2018年05月03日

Dさんが読書会会報に刻んでくださった16年前の出会い

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(『かわちの』66号掲載文の冒頭一節より)

今年1月27日の夕方、Dさんからお電話があり、私と初めて出会ったのはいつだったかご存知ないかと尋ねられた。というのは、東大阪読書会が創設されて今年50年にあたり、今号の機関紙にはそれぞれの読書会との関わりや読書会への思いをテーマに書くことになり、入会したのは16年前で正しいかどうか尋ねてくださったのだ。

私はさっそく会報のバックナンバーを調べた。お出会いした翌月の読書会に来てくださったが、どのテキストの時だったか思い出せない。

読書会会報に続いて結婚以来ずっとつけている「生活記録簿」(100枚綴りのノート)を調べた。今ではもうノートに記すことは殆どなく白紙の状態だが、あの頃ならば必ず記録しているはずだ。嬉しい出来事だったから。

あの時はもう母も父も亡くなっていた。しかし、悲しみから立ち上がっていたのだと思う。「一目見て何かしておられる方だとわかりました」と仰ってくださったDさんの言葉が神さまからの励ましのように感じ、あの数分間はキラキラ輝く思い出として残っているからと、記憶を辿りながらページを繰った。

ところが記憶は冬ではなかったという程度で、季節も定かではなかったので数時間要して漸く「No.20」にたどり着いた。

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2002年8月21日(水)、
午前9時25分頃から30分までぐらいの数分間だった。

2002年8月と言えば、父が亡くなって丸2年過ぎた時だった。
赤く囲んだのは今回探し当てたときに記したもので、この日は8月の読書会翌日で、9月は私の推薦図書(柳田邦男著『犠牲(サクリファイス)』)だったので図書館へ関係図書を借りに行った時のことだ。

Dさんは早速9月の読書会に来てくださり、同じ電車で小阪(大阪商大)へ行ったことも記録されていた。もう16年前になる。当地へ移って4年目だったのか…

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今朝、Dさんからお電話をいただいて「今日お会いしたい」と、いつものレストランでお出会いした。

このゴールデンウィーク前半の4月28日(土)から30日(月)は長女と孫と3人で小豆島へ出かけ、初めて夫婦別行動をとった。娘は2日間レンタカーで名所を回ってくれた。

しかし、24日朝になったギックリ腰(左側だけの軽症だったが左の股関節も苦痛)で介助が必要な老人のようだった。義母のことも日々精神的に大変なことが増えてきているのでまいっていた。いろんなことがあり、旅行後も霊肉共にダウンしたままなので心ある人に会いたかった。

途中からご主人も来てくださり時間を忘れて楽しい時を過ごした。教職者だったご伴侶に今更ながら聞けない敬語の使い方をお聞きしたり、日本語の乱れについても盛り上がった。素敵なご夫妻、共に知的でユーモアに溢れ、一緒にいて本当に心地よくて4時間も話していた。昼食をご馳走していただいて申し訳なくてならなかった。

4月の読書会で発行された『かわちの』66号をいただいた。冒頭に掲載させていただいたDさんの文章も66号掲載文である。
よき人との出会い、出会いこそが人生の財産だとしみじみ思う。感謝や人生の喜びのわからない人々に傷つくことなかれ!

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天竹さんは同志社出身で聖書に触れておられ、一時期谷口家の家庭集会に集ってくださっていたが何年か前に逝去された。
東大阪読書友の会50周年、西口孝四郎さんご夫妻を偲び、これからも読書会が継続されんことを祈ります。
Dさんには「絶対に役員のお願いはしませんから」と入会していただいたのに、私は2009年3月で退会してしまい(翌4月からユキと生活を共にするようになって行けなくなったが)、その後、書記、会長を2期務めてくださった。ありがとうございます。   

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附記:外出中に、旅行のブログが未だアップされていないのを心配してワシントンの次女から電話があり、良輔と30分ほど話していたという。少しずつ更新していこうと思う。
樹齢1000年のオリーブの木や小豆島にも1500名のキリシタンがいたこと・・・。そして、今年の元旦の朝、誰もいない厳寒の寒霞渓や海で知子がひとり長い間いた風景を記録しながら深く心にとめたい。
posted by 優子 at 21:28| 読書会関係 | 更新情報をチェックする