2018年04月22日

「家の教会」雑感

4-22-4.jpg今朝は町内会の集まりに、午後はユキが昨日に続いてサッカー教室のため、今日の礼拝は聖書輪読と祈り会で終わりました。

輪読箇所はルカによる福音書17章、知子とユキの3人でしたが、誘えば良輔も参加したと思います。同じ部屋に在席していました。

私はこの箇所から、私たちの信仰がからし種ほどに小さくても、本物の信仰ならば神さまの力が信仰を通して働くというメッセージを受け取りました。

4-22-5.jpg昨日は日本クリスチャン・ペンクラブ関西ブロック例会の帰りの電車でペン友と話していた時、統計によると信仰に導かれた人が生涯信仰を失わない人は4分の一だと聞き、なるほどなぁと考えさせられました。というのは信仰生涯を全うするということの重さ、恵みの大きさ、また、至難さを思うからです。

そのとき私は内村鑑三のこんな言葉をお話ししたことでした。

「私は少年のころ洗礼をうけクリスチャンになった。その時から今まで信仰生活を続けてきた。そして伝道するようになった。かえりみて、信仰的には一向進歩したとは思わないが、今まで信仰生活をやめなかったこと、伝道をやめなかったこと、それが感謝である」。

著名な神学者(旧約聖書学者)の故浅野順一牧師も語っています。
「私もそうだと思います。信仰者が曲がりなりにも生涯変わらず信仰の道を歩んでゆくのは、それは、たいへんなことだと思います」と。

4-22-3.jpg内村鑑三や浅野順一のようなりっぱな人物と自らを同列に並べて申すのは口幅ったいことですが、私もまた感謝するのです。

そして、「家の礼拝」を始めて1年ほど経った頃から強く感じますのは、聖書を読み、祈っている時に最も神さまが働かれるということです。

それに関連して、今冬高校時代のテキストの一冊だった浅野順一の『旧約聖書入門』を読み直していた時に、そのことを裏付けてくれるような内容が書かれていました。

★ 聖書はできるだけゆっくり、考え考え読むために音読するのもよかろうし、またできれば数人で輪読するのもよい。輪読から自分自身で会得するところは非常に大きいものがある。

★ 聖書の参考書ばかりを読んで聖書そのものを読まぬことは、聖書の勉強からいって外道ともいうべきものであろう。

★ 旧約のうち何か一書について注解を用いて丹念に勉強することも結構であるが、注解書にとらわれる必要はない。注解書は参考にしかすぎぬのであって聖書を読み、それを理解する者は自分自身だからである。

★ 聖書との関係は直接的でなくてはならず、説明つきでなければ、と言うのではだめです。(略) 牧師の説教や注解は参考にしか過ぎません。それ以上を注解や説教に期待しますと、期待されるほうで困ってしまいます。聖書は自分で読むべきであります。

★ 自分の理解や解釈をあまり主観的な勝手気ままなものにしないために、参考書を用いる程度に止めておけばよい。

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礼拝は抱えている問題を持ってままで神さまの御前で安らいで、日常のすべての事から解放されて神を讃美し、新たなる希望という力と導きをいただく時。礼拝は時間があるからするのではなく、時間を聖別して神にささげる時。

ユキは高学年になり思春期に入っていく年齢に達しましたので、人生とは何か、人は何のために生きるのか、また、生きる上で最も大切なものは何かを、イエスさまのみことばによって共に考えながら進めていきたいと思います。

4-22-1.jpgついでながら浅野順一は、エレミヤにおける「真実」の意味とは、単にまことであり正直だというばかりではなく、「現実に対して目を覆わないこと。現実がどんなに辛く、どんなに嫌であっても、それをはっきり見る正直さと勇気を失わないというものである」ということに深く頷かされました。


昨日の日本クリスチャン・ペンクラブ例会の学びで、大田正紀先生が語られた「証しとしての文学ー三浦綾子」の要諦は近々お分かちしたいと思います。

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附記:聖書輪読会のあと、夫と食料の買い出しに行き、ついでにデジタルカメラを買った。これまでの20倍ズームから40倍になり、遠くのオオバン(水鳥)もこんなに鮮明に写せて感激したが、大きさも重さも2倍になったのが難点。この画面の5枚は全て新機種で撮ったものである。

私がデジタルカメラを使い始めたのは遅く2009年春からである。1台目は2009年4月から5年間、2台目は20014年・ユキの幼稚園卒園式の時から4年間、今も利用しているが24000枚以上撮っているので今回のセールで買った。

午後3時過ぎ、義母の世話と町内会の用事を終えて、久しぶりに夫婦で歩いた。夫は昨日、岡寺の牡丹とシャクナゲが観たいからと独りで飛鳥へ出かけて石舞台も見学していた。

「独りで行って家族連れを見てさみしくなかった?」
 笑って頷く。
「家庭円満で独りだったらさみしくなくても、不和で独りは辛かったんとちがうん?」
 夫はやっぱり笑って首を横に振った。
「だからあかんねん。。。hopelessやなぁ」

posted by 優子 at 23:31| 家の教会 | 更新情報をチェックする