなくて、倒れないようにと私のバッグを持っていた。まだまだ幼さが残るかわいいユキ。

阪急梅田の日本初の「動く歩道(moving walkway)」
阪急梅田へ.jpg 
私はユキに言った。
「おばあちゃんの大学時代には、もうこの動く歩道があったんよ!
もう45年も前の昔のことだけれど、今とさほど変わらなかったんよ!」と。

ユキは鉄道員!.jpgユキと初めて2人で叔母の家へ行ったのは2010年10月(
「ユキとふたりで石屋川へ」)だったからユキは3歳3ヶ月だった。もう4年も前のことになる。
あの頃、電車を見ては敬礼していたユキ。そのことを昨日の帰りの電車で思い出して、「ユキちゃん、どうしてもう敬礼しないの?」と聞くと、さりげなく「もう飽きた」と小さな声で言った。そして、「電車には乗りたいけれど、するのは飽きた」と続けた。

ユキの表情から本当は人の目を憚るようになったためだと察したが、そのように言うのもプライドに障るのか詳しく語ってくれなかった。
成長と引き換えに失っていく童心。
だからこそ成長著しい幼少期を残しておいてやりたい。それが私の孫への遺産であり、大人になっても童心を失わないでというのが私の願いである。


附記:うっかり待ち合わせの時間を大幅に間違い(いつから勘違いしてしまったのだろう)、妹に心配をかけた。まだ待ち合わせまで30分ほどあると思っていたが、幸運にも危機一髪で予定していた電車に乗ることができた。

ボケていないことを願うが、帰宅するとリビングの窓が網戸のままだったと知子に言われて我ながら情けない。体を動かすのが嫌いで外出も苦手な私は、今からでもフットワークの軽い妹を見習って生活習慣を変えて行きたいと思う。

▼あと1時間でマチとクマは日本に向かって離陸する。日本到着は明朝6時半。大阪着の便が無くなり東京経由のため自宅に着くのはお昼前になる。
飛行機事故が続いているので緊張が高まるが無事再会できますように。明日目が覚めたら2人は日本の空の下にいる!!!


posted by 優子 at 22:20| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年07月23日

1年生の夏休み@ ―ユキは我が家の生き物係。哺乳類に、魚類、甲殻類、植物と多忙なり―

生き物の筆頭は何と言っても柴犬チャッピーだ。
生き物係B.jpg老犬で腎不全なので散歩も短く10分ほどしかできないので、今ではすっかり朝夕の散歩はユキが1人で行ってくれる。私は大助かり!
チャッピーの喜びようといったらない。嬉しくて嬉しくて駆け回っている。

生き物係@.jpg毎朝一番にチャッピーに餌をあげて水を入れかえてやる。
そして、金魚とザリガニにも餌をやって数日ごとに水を入れかえ、最後に朝顔の水やりだ。

昨日から4日間にわけて個人懇談会が始まった。学期末の個人懇談会と言えば休み前の短縮授業の午後と相場は決まっているのに、休みに入ってからなので驚いた。知子は昨日一番の9時15分から15分余り懇談して出社した。

懇談会中にA.jpgその時に朝顔を持ち帰ることになっているが、家に帰っていては出社するのがますます遅くなるので私はユキと一緒に学校へ出向いた。花はこの日を最後にすっかり咲き終わったようだが・・・

幼稚園の1年目は朝顔、2年目はプチトマトと、夏休み前に植木鉢を持ち帰るのも今年で最後。娘たちの幼き日と重なって懐かしい。
そしてユキもまた、これから遠ざかっていく幼い日々を残しておいてやりたくて今の時を貼り付けよう。


懇談会中に@.jpg
後ろに見えるのは二上山の雄岳だ。ちょうどユキの前方にユキの教室があり、懇談中の知子の顔が見えていた。
プール.jpg
2〜3年前に新設されたプール。
1年生は手前の浅いほうに入っているそうだ。

18日にもらってきた初めての成績表はお馴染みの『あゆみ』。「できる、もう少し」の2段階評価だった。

知子たちの時は、低学年時は「できる、もう少し、がんばろう」の3段階で、高学年になると「よくできる、できる、がんばろう」だったというが、高学年になると5段階評価ではなかったかと思うのだが。

頼りないユキもさすがに全て「できる」だったが、個人懇談会の話では先生と私たちの見解は同じだったようだ。

最初の頃はお手本のような字を書いていたのにひどい字になっていることや、何でも速く書いて持ってくるが荒っぽい字であったり不注意が生じたり。
しっかり話を聞いているので分かっていると思っていたら連絡帳に書いていなかったり、忘れ物がチョクチョクあるとのこと。


入学早々の1学期間に2回も上靴を忘れて職員室へ借りに行ったが、玄関先にきちんと用意されていても忘れて行くのである。

知子は母親業も手を抜かず、夜遅くなっても我が子に手紙を書いたり赤ペン先生をしていることなど家庭での様子を伝えた。子どもに目を配っていたことが先生には意外だったようで、知子や私が再三注意していても雑な字を書いているので驚かれたようだ。

このような子どもをどのように導いてやればよいのだろうか。とにかくユキはユキらしく大きくなっていけばいいねと、知子と確認し合ったのだが、こちらは忍耐力との闘いでしんどい。自分の感情に負けて反省することもしきり。

裏で蝉とり@.jpg
祖父伝授の蝉取りも今では1人で大丈夫。昨日の夕方、そして今朝と、明けても暮れても蝉に夢中なユキ。 
おじいちゃん指南の蝉取りA.jpg
今朝はアブラゼミ8匹とクマゼミ3匹を短時間で取った。
昨夏とは打って変わって今夏は蝉が多い。

クマゼミを見せている.jpgチャッピーにクマゼミを見せてあげるユキと蝉を見に来るチャッピー。

今また蝉取りにと外へ出たら、近隣の知人がユキをご自宅に誘ってくださり大喜びで遊びに出かけた。恥ずかしがり屋なのに臆することはない。
5月頃からユキにチャッピーの散歩を託していたら、互いに犬を連れて何度か散歩に出かけるようになり、「Tさん、Tさん」と、ユキはすっかりお友達気分だ。

その方はいつも「ユキちゃんは本当に素直でかわいいですね」と言ってくださって、ユキは地域の方々の愛の中で育まれている。感謝!


posted by 優子 at 16:23| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年07月22日

ユキ、サッカー教室に入部!

「海の日」で祝日だった昨日、梅雨が明けた。
この日、知子のママ友に教えていただいたサッカー教室にユキと知子が見学参加した。このサッカー教室は今春4月にボランティアにより開設され、小学校のグラウンドで月2〜3回不定期で開催されている。不定期というのはグラウンド使用が野球チーム優先になっているためだ。

「このサッカー教室はサッカーチームではなく、サッカーの練習を通してスポーツを楽しむこと、自分で考え行動する楽しさを知ってもらうための教室です」。

その設立目的は、

@「サッカーが好きでサッカーがしたい」と思っている子供たちにその環境を提供してあげること。
Aスポーツが得意ではない・好きではない児童に、スポーツの楽しさ、成長することの喜びを知ってもらうこと。
Bサッカーを通じて、自ら考え判断し実行することの楽しさを知ってもらうこと。


と記されてあり、○○小学校に通う子供たちがより楽しい小学校生活を送れるようにとの願いで運営されている。

正式には2年生から6年生の児童が対象だが、「小学1年生は、練習参加が可能な保護者同伴の場合に限り、参加OK」とのこと。

早速ユキも一緒になって走っていた。この写真はサッカー教室のブログより拝借した。
DSC_0461.JPG
ユキもボールを止める格好をしている(左端)。

時に怒ったような顔をしていたそうだが、それはしんどかったからとのこと。それでもユキは「やりたい!とても嬉しい!」と言っている。
DSC_0467.JPG
この日、トラック5周ほど走ったそうだ。

男児のエネルギーは女児の比ではなく猛烈ゆえに、これだけ走っていれば家の中で飛び跳ねたりしなくなるだろう。

「ユキ、ユキがサッカーをするなんてカッコいいね!
ママはスポーツを何もやらなかったけれど、マチとおじいちゃんはバスケットをやっていたよ。そして、ユキはサッカーか。素敵やね。」


お友達もユキが入るのを喜んでくれ、知子もまたお友達のママは最も親しいママ友であり、子育て時代の早い時期に神さまが出会わせてくださった友である。

仕事をしている知子だけに、子どものサッカーを見守りながら友との語らいは何にもまして良き時になるだろう。神さまの全てのお計らいに感謝!

教室を運営されているご夫妻の人柄に感銘を受けた知子は、溢れ出る感動と感謝を繰り返していた。話を聞いていて私も大いに賛同し喜んだ。

スポーツの世界では未だ上下関係を重視する社会になっているようだが、この教室の雰囲気は違っていた。まさに私たちの教育観、精神性を実現させてくださっているスポーツクラブなのだ!
小学生の子を持つ父親が教えてくださり御夫婦で活動されている。何て心豊かな生き方だろう。

こうして2014年の梅雨が明けた日に我が家に麗しいサッカー風が入ってきた。真夏のいのちみなぎる新しい風だ。

「レガース」も初めて耳にする私は、「『レガース』って何?レッグをガードするということで”Leg guards”ってことかな」
予想通り当たっていた。和製英語だった。膝よりも脛を打撲から守るためのものらしい。

そういうわけで膝当てやボールも用意してあげないとと思っていたら、夫に先を越された。
「レガースは、おじいちゃんがこうたろな(買ってあげようね)」
「またいい役をして! それは私が買ってあげるの!」
「ユー(私の呼称)はボールをこうたげたらええやんか」
私たちもすっかり世のおじいさん、おばあさんになっていた。(笑)


附記:今朝は学期末の懇談会。この学校は夏休み前の午後ではなく夏休みに入ってからだ。今はどこでもそのようになっているのかな?


posted by 優子 at 15:29| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年07月21日

小出裕章氏講演会 ―原発事故から何を学んだか? 未来を担う子どもたちのために―(後篇)

昨日の記事に続いて小出氏の話をお伝えしたい。
▼福島原発事故は今も進行中である。
核分裂で放出される放射性物質は200種類ほどあり、その中で最も危険なものがセシウム137である。使用済み燃料プールの底には広島原爆1万4000発を超えるセシウム137があり、今後さらに大量放出される。

IAEAに対して日本国政府は、大気中だけで広島原爆168発分が放出されたと報告している。セシウム137は偏西風に乗って太平洋に流れた。  
既にどうにもならないほどの汚染が生じている。

▼国内では福島県の東半分を中心にして、宮城県と茨城県の南部・北部、さらに、栃木県、群馬県の北半分、千葉県の北部、岩手県、新潟県、埼玉県と東京都の一部地域が、放射線管理区域にしなければならない汚染を受けた。
本当は管理区域にしなければいけないところで人々が生きている。

BKOn3lgCAAAvClw.jpg
これは放射能被害の深刻さをイラストを通して訴え続ける柚木ミサトさんの作品で、赤い粒は放射能を表している。

「放射能が目に見えればいいのにな」。


私たちは放射能で汚れた世界に生きるしかない。
この事態をゆるした大人として、私たちはどう生きるのか?

▼大飯原発3、4号機運転差し止め請求訴訟判決は素晴らしいものであった。

▼各地の原発で事故が起きたならば沖縄と道東以外に日本中安全な場所はない。

▼国連の常任理事国は戦争に勝った連合国というだけではなく、その5ヶ国全てが核兵器を保有しており、核不拡散条約を作って核を独占し、他国にその技術を持たせないようにしてきた。
しかし、核兵器保有国でなく、中心3技術を全て保有している国が世界にひとつある。それは日本だ!

軍隊を放棄したはずの日本が常任理事国に次ぐ世界6番目の軍事大国であり、原子力の「平和利用」に隠れながら実質的な核保有国になった。

▼憲法第9条は、この文章をどうやったら誤解できるのかと思うほど明確に書いてある。
国民は政府を管理するために憲法を作った。ところが、安倍さんは今、憲法を破壊している。徹底的に戦争を排除しなければいけないという理念が書いてある憲法を!

▼今我々がすることは憲法を実体化することだ。
日本国憲法は米国から押し付けられたものだから改憲すべきだという主張がある。しかし、本当なら、この素晴らしい現憲法を自分の力でこそ作るべきであった。
むしろ、自分で書けなかったことを恥ずべきだし、憲法の実体化こそ為すべきことだ。


▼昔から「愚かな国民には愚かな政府」という言葉がある。
安倍晋三さんは、特定機密保護法制定、武器輸出3原則撤廃、集団的自衛権の容認、憲法改悪と一気に戦争への道を敷こうとしている。そして、それを止めることができる側近がいないということが危うい。

しかし、彼が首相の座にいるのは、自民党に投票する国民がいるからである!
私の尊敬する田中正造は、「病を退くる力なきものの半ばは、その身もまた悪魔なればなり。」と言っている。私たちの内部にも問題があるはずだとして越えていかなければならない。

私は長い間、政治には関わらないと言ってきたが、今は自民党だけには入れないでくださいと頼む。

▼かつての戦争の時、大多数の日本人は戦争に協力した。戦争を止めることは誰にもできなかった。・・・ごく普通の人々が、戦争に反対する人を非国民と呼び、村八分にして殺していった。

福島原発事故が起きた今、私たちがどのように生きるか、未来の子どもたちから必ず問われる。「騙された」だけではすまない。今後どうやって生きて行くのかということを、必ず子どもたちに問われると思う。

▼私は戦後生まれだが、今や戦前世代だと呼ぶべきだと思う。福島原発事故の責任は私たちの世代にある。
しかし、原子力の持つリスクは未来永劫の世代に亘る。まさに「未来犯罪」と呼ぶべき行為である。
小出氏の講演は良心の叫びであった。
その叫びを聞き終えた時、この日(20日)の礼拝説教で高見敏雄牧師が言われたことが脳裏を過ぎった。

「現代に生きる私たちも、いつもキリストを見上げつつ、時代の問題から逃げることなく、行動していくものでありたいと思います。私たちの名が天に記されているのですから」。

posted by 優子 at 20:04| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2014年07月20日

小出裕章氏講演会 ―原発事故から何を学んだか? 未来を担う子どもたちのために―(前篇)

小出裕章氏講演会@.jpg今夕7時から9時まで、奈良県香芝(かしば)市の「ふたかみ文化センター」で「香芝九条の会発足8周年記念行事」として、憲法九条と脱原発運動を進めて行きたいとの思いから、時の人・京都大学原子炉実験所の小出裕章氏をお招きしての講演会が開催された。

市民ホールには310席を大幅に上回る400名が集まり補助席で埋め尽くされた。私も夫婦で参加し、今朝お目にかかった教会の方々もたくさん来ておられた。他市からの参加である。

事故から3年4ヶ月経った今も原発事故は全く収束しておらず、今も進行中であり、日本はとんでもない状態になっていることを改めて知らされた。

「すでに熔け落ちた炉心、それが今どこにあるかすら分からない状況で、火力発電所の事故現場ではないから現場に行かれないからだ。

福島原発では一日に4000人とも5000人とも言われる労働者が働いている。東京電力の社員はいない。8次、9次、10次という下請け関係の人々が被曝しながら従事しており、徹頭徹尾、差別的で、社会的弱者が犠牲になっている」。


「核拡散」と言われるように「拡散」という言葉はあまり良いことには用いられない言葉のようであるが、小出氏の話を聴いた者はそれを拡散すべきである。その意思で小出氏の叫びをお伝えしたい。

▼福島原発事故を引き起こした最大の犯罪者は政府であり、その政府は事故が起きたら法律を反故にし、法律を守れないから「そこに住め!」としてしまった。日本は法治国家と言えるのか?!

▼100ミリシーベルト以下の被曝なら安全という学者は刑務所に入れるべき。

▼汚染地に残れば被曝により健康被害になり、避難すれば生活や家庭が崩壊し心が潰れる。去るも地獄、残るも地獄なのだ。

▼原子力を選んだことに全く責任のない子どもたちは放射線に敏感で、特に成長の著しい0歳から10歳の(即ち細胞分裂しながら大きくなっていく)子どもが被曝の危険を負わされる。
50歳を過ぎると70分の一から80分の一の危険しか負わないで済み、しかもこういう年代が原子力の暴走を許したのである。

子どもたちを守ってあげたいのではない。今、子どもたちを守らないなら私は私自身を許せない。
私は戦後生まれだが、今や戦前世代だと呼ぶべきだと思う。原子力の暴走を許した大人として、皆さんにもなにがしかの責任があろうかと思いますので考えてください!


―それに関連して講演後の最後に出された質問、「市場に流通している食べ物は安心して食べてもいいのか?」に対して―
▼安全ではない!
安全、安心という言葉を使ってはいけない。
今までは1キロ1ベクレルまでだったのに1000倍まで許すことにしている。我々は市場に流通している食べ物はどんなに汚染しているか教えてもらえなくて食べているのだ。

汚染の少ないものを子どもにまわし、汚染している食べ物は大人が引き受ける。特に年齢の高い大人は積極的に汚染食品を引き受けることにすべきだ。

講演が始まる10分前に講師への質問があればという案内で私も提出した。時間がなくて9通のうち2名のみとなったが、幸いにも私の質問も取り上げてくださった。

「小出先生のお働きに対して圧力がかかったり嫌がらせはありませんか?勇気がくじかれることはないですか?」

「京大は教員の独創性を重んじてくれるので圧力や嫌がらせはない。東大だったらあっただろうが、京大は国に楯突く人間でも引き受けてくれている。

以前は『教授、助教授、助教』と呼ばれていて、私は40年間助教のままだったが、出世したいという思いは全くないので一番下の立場だから自由にやれるのがいい(笑)」
というようなことを話され聴衆は拍手を送った。

私は言葉不足であった。私が聞きたかったのは学内のこと以上に、政府や他の組織関係者からの圧力や嫌がらせの恐怖はないのかということだった。正しいことを言うにも勇気がいり、小心者の私は師に感化されたいとの思いで尋ねた。

しかし、師の何をも恐れぬ勇気と気魄は、「子どもたちを守らないなら私は私自身を許せない」という言葉に全てが語られている。勇気のなさは私自身の不徹底、不熱心さに起因することを納得させられたのであった。
                       
                             (つづく)

posted by 優子 at 23:59| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2014年07月19日

2014・夏の光景 A

今朝もやっぱり撮ってしまったキュウリの先端。何て美しいのだろう。いのちの塊だ。 
美しい!!!.jpg

羽化したばかりのクマゼミ.jpgこれは羽化したばかりのクマゼミ。
羽も体も柔らかくて壊れそうだという。このあとすぐに木に止まらせてやったが、あっという間に蟻にやられて死んでしまったそうだ。かわいそうなことをした。もう2度と触ってはいけない。

この朝、私は夫と松竹座へ向かう。大阪の夏の風物詩になっている大歌舞伎(昼の部)を観劇した。

我が班はかき氷係.jpg夕方5時からの自治会の納涼大会へは知子が奮闘してくれた。私たちの班はかき氷で、私は6時頃から出向いたものの最後の30分足らずを手伝ったのみ。
8時過ぎから雷雨になり予定より早く抽選会に移り閉会した。

満足げなユキ.jpg

ユキは2度も金魚すくいをして、またまた家に持ち帰ってきた。ふらふら 最後に居合わせたユキは、そこでまた10匹ほどもらって大喜び!
私はがく〜(落胆した顔) もうやだ〜(悲しい顔) ふらふら ちっ(怒った顔) ・・・・・・ わーい(嬉しい顔)
金魚とメダカ.jpg
この頃の子どもの成長もまた著しく周囲からいろんな影響を受けて行く。
例えば自分のことを「俺」と言ってはいけないと注意しているのだが、この日、「あれが俺のお母さん」と友達に紹介しているユキを知子は数回目撃したという。

いろんな家庭の文化があり、それぞれのビジョンをもって家庭を形成し子どもを養育していくのである。私の父や兄は自らを「僕」と呼び、夫もまた同じであり、「おじいちゃんやフー(次女の伴侶)も『僕』と言っているでしょ!」とユキに教えるのだが効果はなし。

この年齢にはこの年齢の子どもの思いもあるのだろう。
ユキにとっては心の探検のようであり成長への通過儀礼のひとつであろうかと思うが、家族の者にとってはいよいよ子育て本番が始まったという感を強くしている。

かくして夏休み1日目は自治会の納涼大会から始まった。
午前中はママと夏休みの過ごし方を話し合って決めたようだ。

附記:今日の歌舞伎の演目は『天保遊侠録』、『女夫狐(めおとぎつね)』、『菅原伝授手習鑑・寺子屋』で、『寺子屋』は松王丸と千代夫婦の子・小太郎の首を菅秀才の身代わりに差し出す話だが、今回は寺子屋を営む源三に橋之助、その妻・戸浪に菊之助、松王丸には7か月ぶりに舞台復帰した仁左衛門だった。

前から3列目の席だったので役者の表情もよく見えた。2年前に観劇した時は千代演じる菊の助に見入ったが、今回は役柄の違いゆえか心に迫りくるものはなかった。


posted by 優子 at 23:00| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年07月18日

2014・夏の光景 @

キュウリさん、干せないよう.jpg
1階下から伸びて来たキュウリはベランダに到達し、今も伸び続けて6メートルほどの背丈になっている。どこまで伸びるのだろうか。シーツやバスタオルが干せなくなってきた。
夫はこんなに大きくするものではないというが、私は伸びたいだけ伸ばしてあげたい。

ベランダで収穫!.jpg3日前には小さかったキュウリが今朝はこんなに大きくなっていた。夜の間に驚くほど成長する。明朝、知子に取らせてあげよう。
雨で取りに行けなかった翌日は500グラムもの巨大キュウリになっていたこともあった。
ベランダでキュウリの収穫だなんて最高! 

強い日差しに耐える.jpg数日前から季節は真夏に切切り替わり猛暑日寸前の日々。昼間は葉っぱもげんなりして酷暑に耐えている。
金属柵に細いツルを蒔きつけているのが痛々しい。手で触っても熱いのに焼けて枯れないのが不思議でならない。目には見えない命を見る思いだ。
日が暮れて一息つくキュウリ.jpg
そして18時半、夕暮れを迎えてキュウリがホッとしているみたい。生き返ったように葉っぱもピンと張っている。

イソトマも大きく育ち今も花を咲かせている。来週の土曜日に帰国するマチとクマにも見せてあげたい。

甘いプチトマト摘み@.jpgトマトは「わき芽」を摘み取らないといけないのだが、どれがどれだかよくわからなくて毎年こんな姿にしてしまう。

今年3月、リビングのエアコンを入れ替えた時に室外機をベランダに置いたのは失敗だった。

ベランダが狭くて枝を下へ折り曲げて実をぶら下げるトマトの木。曲がった枝のところは傷ついて痛々しい。
ベランダからぶら下がって成るミニトマト.jpg

甘いプチトマト摘みA.jpg
プチトマトはとっても甘くてイチゴやプラムよりもおいしい。こんなにおいしいプチトマトは未だ買ったことがない。2本の苗では毎日10粒ほどしか取れないので一度でいいから飽きるほど食べてみたい。


洗濯物を取り入れる時、キュウリのツルがユキの赤白ぼうしのゴムに巻いていた。
赤白ぼうしにツルが巻く.jpg

この前入学したかと思ったら今日は終業式。明日から長〜〜い夏休みが始まる。

posted by 優子 at 08:13| 随想 | 更新情報をチェックする

2014年07月15日

日刊紙で夫が訴えた卸の本分と商法倫理

日刊紙業通信.jpg
昨日たまたま知子が目にとまったからと、7月9日発行の『日刊紙業通信』を持ち帰ってくれた。

そこに「関西地区流通の現況」を語る夫の記事が載っており、紙幅の関係もあって明晰にまとめた記者の筆力にも助けられて熱いものが伝わって来た。

その要旨は、同業会で何度も働きかけてきた値上げの取り組みに対して、奈良地区の同業者が規範を守らずに安値販売をしており、事業活動の継続を危うくしていると訴えたものであった。昨夜のホテルでの会合においても話題を呼んでいたようだ。

この厳しい時代に毒にも薬にもならないコメントなど無用であり、自分の思いを伝えたことに対して評価できる。

しかしながら私に言わせれば安値販売する卸商も悪いが、そういう卸に売る代理店の姿勢も問題にすべきである。卑怯であり無責任だ。夫は発言できる立場を活かしてそこまで物申すべきだった。

「エンドユーザーも少しでも安価なものを買いたいというのも理解できるゆえに、代理店は規範を乱している卸商には安く売らないという倫理観がなくてはならない。
そのためにはまずメーカーが責任をもって関連組織に伝えて従わせなければならないのではないか」。

過去ログ・2013年10月4日の「商法倫理の構築を求めるのは無知蒙昧な暴論か?」にも記述済み。

かつて東大阪市の国際文化協議会委員として行政にも関わらせていただいた経験から言えば、メーカー・代理店・卸の3者で定期的な会合を作り、よりよい環境を作り上げて行くべきだ。

それでこそ紙業界、紙流通の倫理と枠組みができるのであり、互いにとってもより良き未来を見据えながら励むことができるだろう。

「有終の美」という言葉がある。「有終」とは終わりが有るという意味だ。私は夫に「有終の理事長時代」を見つめつつ良き働きをしてほしいと願う。それはすなわち、主導していく責任と自負をもっての働きである。

先月、長年務めてきた日本洋紙板紙卸商業組合の西部ブロック会理事長の務めを退き、この10月で大阪洋紙同業会の理事長も退任する。
本来は5月で終了していたところだが、10月に同業会50周年の記念式典が予定されている関係から任期延長となっている。

私はこれまで何度か夫に文句を言ったことがあった。
「同業会のことよりも自社のことにもっと時間を割くべきだ」と。しかし今、改めて夫の働きを労いたいと思う。


そして、坂村真民の詩が心に浮かんだ。

「あとからくる者のために」  坂村 真民

あとからくる者のために苦労をするのだ我慢をするのだ
田を耕し種を用意しておくのだ
あとからくる者のために
しんみんよお前は詩を書いておくのだ
あとからくる者のために山を川を海をきれいにしておくのだ
ああ、あとからくる者のために
みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくるあの可愛い者たちのために
未来を受け継ぐ者たちのために
みなそれぞれ自分で出来る何かをしてゆくのだ


メーカーも代理店も卸もそれぞれが倫理観を持って事業を展開すべきである。そのことがとりもなおさず、あとに続く者たちのために貢献することになる。

神さまが夫を豊かに祝福してくださり、夫のこれまでの働きの実を結ばせてくださるように祈ります。夫を支えてくださった方々のことを覚えつつ。


posted by 優子 at 18:23| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2014年07月14日

ユキの良さを伸ばしてやれる賢い祖母にならなくては!

「イエス様と一緒に、元気いっぱい毎日を楽しんでね」。
ユキの誕生日に届いたマチ・クマの一言が私の心に突き刺さった如くに、この1〜2ヶ月間を振り返らされ悔い改めへと導かれた。

私は6月頃からユキのことで疲れてしまうほど困っていた。毎日口やかましく注意し、時には怒鳴っていた。まず、決められたことを守らない。
例えば、帰宅して着替えたら体操服などの汚れ物を洗濯かごに入れ、(給食後使用した)歯ブラシを洗って乾燥させておくなどの小さなことができないのだ。

学校から帰ってくればきれいに手を洗い、ついでに足も1人で洗いもするが、おやつの前にやらなければならないことを再三言われ、母親に箇条書きされていてもできない。

幼稚園時代も最後まで給食袋やお弁当箱を出す習慣がつかなかった。そのことを聞いたママ友は信じられないという表情で、「うそー、きっとおばあちゃんが優しいから全部やってくれるんやろな」と言われたというが、私はそういうバカな祖母をやってはいない。

ユキはお小言も右から左へ聞き流し、高齢者でもあるまいに「歯ブラシしたかな?」と聞いてくるのも珍しくなく、何でもすぐに忘れてしまうのは脳に問題があるのだろうかと真面目に悩んだこともあった。もしもそうならば叱ってはならないことだから。

宿題は真面目にするが学習能力も少々劣っているように思う。簡単な設問なのに聞きにくるので、6月頃は「日本語なのに意味がわからないの?」と良くない対応をしてしまった。比べてはいけないとわかっていても知子や真智子と比べていた。

最近は少しずつ1人での行動半径を伸ばし、宿題をして明日の時間割を合わせてから公園へ行って遊び始めた。親は徐々に子どもの手を離していく時期だ。

ところが約束の時間になっても帰ってこない。迎えに行っても帰らない。夕暮れ7時前になっていても友達が1人でも居ると帰らない。

こんな日常なので毎日毎日同じ注意の繰り返しでうんざりしていた。
学習面についても最初の頃は「我が家のエジソン君」と言って笑っていたが、今は笑ってばかりもおられない。


偉大な天才たち、例えばレオナルド・ダ・ヴィンチ、エジソン、アインシュタインは子どもの時から学習能力に困っていた。レオナルドは無口で多動、ごく簡単な暗算もできず、筋道を立てて話すこともできないほど言語能力に欠けていた。

アインシュタインは暗記能力と言語能力が著しく乏しかったし、かのエジソンの困ったぶりはあまりにも有名だ。話しかけても上の空で読み書き計算を覚えようとしなかった。偉大な彼らは、まさに現代で言うところの学習障害であった。

しかし、天才ではなくとも誰も皆、それぞれの個性を大切に伸ばしてやるのが親や教師の役目である。7歳の誕生日に届いたマチ・クマのメッセージは私の心を捉え、最近忘れていたことを思い出させてくれたのであった。

子どもの歩みというものを知らない愚かな祖母になるのではなく、知子と真智子の時のように子育てのプロセスを楽しまなくては!
それは勉強が良くできたからというものでは決してなく、しかしまた、その思いが本物であるかどうか試されているのだ思う。

仮に学校の成績が良かったところで、意味のない知識の詰め込みだけでは知識を生かすことができないのだから、我が子たちの時のように自分自身の教育観、つまり価値観に堅く立ってユキの能力を引き出してやろう。

今はゆっくりと基礎的な学習能力をつけてやり、ユキが喜びを持って自覚的に取り組める子どもに導いてやらねばならない。

具体的には中学生になった時に自学自習できる子どもに育っていることであり、そのために小学校時代に学習のやり方を身につけてやり学ぶ楽しさを育ててやることだ。

こうしてマチ・クマのメッセージメールから、かつて私の考え方に大きな影響力を与えた何冊かの本を手に取るほどに本来の自分に立ち返らされ、再びユキの個性がキラキラ光って見えるようになった。
何よりもまず私自身が至福の境地に戻れたことが感謝である!


知子ママの考えでカットされたバースデーケーキは、次の休日に1週間遅れの誕生日祝いをしてあげよう。

7月のユキの光景:
宿題をし終わって寝てしまった.jpg受験生でもないのに、宿題をやり終えて眠ってしまった。この日はプールに入った日で疲れたのであろうが、こういうことが1学期間に2回あった。
殆どの子どもたちは宿題以外に塾や習い事、野球や水泳もこなしているというのにね。ムード

今度はザリガニ!.jpg12日朝、おじいちゃんと理髪店(2度目)に行ったので頭はスッキリ。ユキは最後にいただく駄菓子が楽しみなようで、「今日はフーセンガムもらった!」と大喜びだった。わーい(嬉しい顔) 同じ時、私は内科受診。

ザリガニ.jpg7月6日に捕ってきたブラックバスの小魚は翌日に死んでしまい、12日(土曜日)の夕方(朝の散歩は禁止令発令)はザリガニを捕ってきた。カエル同様にユキはザリガニも怖くて触れない。

翌朝、1匹は共食いされていたとか。がく〜(落胆した顔)逃がしてやるように言ったのに4匹に増え、夕方に逃がしてやったが1匹だけ飼うことにした。

ザリガニの観察.jpgそして今日の夕方、自らザリガニの絵を描いていた。これはりっぱな生活科の学習・ザリガニの観察だ。

ひらがなの学習で幼さ発見記録:
ユキちゃん、塩のことを「しよ」と書いていたよ。るんるん

今日学校から持ち帰った国語のテストを綴ったファイルは、何とびっくり全て100点満点だった!
こんなことは1年生ならば当たり前のことであろうが、頼りないユキだから私たちは感動した。ヒヤヒヤドキドキの1学期もまもなく終わる。

主なる神さま、2学期からは決してユキの心を傷つけないように助けてください。私を愛で満たし、神さまから預かったユキのいのちと賜物を豊かに育てることができるように助け導いてください。  
「若者をその行く道にふさわしく育てよ」。
                (箴言22章6節)
神さまがユキに与えてくださった賜物や才能に従って育てます。



附記:
知子は毎週のように眼科に行こうと誘ってくれるが、眼底検査は時間がかかるので煩わせたくなくて、平日に1人でと思いつつようやく今日受診した。12日夜、短い時間だが色彩がわからなくなったからだ。

未だに光視症も消えず、医師から3月に言われていた眼底検査を今日ようやく受けた。
瞳孔を開けて詳しく調べてもらったが眼底出血や網膜剥離の心配はなかった。2月に出現した眼球を動かすたびに動く500円玉大のモヤ状のものは、加齢により硝子体に濁りが生じたためで生涯消えることはないとのこと。

しかし、光が見えるのは網膜剥離の心配があるので3ヶ月に一度の検査継続を今回も告げられ、異常があれば時間をおかずに受診せよとのことだった。


posted by 優子 at 22:22| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年07月13日

アジア圏最後のミッションも豊かに祝されますように!

マチのミッション出発前夜、日本時間7月11日早朝にワシントンよりユキにバースデーメールが着信していた。
ゆきちゃんへのメッセージ、届けてくれると嬉しいです!
========
ゆきちゃん、お誕生日おめでとう!
イエス様と一緒に、元気いっぱい毎日を楽しんでね。もうすぐ会えるのを楽しみにしているよ。何して遊ぶか考えておいてね!
まちとふーより
========
感謝!
多忙な日々に在って、ユキのことを祈りに憶えていなければできないことだ。7歳になったユキのことも近いうちに書いておいてやりたいと思う。

昨夜は次女夫婦が無事に目的地に到着してから寝ようと起きていた。予定では12:05AMに着くことになっており、いつも定刻よりも早く到着していたので今か今かと待っていたがメールは来なかった。

メールを待ちながらいつも覗いているサイトの一つ、『ニュースの教科書』(7月12日付け)を見ていたら、「スマホのバッテリーを切らすと飛行機に乗れない?米国の新保安体制」を読んで戦慄が走った。

「イエメンにある国際テロ組織アルカイダ系のグループが、人体に埋め込み、空港の探知機に探知されにくい新型爆弾を開発した」ため、「米運輸保安庁は2014年7月6日、電源を入れて動作させることができない電子機器の機内への持ち込みを認めない方針を明らかにした」という。

これは「電子機器に似せた爆発物の持ち込みを防ぐのが目的」で、「すべての電子機器がチェックされるわけではなく、あくまで係員が指示した機器のみが対象となる」。・・・

「米国との行き来が多い、ロンドンのヒースロー空港では、すでに新しいチェック体制が始まって」おり、「この新型爆弾は、外科的な手術で体内に埋め込まれ、携帯電話で起爆する」というものだ。テロとの戦いはどこまでも果てしない。

今後は米国行きの国際便での保安体制が強化されるのであるが、ワシントンを拠点にたびたび飛行機に乗らねばならないマチ・クマのことを思うと不安は尽きない。

そんな記事を読みながらメールを待っていたら、到着時間は現地時刻で記載されていることを思い出し、1時間の時差があることに気づいて安堵したが、午前1時半近くになっても無事着陸のメールはなかった。

ここ数日不調気味だった私は、ついに気分が悪くなってきてメールを待てず長女に託してベッドに入った。ユキの信仰に励まされて私も主の守りを信じて体を横たえたが、疲れすぎて眠れそうになく再び下へ降りて行った。

その時、マチからメールが届いた。
「無事着陸しました。成田空港の混雑で出発が遅れたから、到着も少し遅れました。お祈りありがとう」。

目的地への中継地・日本に3時間ほど居た2人。アジア圏の国への最後のミッションには伴侶も同行している。
神さまがあらゆる危険や事故から守ってくださって、幸いなミッションになりますように祈っています。

「兄弟よ、神のみもとに
あなたの賜物を持って来なさい。
神はほかの人を呼ぶことを求めておられません。
あなたがその仕事をするために
ふさわしいのです。
神はご自分の祝福を
あなたの仕事に加えられるでしょう。
ふたりがそれをするのです。
神と、そしてあなたが」。
               (R・E・ネイバー)

それぞれに与えられた賜物を、愛の奉仕において神にささげよう。

「各自が御霊(みたま)の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。
すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言(ことば)、またほかの人には、同じ御霊によって信仰、・・・・すべてこれらのものは、一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである」。

      
     (コリント人への第1の手紙:12章7節〜11節)


posted by 優子 at 17:25| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2014年07月12日

エネファーム工事完了、気疲れでダウン。

7月7日の設置工事から始まったエネファームの工事は、施工チェック、試運転など計14段階を経て、3日目の昨日の午後14時20分、引き渡しとなった。

昨日は朝から精神的にしんどかった。いつものように努力なく明るく笑顔で受け答えしていたが、終わった時は疲れ切っていた。

昨日は次女がミッションでワシントンを出発することも忘れていた。私が14日と勘違いしていたこともあるが、昨夜10時半頃に長女のスマホに空港へ向かっているとのメールを着信して、私も急いでPCをあけたのだった。

今回はクマも一緒の旅。クマは休暇で同行しているが、同じくIMF職員だから仕事場を覗きにいくのだろうか。

今日3時半頃、飛行機は無事に日本に到着。乗り継ぎ飛行機までの待ち時間はANAのラウンジで日本クオリティで日本食を楽しみ、先ほど(18時20分頃?)目的地に向かって離陸した。

目的地到着は7時間後。アメリカと違って日本から近い国に居ると思うだけで私の気持ちは和らぐ。そして、2週間後の土曜日に再会し、しばしの時を共に過ごす。


我が家のエコ.jpgさて、昨日完了したエネファーム設置工事のこと。
左側の背の高い機械は「排熱利用給湯暖房ユニット」で、低い方が「燃料電池発電ユニット」だ。
燃料電池の方は24時間作動している。これ以上は何も説明できないお粗末さ。悪しからず。

複雑な給湯器.jpg(→)これが背の高い「排熱利用給湯暖房ユニット」の中だ。何という複雑さだろうか。
どの程度の頻度か明確な回答はなかったが、複雑な機械ゆえに今後継続して点検があり、小さな部品一つでも高額だという。

何たる複雑さ.jpgこれは「燃料電池発電ユニット」の中。
10年間は修理代も部品代も無料とは言え、トラブルは無いにこしたことはない。
ちなみに15年3ヶ月使っていた給湯器は一度も故障しなかった。

試運転、0.6キロワットの電力.jpgこれは試運転中で湯船にお湯をためている時に浴室のリモコンを写したもの。この時0.6キロワットの電力が発電されている。
浴室や台所に取り付けられたリモコンはこれまでと同じ簡単な操作なのに、入浴を終えてガスを切った時のホッとしたこと!新しい機械は苦手で緊張する。

これでようやく3月1日から始まった我が家の工事は全て完了した。それらは予定していたものではなく全てが突然に決まったことであった。

まず消費税の8%増税前ということで、ようやくほったらかしていたエアコン2機のつけかえ(1台は10年以上壊れたまま)に着手した。この種のことは私にとって最大級の煩わしいことゆえに、よほどの不便さがない限り何十年でも故障したまま放ってある。

そして、4月下旬から「eo光」からNTTの「隼」に変更。
この時は長期にわたって最終の撤去まで何度も人の出入りがあって落ち着かず、パソコン設定は長女がしてくれたもののややこしい作業がついて回った。

エアコンと給湯器の設置や修理で家に多くの傷がついてしまった。
現在のエアコンははそれまで使っていたフロンガスとは異なるフロンガスになっているとのことで、ビルトインで設置していた管が使えないために、家(壁)に穴を開けて新たに管を外付けしなけばならず、外壁は管だらけになった。

そして、築15年のメンテナンスで発見した6月の排水管の水漏れ工事。続いてエネファーム設置。今回は主に外の工事だったとは言え精神的にしんどいものだった。これまでの疲れが一気に出たのかもしれない。

それにしても本当に多くの方々にお世話になったものだ。
世の中はそれぞれの専門の方々のおかげで動いていることを思うと、就業は単に日々の糧のためだけではなく奉仕であり社会貢献であることに気づかされる。

ならば、私はいったいどんな役に立てているのだろうかと考えてしまう。ましてや煩わしく思ったり「疲れてしまった」なんて申し訳ない。

昨日はユキの誕生日だった。ユキの7歳の誕生日からエネファーム使用開始日となった。


22時追記:今夜遅く、チャッピーはようやく小屋に入ってくれたので安堵した。
一昨日の早朝5時頃、夜中もずっと雨が降っているのに軒下にも入らないで寝ているのでびっくりして起きた。毛の深くまで雨が沁みていた。自分の臭いのついた小屋なのに昼間も寄り付かないかった。

地面はコンクリートになり大きな機械に囲まれて発電所のようになってしまい、チャッピーには自然破壊だったのかもしれない。土のままだと気持ちはもっと楽だったと思うが、チャッピーがストレスフルにならずに順応してくれますように。

posted by 優子 at 18:50| 随想 | 更新情報をチェックする

2014年07月08日

給湯器取り換え工事 

再びパーキングに繋がれた受難のチャッピー。

つまんないな.jpg「またかー。
つまんないな」。

犬にも感情があり、つまらない時は、いつもこのような格好をする。


エネファーム工事B.jpg電気担当者2名、計6名の人で始まった。
洗面所ではブレーカー横にエネファーム専用のブレーカー(?)を設置した。

エネファーム工事C.jpg外では土が被っていてわからなかったカイショがあり、急きょ給湯器の設置場所が変更されることになった。
浄化槽ブロアーを移動し、基礎工事場所を決め、既存の配管を変化させ、計測も手際よく職人さんたちの頭は冴えていた。

エネファーム工事F.jpg右手前の散水栓も1つ分手前に動かした。




エネファーム工事G.jpgコンクリート部分は2機を設置するための基礎工事部分。機械が大きいので基礎工事が必要なのだ。


昨日7日はここまで! 
パーキングからチャックンのご帰還。
チャックンの御帰還.jpg
これを機に土の部分にもコンクリート施工をお願いした。
腎不全(多飲多尿)のチャッピーが毎朝玄関のポーチで排尿しているので水を流すのだが、水はけが悪くて冬場は苔が覆うほど。
その費用は大阪ガスと代理店の援助金30万円から使用し、風呂暖房もここから使用して新しくした。残金分は値引きしてくれる。

翌8日朝、基礎工事部分のコンクリートは固まっていた!
コンクリートに.jpg
今日も曇天ながら薄日もさしていた。
しかし、昨日以上の蒸し暑さで汗を流して作業をしてくださった。

コンクリートを打つ前に格子状の金属を並べていた。

雨にも負けず.jpg雨にも対応できるようにビニールシートを張った。
家の中では風呂暖房を取り変え、外では古い給湯器を外して機械までの配管チューブ(?)を取り付けた。

コンクリート完了.jpgそして2日目も予定通り無事終了。
今夜雨が降ってもいいようにビニールシートはそのままにして、明朝外しに来てくださることになっている。
そして、11日に2つの器具を搬入設置して完了する。

3日間ここで辛抱してね.jpgそれまでチャッピーはこの場所で寝てもらおう。
ハウスを移動しても自分のハウスなのに昨夜も今も中に入らないで外で寝ている。
チャッピーも落ち着かないのだろう。ストレスで弱ってしまうことがありませんように。

posted by 優子 at 21:23| 随想 | 更新情報をチェックする

今年は我が家の「工事年」

21世紀は人間がもたらした災害の時代だ。異常な雨量が世界各地で甚大な被害を出している。
そして今、「過去最強クラス」台風8号で宮古・沖縄本島に「命守る行動を」と特別警報が発令されている。日本列島を縦断しそうな気配で、近畿でも大気が不安定で局地的な大雨の注意喚起されている。

そんな曇天の下で昨日から給湯器の取り換え工事が始まった。
16年目に入った今も不都合なく作動しているものの、一般的には給湯器の寿命は10年と言われており、昨年の晩秋頃より追いだきをしたあとの音が高くなっていて故障しないかと気が気ではならなかった。

そんな3月初め、小さなスーパーの入り口で宣伝していた大阪ガスの「エネファーム」を知り、早速代理店で詳しい説明を聞いた。
「自分の家で電気をつくる家庭用燃料電池」とか・・・高額である上に消費税が8%にアップされたばかりの今年4月1日に発売というので思案したが、国から38万円補助金が出ることや大阪ガスと代理店で30万の補助が出て、10年間の修理代は無料保証とのこと。

私が何よりも惹かれたのは1年間に1トンあまりのCO2量を削減でき、しかもガスを使う事で電気代が幾分安くなる(10年間で80万円くらい)ということに魅力を感じて決めたのだが、今日までエネファームについて検索もしなかった。

家(壁)にも何カ所も穴を開けての大工事をしたが、10年で使えなくなるとしたらどうなのだろうと検索後の思いは「・・・」である。10年後には100万ほどで発売されるそうだ。

営業マンの話からはとてもこの大工事は想像できなかった。私の想像力が不足していたこともあろうが、説明不足の感はぬぐえない。
原発事故以来、私の中でも自然環境のことが大きな関心事になっていたので、きれいごとではなく我が家でできることをしたいとの思いが強くあった。

今となればCO2削減には違いないのであるから、そのことをしっかり意識して不満に思わないようにしたい。


そして、ようやく設置工事の順番がきて、2日目の今日は使っていた給湯器を取り外し、風呂暖房の入れ替え工事、そして、外の工事も全て完了した。あとはコンクリートが乾くのをまって11日に機械を設置する。

posted by 優子 at 20:47| 随想 | 更新情報をチェックする

2014年07月06日

すでに新しい歩みが始まっている予感

001.jpg今朝、朝顔の花が咲いた。ユキが学校から持ち帰ってきたものだ。

学期末の個人懇談の時に、もう一株持って帰って来るようだ。
ここ7〜8年ほど朝顔を植えていなかったが、種をとって来年から植えよう。桜が満開になればチューリップ、チューリップが終わればアヤメ、イソトマ、アガパンサス、そして、朝顔の花と楽しみが続く。

ブラックバスの子.jpg日曜日の今朝もユキは祖父と2時間も虫捕りに出かけ、今朝は小魚を捕ってきた。横腹に線上の模様がある。
これが悪名高いブラックバス(オオクチバス)だ。私も生まれて初めて見たのだった。
1年前に買って残っていた2匹の金魚は、先月に続いて今月初めに最後の一匹も死んでしまった。寒い冬も生きていたのに逝ってしまった。

夫は朝から孫の相手をして疲れ気味だったが、今週は家族みんなで教会に集った。

4月から毎月第1週目の礼拝は西大和教会の大澤星一牧師が馬見労祷教会へ来てくださっており、私たちは今朝初めて馬見労祷教会で大澤牧師の説教を拝聴した。

思いもしなかったのは西大和教会が懐かしい存在になっていたことであり、西大和教会で牧会しておられる大澤牧師に懐かしさを感じた。


今朝の説教で語られた師のメッセージが脳裏に響く。

キリスト者は励ましの言葉を語る使命があり、しかもそれは教会の中での使命ではなく、この世の中の人々に伝えていくという使命があるということ。

相手の立場に立って慰めるということを覚えおくこと。
大切なことは、何が相手の励ましや慰めになるか。
何がこの世の励ましになるかであり、共に一緒に立つことを真ん中に据えて他者を思うことだ。
デモの中にイエスも共にいてくださる。


このメッセージは師の生き方から伝わってきたものゆえに私の心の深くに届いた。これは私への神さまからの慰めであり励ましだ。私の書いているものも外に向かって発信しているのである。目には見えない魂の世界を発信しているのだ。

新しい力とビジョンを与えられたように思う。

礼拝後、知子と私は牧師としばらく話していた。そこにイエスも共に居られたように思う。私たちに新しい歩みが始まっている予感がする。より高嶺へと向かう信仰者としての歩みが。

posted by 優子 at 23:15| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2014年07月05日

今月下旬に次女夫婦2日間の帰国!スカイプでトノサマガエルを見せるユキ。

1週間はアッというまに過ぎ去り、再び土曜日になった。今朝も早くからユキはおじいちゃんと虫捕りに出かけた。

先週はナツアカネとアキアカネを捕り、今日はシオカラトンボを捕まえた。そして、またまたトノサマガエルを捕まえたと嬉しそうに帰って来た。
今回は先週のカエルよりひとまわり大きいので、私は気持ち悪くてじっくり見ることはできなかった。

お昼前、マチ・クマとみんな揃ってスカイプした時、ユキは誇らしげにトノサマガエルをマチ・クマに披露した。

スカイぷでカエルを披露するユキ.jpg

マチもカエルを怖がったけれど、子どもの頃は触れていたのでは?(^−^)

半月ほど前にマチ・クマ(次女伴侶)が揃って帰国できるようになったとの連絡を受けていた。今回もたった2泊だけの短い滞在だが、クマは休暇の許可を得てマチのミッションに同行することになった。

早速飛行機の手配をしたところ一つだけ席が空いていて、クマもワシントンを発つ時からマチと同じ便で移動するとのこと。
ミッション先のホテルは部屋単位でチャージされているので、クマが一緒に泊まっても費用は全く変わらないそうだ。

マチはこのミッションがアジア圏最後のミッションで、ワシントンへ戻る前に日本に立ち寄れるのも今回でおしまいだ。そして、いつものように帰国2日後の朝早く家を発って帰米する。

7月26日、帰宅するのはお昼前になるだろう。久々に全家族揃う。2人揃って帰って来るのは1年ぶりか。
その実感が湧いてからというもの、「ああもしたい、こうもしたい」といろいろと考えるのだが正味1日だけでは何もできなくて辛い。

私は嬉しくて掃除にも身が入り、昨日はいつもの掃除に加えて小さめの窓の網戸を5枚洗った。このようなやる気満々の波長は年に一度くるかどうかだ。
わーい(嬉しい顔)

短い時間だから何を話そうか。
何か聞いておくことはなかったか。パソコンのことは?・・・
今から考えておかなくてはね。チャッピーの散歩は優先順位のトップにして・・・写真も撮ってあげたいしと心が弾む。
チャッピーも元気で再会できますように!犬

先週(6月28日の記事)に続いて今夕は明るいうちにカエルを水辺へ逃がしに行った。
周囲から夏の虫や花が引っ切り無しに目に飛び込んできて、私はユキと一緒にキャーキャー言いながら駆けていた。

ショウジョウトンボのオス.jpg
鮮やかな赤色のショウジョウトンボのオス
シオカラトンボ.jpg
オオシオカラトンボ 
そういえば、今朝、蝉の声を聞いた。
梅雨が明ければ本番の夏の到来だ。


posted by 優子 at 21:43| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2014年07月03日

ラ・ゴロンドリーナ 

これは6月30日の朝に見つけた交番の軒下のツバメの巣だ。雛はまだ巣立っていなかった。

ツバメの巣.jpg

そういえば6月26日の記事のツバメは雛にしては大きすぎたかもしれない。
6月30日の朝、知子を駅まで見送りに行った時に巣を発見したが、カメラを持っていなかったので知子にスマートフォンで撮ってもらったものの写りが悪かった。

その後、歯医者さんの帰りに撮ろうと思っていたら持って行くのを忘れ、ついに歯医者さんから帰宅して三たび駅へ向かった。明日では巣立ったあとだったということもあるからだ。

私はツバメが飛んでいるのを見ると"LA GOLONDRINA"( ラ・ゴロンドリーナ、スペイン語で「ツバメ」 )の曲が聞こえてくる。若い頃から大好きな曲だ。
ドミンゴの歌ではなく演奏で聞いていたのだが、オーケストラの名前を憶えていなくて捜せないでいる。でも、この曲名の上をクリックしてお聞きください!

この曲は大空をのびのびと自由に飛んでいるツバメを想像させる。気持ちよさそうに優雅に飛び回るツバメ。

ツバメを見ていると私の耳に「ラ・ゴロンドリーナ」が響き、私もツバメのように心の翼を大きく広げ、ピンと張って大空を飛ぶのだ。私はツバメになってスーイスイと空を飛ぶ。

ああ、なんて素敵な曲だろう。
耳が聞こえない人や目が見えない人たちのことを思うと胸が潰れそうになるが、その方たちにどうか私たち以上の神の恵みがありますように。


雛は巣立っていった.jpg7月4日追記:
今朝、巣は空っぽになっていた。雛たちは巣立って行った。
良い一生をね!


posted by 優子 at 21:00| 随想 | 更新情報をチェックする

2014年07月02日

集団的自衛権行使容認、「時代はまさに戦前だ」

「剣をさやに納めなさい。剣を取るものは皆、剣で滅びる」。
    (聖書:マタイによる福音書26章52節)
イエス・キリストの言葉である。

7月1日、集団的自衛権行使容認の憲法解釈変更を閣議決定した。手続きも踏まない強引さに戦慄がはしる。

そもそも憲法は私たちの権利と自由を国家権力から守るためにあり、国家権力に縛りをかけることで国民の人権を保障するものだ。
ところが今や時の政府が憲法の上に立ち、これでは私たちの国は立憲主義の国とは言えない。

国家権力を縛る憲法が権力者の暴走を止めることができないのであればどうすればいいのだろう。言葉にはならない悲しみと苦渋に涙がにじむ。

日本。
それは私たちのものだ。私たちの愛する母国だ。まるで子どもを人質に取られてしまったような苦渋の悲しみだ。


日本各地で抗議の集会やデモ活動が展開されている。昨日、首相官邸前に集まった数千人の抗議デモは夜中まで続いたという。憲法学者はじめ法学の専門家たちもこぞって反対を訴えている。

2004年6月10日に旗印を上げて以来、全国7500に広がった「九条の会」を初め、日本弁護士連合会、日本キリスト教協議会、日本カトリック正義と平和協議会、僧侶議員による宗議会、宗教者による平和運動団体、・・・挙げきれないほど多くの団体が反対を叫び続けている。

団体だけではなく多くの個人もまた、静かなる国民(自戒をこめて主体性なく常に傍観者でしかない国民)が立ちあがったのだ。
こんなに訴え続けているにもかかわらず閣議決定され、私はこの年齢にして初めて国家権力というものを知った思いである。


哲学者・梅原猛氏は、「彼(安倍首相)には祖父の岸信介首相の霊が乗り移って、平和憲法を否定し、日本を戦前の日本に戻そうとしているしか思われません。」と述べている。

ある国会議員は、「最大の脅威は中国でも北朝鮮でもなく、安倍政権である。安倍首相が集団的自衛権で国民の命と暮らしを守ると言っているが、これは真っ赤なウソだ。」と非難した。

日本カトリック正義と平和協議会事務局長の大倉一美神父は、「時代はまさに戦前だということを忘れないでください。集団的自衛権(の行使)は自衛隊が戦争するのではなく、我々が戦争するのだということを心に留めなければいけない。」と述べている。

すでに平和国家のシンボルだった武器輸出三原則(武器を造らない、売らない)も変えられ、特定秘密保護法公布は記憶に新しく、一部の人たちだけで決めていく国家安全保障会議もできており、「いま憲法改正の一歩手前のところに来ている」と、憲法学者が警鐘を鳴らしている。

ここに先月のJCP(日本クリスチャン・ペンクラブ関西ブロック)の例会で発表した文章から抜粋引用したい。

第2次大戦下、ナチスの第3帝国の悪の根源はヒットラーであったことは言うまでもないが、親衛隊やドイツの国防軍だけではなく、その背景にドイツ国民の中に独裁者ヒットラーを受け入れる基礎があったということが検証されている。

即ち、ヒットラーの台頭を可能にする危険なメンタリティーがドイツ国民にあったというのだ。これはドイツ国民に限られたことではなく、人類に共通する人間の実相であり、今の日本の状況も似通った危うさを孕んでいる。

私は歴史から学ばねばならないとの思いで書いたが、今の日本国民は時の権力者たちに力強く抗議している。にもかかわらず歯止めとしない政治家たちをどうすればいいのだろうかと虚しさを感じたが、まだ諦めてはならない。正念場はこれからだという。

そして、「最後に決めるのは世論の力」だと教えられ、世論を高めるためにも今まで傍観的だった私たちも立ちあがろうとの思いをこめて書いている。

今からでも遅くはない。
自分の問題として真剣に考え、「いつか来た道」を加速度を増して歩き始めた国家の暴走を止めるべく力を合わそう。今こそ精いっぱいの努力を傾けて、2度と再び日本を地獄への道を歩かせてはならない。

多くの戦死者たち、そして、ヒロシマ・ナガサキの悲惨。オキナワ。大都市も焦土と化し多くの民間人が犠牲になった。その人たちの死を無駄にしてはならない。決して。

どうか神が日本を憐れんでくださり、日本の上に神のお導きがありますように。


国連の壁に刻まれている聖書の言葉:

「彼らはその剣を鋤に、
その槍をかまに打ち直し、
国は国に向かって剣を上げず、
二度と戦いのことを習わない」。

ここをクリックしてください。国連の写真を掲載しています。

「ふたたび『銃口』が背中に当てられる時代がきた。
今度はキリスト者として目覚めて戦いたい。
権力へのおそれやへつらいからもっとも弱い者を二度と犠牲にはしない」。

                    (三浦綾子)

posted by 優子 at 12:43| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2014年07月01日

ドラマに表れていない村岡花子の人物像

クリスチャン・ペンクラブの友が6月28日発行の「キリスト新聞」(3317号)の1面を送ってくださった。

まず驚いたのは、花子の伴侶となる村岡儆三の母方の従姉妹に賀川豊彦の妻・ハルがいたことだ。これを機にウィキペディアを開くと、儆三の父は「聖書印刷で知られる村岡平吉」とあり、社名は福音印刷合資会社(後の福音印刷株式会社)とあった。

また、儆三は「結婚して長男をもうけるが、妻が結核を発病し、別居を余儀なくされる」とある。ドラマでもちょうど昨日あたりから病床の妻が登場しているが、花子とはどのような過程を経て結婚に至ったのだろうか。真面目な関心を抱く。

それはさておき、今(7月14日まで)、銀座の教文館(きょうもんかん)で「村岡花子 出会いとはじまりの教文館」と題して花子の生涯が展示されており、自筆の原稿も見ることができるそうだ。東京在住ならば絶対に訪ねたいところである。

この教文館こそが朝ドラに出てくる出版社であり、私も教文館の書物は結構たくさん持っており毎年出版案内が送られてくる。

花子が勤務していた教文館の同僚・宣教師ミス・ショーから贈られたのがモンゴメリの "Anne of Green Gables" で、戦後に邦題・『赤毛のアン』として刊行されたという。神による出会いの背景を感じる。

花子の人格形成に大きな影響を与えたキリスト教信仰は、言うまでもなく東洋英和女学校での10年間だ。当時のミッションスクールゆえに、かなり裕福な家庭の令嬢が通っていたのであろうう。花子は給費生として編入学し寄宿舎生活を送った。

テレビ小説・『花子とアン』は、花子の(義理の)孫・村岡恵理の著書・『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』を原案としてドラマ化されたものだ。

花子は長男を疫痢(赤痢)で6歳で亡くしており、その後は子供に恵まれなかったため、後年、妹・梅子の長女・みどりを養女とし、みどりの娘が村岡恵理、花子の義理の孫である。

6歳と言えば、ちょうど同じ年格好の孫がいるので、花子の悲しみはいかばかりであったかと人間の一生に思いを馳せる。
恵理さんが11カ月の時に花子が亡くなっているので祖母の記憶はないが、花子を慕いつつ祖母の足跡を追ってきたという。現在「赤毛のアン記念館館長」を務めている。恵理さんの写真から穏やかな人柄が見てとれる。

ドラマではフィクション部分も多く、「ドラマを鵜呑みにする方は居ないと思いますが、誤解が生じる部分もあります」ので「本当の村岡花子を知ってほしい」と恵理さんは語っている。

特に花子の真髄であるキリスト教的な部分はドラマではほとんど排除されており、女学校卒業後は山梨英和女学校の教職に就いたのであるが故郷の尋常小学校だった。

恵理さんは花子のことを次のように語っている。

「本当は、キリスト教のヒューマニズムなしには村岡花子はありえない」のに、「それがなくなったら空っぽになってしまうぐらいキリスト教のヒューマニズムに満ちた人でした。それを宗教色ではない形ででも表現していただきたい思います」。

この言葉からもドラマの花子は実像からかなり違っていることがわかる。
伝記をもとにしてのフィクションであっても、その人物の中核になる部分をフィクションにすると実像を描けないと思うのだが、脚本の基本的な知識にも関心が及ぶ。

ところで、恵理さんの「キリスト教のヒューマニズム」という言葉の意味がわからない。たぶん「隣人愛」を言わんとしておられるのだろうと類推するが、キリスト教とヒューマニズムは対立的概念で相容れないものであるから不適切な言い方だと思う。

最後に、私の心を打った恵理さんの祖母への想いを引用させていただきたい。

「絶筆となった随筆に私のことが書かれていて、最後に愛情を残してくれたことは、生きていく上でのいろいろな原動力になりました。・・・・

祖母の仕事はすべて愛情から始まっていると思います。若い人たちが希望を与えられるように、何かあったときに、それを乗り越えられるような心の強さを育むように―。そういう愛情から発した仕事であったと思います」。


私の子どものころから書棚で見なれていた「村岡花子」。あれから50年以上もの時を経て私の中でいのちが注がれた。木で作られたピノキオが人間の少年になったように。

附記:讃美歌7番と277番は花子の訳であるという。

posted by 優子 at 13:16| JCP関係 | 更新情報をチェックする