2014年11月30日

天井から水漏れと思いきやマツヤニ(松脂)だった

今日は朝の掃除機までかけ終わり教会へ行くのを楽しみにしていたのに、10時前に台所の天上から水が漏れているのを発見した。

マツヤニ.jpg住宅メーカーが年中無休24時間体制で設置してくれているメンテナンス(東京)に電話すると、すぐに当地のセンター長からの電話を受け、その段階で教会は欠席せねばならないことがわかった。

知子は連日の激務で今日は体を休めることにしていたので、ユキと良輔の2人で出発した。ユキはおじいさんと2人で行くのも「やったー!」と大喜びして行った。

マツヤニA.jpg

同じ県内とは言え東生駒からメンテナンスの方が駆けつけて来てくださり、技術者を手配していただくことになった。
下屋(げや:母屋(おもや)から差し出して作られた屋根。また,その下の空間。さしかけ。さしかけ屋根。 )からの水漏れを疑ってのことだった。

そのあとついでにドアの取っ手を直して頂いている時に、水漏れの掃除をやり始めた知子がネチャネチャしていていることに気づき、正体は水漏れではなくマツヤニだとわかった。

そういえば写真からも見るからに粘着感がある。
しかしマツヤニが出るのは新築に多く、15年も経った家に、しかも、真夏でもないのにと首を傾げておられた。この個所は日あたりがよいけれどと初めての事例だった。半月ほど様子を見ることになった。

昨夜はガスコンロの前がネチャネチャしているので、「オリゴ糖をこぼしたんと違う?」と夫を疑い、今朝は天井に水滴状のものや食器棚を伝って流れていたので、「天井目がけて水をかけたんと違うの?」とユキを疑ってしまった。天井の上部にはトイレも洗面所もないからだ。反省。

この日、知子は体を横にすることもできなかったが、そのあとしばし礼拝の時へと導かれて経営改革の現況を聞き、共に神を讃美した。そのことは次のページに刻みたい。"being and doing"にも。

posted by 優子 at 15:58| 随想 | 更新情報をチェックする

2014年11月27日

「ねこふんじゃった」でチャッピーの替え歌

また逃げちゃった また逃げちゃったふらふら
あさ ゴミ出し してたら逃げちゃったふらふら
いぬ 逃げちゃったもうやだ〜(悲しい顔)
いぬ 逃げちゃったもうやだ〜(悲しい顔)
ともちゃん あわてて 追いかけたちっ(怒った顔)

わるい 犬めー つかまえろ犬
犬よー としを かんがえろ犬

ウァーオ ウァーオ 走らせて
自由で 楽しいな 

犬 たのしいなるんるん 
犬 たのしいなるんるん
自由で 楽しいなるんるん

ゆき ひさの犬 また 逃げてるよ
みんなに 囲まれ 笑われたふらふら

11月24日の記事より:
11月18日の朝、またしてもチャッピーの大脱走劇があった。
知子がユキを見送り、生ごみを出してくれていた時のこと。私はユキをもう少し向こうまで見送って戻って来た時に、チャッピーが外に出て歩き始めていた。
私は振り返ったチャッピーと目と目が合ったのに、チャッピーは知らんぷりして早足で遠くへ歩いて行くので、私は大声で知子に叫んだ。

この時のチャッピーは若い頃を思い出させるほどの走りぶり。さすがに老犬なので若い知子が走ると100メートルぐらいで追いついたが、イヌオは知子の手を振り切り、今度は広い車道に出て伸び伸びと下り坂を走り出した。私は知子に綱を渡して家の鍵を閉めに帰った。

まもなくチャッピーは横断歩道を渡るユキたちの登校集団と出会い、「ゆきひさの犬や!」と、数名の子どもたちが口々に叫んだ。
ユキは「ママが走って来たから」と、走って来た柴犬がチャッピーだとすぐにわかったので、ユキも咄嗟に捕まえようとしてくれたが、その寸前に知子がチャックンの毛皮をつかんで御用となった。「キャン!」 

ついでにユキの替え歌を:

 ユキおこられた またおこられた
 まいにち まいにち おこられる
 またおこられた またおこられた
 メリハリつけずに おこられた

 いつに なれば できるのかー?
 いまも おやつ たべている

 ママ おこってるちっ(怒った顔)
 ママ おこってるちっ(怒った顔)
 やすみの朝は 寝させてよ
 
 ママ おこってる
 ばば おこってる
 じいじも おこったよ    オシマイ 


posted by 優子 at 17:55| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2014年11月26日

ユキの「楽習」に感動の日々

「学校、大好き!」
ユキは楽しく学校生活を過ごしている。小学校に入学して以来、早2学期も終盤に入り、昨日は学期末個人懇談会のプリントが配布された。

作文.jpg11月20日の学級通信に掲載されたユキの作文にはこんなことを書いている。ピアノは何とか細々と続いているが、通信に載せてもらったからには続けなければね!
次の絵は、昨夜「バラの観察」。生活科で観察することを学んでいるので、楽しそうに描いている光景をよく見る。


「ユキちゃん、上手やね!」と言うと、最近頻発の返事が返って来る。「本気 出したら楽勝!」と。わーい(嬉しい顔)

観察バラの.jpg実はこの絵はママにプレゼントしたものだが、今朝になって学校へ持って行った。
「先生、昨日バラの観察しました。みんなにも見せてくださいって言うねん」と!(笑)

元祖「固まる君」だったユキに、こんな自発的な芽が出て伸びつつある。学習をこのように楽しく重ねていくユキの姿に感動することしきり。ユキの「楽習」を支援してやりたいと思う。 

先生はクラスの子どもたちに紹介して、「みんなも観察して描いたら持って来て下さい」と仰ったとのこと。(^−^)

夜遅くに帰宅した知子はビックリ!
今朝も連日早朝出社したので知らないからだ。 
そういえば、今日ユキは一度もママに会っていない・・・

名前の「本」が漢字になった!.jpgこれは今日の宿題。漢字の学習はとても楽しいようだ。
「本」という字を習ったので、名前の「ふじもと」が一字漢字になっている。ひらめき 
感動!

昨日は自分で国語辞典を開いていた。
新しい漢字を習うとその字を使った言葉を書くのだが、一緒に考えていてもなかなか思いつかない時もあり、その時は辞書を開く。それを何度か繰り返しているうちに、辞書の使い方にも興味を持ったので小学生用の辞書を購入した。

物持ちの良い私も、さすがに我が子に買った辞書は捨ててしまっていたので、参考のために先生にもお聞きして、JCP例会の日に紀伊国屋書店へ立ち寄り数冊見比べて購入した。ネット時代であっても辞書の引き方が分からないでは困るから。

このように私の日常は宿題を見直してやったり、辞書を調べたりと刺激があるのでボケ予防になってありがたい。

このページの最後は、先日届けてくださった私たちの写真に寄せてくださったコメントを刻みたい。
この写真はJCPのペン友が昨年11月に撮ってくださったもので、これをペン友が今年9月に開催された郡山(奈良)の写真展に展示され、観賞された方が撮影者にコメントを寄せてくださったのである。

「おばあちゃまとおまごさん よく似てらして 思わず微笑んでしまいました」。
長原兄に感謝!.jpg写真には撮影者N兄が、
「ゆきひさ君と優子さん、奈良に育ち成長を祈りて。」
と書いてくださっている。感謝!


「幼な子は、ますます成長して強くなり、知恵に満ち、そして神の恵みがその上にあった」。
                   (ルカによる福音書 2章40節)
ユキも神に祝福されるような成長の日々でありますように!

長浜の友がせっかく奈良の会場を選んでくださったのに、この日はJCPの例会と重なって私は大津へ出かけていた。
ここにN兄(「兄」はクリスチャン男性の呼称)に感謝をこめて記録させていただいた。ありがとうございます!

posted by 優子 at 23:55| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年11月25日

新たなる出会い A −高見敏雄牧師の著書・『ちいろば園と歩んだ25年 ──障がい者と「共に生きる」社会を目指して』−

「緊急提言」の「憲法が危ない」でも多くのことを教えられ、今や日本が戦争前夜の状況であることを、改めて実感と緊迫感をもって理解することができた。

「平和を求める世界の市民と手をつなぐために、あらためて憲法九条を激動する世界に輝かせたい・・・日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、『改憲』のくわだてを阻むために、1人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることを訴えます」。(「九条の会」設立アピール)

「『法の下克上』が始まっております」。

「武力攻撃事態法はかつての国家総動員法に近いものです。1938年、国家総動員法が制定されたとき、100近い法律がつくられ、戦争遂行につながっていったのは歴史の事実であります。この有事法は、こうした危険をはらんでいます」。

「集団的自衛権行使とは、同盟国と一緒になって戦争することです。安倍政権はとんでもないことを決議してしまいました。・・・外国のどこかで戦争状態になれば、後方基地つまり日本全土が攻撃目標になります。
原子力発電所が全国に散らばっている日本です。原発に着弾するようなことになれば・・・」。

「集団的自衛権の行使容認が閣議決定されましたが、これで終わりではありません。反対しづつけなければなりません」。


「憲法九条の会」が見抜き訴えている国民投票のカラクリ。
最低投票率の規定がないため、極端に低い投票率であっても憲法が変えられてしまうこと。教育者の国民投票運動が禁止されており、例えば憲法学者が憲法の講演もできないこと。目立つ罰則規定。
恐怖政治である。知らない事はもっと恐ろしいことだ。

一方、日本の宝である平和憲法を世界の人々も尊び、アメリカではアメリカ人(オハイオ州立大学名誉教授・オーバービー氏)が湾岸戦争終結時に「憲法九条の会」を組織し、「日本の平和憲法は世界のための地球憲法である。世界は日本の平和憲法九条に学ぶべきである」と繰り返しておられること。

そしてこの働きが「日本に移り、『第九条の会オーバー東京」として活動」し、「大江健三郎さんたちの『九条の会』の発足にも影響を与えた」という。

また、スペイン領カナリア諸島の中のラスパルナスという島の広場に、「1994年、カナリア諸島がNATOに加盟したのを機会に、ラスパルナスの市長が平和憲法の精神に感激して(憲法九条の)記念碑」が建てられているという。
確かに「NATOという軍事同盟に加入後に、非戦の精神を表明しているところが興味深い」。

大江健三郎氏は「窮境にある憲法九条を死守するという姿勢で闘っている」。
最後に、脳裏に響く高見牧師の言葉を刻みたい。

「日本国憲法九条は平和宣言であります。旧約聖書『イザヤ書』二章4節と同じ精神であります。わたしたちキリスト者には、憲法九条を守る責任と使命が与えられているように思います。
           (略)
キリストの誕生の時、天使のことばは『天に栄光、地に平和』でした。対立の絶えない地上に平和があるようにと謳われています。

憲法九条の戦争の放棄、武器放棄宣言とは、もう戦争はしませんという、350万人の死者の悲しみの中からの宣言であります」。

そして、「アジア太平洋戦争の犠牲者2000万人のいのちの代償として与えられたもの、そう受けとめることが、いま平和憲法によって守られているわたしたちの責任ではないでしょうか」。


現政治家や大人たちがやっていることを理解できない子どもたちや未来の人々のために、私たちは大きな責任を負っている。平和と健康に生きられる自然環境を壊してはならない。

私は12月14日の衆議院選挙を喜んでいる。安倍首相の暴走に「待った!」をかけることができるからだ。私たちの責任は非常に重い。

大江健三郎氏との親交もあられ、真の信仰者・高見牧師の働きは計り知れないと想像する。
このたび刊行された一冊は、ちいろば園の始まりから発行されていた『ちいろばだより』が2014年9月に200号を重ねた。このたび、ちいろば園創設25周年を記念して、『ちいろばだより』の巻頭言をまとめたものである。

001.jpg今春から当地の「九条の会」の案内をいただいている方と、原発問題で子どもたちの安全のために労してくださっている方に是非本書を差し上げたいと思う。
そのことを師に申し上げた時、これは同じ内容だからと292ページの分厚い本を勧めてくださった。互いの立場は違っていても、「日本国憲法を守るという一点で手をつな」いで改憲反対を叫ぶ方に「喜びの知らせ」をお届けしたい。


posted by 優子 at 11:50| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2014年11月24日

リフレッシュされた晩秋の一日

知子37歳の誕生日を祝う.jpg今日は、今月19日に37歳になった知子の誕生日祝いを兼ねて、6月にマチ、7月のユキ、8月のフー、9月の良輔、そして、10月の私と、家族全員の誕生日のお祝いと神への感謝をこめて、ワシントンのマチ・太志君に思いを馳せつつ食事を楽しんだ。
最近の私は家族の誕生日にも特別な料理を作らず、白いご飯が好物のお赤飯に変わるだけになってしまったから。

先週末から寒さが緩み、朝は1〜5度と低いが20度近くのポカポカ陽気の3連休だった。今月は3週続けて土曜日は不在だったが、ようやくゴルフシーズンが終わって久々に4人そろった。

この日の夕方、知子とユキと私と、そして、毎日退屈し切っているチャッピーも誘って晩秋のウォーキングに出た。夫は休日の朝はいつも長距離を歩いているので不参加だったが、私と知子は久々の散歩だった。

皇帝ダリア.jpgすでに日暮れ間近でピンク色がよく見えないが、皇帝ダリアは空高く大らかに咲いていた。




そして、真紅に色づいたモミジ。

晩秋.jpg


チャッピー走る!.jpgチャッピーも嬉しそう。30分足らずの道のりだったが最後まで元気に歩いた。
ユキ、チャッピーを走らせないで!

そういえば、18日の朝、またしてもチャッピーの大脱走劇があった。

知子がユキを見送り、生ごみを出してくれていた時のこと。私はユキをもう少し向こうまで見送って戻って来た時に、チャッピーが外に出て歩き始めていた。
私は振り返ったチャッピーと目と目が合ったのに、チャッピーは知らんぷりして早足で遠くへ歩いて行くので、私は大声で知子に叫んだ。

この時のチャッピーは若い頃を思い出させるほどの走り方だった。
さすがに老犬なので若い知子が走ると100メートルぐらいで追いついたが、イヌオは知子の手を振り切り、今度は広い車道に出て伸び伸びと下り坂を走り出した。私は知子に綱を渡して家の鍵を閉めに帰った。

まもなくチャッピーは横断歩道を渡るユキたちの登校集団と出会い、「ゆきひさの犬や!」と、数名の子どもたちが口々に叫んだ。ふらふら わーい(嬉しい顔) ふらふら 

ユキは「ママが走って来たから」と、走って来た柴犬がチャッピーだとすぐにわかったそうだ。ユキも咄嗟に捕まえようとしてくれたが、その寸前に知子がつかんだという、チャックンの毛皮を! 

その朝は知子が久々にユキを見送ってから出社した日なのに、朝からエネルギーを消耗させたダメイヌだった。
後日、毎朝のように登校時の横断歩道に立ってくださっているボランティア女性(私と同じような年齢の方)にお詫びした時、「みんなお孫さんの犬だってよく知っているんですね」と微笑まれ、チャッピーが15歳半という高齢犬であることを聞かれて、「いい毛並みだし、歩き方が遅くなるのにねえ」とびっくり仰天されていた。わーい(嬉しい顔)

あの時、チャッピーの黒い鼻が入る程度しか門は開いていなかったというから、かつてのように油断できないイヌオである。わーい(嬉しい顔) わーい(嬉しい顔) わーい(嬉しい顔)

サル.jpg話を戻そう。

今夕の散歩の終わりに公園で披露してくれた鉄棒。

これは「サル」。




ツバメ.jpgこれは「ツバメ」。










飛行機.jpgそして、「ひこうき」










チャッピー健在C.jpg
チャッピー、もう逃げないでよ。

バドミントンA.jpg散歩のあとはバドミントン。









バドミントンC.jpg汗をかくほどエンジョイしたね。









play「ねこふんじゃった」.jpg夜は「ネコふんじゃった」を繰り返し弾いていた。
途中まで弾けるようになって嬉しくてたまらないユキ。



今日は3人で大笑いし、思いもしない楽しい時間を過ごした。
歩いて、バドミントンをして、ピアノを鳴らし、−私は小学校4年生まで3年間ほどピアノを習っていたが全く弾けない― 体だけではなく詰まっていた脳の血管が通ったような感じがするほどリフレッシュされた。

再び始まる知子の過酷な日々、ワシントンのマチ・クマ共に、今週も主が共にいて助け支えてくださるように。家族だけではなく全ての人に神の恵みがありますように。

posted by 優子 at 23:44| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年11月23日

新たなる出会い @ −高見敏雄牧師の著書・『ちいろば園と歩んだ25年 ──障がい者と「共に生きる」社会を目指して』−

今秋9月25日に刊行された高見敏雄牧師の『ちいろば園と歩んだ25年 ──障がい者と「共に生きる」社会を目指して』(四六判・上製 210頁・本体価格1800円)に深い感銘を受けた。こんなに夢中になって読書したのは何年ぶりぐらいだろう。

謙遜で文学とユーモアに富む牧師。何よりも師の説教と人物像が乖離しておらずチグハグでないことに魅かれていた。そして、このたび御著書を通して詳しく知り驚かされた。

師は牧会の働きに加えて、幼稚園の開園にとどまらず福祉作業所をも生み出し、しかも、これを書くにあたり検索して調べてわかったのは、「広陵九条の会」の代表世話人をなさっているとは! その足跡に驚くばかりである。

この書物を通して師の高い見識に基づく学識の豊かさと愛の実践を知り、即刻にしていくつかの点について感化された。

それは主イエスと出会ってコペルニクス的転換を果たした時のような喜びであり、高見牧師との出会いの背後に神の摂理を感じている。
特に、心ない牧師たちに悩み抜いた知子への神の計らいを強く感じる。


先週は右手に赤色のボールペンを持ち、傍らに黄色いカラーペンを置いて時間があれば読んでいた。感銘を受けたところは多々あれど、その中からいくつかを御紹介したい。

まず、養護学校義務制を取り外すことが真の教育改革であるということ。今まで障がい者のことを深く考えてこなかったことを恥ずかしく思う。
まるで精神の盲目だった者が見える喜びを知ったほどの衝撃を受けている。


「障がいを持つ子どもが幼稚園に存在することによって、健常児たちは障がい児の一所懸命な姿に学ぶのです。そして、障がい児もその集団の中で多くの刺激を受けるのです。ここに共に育つ保育の意味があります。・・・・障がい児はその優しさをふりまき、その影響力を発揮しているのです」。
 

また、「養護学校に行った子どもたちもやがては社会に出て、当然『健常』といわれる人々と共に生きて行かねばならないのですが、その時両者とも大切な人間性の成長ができていないために、障がいを持った人はせっかく就職しても周囲の人々から疎外され、孤立し、脱落していく場合が少なくありません。
そして結局障害者は施設の中で保護され隔離されてその一生を送るという図式が出来上がってしまうのです」。


と、視覚障がいを負いながら「共に育つ教育」を目指す実践者青木優氏の言葉を引用して、両者の出会いを損ねてはいけないことを指摘されている。

スウェーデンの統合教育のところでしみじみ頷かされたことは、
「社会ではさまざまな人々が、互いの人権を認め合いつつ共に生きるのが当然であり、それは幼いときから経験しなければ身につかないことだからである、という」。

このことは教育改革にとどまらず実践者ゆえの説得力で読む者の心を揺さぶり、「障がいを持つ人々が教会にいることによって、教会は教会になるというのである」と教会改革への道にも言及され、教会やキリスト者たちに大きな影響を与えたD.ボンヘッファーの、「人は他者のために存在する。教会は他者のために存在する時にのみ教会である。」という意味を理解させられた。

師は文学にも造詣が深く、山本周五郎は愛読作家の1人とお聞きしていたので、クリスチャン・ペンクラブで大田先生(日本文学者)より周五郎を学んだ時にレジメをお渡ししたことがあったが、ここでも国内外の多くの書物が取り上げられている。読書量と多岐にわたる分野に驚く。

例えば『フランダースの犬』についての視点にも目が開かれる思いだった。『フランダースの犬』は孫にも数え切れないほど読んだ私の愛読書ゆえに新鮮な衝撃だった。

「著者は、貧しいものをかえりみることの乏しい社会を痛烈に批判している。
人々が暖かいところに集まって温かい食事をとっている頃、貧しい少年と老犬は冷たい教会堂の石畳で死んでいく。

この状況を描く著者の心は、教会に向けられている。それは貧しい、弱いものをかえりみることのない教会に対する痛烈な批判となっている。現代の教会も、ウィーダの皮肉が向けられる対象になっているのではないだろうか。

イエスの教えに聞いているが、その教えを実践することに乏しい教会の姿を思う。イエスの教えは単純明解、神を愛することと、他者を愛することである
と。

ここに全ての文字を打ち込みたい欲求にかられそうなので、この辺で擱筆して次のページに続けたい。

なお、図書紹介については「ぷねうま舎」のHPより転載させていただいた。アマゾンでも購入できる。
001.JPG■ 福祉作業所「ちいろば園」の四半世紀。創設者の一人として、園の運営に携わる歳月を通して思ったこと、考えたことの記録。障がい者と共に生き、生かされるとは。 

■「自分より良い人間としての子供」(大江健三郎)という言葉を指針としつつ、障がい(児)者に教えられ、生かされた日々。その低い眼の位置から、統合教育の実践的な意義を明らかにし、教育とは、福祉とはどうあってはならないかを考える。

■ 障がい児(者)の「優しさを不可能にする」もの、それは利潤追求と競争原理に貫かれた今日の体制だ。上からの福祉政策や、障がい(児)者・弱者を片隅に追いやろうとする権力の独善を告発する。

目次
序 章  ちいろばの歩み
緊急提言 憲法が危ない
第一章  障がい者と共に
第二章  教育の現場から
第三章  戦いと競争の時代に
終 章  いまキリスト者として

著者紹介
高見敏雄(たかみ・としお)
1933年, 大阪に生まれる.59年, 同志社大学大学院神学研究科修了. 日本キリスト教団浪花教会伝道師,西大和教会牧師, 馬見労祷教会代務者を歴任.2010年, 隠退.
1964年, 愛の園幼稚園設立.67-68年, プリンストン神学校卒業, Th.M.取得.80-81年, 奈良教育大学臨時教員課程卒業, 養護教員免許取得.
89年, 福祉作業所ちいろば園設立. 以来, 理事・評議員として運営に携わる. 90年, プリンストン神学校客員研究員(Visiting Scholar). 2014年, 馬見労祷教会協力牧師.

今夏、次女夫婦が2泊だけ帰国した時の「次女夫婦とのプライスレスタイム B」に、高見牧師が私たちと一緒に思い出の一葉を記録させてくださっている。

posted by 優子 at 22:48| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2014年11月18日

『種を蒔く』校了 ―日本クリスチャン・ペンクラブ関西ブロック例会―

千里ニュータウン教会へ.jpg15日は今年最後のJCP関西ブロックの例会に出席すべく千里ニュータウン教会へ出かけた。

いつもならば南千里(阪急沿線)で下車してバスに3駅乗るのだが、あまりの運動不足でイスに座っていても右足がしびれてくるので歩くことにした。
それにしてもこの日は体調がかなり良かったのだ。写真を撮りながら速歩で16分ほどで教会に着いた。薄手のコートを脱いでアクリルのセーターだけで歩いたが、着いてからしばらく汗が流れていた。

この時期は街路樹のイチョウがとても美しいのでカメラを持参し、左側の歩道を歩きながら何枚か撮りながら歩いた。この写真に見える次の交差点で左折し、坂道を上った突きあたりが千里ニュータウン教会だ。

この日も遠路和歌山からも3名集ってくださり出席者は10名だった。
開会礼拝の東 道男牧師のメッセージ・「健やかな長寿」を拝聴していると、内村鑑三の「年齢を数えるのは罪です」という言葉が耳に聞こえてくるようだった。

ピリピ人への手紙 3章12節〜16節:
「わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとか言うのではなく、ただ捕えようとして追い求めているのである。そうするのは、キリスト・イエスによって捕えられているからである。

兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、 目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。

だから、わたしたちの中で全き人たちは、そのように考えるべきである。しかし、あなたがたが違った考えを持っているなら、神はそのことも示して下さるであろう。ただ、わたしたちは、達し得たところに従って進むべきである」。


詩篇103篇4、5篇:
「あなたのいのちを墓からあがないいだし、
いつくしみと、あわれみとをあなたにこうむらせ、
あなたの生きながらえるかぎり、
良き物をもってあなたを飽き足らせられる。
こうしてあなたは若返って、鷲のように新たになる」。


サムエル記上10章10節:
「彼らはギベアにきた時、預言者の一群に出会った。そして神の霊が、はげしくサウルの上に下り、彼は彼らのうちにいて預言した」。

私たちを創造された神は人に複雑な1400億の脳細胞を与え、更に信仰によって神の恵みや働きに感動して心が掻き立てられると、神の大きな力が注ぎ込まれる。

大人になると脳の神経細胞は毎日何万も死滅する一方で、高齢になっても増殖していることが16年前に脳医学で発見され確認されている。

ただし、人間の脳は暗示にかかりやすく、新たに生まれてくる脳細胞への信頼と呼びかけが大切だ。
記憶力が落ちたとか、思考能力が衰えたというのは実に馬鹿げており、自分で自分をダメにしている。

老化現象に心を捕らわれないで、これからが私の人生が始まるのだと考え、常に人生の目標をもって、言い換えれば希望をもって突進していこう。

信仰心を湧き立たせ、やる気を起こすと脳は活性化し、ドーパミンが放出されて若返る。神の恩寵によるおびただしい脳細胞の芽生えを信じ感謝し、生きがい、若返り、自信をもって健やかな長寿を生き抜こう。

このあと3名の作品講評に続いて、2校後のゲラ刷りに目を通して最終校正に取り組み、教会を出たのは午後6時だった。

私は例会の後も疲れを感じることはなかった。牧師の説教とペン友との交わりを通して豊かに恵まれて心が弾んでいた。

そして、帰りの電車では若い頃のように電車に飛び乗った。
JR鶴橋駅に着いたのは7時30分ジャストで、近鉄電車は31分発とあっては諦めるしかない。40代ならば挑戦しただろうが、次の電車まで20分待つことにした。

とその時、鶴橋に着いて電車のドアが開いた瞬間に1人の若い男性が走って行った。それを見て1〜2秒逡巡したが私も改札口に向かって走り出した。「私」は挑戦する気なのだ。心のスタンバイもしていないのに!

JRの改札口を出ると同時に近鉄構内(駅)だ。改札口近くになって電光掲示板を見ると、一番上の先発31分発の電車表示は既に消えていた。
表示は少し早い目に消えるということを知っていたが、今からではとても無理だ。そこでも再び諦めかけたのにもう一人の「私」は諦めないから、若者に続いて私もプラットフォームへの階段を駆け下りた。さすがに2段跳びは怖くて一段ずつ下りた。

階段を3分の2まで下りたあたりで若者は電車にゴールイン。視野に駅員さんが懐中電灯を振って最後尾の車掌さんにドアを閉めるように合図しているのが見えていた。他にも乗り込む人が続いてくれていれば時間稼ぎになるのだが、誰もいないからダメだと思った。

ついにドアの前まで来た。そこで立ち止まらないでその勢いで乗ればいいのに、怖がりの私は立ち止まってしまった。その時、駅員さんが「はーい、ドアが閉まりまーす!」と言われたので、「ありがとう!」と言いながら飛び乗った。手(チョキ)

乗った瞬間に、立っている人、坐っている人たちの視線が私に集まった。
「声が大きかったんだ。小さく言ったつもりだけれど、ごめんなさい。すみません」と心の中で言いながら空間のあるところへ歩いて行った。私のあとからまだ2〜3人が滑り込んだ。

「お母さん、私はまだこんなことができたよ。」と、私は母に語りかけながらニヤニヤしていた。
母が私の年齢の頃には、進行性難病がかなり進んで歩行困難になっていたから、母をびっくりさせて喜ばせてあげたかった。「お母さんの娘は63歳になってもこんなに元気よ!」と。
席が空いて坐った時、「しかし腰が痛いわ、お母さん」と喋っていた。


駅に着くと、まさか迎えに来てくれているとは思いもしなかったのに改札口近くで「おばあちゃーん!」とユキが駆けて来た。外の窓からエスカレーターで上がって行きた私の姿を見つけて走ってきたのだ。知子は自動車の運転席で待っている。

「おばあちゃん、おじいちゃんのおみやげにおばあちゃんの大好きなフナンシェが入ってるわ」。
「鮒ンシェ? ああ、フィナンシェ? やったー!」
ひらめき

東牧師の言葉が信仰を強めてくれる。
旧約聖書続編「知恵の書」14章3節にあるように、「船を導くのはあなた(神)の摂理。 あなたは海の中にも道を設け、波の中にも安全な小道を造られた。」のである。ギリシャ語の原文は「あなたの摂理が舵をとる」となっている。

神に「生かされている」という一面を忘れないことが大切であり、そのことを覚えていれば不安は消え去る。

今も「摂理」を神学的に意味づけることは難しいが、自分の人生は神に生かされ摂理に守られていることをしっかりイメージし、神様の慈愛と守護に身をゆだねて、自分の船の舵(物の考え方、生き方)をしっかりとって勝利の人生を全うしたいと思う

アーメン!


posted by 優子 at 21:47| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2014年11月16日

恩恵を受けてきた社会に平和と発展あれ!

市民表彰.jpg13日に授与された市民賞の表彰状は、当日中に会社に掛けてきたので私は見せてもらっていないのだが、濃紺の立派な冊子(?)には顔写真入りで次のように記されている。

「多年にわたり、大阪洋紙同業会理事長、大阪卸商連合会理事などの要職にあって、豊かな識見と卓越した指導力により、卸売業界の活性化と繁栄に尽力し、大阪の産業経済の振興と発展に貢献した」。

夫が表彰されるのを聞いたのは、当日の朝に会社へ電話をした時だった。
私たちは日々の務めを果たすのが精いっぱいの生活ゆえに話す機会がなかったのか、あるいは、夫はそれほどに奥ゆかしい人なのか、38年連れ添っていても伴侶の真意はわからない。

昨夜、夫に聞いたところ1ヶ月ほど前に大阪卸商連合会より推薦を受け、大阪市職員の方が来社されたそうだ。

「冊子には『卓越した指導力により』と、すごいこと書いてあるよ」と言うと、「ああいうのには良いことを書いてくれる」と夫。(^−^)

功労には、社会公益功労、区政功労、社会福祉功労、産業経済・消費生活功労、環境・衛生功労、緑化功労、消防功労、教育功労、スポーツ功労、文化功労があり、文化功労者に桂文珍さん、片岡秀太郎さん、豊竹咲大夫さんも受賞されていた。

授与された人たちは当然のことながら年配の方々だ。1人ひとりの働きを読んでいると、どの時代にもあらゆる分野で多くの方々の労苦によって社会が成り立ってきたことを思って目頭が熱くなった。

そして、「私の母もこのような賞を受けて『名誉民生委員』の称号を与えられたんやね」と言うと、夫はしみじみと「そうやなぁ」と言った。


そういえば、紙業界の役員を務めて18年の2010年5月に、大阪府から産業功労賞も受けている
あの時は府知事だった橋下知事から、今回は橋下市長から表彰状を授与された(笑)。ちなみに今日の朝刊第一面の「衆院選に出馬示唆」の見出しが目に飛び込んできた。

これまで数え切れない多くの人々が、人の目にふれず他者に評価されずとも心がけ正しく精いっぱい生き、それらの人々の働きが社会を作り上げてきたことに深い感銘を覚える。

「あなたがたは今まで社会の恩恵を受けてきたのですから、これからはそれを還元していかねばなりません」。
大学4回生の就職ガイダンスで、教務科の先生が開口一番に話されたことが今も鮮明に記憶されている。

それから40年あまりの年月を重ねてきた今、改めて社会に対して深い感謝を覚える。現社会に、そして、次代を生きる人々に役に立てることはないかと思いながらの日々である。

posted by 優子 at 16:14| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2014年11月13日

大阪洋紙同業会理事長を本日退任す

夫は大阪洋紙同業会の理事長を本日13時開催の臨時総会で退任する。また、長きにわたって業界のために尽力したことで商団連の推薦をいただき、午前10時から市長公舎で産業経済功労賞部門で市民表彰される。

「第49回大阪市市民表彰」の産業経済功労賞に名前が記載されている。
 
10月8日に開催された大阪洋紙同業会50周年記念祝賀会の様子を『紙之新聞サイト』より転載し、50周年記念誌に掲載の挨拶文は今月末の記念誌の配布を待って記録したい。

●大阪洋紙同業会50周年 記念祝賀会が盛会
E897A4E69CACE889AFE8BC94E5A4A7E6B48BE5908CE79086E4BA8BE995B7EFBC885EFBC85EFBC89h26_10-thumbnail2.jpg大阪洋紙同業会(藤本良輔理事長)の創立50周年記念祝賀会は10月8日午後6時から大阪市北区の帝国ホテル5階「八重の間」で開催された。

会場入口に卸商道徳の原点である「大商会商道訓」が掲示された。大洋同は昭和27年8月26日発足の大商会、同年10月17日発足の板紙親友会が発展的に解消し、合同して昭和39年7月27日に設立され、現在に至っている。

「大商会商道訓」は昭和33年6月12日に制定された。制定当時の大商会会長は高田洋紙店(現高田)の石井繁夫氏で、大洋同初代会長にも就任した。この商道訓は後に昭和35年5月14日、日本洋紙商連合会において、一部字句訂正の上採択され、「卸商商道訓」となり、現在に生きている。共存共栄の精神を柱に紙卸商の商売の基本について示している。

主催者代表で藤本大洋同理事長(美濃紙業社長)は、「同業会は東京オリンピックが開催され、東海道新幹線が開業した昭和39年に大商会と板紙親友会が合併し、100社で発足。高度成長期の昭和55年には139社とピークを突いた。しかし1990年にバブルが崩壊し、2008年のリーマン・ショック、2014年の東日本大震災と激震が続いた。

最近は少子高齢化、そしてインターネットの普及で電子化が進み、ペーパーレスが進んでいる。同業会は現在66社でピーク時に比べ50%を下回った。世代もわれわれ2代目から3代目に交代しつつある」と過去からの流れを説明。

さらに、「今年4月に消費税が引き上げられた反動で需要が落ち込み、在庫が積み上がっているが、メーカーは減産を強化し需給バランスをとることで対処している。一方、卸商の中には市況が乱れているなか、安く売って拡販しようとする動きがある。大阪市場もその影響を受けて、価格を下げて売らざるを得ない状況になっている」と警鐘を鳴らした。

「卸商は何とかこの業界で残りたいという気持ちは強い。数量が落ち込んだなかで経営ができるような体質に合理化するなり、経営改革をすることに取り組むことが大切だと思う。その上で卸商の本分に立ち返り、やるべきこと―単に価格だけでなしに、顧客からの相談に応じた紙を提案できる営業マンを育てることが大切と思っている。

そういう意味で、同業会の意義が問われている。昔は親睦的な意味合いでスタートしたが、今はそのような時代ではない。我々は組合員の方々にやはり情報を正確に伝達していくことが大切。また、メーカー、代理店にものを言うときは、やはり団体として話をしていくこと」と、協調すべき時は結束をと訴えた。

昨夜、知子と祈り合い、祈りの冒頭で聖書「イザヤ書40章28節〜31節」を拝読した。その御言葉を夫にも贈りたい。

「あなたは知らなかったか、
あなたは聞かなかったか。
主はとこしえの神、地の果の創造者であって、
弱ることなく、また疲れることなく、
その知恵ははかりがたい。

弱った者には力を与え、
勢いのない者には強さを増し加えられる。

年若い者も弱り、かつ疲れ、
壮年の者も疲れはてて倒れる。

しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、
わしのように翼をはって、のぼることができる。
走っても疲れることなく、
歩いても弱ることはない」。

祈りのあと知子は午前1時まで仕事をしていた。
神が知子の霊性と健康を強め支えてくださるように!
夫の上にも大いなる神の導きを祈ります。

posted by 優子 at 08:53| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2014年11月11日

ユキは「さんすうにんぽう」挑戦中

先のページに続いて最近のユキのエピソードを: 
▼10月頃からよく口にする言葉が2つある。

その1つは「むり(無理)」。これは友達の影響だ。
例えば私が「〜やってしまいなさい」と言うと、「むーりー」と歌うように言う。
そして「超」の連発。これはユキオリジナルだそうだ。
例えば「超 超 超 超 超 かんたん」と言う。いつか私がユキに「ユキは超超超 にぶいわ」と言うと、「おばあちゃんのほうが超超超超超超 にぶいわ」と言い返されて、一度だけ本気になって言い合いになりかけた。わーい(嬉しい顔)

▼只今数え方に挑戦中。

014.jpg漫画の「忍たま乱太郎」気分で「さんすうにんぽう」に挑戦中。子どもの動機づけに上手な導入だ。

まず「10飛び」で「100」まで言えたら「見習い忍者」で、「5飛び」、「2飛び」、「逆10飛び」、「逆5飛び」と続き、最後が「逆2飛び」で「伝説の忍者」になる。

これは敢えて宿題になっておらず、できるようになれば自主的に給食後の昼休みに先生に聞いてもらうのだが、低学年からなかなか良い教育法だと思う。

強迫的に必死にならずにのんびりやっているが、すでに1人の女の子が伝説入りしているので少し刺激になっているようだ。その一方で挑戦しない子がいるらしく少々気にかかっている。

子供の忍者だ!.jpgそして昨日、「今日ユキも挑戦する」と言って登校したので、帰宅した瞬間に聞いた。
「ユキ、伝説の忍者になった?!」
惜しくも不合格。
というのは、「100、98(きゅうじゅうは)、96(きゅうじゅうろ)」と言わねばならないのを、「きゅうじゅうはち、きゅうじゅうろく」と言ったからだ。そういえば、「2飛び」は「ろ、は」だった。
「でも言い方に意味はないよね。要するに集中力を鍛えているわけだから先生に異見すれば?」と言ってしまったが、教育上良くないので撤回した。

「ユキがんばってね」と言うと、「勉強は競争ではないから」といつか私が言ったセリフを言った。ちっ(怒った顔) わーい(嬉しい顔)
残念ながら今日は先生に時間がなくてチャレンジできなかった。こういう時も間々ある。

暗記はこれだけではなく国語もある。まどみちおや谷川俊太郎の詩など、特に「オノマトペ」(擬音語や擬態語)が多いのも日本語の特色であるから重要なのだ。
明日はそれも言いに行くそうだが、明日は職員研修で給食後一斉下校だからできない。

2学期も早半分以上が過ぎた。国語の教科書も運動会が終わった頃から「下」に入っている。教科書は昔と違って絵本のように大判だ。
「クジラ雲」音読中A.jpg

絵も話もステキな「クジラぐも」は知子も習ったと言う。
「くじらぐも」音読中@.jpg

003.jpg 
大好きな漢字の宿題をやっているところ。すごく賢そうに見える。
そういえば先日、大田先生がユキのことを利発そうな顔をしていると仰ってくださっていたが、どうかな? 上手に伸ばしていってやらねばね。ユキが成長していくのを見るのはとても楽しい。
更新日を10日から11日に変更した。

posted by 優子 at 22:20| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年11月10日

ママおもいのユキ

昨日の教会バザーで終了時間に近づいた頃、「おばあちゃん、ママにプレゼントしたいからどれがいいか見て!」と、ユキが2階の寄贈品売り場に熱心に誘ってきた。

バザー2014A.jpgその30分ほど前にもママへのプレゼントを買って見せに来た。手づくりのストラップだったがママはどうかなあ・・と言ってしまったものだから返品してきたという。ふらふら


今度はママに服を買うから見てほしいと言い、リサイクルの古着売り場へ行った。
「おばあちゃんは服を選ぶのは苦手だし」と言うと、「ママはおばあちゃんの子どもやからママがどんなのが好きか知ってるやろ?」と熱心に語りながら2階へあがって行った。

「これどう?」
値札を見れば10円だった。わーい(嬉しい顔)
「う〜〜〜ん。どうかなあ・・」
「じゃあこれはママに似合う?」
まるで服売り場の店員さんのように、上手に次々とハンガーにかけた服を出してきたからおかしかった。結局服は買わなかったが、お客さんのいなくなった小物売り場を再度見ていた。ユキはママおもいの優しい子。胸が熱くなった。

バザー2014D.jpgこの日、ユキは「おはぎ」と「炊き込みご飯」係。
どれも200円だったので計算しやすかったはず。
でもまだ100以上の数は習っていないし、一ケタのクリ上がりの計算しかならっていないから難しかったかな?

バザーで役立った算数.jpg(→)お金を数えているようだ。
ご一緒のお姉さんは高校教師で音楽を教えておられ、今朝の礼拝で奏楽のご奉仕をしてくださった。

奥にはどこかで見た人がいる。
ユキのおじいさんだ。
東日本大震災で被災された白石教会の支援コーナーで、温麺(うんめん)と井上牧師が作られた御言葉入りの絵はがきの売り場に立っている。
玄関の売り場には、数々の新鮮な野菜、お米、富有柿、ゆず、パンジーやビオラが並んでいた。

最後に今日の「ママ、あのねノート」より。
これは夏休みから始めた「ゆきとままのなつやすみにっき」で、今では週に1〜2度くらいだが今も続いている。

ママ、あのねノート.jpg

posted by 優子 at 22:07| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年11月09日

「主にあって喜びなさい」 −豊かに恵まれた説教とバザーの交わり―

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである」。    
(テサロニケ人への第1の手紙 5章16節〜18節)

パウロは「いつも喜んでいなさい」と言うが、我々は自分の苦しみを積極的に喜ぶということはなかなかできない。

パウロの苦しみとは「コリント人への第2の手紙」11章23節〜29節であり、ここは「苦難のリスト」と呼ばれている。

「・・・苦労したことはもっと多く、投獄されたことももっと多く、むち打たれたことは、はるかにおびただしく、死に面したこともしばしばあった。

ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある。

幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。

なおいろいろの事があった外に、日々わたしに迫って来る諸教会の心配ごとがある。
だれかが弱っているのに、わたしも弱らないでおれようか。だれかが罪を犯しているのに、わたしの心が燃えないでおれようか」。


これらの経験をしたパウロが「いつも喜んでいなさい」と言うのだ。ピリピ人への手紙(4章4節)では「主にあっていつも喜びなさい。」(4章4)と言っている。

「主に在って」は、新共同訳聖書では「主に結ばれて」と記されている。即ち「イエス・キリストの十字架を信じて」ということであり、「主の教えの中で生きる」ということだ。

それはイエスの誕生から始まり、イエスの誕生、死、復活は恵みになった。その恵みに押し出されて生きる。恵みによって生かされており、恵みによって行動している。

財産も地位も知識も全てを失ったけれど、それらは糞土のようなものだ。失うことによってイエス・キリストを知ることができた。キリストの十字架と復活によって主に在る喜びに変えられている。

私たちは神さまによって愛されている。この喜びをもっていつも生きていきなさいと言うのがパウロの教えたことである。
聖書を信じることは神の言葉として聖書の言葉を受け止めるということであり、クリスチャンは生きた神の言葉として信じているのである。

従って現実の生活が苦しくとも、死別の悲しみの中にあっても主の慰めと励ましがある。パウロは自分の受けた苦難や悲しみが、必ず「主にある喜び」に変えられることを確信していたから「主にあって、いつも喜んでいなさい」と教えることができたのである。

最後に、水野源三の詩を紹介したい。
水野源三の信仰はすごい!

源三は子どもの時に赤痢の高熱で重度の脳性麻痺になり、唯一の意思伝達法である瞬きをとおして綴られた多くの詩がある。
その中からひとつ。
ありがとう

物が言えない私は
ありがとうのかわりにほほえむ
朝から何回もほほえむ
苦しいときも 悲しいときも
心から ほほえむ

親しいドイツ人宣教師はいつも" Keep smiling!"(微笑み続けてください。微笑み続けましょう)と言われ、挨拶の言葉にしておられた。

今朝はいつもより1時間早く始まった礼拝の後、礼拝堂と2階を会場に11時からバザーを開催した。私たちは昨年3月から今年5月まで当教会を休会していたので2年ぶりのバザー参加である。
(ただし、知子は欠席し家で仕事と休憩。昨夜も11時過ぎの電車で帰宅して、その後も仕事をしていた。)

今日はあいにく冷たい雨の日だったが、教会員一同が心を一つにして「心から体を動かし心を用いて」お客様を迎えた。今年も高見牧師はずっと台所で喫茶のコーヒー係をしてくださっていた。

そして、バザーの後片付けと掃除完了後、高見先生のお祈り、そして、皆で高見先生が点ててくださったおいしいコーヒーで感謝の乾杯をした。

そのお祈りで詩篇133篇1節の聖句を語られた。
私もまたずっと心にこの御言葉があった。礼拝の初めからずっと愛する兄弟姉妹、神の家族を体で感じていた。この写真をデスクトップの背景に設定し、どうしてもブログにも記録しておきたいので、高見先生以外は恐縮しつつお顔を消させていただいた。


麗しき光景A.jpg麗しき光景@.jpg

「見よ、兄弟が和合して共におるのは 
 いかに麗しく楽しいことであろう」。
           
                           (詩篇133篇1節)  
イエスは言われた。
「わたしはもうこの世にはいなくなりますが、彼らはこの世に残っており、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに賜わった御名によって彼らを守って下さい。それはわたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります」。     
(ヨハネによる福音書17章11節)

これは主イエスが地上の生涯を終える前の決別説教で語られた言葉だ。イエスは私たちが一つになるように切に望んでおられるのである。私はずっとこの御言葉と共に神のご臨在を強く感じていた。

この麗しい光景をご覧になっている主イエスの喜びだけではなく、無牧(牧師がいない)になった教会をずっと支え導き続けてくださっている高見先生の喜びを感じた。

そして今年3月に無牧になってから、高見牧師と共に教会を守り続けて来られた教会の方々にも今まで以上に深い感謝がこみ上げ、感謝できることをも感謝した。

私たち教会員は、信仰の父親のごとき存在である高見先生の御愛労を決して無駄にしてはいけない。


今年もいよいよ暖房が入った。
まもなく長い冬に入る。

                
posted by 優子 at 20:25| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2014年11月08日

神の呼びかけに応えて生きる

「神に求められて神を求める。これが私の信仰である。信仰とは神に求められている自己を見いだすことである。

イエスが弟子たちに向かい、『あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである』(ヨハネによる福音書15章16節)と仰せられたのがそれである。

神の選びということは、信仰が人から始まるものでなく、神から始まるということである」。
   
                   (浅野順一著『詩篇解釈』上巻)

八重桜の秋.jpg

ここからは23:59追記:
今日は上記の言葉を刻んでから溌剌とした気分で出かけたにもかかわらず、電車で席を譲られてしまった。もうやだ〜(悲しい顔) しかも私より2〜3歳しか違わない方に! 今回で2度目だと思う。

さて、日本クリスチャン・ペンクラブ関西ブロック発行の『種を蒔く』第2号をクリスマス前に間に合わせるべく、今日の午後、3名で大阪府守口市の印刷屋さんを訪ねた。今回から私も同行させていただくことになった。

この日に先立って大田先生が編集してくださり、90枚(180ページ)ほどにも及ぶ原稿をコピーして3名の編集委員に送付してくださり、すでに初校を終えている。

それは膨大な作業だ。
編集、そして、90ページを4人分コピーして組み、初校したところを直してくださり、それをまた再度コピーして送付してくださっている。

それだけではなく、先月の編集会議後早々に千里ニュータウン教会に出向いて表紙の写真の手配してくださった。私はその行動力と労に驚いている。

しかも私は「ウィンドウズ7」で指定の字数と行数に設定できなくて、また、「インデント」が入ってしまったのもあり多大な手数をかけてしまった。そもそも「インデント」が何のことであるかを知ったのも先月の編集会議だった。

その上に初校の誤字脱字を大学の名誉教授が直してくださるというのだから、本当に心苦しくて勇気が要った。もはや「パソコンは苦手で」などと言ってはおられず、自らの努力なしではすまされない。

この5年余り、孫の世話で探究心沈滞で時間があれば休憩するばかりで、すっかり怠け者になってしまった。そんな私の心を激しく揺さぶられ、言葉では言い表せない感動と意欲を感じている。

今より再び作品論か、あるいは何かテーマを決めて評論を書きたいとの思いも起こされている。やり始めようと思う。

次週15日(土)の例会(会場は千里ニュータウン教会)では各自ゲラ刷りに目を通してもらい、それを大至急印刷屋さんへ返送して訂正後本刷りにかかってもらうことになった。

執筆者の手に届けたい「デッドライン」(印刷屋さんの言葉)は12月10日、遅くとも13日には間に合わせてくださるのでクリスマスプレゼントに間に合う。

12月14日の礼拝は西大和教会で捧げ、大沢牧師や数名の方々にご挨拶してこようと思う。

附記:今日は京橋駅(環状線)で迷ってしまった。
京橋は当地へ移ってから1年間、父が入院している大阪の病院へ通い始めた帰りに食料品を買うために何度も途中下車していた駅だ。

いつも利用していた出口名を知らなかったため、方向音痴ゆえに前か後ろかもわからなくて同じ方向に行く人に同行させてもらった。

京阪電車も10年に一度ぐらいしか乗らないから緊張してプラットホームへ。守口市駅の待ち合わせの改札口もわからなくて、プラットホームを端から端まで2往復してようやく着地。その後も心配で周辺をウロウロしていた。

帰りの電車では環状線の切符が見当たらず2度も払うことになった。ぼんやりし過ぎ。脳は大丈夫だろうか。

posted by 優子 at 09:39| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2014年11月02日

召天者記念礼拝:「水晶のように輝くいのちの水の川のほとり」

今朝の礼拝堂の講壇前には召天された40数名の遺影を並べ、ご遺族の方々も一緒に召天者記念礼拝を捧げた。

礼拝後、自動車で5分ほどにある墓地へ移動して墓前礼拝にも出席した。私たちが馬見労祷教会墓地に行ったのは今日が初めてである。高見敏雄牧師が私たちの自動車に乗ってくださり嬉しかった。すぐ近くにナガレ山古墳に似た古墳が見えた。

時折々に先に召された家族を偲び、教会においても毎年かかさず記念して偲ぶキリスト教こそは、先祖を大切にする宗教だと思う。私も教会の墓地に葬られたいと願っている。

今日は血圧が高くて不調にもかかわらず、まるで30代の知力冴えわたっていた時のように、高見師のメッセージがしっかりと脳裏に記憶されるのが分かった。

以下は「水晶のように輝くいのちの水の川のほとり」と題して語られた牧師のメッセージを聞き書きしたものである。
これがキリスト者の死生観である。是非お分ちしたい。

待降節に先だって天上に召された聖徒たちのことを考えてクリスマスに向かっていくという、カトリックの影響を受けてプロテスタントでもこの時期に召天者記念礼拝を捧げるようになった。

プロテスタント教会において、「死」は「永眠」と言うよりは神さまの御許に呼ばれること、召されることである。
我々は日常の言葉として「亡くなる」という言葉を使うが、「亡」とは「亡(滅)びる」ということであり、こんなに寂しいことはない。
確かに死は肉体の滅びであるが、神に召されたという意味をしっかり受け取らねばならない。

聖書の立場に立って神が招いてくださった、呼んでくださったという理解をしっかりと持つことだ。その考え方が「ヨハネの黙示録」にしっかりと記されている。

黙示録は1世紀のローマの圧政に耐えているキリスト者たちを励ますために書かれたもので、そのハイライトが21章であり、申し合わせたわけではないが葬儀式で読まれるのが21章である。ここに大きな慰めの言葉が宣言されている。

21章16節以下には、迫害に遭って苦しんでいる人、殉教にあった人々のために書かれてある。しかしこれは1世紀末の人々のためだけではなく私たちのためにも書かれている。

天上には不安はなく、ただあるのは平安である。
地上に在る時にはさまざまな不安や病気を経験し、1人ひとりに劇的な生活があったことであろう。しかし、病気で死を迎えた人も天上では病気は癒されて平安の中に生きている。

召された方々は「神のしもべ」と呼ばれ「神を礼拝し神のみ顔を仰ぎ見る」と記されており、その方々の額には「神の名が記されている」と聖書に書かれている。即ち、神の持ちもの、神の所有とされている。

地上での死の別離には涙、涙の連続だった。家族の死の直前の姿を思い出すと涙が出るが、神の国に召された方々は21章4節、( (神が)人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。) にあるように、天上にあっては平安と恵みに満ちた中にある。

私たち地上に残されている家族は、このことを知らされて大きな慰めを覚えることができる。だからいつまでも泣いているのではなく、聖書の御言葉を信じ、天上にある平安を私たちのものにするべきである。

これから歌う聖歌687番は神の世界に在る平安、嬉しさから作られた讃美歌である。このことをしっかり心に刻みたいと思う。召された方々が世に在った日々を偲びつつ。

聖歌687番・「まもなくかなたの」は、知子と真智子も小学生時代のCSで何度も歌った歌であり、私にとっては幼かった娘たちのことを思い出す懐かしい歌だ。

その頃一度だけ子どもたちと自転車で午前6時から始まる早天祈祷会に3人で出席したことがあった。真智子が小学校1年生、知子が4年生の夏休み(?)だったと思う。知子は覚えていたが真智は覚えているだろうか。

その時の出席者は小山恒雄牧師以外は高齢の男性1人だけで、その方が子どもたちが来たことを喜んでくださり、「今日は子どもさんがいっしょだから『まもなくかなたの』を歌いましょう」と言われたことが昨日のことのように思い出される。
その方は放出(はなてん)教会草創期からの信仰者で、この1年後ぐらいに召されなさった。

知子は今日の召天者記念礼拝の奏楽を務め、知子の奏楽でこの聖歌を歌ったことに時の流れを思う。

「まもなくかなたの」聖歌 687番
"Shall we gather at the river"

まもなくかなたの ながれのそばで
たのしくあいましょう またともだちと
神さまのそばの きれいなきれいなかわで
みんなであつまる日の ああなつかしや

すいしょうよりすきとおる ながれのそばで
主をさんびしましょう みつかいたちと
神さまのそばの きれいなきれいなかわで
みんなであつまる日の ああなつかしや

ぎんのようにひかる ながれのそばで
おめにかかりましょう すくいのきみに
神さまのそばの きれいなきれいなかわで
みんなであつまる日の ああなつかしや

01yuri2b.jpgよいことをはげみ ながれのそばで
おうけいたしましょう たまのかむりを
神さまのそばの きれいなきれいなかわで
みんなであつまる日の ああなつかしや

ヨハネの黙示録22章1節〜5節
「22:1御使はまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。この川は、神と小羊との御座から出て、
22:2都の大通りの中央を流れている。川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。
22:3のろわるべきものは、もはや何ひとつない。神と小羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し、
22:4御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名がしるされている。
22:5夜は、もはやない。あかりも太陽の光も、いらない。主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する」。


posted by 優子 at 23:38| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2014年11月01日

三浦光世氏(妻は三浦綾子)召天

「モニターに現はるる搏動の 刻々に弱まりて妻が死にゆく」
これは妻(三浦綾子)が息を引き取るさまを詠んだ三浦光世氏の歌である。
image.jpgその光世氏が召天されたとの報を知った。
「三浦綾子の夫であり、三浦綾子記念文学館館長の三浦光世氏が、30日午後9時46分、敗血症のため北海道旭川市の旭川リハビリテーション病院で召天した。90歳だった。共同通信などが伝えた」。

10月30日といえば私の誕生日であった。
『クリスチャン・トゥディ』トップ記事を見て衝撃が走り、今も動悸が治まらない。全てのわざを無し終えてとうとう逝かれたかと、知人だったわけでもないが万感胸を熱くする。

1999年10月12日に三浦綾子さんが召天され、その後光世さんは全国の教会を回られて講演なさった。

2000年秋だったと思うが、母教会の放出教会(東大阪市)で三浦光世氏の講演をお聴きしたことがある。何気ない顔で駄洒落を連発されるおもしろい方だった。その時に「赤とんぼ」を独唱されたのを記憶している。

「これからの私は、綾子の生き様を常に想って、綾子の喜ぶような歩みを続けたい。何よりももっともっと神の愛、神の力、神の恵みを信じ続けていきたい。キリストの言葉を、もっともっと深く学び直していきたい」。

妻の召天後、各地での講演に出向きながら書物も出版された。
『三浦綾子の文学』(久保田暁一著)によれば、『死ぬという大切な仕事』『綾子へ』『三浦綾子創作秘話』『希望は失望に終わらず』、そして、『三浦綾子作品選集』の解説など多くの仕事をこなされてきた。

光世氏の存在がなければ三浦綾子文学は生まれなかった。
日本クリスチャンペンクラブ関西ブロックでご指導いただいている久保田暁一先生は、三浦綾子の評論で著名な方で綾子氏と100通もの手紙を交信され、光世氏とも親しくされていた方だから深い淋しさを感じておられることであろう。

これでご夫妻共に地上から姿を消されたというのはまことに淋しいことである。私もまた持ち時間を本当に真剣に有意義に用いなくてはならないと思う。
以上、知子が明朝の召天者記念礼拝で務める奏楽の練習を聞きながら記した。

附記:以下は綾子氏召天10年後・2009年11月21日の「『主の山に備えあり』―三浦光世氏の証し―」より抜粋:
口述筆記で妻を支えた夫、三浦光世氏は次のように語られた。
「綾子は自伝を書きたいと思っていた。
『道ありき』は『塩狩峠』と並行して書いた作品で、大変よくできていた。TVの画像でも見ながら描写しているなと、(傍で)見ていて思ったことがある」。

光世氏が闘病中の綾子さんを見舞ったきっかけは、「光世(みつよ)」を女性の名前と間違われて、綾子さんを見舞うようにと派遣されたことに始まる。
綾子さんの第一印象は大きな目だったと語られ、テレビに映った若かりし頃のお二人の写真に私は目を細めた。

「綾子に、『聖書の好きなところを読んで頂けませんか』と言われて、ヨハネ伝14章1節を読みました。ここはまことに酷な内容でした。葬式の時に読むところでした。

次に讃美歌を歌って欲しいといわれて、葬式によく歌われる讃美歌(主よ、みもとに近づかん)を歌い、聖書を読んだので、どうぞお帰りくださいと言われても仕方がなかったのですが、綾子はそういう縁起をかつぎませんでしたが、後年、変わった人だなあと思ったと言いました。

私はとにかく治してほしいと思ったので、神さまの全能の力でもって堀田綾子さんを癒して下さいと何度も祈リました。

すると、聖書でキリストが弟子に語った言葉、『おまえはわたしを愛するか?』という言葉が妙に迫ってきました。
結婚しなければいけないのかなあ・・・しかし、そういう愛は私にはないし・・・と困ったような思いになりました。そのような祈りをクドクドと祈っていましたが、そのうち平安になりました。そして、『一生愛する愛を下さい』と祈りました。

綾子に、『来年も来て下さるでしょうか?』と聞かれました。
『いや、来年は二人で一緒にお父さんとお母さんに挨拶に参りましょう』と言いました。それがプロポーズでした。

そして、1959年5月24日に結婚しました。
家は九帖一間でしたが、私達は一言も苦情を言ったことがありませんでした。

40年の夫婦の歩みの中で、三浦綾子記念文学館が開設されました。77歳の生涯を終えて、召天から10年過ぎました。

『主の山に備えあり』のみことばのとおり、(神さまから)いろいろ備えを頂いたなと感謝して今日まで来ました」。
アーメン。


posted by 優子 at 12:09| 神(聖書) | 更新情報をチェックする