2017年02月26日

家の教会2017G ―金持ちと貧しいラザロ―

2017年2月26日(日) (2017第8回 家の教会)
13時15分〜13時50分
出席者 3名(Except T)
@ 主の祈り
A 子供の讃美歌 88番 「天にいます私たちの父」
B 聖書輪読   ルカによる福音書 
            16章19節〜31節
C お話     優子
D お祈り    一人ずつ
E 讃美歌    285番 「主よ御手もて引かせ給え」
ジョウビタキのオス.jpg
ルカによる福音書 16章19節〜31節:
16:19 ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。
16:20 ところが、ラザロという貧乏人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、
16:21 その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。
16:22 この貧乏人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。
16:23 そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。
16:24 そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。
16:25 アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。
16:26 そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。
16:27 そこで金持が言った、『父よ、ではお願いします。わたしの父の家へラザロをつかわしてください。
16:28 わたしに五人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです』。
16:29 アブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう』。
16:30 金持が言った、『いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。
16:31 アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。

お話:
今日は金持ちと貧しいラザロの話です。金持ちは、「いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らして」いました。紫の衣は王様や貴族だけが着るとても高価な服です。

貧しいラザロは貧しい家に生まれて全身ができ物で覆われていました。ただそれだけしか書いていません。金持ちの男は何か悪いことをしたとか、貧しいラザロが何か善いことをしたとも書いていません。

20節の「前にすわり」という言葉の原文は「置かれていた」という意味だということです。いつも玄関の前に座っていたということは、金持ちの男はラザロを追い払わずに居らせてあげて、残飯ではあってもあげていたのでしょう。そうでなかったらいつもここに居ないと思います。

金持ちはラザロを全く助けようとしなかったわけではないと思うのですが、その程度でした。2人が死んでからは大きく違いました。

アブラハムは神さまの民であるイスラエルの最初の人です。ラザロはアブラハムのすぐそばに連れて行かれて大いに祝福されたのです。でも、金持ちの男は燃え上がる火の中で苦しんでいました。

その理由は、金持ちは生きている間に良いものをもらっていたからであり、ラザロは悪い方を受けたからと立場が逆転したというのです。これはどう考えればいいのでしょうか。

有り余るほどの富に恵まれた環境に生まれたのは、彼が選び取ったものではありません。貧しい家に生まれたラザロもそうです。生まれながらの貧富の問題は運命ともいうべきものです。


金持ちに生まれたから死んでから永遠の苦しみを受けるならば、貧しさの中に生まれたほうが良いと思うのではないでしょうか。貧しい者は神の慰めと祝福を受けるからです。

しかしまた、貧しい人が天国へ行くとは限りません。ラザロは貧しいからと言って悪行をしないで、「ラザロ」という名前が示す通り神さまにすがって生きていたからでしょう。

私たちは空気と水がなければ生きていくことができません。それらは人間の力では創ることができない神さまからの恵みです。

それと同じように私たちに与えられている富も神さまからの恵みなのです。健康も能力も時間も努力して得た富も全てです。それらは神さまから私たちに預けられているものですから、正しく管理して有意義に用いねばならないのです。

この金持ちが炎の中でもだえ苦しんでいるのは、モーセと預言者によって書かれた聖書があるのに読んでいなかったのでしょうか、悔い改めなかったからだというのです。

では「悔い改める」とはどういうことでしょうか。それは放蕩息子が父のもとへ帰って来たように本心に立ち返ることです。

聖書を読み、祈ったら悔い改められるということではありません。奇跡を見ても悔い改めることはできません。

聖書は「祈りつつ読め、読みつつ祈れ」と言われているように、聖書を読むにも神さまが私たちに語りかけておられるみ言葉を、本当に聞こうとする思いがなければ悔い改めに至らないのです。

そして、本当に神さまの恵みがわかったならば時間や富も能力も自分の楽しみだけに使わずに、用い方が変わっていくのです。私は遅々たる歩みですが、これからも変えられていくことを信じています。


私たちの玄関先(周囲)に貧しいラザロはいないでしょうか。それは経済的貧しさだけではなく、悲しんでいる人、大きな悩みを抱えてうなだれている人かもしれません。共に生きるとは愛をこめて関わることです。

人は死んでからでは遅いのです。死んでから死後の運命を変更することはできません。この世における生き方がその人の永遠の運命を決定するのです。

箴言22章2節に「富める者と貧しい者とは共に世におる、すべてこれを造られたのは主である。」とあります。

しかし、神さまは完全なお方だから不公平なことはなさらない。地上の生涯で終わりではない、それはいのちの第1幕であり第2幕があるのです。その人にふさわしく公平に報いてくださり納得させてくださいます。私は信じています。

「汝の運命の星は汝の胸中に在り!」、運命を運命として諦めるのではなく、私たちが神さまの存在を知って主イエスと共に生きていく時、運命は神の摂理に変わるのです。「摂理」には神の目的とご計画があり、神が最善に導いてくださるということです。

人生が順風満帆の時は傲慢になりやすく神の恵みを忘れがちになることがありますが、逆境の時こそ神の愛を感じます。心が低くされているからです。貧しさや苦悩の中にある人にこそ神は祝福され、その人は神の恵みを深く感じるのです。

春ですよ!.jpgそして、豊かな者は苦しむ者と共に生きる。そうであれば神さまはどんなに喜んでくださることでしょう。今朝の御言葉からそんなことを思いました。

posted by 優子 at 22:35| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2017年02月23日

9年ぶりに読書会へ B ―佐野一雄さんを偲びつつ明日に目を向ける−

雲が切れ行く.jpg
早朝の激しい雨あがり、ようやく3時間も過ぎてから二上山(雄岳)が姿を現したが、一日中重く暗い雲が空を覆っていた。

読書会があった21日の朝、佐野一雄さんがお正月明けに亡くなられたとのハガキが副会長さんに届いたと訃報を告げられた。98歳だった。足が弱くなっておられたが、前年11月の『サークルの集い』では戦争体験を話されたそうだ。

書道家の佐野さんは『河内(かわち)の表装美術クラブ』を主宰されるだけではなく、東大阪の著名な文化人だった。その前身の「衣摺(きずり)を語ろう会」の1989(平成元)年の総会では塩川正十郎さんの記念講演の記録が残っている。

2000年8月8日に父が亡くなってまだ日も経っていない同月28日に、佐野さんが毎夏行かれる高野山にご一緒したことがあった。

佐野さんは落下傘部隊の生き残りで輸送機の操縦士だった。
落下傘部隊の墓 「空」.jpg「ここに僕の髪の毛と爪も収められてるんや」と、高野山・奥の院に入ってすぐにある「空挺落下傘部隊将兵之墓」に案内された。毎年欠かさず墓参に来ておられた。
正面の石碑に「空」という字が彫ってあり、「空」について思うことを話してくださった。

ここで写真を撮って差し上げると非常に喜んでくださり、「いつもこうして持ってまんねん」とニコニコしながら見せてくださった。

佐野さんは熱心な真言宗信徒で法名を持っておられ、いつもこの前でお経をあげておられた。密教のこともたくさん話してくださり、「○○ソワカ」の意味は忘れてしまったが、その文言を今も記憶している。

物知りの佐野さんのガイドを興味深く聞きながら奥の院を歩いた。たくさんの大きな石碑は中をくりぬいて棒を通して転がして運んだことや、大名の墓に鳥居があるのは鳥居内は霊界を意味することなど話は尽きず、一番奥にある弘法大師の霊廟、そして、大圓院に案内された。

あの頃は父の悲しみで何も話さなかったが、どうして景教について話題にしなかったのだろうと今これを書きながら思う。

翌年8月13日に家族で高野山へ行き、佐野さんのご紹介で平家物語ゆかりの瀧口入道と横笛の恋物語の大圓院で宿泊した。

佐野さんと 2003.5.2.jpgこれは2003年5月2日、Dさんと二上博物館をご一緒したときだ。このとき、佐野さんは83〜4歳だったのか・・・
5月の明るい陽ざしに負けないくらい元気な笑顔が輝いている。

悲しくさみしい。
とうとう逝ってしまわれたか・・・私は読書会を離れてから一度お目にかかっただけだったと思う。

↓これは2002年5月の読書会。
左奥の定席に佐野さんのお姿が見える。
読書会風景.jpg
この時はクリスチャンの友人・鳩飼きい子さん(正面・黒板前の黒い服の女性)が出版された『不思議の薬 サリドマイドの話』をテキストに、鳩飼さんをお招きしての会だった。

鳩飼さんも2010年に80歳で召天された。(私は鳩飼さんの左。ゲストなのに真ん中に座って下さらず、謝儀も受け取ってくださらなかった。)

佐野一雄さんを偲ぶ@.jpg今年は年賀状を作成しなかったのでお送りしなかったが、佐野さんは昨年の年賀状にも「元気にしています」と書いてくださっていた。

←これは2014年の年賀状で、もう一方のは2015年のものだ。
佐野さんの年賀状.jpg

佐野さんを偲び、昨年度発行された『かわちの』64号に寄稿された文章の冒頭をここに貼らせていただこう。

佐野一雄さん最後の寄稿.jpg

佐野さんにお聞きしておくべきだった。戦争の実態と憲法を改正し戦争できる国にしようとしている日本の現状について。

悲しいが前を向かなくては。
頭(こうべ)を上げて、私も残りの時間を精いっぱい生きなくては!


この日、古いメンバーの方々はすぐに私を認知して大歓迎してくださった。「御髪(おぐし)が変わられたけれど」とだけ仰りつつも、それ以上の驚きがあったように感じた。

帰りぎわ、Iさんに「またお会いしたいです」と御挨拶したら、「また来てね。本当に会えなくなってしまうから」と仰った。
本当にまた参加しようと思う。

東大阪市の中央図書館である花園図書館は民営化され、市から出る委託料で運営されている。ただしサービスは良くなったという。元旦も休館せず夜は9時まで開いているそうだ。

読書会に対してもこれまで通り選定図書は10冊ずつ購入してくださっているとのこと。市から助成金が出なくなって久しいが、書籍を購入してくださるだけでもありがたい。それでも会計が苦しいので、年会費を2000円から3000円にアップして会報の印刷代を捻出しているという。

市民会館跡に商工会議所を建て、その1階に永和図書館が入る。設計図もできあがっていた。読書会の要望も出すそうだ。

サークルセンター(商大)との兼ね合いもあるが、これを機に読書会会場を図書館に移すといいのではと思う。草創期は永和図書館で開いていたのである。
花園図書館は遠く、路線バスも廃止されてますます辺鄙になっているので、豊中との交歓読書会も新永和図書館ならば気兼ねくお迎えできる。駅の真正面で足場もいい。

新年度は創立50周年になる。こんな時代だからこそ読書会の存続意義は大きく、ますますの発展を祈るばかりである。
なお、市民会館は更地になったままの市民病院跡地に建つそうだ。

附記:読書会関係の写真を見ていたら、知子が参加した時のがあったので貼っておきたい。

読書会風景B.jpg

読書会風景A.jpg1998年8月の読書会は、漱石研究者・鳥井正晴氏を招いて『三四郎』がテキストだった。
1998年といえば、母を亡くして父が病床にあった時。私は46歳、知子は20歳だった。
 ―完―
 
posted by 優子 at 18:14| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2017年02月22日

9年ぶりに読書会へ A ―『舟を編む』−

この日は寒気が強かったせいか出席者は私を入れて9名だった。以下は参加者の発表を聞き書きしたものである。全員のを書いたわけではなく、聞きのがしや聞きまちがいもあるだろうが記録しておきたい。

Aさん:辞書って素晴らしい、目からウロコだった。辞書への愛おしさを感じる。作者が無くて編集者、関わる人があまりに多くて「賞」も無い。

地味な話題がどうしてこんなに面白く書けるのかと思うと、作者のユーモアであり、主人公の名前を馬締(まじめ)とつけるところから笑ってしまう。15枚のラブレターの面白さ、これを書いたのも作者である。

辞書作りの工程が読む者の頭に入っていくという構成にも驚いた。タケばあさんのみっちゃん(馬締 光也)への言葉かけが楽しい。

Bさん:編集するのを「舟」に喩えるが、今は利益ばかり考えて泥舟ばかり作られている。しっかり校正されておらず短時間で仕上げてしまう。

「本を編む」とは著者と編集者と一緒になって作ること。岩波文庫の創始者は校正を大切にしない出版社はつぶれると言っていた。

出版の裏側の話として、これは本人も言っているが金田一京助は名前だけで一度も目を通していない。
活版印刷の時代、辞書の字は小さいのでロシア語の辞書を5回校正して目が潰れた人がいた。今は拡大して校正する。

広辞苑は機械製本なのであれ以上厚くできないし、手製本のように糸かがりができないのでバラバラになってしまう。上製本は本を開いてももどらない。

福紙.jpg紙には縦目と横目があって、紙をすく時に流れる方向が縦目で、横目に使うと本が波打つ。
また、製本ミスで(写真のような)「福紙(ふくがみ)」というのがあるが、これは「福がつく」(ふりこみ、めでたい)ということで返品しなくても良い。

電子辞書は次の版が作れない。辞書ができ上がったらすぐに改定に入るのはすごいなあと思う。

優子:辞書作りについては全く関心がなかったけれど、すごく興味深く読まされた。「究極の紙」を作りあげていくところは圧巻で、自分もそのメンバーの一人になったような気持で読んでいた。

夫が紙の卸業を営んでいる関係から北越製紙の抄紙機を見学したことがある。
北越製紙が誇る世界最大級(2008年当時)の最新鋭機、「9号抄紙機(通称N9)」は、総全長が264メートル、幅10.7メートルで、夫の言葉を借りればまさしく軍艦のようだった。

1分間に1600メートル、時速にして100キロ程度のスピードで動いている。1日に1000トン、年間35万トンの紙を生産している。できたてホヤホヤの紙を機械からちぎってくださった時、私はうっかり口に入れそうになったほど感激した。

馬締の尋常じゃない熱心さ、編纂に取り組む馬締たちの様子から、1993年8月のテキストだった出久根達郎の『佃島ふたり書房』を思い起こさせた。内容は殆ど忘れてしまっているが、古本屋である主人公の本への思い入れの深さが強く印象に残っている。

『舟を編む』.jpgこの本ではP213。
「なにかを生みだすためには、言葉がいる。岸辺はふと、はるか昔に地球上を覆っていたという、生命が誕生するまえの海を想像した。混沌とし、ただ蠢(うごめ)くばかりだった濃厚な液体を。ひとのなかにも、同じような海がある。そこに言葉と言う落雷があってはじめて、すべては生まれてくる。愛も、心も。言葉によって象(かたど)られ、昏(くら)い海から浮かびあがってくる」。

ここを読んだとき、ヨハネによる福音書(1章1節〜5節)の冒頭を思った。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった」。

斜体部分は発表しなかったが、心に届いた文章なので記しておきたい。
p145:「有限の時間しか持たない人間が、広く深い言葉の海に力を合わせて漕ぎだしていく。怖いけれど、楽しい。やめたくないと思う。真理に迫るために、いつまでもこの舟に乗りつづけていたい」。

全く同感。

「言葉は、言葉を生みだす心は、権威や権力とはまったく無縁な、自由なものなのです。また、そうであらねばならない。自由な航海をするすべてのひとのために編まれた舟」。


(P258)「言葉はときとして無力だ。荒木や先生の奥さんがどんなに呼びかけても、先生の命をこの世につなぎとめることはできなかった。けれど、と馬締は思う。先生のすべてが失われたわけではない。言葉があるからこそ、一番大切なものが俺たちの心のなかに残った。生命活動が終わっても、肉体が灰となっても。物理的な死を超えてなお。魂はいきつづけることがあるのだと証すもの―、先生の思い出が」。

言葉、そして、書くということを思う。
書いた人が死んだ後も、その人がどのように頭を動かし、感じ考えたかが残る。

(P257)「きみ(荒木)とまじめさんのような編集者に出会えて、本当によかった。あなたたちのおかげで、わたしの生はこのうえなく充実したものとなりました。・・・『大渡海』編纂の日々は、なんと楽しいものだったでしょう。みなさんの、『大渡海』の、末永く幸せな航海を祈ります」。

荒木先生の「このうえなく充実したものとなった」という言葉が、深く打ち込まれた杭のように胸に響いた。私もこのような思いをもって生涯を終えることができたらいいなと思う。

Cさん:文庫本の殆どを請け負っていた日本製紙は津波で大きな被害を受けたが、半年で再開させた「日本製紙釜石の奇跡」に感動した。(日本製紙からいただいたDVDを見ていたので「釜石ではなく石巻では?」とお聞きしたが釜石とのこと。)

子どもの本の紙が分厚いのは手を切らないためで、上等の薄い紙にすると安っぽく感じさせるからだという。

現代は言葉が変化し使い方も変わっていく。

地味でお堅い題材をとった小説なのに退屈しなかった。三浦しをんは若者の仕事を通して成長していくというお仕事小説が多い。紙選びのところに感動し、面白く楽しい本だった。

Eさん:主人公は現代では珍しい人物。今は便利に電子辞書を使ってしまうが、読み物として辞書を読みたいと思った。この本は文庫になるのが遅かった。

Fさん:馬締(まじめ)という名づけ方、全体をユーモアのセンスで包んでいる。
辞書の編纂自体、考えたことが無かったので言葉の選択、言葉の並びや変遷がどうやとか考えたことがなかったので、こんなに多くの人の思い、執念がこもらないとできないのだというのがわかった。

こだわって時間をかける松本先生、荒木、馬締に対して、動的なことを与えている西岡の存在が面白かった。

前半に描かれている香具矢さんと後半の香具矢さんと違っているのが気になった。「梅の実」(自らの小料理屋)に入ると変わるのか・・・。

私は用例が多い岩波国語辞典を愛用しているが、辞書は自分がわからない言葉を引くものだから、「女」や「声」などわかり切った言葉が載っているとは思わなかったので引いてみた。

言葉自体が抽象で記号だから、それを説明することはとても難しい。

(今話題になっている)石原さん(都知事)が小池さんのことを「頭の黒い鼠」と言ったので調べてみた。「鼠」にはなく、「頭」の用例にあった。(2つの辞書の説明文を紹介された)

※ 物がなくなった時に、身近にいる人間が盗んだのだろうということを暗にいう言葉。「 〜のしわざ」(大辞林より)

企みのある都議会議員。餌を引っ張っていく頭の黒い人間。人間を食べ物を取って食べるネズミに喩えて、ネズミのように物を取ってきて懐に入れるという意味だ。

またスパイのことを「犬」と言うのは、牧羊犬は犬のくせに人間側に立って動物の羊を追いかける。それで犬をスパイと言うんだなと思った。

(開業医の家に嫁いだ)50年前、カルテは「いろは」で並べてあったので、「あの人は」と、患者さんが来たら毎回「いろはにほへと・・・」と指を折って数えたが、以前からいた人(事務員)が辞めてからすぐに「あいうえお」順に並べなおした。

お風呂屋さんの下駄箱も「いろは」だった。今は下駄がないから下駄箱とは言わない。「くつばこ」では出ていない。

この本を読むまでならば「出てるわ」で終わっていただろうが、今は「さすが! やっぱり出てる!」と感激して見るようになった。

読後感発表がひとまわりしたあとの話し合いでは、現代の言葉の変化や方言について盛り上がり、私はこんなことを言った。

私は間違った日本語が定着してしまっていることや、方言が失われていくことが気に入らない。例えば「1000円からいただきます」だ。
当初は非常なる違和感を感じていたのに、こちらも慣れてしまって今や市民権を得て大多数の店で使われている。

方言については例えば生協のチラシでも、関西では「関東煮き」と言っていたのが「おでん」に、「鯖の生鮨(きずし)」は「しめ鯖」に、「ぶた汁」を「とん汁」というように関東の言葉が定着している。

これは時代の在りようで止められないけれど残念だ。
以上

言葉だけではなく紙についても話題になったので興味深く聴いた。紙の縦や横についても夫から聞いていたので懐かしく、今夜もそれらの話を夫と交わした。「福紙」のことは知らなかった。

やっぱり読書会は楽しく有益だ。読んで終わりではなく読後感を話し合うことで視野が広げられ考えが深まるからだ。
そして、若い時よりもいっそう強く思ったことは、それぞれの感性で読むということがいかに大切であるかということだ。

この日、会長さんは圧迫骨折で欠席のため、副会長(前会長)のNさんがお世話してくださっていた。4月に発行される『かわちの』の編集作業も始まっていた。

「藤本さんが来てくださったからとても雰囲気が明るかった」、「藤本さんのおかげで明るくなった、これからまた来てください!」と、思いもしないお言葉を何度もかけていただいて感謝が溢れた。

最後に次のページで佐野一雄さんの訃報と、読書会や東大阪市の図書館行政の近況を書いておきたい。

posted by 優子 at 22:03| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2017年02月21日

9年ぶりに読書会へ @ ―懐かしき時空にタイムスリップか―

今日は9年ぶりに読書会に参加した。20年在籍していた「東大阪読書友の会」である。退会したのは2008年3月の例会が最後だった。

15年前から読書会に通っておられるDさんは、私宅から一駅向こうに住んでおられ歩いても40分あれば着く。それでもご無沙汰ばかりしているが、今月のテキストはDさんが推薦された本(三浦しをん著『舟を編む』)だというので読んで読書会を訪ねてみたくなった。

何よりもDさんと行き帰りの時もご一緒できること。お仲間との再会と読書感を語り合うのが楽しみだった。

そしてあと一つは、きっと今も変わっていない建物と部屋にもう一度行きたい、西口孝四郎ご夫妻が居られた頃を感じてみたくて、いよいよ2月半ば頃より今日の日を指折り数えて待っていた。

それは例えば、まもなく命が尽きようとする人が、もう一度だけ何処どこへ行きたいというのはこういう気持ちだではないかと思うほど、それほど待ち遠しくなっていた。


そしてついに、まるで車いすに乗って酸素吸入しながらも夢が叶い、今はもう思い残すことはないと喜びを満喫したという感じがするほどの感慨だ。

今の精神的状況がそれほどきつく、しばし日常から離れて一息つきたかったのだろうと思う。今はデジカメを使えるようになっている。私は読書会会場を撮ってきた。

読書会@.jpg

ここは大阪商業大学の正門。近鉄奈良線・小阪駅から徒歩で5〜6分の所にある。東大阪市長田に住んでいた時は自転車で10分で来られた。

この近くにあったハウス食品の本社とカレー工場は取り壊され、そこに新しく商大の別棟とハウス食品のビルが建っていた。
正門左奥にある風格ある建物が谷岡記念館だ。
かなり前は建物の前は芝生だった。

読書会A.jpg

読書会B.jpg入口の左側に今も二宮金次郎さんが立っていた。
これを見て孫が言った、「あっ、これあそこにもある!」と、近くの保育園に建っている金次郎像を言うので、「この前の日曜日も教えたのに、いいかげんに名前を憶えてよ!」と心の中で呟いてしまった。

そして、中へ入る。ここを見たかった。
やっぱりあの時のままだ。

読書会C.jpg
この景色に読書会や各サークル活動が賑やかだった頃の群像が重なり、私は西口さんご夫妻の姿を追った。

読書会D.jpg
ここもあの時のまま。

そして、部屋に入る。
読書会E.jpg
教室もそのまま。
以前は窓側に掲示板があったので薄暗かった。
机と椅子がつい最近新しくなったそうだ。

読書会G.jpg
「河内の郷土文化サークルセンター」発行の『あしたづ』

読書会H.jpg

読書会F.jpg
私の名札も作ってくださっていた。
そしてしばしの間、一切の心配事を忘れて私は私になった。

今日は1度/7度の寒い一日だった。

posted by 優子 at 23:15| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2017年02月20日

ユキ幼児期のお祈りビデオ ―不真面目なお祈りにびっくり!―

このビデオ(40秒)は、2歳10か月のユキが屋外で食前のお祈りをするところだ。
本人は何を言おうとしているのか、何を言っているのかもわからなくなったのだろう、ついに口をモグモグさせてごまかししまったのにはびっくり仰天。幼児でもこんなことができるのだ。

ユキ おかえり!A.jpgあの小さかったユキがこんなに大きくなった。これは今日のユキ。あと1か月で3年生も終わる。そんな今を記録しておいてあげたい。

かつて真智子も作ってくれたサービス券を、ユキも私に作ってくれる。「肩たたき券」と「背中かき券」だ。

IMG_2415.jpg
ルレットが引かれて切り取り線になっている。
「ルレット坊や」らしい。

ここだけ痒い.jpgところで背中掻き券というのは、20歳前後の頃からだと思うが、私は冬になると1日1回ほど右肩甲骨のところ(1センチ四方ほど)が痒くなる。

2年前に右肩腱板が断裂してから、たった数秒の事でも痛くて手が届かない。ユキに掻いてもらうので私の要望を察知して発券してくれた。 ユキが居ない時は左手でハサミの先を上にして持って掻いている。

ちなみにこれが真智子が作ってくれたサービス券。

IMG_2572.jpg
大きくなってからもらった「チーズケーキ焼き券」もまだ使っていないで持っている。

昨日の午後、私は久々に知子とユキの3人で散歩に出た。その日最高気温は11度だったが、陽ざしは春の陽ざしで室内は25度にもなった。

IMG_2514.jpg
(Yuki by photo.)
二上山の後ろに見える金剛山はうっすら雪化粧していた。

スズメ.jpg

まるで縁側でうとうとしている老人のように、スズメたちも気持ちよさそうにくつろいでいた。(Yuki by photo.)

今日は雨でも17.6度と暖かくなり「春一番」が吹いた。しかし既に冷え初めており、今夜から再び寒くなるそうだ。

最後に最近特筆すべきユキの駄洒落ブームをご披露したい。特に今年に入ってからダジャレ(おやじギャグ)ばかり言って笑わせてくれる。例えば、
「サンダルではさんだる(挟む)」
「とりとりたい(鳥 とりたい)」
「アルミ缶にあるミカン」
「レモンのいれもん」
「ラクダはらくだ」
というようなぐあいで際限なく言ってくる。

「カッターを店でかったー。けど、このカッターかったー、けど、遊んだら面白かったー、けど、怖かったー・・・」
と、尽きない駄洒落まだまだ続く。

しかも1年生からやっていたそうだ。これは算数の時間のこと。
先生が「池にコイが48匹います。金魚は36匹います。違いは何匹ですか?」という問題を出されると、こんなダジャレが浮かんだという。

「こいこいや」(鯉 来いや!)
「こいのこいん」(鯉のコイン)


今日は「せんかい はよせんかい」(旋回 はよ せんかい:早く「しなさい」の品の無い言葉)と帰宅早々言っていた。毎日のように夕食を作りながら駄洒落を作るように求められるが難しくて出てこない。

大変! もうこんな時間になってしまった。
さてさて大急ぎで夕食を作らねば。

posted by 優子 at 18:20| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2017年02月19日

家の教会2017F −迷える子羊を捜し出される神―

2017年2月19日(日) (2017第7回 家の教会)
10時15分〜11時00分
出席者 3名(致し方なくExcept R)
@ 前奏 
A 主の祈り
B 子供の讃美歌 88番 「神さまがわかるでしょ」
C 聖書輪読   ルカによる福音書 15章1節〜7節
D お話     優子
E お祈り    一人ずつ
F 讃美歌    517番 「われに来よと主は今」
G 後奏

ルカによる福音書 15章1節〜7節:
15:1さて、取税人や罪人たちが皆、イエスの話を聞こうとして近寄ってきた。
15:2するとパリサイ人や律法学者たちがつぶやいて、「この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をしている」と言った。
15:3そこでイエスは彼らに、この譬をお話しになった、
15:4「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。
15:5そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、
15:6家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう。
15:7よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。

お話:
このお話をする機会に羊の習性を調べてみました。
羊が食べるのは草だけで、食べるのが大好きです。お腹が空いていたら眠られないというのを聞いたこともあります。
聴力も視力も良いんだって。
羊の目.pngユキは1月の終わりに六甲山牧場で羊を見てきたからよく知っていると思うけれど、羊の目は水平に細長い瞳孔があるでしょ。

瞳孔と言うのは角膜と水晶体の間にある薄い膜で、カメラの絞り(光の調整)の役目をします。だから270度から320度も見渡せるので、頭を動かさなくても自分の後ろが見えるんだって。

でも奥行きはあまりわからなくて、影や地面のくぼみの前に来ると怖がって先に進まなくなることがあるそうで、先導者に従う傾向がとても強いそうです。

明るいところが好きで群れでいると安心だけれど、群れから引き離されると強いストレスになり、ストレスに直面するとすぐに逃げ出してパニックに陥ります。

頭も牛と同じくらい良いんだって。豚はもっと賢いそうだけれど、羊は人や他の羊の顔を何年も記憶できて、顔の表情から心理状態もわかるんだって。すごいね。

ところで、聖書で「羊」というのは「神のこども」を意味します。そして、「羊飼い」は神の子どもたちを養い育ててくださるイエスさまのことです。

今日のお話は100匹いた羊の1匹が迷い出てしまって、羊飼いであるイエスさまが見つけ出してくださったというお話です。

このお話は「迷える羊」や「見失った羊」などいろんな呼び方がありますが、以前取り上げた「放蕩息子」の話を思い出しませんか?

また、この箇所に続いて記されている「無くした銀貨」と共に共通する3つの譬え話は、失われたものが見つかった神さまの喜びが主題になっています。

この譬え話をされたのは1節2節にあるように、取税人や罪人たちがイエスの話を聞こうとして近寄ってきた時、「この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をしている」とつぶやいたパリサイ人や律法学者たちに教えるためでした。

「取税人」と言うのは、ローマ人の手先になって自分と同じユダヤ人から税金を取り立てていた人たちです。しかも自分のふところにも入れるために不当に高い金額を取っていました。

「罪人」と言うのは宗教的に見捨てられた人のことで、警察に連れていかれるような悪いことをした人のことではありません。
ユダヤ教の戒律を熱心に守っているパリサイ人や律法学者が、律法を厳格に守らない一般の人々をこのように呼んで差別していました。

ところがイエスさまはそのような人々と仲よくされているので、それを見て忌まわしく思ったパリサイ人と律法学者に迷い出た一匹の羊の話をされたのです。

最初にお話ししたように羊は群れの中でしか生きられません。その羊が1匹いなくなったので「99匹を野原に残して」捜しに行ったのです。

でも、捜しに行っている間に99匹にも危険なことが起こらないだろうかと心配ですね。たとえば狼が来たら大変です。そんなことを思うと、迷い出た1匹は諦めて99匹を守っておくほうが合理的であると思います。

ところが99匹を置いてでも捜しに行くのは、迷い出た1匹は特に素晴らしい羊だったからでしょうか。そうではない、どの羊もみな同等に1匹1匹がかけがえのない羊なのです。

例えば私に3人の子どもがいるならば3人とも大切なように、どの子が居なくなっても地の果てまでも捜し続けます。「あと2人居るから諦めよう」とは思いません。それが親の愛であり真実の愛です。

1匹を見出したもうイエス.jpg母親がそうであるならば神さまの愛はいかばかりでしょうか!
神さまは切なる愛をもって熱心に捜し続け、1匹を見つけるまで捜しまわって「恵みの中で生きよ」と連れ戻してくださるのです。それがイエスさまです。

見つけ出した羊.jpgこのお話からヒシヒシと感じるのは、私たちがイエスさまと出会ったのは私たちが熱心に探し求めたからではなく、私たちが神さまを捜し求めていた以上に神さまが私たちを捜し求めてくださったということです。

神さまは常に私たちが本心に立ち返るのを待ち続けている父であり、その願いはただ一つ、私たちに祝福を与えることなのです。

神さまは書物や人を通して、あるいはまた出来事を通して気づきを与えてくださって、善き道へ導いてくださるのです。忍耐強く、決して諦めることなく。


聖書には「神は自分のかたちに人を創造された。」とあります。ということは、どの人の生命も神さまと繋がっており、人格をもって生かされているということです。

既にイエスさまに見出された者は迷い出ないように、主に在るお互いは祈り合い、教え励まし合って信仰生涯を全うさせていただきたく祈ります。

なお、この「迷える子羊」に続いて「無くした銀貨」が記されており、これらは「放蕩息子」の話と共に見失われた者の帰還を喜ばれるというのが主題です。

15:8また、ある女が銀貨十枚を持っていて、もしその一枚をなくしたとすれば、彼女はあかりをつけて家中を掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さないであろうか。
15:9そして、見つけたなら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『わたしと一緒に喜んでください。なくした銀貨が見つかりましたから』と言うであろう。
15:10よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう」。

イソヒヨドリ.jpgこれは先週の日曜日(2月12日)にユキが初めて撮ったイソヒヨドリ。

今朝、「いつかまた4人で礼拝できますように」と祈ったユキ。
このような素晴らしい祈りをイエスさまが叶えてくださらないわけがない。


附記:昨日、クリスチャン・ペンクラブ関西ブロック例会を大津教会でもった。
『種を蒔く』4号(久保田暁一先生追悼号)に寄稿してくださった関東・中部・関西メンバーの追悼文を朗読し、全員の目を通して校正。
3月に再度大津教会にて編集者4名で編集会議、その後同日に印刷屋さんへ入稿予定。次回例会は4月15日(土)、総会も開催される。

posted by 優子 at 12:32| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2017年02月15日

渡辺和子さんの学園葬 −父を殺した人の墓前で祈る―

" Unless change,nothing changes."
「あなたが変わらなければ、何も変わりません」。

01yuri2b.jpg昨年12月30日に89歳で帰天したノートルダム清心学園理事長、渡辺和子さん(修道女名:シスター・セント・ジョン)の学園葬が12日、岡山国際ホテルで行われた。

以下は『クリスチャントゥディ』2月13日更新の「渡辺和子さんの学園葬に3500人」より抜粋したものに父と子の写真を加えたものである。

image[5].jpg学園葬は追悼ミサとお別れの会の2部構成。同学園の卒業生をはじめ、財界、各宗教界から約3500人が参列した。
親族代表として、渡辺さんと7つ違いの姪、小林依子さんが言葉を述べた。渡辺さんが母親の猛反対を押し切って受洗した直後は、一緒に疎開生活をしていたこともあるなど、幼少期は姉妹のように仲良くしていた。

昨年10月末に入院したとき、渡辺さんは「私は修道院に帰るべき」と退院を強く望んでいた。そして12月19日に退院する前、小林さんに「私、お父さんの子でよかった」と話したという。

渡辺錠太郎と和子.jpg渡辺さんの父親は陸軍教育総監だった渡辺錠太郎氏。
1936年、「二・二六事件」で青年将校に襲撃され、自宅の居間で命を落としたが、その様子を渡辺さんは間近で目撃していた。

母は5時に起きて、二人のお手伝いさんに雨戸を開けさせたりしていました。襲撃のあったときは6時前だったと思います。

激しい怒号でトラック一台(に乗ってきた)三十数名の兵士が門を乗り越えて入ってきました。玄関のガラス戸に銃弾が撃ち込まれたようでした。父は左の襖を開けて戸棚の拳銃を手にして、覚悟していたものと思われます。

「和子はお母様のところへ行きなさい」と言いました。これが私に対する父の最後の言葉でした。

母のところへ行きましたら、母は玄関で兵を入れまいとしていたために、私は父のところへ戻ったのです。そのとき既に弾が寝間に撃ち込まれていました。

私は銃弾をかい潜って父のところへ行きました。父は掻い巻き(かいまき)を身体に巻きつけてピストルを構えていました。

私が戻ったので父は困った顔をして、目で籃胎座卓の後へ隠れるよう指示しました。私はそこに隠れました。開けられた襖から見えた機関銃の銃口が父を狙っているようでした。

父はドイツ駐在武官時代に射撃の名手だったので、ピストルで応戦しましたが、片脚は殆ど骨だけでした。
玄関から入れなかった高橋、安田少尉が外へ回って、開けてあった縁側から茶の間に入ってきて射撃をして、トドメを刺して引き上げて行きました。

母が玄関から戻ってきて「和子は向こうへ行きなさい」と言いました。午後になって検視のあと父の頬に触れましたが、とても冷たかったのを今でも覚えています。姉は、父が銃弾43発を受けたと言っていました。

父の脚は骨だけで肉片が座敷に散らばっていました。
憲兵二人は二階に泊まっていました。
兵隊たちは斎藤内大臣を殺害したあとに来たので、なぜ電話が無かったのかと思っています。電話があったという話もありますが、電話の音は聞こえませんでした。電話があれば父を久保家(長女の嫁ぎ先で2〜3軒隣り)に隠すことが出来たのではなかったかと、今でも思います。

血の海の中で父は死にました。
あのとき逃げ隠れしないで死んでくれて、それでよいのだと思っています。

死の直前、私を隠してくれた父を思い出すのです。雪の上に点々と血が残っていました。その血の赤さは今も私の頭に焼き付いています。

安田少尉は近所に住んでいたから、家の構造を知っていたのではないかと思います。表玄関から入れないので裏へ回ったのでしょう。

兄二人は子ども部屋に監禁されていました。母は兵士を阻止していたので私一人が戻り、父が、自分が死ぬ場面の見えるところに隠してくれたので相手も気づかなかったらしいのです。私は送り人ならぬ看取り人になりました。

兵士たちが入ってくるのをちゃぶ台の後ろから私は見ていたし、引き上げるのも見ていました。ちゃぶ台には銃痕がありますが、それが私を守ってくれたのです。


「二・二六事件 『父渡邉錠太郎と私』の講演から」より引用。

式には、「二・二六事件」で渡辺総監にとどめを刺したとされる青年将校の弟、安田善三郎(91)さんも出席し、献花をした。

事件から50年後の1986年、青年将校らの法要に渡辺さんが初めて訪れたとき、偶然、安田さんが案内することになった。その人が渡辺総監の娘であることを知り、安田さんは涙ながらに謝罪。

その後、手紙などを通して交流が始まった。渡辺さんが関東地方に講演などで来るときには、安田さん宅を訪れ、食事を共にしたこともあった。

やがて渡辺さんに導かれるように、1991年、神奈川県内のカトリック教会で受洗した。現在もミサを守り、自宅では聖書を読むことを欠かさないという。

「私は、シスターの姿にキリストを見たような気がしている。どうして、自分の父親を殺した犯人の墓に手を合わせたり、その弟の私と食事を共にしたりするようなことができるだろう。私は、シスターの100分の1、千分の1にも満たないが、あのような人になりたいと思った」。

「渡辺さんとの会話の中で、思い出深い聖句は?」と尋ねると、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28)を安田さんは挙げた。

渡辺和子さんの御遺骨は、父・錠太郎氏が眠る多磨霊園(東京)に納骨される。

附記:2016年最後の記事に「渡辺和子さん召天」を記している。



「自分を愛するということ」:13分間のビデオです。

posted by 優子 at 18:20| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年02月14日

クリスチャン経済学者・浜 矩子さんを励まし励まされて!

今夕、5時半から紙文具流通センター(美濃紙業の界隈)で浜 矩子さんの講演会があった。

私も是非出席するつもりで申し込んでもらっていたが、1月末(株主総会)に続いて再度ユキを早退させて東大阪まで同行してもらうことに躊躇し、インフルエンザも流行っているので数日前に断念した。

拝聴した知子は講演後ただちに浜さんの後を追い、1分間にも満たない時だったが言葉を交わし、それはそれは嬉しそうに玄関に入ってくるなり語った。

「今日は講演会に行ってよかった! 
『私もクリスチャンです。』と言った時、見る見るうちに優しいお母さんのようなお顔になってね」。

「『いつもテレビで拝見していますが、神さまに祝福されたお働きをこれからも応援し、お祈りしています』と言ったら『ありがとうございます』って言って下さって」。


こんなに満たされた知子の安らかな笑顔を見るのは何か月ぶりだろう。浜さんの人柄にふれて癒され励まされたのであろう。

いつだったか知子とBSフジの討論を観ていた時、私たちは浜さんの人格に感銘を受けた。出演者の一人は自分と違う意見を聞く時の無礼さと、反論の仕方も実に高慢で醜い姿を晒す人だった。

浜さんはそのような相手にも左右されず、相手の話に真摯に耳を傾け、冷静に話され、学識だけではなく本物の謙虚さがとても印象的だった。以来、私たちは浜 矩子さんの動向を見守り祈りに覚えるようになった。


そして、知子は続けた。

「私たちは経済学は全くわからないけれど、ママが言ってたことと同じやった!!! そして、ピリピ人への手紙にある御言葉(みことば:聖書の言葉)に似た言葉で話しておられたから、結果的に言葉を変えて伝道しておられるんだと思った」。

以下は、夜遅く帰宅した知子シェアーしてくれたことの一部だ。
トランプ大統領と安倍首相は(感情を抑えられない)幼児的狂暴性という共通点がある。今すぐ言いたいと自己抑制できない。知性がない。

トランプは引きこもり型の幼児的狂暴性で、安倍は拡張主義的な狂暴性で「自分が一番、世界一になりたい」とドンドン出て行く。

経済的国家主義で人が追いやられていく。そのような経済政策を振り回すのはダメだ。経済には託された使命がある。
それは均衡改革と弱者(年収120万未満の人)救済だ。これにおいてこそ表裏一体だ。今日の講演のテーマは「内外景気の先行きを読み解く」だか、そんなことを言っている場合ではない。

誰も一人で生きていけないのに弱肉強食だけが支配している。人のために泣ける人々による営みが経済学であるとアダム・スミスが言っている。

弱者救済、誠実に働く人を報いることは知子が経営改革の第一に据えていたものであり、経済学が掲げる崇高な理念を実現させたのだと深い喜びを感じた。

ところでトランプさんの大統領就任式以来、数日前までニュースの冒頭は常に朝昼晩ともに、「アメリカのトランプ大統領は」だったことに気づいている人はいるだろうか。

安倍さんの先週の訪米以来トランプさんの言論は軟化したが、いずれにしても困った状況だ。私も浜さんが言われた通りのことを感じていた。

それは当初思ったことと同様で、アメリカが「防衛力を強化せよ」と圧力をかけてきたら安倍さんのやりたいことと合致し、安倍さんはますます勢いづいて強権的に日本を悲惨な方向へ引っ張っていくということだ。困った同類の友を得たものだと心配している。

浜さんが語る聖書を引き合いに出しての経済評論は実に深い。それはクリスチャンの経済学者である浜さんでしか語ることのできない内容だ。

安倍内閣が安保関連法案を強行採決したことにも強く抗議し、成熟度の低い人間は意固地になり強権的になって崇高なる平和の誓いを脅かすと、「今こそ、子どもじみた振る舞いとの決別の時がきた」とパウロの言葉を引用して話されたこともあった。

「神の国を果樹園に見立ててキリストが弟子たちに語ったたとえ話(マタイ20:1〜16)に、『弱い者が不平をいう競争経済と、強い者がやる気をなくす分配経済との関係』。

また、ルカによる福音書11章11〜13節を引用して、実際の経済と政策では『魚ならぬへび、卵ならぬさそりを子どもに与えて悲劇を呼んだ事例は、経済史の中においてあまりにも多い』」。


知子は浜 矩子さんの人柄に直に触れて大いに励まされて帰宅した。神さまに感謝! きっと浜さんも同じように神さまからの励ましを感じられたことであろう。

闇の夜に一筋の光を灯し続けている浜矩子さん。
世に広く発言の場を与えられて用いられているクリスチャン・学者のために祈ろう。


2017年3月4日追記:
IMG_2692.jpg
posted by 優子 at 23:26| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2017年02月12日

家の教会2017E −嵐を静めたもうイエス―

IMG_2419.jpg2017年2月12日(日) (2017第6回 家の教会)

10時30分〜11時10分
出席者 3名(Except T)

@ 主の祈り  
A 讃美歌     461番 「主われを愛す」
B 聖書輪読    マタイによる福音書 8章23節〜
                       27節
C お話      優子
D お祈り     一人ずつ
E 聖歌472番 「人生の海の嵐に」

マタイによる福音書 8章23節〜27節:
8:23それから、イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。
8:24すると突然、海上に激しい暴風が起って、舟は波にのまれそうになった。ところが、イエスは眠っておられた。
8:25そこで弟子たちはみそばに寄ってきてイエスを起し、「主よ、お助けください、わたしたちは死にそうです」と言った。
8:26するとイエスは彼らに言われた、「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちよ」。それから起きあがって、風と海とをおしかりになると、大なぎになった。
8:27彼らは驚いて言った、「このかたはどういう人なのだろう。風も海も従わせるとは」。

お話:
先週は悪霊にとり憑かれてどうしようもなくなっていた人を静められたお話しでしたが、今日は自然界の暴風や海を静められたお話です。この奇跡をマルコ(4章35節〜41節)とルカ(8章22節〜29節)も書いています。

ある日、イエスさまは弟子たちに「さあ、湖の向こう岸へ渡ろう。」と仰って沖に向かいました。ところが、突然激しい暴風が吹いてきて舟が転覆しそうになりました。

ガリラヤ湖の水面は地中海よりも低くて、周りを高い山に囲まれてるので、時に冷たい空気が山から吹き降ろしてきて暴風が起こることがあるのです。

ところがイエスさまは眠っておられる。イエスさまの眠りは神と共にある平安の象徴です。弟子たちはイエスさまを起こして「助けてください、わたしたちは死にそうです」と叫びました。

イエスさまは、「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちよ」と言われ、荒れ狂う風と波を叱りつけられて、風も静まり穏やかな波のない湖になったというのです。

マルコ伝の4章39節には、「イエスは起きあがって風をしかり、海にむかって、『静まれ、黙れ』と言われると、風はやんで、大なぎになった。」と記されています。

「なぜこわがるのか」というのは、イエスさまが共に居られるのに「なぜ怖がるのか」ということであり、私たちが信じる神さまは唯一絶対なる全能の神であり、私たちの命をも一切のことを握っておられる神です。にもかかわらず現実の出来事を恐れてしまうのですね。

主イエスはいつも信じる者と共にいてくださることを知っているならば「恐れるな!」ということであります。このような自然界の嵐だけではなく、人生の嵐の時も「恐れるな」と仰っているのです。

ここで「湖」と訳されている原語ですが、他の箇所では「海」と訳され、その意味は「この世」の意味であるということです。

即ちそれは「暴風」や「波」は深刻な病気や事故であり、子育ての悩みであったり、老後のこと、また、職場や家庭などあらゆるところで経験する人間関係の悩みであり、単純ではない人生の途上で経験することを意味するのです。

私たちは生きている限り新たな問題に出くわして動揺し混乱するのですが、それが人生でありそれらを避けることはできません。


幸いにして私たちは信教の自由を保障される時代に生かされていますが、中東ではキリスト者や教会への迫害が日常化しています。日本もまた過去の時代に大きく向きを変えつつありますから、どんな艱難があるやもしれません。

それら一切のことが「この世」のことであり、しかし、そんな嵐の時にこそ信仰が試されているのであり、キリストは「わたし(イエス)が共におるぞ!」と仰ってくださっているのです。

私たちは神に祈りますが、本当に全幅の信頼をもって祈っているでしょうか。今一度確かな信仰に立ち返りたいと思います。

弟子たちは信仰はあっても薄い信仰でした。それでもイエスさまは自然の猛威を叱りつけて弟子たちを助けてくださいました。イエスさまは私たちをお見捨てにはならないのです!

神さまは決して信じる者をお見捨てにはなりません。この箇所から心に刻むべきことは、嵐の時こそ静まってイエスさまを信頼しておればよいということです。

私たちは時に喚(わめ)きたくなる自らの限界、また現状に陥(おちい)りますが、主イエスは必ず助けて導きを与えてくださいます。ですからどんな時も、素直になれない時もまた主の御名を呼ぶのです。

なぜならば素直な心、正直で砕かれた心でないと神の導きはわからないからです。これが私の信仰姿勢であり、愛する人々に伝えたいことの精髄です

イザヤ書30章15節の御言葉もたびたび握りしめるみ言葉です。
「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」。

主イエスに手をとられて試練を超えさせていただいた時に、私たちは霊の目が開けられ真のキリストに出会うのです。

ひとたびそのことを体験させていただくと、刻々と状況が変わる中に在っても、平安などありえないような時にも、台風の時にも台風の目は静かなように心底は平安で守られています。

今の私のように「私は苦悩に打ちのめされながら希望をもっており」と生きることができるです。
そしてこれこそが主イエスに在るキリスト者の生き方、真の自由であり、その歩みは中断することなく常に最善へと続けさせてくださっているのです。

ジョウビタキの雌.jpg
聖歌590番 
「救い主イエスと共に」 
救い主イエスと 共に行く身は
乏しきことなく 恐れもあらじ
イエスは安きもて 心たらわせ
物事すべてを よきになしたもう
物事すべてを よきになしたもう

坂道に強き み手を差し伸べ
試みの時は 恵みをたもう
弱きわが魂の 渇くおりしも
目の前の岩は 裂けて水わく
目の前の岩は 裂けて水わく

いかに満ち満てる 恵みなるかや
約束しませる 家に帰らば
わが魂は歌わん 力の限り
君に守られて 今日まで来ぬと
君に守られて 今日まで来ぬと


ツグミ.jpg聖歌472番 「人生の海の嵐に」

人生の海の嵐に もまれ来しこの身も
不思議なる神の手により 命拾いしぬ
いと静けき港に着き われは今安ろう
救い主イエスの手にある 身はいとも安し

悲しみと罪の中より 救われしこの身に
いざないの声も魂 揺すぶること得じ
いと静けき港に着き われは今安ろう
救い主イエスの手にある 身はいとも安し

すさまじき罪の嵐の もてあそぶまにまに
死を待つは誰ぞただちに 逃げ込め港に
いと静けき港に着き われは今安ろう
救い主イエスの手にある 身はいとも安し

posted by 優子 at 13:35| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2017年02月11日

雪を待ち焦がれるユキ

2017,2,10 朝.jpg
昨日10日朝、かすかに雪化粧の二上山(雄岳)

2017.2.9.jpg西日本は9日から強い冬型の気圧配置が続いている。
8日(0度/9度)は穏やかな外出日和だったのに、翌朝は予報通り打って変わって雪模様になった。

IMG_2401.jpgユキは大喜びだが、下半身は見るに堪えない寒さ。このあと1センチほど積もって雨で溶けたものの、日中も3度までしか上がらなかった。
今も積雪予報が出ているが昨日も時々舞っていたが積もるほどではなかった。

学校ではインフルエンザで数クラスの学級閉鎖が出ているため、今年度最後の参観日だった10日は2週間延期になった。登校後すぐに発熱で帰宅する子も珍しくない。私はユキが帰宅すると、「今日は何人欠席してた?」と毎日尋ねている。

そして、担任の先生も9日からインフルエンザでダウン。学級閉鎖中の先生が入れ代わり立ち代わり来てくださるので、翌朝は「今日はどの先生が来てくれるのかなぁ」と嬉しそうに登校した。

IMG_2398.jpg全員がマスク着用。知子は会社帰り(8日)に呼吸しやすいマスクを買って来た。昨冬、ユキがK先生のマスクのことを熱心に話していたのがこれだ。

妊娠中だったK先生はインフルエンザ流行期も無事通過された。私は娘のことのように心配して祈っていた。怖じけ者の私には大きな励ましと教訓になった。そして、昨夏無事に出産された。赤ちゃんはそろそろお座りされているかなと先日も想っていたところだ。

スマホに「只今、雪雲接近中」とたびたび出ているらしいが、今日も雪は降らずユキはがっかり。今日は(−1度/4度)、風吹く寒い1日だった。

早くインフルエンザが下火になってほしい。

posted by 優子 at 18:12| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2017年02月08日

心の緊張を解いてくれる光景

明日は雨や雪が降るというので2ヶ月毎に通っている内科医院へ行った。今日は体調が良いので気持ちよく歩いていたら、あとから来た自動車が止まった。Nさんではない。誰だろうと思ったら近隣の方が声をかけて下さり医院まで乗せてくださった。

実は今日は歩きたかったのだが、3分の一あたり800歩ほどで終了した。インフルエンザが流行しているので長時間待たねばならず、番号札をもらって美容院へ行った。

まん悪く美容院も混んでいて1時間近くも待たされたが、自動車に乗せていただいたおかげでカットを終えて医院へ戻ると、間もなく呼ばれて2ヶ月分の薬をもらって家路についた。

寒気と陽光が気持ちよく帽子もかぶらないで歩いた。途中の土手を上がろうとすると目に前にカラスがいて、何かを見つけてくわえた。

IMG_2337.jpg

IMG_2338.jpg

↓ 階段を上がるとハクセキレイがいた。

IMG_2340.jpg 
チャッピーを思い起こさせるまなざしだ。
小さな命。
小鳥はのんびりと餌をさがしていた。

IMG_2346.jpg

池では昼寝をしている水鳥がいて、
40羽ほどがのんびりとくつろいでいた。

IMG_2350.jpg
左は、キンクロハジロのオス。眠っているのは、ホシハジロのオス。学校から帰って来たユキと散歩図鑑で鳥の名前を捜した。

IMG_2359.jpgこれは何という鳥だろう。スズメぐらいの大きさで、とてもすばしこく動いた。
これがシジュウカラ!

名前はよく知っていたものの初めて見た鳥だった。珍しい鳥を撮れたとユキに自慢できると思っていたら、最もポピュラーな鳥だという。

IMG_2357.jpg IMG_2358.jpg

小鳥や水鳥のしぐさを見ていると心の緊張が解かれていくのがわかった。

IMG_2362.jpgようやく近くの公園に着いた。
これはシロハラか。

IMG_2363.jpg

IMG_2364.jpg


IMG_2372.jpg今朝は0度で最高気温は9度だったが、風がなく穏やかな冬日和。野鳥を見ながら最後は水仙の花に魅せられて帰宅した。
荷物をもとに収め、洗濯物も入れて、2時過ぎからの遅いランチタイム。1時間もすればユキが帰ってくる。


IMG_2374.jpg

明日は大阪でも明け方から昼前まで大雪に注意。
今季一番の寒気が覆うそうだ。

IMG_2366.jpg

posted by 優子 at 22:22| 随想 | 更新情報をチェックする

2017年02月06日

星野富弘さんの思い

IMG_2331.jpg星野富弘さんをご存知でない方はおられないであろう。
これは得意とする吊り輪をしている大学時代の星野さんだ。

詩画を描く.png1946年・群馬県生まれ、1970年に群馬大学教育学部体育科卒業後、中学校の教諭になるがクラブ活動の指導中頸髄を損傷して手足の自由を失い、2年後より口に筆をくわえて文や絵を書き始める。

口で初めて書いた字
口で初めて書いた字.jpg

星野さんが描いた詩画と共にその思いをご紹介したい。

日々草

星野富弘sann.jpg今日も一つ
悲しいことがあった
今日もまた一つ
うれしいことがあった

笑ったり 泣いたり
望んだり あきらめたり
にくんだり 愛したり
・・・・・・・・
そして これらの一つ一つを
柔らかく包んでくれた
数え切れないほど沢山の
平凡なことがあった


「笑ったり、泣いたり、望んだり、あきらめたりということは、ずっとそういうことがなくなるということではありません。そういうことは私は信仰を持つ前も、持った後も、それほど変わらないと思います。

ただ幸いなことに体が動かないということで、人を殴ったり、そういうことは出来なくなりましたが、気持の面では、時には殴りたいような時もあります。おそらく動いていたら、手を振り上げていただろうなあという時もあります。

でもそういった色々揺れ動く、時には神様を疑って見るような、そんな気持になる時もあります。でもそれも何か神様がニコッと笑いながら見ていて下さるような、そんな安心感があるんですね。

それでこの詩で最後に『平凡なことがあった』と書いていますが、やはり私は神様を受け入れたというところで、何というか平凡なことを発見したということと、何かとても繋がるんですね。

私は平凡になる、なったもの、それは長い間、人間の生活、人間が工夫したり、したものが、時間をかけて角が取れて、誰でも受け入れられる。何とも思わなく、受け入れられるようになったもの、そういうものの極致の姿ではないかなあと思っています。

それは人間だけではなくて、この自然の風景、それから私がごく普通のそこらにある花をたくさん描いているんですが、そういうものに目を向けられるようになったというのも、つい見過ごし勝ちな平凡な普通の花を、花もよく見て見ると、凄く精気に出来ていて細かいところまで綺麗に神様の手が行き届いているなあというふうに感じるんですね」。

花梨の実

さん星野富弘.jpg毎日見ていた
空が変わった
涙を流し友が祈ってくれた
あの頃
恐る恐る開いた
マタイの福音書
あの時から
空が変わった
空が私を
見つめるようになった
 

「私と空は花と同じように切り離せない。空を見ていて色々なことを思う。空が私を見つめるようになった。これは信仰をもつようになってから、空から神がというよりも、そっくり包んでくれる空のような神様がいつも見ていてくださる。空は、神様という言葉よりももっと、私にはぴったりというもの」。

「美しい花をいつも描いていますけど、何と言いますかね、美しいものだけに目がいかないんですね。やはり神様に生かされているという、その生活というか、いつも神様が見ていて下さるという、そういうことを知っていますから、自分がどんなに罪深いというか、醜い心を持った人間であるかというのは、みんな見られているわけです。

もちろんやることは人に見られる、人が感じているところは、何かいい生活というか、とても清い生活をしているんじゃないかというような、それは人にはそういうところを見せますが、でもやはり見えない部分というか、心の中まで覗かれた時には、決してそれは人に見せられるというか、誇れるような生活はしていません。

ですから美しい花を見た時にも、その花の根っ子のほうですね。それもどうしても見つめないわけにはいきません。

美しい花を持っている、その同じ茎にいつも土に隠れた、そしてそこから生えている枝や葉っぱは必ずいつも花のようには美しくないんです。

虫が食ったり、枯れていたり、萎れていたり、どうしてもそういう虫の食った部分まで目がいってしまうというのは、やはり花を描きながら、自分自身を描いているような、描きたいと思う、そういう部分に自分自身を、何というか、描きたい。

そんな思いで虫の食ったところとか、枯れた葉っぱとか、描かざるを得ないんですね。描きたいというよりも、描かざるを得ません。

ですからこれは一枚の小さな紙に描かれた絵ですが、花を描いた花と詩に、いつも自分自身を描いているような気持ちです」。

             (「こころの時代」より)

posted by 優子 at 18:43| 引用文 | 更新情報をチェックする

2017年02月05日

家の教会2017D −悪霊に取りつかれた男―

2017年2月5日(日) (2017第5回 家の教会)
10時35分〜11時20分
出席者 3名(Except R)
@ 主の祈り  
A こどもさんびか 33番「サント サント サント」
B 聖書輪読    マルコによる福音書5章1〜20節
C お話      優子
D お祈り     一人ずつ
E 新聖歌256  「御翼のもとに 」

kasa3.gif冷たい雨の一日
 
IMG_2317.jpg 第2部礼拝  
14時〜14時40分 
出席者 2名
@ 聖書輪読
A お話
B 分かち合いと祈り


マルコによる福音書5章1〜20節:
5:1こうして彼らは海の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。
5:2それから、イエスが舟からあがられるとすぐに、けがれた霊につかれた人が墓場から出てきて、イエスに出会った。
5:3この人は墓場をすみかとしており、もはやだれも、鎖でさえも彼をつなぎとめて置けなかった。
5:4彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせを砕くので、だれも彼を押えつけることができなかったからである。
5:5そして、夜昼たえまなく墓場や山で叫びつづけて、石で自分のからだを傷つけていた。
5:6ところが、この人がイエスを遠くから見て、走り寄って拝し、
5:7大声で叫んで言った、「いと高き神の子イエスよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのです。神に誓ってお願いします。どうぞ、わたしを苦しめないでください」。
5:8それは、イエスが、「けがれた霊よ、この人から出て行け」と言われたからである。
5:9また彼に、「なんという名前か」と尋ねられると、「レギオンと言います。大ぜいなのですから」と答えた。
5:10そして、自分たちをこの土地から追い出さないようにと、しきりに願いつづけた。
5:11さて、そこの山の中腹に、豚の大群が飼ってあった。
5:12霊はイエスに願って言った、「わたしどもを、豚にはいらせてください。その中へ送ってください」。
5:13イエスがお許しになったので、けがれた霊どもは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった。
5:14豚を飼う者たちが逃げ出して、町や村にふれまわったので、人々は何事が起ったのかと見にきた。
5:15そして、イエスのところにきて、悪霊につかれた人が着物を着て、正気になってすわっており、それがレギオンを宿していた者であるのを見て、恐れた。
5:16また、それを見た人たちは、悪霊につかれた人の身に起った事と豚のこととを、彼らに話して聞かせた。
5:17そこで、人々はイエスに、この地方から出て行っていただきたいと、頼みはじめた。
5:18イエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人がお供をしたいと願い出た。
5:19しかし、イエスはお許しにならないで、彼に言われた、「あなたの家族のもとに帰って、主がどんなに大きなことをしてくださったか、またどんなにあわれんでくださったか、それを知らせなさい」。
5:20そこで、彼は立ち去り、そして自分にイエスがしてくださったことを、ことごとくデカポリスの地方に言いひろめ出したので、人々はみな驚き怪しんだ。

お話:
今日の個所は、ガリラヤ湖の東南地方にあるギリシャ的な異邦人の町での出来事です。

自然は時に猛威を振るい悲惨な状況に至らしめ、地球環境の破壊が進んだ近年は世界中で異変が起きています。自然の猛威はいかに科学が発達しようとも人間にはどうしようもありません。今朝のお話はどうすることもできない自然災害ではなく、狂暴で荒れ狂った人のお話です。

当時の墓は岩に掘った横穴式の洞穴で、その中に足かせをはめられ鎖で縛りつけられていた人がいました。それでもそれらを外してしまうほど狂暴でした。

5節に「夜昼たえまなく墓場や山で叫びつづけて、石で自分のからだを傷つけていた。」とあるように、この人自身も苦しみ続けていたことがわかります。しかも自分がなぜこんなことをしているのかわからないし、自分のことも何もわからない。その不安や恐怖はどんなものだったでしょう。

聖書にはこの人を「汚れた霊に取りつかれた人」と書いています。「汚れた霊」というのは悪霊のことで、聖書は悪霊の存在があると教えています。「悪霊」というと精神医学の発達した現代人はうさん臭く感じる人もいるでしょう。

そういえば私は長女を身ごもった時に、婚家先で「祟(たた)り」や「白蛇が憑く」からと、偶像を拝むように強要され悩まされたことがありました。いわゆる自らを「神」と名乗り人間の弱みに付け込んで高額のお金を出させるものでした。

その時は父が断ってくれました。次女を身ごもった時は自ら頑として断りました。このような話は例話にもならないことですが、そういうことに翻弄される人々に悩まされました。信仰を授かる7年前のことでした。

それはともかくも、信仰生活の初めの頃は「悪霊」や「悪魔」については全く無知でしたから、熱心なCS教師が悪魔の話をたびたびなさるので、「この教会は正統なキリスト教会なんだろうか」と心配したことがありました。

しかし、信仰が深められていくにつれて理解できるようになり、悪霊の実在を何度か感じたこともあります。この世の出来事の背後には悪霊が働いているのだと思います。

聖書に記されている悪霊にとりつかれた男は、人間の力ではどうしようもできないコントロールを超えた力に縛られていたのです。

(6・7節)「イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、大声で叫」び「『いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。』」と、私たちの理解に苦しむことを言いました。

これは狂人となっている男の口を通して悪霊が語った言葉です。悪霊は霊的な存在ですからイエスさまがどんなお方であるかは、人間よりもはるかに敏感に認識できたのです。

イエスさまはこの男の背後に存在する悪霊に名を尋ねました。「レギオン」とは、約5000人とも6000人とも言われるローマの軍隊の名前でした。悪霊は1人ではなく軍隊のような強力な悪霊でした。

でも悪霊は神の子であるイエスに勝つことはできないのを知っていますから、「俺にかまわないでくれ」と言ったのです。悪霊にとって喜ばしい安穏とした環境は人間を支配した状況なのです。

私たちも悪霊にとり憑かれたように自分の気持ちを持て余すことはないでしょうか。私は父を亡くした1年後に経験しています。

私たちが当地に引っ越してきた時、すでに母は召され、父は重度の脳梗塞に倒れて入院しており、その後も何度も死線をさまよう状況でした。

そんな緊張した状況に加えて、身近にいる他者を省みない人々の理不尽極まりない非道な言動にも耐えねばなりませんでした。でも神に助けられて父と母の娘らしく耐え忍び、2000年8月に父を看取りました。

ところが、その1年後に彼らへの憤りの感情に支配され、祈っても平安はなく「自分のことを持て余す」と知人に話したことを覚えています。

その時の心はこの男の情況と同じだと思うのです。私たちの中にレギオンが住んでいるならば心の平安はなく、自由ではあり得ません。


私は心に憎しみが襲ってくるたびに「イエスさま、助けて!」、「イエスさま、助けて!」と主の御名を呼びました。そのたびに解放されるのですが何度も襲ってきました。数か月続いたように思います。

このことは心理学でも説明できる心情ですが、これが人間の偽らざる現実であり苦痛のプロセスを通り抜けていかねばなりません。

大切なことはこのような時こそ「イエスさま、助けて!」と主の御名を呼び、イエスさまと共にいることです。あの時、私もまたイエスさまに「走り寄って」ひれ伏していたのだと思い、イエスさまと共に在ることの大切さを改めて教えられました。

その後も何度も苦痛を経験していますが、神さまのお守りのうちに一度として言い争うこともなく、凛として、そんな人たちにも手を差し伸べる者とされてきました。こういうことを「神さまは勝利させてくださった」と言うのです。


悪霊は豚に入り込んで死に敗北しました。イエスさまは一人の霊魂を救うために2000頭の豚(財産)を犠牲にされました。豚の飼い主たちは損失や信じがたい出来事を恐れてイエスさまを拒んだのでしょう。

レギオンから解放された男は正気を取り戻し、自分の救い主としてイエスさまにお供を申し出ましたが、「あなたの家族のもとに帰って、主がどんなに大きなことをしてくださったか、またどんなにあわれんでくださったか、それを知らせなさい」と仰いました。

いつもならば奇蹟を言い広めることを厳しく禁じておられたのに、ここでは違っていました。この人と共に苦しんでいたに違いない家族に、正気になった姿を見せて安心させてやりなさいと思われたのではないでしょうか。

悪霊に憑かれていた男の姿は、罪人の心の姿に酷似しています。私たちが憎しみの中にとどまっているならば、死にとどまっているのであり、その人はいわば墓場にいるのです。

良いことをしようと思ってもできない自分に嘆き、自己との葛藤は生きている限り続きますが、それは何と尊い葛藤でありましょう。

というのは、自分さえ良ければいい、悪いのは全て相手と、いくつになっても噛みついてくる人もあるのです。そういう人は生きているとは言えず、「愛さない者は、死のうちにとどまっている。」(第1ヨハネ・3章14節)とある通りです。 

私たちはこのままの姿でイエスさまの前へ出ましょう。神を信じて試練を受けて立てば必ず道を開いてくださいます。現実が最悪でも大丈夫! 神が働かれます! 

どんなに最悪でも、それでも道が開かれるのです! 
今、苦境にある人は主イエスにSOSを出すのです!!!

IMG_2318.jpg
(前掲の写真ともにユキが窓越しに写す)

「あなたがたは主にお会いすることのできるうちに、
主を尋ねよ。
近くおられるうちに呼び求めよ。
悪しき者はその道を捨て、
正しからぬ人はその思いを捨てて、主に帰れ。
そうすれば、主は彼にあわれみを施される。

われわれの神に帰れ、
主は豊かにゆるしを与えられる。
わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、
わが道は、あなたがたの道とは異なっていると
主は言われる。

天が地よりも高いように、
わが道は、あなたがたの道よりも高く、
わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。
天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず、
地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、
種まく者に種を与え、
食べる者にかてを与える。

このように、わが口から出る言葉も、
むなしくわたしに帰らない。
わたしの喜ぶところのことをなし、
わたしが命じ送った事を果す。
あなたがたは喜びをもって出てきて、
安らかに導かれて行く」。

       (イザヤ書55章6節〜12節)

posted by 優子 at 20:30| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2017年02月01日

知子の「出エジプト」 美濃紙業のミッション完了す

2012年より5年の年月をかけて粘り強く取り組んできた財務改善と人材育成両輪の経営改革がこのたび完了しました。それは主観によるものではなく、第80期決算報告書という誰の目にも一目瞭然の形で残すことができたことも併せてご報告致します。

リーマンショック後、当社における古き良き時代最後の決算は2009(平成21)年で、その時の売上高(年商)は約16.7億円でした。あれから7年。残念なことに東日本大震災、電子化、少子化といった時代の影響を受け、この7年間で5億円も売上は減少してしまいました。

「年商が3分の1も減少すれば、通常は倒産リスク大」。
しかし当社はそうはならなかったのです。

経営改革の初めに着手したことは、銀行経由でコンサルティング会社に依頼し、社員の不満をヒアリングしていただくことから始めました。と同時に、会社という日常の大半を過ごす場所に於いて、全社員がやりがいを持って働けるように願い、その問題解決にあたりました。人材育成にも取り組み続けました。

「時代の流れに希望を失うことなく努力し続ければ、そこから希望やアイデアも生まれてくる!」と、社員達の士気を鼓舞し、絆も深まっていきました。

その結果、人は育ち、いかにして効率的に仕事ができるかという視点に立って動くようになった過半数の社員達のもとで、私は全ての勘定科目について徹底的に内容を見直すことにも成功しました。

目に見えて会社の信用力に繋がる資産・負債についても4年半かけてテコ入れしました。それは貸借対照表に一目瞭然に表れており、今回の決算で不良債権もゼロ。ここ数年の決算内容の改善を各銀行は大変評価して下さっています。

これらの結実として位置付けるべきが2016年11月末の決算書であると私は考えております。

売上が減少してしまった中で、平成21年度、今より5億円も売上の多かった時以上に、しかも対前年約4倍もの営業利益を、リストラどころか賞与を増額し、必要な資産も購入した上で計上することができました。

以上、感謝を以って経営改革の最終報告とさせていただきます。

         専務取締役 藤本 知子

知子が入社したのは2010年9月であるから、そのとき既に美濃紙業は坂道を転げ落ちていたのである。銀行との取引についても、「こんなことしていたら倒産しますよ!」と夫に叱咤してくださった人もいた。

夫は営業畑の社長とはいえ、財務についてその人が知子に教え導いてくださっただけではなく、精神的にも親代わりに支えてくださった生涯の恩人である。

その人が「経営改革には5年かかる」と仰った通り5年弱を要した。この報告は共に寄り添って来た私にもとても重い。

「感謝を以って」とは、これまで教え励まし関わってくださった方々への感謝であることは言うまでもないが、それにも先立って神さまに感謝の報告をしているのであろう。

長い苦闘と努力の連続であったが、財務を立て直しただけではなく、心ある社員たちは一つにされて良き職場環境に改善して完了した。

美濃紙業の社員はすべて紅海を渡り切ったのである!
こうして神は知子のミッション・「出エジプト」を完了させてくださって、長い闘いの終止符が打たれた


私たちが生きている日常、即ち「経験の場」で自分自身ができあがっていき、「その人自身以外ではありえない人格」が形成されていく。

人格の基礎は自らの内にある促しであり、その促しから全ては始まり、その経験の積み重ねを通して人格が形成されていくのである。そしてその内面的促しこそが真の自由であり、責任の伴う自由を生きる尊さである。

経営改革においても、その途上にある一切のことを通して社員一人ひとりの上に神の導きを祈りつつのミッションであった。人生とは他者との関わり合いの中で人格を高め合って、互いに良き生涯を築きあげていくことにほかならない。

今朝の朝礼で知子はどのようなメッセージを語ったのであろうか。過去ログに刻まれたこれまでの軌跡をゆっくり振り返りたい。

全てのことを支配しておられる神に感謝します。
知子の上に神の栄光(御意思)を現してくださったことを感謝し、その栄光を神に捧げます。
 

「主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、
夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。
昼はこの雲の柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった」。

                  (出エジプト記 13章21節)

ユキと散歩@.jpg









14時25分追記:
" being & doing " に最後の記事を更新をしました。

posted by 優子 at 12:08| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする