2015年04月30日

最も困難な危機にある今こそニーメラー牧師の警句を!

マルティン・ニーメラー牧師(神学者)の告白:
ナチスが共産主義者を攻撃したとき
自分は少し不安であったが
とにかく自分は共産主義者でなかった
だから何も行動に出なかった。

次にナチスは社会主義者を攻撃した
自分はさらに不安を感じたが
社会主義者でなかったから何も行動に出なかった。

それからナチスは
学校、新聞、ユダヤ人等をどんどん攻撃し
自分はそのたびにいつも不安を感じたが
それでもなお行動に出ることはなかった。

それからナチスは教会を攻撃した
自分は牧師であった
だから立って行動に出たが
その時はすでにおそかった。

そして、彼らが私を攻撃した時
私のために声をあげる者は
誰一人残っていなかった。

バルメン宣言.jpgニーメラーは、ナチスに追随・迎合したドイツの諸教会が「ドイツ的キリスト者運動」に統合される中で、反ナチスの立場から「ドイツ告白教会」の結成に加わり、「バルメン宣言」の成立にも力を尽くし、反ナチ闘争に身を投じたために強制収容所に投獄された。その後8年間も生き延びてホロコーストから生き残った人物である。

ドイツ敗戦直前にナチスにより絞首刑にされた著名な神学者、ディートリッヒ・ボンヘッファーは「ドイツ告白教会」の運動と反ナチ闘争における大事な仲間であった。

第二次大戦後は、ドイツとその国民、教会の悔い改めと平和のために尽力し、長くドイツの平和運動の代表的人物であり、ドイツ統一運動にも尽力した。

さて、(日本時間)30日未明、アメリカ議会上下両院の合同会議での安倍首相の演説をベッドで聞いていたが、安全保障関連法案については未だ法案さえ提出されていない段階であるのに、「必要な法案成立をこの夏までに必ず実現する」と宣言と同時に拍手喝采が聞こえた瞬間、私はラジオを切って眠った。

無力感に苛まれるばかりの私など偉そうなことは何も言えないが、私たちは危機感が希薄すぎやしないか!

「ああ、若き友たちよ!
 巨大な歯車がひとたびぐらっと
 回りはじめたら最後
 君もその中に巻き込まれる
 いやがおうでも巻き込まれる」


なかにし れい氏の言葉が耳に反響する。

「それからナチスは教会を攻撃した
 自分は牧師であった
 だから立って行動に出たが
 その時はすでにおそかった
」。
 

この悔恨の言葉!

人間はいつの時代も先人たちの警告を生かすことができないから蛮行が繰り返されるのか!
しかし、今この時も覚醒めて闘っている人々がいるのだから、私たちは無関心や無気力になっていないで覚醒めないと、とんでもないことになってしまう。

今年の憲法記念日にメディアは何を語るのだろうか。


posted by 優子 at 22:05| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年04月29日

政治家も経済学者も全ての人に問われる感性

ユキは学校から帰ってくるといつも学校の話をしてくれる。一昨日は国語の時間のことだった。
先生:「これ(太)は『ふと』という字です。『ふと』と『た』がつく名前の人はいませんか」。
ユキ:「はい!」と挙手して指名され、「太志くんの「ふと」です」。
他者には「太志おじちゃん」と言うように教えているのだが頼りないことである。先生はまさか「太志くん」がIMFのエコノミストとは思いもしないこと、きっとユキのお友達と思われたことだろう。

「太志くん」とは当グログで「クマ」や「フー」の愛称で登場する次女の伴侶だ。クマから昨朝(日本時間)、ミッション(IMF職員の海外出張)先の国(アフリカ)に無事到着したとのメールが届いた。

昨年はエボラ出血熱で派遣中止になったので久々の出張だと思う。今はイスラム過激派のことが心配だ。派遣先は同じ北アフリカだがこれまでとは別の国で、そこはキリスト教国だからと安心させてくれたが、テロに巻き込まれないようにクマの安全と働きのために祈っている。ワシントンにいるマチのことと共に祈っている。

日本では桜からバトンタッチされたハナミズキが街を飾っている。
腕の痛みを耐えて再度挑戦!.jpg

ハナミズキは北アメリカ原産で別名をアメリカヤマボウシという。腕の痛みに耐えて必死で腕を上げて撮った。これは朝から2度目の挑戦した写真だ。

「日本における植栽は、1912年に当時の東京市長であった尾崎行雄が、アメリカ合衆国ワシントンD.C.へサクラ(ソメイヨシノ)を贈った際、1915年にその返礼として贈られたのが始まり」だと今年知った。

ワシントンといえば、安倍総理大臣は26日から来月3日までアメリカを公式訪問中で、28日にはホワイトハウスで首脳会談を終え、オバマ米大統領と共同記者会見した。

日本時間の30日夜には上下両院合同会議で演説を行う。日本の首相が合同会議で演説するのは初めてだが、「この演説を巡っては米高官が中身に注文を付けるなど、『内政干渉か』という騒ぎになっている」とか。私には現政府は戦後最悪の米国従属国家に見える。

「アベノミクスはアホノミクス」と警鐘を鳴らしているクリスチャン・エコノミスト浜矩子氏は、私が注目している発言者のひとりだ。浜矩子氏が看破する『チーム・アベ』の欺瞞」(2015年4月27日)より一部引用した。
経済学の生みの親であるアダム・スミスは、経済活動とは共感性を持っている人たちによる営みであるとイメージしました。もらい泣きができる人、他人の痛みを我が痛みと感じられる人、どこかに惨めな人がいたら自分も惨めな気持ちになる人……。

そんな感受性を持っている人間が行うのが経済活動であると規定したのです。だとすれば、経済を学ぶ者は人間の痛みを感じ取るセンスが必要だし、経済政策を考える場合、人々が直面している格差や不平等の問題を議論するのも当たり前です。

ところが、チーム・アベは、それをセンチメンタリズムと捉え、科学ではないという観点から排除しようとする。あまり知的レベルが高くないのだと思います。

今月24日、4代目のクリスチャン政治家・石破地方創生担当相や日本政策投資銀行代表取締役社長の橋本徹氏など390人が参加して国家晩餐祈祷会が持たれた。以下は『クリスチャン・トゥディ』より引用。
第15回国家晩餐祈祷会(日本CBMC主催)が24日、「我らは御国の協働体」をメッセージテーマに、京王プラザホテル(東京都新宿区)で開催された。

国会議員や財界人のほか、教団・教派を超えた教職・信徒ら390人が集まり、日本と世界平和のため、また政治や経済、教会など、さまざまな課題のために心を合わせて祈りをささげた。

石破茂氏.jpg地方創生担当大臣の石破茂氏があいさつに立った。

熊本バンドのメンバーで、新島襄らと共に同志社大学の創設に携わった金森通倫(みちとも)を曽祖父に持つ石破氏は、「何が御心にかなうものなのか自問自答できることは幸せなことだ」と述べ、「少しでも主の御心にかなう働きができるよう、日本、世界のために祈りたい」と語った。

この日のメインスピーカーである東京キリスト教学園理事長の廣瀬薫氏は、今回のテーマにある「御国」と「協働体」に重点を置き、神がクリスチャンを通して何を進めようとしているのかについて語った。

廣瀬氏は、「神の国(御国)」とは、神が創造した世界が、神の御心のままに、本来の姿で生かされている世界だと説明。
「誰かが喜ぶために誰かが悲しんだり、誰かが生かされるために誰かが死んだりするのは神の国の姿ではない」と語り、「皆が生かされ、皆が喜ぶことができる世界」が神の国だと語った。

内村鑑三と賀川豊彦の思想に触れ、「自分のせいではない悪いものを背負って他者を生かす」姿勢を話し、「神は、私たちを通して神の国の実現を目指している」と強調。「十字架を担ったイエス・キリストをまねた生き方が、周りの人を生かす」と語った。

そして、地上の全てのものを生かす働きができなかったこと、神以上に大切しているものを持っていることを今こそ悔い改め、クリスチャンとしての任務を実践すべきだと訴えた。

最後には、キリスト教もイスラム教もユダヤ教も、全てアブラハムの子孫であるということに立ち返り、今こそ同じ家族として手をつなぎ、互いを生かし合っていこうと呼び掛けた。

CBMC国際会長のジェームス・D・ファンスタール氏、日本政策投資銀行代表取締役社長の橋本徹氏、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会主管牧師の峯野龍弘氏がそれぞれ登壇し、聖書の上に手を置き、貧困や格差のない人間が平安に共存できる経済社会のために祈りをささげた。

この日は日本の財政界のリーダーのためにも多くの祈りがささげられた。
現実が最悪でも希望を忘れないでいたい。

「表になって働ける人はごく僅かですから、見えないところで、陰で祈りの手を挙げている人々の力だなぁとつくづく思いましたよ。自分の教会や教団だけにとらわれるのではなく、全世界で主に在って働く人々が道を間違わぬように祈っていかねばなりませんねぇ」。
         (敬愛する谷口幸子姉の言葉)
浜矩子氏や石破茂氏など、発言の場を与えられている人々のために祈ろう。
ガーディアン.jpg
庭のすずらんが咲き始めた。
posted by 優子 at 21:41| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年04月27日

教会に示された神の臨在

春の輝き・モッコウバラ.jpg

初夏の輝き! お隣のモッコウバラ。

昨日の礼拝は大阪教区主事の鈴木祈(いのり)牧師が「石が叫ぶ前に」と題して、エペソ人への手紙2章14節から22節から説教された。

昨夜、知子と夕食の後片けをしながら礼拝の恵みを語っている時に、神さまがこの教会を祝福しようとされている兆しを確認し合った。
牧師は次のようなことを話された。
スイスの医学者、ルートヴィヒ・ビンスワンガーは、「言葉が沈黙すると身体が語りはじめる」と言っているが、我々が口を閉ざす時はどんな時だろうか。心の痛みや悲しみを遮断したり自己否定すると、その人から声を奪ってしまう。(かつての知子がそうだった。言葉を失い、文字も読めなくなった時期があった。)

私たちは重荷を持ったまま教会の中へ入っていかなくてはならないのに、教会の入り口でそれぞれが抱えている重荷を置いて入って行く。そして教会では「希望」が語られ「希望を持ち続けよう」と語られるが、それでは新しい力を得られない。

今朝の「エペソ人への手紙」は教会論について語られており、即ち主イエス・キリストが救い主であると信じて集っている人々に語られている。

イエスが十字架上で最後に語られた言葉は「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」だった。これは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味であり、今朝交読した「詩篇22章」は「わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。」と、悲しみと絶望の叫びから始まり最後は希望へと変わっていく。

私たちも、痛み、苦しみ、悲しみなど、誰にも言えない秘密が私たち自身だけではなく私たちの教会の礎にある。その思いを叫ぶところが教会であるはずだ。

自分の絶望や悲しみを表してこの現実社会と向き合う時、教会自身が変えられていく。我々の心の中に誰にもある硬い石。それ自身がイエス自身かも知れない。

「キリスト・イエスご自身が隅のかしら石」。イエスを隠さずに解き放して言葉にしていかねばならない。怒りと祈り、信仰と行いがひとつになる宣言がここでなされている。

沈黙の叫び声を上げている人々が身体と言葉で訴えている。その言葉に耳を傾ける時、必ず隔ての壁を取り除かれて、
「このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮に成長し、そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、霊なる神のすまいとなるのである」。

裏庭に咲くヤマツツジ(?)
裏庭のヤマツツジ.jpgメッセージの主題は「シェアーする(分かち合う)こと」であり、私たち(知子と真智子夫婦)が常々話していることだった。
そして私は、英文学者・大塚野百合さんの言葉を想い起こしていた。

即ち、「人間は自分の本当の苦しみを神に心を開いて訴えることができないという心の病いを持ち、本当の苦しみを意識の底に秘めている。ちょっとした辛いことは人に話すが、本当の辛いことは隠し押さえ込むと。

クリスチャンになって神に祈る時もそうだ。本当の辛さは神さまに訴えない。『などかは下ろさぬ負える重荷を』とは『なぜ下ろさないのか、負っている重荷を』という意味なのだ。」

これは「いつくしみ深き友なるイエスは」の原文の意味を過去ログ・2006年4月30日でご紹介している。

当地へ移ってから我が家で開いていた家庭集会(「お気に入りリンク」の「オリーブの会」に記録)で、毎回会の初めに「ここでしか語り合えないことを分かち合いましょう」と、経験や思いを分かち合おうと集会の促進者として奨めていた。

世間話ならばどこででもできる。しかし、集会の場を生かして食事中も世間話ではなく神さまのことを話し合いたいと声かけをしていたが、教会の「交わりの会」においても時に世間話の域を出ない時があるのは退屈で疲れる。

昨夜の知子との分かち合いで、私は知子の霊性に助けられて教会に注がれている神の祝福とビジョンを見た思いがした。

端的に言えば今の無牧の状態にも意味があり、その訓練の中に証し(信徒説教)があり、各自がそこに焦点が向けられていくのではないかと希望を感じた。 

高見牧師の思いの深さを感じていただけに神の導きを強く感じないではいられない。
みんなそれぞれにこの分野のことは絶対に喋らない、触れさせない人もいるが、それは教団や教派の問題ではなく各自の信仰の歩み方だ。

その理由の一つは自分自身がまだそれを受け止めきれていないからであり、強情ゆえにか現実の問題を受容できていないから言葉にならないのだろう。しかし、人は分かち合いを通して信仰を強め信仰から信仰へと導かれていくのである。

教会の兄弟姉妹に気づきが与えられた時に、神が破れを繕ってくださって一つにされることを信じる。そしてそのあとに御心に叶う牧師を遣わしてくださることであろう。それが知子と私の一致する思いだった。


野生の藤の木A.jpg「昨日まで花の色がきれいだったけれどもう終わりやね」と言われて、今夕、ユキと散歩に出かけた。



野生の藤の木.jpg
駅近くの野生の藤の木。
今朝、郵便局へ行く途中で見知らぬ高齢の女性に野生の藤の木を教えてもらった。当地へ引っ越してきて16回目の春なのに全く知らなかったとは!

高い高い木を写すために私の右手が120度ぐらいまで上がっていた! とても痛かったが。 

夕方の月.jpg帰り道で(17時45分過ぎ)ユキが撮ったお月さま。

posted by 優子 at 21:48| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2015年04月26日

2年生になったユキの春

今月上旬は各地で記録的な長雨が続き、関西では4月1日から20日まで雨の降らなかった日は7日間しかなく、日照時間は平年の35%という記録に残る春だった。ようやく22日から晴天になり、昨日今日は夏日になって一気に初夏の陽射しである。

そんな今朝、今日はサッカー教室新年度の始まりということで、ユキは教会を休んでサッカー教室に参加した。知子は奏楽のご奉仕のため、ユキの送迎は夫(ユキの祖父)に頼み、私は知子と2人で教会へ向かった。

教会休んでサッカー教室へ.jpg写真は「サッカー教室」ブログより。
ユキは左手前の黄色い服。
2年生が2人入会したそうだ。
2015サッカー初回.jpg

2年生になってからますますメリハリをつけられなくなったユキ。反省した瞬間から約束を破り、すぐに大人を馬鹿にするような目つきと言動になるので、私も知子もおじいさんまで怒る日々で私たちも疲れ果てている。

約束をすぐに忘れてケロッとしているのは知能に障害があるのではないか、障害があるならば早く見つけてやらねばと思うほど悩んでいたが、悪い言動はワザとしていたというので安堵した。

幼児期はおとなしすぎる子だっただけに喜んでいたが、とにかく知子や真智子の子供時代とは考えられない違いだ。しかし、そんな情況のユキでも快くお風呂を洗ってくれ、ユキの良さも失ってはいなかった。

学校では上靴に履き替えるのだが靴下を真っ黒にして帰ってくるので、我が家では学校から帰宅すると足を洗うのがルールになっている。そしてその時に浴槽も洗ってくれるのだ。

先月私が右腕のスジを損傷して以来、家事を済ませてから出社していた知子に代わって、2週間ほど前からユキが学校から帰宅後快く洗ってくれているのだが、感心にも今日も平日同様に洗ってくれていた! 何もお願いして行かなかったのに!

そして、教会から帰宅するとユキの伝言がドアに貼ってあった。
玄関に伝言.jpg

筍だよ〜〜ん.jpg1時間ほどすると「おばあちゃーん!」と筍をもって得意顔。
そこは近鉄の土地だから掘ってもよいと、その近隣の旧村の人に教えてもらっていたが、昨朝の散歩で初めて2本取ってきた。

昨日の買い物で糠(ぬか)を買い忘れて夕方にお米屋さんで分けてもらい、今夜の食卓にのぼった。野性的だがおいしくいただいた。
そして今夜もまた筍のアク抜き中。次は春巻きでも作ろうか・・・

2年生になって20日には初めての参観日を終え、23日から家庭訪問が始まっている。知子は最終日28日の午後5時に予定を組んでいただいている。

子育てしていた頃の春の光景が懐かしくてならない。



posted by 優子 at 21:00| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2015年04月24日

戦後70年に民主主義の瓦解か

「この1週間も、日本の民主主義がガラガラと崩れ落ちる音が鳴りやまなかった。」と書き始めているのは本日付け『日刊ゲンダイ』の記事だが、今や魂を売っていないメディアは数少なく、その中で海外メディアからも一目置かれているのが『日刊ゲンダイ』である。

私は3月下旬頃に知って以来、毎日欠かさず覗くサイトの一つである。4月17日の翁長雄志沖縄県知事との安倍首相の初会談もひどいものだった。

▼4月17日に開かれた沖縄県の翁長雄志知事と安倍晋三首相の初会談で翁長知事と沖縄県を激怒させたのは、“だまし討ち”ともいえる官邸の対応だ。

▼安倍首相、翁長知事双方とも、カメラ前の発言時間を事前に5分間と決めたのに、官邸は翁長知事が3分余り話した時点で突然、打ち切ったのだ。沖縄県は急きょ、非公開となった発言内容に加え、その後の双方の発言メモを報道陣に公開した。


沖縄の怒りは日本国民の怒りである。政府のやり方はあまりにも正道を逸脱している。このまま放置していると、「ある日突然」に独裁政権を顕現するのではないかと心配でならない。しかし、翁長知事は着々とできることを進めている。

▼情報を収集するための県事務所を4月にワシントンに開設・・・米軍基地問題を世界中に発信するため、国連本部があるニューヨークなどにも県事務所を置く、との声も出ています」(沖縄県政担当記者)

▼辺野古移設阻止を目的に設立された「辺野古基金」は、たった1週間で4600万円余りが集まった。翁長知事訪米の際には、基金を使って、米国内のメディアに意見広告を出す計画もあるという。


今しかできないこと@.jpg先週、ペン友から送られてきた2通の葉書。
1通は翁長雄志沖縄県知事への激励であり、もう1通は安倍晋三内閣総理大臣への抗議である。
私はこんな小さなことしかできなくても、「今しかできないこと」、「今しなければならないこと」をやりたい。
今しかできないことA.jpg

最後に、3月27日の『報道ステーション』で語った元経産官僚の古賀茂明氏の発言を心に留めたい。この発言の発端になる出来事は、「イスラム国」人質事件最中の1月23日に、古賀氏が敢然と安倍首相の外交姿勢を批判したことに始まる。

古賀vs古舘の構図で語られたり、テレ朝の内紛で片づけられるのは、結果的に官邸の思うつぼです。このままでは本当に日本は独裁になってしまいますよ。
『あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。世界によって自分が変えられないようにするためである』というガンジーの言葉を番組で出しました。
いま、いろんな圧力があるのに、その実態は報道されなくなっています。だから何か特別なことをしなければ報道されない。
『報ステ』での行動で、今後、テレビに出られなくなるのは百も承知です。それでも、マスコミの人たちに『あなたたちの知らないうちに自分が変えられているんですよ。胸に手を当てて考えて下さい』と伝えたかったのです
私もこの放送を見ていたが、これはマスコミ関係者だけではなく国民一人ひとりに問われていることだ。

先日、亡くなった愛川欽也氏は、先週号の「週刊文春」(文藝春秋)では、愛川が「このまま政権批判を続けていると安倍(晋三)さんに殺される」と口にしていた、という愛川の知人の証言。下記は上記に同じく『リテラ』より抜粋引用。
事実、テレビ局は自民党からの圧力に脅え、“言いたいことも言えない”空気が戦前のように充満しているのが現実だ。

挙げ句、自民党は放送倫理・番組向上機構(BPO)さえも政府が関与できるように検討することを発表した。
これがもし現実化すれば、あらゆるテレビ番組は政権によって監視され、都合の悪い番組を潰すことができるという“本気の言論統制下”に置かれることになる。この末恐ろしい社会を、愛川は予見していたのではないだろうか。

愛川が守りつづけた『パックインジャーナル』の、最後の出演となったのは3月21日配信分。この本番前、愛川はコメンテーターの川内博史・民主党前衆議院議員にこう語っていたという。

「この政治状況では死んでも死にきれないよ」

報道の自由、放送の自由が脅かされるなかで、またひとり、気骨のある放送人をわたしたちは失ってしまった。

「後世に残るこの世界最大の悲劇は、悪しき人の暴言や暴力ではなく、善意の人の沈黙と無関心だ」。

                  (マーティン・L・キングJr)

posted by 優子 at 12:50| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年04月21日

人間・セザンヌ

17日夜から腕の痛みがひどいので昨日今日の午前中は横になっていた。今日は幾分和らいでいるので「シリーズ巨匠たちの肖像 セザンヌ・革命を起こした隠者」の再放送を見ていた。人間スザンヌにとても共感した。
 彼の「果物」を描くセンスをゴーギャンは盗みたいと思い、ピカソから“われらみんなの父”と敬愛された画家、セザンヌ(1839-1906)。
生前は世間から認められず、南仏の故郷に引きこもり、新たな絵画技法の開発に明け暮れた。西洋絵画に革命をもたらし、遠近法を破壊し、多視点を導入し、塗り残しや余白が多いことを特徴とする絵を描いた。
番組では、求道者であり偏屈者でもあったセザンヌの人間性を描くとともに、画期的な技法の秘密を探る。

セザンヌの名前は10代の頃から知っていたが、私は絵画には全く関心を示さない無教養な者ゆえに、若い頃から絵画を鑑賞する人への憧れがあった。

そんな私でも画家の人物像から入っていくのはとても興味深く、63歳にして今日初めてセザンヌと出会ったのである。人間・セザンヌにとても親しみを感じる。

セザンヌは作品を酷評されたことと、13歳の時に出会った無二の友人エミール・ゾラとの決別が心を傷つけ、40代で故郷エクスに引きこもった。
ゾラとの決別とは、ゾラが1886年に刊行した『制作』で、セザンヌをモデルにしたクロードを首吊り自殺させたことだ。それを知ったセザンヌは「画家のことも全くわからない者が、絵が1枚うまく描けないからと言って自殺なんかするものか!」と憤り決別したという。

サントビクトワール山.jpgセザンヌが特に愛した故郷のサントビクトワール山は何枚も描いている。
それまでの既成概念である遠近法を無視して遠くの山を大きく描き、躍動感やダイナミックな強さを表した絵には自然の響き合いがある。

セザンヌ・「台所のテーブル」.jpgまた、静物画(「台所のテーブル」)を多視点で描くなど、写真では表現できないことにこだわり、絵でしか表せないことに集中した。
例えば、壺の口は真上から見た円形に描いており、カゴは横から見える形だが中は上から見た時の構図だ。
洋梨も人物と同じように個性を持っており、「絵を観た人は梨とリンゴなど隣り合ったもの同士の会話に引き込まれる喜びを感じる」と解説されていた。

印象派とは今のこの瞬間をこの目で見て、それをキャンバスに写すということだが、セザンヌは永続性を持たせた。ゆえに、セザンヌにとって一筆がどんなに難しいものであったか。

キャンバス地がむき出しになった「塗り残しの技法」は、光を取り入れるために敢えて残したと考えられる。西洋絵画は塗り重ねていく足し算の美学であり、日本は余白の美がある。

では、セザンヌにとって完璧なこととはどういうものであったか?
変化してやまない「自然」に色彩や明暗を持ってきて持続させることではなかったか。
写真の登場が絵画とは何かを問い直させた。

セザンヌはサントビクトワール山を描くという特別の思いをもって描いているので、別のところは意味が無い。写真は全てを写し出すが、絵画は自分の思いを実現することであり、自分の見たいものだけを描くのは絵画しかない。それが西洋絵画の大発見だった遠近法の破壊に繋がった。

セザンヌは絶えず自分と向きあう中で先入観にとらわれず探求し続け、どんなに揶揄されても自分を見失しなわなかった。無理解な世間の苛立ちを絵を描き続けることで鎮めようとしたところに私は惹かれる。

セザンヌ.jpg石を投げられるなど、あからさまな世間の迫害がセザンヌをより一層に癇癪持ちの偏屈者にしていったように思う。意固地なセザンヌはすぐにカッとなったり、気むずかしいのは絵画への執念がそうさせたのではないだろうか。

私はこのあたりに人間・セザンヌを最も感じるところだが、この眼光から安らぎがないように感じる。これは亡くなる3年前、64才のセザンヌだ。

Paul Cézanne, 1839年1月19日 - 1906年10月22日(近年は10月23日説が有力)。

セザンヌは西洋の価値観を一変させたが、それ以上に多視点の発見によって人間のわざとしての絵画を知らしめた功績は大きい。セザンヌは後世の巨匠たちを驚愕させるものを生み出し、ピカソの先駆けとなった。

また、「先駆けてセザンヌの本質を見抜いていたアンブロワーズ・ヴォラール画商のように、偉大な画家がいても師事し発見する人が居なければ埋もれてしまう。ここに画商の意味がある」とはゲストの永井龍之介(画商・永井画廊代表)の言葉だ。

以上、心に留めておきたいところを「フランス・19世紀末の天才画家たち」より書き留めた。


posted by 優子 at 18:20| 音楽・芸術 | 更新情報をチェックする

2015年04月20日

天に凱旋されたペン友を胸に新年度を始める ―日本クリスチャン・ペンクラブ関西ブロック例会―

18日(土)、大津教会にて今年度初めての日本クリスチャン・ペンクラブ関西ブロックの例会が開催された。大田先生は欠席。一人ひとりが心の帯を締め直して前へ漕ぎだしていく新年度の始まりである。

最初に、2月に召天された松本瑞江姉(しまい)を偲んだ。過去ログでは「M・M姉」と記している。
JCP関西ブロックの会歌でもある讃美歌14番・「ガリラヤの風かおる丘で」を讃美している時、いつも定席に座っておられた松本姉を想って目頭が熱くなった。
「わたし(イエス・キリスト)はよみがえりであり、命である。
わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる」。
                    (ヨハネによる福音書11章25節)

葬儀の司式をされた大津東教会・関 雅人牧師が『滋伝協ニュース』(2015年度第1号:通号57号)に特別寄稿されている「追悼・松本瑞江教師」を、事務局長が配布してくださった。

この文章で会員一同は初めて松本姉の晩年を知ることになった。この半年前に伴侶を天に送られている松本さんは壮絶な闘病だった。その最初と最後の部分をここに刻ませていただきたい。

2月24日(火)未明、富士見台伝道所主任担任教師の松本瑞江教師(牧師)が、涙嚢癌のために死去された。80歳のご生涯であった。
前夜式は25日、自宅において家族だけで営み、葬儀は26日に大津東教会において執行した。

             (中略)

数年前、症例が少ないと言われる涙嚢癌で左眼球摘出という大手術を受けられたが、回復後は再び伝道者としての務めを続けられた。そして再発。
死去される1週間前、家族から連絡を受けて病院に駆けつけた時にはすでに苦しい状態であった。声も出せない病床の松本さんが、一所懸命に声をだして讃美歌に和し、祈りを捧げられたことが印象的であった。

松本姉はご自宅を開放して富士見台伝道所の働きをされていた。今も検索するとHPで見ることができる。

牧師でもあられる松本姉(しまい)を私たちは親しみを込めて「松本さん」とお呼びしていた。柔和で優しい方だった。松本姉が最後に来られたのはいつだっただろうと例会報告から足跡をたどっている。

いつだったか、会報掲載文の締め切りが迫っていた時にいただいたお言葉に心を打ち、このブログにも記載させていただいているのに今も見つからない。

毎回例会の初めにお導きくださった「みことばと祈り」は信仰の養いになった。一言ひとことを聞き漏らすまいと真剣に耳を傾けた。ずっとマルコ伝を読んでいるところだった。

2012年頃だったと思うが、「娘が離婚しました」と言った時、松本姉は私の肩を抱いて、ただ一言、「苦労されたのね」と慰めに満ちた言葉をかけてくださった。母親の私の気持ちを抱きしめてくださったのである。


01yuri2b.jpg2010年秋に久保田先生が通っておられる大溝教会(湖西線の高島)へ行った帰り、秋の景色を楽しみながら高島駅まで歩いた時のことなど、いろんな場面が懐かしく思い出される。

私はあと何年、地上での時間をゆるされているのかわからないが、刻々とカウントダウンされていることは間違いない。人は皆、最後は病を負って死を通過していくのだろう。私も越えさせてくださるように!

私が唯一できることは文書伝道であるので時を惜しんで励み、天に帰られた多くの方々と笑顔で再会したい。


このあと総会に進む。
2014年度活動報告のあと、知子にエクセルの使い方や見直しなど助けてもらった『種を蒔く』第2号の出版会計、一般会計報告も承認された。(計算式など全て設定しておいてくれれば、挿入と削除ができるようになったのが嬉しい。パソコンは今なおこんな程度しかできない。)

今年度の活動については、大田先生が総会議事に提案しようとされていた事案を審議した。今年は戦後70年にあたり「今伝えておきたいこと」などをテーマに文集を発行したいことと、8月に高島にて中部ブロックと合同で1泊2日の研修会が発案されている。
夏期研修会については次回例会までにスタッフで検討継続する。

私はこの4年間、書記に加えて会計を務めさせていただいていたが、今年度よりN姉が書記を引き受けてくださることになった! 

最後にDVD「み跡を踏みて」(イスラエル現地での取材/日本キリスト教団出版局制作)より十字架の箇所を観た。
イエスが十字架上で言われた「テテレスタイ」とは、「全額支払った」、「成し遂げられた」、「償われた」という意味である。
「あなたの罪の贖いは成し遂げられた」と言われたのはイエスのみだ! 信ずる者は幸いなり! 平安を得て大いに人生の冒険を楽しむべし!


会員の作品発表もますます盛んになっており、互いに大いに励まされて健筆を祈りつつ散会した。次回は6月20日、千里ニュータウン教会にて開催される。

附記:この朝、整形外科を受診し、リハビリを受けてからの出発だったが、いつものように大阪駅でO姉と合流し、大津までの40分間はお弁当をいただきながらの楽しい交わりの時。

受診は前回の不愉快さがあり少々緊張したが、それ以上に医師が緊張しておられたように感じた。信頼関係を築いていけそうに感じたのでしばらく保留。

15日のお風呂あがり、両手で頭の毛を拭いていることに気がつき、そのまま腕を上へ上げると90度まで上がったが、17日夜から寝付かれないほどの痛みがある。

理学療法士によるリハビリについて尋ねたが不要とのこと。「最初は全く動かなかったが動いているから」との理由だった。意識しながらの日常の動作が最善のリハビリのように思う。電気のリハビリ後、余計に悪化感あり。大阪駅で右腕を当てられ、人で混雑している所は怖い。

炎症や痛みの原因であるプロスタグランジンの生成を控える「ロキソプロフェンNaテープ100r」を貼ると痛みが半減するので、4週間以上貼り続けているが長期継続して肝機能に問題はないのか。次回尋ねよう。


posted by 優子 at 14:53| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2015年04月16日

陽春に上村遼太君の悲しみ極まる

011.jpgこの2日間は昼間でも暖房を入れる肌寒さだったが、ようやく雨も小休止で今日は春らしい陽気になった。心身の緊張が緩んで気持ち良い。
2015・玄関のチューリップ.jpg18日は2週間ぶりに受診、リハビリを受けたあと、日本クリスチャンペンクラブ関西ブロックの例会で大津へ直行しなければならない。
例会で相互講評する文章を1週間かけて、今夕ようやく書き上げた。


上村遼太くん.jpgまもなく上村遼太君の事件から2ヶ月経ち、季節は春になった。この少年がもうこの世に居ないなんて信じられないことだ。
春になり桜やチューリップが美しく咲けば咲くほど悲しみで胸が張り裂けそうだ。
私は上村遼太君への哀悼の意を込めて、「なぜこんなことが?! ―上村遼太君のこと―」 と題して「証し」(あかし:testimony)を2000字にまとめた。

かつて苦悩した根源的な問題と再度向き合い、不条理な生涯で終わった上村遼太君の悲しみと義憤を隠すことなく神に問い、全てのことを支配されている全知全能なる神の存在を再確認するに至ったことを書いた。 

先日、高見牧師から「証し」は「殉教」や「殉教する」という意味であり、本来牧師の説教も証しであると教わった。従って牧師は聖書の解き明かしのみにとどまらず、日常生活の中で感じ経験したことに触れながら話すことが肝要であり、「説教や証しを考えるのはしんどいことである」と言われたことに深い共感と感銘を覚えた。

6月23日追記:
市と市教育委員会は23日、今月30日で現場周辺から献花や供物を片付けると発表した。

上村さんの遺族は「多くの方がともに遼太の死を悼んでくださり、わたくしどもはとても力づけられました。そして、天国の遼太にもきっと皆様の温かいお気持ちが届いていることかと存じます」とのコメントを発表。コメントの中で遺族は、いまだに遼太さんの死を受け入れることができず、亡くなった現場に足を運べずにいると明かした。

ギザギザチューリップ.jpg
附記:怪我をして明日で5週間になる。
13日の夕方、霧雨だったのでユキとすぐそこまでチャッピーの散歩に出た。その時、突然背後から突風が吹いて傘が前へ押しやられ反り返ってしまった。傘を右手で持っていたものだから、風の力で押し出された傘に腕を引っ張られて痛くて声が出そうになった。

前方には誰もいなかったのだから傘を放せばよかったのに、痛みの本能があっても傘を放さなかったのは意外で興味深い。いや、脳は一瞬にして痛みの程度を察知していたから放さなったのかもしれない。

それでも今週に入ってから少しずつできることが多くなってきた。

▼ まず字が書けるようになった。直ぐに右肩が凝ってくるが、以前と同じくらいの筆圧で書ける!

▼ 洗濯物の取り入れも楽になった。今も右腕を伸ばせないので長さを補助するために背伸びしながらも、顎の高さの竿に干せるようになった。

▼ 野菜を切るのもかなりできるようになった。

▼ 箒で玄関を掃くのは全く平気だった。

▼ 昨夜のこと、「あっ、フライパンを持っている!」と知子が驚きの声を上げたほど、一瞬だが右手で鉄製の重いフライパンを持った。

私はこの時、無意識で持っていたのではなかったので直ぐに左手で助けたが、無意識の内に少しずつできるようになっているのがわかる。
「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。」(歴代志上・4章10節)の「ヤベツの祈り」のごとく、できることを広げてくださっている喜びを感じることしきり。


腕を少しは前方へ出せるようになったが、上に上げるのは殆ど改善されておらず、今もできないことが多い。


▼ 鍋を洗うこと。グルグルと動かす動きが非常に痛いが、ミルクパンのような小さなもので、軽く撫でるだけですむ汚れならばできるようになった。

▼ お風呂洗いや靴磨き(腕を前後に動かすこと)、ちりはたき・・・などは不可。日によって痛みの波がある。痛みを我慢して動かすと腕が疼く。

ギザギザチューリップ@.jpgこの「ギザギザチューリップ」の正しい名前は知らないが、これもまた何年もかけて交配を重ねて作った新種だろう。
このギザギザさんには悪いが、私は人の手が加えられたものではなくスタンダードのチューリップが好きだ。それでさえ原種を改良されてはいるのだが。


posted by 優子 at 22:40| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2015年04月14日

天に宝を積む生き方

▼「真智さんの着物姿、ワシントンの桜の精のようでとっても素敵ですね。きっと道行く人も振り返ったのではないかと思います」。

▼「シドニー在住の理学療法士さんが優子さんの打撲傷について診断してくださったとは・・・・・・。ブログを通して神様が働いてくださっていることがはっきりわかります。

真智子さんの着物姿、とっても素敵ですね。帰国されるのが待ち遠しいことでしょう。真智子さんご夫婦のこともお祈りしています」。


そういえば、「桜祭りでは、何組かの方たちに写真をお願いされたよ。嬉しかった!」と真智のメールに書いてあったが、着物姿は職場の雰囲気と全く違う。
最近『メメントドミニ』をお読みくださっている方々に、
「ユウチューブ上のIMFビデオにマチが登場!」をご紹介したい。ビデオはその記事の最後のほうでリンクさせている。

そういえば、「オンラインコース」のチームが、IMF内の社内賞の一つ(“Innovation and Creative Impact”賞)をとったそうだ。そのことを思い出して書き添えてくれたメールにも私の心を打つコメントがあった。

「DSAコースを含む、オンラインコースに携わった人全員ということなので、何十人もの受賞だけどね。オンラインコースという新しい方法でアピールできて取れたんだと思うよ。

リベリアなど、エボラで大変だった国々への緊急サポートに携わった人達も別の部門で社内賞をとっていたけど、一ヶ月の差でくまは異動していたから含まれて居なくて残念だったよ。異動してからだったけど、引継ぎで深く携わっていたのにね。

人間界では評価される、されないは、こういう表面的なことだけど、神様はしっかりと全て見てくださっていて、天に宝を積んだならば、もれることなく喜んでくださっているんだろうな、と思うよ。感謝です」。


本当にそうだ。人間的な価値観にとらわれないで、これからも神に全幅の信頼を寄せて生きていこう。

「あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。
むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。あなたの宝のある所には、心もあるからである」。
           
                 (マタイによる福音書6章19節〜21節)

雨の日のチューリップ.jpgマチの言葉で忘れていたことを思い出させてくれ、このような会話を交わしながらお互いに励まし合っていける恵みを想う。

このたびのことでは神の絶妙な時にアメリカ経由で届いたMさんのメールや愛のサポート、また、常々祈ってくださっている友や娘の言葉を通して神さまが私を支えてくださっているのはよくわかっていた。

しかしながら怪我をしてから痛みに支配されてしまい、霊性が鈍くなって精神は弛緩し、「Big News」にも冴えわたった魂で喜び感謝することができないもどかしさをずっと感じていた。


今日はイエスさまが「気をつけて、目をさましていなさい。」と言われた箇所を読んでいたが、とにかく全てのことを支配しておられる神さまに、感謝すべき神さまに感謝できることを感謝している。

020.jpg昨日も雨、今日も雨、そして、明日も雨。そんな雨の日、ついに雀を撮った。ユキに見せたら感激してくれた。
昨今の家は軒下がないなどの環境の変化で、昔と比べて雀は10分の一に減ってしまったそうだ。

ワシントンにも雀はいるのかなぁ・・・
かわいいね。
雀2羽.jpg

附記:川崎重工がワシントンD.C.に新型地下鉄電車7000系を納入したとのこと。ステンレス製で軽いそうだ。頑張れニッポン!
4月14日(現地時間)から営業運転を開始する予定で、ダラス国際空港への延伸計画にも導入されるそうだ。マチ・クマが通勤で利用する地下鉄なのかなあ・・・

posted by 優子 at 17:50| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2015年04月12日

2015・ワシントンの桜祭り、真智子の着物姿 天国の祖母にとどけ!

SakuraMatsuri2.jpg
「お天気がすごく良かったので、着物を着ていきました!

Sakura1.jpg桜模様で本当に美しい着物。着物も帯もまだ新しいままで、しつけ糸をとって着ました。帯締めも新しいものでした。

着てみてびっくり、
パーフェクトコーディネーション!
おばあちゃんのセンスは本当に完璧!!
ほれぼれしました。


Sakura2.jpg久しぶりだったので緊張したけど、くまのグレイトヘルプでピシッと着られたよ!

本当に着られてよかったです。
感謝。
真智子」





SakuraMatsuri3.jpg
マチ・クマのグレイト・カップル!
後ろにマチが作ったパネルが見えるね。
まさにグレイト・トラクト!

配布されたトラクトが手にとった方の心に蒔かれますように! 
SakuraMatsuri1.jpg
「これは、主が設けられた日である。
 この日を楽しみ喜ぼう」。
(聖書)

真智、太志くん、春の喜びをありがとう!

            
posted by 優子 at 08:40| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2015年04月10日

ワシントンの桜祭り出展のポスターはこれです!

2月半ばのこと、次女から興味をそそるメールが届いた。
ワシントンの桜祭りに教会もブースを出して、アメリカに来ている日本人への伝道を目的に、「キリスト教は決して海外の宗教ではない」という切り口でポスターを作ることになり、ついては歴史的に有名な日本人クリスチャンをまとめて紹介するようなアイデアを募っているとのこと。

次女は「すぐにママのことを思い出したよ。…ママだったらどんな特集を書くかな?」と嬉しい事を書いてきてくれた。私は大喜びで思いつくまま書いて送信した。

「ママ、早速ありがとう!! 流石やね! イメージが広がるわ。
わくわくする!」
 

娘の言葉はすごく嬉しかった!!!


マチは多忙な日々を送りながらも、休日は日本文学に集中して結構早くにPDFファイルを作成して添付してくれた。そのメールには、「興味を持った人は、そのソースを読むことで、神様と出会えたらいいな、と思ってます。」と書いてあり、私の胸を熱くした。

そして3月上旬のこと。私はそのファイルを添付して、クリスチャン・ペンクラブでご指導いただいている日本文学者・大田正紀先生にもご相談した。すると「とても素晴らしい企画ですね。すぐ思い浮かべたのは、…」と、近現代の日本文学とキリスト教に関する著述をいくつも送ってくださった。

「おかげで力作ができたよ。賀川豊彦のところなど、大田先生の論文も読んで、さらにパワーアップしたよ。」と、打撲の痛みに耐えている私を元気づけるために進捗状況を送ってくれていた。

というわけで次女は1ヶ月間ほど、平日は経済学者として週末は日本文学に取り組んでいた。仕上げた段階で教会メンバーからのコメントを期限付きで受付けて反映するなど、一つひとつ段階を踏みながら仕上げていく真智は「さすが」と思った。そして3月下旬には現地の人々のために英語版も完成させていた。

今日、今夏の帰国予定と共に写真を送ってくれているのでご紹介方々、是非ここにも記録しておきたい。まずは日本語版から。

IMG_0402.jpg

そして、英語版。

IMG_0403.jpg

このメールにはポスター作りの感想が書いてあった。私には遠い異国にいる娘夫婦に思いを寄せる時の微笑ましエピソードだから刻ませてもらおう。

ポスターの話を最初聞いた時はすぐにはビジョンがなかったのだけど、大好きな日本史・文化史だし、キリスト教文学はママの分野だから、やってみたいと思ったよ。

それでママにメールしたら、予想以上の素晴らしい人物ラインナップを簡潔な説明と共に送ってくれたから、一気にイメージが湧きました。その後も何度かレビューしてもらえて、どんどん情報が確かなものになりました。

大田先生にもコメントや資料、教会の人達からのフィードバックやコメントも、本当に全てがタイムリーで、神様からの助けだったと思います。

このポスターを作る中でこだわったことは、“海外の宗教というほど遠くない存在のキリスト教”というテーマで誰もが確認できる情報をまとめることでした。

また、クリスチャンだということを意思表示している方々に絞ることは、資料の明確さを高めると共に、「そういう方々はこのポスター企画にもきっと協力したいと思ってくださるのではないか」と思えて、励みになりました。

よくやったね!
神さまがこのポスターを豊かに用いてくださるようにお祈りします。

今年の桜祭りは11日(土)。夏時間のワシントンは日本時間マイナス13時間だから約半日遅れ。その日のワシントンの天気予報を見ると「晴れ」になっていた!!!
場所はIMFやホワイトハウスの近くの通りだから、晴だったら着物を着るかもしれないと言っていた。 

マチは本当にまめな子だ。親に似なくてよかったこと!
そして、着付けのお手伝いをしてくれるクマもそう。クマあってのマチであり、マチあってのクマ。2人はベターハーフ。揺れるハート 私は今、マチ・クマのテーマソングを聞きながら書いている。

マチ、太志くん、ワシントンの桜祭りの便りを楽しみにしています。



附記:更新時間は11日01時20分だが10日の日付で更新した。

posted by 優子 at 23:59| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2015年04月09日

シドニーの理学療法士さんがスカイプ診断を!

何を話しているのかな?.jpg「おはよう、
チューリップさん。
何を話してるの?」






こんな葉っぱがあった!.jpg
「あそこにあんな葉っぱがあるよ!」
「どこどこ?」
「ユキ、学校に遅れるよ。
 帰ってからね」

激しい痛みは去りつつあり、消極的になっていた魂が活気づいてくるのがわかる。キリストの聖霊が人間に備えられている潜在的な力を引き出してくれるような期待を覚える。

私は痛みと体の不自由さから謙虚にさせられ、このたびの東牧師のお手紙はついに私の魂に届いた。東牧師の肉体と霊的なものが協調して神秘体験されていることを、頭の理解ではなく魂レベルでわかった。

私もこの苦痛を経験して新しいものが私の中に入ってくる予感がする。痛みと不安に縮んでしまった心がゆったりとリラックスしていくのがわかる。私も癒やされて元気になった時に、ますます信仰的に生きるならば本物だ。


「失ったものを数えるな。今あるものを感謝せよ!」
  
若い頃から培ってきた精神を今から活かす時だ。神の恵みを数えて生きよう。そして、神の励ましが私を強く支える。

「わたし(イエス・キリスト)の恵みはあなたに対して十分である。
わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。
              (コリント人への第一の手紙 12章9節)

「ここまで正午前に書いていたが、3時45分頃、」と書いたのは3月13日の記事だった。今日は、「ここまで午前中に書き、午後は来週の例会で発表する証しを書いていたが、今夜、思いもつかぬ出来事に驚いている」と続けよう。

最近、ブログを通してある女性と知り合った。
その方の娘婿さんがシドニー在住の理学療法士で、間接的にスカイプ診断をしてくださったのだ! その女性から診断のお申し出をお受けした今日の今夜にお返事が届いた。

紹介されたHPを見ると、娘婿さんはオーストラリアの全理学療法士の約3%しか取得していない筋骨格系理学療法士の保持者でもある優秀な方だった。


まず何よりもその女性との出会いが不思議だった!
その方は『メメントドミニ』を愛読してくださっていたクリスチャン女性で、私のブログにコメント欄がないからと「お気に入りリンク」にあるミネソタ大学大学院在籍時代の真智子のHPにメールしてくださった。


ところが次女はIMF(ワシントン)に移ってからめったにそのHPをチェックしないものだから、メールを発見したのは1ヶ月ほど経ってからのこと。次女はすぐにその方のメールを転送してくれ、私は嬉しくて早速メールを差し上げたのだが直ぐにお返事がなかった。

その時私が大怪我をした直後だったのでお心遣いくださり、返信しないでリンク先にある美濃紙業宛にお見舞い状を送ってくださったのである。
※2016年3月17日追記:斜体の部分は私の思い違いで、私のメールが届いていなかったのだ。
そこで「どうしても連絡を取りたかった私はメールがだめならせめてお見舞いを・・・と思って別のルートを探しただけだったのです。それほど、私は優子さんに惹かれるものがあったということなんでしょうね。」と教えてくださった。
いずれにしても本当に嬉しく感謝でいっぱいです。

というわけで、メールはアメリカ経由、詳しく言うならば、ミネソタ、ワシントン経由で私の所に届いたのである。どんなに感激したことか! 

そして今日は、「彼はMRIの画像を診ていませんので、お医者様の言葉と優子さんのブログからその症状を考慮して診断していますので参考程度に」と前置きしてくださって、
@今後の快復過程について 
A心配なことはこのまま固定して動かなくならないか? 
B自分でできるリハビリはどのようなものか? 
など、私が最も知りたいことを詳しい説明とともに教えてくださった。

切れた腱は元に戻らないが、切れた腱のまわりの筋肉を強化することで切れた腱を補うことができることや、快復には半年から1年かかると思われること。
痛みが和らげば腱のまわりの筋肉を少しづつ強くする。筋肉がサポートしない限り腕が吊り下げられているような状態のままであるなど、こと細かにアドバイスしてくださった。

おかげで現状や今後の経過を教えていただいたので不安は取り除かれビジョンが描けたので、痛みがもう少し和らげば教えていただいた方法で自分でできるリハビリに励むことと、整形外科の理学療法士についてリハビリすることと自分に言ってきかせた。

明日からまた雨、雨の合間のしばしの陽射しを受けてチューリップが気持ちよさそうだ。 

陽射しに向く花々.jpg

花が太陽に向かって咲くように、私も神さまに顔を向けて歩いて行こう。神さまは私が困った時、今回もいろんな助けの手を差し伸べて、私の背筋をチューリップのようにしっかり立ててくださった。

明日、シドニーへ感謝のメールを打とう。優秀で心優しい理学療法士の方に。Mさん、ありがとう!
祈ってくださっている方々、お見舞いメールで励ましてくださった方々に感謝し、背後で働いてくださっている神さまに感謝して。


posted by 優子 at 23:30| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2015年04月08日

寒い年度初め 大怪我をしてまもなく4週間

冷たい雨@.jpg幸悠は小学2年生になった。昨日から寒の戻りで真冬並みの新年度である。今朝の最低気温は3.2度で、明日は3度の予報が出ている。
昨日から降っていた冷たい雨も午後になってようやく上がり、昼食後、さっそくユキはベランダのチューリップを撮っていた。
冷たい雨B.jpg


冷たい雨A.jpg





チャピーは加齢で認知症が出てきており、雨が降っていても1時間以上雨の中を行った来たりしているので、毛の中までボトボトだ。ユキはチャッピーを拭いてやり、このあと散歩に連れて行ってくれた。

冷たい雨C.jpg

たった10分間足らずの散歩でもチャッピーがグイグイ引っ張るので怖い。手を離せばかなりの距離を走って行くほど元気なのだ。もし交通事故から免れたとしても自分の家に帰って来られるかどうかあやしい。

怪我直後から掃除、洗濯、お風呂洗い、夕食の後片付けと、全て知子に助けてもらっていたが、1週間ほど前から夕食の後片付けを手伝うようになり、痛いながらも少しずつ出来るようになってきているのがわかる。当初から比べると痛みや動きも質的に違って楽になってきた。

夕食だけは事故直後も一度も店屋のものをとらずに作っていたが、青菜を左手だけでジャブジャブ水洗いするのもできなくて知子の帰宅を待たねばならなかった。肋骨の痛みもひどかったからだ。あの頃はただ空腹を満たすだけの夕食だった。今も(笑)。

ユキのお手伝い!.jpg春休み中はユキが掃除機をかけ、浴槽を洗ってくれた。いつも「はあい」と気持ちのよい返事をして、一度も嫌な顔をしなかったのは感心だ。

あの日のことを振り返るとゾッとする。
私は窓側に向かって赤色の所に立ち、背伸びして天井の黒カビを力を入れて拭き取っていたら、両足とも後ろに滑り落ち、胸と右上腕が1枚の板のようになって落下した。すごい衝撃だった。

先日近隣の知人(私より4〜5才若い方)にこの話をした時、「大腿骨を折った時も痛くて呼吸ができなかった」とのこと。大腿骨のような太い骨を折った時の痛みなど想像しただけで気絶しそうだ。

1週間ほどはお風呂場を見るのも怖かった。そして、あの時ユキが居てくれてよかった、幸運だったとしみじみ思う。


実は前日に電灯の傘を洗っていたので傘をはめたまでは良かったが、そのあとやる気になって天井の掃除を始めたものだから、水びたしの所に底がツルツルのスリッパでやっていた。これでは電気の傘をはめるだけでも危険で、不注意極まりない防げる事故だった。

春休みはあっという間に終わり、ユキがいないので不便である。
学校から帰ってきて掃除機までかけさせてはかわいそうなので、今週から私がするようになった。右手は使わずゆっくりゆっくりと。これも絶妙なるリハビリのスタートだ。

明日から知子は食器と浴槽を洗ってから出社するとのこと。あとは全て私が引受けることになるが、掃除機をかける以外はまだまだ無理で、タオルやパジャマのようなものでもホコリをはらうのは全くできない。

「治らない」としか言わない説明不足の医師に不満を感じているのに、自分で検索して調べようともしない矛盾。それは小心者ゆえに、まだ気持ちに余裕がないから知りたくないからだと思う。あるいは体のことでさえ熱心に取り組もうとしないのかは自分でもわからない。

知子は今もひどい咳をしているが体力はほぼ回復して今朝から電車で通勤した。それまでは通勤する体力がないので、40分早く起きるほうがマシと早朝に父親と自動車で出ていた。

幸悠、小学2年生の春である。
明日から給食が始まる。(^ー^)
るんるん
助けてもらっていたのにこんな絵文字や音符をつけてルンルン気分を表現してはあかんね。ふらふら
ありがとう、ユキ。揺れるハート

15時10分頃追記:4月といえばゴルフの季節の始まり。今年はじめてのゴルフは冷たい雨の中、しかも雪が積もっていたというほど寒い。先ほど夫は無事帰宅した。

posted by 優子 at 16:12| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2015年04月06日

癒やしを祈らない私の心に届いた牧師の愛

3月末、「主のご復活に関するみ言葉でお励まししたいと思います」と、「棕梠の聖日」直前に東道男牧師よりお手紙をいただいた。腕の痛みで字が書けないので短くお返事をお送りしたところ、再び長いお手紙が届いた。
お手紙を読みながら、出来の悪い子がようやく親心を知ったという思いがした。東先生がずっと祈りに覚えてくださっていた深い愛と、神さまの行き届いたご配慮に感謝するばかりである。

御恩寵を祈ります。
「冬は去り雨もやんで既に去り、花は地に咲きいで小鳥の歌う時が来た」。(雅歌2章12節)という神様のみ声が聞こえて来ます。

私共の住んでいる「千里」は昔から桜の名所で、教会の側(そば)の緑地帯はどこもかしこも満開の美しい桜が、神様のみ名を讃美して居ります。お便りありがとうございました。

3月初めに浴室で足台から落ちて大怪我をなさったとの事で大変おどろき、自分の事のように心に動揺を覚えました。

今は大怪我をして痛みに耐えているゆえに謙虚にさせられているからだろう。今回初めて牧師の言葉が心に届き、真剣に癒やしを祈る気持ちになった。

私は自分の病気や怪我についてあまり祈らないということに気がついている。勿論不安でならないのだが他者のことは祈っても自分のことでは真剣に癒やしを求めて祈っていないと思う。このたびの怪我のことでもどれだけ祈ったことだろうか。不信仰極まりない。

肋骨の痛みは少しずつ移動し今は脇の下の両サイドの痛みが強く、今もまだクシャミが出そうになると鼻をつまんで止めないと痛くてたまらない。あくびは2週間過ぎた頃からゆっくりではあるがほぼ出来るようになった。2週間過ぎると声も普段のように出せるようになった。

しかしながら腕の痛さには落ち込みそうになる。怪我した当日の救急病院では問診票も全て娘に書いてもらったが、今も字を書くのも非常に苦痛で筆圧を加えられない。

母が進行性難病になった最初の頃、鎖骨を折ったことがあったが、あの時どんなに痛かったことだろうかと、在りし日の母を想う。

先ほど知子にも東牧師のことを伝えたくてお手紙を声を出して読んだ。読み始めた時から胸に熱い思いが込み上げ、これまで何度もいただいていた東先生のメッセージが初めて心の深くに届いた。東牧師はこのたびも私のために7枚もの手紙を書いてくださっているのだ。

94歳の牧師は、今年1月10日(土)の深夜に廊下で仰向けに転倒して肋骨を骨折された。身動き一つできずに寒々とした廊下に倒れたままで朝を迎え、早朝に来られた教会の婦人に助けられた。

しかもその容態でその日の礼拝のメッセージを伝え、その後の長時間の役員会も遂げてベッドに倒れ込まれたとは、何という精神力であろうか!

そして、3月10日には骨折も癒やされ恢復されて、元気に多忙な毎日の仕事に励んでおられるとは、まさに神癒だ。それまでのお仕事もすべて休まずに務められたというから驚きである。


2月半ばにいただいたお手紙には簡単に数行書いておられただけだったので、まさか肋骨を骨折されたなどとは想像だにしなかった。
そしてこのたびのお手紙でも聖書のメッセージを、この私のために語ってくださったのだ。

私の体験から言うと、激痛が背中一面を走り続け夜も眠れないままに2ヶ月を過ごして居ります。主のみ癒やしを心からお祈りします。
呉れ呉れもお体お大事になさって下さい。み癒やしを祈ります。病もサタンとの闘いです。負けてはいけません。病をもたらすサタンを蹴散らして奮い立って下さい。・・・

エレミヤ31・20に―
「わたし(神)は更に彼らを心に留める(いつくしみの心をもって助けの手を差し伸べる)。彼の故に胸は高鳴り、わたしは彼を憐れまずにはいられない。」とあります。・・・

神様が支え、ひっぱって下さり、あと押ししてくださいますから、いつも希望を持って前向きで積極的に明るく強く生きて行けます。おしまいに詩編27・3のみ言葉をお送りします。

「彼らが私に陣を敷いても(サタンが何をしようとも)私の心は恐れない(心配しない。怖がらない。頑張る)。私に向って戦いを挑ん来ても私には確信がある」。

「何が来ようと平気だ」という信念と闘志で生きて行けます。お互いに希望と勇気をもって困難も平気で受けとめ胸を張ってどんどん前進しましょう。人生は戦いです。但し、勝利を期しての戦いです。あとへは退きません。

どうか堪え難い痛みにも耐えぬく力を神様がお与えくださって、痛みを克服されますように。・・・

藤本さんも神秘体験ができます。どうぞ一心に祈り続けて下さい。一日も早くすっかり元気になれますように。次回ペンクラブにお待ちします。
み声が聞こえます。
「我は主、汝を癒やす者なり」(出エジプト15・26)と。

東先生は何箇所も原文のヘブル語やギリシャ語も交えて聖書の真髄を書いて励ましてくださり、私を立ち上がらせてくださった。「神さま、ありがとうございます。主よ、み癒やしを!」と私も祈ります。

この励ましは病床にある方、苦難に打ちのめされておられるかた全ての人に、聖書を通して神さまが語ってくださっていることであるから、その方にもお届けしたくて書いた。

6月の例会で東先生にお目にかかる時は是非元気な姿でご挨拶したい。ご高齢の東牧師の上にこそ神の豊かな恩寵を祈ります。

そういえば今年度初めての例会が迫ってきており、総会の会計報告書作成が苦になっている。今週中に仕上げなくてはならない。

posted by 優子 at 23:59| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2015年04月05日

時満ちて −2015年イースターの出来事−

「これは主の御業、わたしたちの目には驚くべきこと。
今日こそ主の御業の日。今日を喜び祝い、喜び躍ろう」。

e_logo1b.gif
今朝読まれた聖書はペテロの第1の手紙1章3・4節:
「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。
神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、あなたがたのために天にたくわえてある、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ者として下さったのである」。
              

昨夜の次女夫婦と私たち夫婦とのスカイプを通して、真智子の切なる祈りと真智子と太志君の積み上げられてきた祈りを通して、主の復活ほどの出来事が起きた。

正直のところ私は近年そのことについては殆ど祈ってはいなかった。熱心さを失い諦めてしまっていたのである。思い出しては一言祈るという不真面目極まりなかっただけに、私には驚喜することもできないほどの驚きなのだ。

礼拝後のイースター愛餐会の直前にそのことを高見牧師に伝えた。牧師は大いに喜んでくださりお導きくださることになった。それについては神に委ねよう。神に導かれるままに。


2015イースター.jpg今日はまだ知子の体調は不全のままであったが、神さまのお守りの中で奏楽のご奉仕を務めることができた。また献金当番の人が欠席のため御指名を受けてユキと共に献金感謝の祈りを捧げた。娘と孫と共にご奉仕させていただいたこともイースターの喜び、神さまからの祝福と感謝した。

というわけで今夏帰国予定の次女夫婦(マチ・クマ)はそのことを第一に日程調整に入る。
その前に太志君は来月ミッションがあり、アフリカに飛ばねばならない。派遣先はキリスト教国だと聞いたが、チュニジアやケニアのテロがあっただけに祈らずにいられない。

今朝は道路が桜の花びらで薄いピンク色になっていた。
ワシントンの桜の開花情報を知りたくて数日前からここを訪ねている。今年は例年より少し遅いようだが、ここを開いた瞬間ワシントンにタイムスリップした気分になるから不思議だ。

二人共多忙な仕事に加えて共著論文の仕上げにかかっているので、相当ハードな月日を送っているようだが、私はいつも二人に思いを馳せながらワシントンから桜の便りを楽しみにしている。

posted by 優子 at 22:57| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2015年04月04日

肩腱板損傷(断裂)は治らないとのこと

打撲症を負って昨日で3週間経った。当初の痛みからすればかなり良くなったが肩関節の痛みが強く出てきた。

とにかく今までは上腕の骨に強い痛みがあり、骨が痛くて腕が挙げられなかったので、MRIの結果を見るまでは関節に損傷があるとは思えず、そのあとでさえ骨の痛みがなくなると腕は上へあがると思っていた。 

ところがである。ようやく昨日あたりから骨の痛みもほぼ治まったのに、1週間ほど前から肩関節が痛い。それどころか動かさなくても痛みを感じる時もあり心配になってきていた。


今朝2週間ぶりに受診。「スジが切れているんだから治らない。切れたものはつながらない」と言われた。幾つか聞いてみたかったのだが医師は説明しない。

「何をしてはいけないとは何も言わない。社会人として生活してください。骨が折れている人にも同じように言う。時にはそれはいけないということもあるが、(患者が心配するようなことも)全て考えて言ってるから」の一辺倒で、長時間煩わせているわけではないのにつっけんどんな言葉で取り付く島がなかった。

しかし、勇気を出して一言だけ言った。
「私は人体のことはわからないので、例えば、痛いからといって動かさなければこのまま固まってしまうのではないかと心配するわけです」と。返答は同じことを繰り返すのみで、患者側からすればこれでは困る。説明になっていない。

診察室で医師のそばに立っておられた当院のリーダー的看護師さんが、リハビリ室へのエレベーターに案内された時、「(医師は)気分を悪くされたのでしょうか?」と尋ねた。と言うのは、私は診察室で眼鏡を外してしゃべっていたので、(たぶん)私を見ていた看護師さんの表情が全くわからなかったからだ。

すると、「いえ、いつもあんなもんです」と表情も変えずに即答された。だからといってそれで良しということにはならないが。

救急病院で処置されて1週間後に初めて行った時は、その翌日が祝日にも関わらず近隣の病院へMRI検査の手配もしてくださり感謝していたのだが、長引きそうなのでこれでは今後のことも考えねばならない。

今も右腕は痛みをこらえながらも45度位しか上がらないし、一生治らないといわれて新たなショックに直面し、今初めてネットで検索した。症状から肩腱板損傷(断裂)とわかった。そういうことさえ聞かされてはいない。説明を読んでいたら手術の説明があり気分が悪くなったので途中で閉じた。

今日は「消炎鎮痛」の「ホット」と「干渉」というリハビリを10分間ずつ受けた。これとて説明を受けたわけではなく、リハビリが終わった時にリハビリ科から手渡された受付へ出す書類を見て書き取ったものである。

まず患部を温めてから「干渉」、即ち「体内に生じる干渉波の大きな電気エネルギーで筋肉を収縮させ、血流を改善し、痛みを緩和する」リハビリをした。
pic_sk_01.jpgついでにネットから拝借したこの絵にある吸盤を右肩の前後に4箇所つけた。リハビリ係の人に聞くと、リハビリは毎日受けるほうが良いとのこと。
そのことが非常に大切で今後に大きく影響するならばタクシーに乗ってでも行かねばという選択もあろうが、何の説明もないと判断できない。

痛みに耐える生活になって血圧のコントロールがうまくできず、昨日からずっと今夜も160もありリハビリ中に気分が悪くなって心配した。

こんな状態なので午後はゆっくりしたかったが、教会で牧師招聘委員会と役員会があり、家を出る直前になっても躊躇していたが祈りつつ出発した。教会の方々との交わりで心は潤った。近鉄沿線駅まで送迎してくださった方々に感謝。

教会のためにできることは喜んでさせていただきたいのに、こんな体では何もできない。知子もダウンしているし私も最悪。でも神さまがおられる。イースターの喜びを分かち合いたい。

今夜10時からマチ・クマとスカイプする。
それまでにお風呂に入っておこうと思うが、これまた苦痛なのだ。

posted by 優子 at 21:35| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2015年04月03日

ユキよ、神の恵みの中で大きくなれ

予報通り昼過ぎから雨が降り出した。今日から7日まで雨が降ったりやんだりの日が続くとあって、今日で桜も見納めとユキと二人で池の周りを歩いた。生暖かい南風に吹かれて、ようやく開花したばかりの花が早くも花びらを散らせ始めていた。

ユキ7歳・桜の季節に@.jpg

「わたし(神)があなたがたに対していだいている計画は
わたしが知っている。
それは災を与えようというのではなく、
平安を与えようとするものであり、
あなたがたに将来を与え、
希望を与えようとするものである」。
  
  (エレミヤ書 29章11節)

ユキ7歳・桜の季節にA.jpg

ユキの視線.jpg
ユキが撮った桜。
ユキの視線はいつも優しい。
人が見落とすような小さな花に注がれる。





ユキ7さい・桜の季節にB.jpg

「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、
また信じています。神は愛です。
愛のうちにいる者は神のうちにおり、
神もその人のうちにおられます」。

(ヨハネの第一の手紙:4章16節)

ユキ7歳・桜の季節にC.jpg

「主よ、この子の内に、愛され、受け入れられているという
自信が育ちますように。
どうかこの子が人々と自然に愛を交わせるように、
その心を育ててください。
ふさわしい方法で人々を愛することができるように
力を与えてください。
あなたの偉大な愛の深さをさらに知り、
その愛を魂で受け取りつつ、
人々にあなたの愛を注ぐ器とされますように。
主イエス・キリストの御名によって祈ります」。

(ストーミー・オマーティアン)

桜の若木.jpg桜の若木。
災害もなく平穏ならば何百年も生き続けることであろう。

イースターは希望。
感謝と喜びをもって生きていこう。神の恵みの中で。
友とお母様のことを祈りつつ

我が家のチューリップも今日開花した。2015・チューリップ開花.jpg


posted by 優子 at 21:03| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2015年04月02日

桜よ、時よ、人の世よ −桜の季節に叔母を訪ねる−

桜の季節に叔母を訪ねるのは2年ぶり。今年のお正月は叔母宅へ行かなかったので久しぶりの再会だ。妹は阪急電車で阪急六甲から、私とユキは阪神なんば線で石屋川から桜を愛でつつ歩いて行った。

阪神電車@.jpg近鉄と阪神電車が合流するようになって神戸へ行くのが楽になった。
今年は「阪神タイガース創設80周年」とのことで、こんな電車に乗った。

タイガース80周年.jpg





そういえば3月21日、私の右腕のMRI検査のあとすぐに、夫はユキを連れて大阪ドームへオープン戦を観に行った。男の子には男親でないとやってやれないことがあるので、おじいさんは父親代わりのありがたい存在でもある。
阪神電車A.jpg
ここは魚崎駅。

ここで三宮行き快速急行を下車して、ここから各駅停車に乗り換えて3つ目が石屋川だ。 


石屋川の桜は今日が満開になったばかりのようで7分咲きの木もあった。スズメがつついてたくさんの花を落としていた。

2015・石屋川.jpg

叔母は膝の痛みがひどくて3年ほど前から花見もできなくなってしまったので、叔母に見せてあげたくて桜をいっぱい撮りながら歩いた。

7歳の春B.jpg

私は腕が痛いのでユキが荷物を持ってくれた。頼もしくなったものだ。

E695ACE7A4BCEFBC81.jpgこの時ユキは3歳3ヶ月で、今は7歳8ヶ月になった。

さくら2015.jpg

2015・石屋川A.jpg
前方は六甲山。

2015・石屋川B.jpg
これは帰り道で。

ユキは疲れているのにカメラを向けるとすぐにこの笑顔。
マチ・クマのように!


叔母の家では丸いロボット掃除機「ルンバ」が働いていた。叔母は最近売り出された三角形のを買おうと思った矢先に、娘が発注してくれていた丸いのが届いたそうだ。私は母と父に何をしてあげただろうか・・・

叔母のように体が不自由になった人には「ルンバ」は重宝だ。ホコリがないと察知すると自分の小屋(?)、寄港地(?)へ収まるとは賢い。生活音もあり独り住まいの人には気の合う相棒になれそうだ。

「ヘルパーさんには『そこも履いて!』とえらそうに言えば来てくれなくなるけれど、ルンバは嫌な顔せんとやってくれる」と、叔母は麻雀友だちと笑うそうだ。しかし、同じ所を何度も行ったり来たりしているのでチャッピーのようでもある。(笑)

叔母は今年も不自由な身で自転車に乗ってイカナゴを買いに行き「くぎ煮」を炊いていてくれていた。神戸の大震災以来、母の在宅介護中からずっと今まで。母が天に帰った年の春は病院の冷蔵庫に父と私と妹の3軒分を入れてくれていた。叔母は私の行かない日に母を訪ねてくれていたからだ。

そして真智子が東大へ移ってからも、ミネソタ時代も、ワシントンへ移ってからもことづけてくれ、今年もまた真智子の分も預かってきた。

数日前にマチから夏に帰国できそうとのメールが来たことを伝えると、叔母は大変喜んだ。今夏は叔父の17回忌でもあり、神戸大学1回生だったマチが叔父の病棟を訪ねてくれたことを話していた。叔母にマチと会わせてあげたい。

ここでは触れることができない今日の出来事も、
いろんな思いもまたイエスさまが知っていてくださる。


2015・石屋川B.jpg

桜は物言わずただじっと咲き、
見る者の心を癒やし慰めを与える。
桜は神の思いと同じだ。
私は人生の羅針盤なる神の御手に導かれて歩もう。


今日、知子は会社を休んだ。3月31日から熱があり、昨日も一日中38.5度の熱があったが月初のため休めず早朝から出社した。フラフラしながら朝礼で説明を終え、仕事をこなして7時前に医院へ滑り込んだ。
幸いインフルエンザではなく5種類の薬を処方された。おかげで今日は37度台に下がっていたが、相変わらず咳がひどいので欠勤した。

posted by 優子 at 23:35| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2015年04月01日

チャッピーと歩く最後の春か

雨上がりの朝に@.jpg雨上がりの今朝、ユキとチャッピーと散歩に出た。自然界は一斉に草木が芽吹き万物復興の春、まさに神秘の世界である。
「汝ら眼をあげて高きをみよ。
誰がこれらのものを創造せしやをおもへ」。


これは文語訳聖書の「イザヤ書40章26節」で、力強く美しい日本語が魂に届く。文語訳聖書を愛用された敬愛する谷口姉からよく耳にしていたみことばだ。
口語訳聖書では「目を高くあげて、だれが、これらのものを創造したかを見よ。」となっている。

ユキ:秋明菊.jpg
秋に咲く秋明菊も勢いをつけて伸びている。

ここにも新芽が出てるよ!.jpg「ユキちゃん、ここにも新芽があるよ!」

「あら、チャッピーも見てくれていたのね」。


再び雨が降り始め今日は雨の一日になった。

昨日は晴天で最高気温と最低気温との差が19度もあり日中は24.6度にもなった。東京ではすでに3月29日に桜が満開。この時期の散歩コースにする池の周りも今年は行っていない。チャッピーには遠すぎるようになり、私も肩の腱板断裂の痛みで殆ど外出していないからだ。

チャッピーにとっては今年が最後になるであろう桜の季節をもう一度だけ歩きたく、昨日チャッピーを連れてユキと池へ行った。最短コースでも緊張しての行き帰りだった。

ユキもそのことを感じ取ってか、行く前に色紙で首飾りを作ってチャッピーの首にかけてやった。あとでユキに聞いてみると、「チャッピーに何をあげたら喜ぶか考えて、首輪やったら喜んでくれるかと思って作った」と言った。まだまだ幼い純真なユキ。


2015春C.jpg
チャッピー、よく似あっているよ。でもなぜかさみしそう・・・

桜はまだ6分咲きほどだったが、今年もチャッピーと桜を見ることができた感慨はひときわだった。
チャッピーは来春はいないと思う。生きていたとしてもとてもここまで歩いては来られないだろう。チャッピーとの最後の春、私には言葉では表現できない思いがこみ上げてくる。


2015春B.jpg
チャッピー
今年も桜が咲いたよ!




ユキが撮ったハナモモ.jpg
チャッピー、
花が美しいね。
ユキがいっぱい写真を撮ったよ。
これはハナモモ


私が撮ったムスカリ.jpgムスカリ

レンギョウ.jpgレンギョウ








花の名前は?.jpg
これは何という花だろう、全てが美しい。
「目を高くあげて、だれが、これらのものを創造したかを見よ」。

チャッピーのことも神に委ねて穏やかな日々を過ごさせてあげよう。

今日のような雨を「花起こしの雨」と言うそうだ。
今日、大阪城の桜も満開になった。ちなみに満開は、散って「こぼれる花もなかりけり」で八分咲きで満開というそうだ。

posted by 優子 at 14:01| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする