2018年07月17日

タイ・タムルアン洞窟から救出された少年の1人は教会育ちだった!

IMG_1484.jpg祈りの友が書いておられる「うめさとチャペルブログ K.Tの日記」7月5日の記事を読んだときは半信半疑だった。

今朝テレビを見ていましたら、少年たちのお友達が励ますためにやって来たところを報道していました。ギターを弾きながら歌っていた歌詞の内容が、「ジーザスがいるから大丈夫、ジーザスとがんばっていこう、ジーザスが助けてくれる」(一字一句は確実に覚えらませんでしたが) のような内容でした。

驚きました。あの中の誰かが教会学校に通っているのでしょうか。賛美をして励ましていました。真っ暗闇のなか、助けがくることを信じてがんばっていたと思います。イエス様が何とかしてくれる。イエス様を信じて耐えていた子もいたのかと思うと、今までも「どんなにつらかっだろう」と涙が出ていたのによけいに涙が出てしまいました。

どんなに困難で辛いときにもイエス様が側にいてくれる、と思えることほど幸いなことはありません。イエス様を知っててよかったね。

この先も救出されるまで、大変なことがいっぱいあると思うけど、イエス様は私たちの足元を照らす灯火、苦しい時にある助け、わたしはあなたを決して捨てない、とおっしゃっています。

イエス様の完璧な救出計画により多くの方の助けを受けて必ず無事にお家に帰れるように祈ってます。

しかし、K.Tさんの予想どおりだった。『クリスチャン・トウディ』7月14日記事の「タイ洞窟の少年ら救出、1人は教会育ちの14歳」に詳しく報道されている。

洞窟脱出!.jpgこの救出でなくてはならない役割を果たしたのが、教会で育てられたアダル・サムオン君(14)だった。息子の無事を祈ってきた両親は、救出の知らせを受け心から神に感謝をささげた。

ミャンマー北東部ワ州で生まれたアダル君は、6歳で教育を受けるためタイに送られた。ワ州は分離独立主義者による暴力が横行しており、地元の武装勢力に少年兵として取られてしまう危険性があるからだ。

米ニューヨーク・タイムズ紙(英語)によると、アダル君の両親は、タイ北部の町メーサイにあったバプテスト教会の牧師夫妻に息子を預け、アダル君はその教会で育てられた。米ワシントン・ポスト紙(英語)によると、アダル君が預けられた教会には、他にも同じような境遇の子どもたちを中心に約20人が住んでいるという。

アダル君が通う学校のパンナウィット・ザプスリ校長は、こうした子どもたちは向上心が強く「闘志」があると話す。
「その中でも最高」だったというアダル君は、語学的な才能に恵まれ、生まれ故郷のワ州の言葉だけでなく、タイ語、ミャンマー語、中国語、英語と5つの言語を話す。洞窟に閉じ込められた少年たちのうち、英語を話せるのはアダル君だけで、彼らを最初に発見した英国人ダイバーとコミュニケーションが取れたのは、アダル君がいたからだった。

また、米ウォール・ストリート・ジャーナル紙(英語)が友人や教師の話として伝えたところによると、アダル君は3種類の楽器を演奏でき、バレーボールからフットサルまでさまざまなスポーツで受賞経験があり、成績もオールAと学校トップだった。

一方、そんなアダル君にも問題がある。それは、ミャンマーから正規の手段でタイに渡ってきたのではないため、タイの国籍がないのだ。これは、今回救出された11〜16歳の少年のうち他の2人も、またコーチのエーカポン・ジャンタウォンさん(25)も同じだ。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、タイにはこうした無国籍者が約48万人もいるという。

このような子どもたちを含め、世界中のさまざまな境遇の子どもたちを支援しているのが、キリスト教慈善団「コンパッション」だ。アダル君も支援を受けている1人で、同団体はブログ(英語)に、アダル君の両親のコメントを次のように紹介している。

「こんなにも早く、わが息子を見られるよう助けてくださった神様に感謝します。息子が洞窟から救出され、また家に迎えられることを本当にうれしく思います。これは、神様が私たち家族に与えてくださった愛です。神様は大いなる愛の方で、できないことはありません」。

また、コンパッションによると、救出活動に参加したチェンライ県レスキュー学校のスラユト・ペンパダンさん(18)も、同団体から支援を受けてきた1人だ。彼は、少年たちの行方が分からないことを最初に報告した1人であり、救出のために最初に洞窟に入ったチームの1人でもあるという。

コンパッションと協力するチェンライ県内の諸教会では、連日救出活動のために祈祷会を開いた。そのうちの1つであるバーグジョン教会は、タイ国軍に敷地を開放し、食事を提供するなどして、支援活動の拠点としても用いられたという。

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「マルコによる福音書」10章27節:
「イエスは彼らを見つめて言われた、『人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである』」。
どんなことが起こっても「大丈夫、これは神様がなさることです」と、はっきり信じきって行こうではありませんか!

どんなことでもできる、とおっしゃる神様が、今ここに私を、そして、あなたを置いておられる。与えられたこの事の中で、神様は何をしてくださるのか、私たちが期待するべきは神様に望みを持つこと、これ以外にありません。

私たちは「何でもできる」とおっしゃる神様によって、今日もここに生かされている。私たちが明日どうなるか、それも神様の手の中にあることです。このことを信じて感謝しようではありませんか。
posted by 優子 at 23:08| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2018年06月22日

「こんなはずじゃなかった  〜在宅医療 ベッドからの問いかけ〜」

「在宅医療」という概念もなかった時代から地域密着医療に取り組み、「地域医療のパイオニア」と呼ばれていた愛称「わらじ医者」、西陣の早川一光医師が今月2日94歳で亡くなられた。

早川さんは2014年に腰を圧迫骨折して入院。そこで多発性骨髄腫がわかった。抗がん剤治療を拒否して退院。

とにかく家に帰りたかった。いつも妻にそばにいてほしい。そばにいてくれるだけでいい。「この気持ちが患者さんを在宅に引き込んでいくんだなと思いました」。

ところが自宅で養生介護の身になって、「こんなはずじゃなかった」という言葉が突いて出た。在宅医療こそが素晴らしいものであると西陣の人々に語ってきたが、 自分が医療を受ける側になると極楽ではなかった。いや地獄ではないのかと。

この言葉は「わがままであり、在宅医療への批判、あるいは現代の医療に対する不信、そういったものが折り重なって思わず口についた言葉」だという。

わらじ医者・早川医師のことは10年ほど前から知っていただけに、地域を支えてこられた医療者自らの晩年の経験から「こんなはずじゃなかった」とは衝撃だった。

と同時に、実に正直な人だと思った。それだけ真剣に実践してきた人だからこその思いであり、深く考えさせられている。「こんなはずじゃなかった」ということは、改善の余地ありという思いもあるとも語っておられた。

私は母の介護ができたことは幸せだった。父の時は脳梗塞に倒れてから亡くなるまで3年3ヶ月一度も自宅に戻ることがなかった。母の介護を通して思ったことは、私は身近な人に下の世話をされたくないというものだった。

下の世話をするのは一番辛かった。される側はどんなに嫌だろうかと、いつもその思いでいっぱいになったからだ。だから私は看護師さんやヘルパーさんがいいと思っているのだが、このことも実際にそうなった時にどのように感じるかは私自身にもわからない。

「一番嫌だったのは風呂です。訪問看護の看護師さんがお風呂に入れてくれるんですが、私のイメージにある家の風呂場と違うんです。どこかに連れて行かれたような気がした。自分の家なのに何か違う。こういう感覚は病気をしてみるまではわからなんだことでした」。

西陣にも在宅専門の診療所があります。そこの先生にお話を伺う機会がありました。朝8時くらいに診療所を出て、帰るのは夜の8時くらい。訪問診療していると、この患者さんはまもなく亡くなられるだろうなあとだいたいわかります。そういうときご家族にはこう言うそうです。

「もし夜中に亡くなられてもそのまま朝までそっとしておいてください。朝連絡をいただいたら、伺いますから」と。家族を教育したら大丈夫、これが今の在宅医療だとおっしゃっていました。

私たちは、「ずっと診てきた患者さんなんだから、せめて最期は手を握って送ってあげたい」と思っています。しかし政府の進める在宅診療所はまるで違っています。「2週間に1回来ますので、それ以外はあんまり連絡しないでください」と言っているそうです。

国は在宅介護を推奨している。
            (京都府保険医協会より)

他人のために役立って生きるのはむしろ易しいと思う。他人のために何かできなくなった時、逆に他人に助けられなければ生きられなくなった時、どう生きるか。
私の「病床六尺」の日もそう遠くはない。
posted by 優子 at 17:59| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2018年06月18日

大阪で大地震 人の在りようさまざま

今朝午前7時58分頃、大阪府北部震源のマグニチュード6.1の地震が起こった。高槻や茨木では震度6弱、当地は5弱だった。

その時私は最近では珍しくパソコンを開いていた。急に「ドーン」と下から突き上げられ震え上がった。阪神大震災を同じだ。すぐそばのテーブルの下に逃げようとしても怖くて動けず、部屋の中を直視しながら治まるのを待った。

ユキまだは学校についていない。登校中だ。大事ないことを信じた。

動悸が治まらない中、隣家の義母の所へ走った。鍵がなかなか開かずにガチャガチャしてようやく空いた。
「よかった! 怖かったね、お義母さん、大丈夫?」と抱きしめた。義母は落ち着いていたが、安心するまでしばらく傍にいて3〜4回抱きしめた。いつも決して「ありがとう」と言わない義母が、今日は「どーも」ではなく、3度ほど「ありがとう」と言っていた。

自宅に戻ってすぐに夫に義母の無事を伝え、「義妹さんも心配しているだろうから伝えてやるように」と電話した。隣へ行っている間に夫もこちらへ電話してくれていたそうだ。

この辺りで初めてテレビをつけたのだと思う。この時は鉄道の運行状況ばかりで被害情報は届いていなかった。

そして神戸の叔母に電話した。声がプツプツ切れて内容が何とかわかる程度だった。続いて町内会の同じ班の独居の方に電話したり、自治会役員さんからも電話が入った。

パソコンが開いたままだったことに気づき、次女夫婦に短くメールして閉じた。そしてようやく9時半頃(?)だったと思うが通勤中の知子に電話した。出発して二つ目の駅に着いた瞬間に地震が起こり、その後まもなく着いた乗り換えるはずの急行は駅員さんがドアをこじ開けていたという。

知子は常に帰宅が遅く、先週は11時半近くにもなった。可能な限り朝だけでもユキと共に過ごして一足先に出るようにしている。知子はプラットホームでずっと立ち往生しているので心配しながら切った。

そして10時半過ぎに、ワシントンの次女夫婦から電話が入った。昨年、ワシントンから東京へ戻られた友人Aさんから大阪の地震の知らせを受け、私たちのことでお見舞いメールをいただいて知ったという。そしてパソコンを開いて私のメールで無事がわかって安堵した。

次女夫婦と45分間ぐらい話していたと思う。くれぐれもAさんによろしく「ありがとう」を伝えてねと切った。

電話を切るとまもなく東大阪の友からお見舞いの電話をいただいた。東大阪は当地と同じ状況なのにと感謝した。幸い友も無事だった。そして、叔母からようやく電話が通じたと「先っきはありがとう」と電話が入った。心が温かい。

11時頃再びパソコンを開けた。
関東のJCPの友からお見舞いのメールが入っていた。すぐに感謝の返信をした。知子からも9時半過ぎに小学校からの一斉メールを転送してくれていた。

件名 : 地震対応について

本日午前7時58分、大きな地震が発生しましたが、児童は全員安全に登校できました。校舎にも異常が見られませんでしたので、現在通常の授業を行っています。今後の余震に備えて、保護者の皆様には連絡が取れますよう対応のご準備をお願いいたします。

義妹からも8時台に「母のことが気になって」と問い合わせのメールが入っていた。しかし、良輔からの伝言を聞いていないのか、その後の応答がなくて気になって夫に確かめた。連絡はしていた。
私もいいかげんに慣れなくては!
感謝できることこそ感謝であり幸せなのだから!

近鉄や地下鉄がストップしているので、知子は東大阪へは向かわずに12時半頃帰宅した。午後3時過ぎに地下鉄中央線が開通し、JRも4時前に再開したので、これで社員の方々も帰宅できると安堵した。

IMG_7186.jpg高槻市立寿栄小学校4年生(9歳)の女の子が、倒れてきたブロックのプールの塀の下敷きになって亡くなった。悲しくて悲しくて涙が止まらず、親御さんのことを思うと耐えがたい。

また、子どもの見守りをしてくださっている方が亡くなられたり、神さまに人生の不条理を問いたくもあるが、ただただ神さまの慰めをお祈りするしかない。

18時45分追記:なかなか繋がらなかった兄(大阪市)とも、ようやく今連絡がとれた。縦揺れと横揺れだったと言っていたが私は恐怖でわからなかった。

私も友のようにイザという時のために、家にいる時も大切なものを携帯することにした。
私の場合は何よりも生活習慣病の薬、特に血圧の薬は手放せない。ユキが学校に行っている間はユキの見守り携帯電話も。私も携帯電話を持たねばならないと思う。健康保険証、クレジットカードと現金一万円、そして、USB。これらを小さなポシェットに入れて寝る時も傍に置くことにした。

ユキ(孫)は20・21日と野外活動で曽爾(そに)高原へ行くことになっている。明日から雨が降り始め20日は非常に強くなる予報だ。余震の心配もある。明日の時点での状況説明と安全について学校報を配布されることを願っているが。

朝の騒動から血圧が上がり、今も体調は治まらず頭が痛く血圧が150近くに上がったままだ。
posted by 優子 at 18:02| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2018年05月23日

良心なき政治家たちと反則行為を謝罪したアメフト選手

5月6日に行われた日本大学と関西学院大学のアメリカンフットボールの定期戦で、関学大の選手に悪質なタックルを仕掛けて負傷させた日大の選手が、昨日記者クラブで記者会見を開いた。

反則行為には監督とコーチの指示があり、強靭なパワハラの圧力により冷静さを欠いた精神的に追い詰められての行動とはいえ、そのことに「ノー」と言えずにやってしまったのは自分の責任と謝罪する彼の真摯な生きざまと、日大アメフト部の中からも監督やコーチの現状について正当な多くの声が上がっていることに心打たれた。

本来ならばそのようなことは当然であるにもかかわらず、自浄能力皆無の腐敗しきったおぞましい現政権与党の現況に困惑し続けているので非常に新鮮に感じた。

昨日も安倍首相の嘘を証明する文書がまたも出てきたが、早速本人はもとより周辺人の習性となっている嘘を重ねている。これまでにも決定的な証拠を突きつけられても観念しないで罪を重ねていく彼らに反吐が出そうになる。

トップを守るためというのが彼らの大義名分になり罪意識を感じることもなく堂々とやっている。彼らに国を預かる者の責任感は微塵もない。官僚たちも青雲の志で省庁に入ったのではなかったのか!

「もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません」。
         (ヨハネの第一の手紙 1章8節〜10節)

『荒野の声 −日本人への警告ー』に記されている長谷川 衛(まもる)牧師の言葉が聞こえる。

「悲しいかな、彼らは悪を善といい、善を悪という。暗黒(やみ)を光といい、光を暗黒という」。
罪を犯すのはあたりまえ。汚れることは清いことより良いという。日本の政界。「水清ければ魚住まず」。政治とはきたないもの、といい、それが当然だという。

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とにかく、危険極まりないタックルを受けた選手は重大な怪我でなくてよかった。脊椎を損傷すれば重篤なことになっていたであろう。
神さまが心身ともに完全に癒してくださるように、そして、悪質な行為に対して心から謝罪している若者の心をも癒してくださり、始まったばかりの人生を守り導いてくださるように祈るばかりである。

posted by 優子 at 17:42| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2018年04月27日

朝鮮半島南北首脳が境界線を超えた!

今日は歴史的な一日と朝から報道番組を見ていた。
分断の象徴である軍事境界線を徒歩で超えて韓国領内へ入った金正恩氏。次に金正恩氏の声かけに応えて文在寅大統領が向きを変えて北朝鮮へ入った。正恩氏から手をつなぐ所作が見えた。手をつないで笑顔で話しながら境界線を越えて北朝鮮に入る二人の姿に強く胸を打たれた。

この時、36か国のメディアが集まっているプレスセンターで大きな歓声が上がったという。みんな誰だって平和を望んでいるのだ!

70年間も分断されてしまった不幸な歴史、これを機に分断された民族が統一されますように!
そもそも大韓帝国として存立していた朝鮮半島を日本軍が侵略したことに始まる。第2次世界大戦で敗戦した日本は撤退。そのあとにソ連とアメリカが半島を統治しようと乗り出して分断に至った。日本人はそのことを意識しているのだろうか。心が痛む。

分断後の北朝鮮の内政により国民の悲惨さは増し加わった。金正恩氏を見ていると父から子へと受け継がれた悪を忘れさせる表情だった。
しかし、韓国の人々、また北朝鮮や世界中の人々が彼をゆるしても神さまはゆるされない。しかしまた、全世界の人々が彼をゆるさなくても彼が悔い改めるならば神さまはゆるしてくださると、心の中で彼に語りながら見ていた。金正恩氏の悔い改めと南北平和への導きを祈るばかりである。
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金正恩氏は言った。
「ここにたどり着くまで11年かかった。(軍事境界線は)簡単に超えられた」と。

多くの評論家は金正恩氏の本意ではないという。誰にも本心はわからない。しかし私は祈る、パンムンジョム(板門店)が平和の象徴となりますように、神の憐れみを切に祈る。そして、拉致された人々がすぐにでも母国に帰ってくることができますように。ご両親が命あるうちにと祈る。

「完全な非核化を通じて核なき朝鮮半島を実現する!!!」
決して過去に戻ることはないと!!!
私はパンムンジョム共同宣言を喜ぶ。
posted by 優子 at 18:07| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2018年04月09日

「『火垂るの墓』では戦争は止められない」

アニメーション演出家・映画監督の高畑勲さんが4月5日に82歳で亡くなられた。『アルプスの少女ハイジ』や『赤毛のアン』など数多くの作品を手掛けられ、多くの方々に惜しまれている。

『火垂るの墓』碑.jpgそして、野坂昭如(あきゆき)原作の『火垂るの墓』が13日に追悼放送される。この「火垂るの墓」の碑は、作品に登場する御影(みかげ)の公会堂から国道2号線を渡った石屋川公園(阪神沿線)に設置されている。

高畑監督が1年前のトークイベントで話されたことを「LITERA(リテラ)」から抜粋させていただいた。

「『火垂るの墓』のようなものが戦争を食い止めることはできないだろう。それは、ずっと思っています。戦争というのはどんな形で始まるのか。情に訴えて涙を流させれば、何かの役にたつか。感情というのはすぐに、あっと言うまに変わってしまう危険性のあるもの。

心とか情というのは、人間にとってものすごく大事なものではあるけれども、しかし、平気で変わってしまう。何が支えてくれるかというと、やはり『理性』だと思うんです。戦争がどうやって起こっていくのかについて学ぶことが、結局、それを止めるための大きな力になる。

「なんとかしなきゃと言いながら、無力感が強いですね。安倍政権には(自衛隊南スーダン派遣の)日誌のことも、森友学園も、すごい不祥事が続いていて、でも、なんでそんなことになっているのかを考えたら、えらいことでしょう? 『政権を維持するため』ですよね、簡単に言えば。

忖度であれ、なんであれ、どういうメカニズムかは知りません。もちろん、それは改善する必要があるんでしょうが、しかしどっちにしても、それを支えようという力があれだけ働いているのが露骨にわかるにもかかわらず、これで崩れないというのは、もうちょっと考えられない。本当に信じられない」。

仮にアメリカが北朝鮮へ攻撃を開始したら、その報復攻撃の「標的」となるのは日本だ。沖縄の米軍基地が攻撃され、国民の血が流れる。

そうした現況で、マスコミが報じるべきは、こうした安倍政権の態度が日本を確実に戦争へと導いているという事実に他ならない。にもかかわらず、とりわけテレビメディアは、政府の対応の危険性にほとんど言及しようとせず、逆にトランプと安倍首相の挑発に対する北朝鮮側の反応ばかりを報じ、その“危険性”をひたすら煽り、人々の恐怖という感情を刺激しているだけだ。

沖縄の基地問題もそうだが、安倍政権は「戦争はごめんだ」という人々の感情を逆手にとり、「戦争をしないために」との名目でその準備を進めてきた。そして、気がつけば、すでに片足を突っ込んでいた。高畑監督が「『火垂るの墓』では戦争は止められない」という表現で警鐘を鳴らしてきた状況は、いみじくも、いま、この瞬間こそを言い表している。

これに関して2018.4.9 AERAdot.から今朝配信された「古賀茂明『安倍政権の霞が関破壊に手を貸す忖度メディア』」で、闇の根源を話してくださっているので是非アエラに掲載された全文を読んでいただきたい。

まずは、マスコミが「心ある官僚」から見て、信頼に値するものに生まれ変わる。それがなされなければ、スキャンダルは、単に世の中を騒がせただけ終わり、その真相は永遠に闇の中ということになってしまう可能性が高い。

マスコミ、とりわけ、テレビ局が、本来の機能を取り戻すことができるかどうか。それを考えると、安倍政権が倒れなければ、それは無理だという答えにたどり着く。安倍政権が倒れるにはマスコミがその機能を取り戻すことが必要だから、結局は堂々巡りになっているというのが、悲しいかな、日本の政治とマスコミの現状なのだ。

4−4.jpg1人ひとりの生き方、在り方がいかに大切であるかを思う。官僚やマスコミの人々は聡明であるべきだ。阿(おもね)るような卑屈な生き方ではなく、自らの良心に問いながら職務を果たしてほしい。そのことは取りも直さず自らの尊厳をも守ることでもあるのだから。

posted by 優子 at 21:49| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2018年03月13日

森友問題に見る人間の実相 ―権力への服従の心理―

13-3.jpg昨年初めから問題になっている「森友問題」がついに大きな病巣を見せた。それは特にこの数年間に報道されてきた政治界の問題に共通するものであろう。

民主主義を揺るがす由々しき事態、森友学園の土地購入時の財務省の決裁文書に改ざんがあったことをようやく認めたものの、政治家も官僚も未だ覚悟が定まらないのか明るみに出さない。

一連の報道を見ているとスタンレー・ミルグラムのアイヒマン実験による人間の権威への心理(服従)を彷彿させられている。

シジュウカラ.jpgミルグラムの実験によれば、人はみな良心を備えられており、良心が破壊的で非道な衝動を抑止しているが、一旦体制的組織に自己が埋没させられてしまうと自主的な言動は不能となり、只々権威や権力者による賞罰だけしか認知しなくなるというものである。

これが人間の反応であり実相なのだ。
従って誠実で道徳的な人は非道徳な服従を拒否し、残酷で心の悪い人がそれに服従するというような単純な考えは間違っているというのだ。

「人間は、要求されたことの内容に反応するよりはむしろ、それを要求する者との関係に基づいて反応する。実際、合法的権威行動を命じられると、関係が内容を圧倒する」。

13-1.jpgそして、体制的組織で重荷を負うのは悪い行為に服従した人ではなく、道徳的に正しい行為を選んだ不服従者なのだ。
ミルグラムは次の言葉で『服従の心理』を結んでいる。

「今世紀の社会心理学は一つの大きな教訓を明らかにしている。個人がどうふるまうかを決定するのは、彼がどんな種類の人間かというよりはむしろ、彼がどんな種類の状況に置かれているかということなのである」。

明日大飯原発3号機が再稼働する予定である。
大飯原発は住民らによる運転差止め訴訟で、3・4号機の運転差止めという判決が出たが控訴審で一転し、差し止め判決を出した福井地方裁判所の樋口英明裁判長は左遷された。政権の圧力が司法にまで及んでいるのは恐ろしいことである。

私たちは権力や権威、また、体制側への服従の心理に対して鋭い感受性を持ち、今こそ現況の政治界の膿を徹底的に掻き出して、これら一切のことを通して自由と創造の精神で健全な政治を行う起点になることを願うばかりである。

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posted by 優子 at 17:10| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2018年02月02日

世界を覆い尽くした資本主義

1月31日朝9時からBS1スペシャル「欲望の資本主義2018〜闇の力が目覚める時〜」の再放送があった。何気なくかけていたテレビに目をやっていたら、特に経済に関心があるわけではない私も引きずり込まれる内容だった。理解できる範囲でしか理解できないのは自明だが、私なりにも感じること大なりだった。

「経済の在りようが人間の在りようを決める」。
この言葉を聞いた時、次女が大学の卒業論文「あとがき」に書いていたことを思い起こさせた。

「大学で経済学を学ぶことを決めたのは、日本史から人間の群像が見えた時であった。高校生だった私は、時代を遡っても共通する人間の姿や経済に強い興味を抱いたのである」。

真智は経済哲学(?)のスタンスで学究してほしい。これは1月3日に放映されたというから、次女夫婦が滞在していた時だ。一緒に観てどんな感想を言うのか聞いてみたかった。

もう一つ感じたことは会社経営について。どの時代においても企業は30年以上同じ形態で存続することは難しく、ましてやすっかり変わってしまったデジタル社会の現代においては、経営終結の落としどころを見据えて舵を切らねばならないと思った。

マルクス、ケインズ、アダム・スミスについても名前を知っている程度であるが、今回初めて耳にしたシュンペーターの理論や人物像に興味を持った。

以下は私のメモ:
▼ マルクスは「資本主義はその矛盾ゆえに滅びる」と言っている。

▼ 2015年末に悪魔の幕が開いた。悪はポジティブな力。「外側」がない悪が生まれる。悪は個人に生まれるのか、社会に生まれるのか?

▼ 資本主義はどこまでも拡大し「成功ファースト」を追求するため、同じことをしていてはダメで、例えば「CO」など、今まで見えなかった所に目をつけて価値づける。

▼ シュンペーター(Schumpeter・革新が経済を成長させることを説いた経済学者)は、金を王に譬え、王を王と思うのは皆が王と思っているからで幻想ほど強いものはないと資本主義のゲームを説いた

▼ ケインズは失業が社会の最大の不安とした。貨幣を月に譬え、人は手の届かないものに憧れる。

金が道具ではなく目的になってしまう。使うためのお金が貯めるためのお金になり、逆転した時に人はお金の奴隷になる。

金融資本主義。資本の増殖を求めて、政府と銀行の関係は互いに共生する生物のよう。

▼ 資本主義に与えるエネルギーは共産主義や社会主義のエネルギー。

▼ スティグリッツ曰く、インターネットの世界はアダム・スミスの「見えざる手」が働いている。フェイスブックは統計に反映されていない。他人に24時間追い立てられることはそれほど幸せなことか?! 何が価値を決めるのか?!

▼ マルクス曰く、「なぜ金と物が交換できるのかわからない」。商品が貨幣になる命がけの跳躍。 価値は主観的であり、価格は客観的、価値を交換し続けるゲームの中で我々は踊り続ける。お金を使っているつもりでお金に使われている。

▼ 創造力の追及が新たな義務となった。ロボットの時代、創造的でなければ死ねと言われ、経済のルールに支配されつつある。テクノロジーが経済のルールを決めていく。マルクスは「機械怪獣」に気づいていた。

▼ 経済の在りようが人間の在りようを決める。シュンペーターはマルクスの書に見出した闇の力とはこれなのだ!!!

▼ 新しいテクノロジーは過去を破壊している。楽しいはずの創造が義務になれば苦しくなる。働くのは何のため?!

▼ 仕事でアイデンティティを得ている人が多くいる。彼らは働かないのは余暇ではなく失業と取られるから、働かないことに恐れがある。しかし、この大きな問題に向き合おうとしない。

▼ 今後ますます自動化で仕事が減り、労働時間は長期的には週20〜25時間になる。では、所得はどうなるのか?

ニクソン時代にベイシックインカム(basic income・政府がすべての国民に最低の生活を保障する所得を定期的に支払う政策)が導入されるはずだったが、レーガンとサッチャー出現で成らず。

試験的に実施していた結果はすべて良く、離婚率も上昇していなかった。ベイシックインカムが導入されていたならば、その影響は計り知れぬものだったという。

▼ 世界を覆い尽くした資本主義。
富はコンツェルンに。競争原理は働かず、競争なき社会は土台である社会制度を揺さぶり、自らの存続不能に陥る社会に入る。

儲けるという欲望がなくなると社会主義になる。しかし、経済が永久に成長し続けることはなく、ここから抜け出せる道を見つけ出せるかどうか。

更に多くの矛盾を生み出して人類を滅ぼしてしまう。人間世界の滅亡は、いつか本当にやって来るだろう。

資本主義は批判を受け入れられる唯一のシステムだ。ルールを決めるのは私たちの時代の欲望である。
人間の欲望。
人間について考える時、改めて「欲望」というのが大きなキーワードであると思った。その欲望があらゆる分野に向けられて蛮行をくり返していたのだと、人間の実相の淵を覗いた気がする。

posted by 優子 at 20:07| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年12月12日

ノーベル平和賞 サーロー節子さん演説全文

「12月10日、オスロで行われた核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN(アイキャン))へのノーベル平和賞授賞式で被爆者サーロー節子さんが行った演説は次の通り。」として、東京新聞に掲載された演説全文をここに記録しておきたい。

サーロー節子さん.jpg両陛下。ノルウェー・ノーベル賞委員会の高名なメンバーの皆さま。ここにいる、そして世界中にいる運動家の仲間たち。淑女、紳士の皆さま。

ICANの運動を形づくる傑出した全ての人々に成り代わってベアトリス(・フィン事務局長)と共にこの賞を受け取ることは大変な栄誉です。私たちは核兵器の時代を終わらせることができる、終わらせるのだという、かくも大きな希望を皆さま一人一人が私に与えてくれます。

▼座視しない

被爆者は、奇跡のような偶然によって広島と長崎の原爆を生き延びました。私は被爆者の一人としてお話しします。70年以上にわたって私たちは核兵器の廃絶に取り組んできました。

私たちは、この恐ろしい兵器の開発と実験から危害を被った世界中の人々と連帯してきました。(核実験が行われた)ムルロア、エケル、セミパラチンスク、マラリンガ、ビキニといった長く忘れられた地の人々。土地と海を放射線にさらされ、人体実験に使われ、文化を永遠に破壊された人々と連帯してきました。

私たちは犠牲者であることに甘んじることはありませんでした。灼熱の終末を即座に迎えることや、世界がゆっくりと汚染されていくことに対し、手をこまねいていることは拒否しました。

いわゆる大国が、無謀にも私たちを核のたそがれから核の闇夜の間際へと送り込むことを、恐怖の中で座視することは拒否しました。私たちは立ち上がりました。生き延びた体験を分かち合いました。人類と核兵器は共存できないのだと声にしました。

▼叫び声聞こえた

きょう、この会場で皆さまには、広島と長崎で死を遂げた全ての人々の存在を感じてほしいと思います。雲霞(うんか)のような20数万の魂を身の回りに感じていただきたいのです。一人一人に名前があったのです。誰かから愛されていたのです。彼らの死は、無駄ではなかったと確認しましょう。

米国が最初の原爆を私が住んでいた都市、広島に投下した時、私はま13歳でした。私は今もあの朝を鮮明に覚えています。8時15分、窓からの青みを帯びた白い閃光に目がくらみました。体が宙に浮かぶ感覚を覚えています。

静かな闇の中で意識を取り戻すと、倒壊した建物の中で身動きできないことに気付きました。級友たちの弱々しい叫び声が聞こえてきました。「お母さん、助けて。神さま、助けて」

そして突然、私の左肩に手が触れるのを感じました。諦めるな。頑張れ。助けてやる。あの隙間から光が差すのが見えるか。あそこまでできるだけ速くはっていくんだ」。誰かがこう言うのが聞こえました。

はい出ると、倒壊した建物には火が付いていました。あの建物にいた級友のほとんどは生きたまま焼かれ、死にました。そこら中が途方もなく完全に破壊されているのを目にしました。

幽霊のような人影が行列をつくり、足を引きずりながら通り過ぎていきました。人々は異様なまでに傷を負っていました。血を流し、やけどを負い、黒く焦げて、腫れ上がっていました。体の一部を失っていました。肉と皮膚が骨からぶら下がっていました。飛び出た眼球を手に受け止めている人もいました。おなかが裂けて開き、腸が外に垂れ下がっている人もいました。人間の肉体が焼けた時の嫌な悪臭が立ち込めていました。

このようにして、私の愛する都市は一発の爆弾によって消滅したのです。住民のほとんどは非戦闘員でした。彼らは燃やされ、焼き尽くされ、炭になりました。その中には私の家族と351人の級友が含まれています。

▼愚行を許さない

その後の数週間、数カ月間、数年間にわたって、放射線の後遺症により予測もつかないような不可解な形で何千もの人々が亡くなりました。今日に至ってもなお、放射線は人々の命を奪っています。

広島を思い出すとき、最初に目に浮かぶのは4歳だった私の甥、英治の姿です。小さな体は溶けて、肉の塊に変わり、見分けがつかないほどでした。死によって苦しみから解放されるまで弱々しい声で水が欲しいと言い続けました。

今この瞬間も、世界中で罪のない子どもたちが核兵器の脅威にさらされています。甥は私にとって、こうした世界の子どもたちを代表する存在となりました。核兵器はいつどんなときも、私たちが愛する全ての人々、いとおしく思う全てを危険にさらしています。私たちはこの愚行をこれ以上許してはなりません。

苦しみと生き延びるためのいちずな闘いを通じて、そして廃虚から復興するための苦闘を通じて私たち被爆者は確信に至りました。破局をもたらすこうした兵器について、私たちは世界に警告しなければならないのです。繰り返し私たちは証言してきました。

しかし、広島と長崎(への原爆投下)を残虐行為、戦争犯罪と見なすことをなお拒絶する人たちもいたのです。「正義の戦争」を終わらせた「良い爆弾」だったとするプロパガンダを受け入れたわけです。こうした作り話が破滅的な核軍拡競争をもたらしました。今日に至るまで核軍拡競争は続いています。

今も9つの国が都市を灰にし、地球上の生命を破壊し、私たちの美しい世界を未来の世代が住めないようにすると脅しています。核兵器の開発は、国家が偉大さの高みに上ることを意味しません。むしろ、この上なく暗い邪悪の深みに転落することを意味するのです。こうした兵器は必要悪ではありません。絶対悪なのです

▼終わりの始まり

今年7月7日、世界の大多数の国々が核兵器禁止条約の採択に賛成した時、私は喜びでいっぱいになりました。私はかつて人類の最悪な側面を目撃しましたが、その日は最良の側面を目撃したのです。

私たち被爆者は72年の間(核兵器が)禁止されることを待ち続けてきました。これを核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか。

責任ある指導者であれば、必ずやこの条約に署名するに違いありません。署名を拒否すれば歴史の厳しい審判を受けることになるでしょう。彼らのふるまいは大量虐殺につながるのだという現実を抽象的な理論が覆い隠すことはもはやありません

「抑止力」とは、軍縮を抑止するものなのだということはもはや明らかです。私たちはもはや恐怖のキノコ雲の下で暮らすことはありません。

核武装した国々の当局者と、いわゆる「核の傘」の下にいる共犯者たちに言います。私たちの証言を聞きなさい。私たちの警告を心に刻みなさい。そして、自らの行為の重みを知りなさい。あなたたちはそれぞれ、人類を危険にさらす暴力の体系を構成する不可欠な要素となっているのです。私たちは悪の陳腐さを警戒しましょう。

世界のあらゆる国の、全ての大統領と首相に懇願します。この条約に参加してください。核による滅亡の脅威を永久になくしてください。

▼光に向かって

私は13歳の時、くすぶるがれきの中に閉じ込められても、頑張り続けました。光に向かって進み続けました。そして生き残りました。いま私たちにとって、核禁止条約が光です。

この会場にいる皆さんに、世界中で聞いている皆さんに、広島の倒壊した建物の中で耳にした呼び掛けの言葉を繰り返します。「諦めるな。頑張れ。光が見えるか。それに向かってはっていくんだ」。

今夜、燃え立つたいまつを持ってオスロの通りを行進し、核の恐怖という暗い夜から抜け出しましょう。どんな障害に直面しようとも、私たちは進み続け、頑張り、他の人たちとこの光を分かち合い続けます。この光は、かけがえのない世界を存続させるために私たちが傾ける情熱であり、誓いなのです

                (オスロ・共同)=ノーベル財団公表の公式テキストによる

<サーロー節子さん> 32年広島市生まれ。トロント大大学院修了。13歳のとき広島で被爆し、姉やおいを失う。55年にカナダ人と結婚し、同国に移住して核廃絶運動に尽力。これまで国連総会の委員会など世界中で開かれる国際会議で、被爆証言を重ねてきた。カナダ政府が民間人に贈る最高位勲章オーダー・オブ・カナダを受章した。 (共同)

<核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN=International Campaign to Abolish Nuclear Weapons)> 核兵器廃絶を目指し、2007年にオーストラリアで設立された非政府組織(NGO)の連合体。100カ国超からの約470団体で構成し、平和や軍縮、人権といったテーマに取り組む。啓発イベントの開催のほか、国連や各国議会での演説が主な活動内容。日本のNGOピースボートは主要運営団体の一つ。事務局はスイス・ジュネーブ。 (共同)2005年には、イスラームやユダヤ教の指導者らと共に聖地宗教評議会を立ち上げた人物だ。

サムサムさんより:

原爆で倒壊した建物の中で身動きができなくなってしまったサーロー節子さんに、「諦めるな。頑張れ。助けてやる。あの隙間から光が差すのが見えるか。あそこまでできるだけ速くはっていくんだ」と、声をかけ励ましてくれたのはいったいどういう人だったんだろう思って読み直してみました。
が、「誰かが」と書かれてあるだけで、結局、ご本人にもわからなかったようですが…。もしかしたら神様の声、は、そう思えてなりませんでした。            
サムサムさん、コメントありがとうございます。
私も全くそのように思えてなりませんでした。                                     
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posted by 優子 at 20:44| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年12月07日

エルサレムに平和を!

エルサレムのために平安を祈れ、
「エルサレムを愛する者は栄え、
その城壁のうちに平安があり、
もろもろの殿のうちに安全があるように」と。
                              (詩篇122篇6・7節)

エルサレムはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地である。国際社会はイスラエルによる統治を認めておらず、交渉によって解決すべきとしている。しかし、トランプ米大統領はエルサレムをイスラエルの首都であると発表した。中東情勢が危機的な情勢にならないように祈らずにはいられない。

ユダヤ人とアラブ人の関係が悪くなったのは第2次世界大戦後からであるが、パレスチナとイスラエル問題の源流は4000年前まで遡る。

アブラハムとサライ(サラ)との息子がイサクで、アブラハムと使女(つかえめ)ハガルとの息子がイシマエルで、イサクとイシマエルは腹違いの兄弟である。イサクはイスラエル民族に、イシマエルはアラブ民族の先祖となった。

世界4大宗教のうち、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教はアブラハムを「信仰の父」とし、3者とも旧約聖書のイスラエル民族の伝統を受け継いでいる。

ユダヤ教は「モーセ五書(トーラー)」(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)とタルムードを聖典とし、新約聖書に記されているイエス・キリストとの問答からも明らかなように、神の唯一絶対性を信じるがイエス・キリストを排除する。

イスラム教の聖典は「コーラン」で、そこには聖書とは異なることが書かれているようだ。ムスリムの知人から聞いたイエス・キリストについても全く間違った認識だった。

キリスト者は今こそエルサレムの平和を祈り、イエス・キリストの教えに倣って隣人であるアラブ人たちに心からの敬意と愛を示したい。冒頭に掲げた聖句が世界に宣言している。

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2017年11月13日

横田早紀江さん 夫の滋さんの受洗とトランプ米大統領との面会報告

以下は『クリスチャン・トゥディ』より抜粋転載させていただいたものである。

SAKIE.jpg「今日はうれしいニュースがございます。新潟でめぐみがいなくなった時、私の主人はめぐみを捜し回って、泣きながら『神も仏もあるものか』と叫んでいました。

その時から『本当の宗教なんていうものはない。自分が強くなければ駄目なんだ』と言って、ちょっとでもキリスト教のことに触れると怒っていたようなお父さんでしたが、私が教会に通うことには反対しませんでした。

そのように長い間、神様を拒んでいた主人が、今月の4日に中野島キリスト教会の國分広士先生によって洗礼を受けさせていただくことができました。

クリスチャン新聞より.jpg國分先生が『神様を受け入れますか』と聞くと、主人は『はい』と言って素直に、にこやかに返事をしていました。体が弱っていますので、今回は特別に自宅に先生に来ていただいて、滴礼で受洗をさせていただきました。(この写真は『クリスチャン新聞』より拝借)

本当にものすごい短い時間に、突然何が起こったか分からないような、爆発が起きたような感じで、私は『本当にこんなことがやっぱりあるんだ。不思議なことが起きるなあ』ということを改めて感じさせていただき、感謝の思いでいっぱいでございました。

新潟の五十嵐キリスト教会で私を導いてくださったマクダニエル先生、いつも主人の救いのために『祈っていますよ』と声を掛けてくださった先生は今は天に召されましたけれども、本当に天でどんなに喜んでくださっているだろうかと思います」。

これは先週9日に、東京・千代田区のお茶の水クリスチャン・センター8階チャペルで行われた、横田早紀江さんを囲む拡大祈祷会(主催:横田早紀江さんを囲む祈り会、全国ブルーリボンの祈りの会)で、ご本人が「夫の滋さんが洗礼を受けたことを喜びに満ちた表情で報告」されたものである。

当日は一般メディアも入り200人以上がそれぞれ祈祷課題をもとに祈り合ったという。

 早紀江さんは1936年、京都市生まれ。63年に滋さんと結婚し、翌年、名古屋のカトリック系の聖霊病院で長女のめぐみさんを出産した。日本銀行に勤める滋さんの転勤により新潟に引っ越してきたのは、事件の起こる1年前のことだった。

 1977年11月15日、めぐみさんは当時、新潟市立寄居中学校1年生で、13歳になったばかり。所属していたバドミントン部の練習を終え、すでに日の沈んだ海岸に向かう暗い道を歩き、一緒にいた友だち2人と別れて、自宅まで数分というところで忽然(こつぜん)と姿を消した。

 いつまで経っても娘が帰ってこないのを心配して、家族は必死にその行方を捜し、警察も捜査を進めたが、目撃者や遺留品さえ見つからなかった。その頃、めぐみさんは北朝鮮の工作員によって連れ去られていたのだ。それから今年で40年になる。

早紀江さんは、めぐみさんが失踪した翌年、友人に勧められて聖書を読むようになり、めぐみさんが成人となる1984年、日本同盟基督教団五十嵐教会(新潟市)で受洗した。

93年に滋さんが日本銀行を定年退職後は一家で神奈川県川崎市に移り住み、日本福音キリスト教会連合中野島キリスト教会(神奈川県川崎市、國分広士牧師)に所属している。

 1997年、めぐみさんが北朝鮮に拉致されていることが分かり、「救う会」(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)や、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」が結成された。2000年、「横田早紀江さんを囲む祈り会」が始まり、今も毎月行われている。

恵み.jpg巡回伝道者の福澤満雄氏が聖書からメッセージを語った。「思い煩いを十字架のもとに置くと恵みになる」と話す福澤氏。

福澤氏は、出エジプトをしたイスラエルの民がアマレク人と戦った時、モーセが山に登って神に祈り、後継者ヨシュアらが戦って勝利したエピソード(出エジプト17章)は、めぐみさんが帰ってくるために祈り続けている今の霊的な戦いと同じだと語った。

その時、モーセは80歳(7:7)を超えていて、ちょうど滋さんや早紀江さんもその年齢にあるとして聴衆の笑いを誘った。

「モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、手を下ろすと、アマレクが優勢になった。モーセの手が重くなったので、アロンとフルは石を持って来てモーセの下に置いた。モーセはその上に座り、アロンとフルはモーセの両側に立って、彼の手を支えた。その手は、日の沈むまで、しっかりと上げられていた。ヨシュアは、アマレクとその民を剣にかけて打ち破った」。(出エジプト17:11〜13)

 北朝鮮がミサイルを撃つと、米国や日本が圧力を掛けるというシーソーゲームのような現在の状態と、出エジプト記の出来事はそっくりだという。やがて、めぐみさんが日本に戻ってきた時、「政府がよくやった」という話になり、その背後に祈りがあったことを伝える新聞やニュースはないだろうが、だからこそ神様はモーセに次のように言われたのだと福澤氏は強調した。

 「このことを文書に書き記して記念とし、また、ヨシュアに読み聞かせよ」。(出17:14)

そしてドナルド・トランプ米大統領と6日午後に迎賓館で約30分間面会した時のことを伝えた。

「お部屋に入りましたら、今回はいつもと違って、ひざをつき合わせて、目の前に大統領と、その横に美しい奥さま(メラニア夫人)がいらして、びっくりしました。

その時、私が持っていためぐみの写真を『ちょっとそれを貸してください』と言われて手を出されたので、お渡ししました。それを何とも言えない表情、真剣な強いまなざしで見られて、奥さまにも見せられて、そして私を見て『頑張りなさい』とあたたかい微笑(ほほえ)みを浮かべて言ってくださった、とても印象深い会見でした。

また、国連の演説でトランプ大統領が『(北朝鮮は)13歳の日本人の少女(めぐみさん)を拉致した』と取り上げられたことは私もびっくりしたんですけれども、そのことを『心から感謝します』と言いまして、『難しい問題ですけれども、ご尽力いただきますようによろしくお願いします』とお伝えしました。

めぐみちゃんも何らかの使命を持って、こうして一生懸命耐え忍んで、帰る日を待ち望んでいると思います。私も涙が涸(か)れ果てて、年がら年中、目薬を差しているような状態ですけれども、本当に早く喜びの大泣きをしたいと思いますので、どうぞこれからもお祈りくださいますようによろしくお願いします」。

祈る早紀江さん.jpgこれまでも早紀江さんが祈っておられる姿を何度も拝見してきたが、今ほど胸をえぐられるような痛みを感じたことはない。それは、愛する人を拉致された方々のことを思い出した時に祈るという自らの愛のない不真面目さが示されたからだ。

滋さんが主の者とされたこと、その言葉にならぬ喜びとともに、どうか地上で恵さんと再会させてあげてください、わが胸に抱きしめさせてあげてくださいと号泣した。教会にも行けないほど体が弱っておられるとは思いもよらなかった。

一切のことを治めておられる神さまに委ね、信頼します。年老いた被害者家族の方々の上に神さまのお支えを祈るばかりです。

附記:過去ログ(2006年1月30日の記事)にも早紀江さんが神さまと出会われた時のお証しを記しています。また過去ログと少々重なりますが『クリスチャン・トゥディ』11月9日公開記事に、早紀江さんが友人に勧められてヨブ記を読んだ時のことが書かれており、下記に抜粋転載させていただきました。

この時が、神ご自身が私の心にまっすぐに光を差し込んでくださった最初の時でありました。

『私(ヨブ)は裸で母の胎からでた。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる』(1:21)・・・この言葉は何と深いのでしょう。

(私の人生には)見えない真実の神の存在が関わっていることを知ったのでした。初めて深呼吸ができ、久しぶりに空気がおいしく思えました。・・・『苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。私はそれであなたのおきてを学びました』(詩篇119:71)」(同)

早紀江さんの受洗から33年目に夫の滋さんも洗礼を受け、こうしてようやく夫婦2人で心を合わせて神に祈ることができるようになったのだ。


posted by 優子 at 12:22| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年11月10日

「一粒の麦≠ニしての劉暁波 ノーベル平和賞受賞者を奮い立たせたもの」はキリスト教信仰だった! 

今、トランプ大統領の中国訪問でニュースを賑わしている。習近平国家主席の穏やかな表情を見ると中国の恐るべき人権状況が信じられず、ニュース映像を見ながら今夏亡くなった劉暁波(りゅう・ぎょうは)さんのことを想っていた。

IMG_8834.jpg2017年8月1日の『キリスト新聞』に公開された記事から、劉さんは洗礼を受けていないがキリスト教信仰により生かされていたことをご紹介したい。

劉暁波(りゅう・ぎょうは)氏.jpg2010年のノーベル平和賞受賞者で作家・民主活動家の劉暁波(りゅう・ぎょうは)氏が、7月13日に中国・瀋陽市の病院で亡くなった。1989年の民主化運動・天安門事件の中心人物の一人だった劉氏は、数回の逮捕・投獄にも拘わらず執筆活動を通して民主化を訴え続けていた。

2008年には「08憲章」(一党独裁の終結、三権の分立、民主化の推進、人権状況の改善などを求めた文書)の取りまとめの役を果たしたが、その後「国家政権転覆扇動罪」の罪名で投獄され、ノーベル平和賞授賞式に出席することができなかった。

しかし、本人不在の授賞式がかえって注目を集め、彼の名は一躍世界に知られることとなり、また式典で代読された「私には敵はいない。憎しみもない」という言葉は多くの人に深い印象を与えた。今年5月に末期ガンであることが報じられ、一時的に出獄が許可され入院していたが、治療の甲斐なく61歳で世を去った。

イエス・キリストは人格の模範=@「08憲章」で宗教の自由を主張

 日本の一般メディアでは触れられていないが、実は劉氏はキリスト教信仰・思想に極めて近い考えを持っていた。天安門事件以前よりアウグスティヌスの『告白』を好んで読み、人間の神に対する罪性や悔い改めといった課題に関心を持ち、「中国人の悲劇は神を持たないという悲劇だ」と述べるほどだった。

1996年から99年にかけて大連の労働教養所(一種の強制収容所)に収監されていた時期には、アウグスティヌスのほか、トマス・アクィナス、マルティン・ルター、ジャン・カルヴァン、ディートリヒ・ボンヘッファー、カール・バルト、ハンス・キュング、ドストエフスキーなどの作品を読み、キリスト教思想の影響を大きく受けた。

特にボンヘッファーが牢獄においても信仰ゆえに希望を持ち続けていたことに励まされ、妻への手紙に「たとえ何かを変えることができなくとも、しかし少なくともわたしたちの行為は、イエスの精神が今でもこの人間の世界に息づいていることの証しになり、神なき現代社会においてイエスの精神のみが人間の堕落に対抗できる信仰的力となることの証しとなる。

……もし希望がないならば、苦しみの中から意義を見出せない。希望を理解できなければ人間の存在を理解できない。生きる勇気は希望のみが与えることができ、希望は神と愛とイエスの十字架から来るのだと書いている。

劉氏は2008年の投獄以前には家庭教会(家の教会)の礼拝に出席していたこともあり、「おそらく、わたしは永遠に信徒にはならないかもしれないし、組織としての教会に入会することもないかもしれない」と述べながらも、「しかしイエス・キリストはわたしの人格における模範だ」と語るほどだった。その後も洗礼を受けることはなかったが、劉氏の思想の中にキリスト教信仰・思想の刻印が押されていたことは間違いない。

『劉暁波伝』を書いた劉氏の友人でクリスチャン作家の余杰(よ・けつ)氏は、「『わたしには敵はいない』という宣言は、彼の内面の深みにある大きな宗教的情感に由来しており、特に長きにわたって受けてきたキリスト教の影響による」とまで語っている。

また、劉氏はキリスト教の思想面だけでなく、中国における教会や宗教組織の法的位置づけにも関心を払っていた。「08憲章」には「結社・集会・言論の自由」と並んで「宗教の自由」が謳われており、その内容は特に中国においては非合法とされている家庭教会にも合法性を付与することを意図するものとなっている。

つまり、「三自愛国教会」に登記しなければ合法的地位が得られないという「事前許可制度」を廃止し、従来は非公認・非合法とされていた家庭教会・地下教会に合法性を付与する「届出制」にすべきというのだ。

香港の神学者・邢福増(けい・ふくぞう)氏は劉暁波についてこう語る。

「彼は別れを告げて逝ってしまったが、思想と精神を残していってくれた。彼は目を閉じるまで、自分の魂を売り渡さなかった。彼の魂はこの世の暗闇の勢力から解き放たれ、彼が探し求めていた御国へ駆け上がっていった」。

たとえ彼が地上からいなくなってしまっても、彼の思想と精神、そして「信仰」を受け継ぐ人たちがいる。特に中国大陸や香港において、劉氏と同じように巨大な力と向き合いながら信仰的・霊的な戦いをしている人々が今もいることを覚え、そのために祈りたい。

そしてわたしたちは日本においても同じ戦いがあることを忘れてはならないだろう。劉暁波はそんなわたしたちにも多くのものを残してくれている。

IMG_8839.jpg「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」。(ヨハネ12:24)

(日本基督教団筑紫教会牧師 松谷曄介)

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2017年10月17日

未来への責任 −日本のリベラルに期待!―

シュウメイギク連日の雨に打たれて.jpg3日間降り続いた雨がようやく午後2時頃に止んだが、これもしばしの合間だけで明日の夜からまた雨天が続くそうだ。

気温も先週の29度台から一転、今週から急激に下がり今日の最高気温は15度止まり。昨日から厚手の上着を着て、足温器を使っている。
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衆院選を前に「リベラル」という言葉をよく耳にする。「リベラル」の震源地はドイツで、ルターの宗教改革に始まるのだが、「日本のリベラル」の意味について10月8日の『サンデーモーニング』で分かりやすく説明していた。

「リベラル」とは寛容の精神から生まれた。日本には穏健なハト派を指す言葉だったが、55年体制が崩壊して革新勢力が衰退し、その代わりに「リベラル」と言われるようになった。

左派というイメージで使われているがそれは正しくない。憲法や自衛隊派遣に対して慎重な人々であり、戦後の保守本流がリベラリストの典型であった。

リベラルとは暴力を排して共存していく知恵であり、日本だと日本国憲法の3原則がリベラルの根幹で、それを排除しないで尊重し合えるのが肝要だ。

また機会平等と不幸の最小化を目指す。次世代のことを考え、理想のストッパーにして踏み出していく。それがリベラルである。

今、政治がリベラルを排除していっているが、かつては自民党の主流ほどリベラルだったことを忘れてはならない。

戦後の反省から始まったからリベラルは慎重だ。権力の行使については臆病なほど慎重です」とは宮沢喜一さんの言葉だ。

ジャーナリストの岸井成格(しげただ)さんは、安倍さんが2012年に戻ってきた時に安倍さんに言ったときのエピソードを次のように話した。

「右翼の思想だけは封印したほうがいい。宮澤さんの権力の行使は慎重であるべきだと、これが保守の奔流だと伝えたら、総理は言下に『宮澤さんは間違いです。今までの保守が間違っている。権力は積極的に行使してこそ国民の負託にこたえるものだ。権力はガンガンガンガン使うものなんですよと言った」。

ヨーロッパでは排外的な極右政党が躍進し、アメリカでは自国中心で強硬なナショナリズムに傾き、リベラル勢力が弱くなってしまった感がある。このような時、人間の心理は不安ゆえに強く断言する人に惹かれていくから慎重にならねばならない。

現自民党にもリベラル派(野中広務氏、古賀誠氏、山崎拓氏たち)がいて、彼らは安倍政権の危うさを事あるごとに訴えてきたと言うが、殆どニュースに取り上げられていない。

私たちは安倍政権の5年間を振り返り、投票する前に今一度自分自身と向き合ってしっかり考えねばならない。この路線のまま行けばますます政府の力が大きくなり、個人の権利が小さくされていく。そのような乱暴きわまりない政権運営は非常に危険だ。

安保法や特定秘密保護法の強行採決されたとき非情な危機を感じた。自衛隊を明記すれば軍拡予算が組まれて防衛費が極端に増大していくであろうと専門家は警告している。

本当に戦争をできる国にしてもいいのか?! 
特に今、子育てしている人たちよ、
あなたがたこそが目覚めた母親たちと共に声を出さなくてどうする?!

消費税や教育費負担などの政策については最善策を導き出せばよい。しかし、原発問題は全く異次元の問題であり、「森・加計問題」や南スーダン日報隠しについてもまた現政権の本質にかかわる権力の乱用だ。

あの時、国民の半数以上が安倍内閣に不支持を示し、その後も曖昧のままで安倍政権に不安を感じている人が多いのに、選挙予測では現政権が過半数を占めるというのはなぜ?! あるいはこれもメディア戦術なのか?!

山口県の安倍さんの地元では、浄土真宗の住職さんが主催した反安保講演に聴衆が殺到し、地元での安倍さんの評判は悪いと『リテラ』が報じている。

与党に問題を感じるならば野党を支えて歪みを是正しなければならない。権力者が暴走しないように縛る憲法を無視し、独裁的に動かしていく政権は恐怖だ。国の形が変わってしまえば、賛同している人も自由を保障されなくなるのである。

IMG_8385.jpg自由を保障される民主主義国家に戻そう!
今回こそは投票率が高くなることを期待したい。投票権を放棄するのはあまりにも無責任だ。未来への責任がある。
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posted by 優子 at 17:15| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年10月04日

ジャーナリスト・西谷文和さんの講演「世界平和を果たした憲法九条の役割」後編 ―ドイツ国際平和村―

講演の最後はドイツ国際平和村の話で締めくくられた。
平和村は1967年に創設されて今年でちょうど50年になる。戦争で大怪我した子供達をヨーロッパで高度な治療を提供し、治療が終わると再び母国へ送る働きをしている。

医療従事者はドイツ人に次いで日本人の姿が目立ち、スタッフの半分が日本人だ。ドイツも日本も敗戦国であり、2度と戦争をしてはいけないという教育を受けたからだ。

アミナちゃん.jpg2013年、タリバンの拠点だったアフガン南部のカンダハルでアミナちゃんが母親と歩いていた時、米軍を狙った路肩爆弾が爆発し母親は即死、アミナちゃん(9歳)も瀕死の重傷を負った。シーツをめくると腐りかけた両足にハエがたかっていた。

(アミナちゃんの絶望しきった目。命も危ない情況だったが、ドイツで治療を受け、両足は切断されてしまったが車いすを上手に操り、絶望しきっていた少女が明るい笑顔になっていた。)


この子たちが母国に帰ったら言うでしょう。
「ドイツ人と日本人に治してもらった」と。それを聞いた人たちは日本を攻撃しますか?!

自衛隊は災害救助隊と国境警備隊にすればよい。政府は肝心なことを隠すので真実を報道しないからわからないが騙されてはならない。

選挙の争点は消費税2%アップではない。消費税を増やすとき必ず法人税を低くする。だから上げた分がチャラになる。

憲法九条の1・2項は残して3項を加えると言うが、そうなれば前項(1・2項)の規定にかかわらず後項(3項)が優先されて前項が消えてしまう。騙されない冷静さを忘れてはいけない。

私たち平和運動の力は着実に拡がっている。私たちが横に団結すれば大きな力になる。ここで諦めたらいけない。
忘れない、あきらめない、だまされない。

IMG_8224.jpg1週間前のこと、私がクリスチャンであることをよくご存知の近隣の女性(70代)と話していた時、「共産党やキリスト教は平和、平和と言うけれど何の提案もしないではないか」と言われた。


文字化すると厳しく感じるが和やかに意見を交わしたのであるが、私はクリスチャンの立場で平和について、また、武力では平和は作れないことを話した。


そして、一般社会で平和のために活動している人々がおられることにも触れ、平和を訴え求め続けることが大切であると語ったことだった。それにしても戦争の爪痕を経験された世代なのにと悲しかった。


アミナちゃんのような子供たちは大きな障がいを負いつつも、みんな明るく笑っていた! 私は子供たちの様子を食い入るように見ていたので、頬に涙が伝っていたことも気づかなかった。

(2015年にアミナちゃんと再会の記事がある。)


IMG_8213.jpgこの講演を聴いてつくづく思ったことは、知ることの大切さと、知ろうとしないのは大きな罪だということだ。知ったところで皆が同じ考えになるものではないだろうが、「知らないことは罪であり、知ろうとしないことはもっと大きな罪である」。


この記事の最後にドイツ平国際和村のサイトから転載させていただき心に刻みたい。このような働きこそが積極的平和活動だと思う。


私たちの活動は、焼け石に水だとよく言われます。そうかもしれません。でも、この一滴が集まれば、川ができ、川が集まれば、海になるのです。


この50年間で、貧困、悲しみ、それに無力を変えていくことが、可能だと知りました。共に助け、人間らしく生きましょう。そうすれば、無力が信頼に変わっていきます。


最後に、ドイツ国際平和村の設立者たちについて、ふれたいと思います。彼らは、50年前に新境地を開拓しました。何が良くて、正しかったのかは、後になって分かるものです。


ドイツ国際平和村の設立者、プロテスタントのフリッツ・ベルクハウス牧師と当時オーバーハウゼン市長だったルイーゼ・アルベルト市長には、平和村がこの先どうなるかは分かりませんでした。


ただ彼らは、ベトナム戦争の被害者たちを救いたいという市民たちをまきこみ、今のドイツ国際平和村に導いたのです。厳しい意見もあるかと思いますが、彼らがいたからこそ、ドイツ国際平和村があるのです。


ドイツ国際平和村・平和教育部門のプログラムにおいて重要な構成要素は、平和教育、暴力廃止、衝突の建設的な解決です。
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2017年10月02日

ジャーナリスト・西谷文和さんの講演「世界平和を果たした憲法九条の役割」前編

9月30日(土)午後、香芝9条の会発足11年を記念して「ふたかみ文化センター市民ホール」で記念講演会が開かれた。私たち夫婦は孫の運動会をお昼前に引き上げて参加した。

当日は香芝市の小学校の運動会と重なったこともあるだろうが、会場を埋めた聴衆の殆どが60歳以上で若い世代の姿はほぼ皆無だった。それは想像通りだったとはいえ失望で気持ちが重くなった。しかし、だからこそ日本の進むべき方向を正しておかなくてはと自らを鼓舞して耳を傾けた。

以下はジャーナリスト西谷文和さんの講演:「世界平和を果たした憲法九条の役割」を聞き書きしたものである。
かつてアフリカで一番大きな国だったスーダン共和国が南北に分かれて6年前に独立した。その後内戦が勃発し、あれだけ危険な国へ自衛隊が行っていた。先進国で行っていたのは日本と韓国だけで、アメリカはイラクやアフガンの経験から派兵していなかった。

去年の7月で帰ってこなければならなかったが、駆け付け警護を付与したかったために派兵していた。現地で戦闘が生起しても情報を隠蔽するのは「モリ・カケ(森友・加計)問題」同様で、共に今後も南スーダンの隠ぺい問題は引き続き追求しなければならない。

シリアでは人が集まると危険だ。空から見えるので空爆されるからだ。現代の戦争はハイテクで宇宙に拡大している。

ただ祈っていてもだめで戦争を分析しないと止めることができない。キリスト教とイスラム教の仲が悪いからと宗教のせいにしているがそうではない。領土問題もそうだ。戦争の本質を考えないといけない。

戦争の本質は金儲け、戦争をやれば儲かるからだ。トマホークミサイルは1発1億円、59発のミサイル発射で59億円の売上となり、戦争や原発はめちゃめちゃ儲かるのだ。

戦争は政治広告をするPR会社の広告によって鼓舞されて正当化されていく。湾岸戦争は、15歳の高校生に嘘の証言(ナイラ証言)をさせてメディア全面に流したことから始まった。現代の戦争はメディアが作る。

(米国政府は少女に)フセインがクウェートの病院の中にいる312人もの赤ちゃんを殺したと証言させた。戦争が終わった1年後にこの少女の嘘がばれた。少女は生まれてから一度もアメリカから出国したことはなかった。

戦争の場合は殆ど嘘の言葉で始まる。メディアの情報に騙(だま)されてはならない。私たちの眼をそらさせ忘れさせるためにスキャンダルを報道しつづけて福島や原発や沖縄のことを報道しない。政府は今「テロとの戦い」と「北朝鮮」のことを持ってくる。

2015年1月のフランスの風刺週刊誌シャルリー・エブド襲撃事件。各国首脳が先頭に立った「私はシャルリ」の大行進。

「私はシャルリ」の大行進.jpg

実は捏造だった!
捏造に参加した首脳たち.png

(私はこの頃もBS放送で各国のニュースを見ていたが、世界の報道を見ても彼らのあとに長蛇の行進が続いているものと疑わなかった。)

2017年度の「報道の自由度ランキング」1位はノルウェー。日本は72位で先進国では最下位クラスだ。

ヒトラーは「イエス」か「ノー」で迫った。愛か憎しみか。正か不正かと。それを何千回も繰り返すと「イエス」と言うから言い続けろと。

「独裁」と言えば反対されるから「決断できる政治」と言い換え、「戦争準備」を「平和と安全の確保」とし、反対する人を徹底的に弾圧し、全権委任法でヒトラーの暴走が始まった。

安倍政権では武器輸出を「防衛装備移転」、戦争法を「平和安全法制」、カジノ解禁法を「IR推進法案」(IRとは「Integrated(統合された)Resort」の頭文字で、カジノ、ホテル、国際会議場などが一体となった施設の整備を推進する法案)、共謀罪は「テロ等準備罪」、戦闘行為を「衝突行為」と言う。

ムードやイメージで投票してはならない!

北朝鮮の分析:アメリカはシリアやアフガンは反撃能力がないから爆撃した。アフガンにアメリカ人は住んでいない。北朝鮮にアメリカ人は住んでいないから空母を朝鮮半島へ移送した。北朝鮮を先行攻撃するとなれば28000人の在韓米人を帰国させる。しかし今も留まっているから攻撃しない。

北朝鮮の脅威を煽って森友・加計問題から目をそらさせる。本当に恐怖を感じているならば原発の再稼働もしない。原発は安全だと言い北朝鮮の危機を煽る。(だから選挙なのだ)

日本の世界平和度指数は去年は8位で今年は9位。安倍政権になるまでは常にベスト3に入っていた。それは憲法九条があるからだ。しかも平和運動と九条のおかげで10番以内に入っているのである。米国は103位。日本はこの数年間で1位から9位に下がった。

ナチスのヘルマン・ゲーリングは、戦争を嫌う国民を意のままに操るのは簡単だと言っていた。

「政策を決定するのは国の指導者であり、国民をそれに巻き込むのは、民主主義だろうと、ファシスト的独裁制だろうと、議会制だろうと共産主義的独裁制だろうと、常に簡単なことだ。

国民は常に指導者たちの意のままになるものだ。とても単純だ。自分達が外国から攻撃されていると説明するだけでいい。そして、平和主義者については、彼らは愛国心がなく国家を危険に晒す人々だと公然と非難すればいいだけのことだ。
この方法はどの国でも同じように通用するものだ」。

今、安倍官邸がゲーリングになっている。私たちは歴史に学ばねばならない。祈っているだけではなく、今こそ平和憲法の輸出をしなければならない。安倍政権では平和は来ない!


南スーダンのPKO(国連平和維持活動)に派遣されていた陸上自衛隊部隊の日報問題が取りざたされ、国会で「戦闘行為」を「武力衝突」として安全であると主張し続けていた頃、全く正反対の状況を伝える「国境なき医師団」のレポートが何度も届くので不思議でならなかった。

西谷さんの講演を聴きながら読売新聞東大阪支社長もされた新聞記者の西口孝四郎さんの言葉を思い出していた。
「新聞は正面からだけ読んでたらあかん。斜めからも読まなあかん」。

そしてこの記事を打ちながら思ったのは、インターネットの功罪は強烈だがネット時代だからこそメディア情報を鵜呑みにしないで、問題意識をもって自分の心を働かせれば調べることができるのだ。

ムードや雰囲気で投票してはいけないことと、報道を鵜呑みにしていてはあまりにもリテラシーがないことを思い知らされた。勿論、今回のように生で話を聞く時も同様だ。常に情報を偏り視ないで情報の真偽を考えながら自分の頭で考える姿勢を養わなければいけないとつくづく思った。
                        (つづく)

附記:この日は不調だったため運動会だけではなく、ここでも写真を撮る機会を失ってしまった。

posted by 優子 at 16:54| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年09月29日

政治家の魂

IMG_8140.jpg政界に激震が走っている。安倍首相が9月28日召集の臨時国会冒頭で衆議院を解散表明するとわかってから、政治状況が大きく動き続けている。
半日外出している間に政治が動き、いや数時間で大転換するほどの速度である。政界の大変動になるのか?

恥ずかしいことながら私が政治に関心を持ち始めたのは福島原発事故からだ。その根源には、人生の持ち時間が残り少なくなってきた今、これから生きていく子どもたちや、そのまた次の世代の人たちへの責任を感じるからだ。

「私達は地球を私達の祖先から受け継いだのではなく、私達の子供達から借りているのである」。                   

大人たちは地球環境はもとより、憲法九条を維持した戦争のできない日本のまま次世代に譲らねばならない。どんなに時代が変わろうとも変えてはならないことがあるのだ。

北朝鮮から目を離せない時に選挙することに腹立たしく思ったが、私の関心はやはり政治家たる人物に焦点が絞られている。

「希望の党」結党記者会見での小池百合子さんは私の目には異様に映った。ひとことで言えばすでに独裁者になっている。すごい自信だ。誰もみな乗りに乗っている時は得意顔になるのだろうが、それとは違う異質なものを感じた。

彼女を取り巻く人たちも借りて来た猫のような雰囲気も異様。小池さんを取り巻く人々は皆、それぞれに頑張って来た人たちなのにと私は非情なる異様さに驚愕した。

私の嗅覚が間違っていればいいが、この時点から小池さんを「もっと知らねば」と思い、最近見ていなかったサイトを開いた。


連綿と続く内容は衝撃だった。
私が知らな過ぎたことと、複眼で観る眼を未だ養えていなかったのかと愕然とした。


今度という今度は一人ひとりが本当に真剣によく見て、もっともっと自分の頭で考えて投票しなければならない。

小池さんは何をしようとしているのか。
日本初の女性首相? 
首相になって何がしたいのか、そこを知ろうとしないで雰囲気に流されてはだめだ。

人間とは不可思議なもので自分が権力者になると、ごく僅かの例外もあるだろうが、これまで批判してきた権力者と同じ言動を繰り返す。歴史が物語っているとおり。

「安倍か小池か、どちらのヒットラーを選ぶのかという地獄の選択を、国民は強いられようとしている」のかどうなのか、しっかり眼を開けて凝視しなければならない。

IMG_8137.jpgそれにしてもだ、私が民進党議員であったとしても小池さんの審判を仰がねばならないというのは大きな抵抗がある。
小池さんが強要する改憲と安保政策。それを審議されるとは屈辱どころか同化できるわけがない。それでは魂を売ることになる。

小池さんと対極にある辻本清美さんや阿部知子さんたちリベラル派の人々はどのような選択をするのだろうか。理念を貫いてほしい。

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2017年09月25日

「憲法九条は世界の宝」

IMG_8065.jpg「子どもにとって町の小さい本屋は知らない世界の入り口でもあるのに、今や本屋のない町が2割もある。本を読まない、売れない、買わないのは不幸な時代であり、この現実の中で私たちは立っている」。

これは過日のJCP65周年の講演で船本弘毅氏が語られたエピソードであるが、先週知人からお借りした『平和と命こそ 憲法9条は世界の宝だ』(日野原重明・宝田明・澤地久枝著)を読みながら、そのことをつくづく思わされている。

1968年に話題になった『滄海(うみ)よ眠れ』は報道で知り、澤地久枝さんから深い感銘を受けた。以来澤地さんの言論に常に注目していたものの本を読むことをしなかったために、澤地さんの箇所は耳新しいことばかりで衝撃的だった。そして、今更ながら本を読まない者はダメだと思い知らされた気持ちである。

以下に記録した読書メモをお分かちしたいと思う。この緊迫した重大な時に、子供、孫、そのあとに続いて行くいのちのために私たちができることを考え行動するために。

澤地久枝 「明日の世代のために 今私が願っていること」
★ 日本の科学者、原子力学者たちも堕落したと思う。なぜか電力会社と原子力研究関係のところにはすごくお金があり、何百万という現金をもらった人は「原発がなければ日本人はやっていけない」と言うようなことを平気で言っている。日本人の有識者は、僅かな人しか志高く残っていない。

★ 常識的な発言をするのに勇気を試される時代がついに来ました。

★ アメリカの核兵器を使った訓練を日本の自衛隊は現在すでに米国で受けている。

★ アメリカはこの前の戦争の戦利品として沖縄の基地を維持したいと考えている。核が置かれる基地の一つとして辺野古が上がっている。

★ 私はバカな戦争中の軍国少女であったことを自覚して以来、戦争はやってはならないと思ってきました。核の問題についても原発はやめたい。核兵器をすべてなくしたいと思って生きてきました。

そういう自分を振り返ってみて、骨惜しみをしたり、あるいは周りから圧迫されて怖がったり、自分の収入とか地位とかが脅かされるということで逃げたか―と自分に聞くと、私は一度も逃げたことはないのです。逃げたいどころか、そういうことがあると、私は逆に元気になるのです」。

★ 「沖縄返還密約」は密約中の密約で、交渉中に核兵器が嘉手納基地にあったことをアメリカは認めている。沖縄返還時、アメリカは日本から7000万ドルのお金を取って核兵器を動かしたが、核兵器の再持ち込みを認めるというアメリカ側の要求に日本は同意し、佐藤栄作首相はニクソン大統領とイニシャルで署名している。

★ ペンタゴン・ペーパー事件。国務省の官僚エルズバーグの勇気。

★ 世直しするには、同じような思いの人が1千万人の署名どころではなくて5千万人の人たちがそう思ったら可能だ。私たちは、この国という船の舳先(へさき)をせめて真ん中まで引っ張り直さなけれればならない責任を負っている。

★ いったん戦闘状態が始まってしまったら、味方を見殺しにできないという理由でどんどん増派する。そのための自衛隊の武力は戦後最大。

★ 憲法九条を尊重する政治へと私たちの国を戻していかなければならない。原発も一日も早くなくしてしまいたい。
私は希望を捨てたくないのです。自分が妥協した時に、私か希望は消えると思うのです。

宝田 明「憲法九条は世界の宝」
★ 1934年に朝鮮の清津(ちょんじん)で生まれ、2歳の時に満州(中国東北部)へ。以来、父が鉄道技師として満鉄(南満州鉄道)の社員として務め、北安、海倫、ハルビンへ転勤し、終戦後ハルビンから引き揚げて来た。

★ 11歳の時、ソ連兵に右腹を打たれ、翌日、元軍医だという人に来てもらったが、手術器具も麻酔もなく焼いて消毒した裁ちバサミで傷口を切り開いて銃弾を取り出した。

人間の肉を切る時の音が今も忘れられない。レバーを切るような、あるいは羅紗を切るような、ジョリジョリという音、傷口は縫わずにそのままだった。取り出されたのは国際法で禁止されていた鉛のダムダム弾だった。

★ 世界で初めて火薬を使用したのは蒙古の軍隊です。それが日本に押し寄せてきた元寇のたたかい。従って、火薬の洗礼を最初に受けたのは日本国民です。

数世紀たった後、広島・長崎で原爆の洗礼を受けたのも日本国です。さらに恐ろしいことに、原爆より強力な水爆の死の灰の洗礼を受けたのも日本ですし、同時にあの南方の島々の平和な楽園の人々であります。

そういう国に住む私たちが、今、何をしなければいけないのか。(略)今では音速の10倍、マッハ10以上の速さのミサイルが爆弾を運んでくる時代なのです。

★ われわれ戦争を体験し歳を重ねてきた人間が、戦争の愚かしさ、恐さ、罪深さを語り継ぎ、「間違ってもあのような戦争を2度と起こすまい。日本は世界に冠たる憲法九条を持っている国だ」ということを、声を大にして強く発していく時ではないかと、私には思えてなりません。

私は憲法九条は世界の宝だと言っています。日本は軍事力はいらない。軍隊もいらないと宣言したわけですから、(略)九条を守り抜く、凛とした日本人でなければいけないなと思っております。

日野原重明 「勇気をもって『ノー』と言おう 真の愛とゆるしのために」 
★ 私は、京大医学部4年生の時に、生理学の教授から731部隊(創設者は石井四郎中将)で行った人体実験の16ミリフィルムを講堂で見させられました。脳貧血を起こして卒倒した学生もおり、とても正視できるものではありませんでした。

戦争になると、平和な時代には考えられないほど、人間は狂ってしまうのです。(略)日本の歴史には、きちんと書かれていないから、多くの日本人は、かつて日本が中国の人々に何をしたかを知りません。でも、私はこの目で実写の映像を見ています。

ドイツのナチスも、ベトナム戦争でのアメリカも日本が外国の捕虜に実験したのと同じようなことをしていたそうです。戦争になると良心が麻痺してしまうのです。どこの国も狂気の沙汰になるのです。

★ 旧約聖書には、「目には目を、歯には歯を(耳を打たれたら見身だけは仕返ししてもいいし、目を殴られたら目だけは殴り返してもいい)」と言う教えがあります。これはユダヤ教徒イスラム教の教えと共通のものです。

イエスが生まれて、そして十字架に貼り付けになって死にました。新約聖書には「敵を愛せよ、敵をゆるせよ」「仕返しするなんてとんでもない」「人、友のために命を捧げる、これよりも大いなる愛はない」と記されています。これが真のイエスの教えです。愛というのは、その裏に、犠牲があるということを言っておられるのです。仕返しは仕返しを生むのです。

★ 日本は憲法で軍隊を持たないと世界に宣言したのです。あれだけ反対が合ったのに、安保条約でまたアメリカの基地を開いた。私は今から10年先には基地をなくすという運動を起こしたい。そのためにはあと10年生きなくてはならない。基地というのは、敵があるから持つのです。

★ 不戦ではまだ戦争が起こる可能性を持っているから十分ではなく、戦争を否定する非戦こそが必要である。不戦論者ではなく非戦論者になる。カント『永遠平和のために』

★ プラトンは徳の一番元になるものに、叡智、正義、節制、勇気があると言っている。

★憲法が変わってしまったら、軍隊ができるのはまちがいないでしょう、核兵器が使われるのはまちがいないでしょう。憲法九条を守ることは平和を守ることです。

国民投票となっても、国民の過半数が「ノー」と言えば、議会で可決しても通りません。みなさんがみなさんの周辺の人に声をかければ可能なことなのです。

★ 今のままでは、自衛隊が国防軍になり、空軍や陸軍、海軍が必ずできるでしょう。たいへんなことです。せっかく憲法九条で戦争を放棄したのですから、放棄した時点にもう一度戻り、世界平和のために、大きな志のもとに、団結しようではありませんか。

★ 勇気ある行動を起こすためには、まず自分を変えなければなりません。昨日までの自分じゃない。今日から、まず自分が率先して自分を変える。これをイニシアティブと申します。変換のイニシアティブです。

あなたはこうしてくださいではなくて、自分を先に変えてしまうこと。これが成功の秘訣。そして勇気を持って行動に移すこと。


IMG_7986.jpg以上2014年に刊行された本からの抜粋です。

「私は今から10年先には基地をなくすという運動を起こしたい。そのためにはあと10年生きなくてはならない」。

私は日野原重明さんの言葉が聞えてきます。
今夏7月に105歳で天に帰られた日野原さんの志を継ぐのは私たちです。

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2017年09月11日

『種を蒔く』4号寄稿文が『香芝九条の会 会報』に掲載さる

昨日発行された『香芝九条の会』会報に拙文が掲載された。今年6月に刊行された日本クリスチャン・ペンクラブ関西ブロック発行の『種を蒔く』4号に寄稿した「それでも希望を失わず ―東日本大震災6年目に思うこと―」である。

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6月末か7月の初め頃だったと思うが「香芝九条の会」で労しておられる方と話していて話が弾み、この記事をお渡しした。

本になった文集も常にクリスチャンの方々だけではなく、いつも10名ほどノンクリスチャンの方々にお届けするのだが、今号の4号は手持ち部数が足りなくなり追加購入したくても完売したため、印刷屋さんから送られてきた最終校正が反映されたゲラ刷りをお渡ししたのだった。

するとまもなく、この文章を「九条の会」会報に掲載させてほしい。関係者の方々の賛同を得たら掲載させてもらってもよいかとの打診があった。

これはキリスト信仰の旗印を鮮明にした文章であるので掲載されるのかと一瞬思ったものの、「九条の会」はあらゆる立場の人々が憲法9条保持を訴える集まりであるので快諾し、紙面の関係で省略されることも承諾し引用箇所もお任せした。

このたび会報の最後4ページのほぼ1面を割いて掲載してくださっていた。6か所も誤字脱字があったのは残念だったが、限りある紙面での抜粋引用箇所については満足している。

「憲法九条と私」欄に掲載していただいたので少々無理があるが、下記の青字部分が掲載されている。下線部分が削除されなかったことを神さまに感謝します!

それでも希望を失わず

     ―東日本大震災6年目に思うこと―         

      藤本 優子


「イェッしゃま(イエスさま)、きのうじしんがおこりました。もうおきないようにしてください。かじになって、いえもたおれて、みんな、ながれていきました。たすけてください」。

当時3歳9ヶ月だった孫は、東日本大震災後しばらくのあいだ同じ祈りを捧げていた。あれから6年過ぎて絶望感は深まるばかりである。原発事故で破局的事態になっても、為政者たちは方向転換せずに原発を再稼働させた。彼らはもう一度経験しないとわからないのだろうか。

015年にノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシエービッチは、昨年11月末に福島県を視察して言った。「チェルノブイリと同じく、国は人の命に全責任を負わない」と。

しかし、日本は旧ソ連よりももっと冷酷で恐ろしい。当初チェルノブイリでは、住むことも生産することも禁止されていた(年間)5ミリシーベルト以上の汚染レベルに、日本政府は百万人規模の住民を居住させており、国民の命を最優先しない。

あの時、政府は真実を隠し、「直ちに健康被害が出ることはない」と当時の内閣官房長官・枝野氏は録音テープのように繰り返した。一体いつの時代の知識であのようなことを言ったのであろうか。この時から始まった政府への不信感は募るばかりで、6年経った今も混迷を深め続けている。

農業や漁業に従事する人々の努力にも関わらず福島産の需要は伸びないというが、これは風評被害ではなく放射能なのだ。もっと正確に言えば、「政府の言論統制と嘘による知られざる核戦争」であると物理学者・矢ヶ崎克馬氏が訴えている。

この非常事態ゆえに、今からでも政府は方向転換して、人権を第一にして再建していくべきだ。私たちは何を第一とすべきか、全ての人に価値観が問われているのである。

放射能汚染時代にあっては自分さえよければよい、自分の家族さえ安全な食ベ物ならばよいということはあり得ない。平和や異常気象の問題もそうだ。全てが世界的規模で関連しているのであり、ブルンナーが言うとおり、今や「安全な場所などどこにもなく、私たちは隠れ場のない野原の中を行くように、どんなことが起ころうとも、それに身をさらさねばならない」時代である。

また、アレクシエービッチが、「日本社会に人々が団結する形での『抵抗』という文化がない」と言ったことも心に刺さった。私自身の中にも同じものがあると常々感じているからだ。

例えば原発再稼働や改憲に多くの人々が反対の声を上げ、私も小さい声ながら反対を叫び署名を集めつつも、傲慢で権力をふるう政治家たちを見ていると、「反対してもしょうがない」と何度も諦めそうになり、そんな自分を嫌悪することしきりだった。

被災者たちが世界の人々に感銘を与えた規律正しさや辛抱強さは日本人の誇るべきことだ。しかしまた、私たちはあまりにも主体性に欠けてはいないだろうか。

然界も傷み続けている。ミサイルが落ちた海の中も大きく破壊されていることを思うと我慢ならない。空の鳥や海の生物は苦痛を訴えることもできずに苦しみ死んでいく。世界は深い闇に覆われ、視界ゼロメートルの常態になってしまった。

私は年を取れば取るほど自分のどうしようもない弱さや人間の罪深さがわかるようになった。それゆえに誰に祈ればよいかを知らされていることがありがたくて、そのことの感謝から祈り始めるようになった。

万物を創り全てを支配されているまことの神を知り、そのお方と交わる術を与えられて、日々刻々感謝し、また悔い改めることができるとは何たる恵みであろう

「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせてくださった」。

(ペテロの第1の手紙1章3節)


これこそがイースターの使信であり、私はこの言葉を心から神の応答として受け止めることができるようになった。これはこんな時代でも生きていけるように、神さまが全ての人々に与えてくださっている希望である。だから絶望しそうになっても絶望しない。

あの悲惨な被災地で、多くの被災者がイエス・キリストへの信仰を持ち、受洗の恵みに与られていることが報告されている。どうか一人でも多くの人が復活のキリストに希望をつないで生きていくことができますように。

春の風はやさしく肌を撫で、小鳥のさえずりが心を癒す。花々や小さな生き物たち、そして、子どもたちの未来を奪ってはならない。

【憲法九条】
  1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2017年08月30日

谷口稜曄(すみてる)さん逝く −核兵器廃絶を訴え続けた「赤い背中の少年」−

IMG_7186.jpg16歳の時に長崎原爆で被爆し、「赤い背中の少年」(The boy with the red back)で知られる日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員・谷口稜曄さんが、十二指腸乳頭部がんのため30日に長崎市内の病院で亡くなられた。88歳だった。

長崎の日のニュースに谷口さんのお姿が見えなかったので、どうされたのかなぁと思っていたところだった。

原爆投下の生き地獄のみならず、あの大やけどの激痛に「殺してくれ!」と耐えねばならなかった地獄。あの痛みの拷問を耐えねばならないならば、いっそ即死していたほうがよかったと思われたことだろう。

ああ、よくぞ耐え抜いてくださった。
いのちが保たれたことも不思議でならない。

その後もずっと肉体の苦痛に耐えながら核兵器廃絶を訴え続けてきてくださり、本当にありがとうございましたと涙する。使命を果たして生き抜かれ、ようやく一切の苦痛から解放された谷口さんに哀悼を捧げます。

2015年8月9日、長崎市主催の平和式典で被爆者を代表して日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表の谷口稜曄さんが発せられた「平和への誓い」をここに刻ませていただいた。

谷口稜曄さん.jpg70年前のこの日、この上空に投下されたアメリカの原爆によって、一瞬にして7万余の人々が殺されました。真っ黒く焼け焦げた死体。倒壊した建物の下から助けを求める声。肉はちぎれ、ぶらさがり、腸が露出している人。かぼちゃのように膨れあがった顔。眼(め)が飛び出している人。水を求め浦上川で命絶えた人々の群れ。この浦上の地は、一晩中火の海でした。地獄でした。

地獄はその後も続きました。火傷や怪我もなかった人々が、肉親を捜して爆心地をさまよった人々が、救援・救護に駆け付けた人々が、突然体中に紫斑が出、血を吐きながら、死んでいきました。

70年前のこの日、私は16歳。郵便配達をしていました。爆心地から1・8キロメートルの住吉町を自転車で走っていた時でした。突然、背後から虹のような光が目に映り、強烈な爆風で吹き飛ばされ道路に叩きつけられました。

しばらくして起き上がってみると、私の左手は肩から手の先までボロ布を下げたように、皮膚が垂れ下がっていました。背中に手を当てると着ていた物は何もなくヌルヌルと焼けただれた皮膚がべっとり付いてきました。不思議なことに、傷からは一滴の血も出ず、痛みも全く感じませんでした。

谷口少年.jpgそれから2晩山の中で過ごし、3日目の朝やっと救助されました。3年7カ月の病院生活、その内の1年9カ月は背中一面大火傷のため、うつ伏せのままで死の淵をさまよいました。

谷口すみてるさん.jpgそのため私の胸は床擦れで骨まで腐りました。今でも胸は深くえぐり取ったようになり、肋骨の間から心臓の動いているのが見えます。肺活量は人の半分近くだと言われています。

かろうじて生き残った者も、暮らしと健康を破壊され、病気との闘い、国の援護のないまま、12年間放置されました。

谷口稜曄さんの背中.jpgアメリカのビキニ水爆実験の被害によって高まった原水爆禁止運動によって励まされた私たち被爆者は、1956年に被爆者の組織を立ち上げることができたのです。あの日、死体の山に入らなかった私は、被爆者の運動の中で生きてくることができました。

戦後日本は再び戦争はしない、武器は持たないと、世界に公約した「憲法」が制定されました。しかし、今集団的自衛権の行使容認を押しつけ、憲法改正を推し進め、戦時中の時代に逆戻りしようとしています。

今政府が進めようとしている戦争につながる安保法案は、被爆者をはじめ平和を願う多くの人々が積み上げてきた核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆そうとするもので、許すことはできません。核兵器は残虐で人道に反する兵器です。廃絶すべきだということが、世界の圧倒的な声になっています。

私はこの70年の間に倒れた多くの仲間の遺志を引き継ぎ、戦争のない、核兵器のない世界の実現のため、生きている限り、戦争と原爆被害の生き証人の一人として、その実相を世界中に語り続けることを、平和を願うすべての皆さんの前で心から誓います。

谷口さんは、爆心地から北方1.8キロの所を自転車で走っていて被爆された。3000〜4000度の熱線と放射線によって背後から焼かれ、次の瞬間猛烈な爆風によって自転車もろとも4メートル近く飛ばされ、道路にたたきつけられた。

以下は、谷口さんが命がけで語り続けてくださったことである。

突風が過ぎ去ったので顔をあげて見ると、建物は吹き倒され、近くで遊んでいた子供たちが、ほこりのように飛ばされていたのです。私は、近くに大きな爆弾が落ちたと思い、このまま死んでしまうのではと、死の恐怖に襲われました。でも、私はここで死ぬものか、死んではならないと、自分を励ましていたのです。

しばらくして、騒ぎがおさまったので起き上がってみると、左の手は腕から手の先までボロ布を下げたように皮膚が垂れ下がっていました。背中に手をやってみると、ヌルヌルと焼けただれ、手に黒い物がベットリついてきました。

それまで乗っていた自転車は、車体も車輪もアメのように曲がっていました。近くの家はつぶれてしまい、山や家や方々から火の手が上がっていました。吹き飛ばされた子供たちは、黒焦げになったり、無傷のままだったりの状態で死んでいました。

女の人が、髪は抜け、目は見えないように顔が垂れふさがり、傷だらけで苦しみもだえていました。今でも、昨日のように忘れることはできません。苦しみ、助けを求めている人たちを見ながら、何もしてやれなかったことを、今でも悔やまれてなりません。

多くの被爆者は、黒焦げになり、水を求め死んでいきました。

私は夢遊病者のように歩いて、近くのトンネル工場にたどり着きました。女の人に頼んで、手に下がっている皮膚を切り取ってもらいました。そして、焼け残っていたシャツを切り裂いて、機械油で手のところだけふいてもらいました。

工場では新たな攻撃に備えて他の所に避難するように言われました。力をふりしぼって立ち上がろうとしましたが、立つことも歩くことも出来ません。元気な人に背負われて山の上に運ばれて、木の陰の草むらに、寝かされました。

周りにいる人たちは、家族に伝えて欲しいと自分の名前と住所を言い、「水を、水を」と、水を求めながら死んでいきました。夜になると米軍の飛行機が機銃掃射して来ました。その流れ弾が私の横の岩に当たって、草むらに落ちました。

夜中に雨がシトシト降り、木の葉から落ちるしずくをしゃぶって、一夜過ごしました。夜が明けてみると、私の周りはみんな死んで、生きている人は見当たりませんでした。

そこで2晩過ごし、3日目の朝、救護隊の人たちに救助され、27キロ離れた隣の市に送られました。病院は満員で収容できず、小学校に収容されました。

それから3日後、被爆して6日目、傷から血がしたたり出るようになり、それと共に痛みがジワジワと襲ってきました。1カ月以上治療らしき治療はなく、新聞紙を燃やした灰を油に混ぜて塗るだけでした。

9月になって、爆風で窓が吹き飛ばされたままの長崎市内の小学校で、大学病院が治療をしているとのことで、送られました。そこで初めて医学的な治療を受けました。

まず輸血でした。でも、私の血管に輸血の血液が入っていかないのです。内臓がおかされていたのでしょう。貧血が激しくて、焼けた肉が腐り始めました。

腐った物がドブドブと、体内から流れ、身体の下にたまるのです。身体の下にはボロ布を敷き、それに体内から流れ出る汚物をためては、1日に何回も捨てなければなりませんでした。

その当時、やけどやけがをした被爆者の身体に、うじ虫がわいて、傷の肉を食べていました。私には1年過ぎてから、うじ虫がわきました。うじ虫が傷口をかじるのがたまらなく痛いのです。

あの写真は約半年後「1946年1月31日」に撮影されたものです。

私は身動き一つできず、腹ばいのままで、痛みと苦しみの中で「殺してくれ!」と叫んでいました。誰一人として、私が生きられると予想する人はいませんでした。医者や看護婦さんが、毎朝来ては、「今日も生きてる、今日も生きてる」とささやいておられました。家の方では、何時死んでも葬儀ができるよう準備していたそうです。

身動き一つできなかったので、胸が床ずれで骨まで腐りました。いまでも、胸は肋骨の間がえぐり取ったような深い溝になり、肋骨の間から、心臓が動いているのが見えます。

1年9カ月たって、ようやく動けるようになり、3年7カ月たって、全治しないまま病院を退院しました。その後も、入退院を繰り返し、1960年まで休みなく治療を続けてきました。

1982年ごろから、ケロイドの所に腫瘍ができて手術を受けました。その後も医学的にも解明できない、石のような硬い物が出来て手術を繰り返しています。

あの日から半世紀が過ぎました。過去の苦しみなど忘れ去られつつあるように見えます。だが、私はその忘却を恐れます。忘却が新しい原爆肯定へと流れていくことを恐れます。

私は、かつて自分をその一コマに収めたカラーの原爆映画を見て、当時の苦痛と戦争に対する憎しみが、自分の身体の中によみがえり、広がって来るのを覚えます。

私はモルモットではありません。もちろん、見せ物でもありません。でも、私の姿を見てしまったあなたたちは、どうか目をそらさないで、もう一度みてほしい。

私は奇跡的に生き延びることができましたが、「生きる」とは「苦しみに耐える」ことに他なりませんでした。かつて最大38万人いた日本の被爆者はいま、23万人に減りました。私たち被爆者は全身に原爆の呪うべきつめ跡を抱えたまま生きています。

核兵器は絶滅の兵器、人間と共存できません。どんな理由があろうとも絶対に使ってはなりません。核兵器を持つこと、持とうと考えること自体が反人間的です。

最初の核戦争地獄を生身で体験した私たちは、65年前のあの8月、核兵器の恐ろしさを本能的に学びました。核攻撃に防御の手段はなく、「報復」もあり得ません。

もしも、3発目の核兵器が使われるならば、それはただちに人類の絶滅、地球とあらゆる生命の終焉を意味するでしょう。人類は生き残らねばなりません。平和に、豊かに。

そのために、皆で最大の力を出し合って、核兵器のない世界をつくりましょう。人間が人間として生きていくためには、地球上に一発たりとも核兵器を残してはなりません。

私は核兵器が、この世からなくなるのを、見届けなければ安心して死んでいけません。長崎を最後の被爆地とするため。私を最後の被爆者とするため。核兵器廃絶の声を全世界に。

長崎平和公園.jpg ノーモア ヒロシマ!
 ノーモア ナガサキ!
 ノーモア ヒバクシャ!

先月、国連で核兵器禁止条約が採択された時、病床から渾身の力をふりしぼって語られたことが遺言となった。

「今回核兵器禁止条約ができるということは非常に喜ばしいことだと思います。次から次に核兵器が必要だと言って持つ国が増えてきてますから、絶対減らす努力をしなければいけない。残念ながら被爆国の日本政府がこれに賛成していません。

今後は、核兵器を持っていない国が持っている国を包囲し、一日でも早く核兵器をなくす努力をしてもらいたい。そうしなければ一応話が決まっても何も役に立たない。

被爆者が一人もいなくなった時に、どんな形になっていくのか一番怖い。我が子のためにも私たち生き残った被爆者が頑張らなければいけない」。

29日早朝にはまたしても北朝鮮が弾道ミサイルを発射を強行し、今回は日本上空を通過した。日米韓は戦争回避の努力を続けているが、国連決議も全く無視し続ける国ゆえにどうなるのか心配でならない。

ミサイルの避難訓練実施のニュースも報じられ、小学生が机の下で身を屈める映像に胸が痛む。災害の避難訓練ではなくミサイルなのだ。子どもたちはどのように感じているのだろう。

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posted by 優子 at 17:03| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

原爆パネルや戦時中の暮らし −第16回 平和のための香芝戦争展よりB−

今日は長崎に原爆が落とされた日である。
「後世の人々が 生き地獄を体験しないように
生きているうちに何としても
核兵器のない世界を実現したい」。

この想いから被爆者たちが始めた「ヒバクシャ国際署名」。2020年までに世界中で数億人の署名を集めて国連へ届けようとしている。

私と真智は高島屋の前で核兵器廃絶の「ヒバクシャ国際署名」に署名した。どうか一人でも多くの人が署名してくださるように!
「平和のためにあなたにもできること、それは署名です!」
オンライン署名は「ヒバクシャ国際署名」で検索!

5-0.jpg「来て 見て 聞いて 考えよう。戦争の悲惨さと平和の大切さを!」

8月5日(土)〜6日(日)に開催された「平和のために香芝戦争展」では、戦争遺品やヒロシマ・ナガサキの原爆パネル、戦時中の暮らしなどが展示され、戦時食の「すいとん」の試食も提供されていた。

小麦粉をこねた「すいとん(水団)」だが、少し山芋加えたような食感でおいしかった。水でこねると固くなってしまうのでお湯でこねるとよいそうだ。大根と人参が入っていた。

満州・シベリヤ抑留体験も聞きたかったが、私とユキは5日の午後のみ参加した。ここに戦争展の展示物の一部を掲げておきたい。


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大豆を石臼でひき、きな粉を集めている。

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「昔の遊び」コーナーでは「けん玉じょうずやね」と注目されていた!

折り紙コーナーではユキお得意の3枚で折る駒を折っていた。
手裏剣の折り方はユキが教えてあげたので驚いておられた。

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平和を脅かす者はたれぞ!
「憲法は戦争で亡くなられた人々の遺言だ」。
posted by 優子 at 18:59| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年08月08日

「『青い目の人形』の声が聞こえる」 −第16回 平和のための香芝戦争展よりA−

IMG_6947.jpg語り部の鈴木知英子さんは13歳の時に終戦を迎え、戦争の中を生きてこられた。その後47年間戦争体験を語っておられる。
アメリカ人の宣教師シドニー・ギューリック博士が「日米の対立を懸念し、その緊張を文化的にやわらげようと」日米親善のために1927年のひな祭りに合わせて人形を贈ってくださった。

12729体(ウィキペディアによれば12379体)の青い目の人形は船で贈られてきた。受け入れに尽力したのは渋沢栄一で、全府県に配られた。日本からは答礼人形として市松人形を贈った。

ところが戦争が始まり敵国の人形ということから校庭で焼却したり、藁人形に仕立てて突き殺すなどして処分された。

その中に勇気ある人たちにより天井裏や物置、石炭小屋などに隠したものが全国に334体見つかり、奈良県には4体現存している。

奈良県の人形.jpg

人形には全て送った人の名前が記されたパスポートを持たされていたが、(大和)高田市の人形には何もなかった。

当時、現在の香芝市には4校の小学校があり、人形歓迎会をしたという記録が残っているが、その後どうなったかわからない。炭俵の中に隠してもらった五條のパトリちゃんは炭まみれで見つかった。

語り部として行く先々で4歳の子供から大学生までが、「おばちゃん、何で戦争いらんて言わんかったん?」と言われた。(「いらん」というのは「嫌」と言う意味の奈良弁。

戦後に生まれた人たちも「戦争は知らない」と言わないでほしい。それでは無責任であり戦争を知ってほしい。昔々の物語ではない。

私はこれまで「人形を助けた!」と言う人はいても、「私は人形を焼き殺した」と言った人に出会ったことがない。

このタイトルからすぐに思い出すのは童謡「青い目の人形」だが、野口雨情作詞の童謡は1921年に発表されたものだから無関係である。

奈良には空襲は無かったと言われているがあった。一番多かったのは榛原空襲で11名が死んだ。

私は王寺で空襲に遭った。大阪が燃えている火を見て人ごとのように「きれいなあ」と思っていた。そして次の日にえらい目にお(遭)うた。艦載機は軒下へ入って来て撃つ。戦後70年にガンカメラでわかった。

子どもたちに「命は一つやで」と言うと、4年生の子が「リセットできるで」と言った。この子たちに命の大切さを伝えている。

「ミサイルが落ちた人、かわいそうやなあ」など、戦争を人ごとだと思っていてはいけない。語り部もまた、さらけ出さねば真の語り部とは言えない。

言うてないことがある。言えんかったことがある。言いたくなかったことがある。どうしても書けなかったことがある。それは人形を焼いた人の気持ちだ。焼かれた人形の気持ちをどのように表現したらよいかわからないから。しかしそれでもかなり書いている。

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posted by 優子 at 23:41| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年08月05日

ゾウの「エルド」に乗った少年がやってきた! −第16回 平和のための香芝戦争展より@−

夫と知子は会社の方の結婚式のため来られなかったが、私はユキと二人で市の戦争展へ出かけた。今や多くの方が合唱曲『ぞう列車がやってきた』をご存じだろう。

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戦後唯一生き残った東山動物園の2頭の象(エルドとマカニ)については、私も子育て中に『ぞう列車』の歌と共に知ったのであるが、そのエルドに乗った少年のお話が聴けるというので楽しみにしていた。

萩原量吉さん.jpgこれがエルドに乗った少年・萩原量吉さんだ!
まず謙遜な人柄に魅かれた。穏やかにしてメッセージ性溢れる話は私の心深くに届き、子供や孫に伝えねばならないと強く感じた。
戦争が終わったとき5歳だった萩原さんは、大学卒業後高校で化学を教えられ、退職後すぐから平和活動をされている。まもなく77歳になられる。

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これは戦争が終わって4年余り経った1949(昭和24)年、三重県津市高茶屋小学校3年生の時、遠足で国鉄(現JR)に乗って東山動物園へ来た時の写真だ。写真屋さんだった友人のお父さんが遠足に同行されて撮ってくださった。

の中にも10数人の子供は父を亡くしており、「お父さんを亡くした同級生の子らが、どんなに苦労されたか、生活が大変だったことか」と何度も言われた。

「このときゾウは鉄柵(園舎)から出ている。とにかくゾウの背中の上はとても高かった(6〜7m)。背中には硬い毛が生えていて、ズボンを通して痛かったことをよく覚えている」。

「軍部の圧力と戦い、ゾウを命がけで守り抜いた園長の勇気と努力に学んで、2度と戦争を起こさないようにしたい」。

★ 2015年度の世界の軍事費は、1米ドルを100円とすると167兆6000億円。

★ 世界の栄養不良の人は、約7億9500万人。世界人口の9人に1人とも言われており、毎日1万9000人もの子供らが死んでいる。

「ということは4〜5秒間に1人死んでいるというのに、世界の軍事費は1秒あたり530万円と、ものすごいお金が費やされていく。それだけあればどれだけの命を救うことができるか!
こんなに無駄なことをやって人間が殺しあう。戦争とは集団的殺し合いだ」。

★ 戦争ほど儲かる商売はない。「死の商人」の存在。
戦車1台 10億円、自衛隊は1000両保有。戦闘機1機 100億円、1000機を超える。イージス艦1隻 1400億円、6隻あり。

★ 日本の起こした戦争による犠牲者は日本人310万人以上。外国人犠牲者は2076万人以上。

★ 当時の日本の平均寿命は、昭和19年 男47歳、女50歳。
昭和20年 男29歳、女38歳。(何ということ!)

★ 日本軍は住民を守らず集団自決を命令誘導し、沖縄戦の死者は沖縄県民 15万人。日本兵 7万3000人、半数以上が餓死者。

「今やいつか来た道への逆もどり、歴史の逆行をゆるしてはならない。私たちは知らず知らずのうちに追い込まれ、徐々に仕組まれていっている。どんな戦争準備も芽のうちにつみとらねばならない」。

三重県は8月末に、内閣官房、消防庁、三重県、津市の主催で、「X国から弾道ミサイルが発射され、我が国に飛来する可能性があると判明」という想定で訓練される。

「ミサイルを避けると言うが何処へ逃げよというのか。
堅固な建物に逃げよ?! 風上に逃げよ?!
地球上にある核の5%を使えば(聴きまちがいかもしれない)、地球上に死の灰の壁ができるので紫外線が通らなくなる」。

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「未来を作っていく子供たちが『戦争を二度としたらあかん』という思いが広がっていけばいい。
私は戦争を体験した最後ぐらいの世代だと思う。憲法は戦争で亡くなられた多くの人々の遺言であり、世代を超えて平和の大切さを伝えていきたい」。

エルドに乗った少年・萩原量吉さんと出会ったユキよ、成長と共にその意味を深めていきながら萩原さんのバトンを受け継ぐ一人になってほしい。

私や萩原さんが居なくなった時、ユキが平和の尊さを語り続ける一人であってほしい。私も意識を高められて私のできること、書いて訴え続けていきたいと思う。


このあと、1927年に日米親善のためにアメリカ合衆国から日本に贈られた12729体の「青い目の人形」が辿った戦争の悲惨と、今も全国で現存する300体のうち、奈良県に4体の存在を確認した鈴木知英子さんの話をお聴きした。

明日にでもお分かちしたいと思うが、昨日次女夫婦は無事母国の地を踏み、明日夕方帰宅する。再びD.C.に向かって家を出る15日早朝までの8日間は二人との時を第一にしながらも書きたいと思う。


附記:昨日はペン友・N兄が出展された「50000人の写真展 2017」の大阪会場となっているグランフロント大阪にユキと出かけ、3人で昼食を摂りながら良き時を過ごした。
posted by 優子 at 23:46| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年07月20日

証し人・日野原重明さんの生涯

IMG_6580.jpg「彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく」。
(ヨハネ黙示録
     14章13節)

7月18日、日野原重明さんがとうとう神のみもとに帰られた。105歳だった。
日本の医学界に多大なる貢献され、全ての領域に計り知れぬ影響を及ぼされたご生涯であった。

メディアでは日野原さんが生涯現役であったことや、延命や緩和医療について、またいかにして長寿にあやかるかなどの視点で取り上げられているばかりで、日野原さんを生かした根幹に全く触れていないのは残念だ。

ただ立派な人物だったと言うだけではなく、何がそのような生き方を可能にさせたのかという内実を知りたいというアプローチがない。そこに私は人間の本質に目を向けない日本人の在り方が如実に表れていると感じる。

視線をそらすというのではなく、関心がないから気づいていないのか。いや、気づいているからこそ無意識の内に本能的にそらしてしまうのか。
日野原さんはクリスチャンの両親(父は牧師)に育てられ、父の影響を受けて7歳で洗礼を受けた。

私が日野原さんの本を初めて読んだのは1988年4月(『人生の四季に生きる』)、今から29年前、36歳の時だった。

30代と言えば地に足つけて社会的な経験も重ねながら人格形成が完了される年代である。私はなかなか実践が伴わない者であるが、考え方において大きな影響を与えられた一人である。

以来、日野原さんの本も数多く読みながら、自らの老年期を待たずして神さまが「老い」と「死」について考え始めさせてくださったことを感謝してい

そのことは即ち、それまで以上に真剣に人生の意味を考え始めたということであり、クリスチャンの生涯に入れられてまもなくの時であり、一字一句すべて精神の髄にまで浸透していった。

それでもやはり30〜40代の頃は、テレビでそれらの特集を観ていてもまだまだ先のことと思っていたことが、今になってよくわかる。

そのうち母が難病を負い、弱って行く母を看ながら母の死について考えるようになり、母の「より良き死」を願って多くの書物を読み漁った時期でもあった。続いて病床についた父のためにも。

自分の精いっぱいのことをしたが、母と父の死はどんなに大きな悲嘆と喪失感を与えたか。そしてその悲しみを通して(悲しみのあとに)神と人間的な出会いを得た。

63歳を過ぎた頃から体力の衰えを感じ、65歳になってからはより衰えを感じるようになった。老いとは全てを略奪されていくのだというのも予想がつくようになった。死は最後の闘いなのだ。

正直のところ体力を失って来た頃からそういったテーマには目をそらしている自分がいた。しかしこのたびは逃げずに観ていたが、間違いなく自らの死を思いながら観ていた。

最愛の両親のことでさえ「死」は人ごとだったのかもしれない。それでも間違いなくあの時の学びや経験は、自らの本番にいたる過程で役立つと思っている。

キリスト信仰にとって教義や神学も大切であるが、それらに傾倒するのではなく、神との密なる出会い、神との親しい交わりの経験こそが決定的に大切なことであるとしみじみ思うようになった

信仰を与えられていても人間は弱い。実に弱い。最期まで強くなることはない。しかし、それを恥じるのは傲慢でさえある。なぜならば自分の弱さを認めることができるからこそ神との出会いを可能にし、苦悩する魂をイエスご自身に接ぎ木されたのであるから。

それでも体調がすぐれない時や、悩みに激しく悶えるときは意欲や気力が落ち、その時は自己嫌悪し最も辛い耐え難い苦痛である。しかしそれこそが生きるということなのだ。

自らの弱さを認め、それでもなおひたすら虚心(素直な心)を求めることこそが真の信仰であり、それはどんな時も神の恩寵を信頼し感謝して生きているという証しにほかならない

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日野原さんが多大なる影響を受けたウィリアム・オスラーの『平静の心』は1997年1月に購入し、私はオスラーから人間学を学んだ。

「必ずしも祝福が得られるとは限らない。敗北に終わる闘いもあり、諸君の中にはそのような苦しい闘いに耐えねばならない者も出るだろう。その時までに、不幸にめげない明るい平静の心(cheerful equanimity)を身につけておくことが望ましい」。

拙文「医師よ 驕るなかれ」(1993年4月、41歳)は、オスラーやトゥルニエに感銘した発露である。http://yukochappy.seesaa.net/article/16086310.html

IMG_6555.jpg梅雨明けした昨日、直射日光に耐える朝顔。
あまりにも美しい。








IMG_6565.jpgそして、13時頃に力尽きた。




「草は枯れ、花はしぼむ。
しかし、われわれの神の言葉は
とこしえに変ることはない」。
    (イザヤ書40章8節)

日野原重明さんが蒔かれた数え切れない種は、これから芽を出して実を結んでいくことであろう。


附記:軽い熱中症か、16日からしんどくて寝込んでいた。夜は涼しくて扇風機もいらず今朝は肌寒かったほど。昼も夜も眠ってばかりいた。

posted by 優子 at 16:47| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年07月13日

国連事務次長の中満 泉さんは谷口家の家庭集会でご一緒だった、あの中満さんだった!

IMG_6367.jpgニューヨーク時間7月7日午前、核兵器の使用や保有を禁ずる核兵器禁止条約が国連交渉会議で採択されたことを、8日のニュースで注目していた。日本政府は5核保有国と共にボイコットしたことも。

最近ではすっかり『クローズアップ現代』を観なくなっていたのだが、昨夜お風呂上りにたまたまつけたテレビ画面に、日本人女性初の国際連合事務次長の中満泉さんインタビューが始まり、興味深く観ていた。

しばらくして「『中満』とは珍しい名前、聞き覚えがある。泉さんという名前も。お母さんと顔もよく似ておられる」と、井置牧師の時と同じく居ても経ってもいられなくなって、番組が半分過ぎた頃に2階にいる夫に尋ねたが全く記憶していなかった。

しかし、あの、中満さんに間違いない
谷口先生の家庭集会でご一緒だった中満さんに違いない!

中満泉さん.jpg私は電話は緊張するので大の苦手だが、そんなこと言っておられない。今すぐにでも谷口先生にお電話したかったが夜も遅いし、今朝9時になるのを待ってお電話した。

やっぱり、そうだった!

今から25年から30年ほども前のことになる。知子と真智子が小学生だった頃だ。泉さんは知子より14〜5歳年上の方だった。

泉さん自身は家庭集会に来られたことはないが、いつも目の見えない90歳になるおばあさまとお母さま、そして妹のMさんと御一緒だった。

1990年代の頃は内戦していた「ボスニア・ヘルツェゴビナに行っていますので祈ってやってください」とお母さまが話されて、共によく祈っていた。
おばあさまも実に気品のある方で、目が見えないということから、私はいつも『アルプスの少女ハイジ』に出て来るペーターのおばあさんと重なってしかたがなかった。

泉さんは少なくとも3代目のクリスチャンである。今は関東に住んでおられる中満さんは、今「泉のこと、祈ってやってください」と谷口先生とのお交わりが続いている。

谷口先生は泉さんのことをこのように言われた。
「神さまの憐みと導きがなければあのようなことはできませんよ。神さまはすごいねえ」。

本当にその通りだ。
神はそれぞれに与えたもうた賜物を、自ら磨きつつ励む者に働かれて用いられるのである。

「あなたが自分の力で成し遂げるようにと求められるものは、何もないことを覚えてください。
どんな小さなものでも、またどれほど大きなものであっても」。

私もまた、昨夜のテレビを観たということ、そして今朝、10年ぶりに谷口家の家庭集会で養われていた信仰をありありと思い出させてくださったこと。それもまた神さまである。神さまのご意思を感じないではいられない。

そう、いつも私が希望を見失いそうになっている危機的情況の時に、今にも崖っぷちから落ちそうになっている最悪な時に、主はこうして私にもわかるように示し立ち上がらせてくださる。

「優子、優子、しっかりしなさい。わたし(イエス・キリスト)だ」と。そして、「何事も一生懸命な優子さんのこと」、谷口先生が仰ったように「神さまはおまえが必要なんだ」と。

泉さんのお子達は毎年夏休みになると(アメリカだから5月頃から?)日本の中学校に留学しておられたとか。だから昨夜のテレビでも、「めっちゃ」とか「〜じゃん」(「じゃん」は関東弁?)という現代日本語も話しておられたんだと微笑ましく納得した。

そして8月に広島と長崎を訪問されるというから、お母さまも娘との再会を楽しみにしておられることだろう。

私は今朝のテレビでトランプ氏親子の発する動画を見て、もはや言葉を失ったあとだっただけに、中満さんのことがわかり、こんな世界であっても神さまは最善を尽くしてくださっていることを伝えて励ましてくださったのである。

失望してはならない。いつも祈るのだ。熱心に祈るのだ。私にとって最善である神さまの時に、必ず与えてくださることを忘れてはならない。私が望んでいた以上のものを!

「わたしたちは、さらに彼(主イエス・キリスト)により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。
それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。
そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである」。
            (ローマ人への手紙 5章2節〜5節)

数日前の記事に「私の信仰の母T姉」と書いたのは谷口先生のことである。
今週からクマゼミが鳴き出し、昨日から朝顔が咲いた。チャッピーのいない2度目の夏である。

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posted by 優子 at 11:24| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年06月15日

民主主義の崩壊、昔に戻された悪法

国会周辺で夜を徹して抗議の声が上げてくださっていた方々に申し訳ないと思いつつも、昨夜は午前0時過ぎに眠りについた。今朝目が覚めた時、「法案」は「法」になっていた。

彼らは議会制民主主義をことごとく否定し、急きょ本会議で採決を図って成立させた。その採決のされ方、世論の作り方も全て治安維持法と全く同じであると専門家たちが語っていた。

民主主義の崩壊、5〜6年前までまさか本当に昔の時代に戻されてしまうとは思わなかった。そんな昨日、安倍首相の姿勢を批判している石破茂氏が外国特派員協会で会見していた。


「仮に総裁のお考えや総裁の立ち居振る舞いが国民の共感を得てない部分があるとするならば、『ここは改めたほうがいいですよ』と言う勇気を我々は持たなければならない。

私は今まで時の総理・総裁3人に向かって『やめてください』といいましたが、まだ生きています。誰も命まで取るとは言わんでしょう。それが議員のインディペンデントな姿勢というものだと思います」。
 

加計学園の獣医学部新設めぐる問題でも、前川喜平・前文科事務次官の発言を「意義がある」など、政権を戒める趣旨の発言をしている。

「表現の自由」に対する認識については、「国連特別報告者のレポートを正確に読んでおりません」とした上で、「表現の自由は最大限認められるべきものだ」と明言し、以下のように語った。

(国連特別報告者に)事実誤認があると(政府が主張)するならば、どこがどう事実誤認なのか、国際社会に向かって説明する責務があろうかと思う。日本国の言論の自由、表現の自由に対して疑問が提起されているわけだから、それに対して世界を納得させる責務が政府にはある。

「表現の自由」は最大限認められるべきものだと思います。新聞でも週刊誌でもテレビでも、私のことについて論評されて非常に悲しい思いをすることはしばしばでありますが、それは甘受すべきものであり、それが嫌なら政治家なんかやらないほうが良いということでしょう。

▼報道と権力が一体となることが一番恐ろしいということは、報道の皆様はよくご認識のことだと思う。

▼表現の自由を守っていくことが健全な民主主義のために必要。報道が本当に権力と一体のものとなっていないか、常に自浄自戒を。


次回の自民党総裁選に出馬するか。

▼自分がそれにふさわしいと、自分で納得をしなければ、出てはいけないものだと思っています。自民党はいろいろな考え方を持つ人たちがいる政党、考え方が一つだけというのは自民党ではありません。

経済政策において、社会保障政策において、あるいは安全保障政策について、違う考え方を持っているとするならば、私であれ誰であれ出るべきものだと思います。それが自民党のためというより日本国のためだと思います。

もっともっと声を大きくしてメディアで語ってほしかった。
義憤を感じている官僚や自民党員を奮起させるような働きをしてほしかった。一人ひとりは弱くとも一丸となれば国民も注目し、ジャーナリストも力を得て初心を思い起こして状況は変わったであろう。
今からでもその働きをしてほしい。

見ゆるところは不可能であっても見ゆるところによらず、なお諦めないで励まし合って戦い続けなければならない。
附記:今朝の御言葉(キリストの栄光教会)より一部抜粋
「彼らの目の前には、神に対する恐れがない」。
      (ロマ書3章18節)
神に対する恐れがなければ、人はしてはならないことを平気でするようになります。神の領域に踏み込み、取り返しのつかないこともします。

posted by 優子 at 17:08| 社会的なこと | 更新情報をチェックする