2017年09月11日

『種を蒔く』4号寄稿文が『香芝九条の会 会報』に掲載さる

昨日発行された『香芝九条の会』会報に拙文が掲載された。今年6月に刊行された日本クリスチャン・ペンクラブ関西ブロック発行の『種を蒔く』4号に寄稿した「それでも希望を失わず ―東日本大震災6年目に思うこと―」である。

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6月末か7月の初め頃だったと思うが「香芝九条の会」で労しておられる方と話していて話が弾み、この記事をお渡しした。

本になった文集も常にクリスチャンの方々だけではなく、いつも10名ほどノンクリスチャンの方々にお届けするのだが、今号の4号は手持ち部数が足りなくなり追加購入したくても完売したため、印刷屋さんから送られてきた最終校正が反映されたゲラ刷りをお渡ししたのだった。

するとまもなく、この文章を「九条の会」会報に掲載させてほしい。関係者の方々の賛同を得たら掲載させてもらってもよいかとの打診があった。

これはキリスト信仰の旗印を鮮明にした文章であるので掲載されるのかと一瞬思ったものの、「九条の会」はあらゆる立場の人々が憲法9条保持を訴える集まりであるので快諾し、紙面の関係で省略されることも承諾し引用箇所もお任せした。

このたび会報の最後4ページのほぼ1面を割いて掲載してくださっていた。6か所も誤字脱字があったのは残念だったが、限りある紙面での抜粋引用箇所については満足している。

「憲法九条と私」欄に掲載していただいたので少々無理があるが、下記の青字部分が掲載されている。下線部分が削除されなかったことを神さまに感謝します!

それでも希望を失わず

     ―東日本大震災6年目に思うこと―         

      藤本 優子


「イェッしゃま(イエスさま)、きのうじしんがおこりました。もうおきないようにしてください。かじになって、いえもたおれて、みんな、ながれていきました。たすけてください」。

当時3歳9ヶ月だった孫は、東日本大震災後しばらくのあいだ同じ祈りを捧げていた。あれから6年過ぎて絶望感は深まるばかりである。原発事故で破局的事態になっても、為政者たちは方向転換せずに原発を再稼働させた。彼らはもう一度経験しないとわからないのだろうか。

015年にノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシエービッチは、昨年11月末に福島県を視察して言った。「チェルノブイリと同じく、国は人の命に全責任を負わない」と。

しかし、日本は旧ソ連よりももっと冷酷で恐ろしい。当初チェルノブイリでは、住むことも生産することも禁止されていた(年間)5ミリシーベルト以上の汚染レベルに、日本政府は百万人規模の住民を居住させており、国民の命を最優先しない。

あの時、政府は真実を隠し、「直ちに健康被害が出ることはない」と当時の内閣官房長官・枝野氏は録音テープのように繰り返した。一体いつの時代の知識であのようなことを言ったのであろうか。この時から始まった政府への不信感は募るばかりで、6年経った今も混迷を深め続けている。

農業や漁業に従事する人々の努力にも関わらず福島産の需要は伸びないというが、これは風評被害ではなく放射能なのだ。もっと正確に言えば、「政府の言論統制と嘘による知られざる核戦争」であると物理学者・矢ヶ崎克馬氏が訴えている。

この非常事態ゆえに、今からでも政府は方向転換して、人権を第一にして再建していくべきだ。私たちは何を第一とすべきか、全ての人に価値観が問われているのである。

放射能汚染時代にあっては自分さえよければよい、自分の家族さえ安全な食ベ物ならばよいということはあり得ない。平和や異常気象の問題もそうだ。全てが世界的規模で関連しているのであり、ブルンナーが言うとおり、今や「安全な場所などどこにもなく、私たちは隠れ場のない野原の中を行くように、どんなことが起ころうとも、それに身をさらさねばならない」時代である。

また、アレクシエービッチが、「日本社会に人々が団結する形での『抵抗』という文化がない」と言ったことも心に刺さった。私自身の中にも同じものがあると常々感じているからだ。

例えば原発再稼働や改憲に多くの人々が反対の声を上げ、私も小さい声ながら反対を叫び署名を集めつつも、傲慢で権力をふるう政治家たちを見ていると、「反対してもしょうがない」と何度も諦めそうになり、そんな自分を嫌悪することしきりだった。

被災者たちが世界の人々に感銘を与えた規律正しさや辛抱強さは日本人の誇るべきことだ。しかしまた、私たちはあまりにも主体性に欠けてはいないだろうか。

然界も傷み続けている。ミサイルが落ちた海の中も大きく破壊されていることを思うと我慢ならない。空の鳥や海の生物は苦痛を訴えることもできずに苦しみ死んでいく。世界は深い闇に覆われ、視界ゼロメートルの常態になってしまった。

私は年を取れば取るほど自分のどうしようもない弱さや人間の罪深さがわかるようになった。それゆえに誰に祈ればよいかを知らされていることがありがたくて、そのことの感謝から祈り始めるようになった。

万物を創り全てを支配されているまことの神を知り、そのお方と交わる術を与えられて、日々刻々感謝し、また悔い改めることができるとは何たる恵みであろう

「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせてくださった」。

(ペテロの第1の手紙1章3節)


これこそがイースターの使信であり、私はこの言葉を心から神の応答として受け止めることができるようになった。これはこんな時代でも生きていけるように、神さまが全ての人々に与えてくださっている希望である。だから絶望しそうになっても絶望しない。

あの悲惨な被災地で、多くの被災者がイエス・キリストへの信仰を持ち、受洗の恵みに与られていることが報告されている。どうか一人でも多くの人が復活のキリストに希望をつないで生きていくことができますように。

春の風はやさしく肌を撫で、小鳥のさえずりが心を癒す。花々や小さな生き物たち、そして、子どもたちの未来を奪ってはならない。

【憲法九条】
  1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
posted by 優子 at 11:53| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年08月30日

谷口稜曄(すみてる)さん逝く −核兵器廃絶を訴え続けた「赤い背中の少年」−

IMG_7186.jpg16歳の時に長崎原爆で被爆し、「赤い背中の少年」(The boy with the red back)で知られる日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員・谷口稜曄さんが、十二指腸乳頭部がんのため30日に長崎市内の病院で亡くなられた。88歳だった。

長崎の日のニュースに谷口さんのお姿が見えなかったので、どうされたのかなぁと思っていたところだった。

原爆投下の生き地獄のみならず、あの大やけどの激痛に「殺してくれ!」と耐えねばならなかった地獄。あの痛みの拷問を耐えねばならないならば、いっそ即死していたほうがよかったと思われたことだろう。

ああ、よくぞ耐え抜いてくださった。
いのちが保たれたことも不思議でならない。

その後もずっと肉体の苦痛に耐えながら核兵器廃絶を訴え続けてきてくださり、本当にありがとうございましたと涙する。使命を果たして生き抜かれ、ようやく一切の苦痛から解放された谷口さんに哀悼を捧げます。

2015年8月9日、長崎市主催の平和式典で被爆者を代表して日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表の谷口稜曄さんが発せられた「平和への誓い」をここに刻ませていただいた。

谷口稜曄さん.jpg70年前のこの日、この上空に投下されたアメリカの原爆によって、一瞬にして7万余の人々が殺されました。真っ黒く焼け焦げた死体。倒壊した建物の下から助けを求める声。肉はちぎれ、ぶらさがり、腸が露出している人。かぼちゃのように膨れあがった顔。眼(め)が飛び出している人。水を求め浦上川で命絶えた人々の群れ。この浦上の地は、一晩中火の海でした。地獄でした。

地獄はその後も続きました。火傷や怪我もなかった人々が、肉親を捜して爆心地をさまよった人々が、救援・救護に駆け付けた人々が、突然体中に紫斑が出、血を吐きながら、死んでいきました。

70年前のこの日、私は16歳。郵便配達をしていました。爆心地から1・8キロメートルの住吉町を自転車で走っていた時でした。突然、背後から虹のような光が目に映り、強烈な爆風で吹き飛ばされ道路に叩きつけられました。

しばらくして起き上がってみると、私の左手は肩から手の先までボロ布を下げたように、皮膚が垂れ下がっていました。背中に手を当てると着ていた物は何もなくヌルヌルと焼けただれた皮膚がべっとり付いてきました。不思議なことに、傷からは一滴の血も出ず、痛みも全く感じませんでした。

谷口少年.jpgそれから2晩山の中で過ごし、3日目の朝やっと救助されました。3年7カ月の病院生活、その内の1年9カ月は背中一面大火傷のため、うつ伏せのままで死の淵をさまよいました。

谷口すみてるさん.jpgそのため私の胸は床擦れで骨まで腐りました。今でも胸は深くえぐり取ったようになり、肋骨の間から心臓の動いているのが見えます。肺活量は人の半分近くだと言われています。

かろうじて生き残った者も、暮らしと健康を破壊され、病気との闘い、国の援護のないまま、12年間放置されました。

谷口稜曄さんの背中.jpgアメリカのビキニ水爆実験の被害によって高まった原水爆禁止運動によって励まされた私たち被爆者は、1956年に被爆者の組織を立ち上げることができたのです。あの日、死体の山に入らなかった私は、被爆者の運動の中で生きてくることができました。

戦後日本は再び戦争はしない、武器は持たないと、世界に公約した「憲法」が制定されました。しかし、今集団的自衛権の行使容認を押しつけ、憲法改正を推し進め、戦時中の時代に逆戻りしようとしています。

今政府が進めようとしている戦争につながる安保法案は、被爆者をはじめ平和を願う多くの人々が積み上げてきた核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆そうとするもので、許すことはできません。核兵器は残虐で人道に反する兵器です。廃絶すべきだということが、世界の圧倒的な声になっています。

私はこの70年の間に倒れた多くの仲間の遺志を引き継ぎ、戦争のない、核兵器のない世界の実現のため、生きている限り、戦争と原爆被害の生き証人の一人として、その実相を世界中に語り続けることを、平和を願うすべての皆さんの前で心から誓います。

谷口さんは、爆心地から北方1.8キロの所を自転車で走っていて被爆された。3000〜4000度の熱線と放射線によって背後から焼かれ、次の瞬間猛烈な爆風によって自転車もろとも4メートル近く飛ばされ、道路にたたきつけられた。

以下は、谷口さんが命がけで語り続けてくださったことである。

突風が過ぎ去ったので顔をあげて見ると、建物は吹き倒され、近くで遊んでいた子供たちが、ほこりのように飛ばされていたのです。私は、近くに大きな爆弾が落ちたと思い、このまま死んでしまうのではと、死の恐怖に襲われました。でも、私はここで死ぬものか、死んではならないと、自分を励ましていたのです。

しばらくして、騒ぎがおさまったので起き上がってみると、左の手は腕から手の先までボロ布を下げたように皮膚が垂れ下がっていました。背中に手をやってみると、ヌルヌルと焼けただれ、手に黒い物がベットリついてきました。

それまで乗っていた自転車は、車体も車輪もアメのように曲がっていました。近くの家はつぶれてしまい、山や家や方々から火の手が上がっていました。吹き飛ばされた子供たちは、黒焦げになったり、無傷のままだったりの状態で死んでいました。

女の人が、髪は抜け、目は見えないように顔が垂れふさがり、傷だらけで苦しみもだえていました。今でも、昨日のように忘れることはできません。苦しみ、助けを求めている人たちを見ながら、何もしてやれなかったことを、今でも悔やまれてなりません。

多くの被爆者は、黒焦げになり、水を求め死んでいきました。

私は夢遊病者のように歩いて、近くのトンネル工場にたどり着きました。女の人に頼んで、手に下がっている皮膚を切り取ってもらいました。そして、焼け残っていたシャツを切り裂いて、機械油で手のところだけふいてもらいました。

工場では新たな攻撃に備えて他の所に避難するように言われました。力をふりしぼって立ち上がろうとしましたが、立つことも歩くことも出来ません。元気な人に背負われて山の上に運ばれて、木の陰の草むらに、寝かされました。

周りにいる人たちは、家族に伝えて欲しいと自分の名前と住所を言い、「水を、水を」と、水を求めながら死んでいきました。夜になると米軍の飛行機が機銃掃射して来ました。その流れ弾が私の横の岩に当たって、草むらに落ちました。

夜中に雨がシトシト降り、木の葉から落ちるしずくをしゃぶって、一夜過ごしました。夜が明けてみると、私の周りはみんな死んで、生きている人は見当たりませんでした。

そこで2晩過ごし、3日目の朝、救護隊の人たちに救助され、27キロ離れた隣の市に送られました。病院は満員で収容できず、小学校に収容されました。

それから3日後、被爆して6日目、傷から血がしたたり出るようになり、それと共に痛みがジワジワと襲ってきました。1カ月以上治療らしき治療はなく、新聞紙を燃やした灰を油に混ぜて塗るだけでした。

9月になって、爆風で窓が吹き飛ばされたままの長崎市内の小学校で、大学病院が治療をしているとのことで、送られました。そこで初めて医学的な治療を受けました。

まず輸血でした。でも、私の血管に輸血の血液が入っていかないのです。内臓がおかされていたのでしょう。貧血が激しくて、焼けた肉が腐り始めました。

腐った物がドブドブと、体内から流れ、身体の下にたまるのです。身体の下にはボロ布を敷き、それに体内から流れ出る汚物をためては、1日に何回も捨てなければなりませんでした。

その当時、やけどやけがをした被爆者の身体に、うじ虫がわいて、傷の肉を食べていました。私には1年過ぎてから、うじ虫がわきました。うじ虫が傷口をかじるのがたまらなく痛いのです。

あの写真は約半年後「1946年1月31日」に撮影されたものです。

私は身動き一つできず、腹ばいのままで、痛みと苦しみの中で「殺してくれ!」と叫んでいました。誰一人として、私が生きられると予想する人はいませんでした。医者や看護婦さんが、毎朝来ては、「今日も生きてる、今日も生きてる」とささやいておられました。家の方では、何時死んでも葬儀ができるよう準備していたそうです。

身動き一つできなかったので、胸が床ずれで骨まで腐りました。いまでも、胸は肋骨の間がえぐり取ったような深い溝になり、肋骨の間から、心臓が動いているのが見えます。

1年9カ月たって、ようやく動けるようになり、3年7カ月たって、全治しないまま病院を退院しました。その後も、入退院を繰り返し、1960年まで休みなく治療を続けてきました。

1982年ごろから、ケロイドの所に腫瘍ができて手術を受けました。その後も医学的にも解明できない、石のような硬い物が出来て手術を繰り返しています。

あの日から半世紀が過ぎました。過去の苦しみなど忘れ去られつつあるように見えます。だが、私はその忘却を恐れます。忘却が新しい原爆肯定へと流れていくことを恐れます。

私は、かつて自分をその一コマに収めたカラーの原爆映画を見て、当時の苦痛と戦争に対する憎しみが、自分の身体の中によみがえり、広がって来るのを覚えます。

私はモルモットではありません。もちろん、見せ物でもありません。でも、私の姿を見てしまったあなたたちは、どうか目をそらさないで、もう一度みてほしい。

私は奇跡的に生き延びることができましたが、「生きる」とは「苦しみに耐える」ことに他なりませんでした。かつて最大38万人いた日本の被爆者はいま、23万人に減りました。私たち被爆者は全身に原爆の呪うべきつめ跡を抱えたまま生きています。

核兵器は絶滅の兵器、人間と共存できません。どんな理由があろうとも絶対に使ってはなりません。核兵器を持つこと、持とうと考えること自体が反人間的です。

最初の核戦争地獄を生身で体験した私たちは、65年前のあの8月、核兵器の恐ろしさを本能的に学びました。核攻撃に防御の手段はなく、「報復」もあり得ません。

もしも、3発目の核兵器が使われるならば、それはただちに人類の絶滅、地球とあらゆる生命の終焉を意味するでしょう。人類は生き残らねばなりません。平和に、豊かに。

そのために、皆で最大の力を出し合って、核兵器のない世界をつくりましょう。人間が人間として生きていくためには、地球上に一発たりとも核兵器を残してはなりません。

私は核兵器が、この世からなくなるのを、見届けなければ安心して死んでいけません。長崎を最後の被爆地とするため。私を最後の被爆者とするため。核兵器廃絶の声を全世界に。

長崎平和公園.jpg ノーモア ヒロシマ!
 ノーモア ナガサキ!
 ノーモア ヒバクシャ!

先月、国連で核兵器禁止条約が採択された時、病床から渾身の力をふりしぼって語られたことが遺言となった。

「今回核兵器禁止条約ができるということは非常に喜ばしいことだと思います。次から次に核兵器が必要だと言って持つ国が増えてきてますから、絶対減らす努力をしなければいけない。残念ながら被爆国の日本政府がこれに賛成していません。

今後は、核兵器を持っていない国が持っている国を包囲し、一日でも早く核兵器をなくす努力をしてもらいたい。そうしなければ一応話が決まっても何も役に立たない。

被爆者が一人もいなくなった時に、どんな形になっていくのか一番怖い。我が子のためにも私たち生き残った被爆者が頑張らなければいけない」。

29日早朝にはまたしても北朝鮮が弾道ミサイルを発射を強行し、今回は日本上空を通過した。日米韓は戦争回避の努力を続けているが、国連決議も全く無視し続ける国ゆえにどうなるのか心配でならない。

ミサイルの避難訓練実施のニュースも報じられ、小学生が机の下で身を屈める映像に胸が痛む。災害の避難訓練ではなくミサイルなのだ。子どもたちはどのように感じているのだろう。

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posted by 優子 at 17:03| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

原爆パネルや戦時中の暮らし −第16回 平和のための香芝戦争展よりB−

今日は長崎に原爆が落とされた日である。
「後世の人々が 生き地獄を体験しないように
生きているうちに何としても
核兵器のない世界を実現したい」。

この想いから被爆者たちが始めた「ヒバクシャ国際署名」。2020年までに世界中で数億人の署名を集めて国連へ届けようとしている。

私と真智は高島屋の前で核兵器廃絶の「ヒバクシャ国際署名」に署名した。どうか一人でも多くの人が署名してくださるように!
「平和のためにあなたにもできること、それは署名です!」
オンライン署名は「ヒバクシャ国際署名」で検索!

5-0.jpg「来て 見て 聞いて 考えよう。戦争の悲惨さと平和の大切さを!」

8月5日(土)〜6日(日)に開催された「平和のために香芝戦争展」では、戦争遺品やヒロシマ・ナガサキの原爆パネル、戦時中の暮らしなどが展示され、戦時食の「すいとん」の試食も提供されていた。

小麦粉をこねた「すいとん(水団)」だが、少し山芋加えたような食感でおいしかった。水でこねると固くなってしまうのでお湯でこねるとよいそうだ。大根と人参が入っていた。

満州・シベリヤ抑留体験も聞きたかったが、私とユキは5日の午後のみ参加した。ここに戦争展の展示物の一部を掲げておきたい。


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大豆を石臼でひき、きな粉を集めている。

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「昔の遊び」コーナーでは「けん玉じょうずやね」と注目されていた!

折り紙コーナーではユキお得意の3枚で折る駒を折っていた。
手裏剣の折り方はユキが教えてあげたので驚いておられた。

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平和を脅かす者はたれぞ!
「憲法は戦争で亡くなられた人々の遺言だ」。
posted by 優子 at 18:59| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年08月08日

「『青い目の人形』の声が聞こえる」 −第16回 平和のための香芝戦争展よりA−

IMG_6947.jpg語り部の鈴木知英子さんは13歳の時に終戦を迎え、戦争の中を生きてこられた。その後47年間戦争体験を語っておられる。
アメリカ人の宣教師シドニー・ギューリック博士が「日米の対立を懸念し、その緊張を文化的にやわらげようと」日米親善のために1927年のひな祭りに合わせて人形を贈ってくださった。

12729体(ウィキペディアによれば12379体)の青い目の人形は船で贈られてきた。受け入れに尽力したのは渋沢栄一で、全府県に配られた。日本からは答礼人形として市松人形を贈った。

ところが戦争が始まり敵国の人形ということから校庭で焼却したり、藁人形に仕立てて突き殺すなどして処分された。

その中に勇気ある人たちにより天井裏や物置、石炭小屋などに隠したものが全国に334体見つかり、奈良県には4体現存している。

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人形には全て送った人の名前が記されたパスポートを持たされていたが、(大和)高田市の人形には何もなかった。

当時、現在の香芝市には4校の小学校があり、人形歓迎会をしたという記録が残っているが、その後どうなったかわからない。炭俵の中に隠してもらった五條のパトリちゃんは炭まみれで見つかった。

語り部として行く先々で4歳の子供から大学生までが、「おばちゃん、何で戦争いらんて言わんかったん?」と言われた。(「いらん」というのは「嫌」と言う意味の奈良弁。

戦後に生まれた人たちも「戦争は知らない」と言わないでほしい。それでは無責任であり戦争を知ってほしい。昔々の物語ではない。

私はこれまで「人形を助けた!」と言う人はいても、「私は人形を焼き殺した」と言った人に出会ったことがない。

このタイトルからすぐに思い出すのは童謡「青い目の人形」だが、野口雨情作詞の童謡は1921年に発表されたものだから無関係である。

奈良には空襲は無かったと言われているがあった。一番多かったのは榛原空襲で11名が死んだ。

私は王寺で空襲に遭った。大阪が燃えている火を見て人ごとのように「きれいなあ」と思っていた。そして次の日にえらい目にお(遭)うた。艦載機は軒下へ入って来て撃つ。戦後70年にガンカメラでわかった。

子どもたちに「命は一つやで」と言うと、4年生の子が「リセットできるで」と言った。この子たちに命の大切さを伝えている。

「ミサイルが落ちた人、かわいそうやなあ」など、戦争を人ごとだと思っていてはいけない。語り部もまた、さらけ出さねば真の語り部とは言えない。

言うてないことがある。言えんかったことがある。言いたくなかったことがある。どうしても書けなかったことがある。それは人形を焼いた人の気持ちだ。焼かれた人形の気持ちをどのように表現したらよいかわからないから。しかしそれでもかなり書いている。

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2017年08月05日

ゾウに乗った少年がやってきた! −第16回 平和のための香芝戦争展より@−

夫と知子は会社の方の結婚式のため来られなかったが、私はユキと二人で市の戦争展へ出かけた。今や多くの方が合唱曲『ぞう列車がやってきた』をご存じだろう。

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戦後唯一生き残った東山動物園の2頭の象(エルドとマカニ)については、私も子育て中に『ぞう列車』の歌と共に知ったのであるが、そのエルドに乗った少年のお話が聴けるというので楽しみにしていた。

萩原量吉さん.jpgこれがエルドに乗った少年・萩原量吉さんだ!
まず謙遜な人柄に魅かれた。穏やかにしてメッセージ性溢れる話は私の心深くに届き、子供や孫に伝えねばならないと強く感じた。
戦争が終わったとき5歳だった萩原さんは、大学卒業後高校で化学を教えられ、退職後すぐから平和活動をされている。まもなく77歳になられる。

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これは戦争が終わって4年余り経った1949(昭和24)年、三重県津市高茶屋小学校3年生の時、遠足で国鉄(現JR)に乗って東山動物園へ来た時の写真だ。写真屋さんだった友人のお父さんが遠足に同行されて撮ってくださった。

の中にも10数人の子供は父を亡くしており、「お父さんを亡くした同級生の子らが、どんなに苦労されたか、生活が大変だったことか」と何度も言われた。

「このときゾウは鉄柵(園舎)から出ている。とにかくゾウの背中の上はとても高かった(6〜7m)。背中には硬い毛が生えていて、ズボンを通して痛かったことをよく覚えている」。

「軍部の圧力と戦い、ゾウを命がけで守り抜いた園長の勇気と努力に学んで、2度と戦争を起こさないようにしたい」。

★ 2015年度の世界の軍事費は、1米ドルを100円とすると167兆6000億円。

★ 世界の栄養不良の人は、約7億9500万人。世界人口の9人に1人とも言われており、毎日1万9000人もの子供らが死んでいる。

「ということは4〜5秒間に1人死んでいるというのに、世界の軍事費は1秒あたり530万円と、ものすごいお金が費やされていく。それだけあればどれだけの命を救うことができるか!
こんなに無駄なことをやって人間が殺しあう。戦争とは集団的殺し合いだ」。

★ 戦争ほど儲かる商売はない。「死の商人」の存在。
戦車1台 10億円、自衛隊は1000両保有。戦闘機1機 100億円、1000機を超える。イージス艦1隻 1400億円、6隻あり。

★ 日本の起こした戦争による犠牲者は日本人310万人以上。外国人犠牲者は2076万人以上。

★ 当時の日本の平均寿命は、昭和19年 男47歳、女50歳。
昭和20年 男29歳、女38歳。(何ということ!)

★ 日本軍は住民を守らず集団自決を命令誘導し、沖縄戦の死者は沖縄県民 15万人。日本兵 7万3000人、半数以上が餓死者。

「今やいつか来た道への逆もどり、歴史の逆行をゆるしてはならない。私たちは知らず知らずのうちに追い込まれ、徐々に仕組まれていっている。どんな戦争準備も芽のうちにつみとらねばならない」。

三重県は8月末に、内閣官房、消防庁、三重県、津市の主催で、「X国から弾道ミサイルが発射され、我が国に飛来する可能性があると判明」という想定で訓練される。

「ミサイルを避けると言うが何処へ逃げよというのか。
堅固な建物に逃げよ?! 風上に逃げよ?!
地球上にある核の5%を使えば(聴きまちがいかもしれない)、地球上に死の灰の壁ができるので紫外線が通らなくなる」。

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「未来を作っていく子供たちが『戦争を二度としたらあかん』という思いが広がっていけばいい。
私は戦争を体験した最後ぐらいの世代だと思う。憲法は戦争で亡くなられた多くの人々の遺言であり、世代を超えて平和の大切さを伝えていきたい」。

エルドに乗った少年・萩原量吉さんと出会ったユキよ、成長と共にその意味を深めていきながら萩原さんのバトンを受け継ぐ一人になってほしい。

私や萩原さんが居なくなった時、ユキが平和の尊さを語り続ける一人であってほしい。私も意識を高められて私のできること、書いて訴え続けていきたいと思う。


このあと、1927年に日米親善のためにアメリカ合衆国から日本に贈られた12729体の「青い目の人形」が辿った戦争の悲惨と、今も全国で現存する300体のうち、奈良県に4体の存在を確認した鈴木知英子さんの話をお聴きした。

明日にでもお分かちしたいと思うが、昨日次女夫婦は無事母国の地を踏み、明日夕方帰宅する。再びD.C.に向かって家を出る15日早朝までの8日間は二人との時を第一にしながらも書きたいと思う。


附記:昨日はペン友・N兄が出展された「50000人の写真展 2017」の大阪会場となっているグランフロント大阪にユキと出かけ、3人で昼食を摂りながら良き時を過ごした。
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2017年07月20日

証し人・日野原重明さんの生涯

IMG_6580.jpg「彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく」。
(ヨハネ黙示録
     14章13節)

7月18日、日野原重明さんがとうとう神のみもとに帰られた。105歳だった。
日本の医学界に多大なる貢献され、全ての領域に計り知れぬ影響を及ぼされたご生涯であった。

メディアでは日野原さんが生涯現役であったことや、延命や緩和医療について、またいかにして長寿にあやかるかなどの視点で取り上げられているばかりで、日野原さんを生かした根幹に全く触れていないのは残念だ。

ただ立派な人物だったと言うだけではなく、何がそのような生き方を可能にさせたのかという内実を知りたいというアプローチがない。そこに私は人間の本質に目を向けない日本人の在り方が如実に表れていると感じる。

視線をそらすというのではなく、関心がないから気づいていないのか。いや、気づいているからこそ無意識の内に本能的にそらしてしまうのか。
日野原さんはクリスチャンの両親(父は牧師)に育てられ、父の影響を受けて7歳で洗礼を受けた。

私が日野原さんの本を初めて読んだのは1988年4月(『人生の四季に生きる』)、今から29年前、36歳の時だった。

30代と言えば地に足つけて社会的な経験も重ねながら人格形成が完了される年代である。私はなかなか実践が伴わない者であるが、考え方において大きな影響を与えられた一人である。

以来、日野原さんの本も数多く読みながら、自らの老年期を待たずして神さまが「老い」と「死」について考え始めさせてくださったことを感謝してい

そのことは即ち、それまで以上に真剣に人生の意味を考え始めたということであり、クリスチャンの生涯に入れられてまもなくの時であり、一字一句すべて精神の髄にまで浸透していった。

それでもやはり30〜40代の頃は、テレビでそれらの特集を観ていてもまだまだ先のことと思っていたことが、今になってよくわかる。

そのうち母が難病を負い、弱って行く母を看ながら母の死について考えるようになり、母の「より良き死」を願って多くの書物を読み漁った時期でもあった。続いて病床についた父のためにも。

自分の精いっぱいのことをしたが、母と父の死はどんなに大きな悲嘆と喪失感を与えたか。そしてその悲しみを通して(悲しみのあとに)神と人間的な出会いを得た。

63歳を過ぎた頃から体力の衰えを感じ、65歳になってからはより衰えを感じるようになった。老いとは全てを略奪されていくのだというのも予想がつくようになった。死は最後の闘いなのだ。

正直のところ体力を失って来た頃からそういったテーマには目をそらしている自分がいた。しかしこのたびは逃げずに観ていたが、間違いなく自らの死を思いながら観ていた。

最愛の両親のことでさえ「死」は人ごとだったのかもしれない。それでも間違いなくあの時の学びや経験は、自らの本番にいたる過程で役立つと思っている。

キリスト信仰にとって教義や神学も大切であるが、それらに傾倒するのではなく、神との密なる出会い、神との親しい交わりの経験こそが決定的に大切なことであるとしみじみ思うようになった

信仰を与えられていても人間は弱い。実に弱い。最期まで強くなることはない。しかし、それを恥じるのは傲慢でさえある。なぜならば自分の弱さを認めることができるからこそ神との出会いを可能にし、苦悩する魂をイエスご自身に接ぎ木されたのであるから。

それでも体調がすぐれない時や、悩みに激しく悶えるときは意欲や気力が落ち、その時は自己嫌悪し最も辛い耐え難い苦痛である。しかしそれこそが生きるということなのだ。

自らの弱さを認め、それでもなおひたすら虚心(素直な心)を求めることこそが真の信仰であり、それはどんな時も神の恩寵を信頼し感謝して生きているという証しにほかならない

IMG_6581.jpg
日野原さんが多大なる影響を受けたウィリアム・オスラーの『平静の心』は1997年1月に購入し、私はオスラーから人間学を学んだ。

「必ずしも祝福が得られるとは限らない。敗北に終わる闘いもあり、諸君の中にはそのような苦しい闘いに耐えねばならない者も出るだろう。その時までに、不幸にめげない明るい平静の心(cheerful equanimity)を身につけておくことが望ましい」。

拙文「医師よ 驕るなかれ」(1993年4月、41歳)は、オスラーやトゥルニエに感銘した発露である。http://yukochappy.seesaa.net/article/16086310.html

IMG_6555.jpg梅雨明けした昨日、直射日光に耐える朝顔。
あまりにも美しい。








IMG_6565.jpgそして、13時頃に力尽きた。




「草は枯れ、花はしぼむ。
しかし、われわれの神の言葉は
とこしえに変ることはない」。
    (イザヤ書40章8節)

日野原重明さんが蒔かれた数え切れない種は、これから芽を出して実を結んでいくことであろう。


附記:軽い熱中症か、16日からしんどくて寝込んでいた。夜は涼しくて扇風機もいらず今朝は肌寒かったほど。昼も夜も眠ってばかりいた。

posted by 優子 at 16:47| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年06月15日

民主主義の崩壊、昔に戻された悪法

国会周辺で夜を徹して抗議の声が上げてくださっていた方々に申し訳ないと思いつつも、昨夜は午前0時過ぎに眠りについた。今朝目が覚めた時、「法案」は「法」になっていた。

彼らは議会制民主主義をことごとく否定し、急きょ本会議で採決を図って成立させた。その採決のされ方、世論の作り方も全て治安維持法と全く同じであると専門家たちが語っていた。

民主主義の崩壊、5〜6年前までまさか本当に昔の時代に戻されてしまうとは思わなかった。そんな昨日、安倍首相の姿勢を批判している石破茂氏が外国特派員協会で会見していた。


「仮に総裁のお考えや総裁の立ち居振る舞いが国民の共感を得てない部分があるとするならば、『ここは改めたほうがいいですよ』と言う勇気を我々は持たなければならない。

私は今まで時の総理・総裁3人に向かって『やめてください』といいましたが、まだ生きています。誰も命まで取るとは言わんでしょう。それが議員のインディペンデントな姿勢というものだと思います」。
 

加計学園の獣医学部新設めぐる問題でも、前川喜平・前文科事務次官の発言を「意義がある」など、政権を戒める趣旨の発言をしている。

「表現の自由」に対する認識については、「国連特別報告者のレポートを正確に読んでおりません」とした上で、「表現の自由は最大限認められるべきものだ」と明言し、以下のように語った。

(国連特別報告者に)事実誤認があると(政府が主張)するならば、どこがどう事実誤認なのか、国際社会に向かって説明する責務があろうかと思う。日本国の言論の自由、表現の自由に対して疑問が提起されているわけだから、それに対して世界を納得させる責務が政府にはある。

「表現の自由」は最大限認められるべきものだと思います。新聞でも週刊誌でもテレビでも、私のことについて論評されて非常に悲しい思いをすることはしばしばでありますが、それは甘受すべきものであり、それが嫌なら政治家なんかやらないほうが良いということでしょう。

▼報道と権力が一体となることが一番恐ろしいということは、報道の皆様はよくご認識のことだと思う。

▼表現の自由を守っていくことが健全な民主主義のために必要。報道が本当に権力と一体のものとなっていないか、常に自浄自戒を。


次回の自民党総裁選に出馬するか。

▼自分がそれにふさわしいと、自分で納得をしなければ、出てはいけないものだと思っています。自民党はいろいろな考え方を持つ人たちがいる政党、考え方が一つだけというのは自民党ではありません。

経済政策において、社会保障政策において、あるいは安全保障政策について、違う考え方を持っているとするならば、私であれ誰であれ出るべきものだと思います。それが自民党のためというより日本国のためだと思います。

もっともっと声を大きくしてメディアで語ってほしかった。
義憤を感じている官僚や自民党員を奮起させるような働きをしてほしかった。一人ひとりは弱くとも一丸となれば国民も注目し、ジャーナリストも力を得て初心を思い起こして状況は変わったであろう。
今からでもその働きをしてほしい。

見ゆるところは不可能であっても見ゆるところによらず、なお諦めないで励まし合って戦い続けなければならない。
附記:今朝の御言葉(キリストの栄光教会)より一部抜粋
「彼らの目の前には、神に対する恐れがない」。
      (ロマ書3章18節)
神に対する恐れがなければ、人はしてはならないことを平気でするようになります。神の領域に踏み込み、取り返しのつかないこともします。

posted by 優子 at 17:08| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年06月08日

「カタルーニャの鳥は、ピース、ピースと鳴きます」。

一秒一秒、私たちは宇宙のあらたな二度と訪れない瞬間に、過去にも未来にも存在しない瞬間に生きているのだ。

それなのに学校で児童になにを教えているのか。
2プラス2は4とか、パリはフランスの首都であるといったことは教える。いつになったら、子供たちの何たるかを教えるのだろう。

子供たち一人ひとりに言わねばならない。
君はなんであるか知っているか。
君は驚異なのだ。
二人といない存在なのだ。
世界中どこをさがしたって君にそっくりな子はいない。

過ぎ去った何百万年の昔から君と同じ子供はいたことがないのだ。
ほら君のからだを見てごらん。
実に不思議ではないか。
足、腕、器用に動く指、君のからだの動き方!
君は シェイクスピア、ミケランジェロ、ベートーヴェンのような人物になれるのだ。
どんな人にもなれるのだ。

そうだ、君は奇跡なのだ。
だから大人になったとき、君と同じように奇跡である他人を傷つけることができるだろうか。

君たちは互いに大切にしあいなさい。
君たち…われわれも皆…この世界を、
子供たちが住むにふさわしい場所にするために働かねばならないのだ。
 

私は今までになんと驚異的な変化と進歩を目撃してきたことだろう。科学も産業も宇宙開発も、まさに驚異的進歩をとげた。それにもかかわらず世界は今も飢餓と人種上の圧迫と独裁に苦悩している。

われわれの行動は依然として野蛮人に等しい。
未開人のように地球上の隣人を恐れる。
隣人に向かって武器をもって防衛する。
隣人も同様である。

私は、人間の掟が殺すべしという時代に生きなければならなかったことを嘆く。いつになったら、人類が同志であるという事実に慣れ親しむときがくるのだろう。

祖国愛は自然なものである。
しかし、なぜ国境を越えてはならないのか。
世界は一家族である。
われわれ一人ひとりは兄弟のために尽くす義務がある。
われわれは一本の木につながる葉である。
人類という木に。

     (『パブロ・カザルス 喜びと悲しみ』より)

「カタルーニャの鳥は、ピース、ピースと鳴きます」。

国連本部イザヤの壁
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THEY SHALL BEAT THEIR SWORDS INTO
PLOWSHARES. AND THEIR SPEARS INTO
PRUNING HOOKS. NATION SHALL NOT LIFT
UP SWORD AGAINST NATION. NEITHER
SHALL THEY LEARN WAR ANY MORE.ISAIAH 

ここに刻まれているのはイザヤ書2章4節(聖書)の下線部分である。

「彼(神)はもろもろの国のあいだにさばきを行い、
多くの民のために仲裁に立たれる。
こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、鋤(すき)とし、
その槍を打ちかえて、鎌とし、
国は国にむかって、つるぎをあげず、
彼らはもはや戦いのことを学ばない
」。


平和を求める人々の祈りが神さまに届きますように。



posted by 優子 at 09:28| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年06月07日

平和を叫び続けたカザルス ”The Song of Birds”

パブロ・カザルス.jpg「歴史上、いまだかつて現在のように世界が破滅に近づいたことはなかった。…混乱と恐怖が世界を覆い、…世界の危機を日一日と増大しているのです」。

これは1958年10月24日、国連で開催された世界人権宣言10周年記念コンサートで、演奏に先立って語ったカザルスの言葉だ。
カザルスを招いたのが当時の国連事務総長ダグ・ハマーショルドであり、彼もまた偉大な人物だった。

次に掲げた動画は、カザルスの晩年1971年に、国連で演奏した「鳥の歌」をバックにスピーチを編集した1分42秒の短いビデオである。

「鳥の歌」の原曲はカザルスの故郷カタルーニャのクリスマス・キャロルであり、イエス・キリストの聖誕を鳥が祝っている様子を歌っている。新聖歌にはクリスマスの歌として「鳥の歌」が94番に収められている。



IMG_2340.jpg空を飛ぶ鳥たちはこう歌うのです。
”Peace, Peace, Peace
(平和、平和、平和)”



IMG_1568.jpg鳥たちはこう歌うのです。
“Peace, Peace, Peace
Peace, Peace, Peace
Peace, Peace, Peace”


IMG_5676.jpg
「パブロ・カザルスは偉大な芸術家だ。彼は祖国の人々を迫害する圧制者に立ち向かっただけではなく、いつでも悪魔に妥協してしまう日和見主義者たちに対しても断固とした態度で抵抗した。そんな彼を私は尊敬する。
彼にはよくわかっていた。
悪を実際に行う人々よりも、悪を許し、助長させてしまう人々のほうが世界を危機に陥れるのだ、ということを」。

    (アルベルト・アインシュタイン)

それから60年後の世界は…、日本は戦後築き上げた民主主義国家を崩壊寸前になっている。

国連人権委員会から勧告を受けていることがすべてを物語っており、その勧告に対しても猛然と抗議する政府は、かつてリットン調査団の報告書に抗議して松岡洋右が国際連盟から脱退宣言して立ち去っていく姿を想起させる。

あれは20世紀の出来事を振り返って見ていた映像であるのに、21世紀にもまたしても狂気の歯車が回り出し、日に日に加速度を増している。


共謀罪を通させると治安維持法に拡大され、一般市民でもこのようなブログを書いている者は捕まえられてしまう。
今、私たちに何ができるのだろうか。
発言の場が与えられて闘っている人々のために背後で祈る、諦めないで祈り続け、私たちも社会に声を上げる。今しかできないことをしようではないか、悔いを残さないために。

IMG_5662.jpg 
暗澹とした深い闇の中に進みゆく時も
自然界は季節がめぐり今年も梅雨に入った。

posted by 優子 at 22:02| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年05月30日

国連からも警告、民主主義の危機

2016年4月、国連人権専門官から日本政府に対して「報道の独立性に対する重大な脅威を警告」されている。「意見及び表現の自由」の調査を担当する国連特別報告者ディビッド・ケイ氏は次のように言っている。

「多くのジャーナリストが、自身の生活を守るために匿名を条件に私との面会に応じてくれましたが、国民的関心事の扱いの微妙な部分を避けなければならない圧力の存在を浮かび上がらせました。
彼らの多くが、有力政治家からの間接的な圧力によって、仕事から外され、沈黙を強いられたと訴えています。これほどの強固な民主主義の基盤のある国では、そのような介入には抵抗して介入を防ぐべきです」。

          (「国連広報センター」より) 

先月、国連の人権専門官は共謀罪について重大な懸念を伝える書簡を安倍首相に送ったことに対して、日本政府が抗議した。これではどこかの国と同じだ。

既に巨大な歯車が回り出し加速し始めている。今ここで皆が立ち上がらないと本当に民主主義は瓦解してしまう。私は何度も多喜二の遺体から叫び声が聞こえてくる。かつて『蟹工船』というプロレタリア文学作品を書いたために、警察により拷問を受けて殺された小林多喜二から。

多喜二の前で母セキ.jpg
多喜二の遺体の枕もとに母セキがいる。

小林多喜二@.jpg

後年、多喜二の母・セキは次のように話していた。
「布団の上に寝かされた多喜二の遺体はひどいもんだった。首や手首には、ロープで思いっきり縛りつけた跡がある。
ズボンを誰かが脱がせた時は、みんな一斉に悲鳴を上げて、ものも言えんかった。下っ腹から両膝まで、墨と赤インクでもまぜて塗ったかと思うほどの恐ろしいほどの色で、いつもの多喜二の足の2倍にもふくらんでいた。

捕まえていきなり竹刀で殴ったり、千枚通しで、ももばめったやたらに刺し通して、殺していいもんなんだべか」。

          (過去ログ:2015年3月20日より)

今の日本はおかしい。おかしいことはおかしいと声を上げねばらない。権力を持つと人間はかくも良心がマヒしていくものなのであろうか。たった70年間で再び恐怖の時代を来たらせるとは、現政権はあまりにも罪深い。

ジャーナリストは魂を売ってはならない。
今も勇敢に戦い続けているジャーナリストたちに与して立ち上がるべきだ。私たちにできることは何か、今手をこまねいていてはだめだ。
私は神に祈ろう。
どうか正しき者を守り堅く立たせてくださり正義が成るようにと、全てを支配しておられる神に祈ろう。

「どうか悪しき者の悪を断ち、
正しき者を堅く立たせてください。
義なる神よ、あなたは人の心と思いとを調べられます。

わたしを守る盾は神である。
神は心の直き者を救われる。
神は義なるさばきびと、
日ごとに憤りを起される神である。

もし人が悔い改めないならば、神はそのつるぎをとぎ、
その弓を張って構え、
また死に至らせる武器を備え、
その矢を火矢とされる。

見よ、悪しき者は邪悪をはらみ、
害毒をやどし、偽りを生む。
彼は穴を掘って、それを深くし、
みずから作った穴に陥る。

その害毒は自分のかしらに帰り、
その強暴は自分のこうべに下る。
わたしは主にむかって、
その義にふさわしい感謝をささげ、
いと高き者なる主の名をほめ歌うであろう」。
 
           (詩篇7篇9節〜17節)
posted by 優子 at 23:02| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年02月15日

渡辺和子さんの学園葬 −父を殺した人の墓前で祈る―

" Unless change,nothing changes."
「あなたが変わらなければ、何も変わりません」。

01yuri2b.jpg昨年12月30日に89歳で帰天したノートルダム清心学園理事長、渡辺和子さん(修道女名:シスター・セント・ジョン)の学園葬が12日、岡山国際ホテルで行われた。

以下は『クリスチャントゥディ』2月13日更新の「渡辺和子さんの学園葬に3500人」より抜粋したものに父と子の写真を加えたものである。

image[5].jpg学園葬は追悼ミサとお別れの会の2部構成。同学園の卒業生をはじめ、財界、各宗教界から約3500人が参列した。
親族代表として、渡辺さんと7つ違いの姪、小林依子さんが言葉を述べた。渡辺さんが母親の猛反対を押し切って受洗した直後は、一緒に疎開生活をしていたこともあるなど、幼少期は姉妹のように仲良くしていた。

昨年10月末に入院したとき、渡辺さんは「私は修道院に帰るべき」と退院を強く望んでいた。そして12月19日に退院する前、小林さんに「私、お父さんの子でよかった」と話したという。

渡辺錠太郎と和子.jpg渡辺さんの父親は陸軍教育総監だった渡辺錠太郎氏。
1936年、「二・二六事件」で青年将校に襲撃され、自宅の居間で命を落としたが、その様子を渡辺さんは間近で目撃していた。

母は5時に起きて、二人のお手伝いさんに雨戸を開けさせたりしていました。襲撃のあったときは6時前だったと思います。

激しい怒号でトラック一台(に乗ってきた)三十数名の兵士が門を乗り越えて入ってきました。玄関のガラス戸に銃弾が撃ち込まれたようでした。父は左の襖を開けて戸棚の拳銃を手にして、覚悟していたものと思われます。

「和子はお母様のところへ行きなさい」と言いました。これが私に対する父の最後の言葉でした。

母のところへ行きましたら、母は玄関で兵を入れまいとしていたために、私は父のところへ戻ったのです。そのとき既に弾が寝間に撃ち込まれていました。

私は銃弾をかい潜って父のところへ行きました。父は掻い巻き(かいまき)を身体に巻きつけてピストルを構えていました。

私が戻ったので父は困った顔をして、目で籃胎座卓の後へ隠れるよう指示しました。私はそこに隠れました。開けられた襖から見えた機関銃の銃口が父を狙っているようでした。

父はドイツ駐在武官時代に射撃の名手だったので、ピストルで応戦しましたが、片脚は殆ど骨だけでした。
玄関から入れなかった高橋、安田少尉が外へ回って、開けてあった縁側から茶の間に入ってきて射撃をして、トドメを刺して引き上げて行きました。

母が玄関から戻ってきて「和子は向こうへ行きなさい」と言いました。午後になって検視のあと父の頬に触れましたが、とても冷たかったのを今でも覚えています。姉は、父が銃弾43発を受けたと言っていました。

父の脚は骨だけで肉片が座敷に散らばっていました。
憲兵二人は二階に泊まっていました。
兵隊たちは斎藤内大臣を殺害したあとに来たので、なぜ電話が無かったのかと思っています。電話があったという話もありますが、電話の音は聞こえませんでした。電話があれば父を久保家(長女の嫁ぎ先で2〜3軒隣り)に隠すことが出来たのではなかったかと、今でも思います。

血の海の中で父は死にました。
あのとき逃げ隠れしないで死んでくれて、それでよいのだと思っています。

死の直前、私を隠してくれた父を思い出すのです。雪の上に点々と血が残っていました。その血の赤さは今も私の頭に焼き付いています。

安田少尉は近所に住んでいたから、家の構造を知っていたのではないかと思います。表玄関から入れないので裏へ回ったのでしょう。

兄二人は子ども部屋に監禁されていました。母は兵士を阻止していたので私一人が戻り、父が、自分が死ぬ場面の見えるところに隠してくれたので相手も気づかなかったらしいのです。私は送り人ならぬ看取り人になりました。

兵士たちが入ってくるのをちゃぶ台の後ろから私は見ていたし、引き上げるのも見ていました。ちゃぶ台には銃痕がありますが、それが私を守ってくれたのです。


「二・二六事件 『父渡邉錠太郎と私』の講演から」より引用。

式には、「二・二六事件」で渡辺総監にとどめを刺したとされる青年将校の弟、安田善三郎(91)さんも出席し、献花をした。

事件から50年後の1986年、青年将校らの法要に渡辺さんが初めて訪れたとき、偶然、安田さんが案内することになった。その人が渡辺総監の娘であることを知り、安田さんは涙ながらに謝罪。

その後、手紙などを通して交流が始まった。渡辺さんが関東地方に講演などで来るときには、安田さん宅を訪れ、食事を共にしたこともあった。

やがて渡辺さんに導かれるように、1991年、神奈川県内のカトリック教会で受洗した。現在もミサを守り、自宅では聖書を読むことを欠かさないという。

「私は、シスターの姿にキリストを見たような気がしている。どうして、自分の父親を殺した犯人の墓に手を合わせたり、その弟の私と食事を共にしたりするようなことができるだろう。私は、シスターの100分の1、千分の1にも満たないが、あのような人になりたいと思った」。

「渡辺さんとの会話の中で、思い出深い聖句は?」と尋ねると、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28)を安田さんは挙げた。

渡辺和子さんの御遺骨は、父・錠太郎氏が眠る多磨霊園(東京)に納骨される。

附記:2016年最後の記事に「渡辺和子さん召天」を記している。



「自分を愛するということ」:13分間のビデオです。

posted by 優子 at 18:20| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年01月16日

暗澹たる時代だからこそ光の中を生きる

「歴史は繰り返す」とは若い頃からよく聞いていたことだが、これはもうどうしようもない人間の実相だと思う。
地獄の戦争を経験した世代は平和を強く訴えるが、経験したからと言って全ての人がそうではないように、戦争を経験していない人の中にも平和を訴える人々がいる。

カトリック信徒の経済学者・浜矩子さんは安倍首相を次のように批判している。
「成熟度の低い人間は追い詰められるほど意固地になる。慌てれば慌てるほど強権的になる。そうした子どもじみた振る舞いが崇高なる平和の誓いを脅かす」と。

そして、1968年の「プラハの春」を彷彿とさせる。
「権力者はやがて超保守主義に陥り、周りを見失い独善的になってしまうもので、そのことに自分で気がつかない。これは人間がもっている本性的な弱点であり、したがって行きつく所までいかないと終わらない」。

その年の12月、カール・バルトに友人のトゥルンアイゼンが「時代は暗いね」と電話をかけてきた。それに対してバルトも「実に暗い」、「そうだ。世界は暗澹としているね」。そして続けた。

「但し、意気消沈だけはしないでおこうよ、絶対に。何故なら支配していたもう方がおられるのだから。モスクワやワシントン、あるいは北京においてだけではない。支配していたもう方がおられる。しかもこの全世界においてだよ。

しかし、まったく上から、天上から支配していたもうのだ。神が支配の座についておられる。だから私は恐れない。もっとも暗い瞬間にも信頼を持ち続けようではないか。希望を捨てないようにしようよ。すべて人に対する全世界に対する希望を。

神は私たちを見捨てたりはしない。私たちのうちのただの一人も、私たちお互いみなを見捨てたりはしない。支配していたもう方がおられるのだから」。


この夜、バルトは召され、これがバルトの最後の言葉になった。

世界のことも、日本のことも、日常のことも、私たちが経験する全ての行き詰まりにおいても、これは的確なメッセージとして私たちを励ます道案内である。

計り知れない犠牲の上に、長い年月をかけて築き上げてきたデモクラシーさえも再び瓦解されてしまいそうな、重苦しい暗雲が迫ってきている。

日本のみならず、今後ますます世界は一触即発の状況になっていくように思えてならない。トランプ氏に「大統領緊急カバン」(核のボタン)を委ねる恐怖。世界はどうなっていくのだろう。

各国の為政者たちよ、
過去の暗い時代を再び繰り返さないで!!!

「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたし(イエス・キリスト)はすでに世に勝ったのです」。
             (ヨハネによる福音書 16章33節)

いつまでも平和で自由な時代が続くわけではありません。患難が予想されます。しかし、罪と死の力に対するキリストの勝利は、今日も変わることなく、私たちの勝利でもあります。まるで、まだ敗者であるかのように、闇の生き方をしてはなりません。勝者として光の中を生きるのです。
              (川端光生牧師の一言)

posted by 優子 at 07:23| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年12月23日

シリア人医師:「それでも、私たちはまだ希望を失っていません」。

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img.jpg国境なき医師団は、シリアに関連する活動について完全なる中立性を確保するため、民間の皆さまからの寄付金のみを活動財源としています。

2016年、日本では12月19日までに5000件以上、約6000万円のシリア緊急援助へのご支援をお寄せいただきました。ご協力くださった皆さまに、心より御礼申し上げます。

より多く、一人でも多くの命を救うために、私たちにはもっと多くの資金が必要です。まだまだ足りないのが実情なのです。

シリア国内に取り残された人びと、また周辺諸国の難民キャンプで援助を待つ人びとのために、国境なき医師団だからこそできることがあります。どうぞご協力くださいますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

現地に残って被害者を治療しようと努めるシリア人医師から、2週間前に届いた報告を、一部引用してご紹介します。

「12月5日には、爆撃で救急車が破壊されました。負傷者を他の病院に移送する必要がある場合、いったいどうすればいいのか……。この診療所は何度も攻撃の被害に遭っています。壁や天井には穴があき、手術は地下階で行っています。

過去2年の間に、診療所長を含む医師2人、清掃員1人、研修責任者1人、看護師3人、合計7人の仲間が命を落としました。  

戦闘機と空爆は恐ろしいものです、亡くなった人を思い、次は自分の番かと考えてしまうのです。私は空爆が静まるまでトイレの通路に隠れていることもあります。

それでも、私たちはまだ希望を失っていません。希望は常にあるものです。残念ながら、この地に明るい兆しはまだ見られません。それでも、今は地域の人びとのために医療の維持が重要です。私たちは今後も最善を尽くしていきます」。


images.jpgこの写真は、亡くなった息子に口づけする父親です。

以下は、『クリスチャン・トゥディ』12月17日に公開された
シリア人ジャーナリストに聞く「国際社会のすべきこと」からの抜粋です。

「神様・・・私たちをこの悪夢から解放してください」

「これが、私の最後のメッセージになるでしょう。これをご覧の皆さん、シリアとともに立ち上がってください」

「私たちは、普通の生活がしたいだけなのです。どうか皆さん、私たちを助けてください」

「政府軍からの攻撃は日に日に激しくなってきています。政府軍の兵士たちは、もう数百メートル先まで来ています」


このような悲痛なメッセージに、日本人ユーザーの間でも同情と祈りの声が上がっている。

シリア地図.png一夜明け、アレッポの街はどうなっているのだろうか。カナダ在住のシリア人ジャーナリスト、モハメッド・マームッドさんに話を聞いた。

現地アレッポに多くの仲間が残されており、マームッドさんもカナダからアレッポの現状を伝え続け、支援を呼び掛けている。

―現在のアレッポの様子は?

29日間に及ぶ集中砲火や爆撃の後、ようやく昨日から、アレッポ東部の地域から一般市民の避難が始まっています。この間、多くの市民がロシア空軍、政府勢力による攻撃で亡くなりました。

アレッポの街には、もうほとんど建物という建物は残っていません。彼らは学校も、銀行も、ベーカリーも、道も、橋も全てを破壊してしまったのです。ロシア、インド、中国などの政府側を支援した国々の企業は、ここに新たなビルを建設する契約をすでに結んでいると聞いています。

―現地から頻繁に情報は入ってくるのですか?

はい。私は、現地の活動家やジャーナリストたち、評議員たちと継続的に連絡をとっています。この中には、私の友人でもあった日本人ジャーナリストの後藤健二氏がドキュメンタリーを作成してくれた「ホワイトヘルメット」のメンバーも含まれています。彼らは、国際社会の沈黙に対して、彼らの怒りや思いをユーチューブなどで公開もしています。

米国とロシアによって、この国はほぼ滅ぼされてしまいました。さらにさまざまな国が加担したことによって、この戦いはより激しくなっていきました。

イランは水面下で政府側を支援し、戦闘員や戦うための道具を送り、経済的な支援も行ってきました。それらのお金によって、国内外の戦闘員を雇うことができたのです。

トルコやサウジアラビアもまた同じような役割を、反政府組織に対して担い、この愚かな戦争に加担してきたのです。


―国際社会は、アレッポ市民に対して、何ができるでしょうか?

東アレッポから避難してきた市民たちは、家を追われ、毎日のように処刑されるのではないか・・・または爆撃や攻撃に再び遭うのではないかといった恐怖にさらされています。

この避難民たちは、10万人ほどいるのではないかと予想されています。彼らは何も持っていません。洋服をかろうじて着ている程度でしょう。シェルター、洋服、食べるもの、移動手段、医者、薬、学校、デイケアセンター、女性のための健康センター・・・数えたらきりがありません。想像してみてください・・・ちょうど日本に原爆が投下された直後の広島の街のようだと思います。

―この戦争を終わらせるために、私たちができることは?

国際社会は、再び彼らの脆弱(ぜいじゃく)さを露呈することになったと思います。この虐殺に対して、完全に無力だったのです。国連の主要機関ですら、このフィールドには踏み込むことさえできませんでした。

世界の皆さんに私は言いたいのです。もう一度、シリアのことをよく考えてみてください。シリア革命は、人々が変化を求め、自由を求め、一人一人が生まれ持った人としての権利を取り戻すために行われました。皆さんの理解を求めます。


bible.png附記:今日11時頃、私たちのために真智から電話あり。すぐにスカイプに切り替えて4時間半も話し合っていた。スカイプを終えた時、ワシントンは深夜1時半になっていた。
最後に一人ひとり祈り合い、そのあとにまた真智が祈ってくれて、最悪のクリスマスが最善のクリスマスへと導かれた。インマヌエル!


posted by 優子 at 21:45| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年11月17日

社会に発言するキリスト者

IMG_1103.jpgキリスト者として社会に発言する人は僅かである。日本クリスチャン・ペンクラブの友、長原武夫さんは「イエス友の会中央委員」の肩書で長浜革新懇代表世話人をされている。

その機関紙『長浜かくしん』11月号(No.60)に、クリスチャンのペン友、児童文学者・今関信子さんの言葉を導入して「戦争の放棄」を訴えておられる。

「戦争なんかない」言う友に「戦争はいやです」と返せ

「戦争は少しずつ近づいています。私たちは自由にモノを言える、行動できる。今ならストップできます」。 (今関信子さん)

自民党の改憲草案は、憲法9条を「改正」し、日本を戦争する国に変えようとするものです。しかも、自衛隊を国防軍(軍隊)とする。とんでもない。草案ではないか。国防軍はアメリカが起こした戦争に参加し、殺し殺される戦闘行為を行うことが現実のものとなる。

「戦争と私」を本紙は連載し、戦争体験を語り続けている。戦争は人間をほろぼすこと、世の中のよいものを壊していくことです。

憲法に「戦争の放棄」を定めている。「放棄」とは「捨ててしまう」ということと、『あたらしい憲法のはなし』を当時の文部省は学校に配布しています。

「戦争なんかない」という友も学んでいます。「正義の戦争というのもあるよ」という友もいる。戦争が好きか嫌いかと馬鹿げた問答なんかしたくない。せめて戦争は嫌であり、ダメだと言い切れ。
             (略)

再び暗い時代を避けるため、暮らしの中の「平和」を先ず守ることに活動を進めようではないか。「戦争と私」を誰しも綴って参加してほしい。
             長浜革新懇代表世話人
                長原 武夫
                イエス友の会中央委員

IMG_1102.jpg写真家でもある長原さんは毎月巻頭に掲げられる写真も提供しておられる。今月号は「平和とはおもわずジャンプしちゃうこと」。長原さんの感性豊かな柔らかい心が伝わってくる。

今年も琵琶湖に白鳥が渡ってきているという。
是非一度見に行きたい。

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posted by 優子 at 12:17| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年11月12日

ヒラリー・クリントン氏、敗北宣言で新約聖書のガラテヤ書を引用

hirari-.png民主党のヒラリー・クリントン候補は9日、米大統領選で共和党のドナルド・トランプ候補に敗北した後の演説で、新約聖書から1節の聖句を引用した。

ガラテヤ人への手紙6章9節、「善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」と述べた。
以下は、2016年11月11日20時25分に公開された『クリスチャン・トゥディ』より抜粋引用させていただいた。

ヒラリー@.jpg互いに信頼し合いましょう。弱り果ててはいけません。落胆してはいけません。道のりは長く、やべるべきことが山積しているからです。

私たちは広い心で、率先してトランプ氏に協力しなければなりません。私は昨夜、トランプ氏にお祝いの言葉をお伝えし、この国のために共に働いていく旨を述べました。トランプ氏が全ての国民の大統領となることを期待します。

私たちの価値観が認められず、今回の大統領選に勝利できなかったことは残念です。皆さんは、米国の良き一面を見せてくださいました。(選挙期間中)皆さんの候補者として過ごせたことは、私の生涯において最も大きな栄誉でした。

@ヒラリー.jpg私は、皆さんの落胆している気持ちが分かります。なぜなら私も落胆しているからです。この敗北は痛みに満ちており、その痛みは長く続くでしょう。

しかし、このことを忘れないでください。この選挙戦は、私1人のものではありませんでした。これは愛する祖国を建て上げるための選挙戦でした。

米国は、思う以上に深く分断されてしまいました・・・。私たちはこの結果を受け入れなければなりません。この国の大統領になるのは、ドナルド・トランプ氏です・・・。私たちは広い心で、率先してトランプ氏に協力しなければなりません。

私と私の陣営に信頼してくださった全ての女性の皆さん・・・。皆さんの代表者になれたことは、私にとって最高の誇りでした。

私たちは、気高い目標を達成することはかないませんでしたが、いつの日かどなたかが成し遂げてくださることを願っています。思う以上に早くその時が来ることを期待しております。

そして、この中継をご覧になっている若い女性の皆さん。皆さんが尊い存在であることを決して疑ってはいけません・・・。皆さんには多くの機会が残されています・・・。皆さんの夢を諦めないでください。

バラク・オバマ大統領、そしてミシェル夫人。この国はお2人に大きな感謝をささげなければなりません。私たちはお2人の優れたリーダーシップに、深く感謝しております。

(家族への感謝)ビル、チェルシー、マーク、シャーロット、そしてエイダン。あなたたちを愛する私の気持ちは、言葉では言い尽せません。私が励ましを必要としていたときに、あなたたちは全国を駆け巡って私を応援してくれました。

また、選挙陣営とスタッフの皆さんはこの選挙戦に心血を注ぎ込んでくださいました・・・。皆さんほど優秀な選挙スタッフは、期待することも望むこともできません。

そして大勢のボランティアの方々や、地域の指導者、活動家、組合主催者の皆さん。全員、前のほうに出て来ていただけますか・・・。皆さんの声が聞こえるように前のほうにお出でください。

ヒラリー敗北宣言.jpg若い方々もこれから、成功や失敗を経験すると思います。今回の敗北には心が痛みますが、正しいことのための闘いは尊いという信念を、これからもどうか持ち続けてください。
信仰者ヒラリー・クリントン氏の一面と伴侶ビル・クリントン氏との夫婦関係の麗しさに深い感銘を覚えた。伴侶の妻への視線がすべてを語っている。

69歳のヒラリーさんは、後に続く若い女性にバトンを託した。

ガラテヤ書より:
「善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります」。

「気高い目標を達成することはかないませんでしたが、いつの日かどなたかが成し遂げてくださることを願っています。思う以上に早くその時が来ることを期待しております。
若い女性の皆さんには多くの機会が残されています。皆さんの夢を諦めないでください」。


素晴らしいスピーチであった。
多くの人々の魂に届いたことであろう。
常により良き未来の金的をめざして進もう。失望せずに進もう。

posted by 優子 at 23:10| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年11月09日

信じられない米国大統領選結果

IMG_1004.jpg2016.11.10追載:
早速のゴシップ記事。

IMG_1006.jpg「恐怖のホワイト・ハウス」には国旗がさかさまになっている。
合衆国の国旗規定では、生命や財産に極度の危険が迫っている時以外は、決して上下を逆にしてはいけないとのこと。

今朝から各テレビ局は米国大統領選一色だった。そして今16時35分、アメリカのAP通信がトランプ氏の当選確実を伝えた。国民の結集と融和を訴えたヒラリー・クリントンが敗北した。

ヒラリーさんに人気がないとはいえ、まさかトランプ氏が勝つのは不可能だろうと思っていただけに、開票早々から信じられない展開で目が離せなかった。州によっては30%の差で敗北していた。

「まるで世界が崩壊していくのを見ているようだ」。
クリントン支持者が力なく言った。

トランプ氏は政治には全くの素人で、本は読まない、人の意見も聞かない、マイノリティへの敬意もなく、「大統領になったらメキシコとの間に国境の壁を建設し、メキシコにその費用を支払わせる」など、荒唐無稽なことを堂々と言う人物が大統領に選ばれたのである。

これはもうイギリスのEU離脱どころではない。「隠れトランプ」支持者でこれほどまでの票数を伸ばせないだろうし、原因は何だったのだろうか。事前調査もあてにならないものだ。

トランプ氏のメッセージ力の強さか?
トランプ支持者は、トランプ氏がヒラリーさんのようにワシントンを代表している人物ではないから、彼に自分自身を重ねたのかもしれない。
とにかくこれまでの既成政治に対する不満の強さ、怒りなど人々の疎外されている感情がこの結果となったと論評している。


アメリカのFOXテレビも今(16時44分)トランプ候補の当確を伝えた。と同時に副大統領となるマイク・ペンス氏が、「これは歴史的なことだ。アメリカの国民が声を上げた」とスピーチを始め、トランプ氏が姿を現した。

ヒスパニック系の人々、イスラム教徒、黒人の人々にとっては恐怖である。これから何が起きるのだろう。

既に円高株安のトランプリスクが出ており大きな値動きが続いている。今後トランプショックで世界が混乱しないことを祈るばかりである。

このたびのことで感じたのは、とにかく米国の選挙への関心と投票率の高さには感銘を覚えた。
そして、ヒラリーはやっぱり男性に負けたということ。
あのアメリカにして、今も「ガラスの天井」を破ることができなかったという思いが強く残った。

長い半日だった。

改めて大きな衝撃である。
この衝撃を吸収するには時間が要るだろう。

それでもなお神の導きを祈りつつ、最善へと導いてくださるように祈ります。


22時追記:平日に投票日というのが不思議だったが、キリスト教国だからという理由だろう。そして、選挙の日は会社も学校(公立)も休みなんだって。

知子、激務でいまだ帰宅せず。

posted by 優子 at 17:05| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年10月25日

「ハタから見たキリスト教」−「無宗教こそ知性の証し」、これこそがこの半世紀の日本人の意識―

今月15日、群馬県前橋市の日本基督教団前橋教会創立130周年記念(創設者・海老名弾正)で開催された対談式講演会、「ハタから見たキリスト教」を興味深く読んだ。

対談者は内田樹氏(思想家、武道家、神戸女学院で長年教職に就く)、釈徹宗氏(浄土真宗本願寺派如来寺の住職、宗教学者)、川上盾(じゅん)同教会牧師、松谷信司氏(キリスト新聞社季刊誌編集長)。
以下は引用抜粋したものである。

川上牧師:
「キリスト教は現在、日本において大変苦しい状況にある。信徒の数は人口の1パーセントにも満たない。しかし、現在までにキリスト教が日本に与えた影響は少なからずあった。クリスマスが習慣化し、ミッションスクールと呼ばれる学校は全国にある。キリスト教とは日本にとって何であったのか。この先、どうなっていくのかを『ハタ』からの視点で、お2人にお話していただきたい」。

内田氏、釈氏のキリスト教との出会いについて

内田氏(思想家、武道家):
「私は、大学院でユダヤ人哲学者について研究をしていた。この哲学者はユダヤ教に傾倒している思想を持っていたため、まずはユダヤ教についての書物を読んだり、有識者に話を聞いたりしていた。そうしているうち、キリスト教に代表される反ユダヤ教思想についても研究するようになった。

神戸女学院の教員として採用されると、入学式や卒業式には礼拝が必ずあった。書物を通して知っていたキリスト教を、いきなり礼拝という『行為』を通して知ることになり、自分がその礼拝の当事者になったことに非常に感動した。

チャプレンが祝祷をささげると、自分がこのキリスト教の学校で『歓待』されているのを感じた。また、教務長になったときには、学校行事の礼拝のたびに、聖書を読み上げなければならなかった。

何度も繰り返しているうちに、染みついてきたように思う。さまざまな事柄において、一定の距離を置きながら親しみを持っているが、とりわけキリスト教には親しみを持っているように思う」。

釈氏(僧侶):
「主に宗教研究、教育倫理、社会活動などを通してキリスト教を知る機会が多く、これらの分野は、どこに行ってもクリスチャンの方々に出会うことが多い。
ピエタ.png

バチカンに行ったときには、ミケランジェロの『ピエタ』の前で時空が歪むほどの衝撃を受けた。一瞬、改宗しそうになった」。

キリスト教徒はなぜ1パーセントにとどまるのか

内田氏:
「教会で結婚式を挙げたり、牧師に結婚式の司式をしてもらった・・・という割合は、6〜7割いるのではないだろうか。一方で、葬式は仏教式で行い、戒名をつけてもらったりすることが並立するのが、日本の宗教性。他の国や地域には類を見ない形だと思う」。

釈氏:
「日本人に『神様はいると思うか?』と質問すると、『いる』と答える人は2割程度で、調査した25カ国中最下位。しかし、『いない』と答えた数もそう多くはない。『分からない』と答えた数は、ダントツでトップ。この『分からない』が日本人の宗教観なのでは。

日本の宗教観は『テーブルの真ん中は空けておく』ということであり、これは、しっかりと太い軸を持たないことで、イメージとして、そのテーブルに仏教、儒教、神道などは着くことができる。しかし、キリスト教は真ん中にドンと軸を持ってくる宗教。


『正統』と『異端』、『信者』と『未信者』など、軸を中心に分けるという思想がある。これは、宗教にとって、とても大切なことではあるが、ここが日本人の宗教観と合わないところの1つ。

しかし、全く合わないわけではない。浄土真宗も、そういった性質を持った宗教の1つだが、国内では最も大きな宗派の1つになっている。

日本にある大学の1割がミッション系であるということは、教育に関して、キリスト教は多大なる影響力があるということ。また、この150年間で日本人の感覚は徐々にキリスト教的になってきているとも感じている。

私たち僧侶でさえ、キリスト教にはたくさんの影響を受けた。クリスチャンではないかもしれないが、世界をキリスト教のメガネをかけて見ることが日本人は可能になってきている。ここ数年では、急激に日本人ムスリムも増えてきていることから、イスラムメガネも必要になってきた。

内田氏: 
「この先、20〜30年間は『宗教の時代』が来る。団塊の世代、その下の世代は、『霊的成長』を置き去りにしてきたため、『無宗教こそ知性の証し』のような時代が長く続いた」。

釈氏:
「宗教は、反伝統でもある。これに違和感を覚える世代でもあったが、今の若い世代は、この『伝統』すらない世代。この10年でムスリムは倍増している。おそらく、この先10年でさらに倍増するだろう。

私たちは、喫緊の課題として、仏教界、キリスト教界も考えていかなければならない。長い歴史のあるものは、それだけ、時代とのすり合わせが必要だ。そのままだと若者にとって魅力のないものになりがち。これを『文化』と消化はするが、この辺りがキーなのでは。

しかし、マクロでものを見るのではなく、ミクロでものを見ると、一つ一つの教会、寺、活動は、とても魅力的。キリスト教を個人として、とても尊敬している。

日本でこれから爆発的に信徒が増えていくのは、今のところ考えられない。しかし、キリスト教が日本に与えている影響は間違いなく大きいと思う。クリスチャンの人口は少ないかもしれないが、裾野は広い。裾野は豊かであればあるほど、頂きが高いということだと思う」。

これを読んで河合隼雄の言葉(『子どもの本を読む』)を思い出した。

「両親が暴力をふるってくる子どもに向かって、自分たちがこれまで何でもお前の欲しいものを与えてきたのに、何が不足で暴れるのかと尋ねた。それに対して子どもは、『うちに宗教がない』と答えたのである」。

勿論、子どもは「家の宗教」がないと言っているのではない。

「絶対に不足しているものを指して、子どもは『宗教がない』と言ったのである。最も根源的なことを不問にし、・・・多くの親たちがあまりにもそのことを忘れているからである」。

この書物が出て31年、現代は私が子育てしていた頃よりも向上したのではなく劣化の一途を辿っている。親や教師も同様で、子どもが健全に成長していくのが非常に難しくなった。それについてはページを変えて考えたい。


posted by 優子 at 20:40| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年10月21日

脳死者が臓器摘出時に苦しむ?!

昨夜は知子が不在だったので私は知子のベッドで眠った。ユキは9歳になり大きくなって133センチになったけれど寝顔は幼児の時のままだ。

眠っているユキを抱きしめたら涙が溢れてきた。今も脳死状態で眠っているM君を想ったからだ。そして、その母の絶叫はどんなものであるかと。


昨夜半、私はわけのわからない夢を見てうなされて目が覚めた。

18日に本(『脳死・臓器移植の本当の話』)が届いてからずっとMくんのこと、お母さんのことを思いながら読んでいくうちに、あまりにもおぞましい現実を知った驚愕と、Mくんのお母さんとどのように関わればよいのか思いめぐらせているからだ。


新書版で424ページという分厚いものだが、著者・小松美彦の「より多くの人々が手にしうるように、あくまで新書で」という切望から手ごろな値段の新書版で刊行された。哲学的ロジックで難しく、何よりもあまりに内容が重くて今はまだ半分ほど読んだところだ。


私は今まで脳こそが命を統御するものだと思っていた。脳幹は命の中枢である呼吸や血圧を司るところで・・・と。


しかし、全脳死でも死ではないというのが私の直観であり、人工呼吸器を外すと生きていけないとは言っても、体温がある人を死とするのはどうしても容認できないことであった。死んだ人に人工呼吸器をつけても血流は再開しないことからも判断できる。


しかもこのたび、脳死と呼ばれている人は「脳という一器官の不全状態」であり、それでもって死そのものを意味しないということを知ることとなった。


ペースメーカーを埋め込んでいる人や透析している人たちも同様であり、それらの機械がなければ非常に深刻な状態になる。

ならば脳死の人もまた同様に人工呼吸器という機械の力を借りて生きているのであり、その点からも脳死は人の死ではない。体が暖かいのは血流があるからである。


最も驚いたのは「ラザロ徴候」である。その名前からすぐに内容は想像できた。

「ラザロ徴候」とは、「(Lazarus sign, Lazarus phenomenon)は脳死とされる患者が自発的に手や足を動かす動作のことで、名前は新約聖書でイエスによってよみがえったユダヤ人のラザロに由来する」。

ついでながら「ラザロ」は、ヘブライ語で「エレ・アザル:神はわが助け」を意味し、神に助けを求める者である。


脳死や臓器移植関係者はラザロ徴候を脊髄反射であるとして顧みないが、人工呼吸器を外した2〜3分後からラザロ徴候が1時間も続き、その間には血圧が230にも上昇し、1分間に150回もの頻脈を呈して顔面も紅潮した人もいた。彼らはこれをどのように説明するのだろうか。


これは間違いなく脳幹の働きであり延髄が機能している可能性が多分にある。単純に考えても本当の死者にこのようなことはあり得るのか!


医療者よ、驕るなかれ。

人間の尊厳を侵してはならない。


全ての臓器を提供したドナーが最後に眼球を摘出された時、「脳死者の額には汗が無数の玉となって浮き上がっている。眼には涙があふれていた」といい、「臓器摘出の執刀時、ドナーの大半が急速で激しい血圧上昇と頻脈を示す」という論文も報告されている。


英国の麻酔医は語る。

「(脳死患者に)メスを入れた途端、脈拍と血圧が急上昇するんですから。そしてそのまま何もしなければ、患者は動き出し、のたうち回りはじめます。摘出手術どころじゃないんです。ですから、移植医は私たち麻酔医に決まってこう言います。ドナー患者に麻酔をかけてくれ、と」。


これでは激痛どころか生体解剖されてのたうち回っているのである。まさにトゥルオグの論文にあるように「正当化された殺人(justified Killing)」ではないか!


アメリカやイギリスではこうした可能性があるからこそ、モルヒネを投与して臓器を摘出している」という。何という残虐極まりないでおぞましい蛮行だろう。


「”脳死者”には、言葉で意思表示ができなかったとしても、臓器摘出時に意識や感覚が残っていた可能性があるのだ」。

まさに脳死から生還した人が、回復していく姿を段階別に収めた映像を本人の証言と共にユウチューブで見ることができた。


「脳死者はレシピエント候補者とは違って、苦しみも願いも語れない」。


著者は何度も「自分の目で見る、自分の心で感じる、自分の頭で考える」ことの大切さを訴え、読者の心を揺さぶり目覚めを促す。


あなたはこのことをどのように思われるのであろう。是非多くの方々に読んでいただきたい本である。いや、私たちは真実を知る義務がある。


以下は本の内容紹介より:

脳死者の臓器提供をめぐる問題に何があるのか? 「臓器移植法」改定を前に、長年の論争の焦点を整理する。生命倫理の本質をえぐった渾身の大作。

「脳死者は臓器摘出時に激痛を感じている可能性がある」「家族の呼びかけに反応することがある」「妊婦であれば出産できる」「19年間生き続けている者もいる」――

1997年に「臓器移植法」が成立して以来、日本でも脳死・臓器移植は既成事実となった感が強い。ところが近年、脳死を人の死とする医学的な根本が大きく揺らいでいるのだ!

本書は脳死・臓器移植の問題点を、歴史的、科学的に徹底検証。報道されない真実を白日の下にさらし、「死」とは何か、「人間の尊厳」とは何かをあらためて問い直す。

68年に行なわれた和田移植、99年の高知赤十字病院移植の綿密な比較検討から浮かび上がる衝撃の新事実に、読者の目は大きく見開かれることだろう。

読者の道案内役をつとめてくれるのはサン=テグジュペリ作「星の王子さま」。「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ」という言葉が問題を解くカギとなる。

たくさんの書評の中から一例を:

「マスコミは移植を受けて、生命の危機を救われた患者のみを取り上げた番組を美談として執拗に報道し続ける。しかし、一方で提供する側は、密室でこのような光景が展開していると知ると、ドナーカードの所持をもう一度立ち止まって考えさせられる」。


posted by 優子 at 14:00| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年10月10日

「ガラスの天井」に挑み続けたヒラリーが語った自らのキリスト教信仰

ヒラリー.jpg以下は、2016年1月25日のアイオワ州でのキャンペーンで、信仰についての質問を受けて語ったことである。


私は信仰を持っています。私はクリスチャンです。メソジストの信仰を持っています。私はメソジストとして育てられました。私は教会を通して家庭で受けた教育や支援にとても感謝しています。

そして、私たちクリスチャンはみな、何について召されているか、何をするように導かれているか、常に頭の中で考えていると私は思います。また、とても強い確信を持つこと、またそれをほかの信仰を持つ人とも話し合うことは、絶対に必要だと思います。

聖書の学びや信仰を持つ人との多くの対話を通して、最も重要な命令が、心を尽くして主を愛し、自分自身のように隣人を愛することだということを学びました。そしてそれが、キリストが私たちにするように命じていることだと思います。

貧しい人の世話をすること、囚人を訪問すること、異邦人を泊めること、ほかの人を高め、信仰を持ってもらう機会を作ることなど、信仰を実践する多くの方法が聖書にはとても多く書いてあります。

しかし、私は、多くの領域でさばきを神に委ねるべきだと固く信じています。よりオープンになり、寛容になり、より深く敬意を持つことで、信仰について私は謙遜になれます。

私は、頬をたたかれても常に反対側の頬を差し出せる人々、召された範囲よりさらに多く歩くことができる人々、他者を赦(ゆる)し前進する方法を見つけ出し続ける人々を深く尊敬します。

保守派のキリスト教徒に向けてか、クリントン氏は、キリスト教徒がしばしば自分自身を鏡で見ることなく、その信仰を他者を糾弾するために誤用すると暗に示した。

私は、偉大な愛がその核心であるキリスト教が、しばしば他者を迅速に糾弾し、苛烈にさばくために用いられていることに、深く失望し、申し訳なく感じています。

私が常に理解しようとし、共に生きようとしているこのメッセージは、まず自分自身を見て、ほかの人に接するときにも確実にそのように接しなければならないという意味だと私は思います。

私は完璧な人間ではあり得ませんと、全ての人に向けて告白します。しかし、たとえ冷酷な人々に対しても、より良いことをし、より親切であり、より愛す存在であろうという促しを常に感じています

ですから、もしあなたが信仰を持っているなら、あなた自身に、自分が何を期待されているか、自分があるべき通りに行動しているかを自問し続けるべきだと思います。

そしてそれはごく小さなことからですが、とても大きなことにつながっていきます。私はこのことをとても真剣に捉えています。

素晴らしい聖書からの学びはたくさんあります。「山上の垂訓」が本当に意味していることは何でしょうか。私たちに何をし、何を理解するよう呼び掛けていますか?

「山上の垂訓」は確かに、貧しい人、憐れみのある人、この世にあって多くを持たないけれども、神が愛と救いを心の底に持っていると認める人をたたえているからです。

ここまでは同意できるが、2015年4月に「中絶に反対する宗教的信念は変わらなければならない」と提示したことについては考えを異にする。いかに時代が変わろうとも変えてはならないものである。  

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(以下は前掲の「キリスト教から米大統領選を見る」より引用転載)

ヒラリー・ロダムは1947年に中西部の中流家庭の長女として生まれた。女性に生まれつきながらも、父親から「男性として」の教育を受け、そのプレッシャーをはねのけてリーダーシップを発揮する青春時代を送ってきた。

高校卒業後、マサチューセッツ州のウェルズリー大学に入学。当時はアイビーリーグ系の大学(全米で優秀な私立系大学群の総称)が女子学生の受け入れを嫌がっていたため、「女性のアイビーリーグ」の1つと言われたウェルズリーに進学したのであった。

彼女の存在は大学内でも輝きを増し、ついに開校以来の「卒業生によるスピーチ」を式典で行うことになった。今では卒業生がスピーチするのは当たり前であるが、これを女子大で行うことが「開校以来初」であるところに、当時の米国(1969年)の女性への扱いが透けて見えるであろう。(これだけは前近代の封建制を引きずる日本のほうが先を行っていたように思われる。)

ヒラリーが行ったスピーチは、全米規模で一大センセーションを巻き起こし、「ライフ」誌に取り上げられるほどであった。内容は、「一見不可能に見えることを可能にする技術」として政治を実践すること。まさに今のヒラリーを予見させるものだと言えるだろう。

その後、ヒラリーはイェール大学ロースクールへ進学する。母校ウェルズリー大学から奨学金を得たり、他の諸団体から助成金を手にしたり、その不足分をアルバイトで補うなかでの進学であった。

そこで彼女は、赤みを帯びた長髪・あごひげの1年下の男子学生と出会う。ビル・クリントンである。彼はロースクール内でもひときわ目立ったヒラリーに声を掛けられず、食堂や図書館で彼女の後を付け回していたらしい。ただ、「目立った」と言っても化粧をしてファッションセンス抜群であったという意味ではない。

その反対で、彼女はいつも分厚いビン底眼鏡をして、髪の毛は無造作に2つに束ね、服装は体形が露わにならないぶかぶかの洋服を着ていたのである。つまり彼女は女性としての魅力で目立っていたわけではなかった。


自分を背後から見つめる男子の姿を、彼女が知らないはずはなかった。1971年春、ついに業を煮やしたヒラリーは、男子学生(ビル)にこう言い放ったという。

「あなた、5分間も私を見つめてたわね。少なくとも自己紹介すべきじゃない?」。こうしてヒラリーは、将来の大統領と交際をスタートさせたという。

努力して自ら道を切り開くことで、ヒラリーは政治家としてのし上がってきたということである。その苦労は人一倍であった。特に「女性」という立場は、当時の米国ではどうしても男性にかしずくことを求められた。それを否定する生き方は、彼女の服装やコミュ二ケーションの取り方など、全てに醸し出されていたと言えよう。

ヒラリーを支えるのは「未知の領域に踏み出す」もう1つ重要なファクターがある。それは彼女の家庭がメソジスト信者であったということである。
米国が独立し、そこにさまざまなプロテスタント教派が入り込んできた。その時、最も教勢を伸ばしたのが、バプテスト派とメソジスト派であった。

その当時、牧師職は一部の特権階級であり、知性主義の象徴であったため、信徒に説教させる、しかも西部の開拓民たちについて回るというシステムは、いまだどの教派も実践したことがなかったのである。

そこには、未知の領域に一歩踏み出す「信仰」があった。いや、それしかなかったと言ってもいいだろう。もちろんその後、メソジストもエスタブリッシュとしてメーンライン化するので、そういった斬新性は失われていくが、その本質に、現状を改革していくアグレッシブさがあったとしてもおかしくはない。

ヒラリーは、マサチューセッツ州で児童保護基金に職を得ていた。やがて連邦下院司法委員会がニクソン大統領の弾劾を調査する委員会を立ち上げたとき、彼女はそのスタッフに抜擢され、それに伴って首都ワシントンへ居を移している。

このあたりからヒラリーは生粋の民主党員として頭角を現していくこととなるが、1980年の知事選挙では現職にもかかわらず落選の憂き目に遭ってしまう。

「レディー・ファースト」という文化を育んできたのも、米国である。日本やヨーロッパ的な封建制度がある国々では、男女の差異が生み出されることをある程度は納得できるが、米国にはそのような伝統はない。しかし、封建制に代わって特に南部で実践されてきたのは、聖書の天地創造に基づく男女の差異化である。

女が本気で「ガラスの天井」を壊そうと考えるなら、枝葉末節にこだわるのではなく、人々を味方につける戦略を優先したこともうなずけることである。


※ 「ガラスの天井」(glass ceiling)とは、「資質又は成果にかかわらずマイノリティ及び女性の組織内での昇進を妨げる見えないが打ち破れない障壁である 。 当初は、女性のキャリアを阻む障壁のメタファーであったが、現在は男女を問わずマイノリティの地位向上を阻む壁としても用いられるようになった」。

ヒラリーはさまざまな困難を乗り越え、失敗を通して学び、立ち上がる中で、いつしか熟練した政治家へと成長していくこととなった。これは一見サクセス・ストーリーのようであるが、実はそうではない。

詳しくは前掲サイトの「キリスト教から米大統領選を見る」をどうぞ! 

posted by 優子 at 20:29| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年09月30日

視界ゼロメートルの世界

「春がきたが、沈黙の春だった。
いつもだったらコマドリ、スグロマネシツグミ、ハト、カケス、ミソサザイの鳴き声で春の夜は明ける。そのほかいろんな鳥の鳴き声がひびきわたる。
だが、いまはもの音一つしない。
草原、森、沼地――みんな黙りこくっている」。


レイチェル・カーソン最後の著書『沈黙の春』(Silent Spring)を、この年齢になって若い時よりもはるかに鋭く感じることができるようになった。

農薬汚染が生態系を破壊することを訴えたカーソンが生きていたら、現代のどうしようもなくなってしまった病める世界をどんなふうに感じるであろう。いや、我々と違って予想していたのかもしれない。

チェルノブイリ原子力発電所事故が起きて30年になる。まさかその25年後に、日本がチェルノブイリと同じ道をたどるようになるとはと、今も何度もこの思いが繰り返しやってくる。

1986年4月、チェルノブイリ原発事故が報道された時、私は物理学で学んだことを思い出し、慌ててジャスコ(スーパー)へ脱脂粉乳をたくさん買いに行った。せめて保存できる牛乳の代替品を数か月分だけでもいい、商品がなくならないうちにと走ったが、商品は棚から無くなることはなかった。

偏西風に乗って放射能が日本上空に到達するまでに作られた商品を買わなくては! もちろん、買い込んだところで焼け石に水だ。そんなことは百も承知していたが、子供のことを思うと何かをせずにはいられなかった。長女が8歳で次女がまもなく6歳だった。

そして2011年3月、日本もまた原発事故を起こし、汚染された地域は死の町と化してしまった。自然豊かな福島の地にかつての春は巡っては来ない。

『チェルノブイリの祈り』(2015年、ジャーナリストとして初めてノーベル文学賞受賞した作品)の著者、ベラルーシのスベトラーナ・アレクシエービッチの言葉が重く響く。

「ここでは過去の体験はまったく役に立たない。チェルノブイリ後、私たちが住んでいるのは別の世界です。前の世界はなくなりました。でも人はこのことを考えたがらない。このことについて一度も深く考えていたことがないからです。不意打ちを食らったのです」。

『チェルノブイリの祈り』は「未来の物語」であり、原発事故に遭遇した人々の悲しみと衝撃を伝え、「私は未来のことを書き記している」のだと語る。

先週の「ブルンナーの読書会」で読んだエーミル・ブルンナーの言葉も忘れられない。

「今日の人間の思想と感情を支配しているものに2つあります。それは、死に対する恐怖と希望喪失であります」。
前者では「もはや安全な場所など、どこにもないのです。わたしたちは、隠れ場のない野原のなかを行くように、どんなことが起ころうとも、それに身をさらさねばならないのです」。


そして、第2の希望喪失のほうはもっと暗黒なものであると言う。

「深い希望喪失感が多くの人々を襲っております。世界史のなかには、もはや正義は失われ、悪が勝利し、人が生きる意味などは存在しないのではないでしょうか。

この2つの感情は、しかし、互いに矛盾する要素を持っております。もし生きることに何の価値もないなら、死に対して恐れを持つはずはありますまい」。


この矛盾した絶望こそが「人間の根本感情」であり、その問題に対する神の応答がイースターの使信である!

2016シュウメイギク.jpg「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ」てくださった」。  
(ペテロの第一の手紙1章3節)

この聖書の言葉を神の応答として聴ける者は幸いだ。


つゆ草.jpg視界ゼロメートルの時代に在って、私は絶望しそうになっても絶望しない。

美しい花々、小さな生き物、子どもたちの未来を奪ってはならない。

posted by 優子 at 23:58| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年09月27日

民主的な米大統領選討論会と異様な国会安倍自民党

今朝は大急ぎで朝の家事を済ませて「BS1」放送の、アメリカの大統領選・クリントンとトランプ氏との第1回討論会を聴いていた。

IMG_0326.jpgこの討論会はニクソンとケネディの時から始まったという。90分間のディベイトをノーカットで放映し、しかも常に2名を映し出していた。

一方がスピーチしている時に他方の表情も映すいう視点に「さすが!」と思った。相手候補の主張を聴いている時にその人の人間性が垣間見れるからだ。今日も安倍氏は野田氏の言論を聞きながら彼の得意の侮る表情をした。

ヒラリーさんは「嘘つきで言うことが変わる」からと絶大な人気があるというわけではないが、トランプ氏は資質や品格のレベルに関わることなので、私はヒラリーさんの発言に注目して聴いていた。

ヒラリーさんのディベイトは具体的で説得力があり、トランプ氏の感情的な皮肉にも乗らなかったのもよかった。2人のビジョンと価値観は如実に現われていた。

ヒラリーさんは討論会のために心理学者のアドヴァイスも受けて、トランプ氏はどんな言葉に激怒するかまで研究したそうだ。邪道のようであるが、政治家の対決においてはそれも可。人物像を探る手法になると思う。

先の都知事選の時にも思ったことが、大統領という最高度の責任とストレス職に就こうとする真意は何だろう。人間は金銭欲よりも地位、名誉を求めるのだろうか。しかし、そのようなことでは決して戦い得ない。

午後には第192回国会における安倍内閣総理大臣所信表明演説があり、用事をしながらたまたまつけたテレビの光景に目が釘づけにされた。

安倍さんが「(自衛隊員らに)心から敬意を表そうでありませんか」と呼び掛けて、自民党議員が総立ちで拍手を送ったのだ。

ここまで来たか。

私はその異様さにヒトラーを想起させ恐れた。まるでナチスの党員が右手をピンと張って「ハイル・ヒトラー!(ヒトラー、万歳!)」と叫ぶ光景と重なったのだ。


討論会後にCNNテレビが実施した世論調査によると、クリントン氏が勝ったと答えたのは62%と報じているが、ネット上ではトランプ氏が優位だという。

いずれにしても日本人はどうだろう。
まだまだ個の確立が不十分な私たちは、今日の所信表明の異様さに象徴されるように、周囲の影響を受けやすく集団心理の危うさを感じずにはいられない。

posted by 優子 at 18:54| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年09月13日

9.11から15年 リック・ウォレン牧師の祈り −米国の現状況を危惧−

「神よ、暗くなっている世界において、私たちが光となることができるよう助けてください。崩壊しつつあるように見える世界において、私たちが塩となることができるよう助けてください。

この暴力的な世界において、私たちが平和をつくる者となることができますよう、あなたに乞い願います。いよいよ恐れが増し加わる世界において、私たちが勇敢であるように助けてください。

私たちは今、テロによって世界中に増大する苦悩や苦しみを毎日耳にしています。家や仕事を失って難民となっている数百万人の方々のために、私たちは祈ります。その方々の多くは、邪悪なテロによって健康や貯蓄を失ってしまいました」。


しかしウォレン氏は、「人種差別、偏見、政治、その他の多くのもので分裂している」世界の中で、希望を投げ捨てるのではなく世界の架け橋となるよう、クリスチャンを励ました。

イエス・キリストが罪を赦(ゆる)したので、クリスチャンは他人を赦す備えができているはずだと言い、

「私たちが全ての人に思いやりを示せるよう助けてください。特に思いやりを必要としている人に、そうすることができますように。

私たちが希望に満たされることにより、他の人に希望をもたらすことができますように。この世の全ての憎しみを克服するために、私たちが愛の中を歩むことができますように」。


9・11以降、テロに対する世界規模の戦争で数千人余りが殺害され、数万人が負傷している。

「9・11の悲劇の直後、数百万人の米国人が教会に集いました。中には数年ぶりに行った人もいました。皆さん、それを覚えていますか。全国的に神を呼び求め、御顔を慕い求めました。

神だけがもたらすことのできる力と慰めと守りを求めて、国全体が神に叫びました。私たちの記憶は、何と薄れやすいのでしょうか。

個人としてまた国家として、神を呼び求めるために次の災害が起きるのを待つ必要はありません。神は米国を見捨てはしませんが、米国は神と神の言葉に背を向けています。それは国家的団結にとって、非常に懸念すべき霊的状態です」。


リック・ウォレンは現在の米国の状況を危惧した。

※ この記事は、本日夕方に公開された『クリスチャン・トゥディ』より抜粋引用。その情報源は米国の『クリスチャン・ポスト』の ”Rick Warren on 'Painful' 9/11 Anniversary: World Is Getting Darker, Decaying Due to Terrorism.” である。

posted by 優子 at 22:10| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年09月01日

『泥流地帯』を想起させる台風10号

異例の進路を辿った台風10号は、8月30日に東北の太平洋側に上陸した。これは1951年の統計開始以来初めてのことで、甚大な豪雨被害をもたらした。

北海道・南富良野町では、空知川の堤防が決壊して濁流が溢れ出し、今も3名が行方不明になっている。昨年の8月末、初めて行った北海道であり富良野である。

岩手では11名が亡くなられ、そのおひとり79歳の女性は、2011年の大震災で家を流されて今度は命を落とされた。北海道の農家の方は「もう、死ねってことか」と、生きる気力を失くしてしまわれた。

「何で正しい者が苦難に遭うんだべ」
「なあ、兄ちゃん。まじめに生きている者が、どうしてひどい目にあって死ぬんだべ」


大正15年、十勝岳大爆発で富良野地区が山津波の濁流に呑み込まれた。その災害を題材に、誠実に生きた開拓農民の苦闘を描いた三浦綾子の『泥流地帯』が脳裏に浮かぶ。

「苦難にあった時に、それを災難と思って嘆くか、試練だと思って奮い立つか、その受け止め方が大事なのではないでしょうか」。
           (『続泥流地帯』)

三浦綾子は登場人物の佐枝にクリスチャンとして息子・耕作に語らせている。

私たちも苦難から逃げないで、苦難の意味を追求しながらも、神への信頼と希望を失わないで前向きに進んで生き抜かねばならない。

「それだけではなく、患難をも喜んでいる。
なぜなら、患難は忍耐を生み出し、
忍耐は錬達を生み出し、
錬達は希望を生み出すことを、
知っているからである」。
(ローマ人への手紙5章3・4節)

神が苦難の中におられる方々の生きる気力を支えてくださるようにお祈りします。

それにしても科学技術は著しい進歩を遂げ続ける21世紀であるが、大災害の頻発で復旧することもできない時代になってしまった。人間は謙虚にならざるを得ない。

IMG_9893.jpg




ユキが撮った
「おんぶバッタ」

最後までけなげに咲く朝顔。
IMG_9880.jpg

posted by 優子 at 22:21| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年08月19日

現代に問いかける伊丹万作の「戦争責任者の問題」

昨日のこと、私はユキと二人で10分間のデボーションの時を持った。「家の教会R」で読んだ聖書を読み、「平和」について、また、家族やお友達と理解し合うにはどのようにすればよいか話し合った。

そして、友のブログ・『生かされて』で紹介されていた「戦争のつくりかた」を見た。そこまでは良かったが、「はだしのゲン」をユウチューブで数分間だけ見ようとして開いたのがいけなかった。

「はだしのゲン」について知ってはいても読んだことがなかった私は、軽率にも原爆投下直後の絵を開き、ユキの心に強い恐怖を与えてしまった。昨夜は怖がって眠りにくかっただけではなく、午前1時頃から明け方まで泣くので知子が抱きながら眠ったそうだ。

子供の心はかくも純粋で繊細なのだ。というより、これが本来の人間の姿であって、大人になると麻痺してしまっているのかもしれない。

知子もちょうどユキと同じ年の頃、丸木位里(いり)・俊(とし)夫妻の『原爆の図』が怖くて見ることができなかったし、エジプトのミイラの写真を見てしまって怖くて眠れない日々があった。

私は不注意すぎたことを詫びた。そして、気づいた。
「はだしのゲン」の作者もユキと同年齢だったということは、生き残った子どもたちはこの世の地獄に押し込められて、肉体だけではなく心を破壊し異常になってしまうほど傷ついたということを。


私はいま改めて戦争を別の視点から考えさせられて、「ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないような滑稽なことにしてしまつた」のは政府でもなく国民自身だったと、終戦1年後に書いた伊丹万作の『戦争責任者の問題』を想起した。

日本国が明暗の分かれ道に差し掛かった現今にとっても大きな警鐘だ。経験から学ばず、今こうして過去の教訓を引っ張り出してこなければいけないというのは愚か過ぎる。

以下は青空文庫で公開されている『戦争責任者の問題』からの抜粋である。

さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。(略)つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
 
このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。
 
たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。

私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。

少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、(略)我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
 
そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である
。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。

 
我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう

まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。

私たちは決して復古主義の台頭を許してはならず、ナショナリズムを煽(あお)られてはならない。今、真剣に考えないと子どもや孫の未来はない。

posted by 優子 at 20:42| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2016年07月28日

今日という日は神さまからの贈り物

「おばあちゃん、『友引』ってなに? 『赤口』ってなに? 
なんかいっぱい書いてある」

ユキが卓上カレンダーをもって聞いてきた。

これは中国から伝わったものが形を変えて「日の吉凶占い」として現代も行われている。「赤口」(しゃっく・しゃっこう)については私も意味を知らなかったが、この日は大凶の日で正午のみ「吉」とされるという意味を知って驚いた。

私はユキに話した。
「日本では毎日この日は良い日、悪い日と決められており、『友引』の日にお葬式をすると「友を引く」と言って、ほかの人も一緒に連れて行くからという意味でね、こんな迷信が今も信じられているのでお葬式をしないし火葬場も休みなんだって。

でも、そうではないよね。いつの日も素晴らしいことをユキは知っているよね。
今日は神さまからのプレゼント。だから英語で『現在』を『プレゼント』(present)と言うんやよ」。


そして、「この日は主がつくられた」を歌ってあげるとユキもすぐ一緒に歌いだした。これは讃美歌ではないが、主を讃美する有名なゴスペルソング"Praise & Worship Songs" である。

ユキは、「真智らが一緒の今度の『家の教会』でこれ歌おう!」と言い、ユウチューブをかけると「これ『お気に入り』!」と、ユキはよほど気に入ったのかいつまでも歌っていた。

日本人は本当に恐れに縛られていると思う。
日本には「八百万の神」と言って無数の神々があり、偉大な人を祭って神にする。天神さんは菅原道実を、明神さんは平将門をと、神と人が同格になっている。

大木には神が宿っているとされて拝み、また、家内繁栄、商売繁盛、交通安全・・・と挙げればきりがないほどご利益の神がある。

このように人や動物、自然などを神とする日本人にとっては、何を信じるかという信仰の対象は問題ではない。しかし、何を信じるかはその人の価値観や人格を決定する重大なことだ。

明日も与えられていることを確約できる人は誰もいない。大切なのは今だ。確かな時間は「今」しかない。

" Today is a Gift from God."

「この日は主が造られた」のであり、どの日も素晴らしい。ユウチューブからリンクを埋め込めなくて残念だが、以下がその歌詞である。

この日は この日は主が造られた 主が造られた
我らは 喜ぼう この日をば この日をば
この日は 主が造られた
我らはこの日を喜ぼう
この日は この日は主が造られた

This is the day  This is the day
That the Lord has made
That the Lord has made
We will rejoice  We will rejoice
And be glad in it  And be glad in it
This is the day that the Lord has made
We will rejoice and be glad in it
This is the day  This is the day
That the Lord has made


真智と太志君がいる8月7日の礼拝はみんなで創造し、感謝と讃美の礼拝をささげよう!

posted by 優子 at 11:52| 社会的なこと | 更新情報をチェックする