2015年07月30日

真智と太志君、まもなく駅に着く!

まもなく再会というのに、あまりにユキが悪く、心の乱れを静めるために書く。

昨夜21時46分:ワシントンより、
「あと1時間ほどで空港に向かって出発します」。

今日午前1時25分:「搭乗しました。もうすぐ出発です。楽しみにしてます! またね〜。真智子」
   
14時54分:「無事に東京に到着しました」。   

15時41分:「今は乗り継ぎ待ちです。伊丹には6:30ごろだから、帰り着くのは8時過ぎになる感じかも。また連絡するね。夕食は、軽い目で大丈夫です。遅い時間になっちゃうから悪いね。ありがとう」。  

16時54分:「今、搭乗しました。もうすぐ出発です」。 

18時40分:「無事いたみに到着しました。感謝」。
  
18時55分:「今、上本町行きのバスに乗りました」。
  
19時58分:「8時7分発の準急に乗ります。もうすぐ辿り着くよー」。

もうすぐ会える。
真智! 
太志君!

" Blessed Assurance " (祝福の保証)を聞きながら、今しばらく待とう。
マチ・クマが帰国する朝.jpg
今朝の朝顔。
明日の朝も10個以上の花が開かんとスタンバイしている。
こんな植え方をしてしまったので密集して、花を開くこともできない蕾もあり申し訳ない。

あと20分で駅に着く。
チャッピーもマチたちが帰ってくるのがわかっているみたいにしっかりした表情をしている。チャッピー、マチが帰ってくるよ。太志君が帰ってくるよ。

あと、15分。
8月17日の早朝に再びワシントンへ向かうまで、これからの時間はゆっくりゆっくり流れてほしい。

あと、12分。
あと10分、夫が早くも迎えに行った。
私もPCをシャットダウンして二人を迎えよう。

主なる神さま、このたびもお守りくださったことを感謝します。お祈りしてくださっていた方、ありがとうございました。

追記:20時45分に再会! おかえりなさーい!
posted by 優子 at 20:22| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2015年07月28日

叔父の17回忌に

7月26日(日)、叔父の17回忌の法要で神戸市灘区にある妙善寺に出かけた。叔父は私たちが当地へ引っ越してきた1999年の夏に逝き、翌年の夏に父も亡くなった。

この席に従弟T君の姿が見えないのが悲しく、それがわかっていても「トイレに行っているのかな」と、居ないT君を探していた。

叔母の胸中はいかばかりか。親にとって我が子に先立たれる以上の悲しみはない。ただただ叔母の上に神さまの慰めを祈るばかりである。妹のAちゃんの上にもまた。

浄土真宗の聖典である『勤行(ごんぎょう)集』は、祖父母や両親の葬儀の時から聞きなれ耳に懐かしい。叔母の慰めになるのならと思って読経した。
寺ではこの前日にご住職が亡くなられて、境内では翌日翌々日に備えてテント設営中だった。取り込みの中にも関わらず現住職のいつも変わらぬ心ある応対と読経に感銘を受けた。

寺をあとにして「灘の清酒」の酒蔵の町並みを数分間自動車に乗って「酒心館」へ移動した。前回は2012年1月末の従兄弟の一周忌の折に、こちらで食事のもてなしを受けた。

神戸酒心館は創業1751年の清酒「福寿」の蔵元で、2012年のノーベル賞授賞者が神戸大学出身の山中伸弥氏だったことから、その晩餐会で「福寿 純米吟醸」が提供されて一躍有名になった。

テレビでも紹介されていた庭内の酒樽の中で今回も記念写真を撮った。前回と全く同じメンバーで! お許しを得てお顔も消さずに掲載させていただいた。3年前の写真をここに貼りたいのに古い方のパソコンにもなかった・・・

叔父の17回忌に@.jpg

中央のEさんは従妹の義父で、私の敬愛するお1人である。人情に溢れ、実に博学で世間知に富み、絶妙な話術ですぐに引きずり込まれる。今ではすっかり肉親のように思う大切なご家族だ。

従妹のお婿さんは会うたびに「真智子ちゃんはいつ帰ってくるの?」と尋ねてくださり、叔父の葬儀以来ご無沙汰しているのに今も忘れないでいてくださっている。

酒心館にてD.jpg

Eさんのお話をお聴きしているうちに、私の緩慢になっていた意欲や情熱が引き出されて、今は魂のエンジン全開で心が軽い。親子ともども誠実の塊。善良に生きる人々の上に神さまの豊かな祝福がありますように!

最後に夏の夜空をお楽しみください。
従妹の御伴侶は何度も写真展で大きな賞を受賞されているプロ級の腕前だ。これらは法事前夜の25日に芦屋の花火大会で写されたものや神戸の花火大会で撮られたもので、送っていただいた中からいくつかを掲載させていただいた。

ファイルを初めて開いた時、私はあまりの美しさに絶叫した。

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まさに傑作!

EさんのHPはここ、『ポンタの写真道楽』をクリックしてお楽しみください!

私は帰り際に矢継ぎ早に撮影の心得を尋ねた。
人物を撮る場合は目に焦点を合わせること。それは虫や生き物でも同じ。風景を写す場合は、「主になるものと脇になるものがわかればうまく撮れるようになる」。

文章を書くのと同じだなと思った。
文章を書くにも焦点が定まっていないとメリハリなく、ずっと同じ高さで書き連ねた全く退屈な駄文になってしまう。やはり何を創作するにも作者の感性とこだわりが必須なのだ。

私は簡易なデジタルカメラだが撮るのが本当に楽しいので、アドバイスを心に止めて感性を磨いていこう。

「とにかく撮り続けること」!

仕事でも何でもすべて試行錯誤し実践を重ねながら体得していくのだ。
人生も然り。
生きるって素晴らしい!


附記:真智子夫婦は(日本時間)30日の午前1時半頃にワシントンを離陸する。東京へは30日15時半頃に到着し、帰宅は夜の8時過ぎ頃か?

今回は「ホーム・リーブ」と言って、3年に一度母国に帰る費用をIMFが出してくれるという。国連職員は2年に一度だそうで、妹は1年で辞めたのでその機会はなかったが、母国を忘れず母国の様子を肌で感じてくる意味合いもあるという。

ただし10日間は滞在せねばならず、昨年は何度もアジア圏の国々とワシントンを行ったり来たりしていたので機会がなかった。

IMFに入って丸4年、9月から5年目に入る。
今回も無事に再会できますように、神さまがあらゆる危険からお守りくださるように祈ります。

posted by 優子 at 14:17| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2015年07月27日

戦後70年の8月は全国民が目覚める時!

「私たちは、私たち自身が経済性を優先させる罪に陥り、自分だけが良ければ良いとする思いをもって政治や人権に対して無理解・無関心となっていたことを悔い改めます」。

近畿地方が梅雨明けした7月20日の空。
梅雨明け!.jpg 。

雲が「梅雨が明けたよー」と宣言しているようだ。雲模様が楽しく目に映るのも平和があってこそのこと。絶対に戦争に通じる道を絶たねばならない!!!!

高血圧になって5年7ヶ月、一度バランスを壊すとなかなか体調が戻らない。誰しも人生の通底に心労を抱えているが、このたびは特に6月半ばからの連日の心労が加わって耐えられなくなった。

寝つきが悪くなり、梅雨が明けてこんなに暑いのに血圧が非常に高く、25日は夫と長女は午前中勤務のため不在。意を決して睡眠導入剤の頓服を服用して孫と共に教会CSのサマースクールに出かけた。

幸い、その夜は9時過ぎから眠れたので昨朝は元気に目覚めた。しかし、相変わらず血圧が高いままで降圧剤を多い目に飲んで神戸に出発した。昨日は叔父の17回忌の法要だった。

そのことは次に記したいと思うが、昨日もなかなか眠れず今朝4時半頃から少しだけ眠れただけだった。眠れないので再びテレビの部屋へ行った。リラックスしてテレビを見ていると眠たくなるからだ。

ところが、午前1時35分から1時間、『映像’15 よみがえる最前線 〜神戸と核と日米同盟〜』は眠くなるどころか、こんなに大切な番組が真夜中にしか放映されないとはという思いと、改めて日本国の現況がいかに危機的な状況であるのかがわかり激しい焦燥感を抱いた。

今まで「非核神戸方式」についてさえ全く知らず無関心だったことを恥じた。最も驚いたのは、

神戸の医療技術充実の最先端医療を活かした医療産業都市構想にアメリカの世界最大規模の建設コンサルティング会社ベクテル社が深く関与していること。つまり、戦地での重傷兵をいち早くここで治療せんがための目論見なのだ。

神戸では戦後も584人の一般市民が機雷の犠牲者を数え、これまで1800人近くの自衛隊員が機雷除去訓練中に命を落としていたことだ。


神戸方式の今後は神戸市民に委ねられている。
私が最も恐怖に感じるのは日米同盟が強化されたこと以上に独裁政権に化してしまった安倍政権だ。神戸市民が今後も神戸方式を明確に堅持したところで、狂気に陥っている現政権は沖縄に対してと同様に国権を乱用をして簡単に踏みにじってしまうだろう。

そんなことをさせてはいけない。絶対に食い止めねばならない。国は私たちの見えないところで着々と事を進めている。私達は今頑張り抜かないと再び神戸が廃墟になるのは簡単に想像がつく。神戸だけではなく、現代は簡単に日本を壊滅させてしまうだろう。
唯一、この危機から脱却を可能にするのは国民の力で追いやってしまうことだ。

「映像’15」の公式サイトより、放送内容の紹介と取材ディレクターの話を転載したい。
放送内容:
かつて神戸は集団的自衛権の最前線だった。朝鮮戦争でアメリカ軍の出撃拠点となり、戦車や2万人を超える海兵隊が戦地に向かい、8000人近い日本の民間人が巻き込まれた。アメリカに極秘で要請された海上輸送や掃海活動で多くの死傷者もでた。

ベトナム戦争でも神戸はアメリカの軍事戦略に翻弄され続ける。核兵器を搭載した艦船が入港していた。集団的自衛権の行使容認が閣議決定された今、神戸は再びアメリカの軍事拠点となるのか。知られざる神戸の過去から考える。

取材ディレクターの弁:
「紹介しきれない。もう1時間放送できれば・・・」編集を終えた今、番組で伝えきれなかった“知られざる”事実の多さを前に悔しさを感じている。

戦後日本の安全保障政策が転換点を迎える中、慣れ親しんだ街から集団的自衛権を見つめたいと思ったのが取材のきっかけだった。そして3か月間、機密解除されたアメリカの外交資料をひたすら読み込む日々が始まった。

神戸と米軍の関係は意外に古い。
戦後、アメリカの日本の占領政策方針は非軍事化と民主化だった。しかし朝鮮戦争がその後の日本のあり方を決定づけた。人知れず日本の民間人が8千人以上参加させられていた。

そのとき出撃拠点の一つとなったのが神戸だ。掃海活動や海上輸送で多くの日本人死傷者が出たが、戦争放棄を謳った憲法違反となるため犠牲者の存在は闇に葬られた。

1952年に日本が独立を果たした後も神戸は米軍の拠点だった。核を搭載した空母が寄港し、京都と奈良の県境の弾薬貯蔵施設で核兵器を組み立てる部隊も駐留していた。

アメリカは共産主義からの防波堤として明確に日本を軍事戦略に組み込んだ。自衛隊が発足した後、日米安保条約が結ばれ、米軍基地が固定化された。

実はこの頃からアメリカは集団的自衛権の行使を水面下で日本に要請していた。取材をすすめる中でいつも感じていたことがある。

安倍首相が提唱する“戦後”レジームからの脱却が、すなわち日米同盟の強化にかたよってはいないだろうか。日本を取り巻く安全保障環境が変化する中、一定の自衛力は必要だと考えるし、アメリカの軍事的な後ろ盾による抑止力も個人的には否定しない。

だが、何故、安倍首相のいう“押しつけられた”憲法の解釈を変更してまで集団的自衛権行使を容認し、日米の軍事的一体性の強化ばかりを優先するのか。

何故、日米地位協定や在日米軍基地といった不平等の是正に真正面から向き合わないのだろうか。この議論を避けたままで日米同盟が継続するのだろうか。

“知られざる不平等”をかいまみた今、進んでいるのは「戦後からの脱却」ではなく、「戦後の延長強化」なのではないか。そんな懸念を深めている。

最後に、今年2015年3月29日の『神戸新聞』社説より。
非核神戸方式/今こそ原点を共有しよう

神戸港に入る外国艦船に神戸市が非核証明書の提出を求める「非核神戸方式10+ 件」を実現させた神戸市議会の決議から40年を迎えた。

「神戸港は、市民に親しまれる平和な港でなければならない」「核兵器を積載した艦艇の入港を一切拒否する」−。決議は極めて簡明だ。

港湾管理者である神戸市は、決議を尊重し、非核証明書を提出しない艦船には岸壁の使用許可を出さない。この仕組みが神戸方式である。

決議後、7カ国20隻の艦船が入港したが、核搭載を肯定も否定もしない政策をとる米国の艦船は一度も入っていない。法的拘束力はなくても自治体が独自の仕組みで港の平和利用を貫いてきた意義は大きい。

一方で、特定秘密保護法などが神戸方式を揺るがす恐れも出てきた。被爆70年の今年、その存在をあらためて周知し、決議の原点を市民で共有する必要がある。

神戸港は第2次世界大戦後、米軍に接収された。朝鮮戦争やベトナム戦争時には米軍の補給基地として軍と民間の貨物が行き交い、米兵と港湾労働者とのトラブルも起きたという。日本が戦後復興と高度成長への歩みを進める中、神戸には今の沖縄に通じる状況があった。

最後まで接収が続いた新港第6突堤の返還は1974年5月。同年9月には、放射能漏れ事故を起こした原子力船「むつ」の入港を国から打診され、市民団体などが反対運動を展開した。退役米軍人の米議会での証言で、日本への核持ち込みが疑われたのもこのころだ。

市会決議は翌年3月、全会一致で可決された。公害など高度経済成長のひずみが顕在化し、社会問題に対する意識が高まった時代でもある。激動する社会の中で、安心して暮らしたいという市民の願いが決議の形で結実したといえる。

神戸方式に圧力をかける国内外の動きもあった。3度にわたる姫路港への米艦船入港はその一つだ。

最大の課題は、昨年12月に施行された特定秘密保護法だろう。非核証明書の提出を求める行為が問題になったり、艦船の入港情報が「特定秘密」に指定されたりすれば、神戸方式は骨抜きになりかねない。

今こそ神戸港の歴史と未来に思いをはせる時だ。「平和の港」として輝きを保てるかどうかは、市民一人一人の意思にかかっている。

posted by 優子 at 09:06| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年07月22日

国民の力を結集し、「満身の怒り」を込めて戦争法案を廃案に追い込もう! 

私たちは(法案を)廃案にするために参加している。私たちの根底には祈りがあり、祈りを土台として行動している。

今回の(法案可決という)結果は反対運動をしている人たちと逆行しているけれども、そこに何らかの神様の意図があり、そこに希望がある。

逆の結果に暴走しているのは人間が起こしていること。それ以外のところで(神の)御業が働くことを確信しているので、この結果で悲観したり絶望したりすることはない。

これは、16日午後2時過ぎに衆議院本会議で安保法案が可決された時、国会正門前のデモに参加していたキリスト者平和ネット会員の目黒恵子さん(57歳、日本イエス・キリスト教団東京若枝教会員)が、衆議院本会議での可決後、『クリスチャン・トゥディ』紙に対して語ったものだ。

私も全く同じ思いだ。
神さまは常に私たちの心に希望の灯をともしていてくださり、どんなに最悪な状況でも諦めずに前進する力を与えてくださるのだ。このムーブメントにはとてつもない大きな意味がこめられているように思っている。

法案反対デモにも参加される行動派の信仰の友がいる。その友が書いておられるブログ・『イエスと共に』を紹介方々、7月19日記事で『メメントドミニ』を紹介してくださっていることを記録させていただきたい。

とにかく日本基督教団 戦後70年にあたって平和の祈り」が出されたことを喜ぶ。
私にこのことをいち早く教えてくれたのは「メメント ド ミニ」というブログ。(http://yukochappy.seesaa.net/
いつも見ている。新しい発見がいつもある。私と同じくらいの年齢で女性の方が書いている。感謝。

実はこの友こそが過去ログ・今年の4月9日に記した方であり、シドニー在住の娘婿の理学療法士さんにスカイプ診断をお願いしてくださった方である。

まず何よりもその女性との出会いが不思議だった!
その方は『メメントドミニ』を愛読してくださっていたクリスチャン女性で、私のブログにコメント欄がないからと「お気に入りリンク」にあるミネソタ大学大学院在籍時代の真智子のHPにメールしてくださった。

ところが次女はIMF(ワシントン)に移ってからめったにそのHPをチェックしないものだから、メールを発見したのは1ヶ月ほど経ってからのこと。次女はすぐにその方のメールを転送してくれ、私は嬉しくて早速メールを差し上げたのだが直ぐにお返事がなかった。

その時私が大怪我をした直後だったのでお心遣いくださり、返信しないで美濃紙業宛にお見舞い状を送ってくださったのである。

メールはアメリカ経由、詳しく言うならば、ミネソタ、ワシントン経由で私の所に届いたのである。どんなに感激したことか! 

ところで、過日、安保法案支持を表明した同志社大学・村田晃嗣学長(同大法学部教授)について、私は大変な違和感と憤りを感じ、同志社に対してもどうなんだと疑念を感じていたが、同志社大学(京都市)の教職員有志が15日、村田氏を批判する声明をブログで発表している。

これが「国際政治学者としての個人の見解」であると前置きしてからの発言であるとはいえ、本件をマスメディアは、同志社大学学長による安保法案への支持表明として報じました。

実際、憲法学者の多くが反対するなかで、賛成の旗幟(きし)を鮮明にした学者を学長とする大学として、本学の名前が日本社会のなかで広く知られることになりました。・・・

わたしたち平和を希求する同志社大学教職員有志は、現行憲法に違反する安保法案の成立に反対します。また、その法案に対し、本学の学長職にある教授が公的な場で支持を表明したことについて、心から恥ずかしく思います。

同志社大学が教育理念の一つの柱に掲げてきた国際主義と、今回の村田教授の個人的見解とが一致するものではないことを、ここに表明するものです。

最後に「憲法研究者共同ブログ」をお伝えしたい。
今月11日に憲法研究者らが「全国出前講師団」が結成され、20日までに既に14件の依頼が届いているという。この講師団は、教会やキリスト教団体が主催する平和集会の講師依頼にも相談に応じてくれる。

憲法は国の最高法規です。憲法違反との指摘や疑義を解消することなく、与党が議席数という数の力だけでこの法案を成立させるのならば、国家権力の暴走に歯止めをかけている立憲主義は否定されます。・・・

夏休みをはさむ彼岸過ぎまで、この暑い時期にしかけられた95日間という会期延長は、私たち市民・憲法研究者に対する挑戦です。

そこには何としてもこの「安保関連法案」を成立させるという政府与党の強い意思があります。私たちはこの挑戦を受けて立ちます。

私たちはこれに屈することなく、安倍政権の憲法「解釈」の問題、法案の問題点を粘り強く指摘するとともに、関係する情報を発信し続けています。

平和を守る人々の声は力強く全国に拡がっている。諦めてはならない。『ウィンザー通信』のまうみさんは遠くニューヨークから強力な情報と声を発信し続けておられる。

もはや誰の目にも戦争法案の危険は火を見るよりも明らかであり、今こそ命がけで安保法案を廃案に追い込まなくてはならない。

何よりも国の最高法規である憲法をおかすなど言語道断だ。
少数ではできなくてもみんなの力を結集すれば廃案実現は可能だ。
1人ひとりが自分にできることをやろう。反対の声を周囲の人に、国会に届けよう!

附記:過去ログ7月17日の記事(日本基督教団 「戦後70年にあたって平和を求める祈り」)に今朝追記した。

これに関連して「教派を超えた戦時下のキリスト教研究に新たな一歩 同志社でキリスト教史学会」には具体例が挙げられており、人間の弱さが明らかにされている。以下に一部引転載させていただきたい。

日本基督教団の歴史では、1940年に施行された宗教団体法の下、政府の要請によりプロテスタント各派が合同し同教団が成立した経緯についての発表が行なわれた。

文部省が示した「教団設立許可基準」(教会数50以上、信徒数5000人以上)を満たすために、各教会の間で様々なせめぎ合いがあったことや、組合教会、バプテスト、ルーテルなど各派が制定した「教団規則」の史料が紹介され、当時の政府の宗教統制の意図を推測させる貴重な史料として、今後の詳細な研究の必要性が指摘された。(略)

戦前・戦中にかけて最も過酷な弾圧を受けたホーリネス系教団の側からは、文部省によるホーリネス系教会への弾圧に際し、日本基督教団幹部が「結社禁止は当然処置」「日本基督教の為には幸福な事件」であり「当局の大英断」と述べ黙認してきたことが、戦後も長らくホーリネス系教団の日本基督教団へ対する不信を生んできたとの率直な指摘もあった。

これは日本基督教団固有の問題ではなく「私の問題」であり、実に普遍的な問題である。では現代のキリスト者はいかに?! 教団教派を越えて現政権に対して必死の戦いに与しなくてはならないのではあるまいか!
 
posted by 優子 at 11:19| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年07月20日

だまされるな! 諦めるな! まだ声の出せるうちに国民の力で法案撤廃!

「あなたがもし、このような時に黙っているならば、ほかの所から、助けと救いがユダヤ人のために起るでしょう。しかし、あなたとあなたの父の家とは滅びるでしょう。あなたがこの国に迎えられたのは、このような時のためでなかったとだれが知りましょう」。         
              (聖書:エステル記4章14節)

『クリスチャン・トゥディ』、日出忠英氏の寄稿より。
今こそ声を上げなかったら、いつ声を上げるのでしょう 

先日、松山善三著『氷雪の門』を読みました。1945年8月15日の終戦の後、ロシア軍が樺太など日本の北方領土を占領するためになだれ込んできた時の、地獄のような様子が書かれています。

戦後70年、歴史の証人も高齢になってきましたが、こうした戦争の証言をもっともっと若い人たちが読み、知ってほしい。指導者が何と言おうとも、現実の戦争は愚かでむごたらしく、おぞましいもので、今なおその犯罪行為の責任はあいまいなままに忘れ去られようとしています。

そして今、この国の指導者たちは戦争ができる国へと着々とレールを敷いています。国会では参考人全員が違憲という判断を下したのに、危険な安保法制を通そうと躍起になり、それと並行して、教育の現場ではそのような政府の考えにそった教科書を使わせようという圧力や、また国歌、国旗に敬意を表すようにという圧力が、小・中・高からついに大学にまで及びつつあり、また戦争をするために国を経済的に支えるために、派遣という安い労働力を期限なしに使えるような法律を作り、また特定秘密保護法が施行され、マスコミに対してもさまざまに干渉し、徐々にしめつけが始まっています。国を挙げて戦争ができる体制に固めつつあります。

私たち国民が無関心でいる間に、いつの間にかそのベルトコンベアに乗せられ、戦争へと送り出されていくばかりです。国民の半数以上は政治に無関心ということです。クリスチャンはどうでしょうか。

エステル記4章14節は、私たちクリスチャンに向かって今、語られているのではないでしょうか。まだ何とか自由に意見が言える今こそ声を上げなかったら、いつ声を上げるのでしょう

日本の国民が、市民が、このような日本の政治の現実に目が開かれるということは、日本の霊的な覚醒にもつながると思います。

そう考えると、クリスチャンはまさに「この時」のために残され、生かされていると言えます。当然、眠りこけてはいけないと思います。


戦争をしたがっている指導者は、「国民を守るため」と言います。しかし、武力で相手を支配するのは、それによって自分たちが権力を握るためであり、権力はいつも富と結び付いています。

そして、権力と富を求める者は、それによって贅沢(ぜいたく)の極み、快楽の極みをむさぼりたいという動機が隠されています。

これこそ、主イエスの荒野の誘惑の最後のものです。人間にとってこの誘惑は、抗(あらが)いがたいものです。

創世記3章6節のあの誘惑のように、「まことに食べるのに良く、目に慕わしく・・・いかにも好ましかった」。その結果がどうなったかは、クリスチャンなら誰でもが、自らを含めて痛切に認めた原罪そのものです。

私たちは、こうした動機から出ている、まことしやかな詭弁(きべん)を見抜き、神の子どもとして平和をつくり出す者として(マタイ5:9)、固く信仰に立って立ち向かう者として(Tペテロ5:9)、今こそ声を上げる時です。

「ヒトラーの右腕だった高官が戦後の裁判でこんな趣旨の発言をしたという。

『国民は戦争を望まない。しかし決めるのは指導者で、国民を引きずり込むのは実に簡単だ。外国に攻撃されつつあると言えばよい。それでも戦争に反対する者を、愛国心がないと批判すればいい』。だまされてはいけない」
(2013年12月14日付東京新聞より)

     (文・日出忠英=岩手県、73歳)

「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい」。       
          (ペテロの第一の手紙 5章8・9節)

「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、
 彼らは神の子と呼ばれるであろう」。
          
          (マタイによる福音書 5章9節)

▼ 全国のデモ・抗議開催情報(TPP・改憲関連)です!

posted by 優子 at 10:40| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年07月17日

日本基督教団 「戦後70年にあたって平和を求める祈り」

日本基督教団公式サイト「戦後70年にあたって平和を求める祈り」を発表した。お読みいただきやすいように数行ごとに改行を加えた。

私たちは今、世界の主なる神に祈ります。

私たちは戦後70年にあたって、アジア・太平洋戦争時、日本の戦争遂行に協力し、多くのアジア諸国の民に多大な苦しみを与えたことを悔い改め、二度と同じ過ちを犯すことがないために、真に平和を造り出すことができる知恵と力を与えてくださるように、今この時、神の憐みと導きを祈り願います。

今、日本は、多くの憲法学者が憲法違反と指摘しており、多くの国民が懸念しているにもかかわらず、集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、そのための安全保障法案を国会で議決しようとしています。

私たちはそのことを憂い、「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」(イザヤ書2章4節)平和の実現を願い、為政者が謙遜になり、国民の思いに心を寄せ、秩序をもって政治を司ることができるよう切に祈ります。

また、国政に責任を負う者の中に、多くの重荷を負わせられている沖縄の人々のうめきや痛みをかえりみず、言論を封じようとする発言があることに心が痛むと共に、為政者のおごりを感じます。

異なる意見に耳をかさず、懲らしめなければならないとうそぶいている権力の担い手たちが、異なる意見を真摯に聞く心を与えられるよう祈ります。

為政者が、権力を担うことは民意の委託であることを覚え、民に聴き、民の痛みを知り、民を尊び、民に仕える心が与えられるよう祈ります。

私たちは、私たち自身が経済性を優先させる罪に陥り、自分だけが良ければ良いとする思いをもって政治や人権に対して無理解・無関心となっていたことを悔い改めます。私たちに他者の痛みや嘆きを自らのものとして受けとめる心を与えてください。

平和の君イエス・キリストの御名によって祈ります。 アーメン

(第39総会期 第3回常議員会 2015年7月14日 可決)

また、日本聖公会、日本ホーリネス教団、日本福音ルーテル教会、日本バプテスト同盟、日本YMCA同盟も同法案の撤回・廃案を求めての声明を出し、日本同盟基督教団は安保法案の衆院可決前の14日に出している。

尚、1967年に発表した「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」も合わせて掲載したい。

わたくしどもは、1966年10月、第14回教団総会において、教団創立25周年を記念いたしました。今やわたくしどもの真剣な課題は「明日の教団」であります。わたくしどもは、これを主題として、教団が日本及び世界の将来に対して負っている光栄ある責任について考え、また祈りました。

まさにこのときにおいてこそ、わたくしどもは、教団成立とそれにつづく戦時下に、教団の名において犯したあやまちを、今一度改めて自覚し、主のあわれみと隣人のゆるしを請い求めるものであります。

わが国の政府は、そのころ戦争遂行の必要から、諸宗教団体に統合と戦争への協力を、国策として要請いたしました。

明治初年の宣教開始以来、わが国のキリスト者の多くは、かねがね諸教派を解消して日本における一つの福音的教会を樹立したく願ってはおりましたが、当時の教会の指導者たちは、この政府の要請を契機に教会合同にふみきり、ここに教団が成立いたしました。

わたくしどもはこの教団の成立と存続において、わたくしどもの弱さとあやまちにもかかわらず働かれる歴史の主なる神の摂理を覚え、深い感謝とともにおそれと責任を痛感するものであります。

「世の光」「地の塩」である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした。まさに国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。

しかるにわたくしどもは、教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを、内外にむかって声明いたしました。

まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。

心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります。

終戦から20年余を経過し、わたくしどもの愛する祖国は、今日多くの問題をはらむ世界の中にあって、ふたたび憂慮すべき方向にむかっていることを恐れます。

この時点においてわたくしどもは、教団がふたたびそのあやまちをくり返すことなく、日本と世界に負っている使命を正しく果たすことができるように、主の助けと導きを祈り求めつつ、明日にむかっての決意を表明するものであります。

1967年3月26日 復活主日
日本基督教団総会議長  鈴木正久


7月22日08時37分追記:
これに関連して「教派を超えた戦時下のキリスト教研究に新たな一歩 同志社でキリスト教史学会」には具体例が挙げられており、人間の弱さが明らかにされている。以下に一部引転載させていただきたい。

日本基督教団の歴史では、1940年に施行された宗教団体法の下、政府の要請によりプロテスタント各派が合同し同教団が成立した経緯についての発表が行なわれた。

文部省が示した「教団設立許可基準」(教会数50以上、信徒数5000人以上)を満たすために、各教会の間で様々なせめぎ合いがあったことや、組合教会、バプテスト、ルーテルなど各派が制定した「教団規則」の史料が紹介され、当時の政府の宗教統制の意図を推測させる貴重な史料として、今後の詳細な研究の必要性が指摘された。(略)

戦前・戦中にかけて最も過酷な弾圧を受けたホーリネス系教団の側からは、文部省によるホーリネス系教会への弾圧に際し、日本基督教団幹部が「結社禁止は当然処置」「日本基督教の為には幸福な事件」であり「当局の大英断」と述べ黙認してきたことが、戦後も長らくホーリネス系教団の日本基督教団へ対する不信を生んできたとの率直な指摘もあった。

これは日本基督教団固有の問題ではなく「私の問題」であり、実に普遍的な問題である。では現代のキリスト者はいかに?! 教団教派を越えて現政権に対して必死の戦いに与しなくてはならないのではあるまいか!

「多くの人々の流された血の上にある平和憲法を踏みにじるような愚行は止めて下さい」。


附記:以下は本日15時21分「ヤフーニュース」より。
「東京(CNN) 消息不明となって3週間以上が経つ日本のフリージャーナリスト、安田純平氏(41)の安否への懸念が高まっている。・・・友人(匿名を希望)は、安田氏がイスラム過激派によって身柄を拘束された可能性が高いとの見方を示した」。
posted by 優子 at 17:39| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年07月16日

70年前、夏空の下は地獄だった

台風を前に.jpg朝顔を植えるのは5〜6年以上ぶりか。台風接近を前にして強風に耐えられるだろうかと、まもなく開く朝顔が愛おしい。今夏3つ目の花だ。

大型で強い台風11号の影響で昨夜半から雨になったが、7時頃にはすっかり上がり朝顔の葉に雨粒はなかった。
孫には念のために長靴を履かせて登校させたものの雨は降らず洗濯物も乾き、雨が降り出したのは13時半頃からだった。

天気予報では今夜に四国に接近し、17日明け方にかけて西日本へ上陸する見込みで、大阪府内では午後8時半すぎに暴風警報が発令されている。

当地(奈良県西北部)では今も大した雨風もないが、台風の接近により明日は警報が出る可能性が高いため1学期の通知表は今日持ち帰ってきた。そして、明朝警報が出ていたら終業式はないまま夏休みに入る。

17日7時過ぎ追記:当市の警報は午前4時にすべて解除され、先ほど学校から「本日は平常通り、上靴を忘れないように」との一斉メールが入ったと、通勤中の知子より電話が入った。幸いなことに当地では今回の台風も通常の雨の日と変わりなく終わった。)

先週11日(土)から梅雨が明けたような日が続いていた。真っ青な空に入道雲がムクムクと湧き出る夏空。あまりに美しくてたびたび見入っていた。

夏の空.jpg

入道雲.jpg

70年前の空も美しかったのであろうが、地上は地獄と化していた。沖縄の地獄、東京、大阪、神戸など大都市は焼け野原で、広島と長崎は原爆投下の地獄だった。

戦争法案を強行に進めていく輩(やから)よ、どうしてわからないのか!
これが人間の蛮行、宿命か!

しかし、諦めてはならない。
私たちは2度と日本を戦争する国にしてはならない。
今ならまだ間に合う。
「おかしいことはおかしい、間違っている!」と、声をあげて行動しないと手遅れになってしまう。

「平和こそキリスト者の希望。福音の声を結集しよう! 行動こそすべて」。(ペン友からの便り)

posted by 優子 at 22:51| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年07月15日

午後12時24分、怒号が飛び交う中で安保法案強行可決。それでも諦めないぞ! 

昨日の記者会見で石破茂氏が安全保障関連法案について「国民の理解が進んできたと言い切る自信はない」と語った。
このニュースを耳にした時、閣僚の一人であるにもかかわらず安保法案について沈黙したままの石破氏に失望していただけに、この発言は自らの利益を考えて今後の選挙のために伏線を敷いたのか、あるいは強行採決しようとする前日になって、ついにクリスチャンとして神さまに申し開きできない生き方に押し出されての発言なのだろうかと思った。

今からでもいい、もっともっと声を大きく上げるべきだ。各論については石破氏と考え方の違いがあろうとも、その根幹において安倍氏のやり方は強権的で狂気だ。

安倍氏を取り巻く周囲の与党議員たちには、自らの政治信条のある人はひとりもいないのだろうか。これでは金魚の糞ではないか。政治家として、一個の人間としての尊厳がないのだろうか!

私は安倍氏の答弁を聞くたびに「悪人は自分の罪のわなに陥る」(箴言29章6節)という聖書の言葉を思う。このようなことをやると結局は自らの破滅、自民党の敗北を招くことになるのだ。


私たちも最後の最後まで希望を捨ててはならない。神さまは最悪を通して最善へと導かれることを信じる。政治に無関心であった若者や子を持つ母親も立ち上がっている。

これらのことがもっともっと大きなうねりとなって、60年安保に次ぐ第2の市民革命となって狂気を打ち砕くことができますように!

かつて真珠湾攻撃の報に接した際の加藤周一は、
「即、東京が米軍機に空爆され、自分も焼け死ぬだろうという地獄の未来を直観した。3年半後の日本と自らの最期を生々しく想像した。その直観は正確なものだった。・・・

この法案が国会で成立し、日本が中国と戦争を始めたら、必ず全面戦争になり、そして核戦争になり、日本は滅亡すると私は確信している。
加藤周一の判断と推測が科学的に正しかったように、私は私の予測が間違いないと自信を持っている」。

「7月15日は岸内閣総辞職の日。
60年安保が市民革命であったこと、あらためて詳しく説明するまでもあるまい。戦後70年間、一度として市民のデモによって政権が崩壊した例はなく、ただ一度、1960年6月に30万人のデモの爆発が岸内閣を打倒した。
 
                    「世に倦む日日」より

信仰を同じくする石破氏のために祈る。
「誓った事は自分の損害になっても変えることなく」(詩篇15篇4節)、どうか発言の立場を与えられている政治家が動かされることのないように、神の知恵をいただいて聡明たれ! 神が彼を強くして日本の導き手としてくださるように祈る。

附記:この記事を書き終えてPCを閉じる前にニュースに目をやると、怒号が飛び交う中で安保法案強行可決されたと報じていた。絶句。

しかし、諦めない。60年安保行動のごとくに第2の市民革命となって立憲主義と平和民主義を奪還しよう!

posted by 優子 at 12:52| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年07月12日

ユキの予後と「逆生(ぎゃくせい)・埋伏(まいふく)過剰歯」のこと

初咲きの朝顔.jpgユキは今朝元気に目覚めたがサッカー教室は勿論のこと、微熱もあったので教会にも行かないで休養していた。

まだ麻酔のあとの違和感があり、傷口が痛くてつぶしたバナナさえ食べにくい状態だった。これでは給食が食べられないので「明日は休もうかな」とか、「午前中で帰ってこうかな」と話していた。

私たち夫婦が教会に行っている間に眠ったユキは朝よりも元気になっていた。
そして、「ご飯を食べたよ!」と元気な声で私たちを出迎えてくれ、教会の帰りに買ってきた栄養ゼリーは必要なかったほどで巻き寿司まで食べるほど回復に拍車がかかっていた。

そして、夜には明日は登校すると言い出し、プールは慎重なユキらしく見学するというのも大賛成! でも、暑いところで見学していて大丈夫かしらと新たな心配も生じるが。。。

術後25時間.jpgこれは夕食前のユキ。
左手にはめているのは昨日買ったばかりの「妖怪ウオッチ」のおもちゃで、賑やかな声(?)が鳴りっぱなしだ。

「俺の友だち出てこい! ドンヨリーヌ妖怪メダル・ゼットオン!・・・ドンヨリーヌ・ボブジョワ〜〜〜ン」
「俺の友だち出てこい! ジバニャン、妖怪メダル・ゼットオン!・・・ジバニャン、だるいんですけど」だったか、意味不明の言葉が聞こえてくる。わーい(嬉しい顔)

昨夜は痛みを訴えて寝つきが悪かったが、この玩具を枕元に置いて眠った。痛くてたまらないのに寝る寸前まで耳鳴りがするほど繰り返していたユキ。喧しくともこの玩具のおかげでユキの気が紛れてよかったと知子が喜んでいた。

反省ユキ.jpgこのような玩具を買ってやったのは初めてだと思う。
もう1か月ほど前からせがまれていたが、大事なものでも片付けないので買わないでいた。この写真がその頃の「反省ユキ」で、初めて見せた落ち込み様だった。
1歳2か月の反省ユキ.jpg
そんなユキを見ると「1歳2ヶ月頃の反省ユキ」を思い出す。この時はママのメガネを壊して叱られたのだ。どんな顔をしているんだろう。下から覗いて見たかったな〜。
(過去ログ・2008年11月25日に掲載)

昨日は、痛い治療を前にして喜ばせてやらないではいられなかった。
3割引きになっていたので私も大喜び! 
この時、お誕生日のお祝いに22インチの自転車も購入した。知子は梅雨が明けてからと、27日に届くようにお願いした。

ところで「過剰歯(supernumerary tooth)」の原因は、「歯の元である『歯胚(しはい)』が過剰に作られたり、分裂したりすることによって、歯が多く作られる」そうだ。

「発生頻度は約3%で、30〜40人に1人の頻度で見られ、女性よりも男性に多く、また、そのほとんどが上の前歯部にでき、6歳ぐらいで見つかる」という。

「7歳くらいに永久歯の前歯がうまく生え変わらなかったり、前歯と前歯の間がすきっ歯になったりして気づくことが多い」。

ユキは8歳になっていたので、私たちが疑問を抱いて歯科医に相談していればもっと早く見つかっていたのではと思ったりもする。遅すぎはしなかったのだろうか。

というのは、このあと永久歯が出てきても歯列が悪くなるのではと少々懸念しているからだ。
しかし、あの極度の恐怖と苦痛は下限8歳からだろう。8歳でさえ過酷すぎる。私はユキのように耐えられるか自信がない。歯列については今回のことほど重要なことではない。

検索するとユキの場合と全く同じ状況が書いてあった。

「過剰歯があると乳歯が抜けても永久歯がなかなか出てこないことがあり、これは過剰歯が上顎の真ん中にあることが多く、その場所に生えてくるはずの永久歯が骨の中に止まって出てこられないからだ。

例えば片方の前歯の永久歯が出ているのに、もう片方は出てこない、こんな時はレントゲンで過剰歯がないか確認してもらうように」とあり、まさにユキの場合がそれだった。

過剰歯が見つかれば、抜歯すると出ていなかった永久歯は自然に出てくるとのことなので、歯の先が見えてくるのを待ちたい。

以下はユキの場合の「逆生・埋伏過剰歯」について。
▼ 逆さ向きの過剰歯(逆生)は、どんどん鼻の奥の方へ進み鼻の空洞へ出ることがあります。

他の歯と同じ方向に生えてくる過剰歯(順生)はお口の中に生えてきますが、逆生は骨の中に潜る方に進んでしまうため、最後は鼻の空洞に生えることがあります。ただし、ほとんどは骨の中で止まってしまうことが多いようです。


(ユキの場合も同様ならば知子の聞き違いか?・・・)

過剰歯が他の歯と逆の方向(逆生)に向いて生えている過剰歯は、自然には出てこられません。徐々に歯ぐき中の深い方向へ進んで行ってしまうので、他の永久歯の根がある程度出来上がったところで抜歯します。

抜歯する際は上顎から歯ぐきを開いて、骨を削り抜歯します。抜歯する時間は20~40分程度で骨の中にどれだけもぐっているかで変わります。

知子は手術を直に見ざるを得なかったために強度のショックを受けて、帰宅した時は吐き気を催し夕食も受け付けず、気分が悪いのでしばらく散歩に出かけた。医療従事者でもないから当然であり、しかもも我が子の手術を見るのは過酷すぎた。

5日目の朝に.jpg 7月16日の朝に.jpg
これは術後5日目・7月16日朝。私はこの時初めて見た。

その夜、私は安堵して4時間熟睡したが、知子は2時間しか眠れず、ユキの看病も加わり何度も血のよだれで汚れたバスタオルを交換してやっていた。

おかげさまで予後は順調に回復している。「ユキがおとなしかったんは半日だけやんか。もっとおとなしくしておいてくれた方がええわ」と、我が夫が言うほどに。


posted by 優子 at 23:23| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2015年07月11日

8歳の誕生日に鼻の骨も削るほどの大手術!

逆生(ぎゃくばえ)・埋伏(まいふく)過剰歯抜歯術。それはそれは大変な大手術だったが、17時半に手術は無事終わり、ユキは20時半頃から眠りについた。

今朝、私は血圧が170近くもあったので付き添うのを躊躇したが、「おばあちゃんも一緒に行こうかな」と言った時、「やったー!」とユキが大喜びするので迷うことなく決心した。

知子が問診票を書き終わった16時50分、ユキは知子と診察室に入っていった。以下は知子から聞いたものである。

X線の結果、過剰歯は予想外に鼻に向かって生えていて(実際は鼻側から生えていた)、かかりつけ医が口にされた永久歯に癒着はしていなかったが、思ったよりも奥に食い込んで取り除きにくい症例だった。

IMG_4099.jpgこれが取り出した実物大で、1.5cmもある大きな歯だった。これが永久歯の進出を邪魔していたのである。
上が根っこ部分だが、これが鼻に向かって生えていたのではなく、鼻から歯茎に向かって生えていたのである。

8歳の誕生日を迎えたばかりの子供には過酷すぎる除去手術だった。イエスさまが共に居てくださるとはいえ、ユキは怖かったことであろう。その痛みに耐えたユキ。 

最初に15〜20か所に歯茎の上から黄色い麻酔薬を太い注射針で射しこまれ、歯茎の表側と内側の両面全てに打った。(打ち終わった時、17時4分だった)

そこで、うがいをするために診療台が上に上がってきた時、知子が「ユキ、よく頑張ったね」と言うと、みるみるうちにユキの目が真っ赤になって大粒の涙が流れたという。

そして、知子の目からも涙が出ていて、メガネのレンズに大粒の涙が落ちているので気づいた。しかし、「一緒に泣いてたらあかん!」と自らを律して耐えた。


15か所以上に及ぶ麻酔注射を打たれている間、ユキは目を閉じて顔の表情も歪めず、知子と繋いでいた手もピクっともしないでいたので、「やっぱり強い子だなあ」と思っていたそうだ。

というのはユキが3歳くらいの時に、小児科で2本続けて左右の腕に予防注射した時に泣かなかったものだから、「強いねー」と医師を驚かせたエピソードがあるからだ。

しかし、今回は耐えに耐えていた。
当然だ。私ならばもっともっと呻き声を出していただろう。

知子が最初、「ママはここに居ったほうがいい?」と聞いた時、ユキは「どっちでもいい」と言った。しかし、「麻酔の時だけここに居らせてください」とユキの傍にいた。

ところが、麻酔を打たれたあとは「居ってほしい」と言うので、知子は最後までそばにいたいと申し出た。医師は快諾してくださって最後までいたが、その時に「途中で泣き出すお母さんもいるけれど」と言われたほど手術は過酷だった。

知子も強かった。よく頑張った。「母は強し」だ!
(手術はその5〜6分後の17時10分頃から始まったと思う)

医師が、「では麻酔効いているか触っていくねー」と言われたので、知子がそこに眼を移すと、すでに上あご内側が切開されていて大きく開いていた!

時々、ユキがかすれた声で「うー、うー、うー、うー」と言うので、「ユキ、痛いの?!」と知子が聞いたことにより、医師も初めて聞いてくださって、その瞬間に麻酔を打たれた。

「この時、ユキの傍にいてよかったと思った」と語った知子の言葉は重く私の心に響いた。手術に集中する医師は子供の小さな呻き声には心を止めないが、母なればこその援助だった。こういうことが3〜4回あったという。

そして、3回目から「痛い時は左手を上げることにしようか」とのことになり、ユキは頻繁に手を挙げた。

「これでも痛い? こんなところが痛い? 痛いのではなく抑えている感じではないの?」
医師の焦りが伝わってきた。
麻酔が効いてない!
この時、歯が鼻の奥にまで食い込んでいてなかなか取れにくく、まるで突貫工事のようで、この時から知子はより強くイエスさまに祈り続けたという。

気丈な知子も見ていることができず、しかし見ないではおられない母親の姿だった。

最後に医師がピンセットを取られた時、「よかった。これで取れるんや!」と思ったという。そして、ガボッと引きずり出した。

すると医師は傷口も縫い終わって完了したかのように、これまでの状況を明るく語り始めるので、知子はゆっくりしていたら麻酔が切れるのではないかと気が気ではなかったという。

その時はまだ、ユキの上あご内部はバカッと大きく開かれたままの状態だったからだ。それほど緊迫していたのかも知れない。


その明るい様子は待合室にいる私にも伝わっていた。
「もう終わったん?」とユキの声が聞こえてきた。そのあとうがいをして(この状態でうがいとは、ああ怖い)、縫合して無事完了したのだった。

待合室で待っていた私は途中(17時20分)で気分が悪くなって外へ出た。しかし、それも落ち着けず、ユキの呻き声が聞こえたように思ったので大急ぎで部屋に戻った。
たった4分間しか経っていなかった。
あとで聞くとユキは大きな声を一度も出してはいなかった。

そして、「終わりましたよ!」と受付の女性が診察室のドアを開けてくれた。他者の気持ちを共感理解できる優しい若い人だった。
ドアの向こうに目をやると、ユキは診療台から降りて歩き始めていた。

私はドアの傍から、「ありがとうございました! ユキちゃん、よく頑張ったね!」と声をかけると、見る見るうちにユキの目に涙が溢れ、涙を拭くユキの姿を見て我が涙を抑えた。

その後、土曜日の6時前でも開いている薬局を教えていただいて向かった。調剤に時間がかかり、ユキにとっては痛みを耐えながらの耐え難い20分だった。医師の指示通りにその場ですぐに頓服を飲んだ。

頓服にはポンタールが処方されていた。本畝淑子さんの『こわい風邪薬』で知った脳症を引き起こす薬なので尋ねてみると、同じことを言われたが特に注意はなかった。
しかし、これ以上飲ませたくはない。毎食後の痛み止めと抗菌薬でコントロールできますように!

その日の夕食は勿論喉を通らず、何とかお風呂(シャワー)に入れて術後3時間後の8時半から眠りについた。痛みは薬でコントロールできるので、出血が止まらない時は翌日の日曜日も診ていただけるので不安はなかった。

私はいつも思うのだが、それぞれに専門家の人がいてくださって本当にありがたい。勉強はこのためにするのだとユキにも話した。

ユキが眠ってまもなく様子を見にいくと、血のよだれが出ていたそうだが心配ないだろう。今はこのまま順調に回復していきますようにと祈るばかり。(この夜、薄い血とはいえ何度もタオルを交換したが、翌朝には止血していた)

順調ならば月曜日からは日常生活に戻り、プールに入っても良いとは信じられない! 月曜日に消毒に行き、来週18日の土曜日に抜歯して完了。

その後、永久歯が順調に生えてこなければ矯正しなければいけないという。その場合はまた真智のように痛い治療になるのではと気持ちが重いが、思い煩うことなかれ。今日は私も疲れた。

祈ってくださってありがとうございました!

「ママ、大好き!」.jpg
「ママ、大すき!」

posted by 優子 at 22:52| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2015年07月10日

明日、8歳の誕生日に歯科手術

先週の土曜日のこと。ユキはフッ素塗布をしていただくべく歯科医院を受診した。その時に上前歯の乳歯が抜けたあとに永久歯が生えてこないことを相談した。

乳歯が抜けたのはもう1ヶ月前(正しくは6月9日)になる。先に生え変わった前歯も遅かったが、娘たちは小学校に入学する年の冬に2本続けて生え変わっていた。

X線写真で異常が見つかった。
永久歯が生えてこないのは歯茎内部の過剰歯によるもので、永久歯に癒着しており、逆方向(内側に向かって)に生えている為、手術しない限り永久歯は出てこないという。

幸い、歯科医の御親族が二駅向こうの実家で開業しておられ、そのお1人(女医)が小児歯科、歯科口腔外科、歯科麻酔科などを専門とする日本口腔外科学会専門医だからと、医師から女医さんに相談し紹介してくださった。

そして、今日の昼休みに知子は電話した。3・4年生になるまで待つメリットはゼロで、デメリット多数と判断してお願いしたところ、手術は明日の16時50分に決まった。明日7月11日は幸悠の8歳の誕生日である。

当日にもう1枚X線写真を撮ってから手術が開始される。
子供にとっては大変な手術だが、大人の親知らずを抜く程度に思ってくれて良いとのこと。予想外の生え方等していなければ開いてから30〜1時間以内の手術予定だそうだ。

術後、具合が悪い場合も、翌12日ならば御在宅とのこと。緊急なら電話して下さいとの言葉もいただき、知子は信頼して委ねることになった。

お昼過ぎ、知子からワシントンのマチ・クマにも同時送信メールが届いていた。
「幸悠が、極度の不安を抱くことなく、また、麻酔や歯の生え方など、手術中に予測外の事が起きず、無事終わるように、お祈りください!! 明日の夜、結果をメールします」。

知子はお風呂に入っているときにユキに話した。
最初は眉をひそめて「こわい! 嫌や! 痛いんやろ?」と涙をためて言った。そこで知子は話した。

「(昨年の1月に)真智がおなか切ったやろ? でも、痛いって言うてた? そんなこともできるから麻酔は魔法やねん。それから、おチビの歯のことや麻酔のことばっかり勉強している先生やから大丈夫やよ。

それにね、明日はユキが食べられへんから可哀想やからって、あのおばあちゃんが断食するって! おじいちゃんもみんなしてもらうって!と言うとニヤッと笑って、あとはカブトムシや妖怪ウオッチの話になった」。


明日は日本酒に黒砂糖を溶かしたものを桜の木に塗って、翌日未明にカブトムシを見つけに行くつもりなのだ。

最近は就寝前のお祈りはママがして、お祈りが終わらないうちに眠ってしまうユキ。今日はプールに入ったので宿題しながら眠ってしまい、2時間も昼寝したのでユキ自らお祈りした。

イエスさま、あした、8歳になります。
あした、髪の毛を切ったり、おもちゃ(妖怪メダル?)買ってもらったり、外食したり、いろいろ楽しみです。嬉しいです。

そして、夕方は歯医者さんで歯の何かします。
イエスさま、痛くなった時、共にいてください。
イエスさまのお名前によってお祈りします。アーメン。

ユキは「イエスさまがいるから」と安心して眠った。

ユキの祈りを思い出した。真智がワシントンで手術する直前(過去ログ・2014年1月9日)のユキの祈りだ。

「イエスさま、ユキはイエスさまはすごいってしんじてるから いまからねます。
あしたのあさ、おばあちゃんから『せいこうしたよ!』と ききたいです。しゅじゅつするひとも かんごふさんも みんないいひとでありますように。
このおいのりをイエスさまのおなまえによって みまえにおささげします。アーメン」。


ユキ、マチとフーもお祈りしてくれているよ。先ほど、フー(クマ)からメールが届いた。一部抜粋させていただいた。

「お誕生日の日に大変ですが、早くできるのは良かったと思います。電話した翌日の予約がたまたま空いているなんて、主の導きを感じました。

無事に手術がうまくいきますよう、祈っています。術後も早く快復しますように。そしてゆきちゃんの気持ちと皆さんの気持ちも支えられますよう、お祈りしています」。


明日は私も一緒に行ってやりたいがとても耐えられない。血圧のこともあるので家で待っていようと思うのだが・・・
というのは、真智も小学校3年生(?)になる春休みに、歯の生える方向が良くなかったので手術をしたことがあった。あの時の待合室で待っていた時の耐え難い思いが今も残っているのだ。

東大阪のT歯科医はこのたびの医師とは正反対で、麻酔が十分効く前から始めたり、術後の痛みを訴えた時も頭ごなしに「痛みの感じ方は人によって違うから」の一点張りで、それに対して一言も論理的に言及できなかった自分が腹立たしい。相手によっては論理的に言及できる知識武装が必要だ。

マチからも今メールが届いた。一部抜粋させていただいた。

「手術と聞いてびっくりしたけど、良いお医者さんと出会えたり、手術が早期に出来たり、すでに神様が導いてくださっていることを感じました。
     (略)
手術中は麻酔が効かなかったからものすごく痛かったし、術後は傷跡が怖くて、食べるのも怖かったけど、なんとかなったよ。痛みは毎日ましになっていったし、神様の治癒力はすごいね。

手術が無事に行われるように、ゆきちゃんの不安や痛みを神様が和らげてくださいますように、お姉ちゃん達も支えられますように、お祈りしています」。


お誕生日のお祝いは一日遅れになるが、明日のことは主に委ねよう。

posted by 優子 at 23:59| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2015年07月03日

シェールガス革命の実態 - 知らないことは罪である。知ろうとしないことはもっと深い罪である。 -

夕食の準備にかかる前に腰痛を和らげるためにテレビ(BS1)をつけて横になった。各国のニュースだと思って見始めた瞬間から引きずり込まれた。

その番組は既に夕方5時から始まっていた『BS世界のドキュメンタリー』・「シェールガス開発がもたらすもの」だった。

シェールガス開発が進む南アフリカ。より環境への負担が少ないとされるが、疑問を持ったディレクターがアメリカの採掘現場へ飛ぶ。その取材からは厳しい現実が見えてくる。

南アフリカの南部ではシェールガス開発が計画され、住民は経済発展と雇用創出に期待を寄せている。しかし地元で育ったディレクターのミナーは、シェールガス採掘で被害を受けたというアメリカ人とのネットでのやりとりをきっかけに、環境への影響を危惧するようになる。

開発は南アフリカの自然と人々の暮らしに何をもたらすのか。真実を確かめるため、“シェールガス革命”に沸くアメリカへ向かう。彼女が目の当たりにしたのは・・。

私は後半の20分間見ただけだったが、アフリカだけではなく、先進国のアメリカでこのようなことが起こっていたことに驚きをかくせない。いや、このように驚く私が甘いのだろう。国や時代の違いを越えて、これが人間の実相なのだ!

水圧破砕が地下水汚染をもたらし、ペンシルバニア州(西バージニア州も)の民家の蛇口から出るのは有害物を大量に含んだまっ黒な水で、私が驚愕したのは死亡者まで出ているのに当局は問題ないと突っぱねていることだ。

実態を明かしてしていた人も「総合秘密保持契約」をさせられて政治的圧力がかかり口を封じられ、この異常さが公開されることはない。

南アフリカの人は水圧破砕と汚染に因果関係がないのか心配しているが、当局は問題を次の世代へ先送りするばかりで、このまま放置しているとどうしようもなくなる。
いずれアジアにもシェールガス開発の波が広がり、放置していたらその代償が地球上の私たちに降りかかってくる。

アフリカ・カルーの住民は、「誰もが環境保護主義者であるべきだ。この土地は次の世代のために守らなければならない」と言った。

世界は今岐路に立っている。経済を取るか環境を取るのか。地球はもはや自力で回復することはできない。ディレクターのミナーはアメリカで見聞きしたことを公にするかどうか悩んだ。

しかしもう、何も知らなかった自分には戻れない。今、世界で起きていることに関わらなければならないと決断した。質問を投げかけ対話の口火を切ることでより良い明日に向かってほしい。それが私の役目だと。

人間は多くの不条理を作り出し、世界は矛盾に満ちている。私は本畝淑子さんの言葉を思った。
 

「知らないことは罪である。知ろうとしないことはもっと深い罪である。

最愛の娘を失って初めて、私は日本の医療制度に潜む犯罪性に愕然としました。安易な自分の人生観こそが、この犯罪性を支える原点であったと、思い知らされました

沈黙し、耐えていることが実は、世の矛盾を更に大きく助長させ、『悪』を全面的に支援することになったといえるでしょう。黙っていることは、現状を容認することになるのです」。


これは全てのことに通じることであり、私もまたシェールガス掘削の実情を知ってしまった今、私にできることはブログに書いて1人でも多くの人に知らせることだ。

本畝淑子さんは我が子を失った悲しみから訴えておられる。
「人生そのものを破戒された人々の言葉に、心を澄ましてみないかぎり見えてこない」と。
詳しくは、過去ログ「私の社会性を目覚めさせた本」を是非開いてください。

畢竟、平和の尊さがわからぬ人や、沖縄の人々の声が未だに心に響かない人など、他者の悲しみを自分のこととして感じようとしない人は、人生の意味や喜びを味わえぬ気の毒な人々だ。私は神に望みをおいて自分にできることをやっていきたい。

アガパンサスの季節.jpg

posted by 優子 at 21:42| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年07月01日

肩腱板断裂リハビリの経過

2日前に一瞬蝉の声を聞いた。ユキは蝉ではないと言うが昨日も聞いた。昨日のラジオのトーク番組でも蝉の声を聞いたとの話題で盛り上がっていた。しかも早々とクマゼミが鳴いていたという。
(4日追記:この翌日に私たちもクマゼミを見た。2日夕方、蛙とオタマジャクシを田んぼに逃がしてやった帰り、自宅近くでユキが溝にひっくり返っているクマゼミを見つけ草の上に置いてやった。)

今日から7月。この前新しい年が始まったかと思えば早半年過ぎた。年を重ねれば重ねるほど時の流れを速く感じる。かつての5年は今や1年のようだ。

近畿地方も昨夜から梅雨前線が活発になり、今日は早朝から昼前まで激しい風雨の予報だったがリハビリに出かけた。

3月13日に風呂場で右肩の肩腱板を損傷(断裂)してもうすぐ4ヵ月になる。肋骨の痛みは3ヵ月過ぎてようやく消滅した。
5月下旬から始まった理学療法士さんによるリハビリは今日で6回目。療法士さんが一人しかおられないので概ね週に1度しか受けられないが、最近は10日空くこともある。

今日は大雨警戒が出ていたので近隣のNさんに途中まで乗せてもらおうと、11時の予約にはかなり早すぎるが8時半に家を出て内科受診した。

前回の5月8日に採取した血液検査結果は「CRP」が高値になっていた。「CRP定量」の基準値は「r/dl 0.30以下」なのに「0.40」もあった。

「CRP]とは「体内に炎症が起きたり、組織の一部が壊れたりした場合、血液中に蛋白質の一種であるC-リアクディブ・プロテイン=CRPが現われる」とのことで、怪我の痛みゆえにこれまでの「0.03」から跳ね上がっていた。


リハビリも強くなりすぎないようにと言われた。療法士さんも頑張りすぎるのが一番良くない、動かすのが「足りなければ足せばいいが、頑張りすぎて傷めてしまうとなかなか戻らない」と。

今回から生活習慣病で通院している内科の薬はジェネリック薬品を申し出た。降圧剤・ブロプレス錠(2mg)をカンデサルタン錠に、高脂血症のリピトール錠(5ミリ)をアトルバスタチン錠に変更した。

そして、整形外科に向かった。雨はさほどひどくなかった。ゆっくり『デイリーブレッド』を読んでいたら、予定よりも50分も早く呼ばれ、療法士さんも間が空かなくて助かったと喜んでくださった。

右肩甲骨がブヨ〜ンと膨らんでいるのは、潤滑油の役割をする滑液が煮凝(にこご)っている状態だと先週言われた。動かして溶かしていかねばならないというわけだ。

よく腕の筋が痛くて揉みほぐすことがあるが、それは腕先だけで動かしているからで肩甲骨を動かすようにしなければならない。

自分の動きを注視してみると、洗濯物を干す時など右腕でもできる範囲内のことも左手でやっているので、時間がかかっても右腕でできるところはゆっくりやるようにしたい。

しかしながら先週のように痛みのために右腕が脇にピタッとくっついてしまうこともしばしばあり、そのような時は左手を脇の下にいれて離してやらないと腕が離れない。離れてもその瞬間だけで、そのせいか先週後半から4日間ほど右脇腹に肋間神経痛の強い痛みまで加わって悲鳴をあげていた。

今日もまだ力が入っていて脱力できていないと言われた。それでもかなり回復している。3ヵ月少し過ぎたころから90度まで上がるようになった。

今も苦痛でできない動作は、右腕を左に動かせないのでお風呂で左肩を洗えないことや、後ろ手にしてエプロンの紐を結べないことだ。

食器を洗うのは苦痛がなくなったが、台所の流しを洗ったりテーブルを拭くなど、腕を大きく動かすことはできない。まして力を入れて動かすことはまだまだできない。綿のTシャツは冬の衣服と違って伸びないので着脱も苦痛になっている。


1ヶ月ほど前、久々に近隣の知人に怪我のことを話すと、薬剤師として勤務しておられたことを知り有益なアドバイスをいただいた。
この怪我で肩の末梢神経を傷つけているので毎日ビタミン剤を飲んでシップを貼ると治ると言われた。ロキソニンなどの痛み止めのシップではなく普通のシップだ。

そして肩のサポーターを薦められたが、療法士さんは使わない方が良いと言われた。肩を開かねばならないのに反対の理屈になるからだろう。サポーターは使っていないが、お喋りすることでいろんな人に知恵をいただいている。

11時、リハビリを終えて外に出ると台風のような雨風だった。5〜6分すると土砂降りの雨がおさまったので医院を出た。途中から霧雨になって覚悟していたほどではなかったが、ズボンの膝から下はボトボトになっていた。

リハビリのあとは疲れて、今日もいつものように2時間爆睡してしまった。


附記:昨日の東海道新幹線内での放火、先週末6月27日のチュニジアでのテロなど、少しの間テレビやラジオをつけていないだけで驚くべき出来事が報道されており、そのうち私たちはこれらの出来事にも不感症になっていくのではないかと思うほど異常な世界になってしまった。

posted by 優子 at 22:14| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする