2017年07月20日

証し人・日野原重明さんの生涯

IMG_6580.jpg「彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく」。
(ヨハネ黙示録
     14章13節)

7月18日、日野原重明さんがとうとう神のみもとに帰られた。105歳だった。
日本の医学界に多大なる貢献され、全ての領域に計り知れぬ影響を及ぼされたご生涯であった。

メディアでは日野原さんが生涯現役であったことや、延命や緩和医療について、またいかにして長寿にあやかるかなどの視点で取り上げられているばかりで、日野原さんを生かした根幹に全く触れていないのは残念だ。

ただ立派な人物だったと言うだけではなく、何がそのような生き方を可能にさせたのかという内実を知りたいというアプローチがない。そこに私は人間の本質に目を向けない日本人の在り方が如実に表れていると感じる。

視線をそらすというのではなく、関心がないから気づいていないのか。いや、気づいているからこそ無意識の内に本能的にそらしてしまうのか。
日野原さんはクリスチャンの両親(父は牧師)に育てられ、父の影響を受けて7歳で洗礼を受けた。

私が日野原さんの本を初めて読んだのは1988年4月(『人生の四季に生きる』)、今から29年前、36歳の時だった。

30代と言えば地に足つけて社会的な経験も重ねながら人格形成が完了される年代である。私はなかなか実践が伴わない者であるが、考え方において大きな影響を与えられた一人である。

以来、日野原さんの本も数多く読みながら、自らの老年期を待たずして神さまが「老い」と「死」について考え始めさせてくださったことを感謝してい

そのことは即ち、それまで以上に真剣に人生の意味を考え始めたということであり、クリスチャンの生涯に入れられてまもなくの時であり、一字一句すべて精神の髄にまで浸透していった。

それでもやはり30〜40代の頃は、テレビでそれらの特集を観ていてもまだまだ先のことと思っていたことが、今になってよくわかる。

そのうち母が難病を負い、弱って行く母を看ながら母の死について考えるようになり、母の「より良き死」を願って多くの書物を読み漁った時期でもあった。続いて病床についた父のためにも。

自分の精いっぱいのことをしたが、母と父の死はどんなに大きな悲嘆と喪失感を与えたか。そしてその悲しみを通して(悲しみのあとに)神と人間的な出会いを得た。

63歳を過ぎた頃から体力の衰えを感じ、65歳になってからはより衰えを感じるようになった。老いとは全てを略奪されていくのだというのも予想がつくようになった。死は最後の闘いなのだ。

正直のところ体力を失って来た頃からそういったテーマには目をそらしている自分がいた。しかしこのたびは逃げずに観ていたが、間違いなく自らの死を思いながら観ていた。

最愛の両親のことでさえ「死」は人ごとだったのかもしれない。それでも間違いなくあの時の学びや経験は、自らの本番にいたる過程で役立つと思っている。

キリスト信仰にとって教義や神学も大切であるが、それらに傾倒するのではなく、神との密なる出会い、神との親しい交わりの経験こそが決定的に大切なことであるとしみじみ思うようになった

信仰を与えられていても人間は弱い。実に弱い。最期まで強くなることはない。しかし、それを恥じるのは傲慢でさえある。なぜならば自分の弱さを認めることができるからこそ神との出会いを可能にし、苦悩する魂をイエスご自身に接ぎ木されたのであるから。

それでも体調がすぐれない時や、悩みに激しく悶えるときは意欲や気力が落ち、その時は自己嫌悪し最も辛い耐え難い苦痛である。しかしそれこそが生きるということなのだ。

自らの弱さを認め、それでもなおひたすら虚心(素直な心)を求めることこそが真の信仰であり、それはどんな時も神の恩寵を信頼し感謝して生きているという証しにほかならない

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日野原さんが多大なる影響を受けたウィリアム・オスラーの『平静の心』は1997年1月に購入し、私はオスラーから人間学を学んだ。

「必ずしも祝福が得られるとは限らない。敗北に終わる闘いもあり、諸君の中にはそのような苦しい闘いに耐えねばならない者も出るだろう。その時までに、不幸にめげない明るい平静の心(cheerful equanimity)を身につけておくことが望ましい」。

拙文「医師よ 驕るなかれ」(1993年4月、41歳)は、オスラーやトゥルニエに感銘した発露である。http://yukochappy.seesaa.net/article/16086310.html

IMG_6555.jpg梅雨明けした昨日、直射日光に耐える朝顔。
あまりにも美しい。








IMG_6565.jpgそして、13時頃に力尽きた。




「草は枯れ、花はしぼむ。
しかし、われわれの神の言葉は
とこしえに変ることはない」。
    (イザヤ書40章8節)

日野原重明さんが蒔かれた数え切れない種は、これから芽を出して実を結んでいくことであろう。


附記:軽い熱中症か、16日からしんどくて寝込んでいた。夜は涼しくて扇風機もいらず今朝は肌寒かったほど。昼も夜も眠ってばかりいた。

posted by 優子 at 16:47| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年06月15日

民主主義の崩壊、昔に戻された悪法

国会周辺で夜を徹して抗議の声が上げてくださっていた方々に申し訳ないと思いつつも、昨夜は午前0時過ぎに眠りについた。今朝目が覚めた時、「法案」は「法」になっていた。

彼らは議会制民主主義をことごとく否定し、急きょ本会議で採決を図って成立させた。その採決のされ方、世論の作り方も全て治安維持法と全く同じであると専門家たちが語っていた。

民主主義の崩壊、5〜6年前までまさか本当に昔の時代に戻されてしまうとは思わなかった。そんな昨日、安倍首相の姿勢を批判している石破茂氏が外国特派員協会で会見していた。


「仮に総裁のお考えや総裁の立ち居振る舞いが国民の共感を得てない部分があるとするならば、『ここは改めたほうがいいですよ』と言う勇気を我々は持たなければならない。

私は今まで時の総理・総裁3人に向かって『やめてください』といいましたが、まだ生きています。誰も命まで取るとは言わんでしょう。それが議員のインディペンデントな姿勢というものだと思います」。
 

加計学園の獣医学部新設めぐる問題でも、前川喜平・前文科事務次官の発言を「意義がある」など、政権を戒める趣旨の発言をしている。

「表現の自由」に対する認識については、「国連特別報告者のレポートを正確に読んでおりません」とした上で、「表現の自由は最大限認められるべきものだ」と明言し、以下のように語った。

(国連特別報告者に)事実誤認があると(政府が主張)するならば、どこがどう事実誤認なのか、国際社会に向かって説明する責務があろうかと思う。日本国の言論の自由、表現の自由に対して疑問が提起されているわけだから、それに対して世界を納得させる責務が政府にはある。

「表現の自由」は最大限認められるべきものだと思います。新聞でも週刊誌でもテレビでも、私のことについて論評されて非常に悲しい思いをすることはしばしばでありますが、それは甘受すべきものであり、それが嫌なら政治家なんかやらないほうが良いということでしょう。

▼報道と権力が一体となることが一番恐ろしいということは、報道の皆様はよくご認識のことだと思う。

▼表現の自由を守っていくことが健全な民主主義のために必要。報道が本当に権力と一体のものとなっていないか、常に自浄自戒を。


次回の自民党総裁選に出馬するか。

▼自分がそれにふさわしいと、自分で納得をしなければ、出てはいけないものだと思っています。自民党はいろいろな考え方を持つ人たちがいる政党、考え方が一つだけというのは自民党ではありません。

経済政策において、社会保障政策において、あるいは安全保障政策について、違う考え方を持っているとするならば、私であれ誰であれ出るべきものだと思います。それが自民党のためというより日本国のためだと思います。

もっともっと声を大きくしてメディアで語ってほしかった。
義憤を感じている官僚や自民党員を奮起させるような働きをしてほしかった。一人ひとりは弱くとも一丸となれば国民も注目し、ジャーナリストも力を得て初心を思い起こして状況は変わったであろう。
今からでもその働きをしてほしい。

見ゆるところは不可能であっても見ゆるところによらず、なお諦めないで励まし合って戦い続けなければならない。
附記:今朝の御言葉(キリストの栄光教会)より一部抜粋
「彼らの目の前には、神に対する恐れがない」。
      (ロマ書3章18節)
神に対する恐れがなければ、人はしてはならないことを平気でするようになります。神の領域に踏み込み、取り返しのつかないこともします。

posted by 優子 at 17:08| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年06月08日

「カタルーニャの鳥は、ピース、ピースと鳴きます」。

一秒一秒、私たちは宇宙のあらたな二度と訪れない瞬間に、過去にも未来にも存在しない瞬間に生きているのだ。

それなのに学校で児童になにを教えているのか。
2プラス2は4とか、パリはフランスの首都であるといったことは教える。いつになったら、子供たちの何たるかを教えるのだろう。

子供たち一人ひとりに言わねばならない。
君はなんであるか知っているか。
君は驚異なのだ。
二人といない存在なのだ。
世界中どこをさがしたって君にそっくりな子はいない。

過ぎ去った何百万年の昔から君と同じ子供はいたことがないのだ。
ほら君のからだを見てごらん。
実に不思議ではないか。
足、腕、器用に動く指、君のからだの動き方!
君は シェイクスピア、ミケランジェロ、ベートーヴェンのような人物になれるのだ。
どんな人にもなれるのだ。

そうだ、君は奇跡なのだ。
だから大人になったとき、君と同じように奇跡である他人を傷つけることができるだろうか。

君たちは互いに大切にしあいなさい。
君たち…われわれも皆…この世界を、
子供たちが住むにふさわしい場所にするために働かねばならないのだ。
 

私は今までになんと驚異的な変化と進歩を目撃してきたことだろう。科学も産業も宇宙開発も、まさに驚異的進歩をとげた。それにもかかわらず世界は今も飢餓と人種上の圧迫と独裁に苦悩している。

われわれの行動は依然として野蛮人に等しい。
未開人のように地球上の隣人を恐れる。
隣人に向かって武器をもって防衛する。
隣人も同様である。

私は、人間の掟が殺すべしという時代に生きなければならなかったことを嘆く。いつになったら、人類が同志であるという事実に慣れ親しむときがくるのだろう。

祖国愛は自然なものである。
しかし、なぜ国境を越えてはならないのか。
世界は一家族である。
われわれ一人ひとりは兄弟のために尽くす義務がある。
われわれは一本の木につながる葉である。
人類という木に。

     (『パブロ・カザルス 喜びと悲しみ』より)

「カタルーニャの鳥は、ピース、ピースと鳴きます」。

国連本部イザヤの壁
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THEY SHALL BEAT THEIR SWORDS INTO
PLOWSHARES. AND THEIR SPEARS INTO
PRUNING HOOKS. NATION SHALL NOT LIFT
UP SWORD AGAINST NATION. NEITHER
SHALL THEY LEARN WAR ANY MORE.ISAIAH 

ここに刻まれているのはイザヤ書2章4節(聖書)の下線部分である。

「彼(神)はもろもろの国のあいだにさばきを行い、
多くの民のために仲裁に立たれる。
こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、鋤(すき)とし、
その槍を打ちかえて、鎌とし、
国は国にむかって、つるぎをあげず、
彼らはもはや戦いのことを学ばない
」。


平和を求める人々の祈りが神さまに届きますように。



posted by 優子 at 09:28| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年06月07日

平和を叫び続けたカザルス ”The Song of Birds”

パブロ・カザルス.jpg「歴史上、いまだかつて現在のように世界が破滅に近づいたことはなかった。…混乱と恐怖が世界を覆い、…世界の危機を日一日と増大しているのです」。

これは1958年10月24日、国連で開催された世界人権宣言10周年記念コンサートで、演奏に先立って語ったカザルスの言葉だ。
カザルスを招いたのが当時の国連事務総長ダグ・ハマーショルドであり、彼もまた偉大な人物だった。

次に掲げた動画は、カザルスの晩年1971年に、国連で演奏した「鳥の歌」をバックにスピーチを編集した1分42秒の短いビデオである。

「鳥の歌」の原曲はカザルスの故郷カタルーニャのクリスマス・キャロルであり、イエス・キリストの聖誕を鳥が祝っている様子を歌っている。新聖歌にはクリスマスの歌として「鳥の歌」が94番に収められている。



IMG_2340.jpg空を飛ぶ鳥たちはこう歌うのです。
”Peace, Peace, Peace
(平和、平和、平和)”



IMG_1568.jpg鳥たちはこう歌うのです。
“Peace, Peace, Peace
Peace, Peace, Peace
Peace, Peace, Peace”


IMG_5676.jpg
「パブロ・カザルスは偉大な芸術家だ。彼は祖国の人々を迫害する圧制者に立ち向かっただけではなく、いつでも悪魔に妥協してしまう日和見主義者たちに対しても断固とした態度で抵抗した。そんな彼を私は尊敬する。
彼にはよくわかっていた。
悪を実際に行う人々よりも、悪を許し、助長させてしまう人々のほうが世界を危機に陥れるのだ、ということを」。

    (アルベルト・アインシュタイン)

それから60年後の世界は…、日本は戦後築き上げた民主主義国家を崩壊寸前になっている。

国連人権委員会から勧告を受けていることがすべてを物語っており、その勧告に対しても猛然と抗議する政府は、かつてリットン調査団の報告書に抗議して松岡洋右が国際連盟から脱退宣言して立ち去っていく姿を想起させる。

あれは20世紀の出来事を振り返って見ていた映像であるのに、21世紀にもまたしても狂気の歯車が回り出し、日に日に加速度を増している。


共謀罪を通させると治安維持法に拡大され、一般市民でもこのようなブログを書いている者は捕まえられてしまう。
今、私たちに何ができるのだろうか。
発言の場が与えられて闘っている人々のために背後で祈る、諦めないで祈り続け、私たちも社会に声を上げる。今しかできないことをしようではないか、悔いを残さないために。

IMG_5662.jpg 
暗澹とした深い闇の中に進みゆく時も
自然界は季節がめぐり今年も梅雨に入った。

posted by 優子 at 22:02| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年05月30日

国連からも警告、民主主義の危機

2016年4月、国連人権専門官から日本政府に対して「報道の独立性に対する重大な脅威を警告」されている。「意見及び表現の自由」の調査を担当する国連特別報告者ディビッド・ケイ氏は次のように言っている。

「多くのジャーナリストが、自身の生活を守るために匿名を条件に私との面会に応じてくれましたが、国民的関心事の扱いの微妙な部分を避けなければならない圧力の存在を浮かび上がらせました。
彼らの多くが、有力政治家からの間接的な圧力によって、仕事から外され、沈黙を強いられたと訴えています。これほどの強固な民主主義の基盤のある国では、そのような介入には抵抗して介入を防ぐべきです」。

          (「国連広報センター」より) 

先月、国連の人権専門官は共謀罪について重大な懸念を伝える書簡を安倍首相に送ったことに対して、日本政府が抗議した。これではどこかの国と同じだ。

既に巨大な歯車が回り出し加速し始めている。今ここで皆が立ち上がらないと本当に民主主義は瓦解してしまう。私は何度も多喜二の遺体から叫び声が聞こえてくる。かつて『蟹工船』というプロレタリア文学作品を書いたために、警察により拷問を受けて殺された小林多喜二から。

多喜二の前で母セキ.jpg
多喜二の遺体の枕もとに母セキがいる。

小林多喜二@.jpg

後年、多喜二の母・セキは次のように話していた。
「布団の上に寝かされた多喜二の遺体はひどいもんだった。首や手首には、ロープで思いっきり縛りつけた跡がある。
ズボンを誰かが脱がせた時は、みんな一斉に悲鳴を上げて、ものも言えんかった。下っ腹から両膝まで、墨と赤インクでもまぜて塗ったかと思うほどの恐ろしいほどの色で、いつもの多喜二の足の2倍にもふくらんでいた。

捕まえていきなり竹刀で殴ったり、千枚通しで、ももばめったやたらに刺し通して、殺していいもんなんだべか」。

          (過去ログ:2015年3月20日より)

今の日本はおかしい。おかしいことはおかしいと声を上げねばらない。権力を持つと人間はかくも良心がマヒしていくものなのであろうか。たった70年間で再び恐怖の時代を来たらせるとは、現政権はあまりにも罪深い。

ジャーナリストは魂を売ってはならない。
今も勇敢に戦い続けているジャーナリストたちに与して立ち上がるべきだ。私たちにできることは何か、今手をこまねいていてはだめだ。
私は神に祈ろう。
どうか正しき者を守り堅く立たせてくださり正義が成るようにと、全てを支配しておられる神に祈ろう。

「どうか悪しき者の悪を断ち、
正しき者を堅く立たせてください。
義なる神よ、あなたは人の心と思いとを調べられます。

わたしを守る盾は神である。
神は心の直き者を救われる。
神は義なるさばきびと、
日ごとに憤りを起される神である。

もし人が悔い改めないならば、神はそのつるぎをとぎ、
その弓を張って構え、
また死に至らせる武器を備え、
その矢を火矢とされる。

見よ、悪しき者は邪悪をはらみ、
害毒をやどし、偽りを生む。
彼は穴を掘って、それを深くし、
みずから作った穴に陥る。

その害毒は自分のかしらに帰り、
その強暴は自分のこうべに下る。
わたしは主にむかって、
その義にふさわしい感謝をささげ、
いと高き者なる主の名をほめ歌うであろう」。
 
           (詩篇7篇9節〜17節)
posted by 優子 at 23:02| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年02月15日

渡辺和子さんの学園葬 −父を殺した人の墓前で祈る―

" Unless change,nothing changes."
「あなたが変わらなければ、何も変わりません」。

01yuri2b.jpg昨年12月30日に89歳で帰天したノートルダム清心学園理事長、渡辺和子さん(修道女名:シスター・セント・ジョン)の学園葬が12日、岡山国際ホテルで行われた。

以下は『クリスチャントゥディ』2月13日更新の「渡辺和子さんの学園葬に3500人」より抜粋したものに父と子の写真を加えたものである。

image[5].jpg学園葬は追悼ミサとお別れの会の2部構成。同学園の卒業生をはじめ、財界、各宗教界から約3500人が参列した。
親族代表として、渡辺さんと7つ違いの姪、小林依子さんが言葉を述べた。渡辺さんが母親の猛反対を押し切って受洗した直後は、一緒に疎開生活をしていたこともあるなど、幼少期は姉妹のように仲良くしていた。

昨年10月末に入院したとき、渡辺さんは「私は修道院に帰るべき」と退院を強く望んでいた。そして12月19日に退院する前、小林さんに「私、お父さんの子でよかった」と話したという。

渡辺錠太郎と和子.jpg渡辺さんの父親は陸軍教育総監だった渡辺錠太郎氏。
1936年、「二・二六事件」で青年将校に襲撃され、自宅の居間で命を落としたが、その様子を渡辺さんは間近で目撃していた。

母は5時に起きて、二人のお手伝いさんに雨戸を開けさせたりしていました。襲撃のあったときは6時前だったと思います。

激しい怒号でトラック一台(に乗ってきた)三十数名の兵士が門を乗り越えて入ってきました。玄関のガラス戸に銃弾が撃ち込まれたようでした。父は左の襖を開けて戸棚の拳銃を手にして、覚悟していたものと思われます。

「和子はお母様のところへ行きなさい」と言いました。これが私に対する父の最後の言葉でした。

母のところへ行きましたら、母は玄関で兵を入れまいとしていたために、私は父のところへ戻ったのです。そのとき既に弾が寝間に撃ち込まれていました。

私は銃弾をかい潜って父のところへ行きました。父は掻い巻き(かいまき)を身体に巻きつけてピストルを構えていました。

私が戻ったので父は困った顔をして、目で籃胎座卓の後へ隠れるよう指示しました。私はそこに隠れました。開けられた襖から見えた機関銃の銃口が父を狙っているようでした。

父はドイツ駐在武官時代に射撃の名手だったので、ピストルで応戦しましたが、片脚は殆ど骨だけでした。
玄関から入れなかった高橋、安田少尉が外へ回って、開けてあった縁側から茶の間に入ってきて射撃をして、トドメを刺して引き上げて行きました。

母が玄関から戻ってきて「和子は向こうへ行きなさい」と言いました。午後になって検視のあと父の頬に触れましたが、とても冷たかったのを今でも覚えています。姉は、父が銃弾43発を受けたと言っていました。

父の脚は骨だけで肉片が座敷に散らばっていました。
憲兵二人は二階に泊まっていました。
兵隊たちは斎藤内大臣を殺害したあとに来たので、なぜ電話が無かったのかと思っています。電話があったという話もありますが、電話の音は聞こえませんでした。電話があれば父を久保家(長女の嫁ぎ先で2〜3軒隣り)に隠すことが出来たのではなかったかと、今でも思います。

血の海の中で父は死にました。
あのとき逃げ隠れしないで死んでくれて、それでよいのだと思っています。

死の直前、私を隠してくれた父を思い出すのです。雪の上に点々と血が残っていました。その血の赤さは今も私の頭に焼き付いています。

安田少尉は近所に住んでいたから、家の構造を知っていたのではないかと思います。表玄関から入れないので裏へ回ったのでしょう。

兄二人は子ども部屋に監禁されていました。母は兵士を阻止していたので私一人が戻り、父が、自分が死ぬ場面の見えるところに隠してくれたので相手も気づかなかったらしいのです。私は送り人ならぬ看取り人になりました。

兵士たちが入ってくるのをちゃぶ台の後ろから私は見ていたし、引き上げるのも見ていました。ちゃぶ台には銃痕がありますが、それが私を守ってくれたのです。


「二・二六事件 『父渡邉錠太郎と私』の講演から」より引用。

式には、「二・二六事件」で渡辺総監にとどめを刺したとされる青年将校の弟、安田善三郎(91)さんも出席し、献花をした。

事件から50年後の1986年、青年将校らの法要に渡辺さんが初めて訪れたとき、偶然、安田さんが案内することになった。その人が渡辺総監の娘であることを知り、安田さんは涙ながらに謝罪。

その後、手紙などを通して交流が始まった。渡辺さんが関東地方に講演などで来るときには、安田さん宅を訪れ、食事を共にしたこともあった。

やがて渡辺さんに導かれるように、1991年、神奈川県内のカトリック教会で受洗した。現在もミサを守り、自宅では聖書を読むことを欠かさないという。

「私は、シスターの姿にキリストを見たような気がしている。どうして、自分の父親を殺した犯人の墓に手を合わせたり、その弟の私と食事を共にしたりするようなことができるだろう。私は、シスターの100分の1、千分の1にも満たないが、あのような人になりたいと思った」。

「渡辺さんとの会話の中で、思い出深い聖句は?」と尋ねると、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28)を安田さんは挙げた。

渡辺和子さんの御遺骨は、父・錠太郎氏が眠る多磨霊園(東京)に納骨される。

附記:2016年最後の記事に「渡辺和子さん召天」を記している。



「自分を愛するということ」:13分間のビデオです。

posted by 優子 at 18:20| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年01月16日

暗澹たる時代だからこそ光の中を生きる

「歴史は繰り返す」とは若い頃からよく聞いていたことだが、これはもうどうしようもない人間の実相だと思う。
地獄の戦争を経験した世代は平和を強く訴えるが、経験したからと言って全ての人がそうではないように、戦争を経験していない人の中にも平和を訴える人々がいる。

カトリック信徒の経済学者・浜矩子さんは安倍首相を次のように批判している。
「成熟度の低い人間は追い詰められるほど意固地になる。慌てれば慌てるほど強権的になる。そうした子どもじみた振る舞いが崇高なる平和の誓いを脅かす」と。

そして、1968年の「プラハの春」を彷彿とさせる。
「権力者はやがて超保守主義に陥り、周りを見失い独善的になってしまうもので、そのことに自分で気がつかない。これは人間がもっている本性的な弱点であり、したがって行きつく所までいかないと終わらない」。

その年の12月、カール・バルトに友人のトゥルンアイゼンが「時代は暗いね」と電話をかけてきた。それに対してバルトも「実に暗い」、「そうだ。世界は暗澹としているね」。そして続けた。

「但し、意気消沈だけはしないでおこうよ、絶対に。何故なら支配していたもう方がおられるのだから。モスクワやワシントン、あるいは北京においてだけではない。支配していたもう方がおられる。しかもこの全世界においてだよ。

しかし、まったく上から、天上から支配していたもうのだ。神が支配の座についておられる。だから私は恐れない。もっとも暗い瞬間にも信頼を持ち続けようではないか。希望を捨てないようにしようよ。すべて人に対する全世界に対する希望を。

神は私たちを見捨てたりはしない。私たちのうちのただの一人も、私たちお互いみなを見捨てたりはしない。支配していたもう方がおられるのだから」。


この夜、バルトは召され、これがバルトの最後の言葉になった。

世界のことも、日本のことも、日常のことも、私たちが経験する全ての行き詰まりにおいても、これは的確なメッセージとして私たちを励ます道案内である。

計り知れない犠牲の上に、長い年月をかけて築き上げてきたデモクラシーさえも再び瓦解されてしまいそうな、重苦しい暗雲が迫ってきている。

日本のみならず、今後ますます世界は一触即発の状況になっていくように思えてならない。トランプ氏に「大統領緊急カバン」(核のボタン)を委ねる恐怖。世界はどうなっていくのだろう。

各国の為政者たちよ、
過去の暗い時代を再び繰り返さないで!!!

「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたし(イエス・キリスト)はすでに世に勝ったのです」。
             (ヨハネによる福音書 16章33節)

いつまでも平和で自由な時代が続くわけではありません。患難が予想されます。しかし、罪と死の力に対するキリストの勝利は、今日も変わることなく、私たちの勝利でもあります。まるで、まだ敗者であるかのように、闇の生き方をしてはなりません。勝者として光の中を生きるのです。
              (川端光生牧師の一言)

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2016年12月23日

シリア人医師:「それでも、私たちはまだ希望を失っていません」。

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img.jpg国境なき医師団は、シリアに関連する活動について完全なる中立性を確保するため、民間の皆さまからの寄付金のみを活動財源としています。

2016年、日本では12月19日までに5000件以上、約6000万円のシリア緊急援助へのご支援をお寄せいただきました。ご協力くださった皆さまに、心より御礼申し上げます。

より多く、一人でも多くの命を救うために、私たちにはもっと多くの資金が必要です。まだまだ足りないのが実情なのです。

シリア国内に取り残された人びと、また周辺諸国の難民キャンプで援助を待つ人びとのために、国境なき医師団だからこそできることがあります。どうぞご協力くださいますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

現地に残って被害者を治療しようと努めるシリア人医師から、2週間前に届いた報告を、一部引用してご紹介します。

「12月5日には、爆撃で救急車が破壊されました。負傷者を他の病院に移送する必要がある場合、いったいどうすればいいのか……。この診療所は何度も攻撃の被害に遭っています。壁や天井には穴があき、手術は地下階で行っています。

過去2年の間に、診療所長を含む医師2人、清掃員1人、研修責任者1人、看護師3人、合計7人の仲間が命を落としました。  

戦闘機と空爆は恐ろしいものです、亡くなった人を思い、次は自分の番かと考えてしまうのです。私は空爆が静まるまでトイレの通路に隠れていることもあります。

それでも、私たちはまだ希望を失っていません。希望は常にあるものです。残念ながら、この地に明るい兆しはまだ見られません。それでも、今は地域の人びとのために医療の維持が重要です。私たちは今後も最善を尽くしていきます」。


images.jpgこの写真は、亡くなった息子に口づけする父親です。

以下は、『クリスチャン・トゥディ』12月17日に公開された
シリア人ジャーナリストに聞く「国際社会のすべきこと」からの抜粋です。

「神様・・・私たちをこの悪夢から解放してください」

「これが、私の最後のメッセージになるでしょう。これをご覧の皆さん、シリアとともに立ち上がってください」

「私たちは、普通の生活がしたいだけなのです。どうか皆さん、私たちを助けてください」

「政府軍からの攻撃は日に日に激しくなってきています。政府軍の兵士たちは、もう数百メートル先まで来ています」


このような悲痛なメッセージに、日本人ユーザーの間でも同情と祈りの声が上がっている。

シリア地図.png一夜明け、アレッポの街はどうなっているのだろうか。カナダ在住のシリア人ジャーナリスト、モハメッド・マームッドさんに話を聞いた。

現地アレッポに多くの仲間が残されており、マームッドさんもカナダからアレッポの現状を伝え続け、支援を呼び掛けている。

―現在のアレッポの様子は?

29日間に及ぶ集中砲火や爆撃の後、ようやく昨日から、アレッポ東部の地域から一般市民の避難が始まっています。この間、多くの市民がロシア空軍、政府勢力による攻撃で亡くなりました。

アレッポの街には、もうほとんど建物という建物は残っていません。彼らは学校も、銀行も、ベーカリーも、道も、橋も全てを破壊してしまったのです。ロシア、インド、中国などの政府側を支援した国々の企業は、ここに新たなビルを建設する契約をすでに結んでいると聞いています。

―現地から頻繁に情報は入ってくるのですか?

はい。私は、現地の活動家やジャーナリストたち、評議員たちと継続的に連絡をとっています。この中には、私の友人でもあった日本人ジャーナリストの後藤健二氏がドキュメンタリーを作成してくれた「ホワイトヘルメット」のメンバーも含まれています。彼らは、国際社会の沈黙に対して、彼らの怒りや思いをユーチューブなどで公開もしています。

米国とロシアによって、この国はほぼ滅ぼされてしまいました。さらにさまざまな国が加担したことによって、この戦いはより激しくなっていきました。

イランは水面下で政府側を支援し、戦闘員や戦うための道具を送り、経済的な支援も行ってきました。それらのお金によって、国内外の戦闘員を雇うことができたのです。

トルコやサウジアラビアもまた同じような役割を、反政府組織に対して担い、この愚かな戦争に加担してきたのです。


―国際社会は、アレッポ市民に対して、何ができるでしょうか?

東アレッポから避難してきた市民たちは、家を追われ、毎日のように処刑されるのではないか・・・または爆撃や攻撃に再び遭うのではないかといった恐怖にさらされています。

この避難民たちは、10万人ほどいるのではないかと予想されています。彼らは何も持っていません。洋服をかろうじて着ている程度でしょう。シェルター、洋服、食べるもの、移動手段、医者、薬、学校、デイケアセンター、女性のための健康センター・・・数えたらきりがありません。想像してみてください・・・ちょうど日本に原爆が投下された直後の広島の街のようだと思います。

―この戦争を終わらせるために、私たちができることは?

国際社会は、再び彼らの脆弱(ぜいじゃく)さを露呈することになったと思います。この虐殺に対して、完全に無力だったのです。国連の主要機関ですら、このフィールドには踏み込むことさえできませんでした。

世界の皆さんに私は言いたいのです。もう一度、シリアのことをよく考えてみてください。シリア革命は、人々が変化を求め、自由を求め、一人一人が生まれ持った人としての権利を取り戻すために行われました。皆さんの理解を求めます。


bible.png附記:今日11時頃、私たちのために真智から電話あり。すぐにスカイプに切り替えて4時間半も話し合っていた。スカイプを終えた時、ワシントンは深夜1時半になっていた。
最後に一人ひとり祈り合い、そのあとにまた真智が祈ってくれて、最悪のクリスマスが最善のクリスマスへと導かれた。インマヌエル!


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2016年11月17日

社会に発言するキリスト者

IMG_1103.jpgキリスト者として社会に発言する人は僅かである。日本クリスチャン・ペンクラブの友、長原武夫さんは「イエス友の会中央委員」の肩書で長浜革新懇代表世話人をされている。

その機関紙『長浜かくしん』11月号(No.60)に、クリスチャンのペン友、児童文学者・今関信子さんの言葉を導入して「戦争の放棄」を訴えておられる。

「戦争なんかない」言う友に「戦争はいやです」と返せ

「戦争は少しずつ近づいています。私たちは自由にモノを言える、行動できる。今ならストップできます」。 (今関信子さん)

自民党の改憲草案は、憲法9条を「改正」し、日本を戦争する国に変えようとするものです。しかも、自衛隊を国防軍(軍隊)とする。とんでもない。草案ではないか。国防軍はアメリカが起こした戦争に参加し、殺し殺される戦闘行為を行うことが現実のものとなる。

「戦争と私」を本紙は連載し、戦争体験を語り続けている。戦争は人間をほろぼすこと、世の中のよいものを壊していくことです。

憲法に「戦争の放棄」を定めている。「放棄」とは「捨ててしまう」ということと、『あたらしい憲法のはなし』を当時の文部省は学校に配布しています。

「戦争なんかない」という友も学んでいます。「正義の戦争というのもあるよ」という友もいる。戦争が好きか嫌いかと馬鹿げた問答なんかしたくない。せめて戦争は嫌であり、ダメだと言い切れ。
             (略)

再び暗い時代を避けるため、暮らしの中の「平和」を先ず守ることに活動を進めようではないか。「戦争と私」を誰しも綴って参加してほしい。
             長浜革新懇代表世話人
                長原 武夫
                イエス友の会中央委員

IMG_1102.jpg写真家でもある長原さんは毎月巻頭に掲げられる写真も提供しておられる。今月号は「平和とはおもわずジャンプしちゃうこと」。長原さんの感性豊かな柔らかい心が伝わってくる。

今年も琵琶湖に白鳥が渡ってきているという。
是非一度見に行きたい。

IMG_1101.jpg
posted by 優子 at 12:17| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年11月12日

ヒラリー・クリントン氏、敗北宣言で新約聖書のガラテヤ書を引用

hirari-.png民主党のヒラリー・クリントン候補は9日、米大統領選で共和党のドナルド・トランプ候補に敗北した後の演説で、新約聖書から1節の聖句を引用した。

ガラテヤ人への手紙6章9節、「善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」と述べた。
以下は、2016年11月11日20時25分に公開された『クリスチャン・トゥディ』より抜粋引用させていただいた。

ヒラリー@.jpg互いに信頼し合いましょう。弱り果ててはいけません。落胆してはいけません。道のりは長く、やべるべきことが山積しているからです。

私たちは広い心で、率先してトランプ氏に協力しなければなりません。私は昨夜、トランプ氏にお祝いの言葉をお伝えし、この国のために共に働いていく旨を述べました。トランプ氏が全ての国民の大統領となることを期待します。

私たちの価値観が認められず、今回の大統領選に勝利できなかったことは残念です。皆さんは、米国の良き一面を見せてくださいました。(選挙期間中)皆さんの候補者として過ごせたことは、私の生涯において最も大きな栄誉でした。

@ヒラリー.jpg私は、皆さんの落胆している気持ちが分かります。なぜなら私も落胆しているからです。この敗北は痛みに満ちており、その痛みは長く続くでしょう。

しかし、このことを忘れないでください。この選挙戦は、私1人のものではありませんでした。これは愛する祖国を建て上げるための選挙戦でした。

米国は、思う以上に深く分断されてしまいました・・・。私たちはこの結果を受け入れなければなりません。この国の大統領になるのは、ドナルド・トランプ氏です・・・。私たちは広い心で、率先してトランプ氏に協力しなければなりません。

私と私の陣営に信頼してくださった全ての女性の皆さん・・・。皆さんの代表者になれたことは、私にとって最高の誇りでした。

私たちは、気高い目標を達成することはかないませんでしたが、いつの日かどなたかが成し遂げてくださることを願っています。思う以上に早くその時が来ることを期待しております。

そして、この中継をご覧になっている若い女性の皆さん。皆さんが尊い存在であることを決して疑ってはいけません・・・。皆さんには多くの機会が残されています・・・。皆さんの夢を諦めないでください。

バラク・オバマ大統領、そしてミシェル夫人。この国はお2人に大きな感謝をささげなければなりません。私たちはお2人の優れたリーダーシップに、深く感謝しております。

(家族への感謝)ビル、チェルシー、マーク、シャーロット、そしてエイダン。あなたたちを愛する私の気持ちは、言葉では言い尽せません。私が励ましを必要としていたときに、あなたたちは全国を駆け巡って私を応援してくれました。

また、選挙陣営とスタッフの皆さんはこの選挙戦に心血を注ぎ込んでくださいました・・・。皆さんほど優秀な選挙スタッフは、期待することも望むこともできません。

そして大勢のボランティアの方々や、地域の指導者、活動家、組合主催者の皆さん。全員、前のほうに出て来ていただけますか・・・。皆さんの声が聞こえるように前のほうにお出でください。

ヒラリー敗北宣言.jpg若い方々もこれから、成功や失敗を経験すると思います。今回の敗北には心が痛みますが、正しいことのための闘いは尊いという信念を、これからもどうか持ち続けてください。
信仰者ヒラリー・クリントン氏の一面と伴侶ビル・クリントン氏との夫婦関係の麗しさに深い感銘を覚えた。伴侶の妻への視線がすべてを語っている。

69歳のヒラリーさんは、後に続く若い女性にバトンを託した。

ガラテヤ書より:
「善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります」。

「気高い目標を達成することはかないませんでしたが、いつの日かどなたかが成し遂げてくださることを願っています。思う以上に早くその時が来ることを期待しております。
若い女性の皆さんには多くの機会が残されています。皆さんの夢を諦めないでください」。


素晴らしいスピーチであった。
多くの人々の魂に届いたことであろう。
常により良き未来の金的をめざして進もう。失望せずに進もう。

posted by 優子 at 23:10| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年11月09日

信じられない米国大統領選結果

IMG_1004.jpg2016.11.10追載:
早速のゴシップ記事。

IMG_1006.jpg「恐怖のホワイト・ハウス」には国旗がさかさまになっている。
合衆国の国旗規定では、生命や財産に極度の危険が迫っている時以外は、決して上下を逆にしてはいけないとのこと。

今朝から各テレビ局は米国大統領選一色だった。そして今16時35分、アメリカのAP通信がトランプ氏の当選確実を伝えた。国民の結集と融和を訴えたヒラリー・クリントンが敗北した。

ヒラリーさんに人気がないとはいえ、まさかトランプ氏が勝つのは不可能だろうと思っていただけに、開票早々から信じられない展開で目が離せなかった。州によっては30%の差で敗北していた。

「まるで世界が崩壊していくのを見ているようだ」。
クリントン支持者が力なく言った。

トランプ氏は政治には全くの素人で、本は読まない、人の意見も聞かない、マイノリティへの敬意もなく、「大統領になったらメキシコとの間に国境の壁を建設し、メキシコにその費用を支払わせる」など、荒唐無稽なことを堂々と言う人物が大統領に選ばれたのである。

これはもうイギリスのEU離脱どころではない。「隠れトランプ」支持者でこれほどまでの票数を伸ばせないだろうし、原因は何だったのだろうか。事前調査もあてにならないものだ。

トランプ氏のメッセージ力の強さか?
トランプ支持者は、トランプ氏がヒラリーさんのようにワシントンを代表している人物ではないから、彼に自分自身を重ねたのかもしれない。
とにかくこれまでの既成政治に対する不満の強さ、怒りなど人々の疎外されている感情がこの結果となったと論評している。


アメリカのFOXテレビも今(16時44分)トランプ候補の当確を伝えた。と同時に副大統領となるマイク・ペンス氏が、「これは歴史的なことだ。アメリカの国民が声を上げた」とスピーチを始め、トランプ氏が姿を現した。

ヒスパニック系の人々、イスラム教徒、黒人の人々にとっては恐怖である。これから何が起きるのだろう。

既に円高株安のトランプリスクが出ており大きな値動きが続いている。今後トランプショックで世界が混乱しないことを祈るばかりである。

このたびのことで感じたのは、とにかく米国の選挙への関心と投票率の高さには感銘を覚えた。
そして、ヒラリーはやっぱり男性に負けたということ。
あのアメリカにして、今も「ガラスの天井」を破ることができなかったという思いが強く残った。

長い半日だった。

改めて大きな衝撃である。
この衝撃を吸収するには時間が要るだろう。

それでもなお神の導きを祈りつつ、最善へと導いてくださるように祈ります。


22時追記:平日に投票日というのが不思議だったが、キリスト教国だからという理由だろう。そして、選挙の日は会社も学校(公立)も休みなんだって。

知子、激務でいまだ帰宅せず。

posted by 優子 at 17:05| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年10月25日

「ハタから見たキリスト教」−「無宗教こそ知性の証し」、これこそがこの半世紀の日本人の意識―

今月15日、群馬県前橋市の日本基督教団前橋教会創立130周年記念(創設者・海老名弾正)で開催された対談式講演会、「ハタから見たキリスト教」を興味深く読んだ。

対談者は内田樹氏(思想家、武道家、神戸女学院で長年教職に就く)、釈徹宗氏(浄土真宗本願寺派如来寺の住職、宗教学者)、川上盾(じゅん)同教会牧師、松谷信司氏(キリスト新聞社季刊誌編集長)。
以下は引用抜粋したものである。

川上牧師:
「キリスト教は現在、日本において大変苦しい状況にある。信徒の数は人口の1パーセントにも満たない。しかし、現在までにキリスト教が日本に与えた影響は少なからずあった。クリスマスが習慣化し、ミッションスクールと呼ばれる学校は全国にある。キリスト教とは日本にとって何であったのか。この先、どうなっていくのかを『ハタ』からの視点で、お2人にお話していただきたい」。

内田氏、釈氏のキリスト教との出会いについて

内田氏(思想家、武道家):
「私は、大学院でユダヤ人哲学者について研究をしていた。この哲学者はユダヤ教に傾倒している思想を持っていたため、まずはユダヤ教についての書物を読んだり、有識者に話を聞いたりしていた。そうしているうち、キリスト教に代表される反ユダヤ教思想についても研究するようになった。

神戸女学院の教員として採用されると、入学式や卒業式には礼拝が必ずあった。書物を通して知っていたキリスト教を、いきなり礼拝という『行為』を通して知ることになり、自分がその礼拝の当事者になったことに非常に感動した。

チャプレンが祝祷をささげると、自分がこのキリスト教の学校で『歓待』されているのを感じた。また、教務長になったときには、学校行事の礼拝のたびに、聖書を読み上げなければならなかった。

何度も繰り返しているうちに、染みついてきたように思う。さまざまな事柄において、一定の距離を置きながら親しみを持っているが、とりわけキリスト教には親しみを持っているように思う」。

釈氏(僧侶):
「主に宗教研究、教育倫理、社会活動などを通してキリスト教を知る機会が多く、これらの分野は、どこに行ってもクリスチャンの方々に出会うことが多い。
ピエタ.png

バチカンに行ったときには、ミケランジェロの『ピエタ』の前で時空が歪むほどの衝撃を受けた。一瞬、改宗しそうになった」。

キリスト教徒はなぜ1パーセントにとどまるのか

内田氏:
「教会で結婚式を挙げたり、牧師に結婚式の司式をしてもらった・・・という割合は、6〜7割いるのではないだろうか。一方で、葬式は仏教式で行い、戒名をつけてもらったりすることが並立するのが、日本の宗教性。他の国や地域には類を見ない形だと思う」。

釈氏:
「日本人に『神様はいると思うか?』と質問すると、『いる』と答える人は2割程度で、調査した25カ国中最下位。しかし、『いない』と答えた数もそう多くはない。『分からない』と答えた数は、ダントツでトップ。この『分からない』が日本人の宗教観なのでは。

日本の宗教観は『テーブルの真ん中は空けておく』ということであり、これは、しっかりと太い軸を持たないことで、イメージとして、そのテーブルに仏教、儒教、神道などは着くことができる。しかし、キリスト教は真ん中にドンと軸を持ってくる宗教。


『正統』と『異端』、『信者』と『未信者』など、軸を中心に分けるという思想がある。これは、宗教にとって、とても大切なことではあるが、ここが日本人の宗教観と合わないところの1つ。

しかし、全く合わないわけではない。浄土真宗も、そういった性質を持った宗教の1つだが、国内では最も大きな宗派の1つになっている。

日本にある大学の1割がミッション系であるということは、教育に関して、キリスト教は多大なる影響力があるということ。また、この150年間で日本人の感覚は徐々にキリスト教的になってきているとも感じている。

私たち僧侶でさえ、キリスト教にはたくさんの影響を受けた。クリスチャンではないかもしれないが、世界をキリスト教のメガネをかけて見ることが日本人は可能になってきている。ここ数年では、急激に日本人ムスリムも増えてきていることから、イスラムメガネも必要になってきた。

内田氏: 
「この先、20〜30年間は『宗教の時代』が来る。団塊の世代、その下の世代は、『霊的成長』を置き去りにしてきたため、『無宗教こそ知性の証し』のような時代が長く続いた」。

釈氏:
「宗教は、反伝統でもある。これに違和感を覚える世代でもあったが、今の若い世代は、この『伝統』すらない世代。この10年でムスリムは倍増している。おそらく、この先10年でさらに倍増するだろう。

私たちは、喫緊の課題として、仏教界、キリスト教界も考えていかなければならない。長い歴史のあるものは、それだけ、時代とのすり合わせが必要だ。そのままだと若者にとって魅力のないものになりがち。これを『文化』と消化はするが、この辺りがキーなのでは。

しかし、マクロでものを見るのではなく、ミクロでものを見ると、一つ一つの教会、寺、活動は、とても魅力的。キリスト教を個人として、とても尊敬している。

日本でこれから爆発的に信徒が増えていくのは、今のところ考えられない。しかし、キリスト教が日本に与えている影響は間違いなく大きいと思う。クリスチャンの人口は少ないかもしれないが、裾野は広い。裾野は豊かであればあるほど、頂きが高いということだと思う」。

これを読んで河合隼雄の言葉(『子どもの本を読む』)を思い出した。

「両親が暴力をふるってくる子どもに向かって、自分たちがこれまで何でもお前の欲しいものを与えてきたのに、何が不足で暴れるのかと尋ねた。それに対して子どもは、『うちに宗教がない』と答えたのである」。

勿論、子どもは「家の宗教」がないと言っているのではない。

「絶対に不足しているものを指して、子どもは『宗教がない』と言ったのである。最も根源的なことを不問にし、・・・多くの親たちがあまりにもそのことを忘れているからである」。

この書物が出て31年、現代は私が子育てしていた頃よりも向上したのではなく劣化の一途を辿っている。親や教師も同様で、子どもが健全に成長していくのが非常に難しくなった。それについてはページを変えて考えたい。


posted by 優子 at 20:40| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年10月21日

脳死者が臓器摘出時に苦しむ?!

昨夜は知子が不在だったので私は知子のベッドで眠った。ユキは9歳になり大きくなって133センチになったけれど寝顔は幼児の時のままだ。
眠っているユキを抱きしめたら涙が溢れてきた。今も脳死状態で眠っているM君を想ったからだ。そして、その母の絶叫はどんなものであるかと。

昨夜半、私はわけのわからない夢を見てうなされて目が覚めた。
18日に本(『脳死・臓器移植の本当の話』)が届いてからずっとMくんのこと、お母さんのことを思いながら読んでいくうちに、あまりにもおぞましい現実を知った驚愕と、Mくんのお母さんとどのように関わればよいのか思いめぐらせているからだ。

新書版で424ページという分厚いものだが、著者・小松美彦の「より多くの人々が手にしうるように、あくまで新書で」という切望から手ごろな値段の新書版で刊行された。哲学的ロジックで難しく、何よりもあまりに内容が重くて今はまだ半分ほど読んだところだ。

私は今まで脳こそが命を統御するものだと思っていた。脳幹は命の中枢である呼吸や血圧を司るところで・・・と。

しかし、全脳死でも死ではないというのが私の直観であり、人工呼吸器を外すと生きていけないとは言っても、体温がある人を死とするのはどうしても容認できないことであった。死んだ人に人工呼吸器をつけても血流は再開しないことからも判断できる。

しかも、このたび脳死と呼ばれている人は、「脳という一器官の不全状態」であり、それでもって死そのものを意味しないということを知ることとなった。

ペースメーカーを埋め込んでいる人や透析している人たちも同様であり、それらの機械がなければ非常に深刻な状態になる。
ならば脳死の人もまた同様に人工呼吸器という機械の力を借りて生きているのであり、その点からも脳死は人の死ではない。体が暖かいのは血流があるからである。

最も驚いたのは「ラザロ徴候」である。その名前からすぐに内容は想像できた。
「ラザロ徴候」とは、「(Lazarus sign, Lazarus phenomenon)は脳死とされる患者が自発的に手や足を動かす動作のことで、名前は新約聖書でイエスによってよみがえったユダヤ人のラザロに由来する」。
ついでながら「ラザロ」は、ヘブライ語で「エレ・アザル:神はわが助け」を意味し、神に助けを求める者である。


脳死や臓器移植関係者はラザロ徴候を脊髄反射であるとして顧みないが、人工呼吸器を外した2〜3分後からラザロ徴候が1時間も続き、その間には血圧が230にも上昇し、1分間に150回もの頻脈を呈して顔面も紅潮した人もいた。彼らはこれをどのように説明するのだろうか。

これは間違いなく脳幹の働きであり延髄が機能している可能性が多分にある。単純に考えても本当の死者にこのようなことはあり得るのか!

医療者よ、驕るなかれ。
人間の尊厳を侵してはならない。


全ての臓器を提供したドナーが最後に眼球を摘出された時、「脳死者の額には汗が無数の玉となって浮き上がっている。眼には涙があふれていた」といい、「臓器摘出の執刀時、ドナーの大半が急速で激しい血圧上昇と頻脈を示す」という論文も報告されている。

英国の麻酔医は語る。
「(脳死患者に)メスを入れた途端、脈拍と血圧が急上昇するんですから。そしてそのまま何もしなければ、患者は動き出し、のたうち回りはじめます。摘出手術どころじゃないんです。ですから、移植医は私たち麻酔医に決まってこう言います。ドナー患者に麻酔をかけてくれ、と」。

これでは激痛どころか生体解剖されてのたうち回っているのである。まさにトゥルオグの論文にあるように「正当化された殺人(justified Killing)」ではないか!

アメリカやイギリスではこうした可能性があるからこそ、モルヒネを投与して臓器を摘出している」という。何という残虐極まりないでおぞましい蛮行だろう。

「”脳死者”には、言葉で意思表示ができなかったとしても、臓器摘出時に意識や感覚が残っていた可能性があるのだ」。
まさに脳死から生還した人が、回復していく姿を段階別に収めた映像を本人の証言と共にユウチューブで見ることができた。

「脳死者はレシピエント候補者とは違って、苦しみも願いも語れない」。

著者は何度も「自分の目で見る、自分の心で感じる、自分の頭で考える」ことの大切さを訴え、読者の心を揺さぶり目覚めを促す。

あなたはこのことをどのように思われるのであろう。是非多くの方々に読んでいただきたい本である。いや、私たちは真実を知る義務がある。

以下は本の内容紹介より:
脳死者の臓器提供をめぐる問題に何があるのか? 「臓器移植法」改定を前に、長年の論争の焦点を整理する。生命倫理の本質をえぐった渾身の大作。

「脳死者は臓器摘出時に激痛を感じている可能性がある」「家族の呼びかけに反応することがある」「妊婦であれば出産できる」「19年間生き続けている者もいる」――

1997年に「臓器移植法」が成立して以来、日本でも脳死・臓器移植は既成事実となった感が強い。ところが近年、脳死を人の死とする医学的な根本が大きく揺らいでいるのだ!

本書は脳死・臓器移植の問題点を、歴史的、科学的に徹底検証。報道されない真実を白日の下にさらし、「死」とは何か、「人間の尊厳」とは何かをあらためて問い直す。

68年に行なわれた和田移植、99年の高知赤十字病院移植の綿密な比較検討から浮かび上がる衝撃の新事実に、読者の目は大きく見開かれることだろう。

読者の道案内役をつとめてくれるのはサン=テグジュペリ作「星の王子さま」。「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ」という言葉が問題を解くカギとなる。

たくさんの書評の中から一例を:
「マスコミは移植を受けて、生命の危機を救われた患者のみを取り上げた番組を美談として執拗に報道し続ける。しかし、一方で提供する側は、密室でこのような光景が展開していると知ると、ドナーカードの所持をもう一度立ち止まって考えさせられる」。

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2016年10月10日

「ガラスの天井」に挑み続けたヒラリーが語った自らのキリスト教信仰

ヒラリー.jpg以下は、2016年1月25日のアイオワ州でのキャンペーンで、信仰についての質問を受けて語ったことである。


私は信仰を持っています。私はクリスチャンです。メソジストの信仰を持っています。私はメソジストとして育てられました。私は教会を通して家庭で受けた教育や支援にとても感謝しています。

そして、私たちクリスチャンはみな、何について召されているか、何をするように導かれているか、常に頭の中で考えていると私は思います。また、とても強い確信を持つこと、またそれをほかの信仰を持つ人とも話し合うことは、絶対に必要だと思います。

聖書の学びや信仰を持つ人との多くの対話を通して、最も重要な命令が、心を尽くして主を愛し、自分自身のように隣人を愛することだということを学びました。そしてそれが、キリストが私たちにするように命じていることだと思います。

貧しい人の世話をすること、囚人を訪問すること、異邦人を泊めること、ほかの人を高め、信仰を持ってもらう機会を作ることなど、信仰を実践する多くの方法が聖書にはとても多く書いてあります。

しかし、私は、多くの領域でさばきを神に委ねるべきだと固く信じています。よりオープンになり、寛容になり、より深く敬意を持つことで、信仰について私は謙遜になれます。

私は、頬をたたかれても常に反対側の頬を差し出せる人々、召された範囲よりさらに多く歩くことができる人々、他者を赦(ゆる)し前進する方法を見つけ出し続ける人々を深く尊敬します。

保守派のキリスト教徒に向けてか、クリントン氏は、キリスト教徒がしばしば自分自身を鏡で見ることなく、その信仰を他者を糾弾するために誤用すると暗に示した。

私は、偉大な愛がその核心であるキリスト教が、しばしば他者を迅速に糾弾し、苛烈にさばくために用いられていることに、深く失望し、申し訳なく感じています。

私が常に理解しようとし、共に生きようとしているこのメッセージは、まず自分自身を見て、ほかの人に接するときにも確実にそのように接しなければならないという意味だと私は思います。

私は完璧な人間ではあり得ませんと、全ての人に向けて告白します。しかし、たとえ冷酷な人々に対しても、より良いことをし、より親切であり、より愛す存在であろうという促しを常に感じています

ですから、もしあなたが信仰を持っているなら、あなた自身に、自分が何を期待されているか、自分があるべき通りに行動しているかを自問し続けるべきだと思います。

そしてそれはごく小さなことからですが、とても大きなことにつながっていきます。私はこのことをとても真剣に捉えています。

素晴らしい聖書からの学びはたくさんあります。「山上の垂訓」が本当に意味していることは何でしょうか。私たちに何をし、何を理解するよう呼び掛けていますか?

「山上の垂訓」は確かに、貧しい人、憐れみのある人、この世にあって多くを持たないけれども、神が愛と救いを心の底に持っていると認める人をたたえているからです。

ここまでは同意できるが、2015年4月に「中絶に反対する宗教的信念は変わらなければならない」と提示したことについては考えを異にする。いかに時代が変わろうとも変えてはならないものである。  

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(以下は前掲の「キリスト教から米大統領選を見る」より引用転載)

ヒラリー・ロダムは1947年に中西部の中流家庭の長女として生まれた。女性に生まれつきながらも、父親から「男性として」の教育を受け、そのプレッシャーをはねのけてリーダーシップを発揮する青春時代を送ってきた。

高校卒業後、マサチューセッツ州のウェルズリー大学に入学。当時はアイビーリーグ系の大学(全米で優秀な私立系大学群の総称)が女子学生の受け入れを嫌がっていたため、「女性のアイビーリーグ」の1つと言われたウェルズリーに進学したのであった。

彼女の存在は大学内でも輝きを増し、ついに開校以来の「卒業生によるスピーチ」を式典で行うことになった。今では卒業生がスピーチするのは当たり前であるが、これを女子大で行うことが「開校以来初」であるところに、当時の米国(1969年)の女性への扱いが透けて見えるであろう。(これだけは前近代の封建制を引きずる日本のほうが先を行っていたように思われる。)

ヒラリーが行ったスピーチは、全米規模で一大センセーションを巻き起こし、「ライフ」誌に取り上げられるほどであった。内容は、「一見不可能に見えることを可能にする技術」として政治を実践すること。まさに今のヒラリーを予見させるものだと言えるだろう。

その後、ヒラリーはイェール大学ロースクールへ進学する。母校ウェルズリー大学から奨学金を得たり、他の諸団体から助成金を手にしたり、その不足分をアルバイトで補うなかでの進学であった。

そこで彼女は、赤みを帯びた長髪・あごひげの1年下の男子学生と出会う。ビル・クリントンである。彼はロースクール内でもひときわ目立ったヒラリーに声を掛けられず、食堂や図書館で彼女の後を付け回していたらしい。ただ、「目立った」と言っても化粧をしてファッションセンス抜群であったという意味ではない。

その反対で、彼女はいつも分厚いビン底眼鏡をして、髪の毛は無造作に2つに束ね、服装は体形が露わにならないぶかぶかの洋服を着ていたのである。つまり彼女は女性としての魅力で目立っていたわけではなかった。


自分を背後から見つめる男子の姿を、彼女が知らないはずはなかった。1971年春、ついに業を煮やしたヒラリーは、男子学生(ビル)にこう言い放ったという。

「あなた、5分間も私を見つめてたわね。少なくとも自己紹介すべきじゃない?」。こうしてヒラリーは、将来の大統領と交際をスタートさせたという。

努力して自ら道を切り開くことで、ヒラリーは政治家としてのし上がってきたということである。その苦労は人一倍であった。特に「女性」という立場は、当時の米国ではどうしても男性にかしずくことを求められた。それを否定する生き方は、彼女の服装やコミュ二ケーションの取り方など、全てに醸し出されていたと言えよう。

ヒラリーを支えるのは「未知の領域に踏み出す」もう1つ重要なファクターがある。それは彼女の家庭がメソジスト信者であったということである。
米国が独立し、そこにさまざまなプロテスタント教派が入り込んできた。その時、最も教勢を伸ばしたのが、バプテスト派とメソジスト派であった。

その当時、牧師職は一部の特権階級であり、知性主義の象徴であったため、信徒に説教させる、しかも西部の開拓民たちについて回るというシステムは、いまだどの教派も実践したことがなかったのである。

そこには、未知の領域に一歩踏み出す「信仰」があった。いや、それしかなかったと言ってもいいだろう。もちろんその後、メソジストもエスタブリッシュとしてメーンライン化するので、そういった斬新性は失われていくが、その本質に、現状を改革していくアグレッシブさがあったとしてもおかしくはない。

ヒラリーは、マサチューセッツ州で児童保護基金に職を得ていた。やがて連邦下院司法委員会がニクソン大統領の弾劾を調査する委員会を立ち上げたとき、彼女はそのスタッフに抜擢され、それに伴って首都ワシントンへ居を移している。

このあたりからヒラリーは生粋の民主党員として頭角を現していくこととなるが、1980年の知事選挙では現職にもかかわらず落選の憂き目に遭ってしまう。

「レディー・ファースト」という文化を育んできたのも、米国である。日本やヨーロッパ的な封建制度がある国々では、男女の差異が生み出されることをある程度は納得できるが、米国にはそのような伝統はない。しかし、封建制に代わって特に南部で実践されてきたのは、聖書の天地創造に基づく男女の差異化である。

女が本気で「ガラスの天井」を壊そうと考えるなら、枝葉末節にこだわるのではなく、人々を味方につける戦略を優先したこともうなずけることである。


※ 「ガラスの天井」(glass ceiling)とは、「資質又は成果にかかわらずマイノリティ及び女性の組織内での昇進を妨げる見えないが打ち破れない障壁である 。 当初は、女性のキャリアを阻む障壁のメタファーであったが、現在は男女を問わずマイノリティの地位向上を阻む壁としても用いられるようになった」。

ヒラリーはさまざまな困難を乗り越え、失敗を通して学び、立ち上がる中で、いつしか熟練した政治家へと成長していくこととなった。これは一見サクセス・ストーリーのようであるが、実はそうではない。

詳しくは前掲サイトの「キリスト教から米大統領選を見る」をどうぞ! 

posted by 優子 at 20:29| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年09月30日

視界ゼロメートルの世界

「春がきたが、沈黙の春だった。
いつもだったらコマドリ、スグロマネシツグミ、ハト、カケス、ミソサザイの鳴き声で春の夜は明ける。そのほかいろんな鳥の鳴き声がひびきわたる。
だが、いまはもの音一つしない。
草原、森、沼地――みんな黙りこくっている」。


レイチェル・カーソン最後の著書『沈黙の春』(Silent Spring)を、この年齢になって若い時よりもはるかに鋭く感じることができるようになった。

農薬汚染が生態系を破壊することを訴えたカーソンが生きていたら、現代のどうしようもなくなってしまった病める世界をどんなふうに感じるであろう。いや、我々と違って予想していたのかもしれない。

チェルノブイリ原子力発電所事故が起きて30年になる。まさかその25年後に、日本がチェルノブイリと同じ道をたどるようになるとはと、今も何度もこの思いが繰り返しやってくる。

1986年4月、チェルノブイリ原発事故が報道された時、私は物理学で学んだことを思い出し、慌ててジャスコ(スーパー)へ脱脂粉乳をたくさん買いに行った。せめて保存できる牛乳の代替品を数か月分だけでもいい、商品がなくならないうちにと走ったが、商品は棚から無くなることはなかった。

偏西風に乗って放射能が日本上空に到達するまでに作られた商品を買わなくては! もちろん、買い込んだところで焼け石に水だ。そんなことは百も承知していたが、子供のことを思うと何かをせずにはいられなかった。長女が8歳で次女がまもなく6歳だった。

そして2011年3月、日本もまた原発事故を起こし、汚染された地域は死の町と化してしまった。自然豊かな福島の地にかつての春は巡っては来ない。

『チェルノブイリの祈り』(2015年、ジャーナリストとして初めてノーベル文学賞受賞した作品)の著者、ベラルーシのスベトラーナ・アレクシエービッチの言葉が重く響く。

「ここでは過去の体験はまったく役に立たない。チェルノブイリ後、私たちが住んでいるのは別の世界です。前の世界はなくなりました。でも人はこのことを考えたがらない。このことについて一度も深く考えていたことがないからです。不意打ちを食らったのです」。

『チェルノブイリの祈り』は「未来の物語」であり、原発事故に遭遇した人々の悲しみと衝撃を伝え、「私は未来のことを書き記している」のだと語る。

先週の「ブルンナーの読書会」で読んだエーミル・ブルンナーの言葉も忘れられない。

「今日の人間の思想と感情を支配しているものに2つあります。それは、死に対する恐怖と希望喪失であります」。
前者では「もはや安全な場所など、どこにもないのです。わたしたちは、隠れ場のない野原のなかを行くように、どんなことが起ころうとも、それに身をさらさねばならないのです」。


そして、第2の希望喪失のほうはもっと暗黒なものであると言う。

「深い希望喪失感が多くの人々を襲っております。世界史のなかには、もはや正義は失われ、悪が勝利し、人が生きる意味などは存在しないのではないでしょうか。

この2つの感情は、しかし、互いに矛盾する要素を持っております。もし生きることに何の価値もないなら、死に対して恐れを持つはずはありますまい」。


この矛盾した絶望こそが「人間の根本感情」であり、その問題に対する神の応答がイースターの使信である!

2016シュウメイギク.jpg「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ」てくださった」。  
(ペテロの第一の手紙1章3節)

この聖書の言葉を神の応答として聴ける者は幸いだ。


つゆ草.jpg視界ゼロメートルの時代に在って、私は絶望しそうになっても絶望しない。

美しい花々、小さな生き物、子どもたちの未来を奪ってはならない。

posted by 優子 at 23:58| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年09月27日

民主的な米大統領選討論会と異様な国会安倍自民党

今朝は大急ぎで朝の家事を済ませて「BS1」放送の、アメリカの大統領選・クリントンとトランプ氏との第1回討論会を聴いていた。

IMG_0326.jpgこの討論会はニクソンとケネディの時から始まったという。90分間のディベイトをノーカットで放映し、しかも常に2名を映し出していた。

一方がスピーチしている時に他方の表情も映すいう視点に「さすが!」と思った。相手候補の主張を聴いている時にその人の人間性が垣間見れるからだ。今日も安倍氏は野田氏の言論を聞きながら彼の得意の侮る表情をした。

ヒラリーさんは「嘘つきで言うことが変わる」からと絶大な人気があるというわけではないが、トランプ氏は資質や品格のレベルに関わることなので、私はヒラリーさんの発言に注目して聴いていた。

ヒラリーさんのディベイトは具体的で説得力があり、トランプ氏の感情的な皮肉にも乗らなかったのもよかった。2人のビジョンと価値観は如実に現われていた。

ヒラリーさんは討論会のために心理学者のアドヴァイスも受けて、トランプ氏はどんな言葉に激怒するかまで研究したそうだ。邪道のようであるが、政治家の対決においてはそれも可。人物像を探る手法になると思う。

先の都知事選の時にも思ったことが、大統領という最高度の責任とストレス職に就こうとする真意は何だろう。人間は金銭欲よりも地位、名誉を求めるのだろうか。しかし、そのようなことでは決して戦い得ない。

午後には第192回国会における安倍内閣総理大臣所信表明演説があり、用事をしながらたまたまつけたテレビの光景に目が釘づけにされた。

安倍さんが「(自衛隊員らに)心から敬意を表そうでありませんか」と呼び掛けて、自民党議員が総立ちで拍手を送ったのだ。

ここまで来たか。

私はその異様さにヒトラーを想起させ恐れた。まるでナチスの党員が右手をピンと張って「ハイル・ヒトラー!(ヒトラー、万歳!)」と叫ぶ光景と重なったのだ。


討論会後にCNNテレビが実施した世論調査によると、クリントン氏が勝ったと答えたのは62%と報じているが、ネット上ではトランプ氏が優位だという。

いずれにしても日本人はどうだろう。
まだまだ個の確立が不十分な私たちは、今日の所信表明の異様さに象徴されるように、周囲の影響を受けやすく集団心理の危うさを感じずにはいられない。

posted by 優子 at 18:54| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年09月13日

9.11から15年 リック・ウォレン牧師の祈り −米国の現状況を危惧−

「神よ、暗くなっている世界において、私たちが光となることができるよう助けてください。崩壊しつつあるように見える世界において、私たちが塩となることができるよう助けてください。

この暴力的な世界において、私たちが平和をつくる者となることができますよう、あなたに乞い願います。いよいよ恐れが増し加わる世界において、私たちが勇敢であるように助けてください。

私たちは今、テロによって世界中に増大する苦悩や苦しみを毎日耳にしています。家や仕事を失って難民となっている数百万人の方々のために、私たちは祈ります。その方々の多くは、邪悪なテロによって健康や貯蓄を失ってしまいました」。


しかしウォレン氏は、「人種差別、偏見、政治、その他の多くのもので分裂している」世界の中で、希望を投げ捨てるのではなく世界の架け橋となるよう、クリスチャンを励ました。

イエス・キリストが罪を赦(ゆる)したので、クリスチャンは他人を赦す備えができているはずだと言い、

「私たちが全ての人に思いやりを示せるよう助けてください。特に思いやりを必要としている人に、そうすることができますように。

私たちが希望に満たされることにより、他の人に希望をもたらすことができますように。この世の全ての憎しみを克服するために、私たちが愛の中を歩むことができますように」。


9・11以降、テロに対する世界規模の戦争で数千人余りが殺害され、数万人が負傷している。

「9・11の悲劇の直後、数百万人の米国人が教会に集いました。中には数年ぶりに行った人もいました。皆さん、それを覚えていますか。全国的に神を呼び求め、御顔を慕い求めました。

神だけがもたらすことのできる力と慰めと守りを求めて、国全体が神に叫びました。私たちの記憶は、何と薄れやすいのでしょうか。

個人としてまた国家として、神を呼び求めるために次の災害が起きるのを待つ必要はありません。神は米国を見捨てはしませんが、米国は神と神の言葉に背を向けています。それは国家的団結にとって、非常に懸念すべき霊的状態です」。


リック・ウォレンは現在の米国の状況を危惧した。

※ この記事は、本日夕方に公開された『クリスチャン・トゥディ』より抜粋引用。その情報源は米国の『クリスチャン・ポスト』の ”Rick Warren on 'Painful' 9/11 Anniversary: World Is Getting Darker, Decaying Due to Terrorism.” である。

posted by 優子 at 22:10| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年09月01日

『泥流地帯』を想起させる台風10号

異例の進路を辿った台風10号は、8月30日に東北の太平洋側に上陸した。これは1951年の統計開始以来初めてのことで、甚大な豪雨被害をもたらした。

北海道・南富良野町では、空知川の堤防が決壊して濁流が溢れ出し、今も3名が行方不明になっている。昨年の8月末、初めて行った北海道であり富良野である。

岩手では11名が亡くなられ、そのおひとり79歳の女性は、2011年の大震災で家を流されて今度は命を落とされた。北海道の農家の方は「もう、死ねってことか」と、生きる気力を失くしてしまわれた。

「何で正しい者が苦難に遭うんだべ」
「なあ、兄ちゃん。まじめに生きている者が、どうしてひどい目にあって死ぬんだべ」


大正15年、十勝岳大爆発で富良野地区が山津波の濁流に呑み込まれた。その災害を題材に、誠実に生きた開拓農民の苦闘を描いた三浦綾子の『泥流地帯』が脳裏に浮かぶ。

「苦難にあった時に、それを災難と思って嘆くか、試練だと思って奮い立つか、その受け止め方が大事なのではないでしょうか」。
           (『続泥流地帯』)

三浦綾子は登場人物の佐枝にクリスチャンとして息子・耕作に語らせている。

私たちも苦難から逃げないで、苦難の意味を追求しながらも、神への信頼と希望を失わないで前向きに進んで生き抜かねばならない。

「それだけではなく、患難をも喜んでいる。
なぜなら、患難は忍耐を生み出し、
忍耐は錬達を生み出し、
錬達は希望を生み出すことを、
知っているからである」。
(ローマ人への手紙5章3・4節)

神が苦難の中におられる方々の生きる気力を支えてくださるようにお祈りします。

それにしても科学技術は著しい進歩を遂げ続ける21世紀であるが、大災害の頻発で復旧することもできない時代になってしまった。人間は謙虚にならざるを得ない。

IMG_9893.jpg




ユキが撮った
「おんぶバッタ」

最後までけなげに咲く朝顔。
IMG_9880.jpg

posted by 優子 at 22:21| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年08月19日

現代に問いかける伊丹万作の「戦争責任者の問題」

昨日のこと、私はユキと二人で10分間のデボーションの時を持った。「家の教会R」で読んだ聖書を読み、「平和」について、また、家族やお友達と理解し合うにはどのようにすればよいか話し合った。

そして、友のブログ・『生かされて』で紹介されていた「戦争のつくりかた」を見た。そこまでは良かったが、「はだしのゲン」をユウチューブで数分間だけ見ようとして開いたのがいけなかった。

「はだしのゲン」について知ってはいても読んだことがなかった私は、軽率にも原爆投下直後の絵を開き、ユキの心に強い恐怖を与えてしまった。昨夜は怖がって眠りにくかっただけではなく、午前1時頃から明け方まで泣くので知子が抱きながら眠ったそうだ。

子供の心はかくも純粋で繊細なのだ。というより、これが本来の人間の姿であって、大人になると麻痺してしまっているのかもしれない。

知子もちょうどユキと同じ年の頃、丸木位里(いり)・俊(とし)夫妻の『原爆の図』が怖くて見ることができなかったし、エジプトのミイラの写真を見てしまって怖くて眠れない日々があった。

私は不注意すぎたことを詫びた。そして、気づいた。
「はだしのゲン」の作者もユキと同年齢だったということは、生き残った子どもたちはこの世の地獄に押し込められて、肉体だけではなく心を破壊し異常になってしまうほど傷ついたということを。


私はいま改めて戦争を別の視点から考えさせられて、「ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないような滑稽なことにしてしまつた」のは政府でもなく国民自身だったと、終戦1年後に書いた伊丹万作の『戦争責任者の問題』を想起した。

日本国が明暗の分かれ道に差し掛かった現今にとっても大きな警鐘だ。経験から学ばず、今こうして過去の教訓を引っ張り出してこなければいけないというのは愚か過ぎる。

以下は青空文庫で公開されている『戦争責任者の問題』からの抜粋である。

さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。(略)つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
 
このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。
 
たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。

私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。

少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、(略)我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
 
そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である
。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。

 
我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう

まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。

私たちは決して復古主義の台頭を許してはならず、ナショナリズムを煽(あお)られてはならない。今、真剣に考えないと子どもや孫の未来はない。

posted by 優子 at 20:42| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年07月28日

今日という日は神さまからの贈り物

「おばあちゃん、『友引』ってなに? 『赤口』ってなに? 
なんかいっぱい書いてある」

ユキが卓上カレンダーをもって聞いてきた。

これは中国から伝わったものが形を変えて「日の吉凶占い」として現代も行われている。「赤口」(しゃっく・しゃっこう)については私も意味を知らなかったが、この日は大凶の日で正午のみ「吉」とされるという意味を知って驚いた。

私はユキに話した。
「日本では毎日この日は良い日、悪い日と決められており、『友引』の日にお葬式をすると「友を引く」と言って、ほかの人も一緒に連れて行くからという意味でね、こんな迷信が今も信じられているのでお葬式をしないし火葬場も休みなんだって。

でも、そうではないよね。いつの日も素晴らしいことをユキは知っているよね。
今日は神さまからのプレゼント。だから英語で『現在』を『プレゼント』(present)と言うんやよ」。


そして、「この日は主がつくられた」を歌ってあげるとユキもすぐ一緒に歌いだした。これは讃美歌ではないが、主を讃美する有名なゴスペルソング"Praise & Worship Songs" である。

ユキは、「真智らが一緒の今度の『家の教会』でこれ歌おう!」と言い、ユウチューブをかけると「これ『お気に入り』!」と、ユキはよほど気に入ったのかいつまでも歌っていた。

日本人は本当に恐れに縛られていると思う。
日本には「八百万の神」と言って無数の神々があり、偉大な人を祭って神にする。天神さんは菅原道実を、明神さんは平将門をと、神と人が同格になっている。

大木には神が宿っているとされて拝み、また、家内繁栄、商売繁盛、交通安全・・・と挙げればきりがないほどご利益の神がある。

このように人や動物、自然などを神とする日本人にとっては、何を信じるかという信仰の対象は問題ではない。しかし、何を信じるかはその人の価値観や人格を決定する重大なことだ。

明日も与えられていることを確約できる人は誰もいない。大切なのは今だ。確かな時間は「今」しかない。

" Today is a Gift from God."

「この日は主が造られた」のであり、どの日も素晴らしい。ユウチューブからリンクを埋め込めなくて残念だが、以下がその歌詞である。

この日は この日は主が造られた 主が造られた
我らは 喜ぼう この日をば この日をば
この日は 主が造られた
我らはこの日を喜ぼう
この日は この日は主が造られた

This is the day  This is the day
That the Lord has made
That the Lord has made
We will rejoice  We will rejoice
And be glad in it  And be glad in it
This is the day that the Lord has made
We will rejoice and be glad in it
This is the day  This is the day
That the Lord has made


真智と太志君がいる8月7日の礼拝はみんなで創造し、感謝と讃美の礼拝をささげよう!

posted by 優子 at 11:52| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年07月16日

『大久野島からのバトン』 文学のピースウォーク

現地時間7月1日夜、バングラデシュのレストランでテロ発生。28人が死亡、7人の日本人も犠牲になった。
あまりの出来事ゆえに記事に取り上げることができなかった。犠牲に合われた方々の命が惜しまれてならず、ご遺族のことを思うと何も書けなかった。

そして一昨日の7月14日、フランス革命記念日の夜、南仏ニースで花火見物をしていた人々の中に大型トラックが突っ込んだ。
このニュースを15日早朝にラジオで聞いた時、またどこかで大きな交通事故でも起きたのかと寝とぼけていた。
ところが、84名が死亡し、今も54名が重体で、共に「イスラム国」が犯行声明を出した。

もはや世界はどうしようもないほど混沌とし、深い闇の時代になってしまった。何という狂気! 
どの国も政治が機能を失いつつあり、私は悲観的な気持ちに覆い尽くされて思考停止してしまいそうだ。

今週初めに日本クリスチャンペンクラブ(JCP)のペン友から1冊の本が送られてきた。児童文学作家・今関信子さんが6月末に刊行された『大久野島からのバトン』だった。

私はこの年になるまで第一次世界大戦で日本軍が毒ガスを使ったことを明確に知らなかった。大久野島(おおくのじま)のことも然り。恥ずかしく思う。

この本を読ませていただいて改めて国の狂気と、時代に翻弄された人々の地獄を思い知った。それだけではなく、被害者の痛みを実感することができ、読後の一筆の感想と現況を書いて今関さんに送った。すると早今夕返信が届いて驚いた。

今関信子さんはこの作品の取材で中国を訪ねられた。

「日本軍の毒ガス攻撃から生き残った方が、『あなたたちが悪いんじゃない。許す』とおっしゃいました。
私たちは今、日本が危険な方向へと進むことに反対できます。こんど戦争が起きたら、私は許されないだろうな。いまなら間に合う。書かなくちゃと

            (7月17日号『滋賀民報』掲載)

『大久野島からのバトン』は日本児童文学者協会創立70周年記念出版で、文学のピースウォーク 第3弾である。

昨年11月に刊行された『国をつなぐ奇跡の島 クロツラヘラサギ―日本・韓国・朝鮮の架け橋』同様に非常に読ませる内容だ。是非、お読みいただきたい。既に滋賀県の図書館では貸し出されており、予約待ちの状態だ。

7月24日には出版記念ではないが今関さんのサイン会が予定されており、「滋賀民報Web」にも案内されている。私は出かけて直にお話を聴きたいと思う。今関先生の時間が許せばペン友と3人で昼食を共にしたいと思う。

■今関信子さんサイン会
7月24日(日) 14:00
大津市丸屋町・ギャラリーQ(滋賀民報社社屋1階。京阪浜大津駅から山側へ徒歩6分。丸屋町商店街アーケード内)
「大久野島からのバトン」の著者・今関信子さんのお話と語り合いなど入場無料
問合せ:「大久野島からのバトン」普及会 080-5707-3779(西田さん)
 
「ふたたび『銃口』が背中に当てられる時代がきた。今度はキリスト者として目覚めて戦いたい。権力への恐れやへつらいから最も弱い者を二度と犠牲にはしない」。

三浦綾子の言葉も響く。
アメリカ東海岸在住のマウミさんも「ウインザー通信」で警鐘を鳴らし続けてくださっている。昨年1、2度メールのやり取りをしたことがあるが、私などあまりにも無知ゆえに何一つ話すことができなくて退散した。

「ウインザー通信」では自民党改憲草案との比較を示して、自民党の改憲草案の非道さを叫び続けておられる。

「(憲法前文の)世界平和に向けての確固とした強い信念と決意が込められた文章。そのほとんどが抹消されてしまいました。

天皇を象徴から元首に戻し、戦争放棄を削除し、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持し、国民の個人から個を消し去った自民党草案。

こんなものを、日本国憲法として、未来の日本人に引き継がせるわけにはいきません。
HELL NO!」

「HELL NO!」とは「当たりめぇよ!」の意味。

今日の記事にも驚きの内容が書かれている。
都知事選に出馬している増田寛也氏が選挙戦に入る直前まで東京電力の取締役だったと! 
これでは原発問題について客観的に見て判断することは難しい。


先週の参議院選挙と同じく、都知事選は都民それぞれの価値観を問われることであり、神妙に見極めて一票を投じねばならない。都民以外の国民もまた同様に自己洞察を加えつつ三者を見極めながら見守っていかねばならない。

三浦綾子さんが生きておられたら、日本がここまで危機的な状況になっていることをどのように感じられるだろうか。今生きている大人たち一人ひとりの責任を果たさねばならない。

posted by 優子 at 23:14| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年06月20日

中田武仁さん逝去

「中田武仁さんが5月23日、老衰のため神戸市の病院で亡くなっていたことが分かった。78歳。葬儀は親族で営んだ」。久保田先生の訃報を受けた翌17日、中田武仁さんが亡くなられたことが報じられた。

1993年4月、カンボジアで選挙監視のボランティア活動中に銃撃されて亡くなった中田厚仁さん(25歳)の父だ。

武仁さんは愛息の遺志を継いで、15年間で30カ国の紛争地を巡ってボランティアを激励支援し、1500回以上の講演活動を続け、私財をも使い果たしたという。

あの時、悲報を受けて武仁さんご夫妻がカンボジアに向かわれた時、一輪の桜の枝を持って行かれたそうだ。厚仁さんが生まれた時に植えた桜の木の枝を。

「厚仁の体は白い布に包まれ、とどめを刺された一撃でもある後頭部から左目に貫通した銃弾の痕も、それと分からないように包帯で包まれていました。

母親がせめて手だけでも握ってあげたいと申しまして、恐れおののきつつ白い布を解きますと、厚仁の手は胸の上で合掌するように組まれていました」。


厚仁さんの13回忌には、「献身的な若者に出会うたび、ここにも厚仁がいると感じるようになりました」と、自らに言い聞かせるように語られたという。

中田武仁さんと.jpg私の住む自治会にも講演に来てくださったことがあった。自治会のどなたかがお知り合いだったのではないかと思う。

この日がいつだったかわからない。真智が大学4回生の時だっただろうか・・・

中田武仁さんとマチ.jpgこの頃の「生活記録簿」には必ず記載していたので丁寧に調べればわかるはずだ。とにかく12〜3年前のことだと思う。

中田武仁さんはわが子の悲しみを胸にしまって、常にこの輝く笑顔を照らしておられた。
そう、それは世を明るく照らす笑顔だった。


この日、中田さんのお話をお聴きした時に思ったことも思い出した。それは実に拙いものだった。
そのような危険地帯ならば無防備ではなく、せめて防弾チョッキを着用すべきではなかったのかと。

そして、その思いに対して微かにではあるが不本意なものというのか、不純なもの、的外れなものを感じていた。今、これを書きながらその不本意さの根源がわかった。

それは私が武仁さんの生き方にはほど遠く、その真剣さが全くわかってはいなかったために、あのような恥ずかしいほど稚拙なことしか感じなかったのであり、私に純粋さが欠けていた。


何も発言しなかったことが幸いだった。

久保田暁一先生が召天されて自らの最終ラウンドを如何に生きるのかと強く感じている今、中田武仁さんの死からも強く迫られるものがある。

「あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。・・・ただ、あなたがたはキリストの福音にふさわしく生活しなさい」。            
         (ピリピ人への手紙 1章6節、27節)

怠けず、時間と力を浪費しないで励まねばと思う。

posted by 優子 at 18:26| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年06月04日

被爆者・宗藤尚三牧師はオバマ大統領のスピーチをどう聞いたか

以下は『クリスチャン・トゥディ』の「オバマ大統領のスピーチをどう聞いたか 18歳で被爆し反核運動に身をささげる宗藤尚三牧師に聞く」より抜粋引用させていただいた。

※ 宗藤尚三牧師は、この年の10月30日に召天された。

宗藤尚三牧師.jpg宗藤尚三さんは1927年広島生まれ、今年89歳になる。
戦中は広島呉の海軍工廠で働き、1945年8月6日、爆心地から約1・3キロ地点の実家で被爆した。

その後、キリスト教の洗礼を受け、1949年に東京神学大学に第1期生として入学。27歳で日本基督教団の牧師となり、その後は、被爆体験の証言や核兵器廃絶、憲法9条を守る運動、そして宗教者の立場から平和を訴える活動にも尽力し続け、現在も広島宗教者九条の会代表世話人、日本宗教者平和協議会常任理事や、「サヨナラ原発広島の会」運営委員長を務めている。

「被爆しながらも、なぜ自分が生かされているのか?」が信仰と牧師としての活動の原点だという宗藤さんは、『核時代における人間の責任―ヒロシマとアウシュビッツを心に刻むために』(ヨベル、2014年)、『心の内なる核兵器に抗して―被爆牧師のメッセージ』(キリスト新聞社、2010年)など多くの著作がある。

オバマ米大統領が広島を訪問した歴史的な日となった5月27日の翌日、宗藤さんが住む広島市安佐北区を訪ね、話を聞いた。

−昨日、テレビでオバマ大統領のスピーチを聞いてどうお感じになられましたか?

テレビで見ていました。複雑な思いですね。現職の大統領が広島を訪問するのは初めてですから、世界に与える反響というのはそれなりに意味があると思います。

核廃絶への道程やメッセージをプラハの演説の時と同じように「推進していく」という決意をもう一度表明されることを、広島の人間は皆期待していました。謝罪をしてほしいとは私は思っていませんでした。

原爆が投下された歴史的な背景を考えていくと、やはり日本の軍国主義によるアジア侵略や太平洋戦争という無謀な戦争を始めたこと、あるいはポツダム宣言の締め切りが8月3日までだったのに受諾を遅らせて、国会で一億玉砕本土決戦ということを総理が言ったということが原爆投下の一つの導火線になっているわけです。

そういう意味で、日本の加害者としての責任が背後にあるということを無視して、ただ原爆投下を非難することは、私らの気持ちとしてはできない。だから、謝罪をする必要はない。

でも、NO MORE HIROSHIMA、再び戦争はしない、原爆は使用しないということを推し進めてほしいということを期待していたわけです。

それがどうだったかというと、17分間の演説の中で、核廃絶ということは困難であって、私たちの生きている間はないだろうと言った。そして具体的な推進するプロセスや提案もなかった。ジュネーブでの核兵器禁止条約の作業部会に核保有国として出席しないというように全く意欲がない


また、核廃絶と言いながら実際には1兆ドルの核兵器開発費を予算として承認している。新しい形の「スマート」な核兵器を開発し製造している。

核兵器をなくすより逆行しているのが現実にあるわけです。オバマさんに何か期待することはとてもできないのではないかと思います。

私は、核という抑止力によって平和を維持するという考え方は根本的に間違っている、それはただの安全神話だと思っている。

核を持っているということは使用するために持っているわけであり、使用するぞと言って威嚇しているわけです。

事実、国際司法裁判所でも、「一国の存亡の危機に直面した場合に核兵器を使用するのが違法とはいえない」と判断している。

自衛のために核兵器を使用するのは違法とはいえないという世界の通念があるわけで、そこで核兵器を保有していて使えないということはない。自衛という大義名分が立てば使うことができるとして持っているわけです。


そういう危機的な状況の中で人類は生きているんだということを考えざるを得ないです。一発でも原爆があれば、いつでも使えるわけです。そういう意味で核廃絶以外に道はないというのが私の立場です。

−今年に入ってからも、核の使用が現行憲法上可能かという議論の中で「核を絶対に使えないわけではない」と言っている。そこに齟齬(そご)を感じます。

安倍さんは核の傘の下で日本が平和を維持するという軍事同盟関係を結んでいるわけで、その安倍さんが広島に来て「過ちを繰り返しませんから」と原爆慰霊碑の前で発言したり演説したりするのが奇妙なことなわけです。

過ちを繰り返さないために平和憲法ができて憲法9条を作り、戦争を放棄するということを誓ったわけです、こういうことが2度とないようにと。その憲法9条を否定するような総理が、あそこで見栄をはって米国との同盟関係を言うのは、被爆者としては全く受け入れられないです


−今回の演説に意味があると感じられたのはどこの部分ですか?

核兵器の問題というより、今の戦争と飢えと飢餓をまとめて、戦争のない争いのない世界をつくりたいと言ったのはそれなりに評価していいと思います。でも、特に広島に来た以上は、核について特化した提案があってもよかったと思います。一般論として戦争と平和の問題について言ったことはその通りだと私は思いますけれども。

私は約1・3キロの地点で1日倒れていたので、かなりの放射線を浴びたわけですが、約1・3キロの地点の放射線量は3千ミリシーベルト程度だと聞きました。福島の原発の作業員は100ミリシーベルト(その後250ミリシーベルトに変更[年間])なわけです。だから、かなりの被ばくをしたわけです。

でも、家の中とか壁に遮られたか、どこにいたかによっても違うから正確には分からない。現実に放射能の影響による急性白血病などは、戦後経験してきました。その中で「自分が生かされていることがどういう意味なのか?」、自分のアイデンティティーを問う哲学的な思索をするようになりました

−キリスト教の洗礼を受けられたのは何がきっかけだったのですか?

たまたま私はキリスト教作家の倉田百三が伯父(母の兄)なんですね。倉田の影響も受けて親鸞かキリストかずいぶん迷って、キリスト教の洗礼を受けたのです。

倉田は終戦の2年前(1943年)に亡くなっているんですが、クリスチャンで『愛と認識との出発』とか、『出家とその弟子』という小説を読んで大きな影響を受けました。

そして、被爆しながらも自分が生かされているのは、自分が平和を作り出す道具として生かされていることだという自覚を持つようになって、反核、反戦運動家となって活動してきました。

実は最初はカトリックの幟町教会で洗礼を受けたんですよ。でも、小さな自分ながらの宗教改革があってプロテスタントの日本基督教団の広島教会に移りました(笑)


当時はスコラ神学のトマス・アクィナスの神学体系にどうも興味がわかなかったし、ローマ教皇無謬(むびゅう)説にも納得できなかったし、マリア崇拝が根本において聖書の中から出てこないし、だんだんと違和感が出てきたんです。

−太平洋戦争で戦艦大和の搭乗員として戦って生き延び、戦後『戦艦大和ノ最期』を書いた作家の故吉田満さんも、戦後、カトリックの洗礼を受けて、その後プロテスタントに移られたと書いていました。

吉田満さんは高知の方ですね。『福音と世界』の前身だった雑誌に、1950年代のころ、吉田満さんと共に「カトリックから転向して」という特集があって、座談会をしたこともあります(笑)。

−いきなり息子さんが神学校に入るということで、ご両親は反対されなかったんですか?

両親は熱心な浄土真宗の信徒でしたけれど、反対はなかったですね。伯父の倉田がキリスト教で、『出家とその弟子』には親鸞の口からキリストが語る言葉が出てくるような小説ですから、東洋と西洋の美しい一致が書かれている。

京都に西田天香(1872〜1968年)が始めた、一燈園という宗教的な生き方を求め、清貧に甘んじて人のために奉仕する道場のようなものがあって、倉田がそこにいて、父もそこに入っていたことがあるんですね。

街を托鉢して歩くときも、親鸞の書物と一緒に聖書を持って歩いていたというんですね。だから、宗派にこだわるということはなかった。そういう意味で、私が牧師になるということも、父は特に反対はなかったようですね。喜んで私を神学校に送り出し支えてくれました。

東京神学大学ではカール・バルトを中心に学び、「パウロにおける罪の理解」というテーマで論文を書いたんだけれど、その後サンフランシスコの神学大学では「カール・バルトにおける教会と国家」という論文を書きました。

そういう意味で、最初はバルトの言葉を自然神学に対立する神中心の神学として勉強したけれど、僕自身はそこからナチス・ドイツとの抵抗運動の中で教会がどう戦ったかということを研究しました。

−それが教会に牧師として赴任されてからの信仰と、平和を訴える活動の原点なわけですね。最後に今の教会についてはどう思われていますか?

内部対立ばかりやっているので、日本基督教団自体に期待するものは何もないですね。私は東京神学大学卒業ですが、応援したり、献金したりしたこともありません。宗藤というやつは困ったやつだと思われているんじゃないでしょうか(笑)。

今の日本基督教団は私のほうからいえば、右に寄っていて戦責告白なんか口にもしない。礼典もクローズドで、それをしない人は出ていけというような立場になってしまっています。

でも、日本基督教団は戦後、戦責告白を出しているわけですから、その線に沿って教会が形成されるべきで、教会が預言者的な担い手になることを望んでいます。
私はオバマさんが大統領職を退任されてから、いよいよ彼の真の働きが始まって行くのだろうと期待している。


posted by 優子 at 19:25| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年06月02日

石破茂国務大臣「クリスチャンとしての思い」を語る

以下は『クリスチャン・トゥディ』(2016.5.27公開)の「この人に聞く 石破茂国務大臣」より「クリスチャンとしての思い」を転載させていただいたものである。

クリスチャンとしての思い

自身の信仰についても語ってくれた。「私は生まれたときからのキリスト教徒です」。
「4代目のクリスチャンで、初代は金森通倫というキリスト教界では有名な同志社大学の第2代目学長でした。新島襄から洗礼を授かった人です。母は3代目クリスチャン、姉も4代目クリスチャン。父は浄土真宗でキリスト教ではありませんでした。

ですから、自ら信仰に目覚めたというわけではないのですが、逆に今まで『神様がおられない』というような恐ろしい考え方をしたことは一度もありません」。

「人間のやることは常に誤りだらけ。きっと私にも多くの誤りがあるでしょう。それ故、常に祈るときは二つのこと、すなわち『ご用のために私をお用いください』『どうぞ誤りを正してください』と言うのを忘れないようにしています。これしかないのでしょう。そうではありませんか」。

いつも心にとどめている聖書の箇所は、ルカによる福音書18章9節から14節の「ファリサイ派の人と徴税人」の例えだ。

ファリサイ派の人が週に2度断食し、全収入の10分の1をささげ、「神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します」と心の中で祈った。

一方、徴税人は目を天に上げようともせず、胸を打ちながら「神様、罪人のわたしを憐れんでください」と祈った。

「『言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人(徴税人)であって、あのファリサイ派の人ではない』というところが好きです」と石破氏。

「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(14節)。この聖句を心に刻み、いつも自分を戒めていると証ししてくれた。

石破氏には非常に心痛むことがあるという。それは、日本のキリスト教界からの反応だ。

「私が防衛庁長官だったときに、イラクへ自衛隊を派遣しました。その時も、昨年の安保法制の時も、キリスト者から猛烈な抗議が来ました。大変な抗議です。

ですが、われわれは戦争が好きなわけではないし、平和を心から願っています。だからこそ、戦争を起こさないために、イラク派遣や安保法制が必要だと思っているのです」。

「高校から東京に来た田中角栄内閣の1972年。もっと今より社会派反戦ムードが強い時代でした。その頃から、どうしたら日本は戦争にならないかということを常に考えていました。学生の頃からです。

『この世に平和がありますように。神様、誤りがあれば正してください』と祈りながらです。ですから、正直に言うと、同じ信仰を持つキリスト者からの批判が本当に一番つらいです」と正直な思いを打ち明けてくれた。

※この記事の正しい更新日時は6月2日ではなく4日である。

posted by 優子 at 19:35| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年05月27日

ヒロシマでのオバマ大統領 ―神の臨在を感じた黙祷と物足りない演説と坪井さんのこと―

オバマ大統領の歴史的一歩@.jpgオバマ大統領が平和公園に足を踏み入れた時、あの日の地獄映像と現代の映像が交互に入れ替わって見えた。
ヒロシマ.jpg


71年目にしてようやく実現した米国の現職大統領の広島訪問は、たった50分間の滞在で、資料館には記帳の時間も含めて10分間だった。それでも大きな一歩だった。初めて人類が月面で歩いた一歩よりも大きな一歩である。

オバマ大統領の歴史的一歩C.jpg慰霊碑に献花し、哀悼の姿勢をとった。

オバマ大統領の歴史的一歩D.jpg





この表情のあとしばらくして黙祷された。
この黙祷が最も私の心を打った。核兵器を使った人間のあまりの罪深さに圧倒されて頭を垂れたのだと思う。黙祷へと促され、神ご自身がオバマさんに触れられたように感じた。

オバマ大統領の歴史的一歩E.jpg彼はクリスチャンだから日本人のように死んだ人に祈るのではなく、犠牲になった方々のことを思いながらご遺族に神の慰めを祈るも、あまりの出来事の前に言葉にはならなかったと思う。

しかし、原爆を投下した米国の大統領、世界のトップリーダーとして核廃絶への導きを神に祈らずにはおられず、核廃絶に向けて自分にできることをさせてくださいと一言祈られたのではないか。


そして、演説。

オバマ大統領の歴史的一歩F.jpg
※全文は最後に掲載。
「私たちには共有の責任があります。私たちは、歴史を真っ向から見据えなけれなりません。そして、尋ねるのです。我々は、一体これから何を変えなければならないのか。そのような苦しみを繰り返さないためにはどうしたらいいのかを自問しなくてはなりません。・・・

しかし我が国を含む核保有国は、(他国から攻撃を受けるから核を持たなければいけないという)「恐怖の論理」から逃れる勇気を持つべきです。

私たち人類は、過去で過ちを犯しましたが、その過去から学ぶことができます。選択をすることができます。この未来こそ、私たちが選択する未来です。

この未来こそ、核戦争の夜明けではないということを、そして私たちの道義的な目覚めであることを、広島と長崎が教えてくれたのです」。


オバマ大統領の歴史的一歩B.jpg私は日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表の坪井直(すなお)さん(91歳)も注目していた。坪井さんは20歳で爆心地から約1.2キロの所で被爆。顔や両腕に大やけどを負い40日間意識不明だった。坪井さんは全身を耳にして聴いておられた。

そして命の限りにオバマさんに伝えた。
たった1分間ほどの瞬間に、原爆を投下した米国の現大統領、超大国のトップリーダーに、20万人以上亡くなった人々の思いを背負って、世界の為に、後世の人々の為に渾身の祈りを伝えた。


オバマ大統領の歴史的一歩H.jpg

「あの事件は既に歴史の一コマであり不幸な一コマであった。アメリカではなく、人類の過ちであった。未来に向かって頑張りましょう。これからが大事なんですよ。時々広島にやって来て、見たり聞いたりするのを重ねてください。
あなたはノーベル平和賞を取ったのだから、遊んどったらダメですよ。未来志向で、駆け引きのない世界を作り上げましょう」。


IMG_8371.jpgこのあと「オバマ大統領が笑ったのはどんなことを言った時ですか」とインタビューされた時、坪井さんはこう答えられた。


坪井直さん.jpg「あなたはノーベル平和賞を取ったのだから、遊んどったらダメですよと言った時にオバマさんが笑った」と。
あの地獄と地獄の苦しみを生き抜いて来られた坪井さんだけに、言葉では尽くせぬいろんな思いがあるだろうに、人間の実相に焦点を合わせて被爆者が「人類の過ち」と普遍化されたことに敬服した。神さまがこの方の言動を祝福して用いてくださるように祈ります。

もう一人、元米兵捕虜の研究や追悼を続けてきた森重昭さんは、「舞い上がっちゃって(何を話したか)覚えてない」と感激しておられた。

この方々の穏やかな心情と短い言葉に込めた坪井さんのメッセージがオバマ氏の心深くに届き、米国の人々にも届きますように!

オバマ大統領の歴史的一歩I.jpg
原爆ドームを前に。
広島出身の岸田文雄外相(右)より説明を受ける。

一緒にやるべきことが.jpg「これから晋三と一緒にやるべきことがたくさんある。今日はあくまでもスタートだ」。

私は午後4時からテレビに釘付けで、オバマ大統領がヒロシマの地を踏んだ瞬間から緊張が頂点に達した。演説内容をメモしながら(ネット上に出るから必要なかったのに!)、43枚も写真を撮りながらという愚かなことをしたからだろうか、演説は物足りなく心に響かず、いつしかメモを取ることもやめていた。

しかし、ある被爆者は言われた、「やっと決着した気がする」と。また別の人は、「こんなに愛情ある言葉を言える人はいません」と喜んでおられた。

どうかこのことが単なるセレモニーで終わることがないように!
オバマ大統領は核兵器のない平和を世界に発信した。ようやく新しいページがめくられたのである。坪井さんが言われたように、これからが大事である。私ももう一度ゆっくり広島を訪ねたい。


オバマ大統領演説全文:

71年前、とてもよく晴れた朝、空から死が降ってきて世界は変わりました。閃光が広がり、火の玉がこの町を破壊しました。これは、人類が自分自身を破壊する手段を手に入れたということを意味します。

なぜ私たちはここ、広島に来たのでしょうか。私たちは、恐ろしい力が、それほど遠くない過去に解き放たれたことを深く考えるため、ここにやって来ました。また死者を悼み、戦争を悼み、10万人を超える日本国民の方々と、そして何千人もの朝鮮の人々、アメリカ人の捕虜も命を落としました。

その魂が、私たちに語りかけています。もっと内側を見て、私たちが一体何者なのかを振り返るように。そして、どのように今なろうとしているのか語りかけています。

戦争において、広島だけが特別なのではありません。暴力的な紛争は古くから行われています。石や槍などが扱われました。これはただ狩りをするためだけではなく、人類を殺すためも使われてきました。どの大陸においても、どの歴史においても、あらゆる文明は戦争の歴史に満ちています。

富をもとめ、また民族主義や宗教的な理由からも悲惨な戦争が起こってきました。帝国が台頭し、また衰退しました。人々が奴隷になり、また解放の道もたどってきました。それぞれの歴史の転換点において、罪のない多くの人たちが犠牲になりました。その犠牲となった人たちの名前は、時が経つと忘れられました。それが人類の歴史であります。

第二次世界大戦は、広島と長崎で、とても残虐な終わりを迎えました。これまで人類の文明は、素晴らしい芸術を生み出してきました。そして偉大な思想や、正義、調和、真実の考えを生み出してきました。しかし、同じところから戦争も出てきました。征服をしたいという思いも出てきました。古いパターンが、新しい能力によってさらに増幅されました。そこには制約が働きませんでした。

ほんの数年の間に6000万もの人たちが亡くなりました。男性、女性、子供達。私たちと全く変わらない人たちです。撃たれ、殴られ、あるいは行進させられ、飢えさせられ、拘束され、またはガス室に送られて亡くなりました。

世界中には、この戦争の歴史を刻む場所が沢山あります。慰霊碑が、英雄的な行いなども含めて、色々なことを示しています。空っぽな収容所などが、そういうことを物語っています。

しかし、空に上がったキノコ雲の中で、私たちは人類の非常に大きな矛盾を強く突きつけられます。私たちの考え、想像、言語、道具の製作、私たちが自然とは違うということを示す能力、そういったものが大きな破壊の力を生み出しました。

いかにして物質的な進歩が、こういったことから目をくらませるのでしょうか。どれだけ容易く私たちの暴力を、より高邁な理由のために正当化してきたでしょうか。

私たちの偉大な宗教は、愛や慈しみを説いています。しかし、それが決して人を殺す理由になってはいけません。国が台頭し、色々な犠牲が生まれます。様々な偉業が行われましたが、そういったことが人類を抑圧する理由に使われてきました。

科学によって私たちはいろいろなコミュニケーションをとります。空を飛び、病気を治し、科学によって宇宙を理解しようとします。そのような科学が、効率的な殺人の道具となってしまうこともあります。

現代の社会は、私たちに真理を教えています。広島は私たちにこの真理を伝えています。技術の進歩が、人類の制度と一緒に発展しなければならないということを。科学的な革命によって色々な文明が生まれ、そして消えてゆきました。だからこそいま、私たちはここに立っているのです。

私たちは今、この広島の真ん中に立ち、原爆が落とされた時に思いを馳せています。子供たちの苦しみを思い起こします。子供たちが目にしたこと、そして声なき叫び声に耳を傾けます。私たちたちは罪のない人々が、むごい戦争によって殺されたことを記憶します。これまでの戦争、そしてこれからの戦争の犠牲者に思いを馳せます。

言葉だけで、そのような苦しみに声を与えるものではありません。しかし私たちには共有の責任があります。私たちは、歴史を真っ向から見据えなけれなりません。そして、尋ねるのです。我々は、一体これから何を変えなければならないのか。そのような苦しみを繰り返さないためにはどうしたらいいのかを自問しなくてはなりません。

いつの日か、被爆者の声も消えていくことになるでしょう。しかし「1945年8月6日の苦しみ」というものは、決して消えるものではありません。その記憶に拠って、私たちは慢心と戦わなければなりません。私たちの道徳的な想像力をかきたてるものとなるでしょう。そして、私たちに変化を促すものとなります。

あの運命の日以来、私たちは希望を与える選択をしてきました。

アメリカ合衆国そして日本は、同盟を作っただけではなく友情も育んできました。欧州では連合(EU)ができました。国々は、商業や民主主義で結ばれています。

国、または国民が解放を求めています。そして戦争を避けるための様々な制度や条約もできました。

制約をかけ、交代させ、ひいては核兵器を廃絶へと導くためのものであります。それにもかかわらず、世界中で目にする国家間の攻撃的な行動、テロ、腐敗、残虐行為、抑圧は、「私たちのやることに終わりはないのだ」ということを示しています。

私たちは、人類が悪事をおこなう能力を廃絶することはできないかもしれません。私たちは、自分自身を守るための道具を持たなければならないからです。しかし我が国を含む核保有国は、(他国から攻撃を受けるから核を持たなければいけないという)「恐怖の論理」から逃れる勇気を持つべきです。

私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。しかし、その可能性を追い求めていきたいと思います。このような破壊をもたらすような核兵器の保有を減らし、この「死の道具」が狂信的な者たちに渡らないようにしなくてはなりません。 

それだけでは十分ではありません。世界では、原始的な道具であっても、非常に大きな破壊をもたらすことがあります。私たちの心を変えなくてはなりません。戦争に対する考え方を変える必要があります。紛争を外交的手段で解決することが必要です。紛争を終わらせる努力をしなければなりません。

平和的な協力をしていくことが重要です。暴力的な競争をするべきではありません。私たちは、築きあげていかなければなりません。破壊をしてはならないのです。なによりも、私たちは互いのつながりを再び認識する必要があります。同じ人類の一員としての繋がりを再び確認する必要があります。つながりこそが人類を独自のものにしています。

私たち人類は、過去で過ちを犯しましたが、その過去から学ぶことができます。選択をすることができます。子供達に対して、別の道もあるのだと語ることができます。

人類の共通性、戦争が起こらない世界、残虐性を容易く受け入れない世界を作っていくことができます。物語は、被爆者の方たちが語ってくださっています。原爆を落としたパイロットに会った女性がいました。殺されたそのアメリカ人の家族に会った人たちもいました。アメリカの犠牲も、日本の犠牲も、同じ意味を持っています

アメリカという国の物語は、簡単な言葉で始まります。すべての人類は創造主の前に平等である。そして、生まれもった権利がある。生命の自由、幸福を希求する権利です。しかし、それを現実のものとするのはアメリカ国内であっても、アメリカ人であっても決して簡単ではありません。

しかしその物語は、真実であるということが非常に重要です。努力を怠ってはならない理想であり、すべての国に必要なものです。すべての人がやっていくべきことです。すべての人命は、かけがえのないものです。私たちは「一つの家族の一部である」という考え方です。これこそが、私たちが伝えていかなくてはならない物語です。

だからこそ私たちは、広島に来たのです。そして、私たちが愛している人たちのことを考えます。たとえば、朝起きてすぐの子供達の笑顔、愛する人とのキッチンテーブルを挟んだ優しい触れ合い、両親からの優しい抱擁、そういった素晴らしい瞬間が71年前のこの場所にもあったのだということを考えることができます。

亡くなった方々は、私たちとの全く変わらない人たちです。多くの人々がそういったことが理解できると思います。もはやこれ以上、私たちは戦争は望んでいません。科学をもっと、人生を充実させることに使ってほしいと考えています。

国家や国家のリーダーが選択をするとき、また反省するとき、そのための知恵が広島から得られるでしょう。

世界はこの広島によって一変しました。しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。なんと貴重なことでしょうか。この生活は、守る価値があります。それを全ての子供達に広げていく必要があります。

この未来こそ、私たちが選択する未来です。この未来こそ、核戦争の夜明けではないということを、そして私たちの道義的な目覚めであることを、広島と長崎が教えてくれたのです。
【2016.5.28 1:07記録】

5月28日午後追記:今思うと、記念資料館に居た時間が10分間だったというのもまた本国への配慮ではないか。これが限界の71年目の現状であったが、それでも大いなる一歩であった。
私たちもまた客観性を欠くことなく思いを深めていかねばならない。

posted by 優子 at 23:59| 社会的なこと | 更新情報をチェックする