2016年06月26日

家の教会K −「放蕩息子の譬え」U−

今朝はユキがサッカー教室のために午後の礼拝になった。疲れているだろうからといつもよりも短く話したが、それでも途中で今にも眠りそうになっていた。

お話は常にユキに向いて話している。ユキのために補足したり、わかりやすい言葉に直して話しているが、今日始める前にユキが言った。
「おばあちゃんの話が難しすぎたらお祈りでけへん(できない)」と。ユキもまた自らを内省して祈るので鋭い指摘だ。

夫や知子には話の内容をブログに記録しているので、是非読んでほしいと話している。大人の表現のほうが心に届く場合が多いと思うからだ。

2016年6月26日 (第12回 家の教会)
13:00~13:35
@ 前奏
A 子どもの讃美歌  82番「おおしくあれ」
B 主の祈り
C 讃美歌     122番 「緑も深き」
D 聖書輪読    ルカによる福音書15章
               11節〜32節
E お話とお祈り   (優子)そのあと一人ずつ祈る
F 讃美歌     361番 「主にありてぞ」
G 献金と感謝のお祈り  (幸悠くん)
H 頌栄      讃美歌21 29番 「天のみ民も」
I 後奏・黙祷

先週と同じ、ルカによる福音書15章11節〜32節:
15:11また言われた、「ある人に、ふたりのむすこがあった。
15:12ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。
15:13それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。
15:14何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。
15:15そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。
15:16彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。
15:17そこで彼は本心に立ちかえって言った、『父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。
15:18立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。
15:19もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。
15:20そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。
15:21むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません』。
15:22しかし父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。
15:23また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。
15:24このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった。
15:25ところが、兄は畑にいたが、帰ってきて家に近づくと、音楽や踊りの音が聞えたので、
15:26ひとりの僕を呼んで、『いったい、これは何事なのか』と尋ねた。
15:27僕は答えた、『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事に迎えたというので、父上が肥えた子牛をほふらせなさったのです』。
15:28兄はおこって家にはいろうとしなかったので、父が出てきてなだめると、
15:29兄は父にむかって言った、『わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。
15:30それだのに、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこのあなたの子が帰ってくると、そのために肥えた子牛をほふりなさいました』。
15:31すると父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。
15:32しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」。

お話:
先週に続いてイエスさまがお話になった「放蕩息子の譬え話」についてお話します。これは神と人間の関係を示す譬え話です。「放蕩」とは、自分のやらなければならないこともしないで飲酒をしたり遊びにふけることです。

先週は特に父に焦点を当てて、レンブラントの絵も紹介してお話しました。
さて、放蕩息子はお父さんに「我が受くべき分」をと財産の分け前を求めました。申命記21章17節に「(長子に)自分の財産を分ける時には、これに二倍の分け前を与えなければならない。」とありますから、弟息子は財産の三分の一を貰ったのでしょう。

そのお金を使い果たした後、大飢饉が起きて農作物ができなくて食べ物にも困り始めました。しかし、困ると言うのは良い事で、正しい生活に戻る第一歩になります。困った放蕩息子は畑で豚の世話をする仕事をさせてもらいました。

ユダヤ人にとって豚は汚れた動物として嫌っていましたから、豚を飼う仕事はとても嫌がられた仕事でした。放蕩息子は食べる物にも困って、豚の餌であるイナゴ豆でもいいから食べたいと思いましたが、それさえもらえませんでした。

イナゴマメの実.jpgイナゴ豆は地中海沿岸のような温暖な土地でよく育ち、乾燥にも強く、高さは10m以上になるそうです。豆のさやは25cmにもなり、形が動物の角やイナゴを思わせる形をしています。豆ですから栄養があり、味は少し甘くて人間も食べられます。

放蕩息子はおなかが空いて豚の餌さえもらえなくて、ようやく気がついたのです。お父さんから離れて好きなように生きたいと思って家を飛び出たけれど、お金がなくなったら誰も助けてくれないし生きて行けないと気がつきました。

18節の「天」とは「神」のことです。神さまのことを天とも言われていました。そして、「そこで立って、父のところへ出かけた。」とあります。ここがとても大切です。

放蕩息子は間違っていたと気がついて家へ帰る決心をしました。このように実行しなければ、せっかく気がついても実行しなかったらその思いは消えてしまいますから、放蕩息子は実行しました。
父の所にはたくさんの食べ物がある、よく謝って雇人のように働かせてもらおうと思って帰ったのです。

ところが父は息子の姿を見つけるや否や、走り寄って息子を抱きしめて口づけをしたのです。息子はこの出迎えに驚いたに違いありません。そして、父の切なる愛に気がついたことでしょう。

父は身分や地位が高い人がするように指輪をはめてやり、靴を履かせてやりました。裸足でいるのは奴隷の姿だからです。キリスト者はこれと全く同じで、「義の衣を着せられて全てにおいて新しくなった罪びと」であると黒崎幸吉は言っています。

父は「このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから」と大喜びしていますが、ユキは不思議に思うかもしれません。弟は死んだわけではないから生き返ったというのは変だなってね。

でも神さまにとっては、神に背を向けて生きる者は死んで失われた者であり、その帰還は復活なのです。だから父はこんなに喜んだのです。

一方、兄はどうでしょうか。兄は弟を「弟」とは呼ばないで「あなたの息子」と呼んでいますね。ここに兄の愛の無さが現れています。

このような親子関係の構図だけではなく、大人ならば似通った心境を何度か経験しているのではないでしょうか。私も兄のような気持ちになったことがあります。

「兄」はとても律法的で、自分は弟と違って正しく生きていると思っているので、弟よりも父(神)の愛をもっと多く受けるのは当然だと主張しています。

そのような気持ちでいるから、いつも父(神)と一緒に居ながら父(神)との関係を失い、父(神)の愛、恩恵がわからないのです。弟のことにも無関心で心配もしないし、子が帰ってきたことを喜ぶ父の喜びがわかりませんでした。


私たちもまた、兄のように高慢で自分が正しいとする自己義認、また、弟のことを心配しない無関心な心の情態に陥ってはいないかと、いつも自分自身を振り返らねばなりませんね。

弟は神(父)を拒否して神なしで自ら自分が生きる世界を作り得ると思って家を出ました。しかしそれは、自分を完全に喪失してしまうことになってしまいました。弟はそのことに気がつきました。それは自分の罪の認識です。
弟は「父の子であり、兄の弟であることにこそ、自分が自分を生きる道があった」のです。

何度も言いますが、兄の身分は完全で、常に父と居ることと、父の全てのものを自分のものとしているのです。
しかし、罪を赦された弟の方が、正しい兄よりもはるかに幸福な人間になりました。最初は弟の魂も失われていましたが、兄の魂は失われたままです。


このことはキリスト者と神との関係をも示しています。私たちは兄のようなこの上ない最上の恵みの生涯に入れられているのですが、感謝して最上の生き方を味わっているでしょうか。もしも兄のようであるならばまことに悲しく惜しいことです。

このお話は律法的(パリサイ派)に生きていた兄にとっては弟との和解への招きであり、忘れてはいけないことは、父はこの兄をも愛しているということす。本心に立ち返るのを待ち続けてくださっているのです。

ということは、イエスはパリサイ派の人々もまた神の愛の中にあるということも伝えたかったのだと思います。

先週も言いましたが、私たちは皆、放蕩息子を経験し、兄も経験します。そして、年齢を重ねながら父のような愛の人に変えられていきたいと願います。

神さまはどんな時も決して無理に押し付けないで、常に私たちが本心に立ち返るのを待ち続けている父であり、その願いはただ一つ、私たちに祝福を与えることなのです。
神は愛にして愛なるお方です。そのことを絶対に忘れないことです!

附記:今日は梅雨の中休み、11時頃から晴天になった。只今、夫とユキは爆睡中。私も今から横になろう。二日前に(中軽度)ギックリ腰になって今も痛い。

ひまわりの蕾.jpg初めて植えたひまわりの蕾。
植える場所がなくて一つは日日草の間に、一つはイソトマの横にと、狭い所に植えてある。しかも土が浅いため弱々しい。
しかも僅かながらも土の多少によって茎の太さが違っており、土が一番多い所に植えられたものが最もたくましく育っている。それを見ていると、しみじみ子どもの育つ環境がいかに大切かを考えさせられている。

どのひまわりもこんなに少ない土でも健気に蕾を膨らませて、花を咲かせてくれるようだ。毎日楽しみに蕾を覗いている。

夜のひまわり.jpgついでながら植物も夜は眠ることがわかった。
この時23時前だが真夜中になるともっと脱力して葉を真下に垂らす。いや、私が遅くまで電気を点けているから眠れないのだ。


ある朝早く初めて見た時の驚いたこと!
枯れてしまったのかと思って、前日も水やりを怠っていなかったかはずと思い出していた。植物は人の心を感じ取っているのかもしれないから、もっと優しく心を込めて水やりをしなければいけないね。

初めて植えたひまわり.jpg
梅雨の晴れ間、気持ちよさそうに風に揺れている。

posted by 優子 at 15:00| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2016年06月25日

ブルンナー読書会B −『我は生ける神を信ず 使徒信条講解説教』4章−

「ブルンナーを読む会」は毎月第3土曜日に決めていたが、今月は第3土曜日がクリスチャンペンクラブの例会ということで今日の開催となった。先週の例会は久保田暁一先生の告別式になってしまったが・・・

1週間延期されただけでも下村喜八さんとの再会は何と懐かしく感じたことであろうか。信仰の友との交わりと、その時を心から神さまに感謝した。
しかも、ブルンナー、シュナイダー、ゲーテ・・・などを研究されてきた大学教授から直接教えていただくとは身に余る光栄だ。下村さんもこの時を喜んでくださっている。感謝!

今日は讃美歌312番を讃美し、ガラテヤ人への手紙3章10節〜14節を輪読。下村さんのお祈りにより学びを始めた。

今日のテキストの箇所は「4.神は人となりたもうた」で、最初に下村さんが考えられたことをお話くださり、私たちも感想や考えを述べ合った。
私がこの章でしっかり心に刻めたことは―

▼ クリスマスは受難日とイースターとペンテコステとに結合されていること。救い主が人間になりたもうたことは、十字架においてはじめて完成された。

▼ 「この神の自己犠牲の行為によって敢えて神の愛を信じ、同時にわたしたちの罪の大きさに目を注ぎ、しかしそれにもかかわらずそれによってもはや絶望しないならば、実際生起する」ということ。

この事実を私たちが信じないで忘れてしまうから
、「アバ、父よ」と呼ぶことができないで、陰気な顔をし、顔は光を失い、心は温かさを失ってしまうということ。


ブルンナーは人間の理性では理解できないことは極力避けて、理性で理解しようとする。ダーウィニズム(生物学の進化の概念、自然選択説・適者生存の考え)も受け入れ、それらも神の創造の中に含まれているという考え方だという。

信仰を賜った者はキリストに合わされ繋がされているのであるが、神の臨在を感じてそれを実感することがある。最近は「家の礼拝」中にたびたび感じ、先週は知子が祈って居る時に喜びの涙が溢れ号泣してしまった。

そのことをお話した時、それを「天国の前味(まえあじ)」や「天国の前経験」と言うことを教えていただいた。とてもわかりやすく「天国」を説明するのに良い表現だと思った。天国は死んでから行く所ではないということを!

つまり、その時すでに地上に居ながら天国に在るのであり、永遠が始まっているということなのだと共感し合った。


ヨーロッパの文学には「永遠」について出てくるが、高木久雄著『随想集』の「<諸行無常>ということ」(配布していただく)から問題提起され、我々は日本古来の世界観、「諸行無常」の人生観に深く根ざしてはいないかと話し合った。

無常とは「常が無い」ということで一瞬たりとも同じ状態を留めることは出来ないという意味だが、因みに「無常観」とは無常として世界を観るという意味であり、「無常感」は無常として人間を感じること。

知子は無常を感じないと言ったが、私は両親を天に送ってから特に強く感じるようになった。それには年齢的なものが多分にあると思われるが、日本の精神風土の影響を強く受けていると思っている。
無常感を強く感じる時は気持ちが沈み、その場に立ち尽くしているように感じる。「無常感との霊的葛藤」「続・無常感との霊的葛藤」にも記している。

これを書きながら北森嘉蔵が「無常」について書いていたことが脳裡に浮かんだ。

「人間がはかなく無常であるというのは、神の怒りによるのだと聖書では驚くべきことを書いている。即ち、神という人格と、人間という人格との関係が破れたこと」を意味すると。

「怒り」の "Zorn"(名詞:ツォルン)は "Zer"(ツェール)から出た。"Zer"とは粉々に、あるいは、ずたずたに引き裂く、分裂するなどに使う接頭語で、例えば、

コップを割る "brechen"(ブレッヘン) → 粉々に割る "zerbrechen"(ツェールブレッヘン)
紙を裂く   "reiBen" (ライセン)  → ずたずたに引き裂く "zerreiBen"(ツェールライセン)

"Zorn"「怒り」とは、人格と人格との関係が引き裂かれること、人格的な事柄の分裂することで、感情論の「怒り」ではない。

つまり、無常なものになることによって、人間の無常を解釈するというのがキリスト教の救いの考え方である。伝統的に言えば、神が人間になるということ。永遠なる神が無常な存在として人間になった。
 
         (『日本人と聖書』 教文館)

泰然自若として死を迎えた釈迦と、絶望の叫びを叫んで死んだキリスト。イエス・キリスト(神)は憂いを通ってくださり、私たちのように憂いを持ち、死ぬべき人間として暗黒の世界に突入してくださった。そして、死を克服して復活が現実となったのである。 
         
夫は「時が満ちる」とはどういうことかを尋ねていた。すごいことだと思う。互いに出会いと親しみを深めながら人生を分かち合う喜び。楽しい。嬉しい。地上にある最高の喜び。神に感謝、感謝!

来月の第4回「ブルンナー読書会」は7月30日、最終土曜日に開催予定。閉会のお祈りは知子。今日は最後に、讃美歌「神ともにいまして」1節を歌って別れた。

kasa3.gif

私たちの読書会中はユキも学習する時間に決めて廊下の机でやっていたのだが、一つ終わっては表に丸を付けに来て、徐々にお邪魔虫になりかけていた。

今日のサッカーは校区の中学校の運動場でする予定になっていたが、今朝は雨が上がっていたもののグラウンドの状態が悪いので中止になった。明日は小学校で予定されている。 

トノサマガエルだよ!.jpg
トノサマガエルを捕ってきた! 見て

そして、夕方に逃がしてあげたよ。カエル君、元気でね。
カエル君、元気でね。.jpg
去年はチャッピーも一緒に来ていたのにね。
諸行無常。
だからこそ今を思いっきり生きるんだよね!

↓ これはユキが撮ったよ。上手ね〜〜。
ユキ作.jpg 
今日は雨がパラつく肌寒い一日だった。
明日は晴れの予報。になればいいね!


posted by 優子 at 22:43| ブルンナー読書会 | 更新情報をチェックする

2016年06月22日

久保田暁一先生 追憶

2008.8.jpg
2010年8月のJCP全国合同夏期研修会、
日本クリスチャンアカデミー・関西セミナーハウスにて

2008_8.jpgこれは2008年8月、関西・中部ブロック夏期研修会での写真だが、先週から探し続けているのに見つからない。

katatu.gif

久保田先生との思い出を一つ選ぶならば、2010年1月30日、関西(かんせい)学院大学(通称:関学)で開催された日本キリスト教文学会の日に10時間半を共に過ごしたことだ。

先生はあの時すでにパーキンソン病で歩行が危ないだけではなく、両膝関節の痛みのため5センチほどの歩幅でしか歩行できなかったのに、遠く近江高島からお一人で兵庫県西宮市の奥へ出向かれた。

その勇気だけではなく膝の苦痛は相当なものであり、本当にお疲れになったことであろう。

午前10時半に大阪駅中央改札口でお出会いして、関学のキャンパスに着いたのが12時45分であるから、いかに困難な足取りであったか想像して頂けるだろう。仮に阪急電車との連絡が悪かったとしても、梅田から1時間少しあれば十分に関学に到着するのだから。

関学の門をくぐった時は昼食を摂る時間もなく、私は先生にキャンパス内のベンチで待っていただいてパンを求めて走った。真冬のベンチである。必死で食堂、売店と走って調達したが、それでも10分近く待っていただいたと思う。

この半年ほど前から関西ブロックの会計(だったと思う)も引き受けてくれないかと薦められていたが、私は2009年春以来長女のことで苦悩の中にあり、心身共にズタズタだった娘のことに神経を使い、孫との生活に明け暮れしていることを話して辞退していた。

ところがこの日も仰ったので、「5日前に長女の調停離婚が成立したのでお受けできる」と良いお返事をしたものの、現実はまだまだ大変でうやむやにしてしまった。

この日、道中で、また、暗くなった寒いキャンパスで励ましてくださったことが今も強烈な印象として残っている。

「藤本さんに元気で楽しく生きてほしいんや。
聖書を読んでクヨクヨするのは読み方が間違っている。聖書は私達が幸せに生きるようにと(神さまが)下さったものだ。苦しむために下さったのではない」。


師は柔らかい口調で、しかし、単純明快に言われた。そして、
「力になれることがあれば何でも言うておいで、相談にのるから。失礼だろうけれど藤本さんのことを娘のように思っている。・・・

藤本さん(何度も「優子さん」とも呼んで下さった)は突込んで書くからいい。今まで書いた論文や新しく書いて是非一冊出そう。慌てなくてもいいから。私でよければ出来る限りのことをする」。


久保田先生は誰に対しても優しく愛に満ちた方であった。
日本キリスト教文学会でも重鎮だ。初めて行った時は、関学の副学長(日本キリスト教文学会支部長)や遠藤文学の長である笠井先生など多くの方に紹介してくださり、この日も研究発表していた若い研究者の後方支援のためにと質問しようとされていた。
師はいつも周囲の人々に優しく励ましの言葉をかけておられた。

「私でよければ序文を書かせてもらうから」。

「『パンドラの匣』の執筆依頼にしても評価されているから声をかけて下さったんやからな。志を持ち続けていれば必ず道は開かれていくから」。


お別れする前に大阪駅構内の店でコーヒーをいただいていた時、この日、久保田先生は私のことを心配して出て来て下さったことを知った。やっぱりそうだったのか・・・涙が滲んだ。
それなのに、「ありがとう」、「悪いなあ」、「嬉しいなあ」と何十回言って下さっただろうか!


私は先生と腕を組み、指と指をしっかり絡めて手をつないで歩いた。先生は何度も手を強く握られ、私も強く握り返して手でも会話していた。

阪急側からJR大阪駅側に渡る混雑する横断歩道では、信号が青になった時にすぐにスタートできるように右端の一番前に立った。

歩行力が行きの時よりますます落ちておられるのがわかった。息遣いもしんどくて呼吸が整うまで待った。そして、2度目の青になって渡り始めた。時間内に渡り切るのは必至だった。

「大丈夫! ゆっくり 慌てないで、1、2、1、2、もう少しです」。もはや渡り終えていないのは私たちだけで、今にも自動車が出てきそうだった。

そして、「渡れましたー!」と2人で笑った。母が完全に歩けなくなるまで母と同じようにして歩いていたことも脳裏をよぎった。

行き帰りの5時間、先生に寄り添いながら歩かせて頂いたことは生涯の宝。その背後にずっと神の愛を強く感じていた。


20時53分の敦賀行き快速を見送って環状線のホームに向かった。先生の無事を祈り、後ろ髪を引かれる思いでお別れした。

私が自宅の最寄り駅に着いたのはちょうど10時だった。その1時間も前から長女が駅で待ってくれていたとは思いもよらず、申し訳なくもありがたく自動車に乗り込んだ。

今も先生の声が耳に残っている。
「優子さんは明るいからいい。優子さんが家族の要(かなめ)やからな、お嬢さんを励ましてやりなさい」。

「2歳半の孫が、『おじいちゃんが無事に帰ってきたことを感謝します』とお祈りするんですよ」と話すとビックリされて、「強制せんでも(しなくても)か?」 「はい」
「お孫さんも(神に)守られているんや。(これからのことは)心配ない!」と喜んで下さった。

早速この日のお礼状も届いた。

久保田先生より.jpg

その4ヶ月後、両膝の手術後のお見舞いに上がった時、術後の痛みも楽になられ、血色もすこぶる良くお元気だった。

O姉とのおしゃべりに花が咲いて、遥か遠くまで乗り越してしまった話をすると先生は爆笑されて、「藤本さんが元気になってよかった!」と喜んで下さった。奥様は終始おそばで静かに微笑んでおられた。

大きな悔いは、先生が「私でよかったら序文を書かせてもらうから」と、お会いするたびに何度も何度も声をかけてくださっていたのに努力しないで終わったことだ。やり始めたもののいつしか諦めてしまい、ほぼ手つかずのままだ。

師は80歳からパソコンに着手し始めて時間がかかりながらも『だるま通信』を書かれ、2015年5月20日に「これを最終号とします」と275号を発行された。

それだけではなく、周囲の手助けを受けながらもこれまでに書かれたものを何冊かの本にまとめられたのに、その間でさえ私はどれだけやったというのか! 
親子の年齢差があり、体も自由に動き、ましてや自らが最もやり遂げたいことであるのに!

もはや久保田先生の序言をいただくことはできなくとも、怠惰な己に鞭打ってやり遂げないではすまされない。久保田先生と出会わせてくださった神さまに感謝し、残りの時間はそのことに集中して必ずやり上げたい。

久保田先生の講演より:
私の文学活動も一切党派を持たない。なぜならば、客観的に見られなくなるからだ。自由に読んで自分の納得のいくやり方で追求していくために、党派性をもたないでやってきた。

イエスを追求するにも自己を持たないかん。人の物まね、受け売りはいかん。遠藤(周作)にしろ椎名(麟三)にしろ独自の文学論をもってやっている。

「おおいなるもの」を宗教と言う。
そのおおいなるものに支えられていることがとても大切だ。おおいなるものに支えられていると傲慢にならずに生きていくことができる。


過去ログ・2008年11月16日の例会、三浦綾子の『母』と小林多喜二の『蟹工船』より。

「自分が信じるのではない。イエス・キリストに支えられて書かざるをえないということであり、そのためには裸(正直に)になる必要がある。
意欲をもって前向きに続けて行くと必ず自分なりにモノになる。心ある人を神が放ってはおかない」。


久保田先生の御愛を無駄にはしない。


posted by 優子 at 18:13| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2016年06月20日

中田武仁さん逝去

「中田武仁さんが5月23日、老衰のため神戸市の病院で亡くなっていたことが分かった。78歳。葬儀は親族で営んだ」。久保田先生の訃報を受けた翌17日、中田武仁さんが亡くなられたことが報じられた。

1993年4月、カンボジアで選挙監視のボランティア活動中に銃撃されて亡くなった中田厚仁さん(25歳)の父だ。

武仁さんは愛息の遺志を継いで、15年間で30カ国の紛争地を巡ってボランティアを激励支援し、1500回以上の講演活動を続け、私財をも使い果たしたという。

あの時、悲報を受けて武仁さんご夫妻がカンボジアに向かわれた時、一輪の桜の枝を持って行かれたそうだ。厚仁さんが生まれた時に植えた桜の木の枝を。

「厚仁の体は白い布に包まれ、とどめを刺された一撃でもある後頭部から左目に貫通した銃弾の痕も、それと分からないように包帯で包まれていました。

母親がせめて手だけでも握ってあげたいと申しまして、恐れおののきつつ白い布を解きますと、厚仁の手は胸の上で合掌するように組まれていました」。


厚仁さんの13回忌には、「献身的な若者に出会うたび、ここにも厚仁がいると感じるようになりました」と、自らに言い聞かせるように語られたという。

中田武仁さんと.jpg私の住む自治会にも講演に来てくださったことがあった。自治会のどなたかがお知り合いだったのではないかと思う。

この日がいつだったかわからない。真智が大学4回生の時だっただろうか・・・

中田武仁さんとマチ.jpgこの頃の「生活記録簿」には必ず記載していたので丁寧に調べればわかるはずだ。とにかく12〜3年前のことだと思う。

中田武仁さんはわが子の悲しみを胸にしまって、常にこの輝く笑顔を照らしておられた。
そう、それは世を明るく照らす笑顔だった。


この日、中田さんのお話をお聴きした時に思ったことも思い出した。それは実に拙いものだった。
そのような危険地帯ならば無防備ではなく、せめて防弾チョッキを着用すべきではなかったのかと。

そして、その思いに対して微かにではあるが不本意なものというのか、不純なもの、的外れなものを感じていた。今、これを書きながらその不本意さの根源がわかった。

それは私が武仁さんの生き方にはほど遠く、その真剣さが全くわかってはいなかったために、あのような恥ずかしいほど稚拙なことしか感なかった。私に純粋さが欠けていた。


何も発言しなかったことが幸いだった。

久保田暁一先生が召天されて自らの最終ラウンドを如何に生きるのかと強く感じている今、中田武仁さんの死からも強く迫られるものがある。

「あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。・・・ただ、あなたがたはキリストの福音にふさわしく生活しなさい」。            
         (ピリピ人への手紙 1章6節、27節)

怠けず、時間と力を浪費しないで励まねばと思う。

posted by 優子 at 18:26| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年06月19日

家の教会J −「放蕩息子の譬え」T−

2016年6月19日 (第11回 家の教会)
9:05~9:55
@ 前奏
A 子どもの讃美歌  48番「こどもをまねく」
B 主の祈り
C 讃美歌     517番 「われにこよと主は今」
D 聖書輪読    ルカによる福音書15章
                  11節〜32節
E お話とお祈り   (優子)そのあと一人ずつ祈る
F 讃美歌     519番 「わがきみイエスよ」
G 献金と感謝のお祈り  (幸悠くん)
H 頌栄      讃美歌21 29番 「天のみ民も」
I 後奏・黙祷

ルカによる福音書15章11節〜32節:
15:11また言われた、「ある人に、ふたりのむすこがあった。
15:12ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。
15:13それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。
15:14何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。
15:15そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。
15:16彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。
15:17そこで彼は本心に立ちかえって言った、『父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。
15:18立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。
15:19もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。
15:20そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。
15:21むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません』。
15:22しかし父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。
15:23また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。
15:24このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった。
15:25ところが、兄は畑にいたが、帰ってきて家に近づくと、音楽や踊りの音が聞えたので、
15:26ひとりの僕を呼んで、『いったい、これは何事なのか』と尋ねた。
15:27僕は答えた、『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事に迎えたというので、父上が肥えた子牛をほふらせなさったのです』。
15:28兄はおこって家にはいろうとしなかったので、父が出てきてなだめると、
15:29兄は父にむかって言った、『わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。
15:30それだのに、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこのあなたの子が帰ってくると、そのために肥えた子牛をほふりなさいました』。
15:31すると父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。
15:32しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」。

お話:
6月の第3日曜日は日本でも「父の日」として定着しています。ユキちゃんに「父の日」についてお話するのは心が痛みますが、ユキはこれまでにも何度かお友だちに「幸悠のおとうさんは何で居れへんの?」と言われたと話してくれました。

ユキは「ふ〜ん、お父さんか…別に何も思わない」と言ったけれど心を痛めていると思います。(やはりそうだった。この話をしたとき、ユキは頷いた。)

これからユキが大きくなっていくとき、そのことで悩み悲しんだり怒りを覚えたりすることがあると思います。そのとき私はユキに寄り添い、一緒に悩み話し合いたいと思います。来月9歳になる今「父の日」を避けないでお話ししようと思いました。

さて、「父の日」も「母の日」同様にアメリカで生まれました。その由来を調べると1909年、今から110年ほど前のこと、ワシントン州のソナラ・ドッドという女性が「母の日」の説教を聞いて「父の日」もあるといいなと思いました。

というのは、ソナラさんのお母さんはソナラさんが子どもの時に亡くなり、そのあとお父さんが男手一つでソナラさんと5人のお兄さんを一人で育ててくれました。

そこでソナラさんは教会の牧師に、お父さんの誕生月である6月に「父の日」を祝う礼拝をしてほしいと頼みました。その礼拝が1909年6月19日には第3日曜日だったことから、ワシントン州では6月の第3日曜日が「父の日」となり、1972年に全米で国民の祝日として定められたということです。

私の母が亡くなって20年、父が亡くなってこの8月で16年になりますが、両親の愛を思うと感謝が尽きません。しかし、私のように地上の父に恵まれた人ばかりではなく恵まれなかった人もたくさんおられます。ユキのように父親の顔も記憶に残らず幼い時に生き別れた子もいます。

でもユキには神である主イエスが共に居てくださいます。いえ、今はまだまことの神さまを知らない人も皆、全ての人に天の父が居られます。


さて「父の日」に因んでどんなお話をしようかなと思った時に、まず思い起こすのが「天の父」のことでした。

主イエスを救い主と信じて神の子にされた私たちは、神さまを「天の父」とお呼びしてお祈りします。イエスさまは神さまに「アバ父よ」とお祈りされましたが、「アバ」とはアラム語で幼児が呼ぶ「おとうちゃん」という意味です。

ですから私たちも遠慮なく「アバ、父よ」と、心からの親しみをもって「天のお父さん」とお呼びして何でもお話しすればいいのです。

「父」について考えた時、その次に思い浮かんだのは「放蕩息子」の話に出てくる父親のことでした。

最初にイエスさまが話された「放蕩息子の譬え話」について詳しく読んでいきたいのですが、それは来週にして順番が前後しますが、今日は「父の日」にちなんで「放蕩息子の譬え話」に出てくる「父」にスポットライトを当ててお話します。

(この内容はわかりやすいが、ユキに概要を説明)

この聖書の箇所を題材にして、有名なオランダの画家・レンブラント(1606年〜1609)が描いた『放蕩息子の帰還』という有名な絵があります。これです。

レンブラント・放蕩息子.jpg

これは今から400年前の絵です。レンブラントが亡くなる1年前に2年間をかけて描き上げました。父親の年老いた手がとても印象的です。それは大きな力強い手、しかし右手は若く優しい手に見えます。

もう目も見えなくなっているかのような年老いた父に悔い改める弟息子と、右側に立っているのは兄息子。兄の目は暗く、弟への恨みや嫉妬や怒りが描かれています。

この絵と出会ったヘンリー・ナウエン(1932年〜1996年。オランダ出身のカトリックの司祭、元ハーバード大学の教授。霊的な著作多数)は、ナウエン自身の深い自己洞察による霊的旅路を『放蕩息子の帰郷 父の家に立ち返る物語』に綴っています。

ナウエンは、この絵で強調されているのは息子よりも父の方であり、「父の愛のたとえ話」だと言っています。


「父」とは神さまのことです。神さまは決して押し付けようとせず常に待ち続けている父であり、その願いはただ一つ、祝福を与えることです。

だから神の尊厳をも無にして自ら駆け寄って放蕩息子を抱きしめるようなお方なのです。悔い改めた者が「ごめんなさい」と言うより先に赦しを与え、息子としての名誉回復の証しとして指輪をはめてくださり履物を履かせてくださるお方なのです。

このように私たちが「天のお父さま」とお呼びする方は、非常識なほど桁外れに情け深い愛の方なのです。

私たちはみな自分自身が放蕩息子であることに気づき、そして歩みを深めながら自分の内にある兄息子の醜さに気づかされていきます。


ナウエンは正直に自らの内面を告白して次のように言います。
「私たちの生活には、悲しみ、憂い、皮肉、暗い気分、陰気な考え、不健全な空想、憂鬱の感情の波に翻弄されない時は一度もない。神の喜びを知るにいたった人々は、そのような闇を否定しない。
しかし、その中に生きることを選ばない
」と!
 

そして、神さまは私たちに父となるように願い導いておられることに気づかねばならないと。

悲運で孤独な人生だったレンブラントの怒りは涙と葛藤を通して静まり、最後は尽きない感謝に変えられて、このような憐れみに溢れる父親を描きました。

私たちも私たちを祝福したいと願っておられる神さまの愛の中で生きましょう。


今日は「父の日」にちなんで「放蕩息子」の父に焦点を当てて考えてみましたが、来週はもう一度「放蕩息子」の話を取り上げて詳しくお話したいと思います。

是非、過去ログ・2007年3月12日の『父の家に立ち返る物語』と、次の「あなたも私も神に愛されている!」をお読みください!

posted by 優子 at 13:50| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2016年06月18日

久保田先生の告別式

遺影.jpg

湖西線・安曇川駅から徒歩10分ほどの所もタクシーを飛ばしたものの、告別式場に着いたのは開式5分前、会場は満席で多くの人が立っておられた。400名は居られたのではないかと思う。お坊さんの姿も見えた。

告別式表紙.jpg「わたしが世を去るべき時はきた。
わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。
今や、義の冠がわたしを待っているばかりである」。

 (テモテへの第2の手紙 
        4章6節〜8節)

私は4月の例会報告に久保田先生の消息を次のように記した。

「久保田先生は高島市民病院(JR高島駅前)から今津病院(今津・中庄)に転院されている。ご本人とは会話できないが、こちらからの話はわかるようで、ニコニコされるそうです。おかげんが落ち着かれているようならば5月に入ってからお見舞いに上がりたい」。

私はこれを書きながら、先生はお元気な頃のお顔でニコニコされていると思っていたので、告別式の式次第に載せられていた先生の終わりの頃のお写真を拝見して衝撃を受けた。私はいい年をして何という想像力に欠けた愚者か!

弔辞は日本クリスチャンペンクラブ関西ブロック事務局長。
原田兄弔辞.jpg

式次第に掲載されていた久保田先生のご経歴:
経歴.jpg

6月15日夜、病院から急変したとの知らせを受けてご家族が病院に向かわれたが、到着された時には召されておられたとのこと。
そばで看取られた看護師は、「苦しまれることなく静かに息を引き取られました」と、挨拶に立たれたご長男が話された。
奥様にお慰めの言葉もかけられなかったのが心残りであった。もっと早い電車に乗るべきだった。

弔電:
久保田広志様

「敬愛する久保田暁一先生の訃報に接し、謹んでご家族の皆様にお悔やみ申し上げます。
ご存命中は、私達の文書伝道の活動に深く荷担くださり、キリスト者としての道のりを立派に果たしてくださいました。感謝申し上げます。
ご家族ご一同の上に、神様の豊かなお慰めがありますようお祈り申し上げます」。
     日本クリスチャン・ペンクラブ関西ブロック一同

中部ブロックの弔電は紹介され、関東ブロック長も訃報が届いてすぐ手配してくださったが、翌日午前中には配達のできない地域とのことで断念された。ペン友たちはそれぞれの所で師の召天に祈りを合わせてくださっていた。

霊柩車をお見送りしたあと、見覚えのあるお顔をみつけて駆け寄った。
すっかり白髪になっておられたが、「車椅子に乗っておられるあの方は(大溝教会の)浅見牧師に違いない」と大田先生に話しながら、私は混雑する中を歩み寄りご夫妻と再会した。3度しかお目にかかっていないが懐かしさを感じる牧師だ。

「奥様は賀川豊彦から洗礼をお受けになったのですね」と言うと、「よく覚えておられますね」とご夫妻は微笑まれ、「ブログに書かせていただきましたからよく覚えています」と答えた。

「私たちがお邪魔した秋の特別伝道集会は2010年でしたね」。「そうです」と浅見牧師もしっかり覚えておられたことに驚いた。馬見労祷教会のことも話された。師が短期間牧会された教会なのだ。
たった数分間お話しして、牧師のお膝を撫でながら心の中で神のご加護を祈って式場を後にした。

関西ブロックから6名が出席。事務局長は火葬場まで行かれたのでご挨拶せぬまま別れた。
大阪方面へ帰る我々4名も2名ずつ別々になり、一組は自動車で来られたギデオンの方々と、私はOKU姉と歩いて安曇川駅に向かった。
私の大切な神の家族、米原から自動車で来られたN兄を捜しきれず、もう一度ご挨拶を交わすことなく別れてしまった。

私は大阪で友と別れて大丸へ入り、4時前に遅い昼食を摂って6時前に帰宅した。今は寂しさの感情も薄れるほど疲れているので、久保田先生との思い出や感謝の思いは日を改めて刻みたいと思う。

ウィキペディアはまだ先生の死を更新されていない。久保田先生が最後に例会に出席されたのは2014年4月だったと思うが、もう一度丁寧に調べたい。

高島の駅を見ながら、あの日、高島駅まで歩いた松本瑞枝姉も昨年2月に召天され、先に逝かれた方々が地上の生涯を終えるに至るまでの苦闘の日々を思った。

そして、戦後粒ぞろいの牧師や信徒を輩出した時代の終焉を前にして多くの悲しみが去来する。世の全てが劣化する一方で、私は非常に悲しくてならない。


posted by 優子 at 22:21| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2016年06月16日

久保田暁一先生が残されたもの 

久保田先生召天@.jpg久保田先生からいただいた2008年のクリスマスカードを、ずっとデスク前の壁に掛けている。毎日朝に夕に目に止めて思い出すたびに感謝とお守りを射祷する。

この文字からパーキンソン病を発症されていたことがわかる。

久保田先生訃報@.jpg

自由を失いつつあるお体で書いてくださったみことばを読んで、これまで何度励まされて立ち上がってきたことか!

久保田先生との出会いはそれほど古くなく2004〜5年頃だったと思う。
その数年前に当市の市民図書館で見つけた『日本の作家とキリスト教』を読んでお名前を知ったが、まさかクリスチャンペンクラブの理事であられたことなど思いもしなかった。

私は受洗後すぐの1987年8月にJCPに入会して、毎年拙文を掲載していただいていた「証し集」でも久保田先生のお名前を目にしているのに、どういうわけか記憶になかった。

毎年熱海で開催されていた夏期学校には娘たちが小学生だったため不参加。次女が6年生になった時(1992年)には母の難病が進行していたため、その後も参加することはなかった。

1995年秋よりJCPのペン活動を中断。その後2004〜5年(?)に久保田先生が関西ブロックを立ち上げてくださり再活動、ここでようやく出会うことになる。2006年6月に『日本の作家とキリスト教』が再版されたので、購入して9月の例会に持参してサインしていただいた。

ガクアジサイ2つ.jpg

例会はいつも久保田暁一先生の愛唱歌である讃美歌225番の讃美で始まった。2009年秋に理事を退かれて大田正紀先生にバトンを渡され、11月の例会記録には「残念ながら久保田先生は今回も健康の理由で欠席され、当分の間は休会されるとの報告があった」とある。
       (過去ログ:2009年2月15日)

昨夜も、そして今朝も早くから3時間も過去ログに没頭してしまい、「それじゃあ、おばあちゃん、行ってきます」と言ったユキの声で気がついた。

JCP草創期からの重鎮がまた一人地上から姿を消された。堪える。「しみじみと時代の流れを感じます」、関東ブロックのペン友の一筆。

久保田先生の言葉を読むと先生のお声で聞こえてくる。

「文学は人に訴える力がある。人を生かす力がある。・・・
人にどう思われるだろうかなど、よく見せようと思わないで、自分をごまかさずに書いていくこと。・・・苦しみの道中を見ているからこそ書けるのであり、全身全霊をかけて書く。人の書けないものを書くのはたいしたものだ」。
        
       (過去ログ:2010年4月26日より)

▼ 「文学作品を徹底的に読んで自分なりに理解してみる。そして、自分の生き方に関連して一貫した研究テーマを持ち、持続して掘り下げていくことだ」。

▼ 「ましな人間になっている」という思いを深めていく。しかし、「十分だ」というような思いなどもったことはない。
キリストの教える真実は何かを生涯かけて突き詰めていく。私はイエス・キリストによって支えられてきたことを告白したい。それを十分果たしたいという気持ちがある」。

▼ 「今までに27冊の書物を出したが、残りもまとめれば10冊ぐらいになるだろう。書くことは自分を見つめ、掘り下げていくことだ。また、自分の思いを確認することである」。

▼ 「文章のどこを切っても、そこから血が吹きだすように『具体的な事実』がでてくるような文章を書く。いい文章を書くということは、小手先ではできない。その人の力の全てをかけた営みである」。
      (過去ログ:2009年8月12日、 
     「夏期研修会B ―久保田先生の文章論より―」)

2008年度JCP関西・中部合同夏期研修会では次のように締めくくられた。

「私たちは神に守られて生かされている。大切なことは、力強く生き抜いていくということだと思います」。      

アガパンサスの季節.jpg 

「彼らはその労苦を解かれて休み、
そのわざは彼らについていく」。

アガパンサスの季節に神さまのところへ帰って行かれた久保田暁一先生。いのちを見事に用いて、最後まで生き抜かれた。
私は不真面目すぎる。
もっともっと真剣にやらなければ!


明日は遠方ゆえに7時半に家を出て、O姉と大阪駅で待ち合わせて京都から湖西線・安曇川(あどがわ)へ向かう。何度も訪れた懐かしい近江高島駅を経て・・・

posted by 優子 at 23:50| JCP関係 | 更新情報をチェックする

訃報 久保田暁一先生召天

「18日のJCP関西ブロックの例会は、取りやめに致します」。

今週は今日になってようやく礼拝メッセージに集中していたら、午後3時過ぎにJCPのN兄より電話があり久保田先生の訃報をお聞きして息が詰まった。

N兄と話しながらメールを開くと13時前に事務局長から一報が入っていた。その後に届いていた大田先生のメール共に電話口で朗読した。

17時過ぎ、再び連絡が入った。

詳細な情報を得ました。謹んでお知らせいたします。
大溝教会の久保田暁一兄が87歳にて逝去されました。
前夜式、告別式は大溝教会・竹内 宙 牧師の司式でとり行われます。

日時: 前夜式  6月17日(金)18:00〜
    告別式  6月18日(土)11:30〜
    出棺           13:00〜

場所: 安曇川セレマホール
    高島市安曇川町西万来町381−9
    tel 0740−32−4200
    fax 0740−32−4201

久保田先生のことを祈り、昨日も一昨日もこれまでにいただいたお便りを手にしていたところだった。
4月の総会でも5月に有志の者たちでおかげんの良い時にお見舞いに上がろうと話していたところだったが、奥様がご辞退されていたので、少なくともこの2年間は誰もお目にかかっていなかった。

    「天に一人を増しぬ」
           セラ・ゲラルデナ・ストック作
            植村正久訳

家には一人を減じたり 楽しき団欒は破れたり
愛する顔 いつもの席に見えぬぞ悲しき
さはれ 天に一人を増しぬ 清められ 救はれ
全うせられしもの一人を

家には一人を減じたり 帰るを迎ふる声一つ見えずなりぬ
行くを送る言葉 一つ消え失せぬ
別るることの絶えてなき浜辺に
一つの霊魂は上陸せり 天に一人を増しぬ

家には一人を減じたり 門を入るにも死別の哀れにたえず
内に入れば空きし席を見るも涙なり
さはれ はるか彼方に 我らの行くを待ちつつ
天に一人を増しぬ

家には一人を減じたり 弱く浅ましき人情の霧立ち蔽(おお)いて
歩みもしどろに 目も暗し
さはれ みくらよりの日の輝き出でぬ
天に一人を増しぬ

げに天に一人を増しぬ 土の型にねじこまれて
キリストを見るの目暗く 愛の冷ややかなること
いかで我らの家なるべき 顔を合はせて吾が君を見まつらん
かしここそ家なれ また天なれ

地には一人を減じたり 
その苦痛 悲哀 労働を分つべき一人を減じたり
旅人の日ごとの十字架をになふべき一人を減じたり
さはれ あがなわれし霊の冠をいただくべきもの一人を
天の家に増しぬ

天に一人を増しぬ 曇りし日もこの一念に輝かん
感謝 讃美の題目 更に加はり
吾らの霊魂を天の故郷にひきかかぐるくさりの環
さらに一つの環を加へられしなり

家に一人を増しぬ 分るることのたえてなき家に
一人も失はるることなかるべき家に
主イエスよ 天の家庭に君と共に坐すべき席を
我らすべてにも与えたまえ

雨上がりのアガパンサス(ユキ作).jpgご遺族の上に神のお慰めがありますように祈ります。
告別式でしばしのお別れをして来よう。




今夕、雨上がりの合間にユキが撮った裏庭のアガパンサス。時を忘れて見入る。

posted by 優子 at 18:44| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2016年06月14日

いざユキの授業参観に!

今日はユキの参観日だが、知子がどうしても外せない仕事のために私が代理で参加した。今も「おばあちゃん、来てほしい!」と嬉しいことを言ってくれるユキ。

昨日はママがユキのお菓子を食べていたことが分かって悔しがって大泣きし、「一番大好きなのはおばあちゃんで、ママは大嫌い。おじいちゃんはふつう」と言っていた。

11日の土曜日はおじいさんに京都に開館した鉄道博物館に連れて行ってもらって、小田急ロマンスカー(だったか?)を買ってもらったのに一番ではなかった。

今回の参観代理は、幼稚園年長組、1年生に続いて3回目である。授業参観は音楽室で音楽専科の先生の授業だった。唱歌を歌い、縦笛を教わっていた。

子どもたちが歌う「春の小川」を聞いていると余りに懐かしく、手塚治虫の「ふしぎなメルモ」が不思議なキャンディーを食べて子どもになっていくような感じがして、目を閉じた。

小学校3年生の4月、転任されてきたばかりの住村恵子先生のオルガン伴奏で歌っている私になった。そこに背筋をピンと張って意気揚々と歌っている私がいる。
もう55年も前のことだが、とても幸せを感じながら歌っていたこともよく覚えている。

どうかこの子たちも今を強烈に記憶し、いくつになっても忘れることなく健全に歩み続けることができますように。我が孫のことだけではなくみんなのことを祈らずにはいられない。


音楽の授業終了前.jpg授業中の撮影は非常識だが、ずっと苦難にあるRちゃんママにRちゃんを見せてあげたくて授業終了直前に撮った。その右横がユキだ。

ユキの真心A.jpgユキの大好きだったF先生は8月に出産されるので今週から休暇に入られた。

ユキの真心@.jpg懇談会は20代後半(?)の新担任のMr.O先生と、この子たちが1年生の2学期から関わってくださっている年配のMr.O先生も同席された。

新担任は体育を教えるだけではなく、先週は全日を共に過ごしてくださっていたので、既に子どもたち(34名)の顔と名前も一致してきているとのこと。

そして今週は年配のMr.O先生も毎日サポートしてくださるという。F先生と共にユキの大好きな先生なのでよくユキが話す。今日初めて御目文字しご挨拶した。

因みに懇談会の参加者はクラス委員2名を入れて12名、これでも多い方だったと思う。しかし、私と同年輩の方が懇談会中にずっとガムを噛んでいた保護者がいたと呆(あき)れておられた。親世代の現状を思うとなおのこと、この子どもたちの健全育成を願わずにはいられない。

ユキは懇談会が終わるまで運動場で遊んでいた。
「ユキー、帰るよー」「ユキちゃーん」と大声で叫ぶと、運動場で遊んでいる子どもたちが「ゆきひさ、おばあちゃんが呼んでるでー!」と叫んでくれた。

こんなに呼んでも一向にサッカーをやめないので、私は一段高い生垣に登って叫んでいたら、「おばあちゃん」とユキがすぐそばまで来ていた。私はユキと違う子に叫んでいたのだ。
職員室のドアが開いていたので丸聞こえだったかも・・・ユキごめんね。

それにしても私が知らなくても何と多くの子どもたちが、「ゆきひさのおばあちゃんや」とか「ゆきひさ、おばあちゃんが来たでー」と知ってくれているのだろう。

近くにいた初めて会った女の子たちも好意的なまなざしを向けてくれ、「ゆきひさのおばあちゃんです。よろしくお願いします」と言うと嬉しそうな顔をしてくれた。

帰りには向こうから声をかけてくれ、顔を覚えていないのが申し訳なかった。
こどもはかわいい。みんないい子だ。みんなしっかりした幸せな大人に成長して良き人生を送ってほしいと祈った。

今日が初プール。先週は気温が低かったので足をジャブジャブしただけだが、蒸し暑い今日も曇っていたので唇が真っ青になったそうだ。
6月は市の図書館と市役所を見学し、30日にはF先生の関係でまだできていなかった校区巡りを予定しているそうだ。

ユキが撮った校庭の紫陽花.jpgこれはユキが撮った校門ちかくに咲くガクアジサイ。
やっぱりユキは上手だ。訴えてくるものがある。


帰る頃はようやく予報通り晴れになっていた。帽子も日傘もない強い陽射しの中を、F先生のご安産を祈りつつ学校をあとにした。

posted by 優子 at 23:28| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2016年06月13日

M・Mさんとの「カイロス」の時

今日、「神の恵み ブログが取り持つ信仰の友」に記したM・Mさんが、大阪府堺市方面で集まりがあるとのことで大阪駅で待ち合わせた。今日が初対面である。(その時の頓馬ぶりも最後に記しておいた。)

ユキが学校から帰宅して独りで長い時間居るのを不安がるので、2時間半という短い時間だったが信仰の友との話は尽きず、まさに「カイロス」の時。Mさんは素晴らしい方だった! それしか言葉が浮かばない。

かつて久保田暁一先生が話されたことを想起させる。

「本当の出会いとは、その人に出会うことにより自分の生き方や思想に影響を与え、自分が変えられていくことであると思う。

佐伯先生との出会いもそうだった。以来ずっと交流が深められている稀有な人である。

形ではなく心の関係は深まるばかりで、それは共通するキリスト信仰によるが、それだけではなく生き方の共通点による。共に、常に今を生き生きと生きた事実にある」。


とにかくMさんは何でもできる有能な方で行動派。その点からいえば共通点どころか両極にある方だ。
しかも心の美しい成熟した方というのはメールのやり取りを通してわかっていたが、本当に神の恵みを真に知っておられる方だった。

これまでにもこのような友を何人か与えられ、また新たにMさんとの不思議な出会いを得て、私もまた久保田先生の如くMさんに感化されて互いに良きわざをなしていきたい。

手作りシフォンケーキ.jpg泊りがけで外出される前日にシフォンケーキを焼いてきてくださったMさん。
「幸悠くんの今日のおやつに」と持たせて下さった。その他にもたくさん!
私はお菓子も手芸も何も手作りできないので、いつもそうするようにデパートで買ったものに心を込めて用意した。

いただきます!.jpg
「ありがとう!
いただきます!」


教会の牧師と役員代表として来阪されたMさん。
Mさんの生き方、お働きを神さまが喜んでおられるのを強く感じた。

附記:大阪駅での失態。
Mさんとはまだ一度もお目にかかったことがないが、待ち合わせ場所は大阪駅中央改札口だから大丈夫だと安心していた。

しかしサンダーバード14号到着時間寸前に不安が生じた。私がこれまでずっと「中央改札口」と思っていた場所に「中央南改札口」と書いてあるのを見つけたのだ。

通行人のひとりが「ここが中央出口や」と連れの人に話している声が聞こえて安堵するも、列車は3分以上前に到着しているのに、髪の毛が長くて「白いブラウスに紺のスカート」のMさんらしい方がいない。

いよいよ心配になって「延着しているのでは」と駅員さんに尋ねていた時だった。後ろから声をかけられて振り返るとMさんだった!!!

私は今日まで中央改札口が2か所あるとは思ってもいなかった。見ると、その2メートル程度右横に改札口があり、「中央北改札口」と書いてあった。そこは南口と違って人はまばらだったが、私は携帯電話も持っていないので申し訳なくてならなかった。

これでは大阪人の面目も立たないではないか
それどころかMさんは金沢の人なのに、「人が多くて見つけられなかったら中央口から少しルクアイーレの方へ行って鉄道・観光案内所の前で待っていようかと思います。」とまで書いてくださっていたから驚いた。

私は「ルクアイーレ」も知らなくて、知子から昨夏マチ・クマに招待されてディナーに行ったあたりだと聞いて理解したのだが、アメリカへ移って10年になる次女が知っていて、しかもはるか昔のこととは言え、ここは6年間通学時に利用していたのに情けない。

Mさん、もう一度「ごめんなさい」。
さすがMさんはすぐに機転を利かせて動かれた! 私ならば、まず10分間ぐらいは立ち尽くしていたと思います。

これではワシントンへ行くのも自信がないはず、Mさんも感じておられたに違いない。

昼食後にはレストランに荷物を置き忘れて、店員さんにエレベータ前まで駆けつけてもらったり、頓馬ぶりを発揮した。やっぱり認知症の初期ではと不安がよぎる。


posted by 優子 at 23:48| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2016年06月12日

家の教会I −子どもの日・花の日礼拝−

2016年6月12日 (第10回 家の教会)
9:10~9:55

@  前奏
A  子どもの讃美歌  48番「こどもをまねく」
B  主の祈り
C  讃美歌     465番 「うれしきあさよ」
D  聖書輪読    マルコによる福音書10章13節〜16節
E  お話とお祈り   (優子)そのあと一人ずつ祈る
F  讃美歌     466番 「この世は花園」
G  献金と感謝のお祈り  (幸悠くん)
H  頌栄      讃美歌21 29番 「天のみ民も」
I  後奏・黙祷

マルコによる福音書10章13節〜16節:
10:13イエスにさわっていただくために、人々が幼な子らをみもとに連れてきた。ところが、弟子たちは彼らをたしなめた。
10:14それを見てイエスは憤り、彼らに言われた、「幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのような者の国である。
10:15よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない」。
10:16そして彼らを抱き、手をその上において祝福された。

教会歴では今日6月の第2日曜日は「花の日」ですから、先週は今どんな花が咲いているのかなと思いながら歩きました。散歩中に見る花は5月よりもとても少なかったです。

今年も梅雨に入り恵みの雨とは言え、ジメジメして苦手な6月ですが、欧米では日本の5月のように爽やかで1年中で最も花が多い季節のようです。

今からちょうど60年前の1856年6月、アメリカのマサチューセッツ州の教会で「子どもの日」礼拝が行われ、自然界に溢れている神の恵みを感謝し、子どもを花にたとえてこの日を「花の日」と呼ぶようになりました。

そして、日本の教会やキリスト教主義の学校でも「花の日礼拝」をささげるようになりました。学校では明日、生徒が花を持ちより礼拝堂の講壇を飾り、放課後に花を持って入院している方々を慰問し、交番や消防署などお世話になっている方々に労いと感謝の気持ちを届けます。

それにしても花にはいろんな色や形があるので驚きます。直径2〜3ミリの小さな花も、道端に顔をひっつけるようにして見ると一つひとつ丁寧に見事に創られています。

高校の美術の時間に想像した魚を描くようにという課題が出されて、私はかなりユニークな形をしたカラフルな魚を描いたのを覚えていますが、BS放送を見ていると海の中には私の想像をはるかに超えたユニークな魚がいっぱいいるのでびっくりします。

世界の海には約3万種類の魚がいて、花は25万種類もあるそうです。私はいつも散歩中に花を見るたびに「神さまってすごいなあ」と言いながら歩いていることが多いです。

ところで、美しい女性の姿を表す言葉に、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」と言いますが、どの花が一番美しいとは言えないし、野原に咲くタンポポやポピーも本当に奇跡としかいいようのない美しさです。

花はそれぞれに美しく、また、いろんな花があるからこそ違いがあり、それぞれの季節にふさわしく咲くとは、何というミラクルでしょう!

そして、花を見る人が嬉しい時は花も喜んでくれているようで、悲しい時は黙って慰めを与えてくれ、イライラする時は心を静めて大切なことを思い出させてくれ、花はいつも見る人の気持ちに寄り添ってくれます。

そんなことを心にとめて今日の箇所を読みました。
「イエスにさわっていただこうとして」というのは、きっとイエスさまは多くの病気を癒されたから、子どもを祝福していただこうとイエスさまの所へ連れてきたのでしょうね。

でも、弟子たちは子どもたちを来させてはいけないと叱りました。弟子たちはイエスさまを煩わせないようにと思ってのことでしょうが、師であるイエスさまのことが分かっていませんでした。そしてイエスさまは憤って言われました。

子どもたちの無邪気で率直な姿こそが神の国の民の姿に近い、信仰とはこのようなものであり、小さな子どものように単純に心から信頼する全き信頼こそが大切なのだと言われました。

聖書や神学の知識や理屈ではなく、全てに先立って大切なことは単純に神への信頼であると教えられたのです。幼児のように「自然なるがゆえに虚偽がなく、単純なるがゆえに力強い」のです。そういう人が神の国に入るにふさわしいと教えられたのです。


このお話を読んで、私はユキのお祈りを思い出しました。真智がワシントンで手術を受ける数時間前のこと、2014年1月9日の寝る前のお祈りです。ユキはこのようにお祈りしました。

「イエスさま、ユキはイエスさまはすごいって信じてるから今から寝ます。明日の朝、おばあちゃんから『成功したよ!』と聞きたいです。手術する人も看護婦さんもみんないい人でありますように。このお祈りをイエスさまのお名前によって御前におささげします。アーメン」。

覚えていますか? 
幼稚園の年長組だった幼いユキのお祈りに衝撃を受けるほど感動し、最も大切なことを教わりました。その姿こそがまさにイエスさまが私たちに求めておられることであり信仰者の真髄なのです。

あの小さかったユキが来月9歳になります。どうかこれからもイエスさまへの純粋な信仰を無くさないでください。美しい心を失わないで、野の花のように育ってほしいです。

人と同じようになるのではなく、ユキはユキらしく、ユキの良いところを大切にしてください。

養育者である私たちはユキの良さを引き出して、ユキの花が咲くように、ユキでしか咲かすことのできない花を咲かせることができるように、神さまに祈り求めつつ、互いの良さを生かし合い補い合って養育の大任を務めさせていただきたいと願っています。

教会の今朝の礼拝では牧師が子どもの頭の上に手を置いて祝祷されますが、私たちの礼拝にいつもご臨在くださっている主イエスは、いつも礼拝の終わりに幸悠の頭に手をおいて祝福してくださっていることでしょう。私たちもまた。

星野富弘 つばき.jpgここまで成長させてくださった神さまに感謝し、最後に星野富弘さんの詩「つばき」を読んで終わります。




      「木は自分で 
      動きまわることができない
      神様に与えられたその場所で
      精一杯 枝を張り
      許された高さまで
      一生懸命伸びようとしている
      そんな木を 
      私は友達のように思っている」


私たちもそれぞれ置かれたところで精一杯咲きましょう。今週も神さまのお守りがありますように。

附記:これは1970年同志社女子高校卒業アルバムに収められている「花の日礼拝」(メッセージ後のお祈り)の様子です。

花の日礼拝1969.6.jpg
「栄光館ファウラーチャペル」(通称・栄光館)

この建物は同志社のシンボル的建物で登録文化財である。1932年、米国ファウラー家の寄付をもとに建築され、1600名収容。1937年、1955年、?年と、ヘレン・ケラーが3度訪れている。

1階に中学生、2階に高校生が着席し、壇上前に生徒が持参した花が飾られている。この時は聖歌隊が壇上で座っているが、このような特別礼拝以外は2階席の正面に着座していた。
その後、新たなパイプオルガンになってから2階中央はパイプが据えられている。

週に1回、放送を通してホームルーム礼拝があり、中学生や高校生だけの礼拝もあったが、ほとんどがこのように中高合同礼拝であった。

来る日も来る日もパイプオルガンで奏でられる荘厳なバッハの曲で迎えられ、讃美歌を歌い、御言葉の種が蒔かれていた。
同志社で学ばせてくれた両親に改めて深い感謝の思いが溢れる。

posted by 優子 at 13:06| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2016年06月10日

聖霊によって祈り、祈りによって聖霊をいただく

聖霊の助けがなければ「イエスは主(しゅ・救い主)です」とは言えないように、聖霊の働きがなければ祈ることができない。信仰とは生ける神との霊の交わり、この一言に尽きる。

クリスチャンの生涯に入れられた頃、札幌在住の定家都志男牧師発行の機関誌・『祈りの細胞』を読んでいた。

「よく、祈りを時効の挨拶から始めて、神さまにあれこれ説明したり、神を定義づけたり、たたきつけるように祈る方があります。かと思えば、形容詞を巧みに使って、人に聞かせるような長い祈りをする人もいます。

祈りとはもっとありのままの、素朴な下手な祈りであってよいと思います。公の祈りでは、みんなで”アーメン”と言い得る祈りをすることが必要です。

神に祈りが聞かれるとは、自分の思い通りの結果になることではありません。聖書には、祈って求める者に神はよいもの(聖霊)をくださらないことがあろうかとあります。

聖霊によって、”わが恵み汝に足れり”と言われる主に従える信仰をいただくことが祈りの答えではないでしょうか」。


「アーメン」である。
私の母教会には祈りの賜物に溢れる人々が居られたことは恵みだった。牧師の説教同様に、その方々の祈りが濃厚な栄養となっていった。

以後そのような祈りを耳にすることは滅多になく、まるで人に聞かせるものであるかのように「祈りを時候の挨拶から始めて、神さまにあれこれ説明したり」と、ほとんどがそのような内容だった。

祈りは神さまに捧げるものであるから上手下手ではなく、真実の思いを申し上げればよいのだ。

聖霊の助けがなければ「主に在る一致」という最後の線をも踏み越え、神の御心を行うのを多数決によって決めてしまう。これでは「聖書を読みの聖書知らず」で信仰の命取りになってしまう。

信仰とは神さまとの交わりであり、毒麦の譬えにあるように、神さまから見て誰が良い麦であるかということだ。主の導きと祝福を信じる人は、必ずや主の喜ばれる道を選んでいく。私もまたそうでありますように!

posted by 優子 at 17:57| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2016年06月08日

貴重な戦争体験の聞き取り −中学1年生の真智子のレポート―

私の大切な保存箱に入っている1枚のプリントに目がとまった。次女が中学1年生の時に祖父から聞き取った戦争体験だ。国語の先生(担任)が掲載して1993年9月14日に配布されたものであるが、聞き取った内容だけではなく13歳の少女が感じたことも読ませる内容だ。

あれからまた23年経った戦後71年の今、これはなおさら貴重な聞き取り内容なのでここに記録保存しておきたい。私にとっては久しぶりに父に会ったような感じで何とも懐かしくもあった。

祖父こと私の父は、「記憶に残る戦後大阪の残像から」に記したように戦場経験はない。そこに書いたエピソードで、病床の父が昔の空襲の記憶に怯えていたことも真智子のレポートを読んでよくわかった。

【戦争体験の聞き取りと、話を聞いて思ったこと、考えたこと】              
                     藤本 真智子

私は、祖父から聞いたことをもとに書きます。
当時、祖父は18才ぐらいでした。だから、赤紙が届いたのは、終戦の何日か前で、戦場に行く前に戦争が終わったそうです。

祖父が住んでいた姫島の町も半分が焼け野原になってしまったそうです。淀川の向こうが真っ赤に燃えていたそうです。今ではそんな気配はまったくないので、私はずっと、ここは焼けなかったんだ、と思っていました。でも、やっぱり、こわい体験をしていました。

戦争中、いたる所に死体があったそうです。もちろん、近所の知っている人も死んだと言っています。空襲で淀川の堤防によく逃げたそうです。

走っている時も、焼夷弾の不発弾が地面にあたって、カチカチとなっていたそうです。それがまわりにたくさんふってくるのですから・・・・。こわかったと思います。祖父は、
「あの不発弾が爆発していたら、おじいちゃんは今、いきてなかったやろうなぁ。」
と言います。私はその当時だと、生きるか死ぬかなんて、運の良い悪いで決まったんだな・・・と思うと、おそろしくなりました。

そして、「もう、死ぬのなんてこわくなかった。」と言っていたので、人間はすぐ、状況にあってしまうということも知りました

そして、祖父が何度もくり返して言っていたのは、淀川をわたる時、線路の真ん中の上を何百mも歩いてわたったということです。真智の作文の挿絵.jpg右図のようになっていたと聞きました。

それに、10円でいもあめ1つ買って、自転車で遠く目ざして1日すごしたこともあるそうです。

私は、色々話を聞いているうちに、戦争は悪まの様だ・・・と思いました。戦争は、人を殺すだけでなく、人間から死のきょうふをのぞき、かんたんに、なんの気なしに殺してしまう、死んでしまう、という風にします。私は、こういうことが一番こわいことだ、と改めて思いました

そして、血みどろで、何もかもなくなって、人もいっぱい、いっぱい死んで、プラスの部分なんて一つも無い、ただにくいだけの戦争を、もう二度とくり返さない様に、私達一人一人がんばろうと思います。悲さんな戦争をくり返さない様に。

ここに戦争がいかに恐ろしいものであるか、端的に書いてあった。

「戦争は、人を殺すだけでなく、人間から死のきょうふをのぞき、かんたんに、なんの気なしに殺してしまう、死んでしまう、という風にします。私は、こういうことが一番こわいことだ、と改めて思いました」と!

憲法改悪に躍起になって平和が破られようとしている今、それ以上に恐ろしいことは、反対の声がもっともっと大きなうねりとならない人々の動静、沈黙だ。


posted by 優子 at 21:14| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2016年06月07日

主のつぶやきを求めて

6月の山桜.jpg家の教会を始めるようになって、当然のことながらこれまで以上に聖書を読むようになった。
まず愛読書である黒崎幸吉の著書(昭和3〜5年初版)を読み、検索もして聖書のメッセージを考えていく。

月曜日から木曜日の4日間をかけ、木曜日の夜には礼拝のプログラムも印刷して準備を完了させるのが習慣になっている。

6月2週目の日曜日は「子どもの日・花の日礼拝」である。そこで6月の花々を見たいとの思いが自己を打ち勝たせ、今朝は歩くコースを拡げた。

そこは2000年から5年間ほどチャッピーとよく歩いていた50分コースだが、途中で霧雨が降ってきたので15分ほど短縮コースになった。

5月はあんなに多くの花々が咲いていたのに、今はその10分の一ほどしかなかった。

藤の種.jpgしかし、
大発見!
藤棚には
大きな豆のさやが
ぶら下がっていた!


64歳にして初めて知る感動

6月の藤棚.jpg

そんなわけで気持ちが弾んで今朝はマチ・クマのテーマソングを聞きながら書いていた。
以前ならばマチのことを書く時やマチの過去ログを読む時は、必ずこの曲を聞きながら書いたものだが、今日はたぶん1年以上ぶりかもしれない。会社の苦労が絶えない日々であることや、チャッピーの死という大きな出来事があったからだ。

そして昨日の記事を読んだあと、【関連する記事】の「真智子と私の心の記録」のタイトルに惹かれて読み、ワシントン行きのワクワクする感情も蘇ってきた。

真智に教わった " topic sentence "、この記事は如何に?! 文章は難しい。
タイトルもまた然り。冴えないタイトルでも、とにかくお読みくださいとお願いしたい。

「今、明日説教の備えを祈りつつしております。昨夜になってやっと、主のつぶやきをいただきました。感謝。」とお手紙くださった玉木功牧師。
私もまた主のつぶやきを求めて次週のメッセージを準備させていただきたい。

posted by 優子 at 17:54| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2016年06月06日

真智の誕生日に −『親ばと子ばと新聞』に残る10歳のマチ―

真智
お誕生日おめでとう!
こう書いた瞬間に思いついたよ。
今日のブログには『親ばと子ばと新聞』に載せているお誕生日の記事を載せようと!

はや結婚10周年を迎えたなんて本当に早く感じるし
真智たちにとっては充実した期間であり
実を結んだ10年やったね。
私にとっても感慨深くていろいろと思い巡らせています。

航空券のことだけれど
あと10日してもキャンセルが出なかったら行けなくなるけれど、そうなったらこちらも旅行先を予約しないとあかんね。

真智はこの1年も良い日々を積み重ねることでしょう。
私もそうでありますように。

お誕生日おめでとう!
真智子の幸せをいつも祈っています。

ママより

1989年7月19日に創刊した『親ばと子ばと新聞』。これは1990年6月6日、初めてマチの誕生日を記した109号である。
親バト子バト新聞.jpg

全てを良きになしたもう主イエスさま.jpg

真智子36歳に.jpg

お父さん、ありがとう。会う日を楽しみにしています。.jpg

ちなみに『親ばと子ばと新聞』は一時筆が重くなって中断し、
ついに1994年6月16日の184号で絶筆した。
その2年4ヶ月後に母が召される頃のことである。
そして2006年に『メメントドミニ』として甦った。

良輔とユキ.jpg 
真智、パパも元気です。
全員一人ひとり参加型の礼拝になって、
只今みことばを海綿のように吸収しています。

この記事を書き始める直前に真智から返信が入っているのを見つけ、またまた神の愛を感じて涙し、至らない自らを詫びて感謝のお祈りをしていた。

ママ、ありがとう!
神様が導いてくださって、多くを与えてくださったことを
しっかりと覚えて感謝したいです。

ANAからの良い知らせがくることをお祈りしてるよ。
神様が介入してくださっていて、最善のプランへと
導いてくださることを信じて待とうと思います。

ありがとう!
真智子


まもなく開くアガパンサス@.jpg
集会所のアガパンサスはまもなく花開く。

まもなく開くアガパンサスA.jpgアガパンサスは、ギリシャ語で「神の愛、無条件の愛」を示す「アガペー agape」と、「花」の意味を持つ「アンサス anthos」との結合語で、「愛の花」という意味である。

真智を思いつつ

posted by 優子 at 13:00| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2016年06月05日

家の教会H −「毒麦の譬え」―

昨日、九州から近畿、東海地方が梅雨入りし、今日、関東甲信地方も梅雨入りした。

2016年6月5日 (第9回 家の教会) 8:05~8:35
@ 前奏
A 子どもの讃美歌  10番 「ことりたちは」
B 主の祈り
C 讃美歌      285番 「主よ御手もて」
D 聖書輪読     マタイによる福音書13章24節〜
           30節、13章36節〜43節
E お話とお祈り   (優子)そのあと一人ずつ祈る
F 讃美歌      461番 「主われを愛す」
G 献金と感謝のお祈り  (幸悠くん)
H 頌栄       讃美歌21 29番 「天のみ民も」
I 後奏・黙祷

13:24また、ほかの譬えを彼らに示して言われた、「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。
13:25人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。
13:26芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。
13:27僕(しもべ)たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。
13:28主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。
13:29彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。
13:30収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。
     ・・・・・・・・・・・・・・・・
13:36それからイエスは、群衆をあとに残して家にはいられた。すると弟子たちは、みもとにきて言った、「畑の毒麦の譬えを説明してください」。
13:37イエスは答えて言われた、「良い種をまく者は、人の子である。
13:38畑は世界である。良い種と言うのは御国の子たちで、毒麦は悪い者の子たちである。
13:39それをまいた敵は悪魔である。収穫とは世の終りのことで、刈る者は御使たちである。
13:40だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終りにもそのとおりになるであろう。
13:41人の子はその使いたちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、
13:42炉の火に投げ入れさせるであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。
13:43そのとき、義人たちは彼らの父の御国で、太陽のように輝きわたるであろう。耳のある者は聞くがよい。

先週読んだ「種を蒔く人の譬え」はルカだけではなく、マタイ(13章1〜8節)やマルコ(4章1〜9節)も書いています。

イエスさまは「神の国」「天の国」はどういうところかを伝えるために「種まきの譬え」を話され、私たちはどのような心で御言葉を聞けばよいのかを考えさせられました。

御言葉を聞いてもそのことをいつも心にとめておかないと、茨にふさがれてしまいます。茨が生える所は土壌が肥沃でみことばの種も発芽し成長します。つまり、みことばを悟ることができる人であるけれど、地位や名誉、成功や金銭などの誘惑や心労に心を奪われて実を結ぶに至らない人のことです。

でも「立派な善い心で御言葉を聞いた人」は、辛いことがあっても諦めないで「忍耐して実を結」びます。あなた方もそのように生きるのですよというお話でした。

麦.jpg今朝はそのお話を踏まえて話された「毒麦の譬え」です。
これは麦ですが、このお話をするにあたり、私は「毒麦」って本当にあるのだろうかと調べました。すると本当にありました。


毒麦.pngこれが毒麦です。
毒麦は道端や荒れ地でたまに見られる雑草の一つで、若いうちは麦と似ているので見分けるのがとても難しいのですが、このように穂が出てくると違いが判ります。

しかも根は長くて強いので周りの麦の根にしっかりからみついて成長しますから、毒麦だとわかっても抜こうとすると小麦も一緒に抜いてしまうので、譬え話の「主人」が収穫の時まで毒麦を抜かないで、そのまま麦と一緒に育てなさいと言われたこともよくわかりました。

では、この譬え話は何を伝えようとしているのでしょうか。この話はイエスさまを信じている人々に語っておられます。
25節に「人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った」とあります。この「人々」とは畑を見守る人々のことで、「敵」は人々の敵ではなく「種を蒔く人」、即ちイエス・キリストの敵の意味です。そして27節に出てくる「家の主人」とはキリストのことです。

28節を見てください。「では行って、それを抜き集めましょうか」とあるように、しもべは麦と毒麦の区別ができると思っているからこのように言っているのですが、それは不可能なのです。ここがこのお話のとても大切なところです。

つまりこうです。麦と毒麦の見分け方が難しいように、人の信仰が良いか悪いか私たちには判断することはできません。

さすがに「神さまも間違うし反省する」と言うような人がいたら間違いも甚だしく論外ですが、実のところ私たちはみな、自分の信仰も神さまの御心にかなっているのかどうかさえわかりません。それは牧師とて同じです。どれが毒麦でどれが良い麦かわかりません。それを判断できるのは神さまだけです。

だから私たちは人を裁いてはいけないのです。それは神さまの領域であり私たち人間がすることではないからです。

神さまは全てのことを支配されており、世界中のどんな小さなことも全てご存じです。私もまたそのことがしっかりわかった時に心の嵐が静まり、この譬え話で慰められ私を悩ます非道な人々のことも神に委ねて平安を得たのです。


植物の麦は麦のままで、毒麦も毒麦のままです。麦が毒麦に変わったり毒麦が麦になったりしませんが、人間の場合はそのどちらもあり得ます。

例えば先ほど例に挙げたように間違いが明白な場合は「あなたは間違っていますよ」と忠告しなければいけません。忠告された人はその言葉に耳を傾け、もう一度神さまに向きなおして神さまのもとに立ち返るならば良い麦にしてくださいます。

そのために神さまは「収穫まで、両方とも育つままにしておけ。」と、悔い改める人々を忍耐強く待ってくださっているのです。

イエスさまは「種まきの譬え」や「毒麦の譬え」を通して天の国(天国)がどんなところかを話してくださいました。天の御国は死んだ人がいくところではなく、一人ひとりの心の中にみことばの種が芽を出して成長しなければならないものであり、そのように生きている人は既に天の御国にいるということなのです。

そして、そのように生きている人は永遠のいのちを与えられて天の御国に迎え入れられるのです。
今週もイエスさまの教えを忘れないで良き経験を重ねていきましょう!

「ある人々が遅いと思っているように、主は約束の実行を遅くしておられるのではない。ただ、一人も滅びることがなく、すべての者が悔い改めに至ることを望み、あなた方に対してながく忍耐しておられるのである」。
       (ペテロの手紙第2 3章9節)
 
昨日、知子のファイザー時代の友人2人から連絡が入り、知子が急きょ外出するために今朝の礼拝は30分間のショート礼拝になったが、豊かに恵まれた。
友人は今もMR(エムアール:製薬会社の営業マン)として転勤先の福岡で活躍されている。

posted by 優子 at 17:20| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2016年06月04日

被爆者・宗藤尚三牧師はオバマ大統領のスピーチをどう聞いたか

以下は『クリスチャン・トゥディ』の「オバマ大統領のスピーチをどう聞いたか 18歳で被爆し反核運動に身をささげる宗藤尚三牧師に聞く」より抜粋引用させていただいた。

※ 宗藤尚三牧師は、この年の10月30日に召天された。

宗藤尚三牧師.jpg宗藤尚三さんは1927年広島生まれ、今年89歳になる。
戦中は広島呉の海軍工廠で働き、1945年8月6日、爆心地から約1・3キロ地点の実家で被爆した。

その後、キリスト教の洗礼を受け、1949年に東京神学大学に第1期生として入学。27歳で日本基督教団の牧師となり、その後は、被爆体験の証言や核兵器廃絶、憲法9条を守る運動、そして宗教者の立場から平和を訴える活動にも尽力し続け、現在も広島宗教者九条の会代表世話人、日本宗教者平和協議会常任理事や、「サヨナラ原発広島の会」運営委員長を務めている。

「被爆しながらも、なぜ自分が生かされているのか?」が信仰と牧師としての活動の原点だという宗藤さんは、『核時代における人間の責任―ヒロシマとアウシュビッツを心に刻むために』(ヨベル、2014年)、『心の内なる核兵器に抗して―被爆牧師のメッセージ』(キリスト新聞社、2010年)など多くの著作がある。

オバマ米大統領が広島を訪問した歴史的な日となった5月27日の翌日、宗藤さんが住む広島市安佐北区を訪ね、話を聞いた。

−昨日、テレビでオバマ大統領のスピーチを聞いてどうお感じになられましたか?

テレビで見ていました。複雑な思いですね。現職の大統領が広島を訪問するのは初めてですから、世界に与える反響というのはそれなりに意味があると思います。

核廃絶への道程やメッセージをプラハの演説の時と同じように「推進していく」という決意をもう一度表明されることを、広島の人間は皆期待していました。謝罪をしてほしいとは私は思っていませんでした。

原爆が投下された歴史的な背景を考えていくと、やはり日本の軍国主義によるアジア侵略や太平洋戦争という無謀な戦争を始めたこと、あるいはポツダム宣言の締め切りが8月3日までだったのに受諾を遅らせて、国会で一億玉砕本土決戦ということを総理が言ったということが原爆投下の一つの導火線になっているわけです。

そういう意味で、日本の加害者としての責任が背後にあるということを無視して、ただ原爆投下を非難することは、私らの気持ちとしてはできない。だから、謝罪をする必要はない。

でも、NO MORE HIROSHIMA、再び戦争はしない、原爆は使用しないということを推し進めてほしいということを期待していたわけです。

それがどうだったかというと、17分間の演説の中で、核廃絶ということは困難であって、私たちの生きている間はないだろうと言った。そして具体的な推進するプロセスや提案もなかった。ジュネーブでの核兵器禁止条約の作業部会に核保有国として出席しないというように全く意欲がない


また、核廃絶と言いながら実際には1兆ドルの核兵器開発費を予算として承認している。新しい形の「スマート」な核兵器を開発し製造している。

核兵器をなくすより逆行しているのが現実にあるわけです。オバマさんに何か期待することはとてもできないのではないかと思います。

私は、核という抑止力によって平和を維持するという考え方は根本的に間違っている、それはただの安全神話だと思っている。

核を持っているということは使用するために持っているわけであり、使用するぞと言って威嚇しているわけです。

事実、国際司法裁判所でも、「一国の存亡の危機に直面した場合に核兵器を使用するのが違法とはいえない」と判断している。

自衛のために核兵器を使用するのは違法とはいえないという世界の通念があるわけで、そこで核兵器を保有していて使えないということはない。自衛という大義名分が立てば使うことができるとして持っているわけです。


そういう危機的な状況の中で人類は生きているんだということを考えざるを得ないです。一発でも原爆があれば、いつでも使えるわけです。そういう意味で核廃絶以外に道はないというのが私の立場です。

−今年に入ってからも、核の使用が現行憲法上可能かという議論の中で「核を絶対に使えないわけではない」と言っている。そこに齟齬(そご)を感じます。

安倍さんは核の傘の下で日本が平和を維持するという軍事同盟関係を結んでいるわけで、その安倍さんが広島に来て「過ちを繰り返しませんから」と原爆慰霊碑の前で発言したり演説したりするのが奇妙なことなわけです。

過ちを繰り返さないために平和憲法ができて憲法9条を作り、戦争を放棄するということを誓ったわけです、こういうことが2度とないようにと。その憲法9条を否定するような総理が、あそこで見栄をはって米国との同盟関係を言うのは、被爆者としては全く受け入れられないです


−今回の演説に意味があると感じられたのはどこの部分ですか?

核兵器の問題というより、今の戦争と飢えと飢餓をまとめて、戦争のない争いのない世界をつくりたいと言ったのはそれなりに評価していいと思います。でも、特に広島に来た以上は、核について特化した提案があってもよかったと思います。一般論として戦争と平和の問題について言ったことはその通りだと私は思いますけれども。

私は約1・3キロの地点で1日倒れていたので、かなりの放射線を浴びたわけですが、約1・3キロの地点の放射線量は3千ミリシーベルト程度だと聞きました。福島の原発の作業員は100ミリシーベルト(その後250ミリシーベルトに変更[年間])なわけです。だから、かなりの被ばくをしたわけです。

でも、家の中とか壁に遮られたか、どこにいたかによっても違うから正確には分からない。現実に放射能の影響による急性白血病などは、戦後経験してきました。その中で「自分が生かされていることがどういう意味なのか?」、自分のアイデンティティーを問う哲学的な思索をするようになりました

−キリスト教の洗礼を受けられたのは何がきっかけだったのですか?

たまたま私はキリスト教作家の倉田百三が伯父(母の兄)なんですね。倉田の影響も受けて親鸞かキリストかずいぶん迷って、キリスト教の洗礼を受けたのです。

倉田は終戦の2年前(1943年)に亡くなっているんですが、クリスチャンで『愛と認識との出発』とか、『出家とその弟子』という小説を読んで大きな影響を受けました。

そして、被爆しながらも自分が生かされているのは、自分が平和を作り出す道具として生かされていることだという自覚を持つようになって、反核、反戦運動家となって活動してきました。

実は最初はカトリックの幟町教会で洗礼を受けたんですよ。でも、小さな自分ながらの宗教改革があってプロテスタントの日本基督教団の広島教会に移りました(笑)


当時はスコラ神学のトマス・アクィナスの神学体系にどうも興味がわかなかったし、ローマ教皇無謬(むびゅう)説にも納得できなかったし、マリア崇拝が根本において聖書の中から出てこないし、だんだんと違和感が出てきたんです。

−太平洋戦争で戦艦大和の搭乗員として戦って生き延び、戦後『戦艦大和ノ最期』を書いた作家の故吉田満さんも、戦後、カトリックの洗礼を受けて、その後プロテスタントに移られたと書いていました。

吉田満さんは高知の方ですね。『福音と世界』の前身だった雑誌に、1950年代のころ、吉田満さんと共に「カトリックから転向して」という特集があって、座談会をしたこともあります(笑)。

−いきなり息子さんが神学校に入るということで、ご両親は反対されなかったんですか?

両親は熱心な浄土真宗の信徒でしたけれど、反対はなかったですね。伯父の倉田がキリスト教で、『出家とその弟子』には親鸞の口からキリストが語る言葉が出てくるような小説ですから、東洋と西洋の美しい一致が書かれている。

京都に西田天香(1872〜1968年)が始めた、一燈園という宗教的な生き方を求め、清貧に甘んじて人のために奉仕する道場のようなものがあって、倉田がそこにいて、父もそこに入っていたことがあるんですね。

街を托鉢して歩くときも、親鸞の書物と一緒に聖書を持って歩いていたというんですね。だから、宗派にこだわるということはなかった。そういう意味で、私が牧師になるということも、父は特に反対はなかったようですね。喜んで私を神学校に送り出し支えてくれました。

東京神学大学ではカール・バルトを中心に学び、「パウロにおける罪の理解」というテーマで論文を書いたんだけれど、その後サンフランシスコの神学大学では「カール・バルトにおける教会と国家」という論文を書きました。

そういう意味で、最初はバルトの言葉を自然神学に対立する神中心の神学として勉強したけれど、僕自身はそこからナチス・ドイツとの抵抗運動の中で教会がどう戦ったかということを研究しました。

−それが教会に牧師として赴任されてからの信仰と、平和を訴える活動の原点なわけですね。最後に今の教会についてはどう思われていますか?

内部対立ばかりやっているので、日本基督教団自体に期待するものは何もないですね。私は東京神学大学卒業ですが、応援したり、献金したりしたこともありません。宗藤というやつは困ったやつだと思われているんじゃないでしょうか(笑)。

今の日本基督教団は私のほうからいえば、右に寄っていて戦責告白なんか口にもしない。礼典もクローズドで、それをしない人は出ていけというような立場になってしまっています。

でも、日本基督教団は戦後、戦責告白を出しているわけですから、その線に沿って教会が形成されるべきで、教会が預言者的な担い手になることを望んでいます。
私はオバマさんが大統領職を退任されてから、いよいよ彼の真の働きが始まって行くのだろうと期待している。


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2016年06月03日

ユキ、今日も良い一日を!

チャッピーの姿を思いつつ.jpg

チャッピーのいない生活にも慣れたけれど、私はいつもチャッピーを思っている。この景色の中にチャッピーがこちらを向いて立っている姿が見える。

廊下にデスク.jpgチャッピー・・・・
6月になったよ。

先月26日に69歳で死んだアジアゾウ「はな子」を惜しむ人々。
辛い時、悲しい時に「はな子」に慰められていた人々の悲しみもよくわかる。

朝一番にブログを書くことなどめったにないが、今朝は気が付かないうちにこんなことを書き始めていたら、ユキは朝食を終え、歯ブラシ、トイレも終えて、「そしたらおばあちゃん行ってきます!」という声がした。

大急ぎで玄関へ行く。
よかった、間に合った。
ユキがランドセルを背負うとき、私はランドセルの真ん中を持ち上げて肩がこらないように中央に収めてやる。入学当初から欠かすことのない毎朝の習慣だ。我が子にはこんなことをしてあげたこともないのにね。

今朝はトカゲを学校へ持って行った。3年生になってからもブラックギルに蛙、小さなコガネムシのような虫などマメに持って行く(笑)。3年生からは教室では飼わないので即日持ち帰るのだが、お友達に見せるのが嬉しいようだ。

このトカゲは昨日A君と物々交換したものだ。今年はまだトカゲを見つけられなくて「トカゲ、欲しいなあ」と言っていたユキ。

昨日は公園でひとしきり遊んで友と一緒に家に戻ってきて裏庭でトカゲを探していた。しかし、トカゲはいなくて次は道路で遊び始めた。ユキはいつものように食器洗剤の空容器に水を入れて字や絵を描いていたら、それを見ていたA君がほしくなって交換したのだという。

今の子はみんなゲームばかりで、こんな子供らしい遊びなどやったことがないようだ。ユキもゲームがほしいので、お友達の家で何度かゲームをさせてもらったようだが、一昨日は「外でサッカーしたりいろんなことを考えて遊ぶほうが楽しい」と言った。

「おばあちゃん、見て! 
トカゲかわいいよー。かわいい目をしてるよ」。


そう言って、虫かごを持って嬉々として学校へ行った。
毎朝ユキを見送るとき、見えなくなる場所でユキはもう一度振り返る。そのタイミングに声をかける。

「行ってらっしゃーい! 気をつけて遊ぶのよ! 良い一日をね、お祈りしているよ!」

「はーい、行ってきまーす!」


3年生4月の身長 131.4cm、体重 25.8s。
昨日持たせてくださった成長記録には、6月の体重が26.4sと記されていた。

庭木の手入れ@.jpg
「ユキ、危ないよ!!!」
これは今週の日曜日、礼拝のあとに花菖蒲を見に行く前に祖父を真似て伸びてきた笹を切っていた。

5月31日着信の川端光生牧師のみことば(聖句):

「だから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです」。

心の頑なな人は、主の恵みを拒絶します。高慢な人、卑屈な人、怠慢な人の心は「ザル」状態です。恵みが注がれても垂れ流しです。恵みは謙遜な人に流れていきます。素直な人はそのすべてを受け止めます。結局、従順な人が一番豊かです。

誰も皆、今日も良い一日を!
良い一日は受け身ではなく自ら能動的に築き上げるのです。


posted by 優子 at 08:25| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2016年06月02日

石破茂国務大臣「クリスチャンとしての思い」を語る

以下は『クリスチャン・トゥディ』(2016.5.27公開)の「この人に聞く 石破茂国務大臣」より「クリスチャンとしての思い」を転載させていただいたものである。

クリスチャンとしての思い

自身の信仰についても語ってくれた。「私は生まれたときからのキリスト教徒です」。
「4代目のクリスチャンで、初代は金森通倫というキリスト教界では有名な同志社大学の第2代目学長でした。新島襄から洗礼を授かった人です。母は3代目クリスチャン、姉も4代目クリスチャン。父は浄土真宗でキリスト教ではありませんでした。

ですから、自ら信仰に目覚めたというわけではないのですが、逆に今まで『神様がおられない』というような恐ろしい考え方をしたことは一度もありません」。

「人間のやることは常に誤りだらけ。きっと私にも多くの誤りがあるでしょう。それ故、常に祈るときは二つのこと、すなわち『ご用のために私をお用いください』『どうぞ誤りを正してください』と言うのを忘れないようにしています。これしかないのでしょう。そうではありませんか」。

いつも心にとどめている聖書の箇所は、ルカによる福音書18章9節から14節の「ファリサイ派の人と徴税人」の例えだ。

ファリサイ派の人が週に2度断食し、全収入の10分の1をささげ、「神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します」と心の中で祈った。

一方、徴税人は目を天に上げようともせず、胸を打ちながら「神様、罪人のわたしを憐れんでください」と祈った。

「『言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人(徴税人)であって、あのファリサイ派の人ではない』というところが好きです」と石破氏。

「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(14節)。この聖句を心に刻み、いつも自分を戒めていると証ししてくれた。

石破氏には非常に心痛むことがあるという。それは、日本のキリスト教界からの反応だ。

「私が防衛庁長官だったときに、イラクへ自衛隊を派遣しました。その時も、昨年の安保法制の時も、キリスト者から猛烈な抗議が来ました。大変な抗議です。

ですが、われわれは戦争が好きなわけではないし、平和を心から願っています。だからこそ、戦争を起こさないために、イラク派遣や安保法制が必要だと思っているのです」。

「高校から東京に来た田中角栄内閣の1972年。もっと今より社会派反戦ムードが強い時代でした。その頃から、どうしたら日本は戦争にならないかということを常に考えていました。学生の頃からです。

『この世に平和がありますように。神様、誤りがあれば正してください』と祈りながらです。ですから、正直に言うと、同じ信仰を持つキリスト者からの批判が本当に一番つらいです」と正直な思いを打ち明けてくれた。

※この記事の正しい更新日時は6月2日ではなく4日である。

posted by 優子 at 19:35| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年06月01日

子どもの成長と養育の大任

紫陽花B.jpg

あじさいが咲いていた。

紫陽花A.jpg


2010.6.18.jpg
これは2010年6月18日、ユキはまもなく3歳になる頃だ。

紫陽花@.jpg以前はあんなに勢いがあったアジサイも今では木が半分ほどになってしまった。

そこで数年前からアジサイに似たコデマリを植え続けておられ、4月下旬だっただろうか、白い大きな花がたくさん咲いていた。

さて、あの幼かったユキが先日こんなことを聞いてきた。
「おばあちゃん、好きな子おった?」
いつも学校から帰ってくるといろいろ学校の様子を話してくれるので楽しい。

「5年生の時に初めて好きになった子がいたよ」
「名前覚えてる?」
「覚えている。○○○○君」
「その子のどんな所が好きやったん?」
「勉強ができて運動もできたからかなぁ。ユキちゃんは好きな子がいるん?」
「うん、○○ちゃん。ユキは強い子が好きで走りの速い子が好き」
「へえ〜、強い子が好きなん? 優しい子がいいよ」と、楽しい会話が続いた。

「その子のどんな所が好きやったん?」とはこれまでにない突っ込みで、目には見えないユキの成長の瞬間を見たようで感動を覚えた。

今週から学校から帰って来ると、お友達との待ち合わせ時間までの15〜20分間も宿題に取りかかる。おやつも食べないで。しかも先週までと違って遊びから帰るとダラダラしないで宿題の続きをしている。

それまでは約束を守らず、毎日のように注意していた(正確に言えば怒っていた)。私は1週間の外出禁止令を出したが1日目で挫折、私が実行できないのだ。
本人のためにと思って禁止にすべきだが、シュンとしているユキを見るとできない。私は父に似て情にもろい所が難点でもある。

ところがこれまでは何度も約束して信頼してもらっていてもユキは約束を守らなかった。やることをやらないで漫画(テレビ)を見ようとしたり、ダラダラする毎日で、ついに先週は自己嫌悪になるほど激怒してしまった。

これでは「家の教会」で聖書の話をし、イエスに従っていきたいと願っている自分の姿さえ虚構ではないかと、自らの実相に愕然として直ぐには立ち直れなかった。

しかし、その翌日もユキは言いにくそうに聞いてきた。
「おばあちゃん、今日遊びに行っていい?」

私は言った。
「いいよ。おばあちゃんはユキを信じる。
イエスさまは7の70倍ゆるしなさいって仰っている。それは何度でもゆるしてやりなさいということだし、ユキは悔い改めて美しい眼をしているからユキを信じる。だからユキも帰ってきたら必ず自分のしなければいけないことをやらなあかんよ!」

「はーい!」

以来約束を守っている。今日も帰宅後早速集中していた。まだ3日間続いただけだが、それでさえ史上初だ。
宿題をやり終えると「今日のクッキング教室は?」とお手伝いしたくてたまらなくて、昨日に続いて数種類の野菜を切ってくれた。日曜日はハンバーグを一緒に作った。結構間に合い助かっている。

私がお風呂洗いを忘れていたら、帰宅して足を洗う時に湯船を洗ってくれる。去年の3月に肩腱板断裂してからずっとそうだ。頼まれなくても快く自らやってくれるユキ。これはユキの特徴的な長所だ。

ザクロの花.jpg大人はストレスを家族の最も弱い存在に向けやすく、子どもの心を傷つけてしまう。もっともっと私は深く悔い改めねばならない。悔い改めたい。

※ザクロの花。実際の花の色は朱色だった。

今週末はユキとキツツキに夢中になることだろう。
今朝の散歩中のこと、カエルの声かと思ったらキツツキが木に穴をあけている音だと、「ほら、飛んでいった」とsさんが教えてくださった。
「撮り鉄」ならぬ「撮りキツ」か。
明日からキツツキに惹かれてウォーキングに出る葛藤は大幅に激減するだろう。


早朝に書いたユキのメッセージroad.jpg昨朝、知子は久々にユキを見送ってから家を出た。

ユキは午前6時半過ぎに祖父を見送ったあと7時過ぎまで遊びに夢中。道路に道を両サイドに描いていた。

放っておいたら学校へ行くのも忘れて遊んでいただろう。とにかく一度外へ出たら遊んでしまうユキ。
出発地点には「いってきます」「おかえり」「ただいま」を、道の最終地点には「いってらっしゃい」と書いてあった。ユキに見送られて知子は駅へ向かった。

6時半過ぎから30分も遊朝からんでいた.jpg

5月28日から北海道の山の中で大和くんが行方不明になって未だ見つからない。ユキより1才年下だ。
人や車に石を投げるからと親のしつけで車から降ろしたというが、どこへ行ってしまったのだろう。早く元気な姿を見たい。「見つかった!」という速報を待っている。

養育者は神さまに愛と忍耐を求めねば養育の大任を果たせない。自戒を込めて祈るばかりである。

※ 全国の人が心配していた大和君は、6月3日午前8時前に自衛隊の駒ヶ岳演習場の廠舎内で発見され、無事保護された! 感謝!
posted by 優子 at 22:10| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする