2018年08月05日

みことばの花束C

「苦しみに会ったことは、私にとって幸せでした。私はそれであなたの掟を学びました」。(詩篇119篇71節)

いま恵まれた環境にいるなら、その良い条件を最大限に生かすべきです。怠惰に過ごせば、最良の時はすぐに過ぎ去ります。いま逆境にいるなら、新たな信仰の世界を開くべき時です。苦境から安易に逃げず、主に信頼するなら、苦しみが祝福を残します。いずれの場合も、主は幸いを用意されています。

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「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」。(詩篇119篇105節)

恐れは心を闇で閉ざします。闇で将来が見えなくなっても、不安に動かされてはなりません。不安で動けば道を踏み外します。主が「今日の一歩」を照らし出してくださいます。その一歩を確実に踏み出せばいいのです。そうすれば、「明日の三歩」「明後日の五歩」が照らされます。主の教えにとどまれば、迷い出ることはありません。

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「私は、滅びる羊のように、迷い出ました。どうかあなたのしもべを捜し求めてください。私はあなたの仰せを忘れません」。(詩篇119篇176節)

迷い出た羊が助かる方法は、野獣の餌食となる前に、羊飼いに見つけてもらうことです。そのためには、鳴いて居場所を知らせなければなりません。羊は近眼で遠くが見えず、自力で助かろうとすれば、かえって迷い込むだけです。主に向かって叫び続けるほかないのです。

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「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です」。(第一コリント13章13節)

あなたから、能力や健康や地位や家族や財産が取り去られたら、何が残りますか。もし怒り、絶望、憎しみしか残らないとしたら、悲しいことです。でも、クリスチャンには、信仰と希望と愛が残ります。すべてを失くしても、愛はあなたを建て直します。それゆえ主は言われます。「この愛にとどまりなさい」。

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「私たちは仕掛けられた罠から鳥のように助け出された。罠は破られ、私たちは助け出された。私たちの助けは、天地を造られた主の御名にある」。(詩篇124篇7・8節)

「主が私たちの味方でなかったなら」(1節)、罠にはまり、悪の餌食になっていたでしょう。世の罠に捕らまったときジタバタすれば、かえって雁字がらめになります。主が味方であると確信し、落ち着きを取り戻しましょう。主の助けの手が見えてきます。

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「主よ。善良な人々や心の直ぐな人々に、慈しみを施してください」。(詩篇125篇4節)

罪の力が支配する世にあっては、善行や正直が報われない理不尽なことが起こります。だからこそ、主の慈しみが施されるように祈るのです。不正や自己中心が、社会を崩壊の危機に陥れています。私たちは、善良と正直な生き方が祝福と平和をもたらすことを証明し、危機にある社会を修復します。それが私たちの務めです。

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「兄弟たち。物の考え方において子どもであってはなりません。悪事においては幼子でありなさい。しかし考え方においてはおとなになりなさい」。(第一コリント14章20節)

自己中心や自己顕示は子供の特徴です。ただ、幼児は「赤信号」(悪事)を渡りません。大人のクリスチャンなら、いつも堂々と「青信号」(正しい道)を渡ります。また、何が人を生かし、どうすれば社会の祝福になるかを、主の愛を基準にして考えます。

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「ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行いなさい」。(第一コリント1章40節)

自我さえ出なければ、自ずから秩序は整っていきます。しかし、私たちには人を自分と同じようにさせたい、人を支配したいという思いがあります。この支配欲を封じ、へりくだることさえできれば、たいていの人とは平和に暮らせるのです。支配欲の強い人に対しても、「自分に関する限り」(ローマ12:18)、へりくだりを戦略にしましょう。

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「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。・・あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる」。(詩篇127篇1・2節)

主が喜ばれないことに時間と労力を注いでも、無意味です。主が良しとされることに、心と力を集中するなら、主があなたの力量以上のことを成し遂げてくださいます。

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「幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は。あなたは、自分の手の勤労の実を食べるとき、幸福で、幸せであろう」。(詩篇128篇1・2節)

主の道を歩む人は、苦難の中にも喜びを予感しています。たとえ道を踏み外しても、そのつど悔い改め、主の道に復帰して歩み続けます。そうして歩み通した達成感は格別です。その時いただく「勤労の実」を味わったら、主を畏れることが、この上ない喜びとなります。
(以上、キリストの栄光教会より)

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posted by 優子 at 22:05| 随想 | 更新情報をチェックする