2015年03月31日

「何とかなるという安易な希望は現実を見ていない」。

福島第一原発から約100キロ離れた日本基督教団若松栄町教会(福島県会津若松市)の会員である片岡輝美さんは、2011年7月に会津放射能情報センターを立ち上げ、福島から放射能に関する情報を発信している。
2月15日に西大和教会に来られた方だ。
先ほど『クリスチャン・トゥディ』に公開された【インタビュー】「現実と希望の狭間で」 会津放射能情報センター代表・片岡輝美さんより後半部分を転載させていただいた。

今日ご紹介する記事は、一部の教会やクリスチャンに対して感じていた私の胸の裡のざわめきでもあったので、非常に共感し確証を得たという思いだ。

今年に入ってから私は自分の筆致が変わってきていることに気がついている。カテゴリで言うならば「社会的なこと」が多くなっている。日本があまりにもおかしくなってきたからだ。その関係からかアクセス数が増え、少ない日でも1500のアクセスをいただいている。

私は社会的活動は何もできていないが、昨日の記事のように勇気を奮って語る人々のメッセージをお伝えすることはできる。それらの記事を通して信仰に裏打ちされた思いを書いていきたいと思う。

震災以降、聖書の読み方が変わった

あの原発事故以来、希望を与えられているキリスト者として、この時代をどのように生きるのかと自問する日々が始まりました。聖書を読めば、人々は、その時代の危機や弾圧、課題や生命の脅かしに向き合ってきたことが分かります。

もちろん、そんなに強い人たちがいっぱいいるわけではないけれど、失敗しながらも、間違いを犯しながらも、置かれた場で、精一杯生きてきた人々がいたことを知る度に、私も置かれた場で精一杯生きていきたいと思うようになり、震災以降、聖書の読み方が変わってきたのを感じています。

例えば、詩編には、「自分に迫る敵から救い出してほしい」との訴えや嘆きが編まれています。今の私の思いに重ねれば、「敵」は明らかに国家権力です。

またさらに、おびただしい原発被害者・被災者がいるにもかかわらず、この4年間加害者が特定されず、日本政府も東京電力も責任を取っていないのです。再稼働や海外輸出を目論む「敵」の圧倒的な権力にあらがう人々の叫びが、詩編と重なります。 

夢でお告げを受けたヨセフはマリアをたたき起こし、生まれたばかりのイエスの生命を守るために、暗闇の中を避難し、エジプトを目指しました。その姿は自主避難を決意した親たちの姿そのものです。
放射能への恐れは、それを持ち得ない人々には理解できません。しかし、迫り来る危険を察知した親たちは必死で逃げてきたのです。


繰り返し罪を犯す人間は本当に愚かだと思います。しかし、どの時代でも「神の国」を思い描き、それを待ち望み生きてきたのも人間です。

安易に「何とかなる」ではなく、徹底的に絶望を 

私はこの時代に生きるキリスト者として、「きっと大丈夫、何とかなる」という簡単な考えは持つつもりはありません。
なぜなら、原発サイトの事実を直視し、今、再稼働を食い止めなければ、さらに悪い事態に陥る危険性もあると思うからです。何もしなければ、もっと悪い方向へ行くのです。

川内原発が動かされようとしています。今後、再稼働の後、再び原発事故が起きれば、日本は絶望的な事態となります。すでに福島原発事故は日本国内だけではなく、海外にも影響を及ぼしていますが、さらにそれは悪化します。

私は、この時代に生きるキリスト者は、徹底的に絶望しなければならないと考えます。何とかなるという安易な希望は現実を見ていない。この厳しい現実に真っ正面から向き合うには、まず絶望を受け入れなければならない。そこからしか、本当にこの時代にどうやって生きていったらいいのか見えてこないような気が私にはするのです。

教会も社会的な問題に目を背けてはいけない 

私は、教会こそ、社会的政治的な課題に取り組むべきだと思います。「配慮」によって取り組みや対話を避けるのであれば、私はその判断に問い掛けたい、「イエスはそのような生き方をしたのですか」と。

そのことに関わらないと判断した時点で、もう私はその事柄を容認していると思うのです。教会の中では原発のことには関わらない、話し合いもしないといったら、もうそれは、具体的にいえば、自分たちには原発が必要だということになるのです。

私は一キリスト者として、言わなければいけないと思うし、言える場があるのだったならば、言っておかなければいけないと思います。
「やはりあの時、言えば良かった、やれば良かった」という後悔は、二度としたくないのです。

「生命を守りたい」という思いから生まれる言葉や行為は、実は非常にシンプルでもあり、それは、まさに創造主から与えられた生命を最後まで生き抜くことになると信じています。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
片岡輝美(かたおか・てるみ):1961年、福島県生まれ。2011年、「放射能から子どものいのちを守る会・会津」と「会津放射能情報センター」を設立し、代表となる。福島の約200人の親子が子どもの人権回復を求めて福島地方裁判所に提訴した「子ども脱被ばく裁判の会」の共同代表。

是非、全文をお読みください。

posted by 優子 at 21:59| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年03月30日

「民主主義国家でこれほど異常な一党支配の国は私の知る限り、見たことがない」。

「国が国に審査を申し立て、知事指示の効力を止める不可思議さ。沖縄・辺野古」。(毎日新聞)
沖縄県の翁長知事が出していた辺野古への移設作業の停止指示を、今朝、政府が「効力停止」した。平和的手続きを踏まないでついに本性を暴露して力による弾圧に出たのだ。

これまで私は沖縄の基地問題にしても自分の問題として真剣に考えては来なかった。私だけではなく今まで国民はどれだけ本気になって沖縄の人々のことを考えてきただろうか。

せめて今からでも向き合って民主的に解決すべきと声を挙げようではないか!社会のことに傍観者であるということは即ち自らの人生にも傍観者であるということだ。

今や私たちにもわかるほど言論統制を強めている政府である。ここに至って尚ジャーナリズムまでが批判精神に眼をふさぎ権力に追随するならば、日本の民主主義は一気に瓦解するだろう。日本は安倍晋三氏のものではない。日本は国民のものだ。

下記は日刊ゲンダイ(2015年3月16日)の NYタイムズ東京支局長マーティン・ファクラー 「大新聞は国民を見下している」より抜粋引用したものである。日本がますます悪い事態にならないことを願って拡散したい。
――この調子でいくと、今月中にも自衛隊が世界中に出ていって、戦争協力する法案が提出されることになります。国の形が完全に変わってしまうのに、日本人は関心も示さない。どう思いますか?

こうなっているのは2つの大きな要因がありますね。
ひとつは自民党一強、野党不在の政治状況。もうひとつはメディアが安倍政権を怖がって批判を控えていることです


国の根幹が変わるのに、新聞が反論を載せない異常:
――やっぱり、怖がっているように見えますか?

 
見えますよ。日本はいま、これまでとは全く異なる国家をつくろうとしている。憲法に基づいた平和主義を守るのではなく、米国や英国の仲間になろうとしている。果たして、それでいいのか。

大きな岐路、重要な局面に立っているのに、そうした議論が何もないじゃないですか。これは本当に不思議なことです。恐らく多くの国民は、戦後以来の大きな変化が起こっていることすら知らないんじゃないですか。


――日本の大メディアは安倍政権が人質救出に何をしたのか、しなかったのか。イスラム国と戦う国への2億ドル支援演説の是非もほとんど論じていませんね。

――安倍首相は人質救出に全力を挙げると言っていましたけどね。
 

政治っていうのは、みんなそんなもんですよ。オバマ政権も一緒です。ただ違うのはメディアが政府の言い分をうのみにするかどうかです。
問題はそれに疑問も挟まず、従って何の質問もせず、説明も求めないメディアの方です。だから、安倍首相が積極的平和主義を唱えれば、多くの国民が何の疑問も持たずに“そんなもんか”と思ってしまう。ここが危険なところです。


――ところが、日本人には、それを判断する情報すら与えられていないんですよ。新聞が選択肢すら報じないものだから。
――このまま米国追随路線をエスカレートさせたら、この国はどうなっていくと思われますか?


イスラム国のような事件がまた起こりますよ。米英豪仏などと同じ一員になれば、彼らの敵が日本の敵にもなる。日本人はそこまでの覚悟をしているのでしょうか。

いずれにしても、民主主義国家でこれほど異常な一党支配の国は私の知る限り、見たことがない。戦前と似ていると言う人がいますが、野党不在で政権と違う意見を許さないという雰囲気においては、似ているかもしれません。健全な民主主義に不可欠なのは議論なのに、それを忘れているとしか思えません。

 「民主主義を支えるのはジャーナリズムですよ。メディアが政権を批判しなくなったら終わりです」。(政治評論家の山口朝雄)

日本が間違った道に行かぬよう神に祈り続けよう。

posted by 優子 at 12:40| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年03月29日

「父よ、彼らをゆるしたまえ」 −今日から受難週−

今日は受難節第6主日、復活祭の一週間前の日曜日・「棕梠(しゅろ)の主日」である。イエス・キリストが十字架に架けられる受難直前のエルサレム入城である。キリスト教では日曜日を「主日(しゅじつ)」や「主の日」と呼び「主イエス・キリストの日」の意味である。

calvary.jpg今朝の説教を通して、イエス・キリストが私のために十字架に架かってくださったということを今一度心の深いところで受けとめることができ、主の恵みと愛を覚えつつ説教をお分かちしたい。

主イエスは十字架につけられ7つの言葉を発せられたが、その中の「父よ、彼らを赦したまえ」は感動的な祈りであり、私たち一人ひとりのために祈ってくださったと受けとめたい。

初代教会の最初の殉教者ステパノもこの祈りを受け継いでいる。
石で打ち殺される時、使徒行伝7章60節に、「そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、『主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい』。こう言って、彼は眠りについた」。

イエスは「父よ」と、即ち「神よ」と呼びかけて執り成しの祈りをしてくださったのだ。「彼ら」とは、今の私たち全てが入るのだと思う。

また、キング牧師は自分もまたイエスに罪赦された人として黒人差別する人たちを赦し新しい生き方をしようとした。

今から50年前、私はアメリカの神学校にいた。1968年の棕梠の日曜日、その日は金曜日にキング牧師が暗殺されて1日おいて棕梠の日曜日だった。

その日の礼拝は牧師の説教はなく、 " We shall overcome " 「勝利を我らに」の繰り返しと今朝の讃美歌の繰り返しだった。私は今、キング牧師のことと共にアメリカの教会のことを思い出している。
今朝の讃美歌の一曲、306番「あなたもそこにいたのか」:

1 あなたもそこにいたのか、  4 あなたもそこにいたのか、
 主が十字架についたとき。    主を墓におさめたとき。
 ああ、いま思いだすと       ああ、いま思いだすと
  深い深い罪に            深い深い罪に
  わたしはふるえてくる。      わたしはふるえてくる。

2 あなたもそこにいたのか、  5 あなたもそこにいたのか
  主がくぎでうたれたとき。     主がよみがえられたとき
  ああ、いま思いだすと       ああ、いま思いだすと
  深い深い罪に            深い深い愛に
  わたしはふるえてくる。      わたしはふるえてくる

3 あなたもそこにいたのか、
  主が槍でさされたとき。
  ああ、いま思いだすと
  深い深い罪に              
  わたしはふるえてくる。

キング牧師は信仰的に愛をもって闘った。キングの行動の根本が祈りであり祈りが武器だった。アメリカの社会を憎しみ恨むのではなく平和的解決を求めていた矢先に暗殺された。しかし、この祈りがアメリカの黒人差別の厳しい状況を変えた。

文語訳聖書の「ガラテヤ人への手紙」3章1節には「十字架につけられ給ひしままなるイエス・キリスト」とある。現在完了受身形のギリシャ語の文章を直訳したものである。

この言葉から、主イエスは今も十字架上で祈ってくださっていると受け止めることができる。これはパウロの受けとめ方であり、私たちの信仰の在り方に大きな方向性が与えられていると受けとめたい。

昨年12月1日の朝日新聞に、ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王がトルコ訪問からの帰路の機中で記者会見した記事があった。

「私たちは断片的に第3次世界大戦の中にあるようです」とし、「広島と長崎から、人類は何も学んでいない」と世界の現状を批判された。鋭い感覚だと受けとめたい。

「安倍政権の激走」を思うと、私たちも祈りを捧げながら平和をつくりあげるわざに参加して平和を訴えていかなくてはならない。

高見敏雄牧師の説教を聴きながら後藤健二さんの言葉を思い出していた。

「わたしの名前は後藤健二です。ジャーナリストです。これからラッカに向かいます。『イスラム国』、ISISの拠点といわれていますが、非常に危険なので、何か起こっても、わたしはシリアの人たちを恨みません。
何か起こっても、責任は私自身にあります。どうか日本の皆さん、シリアの人たちに、何も責任を負わせないでください。よろしくお願いします。必ず生きて戻りますけどね」。


後藤健二さんはキリストの十字架と復活によって真に生きる意味と喜びを知らされたのであろう。

今、日本の平和が崩壊の危機にある。「平和ブランド」日本国が狂気に操られている。与党の政治家たちよ、メディアの人たちよ、覚醒せよ! 連帯せよ!

政府を批判する古賀茂明さんが圧力に屈しないように背後で祈りの手を挙げて支えよう。神が日本を憐れんでくださり勇気ある方々に力を与えて流れを変えてくださるように切に祈ります。

私たちもイエス・キリストにしっかり従っていく決意ができるように、主が私たちの信仰を守り導いてくださるように今一度真剣に祈ろう。
個人的なこと以外では今年ほど重苦しい受難節は初めてである。今日から始まった受難週を意義ある日々としたい。

posted by 優子 at 20:31| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2015年03月28日

腫瘍がはじけているチャッピー、されど元気なり!

ワシントンから嬉しい反響が届いた。

「昨日、くまのオフィスに行ったら、めちゃくちゃかわいい子犬の写真がパソコンのデスクトップにあって、なにしてんの〜って思ったら、ちゃっくんやった!!
かわいすぎてダウンロードしたって。
まちたちに思いを馳せて載せてくれたママの優しさを嬉しそうに話していたよ。そして、ゆきちゃんすごいね〜って感動しながら」。


私はマチ・クマがメールで見るよりもブログで見つけるほうが喜びも大きいだろうと思って、まだ写真の添付メールを送っていなかった。するとマチ・クマがこんな嬉しい反響を寄せてくれて本当に嬉しい。

ではここで、「かわい子犬」とまで若く見られたチャックン(チャッピー)に、もう一度登場してもらいましょう! これをデスクトップの背景にするとパソコンを開くたびに「オオ」っと声を出してしまう。わーい(嬉しい顔) 

どこが子犬? やっぱり老けてるね。
チャッピーかわいい!B.jpg
薄茶の柴犬なのに年を取って白柴になってしまったね。

チャッピーはこの5月で16歳になる老メス犬だ。2013年5月に「75%腎不全」と告知され、2014年1月初めに前足両関節を悪くして歩けなくなり、食欲もなくなって死を覚悟したほど弱っていた。

そして今月初め、乳房あたりに腫瘍を発見。獣医さんに「腫瘍がはじけている」と言われ、良性か悪性かは手術をしないとわからないが、チャッピーは腎臓が悪いので手術はできない。手術した場合は食欲がなくなって死期を早めることのほうが多い。

腫瘍は大きくなっていくが治療法はない。腫瘍が大きくなって臭気を発して蛆がわく場合もあるが消毒してやるしかない。今は本犬が気にしていないので消毒しないで、患部を舐めるようになってから消毒するように。

経過は全て犬によって違う。今となってはそのようになった時に衛生面で手当をしてやる以外には何もしてやれることはない。

この時、私は前日に浴室天井の掃除中に落ちて打撲の大怪我をしたので同行していないが、今回は知子だけではなくユキも夫も診察室へ入って直に聞いていた。

生後早いうちに避妊手術をしておけばこのような病気にならなかったというのだが、飼ってすぐに見つけた獣医さんはそのようなことを全く話してくれなかった。
もとより私は子どもを産ませたくなかったが(仔犬の貰い手がないと困るので)、かと言って人工的に避妊手術するのは私の選択肢にはなかった。

チャッピーは加齢のために少しボケているようで、そのせいか舐めているところは見たことがない。
それどころか一昨夜夫が「少し治ってきている」と言うので、昨朝少しだけ散歩に連れて行った時、肋骨の痛みに耐えながらしゃがんでお腹を覗くとかなり枯れていた! このこともまた信じられない経過だ。

腎不全を告知されて余命は長くないと言われてからも、動けなくなった時も、腫瘍ができた今も、チャッピーは3度目の奇跡の中に在る。 

昨朝も走ろうとするチャッピーを抑えるのに大変だった。私は今も肋骨と右腕が痛いので早く歩けないし、左手でリードを持っていても強く引っ張るので肋骨が痛む。
チャッピーは走りたいのに走れず前に進めないものだから、鳥のように上へジャンプしながら北極圏の犬ぞりのように力強く引っ張る。食欲も旺盛だ。


現在15歳10ヶ月。柴犬は中型犬だから人間ならばまもなく93歳の高齢だ。犬は自分の死を考えることもないのだろうが、春は今年が最後であろうと覚悟はしている。
6月に帰国する予定のマチ・クマも元気なチャッピーと再会できるだろう。

posted by 優子 at 14:30| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2015年03月27日

春の光と漆黒の罪 −上村遼太君を殺めた罪深さに身震い−

今週初めの朝だった。東側の窓から降り注ぐ力強い春の陽射しが一杯の部屋に入った時、突然上村遼太君の命を殺めた犯人の罪深さに身震いした。

聖書(イザヤ書1章18節)では「たといあなたがたの罪は緋のようであっても」と、罪を「緋」の色で表現しているが、私に瞬間的に想像させたのは黒、しかも漆黒の黒であった。
    
私はあの眩い光の中で、上村遼太君の人生を断ち切られたどうしようもない悲しみと、そのことがいかに恐ろしく罪深いことであるかを全身が感じ取った。

このような悲惨な事件によって多くの人々の失われた命を思う。ご遺族は悲しみと苦しみの十字架を生涯の終わりまで負わねばならぬことを思うと、ただただ神による慰めを祈るばかりである。

そしてまた、罪を犯した人たちも誕生した時には無垢な赤ん坊だったことを思うと、親や親に代わる者の責任は何と重大なことかと思った。

今朝はずっと子育て時代に読んでいた本を開いていた。それらが私自身の歩みを一歩一歩進めてくれていたことがよくわかる。

しかしまた人生後半で、再度託された孫の養育の日々を振り返ると、私も偉そうなことは何も言えない。子どもの気持ちをもっと大切にしなければならないと思わされた。

春のパンジー.jpgユキが教会のバザーで買ったパンジーが気持ちよさそうにいっぱい花を咲かせている。

花には慰めと希望を与える力がある。悲しむ人に寄り添い、喜ぶ人と共に喜ぶようにと神が創造されたのだ。

「望みにあふれる春の訪れを 
そーっと知らせる三色すみれに
わたしは新たに思う 
主によって生かされていることを」

これは水野源三さんの詩集『わが恵み汝に足れリ』の中にある「三色すみれ」という詩の1節だ。
「瞬きの詩人」と呼ばれている水野源三さんについては、数年前から岡山教会のホームページが『メメントドミニ』にリンクしてくださっているので、今回はご紹介方々そのリンク集の「瞬きの詩人」からお入りください。 

冒頭の聖書の一節はこうだ。
「たといあなたがたの罪は緋のようであっても、
 雪のように白くなるのだ。
 紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ」。


これは神の赦しの宣言であり、キリストを救い主と信じる者は、キリストの十字架の贖いによって罪赦されるとの宣言である。

人は刑罰を受けても平安を得ることはできない。善行を積んでも平安を得ることはできない。しかし、神の前で悔い改めたならば即刻即座に平安が与えられ、心安らかに実りある受刑生活を送ることができるであろう。

ここで思い出すのは、拙著・『遠藤周作が世に問うたことと聖書的視点からの問題点(『海と毒薬』『悲しみの歌』より)』で論じたことであり、そのことが遠藤周作の『悲しみの歌』の主題であるように思う。
ゆえに勝呂を自殺させたのだと理解しているのだが、その「9.勝呂の自殺と遠藤周作への疑問」で次のように記した。

戦後、影を潜め開業医として生きてきた勝呂は、『悲しみの歌』の最後で首を吊って自殺した。新聞記者の執拗な追跡や世間の風評が、勝呂を自殺に追い込んだというのが読書会の一致した意見のようであった。確かに世間の眼はたいへん辛かったであろうが、私はそれで自殺したとは思えないのである。

「あの事件」については戦犯として裁かれて刑罰も受けたにもかかわらず、勝呂にとっての解決、罪からの解放が無かったために自殺せざるを得なかったのだと思う。

犯人たちが真の悔い改めに至るように願う。
私にとって上村遼太君の事件は生涯忘れられない悲しみだ。遼太君の悲しみを通して多くの被害者遺族の悲しみに眼が開かれ、加害者側の問題も含めて、今まで以上に聖書の教えと教育との関係の重要さを考えさせられている。

附記:スプリングキャンプを終えて先ほど帰宅したユキは、早速ソファーで眠ってしまった。昨夜は11時まで眠られなくて今朝は6時半に起きたからと、いくつかエピソードを話しながら。感謝。


posted by 優子 at 17:43| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年03月26日

初めてのスプリングキャンプ

昨夜お風呂に入っている時、ユキは知子に「明日キャンプに来る人はみんなイエスさまを信じてる人?」と尋ねたそうだ。知子は「ユキの質問はいつも鋭いね」と言った。

私もユキの繊細さを感じている。その質問の主意は、「明日は学校よりもリラックスしていいんだ」と確認したかったのではないかと思った。人間というのは不思議なもので幼くても状況や雰囲気を察知できるのだと、私はユキを通して常々感じている。

私たちはユキにキリスト教主義の学校に通わせたいが遠隔地ゆえに断念せざるを得ない。娘たちも幼い時から信仰を授かっていたので公立校に進学した。
私が何よりも願っていることは、先日、ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子氏が特別講演会で、キリスト教主義の学校教育について話されたことに集約される。

「渡辺氏が考える学校とは、一人間を一人格に育てる場。人格とは、自分の意思で物事を考え、選択し、責任を取れる人間のことであるという。
人間が、神に似せて人格を持つことができるものとして創造された以上、この3つをおろそかにすることはできず、学生一人ひとりが、神に似せて造られたかけがえのない存在であることを忘れてはならないと教えるのがキリスト教学校である」。


ユキは知子の胎にいる時から祈られて生まれてきた子であり、乳飲み子の時から教会や家庭集会で育まれてきた。いつか時が来てユキが自らの意思で信仰告白へと導かれるように大切に歩んでいきたいと思う。

この1泊2日のCS(教会学校)のスプリングキャンプは、日本キリスト教団の大阪教区奈良地区の教会主宰で新小学2年生から高校生までを対象に、2年に1度開催されているそうだ。

今回は6教会から25名が参加し、牧師3名に看護師もおられ多くの奉仕者によって進められる。
奉仕者を募られたとき私もご奉仕したいと思ったが、独りっ子ユキにとっては自立心を学べる貴重な時ゆえに辞退させていただきたい旨を申し出た。するとCS担当者(幼稚園教師)も全く同じことを熱く伝えてくださったので、その本意を知り小さな感動を覚えた。

ありがとうユキ!B.jpgキャンプ出発前に今朝も快くきれいに掃除機をかけてくれたユキ。
ロボット掃除機「ルンバ」よりもユキのほうがはるかに綺麗に掃除してくれるね。
「そうじ終わったー!」.jpg



「終わったー!」 
「ありがとう!」

マメなユキは出発前にもシャッターを押して、ハトとチャッピーのかわいい写真を撮っていた。
ユキは本当に写真の撮り方が上手!!!
ユキが出発前に撮ったハト.jpg
かわいいねー!.jpg
「ユキちゃん、行くの? さみしいな〜 オオー!(遠吠え)」
この写真はきっとワシントンでも受けるだろうから原寸サイズを添付しよう。わーい(嬉しい顔) 犬

初めてのスプリングキャンプ@.jpgこのバッグは知子が中学1年生の夏休みにオーストラリアへ行った時のもので、その時バッグに「I love Jesus.」(イエスさま、だいすき!)のワッペンを縫いつけた。

今日は到着後に昼食だ。ママが作ったお弁当をいただき、13時から開会礼拝、オリエンテーション、そのあとはミニ運動会、ディナーパーティ準備、キャンプファイヤー、お風呂タイム。そして、小学生は9時就寝とプログラムが続く。


キャンプのテーマ:「平和ってどんなこと?」

聖書・マタイによる福音書5章9節:
「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、
 彼らは神の子と呼ばれるであろう」。

  詩篇133篇1節:
「見よ、兄弟が和合して共におるのは
 いかに麗しく楽しいことであろう」。

奉仕者の御愛労に感謝し、キャンプの初めから終わりまで神さまが危険から守ってくださって、豊かに祝福してくださるように祈ります。
私はユキのおみやげ話を楽しみに、明日の夕刻まで独りの時間を満喫しよう。

posted by 優子 at 13:14| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2015年03月25日

1年生の学びを終える

春休みに入った今朝の最低気温は0.3度、明朝はもっと冷え込み−1度の予報が出ている。そんな寒い春休み初日からユキは私を助けるために快く掃除してくれた。

昨日は終業式。「おばあちゃーん、どう?」と、成績表「あゆみ」を差し出した。「すごーい! よく頑張ったね」と努力を労った。
算数・国語・生活(社会と理科)では一つだけ「できる」があったけれど、あとは全て「よくできる」だった。だからこそよく頑張ったと思う。そして、その頑張りは知子ママの頑張りでもあった。

003.jpg家の学習といっても20分間ほどの分量だが、知子は毎晩会社の仕事に加えてユキの学習をユキにふさわしく組んでいた。
例えば、「今はこの練習問題をこれ以上続けると勉強嫌いになるから違うものを」と言うふうに明日の用意をしていた。知子がいつまでも寝室に上がってこないので見に降りると、そのまま伏せて眠ってしまっていたこともあった。


昨夜、私が知子と真智子の「あゆみ」を出してきたので知子はビックリ仰天して大笑いしたのだが、知子の5年生の「あゆみ」の所見には担任の先生がこんなことを書いてくださっていた。
知子と真智子の「あゆみ」.jpg「藤本さんほど努力家の子はいないと思うほど、何に対しても真剣に真面目に取り組んでいましたね。」と、知子も真智子も私たち夫婦の子どもとは思えない努力家だ。

「1年生からドリルなんかしたこともないのに(^ー^)」と、少々理解力の乏しいユキのことを微笑ましく、時に驚きながら話していたが、知子は本当に愛深く心をこめて「手塩にかけて」ユキを育てている。

「手塩にかけて」など今や耳にすることさえなくなった言葉だが、ユキの1年間を振り返ると日々の小さな積み重ねがいかに大切かを教えられた1年でもあった。


ちなみに知子の1年生の「あゆみ」には次のように書いてくださっていた。
「友だちと元気よく遊び表情が明るく朗らかになりました。集団の中ではおとなしいけれど、しっかりした意見を持っています。
基礎知識・能力は確実に身についています。学習内容ののみこみは早く理解力もするどいのですが、発言や発表をあまり好みません。
集団の中で学習する場合、お互いに発言を競い合うぐらいにがんばることが大事です。進んで発言ができるようになれば、さらに大きく伸びていくでしょう」。


知子は先生の助言を心にとめて友だちの中で見事に成長を重ね、おとなしかった知子が6年生では児童会会長として活躍した。その子・ユキもまた先生や友との関わりで伸びていくことであろう。
ユキの「あゆみ」には次のように書かれていた。

1年生終わる頃.jpg「学習には意欲的に取り組み、自分の考えや答えなどを積極的に発表することができました。よく気がつき、給食当番や交通係の仕事を自ら進んで行うことができました。
進級おめでとう。いろいろな事にチャレンジし、素敵な二年生になってくださいね」。

嬉しい春!
感謝の春!

では1月からのハイライト・スナップをここに!
今冬はインフルエンザの流行はなかったのにユキだけ(?)1月早々にダウンした。インフルエンザで休んでいた間に終わっていた凧の絵も、手早く描き上げて凧揚げ大会にも参加した。
ユキ凧@.jpg凧の絵は勿論、大好きな電車、新幹線だ!
ユキ凧A.jpg
この日こんなに元気に凧あげしていたのに、翌朝は強度の寝違いで首が回らなくなっていた。

かなりの痛みにもかかわらず、さすが忍耐強いママの子、ユキは休まずに重いランドセルを背負って登校したが、その日から3日間学校から帰宅すると夕方まで眠っていたから相当しんどかったのだろう。


寝違い5日目@.jpg  寝違い5日目A.jpg

ようやく5日目の夜に整形外科を受診した。先日から私がお世話になっている医院だ。その夜早速シップを貼ってかなり楽になっていったが、10日間ほどこんな姿で頑張っていた。

首が痛い時やインフルエンザで長期間休んでいたにもかかわらず、昨日は漢字の宿題ノート「メキかん1等賞やった!」(メキメキ漢字の意味)と、クラスで一番たくさんシールをもらったと喜んでいた。

これはクラスの文集『ぐんぐん』に記録されたユキの作文だ。クラスの子供たちの作文が載っているのでよい思い出になるだろう。

「文集ぐんぐん」掲載文.jpg

好きな遊びは「おにごっことかくれんぼ」と書いている。人生のふるさととも言えるこの幼い時が、楽しい思い出いっぱいの時でありますように。

この作文の記事はここに記録している。
まさか1等賞になるとは思いもしなかったが、一度高成績を修めてしまうと首位を守ろうとする意識が働くだろうし、ある男の子は「ゆきひさくんには絶対に負けない」と闘士を燃やす作文を書いていたので、ユキはどのように備えるのだろう。新年度も新しいチャレンジがいっぱい!

主なる神さま
この1年間、ユキを守りお導きくださったことを感謝します。
ユキのために祈る時に、私が自分の希望を押し付けることがないように助けてください。また、周囲のあらゆる悪い影響からユキを守ってください。あなたから預けられた孫と共にこれからも祈りつつ歩んでいくことができますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。


posted by 優子 at 21:19| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2015年03月24日

ジャーナリスト西谷文和氏の「後藤健二さんの犠牲から見えてくるもの」

憲法「九条の会・葛城」の主宰で、「武力の応酬に走らないために −後藤健二さんの犠牲から見えてくるもの−」と題して、フリージャーナリスト・西谷文和さんの講演会が26日14時から當麻(たいま)文化会館で開催される。

私は孫の世話があるので断念したものの、26・27日は大阪教区奈良地区の教会主宰でCSのスプリング・キャンプに行くことになっており、私は自由に外出できることに気がついた。と思いきや打撲症を負い、一昨日の礼拝中も気分が悪くなるほど辛かったので断念することにした。

2月半ば、ジャーナリスト西谷文和:イラクの子どもを救う会ブログを知り共鳴して時々読んでいる。そこで2015年2月8日の記事にある人質事件について、「この事件の本質部分」と「私的結論」を転載させていただき、是非記録しておきたいと思う。

この事件の本質部分
整理しておこう。
@ 水面下で「イスラム国」側から提案があったとき、なぜ交渉しなかったのか?

A 2人の身柄が拘束されているのを知りながら、なぜ安倍首相は「イスラム国」を挑発するような演説ばかり行ったのか?

B イスラエルでネタニヤフと握手し、イスラエル国旗の前で「テロには屈しない」という緊急記者会見。なぜ会見場からイスラエル国旗を取り除かなかったのか?

C 72時間という非常に重要な時期に、英国と2+2を行ったのはなぜか? 延期すべきではなかったか?

D 対策本部をヨルダンに置いたのはなぜか? なぜ正式にトルコに頼まなかったのか? ちなみに安倍首相とエルドアン大統領は、トルコへの原発輸出に関して、頻繁に連絡を取り合い、ホットラインができている。すぐにお願いできたはずだ。

E ヨルダンは「イスラム国」の敵。だから交渉には不向き。

F リシャウィ死刑囚を要求して来たのは、日本がヨルダンに本拠地を置いたから。ヨルダンにとってリシャウィ死刑囚の解放は高いハードル。

G 後藤さんではなくパイロットの解放を求めた異例の国王批判が起こった。国王はアラブの春で独裁者が倒れる姿を目の当たりにしている。動揺が走った。後藤さんとの1対1ではヨルダンの支配体制が持たないと判断した。時間が無駄に費やされ、運命の日没を迎えた。

私的結論

以上が現時点(2月8日)での私なりの事件の分析である。
結論を一言で言うなら、安倍政権の中に「この事件を奇貨として『積極的平和主義』の名の下に、自衛隊を有志連合に加えたい」と考える人物がいたのではないか。

その勢力が解放への足を引っ張り、結果として救えた命が犠牲になったのではないか。その勢力とは、アメリカであり、安倍政権を操る戦争推進派であり、日米安保で食っていこうとする「安保ムラ」の人々ではないか。

今後、新聞では読売や産経、雑誌では文春や新潮などが「自己責任」や「テロの恐怖」などをあおっていくだろう。NHKでは籾井会長が自由な報道を許さず、政府よりの報道を進めるだろう。朝日新聞は、この間の攻撃で弱体化してしまった。どこまで政権批判ができるだろう。

そして今、テレビ朝日の「報道ステーション」がターゲットになっている。状況は厳しいが、まだ希望はある。沖縄型の住民の共同。戦争だけは絶対やらせない、という市民の声を幅広くまとめていくことだ。私たちは正念場を迎えている。

このような場合に自己責任論が出るのは日本だけというのを読んだことがあるが、それは世界の人々が感じている日本人観とは相反する日本人像であり考えてみたい視点だ。

そして今、政府は沖縄県の辺野古問題にも非常な強硬姿勢である。翁長知事が昨日、「辺野古移設作業停止」を指示したが無視して姿勢を硬化させ移設作業を強行している。

今や、当選後に上京した翁長氏にも会わなかった安倍首相や菅官房長官の稚拙さを笑うだけでは済まされない。民主主義の基本中の基本、選挙で選ばれた民意を無視する政府。恐ろしいことだ。これでは何をやっても無駄、徒労なのか。日本全国の人々が世論を高めていかねばならない。

古賀茂明氏の「I am not Abe.」発言は既に旧聞に属するが、今まさにこのことが私たち一人ひとりに問われているのである。
政府が集団的自衛権から憲法改悪へと突き進もうとしているのを、大人たちはどうしても阻止しなければならない。その判断力のない子供たちの分まで力を込めてくいとめねばならない。
 

誰かが声を上げて、「これはおかしい」と言わなければ、太平洋戦争と同じ状況になってしまう。だから、注目度が高い番組に出た際、考え抜いて発言したわけで、反論は予想通りですし、むしろ反響の大きさに驚いているくらいです。
 
   (略)

テロリストを擁護する気は毛頭ありませんが、日本が米国と一緒になって世界中で戦争に参加する国だというイメージをつくっていいのか。多くの人が違うと思っているのに、誰も声を出せない。それってやっぱり、おかしいでしょう。

最初は人道支援ではなくイスラム国と戦うための支援であるかのように装い、これは失敗したと思ったら、急に人道支援を強調する。二枚舌外交です。五輪プレゼンテーションの汚染水発言もそうでしたが、世界の大舞台で大嘘をつく。それが安倍政権の特徴です。

だからこそ、「I am not Abe」というプラカードを掲げる必要があるのです。私たちは安倍さんとは違う、安倍さんは変なメッセージを送ったが、彼は日本国憲法を踏みにじるおかしな人だ、普通の日本人じゃない。

我々は違うということを、世界に訴える必要がある。安倍さんのもとに結束しろという意見があるが、それは危険です。「I am not Abe」ということで、日本人の命を守るには、安倍さんの考え方を否定すべきだということを言いたかったのです。

憲法の前文を見てください。日本はあらゆる国と仲良くし、それを通じて、世界平和に道を開くことを基本理念にしている。

日本を攻撃しない人々を敵にするのは、憲法上、許されないのです。この理念は後藤さんの考えと共通しています。「I am Kenji」ですね。そうしたことを訴えるべきで、さもないと、世界中で日本人はテロの標的になってしまいます。


以上、「古賀茂明氏が語る "I am not Abe." 発言の真意」より:

「聞く耳のある者は聞くがよい」。 
イエス・キリストが常に言っておられた言葉が私の耳に響く。
「注意しなさい! 道を間違ってはならない!」と、心の限りを尽くして語っておられるように感じる。


posted by 優子 at 21:32| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年03月23日

関節内に出血していたが手術は不要!

21日に撮影した右腕のMRI画像を持って、今夜整形外科医院を受診した。
出血していた.jpgこれは私のMRI画像ではなくネットの検索画像から拝借したものに白く塗ったものである。
「よっぽど強く打ったんやなあ」と医師。
私の検査結果はこのように白くなっていた。それは血で、筋(靭帯?)の一部が切れて血が流れ出たものであるという。

ただし手術の必要はないと聞いて気持ちが軽くなった。尋ねるのを忘れたが、この血はどうなっていくのだろう。自然治癒力を与えたもう神に委ねよう。昨夜あたりから少し上がるようになったので、日に日に回復していくことであろう。
るんるんお祈りしてくださりありがとうございました。るんるん

20年も前に母が何度もMRIの検査をしていたので、検査中の音のやかましさについては聞いていたが、本当に工事現場のようだった。しかも5〜6種類以上の異なる音がいろんなバージョンで鳴るのだ。

耳に大きなヘッドフォンをつけてくださり映画音楽を聞いていたが、それでもやかましく、工事現場の人はどこにいるんだろうと目を右側に動かして探したり、擬人化して話しかけた。「一生懸命検査してくれてありがとう。でも一体何をしてるの?」と。

検査が終わっても肋骨が痛いので一人では起き上がれず、技師の方の助けに甘えて「重たいですよ。申し訳ありません」と身を委ねた。小柄な男性だったが男性は力強く実に頼もしく、ありがたかった。そして将来、介護される姿を予感させたが、その時まで回復の感謝を忘れずに私のミッションに精を出したいと思った。

今夜は手術の話を覚悟していたので、長女はユキのお風呂を父親に託して同行してくれた。「チャッピーのこともおじいちゃんの説明ではわからなかったから、ママでないと頼りない」と言っていたユキだから、快くママを伴わせてくれた。リハビリは2週間後の状態を見てからだ。

yuki撮影.jpgこれは昨朝、ユキが撮ってきた桜。2015年、新しい春が来た。

春よ、
春の花々よ。
悲しむ人々の心を慰めておくれ。

2015春.jpg「神さまは今の状況の中で慰めを与えるばかりか、いつの日か善が勝ち残り、悪が滅び、苦しみが喜びに呑み込まれると保証してくださいます」。       
             
               (ジーン・ワトソン)


posted by 優子 at 21:54| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2015年03月21日

初めてのMRI検査 

今月13日に風呂場天井の掃除中に落ちて打撲症を負った。救急病院の医師は1週間後も診せてほしいと言われたが遠方なので、近くの整形外科医院への紹介状とレントゲン写真のCDロムを用意してくださった。

今最も苦痛なのは右腕だ。片腕が痛いとタオルが絞れない、ベランダの竿ふきや干したり取り入れたりするのも気合を入れて少しずつである。
衣服の着る時は、まず右手を通し、頭を下に下げて首を通す。腕を少しでも上にあがると悲鳴が出る。
入浴時の頭の毛の洗い方は2〜3日目にコツをつかみ、両肘を両膝に置いて指を動かす。不自由でも毎晩洗わないと嫌なのだ。

最も苦痛なのは寝起きだ。横になる時と起きる時。また、横になってからの30分間ほどの肋骨の痛みも耐え難く「ウンウン」唸る。

こんな状態なので救急病院の医師の指示通り1週間後の昨日、夫の帰宅を待って近くの整形外科(夜8時まで診療している)を受診した。

医師は肋骨よりも右腕が気になるとのこと。未だ腕をゆっくり45度ほど上げるのがやっとだからだ。レントゲンでは詳しいことはわからないそうだが、いずれにしても肩の筋を痛めているとのこと。
再度撮った2枚のレントゲンでもわからなかった。(肩関節に)大きな穴が開いているようなら手術が必要だという。

そこで早速、当市の病院へMRI検査の予約を入れてくださり、祝日にもかかわらず今朝検査を終えた。再びそのCDロムを持って月曜日の夜に整形外科医院を受診することになっている。

痛みが変化しているからだと思うが、パソコン作業中も以前より骨が痛いので負荷をかけないようにしたい。

★お電話やお見舞いメール、お葉書をいただき、また、メールや返信へのお心遣いを感じています。お祈りしてくださっていることを心から感謝しています。
2ヶ月ほど前から毎日1500ものアクセスをいただいていることを感謝しつつ、無理しないで更新させていきたいと思います。


posted by 優子 at 21:29| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2015年03月20日

上村遼太君の悲しみと小林多喜二と母・セキのこと

1月下旬、日本人が「イスラム国」に拘束されたことを知って以来、私はネットでニュースを読むようになった。
ネット上には他者のことをおもしろおかしく追求し、また、言葉汚く悲しみにある人をも裁く人たちも多く、人間の実相を見せつけられている。

私は溢れ出る涙がやんだあと、遼太君を偲びつつ私なりに子どもたちの置かれている状況を考えている。

上村遼太君が殺害されて1ヶ月過ぎた。今も献花は絶えることがないという。絶えることがない献花に慰めを覚えると同時に、こんなに多く心寄せてくださる方がいても「今更遅い」という相反する感情を抱く。悲しみから日の浅い時に抱く両義的な気持ちだろう。

遼太君が残虐になぶり殺され、お母さんが遼太君と対面する時のことを思って小林多喜二の母を思い出していた。そして、お葬式の時、その後もずっと、多喜二と母・セキのことが脳裏にあった。

多喜二の母@.jpgプロレタリア文学の傑作『蟹工船』を書いた小林多喜二は、29歳の時に東京・築地署で虐殺された。新聞記事の「母半狂乱」の見出しに胸が締め付けられる。

多喜二と遼太君は年齢や背景が違えども、罪なくして虐殺され、その我が子と対面する母親の悲しみは同じであり、母親の胸中は想像を絶する。その地獄を通ってきた多喜二の母・セキのことも思う。 

それについては、過去ログ・「三浦綾子著『母』を読み涙とまらず」をお読みいただきたいが、そこに書き切れなかったことも取り上げながら遼太君とお母さんへの思いを述懐したい。

後年、多喜二の母・セキは次のように話していた。

「布団の上に寝かされた多喜二の遺体はひどいもんだった。首や手首には、ロープで思いっきり縛りつけた跡がある。
ズボンを誰かが脱がせた時は、みんな一斉に悲鳴を上げて、ものも言えんかった。下っ腹から両膝まで、墨と赤インクでもまぜて塗ったかと思うほどの恐ろしいほどの色で、いつもの多喜二の足の2倍にもふくらんでいた」。


小林多喜二の名前で検索すると「画像」で、まさにそのままの姿を見ることができる。セキの胸中はいかばかりだったか!

「わだしはねえ、なんぼしてもわからんことがあった。多喜二がどれほど極悪人だからと言って、捕まえていきなり竹刀で殴ったり、千枚通しで、ももたばめったやたらに刺し通して、殺していいもんなんだべか。
警察は裁判にもかけないで、いきなり殺してもいいもんなんだべか。これがどうにもわかんない」。


遼太君の事件の真相が明るみにされていった時、私は犯人への憤りをどうすることもできなかった。「せめて一撃ですませばよかったではないか!」と、セキの悲しみの極みを泣き、遼太君のお母さんの悲しみを泣いた。

「ほんとに神さまがいるもんなら、多喜二みたいな親思いの、きょうだい思いの、貧乏人思いの男が、あんなむごい死に方をするべか。

たとえ警察で誰かが多喜二を殴ろうとしても、首ば締めようとしても、錐(きり)で足を刺そうとしても、神さまがいるならば、その手ば動かんようにして、がっちりとめてくれたんでないべか。

それを見殺しにするような神さまだば、いないよりまだ悪い。わだしは腹の底からそう思ったもんね」。


多喜二の母・セキ.jpg高商に通っていた頃、教会に通い聖書を読んでいた多喜二は、「闇があるから光があるんだ」、「光は闇に輝く」と聖書の言葉をよく言っていた。
「神も仏もあるものか!」と地上の悲しみの極みを通らされたセキは、時を経て近藤牧師を通して魂を鎮められ、イエスに希望をおいて洗礼を受けた。そして、87歳で召天した。

アメリカ東海岸からブログを発信されている女性が、その「ウィンザー通信」で『メメントドミニ』の過去ログ・「三浦綾子著『母』を読み涙とまらず」を紹介してくださっている。

「ウィンザー通信」で紹介されている角川文庫の三浦綾子著・『母』の「あとがき」は、日本クリスチャン・ペンクラブでご指導いただいている久保田暁一先生によるものであり、上掲のセキの言葉は「あとがき」から抜粋引用したものである。

ここに「ウィンザー通信」に掲載されているセキの自筆の手紙を転載させていただきたい。母が息子・多喜二に手紙を書くために覚えた字だ。

多喜二の母・セキの手紙.jpgあーまたこの二月の月かきた(ああ、またこの二月の月が来た)
ほんとうにこの二月とゆ月かいやな月(本当に、この二月という月が嫌な月)
こいをいパいになきたい(声をいっぱいに泣きたい)
どこいいてもなかれない(どこに(へ)行っても泣かれない)
あーてもラチオてしこすたし
かる(ああ、でもラジオで少し助かる)
あーなみだかてる(ああ、涙が出る)
めかねかくもる(メガネが曇る)

献花は絶えず.jpg遼太君のお母さんは誰よりも悔い、誰よりも悲しみ苦しんでいる。この人を責めることのできる人は誰も居ない。
どうか悲しみにある方々の上に、神さまの豊かな慰めとお導きがありますように祈るばかりです。

posted by 優子 at 16:27| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年03月19日

ててかむイワシ

今朝は雨でも暖かく室温も20度近くあり、4月下旬から5月上旬の暖かさだという。しかし、週明けには強い寒の戻りで2月初めの季節に逆戻りするというから、聞いただけで打撲した怪我が疼く。

知子は今週初めから毎朝家事を終えて40分遅れの電車で出発してくれている。痛みはかなり良くなっているが、まだまだできないことが多いので負担をかけて申し訳ない。

さてユキが小学校に入学して早1年を終えようとしている。時の経つのはなんと速いことか。小学生の子どもも速かったのだろうか。ユキが帰ってきたら聞いてみたい。

私は宿題のチェック係を務めているが、2学期から詩の暗唱(『やまびこ』)が加わり、なかなかおもしろい。
まど・みちおの「がぎぐげごのうた」、谷川俊太郎の「いるか」、なかえ・としおの「食べもの」、さかた・ひろおの「おおきくなあれ」、まど・みちおの「しょうじきショベル」と「つけもののおもし」、みねぎし・なつめの「どっこいしょ」と、進んできた。

何回も宿題に出て、回を重ねたあとに各自が自発的に先生に聞いてもらって合格すればシールをいただくのだが、昨日は授業中に一人ひとり暗唱したそうだ。
詩は畑中圭一の「さかなやのおっちゃん」だ。
この詩は関西弁の魚屋のおっちゃんと客とのかけ合いだ。同じ関西弁でも大阪弁と奈良弁ではイントネーションの違いが多々ある。

この詩では特に必要ないだろうが、奈良弁で育っているユキに生粋の大阪弁を指南した。これまでの詩も「棒読みしたらあかんよ」と何度か声をかけたことがあったが、今回は特にそうだ。ユキは楽しく暗唱していた。

そして、ついにユキはチャレンジした! 本番もそのままで!
合格しただけではなく上手に表現できたので、「『ゆきひさ君、すごく上手ね』って先生にほめられて嬉しかった!」と大喜び。この体験でユキはきっと何か手応えを感じたはずだ。このことが弾みになって次へと繋いでいってやりたい。


では、「さかなやのおっちゃん」をどうぞ!
「ててかむいわし」とは、手を噛むほどに新鮮な鰯のことで、「こうてや」は「買ってや」の意味だ。

「さあ こうてや こうてや  ててかむ イワシやでぇ  おてて かみまっせ」  
「ほんまかいな おっちゃん」わーい(嬉しい顔)
「さあ こうてや こうてや  とれとれの イワシやでぇ まだ およぎまっせ」
「そんな あほな おっちゃん」わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)
「さあ こうてや こうてや ぴんぴんの イワシやでぇ ぴぴんと はねまっせ」
 
「もうやめとき おっちゃん」
わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)

私は面白くて何度も声を出して言っている。ここで「ててかむいわし」に関連して興味深い話をお分かちしたい。

「家で魚といえば、ててかむいわし。”ててかむいわし、ててかむいわし”といって魚屋さんが売りに来たんよ」。
これは大阪の中心・船場(せんば)、中央区久太郎町に代々居を構える豪商銭屋高松家を生家とする船場の「こいさん」(末娘の呼び名)の言葉だ。

当時、サバ、アジ、イワシは庶民の食卓にのぼっていた。「水揚げされた鰯が、すぐに船場の町に運ばれ、街を行商する魚屋さんによって商家へもたらされ」ていた。

また、「ウナギの身なんか、中学生になるまで食べたことないんよ。半助(はんすけ)ばっかり」。

「半助」とは、蒲焼きにした鰻の頭を言い、頭だけを買って豆腐と炊いておかずにした。
当時は「天然ものの時代。しがんで(噛んで)身を少しでも食べようとすると、ウナギの頭に残った釣り針が口にささらないよう注意された」そうだ。

「私と同い年で、中学を卒業して田舎から出てきたお手伝いさんがいて、母からはあの子がいるんやから、あんたも贅沢したらあかん」と、高松家のこいさんは言われ続けたという。船場の豪商の日常生活はつつましく質素で、私は豪商の品格を感じた。

(以上、河内の郷土文化サークルセンター発行『あしたづ』第11号より、小林義孝著・「聞き書き・船場商人銭屋の『細雪』」を参考にさせていただいた。)

ついでながら船場で生まれた「船場汁」もそうだ。
塩サバとダイコンやニンジンなどの具沢山の船場汁は、頭やアラまで無駄なく食べられ体も温まるというわけで、忙しい船場の問屋街で生まれたもの。大学時代に通った料理学校でも教わったことを覚えている。

ユキは今日が1年生最後の給食、明日から3週間ほど私はもうやだ〜(悲しい顔)の気分、ゆっくりできなくなる。

今は児童数が少ないからだろうか、1年生も明日の卒業式に出るのだが、その関係で今月に入ってから毎朝目が覚めた時から夜寝るまで「旅立ちの日に」を歌っている。ユキは歌も大好きだ。

ユキが小学校を卒業するのもアッという間のことだろう。ターシャのように毎日毎日を大切に穏やかに過ごしたいと思いつつも、今朝はチャッピーが「オオー」と息んで鳴く言い方で「降ってないわ!」と怒りながら家を出た。こんなユキは初めてだ。

今日は間違いなく雨の一日だからとイヤイヤ長靴を履いたはいいが、体育のとき用に運動靴を持って行くと言って聞かなかったのだ。一瞬やんでいた雨もすぐに降り出した。ほらごらん!

毎朝、何度も何度も振り返って「行ってきます」と言ってくれるユキだが、これも成長の証、通過点と、実は微笑ましく感じている。

posted by 優子 at 12:06| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2015年03月18日

毎日を特別の日として生きたターシャ・テューダー

ユキが撮ったオオイヌノフグリ.jpg「おばあちゃーん、こんな花も咲いていたよ!」
これは今日、ユキが学校から帰宅した早々に裏へ行って撮ってきた写真だ。

ユキが撮った野の花.jpg
オオイヌノフグリは私よりもとても上出来、センスがいい。
昨日の記事に掲載した写真はインパクトがなかったので夕方5時頃に撮り直そうとしたら、花はもう閉じていた。まだ明るかったのに花は時がわかるのだ。そして、今日の午後写したものと差し替えた。


こんな小さな自然でも心がとても豊かになり生きる歓びを与えてくれる。風に揺れる道端に咲く花でさえ心を満たしてくれる。ようやく私もそのことがわかるようになったのだろう。神さまが創造された美しい世界を。

ターシャの庭.jpg今朝も打撲の痛みを忘れるためにBSプレミアム・アーカイブスでターシャ・テューダーの世界を見ていた。初めて見たのは4〜5年前になるだろうか。とても印象に残っている。

ターシャはアメリカの絵本画家で、50代半ばよりバーモント州に30万坪という広大な土地を購入してスローライフの生活を送った。2008年6月に92歳で亡くなった。

「庭造りは最低でも12年かかってやっと庭らしくなる」と言っていたターシャ。ターシャの庭には900種以上もの植物があるそうだ。

以下はターシャの言葉より:

ターシャのティータイム.jpg「人生は短いのよ、楽しまなくちゃ!
誰でも自分の手で幸せづくりをするの。
どんなに忙しくても一杯のお茶をゆっくり楽しむの。それが人生を楽しむ秘訣。年を取るほど人生は楽しくなる」。


ターシャには毎日が特別の日だった。

今、この時を精一杯生きること。どんな瞬間にも生きていることの喜びを感じること。自分次第で毎日が特別な日に変わる」。 

「チューリップの球根を植えるとバーモントの庭は冬の眠りにつく。ここは2ヶ月の夏と10ヶ月の冬とマーク・トウェインが言ってるわ。

庭作りは待つことが大切よ。待つことが苦痛でなくなれば人生はうまくいくようになる。待つ間ずっとワクワクして待っていられる。シカに球根を食べられないかヒヤヒヤもするけれどね。

春を待つ長い時間を厳しいと思うか、辛いと我慢するのか、季節も人生も自分次第よ。長く厳しい冬が終わると春が押し寄せるように来る」。

春を待つクリスマス.jpgイースターは草木が芽吹き、命の誕生。そして、試練の先にある喜びを先に確かめるのが、ターシャ流のクリスマスだった。

「こういう人になりたい、こういう母でありたいと思い描いた生活をその手で創り出すのよ。
季節を、一日一日を丁寧に暮らし、手作りの喜びを大切にするの。相手のことを思って手を動かす時間も贈り物。優しい気持ちで過ごす時間は自分にとっても贈り物。

春の訪れを待つ時間が厳しいほど喜びは大きく育つ。これが人生の秘訣よ」。


私は詩篇118篇24節の言葉を思い出した。ターシャは聖書の言葉そのままを生きている。
「これは主が設けられた日であって、
われらはこの日に喜び楽しむであろう」。


ターシャのメッセージには神への讃美が溢れている。それゆえに人を引きつけるのだろう。テレビではターシャの信仰について全く触れていなかったが、それを確かめたくて調べてみるとやっぱり予想通りだった。

「聖書の言葉に添えた絵本原画」があり、それを20枚のポストカードにして発売されていた。早速発注した。
ああ、日本人はどうして人物の真髄を省くのだろう。私たちはターシャをターシャたらしめている精神の根源をこそ知りたいのに!
 

「私たちはみんな死に向かっているのよ。でも決して死を恐れることはない。それよりも今この時を精一杯生きること。
どんな瞬間にも生きていることの喜びを感じること。その喜びを忘れずに生きて行きなさい」。


人づきあいが苦手で独りでいるのが大好きだったターシャは、自分の夢を生きただけではなく、神がターシャの生き方を祝福して豊かに用いられた。私はそのことに最も深い感銘を覚えた。ターシャもそのことを最も伝えたいと思っていたのではないだろうか。 

神は一人ひとりに語っておられるのだと思う。
「部屋に引きこもっている人たちよ、あなたはあなたのままでいいのですよ。人を気にしないで、あなたらしく生きればいいのですよ。だから引きこもっていないで外へ出ていらっしゃい!」と。


「春は奇跡ね。見事な眺め!」


ターシャの声が聞こえてくるようだ。
今年もまもなく輝きの季節が始まる。

BSプレミアム・アーカイブス再放送のご案内:

▼「喜びは創りだすもの ターシャ・テューダー四季の庭」
(2005年8月31日放送 / 110分)。
再放送は2015年3月24日(火)午前0時45分〜

▼「ターシャからの贈りもの 魔法の時間のつくり方」
(2007年1月30日放送 / 90分)。
再放送は2015年3月25日(水)午前0時45分〜

▼「ターシャからの伝言〜花もいつか散るように〜」
(2008年12月20日放送 / 59分)。
再放送は2015年3月26日(木)午前0時45分〜


チャンネルは「BS3」です。


posted by 優子 at 17:11| 随想 | 更新情報をチェックする

2015年03月17日

静けさの中で神と交わる

今朝は珍しく濃霧だった。ところが10分ほど走って大阪府に入れば霧はなかったという。気温は予報通り上がり22.3度にもなって春本番の陽気になった。しかし、PM2.5がひどくて喉が痛いほど空気が悪い。

オオイヌノフグリ.jpgふと裏庭に目を落とすと草が一斉に伸び、青い花が気持ちよさそうに咲いていた。名前は今知ったばかりの「オオイヌノフグリ」だ。
花や木は心を癒やす。打撲の怪我が治ったらゆっくり歩いてみたい。

先日、裏の木に見かけない鳥がとまっていた。もう1羽いたが逃げてしまったが、鳥の名前は「ヒンズイ」といい、スズメ目(もく)セキレイ科の鳥で、良い声でさえずるそうだ。「ヒンズイ」とは初めて聞く珍しい名前だ。

夏は西シベリアからロシア極東、サハリンなどにいる鳥で、冬は温暖な地域で越冬する渡り鳥で、西日本での繁殖は局地的とのこと。

鳥の名前は?.jpg

野の花や鳥を見ていると世界中で起こっている悲惨な出来事が嘘のようだ。静かな中でマザー・テレサの『日々のことば』を読み続けた。最後まで読み尽くした。

人類の苦しみの流れは、ますます大きくなってきています。
このことは、特に難民たちについて言えます。
そこには特別な苦しみがあります。(P299)

難民キャンプにおける苦しみは、ひどいものです。
キリストが十字架にかけられた大きなゴルゴタの丘の再現のように見えます。
援助は必要です。
けれど、ゆるしの心がなければ、平和はこないでしょう。(P229)

いったい、どうやって平和は打ち立てられるのでしょうか?
私たちが愛し合う以外にはないのです。
ただ愛だけが、家庭に、社会に、そして、この世界に
平和をもたらすことができるのです。(P279)

限りあるものを、無限なものによって克服してください。
主はあなたをお望みになったので、
あなたをお創りになりました。
あなたが、恐ろしい孤独と、深いみなしさを感じているのを、
私は知っています。
けれど、主はあなたと共にいて、
あなたを愛していらっしゃるのです。(P190)

" swimming in God "(P346)
 
わたしたちは神あってこそ、
生き、行動し、存在するのです。
すべて存在するものに、力と存在を与えるのは、神です。

けれども、神が現存し、支えていてくださらなければ、
すべてのものはなくなり、
完全に無に帰してしまうのです。

あなたは神に包まれ、神に守られ、
神の中で泳いでいる、ということを考えてください。

IMG_3044.jpg「ヒンズイ君も神さまの中で飛んでいるんだね。明日のことは何も心配しないで」。

「信仰は神の贈り物です。信仰なしには、人生の意味はないでしょう」。
        (マザー・テレサ)

posted by 優子 at 21:46| 随想 | 更新情報をチェックする

2015年03月15日

風呂場での不注意掃除で胸部と上腕部を強打

13日午後、お風呂場の天井を掃除中に落下して胸部と右上腕を強打した。
医師より7日間飲むように言われた痛み止めさえ飲みたくなかったが、薬嫌いの私でも飲まずにはおられない痛みだ。13日夜は血圧が下がらないので痛み止めとデパスを飲んで就寝した。

私の背丈が153.5センチで浴槽の高さが50センチほどだから、1.5メートルほど上から腹部を下にして落下したことになる。

足が滑って後ろ床に落ちたあと前のめりに倒れ、浴槽の肩に落下するまでの時間と風を感じたと思った瞬間に激突した。

胸(バストの下のあたりから20センチ幅くらいか?)と右腕上腕を強打した。どのようにして浴室から這い出したのか覚えていない。気がついた時は浴室から出たところで腹ばいになっていた。

痛みで呼吸ができないので浅い呼吸を繰り返しながら息を継いでいた。10分間ほど全く身動きできず、暖かい部屋に這って行くこともできなかった。

その時ユキはすぐ近くのリビングルームでおやつを選んでいたそうで、お風呂場の椅子の上に巻いて立ててある浴槽の蓋が落ちた音だと思ったそうだ。時々そういうことがあるので。ところが蓋を立てる音がしなかったので、「おかしいな」と思って来てくれたという。

私は声を出すこともできなかったが、小さな声で必死で何度も「ユキ、ユキ」と呼んでいたのに聞こえてはいなかったのだ。

005.jpgそのあとのユキは頼もしかった!
「ママに電話して・・・」と言うと、母親から教えられ用意されていた紙を見て会社へ電話した。

ユキが少し話したあと電話の子機を私の耳に当ててくれるのだが、私が話すこともできない様子を察知して「すぐに帰るから」と電話は切れた。その時、知子は私が血圧が高くて倒れたと思ったそうだ。


活かされた学習.jpgこのような緊急時のために、知子はユキに1年生の夏以降から3〜4回教えていたとのこと。自宅の住所と電話番号を覚えさせ、倒れた時は「119」・・と理解させ、「おばあちゃんが倒れました」「僕は孫です」と言えるように訓練し、過日のおじいさん(知子の父)の事故後も復習したという。

上掲の本は3〜4年生の学習らしいが、知子が唯一早取りしている我が子の学習だという。母も子も偉い! 知子の危機管理に脱帽!

「おばあちゃんが倒れるときは血圧で倒れるやろうし、その時はユキしか助けを呼んでくれる人はいないからね。
まだ大丈夫と思った時は会社に電話して、ママかおじいちゃんをお願いしますって言うんよ」
と。

ユキは知子に連絡してくれたあと、「救急車呼ぶ?」と聞いてくれたが少しだけ様子を見ることにして、まもなくリビングまで移動して椅子に座ることができた。

すると夫から電話があり風呂場での様子を簡単に話した。
「そんなことせんでも(しなくても)僕に言うてくれたらええのに。今からすぐに帰るから!」と、それはそれは頼もしい声で話すので心が強くされた。しかし、「僕」も69歳の高齢者だが。

私は落ち着きを取り戻し、二人の帰りを待つ間に消防署に電話して救急病院を教えてもらった。本当はすぐに出動して欲しい状態だったが躊躇した。最後に「気分が悪くなったらすぐに電話してください」と言われたのが嬉しかった。

今は当日よりも痛みは3分の一くらいになっているが、右上腕が痛いので服の着脱は家族の者に手伝ってもらっている。

脳梗塞になった父のことを思い出した。服は前開きでないと着脱しにくいことや、着るときは痛い方の腕から袖を通し、脱ぐときは痛くない腕から脱ぐなど、16年も前のことゆえに昨夜になって思い出した。

脳梗塞で麻痺すれば肉体はこんな感覚になるのだろう。リハビリの痛みもこんな感じだろうと想像させた。主治医の助言を守って脳梗塞にならないようにと思う。
今は右腕も少しは動かせるようになったが上に上げることができないので、パソコンを打つにも左手で右腕の袖口を引っ張って腕をパソコンに置くといった具合だ。指は自由に動く。


右手首にも大きなアザができており、右肩や腹部の両サイドの痛みなど新たな痛みも出ている。医師から前もって聞いているので今のところ不安は感じないが、起き上がるときは上着を引っ張って起こしてもらわないと起き上がれない。

2007年9月にも民生委員の活動中に「あわや肋骨にヒビが!」入るような怪我をしている。
しかし、今回は精神的にも具合が悪い。昨日の午後、チャッピーを3人で動物病院へ連れて行ってくれて異常がわかったからだ。そのことは心身の状態が良くなってから簡単に記録しようと思う。

普段自由に動くことができるということがどんなに感謝なことであるか。そして、体がいかに精巧に造られているか! そしてまた、そのありがたさを何と簡単に忘れてしまうことか。

何もせずに1日過ごしていると心の調子が悪くなってしまい、少々無理しながらも書くことにした。
大怪我にならずにすんだとしみじみ思う。神さまのお守りがあったからだと感謝しているが、「では重症の人は守られていなかったのか」と、私の言葉で躓きを与えてはいけないので、お電話をくださった友、祈ってくださっている方々に感謝しつつ終えたい。そのこともいつか書きたいと思う。

付記:今日はユキとおじいさんの2人で教会へ行った。ユキが行きたいと言ったからだが、折り紙に夢中のユキは分級での折り紙が目当てだった。

今日はCS(教会学校)の先生と一緒に5羽の折り鶴を折ってきた。そして、帰宅後すぐにおじいさんと2人で阿倍野(天王寺)の近鉄デパート(ハルカス?)へ行った。おじいさんからの誘いだ。

祖父と孫。二人は62歳の年の離れた兄弟のようだ。時々、もめているので一人っ子のユキにはありがたい存在だ。


posted by 優子 at 21:03| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2015年03月14日

イスラム教徒とキリスト教徒に行き交う愛と憐れみ

これは3月13日付け『日本クリスチャン・トゥディ』に公開された記事である。
ISによるキリスト教徒斬首後、160万部以上の聖句リーフレットが配布 エジプト

image.jpg北アフリカのリビアで先月、過激派組織「イスラム国」(IS)により21人の若いエジプト人キリスト教徒が殺害されたことを受け、聖書の言葉を載せたリーフレット160万部以上が、エジプト全土に配布された。
(写真:ベン・シーワルド / フェイスブック) 
エジプト聖書協会によるこのキャンペーンは、この殺害事件のために悲嘆に暮れている自国のキリスト教徒や、信徒でなくても悲しみに暮れている人々を励まし、力づけることを目的としている。

「これはエジプト史上、キリスト教のリーフレットとしては最も広範囲にわたり配布されたものでは」と、エジプト聖書協会のラメン・アタラー氏は語った。

「Two Rows by the Sea」(海辺の2本の列)と題されたリーフレットは、最初に首都カイロのコプト大聖堂内で、コプト正教会の教皇タワドロス2世により毎週行われている聖書研究会で配布され、その後、全国の教会に配布された。

アタラー氏は、「残忍な殺人事件に国中が悲しみに包まれており、またリーフレットは速やかに入手可能であったため、キリスト教徒たちはそれを、通りやお店、バス、電車など、いろいろな所で配布してきました。

そして結果として、リーフレットはさまざまな職業やあらゆる階層の人々の元へ到達することとなったのです。また私たちは、リーフレットをイスラム教徒の友達からもらった、近所の人からもらった、と言うキリスト教徒が何人もいるということをたくさん耳にしました」と語った。

リーフレットには、ある若い男性の信仰に関する詩が取り上げられ、それと共に5つの聖句が載せられている。

「われわれは、悲しみを慰める何かを提供したかったのです。人々は、今回若い男性たちが殺されたことに関して絶望し、また多くの疑問を抱えていました。簡単な答えはなかなか見出すことはできません。

しかしながら、聖書は、私たちには試練の時というものがあり、私たちに対する神の愛は決して尽きることがない、ということを思い出させてくれます」
とアタラー氏は言う。

ペテロの第一の手紙4章12節には、「愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を・・・驚き怪しんではなりません」とあり、続く14節には「あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです」とある。

アタラー氏は、この殺人事件が、エジプト国内のキリスト教徒とイスラム教徒を団結させることになったと言う。

「ISは、この殺害事件で、エジプトのキリスト教徒とイスラム教徒の宗派間の対立を助長することを狙っていたようですが、それはかえって逆効果となりました。

どうなったかといえば、キリスト教徒たちは悲嘆に暮れ、神に助けを叫び求め、イスラム教徒たちはキリスト教徒たちに愛や憐みを示す、という行動を取ったのです」。

「この悲しみの時期と前代未聞の空しさにある中、神様がこの聖書リーフレットを用い、多くのエジプト人を力づけ、立ち向かっていくことができるように、私たちと一緒に祈ってください」


一方、英国では、チャールズ皇太子とジャスティン・ウェルビー・カンタベリー大司教が、「When Left Behind」(取り残される時)というキャンペーンで寄付を呼び掛けている。これは、殉教したキリスト教徒の家族のため、英国コプト正教会のアンジェロス主教により立ち上げられたもの。

アンジェロス主教は、「今回亡くなった男性たちの家族の方々と喪に服すと同時に、彼らの信仰の確信、強さ、尊厳と勇敢さを喜びます。(殺害映像の中で兄弟たちの信仰の言葉が残されており、殺された人のうちの何人かの最後の言葉は、「主イエス・キリスト」だった)。この父たち、兄弟たち、おじたち、息子たちは、決して忘れ去られることはありません」と述べた。


※この記事は英国クリスチャントゥデイの記事を翻訳・編集したものです。

なお、この記事は前記事の関連からカテゴリを「引用文」ではなく「社会的なこと」に収録した。


posted by 優子 at 11:10| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年03月13日

自然界は新しい春の序章&救急病院へ

オカメザクラA.jpg

オカメザクラが咲いていた。カンヒザクラ(寒緋桜)とマメザクラを交配して作られたオカメザクラは、寒桜のように花は下を向いて咲く。

オカメザクラ@.jpg


チャッピーは乳がんだと思う.jpgチャッピーも数日前から冬毛が抜け始め春の到来を告げている。
ところが家事を終えて庭へ出た時、チャッピーのお腹を見て驚いた。5日にチャッピーの腹部に異常を感じていたが、お腹にオスのペニスのような形の赤い腫瘍が見えたのだ。痛そうでもなくしんどそうでもない。

ここまで正午前に書いていたが、3時45分頃、洗ったばかりの水浸しの浴槽の肩(?)に登って浴室の天井を拭いていた時、足が床(後ろ)にすべり落ちて前のめりに落ち、腹部と右上腕を浴槽の肩に激突して強打した。

幸い頭は打たなかったが、しばらく呼吸もできなくて倒れたままになっていたところ、ユキが母親に電話した。耳元に子機を当ててもらったがとても電話で話せる状況ではなかった。

その後すぐに夫と知子は会社を出て高速道路を乗り継いで4時半に帰宅。帰りを待っている間に消防署で教えてもらっておいた救急病院へ向かった。当市には救急病院がないので遠い。

10枚近くもレントゲンを撮ったが、腹部のCT台に寝転んだ段階でCTは断った。照射量が多いからだ。x線写真の結果で判断ですればよいと思って、そのことを技師に申し出て医師と相談してもらった。

健康の有りがたさが身にしみる。謙虚になるようにとの神のお計らいか。

時間の経過とともに痛みが酷い。
ずっと上村遼太くんのことを思っていた。
知子に負担がかかるのが気兼ねだが、しばらく何もできないと思う。

posted by 優子 at 22:13| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2015年03月12日

メルケル首相が選んだ原発停止・原発全廃の英断

4年前の東日本大震災発災当時の写真を追い、根こそぎ破壊しつくされた状況に改めて絶句した。時が経てば経つほどに驚きは強く、放射能は人間の手に負えず今も全くコントロールされていない。

今週初め9日〜10日に来日していたメルケル首相は、4年前の福島第一原発事故を振り返って、稼働延長することにしていた原発停止を即断し、2022年までに原発全廃。「福島の経験から言えるのは、安全が最優先ということ。日本も共にこの道を進むべきだと信じる」と語った。

メルケル首相の英断に感動するも、この発言は日本の代表者こそが最初に叫ぶべきことではなかったか! 
目先のことしか考えない愚者たちは、福島の人々が故郷を棄てねばならない悲しみを全くわかってはいないだけではなく、後世の人々の生きる権利をも奪っていることに気づいてはいない。

"We have not inherited the earth from our fathers, we are borrowing it from our children."

「私達は地球を私達の祖先から受け継いだのではなく、私達の子供達から借りているのである」。                

メルケル首相の講演や質疑応答から一部転載させていただきたい。
講演の質疑応答:2 脱原発の決定より:
私の考えを変えたのは、やはり福島の原発事故でした。この事故が、日本という高度な技術水準を持つ国で起きたからです。そんな国でも、リスクがあり、事故は起きるのだということを如実に示しました。

このため、本当に予測不能なリスクというものがあり、私たちが現実に起こりうるとは思えないと考えていたリスクがあることが分かりました。だからこそ、私は当時政権にいた多くの男性の同僚とともに脱原発の決定をくだしたのです。

ドイツの最後の原発は2022年に停止し、核の平和的利用の時代が終わって、私たちは別のエネルギー制度を築き上げるのだという決定です。
 

メルケル独首相の講演全文:1 戦後70年とドイツより:
破壊と復興。この言葉は今年2015年には別の意味も持っています。それは70年前の第2次世界大戦の終結への思いにつながります。

数週間前に亡くなったワイツゼッカー元独大統領の言葉を借りれば、ヨーロッパでの戦いが終わった日である1945年5月8日は、解放の日なのです。それは、ナチスの蛮行からの解放であり、ドイツが引き起こした第2次世界大戦の恐怖からの解放であり、そしてホロコースト(ユダヤ人大虐殺)という文明破壊からの解放でした。

私たちドイツ人は、こうした苦しみをヨーロッパへ、世界へと広げたのが私たちの国であったにもかかわらず、私たちに対して和解の手が差しのべられたことを決して忘れません。

まだ若いドイツ連邦共和国に対して多くの信頼が寄せられたことは私たちの幸運でした
。こうしてのみ、ドイツは国際社会への道のりを開くことができたのです。

さらにその40年後、89年から90年にかけてのベルリンの壁崩壊、東西対立の終結ののち、ドイツ統一への道を平坦(へいたん)にしたのも、やはり信頼でした。

メルケル独首相講演の質疑応答:1 隣国との関係より:
先ほども申し上げましたが、ドイツは幸運に恵まれました。悲惨な第2次世界大戦の経験ののち、世界がドイツによって経験しなければならなかったナチスの時代、ホロコーストの時代があったにもかかわらず、私たちを国際社会に受け入れてくれたという幸運です。

どうして可能だったのか? 
一つには、ドイツが過去ときちんと向き合ったからでしょう。当時ドイツを管理していた連合国が、こうした努力に非常に大きな意味をくみ取ってくれたからでしょう。法手続きでいうなら、ニュルンベルク裁判に代表されるような形で。そして、全体として欧州が、数世紀に及ぶ戦争から多くのことを学んだからだと思います。

さらに、当時の大きなプロセスの一つとして、独仏の和解があります。和解は、今では独仏の友情に発展しています。そのためには、ドイツ人と同様にフランス人も貢献しました。

かつては、独仏は不倶戴天(ふぐたいてん)の敵といわれました。恐ろしい言葉です。世代を超えて受け継がれる敵対関係ということです。
幸いなことに、そこを乗り越えて、お互いに一歩、歩み寄ろうとする偉大な政治家たちがいたのです。しかし、それは双方にとって決して当たり前のことではなかった。

隣国フランスの寛容な振る舞いがなかったら、可能ではなかったでしょう。そして、ドイツにもありのままを見ようという用意があったのです。

ドイツの首相として、私はアジア地域にアドバイスをする立場にはないし、するつもりもありません。それは社会的プロセスから生まれてこなければならないことです


歴史が示しているように、アドバイスをもらってうまくいくとは限らず、難しくすることもあります。一方で、平和的な解決策の道が見いだされなければならない、ということも正しい。

この発言に対して次のような批判が出ている。
「ナチスによる犯罪行為への反省に触れつつ、日本に慰安婦問題の解決を促した。これは、戦前・戦中の日本と独裁者、ヒトラー総統率いるナチス・ドイツとの混同とも受け取れ、問題といえる」。

しかし、これは見当外れの受け止め方であると思う。
なぜならば神の前に罪を悔い赦しを求める者にとっては、どちらのほうが罪が重いの軽いのという問題ではなく、神に対しては徹底的に主体性の真理である。

つまり、自国ドイツの大罪をしっかり受け止めている者でしか語ることのできない思いであり、メルケル首相は日本と近隣諸国との最善を願って自らの経験を語ってくれたのである。ここでは罪の質や量については触れていない。


メルケル独首相講演の質疑応答:3 言論の自由より:
私は言論の自由は政府にとっての脅威ではないと思います。民主主義の社会で生きていれば、言論の自由というのはそこに当然加わっているものであり、そこでは自分の意見を述べることができます。

法律と憲法が与えている枠組みのなかで、自由に表現することができるということです。ドイツでは基本法の中で言論の自由が保障されておりますが、その(行使の)際には、人間の尊厳を尊重しなければいけません。それは大切なことです。ですが、言論の自由は政権にとって、政府にとっては脅威ではありません。

34〜35年間、私は言論の自由のない国(東ドイツ)で育ちました。それは多くの側面において大変難しい、厳しいことでした。その国で暮らす人々は常に不安におびえ、もしかすると逮捕されるのではないか、何か不利益を被るのではないか、家族全体に何か影響があるのではないかと心配しなければならなかったのです。

そしてそれは国全体にとっても悪いことでした。人々が自由に意見を述べられないところから革新的なことは生まれないし、社会的な議論というものも生まれません。社会全体が先に進むことができなくなるのです。最終的には競争力がなくなり、人々の生活の安定を保障することができなくなります。

もし市民が何を考えているのかわからなかったら、それは政府にとって何もいいことはありません。ですから、言論の自由は政府にとって何の脅威でもないし、問題でもありせん。

私はさまざまな意見に耳を傾けなければならないと思います。それはとても大切なことです。多くのケースにおいて、異なる意見から、たくさんのことを学ぶことができます。

これからもメルケル首相の働きに期待を持って注目したい。
日本の為政者には賢明な選択を願い続ける。

posted by 優子 at 13:11| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年03月11日

聖書と平和

今朝の最低気温は−1度、ブラックバスが入っている水槽の水も凍っていた。今朝は寒さに加えて昨日からの強風で頭が痛くなり、娘の見送りは早々にユウターンして帰ってきた。今も雪が舞っている。掃除のあとの室温は6.5度まで下がった。

昨秋初めて知子とユキが植えたチューリップ。窮屈に植えられたチューリップも3月に入って日増しに伸びてきた。

土の下は氷の柱.jpg

深く植えすぎたのか、なかなか芽が出てこない場所が盛り上がっていたので、土をとってあげようと軽く触るとサクサクと音がした。土の下は氷の柱で「これが霜柱か」と、63歳にして初めて見た感動の朝だった。

さて、昨日の記事に関連して、クリスチャンの間でも改憲派と護憲派に分かれ、また、このような政治問題と距離を置く人もいる。説教や祈りでも社会のことに全く触れない牧師もおられるように思う。
そこでキリスト者は憲法問題や「九条の会」運動をどのように受け止め、また、社会に無関心の人々のことを思いながら続けたい。

時々刻々と変わる世界の状況や日本の周辺国のことを考えると、確かに武力で自主防衛しなければという思いも心情的にはわかる。
しかし、「軍隊がある限り平和は守れない!」と訴える沖縄の人々、苦しみぬいている人々の声に耳を傾けるべきではないだろうか。

クリスチャン・ペンクラブの導き手の一人、久保田暁一氏(作家、文芸評論家)は次のように話をされている。 
「この友がら黙さば石叫ぶべし」と、イエスは弟子たちの口を封じようとした者たちに言われました。

私たちがその中に生きる日本社会と世界の状況は、たとえばイラク戦争に象徴的に見られるように、人間同士の愛による連帯と赦しの倫理を喪失し、平和と人間の尊厳が侵される危機的な状況に陥っています。憎しみと憎悪による殺傷が絶えない状況です。

私たちが住む日本社会にも、寒々とした事変が続発しています。
こうした状況に対し、キリスト者として私たちは、いかに考え、身を律していけばよいのでしょうか。

身近な生活と命に関わる問題として平和問題を考え、発言し、証ししていきましょう。希望の火を灯していきましょう。

              (過去ログ・2007年8月20日より)

「日本が63年間不戦であったのは憲法九条があったからであり、日本人が憲法を守ったのではなく、憲法が日本人を守ったのだ」とは、池田勇人牧師。(2008年10月)

かつて日本は特別法案を作って自衛隊を戦地に送っていたが、そもそも憲法改憲へと強力に圧力をかけてきたのがアメリカだ。
感謝なことに敗戦国日本にアメリカが押し付けた憲法は崇高なものだった。その日本国憲法がアメリカにとって不都合になり、アメリカは自分で自分の首を絞めるような格好になっている。

しかし、日本は戦争放棄を謳っている日本国憲法の原点に立ち続けることが神のみこころであると私は確信している。

「ふたたび『銃口』が背中に当てられる時代がきた。今度はキリスト者として目覚めて戦いたい。権力へのおそれやへつらいからもっとも弱い者を二度と犠牲にはしない」。
                 (三浦綾子 『銃口』より)
クリスチャンも社会に対して発言し、改憲反対の声をあげねばならない。

付記:今日は東日本大震災から4年。まもなくその時刻だ。
私たちは被災地の人々の悲しみと苦悩に心を合わせて慰めと助けを祈り続けよう。


posted by 優子 at 13:09| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年03月10日

恐怖の憲法改正草案 −「九条の会」リポート−

9条の会.jpg@ 名波大樹弁護士 
「『集団的自衛権行使』と安保法制」
A 元自衛隊隊員・大嶋伸幸 「隊員の命守った九条」

数日前に近隣の方からお誘いを受け、教会(3月8日)の帰りは家族と別れて「九条の会」主宰の春の学習会に参加した。礼拝後、教会の友も参加されることを知り、友の自動車に同乗させていただいて会場へ向かった。実は私は今回が初めての参加だった。

弁護士は、最初に「法」について、次に法律と憲法の違いから説明され、配布された日本国憲法改正草案と現行憲法の対照資料を1つひとつ確認しながら説明を受けた。学びの感想を一言で言うならば「恐怖」でしかない。

まず、憲法前文の主語は全て「日本国民は」であるのに、改憲草案では、「日本国は」「我が国は」と変えられており、国民主権ではなくなっている。こんなことを看過していて良いと思う人は一人もいないはずだ。

第1章の「第1条 天皇」では、「天皇は、日本国の象徴であり」が「天皇は、日本国の元首であり」となり、時代が逆行している。

驚かされるのはまだまだある。
憲法こそが最高法規であるとする理由が書いてある「第10章・最高法規」の「第97条」が削除されていることだ。

第九十七条  この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。


これを削除した上に第99条だ。現行憲法では、
第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

となっているのに、草案では、
(憲法尊重擁護義務)
第百二条  全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。


これぞ逆さま!すでに知っていたこととはいえ、激昂を抑えつつ文字を追っていた。弁護士も「この根本のところを変えてしまうと憲法ではなくなってしまう」と、語気を強くした。

是非、「日本国憲法改正草案と現行憲法の対照表」で確かめてください!

「閣議決定(解釈改憲)に至る流れ」も恐怖であり、解釈改憲を内閣の閣議決定でやってしまうことの恐怖。まさに「真っ向から立憲主義に反する」ことであり、「過半数で決めてしまうと憲法の意味が無い」など、多くのことを教えていただいた。

また、尖閣諸島に中国の漁民が上陸した場合などの「グレーゾーン」についても、治安に軍隊が入りこんでくると明らかに危険であり、集団的自衛権を行使すると戦争になるのは火を見るより明らかだ。私達は絶対にこのような暴走を止めなくてはならない。

最後の質疑応答では、他市から来られた中学校社会科教師が次のように熱く話された。

「18歳から国民投票の権利を与えることは良いことだと思うが、今の自民党のすることに良いことはないから、将来の徴兵制を見込んでやっているのではないかなと心配している。
『戦争に行くのは自衛隊だけではなく若い人たちが行くことになるんだよ』という意識を与えたほうが良いが、『九条』を理解してもらえるようにもっと優しい言葉で伝え、『九条は私達を守ってくれるんだよ』と『九条』の運動を拡げていくべきだ」。


戦争になれば再び日本が戦場になり無差別爆撃を受ける。かつて、東京、大阪、名古屋、神戸は焼け野原になり、果ては原爆だった。

折しも70年前の今日東京大空襲があった。史上最大規模の38万発以上の焼夷弾が投下され、死者数が10万人以上だったとは!

「憲法は国家権力を縛るものであり、国民が歴史的に勝ち取った権利を守らねばならない。これでは憲法の地位を下げてしまっている」。

「自衛隊員が海外に派兵されなかったのは憲法九条があったからであり、それゆえに誇りある活動をしてきたのである。日本に攻撃をしてこなかったのは、日本が攻撃しない国だとわかる『九条』があるからだ」。

今、止めなければ間に合わない。
今、もっと何かをしないと大変なことになる。
政府主導の暴走を阻止し、今こそ反対の声をあげないと間に合わない。
「ああ、若き友たちよ!
 巨大な歯車がひとたびぐらっと
 回りはじめたら最後
 君もその中に巻き込まれる
 いやがおうでも巻き込まれる」
                       (なかにし礼)

今、反対の声を上げよう。
今しかできないこと、今やらねばならないことを。あとからでは遅い。無関心ではいけない。周囲の人々に広め、互いに意識を高め合って反対の声を大きくしていこう。

「憲法9条を根底からくつがえす『戦争立法』と改憲の暴走を止めよう!」 
「九条の会」オフィシャルサイト!!!
です。

4月6日追記:3月27日に届いた会報より参加者の感想をいくつかご紹介したい。参加者は87名。

▼5年前に北アフリカ西側にあるカナリア諸島を訪れた時に、日本の憲法九条の碑が建てられていました。世界に誇れるものだとつくづく思ったことを思い出しました。(69才・女性)

▼現憲法と自民党草案の違いにはびっくりです。天皇が元首?! いったい国民主権はどうなるのでしょう。国防軍・・、次は徴兵制でしょう。九条の価値を広く広く、広めていかねばと思いました。(60才・男性)

▼徴兵制が目前に迫っている。若い人々に憲法学習をもっとしてもらいたい。安倍政権の暴走を許しているのは、選挙にボロ負けしているからだと思うが、その反省はないのか? 若者がこの政権に希みや未来社会をかけているのか?(72才・女性)

▼「憲法は政府の権力をしばるもの」という捉え方がどれだけ広がっているでしょう。これを広げること、わかってもらえること、自分自身を深めることが一つの課題と思います。(64才・男性)


posted by 優子 at 11:13| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年03月09日

「悪」がもたらす破壊と無垢な者が受ける苦難と悲惨

上村遼太君のご遺族の悲しみを覚えつつも、ようやく7日から私の激しい涙は治まり、かつて没頭した「『リア王』は悲劇か ―リアの生涯を考える―」で考えたことを思い起こした。

それは、リア王の激しい嵐(争い)が止んだ時、リーガンはゴネリルに毒殺され、ゴネリルも自殺して悪も滅んだが、コ―ディリアの死という善良な犠牲者も出たことである。

即ち、「悪」は厳然として存在し、一旦「秩序」が破られて解き放たれた「悪」の力はドミノ倒しのように行く所まで行くということ

全てのことは神の摂理によって支配されていると受け止めているシェイクスピア。そのシェークスピアが直視する人間の中に在る「悪」と、それがもたらす破壊、その跡に残る無垢な者が受ける苦難と悲惨

意外なことだが、この痛ましい帰結。その理屈に納得させられて私を慟哭から抜け出させた。


そして、(リア王の)嵐の中で「悪」の増大と共に「善」もまた動き出していたという希望をも思い起こさせた。ただし、私の涙がとだえた3月7日の段階ではそのことを意識できていなかったと思うが、見失いそうになっていた希望の灯を同時に感じたのだと思う。

そんな思いになっていた今朝、ワシントン在住の次女から届いていたメールに明確な結論が記されていた。
ママ、
悲しいニュースや現実に胸を痛めてることと思います。
怖さや悲しみがなくなるのが信仰ではないものね。
まちも、先週は本当にしんどい時がありました。
忙しさで体力も弱って来る中、残酷なニュース、ちゃっぴーの心配などが重なったけれど、少しずつ慰めや助けが与えられつつ歩んでいます。神様は悲しむものを慰めてくださる。
先週は寒くて雪も降ったんだけど、今日は急に春みたいです。
今週は暖かくなるみたい。また頑張るね。

「神様は悲しむものを慰めてくださる」。
この言葉で、神の責任論(神議論)は人間の理性を超え、人間の理性では理解できないことを思い起こさせてくれたので思考を停止した。

「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです」。
           (マタイによる福音書 5章4節)
人から受ける一時的な慰めではなく、神による慰めが心深くに届く。

地上では今後もこの世のこととは思われない悪や不条理なことが果てしなくあるだろうが、神さまは慰め、励まし続けてくださっている。
大切なことは神への信頼を失わずキリストによる救いを感謝して、導きを祈りながら生涯を全うすることだ。


先週はワシントンも大雪で政府機関が閉鎖されたというからIMFも閉鎖されて、マチ・クマは自宅で仕事をして、教会にも行けなかったのではと思っていたら8日は大丈夫だったようだ。

ワシントンの桜祭りに教会もブースを出すとのことで、多忙な中、休日は展示資料作成に頑張っていたようだ。そういえば「ワシントン便り」は1月半ばから更新されていないので、その時には是非ブログで御紹介したい。

こちらは明日から春の大寒波で、またまたひと冬に何度もないというような寒さになるという。
悲しんでおられる方々の上に神さまの慰めが豊かにありますように祈ります。

posted by 優子 at 12:47| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年03月07日

遼太君を助けられなかった私たちは姿勢を正せるのか

このたびの上村遼太君の事件はあまりにも痛ましく、私は絶望に傾いてしまう心を書くことで支えようとしている。

ヨブ(『ヨブ記』)のように遼太君の不条理な人生の責任は神なのかと、私の慟哭の究極はその問いに尽きる。決して信仰がグラついているわけではなく、いかに受けとめればよいのか煩悶しながら衝撃から徐々に平静を取り戻しつつある。

この事件の検証を関係機関が手を尽くすべきことは言うまでもないが、私たちは「理由探し」をして「誰かのせい」にするという誤謬を犯してはならない。それは問題を外在化することでしかなく最初から事の本質を見失ってしまう。


孫を育てる長女もひとり親である。幸い、私たちと共に生活しているので孫が学校から帰宅した時も独りではなく、宿題のプリントや本読みの点検が私の楽しい日課になっている。

2日夜、娘は遼太君のことから息子との時間を今まで以上に大切にしようと、毎月初めの朝礼と朝の会議以外は子どもを見送ってから家を出たいと父親に申し出た。それでさえ息子とは1日2時間ほどしか関われない。

昨年までの激務の時は、毎日のように父親と共に6時半過ぎに家を出て就業40分前に出社し、帰宅は11時前という日もたびたびで、時には連日2日間も子どもに会えないこともあった。

あの時はどうしようもない状況だったが、今またその状況になっても同じようにするしかないのが現状だ。娘は仕事のやりくりしながらも相変わらず毎晩息子が寝た後、深夜まで仕事をしている。

5日朝、通勤電車からメールが送られていた。
「ヤフーの母子家庭の記事を読んだ。今があるのは全部ママのおかげです。本当にありがとう」。
私が孫と娘の役に立っていることを神さまに感謝している。

ところで、まもなく小学校1年生を終えようとしている孫は毎日が冒険の1年であったことであろう。しかし、良い意味ばかりで言うのではない。

1学年2クラスで、孫のクラスは騒がしい子が集中しているからだろうか。4月早々から現在に至るまで授業が成立していないような状況を推察しているので、電話で話す機会があるたびに担任の先生を支援する気持ちを伝えていた。

教室では子ども同士の喧嘩で「殺すぞ!」という言葉を4〜5名が口にしているという。当初は驚きを隠せない様子で話していた孫も、そのうち聞き慣れてきたのか話さなくなった。

ところが昨日、「○○君に『妖怪ウォッチ』の絵を見せてねって言うたら、『いいけど、そこに何か書いたら殺す』って言った」と、おやつを食べながら話していた。これが7歳の子どもたちの現状なのだ。

まさかその子たちの親が発している言葉を真似ているとは思わないが、このような環境の中で子どもを健全に育てるには、今まで以上に親の確固たる価値観なくしては養育できない時代になっていることだけは確かである。 

私は我が子の子育て同様に学力にのみ重点を置くのではなく、目には見えない心を養うことを第一に関わっている。人格形成の最も大切な小学校の6年間で、12歳なりの自己形成を育んでやらねばと思っている。

私はこの事件を真剣かつ深刻に対峙し続けねばならないとの思いから、遼太君の生きることができなかった姿を想いながら教育や子どものことを私なりに考えていきたいと思う。


その最初に私の教育観の中核とも言える思いを端的に書いたものがあるので御紹介したい。それは1992年春、次女が小学校5年生の時にPTAの広報委員長としてペン活動をしていた時、1年間に40号発行した手書きの新聞の最終号だ。

ふじとニュース最終号.jpgその紙面の中ほどに、親だけではなく卒業生へのメッセージとして子どもに読んでもらいたくて書いた。

あなたもロバをかつぎますか?

今から2500年も前に書かれたイソップ物語に『ロバをかついだ親子』の話があります。

親子がロバを売りに行く道で、「ロバに乗らずに歩いているとはもったいない」と言われて子どもが乗ることにしました。すると、別の人に「親を歩かせるなんて!」と言われて2人とも乗ることにしました。

すると「小さなロバに2人も乗るなんて!」と言う人がいて、2人でロバをかついで歩くことにしたのです。しかし、ついにはロバを川に落としてしまったという話です。

これは人の意見ばかり聞き入れて主体性がなく、また、自分の生き方に確かな基準を持っていないとこのようになりますよということを教えています。

どうか、常に考える心を持って学び、確かな基準、真理を見出してください。
 
    
        (東大阪市立藤戸小学校PTA広報委員会 
          1992年3月14日発行
           ふじとニュースNO41号より転載)

孫もまた、娘たちのように自分の頭で考えることのできる大人になるように、神に祈りながら祖母の立場で養育の任に関わらせていただきたいと願っている。

救えた命、上村遼太君を偲ぶ。
遼太君を助けられなかった大人たちは姿勢を正せるのか。
今私たち一人ひとりにそのことが問われている。


posted by 優子 at 16:00| 教育 | 更新情報をチェックする

2015年03月06日

「おかめ桜」 ―『種を蒔く』2号掲載文より G ―

寒さの中にも春が近づいてくる気配を感じた昨日の朝、日射しが気持ちを明るくした。長女を駅まで見送った帰り道、木々が春の日射しを受けてキラキラ輝いていた。

あまりに美しいので立ち止まった時、制服姿の上村遼太君が笑っている元気な姿を見たと思った瞬間消えてしまい、私は周囲をキョロキョロして捜していた。春がそこまで来ているのに遼太君はもういない。加害者の底なしの罪深さを思う。

オカメ桜.jpg

私はチャッピーを庭に繋いで、カメラをもって再び外に出た。
今年もおかめ桜は蕾を赤くふくらませていた。今は何を見ても悲しい。湯川遥菜さんと後藤健二さんが殺害されたあともアラブ諸国での蛮行は果てしなく、日本国内でも信じられない出来事があり、私たち人間はこれからどこに向かって進んでいくのであろう。

まもなく開花するおかめ桜にちなんで『種を蒔く』第2号に掲載された文章を読むと、まるで別世界のように感じる。

             おかめ桜   

柴犬を飼い始めて14年目になる。多忙な現代にあっては、犬の散歩は家族との貴重な語らいの時であり会話が弾み、しかしまた、独りで歩く平日朝の散歩は神さまとのゴールデンタイムだ。黙想には人の声は邪魔になるが、犬は黙々と歩くので神さまとの語らいの時である。

長女が子供の参観日のために欠勤した朝のこと、長女が幼稚園に出かける前のひと時一緒に散歩に行くのを楽しみにしていた。ところがこの朝、私は急に何か気配を感じて独りで出ることにした。するとまもなく、ある老婦人と話す機会が与えられた。

この方は、私が民生委員をしていた時に独居老人宅のリストにあった方で、前任者の引き継ぎでは、この方は人を寄せつけない人だから関わらなくてもよいと言われていた。しかし、そうするわけにもいかず玄関のチャイムを鳴らした。

すると案の定、「私は民生委員に世話になるようなことはありません」と問答無用で門前払いされた。民生委員をひと昔前の認識で見ておられたのでプライドが傷ついたのだろう。私は民生委員の働きを端的に説明したが、名刺とチラシさえ受け取ってはもらえなかった。

ところがこの朝、その方が玄関から出てこられて、その瞬間に神さまの気配というのか何かを感じたと同時に声をかけていた。
「この町であの桜が一番先に咲きますね。毎年楽しみに見させていただいています」。

その御宅の玄関前の垣根には、何本かの桜が植えられていた。その方は人恋しく思っておられたのだろうか、「これらの木は引っ越してきた時に苗を買って植えたんです」と、40年ほど前のことを話してくださった。

そして、先週まで圧迫骨折で入院していたこと、飼っていた犬や猫のことなど会話は長く続き、最後に悩み事まで話された。腰を痛めての暮らしは不安だろうからと私の名前と自宅を伝えた。別れる時は明るい笑顔でお礼を言ってくださった。

愛犬は幼児と違って私の立ち話が長くなると腹ばいになって待ってくれるので、時間を気にしないで話すことができた。娘との散歩を断った理由はこのためだったのだと直感した。そしてしばらく行くと、もう一人の老婦人と出会った。

話しているうちに長い間忘れていた感情が蘇ってきた。母や父の介護をしていた頃、病院で出会った多くの人々との交わりが思い起こされ、まるで喪失していた記憶が戻ってくるような感じがした。

そして、私が真に生かされる働きを神さまに示されたように感じた。この朝は散歩中に黙想することはできなかったが、神の恵みを味わい、深い感謝を覚えた。

春先に咲く濃いピンク色の桜は「おかめ桜」だった。

                      (2013年4月)

「おかめ桜」のチャッピー.jpg掲載誌には編集してくださった大田正紀先生がチャッピーの写真を載せてくださっている。これは2014年10月27日の記事から取ってくださったものだ。

柴犬のトレードマークであるクルッと上がった尻尾が下がっているので、よい写真を撮って差し替えていただこうとしたが、昨年1月の患い以降、散歩の時以外は尻尾を上げなくなってしまった。柴犬にとっ尻尾は健康のバロメーターだろうに。

最近はもう少し上がっており、散歩の時は上にクルッと巻いて駅の往復も元気に歩く。ただし今では長話どころか短時間の立ち話でもジッとしていないで動き続けている。認知症が始まっているのだと思う。チャッピーはもうすぐ15歳10カ月になる。

以上で『種を蒔く』第2号掲載文の全てである。
悲しみに暮れている人々に神の慰めを祈りつつ。

posted by 優子 at 23:15| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

2015年03月05日

一人ひとりに問題提起された悲しみ ―上村遼太君の死を悼む―

昨日の朝、愛犬と共に娘を駅まで送った時、春の日射しがキラキラしていた。一瞬心が明るくなって、朝の斜光線に輝く学生服姿の上村遼太君の笑顔を見たと思った瞬間、遼太君はもうどこにも居ない現実に気がついて真っ暗な悲しみのベールに覆われてしまった。

昨日の午前中も涙が止まらず声を出して泣いてしまったが、今日もまた涙が溢れて何もできないでいる。私の少ない蔵書の中には、このような悲しみについて書かれた本は見当たらず、この現実をしっかり受け止めて遼太君の死を悼み悲嘆を越えて行くしかないと覚悟した。

私でさえこうならば、遼太君のお母さんはこの悲しみをどのように乗り越えて行けばよいのだろうと思うと、心の痛みはどうしようもなく涙はやむことがない。

この写真は左目につけられたあざが消えかけていた頃だろう。写真を見るたびに声をかけてしまう。
遼太君、・・・.jpg
「遼太君、どうしたの?」
こんなに幼さが残るかわいい遼太君。困っているのに1人で悩んでいたのね。写真を撫で、「この時だったらまだ間に合ったのに」と虚しい思いを繰り返す。この顔を見るたびに遼太君の心の呻きが聞こえ悲しくてならない。

祈り.jpg▼「上村君へ 助けてあげたかった! 何もできずごめんね。許してね。写真を見る度に優しい上村君の笑顔が悲しく涙がこぼれます」。

▼「つらかったろうね。不条理なことで、とても悲しいです。おじさんは、この事件の本質に何があるのか考えてみます」。

▼「高校2年の長男がいる。一人の親として早く手を合わせに来たかった。子どもは大人が守ってやらなきゃ。どうにかして止められたんじゃないか」
と涙をぬぐった。

▼「あの場所で彼がどんなに怖い思いをし絶望し、痛く淋しく悲しく泣いていたかを思えば、あの綺麗な花がそれらを一つ一つ埋めてくれるように見えます」。

遼太君 安らかに.jpg

世の中のモラルは低下するばかりの時代にあっても、心ある人々が多くいることに慰めを覚える。このたびのことがいかに残虐極まりないものであり、いかに社会に大きな衝撃を与えたことか。
こんな悲しみが起きてしまった以上、私たちは今からでも真剣に考えて行かねば遼太君の死が無駄になってしまう。

主犯は昨年6月に鉄パイプで男性を殴って傷害事件を起こし、昨年末に鑑別所から出所してきたばかりだったという。彼は全く反省することもなく心は改められていなかったのだ。

そんな時に遼太君が出会ってしまい、まさに狼の前に羊が放たれた状況だった。そもそも13歳の子が深夜に外出するような生活になっていたことが悔やまれるのであるが、お母さんの日常はあまりにも過酷だった。それでも・・・あのような顔になった時は何を置いてでも最優先するべきではなかったか!

遼太君は5人きょうだいの2番目で、島根県・隠岐諸島の西ノ島町の小学3年進級時に両親が離婚した。以降は母親ときょうだいと暮らし、6年生の夏に川崎の母親の実家近くに引っ越して来たという。
近隣の人は、「介護関係の仕事と育児に奔走する母親の姿を度々見かけた」と話している。

ひとり親では子ども一人でも大変なのに5人もの子どもを抱えていたのである。これでは子どもの異変や子育てを誰かに相談する余裕さえなかったのだろう。わかってはいてもどうしようもない状況の母親を誰が責めることができるだろう。

お母さんは自分を責め、加害者への憎しみなど、これから深い悲しみと地獄の苦悩を通っていかねばならないことを思うと堪えられない。
どうか神さまがお母さんの心に寄り添ってくれる人を遣わしてくださり、経済も助けてくださるように。私にもできることはないかと考えようと思う。


私は今初めて「ひとり親の就労を下支えする福祉」と「一律でない、それぞれの家庭に合った支援体制」の必要を真剣に考え始めている。そのために尽力してくださっているNPOの人々への感謝と共に、私は何ができるのかを考えたい。

私も今はまだ加害者たちのことを考える精神的段階ではないが、彼らもまた生まれてきた時は無垢な心をもった命だったことを思うと、やはり親の責任は重大であり、そしてまた、皆が社会を良くしていくことを心から望み努力せねばならないということだけは確かだ。

ネット上の書き込みは、加害者に対して怒るべきことに怒っていることに驚いた。こんな当たり前のことにも驚くほど私は社会に失望していたのかもしれない。暴言や復讐心が溢れていることに懸念しつつも、この人たちの正しい怒りを正しい方向に持って行くことはできないものか。私はここに微かな希望を感じるのである

例えば、子どもたちの世界ではメールやライン(?)に返信しないと無視したことになると、スマホや携帯電話の使い方が社会問題になっているが、そこを正せるのではないだろうか。
まず教師が本気になって語り続ければ子どもたちに伝わり、若者社会を変えて行くことができる。有意義かつ有効な生活指導に繋いでいけるのではないだろうか。

かつて「PTA無用論」が叫ばれた時代もあったが、どの学校においても子どもたちの健全育成のために親と教師が日常的に考える集まりを持ってほしいものだ。例えばPTA新聞にイベントの写真だけを載せているならばPTAは全く機能していないと言わざるをえない。

世界平和も我が子の成長も自国だけの平和や自分の子どもさえ良ければという考えでは決して実現しない。それは力学的な構図からも明白なのだ。少なくとも教育現場は、そういうことを考えるPTAであってほしいと強く願っている。それが子どもを授かった者の責務である。

この悲しみは子育てが終わった親は勿論のこと、全ての大人1人ひとりに大切な問題を提起している。


posted by 優子 at 13:58| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年03月03日

なぜ こんなことが! ―上村遼太君の不条理の人生に思う―

3月6日16時45分追記:「○○容疑者は5歳も年下でまだあどけない上村君が愛されていることに、殺意を抱くほど嫉妬した。上村君を裸にして冬の川を泳がせ、拘束具で自由を奪い、首や顔をナイフで切りつけて殺害し、遺体を蹴って転がし、その様子をネット実況した挙げ句、亡骸を河川敷に放置した」。
Japan In-depth[岩田太郎]【親を支援する「現物支給」を】〜川崎市中1殺害事件 @ 〜より。

残虐極まりない恐怖と拷問を受けて死んでしまった上村遼太君。どうしてこのような子にこのようなことが起きるのかと悲痛の極みである。

今も多くの人々が、どうにかして助けてやれなかったのかと絶望の悲しみに耐えている。私も涙せぬ日はなく思い出しては涙が溢れて止まらない。新しい供述を知るのが苦痛であり、血圧が下がらず非常に具合が悪い。お母さんの心中はいかばかりか、気が狂って死ねるものならば死んでしまいたいであろう。

私は遼太君の不条理極まりない死をどのように理解すればいいのかと坐り込んでしまう。不遇な災害や事件に巻き込まれての死、いや、手厚い医療を受けての病死であれ、残された者はその悲しみを受容するまでどんなに長い年月がかかることか! しかも悲しみは生涯なくなることはない。

これまでも「通り魔殺人」など理不尽な事件が起きるたびに悲しみと苦痛に見舞われたが、私は今一度、上村遼太君の非情な悲しみと絶望の淵で神に問いたい。
言葉を変えて言うならば、今まで教えられてきたことを根底から考え直さずにはいられず、この世の根源的かつ形而上学的な疑問の感情が湧き出てくるのだ。

神は本当に何かの目的と計画があって、私たちに災いが起こるのを許しておられるのだろうか。例えばイエス・キリストは次のように語っている。(マタイによる福音書・10章29節)

  「一羽の雀は1アサリオンで売られているではないか。
   しかし、そのうちの一羽すらも、
   あなたたちの父なしに地上に落ちることはない」。


クリスチャンの殆どが地上で起こっていることは全て神の許しがあってのことで、神の意志に反しては何も起こり得ないと理解しているが、このことについてクシュナー(『善良な人に悪いことが起こる時』(日本語のタイトルは『なぜ私だけが苦しむのか 現代のヨブ記』の著者)は、「気まぐれな傍観者にとっては」この説明で「気がおさまるかもしれないが」と語る。


上記の日本語訳、岩波書店の新約聖書翻訳委員会訳(過去ログ・2006年11月27日)が正しいであろう。

つまり、「父なしに」(「父」とは「神」のこと)の殆ど全ての訳は「父のお許しがなければ」と敷衍しているが、実は「地に落ちる時は神が支えつつ共に落ちてくれる」という意味であり、「雀一羽の側をも離れない神は常に私たちと共に居てくださる」ということだと言う。

クシュナーは、世界中で起こっている事は神の責任ではなく、「私たちが抱く同情や義憤は、神の愛や神の怒りが私たちを通して現れたものであって、神の存在を示す最も確かな証明ではないだろうか。」と言う。

クシュナーが苦悩から発した思いの一つ、「人生の仕事を成し遂げられずに死んでいく正しい人がおり」も、このたびの後藤健二さんのことがそうである。
従って過去ログ・2月26日の「老いてなお実を結ぶ生涯」の最後に引用した詩篇92篇12節〜15節のみことば(聖句)も、現実はその通りではない。「正しい者は、なつめやしの木のように栄え・・」という箇所だ。

つまるところ「なぜこんなことが!」という不条理に対して納得できる答えはなく、生涯にわたって探究し続けるしかない。
それゆえに自分でしか歩むことのできない人生を歩みながら、自分が主イエスとの出会いを経験して御言葉を深く味わっていくのが「生きる」ということであると思う。


今日、川崎市内の斎場で上村遼太君の告別式が営まれ、お母さんは「気丈に振る舞っていたが、出棺の時に号泣し、支えられていた」と報道されている。ただただご遺族の上に神の慰めを祈るばかりである。

最後に昨日公開されたお母さんのコメントをここに刻ませていただき、上村遼太君の在りし日の姿を偲びたい。

本日、遼太の通夜を執り行うことができました。
優しい顔で寝ている遼太の姿を見ると、本当に遼太が死んでしまったのか分からなくなります。今にも起き上がって「母さん、母さん、お腹空いた。」と言うのではないだろうか。台所にいると、「ただいま。」と元気な声が聞こえ、帰ってくるのではないかと思ってしまいます。

上村遼太君.jpg寝ている遼太に声をかけても、遼太が私を「母さん」と呼ぶことも、話すこともできなくなってしまったことが悲しくてたまりません。遼太は、本当に明るくて優しい子で、友達が多く、まわりの大人たちにもとても大事にされてきました。

中学校1年生で、まだまだあどけなく、甘えてくることもありましたが、仕事が忙しかった私に代わって、すすんで下の兄弟達の面倒をみてくれました。

私自身、仕事や家事に疲れたとき、何度も何度も遼太の姿に励まされることがありました。学校を休みがちになってからも、長い間休んでいると、きっかけがないと学校に行きづらくなるから、早く登校するように話してきました。

ただ、遼太が学校に行くよりも前に私が出勤しなければならず、また、遅い時間に帰宅するので、遼太が日中、何をしているのか十分に把握することができていませんでした。家の中ではいたって元気であったため、私も学校に行かない理由を十分な時間をとって話し合うことができませんでした。

今思えば、遼太は、私や家族に心配や迷惑をかけまいと、必死に平静を装っていたのだと思います。

事件の日の夜、一度は外に出かけようとするのを止めることができたのだから、あのとき、もっともっと強く止めていれば、こんなことにはならなかったと、ずっと考えています。

顔や体の酷い傷を見て、どれほど怖かっただろうか、どれほど痛かったかと思うと涙が止まりません。小さな遼太に、このような惨く、残忍なことを行える人間が存在することが信じられません。

犯人が逮捕されましたが、遼太が帰ってくるわけではなく、犯人に対して何も考えることはできません。

最後になりましたが、遼太のために河川敷に献花してくださった皆様、また、昼夜問わず捜査に尽力いただいている警察関係者の方に、厚く御礼と感謝申し上げます。

20150226140651.jpg神さま、どうか上村遼太君のお母さんに苦しみを生き抜いていく力を備えてくださるように切に祈ります。ご遺族の周囲に優しい人々を送ってくださってお母さんを支え、ご家族を守ってくださるように切に祈ります。

私は遼太君があの恐怖を感じながらも万引きをしなかったことに驚き、「悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。」と口ずさんでいた。

人は死んでから悔い改めることはできないことから、クリスチャンは冥福を祈るということはしないが、上村遼太君は間違いなく永遠に神のみもとで安らいでおられることを信じます。

遼太君に会いたかった。


posted by 優子 at 18:00| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年03月02日

「避けられない誘惑」 ―昨日の礼拝説教より―

今年の復活祭(イースター)は4月5日で、復活祭までの46日間を受難節と呼ぶ。その間は「自分の信仰を振り返り、自分の克己の時として過ごし、自己を見つめて悔い改める時期」である。

昨日の礼拝は、私たちの教会のために労してくださっている牧師のおひとり、西大和教会の大澤星一牧師の説教を拝聴した。先週の週報で今週の説教のタイトルを見た時から非常に興味深く思っていたが、貴重な指針も与えられた。

それは今まで歩んできた人生という問題集の答え合わせをしてもらったようで、知子と共に私たちの受けとめ方に間違いがなかったことを喜んだ。
牧師のメッセージをお分ちする前に聖書のルカによる福音書4章1節から13節を開きたい。
さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダン川から帰り、荒野を40日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた。そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた。

そこで悪魔が言った、「もしあなたが神の子であるなら、この石に、パンになれと命じてごらんなさい」。イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」。

それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて言った、
「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」。

イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。

それから悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、宮の頂上に立たせて言った、「もしあなたが神の子であるなら、ここから下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために、御使たちに命じてあなたを守らせるであろう』とあり、また、『あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』とも書いてあります」。

イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』と言われている」。悪魔はあらゆる試みをしつくして、一時イエスを離れた。

以下は説教の要約である。
受難節の時期に必ず今日の箇所が読まれる。
「誘惑」を別の箇所では「試練」と訳されているが、ギリシャ語では同じ言葉であり、悪魔が主語の場合は「誘惑」で、神さまが主語の場合は「試練」と訳される。

神さまは決して試みられることはなく、私たちにとって試練は良い意味がある
。試練とは必然的に乗り越えられるものであり、乗り越えてきたものであり、経験したことのように感じられる。

「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである」。(コリント人への第一の手紙10章13節)
パウロが言っているように、私たちが今ここに在るのは神さまの力によって試練を乗り越えてきた経験になる。

人間イエスとしての試練は乗り越えられるものであったのか。
イエスさまの場合は十字架の死で終わる。復活されたが、人間イエスとしては誕生の時を考えると、その時から試練だった。

私たちにとって悪魔とはどんな存在だろうか。イエスが受けた誘惑は非常に現実的な誘惑だった。
@ 40日間何も食べなかったイエスに石をパンに変えろという誘惑。
A 人々を支配する力。これを手にすれば、イエスにとって抑圧されている人々を良くしてあげられ、世界を良い方向に持っていけるのではないかと思うが退けられた。
B 神殿から飛び降りた時に天使が守ってくれることは神の証明になるのに、これも退けられた。

これらの誘惑は誰もが求めて当然のことである。悪へ導こうとするのが悪魔の誘惑だと思うが、こういうことが悪魔の誘惑として与えられているのである

アダムの誘惑は「神のようになりたいか」と、神のような正しさを身につけたいかということであり、「悪くなりたいか」とは言っていない。信仰を持つ者にとって願っても当然の誘惑を受けられたと聖書は伝えている。

大切なことは、神に従うか、どれだけ忠実で居られるかという、その一点のみである。人にうける教会はいっぱいあるが、本当に大事なものは何かを忘れないようにしなくてはならない。

イエスは誘惑に決して屈しなかった。そのイエスが私たちと一緒に歩んでくださっているのであるから、私たちもこれからの出来事も乗り越えていけるのではないか

「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである」。

この言葉をしっかりと忘れずに歩んで行きたい。

私たちも人生の途上でいろんな誘惑がある。善悪の闘いはまさに悪魔の誘惑であるが、外観上は悪へ導こうとするばかりが悪魔の誘惑ではなかった。

極度の空腹(飢餓状態)を利用しての誘惑は肉体に対するものだが、人間社会においての政治的誘惑や宗教的誘惑は自分を大きく見せようとする自己顕示欲であろう。

その人の真偽は誘惑にあって初めて試されるのであるから、神の教えに忠実であることが誘惑から身を守る最善にして唯一の方法であることを心に刻みたい。

私にとって「試練」とは、例えば病気や災害など自分の責任とは関係のない苦難を指すのであり、時に何でもかんでも「試練」という人がいて、自分の生き方を省みないで自分が招いた結果をも試練と捉えることに違和感があった。

また、好ましくないことが起こった時に「悪魔が働いている」として他者を悪魔呼ばわりする光景を見聞きしてきただけに、今朝の説教で「問題集の答え合わせをしてもらったようで」、今後のために解答を得て喜んでいる。


そこでもう一度考えるのであるが、昨日の夫の事故は試練なのだろうか。本人の不注意がもたらしたものには違いないが、神に導かれていくならば試練になるのか。否、どのような失敗も、誘惑に負けたゆえの失敗であっても、そこから始まるのは試練なのかもしれない。

頭がこんがらがってきて「応答していません」状態なのでこのあたりで終了しよう。

posted by 優子 at 17:13| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2015年03月01日

教会の帰りの事故、「おばあちゃんが一緒じゃなくて良かった」。

新しい週の初め、今朝も声高らかに讃美歌を歌い、大澤牧師のメッセージで恵まれ、雨の中でも心は晴れ晴れと歩いていた。私は礼拝後の選挙で次期役員に選ばれたので役員会に出席せねばならず、知子たち3人は先に帰り私は4時半頃帰宅した。

自宅のパーキングの自動車を見て、「事故なく無事に帰っていたことを感謝します」と言いながら通り過ぎ、「ただいまー」と家に入った瞬間、帰り道で自宅のすぐ近くの四つ角で事故を起こしたと、疲れ切った顔で知子が話し始めた。

2009年だったと思うが、知子も一度ここで事故を起こしている。以来、運転は慎重になった。
双方共に30キロよりもスピードを出していたようで、知子の「あぶない!」の声で夫は急ブレーキを踏んだが、相手の車は超小型車だったため避けようとして車が横転。救急車で搬送された。

幸い、左腕の打撲で済んだと聞き胸をなでおろしたが、パトカーが4台も来て、土砂降りの雨の中たくさんの人にお世話になった・・・と、またしても何もかも知子が関係者に謝罪して処理してくれたようだ。

幸悠は「おばあちゃんが一緒じゃなくて良かった。これを見たら血圧が上がっていたから」と言ったそうだ。ユキは時々、このような明晰なことを言う。

こちらは車も人も無傷だが、知子はユキと先に帰るわけにもいかず、ユキも冷たい雨の中で事故の検証が終わるまで見ていたので靴の中も水浸し。全てが終わったのは2時だったという。
事故処理が終わった後、夫は知子に促されて(遠く王子町の病院しかなかった)搬送先の病院へ向かい、怪我された人を自宅まで送った。

ミニカーが横転して近隣宅の外構の大きな石を傷つけたそうだが、夫はまだ謝罪していなかったというので、話しを聞き終わってからまず夫と一緒にお詫びに上がった。幸いにして石についたすり傷は殆どわからないほどになっており、前自治会長さんは快く応対してくださり事なきを得た。

次に怪我をされた方の家を訪ねてお見舞いに行った。互いの不注意だからと、ご夫妻共になかなかお見舞いの品を受けとって下さらず、このような善良なご家族であったことを神に感謝した。順調に回復されるように祈ります。

神さまが事故をこの程度にとどめてくださり、神の守りを強く感じている。このことを通して神さまの夫への介入が始まったのだと受けとめている。

私は夫に同行しながら、今朝の礼拝で「避けられない誘惑」と題して説教された大澤牧師のメッセージを思い起こしていた。この事故は悪魔の誘惑ではなく、かと言って、神の試練でもなかったと思う。

と言うのは、常々口を酸っぱくして言ってくれている知子の注意を心にとめず、不注意ゆえの自業自得の結果だからだ。勿論十分注意していても事故が起きることもあるが、これを機に神さまが夫の心を揺さぶって変えていってくださるように思う。
ならば神の試練と受けとめるべきか・・・今は疲れているからかわからなくなってしまった。


知子は来週の奏楽の練習もできず疲れ切っていた。
夫も一段落して疲れがゾッと出てきたことであろうと優しく声をかけた。今日のことを通して私たち家族1人ひとりもまた、より良きへと導かれているような気がしている。
今朝の礼拝説教は次のページでお分ちしたい。


posted by 優子 at 23:04| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする