2016年05月31日

ワシントン行きD.C.行きは実現するか?!

5月18日の午後のことだった。「今日から27日までルーマニアとブルガリアへ行ってくる」と、突然親しい友から電話が入った。友は多忙な日々にあっても何度もご夫妻で海外旅行を重ねてこられた。そして27日夜に無事帰国された。

「私も行きたい! ワシントンへ行きたい!」
友の電話で背中を押されたように気持ちが大きく動いた。

1年ほど前から次女夫婦のマイルでビジネスクラスの往復チケットを2人分購入できるからと、ワシントン行きを誘ってくれており、いよいよ4月初めには返事を求められていたのに決心が付かなかった。

と言うのはパック旅行ではないのでD.C.の空港でのこと、特に帰りの空港内でのことが心配なのだ。連休明けから体力がなくて1〜2分で疲れてしまうので自信がない。

パスポートの有効期限はあと1年で切れる。この先は更新するつもりはなく海外に出るのはこれで最後と思っている。それでも決心がつきにくかった。ユキはテロを心配して「行ったらあかん!」と言った。

知子はユキと2013年6月にD.C.に行った時、この記事(←字の上をクリックしてください)にもあるように、入国する時は「ESTAによる認証、指紋や顔写真に加えて、たくさんの質問攻めにあってようやく解放された」と話していた。

日本に帰る時も非常にややこしいと言っていた。
ワシントンD.C.ダラス空港はミネソタと違って税関を通過したあとモノレールに乗るとのこと。しかもいくつもの乗り場に分かれているので降りる所を間違うと搭乗する飛行機に辿り着けないというのだ。

かなり英語の話せる知子がそういうのである。
2011年のミネソタ行きもすごく緊張したが、セントポール空港にはモノレールはなかった。それでも家を出る時の血圧は177に101だった。よく健康を守られたものだとしみじみ思う。

真智子は言う。
「空港は確かに迷路のようではあるけど、ミネソタでのママたちのサバイバル能力(←字の上をクリックしてください)があれば、時間に余裕を持てばいけるとは思うけどね」。

9_Baggage20Claim3.jpgああ懐かしい。あの時を思い出すと微笑んでしまう。
ミネアポリス・セントポール空港の待ち合わせ場所だったバッゲイジクライムにマチ・クマは居なくて「どうしよう」と思ったけれど、実に楽しかった。絶対に会えるという安心感があったから気持ちの余裕があった。

そして真智は17日のスカイプで次のように言った。
「例えばJR大阪駅から阪急電車の乗り場までの道順を説明するのは難しい。道というよりも多方面に行く道が入り混じっている広場を通って行くようなものだから、『そこまで行くと大体その前方に歩く歩道があるから』という程度の説明しかできない。
だから事前に聞いておかなくても、『阪急電車の乗り場はどう行けばいいですか?』と何度も聞くのがベストであり、『阪急電車』というキーワードだけでも通じるから、飛行機のチケットを見せて " I want to go here."と言えば何とかなるよ」。


「なるほど」と頷き、ライフラインを確保したような気持になった。しかもミネソタ行きの時と違って、出発前夜は睡眠導入剤を飲んで眠れば異常なほど血圧も上がらないだろうし・・・ああしかし、こんなことを書いているだけで脳内の血圧がブ〜〜〜ンと加わってくるような感じになる。

ワシントンD.C.-ダラス国際空港の施設案内を教えてくれていたが、臆病者で最初から諦めてしまう性格は未だ改善されず、そのサイトも今初めて開いた次第である。

ついに制限時間いっぱいになって20日の午前中に真智から電話があり、その電話で行くことに決めた。真智はすぐに電話でANAオフィスに電話してくれた。しかし、2ヶ月先の便なのに行きも帰りも既に7〜8名のキャンセル待ちだった。

滞在日数が2日短くなるが○○日ならばファーストクラスに乗せてくれるそうだが、それではニューヨーク行きがハードになる。5年前よりもかなり体力が低下しているから強行軍は無理だし、ビジネスで十分だから却下した。

そして、いろいろと調べてもらってキャンセル待ち1人の便に予約してくれた。6月中旬になっても席が空かないようならばキャンセルしてマチ・クマが帰国する方策にした。それ以上待っていては帰国するチケットも取れなくなってしまうからだ。

23日にかかりつけの内科に受診して半年に一度の血液検査をした。むくみがあるので腎臓と甲状腺も心配と検査項目が追加された。ワシントン行きのことも話した。結果が要注意の時は知らせていただくことになっているので、その心配はなかったようだ。

今となっては行きたい気持ちがの方が強いので「チケットが取れたよ!」というメールを待っているが、やっぱり不安や緊張感が交差する。

真智子夫婦は6月に結婚10周年を迎える。10周年を記念して7月にジャマイカへ行くそうだ。そう言えば、私たちは結婚40周年の年。
35年の時にミネソタへ行き、マチ・クマと一緒にサンフランシスコへ行った。マチ・クマの結婚5周年だった。今回の旅行が実現すれば私たちの40周年と次女夫婦の10周年の思い出になる。

私たちの予定に合わせて次女夫婦は休暇の3日間延長を申し出て許可されたそうだ。全ては神の御心のままに。

廊下にデスク.jpg
チャッピーがいた去年の5月最後の日。
今年も早明日から6月、まもなく梅雨に入る。

posted by 優子 at 21:40| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2016年05月29日

家の教会G −「種まきの譬え」より豊かな実を結ぶ生き方とは−

2016年5月29日 (第8回 家の教会)9:40〜10:24
@ 前奏
A 子どもの讃美歌 10番 「ことりたちは」
B 主の祈り
C 讃美歌   讃美歌512番 「わが魂の慕いまつる」
D 聖書輪読  ルカによる福音書8章4節〜15節
E お話とお祈り  (優子)そのあと一人ずつ祈る
F 讃美歌   234番A 「むかし主イェスの蒔きたまいし」
G 献金と感謝のお祈り  (幸悠くん)
H 頌栄    讃美歌21 29番 「天のみ民も」
I 後奏・黙祷

ルカによる福音書8章4節〜15節:
さて、大ぜいの群衆が集まり、その上、町々からの人たちがイエスのところに、ぞくぞくと押し寄せてきたので、一つの譬で話をされた、

「種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、ある種は道ばたに落ち、踏みつけられ、そして空の鳥に食べられてしまった。
ほかの種は岩の上に落ち、はえはしたが水気がないので枯れてしまった。ほかの種は、いばらの間に落ちたので、いばらも一緒に茂ってきて、それをふさいでしまった。

ところが、ほかの種は良い地に落ちたので、はえ育って百倍もの実を結んだ」。こう語られたのち、声をあげて「聞く耳のある者は聞くがよい」と言われた。

弟子たちは、この譬えはどういう意味でしょうか、とイエスに質問した。そこで言われた、

「あなたがたには、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの人たちには、見ても見えず、聞いても悟られないために、譬えで話すのである。この譬えはこういう意味である。種は神のことばである

道ばたに落ちたのは、聞いたのち、信じることも救われることもないように、悪魔によってその心から御言が奪い取られる人たちのことである。

岩の上に落ちたのは、御言を聞いた時には喜んで受けいれるが、根が無いので、しばらくは信じていても、試錬の時が来ると、信仰を捨てる人たちのことである。

いばらの中に落ちたのは、聞いてから日を過ごすうちに、生活の心づかいや富や快楽にふさがれて、実の熟するまでにならない人たちのことである。

良い地に落ちたのは、御言を聞いたのち、これを正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことである」。

2016菖蒲園F.jpg今日のお話はイエスさまが話された「種まきの譬え」から、豊かな実を結ぶ者になるためにはどのような心でみ言葉を聞けば良いのかを学びたいと思います。

日本の種まきは手で丁寧にまっすぐ蒔き、機械を使って蒔く時も畑の畝に沿ってまっすぐに蒔いていきますが、アメリカのように広大な畑では飛行機で種を蒔きます。

イエスさまの時代のイスラエルの種まきは、種を思いっきりつかんで大胆にばらまいていましたから、飛行機で蒔くと言うほどではないにしてもいろんなところに落ちました。道端や岩の上に落ちた種、また、茨の中や良い地に落ちた種の話をされました。

イエスさまはこのお話をしながら、「聞く耳のある者は聞きなさい。」と叫ばれました。イエスさまはこの譬え話を群衆に話すことで、何を群衆に伝えようとなさったのでしょうか。

イエスさまの弟子たちは、この譬え話の意味が分からなかったようで、この譬えがどんな意味かをイエスさまに尋ねました。イエスさまは弟子たちだけにこのたとえの意味を明らかにされました。

このたとえ話の「種」とは「神のことば」であると教えられました。では、自分の心はどうだろうかと思いながら話を聞いてくださいね。

道ばたにまかれた種は人に踏みつけられ、空の鳥がそれを食べてしまいました。それはどういうことでしょうか。道ばたとは人に踏みつけられて固くなっている土地です。

つまり、道ばたとは頑固で頑なな心を示しており、そのような心には神の言葉はその人の心に入りません。

また今までずっとやってきたことだからと、昔から言い伝えられている間違った考え(因習)や伝統だけに固まっている心にも神さまの言葉はなかなか入っていかないという意味です。

例えば、日本人はいろんなことに恐れを持っています。家の向きが悪いとか、家の間取りも気にします。この家を建てる時もそうでした。この方向は鬼門だからとか1999年時点でも言っていましたよ。

このほかにも日がらが悪い、手相、印相、名前に前世の因縁が悪いとかキリがないほどあり、まるで恐れに縛られて生きているようです。そういう心には神の真理は入ってはいかないのです。

次に岩の上にまかれた種ですが、岩の上は薄らと土があり少しは水分もあるので簡単に芽を出すでしょうけれど、根をはることができないのでしばらくすると枯れてしまいます。

岩の上は道ばたと違って人に踏みつけられたように習慣や伝統に踏み固められていませんから、神さまの話を聞いて感動するのですが一時的で持続しない人のことです。

茨というのは棘のある植物のことですが、茨の中に落ちた種はしばらくは成長しますが、周りにある茨も成長するので茨に囲まれて太陽の光があたらなくなり、風通しも悪くなってそれ以上成長できません。

その意味するところは、み言葉を聞いて信じるのですが、世の中のことが気になったり、この世の欲に支配されて神の言葉(種)を育てることができない人のことです。

では良い地に落ちた種とはどのような人でしょうか。良い地とは良く耕された土地です。太陽の光がよくあたり風通しがよくて、雑草もなく悪い虫もいない手入れされた土地です。

それは伝統や習慣に支配されず、神の言葉を聞いて信じることができる心のことです。

そのような人はイエスさまを信じて救われた時だけではなく、自分の足りなさや弱さを知り、常に成長したいという思いを持っていますから、いつもみ言葉を学んでイエスさまに従っていこうとします。

ですから世の中のあらゆる誘惑や試練に負けないで耐え忍び、多くの実が結ばれると言う意味であり、イエスさまは私たちにそのように生きてほしいと願っておられます。

先週は「ぶどうの木」の譬え話からイエスさまに繋がっていましょうということを学びましたね。私たちはイエスさまに繋がりつつ、毎日の食べ物と共に神さまのみことばも一緒にいただいて心の栄養にしましょう。

そのように生きる人は、例えば心を込めて一生懸命していてもうまくいかない時も、病気や災害など苦しい時も聖霊によって慰め励まされて希望をもって生きることができます。

平安と喜びがあっても状況は変わらず苦しいままですが、イエスさまが私たちといつも一緒に歩いてくださり、必ず最も良い時に最も良い道を示してくださいます。


教会のT・Kさんはいつも「先週犯した罪をおゆるしください」とお祈りされますが、本当にその通りです。このように祈るには謙虚にならないとできません。

私たちも今週もまた週の初めに家族みんなで神の前で頭(こうべ)を垂れ、感謝にあふれて礼拝を捧げました。そして、明日からのそれぞれの務めを果たしていこうと意欲的になっています。こんなに嬉しいことはありません。

それはこの所に主が共に居てくださって、主のわざを始められたからです。このことを感謝して今一度イエスさまのお言葉を心に刻み、何度も立ち上がっていきましょう!

「聞く耳のある者は聞くがよい。
良い地に落ちたのは、御言を聞いたのち、これを正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことである」。

礼拝のあと.jpg今朝も神さまの臨在を感じる礼拝の時だった。
拙いながらお話をさせていただいたあと祈り、そして一人ひとりが毎週、本当に深い祈りを捧げるのは驚きである。
先週は抑えきれずに恵みに溢れて2度目の祈りを重ねてしまったが、時間が長くならないように今週からは自粛するほど恵み豊かな時である。

ピース!!.jpg
今日の午後、馬見丘陵公園の菖蒲園を訪ねたがまだ少し早かったようだ。

帽子を忘れてきたとブツブツ.jpgこのシャッターを切る直前に、ここに来る前に立ち寄った店にユキが帽子を忘れてきたことに気が付いたが、私たちがユキの解決能力を養いたく何も言わなかったのでブツブツ独り言を言っている(笑)。

いつまでもウジウジしているので仕方なく「事情を言って帰りに寄ってほしいと頼まないと!」と促した。

おばあちゃんとユキ.jpgあとは一人でしっかり解決して、帽子をかぶって店から出てきたので拍手で迎えた。


ユキよ、おじいちゃんとの日々を心に刻め!.jpg

IMG_8414.jpg  IMG_8411.jpg

おじいちゃんとユキ@.jpg
ユキよ、幼き日のおじいちゃんとの時を心に刻め!
ユキ 8歳10ヶ月、良輔 70歳8ヶ月。感謝!


posted by 優子 at 17:12| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2016年05月27日

ヒロシマでのオバマ大統領 ―神の臨在を感じた黙祷と物足りない演説と坪井さんのこと―

オバマ大統領の歴史的一歩@.jpgオバマ大統領が平和公園に足を踏み入れた時、あの日の地獄映像と現代の映像が交互に入れ替わって見えた。
ヒロシマ.jpg


71年目にしてようやく実現した米国の現職大統領の広島訪問は、たった50分間の滞在で、資料館には記帳の時間も含めて10分間だった。それでも大きな一歩だった。初めて人類が月面で歩いた一歩よりも大きな一歩である。

オバマ大統領の歴史的一歩C.jpg慰霊碑に献花し、哀悼の姿勢をとった。

オバマ大統領の歴史的一歩D.jpg





この表情のあとしばらくして黙祷された。
この黙祷が最も私の心を打った。核兵器を使った人間のあまりの罪深さに圧倒されて頭を垂れたのだと思う。黙祷へと促され、神ご自身がオバマさんに触れられたように感じた。

オバマ大統領の歴史的一歩E.jpg彼はクリスチャンだから日本人のように死んだ人に祈るのではなく、犠牲になった方々のことを思いながらご遺族に神の慰めを祈るも、あまりの出来事の前に言葉にはならなかったと思う。

しかし、原爆を投下した米国の大統領、世界のトップリーダーとして核廃絶への導きを神に祈らずにはおられず、核廃絶に向けて自分にできることをさせてくださいと一言祈られたのではないか。


そして、演説。

オバマ大統領の歴史的一歩F.jpg
※全文は最後に掲載。
「私たちには共有の責任があります。私たちは、歴史を真っ向から見据えなけれなりません。そして、尋ねるのです。我々は、一体これから何を変えなければならないのか。そのような苦しみを繰り返さないためにはどうしたらいいのかを自問しなくてはなりません。・・・

しかし我が国を含む核保有国は、(他国から攻撃を受けるから核を持たなければいけないという)「恐怖の論理」から逃れる勇気を持つべきです。

私たち人類は、過去で過ちを犯しましたが、その過去から学ぶことができます。選択をすることができます。この未来こそ、私たちが選択する未来です。

この未来こそ、核戦争の夜明けではないということを、そして私たちの道義的な目覚めであることを、広島と長崎が教えてくれたのです」。


オバマ大統領の歴史的一歩B.jpg私は日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表の坪井直(すなお)さん(91歳)も注目していた。坪井さんは20歳で爆心地から約1.2キロの所で被爆。顔や両腕に大やけどを負い40日間意識不明だった。坪井さんは全身を耳にして聴いておられた。

そして命の限りにオバマさんに伝えた。
たった1分間ほどの瞬間に、原爆を投下した米国の現大統領、超大国のトップリーダーに、20万人以上亡くなった人々の思いを背負って、世界の為に、後世の人々の為に渾身の祈りを伝えた。


オバマ大統領の歴史的一歩H.jpg

「あの事件は既に歴史の一コマであり不幸な一コマであった。アメリカではなく、人類の過ちであった。未来に向かって頑張りましょう。これからが大事なんですよ。時々広島にやって来て、見たり聞いたりするのを重ねてください。
あなたはノーベル平和賞を取ったのだから、遊んどったらダメですよ。未来志向で、駆け引きのない世界を作り上げましょう」。


IMG_8371.jpgこのあと「オバマ大統領が笑ったのはどんなことを言った時ですか」とインタビューされた時、坪井さんはこう答えられた。


坪井直さん.jpg「あなたはノーベル平和賞を取ったのだから、遊んどったらダメですよと言った時にオバマさんが笑った」と。
あの地獄と地獄の苦しみを生き抜いて来られた坪井さんだけに、言葉では尽くせぬいろんな思いがあるだろうに、人間の実相に焦点を合わせて被爆者が「人類の過ち」と普遍化されたことに敬服した。神さまがこの方の言動を祝福して用いてくださるように祈ります。

もう一人、元米兵捕虜の研究や追悼を続けてきた森重昭さんは、「舞い上がっちゃって(何を話したか)覚えてない」と感激しておられた。

この方々の穏やかな心情と短い言葉に込めた坪井さんのメッセージがオバマ氏の心深くに届き、米国の人々にも届きますように!

オバマ大統領の歴史的一歩I.jpg
原爆ドームを前に。
広島出身の岸田文雄外相(右)より説明を受ける。

一緒にやるべきことが.jpg「これから晋三と一緒にやるべきことがたくさんある。今日はあくまでもスタートだ」。

私は午後4時からテレビに釘付けで、オバマ大統領がヒロシマの地を踏んだ瞬間から緊張が頂点に達した。演説内容をメモしながら(ネット上に出るから必要なかったのに!)、43枚も写真を撮りながらという愚かなことをしたからだろうか、演説は物足りなく心に響かず、いつしかメモを取ることもやめていた。

しかし、ある被爆者は言われた、「やっと決着した気がする」と。また別の人は、「こんなに愛情ある言葉を言える人はいません」と喜んでおられた。

どうかこのことが単なるセレモニーで終わることがないように!
オバマ大統領は核兵器のない平和を世界に発信した。ようやく新しいページがめくられたのである。坪井さんが言われたように、これからが大事である。私ももう一度ゆっくり広島を訪ねたい。


オバマ大統領演説全文:

71年前、とてもよく晴れた朝、空から死が降ってきて世界は変わりました。閃光が広がり、火の玉がこの町を破壊しました。これは、人類が自分自身を破壊する手段を手に入れたということを意味します。

なぜ私たちはここ、広島に来たのでしょうか。私たちは、恐ろしい力が、それほど遠くない過去に解き放たれたことを深く考えるため、ここにやって来ました。また死者を悼み、戦争を悼み、10万人を超える日本国民の方々と、そして何千人もの朝鮮の人々、アメリカ人の捕虜も命を落としました。

その魂が、私たちに語りかけています。もっと内側を見て、私たちが一体何者なのかを振り返るように。そして、どのように今なろうとしているのか語りかけています。

戦争において、広島だけが特別なのではありません。暴力的な紛争は古くから行われています。石や槍などが扱われました。これはただ狩りをするためだけではなく、人類を殺すためも使われてきました。どの大陸においても、どの歴史においても、あらゆる文明は戦争の歴史に満ちています。

富をもとめ、また民族主義や宗教的な理由からも悲惨な戦争が起こってきました。帝国が台頭し、また衰退しました。人々が奴隷になり、また解放の道もたどってきました。それぞれの歴史の転換点において、罪のない多くの人たちが犠牲になりました。その犠牲となった人たちの名前は、時が経つと忘れられました。それが人類の歴史であります。

第二次世界大戦は、広島と長崎で、とても残虐な終わりを迎えました。これまで人類の文明は、素晴らしい芸術を生み出してきました。そして偉大な思想や、正義、調和、真実の考えを生み出してきました。しかし、同じところから戦争も出てきました。征服をしたいという思いも出てきました。古いパターンが、新しい能力によってさらに増幅されました。そこには制約が働きませんでした。

ほんの数年の間に6000万もの人たちが亡くなりました。男性、女性、子供達。私たちと全く変わらない人たちです。撃たれ、殴られ、あるいは行進させられ、飢えさせられ、拘束され、またはガス室に送られて亡くなりました。

世界中には、この戦争の歴史を刻む場所が沢山あります。慰霊碑が、英雄的な行いなども含めて、色々なことを示しています。空っぽな収容所などが、そういうことを物語っています。

しかし、空に上がったキノコ雲の中で、私たちは人類の非常に大きな矛盾を強く突きつけられます。私たちの考え、想像、言語、道具の製作、私たちが自然とは違うということを示す能力、そういったものが大きな破壊の力を生み出しました。

いかにして物質的な進歩が、こういったことから目をくらませるのでしょうか。どれだけ容易く私たちの暴力を、より高邁な理由のために正当化してきたでしょうか。

私たちの偉大な宗教は、愛や慈しみを説いています。しかし、それが決して人を殺す理由になってはいけません。国が台頭し、色々な犠牲が生まれます。様々な偉業が行われましたが、そういったことが人類を抑圧する理由に使われてきました。

科学によって私たちはいろいろなコミュニケーションをとります。空を飛び、病気を治し、科学によって宇宙を理解しようとします。そのような科学が、効率的な殺人の道具となってしまうこともあります。

現代の社会は、私たちに真理を教えています。広島は私たちにこの真理を伝えています。技術の進歩が、人類の制度と一緒に発展しなければならないということを。科学的な革命によって色々な文明が生まれ、そして消えてゆきました。だからこそいま、私たちはここに立っているのです。

私たちは今、この広島の真ん中に立ち、原爆が落とされた時に思いを馳せています。子供たちの苦しみを思い起こします。子供たちが目にしたこと、そして声なき叫び声に耳を傾けます。私たちたちは罪のない人々が、むごい戦争によって殺されたことを記憶します。これまでの戦争、そしてこれからの戦争の犠牲者に思いを馳せます。

言葉だけで、そのような苦しみに声を与えるものではありません。しかし私たちには共有の責任があります。私たちは、歴史を真っ向から見据えなけれなりません。そして、尋ねるのです。我々は、一体これから何を変えなければならないのか。そのような苦しみを繰り返さないためにはどうしたらいいのかを自問しなくてはなりません。

いつの日か、被爆者の声も消えていくことになるでしょう。しかし「1945年8月6日の苦しみ」というものは、決して消えるものではありません。その記憶に拠って、私たちは慢心と戦わなければなりません。私たちの道徳的な想像力をかきたてるものとなるでしょう。そして、私たちに変化を促すものとなります。

あの運命の日以来、私たちは希望を与える選択をしてきました。

アメリカ合衆国そして日本は、同盟を作っただけではなく友情も育んできました。欧州では連合(EU)ができました。国々は、商業や民主主義で結ばれています。

国、または国民が解放を求めています。そして戦争を避けるための様々な制度や条約もできました。

制約をかけ、交代させ、ひいては核兵器を廃絶へと導くためのものであります。それにもかかわらず、世界中で目にする国家間の攻撃的な行動、テロ、腐敗、残虐行為、抑圧は、「私たちのやることに終わりはないのだ」ということを示しています。

私たちは、人類が悪事をおこなう能力を廃絶することはできないかもしれません。私たちは、自分自身を守るための道具を持たなければならないからです。しかし我が国を含む核保有国は、(他国から攻撃を受けるから核を持たなければいけないという)「恐怖の論理」から逃れる勇気を持つべきです。

私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。しかし、その可能性を追い求めていきたいと思います。このような破壊をもたらすような核兵器の保有を減らし、この「死の道具」が狂信的な者たちに渡らないようにしなくてはなりません。 

それだけでは十分ではありません。世界では、原始的な道具であっても、非常に大きな破壊をもたらすことがあります。私たちの心を変えなくてはなりません。戦争に対する考え方を変える必要があります。紛争を外交的手段で解決することが必要です。紛争を終わらせる努力をしなければなりません。

平和的な協力をしていくことが重要です。暴力的な競争をするべきではありません。私たちは、築きあげていかなければなりません。破壊をしてはならないのです。なによりも、私たちは互いのつながりを再び認識する必要があります。同じ人類の一員としての繋がりを再び確認する必要があります。つながりこそが人類を独自のものにしています。

私たち人類は、過去で過ちを犯しましたが、その過去から学ぶことができます。選択をすることができます。子供達に対して、別の道もあるのだと語ることができます。

人類の共通性、戦争が起こらない世界、残虐性を容易く受け入れない世界を作っていくことができます。物語は、被爆者の方たちが語ってくださっています。原爆を落としたパイロットに会った女性がいました。殺されたそのアメリカ人の家族に会った人たちもいました。アメリカの犠牲も、日本の犠牲も、同じ意味を持っています

アメリカという国の物語は、簡単な言葉で始まります。すべての人類は創造主の前に平等である。そして、生まれもった権利がある。生命の自由、幸福を希求する権利です。しかし、それを現実のものとするのはアメリカ国内であっても、アメリカ人であっても決して簡単ではありません。

しかしその物語は、真実であるということが非常に重要です。努力を怠ってはならない理想であり、すべての国に必要なものです。すべての人がやっていくべきことです。すべての人命は、かけがえのないものです。私たちは「一つの家族の一部である」という考え方です。これこそが、私たちが伝えていかなくてはならない物語です。

だからこそ私たちは、広島に来たのです。そして、私たちが愛している人たちのことを考えます。たとえば、朝起きてすぐの子供達の笑顔、愛する人とのキッチンテーブルを挟んだ優しい触れ合い、両親からの優しい抱擁、そういった素晴らしい瞬間が71年前のこの場所にもあったのだということを考えることができます。

亡くなった方々は、私たちとの全く変わらない人たちです。多くの人々がそういったことが理解できると思います。もはやこれ以上、私たちは戦争は望んでいません。科学をもっと、人生を充実させることに使ってほしいと考えています。

国家や国家のリーダーが選択をするとき、また反省するとき、そのための知恵が広島から得られるでしょう。

世界はこの広島によって一変しました。しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。なんと貴重なことでしょうか。この生活は、守る価値があります。それを全ての子供達に広げていく必要があります。

この未来こそ、私たちが選択する未来です。この未来こそ、核戦争の夜明けではないということを、そして私たちの道義的な目覚めであることを、広島と長崎が教えてくれたのです。
【2016.5.28 1:07記録】

5月28日午後追記:今思うと、記念資料館に居た時間が10分間だったというのもまた本国への配慮ではないか。これが限界の71年目の現状であったが、それでも大いなる一歩であった。
私たちもまた客観性を欠くことなく思いを深めていかねばならない。

posted by 優子 at 23:59| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年05月25日

世界終末時計3分前 米現職大統領ヒロシマへ

あれから71年を経てアメリカの現職大統領が初めて広島の地を踏もうとしている。オバマ大統領が広島への歴史的訪問を果たそうとしているのである。そこでオバマ大統領は何を語るのか。

戦争と平和について考えるとき、全くの無抵抗で武力の行使なしに正義を保持することはできないと思う。しかし、戦争に加担してしまうと人間は考えられぬ残虐なこともやってしまうのである。それはどの国の人間も同じであり、これが人間の実相なのだ。

オバマ大統領は政治的に個人的見解を述べることはできなくとも、願わくは原爆資料館にて魂にふれて人間・バラク・オバマが発露されることを願う。そして、オバマ大統領の一歩が世界の非核化への大きな一歩となることを切に祈るばかりである。

1945年8月6日、あのときキノコ雲の下で何が起きていたか。爆心地から遠く離れた一帯まで墓と化した。焼けた遺骨は拾いきれず盛り土を入れただけであったから。
(広島のボランティアガイドさんの話は過去ログに収録)

被爆から8年後に36歳で没した峠三吉さんは、今も原爆を投下したアメリカに、そして世界の人々に叫び続けている。
     序
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ

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ああお母さん
としとったお母さん
このまま逝ってはいけない
焼跡をさがし歩いた疲れからか
のこった毒気にあてられたのか
だるがって
やがて寝ついて
いまはじぶんの呟くことばも
はっきり分らぬお母さん

かなしみならぬあなたの悲しみ
うらみともないあなたの恨みは
あの戦争でみよりをなくした
みんなの人の思いとつながり
二度とこんな目を
人の世におこさせぬちからとなるんだ

その呟き
その涙のあとを
ひからびた肋(あばら)にだけつづりながら
このまま逝ってしまってはいけない
いってしまっては
いけない


     八月六日
あの閃光が忘れえようか
瞬時に街頭の三万は消え
圧(お)しつぶされた暗闇の底で
五万の悲鳴は絶え

渦巻くきいろい煙がうすれると
ビルディングは裂さけ、橋は崩(くず)れ
満員電車はそのまま焦(こ)げ
涯(はて)しない瓦礫と燃えさしの堆積であった広島
やがてボロ切れのような皮膚を垂れた
両手を胸に
くずれた脳漿(のうしょう)を踏み
焼け焦げた布を腰にまとって
泣きながら群れ歩いた裸体の行列

石地蔵のように散乱した練兵場の屍体
つながれた筏(いかだ)へ這いより折り重った河岸の群も
灼けつく日ざしの下でしだいに屍体とかわり
夕空をつく火光(かこう)の中に
下敷きのまま生きていた母や弟の町のあたりも
焼けうつり

兵器廠(へいきしょう)の床の糞尿のうえに
のがれ横たわった女学生らの
太鼓腹の、片眼つぶれの、半身あかむけの、丸坊主の
誰がたれとも分らぬ一群の上に朝日がさせば
すでに動くものもなく
異臭のよどんだなかで
金(かな)ダライにとぶ蠅の羽音だけ

三十万の全市をしめた
あの静寂が忘れえようか
そのしずけさの中で
帰らなかった妻や子のしろい眼窩(がんか)が
俺たちの心魂をたち割って
込めたねがいを
忘れえようか!


     炎
衝(つ)き当った天蓋(てんがい)の
まくれ拡がった死被(しひ)の
垂れこめた雲の
薄闇の地上から
煙をはねのけ
歯がみし
おどりあがり
合体して
黒い あかい 蒼い炎は
煌(きらめ)く火の粉を吹き散らしながら
いまや全市のうえに
立ちあがった。

藻(も)のように ゆれゆれ
つきすすむ炎の群列。
屠殺場へ曳かれていた牛の群は
河岸をなだれ墜(お)ち
灰いろの鳩が一羽
羽根をちぢめて橋のうえにころがる。
ぴょこ ぴょこ
噴煙のしたから這い出て
火にのまれゆくのは
四足の
無数の人間。
噴き崩れた余燼(よじん)のかさなりに
髪をかきむしったまま
硬直した
呪いが燻(くす)ぶる

濃縮され
爆発した時間のあと
灼熱の憎悪だけが
ばくばくと拡がって。
空間に堆積する
無韻の沈黙

太陽をおしのけた
ウラニューム熱線は
処女の背肉に
羅衣(うすぎぬ)の花模様を焼きつけ
司祭の黒衣を
瞬間 燃えあがらせ
1945, Aug. 6
まひるの中の真夜
人間が神に加えた
たしかな火刑。
この一夜
ひろしまの火光は
人類の寝床に映り
歴史はやがて
すべての神に似るものを
待ち伏せる


     仮繃帯所にて
あなたたち
泣いても涙のでどころのない
わめいても言葉になる唇のない
もがこうにもつかむ手指の皮膚のない
あなたたち

血とあぶら汗と淋巴液(リンパえき)とにまみれた四肢をばたつかせ
糸のように塞だ眼をしろく光らせ
あおぶくれた腹にわずかに下着のゴム紐だけをとどめ
恥しいところさえはじることをできなくさせられたあなたたちが
ああみんなさきほどまでは愛らしい
女学生だったことを
たれがほんとうと思えよう

焼け爛(ただ)れたヒロシマの
うす暗くゆらめく焔のなかから
あなたでなくなったあなたたちが
つぎつぎととび出し這い出し
この草地にたどりついて
ちりちりのラカン頭を苦悶の埃(ほこり)に埋める

何故こんな目に遭あわねばならぬのか
なぜこんなめにあわねばならぬのか
何の為に
なんのために
そしてあなたたちは
すでに自分がどんなすがたで
にんげんから遠いものにされはてて
しまっているかを知らない

ただ思っている
あなたたちはおもっている
今朝がたまでの父を母を弟を妹を
(いま逢ったってたれがあなたとしりえよう)
そして眠り起きごはんをたべた家のことを
(一瞬に垣根の花はちぎれいまは灰の跡さえわからない)

おもっているおもっている
つぎつぎと動かなくなる同類のあいだにはさまって
おもっている
かつて娘だった
にんげんのむすめだった日を



     その日はいつか
     5
ああそれは偶然ではない、天災ではない
人類最初の原爆は
緻密な計画とあくない野望の意志によって
東洋の列島、日本民族の上に
閃光一閃投下され
のたうち消えた四十万の犠牲者の一人として
君は殺された

殺された君のからだを
抱き起そうとするものはない
焼けぬけたもんぺの羞恥を蔽(おお)ってやるものもない
そこについた苦悶のしるしを拭ってやるものは勿論ない
つつましい生活の中の闘いに

せい一ぱい努めながら
つねに気弱な微笑ばかりに生きて来て
次第にふくれる優しい思いを胸におさえた
いちばん恥じらいやすい年頃の君の
やわらかい尻が天日(てんじつ)にさらされ
ひからびた便のよごれを
ときおり通る屍体さがしの人影が
呆(ほう)けた表情で見てゆくだけ、

それは残酷
それは苦悩
それは悲痛
いいえそれより
この屈辱をどうしよう!
すでに君は羞恥を感ずることもないが
見たものの眼に灼きついて時と共に鮮やかに
心に沁みる屈辱、
それはもう君をはなれて
日本人ぜんたいに刻みこまれた屈辱だ!
  
     6
われわれはこの屈辱に耐えねばならぬ、
いついつまでも耐えねばならぬ、
ジープに轢(ひ)かれた子供の上に吹雪がかかる夕べも耐え
外国製の鉄甲(てつかぶと)とピストルに
日本の青春の血潮が噴きあがる五月にも耐え
自由が鎖につながれ
この国が無期限にれい属の繩目をうける日にも耐え

しかし君よ、耐えきれなくなる日が来たらどうしよう
たとえ君が小鳥のようにひろげた手で
死のかなたからなだめようとしても
恥じらいやすいその胸でいかに優しくおさえようとしても
われわれの心に灼きついた君の屍体の屈辱が
地熱のように積み重なり
野望にみちたみにくい意志の威嚇(いかく)により
また戦争へ追いこまれようとする民衆の
その母その子その妹のもう耐えきれぬ力が
平和をのぞむ民族の怒りとなって
爆発する日が来る。

その日こそ
君の体は恥なく蔽われ
この屈辱は国民の涙で洗われ
地上に溜った原爆の呪いは
はじめてうすれてゆくだろうに
ああその日
その日はいつか。

     あとがきより
今はすべての人が広島で二十万ほどの人間が一発の原子爆弾によって殺されたことを知っている。長崎でもそうだ。然しそれは概括的な事実のみであってその出来事が大きければ大きいだけに、直面すれば何人でも慟哭してもしきれぬであろうこの実感を受けとることは出来ない。

当時その渦中にあった私たちでさえこの惨事の全貌を体で知ることは出来なかったし、今ではともすれば回想のかたちでしか思いえぬ時間の距りと社会的環境の変転をもった。
 
だがこの回想は嘆きと諦めの色彩を帯びながらも、浮動してゆく生活のあけくれ、残された者たちの肩につみ重ねられてゆく重荷の中で常に新しい涙を加え、血のしたたりを増してゆく性質をもち、また原爆の極度に残虐な経験による恐怖と、それによって全く改変された戦争の意味するものに対する不安と洞察によって、涸れた涙が、凝りついた血が、ごつごつと肌の裏側につき当るような特殊な底深さをもつものとなっている。
     (略)
尚つけ加えておきたいことは、私が唯このように平和へのねがいを詩にうたっているというだけの事で、いかに人間としての基本的な自由をまで奪われねばならぬ如く時代が逆行しつつあるかということである。

私はこのような文学活動によって生活の機会を殆んど無くされている事は勿論、有形無形の圧迫を絶えず加えられており、それはますます増大しつつある状態である。

この事は日本の政治的現状が、いかに人民の意思を無視して再び戦争へと曳きずられつつあるかということの何よりの証明にほかならない。

又私はいっておきたい。こうした私に対する圧迫を推進しつつある人々は全く人間そのものに敵対する行動をとっているものだということを。
 
この詩集はすべての人間を愛する人たちへの贈り物であると共に、そうした人々への警告の書でもある。
  一九五二年五月一〇日
                    峠 三吉

◆「 500レントゲンのように大量の放射線を受けると人間は一、二週間で死ぬ。防ぐ手段はない。20メガトン級の核兵器爆発は約2万平方`にわたって致死量以上の放射線を浴びるから、もし20メガトン級核兵器4000発が世界にばらまかれると、全人類が危機に陥るだろう」。
 (1957年、広島市を訪れたインドのネール首相の言葉)

明日への伝言

ヒロシマを
多くの人が見て、
「言葉」を残した
ああ、ひどいと言い
人ごとではないと感じ
死者と生き残った者に
語りかけ
世界の為政者に
後の代に続く人々に
呼びかけた
それは日一日と
切実さを増す
平和のための「伝言」

2015年1月時点でアメリカは7260発、ロシアは7500発の核兵器を保有しており、今「世界終末時計」は3分前を指している。
オバマ大統領の言動を注視したい。


posted by 優子 at 18:44| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年05月23日

伊勢志摩サミット・メディア関係者に82歳の通訳ボランティア −密着取材のニュース動画発見!−

いよいよ明後日26日から始まる「G7サミット・主要7カ国の首脳会議・伊勢志摩サミット」で、5000人以上のメディア関係者に道案内などをするのが外国語ボランティアである。

そのお一人、82歳の最高齢でご奉仕される川上先生は今頃超多忙な日々を過ごしておられることだろう。お邪魔虫になってはといけないと自粛していたが、ついに我慢できなくて昨夕メールを発信させていただいた。

お返事は期待していなかったが、やはり私は待っていた。すると今夜遅くにお返事が届いた!!!

「激励をありがとう。サミットもいよいよ本番。ぼくは地元の鵜方駅前の観光センターでお役を務めます」と書いてくださっていた。

これまでに、中日、読売、朝日、日経などの新聞社各社、また、東海テレビやNHK(津)は密着取材や生放送のインタビューなど、多くのメディアの取材を受けておられるが、関西ではそれらを見ることができなくてすっかり諦めていた。しかし先ほど検索してみたところ、報道されたニュース動画を見つけた!!!

伊勢志摩サミット開催に伴い、5月21日(土)から28日(土)までの8日間は鵜方駅〜賢島駅間の運転が休止されてもいた。

ニュース記事は既に削除されているのもあり、ニュースの内容を文字でも書いてあったので、それもここに貼っておきたい。動画が消えてしまった時のために。
 
では、このFNNニュースをクリックしてください! 2016/05/06 フジテレビ 【FNNスピーク】です。

※ 動画の中でインディアンの格好をされていましたが、是非その関連記事「ナバホ通信員との和解と『私の戦後の決着』」をお読みください! 


【以下は文字版】

5月26日から、G7サミット(主要7カ国)の首脳会議、伊勢志摩サミットが行われます。この際、5,000人以上といわれるメディア関係者に、道案内などをするのが、外国語ボランティアです。三重県が公募したガイド役に、最高齢で挑戦する男性を取材しました。

仲間とパークゴルフを楽しむのは、サミットが開かれる三重・志摩市に住む、川上 与志夫さん。
年齢は、82歳。仲間とパークゴルフを楽しむ、この男性。サミットが開かれる三重県志摩市に住む川上与志夫さん。年齢は82歳です。実は今回、伊勢志摩サミットの外国語ボランティアに選ばれました。採用された300人中、最高齢です。

「地元でやるのに、ただ傍観してるだけじゃ申し訳ないな、あっ、じゃあもう、僕の生涯の最後のご奉仕になるかもしれないなと思って」。

皆さんはただの通訳ボランティアではございません。三重の代表です。世界からやって来る外国人報道関係者は5000人以上。 通訳ボランティアは、道案内や観光のガイド役を務めます。

英検2級程度、TOEICなら600点程度と、日常会話レベルが求められるということで、選ばれた人たちを見てみると。
「英語の教師です」。
「ニュージーランドのほうに行ってて、帰国子女なんです」。
海外育ちから英語教師まで、ハイレベルぞろい。

しかし、川上さんも負けていません。実は、英語のスペシャリストなんです。東京生まれで、ICU・国際基督教大学に進学。アメリカ留学を経て、帰国後は大阪の大学などで英語を教えました。

自宅があるのはサミット会場から車でおよそ15分の場所。伊勢志摩の豊かな自然に魅せられ、38年前に移り住みました。流ちょうな英語で会話する川上さん。

どうやら誰かが訪ねてくるようです。
「はい、来た?」
陽気にかぶり物をして出迎えたのは。
ティータイムに訪ねてきたのは、ジェイ・ハーディーさん。地元の中学校で英会話の先生をしているアメリカ人の友達です。

国籍にかかわらず、多くの友人を持つ、川上さんにとって、サミットは絶好の舞台です。 海と山があって、いっぺんに気に入って、ここにしようと。川上さんが世界に伝えたいのは、大好きな伊勢志摩の自然と人の温かさ。

「なんか、意欲的に挑戦してやるっていうことじゃないかしら。今回の通訳もそうでしょう」。
ありがとうございました。
ボランティアが活動を始めるのは、サミットの6日前から。心からのおもてなし、世界にきっと届くはずです。

昨日も東海テレビ(フジテレビ系)がご自宅に取材に来られ、明日は鵜方の現地でも他社の取材があるそうだ。
私でさえこんなにボルテージが上がっているのだから、先生のお子たちやお孫さんたちはどんなに興奮されていることだろう。

そもそもは最高齢の通訳者ということでスポットライトが当てられたのであろうが、川上先生の生き方、人柄が人を引きつるのだろう。
神さまが先生の健康が守ってくださり、楽しみつつ素晴らしいお働きをなさってくださいますようにお祈りしています。
先生、ステキ!!!!


posted by 優子 at 23:20| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2016年05月22日

家の教会F −「わたし(イエス・キリスト)につながっていなさい」−

ヨハネによる福音書15章1節〜5節:
5月下旬のぶどうの木.jpg「わたし(イエス・キリスト)はまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。

あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。

わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである」。


2016年5月22日 (第7回 家の教会)
@ 前奏
A 子どもの讃美歌  74番「神のお子のイェスさま」
B 主の祈り
C 讃美歌      294番「み恵みゆたけき」
D 聖書輪読     ヨハネによる福音書15章1節〜5節
E お話とお祈り   (優子)そのあと一人ずつ祈る
F 讃美歌         285番「主よみてもて」
G 献金と感謝のお祈り  (幸悠くん)
H 頌栄      讃美歌21 29番「天のみ民も」
I 後奏・黙祷

5月の巨峰@.jpg

昨日の朝、ユキはサッカー教室だったから一緒に買い物に行けなかったけれど、毎年葡萄(巨峰)を買いに行くブドウ畑を見てきました。緑色の実が美しかったです。

この葡萄の木、冬は枯れてしまったように見えるのに、春になると新しい芽が出てきて今はこんなに美しい実をつけていました。今日のお話は、この葡萄の木に譬えてイエスさまがお話された有名な話です。
 
先ほど一緒に読んだ15章1節には、イエスさまが「まことのぶどうの木」で、「わたしの父、神さまは農夫です」と言っておられます。農夫とは野菜や果物を育てて、それらを売ってお金を得る仕事をしている人です。

この「まことの」という言葉にも意味があるのでしょうね。詳しくは調べませんでしたが、私は現代的意味が脳裏に浮かびましたが、それは別の機会に話すことになるでしょう。

ぶどうの枝はつるになって伸びていくので、例えば枝と枝が絡まっているところは元気な芽を付けている枝を残して、あとの枝を切り落とします。それを「剪定」と言い、そのことで枝はのびのびと成長し大きな実をつけるのです。

でも枝を切り落とされるのは痛そうですね。驚いたことに、ぶどうの剪定は木が冬眠している冬にするそうです。木が眠っているとあまり痛みを感じないからだそうですよ。

木が感じる痛みは私たちや動物が感じるような痛みではないと思いますが、勢いよく伸びている時に切ると木に負担がかかるのでしょうね。この写真では葉や実がつきすぎないように剪定されたあとがよくわかります。

剪定あとがわかる.jpg

イエスさまは、「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です」。そして、私たちがイエスさまに繋がっているなら、「そういう人は多くの実を結ぶ」と仰っています。「実を結ぶ」というのは神さまの平安があり、弱い心や辛いことに打ち勝たせてくださるということです。

私たちは素直な心や感謝の心を忘れないで生きていきたいと思っていても、何と忘れやすく傲慢になりやすいことでしょう。そんな私たちの傲慢で頑固な心を砕くために、神さまは私たちをぶどうの枝のように手入れなさいます。

あるいはまたこういうことも経験します。心を込めて一生懸命やっているのにうまくいかなかったり、ひどいことをする人に苦しめられる時もあるでしょう。

しかし、イエスさまと繋がっているならば、どんな時も神さまの平安があり耐えさせてくださって、最後には必ず「良かった」と思えるように導いてくださいます。そして、その歩みを通して自分にひどいことをした人を愛する人に変えてくださるのです。そういうことを「実を結ぶ」と言います。

5月の巨峰A.jpgぶどう畑の青い実は秋になると甘いぶどうになります。青い実は自分でおいしい葡萄になろうと頑張っているのではありません。ただぶら下がっているだけです。

それと同じように、私たちもぶどうの木であるイエスさまに繋がっている(とどまる)ことは決して難しいことではありません。難行苦行をしないと実を結ばないのではないのです。


ただまことの神である主イエスに留まり繋がっていればよいのです。イエスさまを信じて祈り、毎日聖書を読んで、みことばを深く味わいながら生きる。それがイエスさまに繋がるということであり、その歩みを続けていけば、必ず実を結ばせてくださると約束されているのです。こんなに嬉しいことはありません。

3節には「あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている」とあります。ただ聞くのではない。信じるということが大切です。私たちはイエスさまのお言葉を聴いて信じたから聖くされるのです。

私たちはこれからも高慢になったり失敗もするでしょうが、イエスさまの言葉を聴いて信じたから「既に聖くされている」と宣言してくださったのです。このことを感謝して受け取りましょう。「恵みは厚かましくいただけばいい」と、ことあるごとに言ってくださったおじいさん(菅さん)を思い出します。

しかしサタンは、そんな私たちを常に引きずりおろそうとしていますから、まことのイエスさまにしっかり繋がってイエスさまの愛の中に留まりましょう。

イエスさまは私たちを祝福し、私たちに必要な栄養を毎日与えてくださいます。良い実を結ぶ生涯を与えてくださっていることを今一度深く心に刻み、イエスさまに喜ばれるような日々を過ごしていきたいと思います。
(今朝の礼拝:9時40分〜10時25分)
posted by 優子 at 15:25| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2016年05月21日

ブルンナー読書会A −もろもろの国びとの光−

ひまわりの二葉.jpg先月24日の初回に続いて今日第2回目の『ブルンナー読書会』を持った。
この会はキリスト教の良書を読もうと集まった4名だけの小さな読書会である。神さまが私たちの小さな集いをも用いてくださるならばとの思いで今回からお分かちしたい。

導き手になってくださっているのは京都外大のドイツ語学科教授・下村喜八氏で、遠方にも関わらず私宅へお出でくださり、私たち夫婦と長女だけの読書会である。
このような場に夫は「場違いだろう」と思うが、まじめに読んでいるし発言もする(笑)神さまに集められた大切な一員である。

下村さんは教授であられるだけに、私はつい「先生」とお呼びしたくなるが、イエスさまを介しての友ゆえに神の家族として親しくお交わりさせていただいている。

氏は「(日)ドイツ文学・思想(英)German literature and thought」を研究されているのでキリスト教についても専門領域であり、ブルンナーの『フラウミュンスター説教集』(教文館)も翻訳されている専門家である。

そのお方から直々にご講義を拝聴でき、我が家で開いてくださるとは思いもせず、この恵みを神さまに感謝するばかりである。

読書会のテキストはエーミル・ブルンナーの『我は生ける神を信ず 使徒信条講解説教』で、毎回2章ずつ読み進めていくつもりだったが、各章があまりに深い内容なので今日2回目から1章ずつ読み進めることになった。

最初に讃美歌を歌い、聖書を読み、祈ってから始める。
今日は『讃美歌21』の579番「主を仰ぎみれば」、聖書(新共同訳)はイザヤ書49章5節から9節の2行目までを輪読、祈り(優子)で始め、読書会に入って行った。

今回はテキストの「3章 もろもろの国びとの光」で、最初にイザヤ書についてプリントを配布して説明してくださった。

紀元前587年、バビロニア帝国に滅ぼされた南ユダのバビロン捕囚は約半世紀続いたが、第2イザヤは「バビロン捕囚からの解放は『新しい出エジプト』として語られ、それが第2イザヤの使信の中核になっている」ことや、世界史を俯瞰するような視座があり、「最も深い宗教的視点から、政治をはじめ人間の歴史と現実を見すえているということができる」。

また、イザヤ書53章の「苦難の僕」に代表されるイザヤ書後半に出てくる「主の僕(しもべ)の詩」について。

「主の僕」とは第2イザヤなのか、イスラエルそのものなのか、あるいはイエス・キリストの先取りなのかという3説あることや、「僕」の意味は世界を見すえていることが関わってくることを教わった。

以下は感想を分かち合った時に出た記憶しておきたいメモである。
▼ ブルンナーの「宣教の神学」

▼ 「完璧な勝利は勝利にあらず」。
 敗戦国の誇りを徹底的に打ちのめしてしまうと、敗戦国にナショナリズムが台頭し再び戦争に至るのではないか。

▼ 第2次世界大戦後のドイツは全て反ナチの人が首相になって導いた。

▼ 今、世界中にナショナリズムが台頭しているが、ラインホルト・シュナイダーはナショナリズムが起こるのは、経済的、社会的、道徳的苦悩をさせると戦争が起こると言っている。

グローバルな時代になって価値の相対化が起こると自分を支えるものを求めるため、古いものに返っていく「精神の先祖返り」を呈しナショナリズムが勃興する。

▼ ファナティック(fanatic:熱狂者、狂信者)にならないで霊的になる

▼ 「大切にすれば大切になる」(池波正太郎の言葉)

私はブルンナーを読みながら癒され、傷ついた座標軸が修復されていくような感じがしている。地震の如き大きな衝撃により傷を負った体が癒され修復されていくような。

今開く日日草.jpg冒頭の写真はひまわりのフタバで、これは今まさに花開かんとする日日草だ。
「ブルンナー読書会」のフタバが出て、この花のような小さな光が灯ったような気がする。

「光はひろがっていくという性質を持っております。キリストと共に生きる者は、単に光を持つばかりでなく、光となるのであります。たとえそれが他者に対してほんの慎ましやかなろうそくの灯のようなものであったとしましても」。
(ブルンナー) 

附記: 親しい友が5月初めにこんな励ましメールを送ってくださっている。
私も読んでみようかな?と思って調べていたらアマゾンに翻訳者の方が次のようなメッセージを添えていました。

「本書が重版されるのは、キリスト教学校で学ぶ若い世代の人々のテキストとして用いられるためであることを知らされました。

この本を手にするみなさんの中には、キリスト教についてはじめて接する人びともおられることでしょう。そしてあるいはむつかしいと感じられるかも知れません。

しかしみなさんにお願いしたいことは、努力して自分で読み、また先生や友人と話し合って、理解を深めて頂きたいということです。

というのは、この本の中で取り扱われている使徒信条は、二千年もの間人間を新しく生かし、弱い者を強くし、悲しむ者に喜びを与え、絶望していた者に希望を与えてきたものだからです…

ブルンナー先生は、人間にそれを与えようとした人です。これはチューリッヒの教会での説教ですが、説教とは人間の中にその確かなものを打ち込む行為なのです。

この確かなものは最初は何か異質なものと感じられることでしょう。たとえていえばそれは真珠貝の体内にいれられた砂粒のようであります。それを吐き出したくなるでしょうが、吐き出したらあの美しい真珠は出来ません。

そうではなくそれを体内にいだきつづけ、それと格闘していくとき、それを中心としてあのすばらしい真珠が出来ていくのです。もしそれを吐き出したら、真珠貝はやがて無価値な貝殻を残して死んでいくだけなのです。
1980年3月5日 大木英夫 」


真珠貝の例えがすばらしいですね。体内に抱き続け格闘していくときに真珠を生み出すことができる・・・
優子さんはすばらしい先生と一緒に学べて幸せですよ。
すべてを神さまが導いてくださいますように。
感謝!
posted by 優子 at 22:56| ブルンナー読書会 | 更新情報をチェックする

2016年05月19日

チャッピーは冤罪だった!

毎年5月初めから蚊に悩まされ、今朝がた早く蚊に起こされてしまった。そして今夕、生ごみをペールに入れようと玄関を出ると蚊の大群が飛び交っていた。大きな蚊が10匹以上ドアの前を勢いよく飛び交っていた。

蚊が多いのはチャッピーのせいではなかった!
チャッピーは冤罪だった。
ごめんね、チャッピー。
全てのことは明るみにされる。


毎年夏になると義母に何度も言われたものだ。「蚊が多いのは犬が居るから」と。私もまた、チャッピーが関係しているのかなと思わなくはなかったが、それよりも義母が溜めている雨水を捨てに回るのが夏の日課になっていた。ビクビクしながら。ある時はボウフラがウヨウヨ動いていた。

一昨日の朝、私はウォーキング方々、久々にユキを送ってから出社する知子を駅まで送った。同じ電車に乗る顔なじみの近隣の男性に挨拶すると、「いつも一緒のワンちゃんは?」と尋ねられて、昨年11月24日に死んだことを話した。

少し話したあと、「16歳半は長生きでしたね」と静かに仰った。犬を飼っておられる方だから慰めに満ちていた。

私はチャッピーの死を告げるたびに、チャッピーが何度も死んでいくような気がする。そして、いつか完全に死んで過去のことに結晶されて、私の悲嘆のプロセスが終わるのだと思う。

これは昨年の5月10日、16歳の誕生日!
誕生日の朝食中@.jpg
この日の朝食は久々の人間食で、ごはんと焼いた鯛の身。
チャッピーは大好きな「さかな」をおいしそうに食べていた。
 
チャッピーが死んでまもなく半年になる。
私は今も朝一番に外に出ると「チャッピー、おはよう」と言い、力なく辺りを見まわして小屋に目をやる。夜は玄関で「チャッピー、おやすみ」と言って階段を上っていく。今もチャックンのことを忘れたことはない。


森の道を歩くA.jpgこれは去年の今頃のチャッピーだ。
この1年前から腎不全になっており、そんなに歩かせてはいけないので、夕方の散歩は殆どユキに託していた。2年生になるとたくましくなりチャッピーに負けない力強さになっていた。

森の道を歩く@.jpg


この頃はまだ認知症は発症していなかったと思う。とてもしっかりして、チャッピーらしい表情をしている。しかし、夏になって急に弱っていったね。

大好きだったお散歩。
1年前はこうして生きていたのにね。

これは2年前の5月。
大好きな散歩.jpg

そういえば、今日ようやく買い過ぎて残った餌をもらってくださる人がみつかった。美濃紙業のすぐ近くの会社の方だ。自動車で通勤されているので、明日持って行ってもらうことになった。賞味期限は来春3月末まで。封を開けたばかりのものは明日のゴミ収集で廃棄しよう。

また一つ、チャッピーの生きていた名残りが失われていく。

5月のチャッピーをここに:
よくここで寝てるね.jpg
2014年5月21日(15才)。
この頃、よくこの辺りで寝ていた。

吠え続けたチャックン.jpg
2014年5月12日(15才)。
インターネットの工事の人に終わるまで吠えていたね。
この頃はもう殆ど鳴かなくなっていたので嬉しかった。

伸びしているところ.jpg
2013年5月25日(14才)。
この日、チャッピーが75%腎不全になっていると告知された。
あとの4枚も同じ日のチャックン。


14才@.jpg

14才A.jpg

14才B.jpg

いつまでも居ててね.jpg
この時、いつか来るチャッピーとの別れを想って
この後姿も脳裡に焼き付けていた。

2歳10ヶ月のユキ.jpg
2010年5月21日(11才)、ユキは2歳10ヶ月。

なつかしい光景.jpg
2010年5月18日(11才)。

この写真(↓)を掲載した同日の記事には
こんなことが書いてあった。
2010.5.jpg
いつもこうしてのんびりと寝ているが、
家の前を犬が通ったり、自動車や人が来れば猛烈に吠える。
この町の「3大吠え犬(けん)」に入っているからネ。
「マチと太志君に早く会いたいなあ〜〜〜。
早く帰ってきてね。待ってるよ〜。」

昨夏買ったペット用の蚊取り線香がたくさん残っている。
来年はもうチャッピーは居ないだろうと思っていたので使い切ってしまいたかったけれど、煙が嫌いなチャッピーは避けるので点けない時も多々あって残ってしまった。

あの大群の蚊は恐怖だから使おうと思うけれど、またチャッピーの悲嘆が蘇ってくる。

フィラリアの処方.jpgフィラリアの薬も11月分は飲まずに逝ってしまったね。

今年はシュウメイギクが咲く頃から辛くなるだろうな・・・秋にならないでほしい。

posted by 優子 at 23:36| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2016年05月15日

家の教会E −ペンテコステ礼拝−

先週は連休明けの月曜日から3日間雨天が続き、ようやく後半から晴天になった。この晴れの間に寝具を夏用に交換しようと、私はかなり体調が悪かったが何とか昨日で家族全員のを完了した。

天にいますわたしたちの父.jpgそして、今朝は町内会の草引きに出られるほど元気になったが、ユキは3日前から右瞼が赤く腫れているし(虫刺されだった)、今朝から夫が体調不調で家族皆が不調だ。

しかし草引きのあと、10時から家族で恵み豊かな礼拝を捧げた。夫はソファーに横になったままであったが。

2016年5月15日 (第6回 家の教会)

1 子どもの讃美歌 「天にいますわたしたちの父」
2 主の祈り
3 讃美歌      267番「神はわがやぐら」
4 聖書       使徒行伝2章1節〜21節
5 お話と祈り    (優子)そのあと一人ずつ祈る  
6 讃美歌      217番「あまつましみず」
7 献金と感謝のお祈り(幸悠くん)
8 頌栄       讃美歌541番

以下は今朝のお話。
キリスト教のカレンダーを「教会歴」と言いますが、教会歴によれば今日は「ペンテコステ」です。日本語では「聖霊降臨」と言い、ペンテコステはクリスマスやイースターと共に大切な記念日です。

イエスさまが十字架上で死なれて、3日目によみがえられ、40日後に天に昇られたあとに起きた出来事です。

「五旬節」というのは50日目という意味で、その日はイエスさまが復活された日から数えてちょうど50日目に当たり、イエスさまが弟子たちに「あなたがたの上に聖霊がくだる」と約束されていた出来事が起こりました。その時の様子が先ほど読んだ箇所です。

聖書はその出来事を正直に伝えています。1章の4節と5節でイエスさまは、「エルサレムから離れないで、父なる神さまがお約束になった聖霊を待ちなさい」と仰っていました。

聖霊とは神さまのことです。「父と子と聖霊」とよく聞いていると思います。それは「父なる神」、「子なる神」、「聖霊なる神」の意味であり、全て同じ一人の神さまです。神さまの同じ本質と力と栄光を持っておられ、私たちの救いのために働いていてくださるのです。

使徒行伝を書いたルカはこの日の様子を正直に書いたのですが、「そんなこと信じられない」と話を真剣に聞くこともしないで、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言ってバカにした人たちもいました。いつの時代もそのような人がいるものです。

そこでぺテロが語りました。2章38節、
「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう」と。
この日、3000人もの人がバプテスマ(洗礼)を受けたと書いてあります。

聖霊を受けたお弟子さんたちはユダヤとサマリアの全土、更には地の果てまで、主イエスの証人として遣わされていくのです。これが教会の始まりであり、ペンテコステは「教会の誕生」と言われています。

そして、日本にも戦国時代の1549年にフランシスコ・ザビエルというカトリックの修道僧が初めて伝えてくれました。

それから450年後、私は1987年のペンテコステ礼拝で洗礼を受け、21世紀に生まれたユキにも福音(good news)が伝えられ、まことの神さまを信じる光の子どもとして生かされています。
あのペンテコステのあとキリストのことが世界中に伝えられていき、私たちも信じる者とされたことは本当に感謝です。

かつてイエスさまが十字架にかかる時、「おまえもイエスの仲間だろう」と言われて、「知らない、イエスなんて知らない」と捕まるのが怖くて3度も否認していたペテロですが、このあと大胆にキリストを証しし、最後は逆さ十字架にかけられて神さまのところへ帰って行きました。

そのお話を短く話しましょう。
この3冊は『クォ・ヴァディス』という本です。
「クォ・ヴァディス」とはラテン語で「(あなたは)どこに行くのか?」という意味です。イエスさまが天に戻られたあと、ローマ帝国によるキリスト教徒への迫害がとても激しくなっていきました。

殺されるのを恐れて多くの人がローマを脱出しましたが、ペテロはローマにとどまるつもりでした。でも周囲の人たちに「あなたも逃げなさい」と言われてローマを離れることにしたのですが、アッピア街道を歩いていた時、復活のイエス・キリストの姿を見て、ひざまずいて尋ねました。

『Quo vadis, Domine? 』(主よ、あなたはどこに行かれるのですか)と。するとイエスさまは、
「あなたがわたしの大切な信徒を見捨てるなら、わたしがローマに行ってもう一度十字架にかかろう」と仰いました。

そして、ペテロは再びローマへ向かったのです。そして競技場で、クリスチャンが今まさにライオンに襲われようとしていた時、ペテロが現れて大胆に天国の希望を語り、祈り、励まし、クリスチャンたちは聖霊に満たされて力強く神を讃美しながら死んでいきました。

(コロッセオやローマの写真を提示)ローマ帝国時代に残虐極まりないことが100年以上も続いていました。しかも信じられないのは、娯楽として行われていたのです。

そしてペテロも捕まって殺されるのですが、イエスさまと同じ十字架では畏れ多いからと「逆さ十字架に」と自ら申し出たと伝えられています。


おばあちゃんがママと一緒にイタリアへ行った時、「そこからアッピア街道です」というほど近くまで行きましたが、訪ねるほど時間がなくて非常に残念でした。今もアッピア街道に「ドミネ・クオ・ヴァディス教会」が残っています。これがそうです。

ヨハネの福音書13章36節にこんな箇所があります。
「シモン・ペテロがイエスに言った、『主よ、どこへおいでになるのですか』。イエスは答えられた、『あなたはわたしの行くところに、今はついて来ることはできない。しかし、あとになってから、ついて来ることになろう』」。
ペテロがアッピア街道で復活の主と出会った時と同じですね。そして、ペテロの最期を暗示しているようですね。

今日のお話で覚えておきたいことは、ここに居る私たちにも聖霊が与えられていることを信じるということです。

私たちはこれまでに何度もイエスさまから、即ち、聖霊さまから慰めや励ましを経験しています。それは取りも直さず、そのことが信仰によって救いが成就されるという「保証」なのです。

私たちが悔い改めることができ、感謝する心にあふれ、また、明るい気持ちになれるのは聖霊が働いてくださっているからです。
聖霊が働いてくださらなくては私たちは何もできない、どんなに頑張れる人でも人間の力では何もできないのです。だから弟子達も聖霊をいただくのを待ちました。

私たちは聖霊が与えられているのですから救いが成就することをしっかり信じましょう。どんなに辛く悲しいことがあっても、正しい信仰から逸れないでイエスさまを信頼しましょう。必ずや聖霊が慰めてくださり、心を強くして天の御国まで導いてくださいます。

そして、ペンテコステの次に与えられる主イエス・キリストの再臨の時を信じて待ち望む、それがクリスチャンなのです。

頌栄のあと、主イエスご自身が祝祷してくださっているように感じた。

聖書:使徒行伝2章1節〜21節
ペンテコステの出来事.jpg
五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。

また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。

さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。

そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。

わたしたちの中には、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人もおれば、メソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者もいるし、またローマ人で旅にきている者、ユダヤ人と改宗者、クレテ人とアラビヤ人もいるのだが、あの人々がわたしたちの国語で、神の大きな働きを述べるのを聞くとは、どうしたことか」。

みんなの者は驚き惑って、互に言い合った、「これは、いったい、どういうわけなのだろう」。しかし、ほかの人たちはあざ笑って、「あの人たちは新しい酒で酔っているのだ」と言った。

そこで、ペテロが十一人の者と共に立ちあがり、声をあげて人々に語りかけた。「ユダヤの人たち、ならびにエルサレムに住むすべてのかたがた、どうか、この事を知っていただきたい。わたしの言うことに耳を傾けていただきたい。

今は朝の九時であるから、この人たちは、あなたがたが思っているように、酒に酔っているのではない。そうではなく、これは預言者ヨエルが預言していたことに外ならないのである。すなわち、

『神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。その時には、わたしの男女の僕たちにもわたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう。

また、上では、天に奇跡を見せ、下では、地にしるしを、すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、見せるであろう。主の大いなる輝かしい日が来る前に、日はやみに月は血に変るであろう。そのとき、主の名を呼び求める者は、みな救われるであろう』。

posted by 優子 at 12:26| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2016年05月11日

羽毛布団の産地偽装問題よりも先に羽毛採取法を知ってください!

数日前から羽毛布団の産地偽装問題が取りざたされている。大切な問題には違いないが、そのダウンそのものはどのようにして採取するか言及されることはない。

私もまた3〜4年前まで知らなかったし関心も想像力もなかった。しかし、真実を知った者は伝えねばならない。

私もまた闇の現実を知るまでは、羽毛採取は食肉にするときに(これもまた耐えられないが)採取するのだと思っていた。それ以外にやっていたとしても、例えば羊の毛をベテランの人がバリカンで刈っているような感じで、鳥に痛みを与えないで採取していると思っていた。

しかしダウンの需要があまりにも高くて、しかも高品質のダウンを取るには生きている時のものが好適であり、その需要の最たる国が日本だという!

「世界中の大多数の羽毛は食肉の副産物だ。ヨーロッパでは生きたまま抜くのは規制されている。アジアの個人農場で自分たちが使用する目的で抜くことはあるが通常はない。
羽毛を抜くのは人件費がかかるから高価で、そういった羽毛の需要があるのは日本の市場だけだ」。


これは他者に影響されやすい日本人の影の部分であろう。

羽毛の採取法は「ハンド・ピッキング(Hand Picking)」(日本語で「手摘み」)であり、EUでは禁止されている「ライヴ・ハンド・ピッキング(Live Hand Picking)」、即ち生きている鳥の毛をむしり取る方法が大多数を占めている。

人間の蛮行.jpg以下は「ダウンのために羽をむしられる鳥たち」より抜粋引用したものであるが、是非サイトを開いてお読みいただきたい。
生きているグース(ガチョウ)から全身の羽をむしりとり、羽が生え揃ってきたらまた採取、それが5回ほど繰り返され、そして屠畜されるそうです。

世界の3大ダウン生産国はハンガリーとポーランド、そして中国。
スウェーデンのドキュメンタリー番組「カラファクタ」が、EUで本来は禁止されているグースのライヴ・ハンド・ピッキングの実態をレポートし(放送日2009年2月1日)、EU圏ハンガリーの生産業者を取材していました。

バイヤーと身分を偽った取材班が隠しカメラで捉えた映像は、グースたちがキーキーとなき叫ぶ中、バリバリと全身の羽をむしりとり、裂けた皮膚を麻酔なしで太い針で縫ってます。

EUでは禁止されているにもかかわらず、ライヴ・ハンド・ピッキングが多く実施され、ライヴピッキングは生産量の50%とも90%ともいわれています。

やっぱり消費者が買わなくなることが一番効果的です。

サイトの中に紹介されている動画は開ける勇気もない。既に血圧が高くなったままで非常に体調が悪い。私はもう2度と羽毛布団やダウンの防寒着は買わない!

最後に、この記事を書くために調べている時、羊の毛刈りに関して「ミュールシング」を知ることになった。

羊(メリノ種)の受苦、「ミュールシング(mulesing)は主にオーストラリアで行われていて、ニュージーランドなどではすでに廃止となっている。

羊毛用に改良されたメリノ種はより多くの羊毛を採るために皮膚表面が広くシワが深いため、臀部・陰部のシワに糞尿がたまりやすく、ウジ虫が繁殖しやすい。

羊はウジ虫に皮膚や肉を食い破られ、死亡する場合もあり、そのために臀部・陰部の皮膚・肉を大きく切り取る、ミュールシングという作業が無麻酔で行われ、その後、治療等は一切行われない」。


しかも「雑な毛刈りにより毛刈り後30日以内に100万頭が死亡する」とは、あまりにもひどい。
(以上、「ウールは毛を刈り取るだけ?それは間違い」より)

これではウール製品もほしくない。ちょうど昨冬よりモコモコのフリースを愛用しているので、今後はウール製品も買うことはないだろう。

前掲のサイトには「プリマロフト」という超ハイテク素材は超軽量で保温性抜群、その上に暖かさはダウン以上。 同じく「シンサレート」の掛布団は羽毛より1.8倍暖かいと紹介されていた。

屠畜される動物という動物の殆どが、それらに関わる人々の中の非人道的な人間により誕生と同時に苦痛の地獄に落とされる。毎年天文学的数の動物が苦しみ抜き、死をもってようやく解放されるのだ。

私たちは本当に真剣に考えなくてはいけないのではないか?!
真実を知った者はこれらを広めて消費者の倫理観に訴えることだ。

posted by 優子 at 18:17| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年05月09日

チャッピーがいない初夏

最大10連休の人もいた今年のゴールデンウィークも終わり、連休明け初日の今日は雨で始まった。

チャッピーが死んでまもなく半年になるが、今も毎日チャッピーを思い出す。昨日、家族みんなで遠くまで散歩に出た時も、どの道を歩いてもチャッピーと歩いた道ばかりで懐かしさと悲しみで心が痛んだ。

チャッピーはいない.jpgチャッピーの排尿が流れて根を絶やしてしまったシュウメイギク。先週何度もここに移植したが根づかず枯れてしまった。

それでも残った茎からこんなに勢いよく伸びてきて空間を埋めている。それでもやはりここだけ成長が悪いけれど・・・

初夏のシュウメイギク.jpg
初夏の庭にチャッピーはいない。

チャッピーのいない初夏.jpg最期の1ヶ月ほど、よくいた場所も今はシランで埋め尽くされている。
ずっと動かない.jpg
今はまだこんな悲しい姿ばかりが思い出される。
寝てしまった.jpg

私が衝撃を受けているのはチャッピーの存在がなくなったということ以上に、16年半という年月の間に誕生した子犬が老いて死んでしまったことだ。そしてそれは早送りで見る人間の一生と重なるからだ。
E38381E383A3E38383E38394E383BCE38081E38288E38186E38193E3819DE68891E3818CE5AEB6E381B8EFBC81.jpg  あかちゃんチャッピー.jpg

外に出たいのか昨日からここに.jpg生まれたばかりのかわいい子犬が、たった16年間にこんなに老いてしまい、平均寿命より3年も長生きしたけれど命には限りがあった。

知子に「私は老年期に入っているから、そのことを鋭く感じるのだと思う」と言うと、「神に根拠をもつ楽観主義は地上生涯のあとにあるものを信じているので」と(あとで正確に記そうと思う)、老若逆転の素晴らしい胸中を語った知子から新鮮な衝撃を受けた。

知子はゴールデンウィーク明けの今朝の月初の朝礼でも、熱くメッセージを語ったことであろう。

ちなみに私の仕事始めは、昨日から緊急事態が発生しているパソコン問題の解決だった。
知らないうちにどこかをクリックしてしまったのだろうか。昨日パソコンをつけたまま席を離れている間に「25%完了」と、「ウィンドウズ10」を自動的に取り込み始めていたのでびっくりして強制終了したが、今朝もまた「14分後にインストールします」という表示が出たので焦った。

検索して解決しようとしたが不可。パソコンメーカーへ電話したらマイクロソフト社のサポートに電話するように教えられ、ようやく繋がって遠隔操作で取り外してもらって安堵した。今は一日の仕事を終えたように疲れてしまった。

今では機器関係のことは娘に任せがちになっているが、人任せにしていては老化を速めるばかりだ。「ネット時代の高齢者第一世代」とでもいうべき60代以上の我々も雄々しくサバイバルしたいと前向きである。

posted by 優子 at 12:30| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2016年05月08日

家の教会D −母の日礼拝−

今年のイースターより家で礼拝を捧げることになり、一度休んでしまったものの回を重ねるごとに神の臨在を感じ恵まれている。

これが献金袋だよ.jpg奏楽は知子、聖書は輪読し、お話は私、その最後に祈り、続いて一人ずつ祈る。そして献金を集めてくれるのはユキだ。

将来は、話す人も代わり合って務めるのもよいだろうし、どのように進んでいくのかも目下のところ一切を神に委ねている。

「聖書を探究するのがこんなに楽しいとは、聞いているだけの時には想像できませんでした」とは、長年『メメントドミニ』を読んでくださっている関東の友の言葉。大いに励まされている。

祈ってくださっている方々を覚えつつ、4人で捧げる礼拝をお分かちし記録していきたい。いずれ近いうちに「家の教会」のカテゴリを設けて、これまでの分も書き加えたいと思う。

2016年5月8日  (第5回 家の教会)
1 子どもの讃美歌 「神さまがわかるでしょ」
2 主の祈り
3 讃美歌     510番「まぼろしの影を追いて」
4 聖書      エペソ人への手紙 6章1節〜3節
5 お話と祈り      
6 讃美歌     354番「かいぬしわが主よ」
7 献金と感謝のお祈り:
8 頌栄       讃美歌21 29番「天のみ民も」
↑これは礼拝プログラムで各自に配布している。
子どもの讃美歌は1冊しかないため、ユキ以外にはプリントして早々に買い求めて用意した各自のファイルに綴じている。

以下が今朝の話の骨子だ。その内容は基本的にはユキの理解度に合わせているが、話の2〜3割は大人を対象に構成している。ユキの表情を見ながらやさしい言葉に言い換えたり、時に応じて例話や説明を挿入して話す。長くならないように20分間で完結するよう心がけている。

今日は「母の日」、最初に「母の日」の始まりをお話します。    
1908年5月、アメリカのアンナ・ジャービスという女性が、教会学校で長く教えていた母親を記念して追悼会を行いました。その日アンナは、母への感謝を表すために母の大好きだった白いカーネーションを会堂に飾り、追悼会の終わりに参加者に配りました。

花を手にして感動しながら帰る人々を見たアンナは、この「母の日」の行事を全国に広げ、その後20年ほどの間に全世界に広まっていったのです。やがて、赤いカーネーションは生きているお母さんを、白は亡くなったお母さんを表すようになりました。

ところで、今から1940年ほど前の西暦79年にイタリアのヴェスヴィオ火山が大噴火して、ポンペイの町は一瞬にして火砕流に呑み込まれて5メートルもの火砕流に覆われてしまいました。

1748年に遺跡が発見された時、お母さんが腕に赤ちゃんを抱えたまま死んでいた姿がありました。自分は死んでも我が子だけでも助かってほしいと子供を守ったお母さんの姿を、おばあちゃんもママとポンペイを訪ねた時に見ましたが、「母の愛」はそれほどに深く、「神さまの愛」に近いと言われています。

では、聖書にはお母さんについてどのように書いているでしょうか。
まず思い浮かぶのが「出エジプト記」20章12節の「あなたの父と母とを敬え。」という言葉ではないでしょうか。箴言(1章8節)には、「わが子よ、あなたの母の教えを捨ててはならない。」という言葉があります。

また今朝読んだ「エペソ人への手紙」6章1節〜3節には、「子たる者よ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことである。 『あなたの父と母とを敬え』。これが第一の戒めであって、次の約束がそれについている、 『そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう』。」と書いてあります。

でも今は我が子を虐待したり、死なせてしまう事件まで珍しくありません。親からひどいことをされている子どもにとって、「あなたの父と母を敬え」と言われてもそんな思いにはとうていなれないし、簡単なことではありませんね。今の時代はそのことも考えねばいけないと、今日のお話を考えている時に思いました。

でも、聖書は「あなたの父と母を敬え。そしてそれはあなたが幸せになるためである」と語っています。では、これをどのように受けとめればいいんでしょうね。

ひどいことをした親を敬うことはできなくても、親を恨まないで自分を大切に生きなさい、イエスさまに助けを求めながら生きなさい。それが「あなたが幸せになるため」であり、どのように生きるかで「幸せ」になるか「不幸」になるかが決まるのですよと理解すればよいのではないでしょうか。

私たちにとって辛く嫌なことでも、いつも神さまが「幸せになる」と言われる道を選び取っていきましょうね。その悲しく悔しい気持ちをイエスさまに正直にお話すれば、必ず慰め、助けてくださって幸せになる道を選び取るように導いてくださいます。

そして今一度、親である私たちも心に刻みたいと思います。
親は、特に母親は子供の魂の導き手です。子供が母の言葉を聴き、親を真似て育ちます。三浦綾子さんはこのように言っています。

「『親は針、子供は糸だ』とよく聞きますね。針が真っすぐに進めば、その縫い目も真っすぐになります。曲がって進めば、正直に縫い目も曲がります。この社会を造っている私たち大人は無責任に生きられません」。

本当にその通りです。
アメリカの第16代大統領(1861年3月に就任)のリンカーンは、奴隷解放宣言をしたりっぱな人でした。リンカーンはお母さんのことをこのように言っています。
「神よ、私の母を祝福して下さい。・・私の全ては彼女のおかげです」。

このような母を持ったリンカーンは幸せです。その幸せは多くの人をも幸せにしました。
「ゆりかごを動かす手は世界を動かす」という言葉がありますが、まさにリンカーンのお母さんは神さまへの信仰に生き、わが子を神に用いられる器に導いて世界の歴史を変えたのです。私たちも心して養育の大任を果たしていきたいと思います。

最後に、私は知子と真智子に伝えたいです。
「至らない母親でごめんね、そして、ありがとう」と。

ママへのプレゼント.jpg 8歳の母の日のプレゼント.jpg
昨日スーパーのイベントに参加して書いたユキの「母の日メッセージ」。知子は感激して「明日から会社のペン立てに使うね」と大喜び。感謝、感謝!

礼拝後、家族で1時間ウォーキングに出た。
帰宅してパソコンを開けると、次女夫婦から「母の日」メッセージが届いていた。ありがとう!

附記:讃美歌510番 歌詞
1 まぼろしの影を追いて
  うき世にさまよい、
  うつろう花にさそわれゆく
  汝(な)が身のはかなさ。
(折り返し)
 春は軒の雨、秋は庭の露、
 母はなみだ乾くまなく、祈ると知らずや。

2 幼くて罪を知らず、胸に枕して、
  むずかりては手に揺られし むかし忘れしか。

3 汝が母のたのむ神の みもとには来ずや、
 小鳥の巣にかえるごとく、こころ安らかに。

4 汝がために祈る母の いつまで世にあらん、
  とわに悔ゆる日の来ぬまに、とく神にかえれ。
                  アーメン


posted by 優子 at 16:47| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2016年05月05日

尾張津島・天王川公園の藤は終わっていた −「草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変ることはない」。−

ゴールデンウィークに孫をどこにも連れて行ってやらないのはかわいそうとあって、夫が新聞広告で見つけた「天王川公園・東洋一の藤棚と日野ダリア園のボタン」日帰りバスツアーに申し込み、昨日4日に出かけた。

この日は完全に雨の予報だったので覚悟していたのに朝から晴天。夜半に降った雨のあとさえ全くなかった。前日から今日もまだ強風が吹いているがお天気だけは恵まれた。

私が予約をしたものの何県に行くのかも全く知ろうともしないで予約し出発した。こういうダメさはこの年になっても改まっていない。

次女夫婦に知らせるために(万が一にもバスの死亡事故に巻き込まれた場合のことを思って)サイトを見つけてリンクしたものの、タイトルは同じでも福井営業所のものを見ており、しかも福井県へ行くと伝えてしまう不注意さは我ながら嫌になる。

伊賀上野、甲賀を通過したかと思うと関ケ原、東近江、彦根・・・と、三重県の方に向いていたと思ったら滋賀県に、そしてまた愛知県にと、今朝になって夫の解説入りでユキと地図を見ながら走行あとを追っていた。楽しみながら。

ツアーの売りは何といっても東洋一と言われる津島市にある天王川公園の藤棚だった。4月21日〜5月5日に尾張津島藤まつり(第30回)開催中とあって、それはそれは楽しみに出かけたのであるが、乗車早々に添乗員さん曰く、5月2日で花は終わった。見頃が過ぎたのではなく、その日が見納めだったとダメ押しされた。(>_<)

本来はこれを見るはずだった。まずは、ここを開いてご覧あれ! 

お見事! サイトからも「うわー、すごい!」と声が出た。しかし、私たちが見たものはこれだった。

花が終わった藤棚.jpg
何だこれは? もっと遠くから見たとき、
汚れた雑巾がぶら下がっているようだった。

「草は枯れ、花はしぼむ」。

花を終えた藤.jpg


実際よりも美しい.jpgそれでも少しでも藤の名残りを撮ろうとシャッターを押すと、実際よりもはるかに美しく写っていた。
実際はこんな色彩は全くないから不思議だ。

写真の中の藤は、僅かに残る藤の色に陽光が輝きを与え有終の美を飾っていた。キラキラ光って美しい。

天王川公園A.jpg「あなたの笑顔を写します」と、ボランティアの女子高生の声に誘われてシャッターを押してもらった。
陽光が藤の花の有終の美を飾って実に美しい。我が生涯もかくあれかし。

ユキが撮った白い藤の花.jpg
白い藤の花だけ咲いていた。(Photo by Yuki.)

天王川公園で!.jpg 

天王川公園@.jpg

藤の花の種.jpg藤の花の種を見て、藤はマメ科だとわかった。

おじいさんとユキ.jpg

CIMG9685.jpg甲羅干ししていた亀、泳いでいた亀、亀がいっぱいいた。
首を伸ばして気持ちよさそう。


亀がたくさん!.jpg
これは4匹で合唱しているのかなぁ。

天王川公園の大木.jpg

大木の説明 - コピー.jpg

風が強くて激しく揺れていたがバッチリ撮れた!
大木の花.jpg

日野ダリア園に着くと美しい藤棚が目に入り、ツアー客から歓声が上がった。
お見事! 天王川のとは比べ物にならないほど小規模ながら大満足。満開の藤の美しさに圧倒された。藤棚の下は甘い香りが漂っていた。


お見事! 藤の花.jpg

30代後半を生きる知子や真智子の人生はこの藤の花のようだ。ユング心理学でいうならば、まもなく太陽が中天にかかろうとする人生の最も盛んな時だ。
全てのことに思いっきりチャレンジせよ。悩みも喜びも全て体当たりで真正面から思いっきり味わうべし!


藤の花と知子とユキ.jpg自己に向き合わず、人格を磨かぬまま人生を終えるほど悔いある生き方はない。人生は短い。

今歩いているように神と共に神の恵みの中で、自分でしか咲かすことのできない花を咲かせよ。
知子の花。
真智子の花。

私は知子と真智子の生き方を誇りに思う。ユキも自我に目覚めたらママに倣って良き生涯を築き上げるのよ! その年齢に達するまでの養育が私の務め。インマヌエル!


藤の花の下で.jpg

IMG_8139.jpg

藤の花とユキ.jpg

IMG_8147.jpg 
「草は枯れ、花はしぼむ。
 しかし、われわれの神の言葉は
 とこしえに変わることはない」。
                (イザヤ書40章8節)
このたびほどこの聖句を強烈に実感したことはない。
自然界だけではなく人間も人間が作り出す社会も時代も全て移り変わる。しかし、神の言葉、神の真理だけは永遠に変わらないということを!
熊本地震の艱難の中にある人々のことを祈りつつ。


附記:【バスツアーの行程】
午前8時40分バス発車。まずJR王寺駅から合流する人々を迎えに行き、西名阪道で上拓殖(かみつげ)ICへ。道中の車窓からヤマフジ(野生の藤)が至る所に見えた。ヤマフジの存在も去年の今頃知ったばかりである。

1バスツア−@の.jpg 1バスツアーAの.jpg

交通渋滞の関係から最初の見学先・日野ダリア園を最後に変更して昼食場所の関ケ原(岐阜県)に直行した。

昼食は苦手なバイキング。しかも一斉に大勢で取りに行くので、ユキひとりでは心もとなくて生存競争を刺激されてしんどかった。今や「食べ放題」は時代精神に反する。

次に「胡麻の郷(さと)」を見学。と言っても胡麻の畑など全くなくて建物の中の展示とお土産コーナーだけ。私には実につまらなかった。

「開けごま!」と大きな声で言うとドアが開くというので、傍に居た小学生やユキが挑戦するのだが開かない。そこで私も大声で叫んだがダメで、傍に居た老人がたまたま普通の声で言うと開いたのだが、機械設定が機能していなかった。

あとでユキが言った。
「おばあちゃんが大きな声で言った時、そばにいた人がみんな見てたよ」
「そんなに大きな声だった?」
「めっちゃ大きかった。みんなびっくりして見てた」
確かに人が居るのも忘れて思いっきり叫んでいたが、子どもならば尚のこと、思いっきり叫べばいいのに!

「胡麻の郷」をあとに名神で大垣ICへ行き、そこから一般道で愛知県は津島神社近くの天王川公園の藤棚に向かった。ここが今回のメイン見学先だった。
目の前は狭い道路を隔てて住宅が建っており、普通の公園のように出入りできるので開花期はうらやましい限りだ。

その後、東名阪の弥冨(やとみ)ICから新名神高速道路、甲賀土山(つちやま)ICで降りて日野ダリア園へ。

黄色い牡丹の花.jpg

日野ダリア園の牡丹.jpgここを最後に往路を戻って行った。

高速道路を出てJR王寺駅組の人々を送ってから出発駅にもどるまでの30分は長く、帰宅したのは9時過ぎ。
事故なく帰ってこられたことを感謝します!

posted by 優子 at 20:38| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2016年05月03日

2016年・日本キリスト教文学会全国大会のご案内

日本キリスト教文学全国大会のご案内とお誘いです。
聴講無料! 今年度の総主題は「キリスト教と〈笑い〉」。

時:2016年5月15日(土)・16日(日)
所:京都外国語大学(京都市右京区西院笠目町6)


アクセス:
▼阪急京都線利用の場合は
「西院」駅から西へ徒歩約15分。または市バス「西大路四条」(西院)から3・8・28・29・67・69・71系統に乗車、「京都外大前」で下車。(所要乗車時間約5分)。「梅田」駅から「西院」駅までは約40分。

▼JR線利用の場合は「京都」駅烏丸口から市バス28系統、八条口から市バス71系統に乗車、「京都外大前」で下車。(ともに所要乗車時間約30分)

▼地下鉄烏丸線利用の場合は
「四条」駅で下車、市バス「四条烏丸」から3・8・29系統に乗車、「京都外大前」で下車。(所要乗車時間約15分)

第1日・5月14日:
■シンポジウム
「キリスト教と〈笑い〉--太宰治、椎名麟三、遠藤周作の文学からのアプローチ」

■研究発表
▼シェイクスピア作『ハムレット』--主人公の苦悩にキリスト教が与える影響を一般大学生向け授業でどう読み解くか  齋藤安以子


現代日本の大学生にとって仇討は遠い過去 のこととはいえ、シェイクスピアの『ハム レット』が描く世界は、時代と国を超えて共感をよぶ。

主人公ハムレットの設定は大学生で、父王の葬儀のために留学先から呼び戻される。悲しみを母と共有する機会がないまま、彼は成熟した大人にも難しいふるまいを要求される。亡霊が告げる父の急死の秘密は、当初、ハムレットがどう行動すべきか、明解な答えをだしたかに見える。

しかし、物語が描くのは、彼が復簪をとげるまでに悩みためらい続ける長い過程である。父の姿をした亡霊は真実を語っているのか。復警とは、敵の肉体から命を奪うことではないのか。倫理的に許せない行為をする者に、自分が罰を与えてはいけないのか。人違いで別人を殺してしまった自分は、許されるのか。

外国語の授業で文学作品を読み解くとき、苦悩する主人公の判断を迷わせ、また導くキリスト教の影響を一般大学生にどう気づかせていくかを述べる。


▼C.Sルイス作品におけるキリスト教と〈笑い〉の考察  櫻井直美
キリスト教を擁護する立場で多くの作品を発表したイギリス人作家c.s.ルイス(Lewis,1898-1963)は、作品中に〈笑い〉の原因や質を具体的に示し、キリスト教との関わりの重要なテーマとして盛り込んでいる。

特にルイスが世に知られるきっかけとなった 作品『悪魔の手紙』においては、人間の笑いの原因や質を、喜び (Joy)、楽しさ(Fun)、本来の冗談(Joke proper)、軽口 (Flippancy)の4つに分け、〈笑い〉がキリスト教と良きかかわりがあるものだけではないことを示している。

さらに、他のルイス作品『天路逆程』「キリスト教、理性、ロマンティシズムのアレゴリー形式による擁護」や『ナルニア国年代記物語』においても、ルイスの示すキリスト教的〈笑い〉の描写は一貫した特質をもっており、登場者が、天国あるいは神に属する喜びに接する際の〈笑い〉はキリスト教の本質を示す役割を担っている。本発表ではその特質の検証結果を提示することとしたい。


▼C.Sルイスとクリスチャン・ポストモダニズム--逆転するユダヤ的笑い  湯浅恭子
テリー•リンドヴァルはC.S.ルイスの「笑い(laughter)」を悪魔の視点から4種類に分類し、「笑い」と喜び(joy)を結び付けたが、『顔を持つまで』(1956)は、自己実現を求める女王の悲劇であり、喜びの「笑い」から最も遠い世界に見える。

しかし本作品には、ユダヤ的思考からキリスト教的世界へと逆転する「笑い」が描かれてい る。チエスタトンがルイスの喜摩性に与えた影響はこれまでも指摘されてきたが、『顔を持つまで』の編集過程に深く関わった ジョイ•デイビッドマンとユダヤ人の「笑い」の関係性が十分に議論されているとはいいがたい。

本発表では、ユダヤ人とキリスト者 の「笑い」に関するルイスの概念を『詩編を考える』(1958)から分析し、『顔を持つまで』に対するデイビッドマンの影響を考察、ルイ スがポストモダン文学に特徴的な既存の神話を語り直す行程を福音の表現に変換した「クリスチヤン•ポストモダニズム」の作家であることを明らかにする。

第2日・5月15日:講演
@ 聖書における〈笑い〉  嶺重 淑

聖書は、その書名の影響もあってか、どうしても「高尚で堅苦しい」というイメージが強く、そもそも笑いとはまったく無縁の書物 と一般には見なされている。確かに、このような理解はあながち的 外れではなく、聖書には人が笑う場面はあまり描かれておらず、また、「笑い」という言葉もそれほど頻繁には用いられていない。

しかしその一方で、聖書は決して汚れなき聖人たちの描写に終始する書物ではない。そこにはむしろ、背信、裏切り、不貞、共謀、欺き、兄弟間の確執や嫁姑の争い等々、極めて俗的な人間のドラマが物語られ、傲慢で偽善的、身勝手で嫉妬深い、そのような弱さをもった ありのままの人間の姿が描かれており、その意味では、笑いの要素も皆無というわけではない。

考えてみると、笑いを定義するのは難しい。何より笑いは、人間の感情を表現する行為と見なされるが、一口に笑いと言っても、微笑、苦笑、嘲笑、爆笑、照れ笑い、愛想笑い等、様々な種類の笑いがある。

また、国や民族、地域、文化圏、あるいは世代によって、笑いのつぼや動機、表現形態やしぐさは微妙に異なっており、事実、笑いは住々にしてその民族的•文化的背景と密接に閨わっている。

ラフカディオ•ハーン(小泉八雲)らが指摘した、悲しみ等の負の感情をもったときにも笑みを浮かべる日本人独特の「ジャパニーズ スマイル」(日本人の微笑)はその好例であろう

今回の講演では、以上のような笑いの多様性を念頭に置きつつ、まず、聖書本文における「笑い」の語彙と用例について検討した上で、否定的な嘲りの笑いから喜び(至福)の表現である肯定的な笑いへの転換を描く創世記のイサク誕生の記述を手がかりに、救いの表現としての笑いについて考察していく。

さらに、イエスの譬え話に数多く含まれる誇張法や逆説法等の修辞表現において示される独特のユーモアや、新約聖書の各福音書に描かれている滑稽でコミカルな使徒ペテロの人物像に注目し、聴衆(読者)を話の中に引き込み、真理へと目を向けさせていく聖書における〈笑い〉の特質を見極めていきたい。


A遠藤周作文学における作中人物と「救い」の関係  増田斎
遠藤周作は、評論『カトリック作家の問題』(1954)のなかで、モーリヤツクの『小説論』、『小説家と作中人物』を取り上げ、カトリツク作家が作中人物を「救う」ことの問題につ いて触れている。

モーリヤツク『テレーズ• デスケルゥ』のテレーズを例に挙げながら「人間を勝手に救ったり罰したりする権利は作家にありませぬ、それは神のみに許された事であります」と述べているのは注目すべき点だ。

モーリヤツクは作家としてテレーズという作中人物を救わなかった。だが、遠藤は私訳『テ レーズ.デスケルゥ』(1966)においては孤独なテレーズ像にキリストを寄り添わせる等の誤訳ならぬ「愛人訳」を行っている。

発表者はこの点に対して、遠藤は「読者」の側に立って翻訳作業を行ったために、テレーズの救いに介入しようとしたのだと考えている。本発表は、救いなきテレーズ像を遠藤は「作家」の立場からどのように取り扱ったのかという点に焦点を当て、『深い河』の成瀬美津子を一事例として挙げながら考察を加える。


B島尾敏雄の琉球弧とキリスト教 『日の移ろい』『続日の移ろい』から  小嶋洋輔
本発表は、島尾敏雄という小説の素材の現実性にとらわれがち(鈴木直子、200)な存在を「私」の問題に収斂させるのではなく、戦後言説空間に開く試みの一端を成すものである。「南島」に存在する作家である自身の問題を直接小説に描く、島尾の「私」の問題を探ることは、戦後文学史、戦後史の再 構築に繋がると考えている。

今回俎上にあげる『日の移ろい』(『海』1972・6〜1976・9)、『続日の移ろい』 (『海』1972〜1984・5)は、「南島」の図書館長である「私」の書く日記形式の小説である。登場する家族構成も精神の病歴をもつ「妻」、写真家の伸三、言語障害をもつマヤであり、この「私」の生活は、実際 ¥の島尾のそれと重なる。

つまり、島尾自身の1972年4月1日から翌年11月1日までの奄美大島での生活を記したものといえる。 本発表では、その作家島尾の生活が、「私」に変換され、虚構である小説作品に投影されるときに生じるズレを探る作業を中心に行った。


C宮沢賢治と妹トシの求めた思想と信仰 −−〈開かれた宗教性〉へむかって  山根知子
賢治における思想と信仰の深まりには、妹トシの影響が認められる。その源泉なるトシの思想と信仰について、賢治がどのように捉えていたか、また賢治がそれらを咀嚼しながらいかにMらの信仰的課題を追究することにつないでいったかを迪りたい。

まず、賢治が表現した作品内でのトシの描写(「オホーツク挽歌」等)からは、トシの閨心事とキリスト教に対する思いを含めた信仰への考えを、賢治がどのように捉えていたかが見えてくる。

また、賢治とトシをめぐる周辺資料によると、この数年内に発見されたトシ直筆の新資料からも、トシの学びや思索の内容と賢治の課題追究との関係が明らかになってくる。

さらにトシが日本女子大学校時代に影響を受けた成瀬仁蔵校長の教えと成瀬が紹介した思想内容を確認することで、そうしたトシが求めた信仰姿勢を通して賢治が自らの信仰的課題を〈開かれた宗教性〉へといかに深化させていったかを解明していく。


◊中部支部短信
第1回秋の研究会は日本文学から「児童文学作家今西祐行の自然観と宗教性」という題目での発表でした。第2回春の研究会は3月に、ナイジェリアの現代作家 Chimamanda Ngozi Adichie の 2007年の作品の研究発表を予定しています。

◊関西支部短信
今年度は学会本部と同じく創立50年の節目の年、更なる発展を目指していきたいと願っています。
2016年度は漱石没後100年になりますので、関西支部でも、7月の夏季大会に向けて記念講演等の企画を練っでいるところであります。

◊中国支部短信
来年度は、遠藤周作没後20年、宮沢賢治生誕120年の年であることを意識した企画等ができればと考えています。例会についても、日本文学の作品を英訳するという計画も始まる予定です。

◊九州支部短信
九州支部は例年と同様に、夏期セミナーを実施し。佐藤泰正先生のこれまでと少しも変わらぬ力のこもった講演の一言一言に、もう一度研究者の原点を問われる思いがしました。その後、11月30日、佐藤泰正先生は天に召されました。


posted by 優子 at 17:12| ご案内 | 更新情報をチェックする

2016年05月02日

神の恵みの中で生きる −ワシントン桜祭り2016便り−

Machiko_Kendama.jpg「ママ、パパ、お姉ちゃん、
ちょっとずつメール書いては中断してたけど、ようやく桜祭りの時のこと送ります。4月16日はDCの桜祭りがあって、今年も着物を着て教会を手伝ってきたよ」。


久々にワシントンからメールが届いた。忙しいなか小さな時間を利用して書き上げてくれたことを想いながら読んだ。
幼稚園時代(小学生だったか?)けん玉チャンピョンになった真智だから今も上手そう。何事も一生懸命挑戦したね。

今年はヘア&メイクのプロの教会の友にヘアーセットをしていただいたとのこと。真智、よく似合ってるよ! 今年も着物を多くの方が喜んでくださったそうだ。

Sakura_Matsuri_Kuma.jpgクマも元気そう。
アフリカ出張から帰って10日ほど経った頃だから疲れも見えない。



Sakura_Matsuri_Machi.jpg

また、今年で10年目を迎える教会のアウトリーチ組織(" outreach "は「手を差しのべる奉仕活動」の意味)・「ジャパニーズクリスチャンコミュニティーセンター」も活気づけ応援しようとチラシを作った(JCCCW_Volunteers -v2.pdf)。

「センターの活動内容や状況などを、下調べしつつお話しを伺って原案を作り、西郷牧師と改訂して完成させて、英語版はバイリンガルのジョンさんという方が助けてくださった。実現するとは思えなかったのに、ビジョンや時間や助けてくださる方々が与えられて、ものすごく嬉しかったよ」。

これがそのチラシだ。
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日本語版は↓ 
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Yard Sale - bokin.jpg昨日(4月30日)は、ヤードセール(大規模のバザーのようなもの)の片付けを手伝ってきたそうだが、とにかく大量の本や服、食器など、引越しのように大変だったという。

Yard Sale - books.jpgそして、メンバーの人たちが帰り始めて人数が減ってきた頃に、初対面のイラン人のクリスチャンのご家族がものすごく助けてくださって、ものすごく早く終わったそうだ。

「家具を安く譲ったことから、手伝うと言ってくださったのだけど、男性二人がパワフルなだけじゃなくて、どうしたらいいかとか良く分かっていて、本当にすごかった。
彼らがいなかったら3倍ぐらい時間かかったと思う。本当に本当にびっくりでした」。


神さまの恵みの中で生かされている様子を読んで、私の中にまで神さまの光が射しこんできたのを感じ、健全な教会の働きを神さまが豊かに祝してくださるようにと祈らずにはいられない。

そして、世界の人々のことを身近に感じて「主の祈り」を祈り、ユキのお祈りの本に書かれている言葉を贈りたい。

お祈り.jpg


附記:今日は読書会のDさんと再会。3時間余りなんてアッという間に過ぎ、ユキの帰宅に間に合うように大急ぎで帰ってきた。徒歩40分、昨日も知子とユキと3人で歩いた道だ。
楽しかった! 感謝!


posted by 優子 at 16:48| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2016年05月01日

家の教会C −ヨナ書−

2016年5月1日(土) (第4回 家の教会)                
午前10時頃から?(記録なし)

@ 子どもの讃美歌  82番 「おおしくあれ」  
A 主の祈り
B 讃美歌      465番 「うれしきあさよ」
C 聖書輪読     ヨナ書4章1節〜11節
D お話とお祈り   (優子) そのあと一人ずつ祈る
E 讃美歌      445番 「み神と共に進め」
F 献金と感謝のお祈り  (幸悠くん)
G 頌栄       讃美歌21 29番 
             「天のみ民も」 
H 後奏・黙祷

ヨナ書4章1節〜11節:
4:1ところがヨナはこれを非常に不快として、激しく怒り、
4:2主に祈って言った、「主よ、わたしがなお国におりました時、この事を申したではありませんか。それでこそわたしは、急いでタルシシにのがれようとしたのです。なぜなら、わたしはあなたが恵み深い神、あわれみあり、怒ることおそく、いつくしみ豊かで、災を思いかえされることを、知っていたからです。
4:3それで主よ、どうぞ今わたしの命をとってください。わたしにとっては、生きるよりも死ぬ方がましだからです」。
4:4主は言われた、「あなたの怒るのは、よいことであろうか」。
4:5そこでヨナは町から出て、町の東の方に座し、そこに自分のために一つの小屋を造り、町のなりゆきを見きわめようと、その下の日陰にすわっていた。

4:6時に主なる神は、ヨナを暑さの苦痛から救うために、とうごまを備えて、それを育て、ヨナの頭の上に日陰を設けた。ヨナはこのとうごまを非常に喜んだ。
4:7ところが神は翌日の夜明けに虫を備えて、そのとうごまをかませられたので、それは枯れた。
4:8やがて太陽が出たとき、神が暑い東風を備え、また太陽がヨナの頭を照したので、ヨナは弱りはて、死ぬことを願って言った、「生きるよりも死ぬ方がわたしにはましだ」。
4:9しかし神はヨナに言われた、「とうごまのためにあなたの怒るのはよくない」。ヨナは言った、「わたしは怒りのあまり狂い死にそうです」。
4:10主は言われた、「あなたは労せず、育てず、一夜に生じて、一夜に滅びたこのとうごまをさえ、惜しんでいる。
4:11ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」。

4回まではその日に語ったメッセージの記録を取っておらず、早く掲載しようと思いつつも未だできていない。まずは今日3回と4回の礼拝プログラムを記録した。

この日の礼拝は、最初にヨナ書1章から3章までの内容を話してから聖書を輪読した。取り上げる聖書個所は皆で輪読することにも重きを置いているので、4章すべてを挙げた。

附記:昨日1年ぶりに次女夫婦が帰国し29日まで東京に滞在。今、日本の空の下にいる!
この記事は2016年7月27日16時55分更新
 
posted by 優子 at 16:55| 家の教会 | 更新情報をチェックする