2018年05月20日

ブルンナー読書会㉑ −神の契約(スイス連邦同盟へのチューリヒ加入600年記念)−

今月も昨日の午後、下村喜八師をお迎えして「ブルンナー読書会」を開催できたことを感謝しつつ記録しておきたい。

IMG_0707.jpg今回はエーミル・ブルンナー著、下村喜八訳『フラウミュンスター説教集T』の10回目、説教のタイトルは「神の契約(スイス連邦同盟へのチューリヒ加入600年記念)」。
出席者:all member.
開会礼拝:讃美歌90番「ここも神のみくになれば」(知子奏楽)、聖書朗読とお祈り(下村喜八師)。
今回から学びの最後に一人ずつ祈りをもって終わる。

エレミヤ書31章31節〜34節:
31:31 主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。
31:32 この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとってエジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。わたしは彼らの夫であったのだが、彼らはそのわたしの契約を破ったと主は言われる。

31:33 しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。

31:34 人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」。

下村師のお話より:

この説教は1951年に語られたものである。今回は二つの契約について学び、二つの契約に似た人間の政治の形でスイス同盟があり、それとの関わりの中で神の契約のことが語られている。

スイス連邦同盟とは、「1291年8月1日、中央スイスのウーリ、シュウィーツ、ニートワルデンの3地域が「同盟」を結び、それぞれの地域の自由と自治を守るために相互の援助を誓い合った。これを中核として次第にスイス連邦が形成されてゆく。チューリヒがこの同盟に加わったのは、1351年のことである」。

スイス連邦同盟とは、ハプスグルク家の支配にあった時、外からの権力に抵抗して3つの州が同盟を結び自治を手に入れた。自立心が強く、圧制に対して自治を求める気運があった。その後ハプスブルク家との戦いに勝つ。現在は23州。政治の連邦体制を執る。シラーが戯曲『ヴィルヘルム・テル』を書いたのも同盟ができた頃である。

images.jpg※スイス独立のきっかけとなったヴィルヘルム・テルは、他民族の支配を拒否し、悪代官の帽子に頭を下げなかったために逮捕された。テルの息子の頭の上に置いた林檎を見事に射抜く事ができれば許すと言われ、見事に林檎を射抜いた話。ロッシーニの『ウィリアム・テル(英語名)』の序曲もあまりにも有名だ。

スイスの連帯と秩序の特殊性は、まさに、それが同盟(契約)であり、相互の自由な結合である。かつて神がシナイ山でご自身の民を選び、ご自身の啓示の形式として同盟締結という形式を選ばれた。同盟(契約)において常に決定的に重要なことは相互性である。これこそが神の啓示がもつ法外さ。

聖書における契約は、神と人間との相互関係の契約である。

「それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。 あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう』。これがあなたのイスラエルの人々に語るべき言葉である」。

それでモーセは行って民の長老たちを呼び、主が命じられたこれらの言葉を、すべてその前に述べたので、 民はみな共に答えて言った、「われわれは主が言われたことを、みな行います」。モーセは民の言葉を主に告げた。(出エジプト記19章5〜8節)

「それゆえ、あなた(ユダヤの民)は、きょう知って、心にとめなければならない。上は天、下は地において、主こそ神にいまし、ほかに神のないことを。 あなたは、きょう、わたしが命じる主の定めと命令とを守らなければならない。そうすれば、あなたとあなたの後の子孫はさいわいを得、あなたの神、主が永久にあなたに賜わる地において、長く命を保つことができるであろう」。 (申命記4章39・40節)さらに、申命記6章21〜25節参照。

古い契約は、戒め。律法を守ることが契約の条件で、幸いを得るための条件となる。歴史書のヨシュア記から列王記はカナンの地におけるイスラエルの歴史を契約違反として描き出す。(ヨシュア記23章16節、士師記2章20節、列王記下13章18節参照)

神による契約破棄は神関係の断絶をもたらす。神の秩序とこの世の秩序は関係しているというのがブルンナーの立場である。

神がご自身の言葉によって人間から自由な応答を、そして、ご自身の忠誠によって人間からそれにふさわしい忠誠を引き出そうとされる関係である。

神は人間を、意のままに動かす客体としてではなく主体として、物としてではなく、神によって語りかけられると同時に神に語りかけなければならない人格として取り扱われる。

「客体として」とは機械のようなもの、奴隷や道具のように人間が思いのまま動かせるものであり、「主体として」とは自由意思をもつものであり自由と責任が伴う。

この関係の中で人間の応答責任(Ver-antworlichkeit:フェア‐アントヴォルトウング)が生じ、神は人間を同盟のパートナーにしようとされる。このことにおいて、神は人間に応答責任と同時に自由をも与えられる。

イエス・キリストの血と肉による契約。十字架の契約。イエスの十字架の死は、この新しい契約を成就するための犠牲の死を意味する。旧い契約の条件は律法を守ること。新しい契約の条件は神の愛を受け取ること(それ以上の条件は全くない)。

聖書にある神と人間との間の契約関係という概念(あるいは思想)に初めて注目したのは宗教改革時代のチューリヒの神学者たちであるとされる。

契約の神学は後に改革派の神学者によって継承され、16、17世紀のイギリスのピューリタンたちによって展開されていった。ブルンナーもこの神学を受け継いでいる。彼の神学の核は「出会いとしての真理」であり、思索の神学ではなく、宣教の神学で、人間の自由と応答責任を強調する。

IMG_0677.jpgイエス・キリストに対するバルトの問いが、「このような恵みをもって私を救ってくださるあなたは誰ですか」であるとすれば、ブルンナーの問いは、「主よ、あなたはどこへ行かれるのですか」である。(大木英夫『ブルンナー』30頁)

ゆえに、ブルンナーは日本のような極東まで宣教に来られたのである。

預言者エレミヤの約束の言葉(前掲)は、二つの契約を対照させている。一つは、エジプトの奴隷の家から導き出した民と結ばれたシナイの契約であり、もう一つは、神が「彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」贖罪の契約を語ることだった。

この新しい契約の本質は、罪の赦し、贖罪の契約、神の賜物としての恵みの契約という点にある。われわれは、死によって神との和解をもたらされた救い主への信仰をとおして、この契約の中で生きている。

われわれには新しい契約という土台に立ち、神のひとり子をとおして心から父なる神の名を呼び、神の子として彼に語りかけることが許されている。

神の赦しの慈しみによって生かされているゆえに自分自身も慈しみ深い人間になる、またイエス・キリストをとおして神の愛を豊かに経験したゆえに自分自身も受けた愛をさらに隣人に手渡す−そのような意味において、われわれは証人なのです。

人間の法律も神の律法と関わっており、神の支配は神の独裁ではないというのがブルンナーの立場である。人間の応答責任がある。

いつの日か地上の世界に別れを告げて神の面前に歩み出さねばならない時が来た時、そこで通用する別のパスポートは、彼の血で署名され、彼の復活で押印された契約証書があるからこそ安心して死ぬことができます。

しかし重要なのは良く死ぬことではなく、良く生きることです。なぜならイエス・キリストを信じる信仰は、われわれを来世において初めて神のものとするのではなく、すでにこの世において神のものとするからです。

「だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである」(ロマ14・8)。われわれは、イエスに属する者として死ぬことができるように、イエスに属する者として生きようではありませんか。アーメン。


IMG_0710.jpg今回の学びをとおして改めて「契約」には重い責任があるということを強く感じ、学校や職場など社会生活はもとより、家庭においても然り。他者との信頼は相互関係によって成り立つものであるということを考えさせられた。

「鼠のシッポ切りの実験」について。

ヴァイスマンはネズミの尻尾を20世代以上(?)にわたって切り続け、右回りに回らせ続ける実験をしたところ、尻尾を切られたネズミの親から短い尻尾を持つ子供は生まれなかった。しかし右回りに回ったことから、形態は遺伝しないが学習は遺伝するという結果を得た」という話をお聴きして、自分自身の生き方がいかに大切であるかを思った。

IMG_0692.jpg次回は、6月23日(土)午後。

聖書朗読、祈り、内容の要約や考察など発表当番は優子。
posted by 優子 at 21:25| ブルンナー読書会 | 更新情報をチェックする