2017年02月15日

渡辺和子さんの学園葬 −父を殺した人の墓前で祈る―

" Unless change,nothing changes."
「あなたが変わらなければ、何も変わりません」。

01yuri2b.jpg昨年12月30日に89歳で帰天したノートルダム清心学園理事長、渡辺和子さん(修道女名:シスター・セント・ジョン)の学園葬が12日、岡山国際ホテルで行われた。

以下は『クリスチャントゥディ』2月13日更新の「渡辺和子さんの学園葬に3500人」より抜粋したものに父と子の写真を加えたものである。

image[5].jpg学園葬は追悼ミサとお別れの会の2部構成。同学園の卒業生をはじめ、財界、各宗教界から約3500人が参列した。
親族代表として、渡辺さんと7つ違いの姪、小林依子さんが言葉を述べた。渡辺さんが母親の猛反対を押し切って受洗した直後は、一緒に疎開生活をしていたこともあるなど、幼少期は姉妹のように仲良くしていた。

昨年10月末に入院したとき、渡辺さんは「私は修道院に帰るべき」と退院を強く望んでいた。そして12月19日に退院する前、小林さんに「私、お父さんの子でよかった」と話したという。

渡辺錠太郎と和子.jpg渡辺さんの父親は陸軍教育総監だった渡辺錠太郎氏。
1936年、「二・二六事件」で青年将校に襲撃され、自宅の居間で命を落としたが、その様子を渡辺さんは間近で目撃していた。

母は5時に起きて、二人のお手伝いさんに雨戸を開けさせたりしていました。襲撃のあったときは6時前だったと思います。

激しい怒号でトラック一台(に乗ってきた)三十数名の兵士が門を乗り越えて入ってきました。玄関のガラス戸に銃弾が撃ち込まれたようでした。父は左の襖を開けて戸棚の拳銃を手にして、覚悟していたものと思われます。

「和子はお母様のところへ行きなさい」と言いました。これが私に対する父の最後の言葉でした。

母のところへ行きましたら、母は玄関で兵を入れまいとしていたために、私は父のところへ戻ったのです。そのとき既に弾が寝間に撃ち込まれていました。

私は銃弾をかい潜って父のところへ行きました。父は掻い巻き(かいまき)を身体に巻きつけてピストルを構えていました。

私が戻ったので父は困った顔をして、目で籃胎座卓の後へ隠れるよう指示しました。私はそこに隠れました。開けられた襖から見えた機関銃の銃口が父を狙っているようでした。

父はドイツ駐在武官時代に射撃の名手だったので、ピストルで応戦しましたが、片脚は殆ど骨だけでした。
玄関から入れなかった高橋、安田少尉が外へ回って、開けてあった縁側から茶の間に入ってきて射撃をして、トドメを刺して引き上げて行きました。

母が玄関から戻ってきて「和子は向こうへ行きなさい」と言いました。午後になって検視のあと父の頬に触れましたが、とても冷たかったのを今でも覚えています。姉は、父が銃弾43発を受けたと言っていました。

父の脚は骨だけで肉片が座敷に散らばっていました。
憲兵二人は二階に泊まっていました。
兵隊たちは斎藤内大臣を殺害したあとに来たので、なぜ電話が無かったのかと思っています。電話があったという話もありますが、電話の音は聞こえませんでした。電話があれば父を久保家(長女の嫁ぎ先で2〜3軒隣り)に隠すことが出来たのではなかったかと、今でも思います。

血の海の中で父は死にました。
あのとき逃げ隠れしないで死んでくれて、それでよいのだと思っています。

死の直前、私を隠してくれた父を思い出すのです。雪の上に点々と血が残っていました。その血の赤さは今も私の頭に焼き付いています。

安田少尉は近所に住んでいたから、家の構造を知っていたのではないかと思います。表玄関から入れないので裏へ回ったのでしょう。

兄二人は子ども部屋に監禁されていました。母は兵士を阻止していたので私一人が戻り、父が、自分が死ぬ場面の見えるところに隠してくれたので相手も気づかなかったらしいのです。私は送り人ならぬ看取り人になりました。

兵士たちが入ってくるのをちゃぶ台の後ろから私は見ていたし、引き上げるのも見ていました。ちゃぶ台には銃痕がありますが、それが私を守ってくれたのです。


「二・二六事件 『父渡邉錠太郎と私』の講演から」より引用。

式には、「二・二六事件」で渡辺総監にとどめを刺したとされる青年将校の弟、安田善三郎(91)さんも出席し、献花をした。

事件から50年後の1986年、青年将校らの法要に渡辺さんが初めて訪れたとき、偶然、安田さんが案内することになった。その人が渡辺総監の娘であることを知り、安田さんは涙ながらに謝罪。

その後、手紙などを通して交流が始まった。渡辺さんが関東地方に講演などで来るときには、安田さん宅を訪れ、食事を共にしたこともあった。

やがて渡辺さんに導かれるように、1991年、神奈川県内のカトリック教会で受洗した。現在もミサを守り、自宅では聖書を読むことを欠かさないという。

「私は、シスターの姿にキリストを見たような気がしている。どうして、自分の父親を殺した犯人の墓に手を合わせたり、その弟の私と食事を共にしたりするようなことができるだろう。私は、シスターの100分の1、千分の1にも満たないが、あのような人になりたいと思った」。

「渡辺さんとの会話の中で、思い出深い聖句は?」と尋ねると、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28)を安田さんは挙げた。

渡辺和子さんの御遺骨は、父・錠太郎氏が眠る多磨霊園(東京)に納骨される。

附記:2016年最後の記事に「渡辺和子さん召天」を記している。



「自分を愛するということ」:13分間のビデオです。

posted by 優子 at 18:20| 社会的なこと | 更新情報をチェックする