2018年06月21日

「柴田錬三郎『眠狂四郎』と遠藤周作『沈黙』−切支丹物をめぐる二人の交流を中心として」 −日本クリスチャンペンクラブ関西ブロック例会 後編−

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これは6月16日に梅花女子大学茨木ガーデンキャンパスの礼拝堂で講演された概要です。
この2日後の朝に大阪北部地震が起こり、茨木市や高槻市周辺で大きな被害が出ています。


お見舞いメールの返信に「メメントモリ」(死を忘れるな」の言葉を書いてくださった友がおられました。私たちもいつなんどきやってくるかもわからない死を覚え、それゆえに主を覚えて(メメントドミニ)、時を無駄にしないで歩んでいきたいと思います。

遠藤周作の作品は隠れキリシタンに関するものが非常に多い。歴史を辿っていくと明治の初めから島原の乱や細川ガラシャをテーマにしたものがあり、近代文学におけるキリシタン物ということに大きな意味がある。

『沈黙』は、刊行50年を過ぎてなお問題作として私たちに人生や信仰について問いかける作品である。

クリスチャンでなくてもキリスト教に興味を持ち聖書を読むなど、それらが作品に書いてあればキリスト教文学と呼べるのではないか。大衆文学の国民的作家である柴田錬三郎は剣豪小説の一大ブームを起こした。一方、遠藤周作は純文学であり歴史小説で、『沈黙』に関する本は380本ほどある。

6-16-4.jpg2人は慶応大学の先輩後輩で深い繋がりがある。キリシタンへの関心を見ていくともっと深い繋がりがあり、二作品の関係性を話したい。

眠狂四郎は「転び伴天連」(背教した外国宣教師)の子どもであり、ここに背教の問題がある。背教したバテレンが、自分を背教させた大目付の娘を犯し、その子どもが眠狂四郎である。転んで転んだだけではなく悪魔を崇拝し、母の敵として実の父を殺してしまうという宿命で、孤独なはぐれ狼として生涯を送る。

柴田錬三郎のキリスト関係の作品は、『他人の図』『デスマスク』『イエスの裔』『カステラ東安』『眠狂四郎無頼控』ほか多数ある。いずれもキリスト教徒を否定的に描かれているが、信仰とは何かを考えさせられる。

「私は、聖書を読んでいるが、カソリック信者ではない」。(柴田錬三郎『嘘つきが真実を語る』・中央公論・1974年8月号)

「私は、私が先輩にむかってのぞんだ如く、如何なる稚拙な原稿に対しても、それが文学に志す熱意に燃えているものならば、襟を正して拝見する」。(柴田錬三郎「編輯後記」・三田文学・1946年8月号)

柴田錬三郎と遠藤の出会いは1946(昭和21)年頃である。親交の始まりは1949年頃で、遠藤が「三田文学」の同人となり、柴田の家に足しげく通うようになる。柴田に文章作法を教わり添削をしてもらっている。遠藤は柴田を「何でも話のできる兄貴のような存在である」と述べている。

三田文学や慶応との繋がりは大きい。『沈黙』は遠藤が『眠狂四郎』に触発されたこともある。遠藤がキリシタンに関心を持つようになったのはフランス(リヨン)に留学してからである。敗戦国の人間としてフランスで苦労した。留学先でキリスト教の光の歴史と違う闇の歴史を学び関心を持った。

ヨーロッパに留学した日本人のルーツを辿って行くとキリシタンに辿りつく。1582年(天正10年)の天正遣欧少年使節のトマス荒木は棄教したために教会史からも汚点として抹殺されている。

「信徒だけではなく、宣教師や司祭のような人たちの中にも、取り調べの最中に棄教した者がいた。外人宣教師のジュゼッペ・キャラ(『沈黙』のロドリゴのモデル)やフェレイラや荒木トマスのような人物がそうである。キャラやフェレイラは、転んだあとは岡本三右衛門とか沢野忠庵という日本名をつけさせられ役人たちの手先にされている。

日本人の女を妻にもち子供まで生んだその人たちのことを教会側の研究では僅かしかふれていないが、その僅かな解説にも伝道史の汚点であり裏切者だという烈しい非難の言葉が使われていた」。
     (「留学」/「群像」、1965年3月)

『沈黙』は、1633年頃にフェレイラ神父の背教から始まっているが、そのあとは歴史資料の中から取りだして創作したフィクションである。

『切支丹屋敷役人日記』に「棄教したが信仰を持っていた」とある。『江戸切支丹屋敷の史蹟』を読むと、表向きは信仰を捨てているが信仰を諦めなかった人々の歴史が書かれている。

教会史からは消えているが、遠藤はそこから呼び起こして書いている。切支丹屋敷は重要な舞台となる。井上筑後の守の切支丹屋敷としていた。

宣教師がワインを飲んでいるのを血を飲んでいると言われたり、眼鏡をかけた宣教師は4つの目があるとされたり、切支丹に対するイメージは怖いものがあり、「八兵衛の夜泣き石」や「朝妻桜」など伝説がある。

近代文学の中に切支丹屋敷や切支丹坂が怖い場所や不思議な場所として出てくる。(夏目漱石『琴のそら音』、田山花袋『蒲団』、永井荷風『日和下駄 一名 東京散策記』)

『切支丹屋敷 / 切支丹坂』などもキリシタン文学やキリシタン物として読むことができるのではないか。

『沈黙』の最終章「切支丹屋敷役人日記」は難解さの故に読者を阻んできた感があるが、『江戸切支丹屋敷の史蹟』を間に挟む時、踏み絵を踏んだけれど信仰を捨てていなかった事実が浮かび上がり、そこで終わりではないという踏み絵後の三右衛門やキチジローの姿が見えてくる。そのドラマを遠藤は読み取ってほしかったのであろう。

柴田錬三郎が『眠狂四郎』を描いたことも遠藤に大きな影響を与え、「三田文学」が遠藤を作家にする大きな役割を果たしたと言えるだろう。伴天連や黒ミサを取り上げ、信仰とは何かを問いかけている。

※「黒ミサ」とはカトリック教会のミサと正反対のことを行う、神を冒涜することを旨とした儀式のこと。

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6月22日朝追記:
サムサムさんよりコメント感謝!

受洗前の事ですが、もし踏み絵を押し付けられたとしたらどうしょう? と、真剣に考えた事があります。
そして、踏み絵の「絵」は、「仏像」と同じで、人間がつくった偶像に過ぎないのだから、「踏め」といわれたら、恐れず踏めばよい。「隠れキリシタン」と言われようが、信仰さえ失わなければよいのだと、自分自身に言い聞かせ、納得した時のことを思い出しながら「柴田錬三郎『眠狂四郎』と遠藤周作『沈黙』」を読ませていただきました。
私も全く同じ考えです。
それだけではなく踏み絵の延長線上にある究極の恐怖。10年前の過去ログでも述懐した悲劇の歴史に記録されている「白バラ運動」の人たちのことを思います。彼らの強さは聖霊によるのであり、強い信仰者を聖霊がそのように導かれるのだと思いいます。

「おおゾフィー、あなたはまだ知らないのだ、人間がどれほど臆病な家畜であるかを」。「私は時計を回転させたい、早くいっそう早く。あなたがたが苦しみのきわみをのりこえてしまうように」とゾフィーとハンスの母。

「ねえ、ゾフィー、イエスさまのことを(忘れないで)ね」。
「ええ、しかしお母さんもね」。

第2次世界大戦中のドイツで、ミュンヘンの大学生であったハンス・ショルと妹のゾフィー・ショルを中心に、非暴力主義でナチスに抵抗した彼らは、ゲシュタポにより逮捕されてギロチンで処刑されたのです。

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posted by 優子 at 13:13| JCP関係 | 更新情報をチェックする