2014年09月27日

『花子とアン』余録

今朝の『花子とアン』の最終回を見てブログを書いていたら、急に図書館へ行きたくなって大急ぎでブログを更新してユキと家を出た。"Anne of Green Gables"原書と『赤毛のアン』の巻末を確かめたくなったからだ。

あいにく昨夜から夫は仙台へ、知子も今日は午前中出勤で不在のため、8時44分の公共バスに乗っての外出だった。帰りは9時56分に乗り遅れると2時間後になるので、司書さんに調べてもらって20分間の滞在で欲しい本を手にして帰宅した。ついでにブラウニングの詩集も。感謝!

新潮文庫の『赤毛のアン』を手にした時、長年見慣れていた表紙の絵が目に飛び込んできて懐かしさのあまり胸が熱くなった。今は手元になく、いつ紛失したのかもわからない。(ところが今日12時30分に発見!端っこにあった!!!)

"Anne of Green Gables"を手にするのは初めてのこと。英語はわからないが簡単なところはわかるだろうと、胸をワクワクさせて本を開いた。

"Anne,the skinny,red-haired orphan with the buoyant heart,・・・"と目を走らせ、"orphan"(孤児)の言葉に目がとまった。大学2回生の時に読んだ"Daddy-Long-Legs"(『あしながおじさん』)を思い出したのだ。
アンも孤児だけれどジュディと違ってみすぼらしくはないようだ。これまた懐かしくて"Daddy-Long-Legs"を捜したが2階の書棚にも無くてガッカリした。大切にしていたのにどこへ行ってしまったのだろう。

『赤毛のアン』の最後.jpg
"Anne of Green Gables"最後のところ。

この原書(下線部分)にも書かれているように村岡花子訳本と共に、物語の最後はやっぱり「『神は天にあり、世はすべてよし』と、アンはそっとささやいた。」で結んであった。

ただし、先の記事で書いた上田敏の訳は、私には「世の中は平穏無事で全て良し。めでたし、めでたし。」と聞こえてならず、ブラウニングの言わんとする詩情を訳せていないと思う。

この言葉は創世記の1章、特に31節の「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。」を想起させた。
万物を創造し、それらを治める神は天におられるのである。このことから「世はすべて事も無し」の語感からくる「めでたし、めでたし」と受け取ってはブラウニングが気の毒だ。

ブラウニングは、春の朝の露、ヒバリ、かたつむりなど、神の手によって創造された世界を讃美しているのであり、その神は天におられるのだ。
だから使命感と目的意識をもって神と共に奮闘せよ、人生は多くの失敗と失望に満ちているが最後まで胸を張って前進せよと、神と共に在る楽観主義者ブラウニングだからこそのメッセージ、ひいてはモンゴメリのメッセージを私は読み取るのだ。


花子の訳書からもドラマのあの終わり方では、モンゴメリや花子の世界観が出ていない。これは小説や脚本の許容範囲なのだろうか。

そういえば、葡萄酒を飲んで酔っぱらう場面があったが、「花子さんはお酒飲みだったのですか?」と問われて、孫の恵理さんが残念がっておられた。しかもその後もひどく酔っぱらう場面があって私は顔をしかめてしまった。

しかも、こともあろうに、この場面設定のいきさつを聞いて驚いたのは、花子を演ずる女優さんがあまりにも酔っぱらう演技が上手(お酒も強い)だからと、脚本家が付け加えたというのだが、それでは人物像を歪めてしまう。恵理さんには心が痛む脚色だったことだろう。

『赤毛のアン』の最終の第38章「道の曲がり角」に出てくる場面で、眼科医に目が見えなくなると言われて絶望しているマリラを元気づけるシーンがある。その時にアンに言わせているモンゴメリの言葉を引用したい。
あたしがクイーンを出てくる時には、自分の未来はまっすぐにのびた道のように思えたのよ。いつも先まで、ずっと見とおせる気がしたの。

ところがいま曲がり角にきたのよ。曲がり角を曲がった先に何があるのかは、わからないの。でも、きっといちばん良いものに違いないと思うの。それにはまた、それのすてきに良いところがあると思うわ

その道がどんなふうに伸びているかわからないけれど、どんな光と影があるのか ― どんな景色が広がっているのか ― どんな新しい美しさや曲がり角や、丘や谷が、その先にあるのか、それはわからないの。

その通り!最悪が最悪であるとは決まってはいない。それどころか神は常にパラドキシカルで最悪を通して最善へと導かれるのだ。私たちにとって最悪な事態よりもそのあとのことがもっと大切なのだ。

ただし神さまに問いたいことがある。
例えば今月神戸で起こった小学1年生の女の子が殺されて切断されたということについてはどうなのか。この最悪から残された者への最善を想うの酷過ぎる。

世界ではこの今も残虐な蛮行が休みなく繰り返されており、それらはどうなのだと神さまに問い質したいと苦悩するが、それらは神の領域のことゆえ神の裁きに委ねるしかない。

とにかくこの困難な下り坂になった時代でも立ち上がろう。
常に希望を失わないで励もう。人生は素晴らしいと言っているのだ。


最後に『赤毛のアン』の「あとがき」に書かれた村岡花子の言葉で本章を結びたい。1954年初夏、今から60年前の記述である。
真昼の夢に包まれているような『赤毛のアン』の中には、航空機の時代になってもテレビジョンに親しみながらも失われない、永遠につづく若い女性の清純さとその清らかさから生まれるあこがれが呼吸している。


モンゴメリの神に在る楽観的生き方がアンを生み出し、アンを日本に伝える最もふさわしい人物・花子の手に渡った。それは当時の花子を支え生かそうとの神の御心であった。
そして、翻訳しながら花子の信仰が練られ、『赤毛のアン』を通して多くの人々に神の祝福が流れていったのである。


"Anne of Green Gables"・『赤毛のアン』は、花子が戦時中に使命感を持って訳し続けた。私はそのことを知ることができたことが最も嬉しく、改めて感慨深く読み直したいと思う。


posted by 優子 at 19:45| JCP関係 | 更新情報をチェックする

花子の次もクリスチャン女性が主人公!

とうとう『花子とアン』が終わった。
次週から始まるNHK朝の連続ドラマは、ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝と妻のリタをモデルにした『マッサン』だ。村岡花子に続いてクリスチャン女性、ジェシー・リタ・タケツルが主人公になっている。リタは夫を「まさたかさん」と言いにくいので「マッサン」と呼んでいた。

「クリスチャン新聞」によれば、
リタはスコットランド、グラスゴー郊外のカーテンテロフで生まれた。少女時代に両親からプレゼントされた十字架と聖書を生涯大切にし、うれしいことがあると自室に入り、そっと十字架を握りしめている姿がよく見られたという。政孝は晩年、「洗礼を受けなければリタと同じところに行けない」と、東京聖三一教会の竹内謙太郎司祭から病床洗礼を受けた。
そして、ニッカウヰスキーのウェブサイトが紹介されている。

また、リタは大正時代に大阪の私立校・帝塚山(てづかやま)学院小学校で英語を教えていたことを、今夏届いた同窓会誌で知った。
ちなみに、帝塚山学院は大阪の伝統ある私立校で、2016年に創立100周年を迎える。ついでながら「帝塚山大学」や「帝塚山学園」は「帝塚山学院」の姉妹校ではなく無関係である。

『花子とアン』は、クリスチャンペンクラブの4月の例会で教えていただき途中から見ていたが、朝から見たい番組があると慌ただしくて困る。今は『花子とアン』が終わって淋しい反面、やっと終わったとホッとするのだが、どうやら次も見ることになるだろう。

ところで、『花子とアン』の最終回はブラウニングの詩こそがふさわしかったのに、なぜ一言花子につぶやかせなかったのだろう。「神、空にしろしめす。すべて世は事も無し」と。

「春の朝(あした)」("Pippa's Song")は上田敏の訳詩があまりにも有名で、ブラウニングの詩だと知らなくても耳にした人も多いのではないだろうか。私も学生時代に読んだ詩が懐かしく響く。

「時は春、/ 日は朝、/ 朝は七時、/ 片岡に露みちて、/ 揚雲雀なのりいで、/ 蝸牛枝に這ひ、/ 神、そらに知ろしめす。/ すべて世は事も無し」。

それから30年近く後に私はブラウニングと出会い、信仰的に大きな影響を受けた。そこで今改めてこの詩の世界を自分の語彙で表現してブラウニングを感じたい。

The year's at the spring     時は春、
And day's at the morn;       日は朝、
Morning's at seven;        朝は七時、
The hill-side's dew-pearled;   丘陵に露みちて                        The lark's on the wing;     雲雀は空高く上がり
The snail's on the thorn:     カタツムリは茨を這う      
God's in His heaven--       神は天に居られ
All's right with the world!    地は全て良し!


これはまさしく天地を創造された神を讃美する詩だ。
神と出会い、神と共に大いに悩み、大いに喜び、大いに人生を楽しみ味わいたいものである。
ごきげんよう!

posted by 優子 at 08:17| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2014年09月26日

熟年夫婦だから考えたい夫婦の絆A −「二人の旅路 〜日中 激動を生きた京劇夫婦〜」

先の記事に続いて、「夫婦の絆」について考えさせられた『プレミアム・アーカイブス』から、梁嘉禾(りょう・かほ)さんと柴田真理さんの半生をご紹介したい。(2011年放映)
梁さんと真理さんはかくも辛く悲しくも、何と幸せな夫妻であり生涯だろうか!
中国・京劇のトップスターだった夫、梁嘉禾(りょう・かほ)さんと柴田真理さん。およそ20年前、残留孤児として苦難の道を歩む妻のため、夫婦で日本に移住した。そのとき、夫は中国京劇の最高峰・国家一級俳優の座を捨てた。

妻は「夫のすべてを奪ってしまった」と悔いるが、夫は「あなたといる今が一番幸せだ」と語る。戦後直後の日中関係、文革などの激流の中、支え合い歩み続けてきた二人。

2010年秋、夫は20年ぶりの舞台に立つために夫婦で中国に里帰りした。愛を貫き、逆境を乗り越えてきた夫婦の姿を描く。

140917_1.jpg
20年ぶりに立った舞台とは『覇王別姫(はおうべっき)』。

四面楚歌で有名な項羽と虞美人を描いた京劇作品・『覇王別姫』は、秦末期、秦の始皇帝死後の戦乱時代(BC3世紀末、日本では弥生時代)、楚(そ)の国の英雄・項羽(「覇王」と呼ばれていた)と、その妃・虞美人(ぐびじん)との悲劇である。

妃役は真理さんにという声がかかったが真理さんは応じなかった。しかし、夫の舞台を観た真理さんは、
まるで心の氷が溶けるようだ。
私に辛く当った人たちの顔をよく思い出す。私の心は深く傷ついていた。しかし、皆が全力で支えてくれた。今は昔のことはもうどうでもいいと感じるようになった。梁さんは奇跡を起こしました。」
と語り、
140917_5.jpgその翌日、真理さんが舞台に立っていた。
2人だけの『覇王別姫』!
私は2人の舞台が見たい!

真理:「夫婦が一緒に居られることで、どんな苦しみも怖くない」。
梁 :「あの舞台はあなたへの愛なんだよ。心から伝えることができたと思う」。

柴田真理さんは語る。
「今の幸せは母の苦しみ、母の一生と引き換えにしたものです。
私はずっと尻尾を巻いて生きて来た。日本人の子だと知られるのを恐れて生きて来た。人生はいつもそのことで行き詰ってきた。
父の消息がわかった時、30年以上も押し殺してきた気持ちが溢れ出た。小さな部屋で梁さんと高ぶった感情を分かち合い、外では平静を装った。・・・
人の世は奇妙なものだ。人生は一つの出来事や一つの背負うもので変わってしまう。例えば小さな選択によって違うものになってしまう。本当に想像できない。結婚も、日本へ行くことも・・・前へ進む時は退路を断った。後ろを振り向きたくなかったから」。

「愛し合う二人が一緒にいることは、この世で最も大切なことだ。彼と幸せな人生が送れるように最善を尽くして下さい」。(真理さんの父の言葉)

森田美由紀アナウンサー:梁さんの懐の深さを思った。人生には苦労があるものなんだからという、その思いのもとにあるにしても、どうしてこんなふうに生きていけるのか。相手のために何もかも捨てられるものなのかと思う。

阿木燿子さん:苦難だからこそ愛を強められたのだと思う。梁さんの愛の強さを思う。困難の中でこそ見分けられる本物があると思う。
それと、夫婦はそれぞれ違っていいんだということ。

私たちの年齢になれば残された時間を想って、自分たちの夫婦らしさをいかに完成させるかという仕上げの時代に入った。必ず終わりがあるということが前提なんだなと思った。

必ず別れが来るのだから互いに歩み寄ること、慈しみ合う事を学んでいかなければ意味が無いということがわかった。物に飽きるというのは努力が足りないのであって、パートナーに飽きるなんて失礼だ。


2人のコメントも意味深い。

梁嘉禾さんの存在が中国に親近感を抱かせ、京劇と歌舞伎の共通点を発見して心が躍った。真理さんはとても美しい。NHKの山根基世アナウンサーと瓜二つのようによく似ておられる。

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人柄というのは目に顕れる。梁さんの何と美しい目、その笑顔!
共にお元気で良き日々を送ってほしい。

2015年4月8日追記:
この記事は前記事と同日の2014年9月25日に公開していたが、検索しやすいように日付を26日に改めた。


posted by 優子 at 17:41| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2014年09月25日

熟年夫婦だから考えたい夫婦の絆@ −「定年・夫婦で走った40日 〜中米縦断・トレーラーの旅〜」

ブログを書き始めて9年になるが、2週間もブログを更新しなかったのは初めてだ。何かあったわけではない。知子が台湾に出張中の9日朝に軽いぎっくり腰になり2〜3日間横になるしかなかったものの、その後すっかり怠惰な生活になっていた。

その怠け期間中に観たNHK・BS放送の『プレミアム・アーカイブス』がとても印象に残っており、「夫婦の絆」について考えさせられる記事を2つ続けて挙げたい。1作目の「神様がくれた時間 岡本喜八と妻 がん告知からの300日」は途中から観たので書けない。

「定年・夫婦で走った40日 〜中米縦断・トレーラーの旅〜」
「アメリカのテキサス州から中米のパナマまで、24台の車が連なって5000キロの旅に出た。旅をするのは夫婦で第二の人生を走り始めた夫婦たち。
子どもが独立した夫婦。伴侶に先立たれ再婚同士の夫婦。伴侶の思い出を抱きながら単身参加する男性。様々な夫婦がメキシコと中米6か国を訪ね、向き合い、これからの人生を見つめた40日の心の旅日記」
である。
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トレーラーは西部開拓時代の幌馬車から発想されたもので、幌馬車の代わりにトレーラーを繋いで旅をするというのはとても新鮮な驚きであり、アメリカでは自ら定年を決めて退職する人が少なくないと言うことにも驚いた。
140916_4t.jpg24組47人の参加者は無事に目的地のパナマ運河を越え、それぞれが語った言葉が心を打った。

▼「でこぼこ道があったり迷ったり・・・彼女はいつも前向きだった。だから頑張れた」。(ドンとケイ)

▼「40日間の旅は、お互いを精神的にも肉体的にも感情的にも支え合わないと達成できなかった」。(ディックとナンシー)

▼「定年後の生き方は人生の目的を見つけて、これまで得られたものをお返ししたいと思って、私は教会のボランティア活動を一生懸命やっている」。

▼「気持ちを切り替えて行くしかない。妻の代わりは居ないんだ。だから別の人と結婚する気にはなれないんだ。しかし、振り返ってばかりはいられない。残りの人生を精いっぱい生きないとね。

この旅に妻がいないことがとても悲しい。美しい風景を見た時は彼女が居ればっていつも思っていた。でも、現実を受け容れて今を楽しまなきゃと思った。この旅は素晴らしかった。僕がノースカロライナに帰ったらこの旅を思い出すだろう。楽しかったことも辛かったことも決して忘れない」。(ロルフ)

▼僕はまた次の人生の目標を見つけたいと思う。今まで試したことのない何かに挑戦したいんだよ。「あなた、素晴らしいわ」said his wife.
(伴侶に先立たれ者同士の再婚夫婦・ハルとエレイン)

ゲストの阿木燿子さん(伴侶はミュージシャン・俳優の宇崎竜童氏)のコメントも心に残る。

▼トレーラーという限られた空間に助けられたこともあるのだろう(忍耐して頑張り抜かねばならないのだから)。二人で助け合わないといけないというシチュエーションがよかった。この旅を経験すればあとは絶対に大丈夫! 
私の知り合いで長く一緒に暮らしてきた夫婦が、海外旅行してから2組の夫婦が離婚した。 

▼夫婦の会話は話題がないと成立しない。映画を見たり本を読んだあとに感想を言い合ったり、少しでもいいから同じ共通分母を持つことが大切。共通分母になる友人や知人を多く持って、知り合った人はすぐに紹介していくのもいい。「新しいお店ができたから食べに行こう」などど、夫を外へ引っ張り出すようにしている。

▼夫婦円満の秘訣は、相手に対して興味を失わない。無関心にならないこと。無関心は一番夫婦をダメにする。
どんな人間関係でも相手は自分を写す鏡だから、常にオーラを発していく。「あなた素敵よ」と。「好き」という感情を成熟させたのが意識で、生涯添い遂げるためには強い意志が大切だ。

森田美由紀アナウンサーのコメント:
▼日本には「阿吽の呼吸」で済ませてしまうところがあるが、長く生活しているからこそ語り合わねばいけないことがあるのに会話しない。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・                       
続いて、中国・京劇のトップスターだった夫、梁嘉禾(りょう・かほ)さんと柴田真理さんのことを是非記録しておきたい。今も福岡に居られるならばお訪ねしたいほど深い感銘を受けた。

※ 2015年4月7日追記:
今また6日〜8日まで『夫婦の絆』3作を再度再放送している。
前回の放送では落ち着いて観ることができなかった「神様がくれた時間 岡本喜八と妻 がん告知からの300日」も昨日じっくり観た。
2005年にがんで亡くなった映画監督、岡本喜八。在宅での闘病生活を支えたのは、妻であり映画プロデューサーだったみね子さんだった。がん告知から死まで、妻はどのような思いで夫を支え、映画監督の誇りを持たせ続けたのか。夫の力が湧くように工夫した毎日の食事。40作目の作品に向けての脚本の読み合わせ。妻の残した日記やインタビュー、夫婦の最後の日々を再現したドラマなどを通して、二人の強い絆を見つめる。
先月打撲の怪我をして不自由な体になっている今、「トレーラーの旅」は身につまされた。限られた残り時間を悔いなく生きなければと焦るほどに強く意識したからだ。


posted by 優子 at 16:13| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2014年09月11日

関西NP(日本製紙)会主催の台湾旅行

感謝!知子は昨夜12時前に無事帰還した。
知子の便は、先週末の関西北越会・中国旅行の帰国便よりもたった5分遅かっただけなのに帰宅は1時間半も遅くなった。しかも翌日が休日ではないからハードだ。

台湾では台北のウェスティンホテル(六福皇宮)で2連泊し、行天宮、占い横町、故宮博物院、九份(ジォウフェン)散策、台北101(いちまるいち)展望台、饒河街(ラオホーガイ)夜市散策、ショッピング、最後に日本製紙の製紙工場見学と、盛りだくさんの行程だった。

とにかく肉料理が多いのと、時には35度以上の気温に加えて湿度が90%にもなるという蒸し暑さというのが、中国本土と台湾共に2人の共通した印象だった。

また、親子共に料理も苦手だったようで、同じアジア圏でも日本の食文化は他の諸国と異にしているのが興味深い。
特に夫は肉料理に辟易し、「あっさりしたものがほしい」としばらく言い続けていた。かしわ(鶏)のから揚げにも一切手を出さなかった。

写真は私のために撮ってくれただけで数えるほどしかなかった。撮らなくてもインターネットで何でも見られるからというのが知子の考え方だ。説明どころか読み方さえわからなかったが、ネット検索に助けられて記録した。
台湾@.jpg九份(ジォウフェン)
ここは宮崎駿のアニメ『千と千尋の神隠し』のモデルになったとか。現地でもその説明がされたというが、ウィキペディアには宮崎氏は公式に否定していると記載されている。

台湾A.jpg
これは台北101展望台。
ウィキペディアによれば、「509.2メートルという高さは2007年7月にブルジュ・ハリーファ(ブルジュ・ハリファ)に抜かれるまでは、完成建築物としては世界一高いものだった」。

驚くべきは、施工は熊谷組で、エレベータは東芝製。「地上1階から展望台のある89階(地上382.2メートル)まで、39秒で到達する」とのこと。実際はもっと短く感じたという。
日本の技術は実に素晴らしい!!!
台湾B.jpg







台湾D.jpg 

ここが有名な中国最大の国立博物館・故宮博物院で、「696,000個以上の古代の中国の人工品および美術品を所蔵している」。

「『白菜』って何?」
「翠玉白菜」と聞いても全く知らなかった。
知子は叔母(私の妹)に翠玉白菜のコンパクトをおみやげの一つに買ってきた。

台湾C.jpg台湾らしい民芸品だ。

今朝、ユキは目が覚めた瞬間に「あっ、ママ、帰って来てる!」と言って瞬間的に知子のベッドに移り、知子の上に寝転がって5分間ほど離れなかったという。
知子は登校するユキの後ろ姿を見ながら、「2〜3日の間にすごく大きくなったみたい」と感慨深げに言った。

ユキへの台湾土産は、台湾のコマと瀬戸物の笛だった。台湾土産@.jpg

学校から帰宅し、おやつタイムの後しばらく駒で遊んでいた。
そして、私にも駒の回し方を教えてくれた。日本のよりも簡単ですぐにできた。

台湾土産B.jpg

台湾土産A.jpg

知子の留守中、私は9日の朝にぎっくり腰になってしまい、その日はずっと横になっているしかなかった。幸い、朝の用事を終えた瞬間だったのでよかったものの、よりによってその翌朝(10日)は交通安全の当番で気をもんだが、ほぼ普通の状態で役目を果たせた。
それだけではなく、もっと軽快になり動くことで回復を早めたようだ。

昨日の朝は「いつまで寝てるんやー」と、6時20分に階段の下から夫に声をかけられて飛び起きた。夫婦は持ちつ持たれつ。わーい(嬉しい顔) 夫のおかげで遅刻することなく登校し、知子の留守中の役目を無事完了した。

ユキは宿題と少しのお家学習を終えて先ほど遊びに行った。天気予報どおり夕方から半袖では寒くなっている。まもなく6時、ユキも門限を守って帰って来ることだろう。

3度に分けてこれを書いたが、坐っていると腰痛がひどく限界。推敲なしでこれにて更新。

posted by 優子 at 17:55| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年09月08日

夢の中であっても懐かしい両親を見て心和らぐ

今朝、知子の出発前にあることでショックに打ちのめされて、午前中はずっと眠ってしまった。

その時、父と母の夢を見た。両親ともにこの家は知らないのだが、玄関までの廊下とドアが舞台で、父が仕事に行くのを母が見送る場面だった。

それは私の娘時代に良く見ていた光景であり、場所は違えども両親が元気だった頃の懐かしい光景だった。

この時、父と母はとっくに亡くなっていることもわかっていたが、私は眠っていたソファーから起きて、「お父さん!」「お母さん!」と何度も呼んだ。しかし、全く聞こえてないので振り向いてくれなかった。

夢の中の両親は顔だけスポットライトが当たっているように鮮明に見えるのは顔だけで、あとは網戸から写した下の写真のように白っぽくぼやけて見えた。

目が覚めてぼんやりしながら懐かしい両親のことを思っていたらまた眠ってしまった。
夢はショックやストレスを和らげるために見るという通りだ。今朝の衝撃を吸収して心のバランスを取ってくれたように思う。


何時間も待つチャックン。.jpgちなみに、チャッピーは毎日時間を持て余しているので、散歩や餌の時間でもないのに部屋の中を何度も除いて誘ってくる。相手になってほしいのだろう。

午後12時43分頃、知子から無事に台湾に到着したと電話があった。
「今、税関手続きも全て終わったところ」と明るい声だった。インターネットも一切使えないので通信手段がないため「電話代は高いけれど」と電話をかけてくれた。どのぐらい高いのかわからないが一昔前の国際電話をかけていた時を思い出して30秒ほどで切った。

そう言えば今思い出したが、何年か前の関西北越会の旅行で、夫が香港から携帯電話で電話して来たことがあった。あの時、国際対応や国番号も全く知らないままかけて来ていたが、どうして可能だったんだろう。(笑)

今夜は十五夜。
夕暮れ時、公園で遊んで帰って来たユキが美しい満月をあまりに熱心にアピールするので、20分近くも歩いて最も月が良く見える所を求めて歩いた。

「ユキにもウサギが見えるかなあ」と言うので、月でウサギがお餅つきしているように見えるのは日本人だけで、それは昔からきているようだと話しながら歩いた。
結局、マチやユキの部屋の窓からが何にも邪魔されずきれいに見えていた。

夕食後、大急ぎで片づけて居眠りかけているユキを起こしてお風呂に入れ、一緒にお祈りして9時前からバタンキューで眠った。

「おばあちゃんがママのベッドで寝るね」と言うと、「どっちでもいいよ」と言うので「かわいくないなあ」と言うと微笑んでいた。知子は喜んでくれていたからユキの横で寝よう。

娘の不在は夫の時とはまた違って、ユキを預かる責任があるので少々力が入る。

今日も午後から気温が上がり30度近くになった。

明日は気持ちを変えて書けますように。

posted by 優子 at 22:13| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

今週は知子が日本製紙主催の旅行で台湾へ

昨夜の夕食後、久々に家族揃って夜のウォーキングに出た。翌朝の出発が早いので15分ほどの短時間だったが楽しいひと時だった。その後、知子から「旅行中に万が一のことがあった時は」と説明を受けた。

夫は「(携帯電話を)押したら国番号も入って勝手に繋がって」と感激したように言っていたが、それは知子が国際対応にしてくれていたからで、社長の留守中に緊急に指示を仰がねばならない時のための危機管理であり、そのことも知子が出発前に話していたことだ。

そして、知子はすかさず付け加えた。
「何事もいざという時のために準備をしておいて、でも使わなくてよかったねということやよ」と。これを機に知子のスマートフォンも国際対応にした。

今日は十五夜。朝の5時前だとまだ真っ暗で苦手な季節が来た。気持ちが重くなる。部屋の中でも半袖では肌寒く、日中は本当に30度まで上がるのだろうか信じられないほどだ。

夫は知子を駅まで送ってテレビ体操をしてから家を出た。今朝は知子と入れ替わりで1週間ぶりの出社だ。幸悠も先ほど登校した。

知子にとっては男性ばかりの旅行で緊張もするだろうが、日々の過酷な激務から離れて大いにエンジョイしてきてほしい。
旅の無事と平安を祈ります。

附記:
さようなら キュウリさん.jpg8月31日に記録したキュウリはここまで大きくなった。
いよいよ近くの茎まで枯れてしまったので取り除いた。

最後のキュウリ.jpg


posted by 優子 at 07:54| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年09月05日

関西北越会の中国旅行から無事帰宅

夜9時過ぎに知子がフライト情報を検索してくれ、キャセイパシフィック航空(CX0502)は無事関空に着陸していたことを確認した。
神さま、感謝します。事故から守ってくださりありがとうございました!

夫不在の静かな5日間はアッという間に過ぎてしまった。
ようやく長い夏休みも終わり、3日から給食も始まったので6時間ほど自由な時間ができ、今週はずっとまだ仕上げていない原稿に追われていた。ただし今も未完なり。

今日は5時間も集中していたので昼食を摂ったのは2時半を過ぎていた。昨日は良く書けたと喜んだのも束の間、操作ミスで消えてしまい疲れがドッと出てしまった。

今日もう一度取り組むも書けなくて、6時間以上やっていたがダメだ。
「神の奇跡の中を歩く −長女の『出エジプト』−」と題して知子のことを書いてるのだが、明日明後日で再び知子からインスパイアされる(霊感を受ける)ことを期待している。


さて旅行前日は淋しかったが無事着陸とは、まるで台風が上陸したような感じだ。
「大人の男性なのになぜ?」と思われるかもしれないが、孫の教育上悪いのに食事中にもテレビをつけ、しかもサスペンスをかけるので毎回口やかましく注意しなければならなくて疲れる。それでも今では毎週土曜日の夜は『寅さん』を観るのが習慣になってしまっている。

不在中、知子は父親の秘書役も務め、8日はいつも通り7時半過ぎの出社で大丈夫なように預かり書類を全て整理してくれていた。

そして父親と入れ替わりに、今度は知子が8日朝6時前の電車で関空に向かい、日本製紙主催で台北研修ツアーに出発する。参加者27名の内、女性は知子1人だけだ。

3日目に工場(台湾の工場を日本製紙が買収した工場)を見学して帰国は10日、今夜と同じ5分遅い時刻の着陸予定で関空に到着する。
その時は良輔が迎えに行き、今夜は知子が駅まで迎えに行く。わーい(嬉しい顔)
知子もまた無事に帰還できますように!

先ほど夫から「携帯電話の電池がなくなったから」と、上本町駅の公衆電話から元気な声で電話が入った。11時頃の電車なので今知子が出発した。

6日0時00分追記:
チャッピーも起こされてしまったね.jpg23時10分帰宅。
チャッピーもお迎えしてくれている。
寝ていたのに起こされてしまったね。このあとすぐに小屋に入って寝てしまった。

おかえりなさーい!
このスーツケースは休みなしで月曜日から再びフライトだ。(笑)
中国から御帰還!.jpg
玄関に入るなり開口一番、「みんな、ユウ(優子)のことを聞いてくれてはったで!」
(ありがとうございます!私もお目にかかりたかったです。)
「中華中華で、ポルトガル料理も肉肉肉で、ユウやったら食べるもんないわ。みんなにも言うといたわ。香港の中華は食べられたけれど」だって!
私は好き嫌いがあるので食べるものがないということは減量できてよかったのに!

「ビジネスクラスは楽やわ〜〜〜。マチが言うてたラウンジあったけど、お腹一杯で食べられへんかったわ」。
と、早速楽しい話が飛び出している。

北越紀州製紙の工場見学だけは行きたかったので残念だった。明日、マシンのことや、工場内の中国人の様子を聞くのが楽しみだ。

8日からの日本製紙の旅行に参加される方々は香港に留まっておられるとのこと。社長がそんなに会社を空けられるなんてすごいね。

posted by 優子 at 22:55| 随想 | 更新情報をチェックする

2014年09月01日

69歳の誕生日の今夜、夫は成田空港に!

9月は子どもたちにとっては2学期の始まりであり、社会人にとっては年末に向かって後期のスタートである。

そして、今日は夫の69歳の誕生日。
しかし、夫は不在。
明朝中国に出発するため夕方の便で羽田へ向かった。今頃は成田空港のホテルのベッドに横になってテレビを見ているのだろう。

明日は広州に着陸して広東省江門(じゃんめん)泊。
3日は北越紀州製紙の広州新工場を見学して午後はマカオへ行き、マカオで2泊する。2007年の香港・マカオ旅行も私は欠席したが、当会ではマカオは2度目の訪問だ。

そして、5日は高速船で香港へ行き関空へ戻って来る。自宅に着くのは最終電車に間に合えばいいが・・・というところだ。

いつもならば夫が元気で不在というのは歓迎なのだが、飛行機に乗るので淋しくてならない。万が一のことを思うからだ。

厳しい会社経営時代で我が家の経営会議では、夫のトップとしての在り方でたびたびバトルするが、やっぱり私にとってかけがえのない人だと改めて思った。

忘れがちな夫の良さもクローズアップされ、人は謙虚になれると幸せ感に満たされる。

昨夜はパソコンの前に坐らずに2階へ上がって一緒にいたが、まだ9時半なのにいつものようにテレビをかけながら眠っていた。

これまでの年月を振り返ると微笑ましく思われるシーンばかりが思い出された。淋しくて私は1時間ほど夫の手を握ってテレビを見ていた。
今朝夫にそのことを話しても知らなかったが、「ユキ、知ってる!」と孫がニヤニヤしながら言った。
ふらふら  揺れるハート

そういえば、昨日ユキはお昼寝をしたので寝付きが悪くベッドから出て来たのだろう。

午後2時、知子が近鉄沿線の駅まで送って行ってくれた。
あれだけ言っておいたのに夫はパスポートのコピーも取っておらず、ガソリンも入れていないし(このあとすぐに車検で預ける)、駅では自動車のキーを持ったまま行く始末で知子が追いかけねばならず、見送りの最後まで危機感に乏しい夫だったが今は許せる!(笑)

元気で行ってらっしゃい!
妻同伴ではないので主催者の方々やメンバーの皆さんによろしく伝えて下され。おみやげ話を楽しみに帰りを待っています。(あなたの愛妻・優子より)わーい(嬉しい顔)

命燃え尽きるまで.jpgいのち燃え尽きるまで花を咲かして実を結ぼうとするキュウリ。

これは昨日の朝のキュウリで、今もこのような実を5〜6個つけているが、昨日よりも実の勢いがなくなっているのがわかる。夏の終わりと共にキュウリは急速に衰えていく。

ベランダの下を見ると茎は茶色く枯れている。これではとても養分を吸い上げることはできない。ベランダの葉もどんどん黄色く枯れていくばかり。ありがとう。
有終の美!
いのち燃え尽きるまで使命を全うする姿に感動!


posted by 優子 at 22:30| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする