2010年11月18日

鳩飼きよ子さん、5月に80歳の生涯を閉じられていた

「しばらくいろいろあってあなたのブログは拝見しませんでした。昨夜久しぶりに展いたのです。
あまりにショッキングなことが書いてあって、これはあなたもいよいよフィクションを書き出したのかと一瞬思ったのですけど。」


これは2008年5月31日の記事冒頭に掲げた鳩飼きよ子さんのお手紙である。この時、私は膀胱癌の疑いで検査入院を控えていた。

今日の正午頃郵便受けを見ると、鳩飼さんが5月21日に亡くなったと書かれた喪中のはがきが入っていた。9時間たった今も衝撃が治まらない。

しばらくして差出人である一人息子のお嫁さんに電話したが不在。鳩飼さんたちとの勉強会を紹介して下さった友に電話したが不在。
次に鳩飼さんの所属教会に電話すればわかるだろうと思いつき淀川教会に電話した。

牧師はアッケラカンと、「3ヶ月間ほど入院されていて、最後は心臓麻痺だったんでしょうね」と言われるのみで、いろいろ尋ねてもこれしかわからなかった。

今年、年賀状を頂かなかったのでどうしたのだろうと思った。いつ頃からだったか覚えていないが、受話器をとって何度か電話しかけたことがあったがためらってしなかった。

それからまた1ヶ月くらい過ぎてから電話したが、長い間呼び出しても鳩飼さんはお出にならなかった。あの時はすでに逝かれたあとだった。

臨床心理学の勉強中に親しくなったYさんが勉強会に誘って下さり、そこで鳩飼さんと出会った。相手がクリスチャンということで即刻親しくなった。1997年11月28日のことだった。

あの頃は母の死から1年1ヶ月、父が死に至る病床に就いて5ヶ月後の時で、その現実を受け容れることができた私は、再び前を向いて歩いていこうとお誘いを受けたのだった。

このあと夕方から父の入院する病院へ行ってから帰宅したと記録されていた。その1年後に千里さんもお誘いし、鳩飼さんは私たちの共通の知人になった。

2008年11月2日の記事にあるように、淀川教会のオルガン奉献記念コンサートで6年ぶりに再会し、それが最後となった。
あの時、「親子ほど年が違う」と仰った鳩飼さん。私達と再会した鳩飼さんのとても嬉しそうな顔が思い出される。

鳩飼さんの人生は壮絶だった。
再婚した人との息子さんは、サリドマイド薬品の服用により耳介(じかい)奇形児として誕生された。
2001年9月に出版された『不思議の薬 サリドマイドの話』には実名でご子息のことも書いておられる。

その後、日本の薬害事件の原点と言われるサリドマイド事件の大薬害裁判の原告の1人として闘い抜かれた。

裁判終結後にご主人が亡くなられ、1周忌を迎えるまでに英雄さんと一緒に受洗。
その後、英雄さんは3年間の入退院を繰り返しながら過酷な外耳形成手術を繰り返された。

「肋骨の軟骨をとり、あちこちの皮膚を剥ぎ、・・・ここまで子供を苦しめてまで耳のようなものを造らなければならないのか」
と、その厳しさに神経を病み、以来ずっと睡眠薬がないと眠ることができなくなってしまわれた。

今夜、息子さんのお嫁さんに電話したが、お嫁さんも少々障がいをもっておられるので詳しい状況はわからなかった。
Yさんにも再度電話した。突然の訃報にご無沙汰していたことを悔やまれていた。

梅田・茶屋町のレストランで、毎月1回「2時の会」を開いて議論を戦わせていた頃が懐かしい。

     くすしき恵み われを救い、
     まよいしこの身も たちかえりぬ。

     思えば過ぎにし すべての日々、
     苦しみも悩みも またみ恵み。

     この身はおとろえ 世を去るとき、
     よろこびあふるる み国に生きん。


悲しい。
取り残された気持ちもする。
しかし、また会える。

イエス・キリストを信じる者には大きな慰めがある。そして、私もまた自分の死を死んでいかねばならない大仕事を思った。

そこに至るまでいろんなことがあるだろう。煩わしいことから逃げてはいけない。主よ、私もまた私の「走るべき行程」を走り抜かせて下さるように!


天国で再会した時の会話が頭の中でグルグル回っている。
「驚かせてごめんね。いやぁ、あの時はもう誰にも知らせへんかってん。
それで、あれから何か書いたん? どんなん書いたんか見せて。・・・ほんまや、そういうこっちゃ!」
と、鳩飼さんの声が聞こえてくるようだ。

英雄さんのことを心に残して旅立たれたことだろう。
今週は「障がい者週間」でもある。鳩飼さんのメッセージをお伝えして追悼文としたい。

以下にある内容は、過去ログ2008年10月4日、6日(カテゴリ「社会的なこと」)に詳しく書いているのでお読みくだされば嬉しい。

「(大薬害裁判は)はじめから判りきった結論にたどりつくまで十数年の凄惨(せいさん)ともいえる裁判闘争が繰りひろげられました。そして、和解での終結。

サリドマイド裁判がその後の血友病エイズ事件をはじめとする薬害根絶の捨て石にならなかったことは、この終結の仕方にあったと私は考えています。

原告の一人としてこのことがずっと胸のそこにあり、その贖罪の気持ちもふくめてこの本を書きました。
   
         (略)

子は自分を生んだ親の年齢をはるかにこえ、もはや親の庇護のおよばぬ次元で、その苦しみを一人背負ってあと何十年かを生きねばなりません。

この子たちのつらさは、障害の不自由さよりも、世の中から向けられる好奇な目、差別と偏見に耐えていかねばならないことです。

最後の一人の生が終わるまで、『サリドマイドの話』は続くわけですが、親として、これからあとに残る子供たちの身が案じられないわけがなく、ただただこれからは社会の方がたのご理解とご援助をお願い申し上げるしかありません」。
 
   
   『不思議の薬 サリドマイドの話』あとがきより


    
posted by 優子 at 22:14| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする