2017年02月26日

家の教会2017G ―金持ちと貧しいラザロ―

2017年2月26日(日) (2017第8回 家の教会)
13時15分〜13時50分
出席者 3名(Except T)
@ 主の祈り
A 子供の讃美歌 88番 「天にいます私たちの父」
B 聖書輪読   ルカによる福音書 
            16章19節〜31節
C お話     優子
D お祈り    一人ずつ
E 讃美歌    285番 「主よ御手もて引かせ給え」
ジョウビタキのオス.jpg
ルカによる福音書 16章19節〜31節:
16:19 ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。
16:20 ところが、ラザロという貧乏人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、
16:21 その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。
16:22 この貧乏人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。
16:23 そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。
16:24 そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。
16:25 アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。
16:26 そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。
16:27 そこで金持が言った、『父よ、ではお願いします。わたしの父の家へラザロをつかわしてください。
16:28 わたしに五人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです』。
16:29 アブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう』。
16:30 金持が言った、『いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。
16:31 アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。

お話:
今日は金持ちと貧しいラザロの話です。金持ちは、「いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らして」いました。紫の衣は王様や貴族だけが着るとても高価な服です。

貧しいラザロは貧しい家に生まれて全身ができ物で覆われていました。ただそれだけしか書いていません。金持ちの男は何か悪いことをしたとか、貧しいラザロが何か善いことをしたとも書いていません。

20節の「前にすわり」という言葉の原文は「置かれていた」という意味だということです。いつも玄関の前に座っていたということは、金持ちの男はラザロを追い払わずに居らせてあげて、残飯ではあってもあげていたのでしょう。そうでなかったらいつもここに居ないと思います。

金持ちはラザロを全く助けようとしなかったわけではないと思うのですが、その程度でした。2人が死んでからは大きく違いました。

アブラハムは神さまの民であるイスラエルの最初の人です。ラザロはアブラハムのすぐそばに連れて行かれて大いに祝福されたのです。でも、金持ちの男は燃え上がる火の中で苦しんでいました。

その理由は、金持ちは生きている間に良いものをもらっていたからであり、ラザロは悪い方を受けたからと立場が逆転したというのです。これはどう考えればいいのでしょうか。

有り余るほどの富に恵まれた環境に生まれたのは、彼が選び取ったものではありません。貧しい家に生まれたラザロもそうです。生まれながらの貧富の問題は運命ともいうべきものです。


金持ちに生まれたから死んでから永遠の苦しみを受けるならば、貧しさの中に生まれたほうが良いと思うのではないでしょうか。貧しい者は神の慰めと祝福を受けるからです。

しかしまた、貧しい人が天国へ行くとは限りません。ラザロは貧しいからと言って悪行をしないで、「ラザロ」という名前が示す通り神さまにすがって生きていたからでしょう。

私たちは空気と水がなければ生きていくことができません。それらは人間の力では創ることができない神さまからの恵みです。

それと同じように私たちに与えられている富も神さまからの恵みなのです。健康も能力も時間も努力して得た富も全てです。それらは神さまから私たちに預けられているものですから、正しく管理して有意義に用いねばならないのです。

この金持ちが炎の中でもだえ苦しんでいるのは、モーセと預言者によって書かれた聖書があるのに読んでいなかったのでしょうか、悔い改めなかったからだというのです。

では「悔い改める」とはどういうことでしょうか。それは放蕩息子が父のもとへ帰って来たように本心に立ち返ることです。

聖書を読み、祈ったら悔い改められるということではありません。奇跡を見ても悔い改めることはできません。

聖書は「祈りつつ読め、読みつつ祈れ」と言われているように、聖書を読むにも神さまが私たちに語りかけておられるみ言葉を、本当に聞こうとする思いがなければ悔い改めに至らないのです。

そして、本当に神さまの恵みがわかったならば時間や富も能力も自分の楽しみだけに使わずに、用い方が変わっていくのです。私は遅々たる歩みですが、これからも変えられていくことを信じています。


私たちの玄関先(周囲)に貧しいラザロはいないでしょうか。それは経済的貧しさだけではなく、悲しんでいる人、大きな悩みを抱えてうなだれている人かもしれません。共に生きるとは愛をこめて関わることです。

人は死んでからでは遅いのです。死んでから死後の運命を変更することはできません。この世における生き方がその人の永遠の運命を決定するのです。

箴言22章2節に「富める者と貧しい者とは共に世におる、すべてこれを造られたのは主である。」とあります。

しかし、神さまは完全なお方だから不公平なことはなさらない。地上の生涯で終わりではない、それはいのちの第1幕であり第2幕があるのです。その人にふさわしく公平に報いてくださり納得させてくださいます。私は信じています。

「汝の運命の星は汝の胸中に在り!」、運命を運命として諦めるのではなく、私たちが神さまの存在を知って主イエスと共に生きていく時、運命は神の摂理に変わるのです。「摂理」には神の目的とご計画があり、神が最善に導いてくださるということです。

人生が順風満帆の時は傲慢になりやすく神の恵みを忘れがちになることがありますが、逆境の時こそ神の愛を感じます。心が低くされているからです。貧しさや苦悩の中にある人にこそ神は祝福され、その人は神の恵みを深く感じるのです。

春ですよ!.jpgそして、豊かな者は苦しむ者と共に生きる。そうであれば神さまはどんなに喜んでくださることでしょう。今朝の御言葉からそんなことを思いました。

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posted by 優子 at 22:35| 家の教会 | 更新情報をチェックする