2018年04月15日

家の教会2018O −ヒゼキヤが失ったもの―

4-13-14.jpg2018年4月15日(日) 
       (2018第16回 家の教会)
9時20分〜10時20分
出席者3名(with良輔&ユキ)
@初めのお祈り
A主の祈り
B讃美歌    199番「わが君イエスよ」
C聖書輪読     列王記下20章1節〜19節
Dお話     優子
Eお祈り    1人ずつ
F頌栄     讃美歌541番「父、御子、みたまの」
知子は講演会参加のために全日外出。
ユキに先週のホセアの話もしたので長くなった。
列王記下20章1節〜19節:
20:1 そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。アモツの子預言者イザヤは彼のところにきて言った、「主はこう仰せられます、『家の人に遺言をなさい。あなたは死にます。生きながらえることはできません』」。
20:2 そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて主に祈って言った、
20:3 「ああ主よ、わたしが真実を真心をもってあなたの前に歩み、あなたの目にかなうことをおこなったのをどうぞ思い起してください」。そしてヒゼキヤは激しく泣いた。
20:4 イザヤがまだ中庭を出ないうちに主の言葉が彼に臨んだ、
20:5 「引き返して、わたしの民の君ヒゼキヤに言いなさい、『あなたの父ダビデの神、主はこう仰せられる、わたしはあなたの祈りを聞き、あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやす。三日目にはあなたは主の宮に上るであろう。
20:6 かつ、わたしはあなたのよわいを十五年増す。わたしはあなたと、この町とをアッスリヤの王の手から救い、わたしの名のため、またわたしのしもべダビデのためにこの町を守るであろう』」。
20:7 そしてイザヤは言った、「干しいちじくのひとかたまりを持ってきて、それを腫物につけさせなさい。そうすれば直るでしょう」。
20:8 ヒゼキヤはイザヤに言った、「主がわたしをいやされる事と、三日目にわたしが主の家に上ることについて、どんなしるしがありましょうか」。
20:9 イザヤは言った、「主が約束されたことを行われることについては、主からこのしるしを得られるでしょう。すなわち日影が十度進むか、あるいは十度退くかです」。
20:10 ヒゼキヤは答えた、「日影が十度進むことはたやすい事です。むしろ日影を十度退かせてください」。
20:11 そこで預言者イザヤが主に呼ばわると、アハズの日時計の上に進んだ日影を、十度退かせられた。
20:12 そのころ、バラダンの子であるバビロンの王メロダクバラダンは、手紙と贈り物を持たせて使節をヒゼキヤにつかわした。これはヒゼキヤが病んでいることを聞いたからである。
20:13 ヒゼキヤは彼らを喜び迎えて、宝物の蔵、金銀、香料、貴重な油および武器倉、ならびにその倉庫にあるすべての物を彼らに見せた。家にある物も、国にある物も、ヒゼキヤが彼らに見せない物は一つもなかった。
20:14 その時、預言者イザヤはヒゼキヤ王のもとにきて言った、「あの人々は何を言いましたか。どこからきたのですか」。ヒゼキヤは言った、「彼らは遠い国から、バビロンからきたのです」。
20:15 イザヤは言った、「彼らはあなたの家で何を見ましたか」。ヒゼキヤは答えて言った、「わたしの家にある物を皆見ました。わたしの倉庫のうちには、わたしが彼らに見せない物は一つもありません」。
20:16 そこでイザヤはヒゼキヤに言った、「主の言葉を聞きなさい、
20:17 『主は言われる、見よ、すべてあなたの家にある物、および、あなたの先祖たちが今日までに積みたくわえた物の、バビロンに運び去られる日が来る。何も残るものはないであろう。
20:18 また、あなたの身から出るあなたの子たちも連れ去られ、バビロンの王の宮殿で宦官となるであろう』」。
20:19 ヒゼキヤはイザヤに言った、「あなたが言われた主の言葉は結構です」。彼は「せめて自分が世にあるあいだ、平和と安全があれば良いことではなかろうか」と思ったからである。
20:20 ヒゼキヤのその他の事績とその武勇および、彼が貯水池と水道を作って、町に水を引いた事は、ユダの王の歴代志の書にしるされているではないか。
20:21 ヒゼキヤはその先祖たちと共に眠って、その子マナセが代って王となった。
お話:

4-13-17.jpgこの箇所はヒゼキヤの病気とバビロンから見舞いに来た使者の物語です。「そのころ」というのは6節から類推して紀元前701年のエルサレム包囲のことと関連するということです。

旧約時代においては寿命は神に従う生き方と深い相関関係があり、長寿は神の大きな祝福であると考えられていました。ゆえに39歳にしてヒゼキヤの死の病の原因は深刻です。

ところが18章5節〜7節には正反対のことが書かれています。

18:5 ヒゼキヤはイスラエルの神、主に信頼した。そのために彼のあとにも彼の先にも、ユダのすべての王のうちに彼に及ぶ者はなかった。

18:6 すなわち彼は固く主に従って離れることなく、主がモーセに命じられた命令を守った。

18:7 主が彼と共におられたので、すべて彼が出て戦うところで功をあらわした。彼はアッスリヤの王にそむいて、彼に仕えなかった。

ヒゼキヤは主に在って敬虔な姿勢で、王として自国内外の危機管理に励みました。歴代誌下32章7・8節にもあるように、敵の脅しにも屈せずに民を励ます信仰の人でした。

「心を強くし、勇みたちなさい。アッスリヤの王をも、彼と共にいるすべての群衆をも恐れてはならない。おののいてはならない。われわれと共におる者は彼らと共におる者よりも大いなる者だからである。彼と共におる者は肉の腕である。しかしわれわれと共におる者はわれわれの神、主であって、われわれを助け、われわれに代って戦われる」。民はユダの王ヒゼキヤの言葉に安心した。

しかしいつしか熱心に励んだゆえの高ぶりの罪に捕らわれてもいたのです。「私は主に在って多くの善を成した」というヒゼキヤの驕りを砕くために、神さまは苦悩を与えられたのですが真剣に祈るヒゼキヤの願いを叶えてくださいました。

このことから神さまが決定を下した後でも覆されることがあり、ヒゼキヤは神さまに祝福された人物であったことがわかります。

主から与えられた癒しのしるしは、「アハズの日時計を十度あとに戻す」というものでした。「アハズの日時計」とは、アハズがソロモンの神殿の西側に設けた王の入口の階段のことで、これを日時計として用いていました。

「十度」とは「十段」のことで、時を戻すというのは大いなる奇跡です。ヒゼキヤは苦悩の中で神さまの恵みに触れて真に神さまを知り、その時はじめて苦悩を通して感謝に至ったのです。

「見よ、わたしが大いなる苦しみにあったのは、わが幸福のためであった。あなたはわが命を引きとめて、滅びの穴をまぬかれさせられた。これは、あなたがわが罪をことごとく、あなたの後に捨てられたからである」と。(イザヤ書38章17節)

ところがこのヒゼキヤが病を癒された喜びで迂闊になったのでしょうか。当時はまだ小国でありましたがバビロンから来た見舞いを喜んで、倉に納めてあるものを全て見せたというのです。つまり国の内情を見せたということですが、何よりも自らの功績を誇るという、神さまへの信頼を忘れた愚行をしでかしてしまったのです。

これを「気のゆるみ」とか「軽率な行為」と言うのでしょうが、これが私たち人間の実相なのです。神さまに死の宣告をされたにも関わらず癒されたのに、後に迎えるバビロン捕囚という裁きを告げられたのです。

その時のヒゼキヤの言葉に驚きます。自分が生きている間が平和で安全ならば良いとは、かつて信仰をもって国を治めていたヒゼキヤの魂は完全に失ってしまっています。

まさに「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを救うであろう。」(ルカによる福音書9章24節」とイエスさまが言われたとおりです。

そして、ヒゼキヤの子マナセ(ユダ王国14代目)は、偶像礼拝を復活させ悪行を尽くし、その罪がユダ王国滅亡の原因となりました。

ヒゼキヤから多くの教訓を学び取りたいと思います。人生が順調な時ほど要注意なのです。驕りが人生を取り返しのつかないことにしてしまいます。神の言葉に従う時に祝福が伴うことを忘れてはなりません。

なお、エルサレムの城壁の中に造った地下水道(ヒゼキヤ・トンネル)は1880年に発見されました。今から2700年前にヒゼキヤがアッシリヤの脅威から水源を確保するために造ったものです。

posted by 優子 at 16:41| 家の教会 | 更新情報をチェックする