2016年12月25日

家の教会㉟ ―クリスマスは「すべての民にあたえられる喜び」−

church01.jpgクリスマス おめでとうございます!
主の御降誕を感謝し、クリスマスの御挨拶を申し上げます。


教会歴では「アドベント」から新しい年が始まります。クリスマス・カードに " Merry Cristmas and a Happy new year." と印字されているのはそのためです。
昨夜も信仰の友より、「祝御聖誕 謹賀新年 2016 クリスマス」と記されたハガキが届きました。

今日はユキがサッカー教室の帰りに自転車の鍵が無いと、コーチご夫妻と息子さんに長い時間捜していただいていたのに見つからず、連絡をいただいて知子と祖父が自転車を引き取りに行きました。その時もなお捜してくださっていたそうです。

それでクリスマス礼拝がますます遅くなりましたが、一同静まって主の御降誕を喜び感謝礼拝を捧げ、午前中に知子と用意したお料理を並べてクリスマス愛餐会を持ちました。

2016年12月25日(日) (第35回 家の教会)
12時45分〜13時30分
出席者 4名
@ 前奏
A 主の祈り
B 讃美歌  98番「天(あめ)には栄え」
C 聖書輪読  ルカによる福音書 2章1節〜20節
D お話    優子
E 分かち合い 一人ずつ
F お祈り   優子
G 讃美歌  111番「神の御子は今宵しも」 
H 後奏   バッハ「人の望みの喜びよ」

ルカによる福音書 2章1節〜20節:
2:1そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。
2:2これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。
2:3人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。
2:4ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
2:5それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。
2:6ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、
2:7初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。

2:8さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。
2:9すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。
2:10御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。
2:11きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。
2:12あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。
2:13するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、
2:14「いと高きところでは、神に栄光があるように、
地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。

2:15御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。
2:16そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。
2:17彼らに会った上で、この子について自分たちに告げ知らされた事を、人々に伝えた。
2:18人々はみな、羊飼たちが話してくれたことを聞いて、不思議に思った。
2:19しかし、マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらしていた。
2:20羊飼たちは、見聞きしたことが何もかも自分たちに語られたとおりであったので、神をあがめ、またさんびしながら帰って行った。

お話:
クリスマスは「すべての民にあたえられる喜び」です。
今も涙を流し、心身の痛みを抱えて必死で生きている人、不安と苦しみのどん底で生きる意欲を失くしてしまっている人、悪から離れたいと悩んでいる人も、そのような人々こそ深い慰めと喜びを知ることができるのです。

私たちは誰も皆、人生でいつも躓きます。何度も躓きます。しかし、神さまは私たちの祈りを聞いてくださっており、神さまのシナリオは万全です。私たちにとって最も良い時に、最も良い方法で、最も良い結果になるようにしてくださることを固く信じることができます。

ですから例えば悪意に満ちた人に悩まされる日々であっても、ガラテヤ人への手紙6章9節の言葉を口ずさんで励むことができるのです。

「わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる」。

「地には平和、御心にかなう人にあれ」
とは、地に住む人々に平安があるように、安きがあるようにと言っているのです。それは戦争や殺戮がないという平和だけを意味しません。キリストに出会うときに心が平安に満たされることを言っているのです。
 
「いと高きところに神に栄光があるように」。
これは、神さまを讃美し(ほめたたえ)、神さまに礼拝を捧げるときに与えられる深い平安です。

信仰者ならば常に思うことでしょう。私の選択や言動は神さまの御心に叶っているだろうかと。
箴言の16章9節にこのような言葉があります。
「人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である」。          

主イエスを信じる人の心に内住(ないじゅう)される聖霊は、その人の人格に無関係に語られるのではありません。
  

例えば『塩狩峠』に描かれた実在の人物・長野政雄が、暴走する旅客列車の下に身を挺して暴走を食い止めて乗客の命を救ったのは、長野が真の愛の人ゆえに聖霊がそのように働かれたのだと思います。

ですから先日来のパロの心を頑なにされたことについても同様で、傲慢で神を信じないパロゆえに頑なにされたのではないかと思います。

長野政雄のような愛の人はますます愛の人になり、悔い改めない人はますます恵みから遠ざかるのです。
ヘブル書(3章7・8節)の言葉を思い出します。

「だから、聖霊が言っているように、
『きょう、あなたがたがみ声を聞いたなら、
荒野における試錬の日に、
神にそむいた時のように、
あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない』。

「今は恵みの時、今は救いの日です」。

        (コリント人への第2の手紙 6章2節)

クリスマスこそ「今は恵みの時、今は救いの日です」。
クリスマスはすべての民にあたえられる喜びです。

人間が考え出した宗教は、人間が救われるためには必ず難行、苦行という条件がつきます。難行・苦行を成就したところでその人の罪は消え去りません。かえって自負心が加わることでしょう。

まことの神は神さまの方から私たちのところに降りてきてくださったのです。そもそも「救い」の意味が全く違っていますし、私たちは素直な心で「良い知らせ(good news)」を聞いたら、このブログを読んでくださったならば、ただそのままでイエス・キリストを心にお迎えすればいいのです。

ティントレット 羊飼いの礼拝.jpg今日全世界の教会が極東から時差を置いて、ベツレヘムの馬小屋にお生まれになった主イエス・キリストのご降誕を祝って礼拝を捧げます。

クリスマスは救いの業の始まりです。そして十字架につけられて死なれ、復活されて私たちの救いが全うされるのです。

クリスマスはすべての民にあたえられる喜びです。

j_je04.jpg「きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである」。     
         
(ルカによる福音書 
       2章11節)



「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」。
       (ヨハネによる福音書 3章16節)



附記:これは公立中学校で国語の講師をしていた時に、1年生のクラスに配布したものです。

中学校講師時代に.jpg

子どもたちの教養のためにもクリスマスの意味を知ってほしくて、10分間ほど時間を割いて授業の最初に話しました。大学を卒業した1974年の12月のことでした。

posted by 優子 at 17:36| 家の教会 | 更新情報をチェックする