2015年06月28日

7月末にマチ・クマ1年ぶりの帰国

テレビで国際的なニュース映像が映ると、「この中にマチが居りそう」と真智子をさがすユキ。私は「まだそこまでビッグではないから」と笑う。

IMFといえば、今、ギリシャの債務不履行を懸念して連日報道している。次女夫婦ともにギリシャは担当国ではないが、常に次から次へと仕事が入って夫婦共に多忙だ。

それに加えて夫婦共著の論文がジャーナルに取り上げられること。(このビッグニュースはまだオフレコにしておかねばならなかったかも知れない。)そこで1〜2ヶ月前(?)から掲載前の仕上げで平日夜も休日もずっと詰めているので体力的に疲れ気味だった。

そんな次女夫婦ゆえになかなかスカイプする時間もとれず、ようやく今朝1時間半近く互いの近況を交わした。
1年ぶりの帰国まであと1ヶ月。7月30日の夜に帰宅し、8月17日の早朝に家を出て帰米する。その間に盆休みも入るので父親や姉との時間もとれる。

ユキにマチ・クマが16日間滞在することを話すと、「おっしゃー!(「よっしゃー」の派生語か)」と大喜び。

「フー(娘婿)がウィーを持ってくると言ってたよ」と言うと、またまた大喜びして、しばらく遠のいていた「妖怪ウォッチ」の「ダンソン! フィーザキー! トゥーザティーサーザコンサー」(?)を踊り出した。
さすがのマチ・クマも、この奇妙な現象は知らないだろうから実演をお楽しみに!

私は2人にユキの学習係りをやってもらえると大喜び。理解力に欠けるユキの頭脳を鍛えてやってほしい。
算数では繰り上がりや繰り下がりの筆算が終わり、「長さ」に入って「○○cm○○mm+○○mm」の計算が先週末の宿題プリントに出ていたのだが、例題をやったあとなのに理解できないので〜〜〜す。ヨロシク!

散歩道でJ.jpgではこの記事の最後に、今夕、ユキたちの散歩に同行して撮ってきた季節の便りをどうぞ!
今日のユキと父上です。


散歩道で@.jpg

散歩道でA.jpg
時計草
散歩道でB.jpg
この時期に一番たくさん見かける鳥は燕。
頭の上をスーイスイと飛ぶので下から撮りたいのだけれど、「撮り鉄」より至難だ。


散歩道でH.jpg
栗の赤ちゃん、緑が美しいでしょ。

散歩道でI.jpg
そして、ひまわり!
どう? 素敵なのが撮れたでしょう!
花の真ん中が黒くなっていないから気に入って、早速デスクトップの背景に設定したよ。

さて明日からはサボってばかりはいられない。
8月2週目の聖日礼拝の信徒説教に立たせていただくことになっているので、マチたちが帰国するまでに準備完了しておかねばならない。

昨日までは遠藤周作の文学作品を取り上げて「罪」の問題を話そうと思っていたが、愛唱聖句を前提にもっと個人的な証をさせていただこうと思う。その時はマチ・クマもいるね。


アガパンサス.jpg
これは裏庭のアガパンサス。
アガパンサス(Agapanthus)はギリシャ語の" agape "(アガペー・神の愛)からつけられた名前だと妹から教えてもらった。そこに" anthos "(アントス・花)をつけて命名された。

帰国早々の第1週目8月2日は「平和聖日礼拝」、アメリカへ戻る前日の礼拝にも出席できると思うので、今年は家族にとって忘れられない8月になるに違いない。感謝!

聖歌392番を贈ります。ここをクリック!

「神は独り子を たまうほどに 世人(よびと)を愛したもう 神は愛なり。あゝ神は愛なり 汚れ果てし 我さえ愛したもう 神は愛なり

罪ゆるさんために 我にかわり イェスきみ十字架に 死にたまえり。あゝ神は愛なり けがれはてし 我さえ愛したもう 神は愛なり

いざ とく(すぐに)来りて 神の愛に 汝身をゆだねよ 救わるべし。あゝ神は愛なり けがれはてし 我さえ愛したもう 神は愛なり」。


posted by 優子 at 23:29| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2015年06月27日

日没寸前の虹

知子と厳しい話をしていた時、夫が二上山に虹を見つけた。日没寸前の虹。私とユキは手が手にカメラを持って2階へ駆け上がった。

まさに絶妙なるタイミングで虹を見つけたものだ。神さまからの希望と祝福を感じた。私への、いや、何よりも夫への神さまからのメッセージだと思った。

日没寸前の虹.jpg
午後7時2分。虹は希望のしるし。

「わたし(神)は雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる」。

虹といえばすぐに唇を突いて出るのが創世記9章12節〜15節に記されている大洪水のあとの虹だ。

歩み方が間違っていないかどうかは神への感謝があるかないかでわかる。
病気の急性期と同様に人生途上で起こってくる様々な出来事の場合も、必死になって立ち向かっている時期を越えてのち、その本質と向き合っていかねばならない。

その場合もただ対峙すればよいというものではなく、自らが依って立つスタンスが大切であり、スタンスが間違っていると全てが歪んでいく。

それは洋裁の製図を描く場合と同じだ。物差しを真上から見てしるしをつけなければ、デザインによっては2ミリの誤差が出来上がった時には8ミリも大きなものになってしまうからだ。

私たちは健闘しながらもスタンスを歪めていく場合も多分にあるゆえに、そのことを心にとめて常に素直な心を保持して最善に導かれていきたいものである。


町づくりフェスタ@.jpg今日は近くの保育園で「町づくり」フェスタがあり、私たち夫婦も昼食を済ませて閉会1時間半前から出かけた。目当ては移動動物園だ。

私は4年前に続いて2度目だが、夫は初めての移動動物園見学だ。ところがすでに動物たちは片付け始められており、ラマもヤギやアヒルなど私が一番見たかったのは自動車の中に運ばれたあとだった。

町づくりフェスタA.jpgでもこれは今回が初めて!
片付けられる前にと気ぜわしくて名前をメモするのも忘れてしまったけれど、こんな近くでフクロウを見たのは初めてだ。
ユキよりもはるかに私のほうがエンジョイしていた。

町づくりフェスタB.jpgポニーもあの時のポニーだ。






4年前のユキはかわいかったね。
まもなく4歳の時@.jpg




町づくりフェスタC.jpgこれもそう。
小さい時はなんてかわいかったんだろう。
もうすぐ4歳の時A.jpg





町づくりフェスタD.jpgでも、こんなに大きくなった! こんなに逞(たくま)しくなった!

もうすぐ4歳の時B.jpg






来月8歳になるユキと、3歳10ヶ月のユキ。

今日は4年前と違って学校のお友達と走り回って遊んでいた。

最近のユキは嬉しいことを先取りさせてもらっても約束を守ることができなくて、毎日毎日怒ってばかりで楽しくない。これも成長のプロセスだとわかっていても、忍耐強さに欠けて毎日苦い思いを繰り返している。

posted by 優子 at 22:13| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2015年06月26日

沖縄の叫びは私たちの叫びだ!

昨夜24時「BS朝日」のドキュメンタリ―番組・『19歳が見た沖縄の戦い 〜悲劇! 封印された島民の叫び〜』を観て、沖縄の人々の理不尽極まりない事実の一端を知った。

沖縄の人々の土地と人権を蹂躙され続けていることに改めて耐え難い憤りを感じ、これまでの自らの無関心さがことごとく恥ずかしく、罪意識よりも先に感じた正直な気持ちだ。

私に自由な時間が許されるならば、1ヶ月間であれ沖縄に滞在して一緒に戦いたいと思った。このような気持ちになったのは初めてだ。私に与えられている残りの時間を沖縄のために、平和のために用いたいと思った。


これを機に『沖縄タイムス』を「お気に入り」に追加したのだが、同25日の自民改憲派の勉強会で、百田氏が「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」と発言したとは由々しき問題だ。百田氏はいったいいつの時代の人間なんだろう。

さすがに政権内からも、「我々は政権の側にいる。言論の弾圧と受け取られかねないようなことは心していかねばならない」(石破茂地方創生担当相)、「報道の自由を脅かすようなことは適当ではない」(宮沢洋一経済産業相)、「政治に関わる者としては言論、報道の自由はしっかり尊重すべきだ」(公明党の井上義久幹事長)などの批判の声が出ているが、これを機に彼らも党派の自浄作用を働かせるべきだ。

沖縄はいまだ「戦後」でさえなかった。沖縄を基地から解放すべきだ。基地が必要ならば沖縄を除外した全国で分担すべきだ。

同じ敗戦国のイタリアやドイツにも米国は米軍基地を置いているが、2国とも圧倒的に自国の権利を優先した地位協定に改定されている。主権はドイツやイタリアにあり、米国がドイツやイタリアにお伺いを立て、それに生じた費用も米国が払うのである。何たる違い! 日本の場合とは全く違う。

沖縄を基地から解放すべきだ。基地が必要ならば全国で分担すべきだ。沖縄を除外した他府県で負担すべきだ。

沖縄では6月23日は「慰霊の日」で学校も会社も休日になっている。この日の式典で安倍氏への罵声が聞こえたが、以下はこの日のことを報じた『沖縄タイムス』より転載したものである。

首相に罵声 欧米メディアはどう報じたか
(沖縄タイムス:2015年6月26日 07:43配信より)

【平安名純代・米国特約記者】欧米メディアは23日、慰霊の日に開かれた沖縄全戦没者追悼式で登壇した安倍晋三首相に対し、辺野古移設を強行する政府への沖縄の怒りが拡大していることを理由に会場から罵声が浴びせられるなど、日本の公式行事では異例の展開となったなどと報じた。

米紙ワシントン・ポスト(電子版)はAP通信の記事を掲載。ケネディ米大使らも参列した戦後70年目となった記念式典で、登壇する安倍首相に向かって会場から「帰れ」などの罵声が浴びせられたと指摘。

ニューヨーク・タイムズ紙もロイター通信の「日本の安倍首相、沖縄戦式典でやじを受ける」と題した記事を掲載し、「日本の首相が公式の場で嘲笑されるのはまれ」だと指摘した。

フランス通信はこうした罵声を「戦後70周年で緊張が表面化」と米軍の駐留継続に対する怒りが、沖縄で拡大していると分析した。

英紙ガーディアンは、戦後も不平等な基地負担の歴史を歩んできた沖縄に、辺野古移設を強いる安倍政権への怒りが拡大しているなどと指摘。「日本の平和憲法の再解釈を試み、支持率が低迷している安倍首相に向かって『帰れ』『戦争屋』などの叫びが向けられた」などと報じた。

現政権の軌道を逸した異様さはまだまだあり、日本で軍の展示商談会が開かれていた。これはいよいよただ事ではない。

まさかもう平和ボケ状態の人はいないであろうが、みんな目を覚まして阻止しないと取り返しがつかないことになる。日本人は現実を直視して想像力を働かせるべきだ。すぐそこまで軍靴の音が近づいている。

posted by 優子 at 18:18| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年06月22日

我が町の小さな" wild life "

この春先までいたブラックバスの住まい(衣装ケースを提供)は、一昨日よりザリガニの住まいになった。

バンザイしてる!.jpgユキの名表現を借りて「バンザイしている」のが雄で、右端の雄よりも小ぶりなが雌だ。
このほかに体長1センチほどの赤ちゃんザリガニが5〜6匹いる。

私がJCP例会に行っていた先週の土曜日、ユキは祖父と2度もザリガニを取りに行ってきたのに、夕方にママにも連れて行ってもらって3度も行ってきたという。
おかげで雌ザリガニに雌ザリガニが加わり、赤ちゃんもたくさんいてザリガニ家族ができたと大喜び。

そして昨夜にこんな名文を書いた。句点や改行がないので読みにくいが、ユキの心の動きと感動がいっぱい詰まっている文章に感動し、ここに記録した。

ユキの感動.jpg

今日も学校から帰ってくると「おばあちゃん、今日遊んでもいい?」と聞く。「いいよー」と快諾すると、こちらから一言も指示しなくても自ら宿題に着手。おやつにも目をやらず、その集中力はすごい。宿題のプリントは私が見直してやる方が時間がかかっていたかと思うほどだ。

しかし、毎晩夕刻7時前後から睡魔に襲われるのが難題だ。これでは幼稚園児のようで、会社から帰宅した知子は休憩なしで夕食をすませて8時前からお風呂に入るために大変だ。浴室から呼ばれるまでの短い間もユキを起こし続けねばならないのはかなわない。しかも夕食のかたづけも私一人でしなければならないから。ちっ(怒った顔)

健全そのもの!.jpg夏期間の門限は5時半。今日は隣家へ回覧板を届けてから公園へ向かった。いつものようにグローブとボールを持って。
「飛び出さないようにね!」

しばらく公園で遊ぶと、自宅前でお友達とキャッチボールし、そしてまた公園で遊ぶのがお決まりのパターンだ。今日はキャッチボールの前にザリガニと足が出てきたオタマジャクシを見せていた。
足が出てきたオタマジャクシ.jpg

オタマジャクシ紹介中.jpg私の子育て時代は女の子がかわいいと思っていたが、ユキと生活するようになってから俄然男の子がかわいく見える。

この地へ引っ越してきた頃にも小学生がザリガニを取っていた。あれから16年。その子たちはもう大人になったんだなあと思うと、今のユキを脳裏の髄まで焼き付けたい。

「父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい」。 (エペソ人への手紙 1章4節)
「父の日」にちなんだ御言葉が心に響く。

大きな青虫をくわえた雀.jpgこれは昨日の夕方に出会った雀。
いつもはすばしっこくて写真を撮らせてくれないのに、大きな青虫をくわえて喉がつまりそうな様子だった。我が家周辺にも小さな " wild life " がいっぱいだ。

6月24日追記:上記翌日の23日には前後の足が出てきたオタマジャクシ(カエルの顔になりつつある)を、24日は赤ちゃんのザリガニを学校へ持って行った。
昨日から七色(虹色だったか?)トカゲを捕まえたくて昨日今日の夕方に付き合わされている。

posted by 優子 at 18:15| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2015年06月20日

大田正紀先生と東牧師との恵みの時 ― 日本クリスチャン・ペンクラブ関西ブロック例会 ―

日本クリスチャン・ペンクラブ関西ブロックの6月と11月の例会は、毎年千里ニュータウン教会が会場になっている。
私は昨秋の例会時より阪急南千里駅からバスに乗らないで徒歩で行く。バスで3駅なので徒歩でも15分ほどしか歩かない。駅から教会まで30分足らずだから全然疲れない距離だ。

6月の千里ニュータウン.jpg

昨秋、黄金に色づいていたイチョウは新しい命に溢れていた。木々の少ない大阪だが千里(万博会場周辺)は緑が豊かだ。今はまだ静まり返っていたが、梅雨が明けると蝉の声で賑やかなことだろう。私は夏の様子を思い浮かべながら歩いた。

東 道男牧師.jpg千里ニュータウン教会の東(あずま)道男牧師は関西学院大学卒業後、戦後唯一日本に残った神学校(現在の東京神学大学の前身)の最初の卒業生で、牧師歴70年。御年94歳だ。

お元気そうでよかった。実はずっと心配していたので、いつものように玄関でお迎えくださって本当に嬉しかった。

今日は「サタン転落」と題して、ルカによる福音書10章17〜20節からメッセージを賜った。
「わたし(イエス・キリスト)はサタンが電光のように天から落ちるのを見た。わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた」。(18・19節)

悪魔学・Demonologyの話の中で、「神の摂理にも限界がある」と言われたのは衝撃だった。「私たちはいつも何かにこだわっているが、こだわりを捨て、絶えずみことばにを学び、信仰から逸脱しないように」。

そして、大田正紀先生のおかげんも心配していたので師との再会を心から感謝した。今日は島尾敏雄について3種類の研究論文を配布して講演してくださった。いつもクリスチャン文学者としての鋭い視点と深い信仰に感じ入るばかりだ。

▼ 島尾は神さまから見つめられることを十分意識している。
彼の文学をよく考えてみると、神さまは私(島尾自身)のことを試みている。また逆に、私が神さまを試みているような悪魔的な心があるように思う。

▼ 加計呂麻(かけろま)島や奄美大島は家の宗教としてカトリックを受け入れ、5000人の信徒を持つようになった。これは日本でキリスト教が受け入れられた唯一の例ではないか。


資料の『奄美のカトリック教会略史と島尾敏夫』は、ご自身が編纂されたどこにもない貴重な資料であり、『南島のカトリック宣教と島尾敏雄』を帰りの電車で読んでいたが、どれも机の前で読むべき内容だ。

出席者たちの発表文章の相互講評も熱が入った。戦後70年を記念して、テーマは戦時中のことや戦争・平和について書き溜めている。

私は主イエス・キリストの言葉、「剣をとる者はみな、剣で滅びる。」と題する文章を発表した。
朗読を終えた直後、「これを安倍さんに送ったらいいな」との声。「教区委員会などではよくするけれど、クリスチャン・ペンクラブではしないけどね」とも言われ、それに続いて、「送るなら私も署名するよ!」との声があがったのは嬉しかった。

みなさんは日本の危機を感じて何かをしなければとの思いがあり、「断食して祈ろうか!」との声まであがって本題から逸れかけたほどだった。

また、長いクリスチャン生活の者には今更聞けない質問も出て非常に興味深く聴いた。
聖書に戦争はいけないという教えはあるのか? 
正しい戦争ってあるのか?!


東牧師は即座に答えてくださったので、隣の方と目と目を合わせて感服した。
「第2イザヤ」と呼ばれているイザヤ書24章から27章は、エズラ、ネヘミヤの時代に書かれたもので「イザヤ黙示録」と言われているところだが、ここで全面的に戦争を否定し、平和を謳いあげている。

千里ニュータウン教会.jpg帰りはいつものように自動車で大津まで帰られるHa兄(「きょうだい」・男性クリスチャン)に南千里駅まで送っていただいた。

兵庫県に帰る人、京都、大阪、そして、奈良と、近畿各地に帰る私達を乗せた自動車は、東牧師に見送られて教会をあとにした。
東先生はお元気だったが、ますます細くなられたように見えた。また会う日まで神の守りがありますように、ご高齢の牧師ご夫妻のことを神に託した。

なお、8月の中部ブロックとの合同研修会は準備の時間不足で成らず。次回の例会は9月19日、会場は大津教会に移る。

附記:今日は西大和教会主催の馬見労祷教会との合同交流会(会場は「豆山の郷(さと)」)と重なった。私はその世話役であったにもかかわらず、心ならずも例会を優先させていただき欠席した。
10時過ぎに家を出た時からたびたび時計を見ながら祝福を祈っていた。私は夜8時に帰宅。あちらでも神さまの祝福の中に在ったことであろう。

▼ この記事より「ウィンドウズ8.1」を使用。「7」は購入してちょうど5年だからもう寿命なのか、「ブーン」と音が高くすぐにパソコンが熱くなり、ついに昨日は2度もパソコン自ら「バシッ」と音を立てて強制終了したため。
「8.1」でも何とか写真をインストールすることができた。ペイント方法は「7」と全く同じだった。


posted by 優子 at 23:56| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2015年06月18日

ユキを案じてスクールカウンセラーを訪ねる

私は次女が幼稚園に通い始めた頃に読んだ『子どもの成長と母子(おやこ)関係』(玉谷直美著)から、子育てだけではなく、その後の私自身の生き方を決定づけるほど大きな影響を受けた。

つまり、親は自分の夢を子どもに背負わせないようにしないと、子どもは親の欲望という重荷でつぶされてしまう。自分の実現できなかった人生を我が子に押し付けてはならないという、このことだけは母親として合格点だったように思う。

孫息子のユキに対してもこの考え方で接しているのは言うまでもないことだが、先月はガミガミ怒ってばかりでブログに現れている自画像とあまりにも乖離している自分に自己嫌悪の日々が続いた。
ユキの記事についてもそうだ。しかし虚構ではなく、どこにも創作の手など入れていない。


ユキとの関わり方を変えた2週間ほど前から少々様子が変わってきたことを前置きしておかねばならないが、ユキは相変わらず遊んだあとは今も出しっぱなし、帰ってきても給食袋はランドセルにぶら下げたまま。

2年生になってからは宿題さえ集中できず気が散る始末で、外出禁止令を申しわたしても約束を守らないで、学校から帰ってくるなり「ただいまー! おばあちゃん、今日、4時から公園で○○君と○○君と約束したから遊びに行ってもいい?」と言ってくる。何度注意されても全く改善なし。

私は会社から疲れて帰宅する知子に訴えるものだから、知子もまた「今日はいい子だったのだろうか」と帰宅するのも新たな負荷をかけていた。

しかも先月はどうしようもなくて2日続けて「ママに聞きなさい!」と会社へ電話させたこともあった。携帯電話にすればよかったが、私は携帯電話を持たないのでその発想がなく迷惑をかけた。
知子もユキを怒る。2人からの猛攻撃を受けるユキ。これではいけないと思いつつもそんな日々を繰り返していた。

このように3人が3人とも不愉快でイライラが募る日々であるのに、ユキは毎朝驚くほどケロッとして「行ってきまーす!」と何度も振り返って手を振り、私たちも気持ちよく「行ってらっしゃーい!」と姿が見えなくなるまで見送る。朝は良くても夕方以後はダメだった。

私は悔い改めたいと願っても自身の弱さに負ける。そこで5月最終週から私の心身状態に余裕がない時は2階へ上がり距離を置くことにした。知子もまた宿題以外の僅かな自宅学習も本人の自由にさせた。勿論全くやってはいない。

ある時、母親にプラレールを片付けないことで怒られているのに、怒られている最中にプラレールで遊び出すので、ユキはどこかに障がいがあるのかもしれないと悩み始めた。

そのことと、どうすればメリハリをつけられるのかを聞きたくて、知子はスクールカウンセラーとの懇談を申込み、16日の朝に学校へ出向いたのであった。


結論は、ユキは健全そのもので、2〜3週間前からのやり方が300点満点だった!

「統計があるわけではないが女子は自立が早く男子は遅い」と、性差が認められるようだ。私も娘たちが小学生時代の懇談会で、どの先生も女の子はしっかりしていると話しておられたことを思い出していた。

しかし、母親が本気で怒っている最中に遊び出すことを話すと、さすがにカウンセラーも聞き流さずに、「それ以外の兆候はあるか。乳幼児健診で引っかかったことはないか」と尋ねられたというが、他にはないのでこれも正常範囲だった。

▼「この年齢は何をおいても自分のやりたいことをやりとおす時期であり、反対にこの年齢で自己抑制できたりメリハリつけていたらおかしく、そういう子は大きくなってから問題が出てくる」。

▼ 「優先順位をつけられるようになるには小学校4年生になるまでダメで、百万回言ってもダメ」。

▼ 「基本に深い愛情の中で育っているので、これからは助けるのか、あるいは手や口を出さずにするのか、どんなやり方を試すにしても全く問題はない。
やり方はどちらでもよいが、サポートする親側がエスカレートして、罪悪感を持つことのほうが心配」。

とのことだった。
この話を聞いてある心理ゲームを想起した。

心理ゲーム  「ばかもの(Stupid)」

子 「ぼくバカなんだよ。」
母 「そんな事ありませんよ。お父さんも頭がいいんだし、この家の長男として立派なあとつぎになれるわよ。」
子 「お父さんとは違うんだよ。ぼく頭が悪いんだよ。」
母 「そんなに自信をなくしちゃだめよ。よく勉強すればちゃんとできるわ。さあ、宿題してしまいなさい。」
子 「だめだよ。頭が悪くてバカだから、やれないよ。」
母 「先生は学校の授業中、あんたはよく答えるってほめてたわよ。」
子 「おだてたってだめだよ。ぼく、お母さんと似ているから勉強できないんだよ。」
母 「まぁ、何てこと言うのよ。やってもみないで、努力が足りないのよ。能力はあるのよ。・・・やればできます。」
子 「フフフ・・・。できやしない。バカなんだから。」
母 「バカじゃありません。」(怒った声で)
子 「バカなんだよ。」

母 「バカじゃありません。このバカむすこ!」

詳しくは過去ログ・「こんなゲームをしていませんか?」をクリックしてください。
私は幸いにも娘たちとこのようなゲームをしたことはないと記憶しているが、ついにユキと5月半ばにやってしまったのだ。 

また、家では物を片付けられない、出したら出しっぱなしなのに、なぜ学校では自ら率先してみんなのゴミを集めてあげたり先生の手助けができるのか。これについては次のように言われた。


「私たち大人は絶対に内と外の顔があるが、自分を良く見せようとしていたならば必ず疲れて機嫌が悪くなるはず。幸悠君はここではちゃんとしないといけないということがわかっているからであって、決して偽善ではない」。

私も決して偽善だとは思ってはいない。3歳の頃から地域の子供たちと関わりを持ってきたが、お母さん方は決まって「ユキちゃんは優しいね」と言われた。幼稚園でも1年生の時も2年生になってからも「先生が大変そうやから」と手伝うユキ。「感心ですね」とカウンセラー。

そういえば、私たち夫婦が次女夫婦を訪ねてミネソタへ行った時に一日だけ市の保育園に託した時も、保育士さんに「こんな子みたことない」と言われ、「優しい子」と言われことを思い出す。これもユキの特徴なのだ。(詳しくは「ユキの一日保育園体験」に!)

私も悩みはしていたが、私自身は娘たちの学童期と比べてはならないことを心にとめ、一般的にも成長度合いに性差があるのだからとぐらいに思っていた。

しかし知子は、今年も担任の先生は若い方なので全般的な子供の様子が聞けないこともあってスクールカウンセラーの意見を求めた。

その根源には常に学童期の自分が基盤になっていることも大きいと思う。片づけなどの生活習慣や理解力や学習態度の違いなどだ。
私は娘たちの学童期と比べていたことは良くなかったが、知子と違って私の「適当さ」ゆえに深刻には受け止めていなかった。私ならば我が子のことであっても知子のような努力はできない。2日と持たないだろう。

しかし、私でさえ毎日毎日メリハリつけられないユキを見ていると口を出してしまうので、5月下旬から距離を置くことにした。それが功を奏して漢字の宿題も集中してやるようになった。字にも明確に表れており、1年生の時のようにやる気を出してきた。

ハートを持つクマ.gif以来、「ママ、抱っこ!」連発でママに甘えることを話すと、カウンセラーは「子どもも保護者も幸せな時間を持つことが最良」と喜んでくださったという。

今日も3時半からお友達と遊びに行き、約束通り5時半に帰宅したが、今もザリガニやオタマジャクシの世話(?)ばかり。チャッピーが散歩に連れて行ってもらいたくて傍で待っているのに。

スジエビとカニに続いて昨日はザリガニを持って行くと、校門付近で1年生の時の担任の先生に「毎日何か持って来ているね。」と声をかけられたそうだ。そして「明日は日直でお話できるから、オタマジャクシを持って行く!」と張り切っている。

そういえば真智は学校から帰ってくるとランドセルを玄関に置いたまま家にも上がらず遊びに行って、鉄砲玉のように薄暗くなるまで帰ってこなかった。宿題はいつしていたのだろう・・・ムード
そのマチが経済学者になってIMFのエコノミストとして活躍しているなんて驚き桃の木山椒の木。夏休みに帰国する真智とクマにユキの学習係りをお願いしようーっと!


posted by 優子 at 03:05| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2015年06月15日

代休のユキとリハビリに

土曜参観日の代休だったユキがリハビリに同行してくれた。というか、独りで留守番するのは少々自信がなく、外へ行くほうがはるかに大好きな年頃なのだ。私も連れて行くほうが安心だ。

さくらんぼ.jpg
桜の木にはかわいいサクランボがいっぱい。
カメラ片手にお喋りしながらの道中は、時に交通安全のために手を繋いで歩いたり、こんなことができるのももうしばらくだ。いつもは片道32分で歩くコースを40分かけての楽しいひと時だった。

スモークツリー.jpgこれは赤い花のスモークツリー。花が煙のように見えるので名付けられた。


栄光館のスモークツリー.jpgスモークツリーといえば、すぐに思い出すのが同志社・栄光館(ファウラー・チャペル)の入り口に植えられたスモークツリーだ。
大正時代にアメリカからもたらされた日本でも有名なスモークツリーで、5月終わり頃から咲く。


近畿では昨日一昨日に一斉に田植えが行われたようだ。
帰り道、田んぼの中にオタマジャクシがいるというのでユキが動かない。カブトエビだった.jpg
手づかみできたはずだ。それはカブトガニだった。
帰宅して早速『おさんぽ図鑑』を調べていたが載っていないので、次に図鑑で調べるのを省略して「おばあちゃん、検索して?!」とはネット時代の子どもらしい。その画像を見てようやくカブトガニと納得してくれた。

というわけで、「お昼寝をしたら夕方に連れて行ってあげる」と約束して、一緒に1〜2時間もの長い昼寝をしてしまったが、「あそこならば絶対にいる!」と去年カエルを取った田んぼへ出かけた。

おたまじゃくしA.jpg
この田んぼにはオタマジャクシがいっぱい!
何てすばしっこいんだろう。

田んぼのカルガモ.jpg雛たちはもう巣立ったのであろう、カルガモ夫婦(?)だけがいた。
空から猛スピードで田んぼに着水する時の迫力はすごい。植えたばかりの稲は倒れてしまわないのだろうか。

田んぼのカルガモ@.jpg

家の近くにいたカルガモは、やはり先週半ば頃に自動車に轢かれて死んでいたそうだ。今朝の散歩でいつも会う男性から聞いた。夫も朝に見たそうだ。

子育ての半ばに死んでしまったカルガモもおれば、子育てを終えて空を飛び回り、田んぼでのんびりするカルガモもいる。
カルガモだ!.jpgあのカルガモがかわいそうでならない。常に人間にストレスを感じながら僅かな水の中を歩き、また泳ぎながら行ったり来たりしなければならなかった。今日のカルガモA.jpg
私はやっぱり落ち込んでしまう。この親ガモはもう死んでしまったなんてかわいそうでならない。
そして、親を亡くした雛たちはどうなったのだろうか。どこにもいない。


おたまじゃくしB.jpg明日はオタマジャクシと昨日の朝にナルニアの森で取ってきたザリガニを学校へ持って行くと言う。
上靴とプールのバッグも持っていかないといけないのに、どうやって持って行くというのだろう。しかも雨模様なのに。

ザリガニがバンザイしてる!.jpg「ザリガニがバンザイしてる!」とはしゃぐユキ。この時は「ばんざい」していないが、それはザリガニが威嚇しているに違いないのだ。
そういえば先週のニュースで、飼い犬には感情があると報じた面白い記事があったが、ザリガニにもあるのかな?


posted by 優子 at 21:42| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2015年06月14日

「痛みより生まれたもの」 ― 知子の信徒説教 A ―

初めての信徒説教@.jpgこの『人生を導く5つの目的』という本は、リック・ウォレンが「1200以上に及ぶ聖書からの引用を用いながら、礼拝、交わり、弟子訓練、奉仕、伝道という、ともすれば紋切り型に陥りがちなクリスチャン生活の五要素に鋭く切り込」み、歴史的著作と言われるとおり、本当に力強い日本語訳で書かれてあります。

私が極めて集中的に探り求めていたクリスチャンとしての心の姿勢、礼拝、教会の意味について多く書かれてありました。これにより、スー先生がおっしゃった通り「みんな欠点だらけ」「へりくだった者勝ち」「へりくだる者に神様は恵みを与えて下さる」という結論も論理的に頂いたのですが、これは今、私達が抱えている教会の問題にも関わる事だと思いますので、これから具体的にご紹介していきたいと思います。

勿論、これからご紹介する内容は、「私自身は完璧にできている」ということは絶対にありません。むしろ私自身が課題として自覚していることを皆様に分かち合いたいという思いなのです。
p.134-143には「神に喜ばれる礼拝」、そして、p.102-113には「礼拝の本質」について書かれてあります。それらも是非お話したかったのですが、時間が長くなってしまうため、p.204からの「壊れてしまった交わりを回復する」と題して書かれてあります、これだけを取り上げることにしました。 
 
これからお話しする内容は、先週の大澤牧師の「しんどい、嫌な作業」かもしれないけれども「自己批判」すること」、「低みに立って」、「主の力によって方向転換する」という説教の具体化とも言えるものではないかと、牧師ともお話していました。では、p.205のl3行目からを、まずはお読みさせて頂きます。

壊れてしまった交わりというのは神を知らない人達に対する恥ずべき証となってしまいます。パウロは、コリントの教会の会員たちが分裂して争い、訴訟にまで発展してしまったことに非常に困惑させられました。彼は言っています。

「恥を知りなさい。クリスチャン同士の争いを仲裁できる賢い人が、あなた方の中には一人もいないのですか。」パウロは、教会内にこの問題を平和に解決できるような成熟した人が一人もいなかったことに驚きました。(第Tコリント6章1-8)

主イエスは「平和を作り出す人は幸いです。彼らは神の子供と呼ばれるからです」と言われました。しかし、「平和を愛する人、または何があっても動揺しない、平和的でおとなしい人は幸いです」とは言われませんでした。ですから平和を作り出す人とは、争いを解決しようと積極的に動こうとしている人のことです。

平和を作り出す人というのは稀です、何故ならこれは非常に困難な仕事だからです。(p.206、P210)不幸なことに、私たちの多くは、どのように人間関係の摩擦を解決すればよいのか教えられたことがありません。

平和を作るとは、争いを避けることではない。問題から逃げたり、問題がないかのように振る舞ったり、恐れてそれに触れないというのは臆病です。

平和の君である主イエスは、争いを恐れることはありませんでした。折に触れて、主イエスは、皆の益のために、あえて争いを引き起こされたことがあります。争いは、時に避ける必要があり、時に作り出す必要があり、そして時に解決する必要もあるものです。

ですから、私たちは聖霊が絶えず導いてくださるように祈らなければなりません。平和を作るということは、争いを沈めたり、和平工作をすることでもありません。主イエスは、いつも譲ってばかりいて、ドアマットのように踏みつけられ、常に人のなすがままになることを意味しておられたのではありません。

むしろ、多くの問題が降りかかってきても、しりごみすることなく、邪悪な反対に対してご自分の主張を通されたのです。

p.189、最も困難なことは、自分に対して、そして人に対して正直になるということです。p.196のl9行目からはパウロの教えです。

共同体を育てるには、正直さが必要です。問題を取り繕ったり、無視したくなるようなときであっても、愛をもって真理を語るだけの思いやりが必要です。人が、その人自身や、ほかの人を傷つけているのを見ても黙っているほうが楽ですが、それは愛ではありません。

p.124、神はあなたに完璧であることを求めてはおられませんが、いつも正直であることを強く求められるのです。p.126、詩篇こそがその手引書であり、疑い、恐れ、憤り、さらに感謝と賛美と信仰告白、すべてを神に注ぎ出す。そして信仰によって神に従うことを選び取る!
とあります。

さて、この分厚い本からエッセンスばかりを抜粋しました。ここからは、これらを私達の教会の具体的事例にあてはめた問いかけを、勇気をもってさせて頂きたいと思います。

今、こうして無牧になってしまっていることについて、その直後から憤り、恐れを十分に皆で分かち合ったでしょうか? 人にではなく、詩篇のごとく、主に自分の怒りを注ぎ出したでしょうか? 同時に、このままずっと無牧であったらどうなっていくのだろう、という恐れの気持ちを正直に主の御前に注ぎ出したでしょうか?

これは、1960年代癌患者の心理の研究で知られる精神科医キューブラー・ロス博士の『死の受容5段階』、つまり、@否認 A怒り B取引 C抑うつ(絶望) D受容 に似ていると私は思います。

突然、道理に合わぬ形で無牧となった事実。これを、適切なプロセスを経て、本当の意味で受容できた時、次の段階に進んでいけるのだと思います。「希望が既に見えている」とN・Sさんはおっしゃいました。この問題提起も「平和を作り出し」、私達が共に信仰を養っていく希望だと私は受け止めています。

怒りから受容までの過程を適切に経て、無牧の現実を受け止められたなら、次は過去をふり返ってみる作業に移っていくのです。

さて、今迄の人生で私が感じてきた事は、何もかもを「試練」と表現するクリスチャンが多すぎるということでした。自分の姿を見る事なく「試練やね」と言う。悔い改め、砕かれなければならない部分が、自分側にある事は話題にもせず、自業自得の事まで自然災害のように神からの「試練」と表現するのです。私の離婚は試練ではありません。

この教会のために、そして私達自身のこれからのために、信仰をもって率直に申し上げます。
私たちのどこが問題だったのでしょうか? 
牧師の側だけに問題があったのでしょうか? 
そういう結論にしておいて「とりあえず礼拝が滞らないように」と四苦八苦することで、問題に蓋をし続けてきたのではないでしょうか? 
あるいは、蓋をしている事さえも認識してこなかったのでしょうか?
その問題に一度も触れぬままこれからも進むなら、今後10人牧師が来られたら10通りの問題が起きてしまうと私は思うのです。

去った牧師に問題があったからだけではないはずです。その事をここにいる皆が考え始め、気づきを与えられるようになるためにも、神様は今、こうした無牧の状態を赦されている。そう解釈すべきではないでしょうか? 神様は我々に何を学べと言っておられるのでしょうか・・・

勿論、去年は本当に役員中心に四苦八苦され、混乱と不安の中で、怒りのやり場もなかった状態だったと思います。しかし、一段落してきた今、謙虚に、また正直に一息ついてふりかえる という作業なくして前進すべきではありません。私達に気付きが与えられたとき、それは感謝と喜びに変わり、信仰により主に従うことを改めて「選び取る」事ができていくのだと思います。

共に成長していくためには、信者同志、また信者と牧師が自分の経験(特にマイナスのこと)を隠さずに分かちあっていくことが不可欠だと思います。そうでないと、個人的出会いも決して深まらず、折角苦しんだ自らの体験や先生から聴いたお説教も、自分のものとしてだけで終わるならもったいない。悲しむ者と共に悲しみ、悩みも共有して祈り合うという優しさこそ、聞いた説教を実践する事であると思います。

人は一人だけで聖書を読んだりしているだけではだめで、主は時に、クリスチャンでない人をも用い、生きた人間を通して働かれるのです。

P.186-189 でリック・ウォレン氏は、私達の多くが「交わり」という単語を間違って使っていることについて、直球で訴えかけています。お読みします。

聖書は経験を分かち合うことを交わりと呼んでいます。しかしながら今日、この言葉は、元々の聖書的意味を失ってしまいました。交わりの意味するところは、軽い日常会話、社交、食べ物、そして楽しみといったものです。

「あなたはどこで交わりを持っていますか」とは、「あなたはどこの教会に出席していますか」という意味で、「礼拝の後、交わりがありますので残ってください」というとき、それは茶菓の用意がありますので残ってください」という意味で使われているのです。

本当の交わりには、礼拝に参加するという以上の、もっと深い意味があります。それは、人生を共に経験することです。それは、純粋に愛することであり、正直に分かち合うことであり、・・・心から同情し慰めることであって、新約聖書の中に見出されるすべての「互いに」という戒めを含むものです。(鈴木祈牧師の問題提起の答えですね)

本当の交わりとは、(p.188)表面的、うわべだけのおしゃべりでもありません。それは純粋で心の通いあった、そして腹を割った分かち合いです。人が自分自身について、また自分の人生に起きていることについて正直になる時、本当の交わりが始まります。

それは、自分の傷を分かち合い、自分の気持ちを表現し、失敗を告白し、疑いを明らかにし、不安を認め、弱さを自覚し、人の助けと祈りの支援を求めることに他なりません。

教会によっては正反対のものが見受けられることもあります。教会の雰囲気に正直さや謙虚さといったものはほとんど感じられず、何か装っているような、演じているような、駆け引きをしているような表面的な礼儀正しさがあるだけで、会話に奥行がないのです。

人々は仮面をつけ、防具に身を包み、あたかも人生はすべてバラ色であるかのように振る舞います。このような態度でいるのは、本当の交わりが死んでいる証拠です。私たちは、自分の人生について心を開いて分かち合うことによってのみ本当の交わりを経験することができるのです。
引用は以上です。

皆さん、「馬見労祷教会の諸条件を充分了承した○○牧師が何月から来て下さる、と決定した」という安心を得る前に、不安だらけの今、私達が心を一つにして神様を信頼し、完全に明け渡そうではありませんか。

神の絶妙なタイミングがいつなのかを知らされることがない状態でも、主を信頼して、その時を皆が心を一つにして待ち続ける。それができるようになる為には、信徒の交わりをする中で過去を適切に受け止め、受容するプロセスは省略できません。2つ、ご紹介させて頂きます。

2009.4/8 母のブログ・「受難週のイエスに心を重ねる」より:
「罪意識のない者に悔い改めはなく、悔い改めのないところに救いはない。自己の姿に気がつけば必ずや絶望から希望へ導かれていくのであろうが、自分の姿を認められるようになるには狭き門を通らねばならないのだ!」

また、ネット上の『聖書名言集』というサイトにおいて、2009年7/10の「平和をつくる者は幸いである」と題した本文には「何よりもまず、『愛』を土台として信者同士の関係修復から積極的に行い、世界に平和をもたらす働きをしようではないか。そうしたときに、人々は、イエスの栄光を見るし、神の子どもと呼ぶであろう。」とありました。

今までは見たくなかったことにもメスを入れて進んで行くことこそ「平和を作り出す」ことであり、この教会に今必要な歩みの段階であると信じます。

とはいえ既に、今まさに「神様がこの教会を取り扱われている最中である」と皆様もお感じになっているのではないでしょうか? 鈴木牧師、2名の信徒説教者の説教における、それぞれの深い体験の分かち合いや問題提起は、皆に感動を与えています。本当の交わりが既に始まっていると私は感じています。  

信徒説教を受けることは膨大な時間を要しますが、謙虚になって自分を見つめ、人に伝えたいことをまとめていく作業ですから、牧師(主任担任教師)がおられたとしても、あえてチャレンジした方が良いと思うほどです。
各自がこれを行い、説教を通して各々の信仰を分かち合っていくことは、最高レベルの交わりであり、礼拝であると思います。普通の教会には こんなチャンスはありません!

私は「平和を作りだす人は幸い」と言った主イエスさまを想い、" To become like Jesus." スー先生も私に何度も言われた「主イエスに似た者となる」ために、問題を正しく共有し、皆さんと共に祈っていきたいと願っています。

先の著書 p.181 の 9行目から14行目には、教会内の人だけでなく、日常関わる人々に対しても大切なことが書いてあります。

「『人のことに構うな』という言葉は、クリスチャンの辞書にはありません。私達はお互いの人生に関わるように召され、またそのように命じられているのです。もしあなたが今、霊的に弱っている人を知っているなら、その人を追いかけ、交わりの中に連れ戻すのがあなたの責任です」。ヤコブは私達に教えています。

実践できずに見て見ぬふりをしてしまう自分がいるのも確かですが、そういう弱さをまず正直に認めよ、とイエス様はおっしゃるはずです。

最後に P.128、18行目をご紹介させて頂きます。
「私たちはしばしば、神のために何か『大きなこと』をするようにチャレンジを受けますが、実際のところ、たとえ小さなことでも心から従う気持ちをもってなされたこと方が、神に喜ばれます。そのようなことは人の目には留まらないかもしれませんが、神はそれをしっかりとご覧になっておられ、それを礼拝と見なしてくださるのです」。

痛みから何が生まれるのか?
苦難の最中には到底想像も出来ぬ事ですが、分かち合い、祈り合って最終的には神への感謝が生まれる! 交読文を選ぶ際、私はまさに詩篇116篇を見つけたのでした。


この教会を通して、まず私達が信仰的に養われ、その感謝と祝福を 私達の日常かかわる人々に、少しでも流していけるような人生にしていきたいと思います。

お祈りします。
「教会が真の教会である時、過去の失敗を悲しむことから始め、新しい行動に移るのを助けることができる。パウロもコリントの仲間達の悲しみが悔い改めと解放に導かれたことを喜んだ」とあります。私達もそのようにお導きください。
このお祈りを主イエス・キリストの御名によってお捧げします。アーメン。

そして、最後に選んだ讃美歌は532番「安かれわが心よ」であった。

今朝はユキがサッカー教室にでかけたので静かなひと時を知子と2人で長い時間祈り合った。

知子だけではなく私もまた、皆さんがどのように受けとめられるのか不安もあったが、献金感謝の祈りで「藤本さんの説教で打たれています」(その意味は先週の説教にあった「感激」や「痺(しび)れた」というプラスの意味ではなく、「衝撃で刺し貫かれた」の意味)と語られた。

みんな真剣に聴いてくださり、礼拝後に多くの人が深く受けとめてくださっての反響を返してくださった。共に主に在って一つにされて信仰から信仰へと歩んでいける喜びを感る。

雨上がりに.jpg次週、知子は奏楽のご奉仕で、私は初めて司会役を務めさせていただくことになっている。感謝! 
今朝の礼拝の音声ファイルをワシントンの次女夫婦、千里さんに、そして、O兄にお送りしたい。

posted by 優子 at 20:56| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

「痛みより生まれたもの」 ― 知子の信徒説教 @ ―

初めての信徒説教A.jpg聖霊降臨節第4主日 「子どもの日・花の日礼拝」の今朝、神に促されるままに知子は信徒説教者として立った。

▼ 知子が選んだ交読詩篇:
 詩篇116篇5節〜14節

▼ 讃美歌:461番(みめぐみ豊けき)

▼ 聖書:マタイによる福音書5章9章:
「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、
 彼らは神の子と呼ばれるであろう」。

同じく14節〜16節:
「あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。
そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい」。


▼ 讃美歌:457番(神はわが力)

では説教を2回に分けてお分かちしたい。
最初に一言お祈りさせていただきます。
イエス様、只今から私は、あの経験を初めて皆様にお話しようとしています。あの最中もずっと心配しながら見守ってくださっていた神様、どうか今日の時もお導きください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。

2009年3/29夜19:45。あれから6年の時を経た今、私は皆様の前で語ることができるほど癒され、元気になりました。本日は、6年前に経験した大きな2つの痛みのうち1つに焦点を当てて語らせて頂きます。その目的とは、批判ではなく、学びの共有です。

すなわち、私がこの痛みを分かち合うことによって、私達一人ひとりが今後、クリスチャンとして決してここまでひどく人を傷つけることがないようにと願うためです。

そして更には、当時泣きながら読み漁った本の中で最も影響を受けた本(クリスチャン、教会、礼拝について)を本日具体的にご紹介させて頂くことによって、心の底から私達の今の思いを共に主に訴え、祈り、本気で主に従っていくことを改めて「選びとって」いきたいと願うためです。

本日の証を通して皆様に問題提起しようと決心できたのは、4月の鈴木祈(いのり)牧師の説教です。これは 教会の玄関に全ての荷物を置き、教会で過ごすその時間だけが幸せで、帰りにはまた玄関で何も手をつけていない重荷を背負って帰っていく。教会では痛み苦しみには決して触れず、清い事しか語らない。それでいいのだろうか? ある人が痛みを語った時、「ああ主は今ここにおられる!」とお感じになったという鈴木牧師からの問題提起でした。

その説教と、そして5月のN・Sさんの信徒説教のお陰です。私は力を頂き、そののち神様から押されるように1つずつ、痛みを振り返ってゆく作業に入りました。

ご存じの通り、私は2010年1月に調停離婚をしました。本日語らないもう一つの大きな痛みとは、取りも直さず離婚自体についてです。とはいえ、これはこの教会に転入した時に『ろうとう新報』に書かせて頂きましたので、どれほど私が信仰面もゆらぎ、限界状態になっていたかはご存じだと思います。今一度、ここで改め半分だけ読ませて頂きます。

(当教会に転入した月に掲載された『ろうとう新報』より)
主の前で心から誓った結婚。現実には全く的外れであるにも関わらず「これは導きだ」と確信してしまう危険性は誰しもありますが、私も、主と共に祈りつつ来たつもりが結局自分の思いに添って行動していたのです。

射った矢の突き刺さった所に、後から自分で的を描いて、的中している と確信していたのかもしれません。
何故心身を病み、こんなに多量の投薬治療を受けているのかも自分自身で認識できなくなったほど相手を信頼しきっていただけに、婚前から欺かれていたと知って、相手への憎しみも自分自身への怒りも尋常ではなく、自分の存在価値は粉々になりました。それでも信仰以前に人として離婚を拒み努力するも空しく、裁判所の介入により息子を愛してほしいと懇願しても無駄でした。

心療内科通院中にも関わらず体調が急激に悪化していった頃、体重はたった2ヶ月あまりで37kgにまで落ちてしまい、電車の駅構内にある椅子にも骨が痛くて座ることができなくなってしまいました。

まだ1歳半だった息子は、上手く話せないのに「ママ、エッエッ」と必死で自分の食べ物を指さすのでした。匙を口元に持っていっても口を開けようとしません。「ママもこれを食べて。ママが食べないと自分も食べない」という意味でした。一口貰って私が食べると、満足そうな顔をして自分も口を開ける。そんな日々が続きました。

・・・また調停も最悪の事態となった1月には、息子の前で話すのを避けてきたにも関わらず、遂にひどいチック症状と吃音症的症状を出してしまったのです。自分は心底悔い改めたとしても、何の罪もない息子はどうなるのか? 私にとってだけの一粒の麦なのか? 負わせる人生の重さに、私は立ち上がれなくなりそうでした。

この消えぬ過去・辛い現実を主はどう用いられるというのでしょう。その事も未来への恐れも主に委ねたいと思います。全ての道に主を認めるなら、主は必ず私と息子の人生を導き、いつかこの心の傷も完全に癒されると信じます。

この傷が6年経った今、こうして癒されているとは当時想像もできませんでしたが、この本件同等、いえ、それ以上に のたうち回って私が苦しんだのは、複数の教会の牧師、クリスチャン達の言動についてだったのです。
 
何故調停だったのか? それは、具体的に強く助けを求めた牧師があからさまに話し合いの依頼を断り、その他の人達も、私達が深刻な状況にあると聞くや、見事に去っていったからでした。

新約聖書ルカによる福音書10章25-37節にある『善きサマリア人のたとえ』に出てくる祭司・レビ人といった神殿に関わる人々、つまり倒れている瀕死の人を「かかわりあいになりたくない」とよけて通って行った人々と同じことを、御言葉によって養われている敬虔であろうはずの牧師やクリスチャン達10人余りから実際に露骨にされてしまったからです。

牧師とは、結婚式司式と仲人をした、私に洗礼を授けた牧師ほか2名で、2つの教会の合計3名です。また、熱心なクリスチャン達とは、信仰歴30年以上(正しくは50年前後)の人々で、私が教会学校に通い始めた小学3年生の頃には既にいらっしゃいました。

この東大阪の教会の人々が奈良市内のご家庭で月1回集まる家庭集会も30年以上継続され、私は、子供時代を懐かしみながら妊娠中は2名で、また産後は3名で通っていました。

あれほど笑顔で話し、礼拝し、共に飲食もしていたのに・・・。その家庭集会での交わりは現実のことだったのだろうか? と疑うほど、長年来ていた年賀状もピタッと途絶えて、関係を切られてしまったのです。しかし、のちに私も彼らの立場を察してみました。

「あまりに渦中にある時は躊躇するし、介入しにくかった」のかもしれない、と。ですが、たまたま先月、そのうちの1人と連絡を取るきっかけがあった時にも無視されてしまいました。この事により、彼らに直接聞けなかった憶測は現実となり、あの時、見て見ぬふりをされた事が証明されてしまいました。

結婚式司式と仲人をし、私に洗礼を授けた牧師についても、辛くともご説明しなければなりません。

私の元夫は当初2度、自発的にその牧師に電話をし、話し合いに加わって頂くことをお願いしたそうです。ところが、彼は応じなかったといいます。「自分達でもう少し話合ってみなさい」という方向へ話をそらし、進展があればまた電話して下さいと言われたそうです。1ヶ月以内に再度彼が電話した時も 同様だったそうです。私からメールでお願いしても無視されました。

最後は、衰弱して救急車を待ちながらだったでしょうか、「彼と彼の母親もあと1時間ほどで来るので、今すぐ来て欲しい」と私が泣きながら電話したように思います。あの日のことはあまり記憶にありません。・・・それでも駄目でした。

私と結婚する為に、私および牧師にも嘘をついたと後に暴露した元夫でしたが、教会や家庭集会に付き添って通っていたこともまた事実でした。しかし、無神論の彼が、仲裁=助けを求めて電話しているのに、あからさまに断った、この牧師の罪というのは重いと思います。「かかわりあいになりたくない。厄介だ」。まるで、何回もしがみついてくる子犬を振り払うかのようでした。

百歩譲って私はクリスチャンですから、どう扱われてもまた立ち直る日は必ず来ると思いました。しかし、元夫については神さまに触れる機会、悔い改めに至るかもしれなかった機会を人間が故意に奪ってしまいました。

結果的に、クリスチャンをも嘲笑する形で終わった彼がそのままいくと、人生でもう二度と神さまに出会うチャンスはないのでしょうか。まさに争っていた元夫ではあるものの、牧師として、人間として未信者を見捨てる行為はどうなのか・・・?! 当時、私は本当に、本件同等か、それ以上にこのクリスチャンの現実について苦しみ抜きました。そして心の底から傷つきました。

傷の続きはまだあります。その数ヶ月後、同じ教会の友達の結婚式に辛くても参加しなければならなかったのですが、当然私は牧師ご夫妻、副牧師ご夫妻達と再会したわけです。彼らは私を避けようとしていました。しかし、神の必然がそれを許さず、私と牧師ご夫妻は、挙式後のロビーでばったり対面してしまいました。

牧師夫人は苦笑い。その牧師は「さあ、終わったから着替えてこようかな。」と、至近距離の私と目も合わさず、足早に歩いて行ってしまいました。それが最後です。

これが、調停するしかなかった経緯です。
もう夏になっていました。本屋さんで探した1冊の本を読み、知識ゼロから調停という言葉を知り、そこから裁判所を検索して制度を知り・・・といった過程です。秋から始まった調停が、本来中立であるべき調停員の計らいにより強制終了して頂けたのが翌2010年1月でした。

本日は論点を絞るために省略していますが、先週の大澤先生のお話にあった自己批判、方向転換、つまり悔い改めも神様との関係において行い、平安をいただくことができました。

しかし、一段落してからこそ、あの『ろうとう新報』の心境となり、傷は生々しく、全く癒えませんでした。その頃からです。母に誘われ、仕方なくこの教会に来始めたものの、「もう二度と人は信用するものか、特にクリスチャンは絶対に!」 何度も内心叫び、それこそお経のように唱えながら、高見牧師を避け、皆様からも声をかけられないように礼拝が終わると玄関へ直行し、人との接触を避けていたのでした。

結局、2009年6月から2010年1月調停終了まで・・・他人では母の友人4名と私の大学時代のクリスチャンではない友人2名だけが、途中で去ることなく、メールのやりとりを通して渦中の怒りと悲しみを共有してくれました。

友人は育児中、遠方などの理由もあって、会うことも電話もなかったのですが、打ちのめされている最中というのはむしろメールという手段が私にとってはありがたく、活字であっても本当に寄り添って下さっているというのがよくわかりました。もしも彼女達の存在がなくて、家族の支えだけだったならば、こんなに早く回復した私は居なかったはずです。

スー先生と.jpgそして、絶対に忘れてはならない存在はスー・ベネディクト先生です。救急車から2ヶ月後の2009年6月、アメリカから数週間だけ滞在されていたスー・ベネディクト先生を通して、瀕死の状態にあった私の心を、主は慰めて下さいました。その時はまだ単語さえ知らず、発想さえしていなかった、のちの調停を進めていく力にもなったと振り返ります。

スー先生を送って下さったのは主であり、偶然ではなかったと確信しています。私が癒されたのは、悩みに寄り添ってくれた生きた人間の存在、そしてその前後の読書ゆえですが、読み物だけでは絶対に無理だったのです。生きた人間の関わりが人の回復には必要だということです。

さて、冒頭でも申し上げた通り、このスー先生に出会ったあとに読み始めた本の中から私は多くの事を学びました。
つまり、牧師や、半世紀近く毎週毎週教会に通っている人々、そういったクリスチャン達が、いざ人に関わって信仰を実践すべき時に、キリストの教えと全く逆の行動をとるのは何故なのだろうか。その長い長い教会生活とは、一体何なのだろう? 激しく神に憤っていた疑問に対する答えを得たのです。
おかめ桜のお宅に@.jpg

― Aに続く―

posted by 優子 at 20:56| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2015年06月13日

ユキの学校生活拝見 ― 土曜参観 ―

今日は土曜参観、かつては「父親参観」や「日曜参観」と呼ばれていたものだ。ただ違うのは参観授業だけで終了ではなく、給食もあり、今日の代休となる月曜日の時間割で進められる。

ユキは国語・「スイミー」の授業だった。娘たちも学んだ印象的な内容だ。普段は活発に手を挙げて発表すると先生は仰るのだが、「参観日でユキの声を一度も聞いたことがない」と知子。今日もダメだった。ふらふら 

6月16日追記:土曜参観日の代休が明けた火曜日、「連絡帳」に先生が書いてくださっていた。
「今日もよく手を挙げ、がんばっていました。」と。
わーい(嬉しい顔)

参観日@.jpg

図工の作品.jpg「休む」の字が間違っている「山のうえで体むうさぎ」。




只今お昼寝中.jpgハウスで休むチャッピー。

暑くなった数日前から昼間は玄関前で過ごすことが多くなった。今日も帰宅するとチャッピーは玄関前で寝ていた。


「おかえり」と伸びするチャッピー.jpg高齢のため足がグラグラして立ち上がる時に時間がかかる。しかし、若い頃と同じように気持ちよさそうに伸びをした。
「ただいま、チャッピー! お留守番ありがとう!」

学校大好き@.jpg 

学校生活が楽しいのは何より。発表しなくてもね。わーい(嬉しい顔)

ブランコに二人乗りしているユキを見て、いつの間にできるようになったのと驚いた。お友達と活発に遊んでいる。そういえば小学校に入学して以来、徐々に目を離すようになって公園で遊ぶところを見たことがなかった。

学校大好きB.jpgユキは私たちを見送る時、アッという間に木に登った。
先週の教会で2〜3歳の幼児の世話をしてやっているユキは巨人。さながら小人の国に来たガリバーのようだった。


昨年着任されたばかりの校長は1年で異動になり、今春は教頭共に新任の先生が着任された。先日のカルガモ騒ぎで電話で話した教頭先生とも面識を得た。

あのあと(カルガモ譚)3日目にカルガモの親子がいなくなったことを言うと、数日前に親ガモが交通事故で死んだと役所から電話があったという。これがカルガモ親子の顛末記か。雛たちはどうなったのだろう。巣立つにはまだまだ幼すぎる雛だった。
写真に残っている親ガモを見るのは辛い。悲しすぎる。この時、そんなことは想像だにしなかった。

教室のカニ.jpg教室にはサワガニとスジエビがいた。
先日、お友達からサワガニをもらってきたが、家で飼うと死なせてしまうので返すことを納得してくれた。
そして翌朝早く、カニを移したり、お礼にあげるスジエビを持参した。
サワガニ.jpg








サワガニとスジエビと登校.jpgようやく上中央の歯が9日に抜けた。もう1本は2年近く前に抜けたのではないだろうか。娘たちは卒園頃に2本とも抜けていた。
サワガニ、スジエビを学校へ.jpg




マチも虫取りかごと網を持って登校していた姿が思い出される。

6月に入ってから腕に針金を通されているような痛みも加わり、パソコンするにも断裂している肩関節の刺激になって相当な苦痛だ。昼間は保冷剤で肩関節を冷やし、夜も痛み止めのシップを使うと3時間継続して眠れるといった具合で、今日の参観日を楽しみにしていたが休むつもりだった。

大浦さんちの紫陽花.jpgしかし、行ってよかった。大いに気分転換になった。気がつけば痛みが3分の一ぐらいに軽減していた。

教室のエビが脱皮したのを発見した時、「だっぴって何?」と女の子が聞いてきたので、その子に話し始めると周囲の子どもたちが目を輝かせて集まっていた。子どもは可能性の卵だ! 最高に楽しい時間だった。痛みが軽減するならば毎日でも行きたいところだが。

危機的状況にある日本。先ほどの報道番組で村山首相の気魄に感銘を受けた。子どもたちのために私たちは命がけで日本を健全な方向に舵を切らねばならない。

posted by 優子 at 21:04| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2015年06月11日

日本政府狂走曲を止めよう

6月4日、衆院憲法審査会が3人の有識者を招いての参考人質疑で、3人共が「憲法九条に明確に違反」との認識を表明した。特に長谷部恭男氏は自民党より推薦された学者で、東大の法科大学院の院長まで務めた権威である。

長谷部憲法学者.jpgにも関わらず、菅氏はいつもの無機的表情で「違憲との指摘はあたらない」と語った。その映像を見た瞬間に私は凍りついた。政府は憲法学そのものとアカデミズムを否定したのである。これを狂気を言わずして何だろう。人間は、組織集団は、ここまで異常になれるのだ。

いや驚くには及ばない。かつてのドイツ国民もヒトラーの台頭を許したではないか。この狂気の暴走を止めないと日本は再び地獄を見る。今必死で反対の声を拡げなくてはならない。

70年前の地獄は何だったのか! このことは党派も教派も全ての枠組みを越えて大多数の一致を見て当然ではないのか?! 国家も世紀ごとに成熟していくべきだ。

以下は『世に倦む日日』より抜粋引用させていただいた。
この国の憲法学の権威として、政府による集団的自衛権行使を合憲化する詭弁論法を一刀両断で斬り捨てている。
NHKも本来はオーソドクシーの府である。芦部憲法学を法文1号館で学んだエリートが中枢に携わる(べき)機関だ。言わば、この国の枢要な統治機構の一つである。正統の府であり、正統的に運営されるべきNHKが、何かの間違いでファシストに乗っ取られ、狂気と暴走の片棒を担いで国家と国民を破滅に向かわせている。

今回の安保法案をめぐる議論で、NHKが長谷部恭男を出さないという選択はおかしいだろう。6/14でも、6/21でも、日曜討論は必ず安保法制をテーマにしなくてはいけない。それは憲法論議に焦点を当てなくてはならない。長谷部恭男の出演が必須だ。

砂川判決と72年の政府見解から捏ね上げたところの、政府側の集団的自衛権合憲化の論理は、討論における劇的で決定的な論破の形で、世間の前で破綻を証明しなくてはいけない。

そのロジックの欺瞞と破綻を、例えば古館伊知郎が、どれほど分かりやすくフリップに整理して説明しても、それは、その場で反論の出ない一方的な議論であり、単に正論の批判が置かれただけにすぎない。

必要なのは、その場に政府側の論者がいて、批判側の論者が抗弁しながら完膚なきまで論破され、議論に窮して沈黙し潰走する絵を見せることである。言論のバトルで批判側が圧勝することだ。

憲法学者の次は政治学者の番である。彼らも態度決定を迫られる。
Twで名前を並べてみたが、いわゆる保守派・体制派のスタンスとカテゴリーの著名な学者たち、藤原帰一、山内昌之、加藤陽子、御厨貴、佐々木毅、北川正恭、五百旗部真、なども、いずれは態度決定を迫られ、安保法案を是とするか非とするか、自らの立場を決めなくてはいけないときが来る。

下記は上掲ブログ記事へのコメントより:
Commented by 愛知 at 2015-06-10 23:26 x

もしもマスコミの方で、こちらのブログをお読みの方がおられれば、良心に従って行動して下さい。
私は砂川事件最高裁破棄判決の少し後に生まれました。そんなことまで言いたくありませんが、職業上、何十回も地裁に証人出廷しており、自分が関与した判決だけはコレクションしています。

恥ずかしながらですが、砂川事件最高裁の棄却判決全文は昨日、最高裁HPで読みました。「噂には聞いていたが」みたいな感想です。この判決には、それ以上の感想はありません。途中で読むのがしんどくなります。
              (略)
こんな昔から司法は死んでいたんだと。一度だけ、最高裁判決に関わったことが。地裁、高裁勝訴で、最高裁は棄却。最高裁判決を導いたのは重過失だと。今、想っても、あれは何だったのかと。

本当に長谷部先生に解決して頂きたい。民事訴訟の最終審として最高裁の棄却はあったはずなのに、意味不明。私は最高裁で棄却された判決の最高の罪人だと。あなたたちマスコミが用意されたのは、「報道」の特等席。誰一人来ませんでしたが。
 
posted by 優子 at 09:25| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年06月07日

「地の塩」「世の光」 ― 子どもの礼拝で語ったこと B-

今朝の礼拝で知子は奏楽のご奉仕を、私は「子どもの礼拝」でお話させていただいた。

矢車草A.jpg私たちの教会では、礼拝は前奏(今朝はバッハの『G線上のアリア』を演奏した)に始まり、招詞、讃詠(讃美歌27番)、「主の祈り」と進み、続いて最前席に座っている子どもを対象に「子どもの礼拝」に進む。

矢車草@.jpg大人も全員で「子どもの讃美歌」(6月は123番・「わたしはしゅ(主)のこどもです」)を歌い、担当の奉仕者により5分間ほどで聖書のメッセージを語る。
私は概ね次のようなことを話そうと草案を書いていたが、子どもに語りかけながら話すので思いつきの話を挿入して少々長くなったようだ。

オルガン席からユキを見ていた知子は、「ユキは今まで見たことのない熱心さでママを見つめて聞いてたわ」と伝えてくれた。確かに目を見開いて私の目を真剣に見つめながら聞いてくれていた。

6月はイエスさまの教えを学びます。
最初に今朝の聖書の箇所、「マタイによる福音書」5章13節〜16節を読みます。

「あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。

あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照らさせるのである。

そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい」。


これはイエスさまが山の上で、イエスさまについてきた大勢の人々とお弟子さんたちに語られた教えです。

まず「あなた方は地の塩である」という言葉の意味をお話する前に、塩について考えてみたいと思います。塩は生活の中でどんなふうに使われていますか? 

お料理の味付けをしたり、腐らない役目をします。冷蔵庫がなかった頃は、魚を塩漬けにして腐らないようにしていたので、昔の塩鮭はとてもとても塩辛かったです。

次に「あなた方は世の光です」というお言葉ですが、光はどんな時に必要ですか? 暗い部屋や暗い夜道を照らすために必要ですね。

そこで、先ほどの塩のことを思い出してください。塩も光も両方共とても役に立つものであることがわかります。神さまは塩や光のように大切なものを私たち一人ひとりに与えてくださっています。それは優しい心であったり、考える力や・・・いろんなものです。

イエスさまは「あなたがたは、地の塩である」と言われましたが、それはつまりこういうことです。
塩にはいろんな働きがあるように、人にはそれぞれ違った良さが必ずあるので、それぞれに与えられた力を、いろんなところでいろんなやり方で役立てなさいと仰っているのです。

また、ロウソクに灯をつけた時、せっかく光り輝いているのにテーブルの下に置いたりしないよね。テーブルや机の上に置くよね。だから自分の力を隠したり、自分のためにだけ使わないで、それを人のために役立たせなさいと願っておられるのです。

ここで大切なことはね、イエスさまは私たちに、「あなたがたは地の塩になりなさい」とか、「あなたがたは世の光になりなさい」とは仰ってはいないということです。ここはとても大切なところです。

私たちはすでに「地の塩」であり「世の光」だと言ってくださっているのです。何て嬉しいことでしょう!

それなのに私たちは、自分で頑張ろうと決めたことができなかったり、嫌なことがあるとがっかりしてやる気をなくして、「イエスさま、ごめんなさい」って謝ることも多いですよね。

私たちは何度も失敗するけれど、何度でもイエスさまにお祈りしながら進んで行くことが大切なのです。

私はよくこんなふうに思います。太陽は自分で光を出しているけれど、月は太陽のように自分で光を出して輝いているのではありません。月は太陽の光に照らされて輝いています。
祈っていると(黙想の中で)「あなたは地の塩である、世の光だ」と仰ってくださっていることを思い出し、私も月のように輝かせてくださっているんだと思うと嬉しくなって、イエスさまにニコッと笑顔を見せるのです。

どんなときも私たちの前を歩いてくださっているイエスさまのあとを見上げながら、輝いて生きていきたいですね。

ではお祈りします。
天の神さま、私たちを「地の塩、世の光」としてくださってありがとうございます。
今日のみ言葉をわすれないで、今週もイエスさまを思いながら楽しく輝いて生きていくことができますように。おやすみしているお友達もまた一緒に礼拝を捧げることができますように。
このお祈りをイエスさまのお名前により御前にお捧げします。アーメン。

そして、語り手ともう一名で子どもたちと一緒に2階へ移って共に過ごし、牧師の説教が終わると再び礼拝に参加する。毎週子どもは殆どがユキひとりだが、今朝は2歳から5才までの女の子が4人加わって賑やかな分級だった。

今朝は西大和教会の大澤星一牧師の説教に続いて、大澤牧師により、役員、CS(子どもの教会)スタッフ、オルガニストの就任式が執り行われた。
このスナップはオルガニストの就任式で、今日欠席されている方と3名で奏楽のご奉仕を務めている。

オルガニスト就任式A.jpg

「神さまからの召しの恵みを悟ることができますように。良い志を与えてくださった方が、これを成し遂げる力をも与えてくださるように」。
牧師の祈りを重く受けとめた。

山本祈未子姉.jpg礼拝後、次週の礼拝案内を掲示してくださるY・K姉(しまい)は、毎週金曜日の夜に書いてくださっているという。

山本祈未子姉!.jpg




次週は知子が信徒説教に立たせていただくことになっている。

知子は6月24日(日)夕方から夜と通勤時間と昼休みを費やして30時間を重ねて原稿を書いていた。翌朝は5時30分過ぎに起床せねばならぬ時も深夜1時半すぎまで連夜続いていた。その熱心さ、集中度はすごいものだ。

特に証しは人間側の努力に先立って聖霊の働きがなくては書くことはできないだけに圧倒されていた。
私はクリスチャン・ペンクラブに所属していながら誰よりも先に自ら申し出なくてはいけないのに、右肩のスジ断裂の痛みで不調とは言え情けない限りだが、今日の役員会で8月9日に指命されてお受けした。8月9日といえば次女夫婦の帰国中だ。

次週20日のクリスチャン・ペンクラブの文章を書き上げたら集中したいと思う。
今朝の原稿にも書き忘れていたが、この世は「地の塩」として生かされている人がいるから腐らずに保たれているということを言い忘れたのが残念だった。

今朝の大澤牧師のメッセージを殆ど聴けなかったので、「今朝の説教も心に鋭く飛び込んできた」と言った知子の感激の一言から、是非今朝の「悔い改めと一致」の音声ファイル(データ?)を添付していただこう。


posted by 優子 at 21:16| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2015年06月06日

今日は真智子が生まれた日

真智子の幼き日の傑作.jpg

この詩は真智子が小学校3年生の時に書いたもので、キリスト教雑誌『100万人の福音』に取り上げられた唯一の傑作である。
それに加筆して当時通っていた日本イエス・キリスト教団・放出(はなてん)教会「創立40周年記念誌」(1990年10月14日発行)に寄稿し、それを同年12月(10才)に学校で制作した「思い出のアルバム」の最後のページに記録したものがこれである。

小学生のユキを見ていると、その頃の娘たちのことを思い浮かべることがたびたびだ。
35年前の今日、次女が誕生した。母親にとっては35年前でも昨日のことのようだ。今年は真智子の誕生日を前に小学生の頃の真智の姿を追っていた。

真智子は実にユニークで元気いっぱいの子供だった。この「思い出のアルバム」の制作についても面白いエピソードがある。
先生はみんなに作品の題名を「思い出のアルバム」にするように言われたらしいが、それでは面白くないと、真智子の内部で発火する精神の動きがあった。そして、自ら湧き出るものから『光の子供』と表現した。私はそういうところに真智のピカリと光るものを感じ、損なわないように大切に育ててやりたいと思った。


確かそれについて真智子自身の字で書いてあったと思うのだが、どこにあったのか思い出せない。探しだして是非ここに記録しておきたいと思う。

『光の子供』@.jpg

『光の子供』A.jpg

『光の子供』B.jpg

『光の子供』C.jpg

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『光の子供』F.jpg

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『光の子供』H.jpg

『光の子供』I.jpg

次は真智子の結婚記念に作った記念誌に掲載したもので、父(真智子の祖父)が愛した真智子、そして、知子の幸せを詠んだものである。

父より@.jpg

父よりA.jpg

父よりB.jpg

これは記念誌の最後のページに収めた幼少時代の真智子だ。

真智子結婚の記念誌より.jpg

「ママ、イエスさまって、すごくたとえ話作るの上手やねんで。あんなんいつ考えるんやろ・・・
マチにも話してほしいな・・・」
       
       (1988年1月・真智子8才5ヶ月)

「ねえ、ママ、いろんな言葉を神さまが作ったんやろ?
神さまは何語しゃべるの?
神さまは何でもしゃべれるやろ?
マチ、天国へ行ったら、まず、イエスさまに抱っこしてもらうねん。
それから歌うたってもらうねん。
どれだけ下手か聞きたいから」。
 ちっ(怒った顔)      
       (1988年2月21日、真智子8才6ヶ月)

真智、お誕生日おめでとう!
この1年も健やかでありますように、良き日々をね!
そして結婚9周年、おめでとう!
時の経つのは本当に早いね。

マチ可愛いね!.jpgIMFに勤務してまもなく丸4年、かなりキャリアも積んできたことでしょう。

1年ぶりの帰国、もうすぐ会えるね。
もう飛行機のチケットは予約した?
7月末を楽しみに楽しみにしています。揺れるハート



posted by 優子 at 10:25| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2015年06月02日

子どもの成長と母親の成長

先週の日曜日は心身の調子がよくなり、礼拝後の愛餐会の準備もテキパキと配膳している自分に驚いたほどだったが、その翌日のリハビリ後からずっと痛みが強くて週日不調だった。

そのうち血圧も高くなり、一昨日31日の礼拝の終わり頃には気分が悪くなった。その翌日はようやく待ちに待っていたリハビリ予約日だったが血圧が高くて早朝に目が醒め、降圧剤を飲んでも下がらないので予約をキャンセルした。
そして、ようやく孫が帰宅する頃に血圧は正常値に戻り、今朝も少し高いくらいで落ち着いている。

廊下にデスク.jpg今年の5月は気温が30度前後の暑い日が多く、ユキが宿題する頃のリビングルームは暑いので真夏を前に北側の廊下を整理して簡易デスクを置こうと思いついた。

先週末、右腕不能の私にかわって全て知子が動いてくれたのだが、知子も「これはいい」と大喜び。知子に促されて折りたたみテーブルの下に押しこんであったクッションも思い切って処分することにした。それらはこの家を建てた時にカーテン生地と同じ生地で誂えたものだ。ずっと突っ込んだままで使っていたのは家庭集会の時だけだった。

私は高校生の頃、よく自分の部屋の模様替えをしていた。模様替えした時は学校から帰ってくるのが嬉しかった。しかし相変わらず勉強には身が入らず机の前に座るだけだったからどうしようもない。

廊下で勉強.jpgしかし、ユキは違った!
昨日は早速宿題をしていた。
まもなく、「おばあちゃん、スズメがここにいるからカメラを持って早く来て!」と小さな声で呼んだ。私はユキに言われなくてもカメラを手に取っていた。
しかし、スズメはすぐに逃げてしまったのでカメラを机の上に置いてやった。勉強のじゃまになる愚かなことと知りつつも。
気が散ってばかり.jpgすると今度はチャッピーの写真を撮って見せに来た。やはりこれでは気が散って勉強に身が入らない。ふらふら

この折りたたみデーブルは次女が東大の大学院に移籍する時に購入して持って行ったもので、3年間、千駄木の家にあった。勉強は殆ど研究室で夜遅くまでやっていたようだが、ユキもママやマチのように自学自習できる子になりますように。

2年生・交通当番の朝.jpgこれはユキが2年生になってから何度目かの交通当番の朝。
大きくなったね、ユキ。
ユキはどんどん変身していくね。
miokuei-a5360.jpg
→ これは2012年4月、幼稚園に入園した3年前の春だ。ユキ、かわいいね。

5月下旬、校舎から見える二上山(雄岳)の緑も濃くなっていた。
初夏の二上山.jpg

この日、ユキは学校に給食袋を忘れてきた。こういうことはそう珍しいことではない。この日は週末だったので3日間も置いておくとコップも歯ブラシも不潔になるので取りに行くことにした。
しかもその週は給食当番だったので給食エプロンも持ち帰って洗濯しなければならないのに、そのことも忘れていて教室へ入ってから思い出すという呑気者だ。

この時、校舎の前で男性教諭の姿を見て、「この先生が『ゆきひさ先生』やで」とそっと教えてくれた。
にも関わらず、ユキが先生と並んでドンドン歩き始めたので先に行かないように「ゆきひさ!」と叫んでしまった。ふらふら ユキが教室へ取りに行っている間、私は知らなかったことにして親しく語り合っていた。わーい(嬉しい顔)

ユキは相変わらず出しっぱなし、宿題しかしない、メリハリつけられず、私もいつのまにか怒ってばかり。ついに先月28日はママにランドセルを取り上げられて手提げ袋で登校した。ユキの嫌がることをすれば改められるかと思っての知子の決断だった。一日で終わったが。

担任の先生に相談すると「どこに問題があるのですか?」と、学校では学習面も生活面もとても良いので、自ら友だちの手助けや掃除を率先してやってくれると褒め言葉が返ってきた。しかし、知子はユキに厳しく注意していただくことを頼んでいたようだ。

そういえば知子が早朝出社して不在の昨朝も、ユキは早々と学校へ行く準備も終えて、洗い終わった洗濯物を洗濯槽からカゴに移してくれ、ベランダ近くに運んでおいてくれる優しい子だ。今朝もまた。

冷静になるとわかる。口やかましく言わないことだと。
しっかりした正しい価値観を備えた親ならば、いいかげんに育てればいいのだとぐらいに思っていると、子どもにも過剰な母親の投影を受けないので良いと、臨床心理士の勉強をしていたときのことを思い出した。今はひたすら良い自己印象をつけてやることが大切だ。

昨日は知子がお世話になった ― それは即ち我が夫、そして、会社の恩人でもある ― 生涯忘れ得ぬ方が重職を退任された。誠実極まりない仕事をし尽くされての退任である。

知子にとっては父親よりもはるかに知子の労苦と努力を知ってくださり、教え導いてくださった方だ。今もまた神の絶妙の時、更なる神の導きと支えを信じて歩み続けるべし!


木々は万緑。
まもなく梅雨に入る。

posted by 優子 at 11:23| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする