2015年05月28日

カルガモ譚 ―役所と小学校へ―

昨日はユキの帰りを待ち、まだカルガモがいるのを確かめて市役所に相談の電話をした。役所は生きた生き物は捕獲できず、保護する場合も県の農林振興事務所の管轄だからとにべもない応答だったが、あまりにも無関心で事務的にすぎるので、市から県へ問い合わせてその見解を返答してほしいと要望した。

県の結論は「そのままで」とのことだったが、市の職員は先の電話での応答とは別人のように真摯に受け答えしてくれた。(このことについて詳しく後述することになる)
雛に人間の匂いがつくと親鳥は子育てを放棄してしまう場合があるので慎重を要するが、現場の状況によっては保護して近くの池へ放してやったほうがいいので現場を見たいと網を持って来宅され、市職員2名を現場へ案内した。

今日のカルガモ@.jpgいつもカモたちが身を隠す所は、道路の下を流れる水路との合流地点だった。
親ガモが人間を察知するとここに隠れ、しばらく静かにしていると再び出て来るのだが、親鳥は何とストレスフルなことだろう。ひな鳥もまた。

今日のカルガモA.jpg半月ほど前から夜に聞こえていたのはカエルの鳴き声かと思っていたが、カエルの声ではなくカルガモの声だったのかもしれない。雛は「ピヨピヨ」と小さな声で鳴く。
24日夕方、教会から電車で帰宅した時のこと。ここで小学生たちが何か捕ろうとしているのを目撃した。
その様子を見ていた近隣の女性は子猫がいるようだと言い、私は蛙ではと話しながら一緒に通り過ぎたのだが、子どもたちはカルガモを捕ろうとしていたのだ。

キケン表示.jpgそして今日、市の人が注意喚起のポスターを設置してくださった。
せっかく作ってくださったが、もっと大きくして視野に飛び込んでくるものでないと少々わかりにくいかも。

児童の登校時の交通安全のために毎朝立ってくださっているボランティアの男性K氏と昨朝の続きを話し合った。K氏はあのあとすぐに交番へ行ってくださったが窓口が違うというので市へ連絡してくださった。しかし、役所の紋切り型の縦割り対応にうんざりされていた。

私の電話を受けた人は別の人だったが同じような印象だった。無気力でどうしようもなかった。「どうしてこのようなことがこの課に繋がれたのかもわからない」と不満いっぱいに言われたので、それは無知な私がこの課に繋いでもらったことによると説明して納得された。

県が当該窓口と聞いた瞬間は自分で電話しようと思ったが、これは私の個人的な問題では無いので市職員にお願いすると、「何を聞くんですか?」と答える始末だった。ちっ(怒った顔)

そこで再度説明して、「あなたがパイプ役になって県に電話して県の見解を私に伝えてください」。そして、「もっと熱心に心をこめて仕事なさい!」と言ってしまった。言わずにはおられないほど脱力した淀んだ雰囲気を看過することはできなかった。

ところが想像していたような人物とは全く違った。
「どうやればあのような雰囲気になるの?」と聞きたいほどハキハキと応対し誠実だった。襟を正して来られたのだろうが、瞳も美しい人だったから不思議でならない。
私は挨拶を交わして現場まで歩きながら電話で強く言ったことを詫び、最後にもう一度詫びて感謝した。相手も心の触れ合いを感じてくれていたようだった。

今朝、それらのこともK氏に話した。
K氏は「藤本さんのおかげで」と喜んでくださったが、そもそも私が行動できたのは、昨朝K氏が言われた「こういうのはどこへ言うたらええんかな」という言葉に触発されたからだ。


市職員さんを見送り、志位和夫氏の国会中継終了後に小学校にも電話して自分のすべきことを終えたが、私は子どもの安全もさることながら生き物の保護に焦点があたっていた。

ところがK氏は、子どもたちの安全のことを熱心に考えてくださっており、登校する子どもたちが水路に落ちないか、カモを見たあと道路に飛び出さないかと心配しておられた。
そして最後に、「こういう危険な所は他にもたくさんあるんやけどな」と言われ、PTAに関わっていた時に町中を歩いて危険箇所を点検したことを思い出した。

私は久々に大切なことを直に教えられて幸せ感に満たされた。人と人との心のふれあいこそが生きる喜びを感じさせてくれる。この短い会話からK氏の人柄もより深くわかった。


毎朝ボランティアで立ってくださっているK氏とKさん(別の女性)も『種を蒔く』を差し上げた方々である。

附記:今朝、カモにあげるパンを持ってきた子どもがいて、現場を見に来ていた教師がそれを許していたというので、ポスターを貼ってくれた連絡方々再度小学校へ電話した。

この現代において自然界の生き物に食物を与えるとは、教師ならば意識の低さが問われるのではないだろうか。低学年ならば生活科で、中学年以上は理科で生きた教材としてカルガモの生態を授業で取り上げるなど、教師もまた子どもと共に学ぶ姿勢、学習の面白さを分かち合ってほしいものである。


posted by 優子 at 18:35| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2015年05月27日

政府やマスコミに騙されないで真理を見極めよ!

今日(26日)から審議される安保法制(戦争法案)は、60年安保の比ではない。戦後70年間、日本が掲げてきた平和主義が根底からひっくり返るのである。
議事堂前の抗議者は1千人足らず。国会のテレビ中継もない。これでは「安倍退陣」に追い込むこともできない。
官邸にコントロールされたマスコミに危機感がないため、国民は実情を知らされないままだ。

                   田中龍作氏ブログより
というのは昨日のこと。

先週5月20日の志位和夫氏の党首討論を聴き逃がしてネットで知った。非常に感銘を受けてすぐに動画を観た。その時の安部首相の答弁は驚くべきもので、常々「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げている一国の首相が、ポツダム宣言を読んでいないということが暴露された。

私もまた、ポツダム宣言を受諾して日本の戦後が始まったということぐらいしか知らないお粗末さだが、一国の首相が読んだことが無いことに絶句。
志位氏はその最後に安倍首相の急所を突いた!

「戦争の善悪の判断ができない、善悪の区別がつかない、そういう総理が、日本を『海外で戦争する国』につくり変える戦争法案を出す資格はありません」。


私の心を強く打ったことを全て書いてくれているサイト「世に倦む日日」があるので、そのまま引用させていただきたい。

テレビを見ていた市民がビビッドに反応し、ネットで瞬時に論議が盛り上がったのは、ポツダム宣言の認識を問うた志位和夫の秀逸な論戦に対してだった。志位和夫こそステイツマンと呼ぶに相応しい。

人々がビビッドに反応したのは、ポツダム宣言の認識を問いただされた安倍晋三が、そんなものは知らないと開き直った態度に呆れたこともあるけれど、不誠実な態度に終始する安倍晋三に対して、志位和夫が一貫して誠実な態度で正面から臨み、論点を逸らさず、はぐらかしと脱線を許さず、感情的にキレることなく、正しい論理で追及したことがあるだろう。
                        (略)

7分間という短い討論時間で立った志位和夫は、揚げ足取りをせず、言わば、どこまでも憲政に対するリスペクトを崩さず、国権の最高機関たる国会の権威と品位を守り、首班指名された代表の立場を軽んじない、真面目な言葉で安倍晋三に対峙した。

それはまさに、近代日本が積み上げてきた議会政治と民主主義の伝統を守る姿であり、首相の地位を簒奪して暴走を続けている安倍晋三を、その本来のあり方に戻す議会人の努力そのものだった。逸脱と堕落の極みにある国会を、憲政の常道に引き戻そうとする営為だった。

「ペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです」という言葉を、6年前に辺見庸がカミュの小説から引用して紹介している。その言葉を、志位和夫の質疑討論を見ながら思い出した。

ファシズムと戦う唯一の方法は、何より知的に誠実な態度を貫くことであり、不誠実と欺瞞が蔓延する現実と緊張感を持って対決し、人々を良識の覚醒へと導くことだろう。誠実さこそが、ファシズムに抵抗する者の武器であり、政治のフィールドで最も有効な説得力なのに違いない。

今日は朝から国会中継を放映しているので、午後の中継だけでも注視したい。

日本人が憲法を守ったのではなく、憲法が日本の平和を守り日本人を守ったのである! 現行憲法では、
「第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」となっている。

つまり全ての権威の上に憲法があって行政権が与えられているのに、現政府は堂々と憲法違反をしているのである。

マスコミの使命は何か! 

糾弾すべき立場のマスコミは官邸にコントロールされ、その異様さが恐怖でならない。こうして人々は呑み込まれて時代に翻弄されていくのか?!

今は理解することも判断することもできない子どもたちのために、大人たちは必死になって阻止しなければならない。どんなに時代が変わろうとも、どうしても越えてはならない一線があるのだ。

私たちはこのような歴史的な節目の時こそ真理を見極める眼を持たねばならない。どうか反対論者の働きが大きなうねりとなって政府の暴走を止めることができますように、神の憐れみにすがって祈るばかりだ。


我が家の掲示板.jpg
posted by 優子 at 12:07| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年05月26日

こんな所にカルガモの親子!

今年も虫の季節スタート!.jpg今年もユキの大好きな季節が到来した。
昨年取ってきたブラックバスは寒い冬を越えたのに、3月初めに時を置いて2匹とも死んでしまった。そして、今季の水辺の生き物はスジエビから始まった。
17日朝、教会へ行く前に4匹取ってきたが、数日後、水が蒸発して干しエビ(こんな書き方してごめんなさい)になっていた。そして、23日朝に18匹取ってきて、今日は学校へ持って行った。

その前に、先ほど撮ったばかりの特ダネ写真から。
「おばあちゃん、川にアヒルがおるよ!」

アヒルではなくてカルガモだった!


カルガモの親子@.jpg

カルガモを追いかけるのは大変!.jpg2年生になると火曜日だけ6時間目まであるので、4時前に2年生から6年生まで一緒に集団下校する。
4時過ぎ、ユキが玄関に入ったと同時に、「おばあちゃん、川にアヒルがおるよ!」と汗だくになって話した。
アヒルとあっては私も見たい。見に行かずにはおられず、カメラを持ってイザ出陣!

今日は30.5度まで気温が上がり、夕方4時を過ぎてもカンカン照りだった。

カルガモの親子A.jpgアヒルではなくて、こんな所にカルガモがいた! 

児童の登下校時の見物で人間に慣れているかと思ったら、私たちを警戒して速いスピードで行ったり来たりして逃げた。

もっと良い写真を撮りたくて6時過ぎに再び出かけると、何とカルガモの親が歩いていた!

カルガモだ!.jpg「どうやって上がったのだろう」とカモのあとを付いて行きながら考えていると、突如、カモが飛び立った。
そうだった、カモは空を飛べるんだ!
そして、雛のところへ戻った。
7羽の雛.jpg

カルガモA.jpgこの水路は山から流れてくる水なのでさほど汚くはないだろうが、何度か少し泡立っているのを見たことがある。
雛たちに食べさせる餌は見つかるのだろうか。

自然界は今、子育ての季節だ。
あちこちにツバメの巣があり、巣の中はどこも雛で満員だ。このカルガモたちも無事に巣立っていけますように。


スジエビ@.jpg昨日は虫カゴを持って学校へ行き、今日はスジエビを持って行くために朝早くから移していた。
こんな時いつもチャッピーが見に来るのだが、すぐに飽きて向こうへ行きたくてソワソワしていた。

スジエビ.jpgスジエビが脱皮したあとの殻があった!!!

これまた私は63歳にして初めてエビの脱皮のあとやカルガモを見て楽しかったのだが、ユキは7歳で見ているのである。そのことを思うと経験の不平等とでもいうのだろうか人生の不思議さを思い、いつも神について思い巡らせる。

幼い時のこのような体験や感動の蓄積こそが大切だ。
世の親たちは子どもが小さい時から知識の先取り競争に必死になっているが、人生の意味と一人ひとりに与えられている豊かな可能性を思うと、もう少しの間忙しくさせないでゆったりとした中で過ごさせてやるのが肝要だ。また、機会を見つけては音楽や美術など本物に触れさせてやりたいと思う。


今日はスジエビを学校へ!.jpg今日はスジエビを持っての登校。
左横で知子が生ごみを出してくれている。
↓ これはゴールデンウィーク明けの日、「一緒に遊ぼ」と誘いにきてくれたお友達に自転車を貸してあげて公園へ行くところ。
お友達と@.jpgユキが少年になっていく。お友達に自転車を貸してあげて.jpg


27日10時6分追記:
今朝、知子にもカルガモ親子を案内した! 
毎朝の散歩で会う方々に話した中で、「これは飼っていたのを捨てたんでしょう」との声を聴いた。
人間が近寄ると親ガモが威嚇して鳴き、登下校の児童に怯えてかわいそう。ユキが帰ってきたら市役所の生活環境課(になるのかなあ)に電話して、カモたちを池に移してやるように伝えたい。


posted by 優子 at 23:02| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2015年05月24日

聖霊を感じたペンテコステ

今朝はペンテコステ礼拝。「ペンテコステ」とはギリシャ語で「50番目」の意味であり、イースター(復活祭)から7週過ぎて50日目(五旬節)にあたる。

イエス・キリストが十字架上で死んで信徒たちは悲しんでいたが、3日の後に復活されて、しばらくのあいだ共に居てくださったが再び天に昇られて、人々は天を見上げて途方に暮れていたことであろう。

そんな信徒たちが集まって祈っていた時に、神からの聖霊が降(くだ)ったという出来事が「ペンテコステ(聖霊降臨)」であり、教会の誕生となった。

鈴木祈牧師による説教・「風に吹かれて」は、聖霊が降って皆がひとつにされたという箇所(使徒行伝2章1節〜11節)である。

ユダヤ教では「12」が完全数だが、12弟子のひとりユダを失って11人になっていた。そこで、「始終わたしたちと行動を共にした人たちのうち、だれかひとりが、わたしたちに加わって主の復活の証人にならねばならない」と、1章では新たにもう一人弟子を加えたいきさつが書いてある。

そこで「バルサバと呼ばれ、またの名をユストというヨセフと、マッテヤとのふたりを立て」、「ふたりのためにくじを引いたところ、マッテヤに当ったので、この人が十一人の使徒たちに加えられることになった」。

そのマッテヤ(新共同訳聖書ではマティア)について初めて知ったところをお分かちしたい。
まず、マッテヤはくじで偶然選ばれたのではなく、くじにより神の御旨が働いた結果であること。そして、このマッテヤは、マルコ伝10章17節以下に出てくる「金持ちの男」であるという伝説が残っているという! マタイ伝とルカ伝にも出てくる同じ男である。下記はマルコ伝より引用。

イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄り、みまえにひざまずいて尋ねた、「よき師よ、永遠の生命を受けるために、何をしたらよいでしょうか」。

イエスは言われた、「なぜわたしをよき者と言うのか。神ひとりのほかによい者はいない。いましめはあなたの知っているとおりである。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。欺き取るな。父と母とを敬え』」。

すると、彼は言った、「先生、それらの事はみな、小さい時から守っております」。

イエスは彼に目をとめ、いつくしんで言われた、「あなたに足りないことが一つある。帰って、持っているものをみな売り払って、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。

すると、彼はこの言葉を聞いて、顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。

「この男は自分の弱さを認めることができず、自分はいつも正しいと思っていたが、そのあとでそれを認めることができた。このマッテヤが加わって12人になったところに聖霊が降ったのである」。

ペンテコステ絵画.jpg五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。

また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。

さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。

そして驚き怪しんで言った、
「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。わたしたちの中には、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人もおれば、メソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者もいるし、またローマ人で旅にきている者、ユダヤ人と改宗者、クレテ人とアラビヤ人もいるのだが、あの人々がわたしたちの国語で、神の大きな働きを述べるのを聞くとは、どうしたことか」。

ここで、いかに神さまがこの人たちに手を差し伸べたかということが語られている。

そして神の霊を受けて、あなた方は世界へ出て行きなさい。他の国々の言葉で話し、相手の立場になって相手のことを慮(おもんばか)って生きていきなさいとの思いを強く感じないではいられない。

分けられた主イエスの体が聖餐のたびに私たちの体にとどまり、私たちが一つになっていく。

神の恵みに気づくのがペンテコステの出来事であり、その導きを信じることこそペンテコステの思いである。私たちに約束されているイエス・キリストの恵みを心の中で感じ味わおう。

「イエス・キリストが救い主である」と信じることができないと、イエスを「主(しゅ)」と呼ぶことはできない。
しかし、そう決断する時に既に聖霊の導きが与えられている!

私は礼拝で霊的に元気回復されていった。
10日ほど前からしんどくて19日の生協商品の荷受の時は、友から「顔色が悪いから寝るように」と心配させたほどだった。その後血圧も高くなっていたので今日の礼拝は欠席も已むなしの状況だった。

しかし、研修委員長も仰せつかっているので休めない。そんなストレスも加わる日々だったが、礼拝中に心身魂が癒やされて、研修委員会も鈴木祈牧師を囲んでの昼食と交わりも恵みを感じていた。

今日はユキは再びサッカーのために知子も欠席。私は帰りが遅くなるので夫は礼拝後すぐに帰宅した。

帰る時、駅まで乗せてくださる友を教会の外で待っていたら、急に前から風が吹いてきた。聖書で聖霊は「風」や神の「息」とも表現されており、私は「神さまだ、聖霊を受けよ」と自らにつぶやきながら風に向かって深呼吸して微笑んでいた。するとまもなく風は止んだので「やっぱり」と、私は強く神の御臨在を感じた。

ペンテコステは私にとっては受洗記念日でもある。
1987年6月7日、今から28年前のペンテコステ礼拝で小山恒雄牧師より洗礼を授けていただき、新しいクリスチャンの生涯に入れられた。
年齢35才。まさにダンテの『神曲』にあるとおり、人生の半ばにしてイエス・キリストを信じる者のひとりとされた。結婚して9年5ヶ月後のことである。


今日再び聖霊を受け、来る朝ごとに新たなる力をいただいて、イエス・キリストを大胆に証させてくださるように志を新たにされた。


posted by 優子 at 23:08| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2015年05月21日

「イルカ追い込み漁」除名通告で思ったこと

「JAZA(日本動物園水族館協会)」が「WAZA(世界動物園水族館協会)」から、太地町の追い込み漁によるイルカの入手法が倫理規定に違反するとして国際組織から除名処分にすると通告され、「日本動物園水族館協会」は国際組織への残留することを選択した。

最初に通告報道を聞いた時、昨年1月に話題になったキャロライン・ケネディ大使のツイッター発言を思った。
「米国政府はイルカの追い込み漁に反対します。イルカが殺される追い込み漁の非人道性について深く懸念しています」。
そして、この発言に対して反駁した池田信夫氏(ニューズウィーク)のコラム記事「イルカ漁が残虐だというなら、アメリカ人が牛を年間3500万頭も殺している映像を見たら、彼女は卒倒するだろう。」との妥当な弁に共感したものだ。

というのは、2010年夏に戦争の悲惨さを読んでいた時、たまたま『動物の権利 アニマルライツ " Help Animals "』を知り、それ以来殆ど肉食をしなくなるほどの実態を知ったからだ。

その時にサーカスの動物たちのことも知った。
象は鋭くとがった鉤(かぎ)を皮膚の奥深く、象が痛みで叫ぶまで肉を裂くほど突き刺し、熊や虎やライオンもギザギザのついた木の棒で何度も打たれ、金属棒で強打される。猿はリモコンで電気ショックを与える首輪をつけられ、調教師が持つさまざまなタイプのムチや杖、スタンガンなどで、恐怖の念を植えつけられて動物たちは怯(おび)えきっている。

ショーを見せてくれるイルカたちは、まさかそのような残虐な調教はされていないと思うが、イルカも決して楽しくやっているのではない。雄大な大自然からあのような小さな所に隔離されて芸を覚えさせられるのだ。このたびのことでイルカショーを既に廃止している国もいくつか存在していることを知った。

「追い込み漁」という漁法が非人道的で倫理規定に反するということを主張するならば、工場畜産も糾弾すべきであり、これを機に全ての動物について議論するように願う。

文化は尊重されるべきものであるが、国際的な流れも尊重すべきである。しかしまた、国際的な流れが常に正しいとは限らないし、文化風習もまた同様である。今回の通告に客観性があるのか疑問を感じる。

と言うのは、これもまた今回のことで知ったことだが、追い込み漁をしているのは太地(日本)だけではなく他国でもその漁法で捕獲し、しかも海を真っ赤な血の色に染めている画像がいくつもあった。

私は他国でもやっているからやって良いというようなことを言おうとしているのではなく、全ての議論に先立って、正当かつ客観的な視点で問題提起されなければ正しく議論することはできないということを主張したい。


ついでながら動物の権利という視点に加えて、地球温暖化の観点からも肉食は少なくしていくべきであるとのレポートがある。

「世界の地球温暖化ガス排出量の51%が畜産業(肉食)によるもので、牛から発生するメタンガスの量だけでも、18〜21%占めているとされている。
また、放牧のためにアマゾン川流域の熱帯雨林の65%〜70%が破壊され、その他、穀物も30%が動物の食べ物になっており、それを動物の肉にして人間が消費すると、量、カロリーなどは約4分の1の価値になってしまう」。


動物に与える穀物を飢餓で苦しむ国々に供給することで、地球のためにも良い循環につながっていく。イルカ漁のことに端を発して食糧問題や地球温暖化について今からでも真剣に考えねばならない。

posted by 優子 at 21:36| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年05月18日

理学療法士による初めてのリハビリ

怪我をして2ヶ月と5日後の今日、初めて理学療法士さんから40分間ほどリハビリを受けた。
どのぐらいの経過で痛みが弱くなっていくのかは尋ねなかったが、最終的にはかなり痛みから解放されるようだ。手を伸ばしすぎた時に「あっ痛い!」という感じまで回復可能の見込みだ。

しかし、元の状態は取り戻せないので足台を使って補充するとか、食器棚の高さを使いやすいように低くするなどして工夫しなければならないと教えていただいた。このような見通しを伝えてもらうのはありがたい。

不思議な神の計らいでスカイプ診断してくださったシドニーの理学療法士さんも回復するのに半年から1年かかるとの見通しなので、焦らないで、不安がらずに過ごしていかねばと思う。

今通っている整形外科医はこれまで触診どころか指一本触ったことがない。腕がどの程度上がるかどうかも私がやってみせるだけで、前回「非常に右肩が凝る」と話せばブロック注射を奨められて失望した。

知識のない私でもこのような肩凝りにブロック注射という対症療法に疑問を感じ、医師の全体像を観た思いだ。勿論断ったが、すると「嫌なことはしなくてもいい」と、毎度おなじみの決まり文句のみだった。

理学療法士さん(女性)から「もう少し早く来ればよかったですね」と言われて悔んだが、やや遅きに失するも前回自ら申し出たのは幸いだった。

自分の体を医師という他人任せにしてはいけないと、これまた遅まきながらかつての精神が微かに目覚めた。「医師よ 驕るなかれ ―より良き医療を求めて―」

理学療法士の診断は次のようだった。
痛みのために右肩が前に出ている。
右肩(後部)が丸く膨れているのは腫れているからだろうか、今回だけではわからない。
恐怖心が強いので(肩や腕に)すごく力が入っている。この恐怖心がとれるとかなり良くなるだろう。リラックスして脱力することが大切である。

右肩を大きく動かされたのには驚いた。しかも痛くなかった!
肩甲骨を動かし回すのは2ヶ月以上ぶりで信じられない動きだった。私が微かに怖がった時も察知されたのには驚き、身体と心がいかに連動しているかを直観した。

リハビリが始まってすぐに「恐怖心が身体を覆っている」とも言われた。後半頃には私の体を動かしながら、「こんなに動くんだ」という意外さを何度か感じておられたように思う。


我慢強いのは常に良いとは限らないようだ。
痛みについて話していた時、痛みの訴え方は人によって違うので(医療者は)適切な助言をしにくいと話されたので、「私は怖がりで痛みに我慢強くない」と言った。
すると、「それは良かった。怖がりの人は無理なことはしないので日常生活は今まで通りで良い」とのことだった。ただし握力が弱っているのでボールを握って力をつけるように助言された。

とは言うものの私も時によって我慢強い。
例えば知子出産の時は破水から始まり20時間に及ぶ難産だったが、ずっと廊下で待ってくれていたあの忍耐強い母に「我慢強かったね」とかけられた言葉は、今も私に自信と勇気を起こさせる。

また、困った人々に悩まされる精神的苦悩にも忍耐強く常に祈りながら歩む者とされてきた。相手に噛み付かれても同じ土俵には決して乗らなかった。ただし、近年は脆(もろ)くなってきたように感じるが。

怪我をしたあの日、水浸しの浴槽の縁に登って手を伸ばして力いっぱい天井を拭いていた。その時、危ない気配を感じることもなく、瞬間的に2本の足が同時にすべり落ち、次いで激しく落下して肋骨と右腕を強打した。

「よく骨折しなかったですね。これは何かの(今後の?)の警告かも知れませんね」と言われた療法士さんの言葉が一瞬不穏な気持ちにさせたが、このたびの不注意は深刻に謙虚に受け止めている。

今日の医療費明細書には次のように記されていた。
運動器リハビリテーション科(V) 2単位
対象疾患名 外傷性右肩関節周囲炎
発症 27(2015)年4月4日 
 発症は3月13日である。

今日はまだ電動自転車に乗るのは冒険すぎるので徒歩で往復した。雨も覚悟していたが暑いほど日が照っていた。片道32分、往復で8000歩ほど歩いたことになる。歩けることも当たり前なことではない。心底から感謝して歩いた。

人は大切なものを失って初めて気づくというのは必然であると思う。失わないうちに気づくならば尚優れているだろうが、失って得る深さにはやはり及ばないと思うからだ。

リハビリの時はあんなに動いた肩や腕も今はまた全く動かない。
寝る時は「抱きまくら」を使うと脇(?)を開くので良いと聞いて、友が「寝る時、小さなクッションか抱き枕を使って、楽な姿勢を助けるなんてどうかなあ。なんとか、楽に寝ることができたらいいんだけど。」とメール(4月4日)に書いてくださっていたことを思い出していた。

あの頃は横に向くのは痛くて全くできなかったが、ようやく左下にしてしばらく寝返りを打てるようになったので、今日もその体位でのリハビリも可能だった。

怪我した数日間は体位交換してもらっていた母の晩年を想っていた。寝返りができないと言うのは地獄だ。回復期の今こそ恐怖心が邪魔をしているのだろうが、それまでは恐怖心ではなく激痛で動けなかった。

今は怪我のことだけではなく一切の思い煩いを神に委ねて、心も身体もリラックスして脱力することが必要なのだが、リラックスしたいと思ってもできないのも意外だった。

4月からの新年度はこの激痛と不自由さで教会の役員を受けることになったので、かなりの精神的苦痛のストレスがあった。頭脳が通常のように作動しないのでいくつもの役職をこなしていた昔が信じられなかった。

過剰なストレスや気遣いは本来備わっている能力や心をダメにする。
しかし、身体の力を抜いて脱力するというのは何と難しいことか。このこともまた神に委ねることの難しさと同じだ。神に委ねることを体得するまで人はどんなに苦しむか!

私の年代になれば、これから加齢と共に一つひとつ持てるものを手放して、喪失していくことを学んでいくのだが、まず老いの季節を迎えることができたことを感謝したい。


posted by 優子 at 22:07| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2015年05月14日

友は宝! 友との至福の時

怪我をして2ヶ月経ち苦痛はかなり和らいだが、常に痛みのある生活になってしまった。昨夜半のように時には痛みで目が覚めることも珍しくない。
8週間過ぎた頃から、左腕を下にして横たわることができるようになったが、一本スジが切れている右腕のおさまりがつかず痛くて2〜3分ぐらいで仰臥しなければならない。ましてや右腕を下にするのはまだ1秒さえできない。

衣服は薄着になり肩が冷えると痛みが強くなるので、寝るときはひざ掛けを肩に巻き、日中でもそのようにしていることが多い。先週末の受診時、医師に理学療法士さんのリハビリを受けたいと申し出た。たった1人しかおられないので来週の予約になった。

ここずっと痛みが強いので意欲的になれなかったが、今日は友との至福の時を過ごした。どんなに楽しみにしていたことか! 私だけではなく皆も待ちわびていたから尚のこと嬉しかった。

怪我をして1ヶ月経った頃、友人からお見舞いの連絡を受け、共に東大阪の読書会でご一緒だった友でもあるのでご一緒の日に調整し、我が家の家庭集会で知己になっていたNさんにも声をかけた。

この顔ぶれで会うのは8年ぶり(?)ぐらいになるだろうか。Nさんが自動車でどこかへ連れて行ってくださることになった。

神さまから賜った信仰の友は遠路東大阪から駆けつけてくださった。Nさんが馬見丘陵公園へ連れて行ってくださったのでみんな大喜び! 
友のお顔を消すのを申し訳なくも記録させていただいた。

友こそ宝!.jpg
友は人生の宝!

今はまだ菖蒲には少し早く、季節の端境期(はざかいき)で花はなかったが、花を見つけては物知りのNさんのガイドに皆が引き込まれた。

毎週生協商品の荷受で会うとにNさん命名の「デブの法則」で笑っていたが、今日は4人で大笑いした。Nさんのアクセントは関東式に「デ」に入る。私は笑ってばかりいないで、今日を境に「デブの法則」から脱して本気で3キロ減に挑戦するぞ〜〜〜!

午前中はあんなに晴天だったのに食事の後半から暗くなり雨になった。おしゃべりは尽きず4時間半の再会はアッという間だった。次は9月、彼岸花の咲く頃に飛鳥へ連れて行ってくださることになった。るんるん

これはエゴの花
2009年5月に教えてもらったのに忘れてしまっていた。ふらふら
エゴの花.jpg

エゴの花@.jpgエゴの花は下に向かって咲く。









↓ ということは、昨日の散歩で見つけたピンクの花もエゴの花だった!
この木はまだ膝の高さしかなかったのに、こんなに花をつけていた。

ピンクのエゴの花!.jpg

青い花・ネモフィラは生かされていることを喜び、
神さまに向かって笑っているみたい。

花の名前???.jpg

この花を見ているとソロモン・プラット(西アフリカ・シエラレオーネの精神的な指導者)の詩を思い出させた。

バスケットボール。
わたしの手の内にあれば19ドル。
マイケル・ジョーダンの手の内にあれば3300万ドルになる。
誰の手の内にあるかによるのだ。

   (略)

2匹の魚と5つのパン。
わたしの手の内にあれば2つのフィッシュサンド。
イエスの手の内にあれば数千人を満たすことができる。
誰の手の内にあるかによるのだ。

   (略)

だから、あなたの思い、心配、恐れ、希望を神の手に委ねよう。

「あなたはキリスト・イエスにある恵みによって、強くなりなさい」。
                 (テモテへの第2の手紙 2章1節)

友の上に、友のご家族の上に神の豊かな恵みと導きがあるように!

posted by 優子 at 22:15| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2015年05月12日

日本は原発事故も戦争の地獄ももう一度経験しないとわからないのだろうか?!

福島原発事故は4年経った今も全く収束されていないのに、政府は原子力発電を推進しようとし、憲法は国家権力を縛るものであるのに自ら変えていく狂気。そしてまたそれを許す国民。

私の中にもある同じ国民性を認めつつも、闘いの先頭に立ってくださっている人たちの思いは私が常々感じていることでもある。

元京都大学原子炉実験所助教・小出裕章氏:
「愚かな国民には愚かな政府というのが今の状態であって、私たち国民がもっと賢くならないと、この状態を乗り越えられないんだろうなと私は思っています」。

気鋭の政治学者・白井聡氏は、「重要なことは2度経験しないと本当には理解できない」とヘーゲルの言葉を引用して警鐘を鳴らしている。
以下は白井聡氏の発言より抜粋。
―白井さんは本の中で、知識層の9割が安倍政権のことをとんでもないと考えていると書かれていた。しかし、支持率は高いし、選挙をやれば勝ってしまう。これは何ですかね? 安倍自民党を勝たせてしまう日本人はどうなのでしょうか。

こんなに奴隷的な国民は世界中どこにもいないのでは。最近、つくづく、日本人にうんざりしています。隣人が気持ち悪い。端的なのが原発です。

これだけの破局的事態を招いたのに原発を推進してきた勢力が何の反省もせずに、また動かそうとしている。それに対して、怒る人もいるけど、多くの人はしょうがないとあきらめてしまう。奴隷なんですよ。

そして、奴隷の楽しみは、奴隷でない人、つまり怒っている人をバカにすることなんです。バカだなあ、怒ったってしょうがないのにとせせら笑う。そういう国民性をネット空間が増幅させて、最悪の状況になっている。

大学教員だってそうですよ。公の場では本当に重要なことについては何も話さないようにするのが賢い振る舞いだと考える人が多い。かつて軍国支配層によって国民全体が奴隷化されましたが、それが基本的に今も続いているのです。

ドイツの哲学者ヘーゲルは「重要なことは2度経験しないと本当には理解できない」と言っています。不謹慎に聞こえるかもしれませんが、再度悲劇が起きなければダメなのかもしれません。

私たちはこれでいいのか?!
今ほど一人ひとりの生き方が問われている時代はないと思う。

戦後民主主義時代が始まった1947年に、文部省が発行した中学校1年生の社会科教科書・『あたらしい憲法のはなし』の「六 戦争の放棄」を見つけたのでご紹介したい。これは1952年まで使われた。

みなさんの中には、こんどの戦争に、おとうさんやにいさんを送り出された人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。

いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。

戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。(略)そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。

その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これは戦力の放棄といいます。『放棄』とは『すててしまう』ということです。

しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国より先に行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。


posted by 優子 at 22:45| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年05月11日

次女夫婦の「母の日」の慰めの言葉に涙し、「母の日」の讃美歌に涙し、牧師との祈りで涙した「母の日」

アメリカの教会で始まった「母の日」は、1914年にアメリカの記念日になり、その翌年に日本に伝えられて今年で100年目にあたる。

多くの教会では母に一輪のカーネーションを贈るのだが、5年前から導かれている日本キリスト教団の教会では「母の日礼拝」の記憶がなくないものと思っていた。

しかし、昨朝は高見敏雄牧師が「母を語る」と題して、その日にふさわしいメッセージを語られた。しかも、「母の日」に歌われる讃美歌510番を讃美したので感無量になった。歌詞は今も暗唱している。
カーネーション.jpg510番は母教会を離れて約20年ぶりの讃美であり、それは教会へ通い始めて初めて迎えた「母の日」礼拝の感慨と重なった。あの時私は34歳だった。
2節、4節の「幼くて罪を知らず、胸にまくらして、むずかりては手にゆられし むかし忘れしか」。「汝(な)がために祈る母の いつまで世にあらん、とわに悔ゆる日のこぬまに、とく神にかえれ」に涙し、その母も召されて今秋で19年にもなるとは!!!

昨日は何を思って涙があふれたのか。
勿論亡き母を慕っての涙であり、わが子もまた私を想って涙する日が来るのであろうと、そのわが子を想って涙した。


@ まぼろしの影を追いて うき世にさまよい、うつろう花にさそわれゆく 汝が身のはかなさ。
(以下折り返し)春は軒の雨、秋は庭の露、母はなみだ乾くまなく、祈ると知らずや」。

B 汝が母のたのむかみの みもとには来ずや、小鳥の巣にかえるごとく、こころ安らかに。


大阪市西区に住んでおられた高見牧師は、同志社の援助により同志社大学神学部を卒業。1962年に奈良の西大和教会に赴任、按手礼を受ける。以下に説教より一部を刻む。
普通の主婦が神のことばによって変えられたと、そのことをお話したい。(戦災で家を焼け出され・・・母上の苦難の半生を語られた。)

西大和へ移った時に母を迎え入れた。(高見牧師が)初めて洗礼を授けたのは父(63歳にて召天)だった。
母は求道生活10年後、65歳にて1977年イースターに受洗。
買い物先の市場の人々から「キリストのおばあちゃん」と呼ばれて親しまれていた。妻は「キリストのおかあちゃん」と。そして、20年の教会生活後、1994年86歳にて召天。

私が言いたいのは、いろんな人生の試練を受けた人が聖書の言葉によって苦難を通り抜け、感謝と喜びの生活に導かれたということ。
神の言葉によって導かれ、神の言葉によって造り変えられたのだということを申し上げたい。

そういう母を紹介できる私は幸せだと思う。
今日は「母の日」、久しぶりに「お母ちゃん」と呼んでみたい。あ母ちゃんに会いたいなあと思う。
(ここに私は強く胸を打った。)
「お母ちゃん」、「お母さん」は、本当にいい言葉だと思う。

神の言葉は生きていて私たちに働きかけてくださる。人生を導いてくださることは真実である。

母の愛唱句は「イザヤ書」46章3・4節だった。母は聖書の中から、このみことばを探り当てたのだろう。

教会での母の証しは「またあれか」と思われるほどイザヤ書を語っていた。自分が苦難を切り開いたのではないと!


「生れ出た時から、わたしに負われ、
 胎を出た時から、わたしに持ち運ばれた者よ、
 わたし(神)に聞け。
 わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、
 白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。
 わたしは造ったゆえ、必ず負い、
 持ち運び、かつ救う」。
        
      
「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。
       (マタイによる福音書28章20節)

牧師の説教を聴き、会社のことで苦労の年月を耐えている知子のことを思った。間違いなく神さまは知子をも持ち運んで、主が来てくださり助けてくださっていることを確信した。
私もまたこの聖句で明日からのこと一切を神に委ねようと、もう一度心を新たにされ強くされた。

高見牧師が大阪出身であることは知っていたが、今改めて親しみを感じて私も大阪であることを伝えた。

「母の日」の朝、真智子と太志君から届いた慰めに満ちたメッセージに涙をボロボロ流し、礼拝で讃美歌を涙ながらに歌い、「交わりの会」のあと、私たち夫婦と牧師で語り合い、牧師の祈りに続いて私も祈りを捧げて、またしても涙の祈りとなった。

「見よ、わたし(イエス・キリスト)は世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。

この日、ユキはサッカーで知子と共に欠席した。


posted by 優子 at 22:10| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2015年05月10日

チャッピー健在、16才誕生日の前日に大逃走! ―我が家へチャッピーが来た時―

「犬の最長平均寿命を16年とするなら、犬は、人間よりもおおよそ5倍の速度」で生きており、16歳の大型犬を人間の年齢に換算すると117才、小型・中型犬に分類される柴犬は80才だ。

チャッピーは2013年夏に腎不全を告知されてから、散歩も10分〜15分の短いコースに決めている。翌年1月には足を悪くして寝たきりになった。

今年になってからは腹部の「腫瘍がはじけている」と言われ、どうしてやることもできず死を待つのみと言われた。ところが奇跡的にとても元気で、認知症が軽度(中程度か?)出ている程度だ。

ただし高齢ゆえに足はヨロヨロしており、目もよく見えていないのか、よく側道の溝に落ちたりする。夫にも端っこを歩かないように気をつけてやってほしいと何度も注意しているのだが聞き流しているので困る。

そんな16歳の誕生日前日の昨朝、いつものように夫とユキはチャッピーの散歩に出た。
その途中、下り坂を前にして夫がリードを放してしまった。すぐにチャッピーは走り出し、ユキが必死で追いかけてようやく500メートルほど走って捕まえたというのだ。 
このワンコです!このワンコが!.jpg

走り始めるとまもなく歩道から車道に出た。自動車が避けてくれたのでよかったが、勢い盛んだった頃はどんなに速く走る人でも捕まえることはできなかった。
何度逃げられたことか!!!
町中を北から南へ、東へと走るチャッピーに何時間も何度も振り回されたが、今となっては微笑ましい思い出だ。

チャッピーとの出会いは長女の説得に負けて、私にとっては突然の衝動により購入したことに始まる。私自身の心変わりが自分でも不思議でならなかったが、この日不在だった次女にとってはなおさらビックリしたことであろう。

私たちが東大阪から当地に新築移転したのは1999年4月6日だった。それから1ヶ月ほど経った5月10日にチャッピーが神戸市で生まれた。そして、8月21日にチャッピーが我が家へやってきたのである。

チャッピーが売り出されていたのは、自宅から自動車で20分ほど走ったショッピングセンターのペットショップだった。

私は「犬本体にお金を出すなんて」とボヤいたが、知子のたっての願いとあってワザワザお金を取りに帰ってまで購入したのだった。当時はまだデパート以外のクレジットカードを持たない主義だったから。

最初は姉妹二頭のメスが88000円の価格で売り出されていて、それが58000円になり、私たちが購入する前日に38000円に下げたという。
二頭はすでに生後3ヶ月経ち、柴犬の仔犬独特のかわいいぬいぐるみ状態から脱していた。

値段を下げると一頭はすぐに売れたが、もう一頭だけ売れ残っていた。それがチャッピーだった。😵
私は命を買い取るなんて奴隷のようで嫌だった。国際公認血統書付きの証書を出された時は驚いた。そんなものは全く関心もなかったからだ。

私たちは犬の飼い方も全く知らなくて、犬が年を取るなど想像もせず、命の重さの意識も殆どなく、まさに生きたおもちゃの愛玩動物という意識の低さだったと思う。


首輪を買い、鎖や散歩用のリード、餌、餌入れ、水入れを買い、小屋は後日に買った。すぐに役所へ届け出て、動物病院へも行かねばならなかった。

チャッピー、ようこそ我が家へ!.jpg

ショッピングセンターの外へ出た時、チャッピーは怖がって地面にお腹をつけて張り付いてしまった。かわいそうに! 刺激が強すぎて何もかもが怖かったのだろう。知子が抱きかかえて連れて帰って来た。

チャッピーが来た日.jpgこんなに小さかったチャッピー。

公園で放してやるとチャッピーは初めて自由を知ったように思いっきり走り続けていた。
その夜、仔犬を走らせると心臓が破裂することもあるから走らせてはならないという注意書きを読んでヒヤッとしたものだ。

何匹も犬を飼っていた夫が、犬は慣れるまでしばらく夜鳴きすると言っていたとおりチャッピーも鳴いた。

チャッピーは我慢強いと夫は感心していたが、夜中に「キューンキューン」と切ない声で鳴くので、夫は一階の部屋で網戸越しにチャッピーの近くで寝た。すると鳴きやむので二晩そうしてやっていたと思う。

チャッピーが来た頃.jpg我が家に来た頃は痩せていて毛並みも悪かった。
夫は鉄の鎖で繋げというが、こんなに小さい犬に重い鎖は肩が凝るだろうし、そんなことどうしても見てられず外してやった。

それに買った時からチャッピーはクルクルクルクル回るので、すぐに鎖が団子状になってしまい外してやるしかなかった。

庭でオシッコをするので洗剤をかけてゴシゴシ洗っていると、義母に植木が駄目になると叱られたり、箒を持ってチャッピーを追いかけていた。
仔犬時代は空き缶からサンダルまで何でもかじり、そのうち新築したばかりの家までかじる始末だったから。

あの頃、いつも母屋の玄関で椅子に座っていた義父がステッキでチャッピーを叩くので、チャッピーは怖がってストレスフルになっていた。今思うとこれも要因になっているのだろうか、今も一部の人にだけ吠え続けるチャッピーなのだ。

私は数日でチャッピーの世話に音(ね)を上げ、「お金は返してもらわなくてもいいから店に引き取ってもらおう」と言った時、「そんなことでどうする」とばかりに夫に非難され、この助言が身に沁みて即座に考え直したのだった。

家族を出迎える@.jpgチャッピーも人間と同じで若い頃は聴覚も鋭く、家の中にいても主(あるじ)の自動車が帰ってきたのを察知した。
寝そべっていても起き上がり、まもなく夫の足音がわかると立って迎えた。
家族を出迎えるA.jpg

犬の習性を全く知らなかった私はこのことにひどく感動した。




ここに引っ越してから理不尽極まりないことの連続だった。チャッピーが我が家に来てからも1年間、病床の父のところへ通っていたが、この家に帰るのが怖かった。人が怖かった。

家路につくとき恐怖で足が進まず、駅に降りてからチャッピーの存在を思い出しては勇気を得て歩き出したのだった。チャッピーがいなかったらどうなっていただろう。母と死別し、次は父の死を看取らねばならない頃のことである。

お金を取りに帰ってまでして犬を買ったのはこういうことのためだったのかと思った。そのあともずっとどんなに助けになってくれたことか。家庭が空中分解しそうな危機的な状況だったから。

チャッピーもまたどの犬よりも人間の邪悪さと悲しみを見、心的苦労を経験させられた犬だと思う。


今日は16歳のバースデー。
魚が大好きなチャッピーに、今朝は焼いた鯛の身をごはんにまぶして与えた。人間の食べ物を与えるのは何年ぶりだろう。チャッピーはいつも以上においしそうに食べた。最後の日まで穏やかな日々を過ごしてほしい。

今朝イソトマの花が一つ咲いていた。

posted by 優子 at 07:56| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2015年05月09日

全ては主の恵みの中でのこと

「打ち破る者は彼らに先だって登りゆき、彼らは門を打ち破り、これをとおって外に出て行く。彼らの王はその前に進み、主はその先頭に立たれる」。      
                  (聖書・ミカ書 2章13節)

5月7日の『BSプライムニュース』で「昭和90年の肖像C 松下幸之助信念と成長」を取り上げていたが、その中で「素直さ」を大切にしていた幸之助は性善説で生きていたのかという話題になった。

以前ならば私も同じ疑問を持ったであろう興味深い視点だが、「素直さ」と性善説というのは全く異種の範疇であり、素直さを大切にして生きる人は性善説に立つ人というわけではない。

松下幸之助は常に素直な心で他者の言うことに耳を傾けた。
それは人の善意を信じての聴き方ではなく、もっと無心に「大いなるもの」に対しての姿勢であり、そのことにより常に一番大切なものを見極め、的確な判断せんがための姿勢であったのであろう。誰に対しても素直な心で相手の弁に耳を傾けることができるのは宝だ。

私もまた「素直さ」ということを最も心がけており、そのことを高校2年生の時に強く意識づけられた。

担任の先生と話していた時のこと。
「鬱陶しいなあ」との思いが過った時に、「素直な心で聴かないといけない」と自らに言ったことを鮮明に記憶しているが、以来、感情に左右されそうになる相手であっても「素直に聴こう」との一点に立ち返り、客観的に聴くように心がけている。それが私自身の唯一とも言える好ましい点だと思う。

私の拙い経験からも、素直な心さえ失わなければ利己的でよこしまな人間にも恐れなく立ち向かうことができる。凛として立ち、聡明な知恵も与えられたことを何度も経験している。

ところで知子の獅子奮迅の努力は実り、美濃紙業の風土は大きく変わり、主要な社員はみな健全に立っている。経営改革は成功したのである。社員たち自らが異口同音に証している。

経営はやりやすくなったが業界の現実があまりにも厳しい状況である。懸命な社員たちの能力を活かすのも難しい現状だ。
常に社員の幸せを考えている知子に神の助けは尽くされたのか・・・

いや、私たちはイエス・キリストの恵みの中で闘い走っていることを忘れてはならない。すでにゴールが約束されているのだから、大いに悩むとも主の恵みの中でチャレンジすれば良いのだ。

神の御名を呼ぶ者に祝福があるように!


posted by 優子 at 23:46| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2015年05月07日

5月2日の記事追記

ユキと遊園地に行くのはこの時が初めてだった。怖がりのユキもさすがに今はメリーゴーランドにも乗れるだろうし、幼さが残るギリギリの年齢の今こそメリーゴーランドの写真を撮っておきたかった。そして、ブランコにも乗って欲しかった。

ひらパーA.jpgそれを楽しみに行き、まず目に入った「カイトフライアー」はブランコよりも怖くないからと先に奨め、遊園地に着いて初めて乗ったのがこの乗り物だった。

ところがこれもスリル満点だったという。確かにパンフレットには「スリル」の項目に入っていた。
ユキは12種ある「スリル」から6つ乗ったね。

ひらパーB.jpg
見ただけで怖くて下半身が冷やっとする。 
夫は69歳になっても昔のまま、よく乗るわ!

おじいちゃんはママが最後にのった「ぐるぐる王」も乗ろうか乗るまいかと躊躇していたけれど、「65才以上の人は利用できません」と書いてあるのを今パンフレットで見つけた。
43種のアトラクションのうち、ユキが利用したのは14箇所だけだった。

いつかこれを読んでくれるユキへ:
ユキちゃん、楽しかったね。また行きたいね。是非行こうね。歳を取ると不思議でね、乗り物に乗らなくても同じだけ楽しめるのよ。

でも、怖くないのがあれば一緒に乗りたいな。ファンダジークルーズとドルフィンパラダイスとアドベンチャーサファリとコーヒーカップ、それとパニックレーサー(ゴーカート)!

おばあちゃんね、実は子どもの時からずっとゴーカートに乗ってみたかったのに、小心者だから勇気がなくて一度も乗ったことがないの。

怖くてできないのではなくて、うまくできなかったらどうしようと思ってできなかった。ぶつかっても大丈夫だってわかっているのにやれなかった。
この5〜6年の間にもどこかで乗る機会があったように思うけれど、その時も「今こそトライしないと!」と自分を励ましたけれど勇気がなくて苦い挫折感を味わった。

人はおばあちゃんのことをそんな風には見えないと思うけれど、人って誰にも妙なことがあるものだと思う。

こんな小さなことにも勇気がいる人もいることを覚えていれば、自分とは違うタイプの人のことも理解しやすくなるし、ユキの良さをもっともっと引き出してあげられるような気がする。大切なことに気づかされてよかった。

あやめ池.jpgこれは1983年4月24日、あやめ池遊園地で。
知子は5才5ヶ月
真智子は2才10ヶ月
私はこの時すでに怖くて乗ることができなかった。
若い時は今ほど恐れを知らなかったのだろう。こんな小さな子をよく乗せたものだ。しかも股の間には何もガードするものがなくて、幼児が落ちる事故はなかったのだろうか。

1983.4.24あやめ池.jpg
夫は今もこの時のままで、ユキとの写真を見ると錯覚しそう。

ひらかたパーク1984.6.3.jpg
これは1984年6月3日。
ということはマチがまもなく4才で、知子は6才6ヶ月。
アルバムには「今年もひらかたパークに」と記されていた。


posted by 優子 at 17:12| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2015年05月06日

たんぽぽの一生

かわいい花、野生のポピーがたくさん咲いていた。
辻甚の帰りに.jpg

この花は父の悲しみにつながり、私には人生の悲哀を感じさせる花だが、懐かしさと愛しさを感じる花だ。

この花を初めて知ったのは2000年だったと思う。
1999年4月に当地に引っ越してからも、1年7ヶ月病床の父のもとへ通っていた。週に2回しか訪ねてあげなかったのに、いつもたった2時間しか居てやらなかったのに、いつも疲れきって病院を出た。

ある日の帰り、駅のプラットホームの後ろの空き地に咲いていたこの花に眼が止まり、以来、いつも見ていた懐かしい花だ。あの日もそよ風に揺れていた。
野の花@.jpg
美しい野の花々・・・
野の花C.jpg

野の花D.jpg

野に咲く花々も一つひとつ個性的で、何て繊細で完全に創られているのだろう。21世紀の知識の限りを尽くしても、人は花の一つさえ決して作り出すことはできない。

野の花F.jpg 

先日、ユキが音読していた国語の教科書で「たんぽぽ」の不思議を知った。 
たんぽぽの花は2、3日たつとしぼんで、だんだん黒っぽい色に変わっていき、花の軸はぐったりと地面に倒れてしまう。そのあとが感動的だ。

野の花E.jpg「けれども、たんぽぽは、かれてしまったのではありません。
花とじくをしずかに休ませて、たねに、たくさんのえいようをおくっているのです。
こうして、たんぽぽは、たねをどんどん太らせるのです。

やがて、花はすっかりかれて、そのあとに、白いわた毛ができてきます。このわた毛の一つ一つは、ひろがると、ちょうどらっかさんのようになります。(略)

このころになると、それまでたおれていた花のじくが、またおき上がります。そうして、せのびをするように、ぐんぐんのびていきます」。
(後略)

野の花A.jpg

これを知った瞬間、晩年の両親のことを想い、そして、死を間近にした時の自分自身を想像し、その時私はわが子に何を教えてやれるだろうか、何を遺してやれるだろうかと思った。

初夏の陽射しに輝くたんぽぽは、まもなく綿毛の落下傘をいっぱいに開いて飛んで行くことだろう。

昨日は家族でささやかなランチに出かけた。冒頭のポピーの写真はその帰りに撮ったものだ。

そしてゴールデンウィーク最終日の今日は、引き出し式の衣装ケースを4つ買ってきて午後から2階の押入れの整理を始めた。無意識の死の予感がそうさせるのだろうか・・・

ここに居を移して16年も経って、よく今まで収納といえないような不便な生活をしていたものだと思う。
知子の冬の寝具の片付けも完了した。右肩関節損傷による腕の不自由を機に季節物の入れ替えを娘に引き継げた。腕の痛みで常に右肩が大変な肩こりで骨格が歪んでしまうのではないかと思う。

太志君のミッションも半分過ぎた。仲睦まじい次女夫婦は良き人生を築き上げている。知子もまた神の恵みの中で心を尽くして良き日々を重ねている。そのことが私を元気づける。


マタイによる福音書6章25節〜34節:
それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。

空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。

あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。

しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。

だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。

まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。


posted by 優子 at 18:20| 随想 | 更新情報をチェックする

2015年05月04日

花の神秘

慰めのアヤメ.jpgこれは「2010.4 知子の足あと ―慰めのアヤメ―」に記したアヤメだ。
今年も初夏を告げている。


ジャスミンの花.jpgそしてこれは、昨日教会でいただいたジャスミンの花。
毎週講壇に飾られる花は、教会員のご自宅の庭に咲く花を活けてくださっている。今は牧師不在のため帰る時にみなさんに分けてくださる。昨日は私もピンクのカスミ草(?)といただいた。
花の形も全く知らなかった私はジャスミンの香りに包まれて、生まれて初めて知った感動にしばし浸っていた。

花の美しさは神秘でしかない。
花はどこから来てどこへ行くのだろう。

昨朝の大沢牧師の説教・「ただ主の愛によって」が心に充満してくる。
「日本においてはキリスト者は1%にも満たないマイノリティであるが、その使命はどこにあるのかを考え、神さまの強い思いに抱かれて、神さまの我々への思いを探りつつ見出しつつ歩んでいきたい」。

この日、子どもの礼拝で歌った讃美歌は何て懐かしかったことだろう。今も知子と真智子が声が脳裏にあり歌っている表情も鮮明だ。声はテープにも残っている。
「こどもをまねく 友はどなた
 こどものすきな イエスさまよ
 ホサナとうたえ ホサナとうたえ
 こどものすきな イエスさまを」

※「ホサナ」とはヘブライ語で「今、救いだしてください」の意味。

昨日は68周年の教会創立記念礼拝を捧げ、総会のあと家族は先に帰り、私は役員会に残って夕方帰宅した。
私に与えられている役割をしっかり自覚し、今週も主の愛に守られて歩んでいきたい。

posted by 優子 at 23:59| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2015年05月02日

7才9ヶ月にして初めて遊園地の乗り物に乗った!

007.jpg

今年のゴールデンウィークもどこへ連れて行ってやるでもなく、それではユキがかわいそうだからと今日は家族で「ひらかたパーク」へ行った。

私たち夫婦にとっては何年ぶりのことだろう。私の子供時代にも何度も連れて行ってもらい、子育て中も何度も行った「枚方パーク」。ユキも2度目だが、乗り物に乗ったのは今日が生まれて初めての記念すべき日になった。

幼きユキの思い出の汽車ポッポ.jpg2011年の4月末、次女夫婦が経済学ph.D(博士号)取得の授与式に出るべく私たち夫婦は渡米した。
その留守中に知子がユキを連れて行ったのだが、3才10ヶ月のユキは筋金入りの「固まる君」で、コーヒーカップやメリーゴーランドさえ怖くて乗れず、唯一乗ったのは傍らにあったこれだけだった。

1才2ヶ月の時に生駒山遊園地へ行ったのを初回とすれば今回で3回目になるが、メリーゴーランドやコースターなど乗り物に乗ったのは7才9ヶ月の今回が初めてのことだった。

それでもユキは緊張してどんなに勇気を振り絞って乗っていたことだろう。
ところがいつしか人並みにエンジョイして、12時前に遊園地に入園して出たのは夕刻6時すぎになり予想外の一日だった。

枚方パークA.jpg動き出すと表情が変わった。
知子曰く、
「ユキは究極に怖がると表情は凍りつき無言で固まってしまう」。
それでも最後に再度乗ったのにはビックリ。しかし、再び固まっていたとのこと。わーい(嬉しい顔)

枚方パークA (2).jpg
これは「オクトパスパニック」。

枚方パークB.jpgお化け屋敷から出てきたところ。
ユキはニコニコしているが怖くてずっと目を閉じていたそうだ。
お風呂前に泣き出しそうになっているので一緒に祈り、寝る前にもママとお祈りした。いつもより大きな声で「アーメン」と唱和して直後に爆睡したそうだ。


枚方パークC.jpg
生まれて初めてのメリーゴーランド。

これが一番楽しそう!.jpgこれが一番楽しかったみたい。
すごくリラックスして乗っている。







枚方パークD.jpgこれは「木製コースター・エルフ」。写真の最終尾に乗っている。
知子曰く、「これが一番怖かった。ジェットコースターの3倍怖かった」。
降りてきたユキは「頭がガンガン痛い」と言い、これに凝りて、どんなに誘ってもジェットコースターには乗らなかった。

枚方パークE.jpg
これは「サイクルモノレール」。

そして、「絶叫の滝・バッシュ」
これも怖かったそうだ。ユキは無言で固まっていた。
枚方パークF.jpg

枚方パークH.jpg1回目はおじいちゃんと、2回目はママと乗った観覧車。


枚方パークI.jpg

枚方パークK.jpg 

枚方パークL.jpg
これは「あたま系アスレチック・ヤッテミ〜ナ」だって。

枚方パークM.jpg私もこれならば怖くないだろうと右手をかばいつつ乗った「ころっとろっこ」。
ところがどっこい、1分間も乗るかどうかの短い1周なのに怖くて絶叫した。
係員の若者たちは、こんなもので十分楽しんでくれたとばかりに微笑ましく私を見る視線が嬉しかった。置いてあった飴を一ついただくと「叫んでくれて、ありがとう」と書いてあった。わーい(嬉しい顔)

30代の頃にはすっかり怖がりになってしまった私だが、大学1年生の春に開幕した万博エキスポランドのジェットコースター・「ダイダラザウルス」の迫力が面白くて、友と一緒に何度も並んで乗っていたのだが、あれはもう45年も前のことだ。

枚方パークN.jpg
おじいちゃんと「くるくるヘリコプター」。

枚方パークO.jpg知子がユキにジェットコースターに乗ろうと何度誘っても乗らなくて、知子は一人で乗りに行った。
それに触発されたのかママを待っている間に、勇気を出しておチビ用の「まじかるジャンピン」に乗った。
このあと知子は続けてもう一度ジェットコースターに乗った。

ジェットコースター.jpg

そして最後に「ぐるぐる王」、これがいけなかった。
知子は手を上げて余裕を見せているが、
車酔い状態になってしまった。
枚方パークP.jpg

枚方パークG.jpgそして遊園地をあとに家路についたのだが、「からくりやしき・摩訶不思議堂」の前にあったこの水道。どこかで同じものを見たことがあるのだがどこで見たのか思い出せない。
これどうなってるの? 
どうして水が出るのだろう。


私は遊園地で若い親子連れを見ても殆ど心を痛むことはなかった。知子とユキは神の庇護のもとで強く生きていくことだろう。

知子とユキが乗り物に乗っているのを待ちながら夫とベンチで座っていた時、私は小学生だった知子と真智子の思い出の中にそうっと入っていった。すると知子と真智子が動き出すのだ。

2人はエキスポランドの「風神雷神」(ジェットコースター)に何度も乗っていて、娘たちのはしゃぐ声と姿が鮮明によみがえり錯覚しそうになった。
現実の周囲の人の声や雑音も心地よく、いつまでも何時間でもその中でじっとしていたかった。


3000円のフリーパスは2倍以上分も有効に使って大満足。
今日の枚方(ひらかた)の最高気温は31.9度で真夏日になっていた。

自動車事故や乗り物の事故もなく無事に帰宅出来たことを感謝しつつ、今日の思い出を知子とユキに残してやりたくて刻んだ。私たちも本当に楽しかった。ありがとう!

posted by 優子 at 23:59| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2015年05月01日

怪我7週間目の今日、冬の寝具を直せたよ!

今年はひときわ寒い冬でいつまでも寒い春だったが、いつしか冬の衣類や寝具を夏用に替える季節になった。
3月13日に大怪我をして今日でちょうど7週間目だ。当初はどうなることかと思ったが、よく骨折しなかったものだと冷たいものが背筋を走る。

タイムリーにも絶妙なる神の助けにより、『メメントドミニ』を愛読してくださっているM姉(しまい。クリスチャン女性)とアメリカ経由でお知り合いになった早々に、シドニーで開業されている娘婿の理学療法士さんに尋ねてくださってアドバイスをいただいた。

そのことでどんなに落ち着きを取り戻せたことか! 
改めて感謝しつつ助言を読み直そう。

@痛みは6週間くらい続くのではないかと思われる。今は一番不安なときではないか。

A腱が切れているのであれば医者の言うとおり、切れた腱は元に戻らない。
切れた腱のまわりの筋肉を強化することで切れた腱を補うことができる。もし手術が必要な場合もその筋肉強化のためのリハビリは同様に必要である。

B筋肉がサポートしない限り腕が吊り下げられているような状態のままである。

C6週間は痛むので痛みがひどいときは消炎剤や鎮痛剤で痛みを抑える。

D痛みのレベルが10まであるとしたら4くらいのレベルまでは筋トレをして腱のまわりの筋肉を少しづつ強くする。

Eお風呂であたためて痛みが少ないときに自分でできる筋トレ(リハビリ)
 イ.両手を組み合わせて上にあげていく
 ロ.壁にむかって横向きに立ち手を壁につける。指で壁をこちょこちょとするようにして上にあげていく。
 ハ.立って足を開き、90度腰を曲げ、手をふりこのように、あるいは時計回りのように動かす。

F快復には半年から1年かかると思われる。

G整形外科の理学療法士についてリハビリするのがよい。
 ただし電器は気休めに過ぎない。

「自分でできる筋トレ」については写真を撮ったり家事を通してできているが、「手を振り子のように、あるいは時計回りのように動かす」というのは痛そうなので忘れていた。

歩く時も右腕をショルダーバッグの上にのせたり、バッグがない時は腕をズボンのウエスト部分にひっかけたり、あるいは、腕を直角に曲げて脇にピッタリひっつけて痛くないように工夫している。腕が左に振る時に痛むが明日から少しずつ始めなくては。

おかげさまで6週目を迎える頃からできることが増えてきている。
そして、今日は怪我以来初めて2階の掃除に挑戦した。
しかも、電気毛布を取り除いてアクリルの毛布から綿のシーツに交換し、羽毛布団のカバーをめくって洗って干して、布団も干して、再びカバーをかけて直すことができたのだ!!! 

かさ高い冬布団から夏布団にかわった時の爽やかさは、何度経験しても飽きない主婦の喜びだ。

痛みに耐えながらの作業なので、いつものようにテキパキできず時間はかかったものの、ほこりのはらい方もいつもの9割以上のできばえだったことには驚いた。


そのあとも続けて掃除をし終えることができた。2時間余りの作業をこなせたのである。きっと今夜は腕と肩が疼くと思ったが今のところ平気だ。
それにしてもこんなにできるようになるとは思わなかった。昨日も痛くて気持ちが落ち込むことも度々だったので嬉しくてならない。

しかし今はまた、寝具の入れ替えができたとは信じられないほど腕が動かない。少しでも動かすと痛い。でももう落ち込まないようにしなくては。

2週間前の受診では、腕が少し動き出したから理学療法士さんのリハビリは必要ないと言われて、リハビリもまた不安でストレスになっていたので「良かった」と安堵したものだが、やはりもう一度申し出よう。

私も頑張らなくては!
M姉は4月から1年間、「ベテラン教師」という立場で中学校の教壇に立っておられるのだから! 今頃ゴールデンウィークに入ってホッと一息ついておられることだろう。

祈ってくださっているお一人おひとりに感謝をこめて経過報告も兼ねて記録した。

ただいま衣替え進行中.jpg4月22日のチャッピー。
今年も「ひつじ顔」から始まった衣替え。

只今衣替え中.jpg 
そして現在の状況。
まもなく16歳の誕生日を迎える。

posted by 優子 at 23:53| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする