2016年12月11日

家の教会㉝ −地上に突入された神の御子―

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anime_tomosibi02.gif2016年12月11日(日)
(第33回 家の教会)
10時35分〜11時25分
出席者4名

@ 前奏
A 祈り   優子
B 讃美   讃美歌106番 「荒野の果てに」
C 聖書   ヨハネによる福音書 4か所
         8章58節、10章30節、
         11章25節、14章6節
D お話   「世界の歴史を分けたクリスマス」 
        優子
E 讃美   讃美歌114番 「天(あめ)なる神には」
F 主の祈り
G 後奏  「主の祈り」
      
今朝掲げた聖書の個所は、イエス・キリストがご自身のことを明確に語られた箇所です。
ヨハネによる福音書8章58節:
「よくよくあなたがたに言っておく。アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである」。

ヨハネによる福音書10章30節:
「わたしと父(神)とは一つである」。

ヨハネによる福音書11章25節:
「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。

ヨハネによる福音書14章6節:
「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」。

讃美歌106番を讃美している時、4節の「今日しも御子は 生まれたまいぬ」の言葉に嗚咽(おえつ)し涙が溢れました。私のために、私の贖罪のために、十字架にかかるために生まれてくださったからです。イエス・キリストが救い主であることを知るときに、わたしたちは深い慰めをいただくのです。

「主のご降誕を感謝し喜びお祝いします」と、昨年のクリスマスに初めて刻んだのではないかと思うのですが、「主のご降誕を感謝する」と自らの魂からあふれ出た言葉でした。
クリスマスは感謝でしかないのです! 
全ての人にとって感謝でしかないのです!

ところで、歴史を英語で "history" と言いますが、これは "his story" (彼の物語)が一つになった言葉である言われています。つまり「イエス・キリストの物語」を意味します。

世界史はキリストの誕生を基点に「紀元前」を「BC」と呼び、「紀元後(西暦)」を「AD」と呼んでいます。「BC」とは" Before Christ" (キリスト以前)、「AD」は "Anno Domini"(ラテン語で主、キリストの年)の頭文字をとったものです。

つまり、イエス・キリストが来られたことによって歴史が二つに分かれたのです。

クリスチャンが年賀状に「主の2017年 おめでとうございます」と記しますが、イエス・キリストはユダヤ人だけにではなく全世界の歴史に大きな影響を与えました。

そして、日曜日が休日になっているのもそうです。キリストが十字架に架けられて3日後に甦られた復活を記念する日だからです。

イエス・キリストは天地を創造された全知全能の神の御一人子です。私たち全人類の罪を負い、人々を救うために、十字架の死を遂げるために人間として地上に来られたのです。まさに地上に突入してくださったのです。

キリストの救いとは、病気が治るとか、商売繁盛などご利益ではありません。人間が考え出したカミは人格的な神ではありませんから、拝む人の人格は全く問われません。いくらかのお金を投げ入れてご利益を述べているだけです。

しかし、キリストの救いとは自己中心にしか生きられない私たちの心を愛に変え、感謝に変えられることです。赦しの救いを得るために修行や善行は必要ありません。

ただイエス・キリストを救い主であることを信じる者には即刻即座、そこに居ながらにして救われます。これまでの神なしの生き方から180度転換して神に眼を向けて共に生きていくのです。神は豊かに赦しを与え、溢れる恵みをくださる方です。

しかし、高慢な心ゆえに謙遜になれない人は神の存在も救いも信じることができません。自分の姿を見ないで他者のことを批判するばかりの人には神さまはわかりません。

また、宗教を自分の修養とするならばどの宗教でも大差ないでしょう。しかし、キリスト教は決して多くある宗教の中の一つではありません。徹頭徹尾「神」と「自分」との関係なのです。


聖書は紀元前4000年も前のことから書かれています。
イエス・キリスト誕生後のことが『新約聖書』に書かれていますが、そこにはキリストの数々の奇跡が出てきます。「奇跡があるから信じられない」という人もいるでしょう。私も神さまの話をした人から何度も聞いてきました。

しかしよく考えてみると、奇跡がなければキリストは単に「立派な人」でしかなかったのです。イエス・キリストは人ではないのです。神の独り子であり、神そのものであられるゆえに、奇跡こそが神の存在証明なのです。

人類史に残る偉大な指導者の大半がイエス・キリストを「わが神、わが救い主よ」と告白して生涯を送りました。一方ではこれまで宗教戦争と呼ばれても認めざるを得ない過ちも犯してきました。これは人間の弱さ、罪です。

神さまを信じたからと言って神と同じになるのではありません。神を知らずに生きていた古き自分、自我(聖書では「肉」と呼びます)との闘いは生きている限り続くのは当然のことです。罪赦され救われても「只今工事中」と死ぬ瞬間まで現在進行形で歩んでいくのです。

神は私たちを操り人形のようにされません。意志をもった人格として、常に「より良いほうを選ぶ」自由を与えておられます。

私は生涯の終わる瞬間まで神のまなざしを忘れないで生きていきたいと思います。これからも「敵をゆるし、更に愛せよ」と求めるイエス・キリストと共に歩いて行きます。

後奏で弾いてくれた「主の祈り」でますます豊かに祝されました。讃美の演奏は素晴らしい。その後も本田ルツ子さんの「主の祈り」を何度も聞いていました。

母が亡くなった1996年の12月、本田ルツ子さんのサイン入りのCDを千里さんからいただき、CDが擦り切れるほどこの曲を聴いていました。

今朝の内容を記し終えようとする今、クリスマスを前にして地球上に生きる人々のことを想います。

イエス・キリストが誕生され、新約聖書が書かれた1世紀時代には世界の人口は3億人前後であったと推定されています。
その後、1976年に40億を突破し、紀元2000年に60億に達すると言われていた世界人口は予想よりも早く1998年に60億人に達し、2015年に70億人に達しました。今後ビリオン(10億)単位で人口が書き換えられるのも目前でしょう。

21世紀になっても精神の暗黒大陸のままの日本、クリスマスの意味も知らないで12月の風物詩のように過ごしている日本の人々にお伝えしたいことがいっぱいあります。

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今日(14時53分)の二上山(雄岳)

posted by 優子 at 16:00| 家の教会 | 更新情報をチェックする