2016年07月31日

家の教会P ―イエスの教えは消極的な無抵抗主義にあらず― (帰国中のマチ・クマも一緒に)

昨日の「ブルンナー読書会」は次女夫婦も加わり、学びや交わりでの会話が弾み、とても有意義で幸せなひと時を過ごした。今はパソコンに向かう時間が取れないので昨日の様子は次回に譲り、まず今朝の家庭礼拝を記録しておきたい。

その前に今朝目撃した朝顔の目覚めをご覧ください!

早起きの朝顔@.jpg朝顔の目覚めは早く5時前にはほぼ開花し、まもなく気持ちよく花びらを広げた。

同じ時、足元の薄暗い所につけた蕾を写したかったが、発光なしではピンボケの写真しか撮れず断念し、漸く5時4分になって自然光で写すことができた。

早起きの朝顔A.jpg
この時すでに蕾がほころび始めていた。
巻いていた蕾は見る見るうちにほどけていき、花弁が開いていく神秘を直に見ていた。

早起きの朝顔B.jpg

時間を早回ししなくても、花びらが動く瞬間をそのまま見ていた。

早起きの朝顔C.jpg

早起きの朝顔D.jpg

早起きの朝顔E.jpg1時間近くかけてほぼ開花した。
ということは、上部にある蕾は夜明けと同時に午前4時頃から開花し始めたのであろう。まもなく小鳥も目覚め始めた。

真智子は昨秋からワシントン国際日本語教会で奏楽のご奉仕を始めたと聞いていたが、自由に伴奏を付けて弾く姿にひどく驚いた。

しかも楽譜を持たないで弾いており、知子のように一度耳にした曲は即興で伴奏をつけて弾いているので不思議でならない。何曲も途切れることなく弾いてくれていたので心が静まり助けられた。

今朝はいつものように知子に弾いてもらって、私たちがささげている「家の教会」の礼拝形式で行ったが、来週は次女夫婦のリードで執り行いたい。

2016年7月31日(土) (第17回 家の教会)
@ 前奏
A 子どもの讃美歌  82番 「おおしくあれ」  
B 主の祈り
C 讃美歌      467番 
           「おもえばむかし主イェスきみ」
D 聖書輪読     マタイによる福音書
             5章38節〜42節
E お話とお祈り   (優子)そのあと一人ずつ祈る
F 讃美歌      448番 
           「みめぐみを身に受くれば」
G 献金と感謝のお祈り  (幸悠くん)
H 頌栄       讃美歌541番 
            「父、み子、みたまの」
I 後奏・黙祷

マタイによる福音書5章38節〜42節:
5:38『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
5:39しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。
5:40あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。
5:41もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。
5:42求める者には与え、借りようとする者を断るな。

お話:
今朝の聖書個所の最初に出てくる「目には目を、歯には歯を」という言葉は、聖書を読んだことのない日本人でも聞きなじんでいる言葉です。

その意味は「やられたら同じようにやり返せ」と、自分が受けた害と同じ事をして復讐するという「同害報復」をさすことばになっています。

しかしながら、本来の意味はそうではなくて、「やられたらやられた分だけやれ。しかし、それ以上はするなという、どちらかといえば寛容な教えです。

人々がよく知っているこの旧約聖書の言葉に続いて、「しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。」と、いくつかの事例を出してイエスさまが語られたところの真意は、単に無抵抗主義を意味するものではないことをお話し、私たちはいかに生きていけばよいかを考えたいと思います。

39節の「だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい」というのは、右の頬を打たれるということは、相手の手の甲(バックハンド)で打たれるのであり、左の頬を打たれる時は手のひらで打たれるためはるかに強いのです。

イエスさまは左の頬も向けてやれと言われるのですが、これは絶対平和主義の無抵抗主義を説いているのではありません。
日本の現役最長老の東(あずま)道男牧師は次のように話されました。

「イエスが生きておられた当時の小作人たちは、大金持ちに雇われながら殴る蹴るの中で仕事をさせられていた。その人たちにイエスは自分の方から左の頬を向けて抵抗しろと仰っているのである。

即ち、現況に甘んずるのではなく、突破口を捜し求めよ。必ず神が道を開かれるから、無駄な抵抗ではなくて殴るなら殴れと、もう片方を向けてやる気力を持って闘わなければいけないと言っておられるのだ。」
と。

それを無抵抗主義と解釈間違いをしてしまったのは、聖書の原語であるヘブル語からギリシャ語に翻訳する時点で間違って訳され、そのまま英語、日本語へと誤訳されたままになっているから、ヒューマニズムの解釈で周知されてしまったのです。

40節の「あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。」というのは、訴訟により何かを要求される時の態度を教えているのですが、普通ならば「上着を取ろうとする者には下着も与えなさい」というほうが自然ですが、この地で上着を与えることは生命にかかわることだからこうなるのです。

つまり、イエスは下着を取ろうとする者には生命にかかわる上着をも与えなさいと仰ったのです。

ここもまた無抵抗主義という概念で受け止められていますが、イエスさまの考えは無抵抗主義とは決定的に違っており、それが41節の言葉に見出されると北森嘉蔵は言います。

「あなたをしいて1マイル行かせようとするなら」というのは徴発の意味ですが、1マイル行くように強いられた時に1マイル行くのであるならば無抵抗主義でもできます。

ユキは「マイル」というのは知らないと思うんだけれど、これは長さを表す単位で、1マイルは1.6キロメートルだから100メートル競争を16回続けて走る長さです。結構長い距離ですが、イエスさまは「1マイル歩かせようとするならば2マイル行きなさい」と言われました。

しかし、1マイル行くことを強いられた時に2マイル行くというのはどうでしょうか。その時の心情を想像すると心は穏やかではない。グッと歯をかみしめての忍耐です。これに相当するのがガンジーの無抵抗主義です。

それさえも誰もができるものではなく強靭な精神がいるのですが、それは「無抵抗主義の抵抗」であり、その心情には怨恨があります。

北森嘉蔵の解き明かしはこうです。

「怨恨をひそめながら、抵抗の一種として『無抵抗主義』の態度をとっている時、そこに決定的に欠如しているのは、愛の積極性である。無抵抗主義は消極的である。

1マイル行くことを強いられた時、怨恨に満ちて、忍従しながら、1マイル行くことはあり得るであろう。しかし、2マイル行くことは決してあり得ないであろう。

2マイル行くことの中にあるものは、積極性であり、この積極性は忍従や無抵抗主義の中には見いだされず、ただ愛の中にだけ見いだされるものである」。


ニーチェはイエスの中に「怨恨」(ルサンチマン)が見られると言いましたが、ニーチェが完全に見落としたのもこの点であり、このような間違った認識に導いた責任の一端はキリスト教会も負わねばならない
ということも北森は付け加えています。

私が北森嘉蔵に惹かれるのは、自己と向き合っているからこそ見えてくる人間の実相。それゆえに教条的ではなく、また「美しい話」に終わらせないこと、そして、神学者としても真摯な責務を感じていることが伝わってくるからです。それは心に響くメッセージをする説教者に共通する点だと思います。

最後42節の「求める者には与え」とは「思慮なしに貸し与えよというのではない」とことは言うまでもありませんが、「貸してくれと言われた場合は惜しむな。その心を砕け」とイエスは言うのです。

私も北森説と出会う前までは無抵抗でゆるさねばならないと理解していました。そして、確かに忍耐している時は愛がないと思います。しかし、非道なことをする人に手向かわないことは何と幸いなことでしょうか。いじわるもしません。

その時は愛がない忍耐であろうとも「イエスさま、助けて! イエスさま、助けて!」と、怒りや憎しみに引きずり降ろされないように主の御名を呼びながら忍耐する者は幸いです。

そのような人を神は決して放っておかれません。主は長い時間の流れの中で求める者を必ず変えていってくださいます。

私たちは常にその途上にあり、それらを体験していくことが生きるということだと思っています。

この夜、マチ・クマともに全家族6名で小一時間歩く。
かつては常に共に居たチャッピーの姿は無かったが・・・

posted by 優子 at 23:24| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2016年07月28日

今日という日は神さまからの贈り物

「おばあちゃん、『友引』ってなに? 『赤口』ってなに? 
なんかいっぱい書いてある」

ユキが卓上カレンダーをもって聞いてきた。

これは中国から伝わったものが形を変えて「日の吉凶占い」として現代も行われている。「赤口」(しゃっく・しゃっこう)については私も意味を知らなかったが、この日は大凶の日で正午のみ「吉」とされるという意味を知って驚いた。

私はユキに話した。
「日本では毎日この日は良い日、悪い日と決められており、『友引』の日にお葬式をすると「友を引く」と言って、ほかの人も一緒に連れて行くからという意味でね、こんな迷信が今も信じられているのでお葬式をしないし火葬場も休みなんだって。

でも、そうではないよね。いつの日も素晴らしいことをユキは知っているよね。
今日は神さまからのプレゼント。だから英語で『現在』を『プレゼント』(present)と言うんやよ」。


そして、「この日は主がつくられた」を歌ってあげるとユキもすぐ一緒に歌いだした。これは讃美歌ではないが、主を讃美する有名なゴスペルソング"Praise & Worship Songs" である。

ユキは、「真智らが一緒の今度の『家の教会』でこれ歌おう!」と言い、ユウチューブをかけると「これ『お気に入り』!」と、ユキはよほど気に入ったのかいつまでも歌っていた。

日本人は本当に恐れに縛られていると思う。
日本には「八百万の神」と言って無数の神々があり、偉大な人を祭って神にする。天神さんは菅原道実を、明神さんは平将門をと、神と人が同格になっている。

大木には神が宿っているとされて拝み、また、家内繁栄、商売繁盛、交通安全・・・と挙げればきりがないほどご利益の神がある。

このように人や動物、自然などを神とする日本人にとっては、何を信じるかという信仰の対象は問題ではない。しかし、何を信じるかはその人の価値観や人格を決定する重大なことだ。

明日も与えられていることを確約できる人は誰もいない。大切なのは今だ。確かな時間は「今」しかない。

" Today is a Gift from God."

「この日は主が造られた」のであり、どの日も素晴らしい。ユウチューブからリンクを埋め込めなくて残念だが、以下がその歌詞である。

この日は この日は主が造られた 主が造られた
我らは 喜ぼう この日をば この日をば
この日は 主が造られた
我らはこの日を喜ぼう
この日は この日は主が造られた

This is the day  This is the day
That the Lord has made
That the Lord has made
We will rejoice  We will rejoice
And be glad in it  And be glad in it
This is the day that the Lord has made
We will rejoice and be glad in it
This is the day  This is the day
That the Lord has made


真智と太志君がいる8月7日の礼拝はみんなで創造し、感謝と讃美の礼拝をささげよう!

posted by 優子 at 11:52| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年07月26日

地図から消された島 ー『大久野島からのバトン』講演とサイン会に参加して U−

毒ガスづくりに利用された人たちは、加害者であったかもしれないが完全な被害者でもあった。加害と被害の両方を背負って生きていくとはどんなことか。

(ここで語られたエピソードを正確に記すことができないのが残念だが、私のライフワークと重なることと、ここから作者の強いメッセージが込められたところなので唐突ながら記録しておきたい。)

人間としてちょっと得するためには何かが動いてしまうという人間の実相。戦争がなければ、こんな人間の暗い部分を引っ張り出さなくて済んだのに。

私は光に向く力もある。光の中に生まれ、光に向いているというのを知っている。だから闇の中に引きずり込まれない。


私は児童文学作家をやっているので子どもを信じる。子どもたちの目で見て考える物語にしようと思った。

ちょっとの差、違いからいじめが始まり、それがどのようにエスカレートしていくかも子どもにはわかる。ニュース報道は「誰が死んだ」「どこで死んだ」だけで、大切なことを伝えない。

子どもたちが困ってうずくまっている時はジーっと待つ。子どもは信じられる。

一番深いあそこに目を向けたら助けは来る。

戦争で幸いにも生き残った人を「幸存者」と言い、中国の人は「本当の事実」を「鉄の事実」と言う。「それは鉄の事実だ。しかし、あんたたちは政府の人の言うなりにやっただけだから悪くない」と言ってくれている。

しかし、もしそこに私(今関さん)が居たらもっと責任重大であり、ゆるされないなと思った。

(作品の)子どもたちのやり取りがどんなふうに終わっていくのかも見てほしい。

進一さんは戦後も生きている。吉成は戦後も襖(ふすま)の向こうにジッとしている。自分はゆるされたいんだと、自分をゆるさない者として描いている。もっときつかった(厳しかった)と思うが、そのように感じて書いている。

「戦争は私たちにバトンを渡されてこれから」ということで書いているので、これからは読者にゆだねていますから、それぞれが答えを出してくださればいいなと思った。

語り合いより:
▼ ちょうど今日7月24日は、東洋レーヨン大津工場 (現・東レ)に原爆の模擬爆弾が落とされた日。死者16名・負傷者104名を出した日で、私の父親(98歳)も負傷して腕を失くした。
今後は加害の側面もあることを考えながら伝えていきたい。(大学講師)

▼ 戦争を話す時は被害、加害の体験を話すべき。教育は怖い。(空襲で)敵機が来ると相手の顔が見えた。(彦根の近江工場でゼロ戦の部分品を作っていた老婦人)

今関信子さんと.jpgこのあと大津駅前のベンチでクリスチャン・ペンクラブの私たち3人(中央が今関先生)は、時間を忘れて2時間もいろんなことを熱く語り合った。

若い頃から人と人をつなぐことをされており、今日は共産党を母体とする文化のところで開催されたものである。

今関先生が最も語りたかったことを話しておられた時、会衆は「うん、うん」と深く頷きながら聴いておられたこともお伝えした。

「いつも人間の怖さ、光と闇をしゃべりたいと思っている」。 

作家としての手の内も見せてくださり、取材や複眼的視点で物事を見ること、また想像力と構想など、創作する人の思考回路を垣間見た。

そして、神さまから与えられたタラントを生かして懸命に励んでおられる姿に触れ、クリスチャンはこの世に埋没してしまってはいないか。教会のことで汲々とするだけで世に出て行かない者が多すぎはしないかと自らにも問うていた。

我が国においても悲惨な事件があとを絶たない今、「またか」と我々は不感症にならないように真剣に警戒しなければならない。

例えば過日自民都連が今繰り広げられている都知事選で、自民党員が小池ゆり子さんを親族が応援しても除名処分になるとの奇怪さにも気づかねばならない。

これでは「思想・良心の自由」を保障している「憲法19条」を完全に無視し、堂々と報道までする不気味さこそが、日本が重要な岐路に立っている現れだ。

この異常さにも不感症になっているから、「ポケモン・ゴー」とやらの仮想現実ゲームに大人までが興じているのではないだろうか。

『大久野島からのバトン』を読んだ者は、確かに「考える種」を受け取るはずだ。無関心な子どもや大人たちが痛みを感じることができますように!

みんなの力で日本の軌道修正をしていかないと、地獄への分かれ道がすぐそこに迫っている。私はこのたびのバトンをしっかり受け取って子や孫に渡す。そして、ささやかながらもこのブログを通して世に発信したい。
 

附記:
次女夫婦は25日12:20PM(日本時間の26日午前1時20分)ワシントンダレス空港を離陸した。午後3時半頃に東京成田空港に到着予定。
1年ぶりの再会。野口シカさんのように再会を楽しみに待つ。

posted by 優子 at 07:26| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2016年07月25日

地図から消された島 ー『大久野島からのバトン』講演とサイン会に参加して T−

あなたは地図から消された島・大久野島をご存じだろうか。私はこの年になるまで知らなかった。

「大久野島は広島県竹原市忠海町の沖合い3キロメートルに位置し、数戸の農家が耕作を続ける島」だったが、太平洋戦争が始まる14年前の昭和2(1927)年、島全体が陸軍の毒ガス製造を目的として管理下となった。

そして、毒ガス兵器という国際的に禁止された兵器をつくっていたため、戦争中はこの島は地図からも消されていたのである。

児童文学作家の今関信子さんは、今から13年前に初めて大久野島へ行かれ、中国の北坦(ほくたん)村も取材されて、このたび『大久野島からのバトン』を世に出された。

本書は日本児童文学者協会創立70周年で記念出版されたものであり、作者が瀬戸内海に浮かぶ大久野島の「消された歴史」と向き合い、自分は何を感じ何を考えるのかと自己に問いかける大事業だと深い感慨を覚えた。

tn.jpg昨日、大津の「滋賀民報社内ギャラリーQ」で作者の講演とサイン会が開催されて出席した。多くの方々にお読みいただくことを願いつつ以下に講演内容をお分かちしたい。

そして次の「U」で講演の残りを刻み、その最後に私の思いを述べて、私なりに次世代の人々にバトンを渡す責務を果たしていきたいと願う。

1937年頃、大久野島に「陸軍技能者養成所」、正式名は「東京第二陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)技能者養成所忠海(ただのうみ)分所」が創設され、この学校に試験を受けて入学すればお金をもらって勉強できる。大久野島で働くことを「おまえは運のいい子だね」と言われた。

その入所式では「これから作る兵器は平和のための兵器です。人道的兵器なのです」と、兵器がなぜ人道的なのか意味不明の説明を受け、すべて軍事機密に関することゆえに秘密を守る約束から始まった。

(著者は)毒ガス造りに巻き込まれた少年の一人、大久野島毒ガス資料館初代館長だった村上初一さんが館長を終えてから出会い、彼の人生を聞き、彼の死までつき合った。

一人の少年が戦争でどのように引き受けていったのかということを書かないと、私の戦争につながらないと思った。

聞き書きならば、そこでピリオドが打たれて終わってしまう。だから私は彼の話を聞いて、私が刺激を受けるのか、受けないのか。それを書きたかった

村上初一という中心になっていく進一と、敏夫、吉成を選び出して三者三様に描いた。

それぞれの立場で呟(つぶやき)にも近い多くの人々の証言も読み、想像力を働かせて、どうやってその人を立ち上げていくか・・・

子どもは小学2年生になると世の中の動きや家族の動きを大づかみにつかみとってくる。理路整然としゃべれなくても今の社会が何を大事にしているのか、何を良くないとしているのかを感じている

従って登場人物の3人の少年は、もう大人に近い考えで日本のために何をすれば一番いいのかを考えていたんだと思う。

そこで働き続けた人、戦地に行って戦死した人、再起不能の体になり病院でも見放され家へ帰されて悲惨な状態になった吉成(よしなり)は、家に引きこもり自分の経験を一切言わなかった。

この子が社会をどのように見たのか追い込んでいった。
皆さん、吉成を読んでもらいたい!
吉成に会ってもらいたい!


戦後、戦時中にやっていたことを無くすために順々に壊し、土佐沖に棄てた。大久野島へ戦後処理に駆り出された帝人の人の水ぶくれが一番ひどかった。人の目に見えないところは壊さなかったので今も残骸が残っている。それらは70年経っても風化しない。

戦後、生活にゆとりが出てきた時、休暇村構想が出てきて国民休暇村に変化し大久野島が第一号になる。

毒ガスがあれば小さな生き物が死ぬ。ちょっと何かがあれば煙が出る前に小鳥が騒ぐので、即座に人々が逃げる。

大久野島は今「ウサギの島」と呼ばれるようになり、桟橋を降りるとウサギが寄ってくる。どこへ行ってもウサギがいる。毒ガスの実験用にされたウサギは一匹残らず殺されたので、今いるウサギはその子孫ではなく、「平和の使者」として生きている。

今は広島と安芸の宮島が修学旅行のセットになっており大久野島には来ない。大久野島にいる人は環境学習のために来る。今は美しいウミホタル。
社会の風は、広島の悲劇を学び、「今は排水も出ないこんなに美しい島です」と変わってしまった。


14歳の3人の男の子を描くと同じように3人(3パターン)の女の子を登場させ、物語は広島のYMCAの女の子たちが大久野島にやってくる所から始まる。

作家としての手の内も見せてくださり、一番気を使ったのは桜ちゃんのグループで、「私には関係がない」と奥を探検する桜ちゃん。

どこにでも好奇心旺盛の子がいて、その子は何にでも引っかかっていくが、遊びに専念する子たちは(心に)何も引っかからない。しかし、学校に帰ってから初一さんの話が自分に迫ってくるかどうか・・・

                  (つづく)

posted by 優子 at 17:39| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2016年07月24日

パソコン修理を終えて早ご帰還!

私は今、「ウィンドウズ8.1」でこれを書いている!
そう、18日の夜に修理に出したパソコンが、もう修理を終えて戻ってきたのだ。知子は特にお願いしていないのに「大至急扱い」で修理してくださって、午後に電話が入ったという。

その店で購入した商品を5年間無料保証してもらうために毎年1000円(?)ほど支払っているので、購入後3年半経過していても無料だった。

パソコンの購入金額64000円の範囲まで無料修理になっているという。今回はハードディスクを取り換えたが、まだ3万円ほど修理可能な金額が残っているので、その範囲内の修理で1年半以内ならば無料とのことだ。

知子は私の不自由さを思って今夕4時過ぎから家事をしながら初期設定に取り掛かったという。平日の知子は時間、体力ともに全く余裕がない。

この時期に修理に出すならば早く持っていかないとお盆休みを挟むので1ヶ月以上かかるとのこと。しかもちょうど太志君が帰ってくるので滞在中に初期設定してもらえるという思いもあって、思い切って持って行ったのだった。

頑張り屋の知子はさっそく設定を終えてウィルスソフトを購入、ダウンロードし、「お気に入り」の引っ越しも終えて、私を迎えにいくために家を出てくれたところを出会った。

今日は6時から7時頃には帰ると言って家を出たので、「遅くなるから迎えに来ないで」と連絡したいが、今や公衆電話が全然見当たらずヤキモキしていた。携帯電話を持たないのもいよいよ限界だ。

私は今関信子さんの新刊書『大久野島からのバトン』のサイン会に駆けつけるべく、朝10時前に家を出て大津へ行っての帰りだった。

講演会とサイン会の後、N兄(きょうだい)と今関先生と私の3人で大津駅前の石のベンチで2時間話し込んでいた。喫茶店どころか自動販売機すら全くなくて、県庁近くまで行ってようやく飲み物を手に入れたのである。 

大津を経ったのは午後6時30分過ぎ。大阪駅で15分ほど大丸に立ち寄って午後9時過ぎ、ようやく自宅にたどり着いた。もうクタクタ。

知子は私の顔を見るなり言った。
「良い知らせがあるよ! そして、悪い知らせも。
良い知らせは2分前にパソコンが使えるようになったことで、悪い知らせはユキがママのカメラを壊してしまった。ごめんね」。


知子とユキは楽しく過ごして、夕飯も「おいしい、おいしい」と喜んで食べたのに、その直後、急にボロボロ泣き出したという。今朝早くに壊していたのに、ずっと黙っていたんだって!
「おばあちゃんがいつも、こんな端っこに置いていたら落ちるよって言っていたのに置いていたから、こっちのを動かしたら落ちてしまった」と。

カメラは分解破壊した。初夏にはボールを当てて門燈を破壊したのに、またしても・・・
では、ユキの寝顔を見て、私も早く寝よう。
ありがとう、知子。


posted by 優子 at 23:31| 随想 | 更新情報をチェックする

ユキ 馬に乗る!

終業式の前日、ユキが学校で配布された無料の乗馬案内のチラシを持ち帰った。奈良県下の小学生250名招待。私は是非ユキに体験させてあげたくて予約した。全国に32か所ある乗馬クラブだ。

今から40年ほど前の秋、私は一度だけ馬に乗ったことがあった。大学のクラスメイトのAさんと能勢(のせ:大阪府)へハイキングに行った時、個人経営の小さな乗馬クラブがあり、1時間(30分だったか?)2000円くらいで教わったことがある。

その時、馬の背に座った時の高かったこと! 
この時の説明で背中の高さは160センチと聞いたが、乗ってみると意外に高い。2階から見るような感じだった。当時は気が付かなかったものの、あの頃から高所恐怖症の気があったのだろう。私は今も鮮明に思い出せる。

その時、「並足(なみあし)」に続いて、馬のおなかを両足で蹴って「早足(はやあし)」まで体験した。面白かった。

そして昨日向かった先は葛城山の中腹あたりにあった。最も驚いたことは、乗馬クラブの駐車場にはたくさんの自動車が止まっていたことだ。乗馬人口がこんなに多く、葛城山中なのに賑やかで全く寂しくなかった。

最初に座り方や降り方の説明があった。
そこに75頭もの馬がいて、馬の寿命は30年で、タテガミは引っ張っても痛くないことなど、私は面白くいろいろ尋ね、一番目を輝かせていたのは私だった。精神はまだ老いていない!

保護者も1名体験できるというので知子も初体験!
乗馬用のブーツ、ヘルメット、安全ベスト(手前の紐を引っ張ると空気が入る)を着用し、手袋は軍手で代用した。

乗馬に可能な130センチの背丈を満たしたばかりのユキは、特に降りる時が少々難しいだろうと思いつつ馬場に向かった。

慎重なユキだが馬の背上を怖がらず、「中には泣いてしまう子もいるほど怖がる子が結構多く」、怖がらずに乗ったユキは珍しいそうだ。

しかもなかなかバランス感覚が良いと何度も褒めていただいた。半分はユキへの励ましだろうと5分引きで聞いていたが、満更(まんざら)でもなかった。

ユキが乗ったのは17歳のセイクリッドで、知子は12歳のシャイニンワールド。乗馬は運動神経には関係なく、バランスとリズム感覚が大切だという。


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どう? なかなか様になっているでしょ!

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「体が前にいかず正しく姿勢を止めている」って!

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知子も様になっている。
マイペースでのんびりしていたい馬。
お腹を何度蹴っても進まないのに、
長い方の手綱を引っ張るとすぐに止まるシャイニンワールド。

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ユキの指示通り「早足」をしたので首を撫でて褒めている。

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ポニーじゃないよ。親子で本物の馬に乗っている!
ビデオで撮った「早足」は、おチビの騎士ユキが格好いい。シャイニンワールドはなかなか走ってくれなかったね。

「早足」の次は「パカラン パカラン」と走っていく「駆け足」だ。「駆け足」は10回から15回連続で「あぶみ」の上で「立つ、座る」のタイミングを練習するそうだ。

レッスンを終えると熱心な勧誘があった。やはり乗馬は高額だ。今は45周年を記念して2鞍(1回乗ることを「ひとくら」と言う)5800円で「馬と自然の学校」に参加できるそうだ。ユキが希望したので、これならばと予約した。

というわけで昨日は遠くへ出かけなくても小旅行したような楽しい一日だった。今日はまもなくクリスチャ・ペンクラブ関係で大津へ出かける。

posted by 優子 at 08:18| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2016年07月23日

家の教会O ―Good Samaritan―

明日は今関信子さんが刊行された『大久野島からのバトン』のサイン会が大津であり、今関さんのお話を聴きたくてペン友N兄のお誘いを受けて出かけようと思う。

そこで明朝は30分間のショート礼拝にしようと思っていたが、明朝はユキもサッカー教室があり、しかも今朝は御所市で無料の乗馬体験を予約していたので今日夕拝を捧げた。感激の乗馬体験については近いうちに書かせていただきたいと思う。

次女夫婦も結婚10周年記念のジャマイカ旅行を楽しみ無事帰宅したとの連絡が入った。

そしていよいよ明後日の25日にワシントンを経って日本に向かう。1年ぶりの再会を待つ幸せな時が始まった。

しかし、私には如何ともしがたい思いがある。
今やテロが頻発し、かたや言語や文化の違いを超えて「ポケモンGO」に夢中な人々。この異様さを何と表現すればよいのだろうか。
テロを企てようとしている人々とゲームに夢中な人々。
この人心の乖離こそが不気味であり、時代の混沌さを物語っている。


では、今日の家庭礼拝をお分かちしたい。

2016年7月23日(土) (第16回 家の教会)
15:50~16:20
@ 前奏
A 子どもの讃美歌  10番 「ことりたちは」  
B 主の祈り
C 讃美歌      310番 「しずけき祈りの」
D 聖書輪読     ルカによる福音書10章25節
                     〜37節
E お話とお祈り   (優子)そのあと一人ずつ祈る
F 讃美歌      461番 「主われを愛す」
G 献金と感謝のお祈り  (幸悠くん)
H 頌栄       讃美歌541番 
            「父、み子、みたまの」
I 後奏・黙祷

聖書:ルカによる福音書10章25節〜37節
10:25するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。
10:26彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。
10:27彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。
10:28彼に言われた、「あなたの答は正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」。
10:29すると彼は自分の立場を弁護しようと思って、イエスに言った、「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」。
10:30イエスが答えて言われた、「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。
10:31するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。 10:32同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。
10:33ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、
10:34近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
10:35翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。
10:36この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。
10:37彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」。

お話:
samariahito .jpg今日はルカだけが伝えている「善きサマリア人の譬え」についてお話します。英語で”Good
Samaritan ”と言います。
この絵は「ウィキペディア」に載っていた「フランソワ・レオン・シカールによる傷ついた旅人に救いの手を差し伸べる『善きサマリア人』の彫像」です。

エルサレムからエリコに下る道はとても治安が悪い場所だったようで、よく追い剥ぎが出て持ち物を奪われるだけではなく半殺しの目に遭いました。

祭司とは、常に聖書を読み、神に仕える最も神に近しい人々で、社会的にも地位があり指導する立場の人でしたが、倒れている人を見たのに避けて向こう側を通って行きました。

祭司は死体に触れてはならないという掟がありましたから、それを理由に避けたのかも知れませんが、触れなくても近寄ろうともしませんでした。レビ人もまた同様に、倒れている人を見て何も無かったように通り過ぎて行ったのです。

私たちも似たような経験はなでしょうか。いつだったか私は大阪駅かどこかで困っているように見える人に気がついたのに、少し躊躇したものの急いでいたので声をかけなかったことがあります。

あるいは、「関わり合いになると大変だから」と自分の良心に言い訳し、何とか理由をつけて避けることはないでしょうか。

サマリア人とユダヤ人(イスラエル人)は犬猿の仲でした。サマリア人はユダヤ人に軽蔑され排斥されている人々でした。ヨハネによる福音書4章9節に書いてあるとおり「つきあいをしていない」関係です。

にも関わらずサマリア人は、いつも反感を持たれているユダヤ人が倒れているのを可哀想に思って近寄って行ったのです。

そして34・35節にあるように、用事があって行かなければならないからと、宿屋の主人に2デナリ預けて看護してやってくださいとお願いして出かけました。

1デナリというのは、当時の労働者の一日分の収入ですから2デナリといえば、今の金額に直すと少なくとも1万円から2万円ということになります。ここまではなかなかできないことです。

そして、29節の「誰がこの人の隣人になったのか」という問いにイエスが答えられました。
それは、「隣人を必要とする人の傍らに行ってあげること。隣人とは相手ではなくて、相手にとっての自分である」。

これがイエスの愛の教えの急所であり、「自分を必要としている人を助けよ
」ということです。即ち、人は愛を持って他者に接する時、互いの間に隣人の関係ができることを教えられました。

マーティン・ルーサー・キング牧師は、この「善きサマリア人の譬え話」でこのような説教をしています。

祭司とレビ人は、この怪我人を助けたら「自分」はどうなるだろうか。しかし、サマリア人がこの人を助けなかったら「この人」はどうなるだろうかと考えたというのです。

私を好意的に思ってくれる人を大切にするのは誰でもできますが、私を攻撃し、いじわるする人を無視しないで関わりを持つ。これこそが愛なのですね! 

これからもイエスさまが喜んでくださるような生き方を常に求めていきましょう!


なお、日本では東日本大震災で周知されるようになった“Samaritan's Purse”(サマリタン・パース)は、福音派のキリスト教徒が運営する緊急援助支援団体で、1950年に「ワールド・ビジョン」を設立したボブ・ピアスが1970年設立しました。
「サマリヤ人の財布」、この命名もイエスの譬え話から由来します。


posted by 優子 at 20:36| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2016年07月22日

知子(ママ)の3年生の成績表を見たユキは

ユキの小学校3年生の夏休みが始まった。学期末の個人懇談会は、夏休みに入った昨日から4日間に分けて実施されている。知子は昨朝終えた。

2年生の担任だったF先生は6月の3週目より産休に入られて、新任の先生(28才の男性教諭)に変わった。昨年度に2年生を受け持ったのが初めてなのでと、確かにご本人が仰るように新米だが一生懸命やっておられるので応援している。
そして、F先生のことをいつも祈りに覚えて思っている。

一昨日持ち帰った「あゆみ」(成績表)は「サザエさんのカツオ君になってきた」と笑っていたが、これでも優秀らしい。
ユキの評価表示も「よくできる、できる、がんばろう」の3段階だが、ユキのママやマチのように「よくできる」に揃っていない。

知子3年生の「あゆみ」.jpgちなみに、これは知子の小学校3年生の通知票だ。3学期とも見事に左の「よくできる」を並べている。

これを夜にユキに見せると「すごい。やっば!」と言い、続けてこんなことを言った。
「(ユキの)心の中では今までめちゃくちゃふざけてやっていたけれど、今度は字もきれいに書いて、ほとんど手を上げようと思う」と、俄然やる気を見せたので、兄弟がいれば感化され、影響を与え合って行くのだろうと思った。

知子の愛息は大半が「できる」で「よくできる」は3分の1弱だった。私は成績に固執するわけではないが、社会科と理科の「地域社会の事柄(自然の事象)に関心を持ち、意欲的に学習している」は「よくできる」ではないかと思うので、ユキの意欲を削がないようにしてやろうと思う。

しかし、今年の夏休みは今までとは違ってメリハリのある良いスタートを切った。(笑)
昨日も今日も午前中に1時間半学習に集中した。夏休みの宿題で絵日記や読書感想文以外は7月中に終えてしまうことだ。知子は最短3日間でやった時もあったという。

それはともかく、ユキも昨日易しい国語と算数がセットされた問題集は2ページを残すのみ、今朝はそれを完了させてプリント綴りに移った。

私も今はパソコンを修理に出しているのでユキと一緒に学習タイムを過ごしている。とても楽しい。私はブルンナーの説教集を読んでいる。

こんな光景をマチは絶対に共感してくれるだろう。この家を新築するときもその願いを設計士に伝えたが、狭い敷地なので実現しなかった。


夏休み2日目@.jpgこの真剣な顔!
こんな顔はじめて見た。

1階の掃除中は少休止してもらった。


夏休み2日目A.jpg外へ出て数分も経たないうちに「おばあちゃ〜ん!」と呼ばれた。
「クマゼミの雄3匹捕まえたよ!」

網戸にとまったクマゼミ.jpg

クマゼミ.jpg

そして今日も午後からプール開放。全校児童の希望者が行く。
昨夏は水いぼで長い期間皮膚科に通い、今年お正月明けに足の裏にウィルス性イボができて、以来ほぼ毎週通院し完治したのは4月に入ってからだった。
そして、今月10日頃からお尻にトビヒができた。ユキは皮膚が弱い。「またか」と知子がブイブイ言っていた。


かなりひどかったが、抗菌薬と2種類の塗り薬で1週間(19日)で完治し、昨日に続いて今日もプール遊び(?)に参加した。先週から学校から帰宅したらシャワーで体を洗ったことも良かったようだ。

夏休み2日目B.jpg今日は交通当番。
孫の時もこのようなことができるなんて、神さまに感謝感謝!


夏休み2日目C.jpg
午後の炎天下、足早に街路樹の下に向かう。横断箇所で13時15分からしばらく立つのだが、熱風が気道を通るのがわかる。
神さまがトウゴマを与えてヨナをトウゴマの木の葉の陰に休ませたこと思いながらナンキンハゼを見上げた。

夏休み2日目D.jpg子どもたちが来た!
「行ってらっしゃ〜い!」
今日は5・6年生がいないから少ないと言った。
手前の女の子は2年生。みんな大きくなったね。

ママ、大好き!.jpgこんなに大きくなったのに、今も「ママー」と抱きつくユキ。これも今朝のユキだ。
夏になると5時台から起きて、ひと遊びして登校するユキ。

今夜は紙文具流通センターにある会社全体のビヤーパーティで、知子の帰宅は10時半を過ぎるだろう。

この記事は破壊寸前のパソコンを使って書いた。
大きいサイズの凍らせた保冷剤2つをパソコンの裏面に、小さな保冷剤を上面手前に置いて冷やしながら30分間ずつ3回に分けて書いた。夕方はつい調子にのって少々延長すると「バチッ」と突然電源が切れた。

幸いセッションの回復ができたので続きを書いて大急ぎで完了させたが、いよいよ大きな音で唸りだした。時限爆弾を抱えているようで何とストレスフルなことだろう。ではこれにてごめん。ご判読ください。

posted by 優子 at 21:39| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2016年07月17日

家の教会N −「みにくいアヒルの子」よ、「あなたは高価で尊い」―

後姿も好き!.jpg180センチも背が伸びたひまわり。その後ろ姿も美しい。
牧師で詩人の河野進さんの詩にこんな詩がある。

「うしろ姿の美しい人になりたい
自分で見えないところが
美しい人になりたい」


ひまわりさん、こっち向いて!
こっち向いて!.jpgプランターを動かして、「はい、こんにちは!」
直径18センチ、一番大きい我が家のひまわり。

ユキは昨日の午後に続いて今朝は雨が降っていたのにサッカー教室に参加した。昨日は6回もナイス・シュートした。

今朝の礼拝は明日になるので、私はくつろいでNHKの「日曜討論」を見ていたらワシントンから電話が入った。マチの声を聞いた瞬間に、今朝9時半からスカイプの約束をしていたのを思い出した! すぐにパソコンを起動して12時過ぎまで話していた。

マチ・クマは結婚10周年記念に19日から22日までメソアメリカの国に旅行し、23・24日(土・日)を自宅で過ごして25日にワシントンを発つ。帰阪、帰宅するのは29日夜だ。

さて、ユキは連日のサッカー疲れなのに「今日礼拝したい!」との強い要望で昼食後すぐに始めた。

2016年7月17日 (第15回 家の教会)
13:10~13:50
@ 前奏
A 子どもの讃美歌  「天にいますわたしたちのちち」
B 主の祈り
C 讃美歌      512番 「わが魂の慕いまつる」
D 聖書輪読     ヤコブの手紙1章12節〜25節
E お話とお祈り   (優子)そのあと一人ずつ祈る
F 新聖歌      325番 「歌いつつ歩まん」
G 献金と感謝のお祈り  (幸悠くん)
H 頌栄      讃美歌541番 
            「父、み子、みたまの」
I 後奏・黙祷

ヤコブの手紙1章12節〜25節:
1:12試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。
1:13だれでも誘惑に会う場合、「この誘惑は、神からきたものだ」と言ってはならない。神は悪の誘惑に陥るようなかたではなく、また自ら進んで人を誘惑することもなさらない。
1:14人が誘惑に陥るのは、それぞれ、欲に引かれ、さそわれるからである。
1:15欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。
1:16愛する兄弟たちよ。思い違いをしてはいけない。
1:17あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。父には、変化とか回転の影とかいうものはない。
1:18父は、わたしたちを、いわば被造物の初穂とするために、真理の言葉によって御旨のままに、生み出して下さったのである。
1:19愛する兄弟たちよ。このことを知っておきなさい。人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。
1:20人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。
1:21だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れなさい。御言には、あなたがたのたましいを救う力がある。
1:22そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。
1:23おおよそ御言を聞くだけで行わない人は、ちょうど、自分の生れつきの顔を鏡に映して見る人のようである。
1:24彼は自分を映して見てそこから立ち去ると、そのとたんに、自分の姿がどんなであったかを忘れてしまう。
1:25これに反して、完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない人は、聞いて忘れてしまう人ではなくて、実際に行う人である。こういう人は、その行いによって祝福される。

お話:
ユキは『マッチ売りの少女』や『みにくいアヒルの子』のお話を知っているね。それらを書いたアンデルセンは、1805年にデンマークのオーデンセという所のとても貧しい靴屋さんの家に生まれました。

イエスさまは馬小屋でお生まれになりましたが、アンデルセンは棺桶の中で生まれたのです。赤ちゃんのベッドも買えないほど貧しくて、お父さんがお金持ちの伯爵から棺桶台を貰ったので、それをベッドに作り直したのです。

でも家族みんなが信仰を持っていました。特にお母さんは信仰深く、アンデルセンに神さまやイエスさまのことを話してくれました。

お父さんは文学や演劇が大好きだったので、本を読んでくれたり芝居を見に連れて行ってくれました。また、おばあさんも昔話をしてくれ、貧しいけれど幸せな家庭で育ちました。

でも、貧しいというだけでいじめられ、学校の先生にも差別されて惨めな経験を何度もしました。どの時代にも、どの国にもいじめる人がいるのですね。自分自身をも鋭く見つめてそのことについても一緒に考えたいと思います。

お父さんはアンデルセンが11歳の時に人生に疲れ果てて精神に異常をきたして亡くなりました。14歳の時に故郷を出てコペンハーゲンへ行きましたが、物乞いに間違えられたり、何をしてもうまくいかなくて、ついに死のうとまで思いました。

でも、お母さんがいつも話してくれていたイエスさまのことを思い出しました。そして、「何もかもが、まず不幸のどん底に来ると、その時、神さまは助けを送り出しになるのだ」と、どんな時も神さまがいつも見守ってくださっていることを思い出して弱い心に負けませんでした。

アンデルセンの童話の中で世界中で最も読まれているのは、何と言っても『マッチ売り少女』と『みにくいアヒルの子』ですが、このほかに『人魚姫』『親指姫』『裸の王様』『パンを踏んだ娘』などたくさんの童話を書きました。

今日は『みにくいアヒルの子』のお話を取り上げて、アンデルセンが伝えたかったことを考えてみたいと思います。『みにくいアヒルの子』のお話はよく知っていると思います。

アヒルの子どもが次々と卵を割って出てくるのですが、たった一つだけかえらない大きな卵がありました。

ようやく卵を割って出てきたのはアヒルの子と違って灰色をした大きくて醜い雛でした。その子は姿が違うからとみんなからいじめられ、アヒルたちだけではなく鶏や七面鳥や鴨にもつつかれて馬鹿にされました。

ある日、今まで見たこともない美しい白鳥の群れを見て憧れました。そして、厳しい寒い冬の間、ずっと耐えて春を迎えたある日、水面に映った自分の姿が白鳥と同じ美しい姿になって仲間と幸せに暮らしたというお話ですね。

―この辺りまで話しているとユキは睡魔に襲われていたので、ここより完訳本朗読まで省略した。―


このお話をするにあたり完訳されている岩波文庫の『アンデルセン童話集』を読みました。そこには絵本ではわからないアンデルセンの舐めた悲しみがたくさん書き込められています。お話は18ページほどの紙面に書いてあるのですが、特に最後の2ページは圧巻です。

アヒルの子は、このりっぱな鳥に見おぼえがありました。そして、不思議な悲しい気持ちにおそわれました。

「あのりっぱな堂々とした鳥のところへ飛んでいこう!
(殺されてもいい、あんなに辛い思いをするくらいならと、哀れなアヒルの子は白鳥の所へ行きました。「さあ、僕を殺してください!」と死を待っていました。すると、)

大きな白鳥たちは、まわりに寄ってきて、くちばしで羽をなでてくれました。・・・白鳥はあまりにも幸福でした。
けれど、すこしも、たかぶるようなことはしませんでした。なぜなら、心のすなおなものは、けっして、たかぶるようなことはしないからです!

白鳥は、今までどんなに追いかけられたり、ばかにされたりしたかを思いだしました。それが今は、みんなに、すべての美しい鳥のうちでも一番美しい、と言われるのを聞くようになったのです。

リラは、水の上の白鳥のほうへ枝を低くたれました。お日様は暖かく、そしてやさしく照っています。若い白鳥は、羽をさあっとなびかせて、すんなりとした首をあげました。

そして心から喜びの声をあげました。
「僕が、みにくいアヒルの子だった時は、このような多くの幸福は夢にも思わなかった!」

このお話から私が感じたことをお話します。
人間はうわべや能力を評価します。確かに他者の評価も自らを省みるために参考にすべきです。しかし、毀誉褒貶とはかかわりなく、しっかり自己確立していないと「みにくいアヒルの子」のように他者の評価を基準にする生き方になります。

人はみな必ず欠点があります。自分の醜さや心に傷があることを認め、それに向き合っていく時に癒されて開花する人生へのページが開きます。

劣等感も誰もが持ちますが支配されてはいけません。ましてや心ない人もたくさんいますから、そのような人にひどいことを言われて落ち込むのは間違っています。

自己洞察できず自己中心な人ほど他者を容赦なく傷つけます。滑稽で見事なほどに自己中心な人々がいます。でも、そのような人は自分が嫌なのです。自分を大切にできないから人も大切にできないのです。

しかし、全知全能で全てを支配されている神さまが「あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と仰るのです。私たちはただ「ありがとうございます」と素直にお受けすればいいのです。

植物の種子も土と水と光がないと育たないように、私たちもまた愛を受けないと自己は開かれていきません。
「みにくいアヒルの子」が白鳥に出会って自分の本当の姿に気づいたように、私たちも神と出会って聖書の言葉を信じる時に「自分はダメではない、私も神さまに愛されている存在なんだ」と気づくのです。


私たちは放蕩息子を優しく迎えてくれた父のことや、神の恵みは全ての人に平等に与えられているということを知っています。
その神さまと本当に出会っていく時に、私たちもダメなところや醜さもあるがままに無条件で愛されているということがわかっていくのです。

私はイエスさまと出会ってすぐに自分の変化に気がついたことが二つあります。
それは、我が子のことを先生や友人が褒めてくださった時に、それまでのように「いいえ」なんて言わないで「ありがとうございます」と喜ぶようになったことと、知的好奇心が急きょ全開したのです。30歳代は何と意欲的だったことでしょう。

聖書の言葉を幼子のように信じる時に、私を愛してくださっている方にふさわしい自分になりたい、変わっていきたいとの思いが与えられて人生が開花していきます。それは年齢を重ねても終わりはなく、地上を去る最期の一呼吸まで続きます。

神さまは人を通して、また出来事を通して常に私たちに呼びかけておられますから心を頑なにしないで、神の愛の中で自己を開花させ、互いに悔いのない人生を送りましょう。

アンデルセン研究家の横山麗子さんは、『みにくいアヒルの子』に「ヤコブの手紙1章17節」を引用されています。

「あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る」。

まことにふさわしい御言葉です。
私はこれに加えて「イザヤ書43章4節」(新改訳)が心に浮かびました。

「わたし(神)の目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」。

礼拝中に眠ってしまったユキ.jpgこの話を終えて祈った。今にも眠ってしまいそうなユキが続いて祈った。
そして知子、良輔が祈り終えて目を開けると、ユキはぐっすり眠っていた。
しかし、そのあとの献金のお祈りをし、讃美歌も大きな声で歌っていた。

2週間後の礼拝にはマチ・クマも一緒に6人の礼拝だ。
短い滞在期間ながら2回日曜日があり、しかも8月第1週目の聖日は、真智子、太志君、そして、良輔の記念日でもある。
主が幸いな礼拝へと導いてくださり溢れる祝福で満たしてくださるように! 良輔も同じ喜びを知ることができますように!


posted by 優子 at 18:10| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2016年07月16日

『大久野島からのバトン』 文学のピースウォーク

現地時間7月1日夜、バングラデシュのレストランでテロ発生。28人が死亡、7人の日本人も犠牲になった。
あまりの出来事ゆえに記事に取り上げることができなかった。犠牲に合われた方々の命が惜しまれてならず、ご遺族のことを思うと何も書けなかった。

そして一昨日の7月14日、フランス革命記念日の夜、南仏ニースで花火見物をしていた人々の中に大型トラックが突っ込んだ。
このニュースを15日早朝にラジオで聞いた時、またどこかで大きな交通事故でも起きたのかと寝とぼけていた。
ところが、84名が死亡し、今も54名が重体で、共に「イスラム国」が犯行声明を出した。

もはや世界はどうしようもないほど混沌とし、深い闇の時代になってしまった。何という狂気! 
どの国も政治が機能を失いつつあり、私は悲観的な気持ちに覆い尽くされて思考停止してしまいそうだ。

今週初めに日本クリスチャンペンクラブ(JCP)のペン友から1冊の本が送られてきた。児童文学作家・今関信子さんが6月末に刊行された『大久野島からのバトン』だった。

私はこの年になるまで第一次世界大戦で日本軍が毒ガスを使ったことを明確に知らなかった。大久野島(おおくのじま)のことも然り。恥ずかしく思う。

この本を読ませていただいて改めて国の狂気と、時代に翻弄された人々の地獄を思い知った。それだけではなく、被害者の痛みを実感することができ、読後の一筆の感想と現況を書いて今関さんに送った。すると早今夕返信が届いて驚いた。

今関信子さんはこの作品の取材で中国を訪ねられた。

「日本軍の毒ガス攻撃から生き残った方が、『あなたたちが悪いんじゃない。許す』とおっしゃいました。
私たちは今、日本が危険な方向へと進むことに反対できます。こんど戦争が起きたら、私は許されないだろうな。いまなら間に合う。書かなくちゃと

            (7月17日号『滋賀民報』掲載)

『大久野島からのバトン』は日本児童文学者協会創立70周年記念出版で、文学のピースウォーク 第3弾である。

昨年11月に刊行された『国をつなぐ奇跡の島 クロツラヘラサギ―日本・韓国・朝鮮の架け橋』同様に非常に読ませる内容だ。是非、お読みいただきたい。既に滋賀県の図書館では貸し出されており、予約待ちの状態だ。

7月24日には出版記念ではないが今関さんのサイン会が予定されており、「滋賀民報Web」にも案内されている。私は出かけて直にお話を聴きたいと思う。今関先生の時間が許せばペン友と3人で昼食を共にしたいと思う。

■今関信子さんサイン会
7月24日(日) 14:00
大津市丸屋町・ギャラリーQ(滋賀民報社社屋1階。京阪浜大津駅から山側へ徒歩6分。丸屋町商店街アーケード内)
「大久野島からのバトン」の著者・今関信子さんのお話と語り合いなど入場無料
問合せ:「大久野島からのバトン」普及会 080-5707-3779(西田さん)
 
「ふたたび『銃口』が背中に当てられる時代がきた。今度はキリスト者として目覚めて戦いたい。権力への恐れやへつらいから最も弱い者を二度と犠牲にはしない」。

三浦綾子の言葉も響く。
アメリカ東海岸在住のマウミさんも「ウインザー通信」で警鐘を鳴らし続けてくださっている。昨年1、2度メールのやり取りをしたことがあるが、私などあまりにも無知ゆえに何一つ話すことができなくて退散した。

「ウインザー通信」では自民党改憲草案との比較を示して、自民党の改憲草案の非道さを叫び続けておられる。

「(憲法前文の)世界平和に向けての確固とした強い信念と決意が込められた文章。そのほとんどが抹消されてしまいました。

天皇を象徴から元首に戻し、戦争放棄を削除し、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持し、国民の個人から個を消し去った自民党草案。

こんなものを、日本国憲法として、未来の日本人に引き継がせるわけにはいきません。
HELL NO!」

「HELL NO!」とは「当たりめぇよ!」の意味。

今日の記事にも驚きの内容が書かれている。
都知事選に出馬している増田寛也氏が選挙戦に入る直前まで東京電力の取締役だったと! 
これでは原発問題について客観的に見て判断することは難しい。


先週の参議院選挙と同じく、都知事選は都民それぞれの価値観を問われることであり、神妙に見極めて一票を投じねばならない。都民以外の国民もまた同様に自己洞察を加えつつ三者を見極めながら見守っていかねばならない。

三浦綾子さんが生きておられたら、日本がここまで危機的な状況になっていることをどのように感じられるだろうか。今生きている大人たち一人ひとりの責任を果たさねばならない。

posted by 優子 at 23:14| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年07月11日

ユキ9歳の誕生日

「ユキちゃんね、ユキちゃんね。今日は幸悠のバースディ。こんなに大きくなりました」。
学校から帰宅しておやつを食べているユキを前に、気がつけば父が知子の1歳の誕生日に贈ってくれた詩に合わせて口ずさんでいた。


ユキが来た頃.jpgユキが9歳になった。
一緒に暮らし始めて7年4カ月。この時ユキは1才8ヶ月だった。チャッピーは10歳になる頃で、こんなに元気だった。



チャックンに見送られて学校へ.jpgこれは小学校1年生の秋。
学校へ行くユキを見送ってくれていたチャッピーの姿は、ついこの前のことのようであり、かなり前のことのようにも思う。
去年の今頃はまだこの通りの光景だった。

夏は朝早くから起きて、ひと遊びしてから登校する。今朝も出社するママとおじいちゃんのお見送り。夏本番になる前からユキはプールで日焼けして真っ黒。

ユキ9歳のお誕生日の朝D.jpg
今でこそママがいなくても淋しがらないが、小さい頃は我慢しているのがよくわかるので見ていて辛かった。

E696B0E38197E38184E587BAE799BAE291A0.jpgこれは知子が初出勤の朝、ユキも出てきてママを見送った。
知子も辛かったであろうが、幼いユキが寂しさを耐え忍んでいるのがよくわかった。しかし、泣いて私を困らせることはなかった。

以下はその日のブログ(2010年9月1日)より:
私は知子が愛おしくて愛おしくて、愛おしくてならない。
ユキは、「ママ、いつ帰ってくる?」と何度も聞いて、一度は「ママー!ママー!」と窓際で叫んでいた。義母も「(ユキは)どうしている?」と心にとめてくれていた。

ユキは朝食の時も昼食の時も同じように祈っていた。

「イェスしゃま、
今日はおじいちゃんとママが会社へ行ったでしゅ。
ユキちゃんはおばあちゃんとお留守番でしゅ。
この食べ物を感謝しましゅ。
ママが早く帰ってきますように。
このお食事を感謝していただきます。
イェスしゃまのお名前によってお祈りしましゅ。
アーメン」。


今日は『ごんぎつね』をリクエストされて読んだのだが、母を失ったゴンと死んでしまった母狐が可哀想で、今日もまた途中から涙を流しながら読んでいた。そして、涙を拭いている時に「スースー」聞こえる寝息に気づいた。
午後1時半、ユキはいつものように読み始めて5〜6分で眠ってしまった。

ユキ、ママはもうすぐ帰ってくるよ。ママがひどく疲れてなければいいけれど・・・ね。

ユキ9歳のお誕生日の朝E.jpg2人を見送ってお誕生日の朝の記念撮影。

ユキ、大きくなったね。青年になった時のユキを少し想像できるようになってきたね。

土曜日に髪の毛を短く切ってきたので、すっかり少年に。でも、まだまだ幼くてとても可愛い。

6月26日にはこんなお話を書いてくれた。最後の方は荒っぽい字だったけれどうらやましいほどの速筆に驚いた。

IMG_8918.jpg

IMG_8920.jpgありがとう、ユキ!
でも、すごい手やね。
今度一緒にこんなふうに笑おうか。


ところで、先日の記事で某塾(7月7日の夕方)で授業を体験させていただいたことを触れた。
殆どのお友達が毎日下校後も習い事や塾に通っていることはユキもよく知っている。そして、塾経験のない我が子同様に、みんな忙しくて遊ぶ相手がいなくて困ることも経験済みである。

しかし、いつまでたってもメリハリつけて学習しないで遊んでばかりいるユキに、お友達がどんなことをしているのか体験させたくて申し込んだ。知子の苦肉の策である。決して中学受験を考えているわけではない。

知子と私は、これでユキは自らやり始めるであろうと推測していたが予測は見事に外れ、「塾、楽しい。行きたい」と言った。

確かに塾の雰囲気は良く、もう54〜5年も前のことだが、私が経験した塾とは全然違っていた。半世紀以上前から関西の中学受験激戦区は阪神間と決まっている。

男子ならば、灘、甲陽、関学、女子は神戸女学院・・など。私はそれらを志望する5〜6年のクラスだったこともあるが、とてもとても厳しいものだった。

ユキも通塾すると学力は高くなるだろうが、学校の勉強だけではダメなのか・・・早々とこういうことを始めるのがいいのだろうかと、子どもたちがプリントの問題を解いて居る時にしみじみ考え込んでしまった。


算数は余りの出る割り算で、ユキはまだ習っていないそうだが問題を解くのが1〜2題遅かっただけで、ついていけたのは少々意外だった。国語の文章はかなり難しく、4年生の終わりか5年生の初めに学ぶ内容だろう。

余談ながら、敬語についての授業を廊下で聞いていた時、子どもたちの反応に笑ってしまった。教師が子どもたちに質問した。

「校長先生にしゃべる時はどのようにしゃべる?」
「校長先生とはあまりしゃべらない」。
「では、知らない人にしゃべる時は?」
「知らない人には喋らないようにしている」。
「そしたら交番の人に道を聞く時は?」
「交番へ行ったことない。警察に行ったことはあるけれど」

ついに私は我慢しきれず笑ってしまった。
たぶん同じ子が答えていたのだと思うが、よくまあ、こんなにテキパキと返答できるものだと、そのことに感心してしまった。その子は決して相手を馬鹿にして返答しているのではないのだが、それゆえに違和感も感じる。

ドアを開けたままで授業をしてもらうのも申し訳なくて、2コマ目の算数は自らドアを閉めて玄関ロビーへ行き、現在の中学受験勉強の中身を聞き、全く知らない奈良県の公立高校について尋ねていた。奈良県は全県で一番偏差値の高いのが奈良高で、2番が畝傍(うねび)、・・・次はどこだっけ・・・

知子が出した目下の結論は塾通いはさせない。私も同感。その最も大きな理由は、こういう状態で塾へ行かせてしまったら機械的に流れてしまい、自らどうすればよいのか自分の頭で考えられなくなってしまうのを懸念するからだ。しばらくは経過観察。

最後にユキの素晴らしさに感極まったエピソードを一つ。
「家の教会」で捧げている献金を「国境なき医師団」に送っているが、毎月届く感謝状に書いてあったことをユキに読んだ時のこと。

「私たちが送ったお金で、髄膜炎のワクチンを367人分、または、これらの治療を67人分、または、マラリアの検査を96人分できるんだって」と言うと、ユキはしみじみと「よかったね」と言った。


4月分はユキと一緒に郵便局から送金したが毎月通うのも大変なので、6月分からは毎月定額をサポートすることにした。
尚、2006年からマラウィ(アフリカ)の少女とその地域への支援(ワールドビジョン)は9年間、他1名に1年間、合わせて10年間を切りに終了させていただき、僅かな支援ながらもっと緊迫している子どもたちにと考えて選択した。

ユキとの日々は楽しい。
神さまに心から感謝している。

posted by 優子 at 18:36| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2016年07月09日

家の教会M −「ぶどう園の譬え」―

雨の朝に@.jpg咲いている!
朝、下へ降りると、ひまわりのかわいい後姿が目に飛び込んで来た。

昨日のようにベランダの柵近くに椅子を置いて登るのは極めて危険。
そんなことをしなくても、植木鉢だからこちらに向ければよい。ユキが上手にひまわりの表情を撮った。
雨の朝にA.jpg
直径10センチの小さいひまわり、茎の太さは1センチ。
狭くて土も少ない所で、よくここまで咲いてくれた

昨日から降り出した雨は再び激しくなった。
大雨.jpg

今日のサッカーは中止になったが明日はできるだろう。サッカーのあとはユキは疲れて集中できないので、不本意ながら7月第2週の礼拝は一日早く今朝実施した。

2016年7月9日 (第14回 家の教会)
9:25~10:10
@ 前奏
A 子どもの讃美歌  90番 「主イェスとともに」
B 主の祈り
C 讃美歌     332番 「主はいのちを与えませり」
D 聖書輪読    マタイによる福音書20章1節〜
                     16節
E お話とお祈り   (優子)そのあと一人ずつ祈る
F 讃美歌    447番 「勇めやはらから」
G 献金と感謝のお祈り  (幸悠くん)
H 頌栄      讃美歌541番 
            「父、み子、みたまの」
I 後奏・黙祷

マタイによる福音書20章1節〜16節:
20:1天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くようなものである。
20:2彼は労働者たちと、一日一デナリの約束をして、彼らをぶどう園に送った。
20:3それから九時ごろに出て行って、他の人々が市場で何もせずに立っているのを見た。
20:4そして、その人たちに言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当な賃銀を払うから』。
20:5そこで、彼らは出かけて行った。主人はまた、十二時ごろと三時ごろとに出て行って、同じようにした。
20:6五時ごろまた出て行くと、まだ立っている人々を見たので、彼らに言った、『なぜ、何もしないで、一日中ここに立っていたのか』。
20:7彼らが『だれもわたしたちを雇ってくれませんから』と答えたので、その人々に言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい』。
20:8さて、夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った、『労働者たちを呼びなさい。そして、最後にきた人々からはじめて順々に最初にきた人々にわたるように、賃銀を払ってやりなさい』。
20:9そこで、五時ごろに雇われた人々がきて、それぞれ一デナリずつもらった。
20:10ところが、最初の人々がきて、もっと多くもらえるだろうと思っていたのに、彼らも一デナリずつもらっただけであった。
20:11もらったとき、家の主人にむかって不平をもらして
20:12言った、『この最後の者たちは一時間しか働かなかったのに、あなたは一日じゅう、労苦と暑さを辛抱したわたしたちと同じ扱いをなさいました』。
20:13そこで彼はそのひとりに答えて言った、『友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。
20:14自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。 20:15自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』。
20:16このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」。

お話:
マタイによる福音書はユダヤ人であるマタイがユダヤ人(特にパリサイ人)を意識して書いたもので、この「ブドウ園の譬え」は共観福音書(新約聖書の4つの福音書のうち、ヨハネ伝を除くマタイ伝、マルコ伝、ルカ伝のこと)の中でマタイだけが書いています。

その目的は、ユダヤ人の選民意識(自分たちは神さまに選ばれ特別に祝福された民族であるという思い)の驕り高ぶりを戒めるために書いたようです。その比喩は難解でマタイ伝特有のもので、次のような解釈があります。

@ 天国における報酬の平等を示すもの 
A 労働者の雇われた時刻の差をもって、人々が信仰に入る年齢の差を示し、この差は天国における報酬には無関係であることを教えるものと解すもの 
B この差別はアダムより使徒時代(AD30〜100年)に至るまでの歴史の各時代を示すものと見る 
C ユダヤ人を教会との関係を示すものと見る 

黒崎幸吉はこれらいずれも相当の理由と欠点があるとし、「神の恩恵の賜物の性格を説明するものと見、先に選ばれて多く働けることが必ずしも天国における誇りとならないことを示す」ものであると解しました。

北森嘉蔵は黒崎説と同じ理解の延長線上で「神の恵みの平等」を解き、能力の差も労働時間の差もほとんど消えてしまうと説いています。
北森嘉蔵は「神の痛みの神学」を打ち立てた日本を代表する神学者(1998年没)で、北森健在時より私が大いに引き付けられる説教者のひとりです。

先週取り上げた「タラントの譬え」では、イエスの言葉によって資本主義の過酷な法則が保証されており、徹底的に人間主体の責任が追及されています。

つまり結果は人間次第であり、人間の在り方で主人の態度が変わるのですから、私たちがこれを御言葉として受け取らねばならねばならない時、非常に違和感があり、立ち止まってしまいます。

また「ぶどう園の譬え」では、夜明けから日暮れまで10時間以上も働いた人々と、午後5時から1時間しか働かなかった人々と報酬が同じというのは何と不公平であり、不満に感じます。


いずれにしても「タラントの譬え」と「ぶどう園の譬え」は対極にあり、本来は全く相容れないものです。しかし、イエスさまがそれらを同時にお話になっていますから、二つの譬えを切り離して聞くのではなく、一緒に聞く時に「絶妙の真理」になるというのが北森説です。

「ぶどう園の譬え」はひたすら神の側の恵みによるものでありますが、これはいくらでも悪用できます。怠けていても勤勉に働いた者同様に恵まれることも可となってしまうからです。
一方「タラントの譬え」だけだと、弱肉強食で人間の側の条件によって決定されてしまいます。

北森嘉蔵は、どちらの話もイエス・キリストが話されたことを認識した瞬間に「絶妙の真理」になるというのです

即ち、「恵みの平等は人間主体の責任というものと密に関係しており、恵みが平等に与えられているがゆえにそれに応えたい。徹底的に努力するということが初めて生きた真理になり、絶妙の真理と見てよい」と言うのです。「なるほど」と納得できます。


また、夕暮れの5時頃になっても何もしないで立っていた人たちは福音を知らなかったと解釈できます。この人たちは1時間働いたらいくらもらえるという契約もしないで、ただ主人を信頼してぶどう園へ行きました。そして、たった1時間の労働でしたが一番先に報酬を与えられました。

このことは即ち私たちクリスチャンは皆、午後5時に神さまによって雇われたものなのです。しかも、後の者が先に天の御国に入ると言われるのです。

神の約束で選ばれたイスラエル(ユダヤ人)の誇りと高ぶりを戒め、また、私たちクリスチャンたちにとっては、若くしてクリスチャンになったからと安易に過ごしていたら、先に選ばれた者が必ずしも安心できないという戒めとすべきでありましょう。

要は信仰の問題であり、神の自由な恩恵の賜与(しよ)を忘れてはいけないというのです。私たちのこの信仰も神の恵みであり、神さまが支えてくださっているのです。だから誰も自分の信仰や行いを誇ることができません。

私たちは罪赦されて永遠のいのちを与えられましたが、クリスチャンになればなったで、それまで以上にクリスチャン道徳からくる自分の欠点を責めるものがあります。それが人間の実相であり現実です。

しかし、この完成しない霊と肉の闘いの中に生きているのとは無関係に、その出来事を越えて、主はいつも、「あなたはわたしと一緒にパラダイスに居るんだよ」と語りかけてくださっているのです。仮に悩みながら生涯を終えたとしても主ご自身が証言してくださるのです。

私たちが悔い改めることができるのも神の恵みゆえであり、悔い改めた者は即刻即座に新しくされて明るく強く生きていけるのは、日々経験している通りです。
私たちはキリストの恵みの中で誠実に心を尽くして生きていきましょう!
 
<讃美歌447番・1節>
勇めや、はらから 暗き道にも、しるべの星あり、仰ぎて進め。遥けき行く手に こころ落とさず、み神に頼りて進め、進め、雄々しく進め。

posted by 優子 at 14:52| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2016年07月08日

ひまわりが咲いた! −ブログで人生を分かち合う―

ひまわり@.jpg今朝、ヒマワリが蕾を黄色く染めていた。
そして15時過ぎ、左の写真上方の花が開花し始めているのを発見! 

開花!@.jpg








それを椅子に上って
正面から撮った。開花!A.jpg

美しい神秘の世界。
いつまで見てても飽きない。

不思議なことに一番成長の早かったヒマワリは、まだ閉じている。

夜遅くまで電気をつけているとヒマワリが眠れないので、早く消灯するように心がけている。6月26日の記事を書いていた時に気がついた。

今日は曇り空だったからか、朝顔が夕方になっても咲いている。雨が降り出した。

夕方になっても咲いている.jpg

2015朝顔の種.jpg昨秋、朝顔の種をたくさん学校に提供した。
今頃1年生の子供たちの植木鉢にも同じ朝顔が咲いていることだろう。

種を分ける。
思えばブログを公開するということは、文章を通して私の人生を分かち合うということでもあろうかと思う。


思索、喜び、怒り、葛藤、悲しみ、成功、失敗、希望・・・、それらを書きたいと思うのだが、「書ける範囲で」という条件つきゆえに退屈な内容になってはいないか。読んでくださる人の心の琴線に触れるものを書いているだろうか。

ブログは、書き手が最も取り上げたいことや、もっと突っ込んで書くには不適切な道具ゆえに、それらは是非早いうちに「念願の一書」に書こうと思っている。

我が家で咲いた花の種を分け、それを子供たちが咲かせてくれたように、この『メメントドミニ』を読んでくださっている方の中に、一人でも何かを感じてくださるならば大きな喜びだ。

と、こんなことを書いていたら、「おばあちゃん! カブトムシが脱皮し始めた!」と、ユキが叫んで入ってきた。
カブトムシの幼虫.jpg3月末にもらったカブトムシの幼虫が皮を脱いで成虫になったのだ!
カブトムシ脱皮.jpg

また叫んだ!
「おばあちゃん、もう一匹もめっちゃ動いてる! またオスやった!」
宿題の続きをしては、いつの間にか庭へ行ってたユキ。

しばらくして網戸越しに言った。
「おばあちゃん、今度はメスみたい」と、3匹目の脱皮を伝令し、その後まもなく、「おばあちゃん、メス生まれた!」と叫んだ。さすがにもう見に行かないが、私は感動の笑みを満面に浮かべながら書いている。

ところで脱皮は一斉にするのだろうか?
カブトムシは一度にいくつ卵を産むのだろう。同じ時の卵だから一斉に脱皮するのだろうか。何事も関心を持つと面白い。

まあこんな調子で、ユキは僅かの宿題さえ集中できないので、実は昨日二人で塾見学に行った。知子がお膳立てをしたのだが、子育て経験のある私も初めてのことだった。

ところが豈(あに)図らんや、国語と算数の二コマを経験したユキの感想は意外だった。

posted by 優子 at 17:45| 随想 | 更新情報をチェックする

2016年07月06日

私たちのワシントン行き成らず、マチ・クマ今月末に1年ぶりの帰国 

私たち夫婦はワシントンD.C.行きを決定するのが遅すぎた。次女夫婦は6月いっぱいキャンセル待ちが出るのを待ってくれていたが、ついに7月1日にANAの特典航空券の申請をキャンセルした。
幸い、真智たちの帰国便のチケットが取れたと昨日帰国予定が入った。

よく見ると、私たち夫婦のパスポートの有効期限は来年8月まであるので、夫は再度最後の海外旅行に挑戦するようだ。行きたがっています。

今回は8月にD.C.へ行くつもりだったので、私は7月下旬出発の関西北越会のフランス行きは頭から不参加を決めていたが、夫は体力的に自信があるようで参加する勢いだった。

しかし、1週間足らずの旅行で一人100万円近くも必要なことや、北越紀州製紙の工場見学のほか、行きたい観光先が殆ど入っていなかったこともあり、私は商売上差し障らないかと思いつつも迷うことなくお断りしていた。関西北越会は今回の旅行を最後に幕を閉じる。

次女夫婦が1年ぶりに帰国するが、2〜3年ぶりのように感じるのは何故だろう。
今回の帰国は、まず数日間東京に滞在し、こちらには7月29日夜に到着。8月8日にいつもの早朝の便で帰米する。滞在日数は8日間と短く、その間に神戸大学にも訪問するので一泊旅行も無理だ。

ユキが撮ったキキョウ.jpg今月は7月30日に「ブルンナー読書会」開催予定だ。
次女夫婦を下村さんにご紹介できるのは思いもしない喜びだ。

(ユキが撮ったキキョウ)

「家の教会や、みんなとゆっくり話せることを楽しみにしています。滞在中の予定については、また近いうちに相談したいです」。

ユキは早速「ウィー」を言っていたが、持ってきてくれなくてもいいよ。本人も諦めたので。帰国までにいつか日本時間の日曜日午前中にスカイプしようね。

ユキの背を抜いたひまわり.jpgユキの背丈を抜いたひまわり。
オカリナのような笛を吹いている。

黄色みを帯びてきた蕾.jpg






「蕾が黄色くなっている」と、
これもユキが撮ったひまわりの蕾。
咲くのが楽しみ!

posted by 優子 at 18:44| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2016年07月05日

主を信頼する者の謙遜と大胆

松下幸之助の理念に共通すること大なる知子は、3月の朝礼で幸之助の言葉を紹介したことは過去ログに記録済みであるが、今一度読みたい。
商売は真剣勝負である。その勝負のときに、社員が汗水流して働いてくれている姿が見える人、その成果を無にできないと思える人は、強い。     

こっちが値をつけても、「何を言うとる、そんなもの売れるか、相場はこうやで」と、こうなりますな。・・・(略)・・・「松下さんこれ高いな、よそはもっと安いで」とこういう場合があります。そのときにぼくはね、「しょうがおまへんなあ」と言うてまけなかったんです。
 
そのとき、ぼくの目に浮かんだのは従業員の姿ですわ。
原価が1円のものを1円15銭と言うて高いとおっしゃる。すると自分の働きが悪いのかということですね。自分の働きが悪ければ、これはしかたない。

しかし顧みて、自分の働きは悪くない。一生懸命働いている。よそよりコストが高くついているはずがない。またそのとき、10人なら10人の者が朝の7時から晩の7時まで一生懸命働いて、汗水流しているのをぼくはこの目で見ていますわな。
 
ぼくは、その人たちの成果というものを無にすることはできないと思ったんです。だから「高いからまけろ」と言われても・・・しょうがないなあ、よそが安うするのやったら、うちも安うしないとしょうがないと思ったら、あきまへんのや。

ぼくはそのときに、一生懸命働いておったかということを自分で考えた。また従業員の10人なら10人が、汗水たらして働いているその成果を、自分の意思によって無にすることができない。そうすると、非常に強いものが出てくるわけです。(略)
何ごとにもやっぱり自分で正しいと思うことには強い。

従業員が一生懸命にやっているのに、自分が簡単に当を得ない値段をつけることは、その10人の働きを殺すことになります。これは自分として許されないことやと私、思うんですね。

常に頭に従業員のことがあるんです。だから、強味が出てくるんですね。(略)この10人の成果を無にしてはいけないということがぐっと出てくるから、強くなるわけです。

知子は急務のため、今朝は父親より先に6時前に家を出た。7時20分、会社に着いた瞬間から、次々と決断を下した。そして言った。

「乗り越えられない危機はない!
みんなで協力できないものか。どうかお願いします!」


「そうや、それぐらいの気持ちでいかんと!
専務がそういう気やから僕らもついて行くんや!」


そして、皆が自発的に動いてくださった。

また、社外の問題についても「語るに時があり」と、主に在る者の謙遜にして物申す思いを示されており、今朝のみことばはまさに今の知子の姿であった。

列王記下・2章9節:
「では、あなたの霊の、二つの分け前が私のものになりますように」。
エリヤの後継者エリシャは、エリヤの二倍の賜物を求めました。でなければ、自分にはエリヤのような働きはできないというのです。
謙遜であるがゆえの大胆さです。エリシャの心には、謙遜と大胆が同居しています。控えめであることが謙遜なのではありません。謙遜であれば、信仰と希望はおのずから大きくなっていくのです。

私に言わせれば主に在るからこそ真の謙遜であり、それゆえに強い信仰と希望が与えられるのである。
仮にその結果が、いわゆる人々の言うハッピーエンドに終わらなくても、その時は時間を経て最もふさわしい時に、それにあまる祝福を用意してくださっているということである。


「主に信頼する者は安らかである」。

今や知子が率いる従業員たちの上にも神の恩寵を感じる。

「主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照し、昼も夜も彼らを進み行かせられた。
昼は雲の柱、夜は火の柱が、民の前から離れなかった」。


あと一人、祈りに覚えているその人は自分の心の闇に気づき、人生と和解して新たなる歩みを踏み出してほしい。

posted by 優子 at 22:00| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2016年07月04日

美濃紙業の動向 ―2016.7.1朝礼より―

2016'summer.jpg

今月の朝礼は8日に支給される賞与を前にして、知子は今夏の経済状況から話し始めた。
商工中金の「中小企業の賃金動向に関する調査」の詳細分析をもとに賞与額を検討したことを話し、ビジネス情報サイト・ダイヤモンド社が6月25日付で公開しているニュースを抜粋紹介した。

「夏のボーナスは自動車が一人勝ち、中小は支給なしも」

東証上場、500名超の大企業は(総平均90万)、我々中小企業とは、まあかけ離れた世界である。しかし、中小企業庁によると日本の99.7%が中小企業(421万社)で、働く人の7割(69.7%、3,200万人)が日本の53%を支えている。

続いて大阪シティ信用金庫が20日に発表した「中小企業の夏季ボーナス支給状況」を説明して、次のように語った。

この2月から勤続年数によらず、また情けによる平等配分もせず、頑張る人を評価するという方針に変えました。現時点で、当社は大阪において明暗が分かれた「明」の会社です。これは社員の頑張りと財務管理が両輪となって初めて実現している事だと私は考えます。

取締役と営業会議に出ている人以外は、私が日常いかに厳しい発言をしているかをご存知ないわけですが、その厳しさは全て、経営理念に根差したものです。

厳しい薄利多売の競争下において、適正利潤を追求し会社を存続させていくこと、お客様に信頼されること、そして、頑張る社員のみなさんにその対価を可能な限り受取って頂き、みなさんの喜ぶ顔を見るのが私の経営目的の一つでもあるのです。

さて、今回は初めて多くの会社に働きかけて採用活動をしたのですが、そのうち大手1社が私へのヒアリングとホームページ “Being&Doing”から次のような企業概要を作成してWeb公開して下さいました。


『ビジョン』  
社内的には営業の主力が若手に転換した今、経営体質や合理化を抜本的に見直し、人材育成にも意欲的に取り組んでいるところです。

自社と他社の2つの焦点を持ち、柔軟性と可能性を抱いて知恵と情報を共有し、互いに協力することによって時代の変わり目を乗り越えていくことができると確信しています。

同社は社会的必要に応えて商売しているという使命感に支えられ「最善は常に未来にあり」をモットーに挑戦し続けてきました。

どんなに時代が変わろうとも変わらぬものがあり、変えてはならぬものがあります。リーダーは、それを見失わずに前進していくビジョンをお持ちです。

先ほどの話に戻りますが、11月末、また皆さんの喜ぶ顔を私は見たいです。
その賞与を支給できるかどうかは、全体会議でも言いましたが、既に始まっている下期の売上次第なのですから、これからも団結して頑張っていきましょう。

この日、知子は10時頃に帰宅したが、玄関に入るなり話した。
最寄りの駅に着いた時に営業担当社員から電話が入り、寸法を間違って断裁しているとのこと。今夜中に客先に届けねばならず今頃断裁中だろうと、断裁してくださっている方と担当社員のことを思って心を痛めていた。

会社近くに住んでおられる断裁士に連絡を取り22時45分に断裁完了。営業マンは23時45分に配達完了したが、帰宅したのは午前2時だったという。

仕事とはかくも厳しいのだ。得意先は24時間体制の印刷業社だという。みんな精一杯責任を果たす。全て無事に終えてくださった社員の方々に、そして、お守りくださった神に感謝した。

それにしても、かくも皆が快く働ける環境に造り替えた知子の手腕は多大だ。大変な苦労を重ねてきたとはいえ、それに応えてくれる誠実な社員たちに恵まれていることを感謝する。

心ある誠実な社員を核にして社内の気風を一新できた。2012年2月より執行役員の立場で、危機管理薄弱な財務状態を建て直す「出エジプト」に着工して4年半。それは百戦錬磨の闘いと言うよりも理不尽極まりないことの連続であった。

最良の土台が築き上げられた今、いよいよ互いに影響を与え合って、それを社員一人ひとりが実感して手ごたえを感じながら進んでいくのであろう。

長い長い悪戦苦闘の年月を経ながら培われた忍耐。その荒野を通りながら知子自らの能力が開花した。それゆえにタラント(賜物)を生かす責任と共に、神さまから期待されていることも感じていると思う。私も多くのことを教えられてきた。

人間が力強く生きる原動力はやはり感動だと思う。
そして、神は誠実さを失わないで努力し続けた者に、絶妙のタイミングで「ひらめき」をプレゼントしてくださるのだと思う。知子の歩みをそばで見ていた私はその連続であったことを証ししたい。

チャップリンは、「もし下を向いたままならば、虹を決して見つけることはできないだろう」と言っている。
これからも常に主イエスを見上げて思いっきり人生にチャレンジし、生きがいのある中年期を生きてほしい。

最善は常に未来に在り!

「 あなたはキリスト・イエスにある恵みによって、強くなりなさい」。

               (Uテモテ2章1節)
今日も休みなく次から次へと訓練は続く。
全ては神の御手の中、主の平安あれ!


posted by 優子 at 12:26| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2016年07月03日

家の教会L −「タラントの譬え」−

2016年7月3日 (第13回 家の教会) 
10:05~10:55
@ 前奏
A 子どもの讃美歌  82番 「おおしくあれ」
B 主の祈り
C 讃美歌     520番 「しずけき河のきしべを」
D 聖書輪読    マタイによる福音書25章14節〜
                        30節
E お話とお祈り   (優子)そのあと一人ずつ祈る
F 讃美歌     452番 「正しく清くあらまし」
G 献金と感謝のお祈り  (幸悠くん)
H 頌栄      讃美歌21 29番 「天のみ民も」
I 後奏・黙祷

マタイによる福音書25章14節〜30節:
25:14また天国は、ある人が旅に出るとき、その僕どもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。
25:15すなわち、それぞれの能力に応じて、ある者には五タラント、ある者には二タラント、ある者には一タラントを与えて、旅に出た。
25:16五タラントを渡された者は、すぐに行って、それで商売をして、ほかに五タラントをもうけた。
25:17二タラントの者も同様にして、ほかに二タラントをもうけた。
25:18しかし、一タラントを渡された者は、行って地を掘り、主人の金を隠しておいた。
25:19だいぶ時がたってから、これらの僕の主人が帰ってきて、彼らと計算をしはじめた。
25:20すると五タラントを渡された者が進み出て、ほかの五タラントをさし出して言った、『ご主人様、あなたはわたしに五タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに五タラントをもうけました』。
25:21主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。
25:22二タラントの者も進み出て言った、『ご主人様、あなたはわたしに二タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに二タラントをもうけました』。
25:23主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。
25:24一タラントを渡された者も進み出て言った、『ご主人様、わたしはあなたが、まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人であることを承知していました。
25:25そこで恐ろしさのあまり、行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました。ごらんください。ここにあなたのお金がございます』。
25:26すると、主人は彼に答えて言った、『悪い怠惰な僕よ、あなたはわたしが、まかない所から刈り、散らさない所から集めることを知っているのか。
25:27それなら、わたしの金を銀行に預けておくべきであった。そうしたら、わたしは帰ってきて、利子と一緒にわたしの金を返してもらえたであろうに。
25:28さあ、そのタラントをこの者から取りあげて、十タラントを持っている者にやりなさい。
25:29おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。
25:30この役に立たない僕を外の暗い所に追い出すがよい。彼は、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。

お話:
今日は「タラントの譬え」をお話します。実はこれと同時に20章の「ぶどう園の譬え」もお話したいところですが、ユキが集中できる時間は20分間ほどですので、「放蕩息子の譬え話」のように2回にわけてお話します。

まず「タラント」ですが、これは古代ローマ(B.C.750年頃〜A.D.400年頃)のお金で、「1タラント」とは6000デナリです。

1デナリ(デナリオン)は当時の一日の賃金ですから、今の日本で換算すると一日の賃金を5000円〜10000円として、1タラントは3000万〜6000万円になります。

1年中無休で働いたとして8年〜12年分の収入ということですから、1タラントもかなりの高額です。当時の僕は主人の財産を預かって忠実に働かす義務があったということです。

さて、5タラント預かった人は5タラント増やして、2タラント預かった人は2タラント増やしたというのは、二人とも精いっぱい働いたことを表しています。

ところが1タラント預かった人は、それを減らさないかわりに地面の中に隠していただけでした。そして(24節)「ご主人様、わたしはあなたが、まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人であることを承知していました。そこで恐ろしさのあまり、行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました。ごらんください。ここにあなたのお金がございます」と言いました。

この僕は主人はかくも吝嗇で怖い人だと思っているので、減らさなければいいだろうと思ったのか1タラントを運用しませんでした。しかし、これは自分が何もしなかった言い訳や屁理屈のように聞こえます。

何よりも苦労を厭う怠け者で、商売に伴う危険(リスク)にも尻込みして安全な状態で居たかったのでしょう。しかし、善良で忠実であるならば銀行に預けるぐらいの知恵は出たであろうと、主人に徹底的に責任追及されて最初の1タラントも取り上げられてしまいました。

そして、5タラントだった人は1タラントもらって11タラントになりました。29節に「おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。」とありますが、これは経済界の普通の現象です。
今政権が掲げる「アベノミクス」でも多額の資本金がある大企業だけ潤ったことからもわかります。

主人のこの言葉は弱肉強食ごとき過酷な資本主義的な様相であり、「この役に立たない僕を外の暗い所に追い出すがよい。」と厳しく責任追及され、祝宴に加わることも許されず、追い出されてしまいました。

ユキがこれまで教えられてきたイエスさまとは違って、とても厳しいイエスさまですね。イエスさまはこの譬えから何を言おうとされたのでしょうか。

19節にある主人が帰ってきて「計算をした」というのは、私たちが地上の生涯が終わった時に、一人ひとりが命を与えてくださった神の前に立たねばならないこと。そして、どのように生きたかを問われるということです。

5タラント増やした人も2タラント増やした人も共に「良い忠実な僕」と褒めてもらいました。

つまりどんなに頑張って良い結果を出したかという働きの大小(量)ではなくて、いかに善良で忠実であったかという質が大切であり、神さまはそこをご覧になるのです。

1タラントを預かった人は、神さまと信頼関係がないので、神の愛もわからず恐怖と厳しさだけを思っていたのです。

ギリシャ語で「忠実」は「信仰」と同じ語源であるように、「忠実さ」とは仕事の量ではなく、その人のあり方であり、誠実に力の限り尽くすということです。

ですから手段の問題や結果ではなく、小さな賜物でも十分に働かせようと考える心、能力の用い方こそが大切なのです。

能力も肉体と同じで使わない能力は衰弱してしまいます。神さまが私たちに預けてくださったタラントをしっかり管理運用しましょう。


この譬え話もクリスチャンならばよく知っている譬え話ですが、私はこのたびじっくり読み直して臆病というのもいけないと思いました。

このお話から受け取らねばならないことは、私たちはイエスさまから「霊の賜物」だけではなく、学問、知恵、財産、健康などの「肉の賜物」を任せられており、これをどう活かすかが問われているということです。

賜物の大小は問題ではなく、神さまから預けられたタラントを管理し精一杯運用しなければなりません。
ついでながら、英語の”talent”(才能、能力)という言葉は、今日読んだ聖書の話が語源です。

クリスチャンにとって命は墓場までではありません。地上の労苦や働き、それによって築き上げられた人格も全て主に在っては無駄ではないのです。

誰にとっても「今は恵みの時」、神さまは悔い改めて本心に立ち返るのを待ってくださっているのです。

「ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである」。               
              (Uペテロ3章9節)

今週は先週よりももっとより良く生きましょう。
今日は厳しい自己責任追及の話をしましたが、来週は「ぶどう園の譬え」から「神の恵みの平等」についてお話します。

昨日から梅雨が明けたように猛烈に暑くなり、蝉が鳴き始めた。今日の昼間の室温は34度に達した。

posted by 優子 at 12:43| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2016年07月01日

もうすぐ学期末 梅雨も終盤

3年・登校風景@.jpg今週初め(6月27日)、知子に代わって朝の交通当番に立った。ユキたちが通るルートは4グループの通学路、全部で50名ぐらいだろうか。

私はユキの今を残しておいてやりたくて、ユキたち最後のグループが横断歩道を通り終えると大急ぎでカメラを向けた。大きくなったけれど、3年生はまだまだかわいい。

この日はメダカを持って行った。そして今日、持って帰ってきた。1年ほど前にお友達にもらったメダカ、チャッピーが生きていた時から居たメダカだ。

3年・登校風景A.jpg
何て美しい光景だろう。
この子たちの生涯の終わりまで平和でありますように。そのあとも、そのあとも連綿と続く子どもたちも幸いな生涯でありますように。今もなお世界中で犠牲になっている子どもたちのことも・・・

夏の光景.jpg
私の好きな夏の風景の一つ。
夏期はユキが帰宅すれば大急ぎで水泳パンツを水洗いして干す。3〜4回に一度洗濯機で洗う。我が子の時と同じようにしている不思議、こんなことをまたさせてもらえるという何とも言えぬ幸せなひと時。 

今夏は初めて植えたひまわりが2日ほど前からグングン背丈を伸ばして、低い方の洗濯竿の高さを越えてしまって大変。

今日からプール.jpg今年は6月8日が初プール、今まで3回中止になり今日で6回目。今も幼稚園から使っているプールかばんを持って行く。

2013_7_30.jpg




→ これは2013年7月30日、年長組の夏休み。帰国中のマチ・クマも一緒にお迎えに行き、大好きなN先生と思い出の写真。ほら、同じかばんを持っている。来年も持つのかなぁ?(^0^)

そう言えば6月17日(金)、ユキがプールかばんを学校に忘れてきたので取りに行った時に、校門前から園舎のN先生と手を振り合ってご挨拶した。私にとっても生涯忘れられない素敵な方。

この日、教室まで取りに行っているのに、給食袋も忘れているのを夜になって言われるまで気がつかないユキ。相変わらず頼りないユキについに爆弾を落としてしまった。

ところで娘たちの小学校では7月からプールに入ったものだが、この学校では(あるいは今は東大阪でもそのようになっているのかもしれないが)中学校並みに6月から始まるので肌寒い時がたびたびある。
今日は帰って来るなり面白いことを話してくれた。

「おばあちゃん、今日は『天国シャワー』やったわ。『天国シャワー』は良い天気で暑い日のシャワーで、『地獄シャワー』は曇り空で風が強い時の冷たいシャワーやねん」。

2年生の時からお友達の間で使っているそうだ。 

益城町のスイカ.jpg玄関には先週末に買ったスイカが置いてある。これも我が家の夏の風景だ。これで8つ目のスイカ。今年は小ぶりが多い。
この時期、関西ではほとんどが熊本のスイカで、よく見ると箱に「かみましき」と書いてあった。地震のあった益城町のスイカ、地震を生き抜いたスイカだ。

チャッピーがいないのにも慣れた.jpgチャッピーが死んで7ヶ月、チャッピーのいない梅雨の季節。
今も雨が降ると晩年のチャッピーを思い出して外を見ては、もうチャッピーのことで心を痛めることはないんだと思って安堵する。
チャッピーのいない生活にも慣れた。

玄関のチャッピー@.jpgでもやっぱり今日もチャッピーの姿を探す。
チャッピーが最期の1週間によく座っていた場所に立って、いつまでも見ていた。
チャッピー

posted by 優子 at 23:39| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする