2017年02月05日

家の教会2017D −悪霊に取りつかれた男―

2017年2月5日(日) (2017第5回 家の教会)
10時35分〜11時20分
出席者 3名(Except R)
@ 主の祈り  
A こどもさんびか 33番「サント サント サント」
B 聖書輪読    マルコによる福音書5章1〜20節
C お話      優子
D お祈り     一人ずつ
E 新聖歌256  「御翼のもとに 」

kasa3.gif冷たい雨の一日
 
IMG_2317.jpg 第2部礼拝  
14時〜14時40分 
出席者 2名
@ 聖書輪読
A お話
B 分かち合いと祈り


マルコによる福音書5章1〜20節:
5:1こうして彼らは海の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。
5:2それから、イエスが舟からあがられるとすぐに、けがれた霊につかれた人が墓場から出てきて、イエスに出会った。
5:3この人は墓場をすみかとしており、もはやだれも、鎖でさえも彼をつなぎとめて置けなかった。
5:4彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせを砕くので、だれも彼を押えつけることができなかったからである。
5:5そして、夜昼たえまなく墓場や山で叫びつづけて、石で自分のからだを傷つけていた。
5:6ところが、この人がイエスを遠くから見て、走り寄って拝し、
5:7大声で叫んで言った、「いと高き神の子イエスよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのです。神に誓ってお願いします。どうぞ、わたしを苦しめないでください」。
5:8それは、イエスが、「けがれた霊よ、この人から出て行け」と言われたからである。
5:9また彼に、「なんという名前か」と尋ねられると、「レギオンと言います。大ぜいなのですから」と答えた。
5:10そして、自分たちをこの土地から追い出さないようにと、しきりに願いつづけた。
5:11さて、そこの山の中腹に、豚の大群が飼ってあった。
5:12霊はイエスに願って言った、「わたしどもを、豚にはいらせてください。その中へ送ってください」。
5:13イエスがお許しになったので、けがれた霊どもは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった。
5:14豚を飼う者たちが逃げ出して、町や村にふれまわったので、人々は何事が起ったのかと見にきた。
5:15そして、イエスのところにきて、悪霊につかれた人が着物を着て、正気になってすわっており、それがレギオンを宿していた者であるのを見て、恐れた。
5:16また、それを見た人たちは、悪霊につかれた人の身に起った事と豚のこととを、彼らに話して聞かせた。
5:17そこで、人々はイエスに、この地方から出て行っていただきたいと、頼みはじめた。
5:18イエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人がお供をしたいと願い出た。
5:19しかし、イエスはお許しにならないで、彼に言われた、「あなたの家族のもとに帰って、主がどんなに大きなことをしてくださったか、またどんなにあわれんでくださったか、それを知らせなさい」。
5:20そこで、彼は立ち去り、そして自分にイエスがしてくださったことを、ことごとくデカポリスの地方に言いひろめ出したので、人々はみな驚き怪しんだ。

お話:
今日の個所は、ガリラヤ湖の東南地方にあるギリシャ的な異邦人の町での出来事です。

自然は時に猛威を振るい悲惨な状況に至らしめ、地球環境の破壊が進んだ近年は世界中で異変が起きています。自然の猛威はいかに科学が発達しようとも人間にはどうしようもありません。今朝のお話はどうすることもできない自然災害ではなく、狂暴で荒れ狂った人のお話です。

当時の墓は岩に掘った横穴式の洞穴で、その中に足かせをはめられ鎖で縛りつけられていた人がいました。それでもそれらを外してしまうほど狂暴でした。

5節に「夜昼たえまなく墓場や山で叫びつづけて、石で自分のからだを傷つけていた。」とあるように、この人自身も苦しみ続けていたことがわかります。しかも自分がなぜこんなことをしているのかわからないし、自分のことも何もわからない。その不安や恐怖はどんなものだったでしょう。

聖書にはこの人を「汚れた霊に取りつかれた人」と書いています。「汚れた霊」というのは悪霊のことで、聖書は悪霊の存在があると教えています。「悪霊」というと精神医学の発達した現代人はうさん臭く感じる人もいるでしょう。

そういえば私は長女を身ごもった時に、婚家先で「祟(たた)り」や「白蛇が憑く」からと、偶像を拝むように強要され悩まされたことがありました。いわゆる自らを「神」と名乗り人間の弱みに付け込んで高額のお金を出させるものでした。

その時は父が断ってくれました。次女を身ごもった時は自ら頑として断りました。このような話は例話にもならないことですが、そういうことに翻弄される人々に悩まされました。信仰を授かる7年前のことでした。

それはともかくも、信仰生活の初めの頃は「悪霊」や「悪魔」については全く無知でしたから、熱心なCS教師が悪魔の話をたびたびなさるので、「この教会は正統なキリスト教会なんだろうか」と心配したことがありました。

しかし、信仰が深められていくにつれて理解できるようになり、悪霊の実在を何度か感じたこともあります。この世の出来事の背後には悪霊が働いているのだと思います。

聖書に記されている悪霊にとりつかれた男は、人間の力ではどうしようもできないコントロールを超えた力に縛られていたのです。

(6・7節)「イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、大声で叫」び「『いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。』」と、私たちの理解に苦しむことを言いました。

これは狂人となっている男の口を通して悪霊が語った言葉です。悪霊は霊的な存在ですからイエスさまがどんなお方であるかは、人間よりもはるかに敏感に認識できたのです。

イエスさまはこの男の背後に存在する悪霊に名を尋ねました。「レギオン」とは、約5000人とも6000人とも言われるローマの軍隊の名前でした。悪霊は1人ではなく軍隊のような強力な悪霊でした。

でも悪霊は神の子であるイエスに勝つことはできないのを知っていますから、「俺にかまわないでくれ」と言ったのです。悪霊にとって喜ばしい安穏とした環境は人間を支配した状況なのです。

私たちも悪霊にとり憑かれたように自分の気持ちを持て余すことはないでしょうか。私は父を亡くした1年後に経験しています。

私たちが当地に引っ越してきた時、すでに母は召され、父は重度の脳梗塞に倒れて入院しており、その後も何度も死線をさまよう状況でした。

そんな緊張した状況に加えて、身近にいる他者を省みない人々の理不尽極まりない非道な言動にも耐えねばなりませんでした。でも神に助けられて父と母の娘らしく耐え忍び、2000年8月に父を看取りました。

ところが、その1年後に彼らへの憤りの感情に支配され、祈っても平安はなく「自分のことを持て余す」と知人に話したことを覚えています。

その時の心はこの男の情況と同じだと思うのです。私たちの中にレギオンが住んでいるならば心の平安はなく、自由ではあり得ません。


私は心に憎しみが襲ってくるたびに「イエスさま、助けて!」、「イエスさま、助けて!」と主の御名を呼びました。そのたびに解放されるのですが何度も襲ってきました。数か月続いたように思います。

このことは心理学でも説明できる心情ですが、これが人間の偽らざる現実であり苦痛のプロセスを通り抜けていかねばなりません。

大切なことはこのような時こそ「イエスさま、助けて!」と主の御名を呼び、イエスさまと共にいることです。あの時、私もまたイエスさまに「走り寄って」ひれ伏していたのだと思い、イエスさまと共に在ることの大切さを改めて教えられました。

その後も何度も苦痛を経験していますが、神さまのお守りのうちに一度として言い争うこともなく、凛として、そんな人たちにも手を差し伸べる者とされてきました。こういうことを「神さまは勝利させてくださった」と言うのです。


悪霊は豚に入り込んで死に敗北しました。イエスさまは一人の霊魂を救うために2000頭の豚(財産)を犠牲にされました。豚の飼い主たちは損失や信じがたい出来事を恐れてイエスさまを拒んだのでしょう。

レギオンから解放された男は正気を取り戻し、自分の救い主としてイエスさまにお供を申し出ましたが、「あなたの家族のもとに帰って、主がどんなに大きなことをしてくださったか、またどんなにあわれんでくださったか、それを知らせなさい」と仰いました。

いつもならば奇蹟を言い広めることを厳しく禁じておられたのに、ここでは違っていました。この人と共に苦しんでいたに違いない家族に、正気になった姿を見せて安心させてやりなさいと思われたのではないでしょうか。

悪霊に憑かれていた男の姿は、罪人の心の姿に酷似しています。私たちが憎しみの中にとどまっているならば、死にとどまっているのであり、その人はいわば墓場にいるのです。

良いことをしようと思ってもできない自分に嘆き、自己との葛藤は生きている限り続きますが、それは何と尊い葛藤でありましょう。

というのは、自分さえ良ければいい、悪いのは全て相手と、いくつになっても噛みついてくる人もあるのです。そういう人は生きているとは言えず、「愛さない者は、死のうちにとどまっている。」(第1ヨハネ・3章14節)とある通りです。 

私たちはこのままの姿でイエスさまの前へ出ましょう。神を信じて試練を受けて立てば必ず道を開いてくださいます。現実が最悪でも大丈夫! 神が働かれます! 

どんなに最悪でも、それでも道が開かれるのです! 
今、苦境にある人は主イエスにSOSを出すのです!!!

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(前掲の写真ともにユキが窓越しに写す)

「あなたがたは主にお会いすることのできるうちに、
主を尋ねよ。
近くおられるうちに呼び求めよ。
悪しき者はその道を捨て、
正しからぬ人はその思いを捨てて、主に帰れ。
そうすれば、主は彼にあわれみを施される。

われわれの神に帰れ、
主は豊かにゆるしを与えられる。
わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、
わが道は、あなたがたの道とは異なっていると
主は言われる。

天が地よりも高いように、
わが道は、あなたがたの道よりも高く、
わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。
天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず、
地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、
種まく者に種を与え、
食べる者にかてを与える。

このように、わが口から出る言葉も、
むなしくわたしに帰らない。
わたしの喜ぶところのことをなし、
わたしが命じ送った事を果す。
あなたがたは喜びをもって出てきて、
安らかに導かれて行く」。

       (イザヤ書55章6節〜12節)

posted by 優子 at 20:30| 家の教会 | 更新情報をチェックする