2018年05月22日

みことばの花束@

IMG_0685.jpg「主よ。あなたのみわざはなんと多いことでしょう。あなたは、それらをみな、知恵をもって造っておられます。地はあなたの造られたもので満ちています」。(詩篇104篇24節)

分子と分子がぶつかって偶然にできた機械仕掛けの宇宙に生きるか、主が創造された慈しみの世界で暮らすか、選択によって全く異なる人生となります。私たちは、大空と大地の間に現わされた主の愛と知恵を、今日も喜び味わい、楽しみ歌います。

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「神は、平和を得させようとしてあなたがたを召されたのです」。(第一コリント 7章15節)

人生の目的や倫理・価値観が異なる人と、生活や仕事を共にするのは大変です。衝突が避け得ず、相手が離れていくなら、一旦、離れさせなさい、とパウロは教えます。感情の渦巻く中で正しい判断をするのは至難です。相手を変えようとすれば関係を悪化させるだけです。自分が平和を維持しなければ、相手との関係再建の道は開かれません。

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「主は、彼らのために、ご自分の契約を思い起こし、豊かな恵みゆえに、彼らを憐まれた」。(詩篇106篇45節)

私たちはキリストを信じることで新しい契約に入り、神の国(永遠のいのち)の祝福を保証されています。聖書を学ぶとは、主との契約内容を知ることでもあります。その内容を具体的に知らなければ、「契約を思い起こしてください」と主に嘆願することができません。主の方は、豊かな恵みを用意しておられます。

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「世の富を用いる者は用いすぎないようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです」。(第一コリント 7章31節)

お金も、知識も、良い評判も増え始めると楽しくなります。しかし、増えても飢えるばかりです。狐が細い体で狭い垣根からブドウ畑に入り、たらふく食べて太り、また数日体をやせ細らせて隙間から外に出た、という話と同じようになります。世の富や知識は、それを用いて永遠に価値あるものを残すためにあります。

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柿の花

「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます」。
              (第一コリント8章1節)

神を認めない知識は人を傲慢にし、神に信頼する知識は謙遜にします。愛のない知識は破壊と虚無に導きます。お金も知識も能力も、愛が動機になってはじめて、人の徳を高め、希望の言葉を生み出します。知識や能力の量で人に負けてもいいのです。それが人を高ぶらせるなら、ない方がいいのです。主にも人にも喜ばれるのは、愛する心と謙遜な態度です。

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ナンキンハゼの若葉

「人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです」。(第一コリント8章2・3節)

神に愛され、神を愛し、神に知られている、それで心は十分満ち足りている。これが真の知識です。この知識以外に、世の知識がいくらあっても、何も知らないに等しいのです。世の知識ではたましいは救えないからです。

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大きなクスノキ

「幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。主はわざわいの日にその人を助け出される」。(詩篇41篇1節)

自己中心で不義不正を働く人間がはびこる社会でも、それなりに持ちこたえているのはなぜか。それは、損得勘定を度外視し、自己犠牲をいとわない人たちも多数いるからです。社会を陰で支える役割を誇りとしましょう。見返りを忘れた人助け、お返しが期待できない人への援助は、主に覚えられています。

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「主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです」。(詩篇39篇7節)
主は、主を待ち望む者を恵もうと、待っておられます(イザ30:18)。主を待ち望むとは、主の教えを口ずさみ、賛美し、思い煩わずに祈ることです。御言葉を学ばないことは自分の知恵と力に頼ること、祈らないことは主の恵みは不要という意思表示です。しかし、主を待ち望む者は聖霊の力を受け、自分を超えることができます。

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 ―キリストの栄光教会より―
posted by 優子 at 23:10| 随想 | 更新情報をチェックする