2018年08月26日

ブルンナー読書会㉔ −主はわれらの避け所−

IMG_1843.jpgこれは8月18日(土)の記録である。
テキストは、エーミル・ブルンナー著、下村喜八訳『フラウミュンスター説教集T』の13回目、説教のタイトルは「主はわれらの避け所」。

出席者:all member.
開会礼拝:讃美歌239番「さまよう人々」(奏楽:知子)、聖書朗読とお祈り(下村さん)。
★この日、ユキは3時からサッカー教室のため、2時20分に中座する。

詩篇90篇1節〜4節:(モーセの祈り)
90:1 主よ、あなたは世々われらのすみかで
いらせられる。
90:2 山がまだ生れず、
あなたがまだ地と世界とを造られなかったとき、
とこしえからとこしえまで、
あなたは神でいらせられる。
90:3 あなたは人をちりに帰らせて言われます、
「人の子よ、帰れ」と。
90:4 あなたの目の前には千年も
過ぎ去ればきのうのごとく、
夜の間のひと時のようです。

良輔の感想:
「避け所」とはどういう所かわからない。神に語りかけることができないのはなぜか。そうなるためには信仰を養わないとダメなのか。

「神に語りかける助けになるのは特に詩篇がよいでしょう。信仰があっても神に語りかけるのが難しい時もある」said Mr.shimomura.

優子の感想:
ギリシャ語では「時」を「クロノス( 時間)」と「カイロス( 時刻 )」の二つの概念があり、クロノスを直線で表すならば、そこに垂直線を引いて交差するところが「一瞬の時」で、一瞬ひらめいてたちまち消える。それがカイロスという考え方だが、カイロスは人生の意味と目的を考えながら生きている者だけが経験することのできるハプニングの瞬間である。

「神は永遠の現在である」ということを頭で理解するだけではなく実感できたように思う。イエスと出会った者は、生きる意味と目的を与えられてカイロスの日々を生かされて、神と共に永遠の現在を生きているのであり、そのことを忘れてはならないと思った。

下村師のお話しよりメモ:
丸山眞男は「日本の精神風土は超越を知らない」と言い、加藤周一も肯定しているので正しいのだと思う。日本人にとっては何でも神になり、心と心の繋がりがあると考える(アニミズム)。日本人にとって歴史は「なりゆく」ものであり、ヨーロッパ人にとっては「神と共に作っていく」ものである。

日本人は神の前に立つことがないから個人を確立することができない。キリスト教を得たから超越を獲得できるのかと言えばそうはいかないが、神を仰ぐ手立てが与えられている。

米大統領選で勝利したトランプ氏にアンゲラ・メルケル首相は、「民主主義、自由、法の尊重。出自や肌の色、宗教、性別、性的指向、政治的信条を問わないあらゆる人間の尊厳を否定しない限り、緊密な協力を申し出ます」というメッセージを述べた。安倍首相とは対照的だ。

ルターは二つの絶望を語っている。
@ 神に対する絶望。
  これは神との関わりを断つことだから人間に破滅をもたらす。
A 自分の能力に対する絶望。
  これは救いをもたらす。なぜならば信仰によってのみ赦され義とされる。

ブルンナーはこれらを明解に分けて語っているが、シュナイダーは神に対する絶望を自分も共に苦しむのである。

長い物には巻かれるという事大主義。神の前に立つ個(人格)が確立していないと、権威やドグマに身を委ねて全体主義になる。

★ 避け所とは安息の場所です。神を見出したがゆえに避け所を見出した人間は・・・足下に確固たる土台を持っている・・・。彼はその足を永遠の基盤の上に置いています。

★ 神に呼びかけることのできる人は、・・・いかなる壊滅によっても損なわれない不滅のものを所有しています。真に神に在るかぎり、真にこの永遠の基盤の上に立つかぎり、人間は神に在って安全です

★ 地球もかつて何十億年前、おそらく40億年前にできたものです。しかし神のみは初めをもちません。神は初めをもつあらゆるものに先立って存在しています。

「創世記」第1章の創造物語は、このわれわれの世界に属するすべてのものは神によって創造されたというただ一事を告げてようとしているにすぎません。(ブルンナーは、アダムとイブの話は神話と考える)

★ 神との関係をもつようになること、これが信仰です。そして信仰の最初にして最後の呼吸は祈りです

★あなたが悩みの中にあって祈る時、信仰においてあなた自身を永遠の神のもとにまで引き上げる時には、あなたの悩みに何らかの変化が現われます。また、あの幸福の日の中にも何らかの変化が生じます。

あなたの苦痛の夜に、永遠の安息と浄福の光が射し込みます。あなたの幸福の日の中に永遠の厳粛さの光が射し込みます。あなたはもはや、単にあなたの時間に引き渡されているにすぎない存在ではなくなります。

あなたはひそかに神の永遠にあずかります。神の賜物として、我知らず神の永遠にあずかります。その時あなたは、あなたの悩みがいつの日か神の浄福の中で解消されるであろうことを知ります。またその時あなたは、この世の幸福があなたの人生の窮極の目的と意味ではないことを悟ります

★ われわれは、神を知らない人たちが考えているように救いもなくただ死に向かって歩いているのではありません。われわれは「わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる」(ヨハネ11・25)というイエスの言葉を知っています。

われわれにとっては、この時間の世界で生起する出来事の中には、真に恐れるに値するものは存在しないのです。われわれは、この新しい年が何をもたらすかを知りません。しかしそれが何をもたらそうとも、われわれはただ一つのことを知っています。それは、「われわれは死に向かって歩いているのではなく、生命に向かって歩いている」ということです。アーメン!
このあと、知子はトルストイ晩年の著『懺悔』を引用して、3時過ぎから30分間に及ぶ感想を述べた。鋭い感性に驚かされた。

この日はいつもよりも30分遅く4時半に閉会した。
次回は、9月22日(土)、聖書朗読とお祈り(優子)。テキスト箇所は「聖餐の意義」。

附記:これは今朝のサッカー教室より。
   「今日は2点入れた!」と喜びの報告あり。
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posted by 優子 at 15:21| ブルンナー読書会 | 更新情報をチェックする