2018年10月10日

360度パノラマの明神山とダリア園

10月8日(月・体育の日)午後、ユキは前日に続いて午前のサッカー教室のあとお友だちと遊ぶ約束をしていたので、私たち夫婦だけで明神山(是非ここもご覧ください)へ出かけた。片道2キロ弱ならば大丈夫だろう。私は初めてだが夫は3〜4回目らしい。

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歩き始めた早々に「まむしに注意!」(絵が怖いので不掲載)の看板に始まり、イノシシや毒キノコの注意書きが目についた。

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道なりに登る山頂への道。
200メートルごとに道しるべが立っているのが嬉しい。

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あと200、もうすぐだ!

そして頂上に到着!
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眼下に見えるのは王寺町。
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あっ、JR大和路快速が行く!
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標高273.7mの明神山は、かつて十国を見渡せる「十国国見台」と呼ばれていたとおり、360度のパノラマだった。

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手前から、二上山(雄岳)、金剛山、葛城山。
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大和三山
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右から、畝傍山、香久山、耳成山。
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                      右上に明石海峡
この日は霞んでいたが明石海峡大橋が見えた。
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明神山は毎年5月に開催される自治会のハイキングコースになっており、ユキもおじいさんと行ったことがある。軽食を持って3時間余りで帰って来る。晴れていれば明石海峡やあべのハルカスも鮮明に見えると、何度か一人でも来ている夫が言った。

この日は全く別の地点から登ったので、コンクリート道ゆえに股関節が痛くなったが、細い山道をかき分けていく自治会主催のハイキングに来春は是非参加したいと思った。

それだけではなく、今からでも体を鍛えてやっぱり一度は二上山に登ってみたい。せっかくこの地に引っ越してきたのだから、私もチャッピーと一緒に登ろうと思っていたのに、チャッピーはとっくに老いを経て死んでしまった。もう3年も前に。ユキは12日の遠足で二上山に登る。

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馬見丘陵公園(広陵町)の周囲は古墳がいっぱい。

IMG_2791.jpg明神山の帰りに馬見丘陵公園のダリア園に寄った。2年前に続いて今回も夕方に行ったので、ゆっくり観ていると日が暮れてしまう。後半はあわただしく写真を撮るのに必死だった。

丘陵公園には120品種、1000株のダリアが植えられている。今年は連日の猛暑と台風の影響で花が少ないそうだが、それでもたくさんのダリアが咲き始めていた。
カメラには50品種ほど収めたが、その中から27種29枚を記録した。一番好きな花はどれだろうと何度見直しても順位はつけられない。

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ダリア園に続いて急いでコスモス畑へ!

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サルビア・レウカンサ


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まだ6分咲き。はや花びらを閉じ始めていた花もあった。

IMG_2723.jpgこれは10月2日(?)、夜8時40分頃。コスモスは夜に花びらを閉じるかどうか、ユキと確かめたところだった。



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夕方5時50分、1分1分暗くなっていく。

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6時10分、夕暮れの二上山(雄岳)。
帰りにパン屋さんへ寄って帰宅した。
その5分後にユキも帰って来た。「遅いよ、ユキ!」


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2018年09月29日

再び大型台風接近中

IMG_2493.jpgまたしても最強クラスの台風24号が襲来。
今日予定されていた孫の運動会は10月2日(火)に延期になり、1日(月)は代休で、今日は半日授業があった。
この写真は台風襲来当日の9月30日朝の状況です。
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過日の自治会役員会で聞いたところによれば、先の台風21号の最中に市の農政管理土木課の職員が見回りをしてくださっていたという。強風が通り過ぎ、自治会長も見回りに出てくださり、雨の中倒れた庭の木を起こそうとしておられるのを手伝われたそうだ。

IMG_0453.jpg当地は大した被害はなかったが、大阪では大きな被害が出た。これはお盆休み中の閑散とした御堂筋。
台風21号では1400本の電信柱が倒れ、大阪城公園を初め、御堂筋のイチョウの木は40本も倒れたという。サントリー社がイチョウの木を植樹してくれると近隣の人から聞いた。

わが家は義母宅の屋根瓦が飛んで、玄関屋根(庇:ひさし)の瓦が割れて庭にも散乱した。私宅は雨戸がないので窓ガラスに飛んでこないか心配でならない。親の経済管理者である義妹に写真ともに伝えたが対処してもらえず、今も放置したままになっている。近隣への安全にも関わることだけに放ってはおけないと思うのだが。

今や地球規模で大災害の時代になった。台風はもとより大雨で甚大な被害が多発し、心が沈む。どうか人命が失われないように、どうか最少の被害でありますように祈らずにはいられない。

9-28-4.jpg昨日は暑く嘘のような晴天だった。
鳥たちはのんびりさえずり、まもなく台風が来るとは知る由もない鳥たちに教えてやりたかった。
「台風が来るから早く巣へお帰り!
自動車がひっくり返るほどの強風よ!
地に打ち付けられて死んでしまうから
安全なところでジッとしてるのよ!」と。

まもなく嵐が来る。
人生の嵐は殆どが前もってわからないが、事前にわかるのもストレスフルだ。備えはできるけれど完全にはできないし、予測がつかない。

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近畿地方への最接近は
明日(30日)の夕方から夜遅くにかけてだそうだ。

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一昨日から金木犀の香りが漂い始め、
今年もシュウメイギクが咲き始めた。
全ての人の無事を祈りつつ嵐が過ぎ去るのを待とう。
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2018年09月24日

みことばの花束E

「人はただ息に似て、その日々は過ぎ去る影のようです」。(詩篇144篇4節)
未来は、思い煩うためにではなく、夢見るためにあります。しかし、今日という日は、夢見て過ごすためにではなく、夢を実現すべく行動するためにあります。「光陰、矢の如し」です。ゆえに、今日なすべきことは、今日のうちになし終えるべきです。永遠のいのちに生きる者こそ、今日の一日をいとおしみ、大事を先延ばしにはしません。

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「主は御霊(みたま)です。そして、主の御霊のあるところには自由があります」。(第2コリント2章17節)
御霊による自由を味わっておられますか。無意味な思い煩いに縛られていませんか。世の空気に支配されていませんか。損得勘定に動かされていませんか。妬みや怒りで感情的になっていませんか。心が狭くなっていませんか。御霊はこれらすべての縛りから解放してくださいます。不毛な議論や争いに時間を浪費しません。

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「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです」。(第2コリント3章18節)
私たちは聖霊によって磨かれ、曇りなき鏡となります。苦難は研磨剤です。年ともに成長する人は、若い時ではなく、老齢期にこそ人生のピークを迎えます。「白髪は光栄の冠」(箴言16:31)です。

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「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます」。(詩篇139篇1・2節)
主に知られていることは、平安ですか、恐れですか。どちらであっても正常です。主を意識しているからです。どちらでもないのは異常です。主を無視し、無感覚になっているからです。それでは心が腐ります。快復の道はただ一つ、主に立ち返ることです。

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「あなたは前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました」。(詩篇135篇5節)
私たちは恐れや不安にあおられて、行動しがちです。そんなときは、主に囲まれ、御手を頭の上に置かれている自分を想像してみてください。私たちは現在も将来も守られているのです。どんな境遇にも対処できるという確信が生まれます。「私を強くして下さる方によって、どんなことでもできる」という信仰が湧いてきます。

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「私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう」。(詩篇139篇7節)
主に背を向け、逃れようとしても、主はあなたを追いかけてきます。怒りや悲しみや失望に駆られて、闇に入り込んではなりません。自己破壊的です。どうせそこから出てくることになります。時間の浪費です。神の「右の手」を煩わせるだけです。私たちの隠れ家、砦は主以外にないのです。
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「あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに」。(詩篇139篇16節)
私たちは、自分の始まりと終わりを知っています。全能の主によって創造され、やがて新しい天と地で主と共に暮らします。それを知っていれば、その間のことは何があろうと平安です。主が愛をもって、私たちの全てを最善に定めておられるからです。

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「私は知っています。主は悩む者の訴えを支持し、貧しい者に、さばきを行われることを。まことに、正しい者はあなたの御名に感謝し、直ぐな人はあなたの御前に住むでしょう」。(詩篇140篇12節)
人の苦悩の多くは、我欲を捨てさえすれば消えてしまいます。しかし、正しく誠実に生きようとするがゆえの苦悩はあります。苦しくても、真っ直ぐな生き方を放棄してはなりません。苦悩が主への感謝に変わる日が来ます。

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「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです」。(第一コリント1章4節)
苦難が始まるところ、同時に喜びも芽生えています。苦しみが極まれば、主の慰めも極まります。その慰めは苦しむ人たちの共有財産なのです。苦しみに耐えた者たちだけが味わえる、神の国の喜びです。

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「私たちがこの世の中で、特にあなたがたに対して、聖さと神から来る誠実さとをもって、人間的な知恵によらず、神の恵みによって行動していることは、私たちの良心の証しするところであって、これこそ私たちの誇りです」。(第一コリント1章12節)
この世と一線を画して聖さを保っていますか。小事に誠実ですか。神の恵みに信頼して行動していますか。人間の知恵に頼ることは愚かです。神の愚かさは人間の賢さに勝ります。

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「あなたがたは、むしろ、その人を赦し、慰めてあげなさい。そうしないと、その人はあまりにも深い悲しみに押しつぶされてしまうかもしれません。そこで私は、その人に対する愛を確認することを、あなたがたに勧めます」。(第一コリント2章7・8節)
義のない愛は人を堕落させますが、愛のない義は人を潰します。赦すつもりがないなら、人の罪を指摘してはなりません。愛で忠告しても、反発されます。それを受け止めるのが愛です。

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「これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません」。(第一コリント2章11節)
人を裁くのは、サタンに欺かれているからです。人を責める理由を数え上げるのは、サタンの策略にはまっているのです。いつまでも憤りを抱いていれば、サタンに心を支配されます。恨みは早めに放棄しましょう。まといつくサタンの手管を一つ一つ、即座に断ち切って、祝福を取り戻すのです。

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「私の主、神よ。まことに、私の目はあなたに向いています。私はあなたに身を避けます。私を放り出さないでください」。(詩篇141篇8節)
あなたの目が主に向いていれば大丈夫です。主の眼差しはいつもあなたに注がれています。岩なる主に身を避ければ大丈夫です。あなたの腕は主の手に握られています。あわてず信頼することです。ホレブの洞穴で主の微かな細い声を聞いたエリヤのように、静まることです。

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ジンジャーの花

「私のたましいを、牢獄から連れ出し、私があなたの御名に感謝するようにしてください。正しい者たちが私の回りに集まることでしょう。あなたが私に良くしてくださるからです」。(詩篇142篇7節)
ダビデはサウル王に命狙われ、国中を逃げ回ります。まるで国全体が牢獄のようでした。それでも主の目に正しい道を歩みます。正しい者を集めるためです。主の時が来れば、すべてが変わると信じるからです。

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「朝にあなたの恵みを聞かせてください。私はあなたに信頼していますから。私に行くべき道を知らせてください。私のたましいはあなたを仰いでいますから」。(詩篇143篇8節)
恵みは水源、信仰は水路、行いは肥沃な田んぼで、豊かに実ります。何事も恵みから始まります。恵みは枯渇しません。朝ごとに新しい恵みが流れ出て、たましいは潤います。恵みを求めないまま、無造作に一日を始めてはなりません。
(キリストの栄光教会より引用)
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posted by 優子 at 12:34| 随想 | 更新情報をチェックする

2018年09月19日

秋の飛鳥(明日香)へ

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昨日の最高気温は30度、今日も強い陽ざしで29.4度まで上がったが蒸し暑さはなかった。昨日急きょNさんに誘われて今年2度目の明日香(飛鳥)へドライブに出かけた。

今朝は義母がディサービスの日だったので大忙しだったが、Nさんも大変。互いに介助疲れを癒すべく、時間が許される日にヒガンバナを目当てに出発した。

春に続いて秋の飛鳥に誘い出してくださったNさん。
明日香村に入ると元気にサイクリングしている中学生、棚田には遠足に来た小学生が列をなして歩いていた。中高年の人たちもたくさんいたが、子どもたちの姿は自然界の美しさをいっそう輝かせていた。

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今年は四季の訪れが早い。
半分はまだ蕾、それでもこんなに鮮やかな秋の色!

昨秋は18日に夫と孫の3人で明日香へ来たが、
あの時よりも見事に咲いていた!
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Nさんに興味深い話をしてもらった。
「昔は米をたくさん収穫できなかったから、ヒガンバナの根をドングリの実のように何度もアクを抜いて食べていたので、畦道にヒガンバナを植えたのよね。古代から人のいる所にはヒガンバナが咲いていた」。

そういえば古代米の田んぼにも案内してもらった。
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稲穂は少し黒っぽく黄金色ではない。
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後ろに見える建物が橘(たちばな)寺だ。

5時間外出して帰宅。
自宅近くの公園にはまだ夏が残っていた。
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夏が往くのはさみしい。
あんなに暑い夏だったけれど・・・

美しいサルスベリの花。
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そして、その近くにはヒガンバナも咲いていた。
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私が知らなさすぎるのだろうけれど、
Nさんは何でもよく知っている。
これは初めて見たお茶の花!!!
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明日香へ行く前に立ち寄ったまほろばキッチンの売り場にあった。
ここで新鮮な野菜や果物を買ってから明日香へ向かった。
Nさん、楽しい一日をありがとう!

posted by 優子 at 22:27| 随想 | 更新情報をチェックする

2018年08月24日

みことばの花束D

8-24-1.jpg「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る」。(詩篇126篇5・6節)

私たちは、幸せであろうがなかろうが、いのちの種を蒔き続けます。悲しくても辛くても、種を蒔きます。それを怠っているなら、将来に喜びは期待できません。しかし、蒔けば収穫の喜びが待っています。主は私たちの労苦を虚しく終わらせられません。

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「彼らは私の若いころからひどく私を苦しめた。彼らは私に勝てなかった」。(詩篇129篇2節)

私たちはキリストによって、圧倒的勝利者です。苦難の中で打ちのめされることがあっても、敗北を認める必要はありません。私たちは病や貧困や悪意に苦しめられていても、主に仕えることはできるし、主の栄光を現すこともできます。それゆえ、主を見上げて、「どんな苦しみも、私に勝てない」と宣言するのです。

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「神の恵みによって、私は今の私になりました. そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました」。(第一コリント15章10節)

以前は教会を迫害していたパウロが、神の恵みで福音伝道者に変えられ、「今の私」になりました。恵みを無駄にしなければ、私たちも「今の私になりました」と言える日が来ます。愚痴らず、恵みへの喜びと感謝で働くなら、その日が早まります。

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「すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです」。(第一コリント15章22節)

アダム以来、人はいのちの源である神から切り離された状態、つまり死の状態で生まれます。それが霊的死です。しかし、キリストを信じた者は神とのつながりを回復します。それが永遠のいのちです。そのつながりを切り離せるものは、何一つありません。それがキリストにある平安です。

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「友だちが悪ければ、良い習慣がそこなわれます。目をさまして、正しい生活を送り、罪をやめなさい」。(第一コリント15章33・34節)

世と調子を合わせ、信仰を譲歩させてはなりません。ひとたび譲れば、御言葉を学ぶ、祈る、礼拝するという良き習慣が崩れていきます。自分は大丈夫と思う高慢が落とし穴になります。少なくともひとりは聖霊に満たされた人を友にしましょう。聖霊は私たちの心に働いて、悪い習慣を断ち切ります。

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「最後の敵である死も滅ぼされます」。(第一コリント15章26節)

死ねば全て終わりなら、「明日は死ぬのだ。さあ、飲み食いしようではないか」(32)となります。しかし、死が滅ぼされるのなら、主を信じる私たちは永遠に生きます。ならば当然、永遠という視点で物事の価値や意味を判断し、行動するでしょう。刹那的な生き方はしないし、一時的なことに人生を懸けることもしません。この視点で、自分の人生を見直しませんか。

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「主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません」。(詩篇131篇1節)

高慢な人は大言壮語したり、無謀なプロジェクトに関わったり、思いつきで事を始めたりします。しかし、謙虚な人は、主の計画かどうか見極め、慎重に参加し、自分の分に応じた活動をします。その結果、主の力によって、自分の能力を越えた働きを成し遂げてしまうのです。

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「愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます」。(第一コリント13章8節)

愛に終わりはありません。報いられずとも愛するのが愛です。途中で終わった愛は、最初から愛ではなかったのです。多くの賜物を受けても年とともに衰え、どんなに知識を蓄えても死とともに消えます。ただ、賜物や知識を用いて愛を表すなら、その価値は愛とともに残ります。

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「聖所に向かってあなたがたの手を上げ、主をほめたたえよ」。(詩篇134篇2節)

主の御前で自分の理屈を説明するだけでは、祈りも賛美にもなりません。主に向かって両手を上げれば、自ずから賛美が始まります。主をほめたたえることから、主の恵みがあふれ出します。心の濁りが消え、喜びが湧き出します。心の中の繰り言は何も生みだしません。心を一新したいなら、まず主に向かって手を上げましょう。

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「まことに、主はヤコブを選び、ご自分のものとされ、イスラエルを選んで、ご自分の宝とされた」。(詩篇135篇4節)

私たちも生まれる前からキリストにあって選ばれ、主の宝とされています。ひとたび選ばれれば、永遠に主の宝です。自分は主の宝であると自覚していますか。しているなら、どんなに惨めな体験をしても、けっして自分を石ころのように扱いません。主の宝である身分に踏みとどまり続けます。

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「主は私たちが卑しめられたとき、私たちを御心に留められた。その恵みはとこしえまで」。(詩篇136篇23節)

過去の悲しみや怒りをわざわざ思い出してはなりません。今の苦しみもやがて過ぎ去ります。将来の不安を先取りして、思い煩うのも止めましょう。むしろ主から受けた憐れみを思い出し、今の恵みを数え、将来の祝福を楽しみにしましょう。未来に受ける恵みをこそ先取りして、今を喜び楽しむのです。

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「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか」。(第一コリント15章55節)

「最後の敵」(26)である死への勝利宣言です。死そのものが滅んだのです。私たちはもはや死の力に支配されていません。ですから、死んだら終わりであるかのような生き方をしません。たとえどんな死に方をしても、永遠に生きるという約束は変わりません。日々の労苦や忍耐、成功にも失敗にも、永遠の意味を見出します。
(キリストの栄光教会より引用)

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2018年08月15日

神を知る者の安心感 −星野富弘さんのメッセージ− 

今日は一つ
悲しいことがあった
今日もまた一つ
うれしいことがあった

笑ったり泣いたり
望んだり あきらめたり
にくんだり 愛したり

そしてこれらの一つ一つを
柔らかく包んでくれた
数え切れないほど沢山の
平凡なことがあった

笑ったり、泣いたり、望んだり、あきらめたりということは、ずっとそういうことがなくなるということではない。そういうことは私は信仰を持つ前も、持った後も、それほど変わらないと思います。

ただ幸いなことに体が動かないということで、人を殴ったり、そういうことは出来なくなりましたが、気持の面では、時には殴りたいような時もあります。おそらく動いていたら、手を振り上げていただろうなあという時もあります。

でもそういった色々揺れ動く、時には神様を疑って見るような、そんな気持になる時もあります。でもそれも何か神様がニコッと笑いながら見ていて下さるような、そんな安心感があるんですね。

それで今の詩で最後に「平凡なことがあった」と書いていますが、やはり私は神様を受け入れたというところで、何というか平凡なことを発見したということと、何かとても繋がるんですね。

私は平凡になる、なったもの、それは長い間、人間の生活、人間が工夫したり、したものが、時間をかけて角が取れて、誰でも受け入れられる。何とも思わなく、受け入れられるようになったもの、そういうものの極致の姿ではないかなあと思っています

IMG_1811.jpgそれは人間だけではなくて、この自然の風景、それから私がごく普通のそこらにある花をたくさん描いているんですが、そういうものに目を向けられるようになったというのも、つい見過ごし勝ちな平凡な普通の花を、花もよく見て見ると、凄く精気に出来ていて細かいところまで綺麗に神様の手が行き届いているなあというふうに感じるんですね。

あおむけに寝たままで
次から次へと人の悪くちをいった
右眼の隅で桃の花が
笑いながら咲いていた

美しい花をいつも描いていますけど、何と言いますかね、美しいものだけに目がいかないんですね。やはり神様に生かされているという、その生活というか、いつも神様が見ていて下さるという、そういうことを知っていますから、自分がどんなに罪深いというか、醜い心を持った人間であるかというのは、みんな見られているわけです

もちろんやることは人に見られる、人が感じているところは、何かいい生活というか、とても清い生活をしているんじゃないかというような、それは人にはそういうところを見せますが、でもやはり見えない部分というか、心の中まで覗かれた時には、決してそれは人に見せられるというか、誇れるような生活はしていません。

ですから美しい花を見た時にも、その花の根っ子のほうですね。それもどうしても見つめないわけにはいきません。

IMG_1664.jpg美しい花を持っている、その同じ茎にいつも土に隠れた、そしてそこから生えている枝や葉っぱは必ずいつも花のようには美しくないんです。
虫が食ったり、枯れていたり、萎れていたり、どうしてもそういう虫の食った部分まで目がいってしまうというのは、やはり花を描きながら、自分自身を描いているような、描きたいと思う、そういう部分に自分自身を、何というか、描きたい。

そんな思いで虫の食ったところとか、枯れた葉っぱとか、描かざるを得ないんですね。描きたいというよりも、描かざるを得ません。ですからこれは一枚の小さな紙に描かれた絵ですが、花を描いた花と詩に、いつも自分自身を描いているような気持ちです


IMG_1813.jpgキリストが私の苦しみと絶望を負ってくださっているとの信仰の深まりを認識するようになります。これは人間関係でも、「あなたの苦しみを知っているよ」という、シェア(share:分かち合う)するだけで人間は楽になるものです。それにも共通するわけですけど。

posted by 優子 at 19:27| 随想 | 更新情報をチェックする

2018年08月05日

みことばの花束C

「苦しみに会ったことは、私にとって幸せでした。私はそれであなたの掟を学びました」。(詩篇119篇71節)

いま恵まれた環境にいるなら、その良い条件を最大限に生かすべきです。怠惰に過ごせば、最良の時はすぐに過ぎ去ります。いま逆境にいるなら、新たな信仰の世界を開くべき時です。苦境から安易に逃げず、主に信頼するなら、苦しみが祝福を残します。いずれの場合も、主は幸いを用意されています。

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「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」。(詩篇119篇105節)

恐れは心を闇で閉ざします。闇で将来が見えなくなっても、不安に動かされてはなりません。不安で動けば道を踏み外します。主が「今日の一歩」を照らし出してくださいます。その一歩を確実に踏み出せばいいのです。そうすれば、「明日の三歩」「明後日の五歩」が照らされます。主の教えにとどまれば、迷い出ることはありません。

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「私は、滅びる羊のように、迷い出ました。どうかあなたのしもべを捜し求めてください。私はあなたの仰せを忘れません」。(詩篇119篇176節)

迷い出た羊が助かる方法は、野獣の餌食となる前に、羊飼いに見つけてもらうことです。そのためには、鳴いて居場所を知らせなければなりません。羊は近眼で遠くが見えず、自力で助かろうとすれば、かえって迷い込むだけです。主に向かって叫び続けるほかないのです。

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「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です」。(第一コリント13章13節)

あなたから、能力や健康や地位や家族や財産が取り去られたら、何が残りますか。もし怒り、絶望、憎しみしか残らないとしたら、悲しいことです。でも、クリスチャンには、信仰と希望と愛が残ります。すべてを失くしても、愛はあなたを建て直します。それゆえ主は言われます。「この愛にとどまりなさい」。

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「私たちは仕掛けられた罠から鳥のように助け出された。罠は破られ、私たちは助け出された。私たちの助けは、天地を造られた主の御名にある」。(詩篇124篇7・8節)

「主が私たちの味方でなかったなら」(1節)、罠にはまり、悪の餌食になっていたでしょう。世の罠に捕らまったときジタバタすれば、かえって雁字がらめになります。主が味方であると確信し、落ち着きを取り戻しましょう。主の助けの手が見えてきます。

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「主よ。善良な人々や心の直ぐな人々に、慈しみを施してください」。(詩篇125篇4節)

罪の力が支配する世にあっては、善行や正直が報われない理不尽なことが起こります。だからこそ、主の慈しみが施されるように祈るのです。不正や自己中心が、社会を崩壊の危機に陥れています。私たちは、善良と正直な生き方が祝福と平和をもたらすことを証明し、危機にある社会を修復します。それが私たちの務めです。

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「兄弟たち。物の考え方において子どもであってはなりません。悪事においては幼子でありなさい。しかし考え方においてはおとなになりなさい」。(第一コリント14章20節)

自己中心や自己顕示は子供の特徴です。ただ、幼児は「赤信号」(悪事)を渡りません。大人のクリスチャンなら、いつも堂々と「青信号」(正しい道)を渡ります。また、何が人を生かし、どうすれば社会の祝福になるかを、主の愛を基準にして考えます。

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「ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行いなさい」。(第一コリント1章40節)

自我さえ出なければ、自ずから秩序は整っていきます。しかし、私たちには人を自分と同じようにさせたい、人を支配したいという思いがあります。この支配欲を封じ、へりくだることさえできれば、たいていの人とは平和に暮らせるのです。支配欲の強い人に対しても、「自分に関する限り」(ローマ12:18)、へりくだりを戦略にしましょう。

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「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。・・あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる」。(詩篇127篇1・2節)

主が喜ばれないことに時間と労力を注いでも、無意味です。主が良しとされることに、心と力を集中するなら、主があなたの力量以上のことを成し遂げてくださいます。

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「幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は。あなたは、自分の手の勤労の実を食べるとき、幸福で、幸せであろう」。(詩篇128篇1・2節)

主の道を歩む人は、苦難の中にも喜びを予感しています。たとえ道を踏み外しても、そのつど悔い改め、主の道に復帰して歩み続けます。そうして歩み通した達成感は格別です。その時いただく「勤労の実」を味わったら、主を畏れることが、この上ない喜びとなります。
(以上、キリストの栄光教会より)

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2018年06月29日

みことばの花束B −梅雨明け近し−

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昨夕6時過ぎの二上山・雄岳

natu_mug.gif今週は梅雨明けしたような陽ざしで34度の猛暑の日々だった。そして、例年よりも早く6月25日に蝉の声を聞いた。しかもアブラゼミではなく間違いなくクマゼミだった。それも一匹ではなく何匹も力強く鳴いていたので驚いた。翌日、孫もクマゼミの声を聞いた。

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6-28-9.jpg「これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう」。
  (詩篇118篇24節)

今日は、主があなたに用意された喜びの日です。主は、私たちの心を不安や恐れに支配させず、喜びの予感で満たしてくださいます。たとえ何が待ち受けていても、今日の祝福を楽しもうと心に定めておくなら、すべてのことが益となります。予期せぬことにも、新しい恵みが見つかります。そして一日の終わりを感謝で締めくくれます。

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「幸いなことよ。全き道を行く人々、主のみおしえによって歩む人々」。(詩篇119篇1節)

人は本音で生きなければ疲れます。「古い人」の本音は肉の欲であり、「新しい人」の本音は主の教えです。私たちがまだ「古い人」だった時は、主の教えに従おうとすれば疲れました。しかし、「新しい人」になった今は逆です。主の教えに従うことが喜び、従わなければ心身共に疲れます。そのように変えられたのです。

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「私のたましいは、ちりに打ち伏しています。あなたのみことばのとおりに私を生かしてください」。(詩篇119篇25節)

くずおれた心で主の前にひれ伏すことが、希望の始まりです。打ち伏した瞬間から、喜びが芽生えています。主の憐れみが臨み、主の霊が堅く支え始めます。私たちがそのときどう感じようが、それが主の創り出される現実です。私たちのなすべきことは、その現実を信じ、主を喜ぶことです。

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ねむの木

6-28-5.jpg「これこそ悩みのときの私の慰め。まことに、みことばは私を生かします」。
(詩篇119篇50節)

悩みや悲しみで心が揺れ動いても、感情に人生の主導権を握らせてはなりません。主の言葉以外に解決を求めてはならず、キリストに立たない人に忠告を求めてもなりません。気晴らしで一時的に心が休まったとしても、解決にはなっていません。結局、真の慰めはキリスト、私たちを生かすのは聖書の教えだけなのです。

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「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです」。(第一コリント12章26節)

人間は自己完結するものではなく、互いを「助け手」として必要とします。独りで苦しみ、喜ぶのではなく、共に苦しみ、喜ぶのです。孤立を選べば、多くの知恵と機会を失います。人間は本来、信仰共同体の中で年長者から知恵を学び、支えられ、老人を敬い、成長するのです。

6-28-8.jpg「たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません」。(第一コリント13章2節)

愛は神と人をつなぐ「結びの帯」、「すべてを完成させるきずなです」(コロ3:14新共同)。神とつながっていないなら、人生も知識も努力も業績もすべて無価値です。神への愛を動機とする行いのみが、永遠の価値を持ちます。

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セイヨウニンジンボク(西洋人参木)

「主は私の味方。私は恐れない。人は、私に何ができよう。主は、私を助けてくださる私の味方。私は、私を憎む者をものともしない」。(詩篇118篇6・7節)

主は、打ち砕かれた心で主に近づく者の味方です。主が味方なら、誰をも恐れずにすみます。それゆえ、悪意を持つ人に「刃」を向けてはなりません。かえって心に恐れが生じます。大切なのは、自分が主の側に立っているか問うことです。それが悔い改めです。

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「家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである」。(詩篇118篇22・23節)

キリストは「捨てられた石」です。その石が、神の国の「礎の石」となりました。私たちは世の只中にあって、主を「礎の石」として人生を築いています。世は移ろい、人の心は変わります。しかし、「捨てられた石」は不動です。私たちの心は動揺しても、そこに立ち続けます。

御言葉のメッセージはキリストの栄光教会より。

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今年も半年が過ぎようとしている。小学校では、はや1学期の個人懇談会の日程調整の案内が届く季節になった。そして今日、関東甲信地方に本州初の梅雨明けが告げられた。
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2018年06月08日

昨日の付録 

今夜のNHKニュース、6時半からの「ならナビ」で花菖蒲のニュースが流れた。トップの映像を取り損ねたが、この背景に見える黄色い花は昨日の記事の最後に挙げた花と場所だ。

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あの黄色い花の名は、ヒペリカム・ヒドコート。
覚えられそうにない。
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これは、ビヨウヤナギ。

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Nさん宅のユズリハ

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Nさん宅のローズマリー

これはエゴの花の実(丘陵公園にて)
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エゴの花
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ヤマホタルブクロ(丘陵公園にて)

ホタルブクロ(ツリガネソウ)
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これは、南天の花だって。

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一重のクチナシの花(丘陵公園にて)
甘い香りがしたよ。

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シモツケ(丘陵公園にて)

シモツケ(アジサイKさん宅)
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わが家のイソトマ、今年は特に美しい。
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2018年06月07日

花菖蒲35枚を一挙掲載

馬見丘陵公園の花菖蒲園.jpg梅雨入りした二日目の今日、近隣の親友Nさんとランチに出かけ、その帰りに馬見丘陵公園の花菖蒲を見ようと立ち寄った。
折しも明日から「2018年 馬見花菖蒲まつり」が開催される花の時、写真は奈良県ホームページより拝借した馬見丘陵公園の菖蒲園全景だ。規模は小さいが十分満喫できる。無料で開放されている。

昨日の雨で満たされて花の息吹が溢れていた。157枚撮って65枚ブログ用に小さくしたが、そこからまた35枚に絞った。

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↑ 駒止桜(肥後系)↓

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青岳城(せいがくじょう)(江戸系)

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乙女(伊勢系)

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藤代(伊勢系)

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あまりの美しさでベストワンどころか「ベスト3」さえ選べない。私の心肺停止状態だった魂が息を吹き返してくるように、少しずつ少しずつ心に力が入ってきたように感じる。

6-7-58.jpg ← 「この角度で撮るといいんじゃない」
Nさんの言葉と景色も今日の大切な思い出に記録しておこう。

楽しい一日をありがとう!

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2018年06月03日

大神神社のササユリと鳥居

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日本の固有種ササユリは、葉が笹に似ていることや笹原に自生していることから命名されたという。中部以西と九州の一部に自生し、5月中旬から1ヶ月間花を咲かせる。

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ここは三輪明神・大神(おおみわ)神社のササユリ園。
昨日のニュースで知り、夫と二人で訪ねた。

かつて三輪山付近に群生していたササユリは、環境悪化に敏感に反応して消滅の危機に陥り、大神神社が28年前から保護育成している。そういえば当地でも毎年見ていたが10年ほど前から姿を消した。

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ササユリは「うつむき加減の楚々とした姿から、
最も鑑賞価値の高いユリの一つにされている」。

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6-3-0.jpgところで大神神社(通称:三輪神社・三輪さん)は、上掲写真の鳥居前に行くまでに鉄製の大きな鳥居が道路沿いにある。高さ32メートルあり、マグニチュード10の耐震設計だそうだ。

三輪神社では「古来本殿は設けずに拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し三輪山を拝するという原初の神祀りの様を伝える我が国最古の神社」だという。

大きな鳥居は不気味で異様に感じるのだが、鳥居の根源は聖書にあるという説や「君が代」もヘブライ語と関係ありとする説など興味深い。

6-3-6.jpg日本神道と古代イスラエルの宗教との関連について関心のある方は、「ヘブライ語で解き明かす『君が代』」「古代日本とユダヤ・キリスト教」をどうぞ。

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2018年05月31日

みことばの花束A −梅雨近し−

4月下旬になったギックリ腰が治って3週間たった今も殆ど歩いていない。季節外れの暑さで習慣になりつつあったウォーキングも頓挫してしまい、今週から涼しくなったので「今日こそは!」「今日こそは!」と思っても後回しにして実践ならず。

しかし昨日の雨でアジサイを思い出し、アジサイだけでも見て来ようと克己して、ユキと知子を見送ってすぐに家を出た。

5-31-1.jpgところが一歩外へ出ると気持ちよくてアジサイだけではなく、蝶や蜂のように花を求めて歩いた。今にも降りそうな空だったが傘をさすことなく小一時間かけて4500歩歩いた。
これはヒイラギの実(種)。
この写真を見たユキは「ブルーベリー?」と言った。

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この時期、栗の木は一目瞭然!

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栗の雄花

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ハコネウツギ

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時間経過とともに花の色が、白、ピンク、赤に変わる。

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「これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです」。(コリント人への第一の手紙10章11節)
未来に希望を持たない人々は堕落します。過去の出来事を後世に伝えず、残された教訓を学ばない国民は衰亡します。聖書は、過去の教訓と、未来の希望と、それを生かす知恵と力を私たちに授けます。それを学習し用いる私たちは、この時代の人々を救います。

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「主は直ぐな人たちのために、光を闇の中に輝かす。主は情け深く、憐れみ深く、正しくあられる」。(詩篇112篇4節)
「直ぐな人」とは、心が主に真直ぐに向いている人のことです。闇の中でも主が道を照らされます。悪い知らせを聞いても過剰反応しません。人の評価にも左右されません。主の道は真っ直ぐです。脇見をするから迷うのです。我が道を行くから転ぶのです。「直ぐな人」は主の憐れみで真っ直ぐに歩みます。

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タチアオイの好きな色も曇天では映えぬ。

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夾竹桃のような葉っぱの大きな木。

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「主は、弱い者をちりから起こし、貧しい人をあくたから引き上げ、彼らを、君主たちとともに、御民の君主たちとともに、王座に着かせられる」。(詩篇113篇7・8節)
貧しい者は、富める者が知らない豊かさを味わいます。弱い者は、強い人が知らない聖霊の力を体験します。小さい者は、学者に勝る知恵を学びます。低い者は高くされます。本当です。主がそうしてくださるのです。信じる者はその恵みにあずかります。

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カシワバアジサイ

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夾竹桃

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オリーブの新芽

散歩のあとしばらくして雨が降り出した。

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今朝10時過ぎに蝶に気がついた。
昨朝のBS放送(ハイビジョン特集)で「渋谷でチョウを追って」と題する動物行動学者・日高敏隆さんの話に魅せられて蝶が気になった。

蝶@.jpgその後まもなく雨が降り出し、蝶は羽を閉じて、午後の土砂降りの雨にも耐えていた。これは13時30分頃で1時間以上も土砂降りの雨に打たれていた。

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雨が止んで30〜40分経った頃に羽を広げたが、このあと再び雨が降り出して羽を閉じたまま帳が落ちた。蝶はいつも同じ感じで飛んでいるので日高氏の「ちょう道(どう)」は容易に納得できた。

「渋谷でチョウを追って」は2008年に初回放送されたもので、動物行動学者・日高敏隆が幼少期に、東京渋谷の丘を飛ぶチョウに魅せられて、その生態の謎を死ぬまで追いかけた研究者の探究心の軌跡をたどったものである。

蝶は特に好きではないので用事をしながら見ていたが引きずり込まれてしまった。日高さんは2009年に79歳で亡くなっておられた。

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2018年05月22日

みことばの花束@

IMG_0685.jpg「主よ。あなたのみわざはなんと多いことでしょう。あなたは、それらをみな、知恵をもって造っておられます。地はあなたの造られたもので満ちています」。(詩篇104篇24節)

分子と分子がぶつかって偶然にできた機械仕掛けの宇宙に生きるか、主が創造された慈しみの世界で暮らすか、選択によって全く異なる人生となります。私たちは、大空と大地の間に現わされた主の愛と知恵を、今日も喜び味わい、楽しみ歌います。

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「神は、平和を得させようとしてあなたがたを召されたのです」。(第一コリント 7章15節)

人生の目的や倫理・価値観が異なる人と、生活や仕事を共にするのは大変です。衝突が避け得ず、相手が離れていくなら、一旦、離れさせなさい、とパウロは教えます。感情の渦巻く中で正しい判断をするのは至難です。相手を変えようとすれば関係を悪化させるだけです。自分が平和を維持しなければ、相手との関係再建の道は開かれません。

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「主は、彼らのために、ご自分の契約を思い起こし、豊かな恵みゆえに、彼らを憐まれた」。(詩篇106篇45節)

私たちはキリストを信じることで新しい契約に入り、神の国(永遠のいのち)の祝福を保証されています。聖書を学ぶとは、主との契約内容を知ることでもあります。その内容を具体的に知らなければ、「契約を思い起こしてください」と主に嘆願することができません。主の方は、豊かな恵みを用意しておられます。

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「世の富を用いる者は用いすぎないようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです」。(第一コリント 7章31節)

お金も、知識も、良い評判も増え始めると楽しくなります。しかし、増えても飢えるばかりです。狐が細い体で狭い垣根からブドウ畑に入り、たらふく食べて太り、また数日体をやせ細らせて隙間から外に出た、という話と同じようになります。世の富や知識は、それを用いて永遠に価値あるものを残すためにあります。

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柿の花

「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます」。
              (第一コリント8章1節)

神を認めない知識は人を傲慢にし、神に信頼する知識は謙遜にします。愛のない知識は破壊と虚無に導きます。お金も知識も能力も、愛が動機になってはじめて、人の徳を高め、希望の言葉を生み出します。知識や能力の量で人に負けてもいいのです。それが人を高ぶらせるなら、ない方がいいのです。主にも人にも喜ばれるのは、愛する心と謙遜な態度です。

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ナンキンハゼの若葉

「人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです」。(第一コリント8章2・3節)

神に愛され、神を愛し、神に知られている、それで心は十分満ち足りている。これが真の知識です。この知識以外に、世の知識がいくらあっても、何も知らないに等しいのです。世の知識ではたましいは救えないからです。

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大きなクスノキ

「幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。主はわざわいの日にその人を助け出される」。(詩篇41篇1節)

自己中心で不義不正を働く人間がはびこる社会でも、それなりに持ちこたえているのはなぜか。それは、損得勘定を度外視し、自己犠牲をいとわない人たちも多数いるからです。社会を陰で支える役割を誇りとしましょう。見返りを忘れた人助け、お返しが期待できない人への援助は、主に覚えられています。

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「主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです」。(詩篇39篇7節)
主は、主を待ち望む者を恵もうと、待っておられます(イザ30:18)。主を待ち望むとは、主の教えを口ずさみ、賛美し、思い煩わずに祈ることです。御言葉を学ばないことは自分の知恵と力に頼ること、祈らないことは主の恵みは不要という意思表示です。しかし、主を待ち望む者は聖霊の力を受け、自分を超えることができます。

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 ―キリストの栄光教会より―
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2018年04月19日

春はやっぱり喜び、いのちの輝き!

スイセン、ハクモクレン、桜から始まった春も今やたけなわ。次から次へと花が咲き百花繚乱の春。我が家に咲いているのは名残のチューリップだけだが、外に出ると小鳥たちの囀(さえず)りを聞きながら自然界の営みに目を奪われる。

ウグイス、イソヒヨドリの鳴き声しか聞き分けられないけれど、小鳥たちのかわいい声が飛び交う。ささやかな自然の中もまた "Nightingale Serenade" の世界、疲れた心を癒してくれる。
久しぶりの青空、気持ちの良い春の日。

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新しい葉に入れ替わったクスノキ。

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初めて見る花、名前をしらべなきゃ。

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何ていう花だろう、サルスベリに似ている。

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これも初めて見る花、美しいね。

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昨日の青く写っていたのは雨粒だったと思う。

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これも初めて見る花。

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空いっぱいに枝を広げるハナミズキ、気持ちよさそう。

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チロリンソウと教えてもらった花。
正式名はウキツリボク(チロリアンランプ)だって。

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裸の幹から直接小さな新芽を出していた。
これはどんな木だろう、花を咲かせるのだろうか。
公園の中にある木なのに全く見えていなかった。
6月5日追記:この木は今このように葉を茂らせて、こんな花の蕾をつけていた。
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これはタイサンボク。
花は天に向かって咲くと教えてくださったあるじは
高齢になられてグループホームに移られた。

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淡いピンクの蕾が慎ましい。
花も何て麗しい色だろう。

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まもなく開花するツツジ。

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愛らしい春の花。

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こんなにも楽しませてくださる神さまに感謝しつつ今日も春を楽しむ。

庭のチューリップも今日もこんなに力強く咲いていた!
このまま姿を消さないでほしい・・・
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チャッピーがいたらいいのにな・・・
チャッピーがいなくなって3度目の春。
チューリップは21日に姿を消した。
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2018年04月18日

いのちの輝きとはかなさ織りなす春

「主よ、わが終わりと、わが日の数のどれほどであるかをわたしに知らせ、わが命のいかにはかないかを知らせてください」。(詩篇39篇4節)

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ワラビが出ていた。

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色づき始めたサクランボ。

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ヤマフジ

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シャクナゲ

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2度の雨にも耐えた遅咲きの桜

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オオデマリ

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この辺りに来ると空気が一段と澄み
霊肉共に生き返る心地す。

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今朝まで降っていた雨に打たれて、
羽の濡れたひな鳥のよう。

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ヒメオドリコソウ

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花の時を終えたユキヤナギ。

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今、われ咲く時!

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根元から切られても芽を出す強さ。

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息をのむ美しさ!

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こんな模様のシバザクラ。

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これは初めて!
植えられている花にも魅かれてしまった。

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これはモミジの花。

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青く見えるのは何だろう。
もっとしっかり見てこなくては!

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何という美しさ、これもチューリップ!

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左は赤エンドウ豆。
私が最も心安らぐ眺め。

そして、春の野原もまた。
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私の原風景にある祖父を思い起こさせる矢車草。

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今年も矢車草が咲き始めた。
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2018年04月13日

ハナミズキに魅せられて

自然界は神秘であり、私たちが生かされていること自体が神秘だ。

「知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である」。(詩篇100篇3節)
「汝自らを知れ」とギリシャの哲人は言います。しかし、自分の造り主を知らずに、自分を知ることはできません。私たちは造られたもの、造った方のもの、その方に養われるものです。この謙虚さがないかぎり、いつまでも自分はわかりません。主を知るほどに、自分のなすべきことが見えてきます。

春が深まり新緑が輝く季節を迎え、ヤマフジが咲き始めた。新緑と青い空、陽ざしに輝く木や花に惹きつけられる。

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今までハナミズキは特に好きな花ではなかったのに、
この春生まれて初めて惹きつけられた。

ここ何年も歩かなかったので知らなかったのかも知れないが、
今春のハナミズキは特に生命力に溢れ、
花の勢いと色の鮮やかさに目を見張る。

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遅咲きの桜かと思って近づけば、これもハナミズキだった。

花が開き始めた時の姿にも驚いた。
まるでフクロウの顔みたい。
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なんて個性的な花だろう。

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何枚撮っても飽きず、花の数だけ撮りたかった。

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5ミリほどの花に止まった1センチほどの小さな蝶。

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ドウダンツツジ

「あなたがたの高慢はよくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか」。(コリント人への第一の手紙5章6節)
一片の高慢が人生全体を狂わせます。自己過信は精神の動脈硬化を引き起こし、血管を脆くさせます。しかし、一片の謙遜さえあれば、心は和らぎ、寛大になり、人から慕われ、仲間が増え、将来に希望が広がっていきます。とにかく見栄を張らずに生きましょう。

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桜の季節が終わった今から最も好きな季節が始まる。
この寒い冬の日にも何度も想っていたサクランボの実る頃
神を身近に感じながら生きる幸せ。明日はブルンナー読書会。
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2018年04月11日

試練の春を往く人々を覚えて

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これは吉野山、4月のカレンダーの写真より。
30年以上も文字だけのカレンダーを利用していたが、
今年度から景色入りのカレンダーにした。

美しい風景を貼るのも季節のタイムリーさを逃さないように、今こそ吉野の桜! とは言え関西に住んでいて私はまだ行ったことがない。

桜が咲き始めるころから自然界は日に日に変わり、日々記録しておきたい衝動を押さえて何度も見たいものだけでも記録しておきたい。せめて1日前の花ならば受け入れられる。

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ツツジがほぼ満開の所もあった。

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池の周りの名残の桜。
今から開花する桜のマイペースさがいい。

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今日行けばフリージアは全てなくなっていた! なぜ?!

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お気に入りの今年初めての品種に見とれる。

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陽ざしに輝く花も見入ってしまう。

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これは今日の裏庭で見つけたハルジオン。
昨春の感動があまりにも激しかったので二日酔いの感じ。

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ミヤコワスレ

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ナルコユリ

そして短い散歩に出た。
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これは「ベニバナトキワマンサク」。

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あちこちで見る今春記憶した花。
名前を調べると「ツルニチニチソウ」だった。

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圧巻! 吹き出したモミジの若葉。

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春の名残の風景。

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今朝は10時半から国会中継があるので30分ほどで帰宅するつもりが、知人に呼び止められたり初めての人と話したりで遅くなってしまった。この写真を撮ったら大急ぎで帰ろうとしたら3人目のMr.kさんに声をかけられて30分間も話していた。

昨日膀胱癌の再発がわかって3回目(ポリープの時から数えると12回目)の手術をされる。人生についていろいろと話してこられた。
2週間前に初めて親しくお話しした女性は、「元気になったら山野辺の道を御一緒に歩くのを楽しみにしています」と言われ、昨日肺がんの手術をされた。

愛する人を亡くされる方も絶え間ない。試練の春を通られている方々の上に神さまのお守りがありますように祈ろう。そして、福音をお伝えすることができますように。

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柿の新芽

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2018年03月30日

春の飛鳥へ

3-30-1.jpg今朝、近隣の親友Nさんから急きょお誘いを受けて飛鳥(明日香)へ花見に出た。約束していた友人が急きょ行けなくなったという。今日は週に一度の2階の掃除日だが躊躇しないでユキと一緒に外出した。
3-30-2.jpg最初に「高田(大和高田)の千本桜」を端から端までUターンして見せてくださり、中和幹線に戻って目的地まで1時間弱。おしゃべりしながら、折々にガイドも入り家族で行くよりも楽しいかも。

「この時期は桜が主張しているから遠くからでも桜だとわかるけれど、葉が出てくるとわからなくなるね」。

今日も興味深くNさんの言葉に耳を傾けた。それが楽しみでもある。私は物知りのNさんから耳学問でいろんなことを教わってきた。

Nさんは関西の人ではなく故郷は長野県。南アルプスと中央アルプスが見える天竜川に沿う伊那盆地で、豊かな自然の中で育った方だから話は耳新しく聞き書きしたいと思うほどだ。
特に私は自然界の驚異に目が開かれてきたのが60歳頃からだから話にならないが、古びた脳でも感動することしきり。

「雷(いかづち)」という珍しい地名の交差点は、私もこれまでに通ったはず。
「コンビニも飛鳥(明日香)の町に溶け込むように屋根は瓦造り、南都銀行も奈良風になってるね」とNさんのガイドは素晴らしい。

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石舞台:古墳時代後期の古墳だ。

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なんてのどかなんだろう。
心の緊張がとれていくのがわかった。

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枝垂れ桜(Photo by Yuki.)

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再びこちらへ戻って休憩。
ユキはソフトクリームを食べたあと、帰宅前に公園で遊ぼうと持参していたサッカーボールで後ろのグリーンで遊んでいた。私はその姿を写すどころか見ることも忘れて、少々肌寒さを感じながらNさんとクリーム入りのアイスコーヒーを飲みながら喋りっぱなし。

そしてUターン。
帰りの車窓から撮った「箒桃(ほうきもも)」
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途中で昼食を済ませて、
はや二上山(右が雄岳、左が雌岳)が見えた。
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これは梨の花だって!
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梨の花
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近くの池の周りも花見のドライブして自宅前でサヨナラした。ユキはそのまま公園で降ろしていただいた。

義母の用事までまだ1時間ある。私は大急ぎでカメラを持って強歩で再び池へ。

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桜の花びらが落ちている。

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アスファルトの隙間から芽を出すノスミレ。
植えられた花よりよほど美しい。

あんなに美しかったハクモクレンも花の時を終えた。
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A Magnolia is a Magnolia is a Magnolia.
モクレンはモクレンであるところのモクレンである。
花の時も、花の盛りが終って美しさがなくなってもモクレンである。

6日前はこんなに美しかったのに。でも忘れない。
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柴桜。

竹の葉が黄ばんでくる「竹秋」
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↓ 1週間前は一つ咲いたばかりだった。
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紫モクレン

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ハナモモ

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これはピンクのモクレンかな。
私は花言葉には全く関心がないが、
モクレンの花言葉は「自然への愛、崇高、持続性」だという。
その言葉にふさわしい姿だと思う。

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公園の桜も満開! そして、花散る頃。

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               ユキはずっと遊んでいた。

B29夕方.jpg昨日は2歳年上のふたりと3人だけで遊んでいたので声をかけて帰宅させた。


最後に今春覚えた「海棠(かいどう)桜」。
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春は美しい、まさに復活の春!

洗濯物を入れながら時計を覗いた。
午後2時45分、
「イエスさまはまもなく息絶えられる」とつぶやいた。

「イエスのヴィア・ドロローサは、十字架の死と復活につながりました。自分の罪がイエスの贖いによって赦されると信じるなら、私たちは聖なる者にしていただき、神の臨在に入ることができます。律法を守れない不完全な者であっても、神が受け入れてくださり、愛し慈しんでくださると確信して、安心してみそばに近づけます」。『デイリーブレッド』より

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朝晩と昼の表情。

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2018年03月27日

チューリップも開花!

大阪で桜(ソメイヨシノ)が20日に開花したのも史上初の早さならば、昨日報じた満開も1957年に始めた満開観測以来初ということだ。昨日から22度と4月中旬の暖かさで、孫は先週末から半袖一枚で夕方遅くまで遊んでいる。

明後日は春を飛び越えて初夏の陽気になるという。春の変化をゆっくり味わえないのはがっかりであるが、我が家のチューリップも植え始めて初の早い開花である。

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   26日夕方         27日朝7時
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その2時間後
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月曜日は義妹が来るので週に一日だけ義母のことを忘れてゆっくりできる日なので、春休みに入ったユキをどこかに連れていってやろうと思っていたが、血圧が高かったわけでも風邪でもないのにしんどくてどうにもならず一日中横になっていた。

今日はほぼ回復していたので朝一番に桜を見にユキと散歩に出た。9時半からの佐川宣寿国税庁長官への証人喚問に間に合うように。

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PHOTO BY YUKI

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↑ ユキが撮った ↓

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どの木からも新芽が吹き出ている。

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池の桜はようやく咲き始めたところだが、
明後日には満開になるだろう。

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ユキが撮った亀

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4年前の春、
入学式前日のユキ。


チャッピーがいなくてさみしい。
いのちの不思議。

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「チャッピーに悪いけれど豆柴を飼いたい」と言ったユキ。

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アスファルトの隙間に咲くノスミレ。

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やっぱりユキは上手に撮る。

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↑ 裏庭の野花 ↓

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神秘!
今朝はまだ青い蕾だったのに
夕方にはピンク色になっていた。

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2018年03月14日

春の散歩道C ―満開の枝垂れ梅、ハクモクレンと桜と春の調べの鶯と。そして折れた柳の枝―

感謝録追記:サムサムさんより

やっぱりいいですね、今も繰り返し見ています。昨日も書きましたように、梅の花には勢いがあその迫力に圧倒されそうです。

ハクモクレンも見事ですね。風格があって堂々としています。

オオイヌノフグリについては名前の由来から名付け親までお調べいただき恐縮しています。 

冬の冷たい風雨にも落下しなかったドングリの殻を見て、はじめは小鳥の巣かなと思いました。が、よく見るとその後ろにドングリの実があるの驚きました。

そして折れたままで繋がり続けている柳の小枝を見てい『わたしにつながっていなさい。そうすれば……』という、イエス様のお言葉たとのところを読んで、さすがは藤本さんだと思って感心しました。

春の散歩道Cで今日も楽しませていただきありがとうございました。

今朝4〜5年ぶりに知子を駅まで送りつつ歩いた。そのとき今春初めて鶯の声を聞いた。夫はもう1週間前に聞いていた。昨日は20度、今日は22度のポカポカ陽気で午後はウールから綿に着替えて散歩に出た。


あの枝垂れ梅は満開になっている頃だろう。サムサムさんに「満開になるのを待ってま〜す」とお声をかけていただいていたので報告しなければと楽しみに出かけた。

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満開!!!

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今朝はまだ蕾だった近隣宅のハクモクレンも開花していた。
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そして桜!

次々と桜も開花していた。
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これはお見事!
ハクモクレンの木はこんなに大きくなるんだ。

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別のお宅のも満開!

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冬の冷たい風雨にも落下しなかったドングリ。

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たくさんのオオイヌノフグリ。
サムサムさんに「フグリ」の意味を教えてもらってびっくり!
オオイヌノフグリの実.jpg名前の由来を調べてみるとやっぱりそうだった。「『イヌノ』は『犬の』、『フグリ』は『陰嚢(いんのう)、睾丸(こうがん)』という意味で、イヌノフグリの実の形が犬の陰嚢に似ている」ことから植物学者の牧野富太郎さんが名づけたとのことです。

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これも桜の種類だったと思うが・・・


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挿し木をした「かしわば紫陽花」も芽を出してきた。

13-9.jpgそういえば昨日の散歩であの柳を訪ねた。幹から折れていた柳の枝を見に行くと、やっぱりあの時のままだった。

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柳は芽を吹いていたが、折れた枝は冬芽のまま時間がとまっていた。

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枝は白く印した所で折れている。私は柳を見てイエスさまのお言葉が耳に響いてきた。
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「わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである」。
             (ヨハネによる福音書15章4・5節)
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2018年03月12日

春の散歩道B ― 桜が咲いていた!―

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おかめ桜はまだ蕾

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ホトケノザ

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オオイヌノフグリ

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サンシュユ?

「主は、王であられ、みいつをまとっておられます。・・力を身に帯びておられます。まことに、世界は堅く建てられ、揺らぐことはありません」。(詩篇93篇1節)
主の威厳(みいつ)は、同時に愛の現れです。愛のない威厳はただの恐怖、威厳のない愛はただの甘やかしです。神は独り子を与えるほどに世を愛されたからこそ、威厳があるのです。主の威厳があなたを堅く建てます。主の威厳と愛はあなたに備わっています。

ここからは梅の花
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posted by 優子 at 17:24| 随想 | 更新情報をチェックする

2018年03月07日

春の散歩道A ―神と語らう― 

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おはよう。花は再び花びらを開いて今日のいのちを生きる。
9時20分頃、知子から祈りの要請の電話が入り、手を止めて祈った。神の御声に心を傾けながらしばし家事をして外へ出た。
昨日のように花に夢中になることもなく、知子と自らに語りながら歩いた。試練は信仰が強められる時、神に助けを祈りながら、神の知恵をいたただいて経験を積んでいくとき」と。

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「見よ、冬は過ぎ、
雨もやんで、すでに去り、
もろもろの花は地にあらわれ、
鳥のさえずる時がきた。
山ばとの声がわれわれの地に聞える」。
                (雅歌 2章11・12節)


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おかめ桜が足元の蕾から咲き始めていた。
栄華をきわめた時のソロモンでさえ、
この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」。

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この町で一番先に咲く桜は蕾をこんなに赤くしていた。

「いちじくの木はその実を結び、
ぶどうの木は花咲いて、かんばしいにおいを放つ。
わが愛する者よ、わが麗しき者よ、
立って、出てきなさい」。
                               (雅歌 2章13節)

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IMG_0955.jpgオオバンはまだ半数ほど留まっていた。
遠くに見えるあれは何だろう? まさか・・・

やっぱり亀だった。大きな亀! 
自然界の生き物は冬眠から覚めたのだ。

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帰り道で会った知人は「全部外来種だ」と言われた。
足元を見るとツクシがたくさん顔を出していた。すでに踏んでしまっていて心を痛めつつも、これ以上踏まないように道路に出て短時間で帰宅した。

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それにしても自然界の生き物は働き者だ。
毎朝のように烏がたびたび何かをくわえて飛んで行くのを見るが、巣の材料にするのだろうか。私は烏に倣って洗濯物を干す手をテキパキ動かすのだ。

7-3.jpgイエスさまは言われた。
「空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。
あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。

しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。

だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。

まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である」。 (マタイによる福音書 6章26節〜34節)

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2018年03月06日

春の散歩道 @ ―2018春開く―

「主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、砦である」。(詩篇91篇4節)

主の教えが愚鈍に思われ、自分の利を優先し、自分の考えで動きたくなることがあります。それは主の翼の下から出ることです。親鳥は雛を覆い、雛は親鳥に隠れることを本能で知っています。私たちも主とそんな関係を回復しているので、反射的(本能的)に主の翼に身を避けます。

昨夕の激しい雷雨はかなり強烈だったようで、溝蓋の下に溜まっていた枯れ葉がきれいに洗い流されていた。ユキを見送ってから外の掃除した。

3月28日の「春の散歩道で」を書いた2日後、いつものコースを歩くと、このあたりも春が始まっていた。花の季節になると次々と目に飛び込んでくるので黙想できない。

では今日の写真30枚、まずは昨日雨の合間に写した近隣宅の花から。
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これも花菖蒲? 2月末から咲きだしたけれど・・・

そして今朝、満開の枝垂れ梅!
ここ何年も歩いていなかったので美しさに圧倒された。
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メジロが2羽いる!
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圧巻!
梅の花がかくも迫力ある美しさだったとは!

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6-1.jpg家を出ると柴犬がずっと先を歩いていた。当然のことながら後ろ姿はチャッピーそっくり。私は「チャッピー、チャッピー」と小さな声で言いながら追いかけた。
飼い主さんも犬も若いので速い。追いついたら何度も振り返って私を見た柴くん。チャッピーより少し大きく顔も違う・・・柴犬は判でついたように同じでも、やっぱりチャッピーの代わりはいない。チャックンだけ!

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サクラソウ。

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蕾がいっぱい。
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↑ これは桜の蕾 ↓
この木は甘いサクランボをつける。

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椿は木へンに春だから、これは椿?
椿と山茶花の見分け方がわからない。

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蕾が大きく膨らんできたハクモクレン。
咲くのが楽しみ。

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ヒイラギの花

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ユキが野球をする公園のイチョウの木。

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「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮んだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである」。(第一コリント2章9節)

神を愛するとは、神の言葉に喜んで従うことです。失敗してもなお、誠実に従おうとするのです。その信仰と熱情だけは失わないでいれば、今日の御言葉通り、神が「神を愛する者」を思わぬ恵みで驚かせてくださる日が必ず来ます。


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ボケの花。

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馬酔木(アセビ)。

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下から見ても美しい。
春の花はこの形が多いみたい。

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沈丁花、甘い香りがした。

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わが家のリュウキンカ。毎日夕刻になると花びらを閉じる。

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昨秋アジサイ宅のKさんにいただいた「かしわば紫陽花」の挿し木。
今朝、新芽を出していた。

「28日のブログに立派な枝垂れ梅の木がありましたが、満開になったら見事でしょうね。満開の写真楽しみにしています。」と、嬉しい声を寄せてくださっていたサムサムさんへ。

「これが今日の姿です。午前中は建物の陰になって真っ暗でしたから、思い切って午後にもう一度行って来ました! 

まだ3分咲きぐらいですね」。
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「満開を見逃さずに絶対にお目にかけたいです。
歩く励みになります」。

ユキが帰宅してから行こうと思っていたが、帰宅は4時過ぎだから大丈夫だろうと急に思い立って3時18分にスタートした。医師は「強弱つけて歩くように」と言われているのを、この時は時間を気にしながら30分間強歩で歩いた!

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多くのお宅で梅の花がさいていて、花を見つけるたびに
「きれえ(綺麗)ねー」としばしたたずむ。

帰り道で下校する児童の姿にびっくりして、ますますピッチを上げて息を切らしてたどり着き、5分後にユキが帰って来た。日曜日はしんどかったが今日は元気、日替わり定食のように日によって違うのは年齢のせい?

今日の最高気温は14度でも、リビングルームはポカポカを通り越して24.5度になっていた。さすがに暑くてドアを開け、セーターを脱いだ。

6-26.jpg昨日の雨で亀の水槽の水が増えていたので減らすと、3ヶ月も何も食べずに水中でジッとしていたのに、冬眠から覚めて石の上に登って甲羅干し。

IMG_0406.jpgそういえば、越冬していたウラギンシジミも2月末にはいなくなっていた。
今年も活動開始の春の到来である。
Wake up my glory !
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2018年02月28日

冬の散歩道で F ―エピローグ―

医師に歩くよう強く忠告されているので歩き始めている。しかし、平均3000歩程度ならば医師は毎日歩けと言うので、せめて週4〜5日は頑張らねばと思う。四季の花々や野鳥など自然界に驚異できるようになり、春の始まりと共に7月までは楽しい季節である。

昨夕、敬愛する信仰の友から2016年の「塩屋聖会」で語られた藤本満牧師(インマヌエル綜合伝道団代表・ウェスレー研究者)の説教(CD3枚)を送っていただいた。

今朝も聴き、今朝開いた聖書個所とブルンナーの言葉に深く共感し、黙想したくて散歩に出た。知人と会わない道を選び、それに同じ道は飽きるので今朝は散歩コースを変えて歩いた。その家々の梅は色とりどりの花を咲かせていた。

これは義母の植木鉢で咲き始めたリュウキンカ。
花の名前は今検索して知ったばかり。
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春を告げるリュウキンカ。
朝の散歩に出る時はまだ夢路だったのに
午後には夢路から覚めたよう。

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今朝の散歩コースでは色とりどりの花が目を楽しませてくれた。

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ユキによれば「ジョウビタキ♀」らしい。

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去年覚えたアセビの花。
漢字で「馬酔木」と書くように、馬が葉を食べると酔っているみたいに
ふらつくという。リュウキンカも毒があり下痢をするそうだ。

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ロウバイ

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ここは昨年5月半ばに鶯の声を録音したあたり。
2ヶ月もすれば裸の木が新緑に覆われる。

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リュウキンカ。

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こんな時期に花菖蒲?

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枯れ始めた草の先が朝の斜光線に輝いていた。

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フクジュソウ?

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ロウバイは今もかぐわしい香りを放っていた。

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これは桜の蕾。

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これは枝垂れ梅の蕾。

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今年は満開の時を見逃さないようにしなくては!
   
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道路沿いの沈丁花が咲き始めていた。

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何てかわいいんだろう。

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勢いよく伸び始めた草に目をやると
テントウムシがいた!

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今日で2月は終わり、明日から早3月。
次回からタイトルは「春の散歩道で」に変えよう。

「それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください」。(詩篇90節12節)
私たちは自分の齢をひと息に終わらせるような存在です。だからこそ、毎朝、祈りと御言葉の学びで主と交わって、一日一日に節目をつけるのです。そして、主の日(安息日)に礼拝を捧げ、1週間にも節目を付けます。人は節目で成長し、人生は節目があって堅固になっていくのです。
                         (キリストの栄光教会より)
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2018年02月27日

冬の散歩道で E −春の序章―

今朝の最低気温は1度、しかし一時の凍てつく寒さとは比べ物にはならないほど暖かい。それでも暖房の暖かさでは物足りず、朝食のあと洗濯物を干しただけで散歩に出た。途中からネックウォーマーが不要になるほど体が温まった。

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2.27-5next.jpg「それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください」。(詩篇90篇12節)
私たちは自分の齢をひと息に終わらせるような存在です。だからこそ、毎朝、祈りと御言葉の学びで主と交わって、一日一日に節目をつけるのです。そして、主の日(安息日)に礼拝を捧げ、1週間にも節目を付けます。人は節目で成長し、人生は節目があって堅固になっていくのです。

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誰にも振り向いてもらえない花の季節を終えたツワブキ。
このツワブキは自然に種が運ばれてきたのだろうか。

2.27-3.jpg2月の初めは種がいっぱいついていたが、すでに種も殆ど落ちて、ツワブキの2017年の仕事納めの姿を見る思いである。
写真を撮り終えた時、犬を連れた私と同じ年頃の女性と出会、しばらく話していた。


その方と別れてすぐ目に飛び込んできた梅の木。
「咲いてる!」
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枝垂れ梅の木にも一輪咲いていた。

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6羽のムクドリが食事中。なかなか撮らせてくれない。

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わが家のチューリップも日に日に伸びてきた。
チューリップの芽はすごく固い。

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午後は14度になり、室内は22度のポカポカになった。
どんな色の花が咲くのだろう、楽しみでならない。

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posted by 優子 at 17:23| 随想 | 更新情報をチェックする