2018年09月23日

三浦綾子『泥流地帯』 義(ただ)しい者の苦難を誰が贖ってくれるのか ―日本クリスチャンペンクラブ関西ブロック例会―

IMG_0784.jpgこれは9月15日(土)午後1時〜5時、大津教会で開催された日本クリスチャンペンクラブ関西ブロック例会で、私たちの導き手である大田正紀先生が講演された概要である。

作品の舞台、北海道・富良野(アイヌ語でフラヌイ)は、倉本聰の『北の国』から一躍有名になった。

倉本の両親は熱心なクリスチャンで、聰に洗礼を授けている。聰は自覚的な信仰ではないが背信的な物語は書かず、作品には人間の愛や夢をモチーフにキリスト教の愛と生命観が脈打っている。

富良野地方の開拓の始まりは、明治30年の三重団体とされる。三重団体は禁止禁煙で純潔と勤労をモットーに開墾した。1926(大正15)年、十勝岳の大爆発によって発生した泥流は開拓農民たちの村をも飲みこんだ。死者・行方不明は137名。

北海道に入植し、30年かかって耕してきたものが一瞬のうちに流されてしまった。『泥流地帯』は散らされた神の民の物語である。登場人物は、石村市三郎・キワの老夫婦、その長男義平と妻佐枝の間には、富、拓一、耕作、良子がいた。

作品のモデルは三浦光世の艱難辛苦の少年期で、作品のテーマは「ヨブ記」(義人の苦しみ)であり、拓一と耕作の兄弟を中心に展開していく。市三郎は、孔子、釈迦、キリストなどに造詣深く、人間らしく生きることを真実に求め、入植前の福島にいた頃、教会に通い聖書を読んでいた。

人を身分や金のありなしで分け隔てせず、「目に見えるものが問題じゃねえ。目に見えないものが大切じゃ」や「寝ていて人を起こすなかれ」が口癖だったこと。また、「百姓」とはいわず「農民」と呼び、人権を重んじ矜持を持っていた。拓一に人間としての中心的なものを教えていた。

市三郎・キワ夫婦、良子(孫)は泥流に流された。拓一は止める耕作を振り切って「耕作、お前はかあちゃんに孝行せ!」と叫んで、救助のために泥流に身を投じたが、大木にぶつかり奇跡的に生きていた。
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耕作は拓一に問う。

「なあ、兄ちゃん。まじめに生きている者が、どうしてひどい目にあって死ぬんだべ」
「わからんな、おれにも」
「こんなむごたらしい死に方をするなんて……まじめに生きていても、馬鹿臭いようなもんだな」
「……そうか、馬鹿臭いか」
「おれはな耕作、あのまま泥流の中でおれが死んだとしても、馬鹿臭かったとは思わんぞ。もう一度生まれ変わったとしても、おれはやっぱりまじめに生きるつもりだぞ」

その後、石村家は敢えて最も被害の大きかった場所に留まり、林を倒して水田を復興させていく。(『続泥流地帯』)

ところが、被害を受けていないにも関わらず復興反対派が現われて金儲けをする。村の人を二分されて困難を極めるが、吉田貞次郎村長(元は近江商人)を中心に復興に尽力し、8年を要してかつてのように収穫できるようになった。
(吉田村長については、ネット上に公開されている「上富良野町郷土をさぐる会」発行の「郷土をさぐる会」に詳しい。)

三浦綾子は、人生とはこのような理不尽としか思えないこともあるんだと思って書いたのであろう。それは罰を受けての苦しみではなく、神さまはその人を善き者に変えようとして試練を与えられるのだから、負けないで生きてくださいと伝えたいのだろう。

神の御心が叶えられた世界で、摂理の中でいろいろなものが生み出されている。人生の中の試練には意味がある。

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posted by 優子 at 21:34| JCP関係 | 更新情報をチェックする