2014年12月30日

「人生の意味を知っている者として生きる」 ―『種を蒔く』2号掲載文より B ―

人生の意味を知っている者として生きる

                  
「老人祭り」とは何というデリカシーのない命名であろう。毎年「敬老の日」を前にして、市の福祉センターで「老人祭り」が催される。

期間中は毎日5つの老人会から約200名が集い、それらの地区の民生委員は抹茶係を務めることになっている。その日はゲームやカラオケ、踊り、将棋などを楽しみ、センターに併設されている温泉に入って終日楽しく過ごすのである。

そんなある年の「老人祭り」のこと、早くから来ていた老婦人が寂しそうに座っておられたので声をかけた。すると初対面の私に唐突に家庭のことを話し始められた。

私はずっと老婦人の膝をなでながら、神さまにこの方を慰めてくださるように祈りながら聴いていた。

ようやく話が一段落したので慰めの言葉をかけた時、老婦人の目から涙が溢れ、堰を切ったように再び切々と話し続けられた。私は胸をえぐられるような気持ち聴いていた。

「嫁は『あんたの世話はでけへん』とはっきり言いはります。・・・私は3秒でも立ってられへんので、家の中でもこれ(歩行器)を使ってるから、見るたびにうっとうしい顔をしはる。

せやから廊下に手すりをつけたいけれど反対しはるねん。私が死んだら家を売りに出す気やろな。せやから家に手を入れたくないんやな。・・・

毎日顔を見るたびに『死ね、死ね』と言われてる人もいてはる。それも嫁ではなく実の娘に言われている人もいてはる。せやから私はまだましや。そう思うて耐えてます」。

これはどこかで聞いたことがある話だった。いや、母の悲しみを思い起こさせる痛みだった。

母は60歳を過ぎた頃に脊髄小脳変性症を告知された。これは小脳が委縮していく進行性の難病で、食べること、歩くこと、話すこと、書くことなど全てが不能になる。

最も悲惨なのは、思考力と感情が残っているのに意志を伝達するすべがなく、かろうじて瞬きで「はい」と「いいえ」を伝えるのみ。

歩くことはもとより食べることも話すことも、全てが当たり前と思っていたことがどんなに素晴らしいことであるか! 医師が言われたとおり、神経難病はこの世の地獄だった。

かたや、健康を与えられ、経済的にも順境にありながら感謝の心なく、絶え間ない不平を糧として生きている人びとの存在が私を苦悩の底に追いやった。

母と同じ昭和元年生まれの敬愛する姉妹は、「神さまは優子さんに多くの人々のいろんな生き方を見せ、語ってくださっていたのですね」と言われたが、その年月は私と神さまとの闘いの日々だった。

母に続いて4年後に父も召され、10年以上に及ぶ百戦錬磨の年月の果てに辿りついた境地は、「人は自分の蒔いたものを刈り取ることになる。」という真理だった。

私が通らねばならない狭き門を通り抜けた時にわかったことは、あの人がどうのこうのではなく、神の真理は徹底的に主体性の論理であるというものだった。

と同時に、他者を思いやれないこと自体が喜びのない重い鎖を引きずって歩いているではないかと悟った。

たとえ回復不可能な病いを負い、生きることが闘いの日々であろうとも、人の真心がわかり、人との豊かな交わりの中で感謝して生きられるということが、自分の生き方を刈り取っているではないかと、神さまが納得させてくださったのである。

母と父の晩年は悲しみと苦しみの年月であったが、そこを通らなければ解らない真理だった。

かくして他者の苦しみに対していかに共感的理解を示し、手を差しのべる事ができるか。このことが真に成熟した人間であり、それを求めて励むことが生きるということなのだと受容するに至った。

私にとって40歳になるまで死は無限の彼方にあったが、60代になった今は身近な存在だ。私は主の恵みの中で愛を育み、感謝の日々を重ねていきたいと切に願っている。

「人生の意味を知らない者のようにではなく、
 むしろそれを知っている者として、
 しっかりと責任をもって生きなさい」。

          (エペソ人への手紙 五章一五節)
                    (2013年9月)

この境地に至ったのは今から15年前のこと。以来私は大きく変えられたが、状況(環境)は変わらず、時として耐え難き時があり、あまりにも自己を省みない人々が理解できなくて苦しむのである。

年末年始の休みに入って早3日経ち、ようやく今、新年早々の礼拝奏楽の練習を始めた知子。前奏曲に選んだ「主の祈り」、讃美歌・・・それらが私を神のみもとに導き心安らぐ。

そのうちの1曲、453番(『讃美歌21』)の歌詞を私に聴かせてくれた。私もこの讃美歌は知らない。

1 何ひとつ持たないで 私は主の前に立つ。
  主の恵みがなければ ただ死ぬ他ない命。
  あなたが約束する 未来 待ち望む私。

2 たとえ疑い迷い、無気カになる時にも
  あなたの愛の御手が 私をとらえ続ける
  よろこびのみ国へと 導かれる日はいつか?

3 慰めの御言葉と 日ごとのパンを備えて、
  私を主はかえりみ、平和の道を歩ませる。
  祈りを聞かれる主よ、あなたは私の命。

アーメン!
主よ、感謝します。
知子を感謝します。
今年もまもなく暮れる。

posted by 優子 at 21:57| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

2014年12月29日

「神の奇跡の中を往く ― 長女の『出エジプト』―」 ―『種を蒔く』2号掲載文より A ―

昨日の記事に関連して、日本クリスチャン・ペンクラブ関西ブロック出版・『種を蒔く』に掲載された、「神の奇跡の中を往く ― 長女の『出エジプト』―」を公開させていただきたい。

神の奇跡の中を往く ― 長女の「出エジプト」―

2009年春、長女は心身を病んで静養のために実家へ戻って来たが、翌年1月に調停離婚した。

同年10月、健康はまだ不十分ながら洋紙卸業を営む父親の会社に入社し、新たなる一歩を踏み出した。娘は当時の心境を教会報に次のように書いている。

「この消えぬ過去・辛い現実を主はどう用いられるというのでしょう。その事も未来への恐れも主に委ねたいと思います。全ての道に主を認めるなら、主は必ず私と息子の人生を導き、いつかこの心の傷も完全に癒されると信じます」。

そして、2012年2月から取締役(正しくは執行役員)として経営改革に着手した。全てが電子化される時代にあって紙業界の経営は厳しく、どうしてこんな時にと嘆きたい時もある。まるで湖上を歩くペテロのようで、周囲に目をやれば立ちすくんでしまう状況だ。

娘はイエスさまから目を離さないで信仰を働かせ、心をこめて最大限の努力を積み重ねている。「今日も不思議なことがあった」、「今日も神さまが助けて下さった」と試練を越えていく娘の姿は、さながらユダヤの民を率いてエジプトを脱出するモーセを想起させる。

娘が常に口ずさむ" When you believe " (あなたが信じる時)は、マライア・キャリーとホイットニー・ヒューストンが1999年のアカデミー最優秀主題歌賞を受賞した曲だ。

娘はその歌詞にひかれて輸入盤のCDが発売された時に買ったという。11年経った今も諳んじて歌うこの歌は、聖書の『出エジプト記』を題材にして作詞されたゴスペルソングだった。

娘は今この時にそれを知りえたことと、はるか前に心惹かれていたことの不思議さに驚愕して次のように証しした。

「新たなる一歩を踏み出した時、私の祈りが聴かれるという確信は持っていなかった。あの時はかろうじて信じられる程度の希望しかなかった。でも、いつも祈り続けてきた。

その間にも強い不安や恐怖を感じることもあり、私たちは何と簡単に恐れに押し潰されて失望してしまうことだろう。祈りが神に届いていないのだろうかと思う時もあった。しかし、神さまはいつも私の祈りを聴いてくださっていた。

苦しみや恐れによって信仰が萎え、希望や神さまの示す道が見えなくなってしまっていた時も、神さまは微かな声で、しかし、力強い声で、『失望しないで。希望は、助けはすぐそこにあるのだよ』と語りかけてくださった。

時には先回りしてまでも、一緒になって大きな山々を動かしてくださっていたことがわかる。

将来どのような奇跡が実現するのか誰にもわからないけれど、神さまは必ず最善の時に神さまの方法で私たちの祈りを聴いてくださるということを、この目で見なくても堅く信じることができるようになった。だから恐れの中にある時でも私の心は平安で満たされている。

『見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、砂漠に川を流れさせる。』という言葉は真実だ。

まだ実現していないにも関わらず、神さまが成し遂げさせてくださることを確信できるという、私が捜し求めてきた本物の信仰を授かった。これが奇跡でなくて何だろう。どんな時も神さまに期待して歩いて行こう。

今は職務を果たすということだけではなく、日々関わる社内外の人々にまことの神さまを伝えたいとの思いだ」。


娘は本来の自分を取り戻しただけではなく、霊の目が開かれて信仰の高嶺へと歩んでいる。あの時、私もまた今の娘を想像することなどできなかった。

私は長女のミッションが成るように、アロンとホルのごとく祈りの手を挙げて長女を支えたい。そして、娘にとって何よりも大切な子育ての大任を果たすことができるように祈り続けよう。

孫のためにも夫と長女の事業の上に神さまの導きと祝福が豊かにありますように。そしてこれら一切のことを通して一人ひとりを導いてくださるように祈ろう。

「主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、
夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。
昼はこの雲の柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった」。

                (出エジプト記 13章21節)
                       (2014・9・20)


posted by 優子 at 11:14| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

2014年12月28日

高見牧師のメッセージにより不可解なことが腑に落ちた

降誕節第1主日の今日は今年最後の礼拝であり、高見牧師の説教(「ヘロデの道に立たず」)を心待ちにしていたが、昨夜から血圧が下がらないため私だけ欠席した。

知子は私が予想していた以上に豊かに恵まれ、連祷に当たっていた人たちが欠席のため、知子もまた導かれるままに祈りを捧げたという。
そして、帰宅して熱く語った。

「これまでの人生で不可解だったことが全て解決し、神さまが納得させてくださった」。 

私たちは説教題から「悪の道に立つな!」との励ましを受けるのかと思っていたが、師が強調されたのはそこではなかったのだ!

知子は次のように語った。

「悪意のある人に関わり過ぎると翻弄されるから、ある程度は助けの手を差し伸べても、それ以上は関わるなということであり、ヘロデやパロに目を向けていたらいけない。

極悪非道な人間はいつの時代にもいた。また、ホロコーストや大災害で多くの罪なき人たちが死んでいくのは、神が放置しているのではないかと苦悩していたが、視野を広げられ、深くされた。

と言うのは、イエスさまが成長された時、ご自身の誕生の時に多くの悲しみがあったことを知られたことであろうが、『何故だ?!』ではなく、仇を討つのでもなく、ヘロデの道に立つことなく、父なる神さまがなさっていることだから立ち入らないということかなと思った」。


深い気づきである。
私もまたこのような説教を読み聴きしたのは初めてであった。これまでにも是非お分ちしたいと思いつつも書いていない11月23日の説教、「系図が語る神の恵み」もまたそうであった。

そして、知子の不可解な疑問もまた、かつて私が苦しんでいたことと同じ問題であり、そしてまた、深遠な人生については人間が理解できるものではなく、神の領域であることをわきまるべきことを悟ったのである。

「及びもつかない大きなことや、奇(くす)しいことに、私は深入りしません。まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。」 という詩篇(131篇)のみことばが、私の深いところにスーッと入って来たように、知子もまた苦悩の果てに解決を得たのであった。 

最後に知子は静かに言った。
「尊敬できる人に出会えてよかった」と。

高見牧師は牧師の牧師であり、師との出会いは神の摂理であった。このこともまた絶妙の時に、苦しみ抜いて賜った神の真理であった。苦しみの時は必然であり、苦悩なくしては賜ることはできない。


週報の「説教メモ」を多分に参考にさせていただきたい。
イエス・キリストが誕生された時、残忍なユダヤの王・ヘロデは2歳以下の子どもの虐殺命令を出した。しかし、3人の学者たちは王の命令を無視して「別の道を通って帰って」行った。

学者たちは6000キロの道をラクダで往復したことを考えて2歳以下の子どもと計算したのであろう。

それは政治家ヘロデの命令に背いて自分たちの信仰的決断によって行動したことになる。ただし、天使の導きによって。

イエス・キリストは不幸、悲しみの中にある人間のために世に来てくださったのである。主は長じてご自身の誕生の時にこのような悲劇があったことを知らされたことであろう

イザヤは語っていた。
「彼は我らの悩みを負い、我らの悲しみを担えり」と。

私たちの主イエス・キリストは、ヘロデの道に立つことなく、私たちの悲しみや重荷を担ってくださる方であり、「私の所に来て休みなさい」と声をかけてくださる方である。(マタイ11章28節)。

激動の時代、会社経営においての激動ぶりは年々極まるばかりで、今年はすさまじい闘いであった。馬見労祷教会においても2014年初めに、私たちが訴えていた問題が大きな試みとなって現れた1年であった。

「しかし、これらの試練を通して全てのことにおいて益となった」と断言し、「美濃紙業も教会も大きく変えられた」と神を讃美した。

私もまた、あの時、「他の道をとおって」導かれていくということの深い意味を、今日のメッセージを通して改めて教えられて振り返らされている。


説教箇所・マタイによる福音書 2章12節〜23節:

そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。

彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。

そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、主が預言者によって「エジプトからわが子を呼び出した」と言われたことが、成就するためである。

さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基いて、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した。 こうして、預言者エレミヤによって言われたことが、成就したのである。

「叫び泣く大いなる悲しみの声がラマで聞えた。ラケルはその子らのためになげいた。子らがもはやいないので、慰められることさえ願わなかった」。

さて、ヘロデが死んだのち、見よ、主の使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、イスラエルの地に行け。幼な子の命をねらっていた人々は、死んでしまった」。

そこでヨセフは立って、幼な子とその母とを連れて、イスラエルの地に帰った。

しかし、アケラオがその父ヘロデに代ってユダヤを治めていると聞いたので、そこへ行くことを恐れた。そして夢でみ告げを受けたので、ガリラヤの地方に退き、ナザレという町に行って住んだ。

これは預言者たちによって、「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、成就するためである。

附記:先ほど”being & doing”「経営改革は成就、次の希望に向かって」を更新しました。

posted by 優子 at 21:48| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年12月27日

ユキの(悲しみの)殻は空っぽだった!

昨夜、ようやく知子は7時半頃に帰って来ることができたが、毎日10時間以上に及ぶ事務仕事がたたってめばちこ(ものもらい)になり、年内最終の眼科診療時間内に滑り込んで抗生物質を処方してもらった。

その夜は久しぶりに母と子がお風呂に入り、知子はユキと『でんでんむしのかなしみ』について話していた。

「ユキの殻の中は何が入ってるの?」と聞いた時、しばらく上の方を見て「うーん」と考え、「何にも入ってない。なあんにも入ってない、空っぽや。」と言い切ったという。

真智10歳のクリスマス・プレゼントの
竹馬にユキも挑戦!

仕事納めの朝F.jpg「ユキは(悲しみを溜める)殻は持っているけれど中は空っぽやねん」。

「どうして?」

「イエスさまとおばあちゃんがいるから! 
ママが夜しか帰ってこなくっても全然悲しくない。だってママは遅く帰って来ても生きてるやん!」


ユキは卒園前にお母さんを亡くしたお友達のことを想ったのであろう。そして、知子は言った。「ユキは悲しみを溜める殻は持っていない、と言っているのではないかな」と。

父親のいないユキが悲しみを知らなくてよかった。嬉しかった。安堵した。そして、幼くして親を亡くした子どもたちのこと、親が居ても悲しみの中にある子どもたちの幸せを祈った。

クリスマスの朝は、サンタさんのプレゼントを喜ぶ我が子を見たいからと、前夜も午前2時前まで仕事をしていた。

ママを駅までB.jpg 20092C52C1.jpg

左の写真はクリスマスの朝、ママを駅近くまで送るユキ(7歳5ヶ月)。老犬チャッピーの体力に合わせて今月に入ってから駅までは行かなくなった。
右の写真は知子の心身がズタズタに傷ついていた2009年5月、ユキは1歳10ヶ月。大きくなったね、ユキ。

私たちは子どもの頃は悲しみを知らないが、大人になり人生経験を重ねながら悲しみも重ねて行く。しかもいろんな悲しみがある。
この「でんでんむし」は、どのでんでんむしもみんな悲しみを持っていることを知って嘆くのをやめた。みんなも悲しみを持って生きていることを知るのは大きな励ましになり、自分も耐えて行かねばと思う。

しかし、それだけならば暗く重い。希望がない。南吉がもっと年齢を重ねても、このままで終わっていただろうか。
私はイエス・キリストを知ってからは、ただ耐えるのではなく希望の忍耐に変えられ、それら全てのことを益としてくださることを信じて生きて行くことができるようになった。

いつも、どんなに最悪と思える時も、常に心の中に希望の灯をともしてくださっているのは不思議なことである。現実は絶望でも神さまが何かをされる。忘れてはならない。


katatu.gif

附記:新見南吉と言えば『ごん狐』や『手袋を買いに』など、教科書でも取り上げられている29歳で夭折した作家だ。
青空文庫には南吉が書いたとおりのカタカナ表記で公開されているが、ここでは読みやすいように、ひらがな・漢字表記で御紹介したい。
一匹のでんでん虫がありました。
ある日そのでんでん虫は大変なことに気がつきました。
「わたしは今までうっかりしていたけれど、わたしの背中の殻の中には悲しみがいっぱい詰まっているではないか」
この悲しみはどうしたらよいでしょう。

でんでん虫はお友達のでんでん虫のところにやって行きました。
「わたしはもう生きていられません」
と そのでんでん虫はお友達に言いました。
「何ですか」
と お友達のでんでん虫は聞きました。

「わたしは何という不幸せな者でしょう。わたしの背中の殻の中には悲しみがいっぱい詰まっているのです」
と はじめのでんでん虫が話しました。

するとお友達のでんでん虫は言いました。
「あなたばかりではありません。わたしの背中にも悲しみはいっぱいです」

それじゃ しかたないと思って、はじめのでんでん虫は、別のお友達のところへ行きました。
するとそのお友達も言いました。
「あなたばかりじゃありません。わたしの背中にも悲しみはいっぱいです」
そこで、はじめのでんでん虫は また別のお友達のところへ行きました。

こうして、お友達を順々に訪ねて行きましたが、どの友達も同じことを言うのでありました。

とうとうはじめのでんでん虫は気がつきました。
「悲しみは誰でも持っているのだ。わたしばかりではないのだ。わたしはわたしの悲しみをこらえていかなきゃならない」
そして、このでんでん虫は もう、嘆くのをやめたのであります。


附記:今日で仕事納め。午前中掃除をして午後1時過ぎに帰宅した。経理は最後まで忙しく今日もやっていた。
この日、ユキに「はやて」を買ってあげ、同夜、プラレールは廃棄した。


posted by 優子 at 22:56| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年12月26日

サンタクロースを信じる子どもは幸いなり

イブの日、ユキはサンタさんが来てくれるかどうか気になって、パソコンに向かっている私にこんなことを言いに来た。

「ユキはイエスさまの気持ちがわかるよ。
何でかって言うたら、プレゼントが来なかったら、プレゼントをいっぱいあげたら、あかん子(ダメな子)になるからと、イエスさまはおばあちゃんと一緒の気持ちでおるから、もしサンタさんが来たら、イエスさまが今度からユキは本当にいい子になれると思って、神さまがサンタさんに『行ってやって』って言ってくれたんだと思う」。


IMG_2559.jpgその夜、ユキはママに置き手紙を書いてベッドに入った。
イブの夜も知子の帰宅は11時、
翌クリスマスの夜は11時半だった。

IMG_2557.jpg

サンタさんへのリクエストは、最初はヘリコプターと書いてあったが「はやて」(プラレール)に書きかえている。
これを出窓に置いて、
いつものようにユキの手を握ってお祈りして電気を消した。

IMG_2558.jpg

クリスマスの朝、サンタさんへのお手紙はなく、サンタさんのプレゼントが置いてあった!
「あった―!!!」
ユキの歓声は天にまで届くかのようだった。

袋の中を覗きながら、「プラレール(はやて)ではなかったけれど」と言ったが、プレゼントを開けて喜んでいた。

知子は我が子の喜ぶ瞬間を見ようと共に居た。日に日に過労が濃くなって疲れ切った顔をしていたが、喜びの瞬間を共にして私の心も満たされた。

プレゼントの袋には、腕時計と本が2冊入っていた。
『きみのかわりはどこにもいない』と『でんでんむしのかなしみ(きょねんの木)』、共に素晴らしいお話、さすがサンタさん!

クリスマスの夜、ユキはサンタさんに感謝の手紙を置いて眠った。
今朝、サンタさんはサンタの国に帰る前に立ち寄って、そのお手紙も持って帰ってくださっていた。

そうです、バージニア。
サンタクロースをみた人は、いません。けれども、それは、サンタクロースがいないというしょうめいにはならないのです。
この世界でいちばんたしかなこと、それは、子どもの目にも、おとなの目にも、みえないものなのですから。

          (略)

サンタクロースがいない、ですって?
とんでもない!
うれしいことに、サンタクロースはちゃんといます。それどころか、いつまでもしなないでしょう。

1千年のちまでも、百万年のちまでも、サンタクロースは、子どもたちの心を、いまとかわらず、よろこばせてくれることでしょう。

「サンタクロースって、ほんとうに、いるんでしょうか?」
1897年9月21日 ニューヨーク・サン新聞「社説」に載った話はあまりにも有名だ。

8歳の女の子が新聞社に送った質問にこたえて、愛情をこめて書かれた記事。今から120年近くも前のことだ。

私も子育ての時に娘たちに読んでやり、その後も私の大切な蔵書の一冊として身近においている。それを今年のイブの日にユキにも読んであげた。

孫が成長していく時、周囲からくるあらゆる悪い影響から神さまが守ってくださるように祈ります。

anim_megumi.gif


posted by 優子 at 12:36| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年12月25日

ペン友から届いたクリスマスの祝福

anime_tenshi3_ak.gif「いと高きところでは、神に栄光があるように、
地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。
              
          (ルカによる福音書 2章14節)

「今日はなんの日だね、きみ?」スクルージは言った。
「今日ですって!」少年は答えた。「クリスマスじゃありませんか」
「クリスマスだって!」スクルージは自分に言った。
「まだ祝いそこねてはいないな」。


スクルージの心は変えられた。
「ひとことで言うと、おさえきれないほど楽しそうな顔つきだった」。
anime_bell_a1.gif

みんな、クリスマスおめでとう、わたしたちに神の祝福がありますように!
そして、チビのティムが言ったように、
「ぼくたち誰にも神の祝福がありますように!」


チャールズ・ディッケンズ『クリスマスキャロル』より

皆さま、クリスマスおめでとうございます!
この喜ばしい季節に、主があなたとあなたのご家族を祝福してくださいますようにお祈りします。


先日、日本クリスチャン・ペンクラブ関西ブロックから発刊された『種を蒔く』(第2号)を30冊受け取り、そのうち28冊を友人や知人にお届けしました。もっともっとあの方この方にもお届けしたかったのですが、おゆるしください。

事務局からも執筆されなかった会員に届けられ、昨日は当会のメンバー宛てに同時送信された感謝メールが届きました。

姉(しまい)のお言葉は神さまからの労いと励ましのようで、信仰から信仰へと導かれます。お許しを得て皆さまにもお分ちさせていただきます。
(事務局の)○○さま、関西JCP関西ブロックの皆様、

クリスマスの時期をむかえ、感謝を申し上げます。
いつも例会報告、例会案内ほか、お送りくださり、本当にありがとうございます。
11月例会の報告も読ませていただき、東先生の希望に満ちた奨励の内容に、感じ入りました。

また、貴重な証文集第2号「種を蒔く」をお贈りくださり、みなさまのいのちがけの信仰と想いがこもった一冊と覚え、受け取らせていただきました。本当にありがとうございました。

力を尽くして学び、書き続け、困難を経て編集、発行に至られたことでしょう。この一冊を受け取るお一人おひとりが励まされ、主に触れられますように。

大切な一遍一遍を毎朝少しずつ読ませていただき始めています。

今年は、土曜日も出勤日で、例会出席が難しいのですが、祈りに覚えております。
みなさまお一人おひとりの心身魂が強められ、主にあって書き続け、この世に証を続けてゆく年が増しくわえられますように。

「幸いなことよ。全き道を行く人々、主のみおしえによって歩む人々。
幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を尋ね求める人々。
まことに、彼らは不正を行わず、主の道を歩む。 」
          
                  ( 詩篇119篇1〜3節)

姉(しまい)は4年前の夏期学校で「盲目のグーテンベルク」をご講演され、その直前に『見はてぬ夢を―「視覚障害者」の新時代を啓いた左近允孝之進の生涯』を世に出された方です。今後の御健筆を祈ります。

このたびの姉(しまい)とのメールのやり取りで、23日に続いてイブの日も感謝の涙が溢れました。弱った時の励ましのために記録させていただくことをおゆるしください。

ご多用のなか、メールをうれしく感謝します。
日頃、PCに向かう時間が限られていてなかなかブログを読んだりができないでいますが、今、優子姉のブログを開いて読んでいます。

あらためて、姉とご家族の心の領域の広さと学ばれてきたことの豊かさ、それを発信する賜物を想い、主が格別な恵みをくださっていることを覚えました。

たくさんの試練を経ておられることが行間から垣間見られるようで、心痛みますが、ユキくんが持久走でがんばった覇気を、主がご家族みなさんにくださっていることを感じます。祝福の道を歩まれていることを感謝します。

今日、すばらしいクリスマス・イブを! 

『私たちのたましいは主を待ち望む。主は、われらの助け、われらの盾。』―詩篇33:20
 

「今日まで守られ来たりし我が身 露だに憂えじ行く末などは いかなる折りにも愛なる神は 全ての事をば良きにし給わん」。

        (聖歌292番)

posted by 優子 at 00:00| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2014年12月24日

次女と私のコレスポンダンス

2014/12/23, Tue 01:53発信:
太志君、真智、

まずはお帰りなさい!
とっても楽しい旅行だったようで私まで嬉しくなりました。延着のアクシデントもまた懐かしいミネソタでの一夜になったね。

そして、今日は思いもしない心のこもった贈り物がお昼頃にワシントンから届きました。本当にありがとう!!!

まずはみんなも同時に読みたいだろうからと、私が声を出して読ませていただきました。途中で感極まって声がつまり、涙をぼろぼろ流しながら読みました。

心のこもったクリスマスカードを本当にありがとう!
知子も全く同じ気持ちで感謝し、昼食前のお祈りでも感謝していました。

地球の反対側に遠く離れていても祈り合う家族がいるというのは、本当に幸せなことやね。神さまに心から感謝します。

今年は年始早々からマチの手術があり、太志君はマチの半身として妻に寄り添い、マチは夫の愛に支えられて乗り越えることができました。

このことを通して2人はますます夫婦の絆を強くしたことと思います。互いに生涯を築き上げるにふさわしい伴侶であることを今一度、神さまに感謝し幸せを噛みしめていました。

まち、 太志君、
神さまは2人に今までの恵み以上の喜びを用意してくださっているから、これからも主イエスと共に大いに人生を謳歌してください。

笑ったり怒ったり、喜んだり悲しんだり、悔しさに泣き、ママは時には憎しみさえ覚えそうになる時もあるけれど、常に神の前で本心に立ち返れることが感謝です。

生きている限りいろいろなことがあるけれど、だから人生は素晴らしいのよね!!! ママも負けないよ!

どうか太志君と真智も祝されたクリスマスを過ごされますように。そして、健やかに新しい年を迎えることができますようにお祈りしています。

心からの感謝をこめて
ママより

2014/12/24, Wed 11:38着信:
クリスマスカード届いてよかった!
しかもナイスタイミングだったみたいやね。よかった!嬉しいです。

ママ、まちとくまに優しいメッセージもありがとう。
色んなことがあるのが人生。今後、もっとそのことが身にしみて分かって、感謝に変わっていくような予感があります。そんな希望が出てきた一年でした。ママの生きた証をまちも体験していきたいです。

ところで今日、こちらにもクリスマスカード&プレゼントが届いたよ!!!今日の午後、買い物から帰ってきたら、パッケージが届いているとのお知らせ。もう届くなんて、早くてびっくりした!!有難う!

さっそく開けてみたら、みんなからのメッセージ、くまもまちも本当に嬉しかった。有難う! 日記用の手帳も御言葉カレンダーもシイタケも・・・ぜーんぶ嬉しい! ありがとう! 大切に感謝して使います。

まずは、届いたことをお知らせしようと思ってメールしました。本当にありがとう!!
またメールするね。スカイプもしたいです。

メリークリスマス!
真智子

附記:それにしてもワシントンからの航空便代が$46.50とは高すぎる。こちらから荷物を送ったのと同じような金額ではないかと思ったのが昨日の夜だった。

そういえば郵便受けに入っていたのではなく、配達員さんから印鑑を押して受け取った。
005.jpgよく見ると祝日の12月23日を指定して、”scheduled date of delivery”で送ってくれており、6日後に落手した。

そのことに気づいた私はとても恥ずかしくなった。
19日の昼下がり、EMS(国際スピード郵便)でワシントンへ荷物を送った時、私は「古きスクルージ」だった。

今回の郵送料は4700円で、これだと2.5キロまで送ることができる。ところが今回の重量は2012グラムで、たった12グラムオーバーしたために700円もUPしてしまったのだ。

こういうこともあろうかと、これまでの経験から料金枠内を有効に使おうと「すりごま」をもう一袋持って行くつもりが忘れてしまい、そのことで嘆いたのはまだしも、いじましいのは15グラムほどの海藻を1つ減らせばよかったということに気づかず、しかもそれを嘆いたことだ。

その海藻はリクエストされていない刻みコンブだったので、減らそうとする発想はゆるせても嘆くとは、私は何という吝嗇家だろう!


それをまたマチへのメールにまで書いた救いようのない愚かな母親だ。ちっ(怒った顔)もうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)

マチには日頃何もしてあげられていないのに! 
私はクリスマスの喜びも消えてしまいそうなほど自己嫌悪した。

しかも昨日(23日)は家族にスクルージ(ディッケンズの『クリスマスキャロル』)の言葉を音読していたのに、これでは私は古きスクルージではないか!

さすがに昨日の記事には「附記」できなくて外したが、お詫びせずにはいられない。

「ママは古きスクルージなんかじゃないよ。準備の様子を教えてくれて、余計に愛を感じるよ。書類も住所も英語でばっちり書いてあって、感動&感謝で嬉しかった。有難う。」

真智の言葉で少しは気持ちが楽になったけれど、ごめんね、真智。

そして、「書類も住所も英語でばっちり書いてあって」と読んだ時、恥ずかしくて瞬間的に顔が赤くなって大笑いしてしまった。
住所は書く行がメチャクチャになってしまい、州名書く場所もでたらめになっていたのではないかと思う。電話番号を控えて行くのも忘れて、「どうか、アメリカの配達員さん、わかって!」と祈って手放しました。

さきほど太志君からもお礼のメールが入り、ワシントンは今午前2時過ぎだと言うのに、2人はまだ起きているようだ。

最後に、私の敬愛するキュりー夫人が愛娘イレーヌに贈った言葉をそのまま贈ります。

カヴァレール、1926年12月28日:
「あなたがたにとって良い年でありますように、かわりなく愛しあい、仕事と、生活の素朴なできごとの中に喜びを見出すことができるように願っています」。

パリ、1928年12月29日:
「あなた方に新年のあいさつをおくります。健康で、楽しく、よい仕事のできる1年でありますように。1日1日、喜びを感じながら生きることができますように。

年を取るにつれて、現在のこの瞬間を楽しむことを知るとは、恩寵にもくらべることができる神の賜物だということをつくづく感じます」。

bible.pngどの時代の人も神さまに生かされている時間を大切に生きていたね。
私たちも良い人生を生きようね!
クリスマスおめでとう!


posted by 優子 at 15:32| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

ワシントンから愛のクリスマスメッセージ届く

次女夫婦は休暇を取って18日から21日までロスアンジェルス旅行に出かけた。溜まったマイルを使っての旅、飛行機も直行便ではなく乗り継いでの旅に出た。

帰路で1つ目の飛行機が目的地到着が30分ほど遅れて、2つ目の飛行機に間に合わなくて中継地で足止めになった。「大急ぎで走ったが間に合わなかった」とは、電車に乗るようなシーンを想像させた。

足止めになった乗り継ぎ地は5年間住んでいた懐かしのミネソタである。これもまた神さまからのクリスマスプレゼントのように思えた。

「ミネソタは3度でビックリ。こんなのミネソタじゃない!」
ミネソタは暖か過ぎるというのである。
同じ時こちらも5〜6度の寒さだったから、本来ならば彼の地ではマイナス10〜20度の世界のはずだ。

「今からバスや電車に乗ってミネソタの家に帰りそうな感じ」。
次女夫婦がワシントンへ移って3年4ヶ月。私もまた極寒のミネソタにいる次女夫婦を想っていた頃を懐かしく思い出した。

21日はミネソタ空港近くのホテルで一泊し、(アメリカ時間)22日夕刻、無事ワシントンに到着、帰宅した。

マチ・クマから愛の贈り物.jpgそして同じ時、昨日23日にマチ・クマからクリスマスカードが届いた!






クリスマスカードB.jpg
ユキには「お年玉」まで入れてくれていた。ありがとう!

A001.JPG

クリスマスカード@.jpg

su_kuma03_a.gif
家族に声を出して読んでいる時、
私は溢れる涙を止めることができなかった。
真智、太志君、ありがとう!

ヘリコプター@.jpgこの日、ユキはクリスマスの朝まで待ち切れず、ママからもらったクリスマスプレゼントを開けた。
我が家では代々サンタさんから贈り物をいただいているので、こんなことは初めてのこと!

ヘリコプターB.jpg天井まで飛ぶよ!
しかし、操縦が難しくて墜落の連続。



この夜はささやかながらクリスマスの食卓を囲んだ。明日からクリスマスの夜も知子の帰宅は23時頃になるからだ。

12月早々から次から次へと大試練の日々だっただけに、1人ひとり皆が感謝の祈りを捧げる食卓になろうとは、神のお計らいであった。そう、神のご計画であったのだ!

よくぞここまで知子を忍耐させてくださって神の栄光を現わしてくださったものよ!
こんなに心弾むクリスマスは何年ぶりのことだろうと思うほど、私たちは大いに祝されたクリスマス期間を過ごしている。

マチ、フー、
マチとフーも大変に忙しい中、いつも近くに住んでいるかのようにユキの成長を分かち合い、愛してくれて有り難う!

マラソンなど様々な事を書いてくれて、ゆきはお風呂で「ブログとかメールとかSkypeって不思議やなあ」と笑っていました。
愛しているよ!.png2人から褒められ、愛されていることを凄く感じ、その満足感が充満していたようでした!

多忙ななか、祝日指定便の配慮、最高のメッセージ。私とママは、目に涙をためて喜び、1人ずつ祈りました!ひとりずつ、だよ。
最近の大惨事以降の険悪さからは考えられぬ奇跡的な日になったのです!
        (略)
ママとまちふうの祈りと信仰により堅く立ち強められています。
        (略)
明日から26まで朝晩、ユキの顔を見れない23時帰宅のラストスパートですが、今年は何とかせめて、サンタのプレゼントを開ける姿を見てから出社できるように融通つけれたらと願っています。頑張るね!

本当に有り難う!!
2人に格別の祝福がありますように!

知子

ありがとう!喜んでくれてよかった!
全て全て、神様に期待して、信頼しています。
お姉ちゃん、忙しいだろうけど、体壊さないようにね。
メリークリスマス!
神様の祝福でいっぱいのクリスマスをね!
真智子

知子お義姉さん
メールありがとうございました。皆さんに喜んでいただけてとても嬉しいです。
お仕事がまだまだとても大変そうですが頑張ってください!スムーズに仕事が進みますように。またご健康も守られますように。
良輔お義父さんのこともお祈りしています。主が共におられると信じています。
ユキちゃんの成長ぶりは素敵ですね。また早く会って、一緒に遊びたいです。皆さんにもお会いできなくて、僕たちも寂しいです。
知子お義姉さんにクリスマスの祝福が豊かにありますように。
メリークリスマス!
太志
posted by 優子 at 07:46| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2014年12月23日

クリスマス祝会でユキはマジックショー

クリスマス愛餐会.jpgクリスマス愛餐会に続いての祝会で、ユキは先週のCSで先生と一生懸命練習したマジックショーを披露してくれた。
こんなにたくさん練習していたとは知らなかった。
手品@.jpg 

手品A.jpg

手品B.jpg→これは早速先週のうちにクラスで自ら申し出て披露した。紙を広げて、
「何にもないです。よく見といてください。いきますよ」。
そして、(親指と中指で)指を鳴らして写真のように逆さまに。
すると小さく切った折り紙が雪のように舞い落ちた。学校ではお友達が「すげえ!」「すごい!」とざわめき、先生の先導で拍手喝采されたという。
感激したお友達が早速知り合いの3・4年生に伝え(こういうところが子どもの面白さ。素敵!)、彼らも見に来てくれる好評ぶりで、先生からもリクエストの声がかかって翌日も披露したのだった。

手品C.jpg

手品D.jpg

手品E.jpg
「手があります」と言って、このポーズをとり、→

手品F.jpgそして、
右手を放すと親指が無くなっていた!
「ええー? すごい!」とみなさんから拍手をいただいた。わーい(嬉しい顔)
ご指導くださったN先生、ありがとうございました!
anime-tree1.gif

そして祝会の最後はみんなにもれなプレゼント!
プレゼントはバザーで売れ残った品を包装紙で包んで、ジャンケン(例年はビンゴ)で勝った者順に選ぶ。舌切雀の欲張りばあさんにならないように小さい物がいいかしら? 何が当たるかお楽しみ。
こうしてこの日の全てのプログラムが終了し一同は豊かに祝された。

24日夕方に教会員のお宅を訪ねてのキャロリング、午後7時からイブ燭火(しょっか)礼拝だ。今年はユキも大きくなったから一緒に参加しようと思っていたが、帰宅が遅くなることや、長女は父親と一緒に帰れないので難しい。

今週の知子は会社に泊まり込みたいほどの多忙さで、仕事納めまで毎朝早朝に出社するも帰宅はかなり遅くなる。昨夜は父親と帰宅したはいいが、夜半2時過ぎまで仕事し、今朝も5時間足らずの睡眠時間だった。既に過労気味なので体力が守られるように祈る日々が続く。

附記:この日は子どもの礼拝がなく、知子も奏楽奉仕の当番ではなかったために母と子は並んで席についた。

その夜、知子は目を細めて語った。

「ユキちゃんは字が読めるようになったから、讃美歌も全部歌ってて、すごくかわいい声で歌っていたよ。
字を追いながら歌っていて『グローリア』になった時、『あっ、これおばあちゃんがよく歌ってる』って言ってたよ」。


私はユキの成長だけではなく、知子の喜びが嬉しくて感無量。これも神さまからのクリスマスの贈り物。感謝します!

posted by 優子 at 09:12| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年12月22日

高見牧師と同志社カレッジソングを大合唱! ―エンジョイしたクリスマス祝会―

クリスマス祝会最後の出し物は「同志社組」のカレッジソング大合唱!

感謝!高見先生とカレッジソングを歌う.jpg

「今朝結成されたばかりの合唱団です」と、T姉(しまい・右側の方)が上手に言われ、演奏がないと歌いにくいのではないかとスマートフォンからユウチューブの「同志社カレッジソング」を引っ張り出してくださり、マイクを当てて流してくださった。
そして、歌い終わった瞬間の表情!

エンジョイした同志社カレッジソング.jpg

私の爆笑ぶりも然ることながら、こんなに弾けた高見先生もこよなく最高!!!
この時、ユウチューブのグリークラブよりも私たちが早く歌い終わって大笑いした瞬間だった。このあとすぐに先生のお誘いで同志社応援歌(Doshisha Cheer)を叫んだ。

One, two, three,  Who are we?   La, la, la, Doshisha!
One, two, three,  Who are we?   La, la, la, Doshisha!
One, two, three,  Who are we?  La, la, la, Doshisha! (ここでapplause:拍手喝さいとなる )


これは大学の応援歌で、私は後にも先にも今回が初めてで、まるで応援団長にでもなったような感じで叫んでいた。
最高に楽しかった!!!


ちなみに兄は同志社香里(こうり、男子校)で、中高時代は聖歌隊に、大学では1年だけグリークラブに入っていた関係から同志社の歌をたくさん知っていた。兄の練習をいつも聞いていた私は40年以上経った今も鮮明に記憶していたのだ。
兄がグリークラブをやめてゴルフ同好会に転部したのは、楽譜を容易に読めないのが重荷になったそうだ。わーい(嬉しい顔)

では、同志社カレッジソングの歌詞を掲載したい。作詞はヴォーリズ。 
実は先週、歌詞の意味を勉強し直していた。古い英語が使われている以外に、何よりも詩は韻を踏み、言葉が省略されているので難しく、文学的に訳している途中で時間切れとなってしまった。

幸い配布された資料の最後に高見先生が和訳も書いてくださっているので御紹介したい。グリークラブサイトでは1番と4番を歌っているが、私たちは1番と2番を歌った。

One purpose, Doshisha, thy name
Doth signify ; one lofty aim;
To train thy sons in heart and hand
To live for God and Native Land.
Dear Alma Mater, sons of thine
Shall be as branches to the vine;
Tho' through the world we wander far and wide,
Still in our hearts thy precepts shall abide!

We came to Doshisha to find
The broader culture of the mind;
We tarried here to learn anew
The value of a purpose true;
Dear Alma Mater, ours the part
To face the future staunch of heart,
Since thou hast taught us with high aim to stand
For God, for Doshisha, and Native Land!


同志社よ、その名は1つの目的を意味する
その学徒の精神的、肉体的に、
神のため、祖国のため、生きんという
1つの崇高な目的を。
親愛なる母校よ、同志社の学徒は、
ぶどうの枝のごとく繋がりゆくであろう。
たとえ、世界くまなく、広くはるかに、
我らさまようとも、汝の教訓は、
我々の心に永遠に生き続けることであろう。

我々が同志社に来たのは、
心のより広き糧を求めてだ。
我々は、真の目的の価値を、
新たな意味において学ぼうとし、
ここに踏みとどまっているのだ。
親愛なる母校よ、我々のつとめは、
堅き心をもって、未来に立ち向かうことである。
なぜなら同志社は、
神のため、同志社のため、
また祖国のために役立てよと、高き目的を持って
我々に教えてきたからである。

私の感動を先に書いてしまったので、次にクリスマス祝会でマジックショーを披露したユキのことを書きたい。


posted by 優子 at 12:16| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2014年12月21日

高見敏雄牧師のクリスマスメッセージ

クリスマス礼拝の朝.jpgアドベント第4週目の今朝、4本目のろうそくに灯がともされた。
今年の降誕祭(クリスマス)礼拝は、今日転入された姉妹の御伴侶召天1年記念礼拝と共に執り行われた。

会堂は馬見労祷保育園の職員の方々だけではなく、ご遺族の方々も列席されて70名を越える人々でいっぱいになった。

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである」。

             (ヨハネによる福音書3章16・17節)

クリスマス礼拝説教.jpg「イエス・キリストの誕生は十字架に向かっての誕生であった。
即ち、神は独り子である御子イエスを十字架につけるほどにこの世を愛され、この世界を、1人ひとりを愛してくださっているのであり、神と共に生きて行くように御子をお遣わしになったのである。

クリスマスは神によって愛されているということを覚える日であり、互いに愛し合うことを決意する時である」。


アーメン! 
アーメンとは「まことにそうです」「そうありますように」の意味である。

昨年66歳で召天された方は同志社で学ばれてのち小学校の教職に就かれ、最後は校長職を10年間務めて退任。その後、兵庫県の大学院で学校教育研究課程の修士号を修められた方だった。

何よりも終生新島襄を敬愛された同志社人であったことから、説教の後半は新島襄の生涯に触れて語られた。

「新島襄はアメリカ滞在中に、私と言う人間が生きるためにイエス・キリストを送ってくださったのだということを体験し、愛によって生かされてきた10年であったことを実感された。

同志社で学ばれた○○兄弟 ―「兄弟姉妹」とは教会での敬意でもあり、尊敬の意味を持って男性には「兄弟」と呼び、女性には「姉妹」と呼ぶ ―は、新島精神を身につけられて30年に及ぶ教員生活を送られた。

○○兄弟は、神の御許に召された。神に招かれたのである。今頃は平安のうちに居られることだろう」。

「姉妹の転入会のきっかけに夫君のご召天があった。○○兄弟は天上の友会員であります」。 
 

転入会式での牧師の言葉に目頭が熱くなった。
残された御家族にとってどんなに大きな慰めになったことであろう。


召天記念礼拝のために作られた召天者の略歴と短歌集、その最後には同志社のカレッジソング(校歌)が印刷されていた。

同志社を愛した○○兄(きょうだい)を偲び、御遺族を慰めるために、師は礼拝後に同志社カレッジソングを歌おうと思われたのであろう。先週高見先生が、「藤本さんも同志社だから一緒にカレッジソングを歌ってください」と仰った意味がよくわかった。

今日もまた高見牧師の愛に満ちたお人柄を感じ、知子もまた師の周囲への細やかな心配りを熱く語っていた。

師が祈られたように、「私たちも神さまに喜ばれるものに造り変えられていきますように。隣人のために生きることを決意することができますように」と、私も切に祈る者である。

ご遺族は愛餐会には残られないことはお聞きしていた。高見牧師と御親戚の方々で集合写真を撮り、引き続いて毎年恒例になっている全員の集合写真を撮ってから教会をあとにされたので、カレッジソングはクリスマス祝会で合唱することになった。

光栄なことに私も高見先生とご一緒に歌った!
その時の最高のスナップを次のページで御披露したい。

昨年集わせていただいていた西大和教会ではハレルヤコーラスを合唱したことであろう。クリスマスの喜びと感謝に満たされて、帰路で懐かしく思い出していた。
christangel.gif

posted by 優子 at 22:48| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2014年12月20日

「私の『メメントドミニ』」 ―『種を蒔く』2号掲載文より @ ―

         私の『メメントドミニ』

ブログを書き始めてまもなく9年になる。朝日新聞の統計によれば、2009年7月当時のブロガー人口は2695万人であったから今はもっと増えているだろう。その後登場したツィッターも瞬時に時流に乗り、多くの人々が不特定多数の人につぶやきを発信している。

これらは国や文化の違いを越えて、自分の思いを誰かに伝えたい、聞いてほしいという人間の心の表れであろう。私もまた多くの人に読んでもらうことを願って書いている。

ブログを開設してまもなく、ブログは現代人の甘えではないかと抵抗を感じ、「ブログ考」と題してブログ文化について考察したことがあった。

その後1年余りを要して自分の思いとスタンスが定まっていき、ブログのタイトルを開設当初の『優子の部屋』から『メメントドミニ』に改名した。ブログ伝道という明確な志が与えられたからである。

『メメントドミニ』とは「汝の主を覚えよ」という意味であり、日常生活の出来事や心の動きを書きながら神さまと歩む文章を綴っている。

私にとってブログ執筆中は神さまとの密なる時である。従って感謝や喜びだけではなく不安に感じることや葛藤も取り上げる。それらは証しにはならないと考える人もおられるが、常に意気揚々としている内容だけならば人の心に届かないし私ならば読まないだろう。

人は皆、悩みがあり弱い者であるがゆえに、正直に自分の弱さを書いてこそ主イエス・キリストが必要であると伝えることができると信じるからだ。

日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)理事長の池田勇人先生が召される5か月前のこと。2012年10月にJCP60周年の記念会が東京で開かれた。

この時、先生の病状はかなり悪く、これが師の最後のメッセージになるだろうと覚悟し、全身を耳にして聴き入った。私はその内容を是非ブログに書きたく、奨励で述べられたご自身の病状についても触れてよいかと師にお尋ねした。

すると、「それは自由にどうぞ。こうして生かされているのですから、ブログにどうぞ自由に書いてください。」と言われ、先生と一緒に撮らせていただいた写真の掲載も快諾してくださった。

私は池田牧師が私と同じ信仰観であられたことを初めて知り、これこそが伝道する者の姿勢であり、クリスチャンの本質が輝いていると強く心を揺さぶられた。この時私は、神さまが私に師の生きざまをじかに伝えんがために、ギリギリまで迷っていた60周年の出席を決意させてくださったのだと思った。

『メメントドミニ』を書く時は、全能の神さまに対して日常の営みをしているとき以上にアカウンタビリティ(説明責任)を取りながら書いている。つまり、私の書いている内容を神さまに申し開きできるかどうかを考えながら書くのである。

畢竟私にとって書くということは、内なる自己に向かって真実の自己に返ることであり、祈りつつ書きながらキリストからの問いかけを発見する過程である


これからも喜びや感動したことだけではなく問題に感じたこと、また、不安や悩みなどマイナスと思えることも正直に書き、それらをどのように受け止めて歩んで行くのか。そこにこそ力点を置いて書くのであり、それが読んでくださる人の心に届いて、全知全能なるまことの神さまへの道案内になれば最高の喜びである。

「私達の書いていることがいつどこで実るかわからない。神さまの働きが思わぬところで実っている。それがどれだけ大きな励ましを与えているかわからない」とは、今も私の耳に響く玉木功牧師の言葉である。私も先人たちに励まされて私しか書けない文章を紡いでいきたい。

「そして、あなたがたは自分自身が、わたしたちから送られたキリストの手紙であって、墨によらず生ける神の霊によって書かれ、石の板にではなく人の心の板に書かれたものであることを、はっきりとあらわしている」。
      (コリント人への第2の手紙 3章2節)
                    (2014年4月)

posted by 優子 at 20:36| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

JCP関西ブロックより『種を蒔く』第2号出版

『種を蒔く』2号.jpgクリスマスプレゼントに間に合うようにと、日本クリスチャン・ペンクラブ関西ブロックより『種を蒔く』第2号が刊行され、14日(日)の夕刻に手元に届いた。

編集してくださった大田先生には多大なご苦労をおかけしたが、2号を出版できた喜びを一同で噛みしめている。
表紙の写真は、毎年6月と11月の例会会場になっている千里ニュータウン教会である。

執筆者は13名。
目次は「説教」、「奨励」、「追悼」に始まり、「縁・邂逅」、「日々の黙想」、「危機を孕む時代に」、「信仰者の跡を辿る」、「随筆」、「詩」、「脚本・イースター物語」、「文芸講話」に分類され、全52作品196ページの証し文集である。

執筆者の中には、キリスト教文学に詳しい文芸評論家で作家の久保田暁一氏、近現代日本文学とキリスト教の関係を研究されている日本文学者の大田正紀氏の文章も掲載されているので読み応えがある。

ついでながら2015年1月から、朝日カルチャーセンター(芦屋教室)で大田先生の講座が再開される。
講座名は「キリスト教と日本の作家たち ― 夏目漱石後期作品の世界 ―」と題して、『行人』『道草』『明暗』を論じられる。私も出席したいと思っている。

私は証し集に8作品を掲載していただいた。「日々の黙想」に5作品、「危機を孕む時代に」に2作品、「信仰者の跡を辿る」で新島襄の生涯を執筆した。

それらをこのブログを愛読してくださっている方々にお読みいただきたく順次掲載したい。最初に「私の『メメントドミニ』」と題して書いた、私にとってブログを書くとはどういうことかを掲載させていただきたい。

いよいよ全世界の教会では明日クリスマス礼拝を捧げます。クリスマスにあたり、イエス・キリストのご降誕の喜びがあなたにも届きますようにお祈りします。
anime_kid1.gif

尚、『種を蒔く』をご希望の方は、「お気に入りリンク」にある「日本クリスチャン・ペンクラブ」にご連絡くだされば、1000円(税込)でお買い求めいただけます。送料は発行者が負担いたします。


posted by 優子 at 18:09| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2014年12月18日

小学1年生師走の光景

2センチの氷が張った.jpgとにかく寒い。
今朝の奈良の最低気温はマイナス1.3度だったというが、そんな程度ではすまないほど寒い。
昨日の朝はここに氷が薄く張っていたが、今朝は2センチの厚いものになっていた。

軒下に置いてあるブラックバスの水槽は氷で覆われ、魚まで凍ってしまったのではと水槽を動かすと生きていたので、大急ぎで氷を取り除いてやったが、よくこんな冷たい水の中で命を保っているものだ。お湯を入れて温まらせてやりたい心境だった。

お昼前に学校から帰宅したユキは、別の氷を見つけて大喜び。
私は次女に送る荷物をまとめたり家事を終えて、ようやくデスクワークについたばかりだったが、ユキに呼ばれて見に行った。なんと3センチ近くの氷だった!

午後も氷は解けず.jpg昨日で給食も終わり、今日から下校時間が11時半になり、今日はユキの個人懇談会。
先生のご配慮で夕方5時にしていただいたが、それでも知子は予定通り会社を出られなくて駅についてからも走り続けて、ジャストタイムに滑り込んだそうだ。

昼食を食べる時間もなく、人のいないあたりで持参したおにぎりを食べながら走っていたという。これでは子供のことに気持ちを切り替える時間もなくてかわいそう。唯一の気分転換の時でもあるのに。

さてさて、ユキの学習面はかなり良い評価だったとのこと。国語もしかりなのだが、それにしては読解力が少々弱い。私も早々から感じていたが、これでもかなり理解力がついてきたくらいなのだが。わーい(嬉しい顔)

また、昨日は今週のCS(教会学校:church schoolの略)で教わったマジックを、自ら先生に申し出てクラスのお友達に披露した。私たちはユキの積極性にびっくりしている。

しかもみんなの前で教会で教えてもらったことも説明しているというから、これぞまさに" show'n tell" であり、非常に嬉しいことだ。先生には勿論のこと、公の場では「です、ます調」(パブリックスピーチ)で話しているというのも実に嬉しいエピソードだった。

あんなに恥ずかしがり屋の「固まる君」だったユキは、幼稚園で良き先生と出会い、小学校の先生にバトンタッチされて子どもたちの中で育まれているのだ。その感動を耳にして、知子も日々の疲れも癒されることであろう。


家でのお手伝いについては改善されたし。それは私の促し方が悪いのと ―というのは自分でする方が早いので― 決められたお手伝いを本人が忘れているからだ。ふらふら

4〜5度の気温です!.jpgそれでも先週ぎっくり腰になった時、学校から帰宅した時に浴槽を洗ってくれた。

毎日靴下を真っ黒にして帰って来るので、帰宅すると足を洗うのが我が家流。小学校入学後は自分で洗っている。

そのついでに浴槽を洗ってくれたのだが、最近は強力な寒気団の来襲で、この時の気温は4〜5度だったと思う。下着一枚で丁寧に洗ってくれるので心配しつつも、一生懸命な姿に感動が溢れた。

最近のユキ:
時々整理に燃え、お菓子の収納場所を整理中。
整理も上手@.jpg 

整理も上手A.jpg


困った大ばあさんの賢い対処法.jpg今月初めのこと、また雨水の会所の蓋が開いているのでユキに閉めるように頼んだところ、ユキは考えた。
「水がなかったら開けへんから」と、必死で水を汲んで捨てていた。

なぜ会所の蓋が開いているのかと言えば、曾おばあさんが会所の水を汲んで花にやるのだ。そのことにも驚くが、そのあと蓋をしめてくれなくて困っている。ユキも私もこれまで3回もはまっている。注意していても時には2センチほどのズレだとわからないので非常に危険なのだ。

だが、私は何も言わない。どんなに柔らかく伝えても伝わらないからだ。

ところが今夏もユキがはまったので、もう一度夫に働きかけて義母に蓋を閉めるように言ってもらおうと頼んだが、「そんなん知らんやん」と取り合わない。これも結婚当初からの夫の特徴だ。

こういうのも受け容れるしかないが、私は長い年月を経てようやく受容できるようになった。

そして雨の日をはさんだ数日後のこと、ユキが会所の蓋を開けたところ、
「うわあ、また水がいっぱいになってる!」と、その驚きようといったらなかった。私はしばらく大笑いしたあと説明したのだった。

変えられない現実を受け容れ、自ら身を守ろうと動き出したユキは私よりもはるかに利口だ。ユキの純粋な在りように心和らぐのを覚えた。


チャッピーも1度はまっている。老犬になった今はまれば大ごとになる。チャッピーのためにも、ベランダに出るたびに下を見て点検せねばならない。

今頃、マチ達はワシントンから西海岸に向かってフライト中だ。良き休暇を!

附記:近隣の大切な友・Nさんの愛猫トラちゃんが16日に死んだ。獣医さんによる安楽死だった。
1年前から老いを生きるトラの生命力に驚くばかりだったが、ついに4日前から水も飲まなくなり獣医さんに電話した。
Nさんの溢れる涙に私も涙が溢れた。
そして、チャッピーの最期を想った。


posted by 優子 at 23:59| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年12月16日

マチ・クマ、休暇はマイルを使ってアメリカ国内旅行に!

14日投開票の第47回衆院選の投票率(小選挙区)が、戦後最低の52、66%だったとは、国民のあまりの無関心さに愕然とする。いったい自分の人生や時代をどのように生きているのであろうか。

ワシントン在住の次女夫婦でさえ忙しい中、在外投票で投票を済ませているだけに投票率の低さに嘆いていた。

また、多忙な中に在ってブログ(12月5日記事)も開いてくれているようで、「ゆきちゃんの一等賞も一昨日読んで、早くメールしたいな、と思ってたよ。ゆきちゃんにすごいっ て言ってね!」と書いてくれていた。

ワシントンも16日の夜が明けた。今頃は起きた頃だろうか。
この日、娘は新しい部署で取り組んでいる仕事の中間発表があるそうだ。親バカながら私が職場の様子を見れば、我が子とは思えないほどびっくりすることだろう。

この年末年始は私たち夫婦はマチのマイルをもらって、ビジネスクラスでワシントンへ行く話も出ていたが時期尚早、まだ神の時ではなかった。

しかしマイルが次々と消失して行くということもあって、冗談のように言っていた(アメリカ)国内旅行が本当になってしまったとのこと。

何と、手続き代を支払っただけで飛行機とホテル代は溜まっていたマイルを使うので全て無料で行けるとは、さすが世界を飛び回っているからすごいものだ。

久しぶりにこのような楽しい記事を書いていると疲れを忘れ、疲れが取れていくようだ。こういうことが気分転換になるとは知らなかった。


そういえば私たちがアメリカ西海岸へ行ったのはちょうどこの季節だった。今から38年前の新婚旅行で。

サンフランシスコの夜はまるで映画のシーンのようだった。
ユニオンスクウェアあたりの歩道を歩いていた時、上から下りて来たケーブルカーに乗っている人たちがクリスマスキャロルを歌っていた。

それにつられて私も歌った。勿論、英語で! 
すると彼らが手を上げて「メリークリスマス!」と言ってくれたので、私も同じように返した。

それはもう映画のシーンどころか、まるで私が映画に出演しているような感動だった。


残念ながらロスアンジェルスの写真は一枚もない。
ディズニーランドではスモールワールドが良かった。ここでも観客のアメリカ人家族と一緒に"small world"を歌いながら探検したのが楽しかった。

サンセット大通り、ビバリーヒルズ、ハリウッドボール、チャイナタウン、ハリウッドでは有名な映画人が地面に手形だったか名前だったかが記された場所で、たしかマリリンモンローのところに手を当てて写した記憶があるが、フイルムを失くしてしまい全て写真で見ることもなかった。

3年前にマチ・クマと一緒にサンフランシスコへ行ったことも、時間が経つほど懐かしくなって時々ブログを見ている。ふたりは18日の午後から休暇に入るそうだ。

昨年の今頃はマチの手術前で心落ち着かない年末年始だった。あれから早1年が過ぎようとしている。
私は怠ける日もたびたびで情けないが、子どもたち(知子、幸悠、真智子、太志君・・・今はまだ「太志」と書くには遠慮してしまう揺れるハート)は、心をこめて精いっぱい励んだ。すべてのことに感謝!

1_wreath02_a.gif真智、太志君、仕事から解放されて大いにエンジョイしてね!
旅の無事を祈っています。

今週中に生活品満載の夢の無いクリスマス便をEMS(国際スピード郵便)で発送します。
今は税関申告書の英語記載を調べているところ。ふらふらふらふらふらふら
住所記載もミスなく書かなくてはと、脳への良い刺激が加わっています。お楽しみに!


そういえば、明日は私たちの結婚38周年だ。
夫は今年も気づかないで通り過ぎて行くのだろう。私でさえ忘れていたのだから・・・

posted by 優子 at 21:45| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2014年12月15日

「私たちのベツレヘムはどこに」

anime_tomosibi02.gif11月29日から始まったアドヴェント(待降節)も第3週目を迎え、14日の礼拝には3本目のクランツに灯がともされた。

この日のメッセージもその日のうちにお分ちしたかったが、12月突入と同時に起こった一大事と次々と戦わねばならない状況に疲労困憊してしまい、安堵した先週末から疲れがドッと出て書けないでいた。

しかし神は誉むべきかな。全てのことを勝利させてくださり、神の臨在を目で見るような顛末であった。

14日のメッセージの要旨だけでも心に刻みたいと思う。
anime-tree1c.gifクリスマスは単にイエス・キリストの誕生のことだけではなく、その意味は、この方こそ十字架にかかり、復活される方であるということが隠されている。苦難の生涯を送られたこの方こそメシヤ、救い主である。

あなたのために、私のために救い主がお生まれくださったという思いを持つ時に、聖書の言葉が生きたものとして心深くに入って来る。

今朝の説教題・「私たちのベツレヘムはどこに」は、日本の政治学者で東北大学法学部名誉教授の宮田光男氏が言われたことで、「私のベツレヘムは教会だ」と説教された。

宮田氏はボンヘッファーやドイツの教会に詳しい方で、牧師ではなく信徒ではあるが、牧師以上の説教をされる信徒説教者である。

宮田氏は、私たちは自分のためのベツレヘムを見つけるのか、私たちはどこでイエス・キリストと出会っているのかということを問われた。

そして、
「あなたはどこでキリストに出会いましたか?!
 それは教会でしょ?
 あなたは教会でキリストに出会っているでしょ?!」
と言われる。

イエス・キリストの十字架は我がためなりと受け容れ、私たちはキリストが私たちと共にいてくださるとの思いでもって礼拝を守る。

私たちは教会の礼拝でイエス・キリストが出会ってくださるということをしっかり受け止めねばならない。

そして、教会生活をしながら人生の破れ、苦難に出会う。例えば愛する者との死別だ。苦難の時にキリストは私たちの傍に立っていてくださる。苦難の中でイエス・キリストに出会うのである。

人間の死は肉体の終わりであっても、霊は神の国に生きることができる。それが私たちの大きな慰めである。それが大きな喜びの出発点である。
私たちは礼拝から出て行き、礼拝に帰って行くのだ。

私は洗礼を授けてくださった小山恒雄牧師の言葉を思い出していた。

私たちは6日間の信仰生活を送り、礼拝で魂を癒され練られて再び自分の置かれたところへ遣わされて行くのである。
日曜クリスチャンではなく、6日間こそが「クリスチャンの檜(ひのき)舞台」であると。

ルカによる福音書 2章8節〜20節:
さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。 すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。

御使は言った、
「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。

あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。

するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神を讃美して言った、

「いと高きところでは、神に栄光があるように、
 地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。

御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。

そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。彼らに会った上で、この子について自分たちに告げ知らされた事を、人々に伝えた。

人々はみな、羊飼たちが話してくれたことを聞いて、不思議に思った。
しかし、マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらしていた。羊飼たちは、見聞きしたことが何もかも自分たちに語られたとおりであったので、神をあがめ、また讃美しながら帰って行った。

この1年を振り返り、イエスのご降誕を待ち望みつつクリスマスの心備えをしたい。


posted by 優子 at 23:59| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2014年12月11日

「半世紀の感謝と60周年にむけて」 −大阪洋紙同業会50周年記念誌より−

記念誌@.jpg10月8日、帝国ホテル大阪にて大阪洋紙同業会創立50周年記念祝賀会が開催され、当日の様子も記録された記念誌が届いた。

記念誌A.jpg










記念誌上に挨拶文を掲載していただいているので、ここに感謝をもって転載させていただきたい。

大阪洋紙同業会 理事長
藤本 良輔

半世紀の感謝と60周年にむけて

終戦の廃墟の中から日本が再建に向けて動き出した同じ時、私たちの先人たちが創建の鍬(くわ)を打ち込み、大阪洋紙同業会誕生への胎動が始まりました。そして、昭和39年に大商会と板紙親友会が合併して大阪洋紙同業会が発足しました。

以来、幾多の試練を乗り越えて50周年を迎えることができましたのは、歴代の諸先輩方はじめ、関係各位のご尽力の賜物と心から感謝申し上げます。

この半世紀を振り返ります時、「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず。」という孟子の言葉を想起せずにはいられません。「天の時」と「地の利」と共に、時にかなって陰になり日なたになって労してくださった方々を想います。

私たち2代目は「第2の創業」といわれる厳しい時代でした。少子化という社会状況、バブルの崩壊で戦後最大級と言われた不景気、その回復を見ぬままリーマンショックの激震、そして、東日本大震災と苦難の連続です。

その間にも時代は大きく動き、インターネット時代への歴史的転換期とも重なり、現在も電子化の一途を辿っています。

ピーク時には139社まで増えた会員が現在では66社にまで減少し、希望を見失ってしまいそうな現況ですが、それゆえに会員を戦友のように感じるのは私だけでしょうか。

そのような今、同業会も3代目への世代交代の時を迎え、積極的に参画していただくことを切に願っています。

卸商は卸の本分に立って紙の専門性を高め、ユーザーの必要に応えられるように研鑽を積み、且つ、代理店と卸が一体となって業界の規範を正して、より良い環境を構築することが目下の急務と考えます。

私たちは今一度50周年の重みを噛みしめて、60周年に向かって新たなる一歩を踏み出しましょう。

最後になりましたが、任期中の重責を支え協力してくださった方々に心から感謝申し上げ、各社の益々のご発展と同業会の更なる前進を祈念申し上げます。

夫の任期は、平成21年5月〜平成26年11月まで、また、それに先立つ平成20年10月〜平成21年5月まで理事長代行として、通算6年間務めさせていただいた。

記念誌B.jpg 

記念誌C.jpg 記念誌D.jpg

写真は『50周年のあゆみ』より、50周年記念祝賀会の様子を一部掲載させていただいた。

posted by 優子 at 23:04| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2014年12月10日

芸術は分からずとも岡本太郎に魅かれる理由

「芸術は爆発だ!」
1981年のテレビコマーシャルで岡本太郎が発したこの言葉は、今も強烈な記憶として残っている。あの頃は笑って見ていただけで、その後も芸術を味わう感性も全く開かれぬまま年を重ねてしまったが、50歳を過ぎた頃から岡本太郎に魅かれている。

「芸術は爆発だ!」
岡本太郎にとって「爆発」とは「戦い」の意味であると知り、「戦い」とは何と闘っているのだろうと関心を持ち始めたのだ。

太郎がこだわるのは人間が機械を造ったにも関わらず、今は経済や財産の多寡だけが進歩になってしまっていることだ。人間が機械の奴隷になっていることを警告し、機械文明で埋もれた人間の魂を取り戻したい、それが太郎の戦いだった。

人間の魂を取り戻すためには正反対のものがぶつかり合うこと。それによって生み出されるのが調和であり、それは人種や国籍を越えたものだ。
それが「太陽の塔」であり、その意味するところは「調和」であり普遍的なものだ。従って西洋的なものではなく、日本的なものでもないと言うのだ。興味をそそった。


太郎は、「憎まれてもいい、嫌われてもいい、不満に思われてもいいと平気で造った」と語っていたが、「あれだけべらぼうなものを建築物として造れるようなパワーを持った人間は岡本しかいない」と同時代の人に謂わしめた。

漫画家の岡本一平と、歌人で作家・かの子という、一流の評価を受ける両親の一人息子として生まれた太郎は、自分だけの絵画を捜して苦しんだ。

そして、21歳の時、人生を変えるピカソの絵に出会った。
ピカソは現実の絵をそのまま写し取るのではなく、抽象的なイメージに置きかえられている。そこで太郎は、ピカソの真似ではなく独創的な絵に挑戦した。ピカソを越えることが芸術家として生きる使命だと考えた。

異なる2つのモチーフ、現実と抽象を描くが、それは単なる具象的ではなく、ただ抽象的でもない。対立する2つのものをぶつけ合うことで新しい芸術を生み出そうと苦闘した。

ピカソは太郎の作品を、「東洋の紋切り型から解放されているだけではなく、西洋の偏見からも解放されている」と評価した。

太郎は10年間パリで過ごしたが、彼にとってパリは本当に戦う場所ではない、戦う場所は日本であると気づき、日本は精神的に閉ざされた所かも知れないが、そこでこそ自分を賭けようと帰国した。

「絵画の石器時代は終わった。新しい世界はこれから始まる。・・・独立した精神と存在価値が現わされなければならない。」と挑戦的なことを言ってバッシングにあうが、「本当の仕事をする人は、人に悪口を言われると言うのが僕の持論だ。」と語る。このような太郎の気魄に惚れる。

現在、渋谷駅にある『明日の神話』は、戦争と原爆に対する怒りを表しており、悲劇を乗り越えた日本人を描いた。

「明日の神話」.jpg
<↑ネットより拝借>

太郎は、「絵画の中に自分を写し出す。完成を拒否し、自分を問い、自分を探り続けた。人の目を気にしないで、全身で過去と未来を表現した芸術家であり、人間そのものを描き続けた。人間の生き方は即ち芸術なのだ」と!

岡本太郎の言葉:
「人間にとって成功とはいったいなんだろう。 結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか」。

その意欲的な生き方に大いに共鳴するも、悲しいかな私には芸術を鑑賞し感動する能力がない。

縄文土器の美に圧倒され、ケルト文化に魅かれた太郎。
「太陽の塔」の内部は、生命の進化を表現した高さ41メートルにも及ぶ「生命の樹」が造られていたが、万博開催当時大学1回生だった私は何度か行ったものの、一度も内部を見学しないまま終わってしまった。

太郎はどうやら進化論を支持しているようだが、彼の世界観、特に宗教について聴きたかった。

「太陽の塔」の内部に世界各地の民族資料を展示しようとした太郎の思いは、私はわかるような気がする。見当外れではないように思う。
「太陽の塔」に収集された民俗資料が発端となって、後年、日本で初めての国立民族学博物館が設立された。民博は子どもたちが小学生の頃に一度見学したことがある。

今年こそ万博公園を訪れて「太陽の塔」を見たいと思っていたので、千里ニュータウン教会へ行くたびに「ここからすぐ近くなのに」と太郎への気持ちを馳せていた。

しかし今秋も行けず、来春こそ必ずと思っていたら、2015年に「太陽の塔」の内部公開を始めるとのこと、何と幸運なことか! ユキのような年齢の子供も何らかの刺激を受けることだろう。

私はなぜ太郎に魅かれるのか。
それは人の批判を恐れずに、自らの課題に向かってアグレッシブなほどに挑戦し続けたからだ。燃え上がる探究心を最後まで失わなかった太郎が好きだ。
まさに人生は芸術作品であり、芸術作品にまで仕上げる気魄を持って個性を磨き続けたいものである。

太郎の晩年は重いパーキンソン病に悩まされて、84歳で亡くなった。母と同じ1996年だった。

posted by 優子 at 00:00| 音楽・芸術 | 更新情報をチェックする

2014年12月09日

物事全てを良きに成し給う主

anime_tomosibi03.gifアドベント2週目の今週の礼拝で、奏楽のご奉仕にあたっていた知子が選んだ前奏曲は、バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」だった。

前日しか練習の時間が取れないとわかっていたのに、どうしてこのような難しい曲をと思ったが、知子の魂が慕い求めたのであろう。
リードオルガンで弾くバッハが耳に届くと、私の騒いでいた心が静まっていくのを感じた。

この日、毎月第1聖日に御用をしてくださっている西大和教会の大沢星一牧師と、高見敏雄牧師と共に北川博司牧師のメッセージを拝聴した。

牧師方がたくさん居られるので私でさえ少々緊張したが、今の私には心強く、まるで神の治外法権下に入れられたような安らぎを感じた。

この朝、開かれた聖書は「サムエル記T2章1節〜10節」で、神の業を見たハンナの祈りがマリアの讃歌を導いたと説かれ、悲しみや苦悩こそ喜びの始まりであると励まされた。

神はハンナとマリアを困難な状況から救い出されたのである。まさに私たちの先週の出来事もそうであった。試練にあるからこそ溢れる恵みを賜うのである。

しかし、その夜も再び愕然とする情況が展開され、8日朝、ついに真智子にメールを打った。この時ワシントンは日曜日の夜。今ならばまだ起きている時間だからとIMFの携帯電話にも同時送信した。

真智は私たちが余裕を失いかけ、いや、既に混乱させられている危機的状況にあることを察知して、すぐに電話してくれた。スカイプに切り替えて1時間ほど話した。

この時も冷静に判断して助言してくれた。心強い祈り手、導き手。慰めを得て力が与えられた。すぐに会社へ電話して真智の見解を知子に伝えた。

この時、真智が贈ってくれた御言葉は「コリントの信徒への手紙四章八〜九節」。

「私たちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、 途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、 打ち倒されても滅ぼされない」。 

御言葉が骨の髄まで届いた。

主はおられる!
次女夫婦の祈りと、具体的なことはご存知なくとも背後で祈ってくださっている方々の祈りを強く感じた。祈りは地上での最大の力だ。そして、ルカ伝・8章17節の御言葉を想った。

「隠されているもので、あらわにならないものはなく、秘密にされているもので、ついには知られ、明るみに出されないものはない」。
悔い改めない限り、神は必ず明るみにされるのだと思った。しかも絶妙なタイミングで!
己の悪や愚行に気づく者は幸いなり。

昨日8日(月)もまた知子に不思議なことを見せてくださり、今朝は神の力に強くされて出社した。しかし、信仰の目に依らずば心身はズタズタの状態であった。気がつけば私は聖歌を口ずさんでいた。

@ 救い主イェスと共に行く身は
  乏しきことなく 恐れもあらじ
  イェスは安(やす)きもて 心足(たら)わせ    
 物事全てを良きに成し給う
  物事全てを良きに成し給う

A 坂道に強き御手を差し伸べ
  試みの時は恵みを給う
  弱き我が霊(たま)の乾く折りしも
  目の前の岩は裂けて水湧く
  目の前の岩は裂けて水湧く

B いかに満ち満てる 恵みなるかや
   約束しませる家に帰らば
   我が霊は歌わん力の限り
   君に守られて今日まで来ぬと
   君に守られて今日まで来ぬと


そんな今朝、軽やかな気持ちで知子を見送ってから溝や駐車場の落ち葉を掃除していると、またもやぎっくり腰になってしまい、不本意ながら全日横になっているしかなかった。

その間も常に知子のことが気になっては祈っていた。愚者の理不尽きわまりない言動で困ってはいないかと。神さまが知子を強くして、神の知恵で勝利させてくださるようにと祈っていた。

すると、今夜は何と明るい表情で帰宅したことか!!!
神さまの行き届いたご配慮に驚くばかりである。

神さまが遣わしてくださっている方が3年の時を経て、昨日の出来事を通してようやく知子の情況を深く理解してくださるに到り、このすさまじい状況を生き抜く知恵をも与えてくださっていたのだ!

神は私たちの足のすべるのをゆるされず、私たちを広い所に導き出されたのである!


「それでは、これらの事について、なんと言おうか。
もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか」。
         
                 (ローマ人への手紙 8章31節)
心を強くせよ!
神の側に立って生きる者に誰も敵対できるわけがないのだ。
014932s_mini.jpg
そして、主は言われる。
その人を愛せよと。
アーメン、従います! お導きください。


附記:このブログでは口語訳聖書を用いているが、「サムエル記T2章1節〜10節」は新改訳聖書を引用した。
ハンナは祈って言った。
「私の心は主を誇り、私の角は主によって高く上がります。私の口は敵に向かって大きく開きます。私はあなたの救いを喜ぶからです。

主のように聖なる方はありません。
あなたに並ぶ者はないからです。
私たちの神のような岩はありません。

高ぶって、多くを語ってはなりません。
横柄なことばを口から出してはなりません。
まことに主は、すべてを知る神。
そのみわざは確かです。

勇士の弓が砕かれ、
弱いものが力を帯び、
食べ飽いた者がパンのために雇われ、
飢えていた者が働きをやめ、
不妊の女が七人の子を産み、
多くの子を持つ女が、しおれてしまいます。

主は殺し、また生かし、
よみに下し、また上げる。
主は、貧しくし、また富ませ、
低くし、また高くするのです。

主は、弱い者をちりから起こし、
貧しい人を、あくたから引き上げ、
高貴な者とともに、すわらせ、
彼らに栄光の位を継がせます。
まことに、地の柱は主のもの、
その上に主は世界を据えられました。

主は聖徒たちの足を守られます。
悪者どもは、やみの中に滅びうせます。
まことに人は、おのれの力によっては勝てません。

主は、はむかう者を打ち砕き、
その者に、天から雷鳴を響かせられます。
主は地の果て果てまでさばき、
ご自分の王に力を授け、
主に油そそがれた者の角を高く上げられます」。
 

posted by 優子 at 23:59| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2014年12月05日

全校持久走大会の1年生部門でユキ1位入賞!

昨日の雨で延期になった全校持久走大会が今朝開催され、1・2年生の低学年は2キロ、中学年は2.6キロ、高学年は3.2キロコースを走った。

ユキはずっとずっと家族の見学を楽しみにしていたので、知子は毎晩遅くまで仕事をして時間を割いた。私は体調が悪くて昨日は一日寝込んでいたが、今朝は血圧が下がっていたので一緒に出かけた。

まず2年生がスタートを切り、5分ほど間隔をあけて1年生がスタートした。
持久走@.JPG走っている子どもを見分けるのはなかなか難しく、気がつけばすぐそこにユキが来ていた。

ユキもこんな真剣な顔をするんだ! ユキではないみたい。

この手前で自動車が左から出て来たのでストップをかけられたために、大きく開いていた差を縮めてしまったが、このあとも頑張り抜いた。
私と知子は、このあとすぐに引き返して最後のコース、坂道の頂上で待つことにした。

ユキは道中で何人ものお母さん方に「ゆきひさくんや、がんばれー!」と声援を送られたり、折り返しの道では、「あっ、1年生や、早いなあ」との声も聞いたと言う。

私たちは坂道の中頃まで来た時、まだまだユキは来ないだろうと保護者の方と話したり、2年生の子どもたちに声援を送っていた。

私は低学年の子どもたちが真剣に走っている表情に感動して、応援しているうちにユキのことを忘れてしまった感もあるが、知子の声に気がつくと、すぐそこにユキが走って来ているではないか! 慌てた。

持久走A.jpg残念ながら正面から撮れなかった。

しかし、ゴールするところは絶対に撮ってやりたいと思っていたので小走りでついて行ったが、とても走ってなどいけなくて歩くしかなかった。

校門に入ってから運動場を1周するから大丈夫だろうと思っていたが、これでは間に合わぬ。またまた慌てて校門から大急ぎで走っていった。チャッピーを追いかけた時のように必死でゴールに向かった。
そして、ゴールする数秒直前に到着、間に合ってシャッターを押した。

ユキは1年生1位、12分3秒でゴールイン!
2位と大差をつけてのゴールインだった。
 

持久走B.jpg
 

かけっこ大会!.jpg
これは昨年の12月、幼稚園のかけっこ大会で
小学校の運動場を4周した時のユキ。
この1年間で体も顔つきも幼児から児童になっている。

私は気がつかなかったのだが、校庭の右側に園児たちと応援してくださっていたN先生が、「うわぁ、ゆきひさくん1位や!」と目聡く見つけてくださったという。
N先生の子どもたちを愛する真の教育者の存在に、私たちはいつも心満たされて生きる喜びを感受する。

持久走C.jpg通し番号41番の札をもらい名前を記入した。

「この時、しんどくて書く手が少し震えていて、ふじもとの『もと』を漢字で書かないとあかんかったけれど、消しゴムもなかったのでひらがなで書いた」と、知子に話していた。

持久走大会1位!.jpg「41」は、1年生よりも5分早くスタートして同じ距離を走っている2年生との通し番号で、2学年も一クラス30数名の2クラスである。





今朝の最低気温は1.4度、寒い一日だった。

持久走D.jpg

最も感動したのはユキがスタート直前に祈ったことだ。
「『神さま、1位をめざしてユキのペースで頑張りたいので、ユキのいつものとおり走れますように』ってお祈りしたよ。もう始まるから『アーメン』は言えなかったけれど」。
素晴らしい!!!

持久走E.jpg「ユキの頑張ってる顔を見て、ママは疲れが和らいだよ。
ユキもママの知らないところで、あんなに頑張っているんだなって知って嬉しかった!!」


特にこの1週間は12月1日から怒涛のごとき日々だった。時間もなく、まさに間一髪で神の奇跡を身をもって体験した出来事があった。

「マラソンとか個人懇談とか、平素でも学校は異世界に感じるけれど、特に今日はまだいつもの自分と違って、全然子供たちに心が移らなかった。

(毎日があまりにも心身共に過酷すぎて)ボーっと考えたりする時間がない中なので、それらの衝撃が未だ和らいでいない自分を確認しています。ママが言ってくれていたような疲れ、やね」。

(11日追記:その疲れではないことが7日夜に判明し、
次の記事に書ける範囲で記録した。)

私は知子を駅まで送ったあとすぐに帰るつもりだったが、長距離を頑張り抜く5・6年の子どもたちの表情や姿に感激して最後まで応援していた。

私はエスキモーの人々のように厚着して行ったので寒くなかったが、血圧が高いと感動することも体に障る。帰宅した時には血圧が再び150にも上がっていて今も下がらないままだ。

ユキは充足感に満ちて帰宅した。
「ただいまー! おばあちゃん、今日は感動した?!」
「すっごく感動したよ! よく頑張ったねえ!」
「チャッピー、ユキ、持久走1等になったよ!」
とチャッピーにも話していた。神戸のおばあちゃんにも電話する。そして、マチにも電話すると言ったがワシントンは真夜中だ。かわいい

今日はとても楽しい一日だった。
知子の喜びはとてつもなく大きいことだろう。

私たちはユキの経験を次に繋いでいけるように良き導き手になってやりたいものである。1位や2位の順位にのみ目を向けるのではなく、目的を持って励むことの大切さと、努力した者に与えられる喜びを知る者に。

バトンを持って走っているところ.jpg「バトンを持って走っているユキ」。

これはユキの自画像か。
まるで今日のユキのようだ。
目に表情があり、とても伸び伸びと力強く描けている。

祖母バカながら、コンクールに応募したいと思うほどよく描けている。



附記:今夜、夫は同業会の忘年会。
知子は早く帰るつもりだったが帰宅は8時半頃か・・・明後日の礼拝の奏楽の練習は全くできていない。

21時40分追記:たった今忘年会から帰宅した夫は、開口一番に「ユキちゃん、どうやった?!」と感心にも宣ふた。ユキも自分で伝えることができたので御満悦。

夫、「すごいなあー!」とひとしきり感激して曰く、「誰のおかげやと思う?」
ユキのおじいさんは早速自分の手柄にしようとした。ちっ(怒った顔) 


posted by 優子 at 19:23| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年12月02日

ただ神の栄光が現れますように

「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。
 わたしはあなたの名を呼んだ、
 あなたはわたしのものだ。

 あなたが水の中を過ぎるとき、
 わたしはあなたと共におる。
 川の中を過ぎるとき、
 水はあなたの上にあふれることがない。
 あなたが火の中を行くとき、焼かれることもなく、
 炎もあなたに燃えつくことがない」。

             (イザヤ書43章1節〜2節)

昨夜も知子と祈り合い、知子にこの御言葉を贈った。
人間の力ではどうにもならなくなって万事休すになった時は神の出番である。だから恐れることはない。必ず神が働いてくださることを信じて、この御言葉を堅く握りしめて出発した。

一切を神に委ね、心を冷静に保持して、関係する人々にいのちをもたらす言葉で説得することができますようにと祈っていた。

そして信じていた通り、危機一発のところで神が介入されて無傷で通り抜けさせてくださった。これは直接的には知子への試みではないと感じていたが、その一報を得てそのことを確信した。ついにオペレーションが始まったのだと悟った。

私たちは今もなお希望を失わずに神に祈れることを全てに優って感謝している。どうか全ての人の上に神の導きがありますように。

知子へ贈る御言葉:
「神はわれらを生きながらえさせ、
 われらの足のすべるのをゆるされない。
 神よ、あなたはわれらを試み、
 しろがねを練るように、われらを練られた。

 あなたはわれらを網にひきいれ、
 われらの腰に重き荷を置き、
 人々にわれらの頭の上を乗り越えさせられた。

 われらは火の中、水の中を通った。
 しかしあなたはわれらを広い所に導き出された」。
 
             (詩篇66篇9節〜12節)

また一つ、知子に尊い経験をさせてくださったことを主イエスに感謝します。
あなたが娘に備えてくださっている人生を豊かに歩ませてくださるように祈ります。

posted by 優子 at 14:38| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2014年12月01日

経営改革3年目の収穫を神に感謝して

先ほど"being & doing"に、「経営改革3年、祝福された全体会議」を更新した。同じものを『メメントドミニ』にも転載しておきたい。

経営改革先導者として百戦錬磨の日々に明け暮れしている知子は、タイトルにあるように一つの結実、深い充足感を与えられた。神に希望を繋いで何度も何度も立ちあがってきたことを報いてくださったのである。

全体会議の様子を話してくれた知子は、最後にしみじみと次のように語った。

「私が経営改革の最初に言っていたことは人材のことだった。ここに全員が助け合って行こうとの思いを一つにしてくれ、一つの大きな実が結実していた。
少しでも利益をあげるように1人ひとりが心を一つにして励んでくれている。みんなが共鳴してくれたいい会議だったと思う」。


私たちは心から神に感謝した。
信仰に立っての忍耐と努力。イエスの教えを経営理念の中心に据えて、本当に1人ひとりのことを思いやって励んできたゆえの祝福だ。

なぜならば何事においても努力すれば達成できるというものではないからだ。特に人と人の交わりを通しての感化はそうだ。

周囲の人々は知子の言動、生きざまをじっと見つめて来た。どんな時もどんな人にも誠実で変わらぬ生き方が、毎日関わる周囲の人々に伝わっていったのだと私は思っている。

そして知子もまた、ずっと熱心に頑張り続けてきた人々に支え励まされて自らを成長させて来たのである。互いに人格を高め合える仲間がいるというのは何と幸せなことかと思う。私も負けずに励みたい。

今まで多くの人に助けられてきたが、その中でも特筆すべきことは、親に代わって一つひとつ教えてくださり、精神的にも大きな支えとなってくださっている方の存在だ。

この方の存在がなければ決して今に到ることはなかった。神さまが遣わしてくださった方であり、知子の生涯忘れえぬ人である。そのような人に出会えた知子は幸せ者である。


今後も途絶えることなく試練の日々は続くが、職場の空気が一新されて皆も働きやすくなっていることだろう。これからは互いに苦労と喜びを分かち合い、皆が思いやりの心を育て合いながら進んで行くことだろう。

クリスチャン同志や教会の兄弟姉妹が「神の家族」ならば、職場のお互いは「美濃紙業の家族」だ。この気持で職務にあたっているのは知子だけではない。

どうか美濃紙業で働く1人ひとりの上に、神のお導きと祝福が豊かにありますように祈り続けます。

下記は、本日更新した"being & doing"の「経営改革3年、祝福された全体会議」より転載したものである。

11月が決算月である美濃紙業の新年度(期首)が始まりました。
それに先だって会計年度末の11月29日(土)に、美濃紙業の恒例になっている年に一度の社内全体会議が開催されました。

2012年2月に経営改革がスタートして2年9カ月、ここに一つの大きな実が結ばれていました。全社員で造り上げた芳しい実です。皆が心満たされる風を感じた会議でした。

以下は改革先導者(藤本知子)からの報告です。会議では藤本(知子)が、経理部来期の活動指針を経営改革の中に盛り込む形で次のような話をしました。
 
独自で進めて来た経理部の見直しを少々紹介しましたが、そうした大枠の変革に並行して日々の小さな小さな取り組みの積み重ねも大きいものです。中小企業は、桁は違えど家計と同じであり、どの部署の社員も常に業務効率化を念頭に置いて取り組み続けていく必要があります。

では、各自はいかにして営業部を支えていけるのでしょうか。
それは一見、業務面の改善項目だけを指しているかのように聞こえますが、そうではありません。それと同等にそれを行っていく人間関係こそが大切であり、それが業績を左右していくと言えます。社外には言うまでもないことですが、社内において雰囲気を悪くしない事が必須です。

営業、経理、現業の方々、店頭も全ての部署において、1人当たりの仕事量は増えていますが、それぞれが互いの状況を思いやり、たとえ面倒な要望があったとしても快く引き受けるよう努力していく必要があります。

社内の人間関係、協調体制が取れていなければ、遅かれ早かれ社外にも波及してしまいます。「日々営業が培っている客先との信頼関係を壊すのは簡単だ」からです。

そのためには全社員が同じ志で、相手の年齢や職位、また、好き嫌いによって態度を変えてはなりません。嫌な顔つきや声の表情でこちらの気持ちが相手に伝わります。
人間である限り、体調や諸事情の変化は毎日必ずあるわけですが、できる限り誰にでも一定した態度を保つ努力が必要です。しかも、できれば笑顔で応対するように心がけましょう。

これが人間として最も大切なことであり、私の経営改革の中心に据えてきた原点です。

ペーパーレスの進む中での紙の営業の大変さを想像できなければ、「オール美濃」ではやってはいけません。

1人ひとりが当社にとって大切な存在であり、それは決算書に現れない無形の財産であると思っています。どうかこれからの1年もよろしくお願いします。

このあと1人ずつの発言を通して、社内の情況が大きく変えられていることを皆が確認し合いました。全員がそれぞれの持ち場の情況を語り、互いを思い合い、気持ちを分かち合うという、生きる喜びに満ちた会議になりました。以下も藤本のリポートです。

例えば、ある社員はこのようなことを話しました。

「今までは淡々と伝票入力をしていたが、今はどうすれば運賃や経費を節約できるのか、また時間を効率的に使えるのかと、この注文に関わる人々のことを考えるようになり、一番営業の方々の負担が減るように手配するようになりました。これからも営業さんをサポートできるようにがんばって行きます!」

各自がこうしたメッセージを互いの目を見て語り合っていました。
このように全員がそれぞれ熱く意気込みを語るとは、改革がスタートした時点では全く考えられないことでした!

3年前は理論だけが1人歩きしていましたけれども、震災以降の様々な変化を目の当たりにしている今は、これらの言葉を実感を持って皆が受けとめてくれ、全員で意志確認をし合えました。

「今みんなが話したことを心に留め、実践してください。各自健康管理も怠らないように。来年のこの会議で是非、結果を聞きたい」。
常務のこの言葉にも全社員が一つの家族として、互いを思い合って頑張ろうという意欲と希望が溢れています。1人ひとりが希望をもって受けとめたことでしょう。

「会社の雰囲気作りと言えば19日に忘年会があります。今回は初めて長田から離れて大阪の中心地に会場を移しました。みんなで盛り上がりましょう!」

私は感動しました。
忘年会の幹事の思いを受けて今年は最高の忘年会になることでしょう。

会議を終えてオースティンの言葉を想い起こしていました。
「汝の心の庭に忍耐を植えよ。その根は苦くともその実は甘い」。


みんなもこの思いを体験していることでしょう。
いよいよこれからが楽しみです。
みんなで美濃紙業の希望を実現していきたいと思います。

posted by 優子 at 12:40| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする