2015年12月31日

2015年を送る

神様が必要な助けを神様のタイミングで必ず与えてくださる。・・・人間は人間を救えないし守れない。経済的にも。ここまで守られてきたのは、本当に私達を愛してくださっている神様。・・・

神さまを仰いで、涙をもって賛美し、歩み続けてきたママらしい生き方を今こそ取り戻してほしいです。・・・

敬愛する真智子より今朝メールが届いていた。
そして今夕、先週のクリスマスのメッセージに続いて、新年を迎えるにあたり東(あずま)牧師からお手紙を拝受した。

御恩寵を祈ります。・・・
1年間を顧みていろいろな煩わしい事や困ったこともあったでしょう。それもこれも一切を主に委ねて、ゆっくり1年の疲れをやすませましょう。

夏目漱石の一句があります。
「行く年や猫うづくまる膝の上」
何の不安も無く飼い主のあたたかい膝の上にうづくまって眠っている猫の様に、私達も神様の愛のみ手のうちにうづくまって休ませて戴きましょう。

(このあと旧約聖書から7枚にわたって
祝福のメッセージを書いてくださっている)

来年2月にまた私共の教会をご利用戴けることを楽しみにして居ます。文集の発行を楽しみにしています。

どうか新年を全能の神の宇宙を支配し歴史を動かす強力な力におすがりして、たくましく元気でお迎えください。

クリスマスの翌日、信仰の友M.Mさんからもありがたいお心をいっぱい頂いた。祈ってくださっている方々のことを身に感じて感謝している。

おかげさまで今朝からそれぞれに新たに歩み始めている。
今年も受けた多くの恵みを感謝して忘れないで、今新たな気持ちで2015年を迎えよう。


posted by 優子 at 23:55| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2015年12月30日

チャッピーが生きていた2015年もまもなく暮れる ―遠くなっていくチャッピーとの日々― 

チャックンと散歩の光景.jpgこれは今年の2月下旬の散歩中のチャッピー。この9か月後に別れになった。
この時もチャッピーの死を意識して、チャッピーと歩いていた時のことを覚えていたくて撮った。

16年間も一緒に歩いていたのに、既に記憶が薄れてきている。こんな感じだったんだ・・・そう、リードを持っている感覚を少し思い出す。

カテゴリ「愛犬・チャッピー」を開く。
2006年9月1日(チャッピー9歳3ヶ月)の記事に「チャッピーの分かる言葉」が記載されていた。懐かしく思い出された。

餌、ミルク、パン、さかな、お水、お座り、お手、ダメ、ハウス(犬小屋)、お外、おうち入る?、(家に)上がるか?、ボール、寝んね、行こか(散歩に行こうか)、裏(裏庭)、猫、カラス、狸(この辺りには狸がいるので覚えた)、何かおる(虫が怖い私がこう言うとキョロキョロして見て回ってくれる)など20余りの言葉を理解している。

しかし、これらの日常語も2009年春以降は消滅していったように思う。ユキと生活するようになり、チャッピーに関わってやる時間が急減したからだ。

2006年9月15日の記事には、「チャッピーは初めて我が家に来た時からクルクル回っていた。嬉しい時やストレスのある時に回り、その速さはそれらの程度に比例するようである」と記しているが、私はそんな特徴さえ忘れていた。

生き物係B.jpg晩年は散歩に出た瞬間に回るぐらいだった。
しかし、このような回り方ではなく、以前はその場を高速で回り続けた。
ストレスで回る過敏さも全くなくなってしまったが、喜びを表すのも消えていたことに今になって気づいた。

晩年は5〜6分に短縮した散歩に出た時だけが唯一の喜びだったのだ。それも(今年の)9月に入った頃までだったと思う。短い散歩は常にユキに託していた。

ユキは2年生になると1年生の時よりもかなり力強くなっていたので託していたが、今となっては悔やまれる。私も一緒に行けばよかった!

2007年2月17日、チャッピーが真智とスカイプした時の事:
真智子がパソコンから「チャッピー」と呼ぶと、耳を動かした。キョロキョロして真智子を捜したが居ない。

そこで帰って来たのかと思って玄関の方を見、そちらに向かってお座りをした。かわいいチャッピー。でも、胸が痛くなった。真智はアメリカなのだ。 

私はチャッピーを真智子に合わせてやりたくて必死になった。
「違うやんか! チャッピー、ここ! 真智はここや!」と、パソコンの画面が見える位置にマットを動かしてやった。ついに目と目が合った!

「チャッピー、ワン言うて?!!」と、真智にチャッピーの声も聞かせてやろうとしたが鳴いてくれず、大好きなミルクを見せて鳴かせた。
「ミルクあげるからワン言うて?!」と言うと「ワン」と言うからだ。
苛酷な研究生活を送っているミネソタの真智には、チャックンの元気な声も聞いてアニマルセラピーになったことであろう。

チャッピーにも人間と変わらぬ心があり感情があるのに、それでも動物は死んだら終わりなのだろうか・・・
チャッピー、今、どこにいるの? 
どこへ行ってしまったの?
わかっていてもやっぱり思ってしまう。

私はチャッピーを紐につなぐことに違和感があって、何年間もつなぐ時はいつも「チャッピーごめんね。つながせてね。失礼します。」と言いながらつないでいた。

外出する時はよほど時間がない時以外は、いつも姿勢を正して「チャッピー、お留守番をよろしくお願いします」と礼をして出かけた。時間がない時でも門から顔を出して、必ず目と目を合わせてそのように挨拶した。

そして、帰宅した時は「チャッピー、ただいま! お留守番、ありがとう」と頭を撫でてビスケットをあげた。私がビスケットの缶を手にした時の嬉しそうな眼、目は缶にくぎ付けになっていた。
外出時の挨拶とビスケットのやり取りは死ぬ1週間前まで交わしていた。


2006.2.11チャッピー6歳9ヶ月.jpgこれは成犬たくましい頃のチャッピーとの写真で、今から10年前のものだ。

今年はチャッピーとの別れもあったが、特に記念すべき年でもあったので2016年の年賀状は夫婦両名にして、この写真を掲載しようと思ったが悔い改めなき夫の意思で必要がなくなった。

結婚以来ずっと連名で作成していた年賀状だが、2015年に続いて2016年も別個になった。

ようやく昨夜になって年賀状に取り組み、と言っても今年も全て知子に厄介をかけて出来上がった。そして夜10時過ぎにポストに投函した。無風だが寒かった。

まもなく2015年が暮れる。
チャッピーが生きていた2015年、懐かしき日々が遠くなっていく。

附記:ようやく昨日体調が戻ったばかりの今日正午過ぎ、次女に連絡を取り危機介入してもらう。
2時間半に及ぶ電話、真智の傾聴と信仰による導きに感謝している。私たちはもう一度新たに歩む。


posted by 優子 at 22:54| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2015年12月28日

チャッピーと共に過ごした16年3ヶ月

チャッピーが逝ってまもなく1ヶ月.jpg

チャッピーが逝って1ヶ月余り過ぎた。
毎年年末か年始の礼拝に教会の方々に新年度のカレンダーを持参する。礼拝後にカレンダーを見ていた時、柴犬の写真が目に入り、その瞬間に涙が溢れて止まらなくて困った。

チャッピーはいない.jpg剪定が終わってすっきりした庭にもチャッピーはいない。どこを探してもいないのは不思議だ。生まれる不思議、死ぬ不思議。
数年前は名前を呼ぶと元気いっぱいに走ってきた。ウロウロ徘徊していたチャッピーではなく、そんなチャッピーの姿も思い出せた。

かわいいチャックン.jpg


チャッピー!
今どこにいるの?

これは今年6月半ばのチャッピー。




003.jpg
去年の今頃、冬休みになったユキと一緒に知子を駅まで送った時のチャッピー。

いつ頃までチャッピーは駅まで歩いていたのだろう。


チャッピーとユキ@.jpg2014年12月26日
チャッピーとユキA.jpg
1年前はこんなに元気に力強く引っ張っていた。
犬の躾から言えば間違った上下関係なのだろうが、リードを持つ者が止まれば一緒に止まり、歩き出せば一緒に歩き出してくれていたので問題はなかった。

仕事納めの朝A.jpgその翌日、2014年12月27日、御用納めの朝。
そして今年も早、御用納め。でも、もうチャッピーはいない。


空き缶ばかり噛んでいた.jpg犬が年を取ることも知らなかった私は、チャッピーと共に過ごした16年3ヶ月をしみじみ思う。

堅い空き缶をよく噛んでいた。

我が家のサンダルだけではなく、母屋の勝手口からもくわえて行っては噛んでどこかにほったらかすので、何度義母に謝ったことか! 

サンダルだけでは飽き足らず、当時はやっていた厚底の重い重い知子の靴をくわえて振り回していた。頸椎を損傷しないか心配したものだ。それだけではなく新築した我が家までかじり、果ては自分のハウスも噛んで、いたずらばかりして困らせた子犬時代。
ふてくされているみたい.jpg
小屋(ハウス)の入り口まで噛んで穴があいている。








IMG_6540.jpgチャッピーが笑っているみたいで、いつもジュリア・ロバーツの笑顔を想っていた。






抱いてもらっていてよかったチャッピー.jpgチャッピーも抱いてもらったことがあってよかった。
私は一度も抱いてやったことがない。


1才頃かなあ・・.jpg

タリバン時代.jpg繋ぐのはかわいそうだからと自由にしてやるのだが、何度逃げられたことか!
人間 対 犬の知恵比べは、いつもチャックンが勝利し、この柵からも逃げた。

2004.10.14.jpgお隣に家が建つのでブロック塀が壊されて見晴らしがよくなった!




その年の冬、生まれて初めての雪か?
かわいいね、チャッピー、何て美しい姿だろう。
IMG_6252.jpg

就寝中.jpg「おやすみ、チャッピー」
私はいつも声をかけて2階へ上がって行った。
冬は丸くなって眠る。かわいいね、チャッピー。
笑って眠っているね、どんな夢を見ていたの?


foxじゃないよ!.jpg
この写真を見た外国の人は「狐みたい」と言ったと
真智が言っていたが、「天然記念物の柴犬だよ〜!」

チャッピーとマチと知子.jpg

2003.9.23.jpg

2003.9.23 4才4カ月.jpg

よくこんなことをしていたね.jpg若いころは猫の気配にも鋭く反応していた。
そのくせ結構怖がりで、しかしトカゲにはいつも強気だった。「殺生はやめなさい!」と止めたことも何度もあった。この時もトカゲを捕まえようとしていた。


仕事に行く前に.jpg chappi.jpg

冬の朝に弱いチャッピー、私と似ている。冬の間は飼い主が家を出る時も目も覚まさないで寝ていたね。

ヨーグルトをきれいに舐めてたね.jpgヨーグルトが無くなった時、いつもきれいに舐めていたね。
これも懐かしい光景だ。




2008年12月から翌年3月まで、知子の心身を休めるために時々ユキを預かっていた。この時、ユキは2歳8ヶ月で、お昼寝から起きたばかり。ユキは何を話しているのだろう。

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チャッピー、ユキの相手になってやってくれてありがとう!

冬晴れの日の午後は、いつもチャッピーを部屋に入れてやっていた。玄関に敷物を広げるとチャッピーは直ぐに上がって座り、私は「ポッポ―」と言いながら暖かいリビングルームに引っ張っていった。

チャッピーに教えてもいないのに、チャッピーが敷物から絶対に出なかったことに今更ながらに驚く。


2009年4月からユキと知子と一緒に住むようになり、知子がチャッピーの入室禁止令を出した。

これはユキと一緒に暮らすようになった2ヶ月目、2009年5月の頃。ユキは2歳10ヶ月で、チャッピーは10歳になったばかり。
2009_5_1A4CE3-13633.jpg
「チャッピーは石なんか食べないよ」

人間も小さい時から一緒だと犬を怖がらない、私はしみじみ感動して見ていた。チャッピーは人生の先輩風を吹かせないで相手になってくれていた。それも人間が学ぶべきところだ。

しかしこの頃、ユキがチャッピーに「おすわり!」と言うと、私は良い気持ちがしなかった。あんなに反対した結婚と離婚への憤りがまだ残っていた。
しかし、最後の1年はいつもユキが夕方の散歩に連れて行ってくれた。ありがとう、ユキ。
 
私は外出先から帰ってくるときは、いつも遠くから口笛を吹いた。するとチャッピーは眠っていても(若いころはよく眠っていた)気がついて立って出向かえてくれた。

1年ほど前にお向かいの方から聞いたことだが、チャッピーが双子の兄弟を見分けるというので驚いた。
その方には双子の息子さんがおられて、そのおひとりはここに住んでおられない。その方がたまに実家へ帰って来られた時はチャッピーが吠えるというのだ。

私もチャッピーも顔を知っているわけでもなく、通行人は垣根で遮断されているから見えないのに、足音やにおいでわかるのだろうか、同居している息子さんは出入りしても吠えないというのだから驚きだ。

私たちはチャッピーが誕生して3ヵ月から16歳半の天寿を全うするまでを共にした。ペットショップで買い求めた犬は弱いと後で聞き知るようになったが、チャッピーはとても元気な犬だった。

人間の何倍もの速さで年を重ねていったチャッピー。元気なチャッピーも13歳頃から老いの試練が始まり耐えていた。

2014年1月に前足の関節が痛くて歩けなくなり、食べなくなり、あの時は死ぬかと思った。そうなった時のことを犬を飼ったことのある友に相談したほどだ。

しかし奇跡的に復活し、初めて歩き出したときは何と6回も続けて10日分を排泄した。どんなに嬉しかったことか!

2012年の10月頃に膀胱炎になり、それを放置していたために(?)75%腎不全になっていると告知された。その病のせいで土間やドアの前でも排尿するようになった。

2013年3月7日の記事には、「今では毎朝玄関のポーチに水を流して掃除するのが日課になってしまった」と記されている。

その1年ほど経った頃からだっただろうか、認知症が出てきて今年2015年の元旦には雪の中をウロウロしていた。
そして桜が咲くまでに腹部外側に腫瘍ができ始め、夏以後になると絵具を溶かしたような鮮血が流れていたこともあった。

雨上がりの朝に.jpg

犬は痛みに対しても人間よりもはるかに我慢強いと獣医さんが言った。

私が60歳の頃は、チャッピーも同じ60歳頃かと思っていたが、それからの3年余りで老いの差が大きく開いて行った。私は何度もチャッピーに言ったものだ、
「チャッピーが先に老いを経験していくのね」と。

最初は我が老身と重なって気持ちが重かったが、そのうちチャッピーがかわいそうで最後の1年半は心痛な日々だった。

晩年はあの小さかったユキがチャッピーの世話をするようになっていた。

私はチャッピーの一生を共に過ごし、16年半の間に子犬時代をすごして成犬になり、そして、老犬になり、最期に死んでいった命の輝きをつぶさに見て、命の重さと命の不思議をしみじみ思う。

真智が「チャッピーの時間が止まってしまった時」とクリスマス・カードに記してあった言葉が心に響いた。

限りある命の時間を、残り少なくなってきた時間を、私は如何に生きるのか。少なくともチャッピーに負けないように自らの生を悔いなく生き、自らの死を死んでいきたいと思わずにはいられない。


posted by 優子 at 23:59| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2015年12月26日

今年もワシントンから愛のクリスマス・カードが届く

真智と太志君からのクリスマスカード.jpgクリスマスの日、次女夫婦が18日に発送してくれたクリスマスカードが届いた。

今年は次女夫婦が帰国した時に集う馬見労祷教会のみなさんや、代務を執ってくださっている大澤牧師と高見牧師連名宛にもカードが入っていた。

教会の方々へクリスマスカード.jpgそれはそれは心を込めて、今年も心からの気持ちが刻まれていた。私はいつもオー・ヘンリーの『賢者の贈り物』を思い出す。




IMFでは真智子ら社員とラガルド専務理事とが、自由に意見を交換する場が定期的に開かれているとのこと、真智子は初めて参加したそうだ。

その時にラガルドさんと一緒に撮った写真を同封したつもりが、郵便局が閉まるからと急いだために入れ忘れたからとメールで添付してくれていた。

その写真をコピーしてクリスマス・カードと共に、同封されていたクリスマス感謝献金を届けよう。ありがとう。

ワシントンからEMS.jpg  EMS2015.jpg

ただしEMSでは現金を同封できないとの注意書きが添付されていたから、来年からはユキもお年玉は減収になるね(笑)。

クリスマスは全世界に行きわたっている。そのこと自体がとても不思議である。日本の民もいつか切実にクリスマスの意味を感じ取ることができるように祈るばかりである。

私は自分の生き方として、日々起こるいろんな出来事に対して自分はどう受け止め、いかなる反応をしめすか、また、どう処理するのか。

いわばその意思決定こそが自分はいかに生きるのかという選択であり、それが自分自身を創っていくのだと思っている。

その前提にとても大切なことは、常に心を開いて間違いを修正できる柔軟さを失ってはならないことだ。私は今再び意欲的に自分らしく生き始めている。


真智からの24日朝の着信メールには、「今日からお休みをとりました」と書いてあったので、23日が真智たちの今年の仕事納めだった。

こちら美濃紙業は7日間、それも知子のリードで今年は29日からお正月休暇に入り、しかも来年度から土曜日(月の最終週に祝日がある土曜日)の半日出勤も今日で終了、年に一度の全体会議がある11月以外は廃止した。

アメリカでは今や「メリー・クリスマス」とは言わないで「ハッピー・ホリディ」と言い、「メリー」と言ってはいけないと牧師が説教で話しておられた。

次女夫婦がホリディ・シーズンに入ったと聞いて、私は Andy Williams(アンディ・ウィリアムス)の " It's the Most Wonderful Time of the Year "が脳裏に鳴り響いた。
高校3年生の12月に夢中になって歌っていた曲だが、50年経った今も覚えていることに我ながら驚く。

ワシントンのクリスマスも暖かいようだが、こちらは昨日の夕刻から急速に冷えてきて、暖房を強くしてもてきめんに身体は察知して頭が痛い。半日を経て左目の出血箇所が大きく広がっていた。

知子はユキの不調で今日の半日勤務は欠席した。
私も結膜下出血まで発症したのでゆっくりしていたかったが、クリスチャン・ペンクラブの『種を蒔く』第3号発行のため、昨年に続いて大田正紀先生とO姉(しまい)とご一緒に印刷屋さんに入稿した。
特に今年は校正の最終責任者として関わらせていただくのでますます責任重大だ。

雪だるま.gif良きクリスチャンの交わりと、誠実な印刷屋さんとの打ち合わせは非常に心地よかった。
感謝!  
真智子と太志君のことを想いつつ


12月27日夜追記:今朝の礼拝最後に当番役員がマチ・クマのクリスマスカードのメッセージを読んでくださり、写真も披露して、共に掲示板に貼ってくださった。

posted by 優子 at 20:06| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2015年12月25日

クリスマス・イブの夜半、ユキは強い腹痛と大量に嘔吐した

プラレール「E7系 北陸新幹線 かがやき」!
今年もサンタさんが来てくれてユキは喜びの声を挙げた。


しかもその瞬間を見たことのない知子が見ることができたクリスマスの朝だった。
知子は昨日の頑張りゆえに父親より遅れて出社し、ユキの世話ができた。物心がついた3歳の時から一度も見たことがなかっただけに、私には思いもしないクリスマスの喜びだった。


というのは、昨夜午前2時45分頃にユキが強いおなかの痛みを訴え、まもなく大量に吐いた。夕食後6〜7時間経っていたのに殆ど未消化のままだった。

布団カバー、毛布2枚、パジャマを汚し、時間をかけて再び2度吐いた。知子は洗面所の床を掃除して、ようやく疲れ切った体を休めたのは3時20分頃だった。

私ももう一度ユキの様子を見てベッドサイドを去ろうとした時、ムッとする臭いがして床が汚れていることに気がついた。汚れた毛布を床に置いた時についたのだろう。私のスリッパの裏も汚れていた。

幸い私はこの時もしんどくなかったので、歩いたところを全て拭き取った。左手に住宅洗剤を持ち、床に噴射しながら歩いたところを逃げ拭きしながら階段からリビングまですべて拭いた。暖かい夜だったからよかった。

ようやく終わって外を見ると雨が降っていた。
午前4時10分、庭を見下ろした。チャッピーはもうウロウロしていなかった。さみしいけれど、あのようなチャッピーを見るのは本当に心が痛んだ。

そして夜が明け、クリスマスの朝になった。
2010年から5年間、知子はユキがサンタクロースのプレゼントを見つけた瞬間の喜びを見たことがなかっただけに、これは知子に与えられた神さまからのクリスマスプレゼントだと思う。

2015年の知子の日常、それに伴う私もまた特に前年から惨憺たる1年だった。
しかし、知子の涙、悔しさなど一切の努力を祝して実を結んでくださったこと、今朝のことも恵みの一つであった。


明日はクリスチャン・ペンクラブのことで私もどうしても外出しなければならず、半日勤務があるのでユキを連れて出社してもらうことになっていたが、ユキの具合が悪いとなるとそれも叶わない。

しかも、またしても結膜下出血になってしまった。今回は小範囲で軽症だが今朝見つけた。血圧をコントロールできるように私ももっと心労に強くなりたい。

明朝血圧が高くなければ出かけねばならない。
いずれにしても知子にはユキのために家でできる仕事を持ち帰ってもらって、休んでもらえればありがたいのだが・・・

真智と太志君から心のこもったクリスマス・カードが届いた。
私たち家族だけにではなく、馬見労祷教会の方々へのカードにも愛の心が溢れていた。心に沁みる。

treeca_3.jpg

夕方から暖かさも去り深々と冷えてきた。週明けまで寒気が居座るそうだ。
祈りに覚えている人々の上に神の最善が成るように。そして、私たちのことを祈ってくださっている方々に感謝し、クリスマスの恵みを祈ります。


posted by 優子 at 18:22| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2015年12月24日

クリスマス・イブ2015 興奮して眠られないユキ

2915クリスマス・イブの夜.jpg今夜はユキの待ちに待ったクリスマス・イブ。
「ママも早く帰ってきて、早く寝てね!」とユキに頼まれた知子は10時に帰宅した。
ちょうどその時、ユキはベッドに入ったところで、ユキも安心して眠りについた。

22日、知子は午後11時ちょうどに帰宅したが、寒いなか疲れ切っているのに歩かせるのはかわいそうで、何よりも女性ひとりでひとけのない夜道は物騒だ。今夜は夫を促して帰宅した時も自動車も出したままにしてもらっていたのだが、知子は歩いて帰宅した。

「根性で今日はずっと無運動でやっていたので歩いて帰ります。過去最高の集中力で、異常に狂ってた○○支払いさえも計算合いました! 過去の自己記録更新です!
多分明日からは一緒に帰宅できるほどに、98パーセント終わらせました! いまはもう布施だよ!」


今日は午後から私も元気になってきたので久々にユキとお風呂に入っていたので、このメールが入っているも知らなかった。

今まで女性社員が4日かかっていた仕事を1日半どころか1日で、しかも来客や諸事が終わった午後3時からの集中だったという。クリスマス・イブの夜もどんなに一生懸命頑張って帰宅したことか! 

最近は目が充血しているだけではなく過労の顔をしている。土・日の休みだけでは疲れもとれず、いつか倒れるのではないかと心配でならない。

サンタさんへの手紙2015.jpgユキは明日の朝をどんなに楽しみにしていることか。昨日から何度も思い出しては胸をワクワクさせていた。

今夜もバタン・キューで眠ったのかと思ったら、もう11時半なのに「寝られへん! 誰か寝させて!」と叫んでいる。

真智よりも感受性が強いのか、真智でさえスンナリ眠ってくれなくなったのは3〜4年生ぐらいからだったと思うけれど、今年から " longest night of the year " になるのかなあ。

早くもサインを求めてきた!.jpgそういえば2年生にしてサンタさんへのサインを求める紙も置いていた。

「サンタさんは英語で書くのかなあ、日本語で書くのかなあ・・・ユキの言葉が分かっているから日本語やんな?!」
2015クリスマスケーキ.jpg

2015クリスマス祝会で.jpgこれは12月20日、クリスマス祝会でハンドベルを鳴らしているユキ。私は欠席したので夫が撮った今回唯一のスナップ。
この日は教会の方のお孫さんたち、小さなお友達4人が参加、ユキがダントツの大きなお兄ちゃんだった。

ツバメとポチ袋入れ忘れた.jpg真智と太志君へ:
小包に入れるつもりだったのに、折り紙で折ったツバメとポチ袋を入れ忘れていたのを今日思い出しました。写真だけでも見てね。

ユキは折り紙が大好きでいろんなものを上手に折ります。2学期後半から毎日折り紙ケースを持って通学しています。長い時間根気よく新しい折り方に挑戦しています。

今日は久しぶりに『大きいツリー 小さいツリー』と『サンタクロースっているんでしょうか』を読んでやり、至福の時を過ごしていたよ。

「おばあちゃん、読み方じょうずやねー。気持ちをこめて読んでる!」と、ユキに褒めてもらって嬉しかったけれど、その影響を受けてユキも「カエル君とガマ君」の朗読を先生に絶賛されたのです(自画自賛でごめん)。

EFBC88E382A6E382A3E383BCEFBC89E3839CE383BCE383AAE383B3E382B0E381A7E8B2A0E38191E381A6E6B3A3E3818F.jpg去年の年末年始は一度もしてあげられなかったトランプやかるたを、冬休みに入る前から楽しんでいます。
ユキはまだ負けたら大泣きする幼さで、とてもかわいくて2年前のこの写真を思い出し、負けて泣いていた幼い真智のことも目の前に浮かんできたよ。


主のご降誕を感謝し喜びお祝いします。

j_je03.jpg「きょうダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。

あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。

するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、

「いと高きところでは、神に栄光があるように、
地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。


さてさて、私もユキに協力して今夜は早くベッドに入ろう。
只今、0時14分、ユキは今も起きているようだ。

チャッピーが死んで、今日で1ヶ月経った。


posted by 優子 at 23:59| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2015年12月22日

次女夫婦のクリスマス 2015

今朝は久々に体調が良かったのでリハビリの予約をキャンセルしないで整形外科へ出かけた。そして、午後にようやく次女夫婦に小さな荷物を送った。

それはクリスマスプレゼントのような素敵な贈り物ではなく、聖書の言葉が入った「みことばカレンダー」や毎年次女夫婦が日記帳に使用している手帳だ。

次女夫婦からはすでに18日にクリスマスカードやユキにお年玉を発送してくれたそうだ。

19日は日本人女性の友人に誘われて初めてオペラを観に行き、ケネディーセンター内で撮った写真を添付してくれていた。3人とも素敵な笑顔だった。

また、IMF理事長のラガルドさんと職場の人たちとのコーヒータイム(?)の写真を添付してくれた。ラガルドさんはテレビで見るよりもはるかに美しく若い。

anime_tomosibi01.gif12月20日、世界中のキリスト教会でクリスマス礼拝を捧げた。
次女夫婦が通っているワシントン・インターナショナル日本語教会(Washington International Japanese Church)のクリスマス礼拝と祝会も豊かに祝されて楽しい時を過ごしたようだ。

私は13日に続いてクリスマス礼拝も休んでしまったので、真智のメールを通してクリスマスの恵みが伝わってきた。

2015.12.20.jpg 

聖歌隊@.jpg

anime_tenshi3_ak.gifマチ・クマ(次女夫婦)も聖歌隊!

Alto 2.jpg

教会での様子は、過去ログ12月17日の「真智の幼き頃のクリスマス祝会」の続編を見ているようで感慨深い。

これは2015年10月25日の礼拝。
奏楽する真智に新たな感動を受けている。
真智の奏楽で.jpg

今日のリハビリの帰り道で大木から葉がヒラヒラ落ちるのを見た。朝の光の中を枯れ葉が輝きながら落ちていた。あまりに美しく幻想的で、葉の1枚1枚がチャッピーの命のように思えた。

私はしばらく棒立ちになって上を見上げ、いくつもの命を抱きとめるかのように枯れ葉をつかんでいた。

すでに裸になっていた木もあったが、これらの木々は春になれば再び新芽を吹き出し豊かな葉を茂らせる。しかし、人生の四季は一回限りだ。チャッピーもまた1回限りの命の四季を生きた。


私も人生の秋に入り、最後の冬の気配を想像できるようになってきた。それでも50歳で亡くなった従弟のように、全ての人が老いに辿り着くとは限らないから、ここまで年を重ねて来られたことは感謝でしかない。

それゆえに、もう一度気力を奮い立たせて私らしい60代の花を咲かせたい。その努力こそが30代から重ねてきた冬への備えの仕上げになるに違いない。

真智子の写真を見ていると、アメリカで人生を展開させている真智子、いや、そのように真智子を導いておられる神さまに自らを探られて、再び私の中から何かが燃え上がってくるような感じがしてきた。

世界宣教の重荷を負い、また、世界の各地で生きる日本人に福音を宣べ伝える方々に、神の絶大なるお守りと祝福がありますように!
そして、そこに集う人々を豊かに祝福してくださるように!
どうぞ全ての人々に真の希望と喜びを感じ取らせてください。

anima_boy1.gif主イエス・キリストのご降誕を感謝し、お祝いします。
真智、太志君、クリスマス おめでとう!

posted by 優子 at 22:11| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2015年12月19日

チャッピーのいない庭 −思い出の中に留まろうとする気持ちと、それを断ち切ろうとする両義的な思いの中で−

若いころと違って心労が何ヶ月も続くと体が悲鳴を上げる。しかし、精神は年相応に強くなっていると思っていたが、悲しいかな今は心身ともに弱い。

最近また頻繁に血圧が150台もあり180に達することも珍しくない。そんな3日前、急きょ植木の剪定の連絡が入り、昨日は屋外の作業とはいえ朝7時45分から大変だった。

せめて午後からはゆっくりチャッピーのことを思いながらと思っていたら、作業中に母屋の電線を切断してしまったために電話とテレビ(電話は大丈夫だったことがあとでわかる)が不通になってしまった。

適切な連絡先が分からずに5〜6回かけ直す合間に母屋を何度も行ったり来たりして、いよいよ体に恐怖を感じた。ようやくその日のうちに工事に来てくださるとの連絡を受けたのが15時前だった。

血圧は180を越えていたのでデパスを飲みフラフラになってケイ・オプティコムの方々を迎えた。その男性の美しい瞳と誠実な人柄に深い慰めを感じてその方々に神の祝福を祈った。

チャッピーのいない庭@.jpg庭の剪定もチャッピーと同じ回数経験してきたのに、今年はチャッピーはいない。

チャッピーは今どこにいるのだろう。

毎年、剪定の時はチャッピーを玄関の中に入れていた。昨年(10月21日)はチャッピーの耳が遠くなっていたことや小屋に入っていたので、チャッピーが入ったまま小屋を東側に置いて入り口を南側に向けた。

コンパスを使う時のように小屋の一角を軸にして回すと、私でも簡単に小屋の向きを変えることができた。そういえば、半年間か1年間ほど何度もそのようにして小屋の向きや位置を変えていたことを思い出した。

暖かい方へ向けてやったり、また風が入らないようにと、時には一日に何度も動かしていた。

昨年の剪定の時、チャッピーは作業が終わるまで一度も吠えなかったように思う。今夏の浄化槽の汲み取りの時も同じようにしたが、すぐそばの作業でも一度も吠えることはなかった。死ぬ3ヶ月前のことだったんだ・・・

チャッピーのいない庭.jpg24日前までチャッピーが見ていた枝や葉が切り落とされていく。


今年伸びた枝や葉、チャッピーが生きていた時の枝葉も去っていく。
でも、それでいい。


切り落とされるチャッピーが見ていた枝葉.jpg

今年はシルバー人材センターの不手際で剪定がこんなに遅くなってしまったが、それでよかったかもしれない。

チャッピーがいた日々が遠くなっていくさびしさと同時に、さびしい思いを断ち切られたほうがよいというような両義的な思いがある。このアンビバレントな感情も両親と死別した時の喪失感と同じだ。

今は悲しくて、さみしくて、空しい思いがあって当然のこと。だからそれらの思いをシャッタウトしなくてもいいのだ。チャッピーのことをよく思い出してあげることが悲しみを和らげていくことになるのだから。


チャッピーのいない庭木の剪定.jpg

小屋は真智が帰国するまで動かしたくなかったけれど、剪定のために動かさねばならなかったことさえ、どんなに辛かったことか!

17日から一気に寒くなると言うので、日程の連絡のあった暖かい16日のうちに動かしたのだった。

ここにチャッピーが玄関内に居た最後の12時間にユキが描いていた絵がある。チャッピーの最期に寄り添ったユキの絵だ。

IMG_6207.jpg  チャッピーの最期に寄り添ったユキ.jpg
右側の黄色いのは4〜5年前までのチャッピーが大好きだったテニスボールだ。数年前から関心を示さなくなったが、いつの間にかユキが置いてやっていた。

そして、絵の右上にはこのように書いている。

チャッピー ここに もうちょっといてよ。
チャッピーは死ぬの?
チャッピー いままで ありがとう。
チャッピー もしかしたら チャッピーのおかあさんにあえるかもね。
01yuri2b.jpg



チャッピーへ:
チャッピーがいた秋の日暮れ。
秋の日暮れ.jpg


この時はもうチャッピーはいなかったけれど、
日が沈む直前の空、何て美しいんだろう。ねっ?!
まもなく日が沈む.jpg


会社へ行く良輔と知子を見送った時、
夜が明けたばかりの空に明けの明星を見つけたよ!
この時もすぐにチャッピーを想ったよ。
明けの明星.jpg


これは嵐の直前でね、空は真っ暗だった。
でも、もうどんなに強い雨風でも
チャッピーは濡れたりしないね。
嵐の前の虹.jpg


「おかえり」と伸びするチャッピー.jpgチャッピー、
ただいま! 
お留守番、
ありがとう!


ドアの前で眠っていたチャッピーが「おかえり」と、お目覚めの伸びをした。
この時も立ち上がるまでにかなり時間がかかっていた。

チャッピー、知子は今も門を開けたらチャッピーを探しているよ。どこにもチャッピーが居ないからガッカリしているよ。
みんないつまでもチャッピーのことを忘れないよ。

晩夏からポーチに.jpg


posted by 優子 at 23:51| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2015年12月18日

知子5年生のCSクリスマス祝会とユキ3歳の祝会で

5年生(?)クリスマス祝会.jpg

知子の写真はこの時の2枚だけなのは何故だろうと振り返るに、分級のメンバーが少なかったこともあるが、ひどく暴れる女の子がいたので取り組みがなかったように思う。

@ユキ3歳5か月.jpgそれから時代は大きく変わって孫にスポットをあてたい。
これは過去ログ・2010年12月25日の「ユキが子どものクリスマス会で独唱!」に記録されている。

私はユキの幼少時のニックネームを「固まるくん」と名づけたほど、ユキは人見知りが強かった。そのユキがこのとき私もびっくりするようなことをやってのけた。
私の促しに応えて「こども讃美歌」を独唱したのだ!

「毎朝、私は右手にチャッピーのリードを持ち、左手にユキの手をつないでチャッピーの散歩に出る。その時に」覚えた讃美歌だ。かつて娘たちが歌っていた「こども讃美歌」を歌い、そのうちユキと一緒に歌っていたた。傍にはいつもチャッピーがいた。

ユキ3才5ヵ月A.jpg 「主イェスと共に歩きましょう
どこまでも
主イェスと共に歩きましょう いつも
嬉しい時も悲しい時も 歩きましょう 
どこまでも
嬉しい時も悲しい時も 歩きましょう いつも」
2_onpu_ak.gif

ユキ3才5ヵ月B.jpgこれはその年のクリスマス祝会のユキ。
私と知子はこの日のクリスマス礼拝で当教会に転入会した。

ついでに、これは翌2011年4月24日、
イースター祝会のユキ。
2011.4.24.jpg

時代の関係もあるがCSのレギュラーメンバーはほぼユキひとりなので、真智のように仲間の中で共に育まれることなく、教会でも独りっ子というのが残念だが、教会の孫のようにみんなに愛の中で育まれている。感謝!

2012年は帰国していたマチ・クマ揃ってクリスマス!
知子の伴奏でマチと「赤鼻のトナカイ」を歌う。

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2013E382AFE383AAE382B9E3839EE382B9E7A59DE4BC9AE291A2.jpg2013年は西大和教会で。
休みがちだったユキも
CSのお友達と一緒に合唱し合奏した。

2013E383BBE382AFE383AAE382B9E3839EE382B9E7A59DE4BC9AE291A3.jpg

そして、2014年はマジックを披露!
E6898BE59381E291A2.jpg

E6898BE59381E291A3.jpg

E6898BE59381E291A4.jpg


附記:血圧が非常に高くて薬も効かず困っている。
体調が非常に悪いので明後日のクリスマス礼拝は欠席、
聖餐式の配餐に当たっているのでそのこともかねて連絡した。
anime_kid1.gif
posted by 優子 at 22:47| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2015年12月17日

真智の幼き頃のクリスマス祝会

j_je03.jpg日本イエス・キリスト教団 放出(はなてん)教会は私の母教会(洗礼を受けた教会)で、娘たちにとっても懐かしい教会だ。
教会学校(Church Schoolの頭文字をとって通称「CS」)のクリスマス祝会での印象的な写真を集めてみた。

ただし真智子の写真が殆どゆえに真智子のカテゴリに記録し、知子のはユキと合同で後日記録したい。

ところがどの写真も日付けがわからず、顔の幼さや服装の記憶をたぐり寄せて記した。今後ますます私の記憶は薄れていくであろうから、頼りないながらも今のうちに記録しておいてやろう。

幼稚園時の教会のクリスマス会.jpg真智子は5歳6ヶ月(幼稚園年長組)、初めて降誕劇に参加した時のものだと思う。

真智はマリアさま役?






小1のクリスマス会.jpgこれは小学校1年生のクリスマス。
真智はアロン役?
この場面はきっと「出エジプト記」7章8節〜10節のところだろう。

主はモーセとアロンに言われた、「パロがあなたがたに、『不思議をおこなって証拠を示せ』と言う時、あなたはアロンに言いなさい、『あなたのつえを取って、パロの前に投げなさい』と。するとそれはへびになるであろう」。




小1のクリスマス祝会.jpgそれで、モーセとアロンはパロのところに行き、主の命じられたとおりにおこなった。
すなわちアロンはそのつえを、パロとその家来たちの前に投げると、それはへびになった。







次は2年生のクリスマス。
この劇は何だろう?
真智、覚えてる?


3年生のクリスマス祝会.jpg

次は3年か4年生のクリスマス。
この劇のことも忘れてしまった。
4年生(?)クリスマス祝会.jpg 

これは6年生のクリスマス。
真智はマリアさまを好演した。ヨセフ役はI君だ。
真智はマリアさま.jpg

6年生のクリスマス祝会@.jpgこの時はもうこんなに大きくなって、真智は美しい少女になっていたね。お友達もみんな一緒に大きくなっていたね。

思い起こせば、この年の夏休みからおばあちゃんの通院介助が始まっていた。知子は中学3年生で高校受験前。いよいよ厳しい苦難の荒野に足を踏み入れていた時だった。

そして、この4年後に母が亡くなり、その後ますます苛酷さが増していった。真智の表情が穏やかだったので救われる。
劇のあとの笛の演奏もすごく上手だったね。笛を吹いているから6年生だと思うけれど5年生かも・・・

演奏.jpg

明日のことがわからないのは幸いだ。先の苦難が分かっていたら前へなんか進めない気持ちになる。今は人生のどのような状況に立っているんだろう。

私は最も身近な人のことがわからない。そんな時こそ信仰を奮い立たさねばいけないね。現実はどうしようもない状況でも必ず神さまが何かをされる。

「神を信じきった人は何と幸いなことでしょう」。

「神にとって不可能なことは一つもありません」。
 

Blessed Assurance! Amen!

讃美.png天(あめ)なる神には みさかえあれ、
地に住む人には 安きあれと、
み使いこぞりて ほむる歌は、
静かにふけゆく 夜にひびけり。
 
重荷を負いつつ 世の旅路に
悩めるひとびと、かしらをあげ、
栄(はえ)あるこの日を たたえうたう
たのしきうた声 ききていこえ。  

       今なおみつかい つばさをのべ、
       疲れしこの世を おおい守り、
       かなしむ都に なやむ鄙(ひな)に、
       慰めあたうる 歌をうたう。

       み使いのうたう やすききたり、
       ひさしく聖徒の 待ちしくにに、
       主イエスを平和の 君とあがめ、
       あまねく世の民 たかく歌わん。

                (讃美歌114番)

su_kuma03_a.gif真智子と太志君の上に神の恵みが豊かにありますように!
日本とワシントンは11000キロメートルも離れているけれど、だから、すぐに会えないけれど、どうか幸いなクリスマスを迎えてください。
EMS(国際スピード郵便)は、「すりごま」が届くのを待って来週発送予定です。

追記・2015年12月24日朝届いた真智のメールより:
放出教会の頃の写真も懐かしい。ありがとう。
あの頃の居心地の良さというか、自分のホームのように思えていたことを、感謝しているよ。

帽子をかぶっている時の劇は確か、放蕩息子役だったように思うよ。次の年のは、覚えているけど何の劇だったかは思い出せない。。。

ゆきちゃんもあっという間やね。すでに懐かしいと思うような写真があって不思議やね。時間って不思議。


anime_tree1.gif同志社女子中高では、きっと今も12月17日が2学期の終業式で、まもなく午後6時から一般の人々を迎えて今朝と同じクリスマス・ページェントが始まるのだろう。

真智も6歳の時に一度行ったことがあるんだけれど覚えてる?
12月17日の記憶は、知子に言われるまでこのことしか思い出せなかった。
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posted by 優子 at 17:50| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2015年12月15日

マグニフィカト ― ユキと「マリアの讃歌」を輪読 ―

知子は小学校4年生から、真智子は1年生の時から家庭集会で聖書の輪読に参加していたので、ユキもそろそろと思って先週末からユキと二人で聖書を読み始めている。

ちょうどアドヴェント(待降節)にふさわしく、イエス・キリストの誕生から始まるルカ伝を選んだ。「ルカによる福音書」はAD70年頃に、医師であり歴史家であるルカがに書いたものである。

ルカはユダヤ人ではなく異邦人であるがゆえに客観的な目で見聞きしたことを綿密に調べて書いているので、教会の人々だけではなく教会の外側にいる無関心の人々にも非常にわかりやすい。

ルカが書いた目的はテオピロという一個の魂のための愛労にとどまらず、全人類に対する愛の大きさを示すものである。

ユキは詰まりながらも大きな声で読み進める。読む箇所を教えることもなく、ちゃんとついてくる。しかし、ユキには外国語のように難しい言葉ばかりなので、時々大まかな説明を入れながら読み進めている。

今日は火曜日でユキの帰宅は4時過ぎだったため、おやつをゆっくりたっぷり食べて、ゆっくり宿題していたので、夕食を作る時間になってしまい輪読会ができなかった。そして、最近読んでいる『わたしの聖書』を読んでいた。

2回目の昨日は1章24節から56節まで、まさに「マグニフィカト」のところだった。

するとマリヤは言った、
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主なる神をたたえます。
この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。 
今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです。

そのみ名はきよく、そのあわれみは、代々限りなく主をかしこみ恐れる者に及びます。

主はみ腕をもって力をふるい、心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、権力ある者を王座から引きおろし、卑しい者を引き上げ、飢えている者を良いもので飽かせ、富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。

主は、あわれみをお忘れにならず、その僕イスラエルを助けてくださいました、
わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とを とこしえにあわれむと約束なさったとおりに」。

この「マリアの讃歌」は有名な箇所で、「わたしは崇(あが)める」という最初の言葉をラテン語で" Magnificat " 「マグニフィカト」と言い、そのまま題名にして呼ばれている。「あがめる」とは「神を大きくする」の意味である。

いつか人間社会の価値観はことごとく転倒し、不義、不正、不公平はことごとく除かれて、神のもとで理想世界が実現するに至るというのである。
誰も皆が悔い改めて新たな価値観、視点で生き始めたいものである。


バッハを初め多くの作曲家が「マグニフィカト」と題する曲を作っている。そのさわりのところはここで聴くことができ、そのあとにフルバージョンもある。

クリスマスの意味とは、「喜び」「家族」「与えること」「愛を分かち合うこと」であり、クリスマスは「あなたは愛されていますよ」という神さまからのメッセージを受け取る時だ。

神の愛を知らされた人々は、恵みをいただく側ではなく恵みを分かつ側に立って共に喜び歌いたい。マリアが心から喜びを歌ったように!


今この時も我が子が人工呼吸器に繋がれている母親の苦悩の悲しみを想い、生後8ヶ月の坊やの上に神の奇跡を祈り続けている。

ユキは今夜もママに会えず眠った。
私はたび重なる心労で再び先週から血圧が高く体調が悪かったが、今朝は下がっていたので8時過ぎに家を出て予約していたリハビリに出かけた。午睡を楽しみにがんばったが5分ほどウトウトしただけなので再び限界。

知子の帰りを待ちながら書いたが、まだ帰ってこない。
と思いきや、帰ってきた!!!
無事帰宅したことを感謝しつつ閣筆する。

posted by 優子 at 22:16| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2015年12月10日

戦争と平和を考えさせられた『国をつなぐ奇跡の島 クロツラヘラサギ ―日本・韓国・朝鮮の架け橋』

日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)で親しくお導きいただいている今関信子先生は、小さな体でバイタリティ溢れる著名な児童文学作家だ。すでに40冊以上もの作品を世に出されている。

最近出版されたばかりの『国をつなぐ奇跡の島 クロツラヘラサギ―日本・韓国・朝鮮の架け橋』を拝受し、一気呵成に拝読して、その夜のうちに一筆の感想と共にお礼状を書いた。
『メメントドミニ』2015年9月21日の「文章を書く者の真髄」と題した記事にもクロツラヘラサギのことを少し書いた。

クロツラヘラサギ.jpgクロツラヘラサギは、ご飯をよそうしゃもじのような口ばしを持っており、目の周りも黒いことからクロツラ(「ツラ」とは顔のこと)ヘラサギと名づけられた。この口ばしにある皺は、人間の指紋のように1羽1羽違うという。
ヘラサギ.jpg

→ これはふつうの「ヘラサギ」で、目の周りは黒くない。(写真はウィキペディアより拝借した)

クロツラヘラサギの9割が繁殖地に選んでいる場所は韓国と朝鮮の国境、軍事境界線で、そこは非武装地帯だから干潟も自然のままで餌に恵まれる安全地帯になっているという。
そして冬になると、朝鮮半島から越冬のために九州や沖縄にやってくる。

この物語は絶滅危惧種になっているクロツラヘラサギを守る人々や、日本と韓国の小学生が交流する話である。
言葉の垣根を越えて交わる様子は実に感動的だ。

人間が作った国境を自由に越えていくクロツラヘラサギのように、子どもたちは国と国のぎくしゃくした関係を容易に越えていく。 

そして最も感動したことは、「祈りは神さまが届けてくださるに違いない」ことを信じられるエピソードだ。それはまさに神さまが成された奇跡である。


あらすじはこうだ。
ピョンヤンの公園で見つけた怪我をしたシベリアムクドリに、「農林省JAPAN・C7655」の標識番号の足輪がついていた。しかし、シベリアムクドリは日本にはいない。

そこで標識番号が書いてある台帳を調べると、1960年に日本で開催された国際鳥類保護会議で参加した韓国代表に贈った足輪であることがわかった。
ということは、この鳥の足輪は韓国でつけられたことになる。

韓国に問い合わせるとウォン・ピョンオさんがつけたものであることが分かった。ピョンオさんのお父さん、ウォン・ホングさんは国際的な鳥の研究者だ。

そこでピョンオさんは思った。
「この鳥を保護したのはお父さんかもしれない。いや、お父さんに違いない!」
詳しく丁寧に調べると、やっぱりそのとおりだった!

「鳥の足につけられた足輪、それがホングさんとピョンオさん親子を、引き合わせたのでした」。

クロツラヘラサギは3年間続いた朝鮮戦争で絶滅しそうなほどに減少してしまった。しかも、同じ民族が南北に分断されたために、朝鮮と韓国での呼び名が違うというのは何と悲しいことだろうか!

朝鮮大学校の鄭 鐘烈(チョン・ジョンリョル)さんは「鳥類名統一」のために頑張っているが、韓国の研究者と一緒に考え合うのは難しく、越えられない「国境」があるという。

この本は絶滅危惧種であるクロツラヘラサギを守る環境活動が、人と人、国と国をつないでいることを、今関信子さんの感動の視線で書かれており読む者の心を強く揺さぶる。
本を読んでいる間、私は著者ご自身の朗読を聞いているような感じがしていた。

子どもたちの交わりは蟻の穴を歩いて行くような小さな小さな働きかも知れないが、このような、かくも健全で真実な活動を各国のいたるところで積み上げていくけば、平和を作り出していけると思った。
それは政治よりも強い力であり大きな影響を及ぼしていくことに違いない。


「あとがき」に書かれた文章が、今関信子さんの根底に流れる神の希望、励ましの光を放っている。 

「重たい問題を突きつけられて、心がふさぎます。でも、わたしはめげていません。クロツラヘラサギが、生きる姿をとおして、めずらしい例となって教えてくれたではありませんか。(略)
希望はあります。
クロツラヘラサギは、きょうも仲間をふやしながら、大空を飛んでいるのです」。


熊本県の八代市立鏡西部(かがみさいぶ)小学校の子どもたちの経験こそが平和教育だ。3年生の夏休み頃にはユキも読めるだろうか、是非是非薦めたい。

まずは近日中に、いや明日にでも担任の先生を通して小学校にも紹介したい。子どもたちへの推薦図書に。

そういえば、私は当市小学校の先生方の図書教育研究会の講師に招かれたことがあるので、これもふさわしい関わりになるだろう。

今関信子さんの数ある作品の中に『行きたいところへ行ける汽車』という書名を見つけ、ユキの「どこでも行ける電車」の関連からも興味深く、早速市の図書館に貸し出しの予約を入れた。
そして勿論、この新刊書購入のリクエストしよう。

posted by 優子 at 17:26| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2015年12月09日

アレン・ネルソンさんの叫び 

友のブログ『イエスと共に』12月6日の記事・「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」と、記事で紹介されていたドキュメント「9条を抱きしめて~元米海兵隊員が語る戦争と平和」を見て心が揺さぶられた。

アレン・ネルソンはアメリカ海兵隊の元軍人(1947年生まれ〜2009死亡)、詳しくは前掲紹介のブログ、また、ネット上の動画もお薦めします。

アレン・ネルソン.jpgネルソンさんが地上におられるうちに一度だけでもお会いしたかった。
何という愛に満ちたまなざしだろう。言葉の違いを越えてすぐにでも家族のように思える人柄だ。
今は神さまのもとで安らいでおられるのだろう。
もう6年も前に帰還されていたとは・・・会ったこともないのに涙が溢れる。

下記にドキュメントの最後で語っているネルソンさんの言葉をここにも刻みつけたい。

1996年に来日した時、ある人が日本国憲法の英文冊子をくれました。
ホテルで第9条を読んだとき、立ち上がるほどのショックを受けました。信じられませんでした。
キング牧師の有名な演説「私には夢がある」のように力強い衝撃を与えました。

これこそ人類の未来、これこそ人類が持たなければならないもの、そうしなければ人類は滅亡してしまうだろうと思ったのです。

そして憲法9条を読んで気づいたことは、これは国の法律というだけではなく、私たちの生きるべき道を示しているということです。

日本国憲法第9条はいかなる核兵器よりも強力であり、いかなる国のいかなる軍隊より強力なのです。

日本各地で多くの学校を訪れますが、子どもたちの顔にとても素晴らしく美しくかけがえのないものが私には見えます。

子どもたちの表情から戦争を知らないことがわかるのです。それこそ第9条の持つ力です。日本のみなさんは憲法に9条があることの幸せに気づくべきだと思います。

ほとんどの国の子どもたちが戦争を知っています。アメリカの私の子どもたちは戦争を知っています。イギリス、イタリア、フランス、オーストラリア、中国、韓国の子どもたち、みんな戦争を知っています。

しかしここ日本では戦争を知りません。憲法第9条が戦争の悲惨さ、恐怖や苦しみからみなさんを救ってきたからです。

ご存知のように多くの政治家が憲法から第9条を消し去ろうと躍起になっています。断じてそれを許してはなりません。

皆さんと皆さんの子どもたちはこれまで憲法第9条に守られてきました。今度は皆さんが第9条を守るために立ち上がり、声をあげなくてはなりません。

第9条は日本人にのみ大切なのではありません。地球に住むすべての人間にとって大切なものなのです。アメリカにも9条があって欲しい。地球上のすべての国に9条があって欲しい。

世界平和はアメリカから始まるのではありません。国連から始まるのでもありません。ヨーロッパから始まるものでもありません。世界平和はここから、この部屋からわたしたち一人一人から始まるのです。


posted by 優子 at 21:09| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2015年12月06日

「どこでも行ける電車」 ―ユキの深遠な世界とユキの中で生き続けるチャッピーー

※ この記事は2015年12月5日にカテゴリ・「知子(ユキの成長」)に収録したものであるが、チャッピーのカテゴリにも重ねて収録しておきたい。


深く感動したものがある。ユキが学校で「あったらいいな、こんなもの」と題して書いた文章と絵だ。8歳の子供の精神界はかくも広く深い。


どこでも行ける電車A.jpg

下記にわかりやすいように句点を補い漢字に変換して書いてみた。

どこでも行ける電車は、自分が行きたいと頭で考えて、「家のまえ」という駅の屋根を支えてるところに触れたら、線路がかわって電車が来る。

そして、電車のドアがあいて、その中には絶対に11月24日に死んだ「家のチャッピー」が乗ってて、遊んで、そして行きたいところに着いたら、電車は宇宙に返っていきます

この電車に乗ったらアメリカにも行けます。

「その中には絶対に11月24日に死んだ『家のチャッピー』が乗ってて、遊んで、そして行きたいところに着いたら、電車は宇宙に返っていきます」。


11月24日に死んだチャッピーが「絶対に乗っている」。


チャッピーがユキにとって大きな存在であったこと。そして、「家のチャッピー」(家にいたチャッピーの意味)の死を受容していることに涙ぐんでしまった。


ユキはこのように話してくれた。

「チャッピーは宇宙に居て、チャッピーが乗っている電車が来たら、ユキの行きたいところに行って、行ってる間もユキはチャッピーと遊んでいて、行きたいところに着いたら電車はまた宇宙に戻っていく。


家に来た時はチャッピーは庭で遊ぶし、元気なチャッピーになってるからすごく早く裏へ走っていくよ。そして、この電車があればアメリカにも行けるよ。だからマチとフーにも会いに行く。


そして行きたいところへ行ったらチャッピーが乗ってる電車は宇宙へ戻っていく」。


チャッピーが宇宙に居るということにも心を打った。チャッピーは神さまのところに居ると理解している。そして、東(あずま)道男牧師の言葉を思い出さずにはいられない。


「宇宙をお造りになり星座を動かしておられる神。太陽から地球に光が到達するのにちょうど8日間かかっている。そういうことをなさる神さまが私たちの祈りを聴きイエス・キリストを下さったのである。


宇宙を創造し、力の根源でいらっしゃる神さまから生命が与えられている。宇宙的なエネルギーを注ぎ込んで私たちの心を一新して生きる望みを与え、沈み込んだ気持ちを立て直すと約束されるのです。


神さまは過去の恵みにまさる大きな将来の恵みをお与え下さるのですから、過去の恐れや悲しみから脱け出せと言われます」。


「私も90代後半に入ろうとしておりますが、大宇宙の宇宙的エネルギーと守護の天使に力づけられて元気いっぱいに若やいで主(イエス・キリスト)の為に働いております。神を信じぬいて夢と希望に生き抜いて勝利を得ましょう」。(これは今週落手したお手紙より)



ユキが文章と共に描いた絵がこれだ。


どこでも行ける電車@.jpg
宇宙から来て電車が道路を走って、また宇宙に戻る。
どこにでも行ける電車。
ユキの素晴らしい世界は私たちに豊かな慰めと生きる力を与えてくれる。


都ホテル@.jpg


都ホテルA.jpg








今日のユキと知子。

Photo by Yuko.



モクレン新芽.jpg
チャッピー、コブシの新芽が出てるよ・・・
チャッピーのいない春、夏も秋も、これからの1年はさみしいことだろう。悲しくてたまらなくなったらユキの「どこにでも行ける電車」を呼ぼう。


チャッピーがいた「家のまえ」という駅の屋根を支えてるところに触れたら10秒ぐらいで来てくれるというから、そして、真智は特別だからワシントンの家からチャッピーを呼べるんだって!


「マチとフーのところにも行くよ。散歩に連れて行ってね。
ワシントンやアーリントンの町を歩くんだ!」
チャッピーの避暑地.jpg
「まち、もう泣かないで、ワン! フーもね」。


posted by 優子 at 18:21| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2015年12月05日

ユキの深遠な世界とユキの中で生き続けるチャッピー

ここに深く感動したものがある。ユキが学校で「あったらいいな、こんなもの」と題して書いた文章と絵だ。8歳の子供の精神界はかくも広く深い。

どこでも行ける電車A.jpg

下記にわかりやすいように句点を補い漢字に変換して書いてみた。
どこでも行ける電車は、自分が行きたいと頭で考えて、「家のまえ」という駅の屋根を支えてるところに触れたら、線路がかわって電車が来る。

そして、電車のドアがあいて、その中には絶対に11月24日に死んだ「家のチャッピー」が乗ってて、遊んで、そして行きたいところに着いたら、電車は宇宙に返っていきます

この電車に乗ったらアメリカにも行けます。

「その中には絶対に11月24日に死んだ『家のチャッピー』が乗ってて、遊んで、そして行きたいところに着いたら、電車は宇宙に返っていきます」。

11月24日に死んだチャッピーが「絶対に乗っている」。

チャッピーがユキにとって大きな存在であったこと。そして、「家のチャッピー」(家にいたチャッピーの意味)の死を受容していることに涙ぐんでしまった。

ユキはこのように話してくれた。
「チャッピーは宇宙に居て、チャッピーが乗っている電車が来たら、ユキの行きたいところに行って、行ってる間もユキはチャッピーと遊んでいて、行きたいところに着いたら電車はまた宇宙に戻っていく。

家に来た時はチャッピーは庭で遊ぶし、元気なチャッピーになってるからすごく早く裏へ走っていくよ。そして、この電車があればアメリカにも行けるよ。だからマチとフーにも会いに行く。

そして行きたいところへ行ったらチャッピーが乗ってる電車は宇宙へ戻っていく」。


チャッピーが宇宙に居るということにも心を打った。チャッピーは神さまのところに居ると理解している。そして、東(あずま)道男牧師の言葉を思い出さずにはいられない。

「宇宙をお造りになり星座を動かしておられる神。太陽から地球に光が到達するのにちょうど8日間かかっている。そういうことをなさる神さまが私たちの祈りを聴きイエス・キリストを下さったのである。

宇宙を創造し、力の根源でいらっしゃる神さまから生命が与えられている。宇宙的なエネルギーを注ぎ込んで私たちの心を一新して生きる望みを与え、沈み込んだ気持ちを立て直すと約束されるのです。

神さまは過去の恵みにまさる大きな将来の恵みをお与え下さるのですから、過去の恐れや悲しみから脱け出せと言われます」。

「私も90代後半に入ろうとしておりますが、大宇宙の宇宙的エネルギーと守護の天使に力づけられて元気いっぱいに若やいで主(イエス・キリスト)の為に働いております。神を信じぬいて夢と希望に生き抜いて勝利を得ましょう」。
(これは今週落手したお手紙より)
 
ユキが文章と共に描いた絵がこれだ。

どこでも行ける電車@.jpg
宇宙から来て電車が道路を走って、また宇宙に戻る。
どこにでも行ける電車。
ユキの素晴らしい世界は私たちに豊かな慰めと生きる力を与えてくれる。

都ホテル@.jpg

都ホテルA.jpg







今日のユキと知子。
Photo by Yuko.


モクレン新芽.jpg
チャッピー、コブシの新芽が出てるよ・・・
チャッピーのいない春、夏も秋も、これからの1年はさみしいことだろう。悲しくてたまらなくなったらユキの「どこにでも行ける電車」を呼ぼう。

チャッピーがいた「家のまえ」という駅の屋根を支えてるところに触れたら10秒ぐらいで来てくれるというから、そして、真智は特別だからワシントンの家からチャッピーを呼べるんだって!

「マチとフーのところにも行くよ。散歩に連れて行ってね。
ワシントンやアーリントンの町を歩くんだ!」
チャッピーの避暑地.jpg
「まち、もう泣かないで、ワン」


posted by 優子 at 18:21| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2015年12月04日

チャッピーと走った寒風の持久走大会 2位入賞!

ユキの持久走大会だった今日は、昨夜から強風が吹きまくり時々雨がパラつく寒い一日だった。
昨年の持久走大会で1位になってしまったものだから、今年は昨年よりも気合が入っていた。ひょっとしてユキよりも私たちの方が入っていたかもしれないけれど。

「イエスさま、チャッピーは走りが速かったから明日はチャッピーと一緒に走ります。最後まで頑張って走ることができますように。1位になれますように」。

ずっとRちゃんパパと話していたので1番手の2年生が走ってきたのに気づいた時は、ユキの表情を撮ろうと思っても、道路を渡るまでに疾風のように走り去り、表情を写せる場所まで行くことができなくて残念だった。

今年も1番で駆け抜けて行った!.jpgユキは今年も1番で駆け抜けて行った。
この時は余裕で走っていた。
昨年の経験から私と知子はこのあとすぐにユウターンして校門近くに向かった。

1・2年生の走行距離は2キロ。最初に2年生が運動場を2周して校外の決められたコースを走り始め、時間を置いて1年生がスタートする。

沿道ではお母さん方が一斉に「がんばれー!」「ユキちゃーん!」「ユキちゃん、がんばれー!」と、いたるところで叫んでくださっていたという。感謝! 
子どもはこのような中で健全に育てられていくのだ。私もできるだけ子どもたちの名前を呼び、どの子にも声援を送った。


そして、この坂を上がって右へ曲がればまもなく校門に入り、最後にトラック1周してゴールインだ。

この道もチャッピーとよく歩いた。がんばれユキ!

この時は1番だったんだ!.jpg

2014年11月末のチャッピー.jpgユキはこの上り坂の途中からしんどくなった。
「しんどくなってからずっとチャッピーのことを思ってた」。

(→ これは 2014.11末のチャッピー)

私が喘(あえ)ぎながら学校に辿り着こうとする時、ユキはもうここまで来ていた。

限界模様.jpg
この疲れよう。すでに限界に達しているのがわかる。

上り坂後半まではユキがスレスレ1位だったが、登りきったところで抜かされてしまったそうだ。ユキが一番強敵に思っていた1組のA君だ。
そこで知子は周囲の目も気にしないで10メートルほどユキに伴走しながら応援したという。


「もうあかん」の声にここまで知子伴走.jpgこの写真の直前までだ。
この写真に知子が写っているということは、私が撮った写真だが覚えていない。
きっと必死で学校に到着した瞬間にユキが来たので、急いでゴールに向かったからだろう。

ユキは校門の前で「ママ、もうあかん。ユキ、もう2位でいいわ」と言ったという。そして、最後のトラック1周も力を振り絞って2位でゴールイン!
2位ゴール、よく頑張ったユキ!.jpg
「この時はもうヨタヨタやった」。
順位が去年の1位と2位が入れ替わった。

マラソン大会2位!.jpg

走行距離は去年と同じく2q。
1年生の時は12分3秒で、今年は11分6秒だった!
11分6秒.jpg

運動会の短距離走では1位だったものの、体がなまっていて足がもつれてこけそうになっていた。いつだったかママ(知子)に秘密の呼吸法を教えてもらって、一度だけママと青葉台一周したことがあった。

今は頑張ったあとの充足感を味わっていることだろう。これを次の経験につないでいってやるのが親や教師の仕事だ。
ユキ、やったね!.jpg家に帰ってくるとユキは幼い顔に戻っていた。幼稚園の年長組のようなユキに。

このあと知子は会社へ、私は傘を取りに帰りがてら薄手のコートに着替えてリハビリに向かった。

行き帰りの道でユキの頑張りとチャッピーのこと、子どもたちの姿、そして、Rちゃんファミリーのことを思いながら歩いていたので、片道30分少々の道のりはあっという間だった。

附記:17時40分に出張先の夫から電話があった。
「今、旅館に着いたところや。ユキちゃん、(順位)どうやった?」とは、少しは良いとこともある。
今夜は北越紀州製紙工場(?)の見学で勝浦(和歌山)泊まり、明日は那智の滝へ行くという。あの上着では寒いに決まっている。

posted by 優子 at 18:10| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2015年12月02日

チャッピーを偲ぶ F ―マチとクマとの時―

今日は動物病院からワクチン注射の案内が届いた。一瞬心臓がドキッとしたが涙はなかった。毎年動物病院からこのワクチン注射と初夏にフィラリア予防の案内が届いていた。

チャッピー亡きあと動物病院から届く.jpg

夕方に動物病院へ電話してチャッピーの死とお世話になった感謝を伝えた。死因や最後の様子を詳しく聞いてくださったので慰められた。

ある人は愛犬が死んだ時、「3年間泣いていた。よそのワンちゃんのことを聞いても涙が出る」と涙ぐまれた。意外なことに私は犬を連れている人を見てもさほど心は痛まないが、年老いた犬がわかるようになったので犬の最期を想像して気持ちが沈む。

私はチャッピーが死んだ直後の3日間は悲しくてどうなることかと心配したが、今では殆ど涙しない。それでもやっぱり昨日も今日も1度は泣いている。

1週間経った昨日あたりから門を出入りする時もチャッピーを探すことは殆どなくなった。ゴミ収集日も門を開けたまま出入りでき、チャッピーが出ないか心配せずにすむ。

しかし、今日もまたチャッピーの生きた証のために、そして、マチとクマのために記録しておきたい。

DSC01585.jpg
これは2007年5月24日だと思う。
ということはチャッピーは8才、真智は結婚してミネソタ大学大学院生の時だ。もう10年8ヶ月も前で、チャッピーはまもなく6歳になる頃だった。
こんな命みなぎる頃の顔はチャッピーではないみたい。この2年間にすっかり老いてしまったから・・・

2005.4.1.jpgこれは2005年4月1日。
この時、真智子と太志君は東大の大学院生で、太志君が初めて我が家へ来た時だ。



2012.12.24.jpg
これはIMFのエコノミスト2年目で、
ワシントンから帰国していた2012年12月24日。

出発の朝、チャッピー元気でね.jpg
これは2014年5月5日早朝、夜が明け始めた時。
5月3日朝にマレーシアへのミッションの帰りに日本へ立ち寄り、2日後にワシントンへ戻る朝。

チャッピーとマチとクマ@.jpg

その2か月後、今度はシンガポールへのミッションの帰りに2泊の帰国。この時、クマはワシントンからシンガポールへ飛び2人一緒だった。 

真智子よりチャッピーへ:

「夏にもちゃっぴーには伝えたつもりだけど、
『今までいっぱいありがとう。いつも懐いてくれてありがとう。泣いてる時に心配して寄ってきてくれてありがとう。大好きだよ。』って伝えてください。
涙をこらえて頑張ります」。


真智たちがチャッピーの死を知ったのは、ワシントン時間11月24日(火)の朝、出社する前だったから辛かったね。

「チャッピーの最期を何度も読んで、写真を何度もみて、涙が出ます。元気な時のちゃっぴーを思い出します。チャッピーが一生を生き抜いたことを思って尊いです。
まちも頑張って生き抜かなきゃ。
太志も何度も涙を流してちゃっぴーを偲んでいます。
チャッピーの遺体とお別れやね。ちゃっぴーはきっと幸せやった」。

ちゃっぴーの存在そのものがこんなに嬉しいものだったことを認識しました。何ができるから、何をしてくれるからではなく、存在そのものが愛おしくて嬉しいものだったんだ。きっと神様にとってもそうなのかな。生きる意味をまた考えます」。


太志君よりチャッピーへ:

「この夏に会ったときも、たまにしか会わない僕のことを、ちゃんと覚えてくれていたように感じられたので嬉しく思っていました。
写真を見ると涙があふれてきます。やすらかな表情ですね。悲しく寂しい気持ちでいっぱいですが、チャッピーと出会えたことへの感謝を改めて感じています。本当に優しいチャッピーでした。
チャッピーの最期をお伝えいただきありがとうございました。何度も読み返しています。僕も涙をこらえて頑張ります」。


posted by 優子 at 21:43| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2015年12月01日

チャッピーを偲ぶ E ―春姫号・チャッピー―

チャッピーの父は大福王号(1995年4月19日生・毛色 赤)、母は将美号(1995年9月25日生・毛色 赤)、母犬は1999年5月10日に牡1頭、牝2頭を産んだ。そのうちの1頭がわが家に来た。

Name of Dog : HARUHIME GO KASAOKA TOMIOKA
犬       名 : 春姫号 笠岡富岡


チャッピーの血統書.jpg

これはジャパン・ケンネル・クラブ証印の入った正式の「国際公認血統証明書」で、ここに記載されているチャッピーの実名、ブリーダーが命名した名前は「春姫号」だった。

「登録番号:JS−07007/99、毛色:赤、繁殖者:竹元眞一・神戸市、所有者:竹元眞一・神戸市」と記されている。

チャッピーは神戸市生まれ。本名が「春姫号」というのはとても嬉しくて、私はこれ以上の名前はないと喜んだ。

チャッピーを飼い始めて忘れられない感情が3つある。

まず、散歩に行き始めた時、道路に鼻を近づけてクンクンにおいを嗅ぎながら歩くのが嫌だった。それは犬の習性なのに、「そんな惨めな歩き方はやめなさい」と何度か言っていた。
そして、鼻を擦りむかないか心配で何度か地面に顔を近づけて見ていた。

そして、「いつも犬役でごめんね」と心の中で繰り返していた。子ども時代の学校での掃除当番ではないが、「犬の役ばかり押し付けて交代しなくてごめんね」という思いがあった。

それらの思いはともかくとして、犬は毎晩お風呂に入らないということが、母の悲嘆を引き戻した。
チャッピーがわが家に来た時、母が亡くなってまもなく3年経とうとしていたが、お風呂に入るたびに心が痛んだ。母の晩年の悲しみと死別の悲しみがまだ癒えていなかった。

母が亡くなるまでの1年3ヶ月、病院では週に2回の入浴だった。お風呂と言っても座る姿勢もとれない全くの寝たきり状態だったので、横になったまま体を洗ってお湯を流すだけだった。

年末のお風呂が12月29日だったと思う。「今日が今年最後のお風呂です」と言われて胸が痛んだ。31日に気持ちよくしてあげたかった。
特に最期は容態が悪くて入浴できなかったので、半月以上入らないで終わったと思う。

そのことがチャッピーが来てから思い出された。
犬はお風呂に入らないで眠るので、私はお風呂に入るたびに外にいるチャッピーが母のことと重なった。

毎晩毎晩、お風呂に入るたびに母のことが思い出されて悲しかった。その思いもまた何年か経つと解放されたが、今度はチャッピーのことで心が痛んだ。

外で飼っていてもチャッピーを洗ってやっていなかった。今年になっていよいよ洗ってやらなくてはと思ったら、おなかに痛々しい腫瘍ができてシャンプーなど怖くてできなかった。


1992年3月からペン活動を中断し、母の介護、看取り、そして、父の介護、2000年8月に父を看取るまで、読み手を意識しての執筆活動から遠のいていた。
しかし、チャッピーの存在が再び私に書く感覚を思い出させてくれた。

その間は年に一回発行される読書会会報と、娘たちが通っていた高校が発行する冊子に寄稿を依頼されて、5年間務めた学年委員長として報告や教育観を書いていた程度だった。

そして2006年のお正月に真智子がブログを開設してくれた。喜んだのはいいが見事に何も書けなくなっていた。

最初の記事は「ブログを開設しました。見てくださいね」だけ。2日目の記事は真智が東京からチャッピーの写真を載せてくれたので感激したが、その時も「我が家のチャッピーを紹介します」の言葉だけだった。あの時の写真をもう一度見たい。

このお粗末すぎる2つの記事も削除せずに置いておくべきだったのに、1年ほど前に消してしまった。

ところが次の日にチャッピーのことを書いた。
それが2006年1月5日の記事・「驚くべき文明の利器でチャッピーを紹介!」で、書く感覚が一瞬にしてよみがえった瞬間だった。そのきっかけが血統書の存在だった。

「私はチャッピーが『血統書つき』であることも知らなかったし、そんなことに関心も無いが、犬は人間と違って肩書きなんかで誇ることもない。私はそこに感動し、教えられるのだ」。

こう書いた時、まるで歌を忘れたカナリアが歌を思い出したように、あるいはまた、病気か心理的ショックで話せなかった人が急に話し始めたかのように書けた。

今日でチャッピーが死んで1週間経った。
先週の今夜、チャッピーを箱に納めた時、私は血統書を入れてやろうとしたら、夫と知子が止めた。「それは置いておけばいい」と。それで取っておいた。

私がその瞬間に思ったことは、チャッピーは血統を誇る価値基準に優越感や満足感を抱いたりしない。これは人間が作った価値評価なのだから慰めにはならないと思って入れなかった。

眠りについたチャッピーに入れたのは質素で僅かな花しかなかったが、ユキの折鶴一つと共に愛と感謝の気持ちをこめて箱を閉じた。


かわいいね、チャックン.jpg
チャッピー、お耳の影がかわいいね!
チャッピー、今どこにいるの?

ブリーダーの竹元眞一さんに「春姫号」が死んだことをお伝えしたい思いもあってこの記事を書いた。お目に入りますように。

チャッピーはとても元気な子でした。夫は「とても頑張り屋だった」と言っています。でもお医者さんもびっくりするほど怖がりでした。
チャッピーは私たちのところへ送られてきた「天使犬」でした。


チャッピーに首飾り.jpg 
チャッピー、やっぱり今年が最後の春だったね。

ユキとチャッピー.jpg
これは2010年11月6日。
ユキはまもなく3歳4カ月。
チャッピー、ユキと遊んでくれてありがとう。
        
posted by 優子 at 18:19| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする