2017年04月09日

家の教会2017M ―十字架の意味―

4月8日 9時46分.jpg
2017年4月9日(日) 
     (2017第14回 家の教会)

10時5分〜10時55分
出席者 4名
@ 前奏(Dubois:「大路を旅する汝らよ」−十字架上の七言より―)
A 主の祈り
B 讃美歌
C 聖書輪読 マタイによる福音書27章27節〜56節
D お話   優子
E お祈り  一人ずつ(T)
F 新聖歌  113番 「君もそこにいたのか」 
G 後奏 

IMG_3627.jpgマタイによる福音書27章27節〜56節:
27:27 それから総督の兵士たちは、イエスを官邸に連れて行って、全部隊をイエスのまわりに集めた。
27:28 そしてその上着をぬがせて、赤い外套を着せ、
27:29 また、いばらで冠を編んでその頭にかぶらせ、右の手には葦の棒を持たせ、それからその前にひざまずき、嘲弄して、「ユダヤ人の王、ばんざい」と言った。
27:30 また、イエスにつばきをかけ、葦の棒を取りあげてその頭をたたいた。
27:31 こうしてイエスを嘲弄したあげく、外套をはぎ取って元の上着を着せ、それから十字架につけるために引き出した。

27:32 彼らが出て行くと、シモンという名のクレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に負わせた。 27:33 そして、ゴルゴタ、すなわち、されこうべの場、という所にきたとき、
27:34 彼らはにがみをまぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはそれをなめただけで、飲もうとされなかった。
27:35 彼らはイエスを十字架につけてから、くじを引いて、その着物を分け、
27:36 そこにすわってイエスの番をしていた。
27:37 そしてその頭の上の方に、「これはユダヤ人の王イエス」と書いた罪状書きをかかげた。
27:38 同時に、ふたりの強盗がイエスと一緒に、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけられた。
27:39 そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、イエスをののしって
27:40 言った、「神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ。もし神の子なら、自分を救え。そして十字架からおりてこい」。
27:41 祭司長たちも同じように、律法学者、長老たちと一緒になって、嘲弄して言った、
27:42 「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう。
27:43 彼は神にたよっているが、神のおぼしめしがあれば、今、救ってもらうがよい。自分は神の子だと言っていたのだから」。
27:44 一緒に十字架につけられた強盗どもまでも、同じようにイエスをののしった。

27:45 さて、昼の十二時から地上の全面が暗くなって、三時に及んだ。
27:46 そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
27:47 すると、そこに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「あれはエリヤを呼んでいるのだ」。
27:48 するとすぐ、彼らのうちのひとりが走り寄って、海綿を取り、それに酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。
27:49 ほかの人々は言った、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」。
27:50 イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。
27:51 すると見よ、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。また地震があり、岩が裂け、
27:52 また墓が開け、眠っている多くの聖徒たちの死体が生き返った。
27:53そしてイエスの復活ののち、墓から出てきて、聖なる都にはいり、多くの人に現れた。
27:54 百卒長、および彼と一緒にイエスの番をしていた人々は、地震や、いろいろのできごとを見て非常に恐れ、「まことに、この人は神の子であった」と言った。
27:55 また、そこには遠くの方から見ている女たちも多くいた。彼らはイエスに仕えて、ガリラヤから従ってきた人たちであった。
27:56 その中には、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、またゼベダイの子たちの母がいた。

お話:
今日から受難週に入りました。十字架にかかられて復活されるまでの最後の7日間です。聖書にはこの最後の7日間を詳しく書いています。

これらのことをマタイは28章中の8章を、マルコは16章中の6章、ルカは24章中6章、ヨハネは21章中10章も書いているということです。ゆっくり時間をかけて読み直してみたいです。

エルサレム神殿には12の門があり、イエスさまは子ロバに乗って、その中の「黄金の門」と言われている門から入られました。

ゼカリヤ書(旧約聖書)9章9節に、「見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。すなわち、ろばの子である子馬に乗る。」という言葉があり、イエスさまのエルサレム入城により成就しました。

ローマ帝国に支配されていたユダヤの人々は、イエスさまがローマ帝国から自由にしてくれる強い王、革命家のような王だと思っていましたから大歓迎して迎えました。マタイの記事から群衆の声が聞こえてくるようです。

「群衆のうち多くの者は自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの者たちは木の枝を切ってきて道に敷いた。そして群衆は、前に行く者も、あとに従う者も、共に叫びつづけた、
『ダビデの子に、ホサナ。主の御名によってきたる者に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ』」。

       (マタイによる福音書21章8・9節)

「ホサナ」とはヘブライ語で「今、救ってください」という意味です。ところが、このように熱狂していた大人たちは一転して「イエスを十字架につけろ!」と喚(わめ)き始めます。子どもたちには意味がわからず非常に混乱したことでしょう。

ついでながら「黄金の門」は、その後エルサレムがイスラム教徒に占領された時に塗り固められて、今も封鎖されたままだそうです。ユダヤ教の人々はイエスさまを救い主と信じることができなくて、今度こそ本当の救い主がこの門を通って現われると信じて待ち望んでいるのです。

木曜日の最後の晩餐の後、イエスさまは祈るためにオリブ山に行きます。ここでイエスさまとペテロの有名なやり取りがあります。マタイによる福音書26章34・35節です。

「『よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』。 ペテロは言った、『たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません』。弟子たちもみな同じように言った」。

そしてゲッセマネの園で祈りますが、ここでユダの手引きでイエスさまは捕まり、大祭司カヤパによる取り調べが朝まで続きます。その中庭に入り込んでいたペテロが見つかり、イエスさまが予告されたようにペテロは3度イエスを知らないと言うのです。

そして金曜日の朝早く、イエスさまはサンヘドリンという最高裁判権を持ったユダヤ人議会で尋問されました。死刑にする有罪の証拠は何一つ見つからなかったのですが、総督ピラトはユダヤ人指導者や群衆の声に動揺し、「あなたがユダヤ人の王であるか」と問うたことに対して「そのとおりである」と言われたイエスさまの言葉で有罪判決を下しました。

ローマ兵はイエスさまを十字架につける前に40回鞭打ちました。その鞭には尖った金具がつけてあり、打たれるたびに肉が飛び散りました。映画の『パッション』でリアルに描いてあるそうですが、映画とわかっていても私は見ることが出来ません。

ヨハネはイエスさまが亡くなられる時のことを次のように書き残しています。
「しかし、ひとりの兵卒がやりでそのわきを突きさすと、すぐ血と水とが流れ出た」。(19章34節)

私は今も忘れられないのですが、教会へ行き始めた頃にお聴きした小山恒雄牧師の説教で、イエスさまの肉体には外科医が扱う全ての症例があったということが忘れられません。
「血と水とが流れ出た」というのは、大量出血で心臓が停止して心臓組織に水がたまったものが流れ出たのです。

死刑は9時頃から始まり3時頃まで続きました。12時から3時まで全地は暗くなりました。神殿の幕が真二つに裂け、地震が起こり、墓が開いて眠っていた聖徒たちが生き返ったこと、また、ローマの百卒長(百人隊長)が「まことに、この人は神の子であった」と証言したことなどが記録されています。

calvary.jpgイエスさまは「すべてが完了した」と言われて息を引き取られました。 これは全人類の罪の身代わりが完成した宣言です。

イエス・キリストの十字架の死は疑いようのない歴史的事実であり、すべての人間の罪の身代わりとなって死んでくださったのです。このことでイエスさまの十字架を信じる者は罪が赦されて永遠の命が与えられるようになったのです

私たちの身代わりになって罪を贖ってくださったのに、それでもなおどこまでも強情なのが私たちです。勿論クリスチャン倫理を示されてもそれを成就することは誰もできません。

そのこともイエスさまがご存知であったために、それら一切を背負って負けて死んでくださったのです。そして、そこから神のわざが始まったのです。命ある限りそのことをもっともっと深く知り味わっていきたいです。

私の人生を誰が最も評価してくださるのでしょうか。
それは主イエスです。
人の評価は役に立つものだけです。人の評価は3日もすれば変わってくるでしょう。だからそんな人の評価には立たないのです!

私はイエスさまの愛がわかった時に、イエスさまが私のすべてを見ていてくださり、覚えてくださっているのを知りました。いや、イエスさまが私のすべてを見ていてくださり、覚えてくださっているのを知った時にイエスさまの愛がわかったのです

3日前の散歩のとき、殆どの桜は3分ほど咲き始めていた中で、まだ蕾もそんなに膨らんでもいないのに焦らず堂々と風に揺られていた木がありました。その木がとても個性的に見え、神さまも私たちに全てさまざまなことは個性に任せてくださっているんだと思いました。

私たちはイエスさまという神さまによる受け皿があるから信じるのです。私たちが召されるとき、まだ捉えていなくてもイエスさまはそれで「良し」として天国へ迎え入れてくださいます

さあ受難週を心に刻みましょう。
AD30年頃の今頃の日曜日に主イエスはエルサレムに入城され、月曜日にいちじくの木を呪い、神殿から商人を追い出され、火曜日は神殿で問答され、水曜日はベタニヤへ行かれマリアから香油を注がれ、木曜日は最後の晩餐をされ、金曜日に十字架につけられて亡くなられ、黄泉に降られて日曜日に復活されました。

ユキのような児童にはわからないでしょうが、今一度私たちは自らと向き合い、イエス・キリストの十字架とは何であったのかを考えたいと思います。これは全ての人に問われているのです。

あなたにとって十字架の意味は何でしょうか。
あなたは、自分が神さまに救われ、愛されていることを確信していますか?

次の聖日はイースターです。
それまで主に導かれ備えられて共に御復活の感謝と喜びを捧げましょう。
 
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聖歌400番、新聖歌113番
「君もそこにいたのか」

@ 君もそこにいたのか  
  主が十字架につくとき
  ああ 何だか心が震える 
  震える 震える
  君もそこにいたのか

A 君も聞いていたのか 
  釘を打ち込む音を
  ああ 何だか心が震える 震える 震える
  君も聞いていたのか

B 君も眺めてたのか 
  血潮(ちしお)が流れるのを
  ああ 何だか心が震える 震える 震える 
  君も眺めてたのか
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C 君も気がついたのか 
  突然日が陰(かげ)るのを
  ああ 何だか心が震える 震える 震える 
  君も気がついたのか

D 君も墓に行ったのか 主をば葬るために
  ああ 何だか心が震える 震える 震える
  君も墓に行ったのか 
               アーメン

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これは昨日の様子。
折ってしまったチューリップが花を咲かせてくれた!

附記:午後、良輔は天王寺へ。
   高校時代のバスケットクラブの友人と4人で同窓会!

posted by 優子 at 14:22| 家の教会 | 更新情報をチェックする