2015年11月30日

チャッピーを偲ぶ D ―チャッピーを送って行った朝、私たちはそれぞれに空を見上げていた―

役所に向かう空.jpg
2015年11月25日、チャッピーを見送った朝の空。

その朝、私たち皆がそれぞれに空を見上げていたという不思議なことがあった。知子は7時半過ぎに通勤中の布施駅で空に目をやり、
「今はまだチャッピーは家に居るな。送っていく役でなくてよかった」と溢れる涙を抑えたという。

チャッピーが帰っていった朝の空.jpgその時の空は、光がもっと強く降り注ぎ、まるで絵に描いたような空で、まさにこの『フランダースの犬』の最終場面の絵と同じだったという。行く道でも空を見てはチャッピーへの涙をこらえて会社に向かった。 

そして、ユキもまた学校へ着いた7時55分頃に見ていたという。

「いつもは空なんか見ないのに見た。走って行って疲れて立ち止まった時、いつもは空なんか見ないのに空を見たらきれいな光が射していて、ああ、チャッピーが天国に行ってると思った」。

こんな不思議なこともあるのだ。きっとチャッピーが知子とユキにも「さようなら、ありがとう」と告げていたのだろう。

その日、ユキが幼稚園の作品展を見に行った時、「N先生、チャッピー、死んだ」と力なく告げた。
先生は驚かれて、「かわいそうやなあ、これからずっとチャッピーと会ったときのことを思い出しとくわ」と仰ったと、帰ってきた早々に話していた。

7時過ぎの強かった光は徐々に弱くなり、私たちが役所に着く8時20分頃には写真のように弱くなっていた。
そして、その2時間後から雨が降り出して急激に気温が下がっていき、季節は一気に冬に変わった。
寒くなる前に逝ってよかったね、チャッピー。

チャッピーのいない玄関.jpgチャッピーはもういない。
どこを探してもいない。
家族みんなも門を出入りする時にチャッピーを探している。そして今もみんながチャッピーに声をかけている。
「チャッピー おはよう」
「チャッピー 行ってきます」
「チャッピー ただいま」
「チャッピー おやすみ」


9月頃(?)から夕刻の餌やりはユキの役目になっていた。外で遊んで帰ってきたら家に入る前に餌をやり、そして最後の日々は夫が帰ってきた時に小屋に入れていた。

しかし、ユキは餌やりを忘れてばかりいた。
「ユキ、チャッピーに餌あげた? 早くあげなさい! 水も入れ替えてやるのよ!」
夕食の準備で忙しい私はいつも台所から叫んでいた。そして、チャッピーが居なくなっても3日間言っていた。

「散歩してる犬を見るとチャッピーを思い出すなぁ」
28日の夕方、ユキとウォ―キングから帰ってきた夫は淋しそうに言った。

今日でチャッピーがいた11月が終わる。
カレンダーをめくりたくない。
チャッピーがもっともっと遠くになっていくようでさみしい。

玄関のチャッピーA.jpg
チャッピーのいる光景。
この1か月後にチャッピーは帰っていった。


posted by 優子 at 16:21| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2015年11月29日

知子に証を立てさせてくださった神

昨日は美濃紙業出勤の日で年に一度の全体会議だった。私の感じでは4年前までは形骸化していた無益に近い集まりだったが、知子の働きを通して濃密な会議になっている。今年もまた大きな節目の会議となった。

抱えている人材をいかに導いていくか。
知子の真剣さ、情熱、明確なビジョン、集中度、実践度、リーダーシップ力全開でこの一年も頑張り通してきた。その知子の生き方を通して仕事の姿勢、経営理念は間違いなく従業員に伝わっている。

ゆえに美濃紙業HP別冊版 “ being & doing ” 最終記事のとおり、「経営改革は成就」したので更新していない。

知子は言った。
「私は表現したこともないのに、伝えてもいないのに、ママから受け継いだ最も大切な生き方を、私の片腕になっている営業部長が言語化したのだ!
『店頭が倉庫・断裁・営業・勿論お得意様に対して、人が人を動かしていくときに、僕は「心」が一番大切だと思っています』と彼自身の言葉で話した」
と。

勿論問題が無くなったわけではなく今後も困難の連続であろうが、互いの信頼関係はしっかりと結ばれてきた。このメンバーで知子は大きな決断をして会議で発表した。それは数か月後に公開されることになるであろう。

今放送されている朝ドラの主人公・広岡浅子が「九転十起」ならば、知子は「十転十一起」を生きていると言っても過言ではないほど頑張っている。

その困難の連続が知子の才能を開花させた。
知子が小学校6年生の時に感じさせたものと同じものを私は感じている。これからも知子の思い、心配や恐れ、希望さえも神の手に委ねて挑戦していってほしい。


「今 終わらぬ夢のその先に僕は手を伸ばす」

「どういう未来が待っていようとも、
 向こうの景色を僕は見に行かなくちゃ」

「僕らはきっと試されてる 
 どれぐらいの強さで明日を信じていけるのかを」

「高ければ高い壁の方が登ったとき気持ちいいもんな」

「想いは繋がって、繋がって連鎖反応を起こします。
 せっかく繋いだ想いだもん。プラスの力に変えようよ。」


など、ミスチルの歌詞の多くに共感すること多大なようだ。
それらにも励まされて思いっきり自らの人生にチャレンジしている。

神さまが知子の涙の働きに目を止め、ここまで支え導いてくださったこと、そして、背後で祈りを積み上げてくださった方々に感謝し、私は知子にミルトンの詩(『闘士サムソン』より)を贈りたい。

ミルトンの詩.jpg「全ては最善である
測りがたい最高の知恵がもたらすものを我々はしばしば疑うが
常に最後には最善となることがわかる
神はしばしば姿を隠すように見える
しかし思いがけず帰ってきて・・・輝かしい証を立派に立てたのだ」。


我が家のトイレの壁に貼ってあるミルトンの詩だ。
この家に住むようになってまもなく自筆で書いた粗末なものであるが、敢えて16年半もそのままにしているので、紙は茶色に変色して今にも破れそうだ。

あの頃は父の死に至る病床に通っていただけではなく、あまりにも自己中心な人々の理不尽な言動に打ちのめされそうになっていた。父を看取らねばならない時に悪に負けてはならずと、私は自らを励まさんために書いて貼った。

ミルトンの詩は聖書(ローマ人への手紙 8章28節)の言葉と重なる。

「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」。 

ただ、ユキへのしわ寄せが最少であるようにと願う。
今週はかつてのように我が子と会えない日もあり、夜遅くに帰宅して翌朝も朝早く家を出たので、ユキは学校であったことを母親に話すこともできなかった。

先週末のオープンスクールでは遠足の写真の申し込みがあったが、さすがの知子もその案内状は頭に入っていなかった。

私も声をかけて行こうと思いながらも、ペンクラブ例会に向かった電車の中で忘れていたことに気がつく始末で、幸いその5日後に、ユキが掲示されている写真を見て必要なものを申し込むことができた。

11.28サッカー教室 .jpg昨日も家を出てからは、ユキがサッカー教室に行っていたことも完全に忘れていたという。
「男は敷居を跨げば七人の敵あり」ではないが、社会で活動する時の苦労を語っていた母の言葉を思い出し、知子も一歩外に出た時は母親からキャリア・ウーマンに変身するのであろう。

昨日の最低気温は3度で最高気温が13度だったから、この時はまだ10度に達していなかっただろうに、長袖も着ないで頑張っていたよ!

11.28サッカー教室.jpg

それゆえに今日の午後はずっとユキと一緒に遊んだり散歩に出かけたりしていた。体重24キロになる甘えん坊ユキを幼児の時と同じように抱っこちゃんするのはちょっと辛そうだが、母と子の姿が微笑ましい。

知子がユキに尋ねると、「ママの帰りが遅くても全然さみしくないよ。いつも居るもん!」と言ったという。無理している感じもなく、しっかり自立しているので安堵した。

担任の先生は、「発表する時いつもはもっと声も低い感じで冷静でしっかりしてはります。だからご自宅に電話した時に出た幸悠君は声が幼くて、幸悠君に2〜3歳の兄弟がおったかなあと思って考えてしまいました」と、先日のオープンスクールで言われたそうだ。

知子が年がら年中あまりにハードゆえに週に一度は心身の緊張を解いてやりたいと思う。特に24日にチャッピーの死という大きな悲しみも重なり、私さえ未だ疲れがとれず今日は全員が礼拝を休んだ。

anime_tomosibi04.gif教会歴では今日からアドヴェント(待降節:イエス・キリストの降誕を待ち望む期間)に入った。
礼拝堂も1本目のクランツに灯がともされたことであろう。

アドヴェントカレンダー.jpgそしてこれは、今日からクリスマスまで毎日一つずつ窓を開けていく「アドヴェントカレンダー」。

10月10日に梅田へ出た時にキリスト教書店で買った。ドイツ製とはいえ1000円とは高い。

今週も主イエスを信じる方々一人ひとりに、主が共にいてくださいますように!

posted by 優子 at 20:18| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2015年11月28日

山崎知行医師の公開講演会 「今、福島原発事故から学ぶ −空と海と大地 すべての命を守る」(後篇)

講演のあとの質疑応答では開口一番に「未だにこんなにひどいとは思わなかった」との声、声、声だった。そして、あまりにもひどい日本の在り方への憤りだった。その席上で話された内容を以下にまとめた。

▼ 外国の人は冷静にチェルノブイリの反省から「100キロ以遠に逃げろ。あるいは帰国せよ」と母国より指示されたが、被爆国の日本だけが何も知らされずに「安全だ、安全だ」と言い続けられた。

大学で教鞭を執っている人の発言でも「ドイツ人は帰国した」と。ドイツと日本の考え方の相違はどこにあるのかと問われた。

それは責任の取り方、処理の取り方の違いに尽きる。ドイツはポーランドと共に教科書を作った。日本は本当に下卑(げび)た国になってしまった。政治家の良心教育、科学教育が必要だ。目に見えないことに関わることがこんなに大切なことかと思う。放射能被害は見えない。

▼ 「私は結婚しない」「子どもは生まない」という女性もおり、核に対する敏感さを持っている。医療界はパターナリズムで検査結果やデータは出さない。今、変形した白血球がポロポロ出始めている。

※ 「パターナリズム(英: paternalism)とは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益になるようにと、本人の意志に反して行動に介入・干渉すること」。

また、「私たちは将来子どもを産んでもいいのでしょうか」と問う女子高校生。これに対して大人は答える責任がある。福島差別が深く静かに進行していっている事実がある。
 
▼ 親は子どもへの責任感から心配しているのだが、放射能に関しては思っていることを口に出せない。この現況の中で悶々と悩みながら、親は自らを痛めながら生きている。それがどんなに苛酷なことか! 今や学校そのものが役所と同じことをやるようになってしまった。

▼ 避難、保養の問題では、1回24日間でやるのが費用対効果があり現実的であることがわかった。保養先へ先生も一緒に行って教育もする。保養は子どもだけではなく親にとっても良い。その間、放射能のことは考えなくてすむからだ。ちなみに保養費用を貧しいベラルーシが出している。

会津の人がいつも言う言葉は「どうぞ忘れないでほしい」だ。愛の正反対は無関心である。人間の信頼関係で大切なことは目と目を合わせること。私たちも現場に行ってみることが大切だ。

私はこれらの話を聞いて、未だ日本の医療界は「知らしむべからず依らしむべしか!」と憤りを感じた。

常々私の思索の中核になっている「人間の実相」、特にこのたび何度も話題になった「日本人の体質」。日本人の精神構造のどういうところを刺激すれば全うな価値観に目覚めるのであろうかと考えさせられた。

山崎知行先生と.jpg山崎先生のお働きを感謝し、ご夫妻を神さまが豊かに祝してこれからも用いてくださるように祈ります。そして、私たちも自分のできる事を成さねばならないと強く思わされた。

posted by 優子 at 09:44| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2015年11月27日

チャッピーを偲ぶ C ―特別な曲になった " The Magnificat " ―

私は文章を書く時は書く内容によって選曲し、1曲だけを連続で聞きながら書いている。ところが2年前から使っている「ウィンドウズ8(8.1)」は未だやり方がわからなくて連続再生の保存リストに追加できない。

しかし、この曲だけはどうしても連続で聞きたくて、今朝、東芝のサポートに電話して遠隔操作でリードしてもらって保存リストに入れることができた。ありがたい、どんなに感謝したことか。

その曲は、John Michael Talbot の " The Magnificat "、チャッピーが玄関にいた最期の13時間に聞いていたクリスマス・キャロルの1曲で、心の深くに入ってきた。

このCDからも好きな曲をメディアプレーヤーに入れてあるが、6年前はこの曲は心に響かず入れていなかった。

この時、CDを大きな音でかけていたわけでもなく、ましてやチャッピーは耳が聞こえなくなっていたのでチャッピーの耳には届いていなかったであろうが、しかし、チャッピーが生きていた時に私の心に感じた「マグニフィカート」だから特別の曲になった。

真智たちには伝えられないと思っていたら、ユウチューブに「マグニフィカート」が上がっていたので是非聞いてほしい。

今朝から家に@.jpg24日朝に土間に入れた。
夫の合いの布団を敷き、清潔なベッドで横たわるチャッピー。
もっと早く入れてやるべきだった。せめてウロウロしなくなった23日午後から。
いや、11月16日から夜は入れてやるべきだった。その日から急にお腹がへこんで呼吸が荒くなったから。

この朝、夫は帰宅するまでにチャッピーが死ぬのではないかと思って家を出たという。知子も同じように緊迫した気持ちだったという。だから昼休みに電話をくれたのだ。しかし私は金曜日ぐらいまで居てくれると思っていた。

11月23日午後.jpg亡くなる前日23日(月曜日、勤労感謝の日)15時12分。
食べ物は食べなかったが水は飲んだ。



23日夜.jpg
23日18時44分。

体位を変えられないので大急ぎで顎の下に箱を置いてやった。これが最後の夜になった。



最後の夜は雨だった@.jpg
雨が降りそうだったので傘を広げておいた。10時頃から雨が降った。雨風でなくてよかった。




最後の夜は雨だったA.jpg







そんなに苦しそうには見えない、良かった.jpg
そんなに苦しそうではなくてよかった。
この夜半に3度ほど鳴き声で目が覚めたのに、私も数日ぶりに眠れた夜だったから1回しか行ってやらなかった。午前2時すぎ、私が行くと直ぐに鳴き止んだ。

この頃は間違いなくチャッピーは家族の者を呼んでいた。独りでは不安だったのだ。私は後悔することばかり。かわいそうなチャックン。


この日の朝、チャッピーは中にいなかった!.jpgその前日22日の朝は、あの弱った体で外に出ていた。4〜5日前は柵を倒して出ていた。



この隙間から出た。.jpg前日はこの隙間から外に出たのだ。

そして長い長い時間ウロウロして、ようやくあの土の上に落ち着いたのであろう。チャッピーは1年ほど前から小屋に入らなくなった。

外に出たいチャッピーを閉じ込めたのは、雨が降ってきても軒下や小屋に入らなくなったからだ。時に夜中に裏庭の奥まで行って深い溝に落ちたことが何度もあったからだ。

この数ヶ月、私は夜中にトイレで目が覚めた時もすぐにカーテンを開けて庭を見ていた。朝目が覚めた時も一番にチャッピーの様子を見た。

ウロウロ動き続けるチャッピーB.jpgチャッピーはいつも起きていた。夜中も朝もいつもかわいそうなほどウロウロしていた。
こんなに老いた犬は一日の大半を寝ているであろうに、チャッピーは若いころよりも起きていた。ただただ歩き回っていた。

そして、寝込んだのは最後の1日半だけだった。

チャッピーの姿を探す癖がついてしまった私は、チャッピーがいなくなった昨日も一昨日も目が覚めれば庭を見る。きっと今夜も明日も明後日も・・・

母と父を看取った時と同じ、チャッピーが逝ってから時間が過ぎていくのが悲しい。こうしてすべてが通り過ぎていく。


優子さん
チャッピーはとうとう死んでしまったのですね。
優子さんのブログ、そしてチャッピーの歳を考えるともうすぐ・・・かなと思っていました。
死んだ犬は「虹の橋」で遊んでいるという詩をご存じですか?
http://www.yuko-sound.jp/petloss/rainbowbridge.html
この詩を読むと大声で泣きたい気持ちが少し慰められるのではないかと思います。

『虹の橋・Rainbow Bridge 』とは原作者不詳のまま、沢山の動物愛好家達に語り継がれている詩です。
この詩に深い感動、共感を持った世界中の動物愛好家達によって、様々な国の言語に翻訳されインターネットを通じて世界に伝えられているそうです。

友に教えていただいた「虹の橋」の最後の部分をここに。
死は全てを奪い去ってしまうものではありません。
同じ時を過ごし、同じ楽しみを分かち合い、愛し合った記憶は、あなたの心から、永遠に消え去る事はないのです。
地上にいる特別な誰かさん達の、幸せと愛に満ちた想い出こそが、「虹の橋」を創りあげているのです。

ですからどうか、別れの悲しみにだけ囚われないでください。彼らはあなたを幸せにする為に、神様からつかわされたのです。そして、何よりも大事な事を、伝えにやって来たのです。

命の儚さと愛しさを・・・
束の間の温もりに感じる、慈悲の心の尊さを・・・

その短い生涯の全てを以って、教えてくれるのです。
癒える事のない悲しみだけを、残しに来るのではありません。

思い出してください。
動物達が残して行ってくれた、形にも言葉にもできない様々な宝物を。

それでも悲しくなったら、目を閉じてみてください。
「虹の橋」にいる、彼らの姿が見えるはずです。

「チャッピーもみんなの帰りを待っていたんですね。
チャッピーもお父さんと知子さんの帰りを待っていたのですね。
そして安心して息を引き取ったのですね。

お父さんを見つめるチャッピーの目、本当に『大好きなお父さん!』って言っていますね。『これまで長い間お世話してくださってありがとう』って言っていますよ、きっと。

みなさんがチャッピーの死の悲しみののちに慰めと平安が与えられますように祈ります」。

ありがとう、M・Mさん。

posted by 優子 at 17:52| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2015年11月26日

チャッピーを偲ぶ B ―チャッピーに歌う「こすずめも くじらも 空の星も」―

チャッピー、ただいま。.jpg「チャッピー、ただいま」
幼稚園や学校から帰ってくるといつもスキンシップしていたユキ。
そして今日、虫取り網をチャッピーの顔にかぶせたことがあると言った。回数を聞くと2回あると言った。堪忍してあげてね、チャッピー。
これは今春、ユキが2年生になったばかりの頃、この時は耳にてんご(関西弁:いたずら)している。

「ただいま、チャッピーがいないとさみしいな・・」

昨日は帰宅した時も前夜の泣いたあとが感じられた。クラスの子どもたちはいつもと違うユキの様子を察知して、何人にも「どうしたん」と聞かれたという。
子どもたちの敏感さに感銘を受けたが、それに対する言葉が一言もない異様ないびつさに驚いた。

私は今日は独りで居る時は涙は滲む程度だが、家族がチャッピーのことに触れると涙が溢れて、悲しくて悲しくて、地団太踏むほどたまらなく悲しくて号泣した。

どうしてもっと遊んでやらなかったのか!!!
どうして時間を割いてあげなかったのか!!!


このように悔いることもよくよく分かっていたから、「後悔しないように今一緒にいないと!」と言っていたのにしなかったの。

それでも最近は少しは庭にいるようにした。
あれは今月に入ってからだったか、シュウメイギクの枯れた葉を切っていた時、チャッピーがずっとそばに来てピッタリくっついて離れなかった。

あの時(24日7時57分)、「チャッピー、子守歌うたってあげるね。以前はよく歌ってあげたよね。そしたらすぐに眠ったよね。ねんねん・・・?」 とチャッピーに顔を近づけて歌おうとすると、夫が「もう死んでる」と言った。

あと一回だけでも歌ってやりたかった。
「ねんねんころりーよ、おころりよ。チャッピーは良い子だ ねんねしな」。
子守歌を歌い始めた数回後から、子守唄を歌い始めるとチャッピーが目を閉じるのには感心した。

そういえばユキが来てからはユキに気を取られていたので、もう長い間歌ってやったことがなく、そのまま逝かせてしまった。
ごめんね、チャッピー、6年間も遊んでやったことがなかったね。一人ぼっちにばっかりさせて寂しかったね。

今日はずっと讃美歌21、425番 「こすずめも くじらも」をチャッピーに歌っていた。22日の礼拝で歌ったので脳裏に残っていたのだろう。

      1.こすずめも、 くじらも、 空の星も、
        造られた方を たたえて歌う。

       2.大地震も、嵐も、稲光も、
        造られた方に 助けを求める

       3.七色に輝く 虹と十字架、
         空の墓を見て、感謝献げよう。

       4.飢え、渇き、病と、浪費の世に、
        造られたものは いやし求める。

      5.隣人と敵との へだてはなく
         神は愛と平和 お与えになる。

       6.いつの世もおられる 愛の神は、
        未来の世代の 生きる喜び。


ユキが作ったチャッピー.jpg21日(土)の「オープンスクール」の作品展で展示されていたユキの作品。
今年はスーパーの袋で思い思いのものを作るのが課題だった。

ユキは「家にいるチャッピー」と題してチャッピーを作っていたが、これを持ち帰ってきた今はもうチャッピーはいない。
ユキにとってもチャッピーは大きな存在だった。


IMG_6286.jpg






チャックン.jpg

チャッピー、私は書くことで悲しみを耐えているよ。
大切なものを失って気づく愚かさ。堪忍してね。

昨日小屋のなかを履くと小さな糞が一つ転がり出てきた。23日に小屋の中でしたのを取り残したものだ。かわいそうに、こんなところでは決してしなかったのにね、寝たきりになると人間もチャッピーも同じやね。悲しいね。

雨が続くと最長40時間以上も我慢して排尿せずにいたチャッピー。ほかの犬は玄関を開けてやると、すぐにそこで用を足して入ってくるというのに、チャッピーは絶対にしなかったから雨の日はストレスだった。

小さな糞をいつものように拾って捨てようとした時、「もう2度とこんなお世話もできないのね」と悲しみが突き上げてきて、愛おしくて泣いてしまった。

この小屋もすぐに捨てようと思ったがしばらく置いておこうと思う。知子もまた同じ気持ちだった。慌てなくてもいい。悲嘆のプロセスはゆっくり進めばいいのだ。


リードと水入れは捨てない。そうだ、真智たちにも小屋をもう一度見せてやろう。次の帰国まで置いておこう。

しかし、チャッピーは今どこにいるのだろう。
動物は無に帰するのだろうか、昨日から聖書を読み直している。 

22時20分追記:知子の帰りを待ちきれず先にお風呂に入った。
22時1分、知子からメールが入っていた。
「10時3分布施発で帰ります。心配しないで寝ててね!
チャッくんはもう心配せずに逝った。だから、頑張ってるんだよ!」


大急ぎでウトウトしていた夫に迎えを頼んだ。
快くOKしてくれた。迎えを頼むのは何か月ぶりだろう。

外は真冬のよう。昨日から暖房、足温器、電気毛布と一気に真冬。23日から冷たい雨が降り出し、ずっと降ったり止んだりの寒い日々が続いている。
でももうチャッピーのことを心配しなくてもいいんだ。チャッピーはもう濡れることもないのだから・・・

posted by 優子 at 18:09| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

チャッピーを偲ぶ A

チャッピーが死んだ翌朝(昨朝25日)、「おばあちゃんの知らない朝がやってきた」を心の中で何度も繰り返していた。まるで室生犀星か斎藤茂吉の詩のように。

「そのうち夜が明け始め、おばあちゃんの知らない朝がやってきた。
元気な時には必ず起きてた6時になっても、おばあちゃんは目を覚まさなかったね。お寺さんが来ても、礼儀正しいおばあちゃんは深々と挨拶するはずなのに、初めて、ただただ眠っていたね」。


真智子が高校1年生の秋に祖母と死別して3日後に書いた「祖母への惜別の手紙」の1節だ。

今朝は突き上げてくる悲しみの感情も涙も終息している。とにかく泣いてばかりの24時間だったから。
しかし知子が玄関を出ようとした時に、「チャッピー行ってきます」と言った瞬間涙があふれて嗚咽(おえつ)した。

知子は、「チャッピー、今日も頑張ってくるね。私は前向きよ!」と言って家を出た。極度の理不尽な闘いの日々にある知子がそういって美しい笑顔を私に残して出発した。

宅急便のチャイムがなって玄関を開けた時、チャッピーがいなくて悲しみが突き上げてきた。
どこをさがしてもいない。16年以上も共に過ごしたチャッピー(犬とは書きたくない)がいなくなったのだから涙を抑えることはできない。

私にとってチャッピーはペットなどではなかった。
そしてまた、今思うと私は冷たいのではなくて、チャッピーと適切な距離を置いていたのだと思う。だからよく耳にする「ペットロス(ペットを失うこと)」にはならないだろう。

母や父の時もそうだったが、親の死という大きな喪失体験を順調に超えていけたのは臨床心理学でグリーフワーク(Grief work:悲嘆に向き合うこと)を学んでいたことが大きな助けとなった。


私は悲しい気持ちを大切にしたい。共感してくれる友人もいるのが感謝である。昨日の午後、近隣のNさんに電話してチャッピーの死を伝えた。
その日のお昼前の生協の配達の時に玄関内のチャッピーを見てもらっていたところだった。共に泣いた。Nさんの猫・トラちゃんが死んだのは去年の12月だった。

でも、いつだったかチャイムを鳴らしてチャッピーのことを聞いてくださった方に敢えて伝えることはしない。わかった時は「悲しすぎて言えなかった」とでも言おうと思っている。

このようなことまで書くのはペットロスの方が読まれた時のことを思ってのことである。「悲しんでいい。それでいいのよ。そして、立ち直っていくのよ」と言いたくて。

チャッピーを飼うまでは犬の死の悲しみがわからなかったから、そういう人々のことを思うと悲しみを抑制しなくてはと思う。

しかしチャッピーと出会い、子犬時代のチャッピーを箒をもって追いかけたり、外でしか排泄しないチャッピーを雨の日も散歩に連れて行かねばならない煩わしさなど、日々の関わりを通して変えられてきた。

苦手な猫にも微笑みの眼差しを向け、小鳥や野花の命に感動出来るようになったのもチャッピーのおかげだ。

だから誰に遠慮することなく悲しい時は悲しんでよい。チャッピーを偲び、チャッピーとの日々を振り返りながら気づかされたことを書きたいという思いがある。

それは何よりもチャッピーが生きた証しを記録しておいてやりたいことと、そのことを通して動物を飼ったことのない人にも分かちたいし、ペットロスの中で落ち込んでいる人には立ち直ってもらいたいとの思いも昨日から感じている。

母は脊髄小脳変性症という難病で亡くなったので母が亡くなったあと、いつまでも晩年の母の姿しか思い出せなくて悲しみを深くした。私の中に生きている母が元気な母になったのは5〜6年以上も経ってからだっただろうか。

だからチャッピーが亡くなる(犬にはこの言葉を使うのは間違っているが)前の数日間や痴呆になってウロウロしている写真や描写は残さない方が良いと思うが、それらにも意味がある。老いて悲しい姿になった時もチャッピーだからだ。

チャッピーが最期まで命を生き切ったこと、その厳粛な時と姿を見ながら「私もチャッピーのように頑張るからね」と、いつも心の中で声をかけてきた。
チャッピーの姿は私が挫(くじ)けそうになった時の励みになるに違いない。

いつかきっと心の痛みも和らげられて「そうやったなぁ・・・」と思える時が来るのだから、楽しかったことだけではなく最後の日々も刻んでおきたい。私の脳が機能している間に。


最期の1週間ほど前からよくここに居た.jpg亡くなる2週間ほど前から、朝はよくここで寝ていた。雨のあとの冷たい土の上で。(27日追記:前日の18日は雨で、この朝も雨のあとが残っていた。この時の気温は12度だった)

昨日チャッピーを送って帰宅した時、ちょうど義母がここに居たのでチャッピーの死を告げた。
「そうかね、いつもここに居るのに居ないからどこへ行ったんかと思ってた」と義母は言った。

2日間食べず飲まずB.jpg19日の朝もここに居た。→
会社へ行く前になんとか食べさせようとする夫。

左上の写真にある植木鉢の花が無くなっているのは、チャッピーを納めた箱に入れてあげたから。

寝てしまった.jpg
何も食べないでまもなく眠ってしまった。

(12月7日夜追記)
11月22日(日)の朝はヨーグルトを食べた。
11月22日朝.jpg


IMG_6273.jpgその日、教会から帰宅したのは6時頃で真っ暗で1時間も前に日が暮れていた。

庭のどこにもチャッピーが居ないので、即座にユキが懐中電灯を持って見つけてくれた。
チャッピーはこの正面のフェンスに鼻をつけて立っていた。きっとずいぶん長いこと立っていたんだろう。
かわいそうに! 
痴呆のためにバックして戻ることもできないのだ。


22日18時過ぎ、チャッピーはずっと真っ暗闇の中で立っていた.jpgユキが連れてきてくれた時も、チャッピーはフラフラした足取りながら歩いていたが、この段差を下りた時よろめいて顔から転んでしまった。

こんなに早く逝くんだったら用事などしないで、昨日の半日だけでもずっとずっとそばにいてあげたかった。

金曜日もキャンセルして神戸へは行かなかった。土曜日のペンクラブにも行かなかった。日曜日も教会に行かなかったのに!!!


この中に納めました.jpg

今は何を見ても悲しいが、しっかり悲しんで、そして立ち直っていきたい。チャッピーは死んでしまったが、カテゴリ「愛犬・チャッピー」のページは増え続けることであろう。
「チャッピー」


posted by 優子 at 13:53| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2015年11月25日

山崎知行医師の公開講演会 「今、福島原発事故から学ぶ −空と海と大地 すべての命を守る」(前篇)

22日の山崎知行師の礼拝奨励に続いて(11月23日の記事)、午後に開催された公開講演会の内容をお分かちしたい。以下は私の聞き書きである。

山崎師・公開講演会@.jpg山崎師は「今はガンマ―線を出す放射能が問題だから」と、ガンマー線のみをチェックできるガイガーカウンターを携帯しておられた。会堂(馬見労祷教会礼拝堂)の放射線レベルを計られ、ここから話が始まった。

会堂の放射線レベルは「0.05」だった。(山崎師在住の)和歌山では、2011年5月まではこの4倍、「2」まで上がった。従って私たちも皆被爆者である。日本国中放射能から逃れる所はない。

実は放射能は人体に対する影響はあまり分かっていない。医学界では自分のわかっていないことを無かったことに考えてしまうところがある。

政府や行政のデータは人工操作を加えた低い値ばかり出している事実がある。私は自ら計っているので、「役場が安心というからと安心してはいけない」といつも話している。

福島とチェルノブイリ比較.jpg

この地図の薄いピンク色のところは「放射線管理区域」で、ここは18歳以下の人は仕事してはいけないし、飲み食いをしてもいけないし、ここで使ったものは外に出してはいけない場所である。

このことの重大さをすぐにわかった人は逃げたが多くの人がここに住んでいる。法的には生活してはいけない所であるのに、日本ではこういう所が生活の場になっている。

山崎師の公開講演会@.jpg年間被爆量は5シーベルト。今は空間線量は減ってきたが、一度汚染された場所は土壌の汚染がずっと続いており、ホットスポットではなおさら多く被爆する。

空間線量が最低「0.6」を示す所では生活してはいけない。どんなに少ない放射線でも「0」以外は体に影響する。必ず細胞に影響を受けていく。

私たちは1回3泊4日のスケジュールで行くが、子どもは放射能が大人の3〜4倍と強く出る。鼻血や耳鼻科関連の粘膜の症状が非常に多い。また、皮膚のトラブルが多い。チェルノブイリ事故後早期に立ち入り禁止区域から避難した子どもたちの症状と重なっている。

10年後から慢性疾患のある子どもが急激に増加していき、健康な子どもは1割にも満たない。そのような報告書も国は注目しない。

山崎師の公開講演会C.jpg年間1ミリメートルシーベルトだと、チェルノブイリは移動義務があり、移動の費用も国家が保証している。ところが日本は帰還政策をとった。避難指示を解除して準備区域になった。

政府や県がいくら「帰れ、帰れ」と言っても帰れない。帰ってきた人は1割だ。

日本人はいつから4倍も放射能に強くなったのか?!
日本は本当に野蛮な国だ。
最近は作業員の急死が多い。たぶん心筋梗塞であろう。

空間線量はかなり減ってきているが、「セシウム7」の半減期は30年かかるので残ったままだ。郡山市役所に設置されている線量計は実際より3割がた低く設定している。市役所の指数が「0.784」の所で役所の業務をしている所へ市民が来る。


山崎師の公開講演会A.jpg

この結果記録からわかるように、除染してもその1週間後には元に戻っている。
親の都合でそこに住まないといけない人々。24日間の保養で2〜3割被爆量が減る。

原子力を考える時にもう一つ大切なことは「高レベル廃棄物」の問題だ。燃えカスの処理の仕方が未だ全くメドがつかないのに、再び川内原発で新たな廃棄物を作っている。しかもそれを輸出するのである。

  ―講演内容はここまで。質疑応答の中で出た話は次に続く―

附記:これは23日の午後、チャッピーが虫の息の時に書いていたものである。傍に居てやればよかったと悔いるが、チャッピーの死が迫っているので用事をためないようにと励んだ。
クリスチャン・ペンクラブの諸連絡8ヶ所、会計と書記の記録、『種を蒔く』3号の「あとがき」を執筆、そして、この記事を書いていた。体調が悪いので2回に分けて先にこれを更新する。

睡眠不足と疲労も重なって血圧が高いため、明日のリハビリもキャンセルさせていただいた。


posted by 優子 at 22:14| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

チャッピーを偲ぶ @ ―チャッピーと過ごした16年3ヶ月―

「イエスさま、この家族の中でいちばん先にチャッピーが死にました。誰よりも早く死にました。今はチャッピーのお母さんに会えたと思います。
ユキは明日からもチャッピーが応援してくれると思って頑張って走ります。駆け足大会の前にチャッピーは死んでしまいました。でも、ユキは一生懸命走ります」。


チャッピーが死んだ昨夜のユキの就寝前のお祈りである。
その前夜のお祈りは、
「チャッピーが苦しくないように、イエスさまがいちばんいい時にチャッピーを連れて行ってください」と祈ったという。

知子:「チャッピーは今どこに居るの?」
ユキ:「イエスさまのところ」
知子:「そうやで、12月3日はイエスさまの隣で応援してるよ。だからマラソンも勉強も自分に負けそうになった時はチャッピーのことを思い出して頑張るんやで」。
ユキ:「うん!」

限りある命の時間。命は目に見えないが温かかった。あのあとチャッピーは急激に冷たくなっていった。チャッピーの死はユキの成長に影響を与えることだろう。

昨夜私は12時にベッドに入ったのに3時前まで眠れなかった。チャッピーが居なくなったさみしさと悔いの涙が止まらなかった。

しかし今日、一つだけ慰めを得たことがある。
柴犬は「室内犬としては不向きな犬種のひとつ」だと書いてあったからだ。


今では犬は室内で飼うものであるかのように室内で飼う人が多いので、外にいるチャッピーがかわいそうに思うこともたびたびだった。
今日になって老犬の飼い方や介護、世話の仕方などを読むのも愛情の無さだ。「柴犬の雌犬の特徴は人懐っこい育てやすい性格」だということも初めて知った。

しかし不思議だ。まるでチャッピーが逝くまで寒気を押しとどめてくれていたように、今朝から急に空気が冷たくなり一気に冬に変わった。今は暖房をつけて足温器で足を温めながら書いている。

役所に向かう空.jpg

今朝8時過ぎ、チャッピーをトランクに乗せて市役所へ向かった。その時、弱い光が雲の合間から射していた。

市役所へ.jpgチャッピーの死は誰にも言いたくなかったが、何年も会っていなくとも近隣のIさんご夫妻(今は亡きゴンの飼い主)には急に伝えたくなって、チャッピーを送った帰りに訪ねた。私は公園の近くで降りて夫は会社へ急いだ。

しばらくIさんと話して別れるとき雨が降ってきた。
「チャッピーを小屋に入れないと、こんな冷たい雨にぬれると体力がおちる」と、私は一心に走った。そしてまもなく気がついた。
ああ、チャッピーはもういないんだ・・・

楽しかった思い出をいっぱい残してくれたチャッピー。チャッピーはこれからもずっと家族一人ひとりの心の中に生き続ける。

2007.5.24@.jpg 
2007年5月24日、チャッピー8才。
凛々しくて命がみなぎっている。

1月未現像 038.jpg
これは2010年4月19日。
チャッピーはまもなく12歳、ユキ2歳9ヶ月。
ユキよりはるかに人生の先輩だったチャッピー、
ユキを遊んでやってくれてありがとう。

画像 031.jpg
2010年5月22日。
この正座は何か食べ物を期待して待つサインだった。
この姿勢の良さ! 何て懐かしい光景だろう。
絶対に家に上がってこなかった利口なチャッピー。

007.jpg
2010年10月14日、ユキはちょっと緊張しているね。

003.jpg
2011年6月19日

1年ぶりのシャンプー.jpg
2011年7月16日、チャッピー12歳。
洗ってくれたのはいつもパパだったね。
最後は2年半も洗ってあげないままでごめんね。

一緒にネンネ.jpg
2011年11月15日、ユキは4才3ヶ月。
チャッピーと同じぐらいの大きさだった。
お利口なチャッピーは絶対に布の外に出なかったね。

初めての金魚.jpg
2013年9月24日、初めて見た金魚。

ちゃっくんに北海道を教える6歳6ヶ月のユキ.jpg
2013年12月26日、
チャッピーに地図を見せて説明しているところ。

IMG_0138.jpg
2014年4月1日。
これは、マチがアジア圏の国にミッションへ行った帰りに
2泊3日で日本に立ち寄ってくれた時。
この年の1月、寝たきり状態から奇跡の復活だった!
同じ頃、マチもワシントンで手術、共によく頑張ったね。

大好きな散歩.jpg
2014年5月31日、散歩に出る時のチャッピー。
早く外に出たくて、これも懐かしい光景だ。

生き物係B.jpg
2014年7月22日、
外に出ると嬉しくて嬉しくて回り続けていたね。 

早くお散歩行こうよ!.jpg
2014年12月5日、「早く、お散歩に行こうよ!」
長く待たせるとこうして誘いに来た。
多くの犬は吠えて誘うらしいが、
我慢強いチャッピーは黙って迫ってきた。

チャッピーが息絶えた昨日の今日だから、まだチャッピーが居るかと思って何度も錯覚する。チャッピーの声がして何度か玄関へ走っていくのだが、いつも空耳だった。
私はもう犬は飼わない。
チャッピーが最初で最後の犬。
ユキは8才4ヶ月(小学2年生)の時にチャッピーを看取った。



posted by 優子 at 17:38| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2015年11月24日

チャッピーが死んだ

チャッピーが死んだ。
今夜7時57分にチャッピーが死んだ。16歳6ヶ月だった。私たちと共に居た年月は16年と3ヵ月、私たちがこの地に移ってきた4ヶ月後から共に過ごした。

チャッピーは昨夜(午後?)から前足が立たなくなり、今朝夫が出社する前にチャッピーを玄関の中に運んでもらった。
お昼前、チャッピーを案じて真智子(ワシントン時間23日夜9時過ぎ)が電話をかけてくれた。知子もお昼休みに電話をくれた。

私は涙が止まらない。
防音装置の部屋で思いっきり号泣したい。

先ほど真智子に送信したメールを記事に代えて:

マチ
チャッピーはパパと知子の帰りを待っていたかのように、みんなに看取られて午後7時57分に死にました。最期があまりにもあっけなくてびっくりしました。2人が会社から帰宅して30分後のことでした。

夕食を終えてチャッピーのために煮たカレイを食べさせようとしたけれど、食べない。豆乳も何もダメ。口を堅く噛みしめて朝から絶対に何も食べませんでした。もう食べる元気がなかったんやね。

狭い玄関なので、シートを交換してやるためにパパがチャッピーを外に移そうと縦に抱いた時、首が後ろに反り返っていました。
チャッピーを横たわらせようとした時、「ああ、もうあかんわ」とパパが言いました。ぐにゃっとした物体のようでした。

大急ぎで新しいシートの上に寝かしてやった時、「ウォー」という声を出し、そして2度徐々に小さい声になりながら「ウォー」と言い、最後は高い声で小さく「ウォー」と言ったそうです。これはユキの説明です。

私は外にいたので最初の2回しかわかりませんでした。夫がチャッピーを下に置いたとき、少し糞をしたので、それを取り除いていたからです。

2回聞こえた時、私は「何の音?」と聞きました。それは最後の呼吸を吸った時の声でした。そして、あっけなく死んでしまいました。

この朝チャッピーと別れをした。良輔も泣いていた。夕刻は立てなくなった。.jpg 昨日の朝、私たち夫婦はチャッピーと別れをした。
私が夫の涙を見たのは、この時が初めてだった。


チャッピーの口元についているのは血だったと思う。
口の中から出ていたのではないかと思う。

今朝8時36分に着信した真智子からのメール。
ママ
昨日も太志と二人で祈りました。
ちゃっぴーのことを思い出して、二人とも涙が溢れて泣いた。
中々寝付けなくて、長い間祈っていました。

ちゃっぴーは本当に優しかった。
写真でのパパを見るちゃっぴーの目も、本当に優しいね。
悲しくて、寂しくて、今も涙が溢れます。
一緒に居れないのが悲しい。
ちゃっぴーに伝わりますように。
神様が伝えて下さいますように。

ミルトンの言葉.jpgミルトンの言葉、きっとその通りやね。
神様は一緒やわ。
助けてくださっているよ。
一人ひとりを導いてくださる。

真智子


チャッピーが死んだ。
チャッピーは死んでしまった。


posted by 優子 at 22:49| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2015年11月23日

山崎知行医師による礼拝奨励 「天の理(ことわり)、地の理(ことわり)」 

今朝は山崎知行医師をお迎えして礼拝で奨励していただき、午後に「今、福島原発事故から学ぶ −空と海と大地 すべての命を守る―」と題して公開講演会を開催した。
まず、山崎師のプロフィールをご紹介して、奨励で話されたことをお分かちしたい。
【山崎氏のプロフィール】
1943年生まれ。和歌山県の愛隣教会信徒。
1986年のチェルノブイリ原発事故以来、放射線の人体への影響に関する情報収集し、事故後4回チェルノブイリを訪問。
2011年7月、10月に福島訪問。
2012年1月から日本キリスト教団大阪教区より派遣されて、ほぼ毎月3泊4日のスケジュールで福島県を中心に健康相談会を担当、派遣医師として労しておられる。

聖書 創世記1章28節:
「神は彼らを祝福して言われた、『生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ』。

ヨブ記38章31節〜33節:
「あなたはプレアデスの鎖を結ぶことができるか。
 オリオンの綱を解くことができるか。
 あなたは十二宮をその時にしたがって
 引き出すことができるか。
 北斗とその子星を導くことができるか。
 あなたは天の法則を知っているか、
 そのおきてを地に施すことができるか」。


以下は私の聞き書きによるものである。

山崎知行医師による礼拝奨励.jpg1986年、チェルノブイリによる健康被害に大きなショックを受け、その事故をきっかけに人体に対する影響を調べ始めることになった。

紀伊半島にも日高原発という原発予定地があったが、比井崎漁協が猛烈に反対し第1回目の集まりで原発誘致は白紙撤回になった。

(山崎ご夫妻は)この核の問題をキリスト教会の中で話すことができないものだろうかと思っていた。そんなとき高木仁三郎と出会った。彼が創設した原子力資料情報室の情報は信頼できる。

高木氏はキリスト者ではないが聖書に精通しておられ、核をいじることが如何に根本的に間違っているかを丁寧に掘り起こして話してくださった。以来、我々夫婦が核の問題を考える基本になっている。

原爆の構造を造った西洋とアメリカというキリスト教社会で、何ゆえにあのようなものを造ったのかということについて、深刻に反省する考え方がある。

まず核開発が肯定されるんだろうか。
高木氏は聖書・創世記1章28節に着目して「支配」の意味を誤って考えたのではないかという事を問題提起し、『エコロジーとキリスト教』にまとめられており、「聖書は核を予見したかも」という文章を載せている。

ドイツの神学者ゲルハルト・リートケが『自然と和解の声明』を出している。高木氏はこの声明を高く評価している。

ヨブ記38章31節〜33節は、具体的に星座名を出して天の法則を伝えていることをしっかり注目して、「天の理(ことわり)、地の理(ことわり)」の言葉で表現している。

神が想像された宇宙と地球はしっかりと性質を分けて説明している箇所である。
光りを放つ惑星を恒星と言い、自ら光を放たないのを惑星と言う。恒星では常に連続して核融合から放出される放射線が飛び出してくる。放射線はDNAをズタズタに切り裂き、命が存在しえないのが宇宙である。

しかし地球は酸素と窒素が合わさって地球を分厚い毛布のようなもの(大気圏)で覆われた。それは1万メートルという分厚い大気圏によって、宇宙線という放射線が地球に届かないように守られている。従って、命が守られ続いてきた。

ヨーロッパへ行くのは大気圏を突き破って宇宙線に被爆して飛んでいく。片道で1時間1マイクロシーベルトだから10時間10マイクロシーベルト被爆して飛んでいくのである。だから乗務員もフライト時間が決められている。宇宙飛行士も防備していくが1ミリメートルシーベルトは被爆すると言う。

旧約聖書学者によれば、「支配せよ」はヘブル語で「רָדָה ラーダー」と言い、その意味は「相手をよく見て」「相手の心を捉えて」「相手の心をしっかり受け止めて」しっかり生かす、より良く生かす。これが本来の意味である。

従って「慮しながらえる」とも読める。このように全く正反対の意味になると教えられた。

人間がラーダーの意味を勝手に解釈してしまって優越になってしまい、人間は「天の理」を地球上に展開していることが気づかない。

そのことをキリスト者として、教会としてはっきり言ってこなかった。このことを深く気づかされた。

現在のキリスト者、教会が置かれている立場は、天の法則(理)と地球の法則(地)を峻別して考えていく大切さを教えられた。

聖書を与えられている立場からすれば、イエスの愛を伝える宣教と同時にそのことも伝えて行かなくてはならないのではないかと思わされている。
                           (以上)
「お祈り」より:

人間はいったい何者なのでしょうか。にもかかわらず、あなた(神さま)は私たちをいつも忘れずに心を止めてくださっている。
あなたが良しとされる姿に一歩でも戻れるように私たちを力づけてください。

山崎氏の奨励は会衆一同に強いインパクトを与えた。
私は東(あずま)道男牧師から教えていただいたこと(聖書の原語であるヘブル語からギリシャ語に翻訳する時点で間違って訳され、そのまま英語、日本語へと誤訳されたこと)や、ヨーロッパ神学の誤謬の重大さを思いながら拝聴していた。

礼拝直後、山崎師は奏楽していた知子のところへ行かれて何か話されていたので帰宅して尋ねてみると、知子は最高の祝福の中にあった。

知子は山崎医師が奏楽もされるとお聞きしていたので緊張していたという。しかも連日多忙で練習の時間が取れたのは前夜、まさに私がクリスチャン・ペンクラブの例会から帰宅した5秒前のことだった。

そんな大変な激務をこなしながら務めさせていただいた知子に師は言われた。

「奏楽、すばらしかった! 
あれだけ会衆に合わせて弾くから非常に歌いやすい。もし助言をするとすれば、前奏曲もあんなに綺麗に弾いているのに音が小さくてとてももったいない」。


「私は前奏は祈りの時だから静かな音で弾かないとダメだと思っていました」。

「いいえ違います! 
せっかくあんなにきれいに弾いているのにとてももったいない。もっと讃美歌と同じボリュームで弾くとよい。もっと思い切り音を出せばよい。よほど静かに弾かないといけない受難週や葬儀の時は抑えないといけないけれど、そのほかの時はもっとボリュームを上げて弾くと良い」。


奏楽者にとってこれ以上の喜びがあるだろうか。
知子を労い豊かな恵みを与えてくださった神に感謝した。

午後の公開講演会、「今、福島原発事故から学ぶ −空と海と大地 すべての命を守る―」は次に続けたい。

附記:
この記事は当日中に、午後に持たれた公開講演会については今日にアップしたかったが、20日の外出に続いて21日は孫の学校の終日参観日(オープンスクール)だったので、1時間ほど見学して大急ぎでクリスチャン・ペンクラブ関西ブロックの例会に出席すべく大津へ向かった。21日の朝の時点で疲れていたため心ならずも遅くなってしまった。

しかし、今日も眠れず疲れが取れない。
いろいろ役目の仕事を抱えているがしんどくてできない。

そして、チャッピーの命の灯が消えかけている。ついに今夕からついに立ち上がれなくなってしまった。
昨日教会の帰りに段ボールの箱を買ってきた。
今、大きな声で鳴いて呼んでいる。行ってやらねば。


posted by 優子 at 21:40| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2015年11月20日

私もあなたも素晴らしい人生を!

こんなに暖かい11月は初めてだと思います。今日も20度近くあったでしょうか、半袖のTシャツに、合い(春・秋用)のブレザーでも歩くと暑かったです。

そんな今日、敬愛する知人のお見舞いに「HAT(ハット)神戸」(三宮を中心に神戸市の東部新都心として開発された地区の名称。「HAT」とは「Happy Active Town」の略)の病院まで行ってきました。孫に鍵を持たせて登校させたのは今日が初めてです。何とか孫よりも15分遅れ程度で帰宅しました。

ちょうど1ヶ月前、知人は心筋梗塞で一時は危篤状態になりましたが幸い快方に向かっておられ、血色も良く、いつもと変わらないご様子でした。
まだ40メートルしか歩いてはいけないそうですが、最後の治療を終えたらきっと年内に退院できるでしょう。

友のブログ(『生かされて』11月19日の記事)に素晴らしい詩が紹介されていましたので紹介させていただきます。

           「素晴らしい人生」

     あなたが生まれたとき、
     みなが笑って、あなたは泣いたでしょう。
     だから、あなたが死んだとき、
     みなが泣き、あなたは笑っているような、
     そんな人生を送りなさい


本当に、そのような人生を送りたいですね。

知人のお話には何度も「感謝」という言葉が出てきました。素晴らしい人生を積み上げておられます。ご回復を祈ります。

ずっと動かない.jpgチャッピーは今日も長い一日を過ごしていた。
最近しばしばここでこのような格好をしてジッとしており、今朝もこんな後姿を見て外出するのは忍びなかった。

附記:多忙な知子は未だ帰宅していない。
明日は参観日、明後日の礼拝は奏楽のご奉仕だが練習に時間が取れない。早朝出社することが多く、この水曜日の交通当番も私が立った。そして帰宅も遅い。年がら年中この生活では過労で倒れてしまわないか心配だ。
ユキは明日の参観日を楽しみに眠った。
 

posted by 優子 at 22:25| 随想 | 更新情報をチェックする

2015年11月19日

ひとりごと

チャッピーがよくない。2日間飲まず食わずで呼吸が荒い。何とか今日は何回にも分けて一食分を食べさせたが、食べると余計に呼吸が荒くなる。弱っている後ろ足に加えて前足も見る見る力が入らない。眼も見えていないようだ。

こんな状態で雨の中にいては体力が持たないので小屋に入れるのだが、鳴くと放っておけない。雨が上がっていたので昨夜も夜中に出してやった。今では人間同様に常に気にしてやらねばならない状態になっている。

親を介護するように、あるいはまた赤ちゃんの世話をするように、鳴き声が聞えたら「起っきしたのー」と見に行っている。

犬のことでもこんなに辛く苦痛なのに・・・多くの人々の死、家族の悲しみと苦悩を想うと耐えられない。テロの激化、報復の激化、各国首脳たちが声高に言う「テロには屈しない」とはどういう意味なのだろうと考え込んでしまう。

文筆活動しているクリスチャン・ペンクラブ関西ブロックから、「戦後70年」の今年中に『種を蒔く』第3号を発行する予定だったが、間に合わず年が改まってからの発行となった。すでに大田正紀先生が編集に着手してくださり私たちも動き出した。今回発表する文章も掲載される。

21日のクリスチャン・ペンクラブ関西ブロックの例会は、講師の関係から千里ニュータウン教会ではなく大津教会に変更になった。

今日は知子の誕生日。娘たちの誕生日には、お誕生日プレゼントの代わりに心をこめて書き続けてきたが、今回はもう少しあとになるだろう。

「両親を失うことは過去を失うこと」と、詩にも読まれているように、自分の幼いころのことを知ってくれる人がいなくなり、過去が聞けないということはさびしいことだ。その日が来るまでに娘たちの幼い頃のことを話しておいてやりたい、そんな思いで毎年誕生日にも記事を書いている。

今日はもうクタクタだ。

posted by 優子 at 18:08| 随想 | 更新情報をチェックする

2015年11月17日

テロの脅威 ワシントンの真智たちが心配

11月13日夜、日本時間14日早朝、フランスで同時多発テロが起こり132名(17日現在)の犠牲者が出た。テロに遭った人々の恐怖はいかばかりだったか。

私は1999年秋に知子と真智子と3人でヨーロッパ旅行した時、パリで3連泊したのでパリの町を少しなりとも知っていただけに、このたびのテロは尚のこと信じられず、悲しい。

過激派組織「イスラム国」が犯行声明を出し、日本時間16日夜に米国を名指しして「必ずアメリカの中枢ワシントンを攻撃する」と予告した。

そのことを聞いた叔母が「真智子ちゃんが心配で」と電話をくれ、昨夜は2時まで眠れなかったと言った。

私が知っていることと言えば、IMFの建物に入る時は常々厳しいセキュリティ・チェックがあると聞いているので職場は心配していないが、通勤で利用する地下鉄や駅が心配と叔母に話した。

海外出張の多い二人だから、「今は二人ともワシントンに居るんやね?!」とも言った。
孫のいない叔母は自分の孫夫婦のように案じてくれている。真智からメールして叔母を安心させてやってほしい。

そういう叔母の娘(従妹)も先週末からアトランタへ出張している。帰国は21日夜だ。
従妹はアメリカに本社がある外資系の会社に勤務しており、日本から10名が行っているとのことだが、出発便は全員が同じ飛行機ではなく、3つぐらいのグループに分かれて行くようにと指示があったという。

私はふと身近にいる能天気な人を思って、「危機管理もなく呑気で軽薄な生き方は時代にさえそぐわない!」と憤りを感じた。


中東研究者は言う。
「ISに(アメリカを攻撃する)そんな力はないと思う。その力があるならば、とっくにやっているだろう。それにテロをやるぞとは言わないで突然にテロをやるわけだから。
ハッタリなのか本当なのかわからない。テロとは恐怖心を与えることだから」
と。

アメリカでも治安当局は警戒を強めているという。ニュース映像でも銃を手にした警察官が町で警備に当たっていた。真智子たちはこのような光景を直に見ているのだろうか。

世界は病んでいる。
人間はどうしようもないほど病んでいる。
どのように祈って良いのかわからないが、
どうか全てを神さまの最善にお導きください。

個人ではどうしようもない脅威、どうか真智子と太志があらゆる危険から守られますように。いや、次女夫婦だけではなく殺戮から全ての人をお守りください。


posted by 優子 at 23:18| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2015年11月16日

ハンセン病療養所・徒労(たいろう)院

熊本県西区で115年にわたり存続した待労院は、カトリック系の私立ハンセン療養所で、明治時代から「ハンセン病療養所=隔離」とは違ったハンセン病療養所だったという。

徒労院@.jpgこの写真にあるように、修道女らはイエス・キリストが弟子たちの足を洗ったように病者の「足を洗う」ことを通して、入所者たちとの交流を深めていったという。

ふつうは「病院というよりも刑務所のような」ハンセン病療養所であるのに、ここは天国と地獄の違いを感じさせる。しかも明治期に!
この雰囲気は太宰治『パンドラの匣』の舞台となった孔舎衙(くさか)健康道場を思い起こさせる。

「他のハンセン病療養施設と大きく違っていたのは、待労院が建てられた同じ敷地に、親を失った子どもや路傍に捨てられた高齢者などの困窮する人々が集まり、修道女たちと共に信仰に基づく共同生活を送る『聖母ヶ丘』が形成されたことだ」。

徒労院A.jpg「71年に新しく建てられた聖堂は入所者たちの信仰の拠り所となり、祈る姿が絶えなかったという」。




徒労院B.jpg「現在『聖母ケ丘』には『こうのとりのゆりかご』(別名「赤ちゃんポスト」)で知られる慈恵病院が建ち、その意味で『赤ちゃんポスト』の設置と待労院には、大きなつながりがある。
望まれない赤ん坊であっても大切な命を救う背景には、待労院の長い救済の歴史があ」る。


詳しくは「キリスト教と社会事業の関わりを考える 国立ハンセン病資料館企画展『待労院の歩み』」に記されている。

これを読んで北条民雄を思い出さずにはいられなかった。
そして今年初めに「『生命(いのち)』と『生(い)きる』こと(1) ―北條民雄とハンセン病を巡る諸問題を視座として―」2冊をご恵送くださった浅田高明先生のことを思い続けていただけに、メールを書く勇気が出そうだ。


というのは、私は電話をするのが非常に苦手でメールもそうだ。
余談になるが、かつては、と言っても20年以上も前までのことだが、若いころは非常に筆まめで便箋にして年間に350枚近くも手紙を書いていた。返信もすぐに書いていた。しかし、今ではすっかり書かなくなった。インターネットの影響とも言えずメールもマメではない。

今年初めに北条民雄を読み始めてまもなく後藤健二さんのことが報道されたこともあり、民雄の作品は苦痛で耐えられなくなって中断したままになっているが、今ならば少しは読み続けられるかも知れない。

ハンセン病の関係記事過去ログ:

▼ 「『生命(いのち)』と『生(い)きる』こと ―北條民雄とハンセン病を巡る諸問題を視座として―」  浅田高明先生の真髄に心揺さぶられて
▼ 北條民雄、ハンセン病、病者に捧げた人々 @
▼ 北條民雄、ハンセン病、病者に捧げた人々 A

国立ハンセン病資料館も今後の参考になる。


posted by 優子 at 23:46| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2015年11月12日

後藤健二さんを偲ぶ −「平和は希望を失わないことから」−

2015年も残すところ50日ほどになった。
今年初め、新しい年が始まってまもなく湯川遥菜さんと後藤健二さんが過激派組織、ISイスラミック・ステイト(イスラム国)に拘束されたとの報道に震え上がり、私の、そして日本人の平和ボケを目覚めさせた。
その後湯川遥菜さんに続いて、1月31日に後藤健二さんも殺害されてしまった。

この手紙と写真は『ウィキペディア』より拝借したもので、「後藤健二さんがコロンビア大学留学中の1988年、当時21歳の時に母親・順子さんの誕生日を祝って書いたもの」だ。

後藤健二さん、母への手紙.png

若かりし頃の後藤健二さん.png昨年の今頃、後藤さんたちはすでに拘束されていたのである。私たちがクリスマスを祝い、年末年始を過ごしていた時は既に拘束されていたことを知った時、胸がつぶれそうだった。

その直前まで行動を共にしたマームッドさんの話が、先月末の『クリスチャン・トゥディ』に掲載されている。

後藤健二さんの友人で、後藤さんの行方が分からなくなる前日まで行動を共にしていたというシリア人男性モハメド・マームッドさんが、本紙のインタビューに答え、後藤さんへの思い、また現在のシリアの状況について語った。

― 後藤健二さんに初めて会ったのはいつですか?

彼とは昨年1月、トルコのガズィアンテプで友人を介して知り合いました。当時、私の住むシリアのアレッポは、自由シリア軍と「イスラム国」(IS)の戦いが激化していて、近づくことさえできなくなっていました。

― 後藤さんについて特に印象に残っていることは? 

健二さんは、苦しい状況で生活する人々にいつも目を向け、信仰にもあつい人でした。
夫として愛され、また子どもたちにも愛されていたことでしょう。残念なことに、一番小さいお子さんとはあまり多くの時間を過ごせなかったようですね。

ある日、アレッポから中継しようとしていたとき、街中に「たる爆弾」が2つ投下されました。たくさんの犠牲者が出て、アレッポの街は変わり果てた姿になってしまいました。健二さんは「どうしてこんなことに・・・」と言いながら、私の腕の中で泣いていました。

― 信仰について、彼と深く話したことはありますか?

いいえ。しかし、食事の前に静かに祈りをささげていたのを知っています。私たちは、彼のそんな姿に敬意を払っていました。

― 最後に後藤さんに会ったのはいつですか?


2014年10月24日です。その4日後の28日にはガズィアンテプのホテルで会う約束をしていました。

    (略)

この国の戦争はいつ終わるのだろうか? 
この国に平和はいつ訪れるのだろうか?
平和な日本に住むキリスト者にできることとは、一体何なのか?
祈ることが、彼らの最大の支えになることを信じて、シリアの地に心を寄せて祈りたい。

「いと高きところには栄光、神にあれ、
地には平和、御心に適う人にあれ」。
                (ルカによる福音書 2章14節)

平和のつくり方。それは、私たちが希望を失わないことから始まる。・・・

私たちは楽観できないこの世界を生きている。自分の感情で「平和だ、平和だ」と歌っていられるような気楽な世界にはもう生きていない。
「神様、あなたの力がなければ実現できないのです」、そういう切羽詰まったもがきの中で初めて、「恐れるな。私は既に世に勝っている」という言葉と出会うのだ。・・・

(私たちは)本気で神の平和の実現を私たちは信じているのだろうか? 私たちがキリスト者として信じるのは、神がいるというのではなく、神が共にいるということ。神がこの世に参与するということに他ならないのだから。

以上、「『平和は希望失わないことから』 キリスト者平和ネット事務局代表、『沖縄から見える平和』を語る」より抜粋。

第2次世界大戦で人類の罪は頂点に達したかと思ったが、それからのちも悲惨に悲惨を重ね続けている。本当に今を最後に気づかなければ、近々に人類の歴史に終止符が打たれるだろう。

平和を願う人々と励まし合って希望を失わないように頑張りたい。
日本国内においても神の正義が成るように祈るばかりである。


posted by 優子 at 17:26| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年11月11日

小学2年 晩秋の頃

この時期は一雨ごとに季節が進んでいくのだが、今年は気温が高めでゆっくり進んでいる。雨の日も暖かく、ユキは昨日まで学校から帰ると夜までランニング姿だった。

今日は5日ぶりの陽射しで午後の室温は28度になり網戸にして窓を開けていた。季節はゆっくりでも日暮れは日に日に早くなり、お友達との遊びの門限は5時40分から5時半になり、5時20分、10分、そして先週末から5時になった。まもなく5時でも真っ暗になる。

室内28度、宿題はシャツ1枚で!.jpgこれからは宿題を後回しにして先に遊びに行かないと遊ぶ時間がなくなってしまう。お日様が帰ってしまわないうちに遊ばなくてはね!
遊びに行く時はおやつも食べないで宿題に取りかかる。この真剣な顔!

2学期の半ばころから国語の学習は『お手紙』(アーノルド・ローベル著:カエル君とガマ君の話)に入った。

幼稚園卒園時にユキのお友達が手術するというので、回復期に『お手紙』が収録されているローベルの本をプレゼントした。奈良県で採用していた教科書と違っていたのか、その子のお母さんは『お手紙』をご存じなかったが、娘たちだけではなく私も鮮明な記憶として残っており、知子と真智子の素晴らしい朗読が今も私の耳に響いている。

「お手紙」朗読@.jpgユキの4〜5歳の頃にも何度も読み聞かせた本だ。
今のユキと同じ年齢だった時の知子と真智子の朗読を聞いて、大いに刺激になってユキも気持ちを込め、カエル君とガマ君の声色も変えて上手に読んでいる。

↑ 只今、宿題の『お手紙』本読み中

終わったよ!.jpg
「終わったよ!」

子どもの宿題を見るのは、子育て中で一番幸せを感じる楽しい時。それを知子が味わえないのが切なくてならない。土・日にも本読みの宿題がある時も、私が執筆の時間が割けない時以外は金曜日に土・日の分も済ませてしまうので・・・


算数は10月半ば過ぎから掛け算を習い始めた。「2の段」から始まり「5の段」に進み、この日は「3の段」を披露してくれた。覚えた子は休み時間に先生の前で暗唱する。

掛け算3の段暗唱!.jpg
この翌日に「3の段」も合格し、今は「4の段」に挑戦中!

先月からこんなことばっかりしている@.jpg最近の特徴と言えば、2〜3週間前からこんなことをするようになった。
毎日毎日飽きもしないで何度も何度も滑り降りて楽しんでいる。


2010年9月初め.jpg





そしてこれは、3歳1ヶ月のユキ。
過去ログ・2010年9月10日に掲載した写真だ。なんてかわいかったんだろう。

先月からこんなことばっかりしているA.jpg
11月も半ばになろうとするのに
ランニング姿などありえない暖かさだ。

今年の7月11日、8才の誕生日に手術した「逆生(ぎゃくせい)・埋伏(まいふく)過剰歯」の抜歯後、まもなく歯が顔をのぞかせ、4ヶ月後の今はこんなに生えている。

サッカーもナイスシュートしてから熱が入ってきたようで、14日は他校に出かけて子供たちとのサッカーをやりたいと言うので申し込むと、指導者からこのような嬉しいコメントが返ってきた。

「やる気に火がついたみたいで、これからの成長が楽しみです(^-^) ゆきひさは、しっかり言うこと聞いてくれますので、預けてもらっても大丈夫ですよ」。

しかし、14日の土曜日はまた雨の予報が出ているが・・・

ミスチル購入して.jpgそして今夜は、今日届いた「ミスター・チルドレン」のCDに入っていたDVDを親子で観ていた。

知子は娘時代から「ミス・チル」が大好きで、最近はミスチル一色である。ユキは「箒星(ほうきぼし)」という曲が好きで、ギターを弾きながら歌うのに憧れているそうだ。

それで私のマンドリンを出していたのだ。
8日の教会のバザーで何度もギターを触っていたのもそのせいだったんだ。300円という破格値でも売れ残っていたけれど、知子も弾けないから邪魔になるだけだ。

連日大仕事をしている知子だけに好きな世界を思い出せてよかった。私には全て同じ曲に聞こえるが、好きなことで気分転換しながら頑張ってほしい。

ただし、今まで常に私が独占していたCDも、知子が居る時は譲らないといけないのでクリスマス・キャロルをかけられないのが残念。

翌11月12日15時追記:
「4の段」も合格し、今日「6の段」を習ったそうだ。
そして、今日やっと逆上がり(鉄棒)ができたって!!!
 


posted by 優子 at 22:16| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2015年11月10日

広岡浅子著『人を恐れず天を仰いで』(復刊『一週一信』)より

およそ100年ぶりに復刊された『一週一信』(『人を恐れず天を仰いで』)は、広岡浅子が「大正6年中、関西の某週刊雑誌に、「九転十起生(きゅうてんじっきせい)」の名をもって寄稿したものである」。

「七転び八起きというなら、自分は九回転んでも十回起き上る人間になろう」と、努力と実践の生涯を築きあげた広岡浅子。自らのペンネームを「九転十起生」としたのは実に豪快で浅子らしい。

浅子は前掲書の「人生の二方面に現れたる不具」で、「やり手」(辣腕家)と「お人よし」の否定的な点を次のように書いている。

「自己のためならば、何時何時(いつなんどき)、親戚でも、恩師でも、親友でも、これを売るかわからない、そんなことは何とも思っていないのである。

かかる人間は安心して事をまかせる人間ではない。・・・これが社会に無関係な一個人としてならば、それで済むのであるが、会社や銀行その他の生産機関、・・・に重大な関係があるならば、実に恐るべき結果をもたらし来るのである。
     (略)
(お人よしなる)その人の目の前で大切な話をして宛(あ)てこすっても利目(ききめ)がない。更に目に指を入れるようにしてもわからない。即ち、三里を過ぎて初めて智(さと)る底(てい)の人である。
     (略)
こういう人が暗愚のために案外に大いなる害毒を流している。溌剌たる生命はこれがために涸渇するのである」。


これを読んで我が脳裏に浮かぶのは、「やり手」でも「お人よし」でもないのに、上記の両欠点を有する人物の存在である。ただし浅子さえ仰天するやも知れぬ、三里を過ぎても智(さと)ることなど全くない特異な人々もいるのである。

その多くは私の身近で目にするのであるが、親・兄弟のために家族を売り、家族に幾度も幾度も助けられて危機を切り抜けてきたにもかかわらず、使い捨ての雑巾のごとくに売るのである。

そこまで親・兄弟を、しかも自己中心的な親・兄弟を大事とする者は結婚してはいけない。その伴侶だけではなく、子や孫にまで害毒を及ぼすからだ。

そのような人は同類の中で人生を送るべきだ。親や兄弟を客観的に見ることさえできない者に向上心はない。彼らの邪悪さと無責任さと怠惰には絶句する。

そのような闇の塊のごとき人に、仮に100年の歳月をかけてあらゆる関わりの努力をしてもどうしようもないだろう。

況(いわ)んや、正邪さえ理解できない者が組織の重職にあるならば恐るべき結果をもたらすとは至言だ。


我が半生を振り返ってしみじみ思うことは、幸せな人間、幸せな人生とは感謝できるかどうかに尽きる。能力の有無ではなく、正邪(正しいことと不正なこと)がわかり、自己洞察できること、非があらば謝ることができる人だ。

まさに広岡浅子は聖書にある通り、「彼は死ぬれども、信仰によりて今なを語る」。 九転十起生に励まされて、溌剌たる精神が涸渇しないように神と共に歩むべし! 
  

posted by 優子 at 18:19| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2015年11月08日

原発事故を想定して避難訓練?! 懲りない愚者、許せぬ蛮行 「福島の現実、伊方で繰り返してはならない!」 

四国電力の伊方原発の事故を想定した原子力総合防災訓練が、今日から2日間の日程で行われている?!
どんな地獄を見ても懲りない人々、政治家たち。日本は何という特異な国か! 原発の問題も平和の問題と同じである。

松山に移り住んで43年、福島県出身の須藤昭男牧師(インマヌエル綜合伝道団松山キリスト教会)は、「福島の現実、伊方で繰り返してはならない」と2011年10月に伊方原発の運転差し止め請求訴訟を起こし、1338人の原告団の共同代表として140人の支援弁護団の下で法廷闘争をしている。 

以下は『クリスチャン・トゥディ』より、須藤昭男牧師の叫びを要約したものである。
それまではこういう問題には全く関心がなかったが、東日本大震災後に故郷の福島を訪れて、地震と津波、原発事故に見舞われた福島県浪江町は「死の町」と化し、あそこには帰れない。

クリスチャンというのは、現実の諸問題と向き合う現代の預言者だ。旧約聖書の預言者エレミヤは神の言葉を語って時の政治権力と闘った。

福島では自殺者が増えている。コントロールされているなんて、よく言ったものだ。日本はこれほど被害を受けながらも学ぼうとしない。

ドイツは福島の3.11以後大きく舵を切り、脱原発に向かっている。しかし日本は、広島・長崎・第五福竜丸、そしてスリーマイル(米国)・チェルノブイリ(旧ソ連)、そして3.11の福島を体験、甚大な被害を受けながら再稼動を目指す。この違いはどこにあるのか。考えさせられ、大きな祈りの課題だ。

やっぱり、人間というのは手を付けちゃいけない禁断の実がある。(原発は)神様の恵みとか言う人がいるが、土に返らないものはダメ。(核)廃棄物はどうにもならない。

伊方原発の地元の町で行われた再稼動に関する住民はがきアンケートの結果は、「賛成27%、反対51%、どちらともいえない22%」だ。

この22%の人たちの心配は「仕事がなくなるのでは」ということだ。だから原発反対と共に、稼働停止の後はどのようになるのか、廃炉作業が完全に終わるまでの原発の固定資産税、今までの交付金などを含めて「稼働停止後の伊方町と佐田岬の青写真」を具体的に提示するにはどうするか。

このことを提示することのない「伊方原発運転差止」では、22%の人々の不安は解消されない。原発反対運動の中でこのことを具体的に立案するにはどうすればいいのかが今の大きな悩み、祈りの課題だ。

伊方原発が事故を起こせば、瀬戸内海の海の幸が壊滅的な打撃を受け、おいしいミカンは全滅、文化の香りに染む遍路道には人が途絶え、天下の名湯・道後温泉に観光客は訪れるだろうか?!

原発の幸せは一炊の夢。本当の幸せの木(再稼動を阻止、廃炉から始まる具体的地元の経済対策)を植えなければならない。福島から学び、本当の豊かさ、幸せをもたらす施策が必要なのだ!

教会にも四国電力に関わりのある人がいて、「原発反対、原発反対」いうことを声高に言いにくいという地域の実情から、「現在は自らの教会を挙げて原発問題に取り組んでいるわけではなく、『福島県出身・牧師須藤昭男』として取り組んでいるという。

「教会は、『主イエス・キリストの救いを伝え、一人の人を救いに導く』、このことを絶対に忘れてはならないのです。
しかし、クリスチャンは現代の預言者。
牧師やクリスチャンは政治の動向、社会の動き、社会問題と向き合うことを忘れてはならないと思います。この二つを聖書的に正しく捉えていかなければならない」。


須藤牧師ら真実を叫ぶ人々のために背後で祈り続けたい。

前掲同ページにあったインターネット上で再版されている『原発の来た町―原発はこうして建てられた 伊方原発の30年』(南海日日新聞社、2002年)には、斎間満氏が、「この伊方の歴史をどうしても残さなければならない。原発がどのようにして建てられていったかを伝えなければならない。サタンの火は伊方に如何(いか)にして入り込んできたかを多くの人に知らせたい」と、伊方原発をめぐる地元の歴史が詳細かつ克明に記されている。

posted by 優子 at 20:57| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年11月03日

3度目の救出劇、チャッピーを助けた夫に1000ポイント進呈!

2015.11.7(土)19時20分追記:
18時頃、チャッピーの声が裏から聞こえた。今夕は初めて知子が餌をあげたために、小屋に入れるまでの自由時間を過ごす時の柵をしなかった。

チャッピーは日が暮れると即行、真っ暗な中を段差を降りて行き、裏の境界の溝に落ちてしまった。ここ立て続けに4度目の落下である。犬も落ちる時「ああー!」と思うんだろうか。

2015.11.7 4回目の救出劇.jpg夕食中、良輔とユキはチャッピー救出のために緊急出動。今回は一時鳴きやんだので、どこにいるのかわからなくて困った。幸い80センチメートルほどの深さの所だったので助けやすかった。強運なチャッピーも今回で寝たきりになるのかと心配したが、無事ことなきを得た。

認知症のチャッピーは小屋に入らなくなってしまい、夜は冷え込むのに玄関前で寝ている。しかも、毛布の上が暖かいということもわからなくなっているので、先週から夜は小屋に入れて出られないようにラティスで柵をしていた。昨日は雨が上がるまで18時間後の午後2時に開放した。

今夜は早々と夕刻5時半過ぎから小屋に入れた。1時間ほどすると吠え始めたが、いつものことだろうと放っておいた。しかし、いつまでたっても鳴きやまず裏の方で声が聞えるからと、夫はお風呂に入る前に小屋を覗いた。チャッピーがいない!

夫は寒いのに半袖の下着一枚で声のする裏へ探しに行った。すると、またしても深い溝に落ちていたのだ。幅は狭くて身動きできない状態だ。

しかし、どうやっても手が届かないからと私を呼びに来た。夫が行ってから吠えなくなったからチャッピーは安心したのだろう。犬にも感情がある。その後、チャッピーを無事救出してくれた。夫は下着を着ていたのにおなかに擦り傷があった。

3回目の今回は端っこだったので前よりも深くなっている所だったので、夫が腹ばいになっても手が届かない。そこで棒を使って顔を上げさせて引っ張り上げたという。今回も首つり状態で助けるしかないので、窒息しなくてよかったと胸をなでおろした。

今では裏へ行かないのに、どうして真っ暗な夜に行くのだろう。人間の徘徊と同じなのだろうか。足腰が弱ったとはいえ、まだまだ力が強いので柵を押しのけないように厳重にしなければならない。

チャッピーの日常:
こんな寝かたを.jpgかつては考えられなかった寝かたをする。
体の一部は段差のある湿った土の上だ。

2時間以上も50〜60センチの距離を行ったり来たりして、ようやく眠るので起こすとかわいそうだから、寝心地よくしてやりたくてもこのままにしておいてやるのだ。
頭が落ちるよ.jpg
ポーチの端っこで寝ていたこともあった。
そのうち頭が下に垂れてしまい、そのまま眠っているので上げてやったこともあった。


老いを耐えるチャッピー.jpg
ボケているようには見えないチャッピー。

この頃は鼻の黒色が剥げてきたようで茶色になっていた。写真でもわかるように次々とおなかに腫瘍ができてはじけて血が出ている。かわいそうに! 痛みはないようなのでそれが唯一の救いだ。
犬だから人間のように悩むこともないだろう。「こんなものができて治るのだろうか・・・これからどうなっていくのだろう」かと。

家の前だけの散歩B.jpg今では散歩は家の前を行ったり来たりするのみで、それさえもすぐに歩かなくなり、すごい力で踏ん張って歩いてくれなくなるので、私は10月頃から連れ出さなくなった。

先日は近隣の人がわざわざチャイムを鳴らして尋ねて来られた。
「チャッピーと歩いているところを見ないけれど、○○さんもチャッピーのこと聞いていたよ」と。
「チャッピーは生きているよ」!
そういえば、チャッピーよりも1才若い近隣の黒柴犬のミミちゃんは既に寝たきりになっているそうだ。

2015年11月12日17時55分追記:
ミミちゃんは10月27日に死んだとのこと。先ほど遊びから帰宅したユキが飼い主のTさんと会って聞いてきた。寝たきりになっているというのも、ユキが10月18日にTさんから聞いてわかったことだ。私はそれほど出歩くこともしなくなっている。

チャッピーもすっかり足腰が弱くなったが、私たちが行ったり来たりすると早足でついてくる。夫は歩かないと歩けなくなってしまうからと、休日になれば連れ出してくれる。

この夜もいつもの鳴き方と違っていたからと、夫は母親が赤ん坊の泣き声を聞き分けるような繊細なことを言った。犬に対しては人間的な側面を見せるんだと、39年連れ添った妻が感じた意外さ。
       
今回の夫の著しい貢献に1000ポイント進呈!!!
      
※ 10月7日からブログの絵文字が改定されていた。

ポイントをすぐに無くしてしまわないようにね〜〜〜
今夜から家族円満になって再出発!

附記:
この日知子は、広島のご実家から東京へ帰る途中の大学時代の友と神戸で落ち合い、楽しい時間を過ごしてきた。
ユキはおじいさんと2人で奈良公園へ出かけた。このペアでの奈良行きは2度目。私は生協の配達があるので留守番!

良輔と二人で奈良公園@.jpg 

良輔と二人で奈良公園A.jpg

外国の人もいっぱいで、ちょうど「平城京天平行列」に出くわして奈良時代の衣装を身にまとった人々を見たそうだ。 

日本聖公会奈良基督教会.jpgここは繁華街の並び、「ならまち」の手前にある日本聖公会奈良基督教会。
この教会は、プロテスタントとカトリックの中間に位置する聖公会に属する教会で、1885年 (明治18年)のこと、奈良在住の信徒とアメリカ人のジョン・マキム牧師によって伝道を始め、2年後に献堂された異教の地に建つ歴史ある教会だ。さすが仏教の本拠地とあって寺院風。

日本聖公会奈良基督教会礼拝堂.jpg
今年3月に奈良県指定有形文化財に指定された。

今日は教会と幼稚園のバザーが開催されていて、夫は礼拝堂の中にも入って見学した。礼拝堂の後ろに大きなパイプオルガンも設置されているという。
ユキはこのバザー会場で楽しんできたようだが、2人の「ならまち」散策の様子を覗いてみたいものだ。


posted by 優子 at 22:09| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2015年11月01日

降誕前第8主日・聖徒の日 召天者記念礼拝 − 死は ” Nessesary end ” なり ―


召天者記念礼拝@.jpg今朝の礼拝は「降誕前第8主日・聖徒の日 召天者記念礼拝」で、遺族の方々もたくさん出席された。講壇前に置かれている写真は、既に召された教会の先人たちだ。

毎週礼拝の初めに読む交読詩篇、今朝の箇所49篇に心打った。

讃美歌21・385番「花彩る春を」(タイトルをクリックしてください)
1 花彩る春を この友は生きた、
  いのち満たす愛を 歌いつつ。
  悩みつまずくとき、この友の歌が
  私をつれもどす 主の道へ。

2 緑もえる夏を この友は生きた、
  いのち活かす道を 求めつつ。
  悩みつまずくとき、この友のすがた
  私をふりかえる 主の道で。

3 色づきゆく秋を この友は生きた、
  いのち 他人のために 燃やしつつ。
  悩みつまずくとき、この友は示す
  歩みつづけてきた 主の道を。

4 雪かがやく冬を この友は生きた、
  いのちあたためつつ やすらかに。
  この日、目を閉じれば 思いうかぶのは
  この友を包んだ 主の光。 

アーメン

以下は木ノ脇悦郎牧師の礼拝説教の要約である。
近年の日本における「ハローウィン」の盛り上がり方に驚く。
今朝は「聖徒の日」、英語で「ハロウマス(Hallowmas)」と言う。「ハロー(Hallow)」は「讃える」の意味で、即ち今日は「神さまをたたえる日」である。そして、ハロウマスの前日がハローウィンである。

本来、ハロウマスは聖霊降臨日の1週間後の日曜日に祝っていたが、8世紀になって11月1日に決定して、殉教者や聖人をお祭りする日になった。

一般の人はその2日後に「諸魂日」として、既に召天された人々を覚えて祈る日であったが、そこにケルト文化や風習が混ざって魔術が入り1年先の運勢を占う日になるなど、キリスト教と異質なものになってしまった。

「聖徒の日(ハロウマス)」は、すでに召天された人々を覚えて祈る日。「ハロウ」とは「神聖な」「尊い」「崇める」の意味である。

私たちは亡くなった人たちを礼拝するのではなく、亡くなった人を神が守り支えてくださったことを神さまに感謝するのである。


(浅田次郎の作品『憑神(つきがみ)』を紹介され)人間は死ぬことがなければ恐ろしいことであり、命は輝かない。死があるからこそ一瞬一瞬を努力するのである。

日本人は先祖崇拝がネックになってキリスト教が入らないという人もいっぱいいる。しかし、いつの時代も、どこの国でも死者に対して敬虔な思いを抱き尊重するものである。

人間は2度死ぬと言われている。「第一の死」は生命の死であり、人々から忘れ去られてしまうことを「第二の死」と呼ぶこともある。

今日の聖書個所(ガラテヤ人への手紙 1章13節〜24節)17節(下記下線部分)、ユダヤ教の熱心なエリートだったパウロが、「母の胎内にある時からわたしを聖別し、み恵みをもってわたしをお召しになったかた(神)」と言っているように、神の恵みはパウロ自身が努力する以前からであり徹底した受け身である。

ユダヤ教を信じていたころのわたしの行動については、あなたがたはすでによく聞いている。すなわち、わたしは激しく神の教会を迫害し、また荒しまわっていた。

そして、同国人の中でわたしと同年輩の多くの者にまさってユダヤ教に精進し、先祖たちの言伝えに対して、だれよりもはるかに熱心であった。

ところが、母の胎内にある時からわたしを聖別し、み恵みをもってわたしをお召しになったかたが、異邦人の間に宣べ伝えさせるために、御子をわたしの内に啓示して下さった時、わたしは直ちに、血肉に相談もせず、また先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行った。それから再びダマスコに帰った。

その後三年たってから、わたしはケパをたずねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間、滞在した。しかし、主の兄弟ヤコブ以外には、ほかのどの使徒にも会わなかった。 ここに書いていることは、神のみまえで言うが、決して偽りではない。

その後、わたしはシリヤとキリキヤとの地方に行った。しかし、キリストにあるユダヤの諸教会には、顔を知られていなかった。

ただ彼らは、「かつて自分たちを迫害した者が、以前には撲滅しようとしていたその信仰を、今は宣べ伝えている」と聞き、わたしのことで、神をほめたたえた。

恵みも神が一方的に働いたのであり、人間の徹底した受動性、受け身の立場である。このような転回はなぜ生じるかを考えるに、権威者や人の目を気にして生きていたが、私がどうであれ支えられ助けられて生かされているという体験をしたゆえだと分かって、価値観(生き方)を変えてしまったのである。

講壇前に置かれている人々は神の腕の中に抱かれている。この人々の魂に安らぎを与えられていると信じたいと思う。

木ノ脇牧師の祈る姿.jpg召天者記念日は生きていた人々を思い、今を輝かせようとしている私たちに、神さまが恩寵を注いでおられることを思う日ではないかと思う。
み前に感謝して祈ります。
(合掌して祈られる木ノ脇牧師)

墓前礼拝@.jpgこのあと教会墓地へ移動し、墓前礼拝を捧げる。参加者25名。
木ノ脇牧師は「へブル人への手紙11章1章〜7節」から、「天に移された人々を覚えて」と題してショートメッセージを語ってくださった。

へブル書11章1章〜7節:
墓前礼拝A.jpgさて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。

信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。

信仰によって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた。神が、彼の供え物をよしとされたからである。彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。

信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである。

信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。

信仰によって、ノアはまだ見ていない事がらについて御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世の罪をさばき、そして、信仰による義を受け継ぐ者となった。

神の恵みによってより良く生き、のびのびと生きることを確信したい。私たちには見えない神であるが、いつも神の働きに触れている。触れて生きている。それが信仰である。

アベル、エノク、ノア。
ノアのおかげで生物が絶命せずに望みが達成されていることも信仰ゆえのことであり、神に喜ばれて神に「良し」とされたことを覚えたい。
私たちも主の栄光に与る者とされたことを信じ感謝して、より良く快活に生きよう」。


讃美歌21・575番「球根の中には」

1 球根の中には 花が秘められ、
  さなぎの中から いのちはばたく。
  寒い冬の中 春はめざめる。
  その日、その時をただ神が知る。

2 沈黙はやがて 歌に変えられ、
  深い闇の中 夜明け近づく。
  過ぎ去った時が 未来を拓く。
  その日、その時をただ神が知る。

3 いのちの終わりは いのちの始め。
  おそれは信仰に、死は復活に
  ついに変えられる 永遠の朝
  その日、その時をただ神が知る

私は3番に入ってから涙が流れて歌えなくなってしまった。
亡き父母を想ってではなく、現実の苦境を思って「恐れは信仰に」の言葉が心に触れ、そして、わが生涯を全うして神のみもとに帰る時を想い、そしてまた、私の葬儀で我が最愛の知子と真智子は涙のうちにも微笑んで送ってくれるのではないかと想っての涙だった。

私が長く命を賜わり幸悠も高校生にもなるのであれば、自己を見つめて生きる意味を考え始める頃であろうから、ユキにも私の生き方が証しになれば望外の喜びである。勿論、夫にも太志君にも、父と母が愛した兄や妹にも。そして、親しい友にも、また、悪意の人々にまでも・・・


私は改定版の『讃美歌21』よりも、子供の時から歌いなれた従来の讃美歌が好きだが、復活祭にも歌われるこの575番は慰めに満ちた希望あふれる愛唱歌の一曲である。私のその時の一曲にあげたいと思う。

今朝の説教で、死は必要なのだということ、 ” Nessesary end ” であることを改めて感じ受容を深めることができた。
シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』第2幕 第2場にこんなセリフがある。
" Seeing that death, a necessary end, Will come when it will come. "
「最後は誰も避けられぬ、死ぬときは死ぬのだ」。


だからこそ私たちは一瞬一瞬を努力して命を輝かすのであり、特に最終ラウンドは有終の美を生きたいと願う。


posted by 優子 at 23:57| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする