2018年05月06日

小豆島の旅 ー生きている限り人生途上、いかに生きるかー

E59D82E6898BE6B8AF.jpg4月28日(土)、三ノ宮(神戸)からジャンボフェリーで3時間半、小豆島・坂手港に到着。船内では富雄(奈良)在住の土庄(とのしょう)出身の83歳男性とずっと話していた。知子とユキはずっと屋上の甲板にいた。

共に坂手港からバスで土庄港へ。男性は終点の手前で下車された。私は何十年来の知人のようにすぐに親しく話していたので、もう会うことはないと思うとさみしくて心を強くして幸せを祈りつつ別れた。

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土庄港。この日は疲れたのですぐにホテルに迎えを頼んだ。
帰り30日はこの前のベンチで昼食を摂った。

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エンジェルロード。
1日2回、干潮時に陸地が現われる。
これは28日の夕方5時前、ホテルの部屋から撮った。

これを40倍でズームアップするとこんなによく見える。
すご〜い! カメラはかさ高く重いが値打ちがある。
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4月29日朝5時過ぎ。

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同日朝7時半。

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29日7時半頃、朝食を終えて庭へ出た。

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29日(日):朝9時からレンタカーでいざ出発! 
      最初に「銚子渓お猿の国」へ。

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この時期はベビーラッシュで4月に生まれた赤ちゃんがいっぱいいた。去年生まれた子猿は元気に駈けまわっていた。33年前に来た時は私の腰の高さまである大きな猿が多かったのに、猿の種類が違うのか親猿も一回り小さくなっていた。

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それでもたくさんのお猿に囲まれると怖くて、動けなくなって知子とユキにガードされて通り抜けた。

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ここは昔のままだった。アルバムを開くと1985年8月2日に来ていた。

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今から33年前だから、知子7歳、真智子5歳、私は34歳で良輔は39歳だった。

おてんば娘の真智が、「お猿が怖くて大きな声で泣いた。一人で歩けなくてぴったりひっついていた」とアルバムに記されていた。

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この時、私たちは結婚9年目にして初めての家族旅行だった。2泊3日の小豆島の旅、大阪港の弁天ふ頭から坂手港まで4時間半。子供たちにとっては船も初めてで、船内をウロウロして退屈することはなかった。

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銚子渓の「お猿の国」をあとにして次は寒霞渓(かんかけい)。
ここは国指定の名勝で日本三大渓谷美に選ばれている。
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陽ざしに輝く新緑のアーチをくぐりながら、
今回はロープウェイではなく自動車で頂上へ。

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これは寒霞渓にある総工費1億円のトイレ。
冷暖房完備で、BGMが流れ、公衆電話も設置されている。
自然光を取り入れた広く清潔な洗面所。

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元旦の朝、知子は誰も居ない寒霞渓で長時間立っていたため
内臓まで冷え切り、ここからユキに電話したという。

寒霞渓で昼食を摂り、オリーブ公園、オリーブ園(前ページに記載)、そして、オリーブビーチへ行った。

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4-29-18.jpgオリーブ公園でユキはオリーブソフトクリームを、私たちはコーヒーフロート。こういう類はいつもノツノツの私だがコーヒーもおいしく全部飲んだ。

母と子の記念写真を撮らないと!
オリーブ色を象徴する緑のポストの横でハイポーズ!

そして、後ろに見えるオリーブビーチに向かった。この日は肌寒く風も強かったのに何人かの子どもたちが泳いでいた。

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ユキは半パンに履き替えて遊ぶが、兄弟がいないとさみしい。
誰もいない元旦の海、ここでも知子は長い時間海を見ていたという。

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干潮時刻に合わせてエンジェルロードへ行くと、
こんなに陸地が広がっていた。
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IMG_6397.jpgこれは昨年7月14日夕方4時のエンジェルロード。(過去ログ2017年7月17日に掲載)






4月29日、夕方4時45分頃。島のぐるりを回った。
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ヒトデやカニ、ヤドカリがいたね。

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地元の人は潮が引くとアサリを採りにくる。


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ホテルにチェックインする前に戻ってもらって
世界一狭い土渕海峡へ。

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行きのフェリーでご一緒だったMr.サカイさんは、子ども時代にこの海峡で泳いでいた。小豆島へ帰るたびに景色が変わっていったと嘆いてもおられた。
「昔の良さは無くなった。バージンロードか何か知らんけど(いえ、エンジェルロードですが)何でも観光地にしてしまいよる」と。

小豆島の中心地は土庄(とのしょう)だが、土庄港は海が浅いのでジャンボフェリーは坂手港に着く。地元の人の話は興味深い。私たちは「小豆島」を平坦に読むが、サカイさんは「小豆島」の「しょう」にアクセントをつけて言われたので私もそのように読むことにした。それぞれの土地の言葉、イントネーションを大切にしたいから。

奥様が昨年2月に脳梗塞になって帰省するのは2年ぶりだという。いつも二人で来ていたが・・と寂しそうに言われた。

「藤本さんと一緒でよかったですわ。ひとりやと気持ちが暗くなってしまうから。帰ったらまた介護の日々やから数日間だけでも気分転換しようと思います」。

別れ際に仰った言葉が耳に残っている。
これからも元気づけてあげたい、何かお役に立ちたいと思ったが、行きずりの人として別れようと心に決めた。親しくなると悲しみも増える。サカイさんは83歳、私だってもう66歳、40代の頃のように人間関係を豊かに築き上げていかないほうがいい・・・そのように自分に言って聞かせて別れた。
記録しながら生起してきた自らの思いを
次の「小豆島譚」に続けたい。
posted by 優子 at 21:40| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする