2016年04月27日

ブルンナーの神学

風邪がいつまでもスッキリせずグズグズしている。その間に新緑の初夏を迎え、小学校では先週に初めての参観日があり、続いて家庭訪問期間に入ってユキも昨日終わった。

家庭訪問期間中の今週初め、早く帰宅するユキと一緒に郵便局へ行き、私たちのファミリー礼拝で集まった4月分の献金を「国境なき医師団日本」に送金した。ユキにとっては実に内容豊かな社会学習だと思う。

スイトピー@.jpg
初めて見た咲いているスイトピー。

「24日(日)、藤本ファミリーの主日の上に豊かな主のお恵みを祈るのみです。桜花散り緑の季節にファミリーの歩みを祈りて」と、祈りの友がFAXの最後に記してくださっていた。感謝!

「ふたりまたは三人が、わたし(イエス・キリスト)の名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。
        (マタイによる福音書18章20節)

2016年6月25日追記:4月24日(日)の午後、我が家で第1回目の「ブルンナーを読む会」がスタートした。追記日よりカテゴリ「ブルンナー読書会」を設置。

このたびエーミル・ブルンナーを読む機会を与えられ、ブルンナーがICU(国際基督教大学)開学当時から3年間日本に滞在したと知って、ICUの御出身である恩師の川上先生(クリスチャン・ペンクラブの副理事長)にお話しした。

ブルンナーは、バルト、ブルトマン共に当時世界三大神学者の一人といわれていた人物で、何と川上先生はブルンナーから直接学び、交わりがあられたというからブルンナーを知る人物の貴重なエピソードでもある。

「ぼくは3期生だったので、ありがたいことに先生の講義や講演を聞いたり、お宅を訪問したり、その学識とお人柄にすっかり魅せられました。ICUキャンパス内の自宅に、何回か伺いました。ICUでは、教授宅でのオ−プンハウスが毎週あったのです。

ブルンナー先生は日本に来られるちょっと前、息子さんをたしか交通事故で失いました。フィアンセの方が先生の身の回りの世話に来日。フィアンセの方は素敵な女性で、すっかり魅せられました。ここで学んだ人生への姿勢は忘れられません」。


青年期の輝かしき出会い。非常に心を打った。

書物に寄ればブルンナーの神学は学問のための神学ではなく、宣教するための神学であるという。「目に見える教会」と「隠れた教会」。ブルンナーは日本の無教会活動を高く評価し、「隠れた教会」である無教会活動にエクレシア(教会)を見たという。

今の私自身の信仰を確認させられ強められている。神へのとことんの信頼を改めて魂に刻みたい。

「神の前に自らを開いた時に私の中で神が生起され、創造が再び回復されるということ」。そして、「どのような人間の愚かさも神喪失も創造のみ業を成し遂げたもう神を妨げることはできないということ」。

文化・教育水準は高いが八百万の神を信じる民族の寛容さ(?)ゆえにか、清濁併せ呑むことが成熟の証しであるとされる日本社会は、精神的な危うさも内在させている。それがブルンナーのいう日本人の「精神的・宗教的な真空」だと思った。まずはブルンナーのシルエットをつかみたい。

ついでながら川上先生はドイツ語を小塩節(おしお・たかし)先生に学ばれた。小塩節と言えばNHKでドイツ語を教えていた著名な人だ。小塩氏がマールブルグ大学で研修中、恩師はアメリカ留学の帰りに立ちより、楽しく語られたこともあるそうだ。

私のような人間には何という憧れだろう。
何も著名な人に会ったことを言っているのではなくて、若い頃に一生懸命学ばれたことと、その主体的生き方ゆえの行動力に目を細めるのだ。
それは1963年のことであり、遠い過去のことになればなるほど、きっと御自身の中で宝石のようにキラキラ輝いていることだろう。


それにしても若い頃に一生懸命学ばなかった者は生涯の損失だ。正しく言えば、豊かな環境を与えられていながら学ばなかった者は情けない。受け身でしかなかった30歳までの自らの生き方を嘆く。

スイトピーA.jpg中年期に入ってからは神と出会ってユニークな歩みへと導かれ展開していったが、老年期に入った今はどうだろうか。体調のせいもあろうが正直のところ実に心もとない。
30代、40代のような熱心さで神と共に歩みたい。もう一度、命を燃やしたい。

posted by 優子 at 21:59| ブルンナー読書会 | 更新情報をチェックする

2016年04月20日

神の完全性が歪められる時代に

2年生は皆勤で通した孫が3年生になった早々の15日(金)から3日間欠席した。土・日を挟んでも回復せず、15日の夜に続いて18日の夜も受診した。

血液検査をしても原因がわからず連日40度まで上がったが、ようやく昨夕になって平熱にもどった。今朝もしんどそうだったが登校した。

そして、私も一昨日からダウンした。幸い熱は37度8〜9分ほどだが、子どもと違って37度台でもしんどい。

その間もずっと熊本地震が続いている。元気な状態での避難でも苦痛なのに、高齢者や持病のある人や妊産婦さんはどんなに大変だろうと気持ちが沈む。

トイレ事情、入浴もできず、プライバシーが保てないなど・・・その苦痛は計り知れない。水や電気のありがたさ、普通に備えられていたことは特別なことなのだと、またしても希薄になっていた私の心に刻まねばならいのは情けない。

とにかく神さまの最善を祈り、義援金を送らせていただくことしかできないが、幸い原発事故が起こっていない。そのことで自らを励まして通り抜けていくことができますように。

今春は気持ちの重い春であり、それに関連して先日の「クリスチャン・トゥディ」の記事に衝撃を受けた。

「図書館の中に聖書を置くことは、聖書が他の宗教教材よりも勧められたり、支持されたりしない限り、政教分離に違反しない。
            (略)

米ケンタッキー州にある創造博物館のCEOで館長のケン・ハム氏は、西洋世界全体に見られる世俗主義の台頭により、聖書が公に禁止されるようになるまでそう長くはないかもしれないと語った。

これは、西洋諸国において、いかにクリスチャンが宗教の自由を迅速に失いつつあるかを警戒する良い例です。このチャプレンが、チャペルの時間に神の言葉を使うことすら許されていなかったのです。

しかも、神の言葉を聞きたい人たちが集まる完全に自主的な礼拝において、これが起こったのです。

こういうことが、米国を含め、いろいろな国で起こるようになるまで、そう長く時間はかからないでしょう。

聖書が違法になるまで、どのくらいの時間が残されているでしょうか」。


私も身近で、キリストの完全な人間性と神としての完全性が否定されることを目撃しているだけに、この記事は雲の上のことではないのを実感している。

日本では未だキリスト教を疎外する風土があるように思う。
先日終了したNHKの朝ドラ、広岡浅子のこともしかり。浅子は60歳の頃に乳がんの手術を受け、それを契機に神に導かれてクリスチャンになった。

受洗後のクリスチャンとして更に社会貢献の働きにこそ浅子の人物を物語るものであるのに、全く触れられてはいなかった。あれでは似て非なる者であり、成瀬仁蔵の人物像も全く異にしており非常に不満足なドラマで終わった。

そして思った。もしも浅子が晩年に仏教に帰依したならば取り上げたであろうに、21世紀になってもキリスト教への迫害に準ずるものだと。

posted by 優子 at 10:13| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2016年04月17日

家の教会B −マルタとマリアの話より「大切なものを選ぶ」−

2016年4月17日(土) (第3回 家の教会)                
午前10時頃から?(記録なし)

@ 子どもの讃美歌  82番 「おおしくあれ」  
A 主の祈り
B 讃美歌      285番 「主よ み手もて」
C 聖書輪読     ルカによる福音書
            10章38節〜42節
D お話とお祈り   「大切なものを選ぶ」
           そのあと一人ずつ祈る
E 聖歌       582番 「神の御子にますイェス」
F 献金と感謝のお祈り  (幸悠くん)
G 頌栄       讃美歌541番 
             「父、み子、みたまの」
H 後奏・黙祷

ルカによる福音書10章38節〜42節:
10:38一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。
10:39この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。
10:40ところが、マルタは接待のことで忙がしくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。
10:41主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。 10:42しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。

3回4回のメッセージの記録を取っておらず、早く掲載しようと思いつつも未だできていない。まずは今日3回と4回の礼拝プログラムを記録した。

この記事は2016年7月27日16時35分更新

この前日の午後、次女夫婦が1年ぶりに帰国。今は東京に滞在、29日夜に帰宅する。

posted by 優子 at 16:35| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2016年04月16日

熊本地震発災地元牧師「とにかく祈っていてほしい」

気象庁は、16日午前1時25分頃に起きたマグニチュード7.3の地震が「本震」で、14日夜に発生した熊本地震が「前震」にあたるという見解を示した。

昨夜は遅く午前2時前にベッドに入ってからもラジオから強い余震警告が絶え間なく繰り返され、心身が緊張し祈り続けていた。現地におられる方々の思いは計り知れない。

熊本県益城(ましき)町から車で30分ほどの場所にある、日本ナザレン教団熊本教会の中出牧夫牧師の話が14日時点で伝えられている。

「益城町にほど近い教会では、会堂が倒壊し、一時、牧師一家が生き埋めになったといった情報も入った。昨日の今日で、まだ具体的な支援の必要性などは全く見えていないが、皆さんには、とにかく祈っていてほしい。

熊本にも、こんな大きな地震が来るとは夢にも思っていなかった。このように、世の終わりもいつ来るか分かりません。備えましょう」。

        『クリスチャン・トゥディ』より 

すべての方々のことを祈り続けます。

posted by 優子 at 08:45| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年04月15日

「著名人の聖書観」より

以下は「著名人の聖書観」より転載させていただいた。

学者(人文・社会系)

三笠宮 崇仁殿下 (大正天皇第四皇子、今上陛下の叔父上)

私は戦時中に敵を知ろうと、キリスト教を調べ聖書にぶつかった。
初めは文明を誇る白人がなぜこんなものを信じるのかと笑ったが、聖書が歴史的事実と知ったとき、聖書から離れられなくなった。

※ 三笠宮殿下は、古代オリエントを専門とする歴史学者として有名です。この言葉は殿下がなぜ歴史を学ぶようになったかについて述べたときのものです。

南原 繁(政治学者、東京大学総長)
どれほど神仏に祈っても、しょせんは自分の無事幸福か、せいぜい家内安全を願うことに止まった私の心が、いまや、(聖書の語る)自分の罪を知り、それからのあがないとゆるし、神の御旨へと向けられるようになった。……私は、家庭において日曜日ごとに家族らに聖書の研究や話をした……

※ これは、南原氏が自分の母親の思い出を語ったときのものです。原文は半ば文語で書かれていましたので、現代文に改めました。

矢内原 忠雄(経済学者、東京大学総長)
聖書は学者の書であり、無学者の書であり、万人によって万人に学ばれるべく、万人によって解されるところの人類の書なのである。

われわれが謙虚になって聖書をひもといて見れば、それ(知識)は最も基本的な形において聖書に示されておる。これを今日の社会情勢と、人間の知識の進歩と、世界の複雑性に照らし合わせて応用すればよいだけです。根本は聖書に示されている通りであります。

隅谷 三喜男(経済学者、東京大学名誉教授、東京女子大学学長)
旧約聖書も新約聖書も、神が歴史の中で働いてきたことを告白している書物です。

※ 隅谷氏は、成田空港問題について、地元住民と行政、有識者による円卓会議を開催し、問題の解決と和解に尽力されたことで知られています。

学者(自然科学系)

大喜多 敏一(元北海道大学工学部教授、国立公害研究所大気環境部長)

湯川秀樹博士が「私はどこから来てどこに行くのか知りたい。」と言われましたが、聖書にはその回答があるのです。        

菅野 猛(元東京大学工学部長)
聖書はすべて神のことばである。

アイザック・ニュートン
いかなる世界の歴史におけるよりも聖書の中には、よりたしかな真理がある。

アンブローズ・フレミング(日本の高校生を悩ませる「右手の法則」「左手の法則」で有名な英国の物理学者)
四つの福音書にあるこれらの出来事(復活とその他の奇跡)の記録を研究してみなさい。そうすれば、あなたは確証済みの科学的事実や科学の原理の中には、何一つ、奇跡を信じることを妨げるものはない、ということがわかるであろう。

アーサー・ホリー・コンプトン(ノーベル賞受賞者)
秩序正しく広がっている宇宙は、『初めに神が天と地とを創造した』(聖書の冒頭のことば)という、もっとも荘厳なことばの真実さを証明する。

ボリス.P.ドツェンコ(元ソ連科学アカデミーの戦略核ミサイル開発者、元キエフ物理学研究所原子力研究部長、カナダに亡命)
自己中心的で皮相な知識は無神論に至り、客観的で深みのある真の研究は神への信仰に至ると言えましょう。この世に与えて下さったことばの書である聖書に注意を向けて下さった神に感謝します。

トーマス・エジソン
光、暖かさ、健康、力はすでにもう存在しているのですから、スイッチを入れさえすればよいのです。電線そのものは別に何でもありません。絶縁された二、三本の銅線にすぎないのです。

しかし、その線の中をプラスとマイナス二つの電流が流れると、すべてが変わってきます。暗黒は失せ、冷気はなくなり、仕事もたやすくできるようになります。

聖書は単なる本にすぎませんが、神の御霊によって霊感されている聖書の各ページを、神の義と愛とが、プラス・マイナス二つの電流のように流れ、キリストの十字架で合流しています。

聖書だけが、私たちに救い主を示してくれます。そのことによって聖書は、私たちの全生涯を造り変えることができる力の泉となるのです。

あなたは誘惑にあい、疑惑と敗北と弱さに満ちたご自分の生活に倦み疲れてはいませんか。また、不安や心配にあきあきしてはいませんか。スイッチを入れなさい。聖書を読みなさい。

文学者・哲学者・教育者

ゲーテ

私が獄につながれ、ただ一冊の本を持ち込むことを許されるとしたら 私は聖書を選ぶ。

テニスン
聖書を読むこと。そのことが教育である。

イマヌエル・カント
聖書の存在は、人類がかつて経験したうちで最も大きい恵みである。その価値を減らそうとのいかなる企ても、人類への罪悪となる。

ウイリアム・クラーク(「少年よ大志を抱け」の言葉で知られる)
今、自分は一生をふりかえってみると、何も誇るようなものはないが、ただ日本の札幌において数カ月の間、日本の青年たちに聖書を教えたことを思うと、すこし満足と喜びを感じる。

軍  人

淵田 美津雄(旧帝国海軍のパイロットで真珠湾攻撃の総指揮官として有名、戦後にクリスチャンとなる)

私は熱心に聖書を読みました。私の人生観はキリストによって完全に変えられました。

政 治 家

マハトマ・ガンジー

私の生涯に最も深い影響を与えた書物は聖書である。

ジョージ・ワシントン(米国大統領)
神と聖書なしに、この世を正しく統治することは不可能である。 

アブラハム・リンカーン(米国大統領)
聖書は、神が人間に賜った最もすばらしい賜物である。人間にとって望ましいものはすべて聖書にある。聖書はそれ自身の権威を裏づける無数の証拠を持っている。

セオドア・ルーズベルト(米国大統領)
聖書を教えない単なる教育は、無責任な人に鉄砲を渡すようなものである。

W.E.グラッドストン(英国首相)
私はこの時代に、偉人と呼ばれる95人の人を知っている。うち87人は、聖書を奉ずる人であった。聖書の特色はその特異性にあり、他のあらゆる書物を無限に引き離している。

ナポレオン
聖書はただの書物ではない。それに反対するすべてのものを征服する力を持つ生き物である。

そ の 他

ヘレン・ケラー

私が毎日、もっとも愛読する書物、それは聖書です。私の辞書に”悲惨”という文字はありません。聖書はダイナミックなカであり、変わることのない理想を示すものです。

このほかにもご紹介したい。

速水 優(日銀総裁)

仕事上での決断や辛苦の都度、私を支えてくれたのは聖書の言葉である。

芥川竜之介
私はやっとこの頃になって、4人の伝記(福音書)作者が私たちに伝えたキリストを愛しだした。キリストを今日の私には、行路の人のように見ることはできない。

トルストイ
信仰は、生の力である。

ドストエフスキー
キリスト−この広い宇宙に、その名によって魂を救うことのできる者は、この人をおいて他にない。

ゲーテ
人間の知的文化が進歩し、自然科学が進んでその広さ深さを加え、またいかに人の心が望むままに広くなろうと、福音書から導き出せるキリストの高潔さと道徳的修練を越えていくことはないであろう。    

アインシュタイン
私は、神の天地創造の足跡を探していく人間である。神様のパズルを解くのが好きだ。

フランシス・ベーコン
浅はかな哲学は人の心を無神論に傾け、深遠な哲学は人の心を神に導く。         
         
リンカーン
聖書は、これまでに神がくださった最上のギフトである。世界の救い主から発する一切の善きものは、この所を通して我々に伝道される。

ケネディ大統領
山上の垂訓(キリストがガリラヤ湖のほとりの山上で語られた説教)で解決できないものは一つとしてない。

日本聖書協会によれば、全世界の聖書翻訳言語の総数は2012年12月31日現在で2551言語に及ぶ。

是非、あなたも聖書を開いてください!


posted by 優子 at 23:59| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2016年04月13日

原爆資料館は " gut-wrenching " 「魂がねじれるような」経験だった

「G7」とは "Group of Seven"の略で、フランス、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダの7つの先進国を指す。

1975年の「G6」発足当時より日本が先進国に加えられていた。1945年に焦土と化して滅亡した日本国が、終戦19年後にオリンピックを開催する勢いで復興させ、その6年後には万博開催と経済成長を遂げていった。

来月5月26〜27日に開催される「G7伊勢志摩サミット」に先立って、4月10〜11日の「G7広島外相会合」で、ケリー米国務長官ら米英仏の外相が閣僚としては初めて広島の平和記念公園に立った。

戦後71年目にして初めてとは遅きに失するも、ケリー長官の思いから外相たちが原爆資料館を見学したことは大きな大きな一歩だ。短時間の見学であったが、ケリー氏は「本当に衝撃だった」と次のように語った。

「この魂をえぐられるような(" gut-wrenching ")展示物を見て、人としての感受性を覚えた。戦争が人々や地域社会、国や世界にとって極めてな困難な選択であることを思い起こさせてくれる。私は個人として今回の広島訪問を決して忘れることはないだろう」。

そして、原爆資料館で次のように記帳している。

「世界中の誰もがこの記念館の力を見て感じるべきだ。
核兵器の脅威を終わらせるという私たちの責務だけでなく、戦争そのものを回避するためにあらゆる努力を払うべきだということを、明白に厳しく思い起こさせる。

戦争は最後の手段であり、決して最初に選んではならない。最悪の選択である。
世界を変えるための努力を積み重ね、平和を求め、すべての人に希求される未来をつくるよう懸命に努力すべきだと、記念館は私たちに強く訴えている」。


残念ながらアメリカのメディアは「ケリー献花」を取り上げなかったという。未だ現実と向き合えず受容できないのだろう。

その前日の10日、質素な暮らしぶりから「世界一貧しい大統領」と称賛されている南米ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領が、原爆資料館を訪れて次のように記帳した。

「倫理がない科学は考えられないような悪の道具になる。歴史は、人間が同じ石でつまずく唯一の動物と教えている。私たちはそれを学んだだろうか」。 

神なき教育は知恵ある悪魔を作る。そして、人間は神さま抜きで地位や名誉、財産を得ることはできるが、人間の尊厳が失われ、感謝すべきことに感謝することもできない喜びを感じることのできない哀れな人生で終わる。

どんな理由があろうとも原爆投下は絶対にしてはならなかったことを認めずして、明るい未来は拓かれていかない。それはフクシマを経験しても変わらない我が国も同じだ。

原発事故のどうしようもない状況にありながら、経験から学ぶことをせずに相も変わらず原発を稼働させる悔い改めの無さと傲慢はゾンビの如くに砕かれない。

神は人間に選ぶ自由を与えておられるのである。エバは悪い方を選んだのであるが、私たちはどんな時も賢い選択をしたいものである


来月訪日するオバマ大統領、また、各国の為政者たちが広島と長崎に訪れることを切に祈る。国家のトップともなれば、その意思があっても国民の反応も考えねばならないのだろうが、心ある為政者を神が強めてくださって踏み出させてくださるように!
外相たちのヒロシマ体験が生かされることを切に祈る。

posted by 優子 at 23:56| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年04月11日

桜の美しさに魅せられて八木重吉の詩を口ずさむ −22年ぶりに造幣局の「桜の通り抜け」と、再び家族で水上バスに!−

8日から大阪の春の風物詩「造幣局の桜の通り抜け」が始まった。ユキに見せてやりたくて急きょ9日のお昼頃から出かけた。私たちにとっては22年ぶりの通り抜けである。

私が最も魅かれた桜はこれ、「雨宿り」!
桜の名は「雨宿(あまやどり)」.jpg

桜は400もの種類があるそうだが、そのうち3分の1の133品種が造幣局構内に植えられていて、旧淀川沿いの全長560メートルの通路両サイドと中央に349本が植えられている。その大半が遅咲きの八重桜である。
これは「紅華(こうか)」
紅華(こうか).jpg
 
とにかく人、人、人で、「はぐれてしまったら出口で待つようにしようね」と言った私がすぐにはぐれてしまった。もはや探しようがないので桜見物を楽みつつ進んだが全てを見たわけでもない。
とにかく1週間で60万人を見込む混雑ぶりで、8日初日だけで6万を数えたというのだから。

これはユキが撮った「紅笠」。
ユキが撮った紅笠A.jpg

↓ 紅笠
ユキが撮った紅笠@.jpg

これもユキの作品
ユキの作品B.jpg


94年夜桜.jpg通り抜けはライトアップされた夜桜が特に有名だが、足のサイズ分ずつしか前へ進めないほどの混みようだから、おチビのユキのためにお昼前から出発した。

この写真は1994年4月16日、知子は高校1年生、真智子は中学1年生の春の宵。遠い春の日である。


琴平.jpgこれは「琴平」。
どれもこれも見事な美しさだ。

今ブログに書くために、これらの美しい花を見ていると八木重吉の詩を思い起こした。

ねがい
きれいな気持ちでいよう
花のような気持ちでいよう
報いをもとめまい
いちばん美しくなっていよう



綺麗な桜の花をみていると
そのひとすじの気持ちにうたれる


ゆるし
神のごとくゆるしたい
ひとが投ぐるにくしみをむねにあたため
花のようになったらば神のまえにささげたい


聖書
この聖書(よいほん)のことばを
うちがわからみいりたいものだ
ひとつひとつのことばを
わたしのからだの手や足や
鼻は耳やそして眼のようにかんじたいものだ
ことばのうちがわへはいりこみたい

昨日の「家の教会」で読んだ御言葉も改めて深く沁みこんでくる。マタイ伝15章1節〜20節、パリサイ人(偽善者)と律法学者たちにイエスが言われた言葉だ。

「口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである。・・・(略)・・・というのは、悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹(そし)りは、心の中から出てくるのであって、これらのものが人を汚すのである」。

桜の名は?.jpg
桜の名前を見たくとも近くまで行けない混雑ぶりだった。


今年の花.jpg毎年選ばれる「今年の花」には「牡丹(ぼたん)」が選ばれた。
この混雑と喧噪の中では鑑賞することなどできないが、それも含めての「造幣局の桜の通り抜け」の風情である。知子は言った、「もう一生分堪能したわ」。

造幣局G.jpg

造幣局K.jpgようやく出口で家族と再会。私が一番遅かった。出口近辺は空いていたので私たちも記念にパチリ!

わざわざ大阪へ出るのだから造幣局の通り抜けだけではもったいないと、この日は最初に水上バスに乗船した。
3月31日にユキと2人で楽しんだ大阪中心部のクルーズだ。こんなにすぐに家族そろって実現するなんて思いもしなかった。

八軒家浜.jpg
造幣局は天満橋なので、今回は天満橋の八軒家浜船着場から乗船し、アクアライナーではなく屋根のないポンポン船(?)で25分間のクルーズに出た。
私たちもクルーズのあと、天神橋(↓)を渡って造幣局へ向かった。

造幣局@.jpg

この人並みは夕方も絶え間なく、しばらくは夜遅くまで続くのであろう。

「水の都」大阪
A造幣局.jpg

この前ユキと乗ったのがこのアクアライナーだ。
あの時、桜は3分咲きぐらいで今回は満開も過ぎていたが、昨日は春を満喫した。硬貨を表している緑の円が見える建物が造幣局だ。屋台店が数えきれないほど出ていた。

造幣局E.jpg「こんな世界もあるんやね」と、知子は一日中でも乗っていたいと言った。
前日から体調が良くないので、日頃の緊張から解放されて2〜3日のんびりと何もしないでゆっくりさせてやりたい。


全席指定席で30分ごとに出港するアクアライナーと違って、この船は地下鉄のようにひっきりなしに来るので、大勢の人が並んでいても短時間待つだけで乗ることができた。

造幣局D.jpg
ユキが撮ってくれたね。

1997年4月、父と眺めた場所.JPG← この辺りは「桜の宮」。
1997年4月、あのとき父と見ていたのは、このあたりだと夫が言った。

「ここやわ! 後ろにテニスコートがあったのを覚えている」と知子が言った。私もコンクリートの広場があったことや、そこで遊んでいた親子や足元を舞っていた桜の花びらを寒々と悲しく見ていたのを覚えている。

1997_4A1A1BAC7B0A6A4CEC9E3A4C8.jpgあのとき父と見ていた景色も見たかったから、この対岸の写真も撮ればよかったのにと今になって気がついたが、私はそこを通り過ぎるまで、あそこに立っていた父を透視でもするかのように凝視していた。
父が亡くなって16年にもなるのに、いつまでも私の中で父を生かしておきたいのだろうか、私はやっぱり今も父の姿を追っている。


造幣局B.jpg

淡い桜色と萌えだしたばかりの淡い新緑が、
えも言われぬ美しさだった。


水上バスG.jpg

船を下りて造幣局へ向かう天神橋を渡りながら、私たちが乗った船が出て行くのが見える。

造幣局C.jpg橋の上で立ち止まるのは禁止されていたが
1枚だけ撮らせて!






zouheikyoku.jpg

造幣局F.jpg
ここを右側に渡るとまもなく通り抜け入り口の造幣局南門に到る。

造幣局I.jpg最後に、これは造幣局創業当時の玄関前に在ったガス燈で、我が国最初のものである。1871(明治4)年に灯ったガス燈に人々は驚愕した。

母が結婚前に造幣局に務めていた時に、モデルになって銅像が建てられたと話していたので、今も残っているかどうか調べたい思いを残して造幣局をあとにした。

ユキの作品C.jpg天満橋のマクドから窓越しにユキが撮った鳩!


家族和やかに楽しい春の一日を感謝します。



水上バスF.jpg

posted by 優子 at 11:59| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2016年04月08日

春嵐のあとの「桜花の海」 

昨日は春の嵐が日本列島を直撃し、もう数日は楽しめた桜も風と雨に打たれて早くも終焉を迎えた。それでも私は散った桜を見たくて洗濯物を干して、大急ぎで朝食を済ませてカメラを持って外に出た。

桜花の海.jpg

公園の桜は遠くから見て通り過ぎようと思っていたが、散った花々が「桜花の海」とでも言おうか、強風と雨水が美しい波模様を描いていたので息をのんだ。

花筏はなかった.jpg
花筏(はないかだ)を楽しみに言ったが小さな筏さえなかった。

桜の道.jpgあちこちの道は淡いピンク色の花びらの絨毯(じゅうたん)を敷いたようであり、冬の雪道をも思わせた。
        
IMG_7751.jpg









1週間ほど前から散歩に出るようになり5人と4〜6年ぶりに再会した。みんなチャッピーを介しての知人である。

今日も散歩中に2名の知人と出会って立ち話をしていたが、チャッピーが死んだことを告げ、相手もまた飼い犬が3年前に、また、4年前に死んだことを話された。

私はそれほど歩かなくなっていた。その間に私はかなり老いたが、知人たちもまた老いておられた。そして、自らの死についても語られる方々だったので感銘を受けた。

と言うのは、年老いても殆どの人が真面目に自らの死と向き合わず、ワイワイガヤガヤと楽しく過ごすことにのみ価値を置いている人が殆どだからだ。

2009年4月から知子とユキと同居するようになり、それまで毎晩夫婦で歩いていた生活のリズムは許されず、その後もすっかり歩かなくなってしまったが、今度こそこれを機にもう一度歩き始めようと思う。

いつも一緒に歩いてくれ、自然界や小さな生き物に目覚めさせてくれたチャッピーは居なくなってしまったけれど、ユキも小学中学年になったことだから私ももう一度生活のリズムを建て直そうと思う。


古い葉を落とす楠の木.jpg春に落葉するクスノキ。毎年今頃に新しい葉に押し出されるようにして古い葉を落とすクスノキ。
春でも落葉するならば落葉樹ではないかと思うのだが、クスノキの葉の寿命は1年と10日あまりで、1年以上であれば常緑樹ということから常緑樹に分類されるとのこと。

今の自然界は日に日に姿を変えていく。
山の木々に新芽が噴き出し、枯れ木のような山が淡い緑色の新芽がふんわり包む。

「地において主をほめたたえよ。・・・山々よ。すべての丘よ。実なる木よ。すべての杉よ」。   (詩篇148篇7、9節)

チャックンと散歩の光景.jpg民生委員の時、市の老人祭りで毎年一緒にお薄のお世話をしていたKさんは、「歩けるからいいですね」と言われた。あれは10年近く前のことだが、Kさんはすっかり弱っておられた。

今後は歩けなくなるまでチャッピーと歩いた道を歩き続けよう。
2016年は新たなる節目の年、
新たなる春となれ!


附記:次女の伴侶、ミッションを終えて無事アメリカに帰国する。

posted by 優子 at 23:21| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2016年04月07日

チューリップの季節に −自然界の輝きに神を想うー

雨の朝に.jpg今日は「花散らし」の雨風で桜の花は無残に落とされてしまったことだろう。今朝は凛として咲いていたチューリップも今は痛々しい姿になっている。






20時30分追記:
強風に揺さぶられ.jpg夕刻、より強い風に長時間揺さぶられ、大粒の雨にも打たれてようやく風雨は止んだ。まるで人の一生を見るようだった。


豪雨に打たれて.jpg

本名を「春姫号」ことチャッピーには春がよく似合う。特にチューリップとタンポポはチャッピーを思い出させる。

2012.4.23.jpg
2012.4.23 ユキが幼稚園へ通い始めた春。

2013.4.26チューリップとチャッピーと.jpg
2年前の春 2013.4.26
 これも同じ日のチャッピー
2013.4.26.jpg

次の3枚は2010年春、チャッピーはまもなく11歳、ユキ2歳9か月。

001.jpg

2010.4.19.jpg

↑ 2010.4.19 ↓ 

チャッピーまもなく11歳、ユキ2歳9か月.jpg

チャックンとチューリップ.jpg
どの年の春かわからない。

そして今年もチューリップが咲いた。
チャッピーのいない玄関@.jpg

23日に植えたチューリップ。チャッピーは花を見ることはできないだろうな・・・.jpgチャッピーが死ぬ前日に球根を植えた。

チャッピーが居た春の庭@.jpg



2015.10.23.jpg





花は咲いたがチャッピーの姿はない。
心を奮い立たせるのは寂しさを埋めようとしているからだろうか、私は春をとどめようとするかのように、今年はことさらに春が過ぎゆくのを惜しむ自分に気づく。


ベランダのチューリップは満開!

2016チューリップ@.jpg

球根を植えた同じ日にユキが植えたチューリップ。
何て美しいのだろう!

「こんにちは 春ですよ!」.jpgお向かいさんちの花も「こんにちは 春ですよ!」と告げているみたい。

桜とヒヨドリ@.jpg
昨日は桜が開花して初めて曇りがちながらも晴れの一日だった。
桜と青空、絶妙の取り合わせだ。

ヒヨドリ桜と.jpg

2016.4.6.jpg
 
チャッピーは死んでしまったけれど、私は今年も春を生かされ独り歩いた。自然の美しさに驚くばかりである。

神がくださった自然という贈り物に目を向けて立ち止まり、黙想する人生の豊かさ。自然を通して神がどんなに私たち一人ひとりを愛しておられるかを感じる。

自然界は見事なほどに次から次へと芽を吹き出している。
 
「復活したキリストは、目いっぱいの豊かな人生を送るための扉を開いてくださった」。

ユキの入学式前日に.jpg
2014年、ユキ小学校入学式の前日に。


posted by 優子 at 17:28| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2016年04月05日

楽しかった春休み2016  

春休みになる前はユキのお昼ごはんの用意もしないといけないというので、こんな(>_<)感じだったが、2週間はアッという間で、特に後半は充実して過ごしていたので本当に楽しい日々だった。

学習もしたし、よく遊んだし、散歩にも行き、3月25日の記事状態だった私とユキは著しい進化を遂げている。

春の朝.jpg今ではユキも1時間以上学習に集中できるようになった。
「おばあちゃん、答えを言わんといてや!」と問題を解きながら、先に答えを出した私に言うのだからすごい!
昨日は「植木算って何?」と聞いてくるので驚いた。私もこれならわかると自信をもって説明を始めた。
「直線上に立っている場合と池の周りなど円の周囲に立っている時と、間の数が違うねん」と図を描いて説明したら、ユキは感激して面白がった。
「おばあちゃんは中学受験したから、こういうのをたくさんやったわ。和差算、植木算、鶴亀算、流水算、旅人算、通過算に年齢算、方陣算に時計算、仕事算、それから消去算に塩の濃度がどうのこうのというのもあったけれど、あれは苦手やった。一番難しいのが相当算で最後に教わるんやけれど、あれが一番好きやったよ」と、半世紀以上も前のことをユキに話していた。

「とにかく図を書くこと。図が書けたら分かっているという事やからね」と、私も一緒に楽しんでやっていた。ユキのおかげで私の錆びついた頭も少しましになってきたように感じるが、さてさて何年生までユキの助けになってやれるだろうか。(笑)

知子からたった1冊あてがわれているドリルさえも、ユキは1年経っても半分以上しないままだったが、ようやく残り10ページになった。
残念ながら新学期までにできなかったけれど、今週中に完了すれば良し。きっとこのことが今後の経験に繋がっていくから私も楽しみだ。


遊びもいろいろやったね。これはユキからもらったアヤメとバラ。
アヤメとバラ.jpg算数の学習以外に、折り紙、綾取り、はさみ将棋、散歩、電車の絵の手ほどきを受け、それでも時間が足りないほど本当に楽しかった。ユキと一緒だとテレビを見ながら横になれなかったけれど。
ボール投げA.jpg


毎日のようにやっているボールの壁あて。
これは4月2日、春のランチから帰宅した時。
ボール投げ@.jpg

大きくなったけれど、まだまだ幼さ残すかわいいユキ。

マグネット@.jpgこれはマグネットの玩具。
この真ん中の四角いマグネットを持ち上げると、自然にひっついてボールになるよ。
ユキは上手に教えてくれる。



マグネットA.jpg

マグネットBアクアライナー!.jpg
二つの船をくっつけると、
先週乗った水上バス・アクアライナーにそっくり!

マグネットC亀だよ!.jpg
これは亀! 

次は今日のお散歩でユキが撮った春!:


ユキが撮った蔵元さんちの花木.jpg

ユキが撮った野すみれ.jpg
野すみれ
これは私が撮ったもの
野すみれ.jpg


ユキが撮った桜 .jpg
桜は散り始めていた。

春休み最後の日に@.jpg

ユキが撮った○桜.jpg

春休み最後の日に.jpg

ユキが撮った矢車草.jpg

ユキが撮ったタンポポ.jpg

このあと、トイレタイムで家を経由して後半を楽しむはずだったのに、公園でお友達を見つけたユキは予定を変更してお友達と3時から6時過ぎまで公園で遊んだ。

人に見られずとも咲く花々.jpgこれは先日私が撮ったもの。

木の中で咲いているので外からは見えないが、人に見られなくても健気に咲く花が愛おしくて体をよじらせて撮った。

「美しいよ、椿さん」





カブトムシの幼虫.jpgある日の散歩中に知人からいただいたカブトムシの幼虫。
土が乾燥しないように時々水を霧吹きでかけてやらないといけないそうだ。
出てくるのはオスだろうか、メスのカブトムシだろうか。私は

時間不足で写真を貼るのだけで精いっぱい。
明日からユキは3年生。
この一年もユキの幸せを願いつつ、感謝と感動の日々を重ねていきたい。

posted by 優子 at 23:59| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2016年04月03日

久々にユキのサッカー見学と、愛を込めて刻むユキへの思い

今日は曇天ながら暖かい春の日、終日雨にも降られず知子はファイザー製薬MR時代の友と三ノ宮(神戸)で落ち合い、楽しいひと時を過ごした。

サッカーH.jpg

私は久々にユキのサッカー教室を訪ねた。ユキとの約束の時間より遅くなってしまったが、1年生から3年生までの低学年グループの競技を見ることができた。
これまで教会に出席するために半分は休んでいたにもかかわらず、私の想像以上にユキはたくましくボールを追いかけ、何度もシュートを決めかけた。

サッカー@.jpg

サッカーA.jpg

サッカーB.jpg

サッカーC.jpg
「この時、右から○○君が蹴ってきたので左足でボールを止めた」。

サッカーF.jpg サッカーD.jpg

サッカーG.jpg
11時30分:最後の整理体操
6年生が卒業したあと新入生が加わり、今年度は30名でスタートした。
今朝、ひとりずつ今年の目標を言った時、ユキは「毎回5回シュートを決める」と語ったと、お世話くださっているMS.リーダーが意欲的なユキを伝えてくださった。

夫は散歩を終えて自動車で迎えに来てくれていた。
と言うのは、今夜の夕飯に予定していた「お好み焼き」に使う長芋を昨日買い忘れたので、このあとスーパーへ行ってくれるというのだが、こういうことは実に協力的だ。😃

サッカーのあと@.jpg 
買い物のあと桜見学のドライブをして帰った。
今年の元旦に家族で歩いたこの桜並木を見たかったからだ。

サッカーのあとA.jpg
このあたりだと二上山がこんなに近い。
そして、昨日歩いた祇園荘や池の周りも回ってくれた。
「昨日と違って今日は満開やったから」と。

サッカーのあとB.jpg

ホント、満開だ!
青空だったら息をのむ美しさを感じただろうな。

サッカーのあとD.jpg

↑ このシーンはあの時の知子とユキを思い出させる。↓

2010_4_6ADA1.jpg「『知子と孫に神の祝福が満ちあふれますように』とシャッターを押した時、二人の上に神の目が注がれていることを強く感じた」と書いた2010年4月6日のことを。

サッカーのあとE.jpgユキ、
大きくな
ったね。

もう小学校3年生になるんやね。



ユキの秘密基地@.jpg最後に公園へ寄って、ユキの秘密基地の桜を見に行った。
ここは3月半ばにユキがお友達に「秘密基地を作ろう」と声をかけて6人で作った隠れ場だ。


ユキの秘密基地C.jpg春休み中も製作者全員集合して遊んだ時もあった。
「木の上にたくさん乗せないでね! 重くてかわいそうやからね。」



ユキの秘密基地A.jpgユキ、思いっきり楽しみなさい!
今は人生の故郷ともいえる大切な時。
大人になって悩みに打ちひしがれそうになった時、階段を降りて行くようにこの頃の時空に戻れば、きっと疲れた心を癒してくれるに違いないから。





サッカーのあとF.jpg夫は公園で私たちを下ろして先に帰った。
ありがとう。





サッカーのあとG.jpg秘密基地の上の桜も満開だった。

ユキ、大きくなったね。
春休みはあと2日、何して遊ぼうか。
サッカーのあとH.jpg

サッカーの皆さんと「さよなら」して、ようやく1時間後に帰宅した。
その時、私は叫んだ。
「あっ、買ってくるのを忘れた!」
「何を?!」
「長いも!!!」
 

posted by 優子 at 23:50| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2016年04月02日

神に導かれゆく家族

今日は久しぶりに予約していた大和高田にあるお気に入りのレストランで、手ごろなフランス料理をいただきながら家族で歓談した。1年ぶりなのに支配人が明確に私を覚えてくださっていて恐縮した。

ユキの3年生進級祝いを兼ねて、美濃紙業の第3次創業ともいうべき新たなる船出を祝す食事会である。食前の祈りをささげたあと、夫に所信表明をしてもらったが卒がないことを言うものの心打つものはなかった。(笑)

しかし、5〜6年ぶりに笑い声が起こる心安らぐ時。ずっと私たちのために祈ってくださっていた祈りの友や次女夫婦に感謝した。

神を信頼する者を神は決して見捨てず、これまでにもあらゆる方法で助けてくださった。誠実に務める社員さんたちと共に神の恩寵があらんことを!


IMG_7422.jpg

試練の止む間なく日々刻刻と難題の連発なれど、
常に信仰を持って努力を尽くす知子。
ワシントンの真智子とミッション中のクマのことを
常に覚えつつ過ごした。


IMG_7425.jpg

ユキの笑顔をこれからも消してはならない。
そしてユキに賜った才能を見出して
伸ばしてやることができますように!


どこでも綾取り.jpg

この冬からずっと今もユキは「どこでも綾取り」。
大阪城に行った時も帰りの電車の中でやっていた。
「六段梯子!」 

どこでも綾取り!.jpg

1年ぶりのランチA.jpg

神はいつも神を信じて従っていこうとする人を見つめて力を与えてくださっている。「あなたには十分に力がある。さあ、立ち上がりなさい」と起こそうとされ、支えてくださっている。
そのことを忘れないで健康を感謝して臆せずチャレンジしよう! 私たちは試練の中を通されている時に変えられていくのだから。


附記:今日は高田川畔の桜まつり(?)、これまでにも何度か見たことがあるが今年初めて見た高田の満開の桜だった。

桜並木.jpg

ここは「高田千本桜」と言い、市制施行の1948年に川の両岸南北2.5キロメートルにわたって植樹されたそうだ。

大和高田桜祭り.jpg

大和高田の桜@.jpg


今朝の光景:
キャッチボール@.jpg IMG_7381.jpg キャッチボールA.jpg
ユキとキャッチボールの相手をするおじいさん。
現在70歳7ヶ月!

このあとセーターを脱いで家族そろって散歩コースの桜を見に出かけた。(その様子はこの記事の前の記事)

チャッピーのいない家族の散歩 @.jpg

途中からユキは下着1枚になったね。

チャッピーのいない家族の散歩 A.jpg

チャッピーのことで涙したが、神の恵みを感じる幸いな一日だった。

posted by 優子 at 22:54| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

チャッピー、2016年の桜が咲いたよ

チャッピーのいない春なんて来ないほうがいいと思っていた。でもやっぱり桜が咲いているか見たくて、今朝は久しぶりに家族そろって散歩に出た。チャッピーと何十回も何百回も歩いた道を。

池に出た瞬間、突然視界が変わったので、みんな「うあー!」と叫び声をあげた。

春になったね.jpg

チャッピー、みんな元気にしてるよ。

チャッピーのいない春@.jpg

2016年の春.jpg

チャッピーのいない春A.jpg

E38381E383A3E38383E38394E383BCE381ABE9A696E9A3BEE3828A-83f33.jpg2015年3月31日、去年の春は一緒に来たのに、チャッピーがいないのはやっぱりたまらなく寂しい。

今日ホームセンターへ行った時、ペットの餌売り場に足が向いた。そのまま通り過ぎようとしたけれど、やっぱり後戻りしていつも買っていた袋を見に行ってしまった。
悲しかった。
たまらなく悲しくて、袋を見たら涙がこぼれそうになったので足早に立ち去った。


2009.4.12.jpgこれは2009年4月12日。チャッピーはまもなく10歳になる頃だったけれど、いつも元気だったね。
私はこの時もまだチャッピーの老いや死など想像することもできなかったなんて、何という愚者だったのだろう。

チャッピーを偲ぶ春@.jpgチャッピー、今年も桜が咲いたよ。
春になったよ、春姫号チャッピー。





チャッピーを偲ぶ春A.jpg

夫とユキより一足先に帰ろうとした時、途中で別れる時はいつも何度も立ち止まって振り返るチャッピーを思い出した。この時も本当にチャッピーがこの目で見えるようだった。

これからウォーキングしている人と知り合いになる時も、「いつも柴犬と歩いている方ですね」と言われることもないんだなと思うと寂しくてならない。
もう一度チャッピーと一緒に歩きたい。
柴犬はみんなよく似ているけれど、柴犬だったらいいわけではない。チャッピーと歩きたい。私はチャッピーと歩きたいの。 

ここに居たの、チャッピー.jpg
「チャッピー、ここに居たの」
チャッピーがいなくなってから、いつも玄関のカギをかけるようになったよ。
チャッピーのいない春。
寂しい春・・・



posted by 優子 at 21:02| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2016年04月01日

大阪水上バスで大阪観光と大阪城の桜見物 A

大阪城B.jpg

昨日は午前中に水上バスクルーズを楽しみ、昼食後再び大阪城内に入った。午前中よりもまた多く花開いたように思ったが、桜はまだ4〜5分咲きか。

by Yuki.jpgそれでもこの辺りでこんなに咲いている木もあった。
これはユキが撮ったもの。


大阪城A.jpg自然界のいのちが目覚め、
  万物復興のいのち甦る春。


私は聖書(ヨブ記14章7節)の一句が思い出された。
「木には望みがある。
たとい切られても、また芽を出し、
その若枝は絶えることがない」。

      
ところで、ソメイヨシノの寿命は50〜60年で徐々に花が少なくなっていくと言うが、弘前城の公園には樹齢130年の日本最古のソメイヨシノがある。

「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」というのはよく知られているが、桜は切り口から病気になりやすいので切ってはいけないという意味だと今まで知らなかった。

ところが、弘前公園では大胆な剪定をすることで古木が若返り、新しい枝を出して寿命を延ばしているというのだ。それはリンゴの産地ならではの津軽の風土が育んだ生活の知恵による。

リンゴは実を大きくするように剪定するが、そのリンゴの剪定に倣って古い枝を取り払う。すると桜は見る見る勢いよく若さを取り戻して寿命を延ばした。

普通は一つの房から3〜4つの花を出すのに、多いものは7つも花を咲かせるという。この話は実に多くの示唆を与える。

では昨日のユキとの大阪城公園の散策スナップを貼っておこう。

大阪城@.jpg

大阪城C.jpg昨年この梅林に来た時は少し早かった。そして、昨日の桜も少し早かった。

午後は汗ばむ陽気になり、特に欧米人は半袖姿だった。
大阪城D.jpg

大阪城E.jpg
築城に使われた石の見本はどれもこれも大きい。

犬は高所も平気.jpg犬は高所は平気なのだろうか。いや、この黒柴犬は慣れているのだろう。ササッと駆け上がり、てっぺんで腹ばいになってくつろいだ。
でも心配。飼い主さんはせめてリードを持ってよ!

この下はこんなに深い堀になっている。
絶壁.jpg

高所恐怖症の私は下半身が震え、ユキに何度も降りてくるように叫んだ。昨夜ベッドに入ってからも想像しただけでゾクッとし、今も気分が悪くなる。

大阪城G.jpg平日の昨日もたくさんの人で賑わい、そのうち半数は海外の人だったと思う。
写真を撮っていただこうと声をかけて外国の人だと知って驚いた。

この写真を撮り終わると、近くに居られた東南アジアの人たちが「シャッターを押してあげるから2人並んで!」という仕草をされた。
英語も通じないので私も無言でやり取りしたが容易に意思疎通した。最後に私はいつも以上に大きな声で「ありがとうございました!」とお辞儀した。

言語や文化が違っても、いや言葉を介さずとも善意や感謝は伝わるのだ! この日は日本人同士でも心の触れ合いを感じた出会いが5回も6回もあり、心癒される一日だった。

大阪城H.jpgお城の一番下を支える大きな石。
ユキの背丈よりも大きかった。

重機ひとつ無い時代に建築した人々。神さまが人間に与えられた能力に驚かずにはいられない。






大阪城I.jpg

大阪城J.jpg↑ この時ユキはかなりお疲れぎみ。
帰り道にあるので今回初めて豊國(ほうこく)神社の鳥居をくぐり、豊臣秀吉像と写真を撮って即刻退散した。

この日の目的の一つは「クリームソーダ」を飲むことになっていた。ユキはまだ飲んだことがないのである。
いずみホールの傍にレストランがあったのでそこへ行きたいのだが、方向音痴でわからない。

目の先に中央大通りが見えていたので、NHKや歴史博物館のカフェに行ったがクリームソーダはなかった。
「生駒山に向かって、この中央大通りをまっすぐ行くとおじいちゃんの会社があるよ」と言いながら、すぐ目の前の地下鉄・谷町4丁目駅に降り、とりあえず自販機で飲み物を買って上本町9丁目に向かった。

大阪城K.jpgデパートのレストランや地階にもクリームソーダはなく、お土産を買って外に出た。

そして6軒目、ついにデパートの入口近くにある小さな喫茶店にあった! 
ユキも私も上機嫌!

「こんなものが620円もしたよ」と知子に言うと、「それだったらまだ安いほう」と言われ、出不精で隠遁生活の私は物の相場もわからなくなっていた。

ということで、昨日は一緒にクリームソーダも飲んで楽しい春の一日を過ごした。今日はまた肌寒く雨が降っているので暖房が気持ちよい。

posted by 優子 at 18:00| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする