2017年3月12日(日) (2017第10回 家の教会)12時25分〜13時5分@ 主の祈り
出席者 4名
A 子供の讃美歌 10番 「ことりたちは」
B 聖書輪読 創世記18章16〜33節
C お話 優子
D 分かち合いとお祈り
E 讃美歌 368番 「つとめいそしめ」
創世記18章16〜33節:
18:16 その人々はそこを立ってソドムの方に向かったので、アブラハムは彼らを見送って共に行った。
18:17 時に主は言われた、「わたしのしようとする事をアブラハムに隠してよいであろうか。
18:18 アブラハムは必ず大きな強い国民となって、地のすべての民がみな、彼によって祝福を受けるのではないか。
18:19 わたしは彼が後の子らと家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公道とを行わせるために彼を知ったのである。これは主がかつてアブラハムについて言った事を彼の上に臨ませるためである」。
18:20 主はまた言われた、「ソドムとゴモラの叫びは大きく、またその罪は非常に重いので、
18:21 わたしはいま下って、わたしに届いた叫びのとおりに、すべて彼らがおこなっているかどうかを見て、それを知ろう」。
18:22 その人々はそこから身を巡らしてソドムの方に行ったが、アブラハムはなお、主の前に立っていた。
18:23 アブラハムは近寄って言った、「まことにあなたは正しい者を、悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。
18:24 たとい、あの町に五十人の正しい者があっても、あなたはなお、その所を滅ぼし、その中にいる五十人の正しい者のためにこれをゆるされないのですか。
18:25 正しい者と悪い者とを一緒に殺すようなことを、あなたは決してなさらないでしょう。正しい者と悪い者とを同じようにすることも、あなたは決してなさらないでしょう。全地をさばく者は公義を行うべきではありませんか」。
18:26 主は言われた、「もしソドムで町の中に五十人の正しい者があったら、その人々のためにその所をすべてゆるそう」。
18:27 アブラハムは答えて言った、「わたしはちり灰に過ぎませんが、あえてわが主に申します。
18:28 もし五十人の正しい者のうち五人欠けたなら、その五人欠けたために町を全く滅ぼされますか」。主は言われた、「もしそこに四十五人いたら、滅ぼさないであろう」。
18:29 アブラハムはまた重ねて主に言った、「もしそこに四十人いたら」。主は言われた、「その四十人のために、これをしないであろう」。
18:30 アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしは申します。もしそこに三十人いたら」。主は言われた、「そこに三十人いたら、これをしないであろう」。
18:31 アブラハムは言った、「いまわたしはあえてわが主に申します。もしそこに二十人いたら」。主は言われた、「わたしはその二十人のために滅ぼさないであろう」。
18:32 アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしはいま一度申します、もしそこに十人いたら」。主は言われた、「わたしはその十人のために滅ぼさないであろう」。
18:33 主はアブラハムと語り終り、去って行かれた。アブラハムは自分の所に帰った。
お話:
東日本大震災から6年経ちました。マグニチュード9の大地震、全てを呑み込んでいった津波、そして原発事故、あまりの出来事に今も言葉を失い涙だけが流れます。
このような大災害をどのように受けとめればいいのか、年月が経てば経つほど容易に言えることではないと思います。神さまが全てを創造され支配されていると信じる私たちにも、「神さま何故? どうしてこのようなことをゆるされたのですか?」というのが正直な気持ちです。
しかしながら、そのような深淵な問題は神の領域のことであり、私たちが単純明快に理解できることではなく、各自が生涯かけて深めていくことが賢明であると思います。
今日は「ソドムとゴモラ」の個所から「執り成しの祈り」について心に留めたいと思います。
「お祈り」は、神さまと対話であるとイエスさまが教えてくださいました。私たちは感謝と共に神さまのお導きを願います。また、悔い改めて赦しを乞います。それらは自分のこと、自分のために祈るのですが、自分以外のために祈る「とりなしの祈り」があります。
家族や友人、知人のために祈ります。私たち家族のことも次女夫婦や友人が祈ってくださっており、互いに祈り合います。それを「執り成しの祈り」と言います。
その最たる執り成しの祈りが、イエスさまが十字架上で祈られた祈りです。
「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」と、イエスさまを十字架に架けた人々のことを祈ってくださいました。今日読んだ箇所は、神さまがアブラハムにソドムとゴモラを滅ぼしに行くと告げた場面です。
ソドムとゴモラの滅びについては、このあとの創世記19章に記されており、この箇所を題材に多くの画家が描いています。この絵はその一つです。
「ソドム」と「ゴモラ」は不道徳であらゆる悪がはびこり退廃しきっていたために、天からの硫黄と火によって滅ぼされた町の名前で、紀元前3100年以上も前の出来事です。
「ソドム」と「ゴモラ」は「滅びの象徴」として用いられていますが、現代は科学者も政治家もあらゆる分野のリーダーたちの殆どが、基準も目的も失われたソドムとゴモラのような状態です。
アブラハムは主の僕である以上に「神の友」と言われた人物です。神さまに「ソドムとゴモラの叫びは大きく、またその罪は非常に重い」ので、その通りであるならば滅ぼすと告げられて、アブラハムは神さまに訴えました。
「神さまは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。あの町に正しい者が50人いたとしても、正しい者までも悪い者と一緒に滅ぼしてしまわれるのですか?!」と訊ねました。
すると「もしソドムで町の中に五十人の正しい者があったら、その人々のためにその所をすべてゆるそう」と言われたので、「では45人では? 40人では? 30人、20人、10人では」と食い下がったのです。これも「執り成しの祈り」の代表例であると思います。
私たちが信じているおかたは人間が作り出した神ではありません。そのお方がイエス・キリストを信じれば死んでも死なない永遠の命を与えて、天国に入れてくださると言われるのです。
そのことを神さまの応答として受け止めることが幸いであり、そのことを信じて感謝と喜びと希望をもって生きることは最高の人生です。そして人生を深めていきながら「3.11」のことや、世界中で起きている不条理なことを考え続けていくことが「生きる」と言うことであると思います。
イエスさまは私のこと、あなたのことを神さまに執り成してくださいました。だから私たちもまた悲しんでいるかたがたのために祈り続けましょう。
それだけではなく、自分を傷つけ、悪意を向ける人のために祝福の祈りをささげるならば、神さまはどんなに喜んでくださることでしょう。そんなことを思いました。

陽ざしで部屋はポカポカ、23.1度あります。
附記:
昨日のサッカー教室は校区中学校のグラウンド。

この日は中学生がクラブ活動していたので
野球側の草の上で。

「石で足が痛かった」。


この日は中学生がクラブ活動していたので
野球側の草の上で。

「石で足が痛かった」。

中学校は遠いので自動車で送迎。この日は私たちも同乗して迎えに行き、その足で昼食に。そのあと買い物で3軒はしごして、ユキの髪の毛もカットしてすっきりして15時半頃に帰宅した。
昨年末に自転車の鍵を失くし(スペアキーも全てつけていたため)たので鍵を外すのも大変。おじいさんが苦労してようやく自転車を使えるようになった。
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