2018年02月26日

冬の散歩道で D ―折れた柳にいのちの残り火―

IMG_0804.jpgIMG_0800.jpg柳の枝が低く垂れているので直に見られると近づくと、無残にも折れて幹に引っかかっていた。
しなやかな柳の枝が低く垂れさがり、その枝にもたくさん顔を出していた新芽は、今も命の残り火を保っていた。
「柳に雪折れなし」と故事にもあるのに、誰かが引っ張って折ってしまったのだろうか。自然に折れてしまったのであれば仕方がないけれど・・・悲しい。

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「まことに、あなたの目には、千年も、きのうのように過ぎ去り、夜回りのひとときのようです」。(詩篇90篇4節)
120歳まで生きたモーセの言葉です。70年、80年の人生は矢のように飛び去っていきます。主は、1日、1週間という単位を設けてくださいました。それは私たちが時間を空気のように扱わないためです。今日の一日を昨日の延長のように惰性で過ごせば、1週間はのっぺらぼうな時間になってしまいますよ。

IMG_0735.jpg「事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです」。(第一コリント1章21節)
人が宇宙の広大さを数字で知っていても、創造主を知らないなら、宇宙は底知れぬ虚無です。しかし、私たちは信仰によって、創造主を知っています。創造主を知るなら、虚無の宇宙は恵みの宇宙となります。宇宙は、神が全知全能で、永遠で、愛なる方であることを告げています。この方が私たちの真の父です。 
IMG_0765.jpg「それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです」。(第一コリント1章21節)
知的理解が救いの条件なら不公平です。知的能力は人によって違うからです。しかし、十字架のことばの愚かさの前には、全ての人が平等です。信じることは、子供にも大人にもできるからです。宣教のことばが求めているのは、知的理解や弁論の巧みさではなく、ただへりくだりです。
IMG_0761.jpg松やに
「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」。(第一コリント1章25節)
信仰者であっても、人生の重要な選択のときに、突然、神を忘れたかのように、自分の知恵と考えで決めてしまうことがあります。神の教えが愚かに思えてしまうのです。しかし、人には、神の愚かさを超える知恵もなく、神の弱さに勝る力もありません。人の賢さではなく、神の愚かさに信頼して生きるとき、神の恵みが体験できるのです。

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「神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです」。(第一コリント1章27節)
これが神の選びの原則です。神は、アブラハムから使徒ペテロやパウロまで、無に等しい者や謙遜な者を選んで、神の国の働き人に立てられました。能力があっても、謙遜でなければ用いようがありません。へりくだった愚か者の方が、主にはかわいいいのです。

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「誇る者は主を誇れ」。(第一コリント1章31節)
私たちは、聖なる全能の神だけを誇ります。私たちを愛し、私たちのためにいのちを捨てられたイエス・キリストを誇ります。慰め主、内住の聖霊を誇ります。私たちが何かを成し遂げたとしても、けっして自分自身を誇りません。「これは私ではない。主がなされたことだ」と、迷うことなく主を誇ります。主だけを誇りとする生き方が、私たちを卑屈や邪念から守ります。
posted by 優子 at 17:48| 随想 | 更新情報をチェックする