2014年06月03日

続・独り静まりの中で

5月18日の説教で牧師が語られた「『出エジプト』の出来事は救いの記憶として大切だ」とは、知子とよく語り合う話題だ。

それはエジプトで奴隷になっていたイスラエルの民が、モーセに率いられて神の「約束の地」カナンに向かう物語で、十の災いと過越しや、追いかけて来たエジプトの軍勢から逃れるために、海が割れて陸に渡り危機一髪で救われる奇跡を経験した。

ところが、イスラエルの民はこのような明確な奇跡を経験したにもかかわらず、その後も水がない、パンがない、肉がないと、約束の地に着くまで事あるごとに不平不満をぶちまける。
これが我々の実相であり、私たちはどんなに神さまの助けを経験していても苦しくなると感謝を忘れてしまう。

しかし、神が私の人生を常に最善に導いてくださっていることを思い出し信じられるのは神の恩寵だ。

次女もまた闘いの日々にあって先のブログを読んで思いを分かち合ってくれ、魂が響き合った。そこで前述の記事・「独り静まりの中で」で紹介したナウエンの言葉を続けたい。

神は私たちと共におられるのでしょうか、それとも、おられないのでしょうか。
私たちが今言えることは、神の不在を悲しむその悲しみの真ん中にこそ、神の臨在の最初のしるしを見つけることができるということです。

そして、私たちの待ち焦がれるその渇望のただ中にこそ、その思いを起こされた方の足跡を発見するということです。・・・

私たちにとって最大の誘惑は、うんざりしてどうでもよいと思ってしまうことと、悲痛な思いで恨みがましくなることです。・・・・(数多くの思いがけない出来事でうまくいかない時、死の現実によって打ち砕かれる時)私たちは身動きならない投げやりな思いに負けたり、破壊的な恨みがましさをもって反発する誘惑に直面します。

しかし、忍耐によって私たちの待ち望む心が強くされると信じるなら、運命は召命に変えられ、傷はより深い理解への招きとなり、悲しみは喜びの生まれ出る所となります。・・・

神は善にして善をおこなってくださる方。
神が私たちの人生の計画者であることを信じ、試練の時も神が良くしてくださったことを忘れないで、神が目的とされた生涯、神さまにしっかり結ばれた生涯を全うさせていただきたいものである。

「イエスは彼女に言われた、『もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか』。    
                   (ヨハネによる福音書11章40節)
神の臨在を覚えつつ
When you believe in Jesus:あなたがイエスを信じる時。



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2014年05月31日

独り静まりの中で

堂々たる木々を創られた神よ、
あなたが木々に勇ましい頑健さを
与えられたように
私に不屈の精神を与えてください。

大きくなったね.jpg

おお、神よ、
私たちはあなたが植えられた木、
私たちはあなたの森の木々です。

さあ、いのちの樹液を
私たち全ての脈管に流してください。
太陽と雨をつかさどる神よ、
あなたの始められた事を
完成してください。

風の強さを計られる神よ、
私たちを圧迫や緊張に耐えるものと
なさせてください。
               
                           (エミー・カーマイケル)

新緑は深い緑になった。木々は豊かな葉を茂らせ、風に揺れる葉の音がとても心地よい。私は神に愛されている者として生き、深い静まりの中で祈りつつ生きよう。

祈りに導かれてナウエンの言葉を贈りたい。仕事が順調に進んでいる人とそうではない人に。
独りきりになれる場所(時)を持たなければ、自分の生活が危うくなることに、私たちはうすうす気づいています。・・・独りきりになる所のない生活、つまり、静かな中心を持たない生活は、簡単に破壊的なものになっていきます。・・・

結果を重んずる社会においては、・・・何かを成し遂げたというだけではなく、自分の成し遂げたことを自分自身だと思うようになってしまいます。・・・・

私たちの業績 ― したことの結果 ― を、自分の価値を決める物差しにすればするほど、私たちの心も魂も、いつもびくびくして暮らすようになります。・・・

キリスト者として生きるということは、この世に属さずに、この世に生きるということです。こうした内なる自由は、独り静まる中で育まれます。


「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた」。

     (『静まりから生まれるもの』 ヘンリー・ナウエン著より)

3日前から真夏日が続いている。それでも朝晩は肌寒いので冬物を片づけないでいたが、もう6月になるからと、ようやく昨日畳の上の敷物を取り除き、毛布をシーツに交換した。11月には冬支度になっていることを思うと夏の時期は短い。

今日も暑い一日だった。明日はもっと暑くなると予報している。今朝早くからゴルフに出かけた夫は日焼けして帰って来ることだろう。

附記:今月ご夫妻でクロアチアとスロベニアへ旅行された友からおみやげが届いた。お礼の電話後、「パンフレット以上の美しさ」というユネスコ世界遺産・プリトヴィッチェ湖群国立公園をネットで調べ、長い間見ていた。

良い時間とお金の使い方をされているといつも思う。ご夫妻そろって私たち夫婦と同じ年齢である。私も行きたいと初めて思った。

お手紙は、「ヨーロッパはどこへ行っても教会がたくさんあり、いつもイエス様を感じることができました」と結ばれており、神の祝福が溢れていた。



posted by 優子 at 18:04| 随想 | 更新情報をチェックする

2014年05月08日

あの虹は「環水平アーク」だった!

朝目覚めてしばらくウトウトしながら6時のニュースと天気予報を聞いていた。すると、「4日に観測された帯状の虹が今日も見られます」と言ったので目が覚めた。
4日の帯状の虹とは、マチが見つけたあの虹だ!

マチが見つけた虹A.jpg

すぐにパソコンで検索すると、これは「環水平アーク」と呼ばれているものだとわかった。上空の氷の粒に太陽の光が屈折してできるそうだ。

「一般の虹が太陽とは反対の方向に見えるのに対し、環水平アークは太陽と同じ方向に、ほぼ水平に現れ」、「太陽高度が58度以上の場合に見られるもので、太陽が最も高い所にある正午過ぎに出る」。

「出る条件としては、薄雲があること、・・・上空の薄雲を作っている氷が六角形をしている必要があり・・・特に環水平アークは太陽の高度が高いことも条件なので、夏至を挟んだ数ヶ月間に」出現し、日本国内では年に数十回観測される」そうだ。

確かにシャッターを押した時間は12時49分とある。数日前に時刻設定したこともラッキーだった。

それにしても珍しい現象を見ることができたものだ。しかも、バッチリ写真まで撮ることができて、今後はカメラを常時携帯しておきたいものである。現代人必携のスマートフォンや携帯電話のように、それらを意思的に持たない私だがカメラは携帯したい。

2012年5月21日の見損ないつつも感激した世紀の金環日食、「チャッピーと見た世紀の天体ショー 、『もろもろの天は神の栄光をあらわし、 大空はみ手のわざをしめす』」を思い出させた。

ユキが帰ってきたら話してあげよう。これこそが知的探究心を高めていくにふさわしい環境だ。


posted by 優子 at 13:56| 随想 | 更新情報をチェックする

2014年04月12日

チューリップ2014!

「仕事と生活の調和」は現代人の重要なテーマだが、知子はそのようなことを言ってはおられない日常だ。昨夜も夜遅くまで仕事をしていたがはかどらず、せめて4時間ほど静かな時間を作ってやりたくて3人で外出した。

私は桜見物もさほど行きたいと思わない出不精だが、珍しく馬見丘陵公園のチューリップフェアへ行きたくて夫とユキと3人で出かけた。自宅から自動車で30分ほどの所だ。
そのあと食料品の買い物や給湯器設置の仮契約など5カ所の用事を終えても3時間少しで帰宅した。

馬見丘陵公園はチューリップなど20万株の春の花々が鮮やかに開花して、それはそれは美しかった。
チューリップ満開A.jpg
↓唯一中に入って写真を撮ってもよい場所で。カメラマンはユキ。
ユキが撮ってくれたツーショット!.jpg

チューリップフェアG.jpg

とても美しかったが深い感動はなかった。
新聞折り込みに入っていたチラシと同じ光景を見て満足したからだろうか、新しい感動はなかった。森有正が言うところの「体験の対象として」見ていたのかもしれない。

自分の心の中を眺めながらゆったりした時間がなかったことが大いに関係すると思うが、ベランダで咲くチューリップは何回見ても、何十回春を重ねても感動は常に新しい。


2014.4.16.jpg

生きるとは自分自身の探究にほかならない。感動できるのは自分が深化し変貌をとげているからであり、それゆえに自分の心の中を眺めつづけなければならない。そんなことを思った春の一日だった。


posted by 優子 at 20:48| 随想 | 更新情報をチェックする

2013年11月11日

冬を生きる

午後から下半身がシンシンと冷えてきたので真冬のズボンに履き替えた。夕方のニュースで冬将軍が南下していると聞き、大急ぎで家族全員の電気毛布を敷いた。
1ヶ月前の今日は31.3度の真夏日だったのも異常だが、その後しばらく秋を味わっただけで一足飛びに明日は12月中旬の寒さになるという。

私は年齢を重ねるほど冬が嫌いになった。何よりも夜明けが遅いのが嫌だ。高血圧になってからは寒さゆえに早朝に起きるのが怖くもある。虫に悩まされる夏も嫌だけれど、夏は明るくて元気だ。まるで若者のように。

毎年寒さに向かう頃は気持ちが重くなるのだが今年は違う。すでに冬を迎える覚悟ができており、後ろずさりするような気持ちもない。

高村光太郎の詩が冬を生きる覚悟へと誘ってくれる。
きっぱりと冬が来た
八つ手の白い花も消え
公孫樹の木も箒(ほうき)になった

きりきりともみ込むような冬が来た
人にいやがられる冬
草木に背かれ、虫類に逃げられる冬が来た

冬よ
僕に来い、僕に来い
僕は冬の力、冬は僕の餌食だ

しみ透れ、つきぬけ
火事を出せ、雪で埋めろ
刃物のような冬が来た

光太郎は冬を人生の試練や苦難に喩え、それに立ち向かう胸中をうたっているのだろうが、私の心には坂村真民(しんみん)の詩がぴったりする。

         冬がきたら

冬がきたら
冬のことだけ思おう
冬を遠ざけようとしたりしないで
むしろすすんで
冬のたましいにふれ
冬のいのちにふれよう

冬がきたら
冬だけが持つ
深さときびしさと
静けさを知ろう
冬はわたしに
いろいろのことを教えてくれる

先ず沈黙の大事なことを
すべての真理は
この沈黙のなかからのみ
生まれてくることを
それから自己試練の大切なことを
すべての事を成就するには
この不屈の魂によってのみ
成功することを

長く暗い冬の真ん中にクリスマスの喜びがあるというのは、何という慰めだろう。まるで心地よい暖炉にあたるようで、暖炉のそばで元気にさせられながら冬を過ごすのだ。そして、そうしているうちに冬にも慣れて、いつしか鶯の声を待つようになる。

老犬チャッピーも外では寒かろう。今夜から土間でおやすみ。チャッピーも元気で鶯の声を聞けますように。

附記:昨夜10時過ぎから次女とスカイプした。サマータイムが終わると時差が長くなって困る。それでも私たち夫婦と3人で遅くまで話し合った。
今改めて真剣に人生の終わりを考えなくてはならぬと思った。

真智
ワシントンも寒いのね。
ミネソタの比ではないけれどここよりはるかに寒いね。

いよいよ寒く暗い冬に突入するけれど、
クリスマスの喜びがいつも元気づけてくれます。
そして、気がついたら2月の終わりごろになっていて
春を心待ちにする頃になっている。

暖かくして温かいものを体に入れるのよ。
またスカイプしようね。

真智に負けずに知子も励んでいます。
ママは幸せです 。
今日の午後に真智に送ったメールより


posted by 優子 at 22:55| 随想 | 更新情報をチェックする

2013年11月01日

さようなら ジャック

さようならジャック.jpgさようなら、ジャック。
別れの朝が来た。
薄緑色だったジャックがオレンジ色になって、朝の斜光線を浴びて輝いていた。ユキは「もっと置いておく」と言ったが「さようなら」を告げて登園した。

私はカボチャに情が移ってしまったのか、別れが辛い。
チャッピーとの別れがきたらどうなるんだろう・・・

ゴミ収集車が来た。
胸がつぶれそうだった。
目を閉じて耐えた。

ありがとう、ジャック。
君のこと、忘れないよ。
君のこと本に書くよ、必ずね!

posted by 優子 at 10:00| 随想 | 更新情報をチェックする

2013年08月26日

藤圭子さんの死に思うこと

藤圭子さんのファンだったわけではないが、投身自殺の報道は非常に衝撃だった。私と同じ1951年生まれだったことも衝撃だった。

その後、娘さんとの関係が悪かったことを知り、単に芸能界の人としてではなく友人か知人のことのように感じ、これから生きていかねばならぬヒカルさんのことばかりを思っている。

夫・宇多田氏は次のように現在の心境を綴っておられる。
出会った頃から彼女には感情の不安定さが見受けられましたが、心を病んでいるというよりも、類い稀な「気まぐれ」な人としか受け止めていませんでした。僕にとっては十分に対応出来る範囲と捉えていました。

この感情の変化がより著しくなり始めたのは宇多田光が5歳くらいのことです。自分の母親、故竹山澄子氏、に対しても、攻撃的な発言や行動が見られるようになり、光と僕もいつの間にか彼女にとって攻撃の対象となっていきました

しかし、感情の変化が頻繁なので、数分後にはいつも、「ゴメン、また迷惑かけちゃったね。」と自分から反省する日々が長い間続きました。

とても辛そうな時が多く見られるようなった際には、病院で診察を受け、適切な治療を受けるよう勧めたことも多々ありましたが、このアドバイスは逆に、僕に対する不信感を抱かせることとなってしまいました
結果、本人が拒絶し続けた治療が成されないまま、彼女の苦しみは年を追うごとに重症化したものと思われます。

最終的に僕から救いの手を差し伸べられなかった悔しさ、大切な人間を失った悲しさでいっぱいです。

これを読んで、一瞬、島尾敏男の『死の棘』が脳裡をよぎった。「彼(島尾)はひたすらに精神を病む妻に寄り添い、寄り添うことで妻を癒し・・・」。
宇多田氏もどんなに苦悩に満ちた日々であっただろうか。繰り返す離婚再婚、そこに宇多田氏の妻への愛情を強く感じる。別れてしまえば他人になる夫ではなくて、子を思う親の愛のようだ。

ヒカルさんの想いも公開された。
8月22日の朝、私の母は自ら命を絶ちました。さまざまな臆測が飛び交っているようなので、少しここでお話をさせてください。

彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。
その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました。

幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした
 

母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです。

誤解されることの多い彼女でしたが… とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、子供のように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。

悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。沢山の暖かいお言葉を頂き、多くの人に支えられていることを実感しています。
ありがとうございました。

母親への両義的な思いが見て取れる。どれもこれも本当の気持ちだろう。
お母さんが悪いのではなく、病気がそうさせているのだと受け止めての苦悩であったので、まずは安堵した。だから感謝の気持ちも失ってはいないのだ。

それでもどんなに苦しかったことだろう。
私が最も悲しいのは、毎回繰り返される地獄のような日々がお互いを遠い存在にさせてしまったことだ。


「母」を「母」と呼びきれず「彼女」になるのは心の現われで、そのこともわかって書いたのだろうか。あるいは葛藤して悩んだあとも「母」とは書きたくない、書けなかったのだろうか。あるいはまた、英語圏で育った者の自然な言葉とも読める。私は今も何度も読みながら考えている。

母親のこのような最期を受けて残された者の心の痛みは計り知れないが、距離を置かねば生きていけなかったことも含めて、精一杯の関わりをしてきたのだから自分を責めないでほしい。

そして、どうか遺体になったお母さんと別れを告げてほしい。会わないままで荼毘にふしてはいけない。このことはことのほか大切なことだ。何よりもこれから生きていかねばならない自らの長い人生のために。

そうすれば、あとはゆっくり悲嘆のプロセスを進んでいける。そして、いつか必ず「笑っている」お母さんの思い出に抱かれることだろう。母をゆるし自分をゆるすことができた時に。

神さまが勇気を与え現実から逃げずに別れの決断をさせてくださるように!


藤圭子さんは病気ゆえに人の言葉に耳を傾けることができなかったが、自分で悩みこまないで誰かに話すことがどんなに大切なことか。その「誰か」がいない人は公的な窓口もある。

どんなに苦しくても与えられた命を生き抜かねばならない。神に祈れ!必ず突破口が開かれる!


附記:ニュースが流れて4日も経っているが、やはりやむにやまれずに夜遅くから一気呵成に書いた。今日の記事にと夕方から下記のものを書きかけていたものがあるので、それも削除しないで記録しておきたい。

今月6日未明、ユキ以外全員が目を覚ますほどのゲリラ豪雨だった。その朝、マチ・クマが8時の電車で再びアメリカへ帰った日だった。

以来雨は一滴も降らず、かつてない猛暑日になった。さすがの私たちもお盆休みに入った頃からクーラーなしでは眠ることができなくなった。

そして23日の夜9時頃、待ちに待った雨が降り出し、それを堺に急に10度以上も気温が下がった。雨が上がった今日も季節はひと月先の9月末だ。

そんな昨日、豊中や大阪もゲリラ豪雨に見舞われ、大阪駅界隈で午前10時45分から10分間に降った雨は27.5ミリで、1937年の観測開始以来最大だったという。

最高度の排水設備を有していたが処理できず、阪急梅田駅(茶屋町)の道路が冠水し、ビル内の「かっぱ横丁」が水浸しになっていた。

明日以降は再び夏に戻るので嬉しい。猛暑はコリゴリだが、8月にこの涼しさはいやだ。
夏を丁寧に味わいつつゆく夏を惜しみ秋を迎えたい。

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2013年06月29日

人の愛をうけとめるということは

知子は大切な方に今週末になってようやく一筆箋を添えてアメリカのお土産をお送りし、早速今夜お礼の電話をいただいた。東大阪在住のその方はいつも私たちのことを祈ってくださっている方で、何よりも私の敬愛する生涯の友だ。

お互いの第一子が幼稚園から高校までずっと一緒で、共にクリスチャンであることがわかり、長女が小学校5年生の春に個人的な出会いに導かれた。

その後、PTA活動や20年間の読書会活動を共にし、当地に移って3年目の2002年4月から我が家を開放して「聖書を読む会」(家庭集会)をもたせていただいていた時もずっと支えてくださった方だ。家庭集会についてはカテゴリ・「オリーブの会」に記録されている。

しかし、知子の一大事が起こり、その後も2回開催したが、2009年6月30日の第41回を最後に4年間中断したままになっている。

今ではお互いに忙しいからと電話やメールをすることもなく、私も半年ぶりに聞く友の声だっただけに何とも不思議な感じがした。
まるで久方ぶりにこの世に舞い戻ってきたような感じがしたが、それはどういうことなのだろう。それだけ精神的に必死だったからだと思う。

必死だったときは友のことを祈ることも忘れていた時もあった。しかし、その間もその友の存在を思い出しては励まされ、友から受けた優しい愛を何度も思い出していたのだが、「私たちは」と一般化してもよいと思うが、私たち人間は、人からどんなに愛や恩を受けてもそれをしっかり受けとめることができないのではないだろうか。

愛を受けとめるとか恩を受けとめるということは、愛し返せばよい、何とかして恩を返せばよいというような安易なものではない。

受けとめるということは、その人の生きたように、また、生きているように、自分もまたその生き方を受け継ぐことだと思って励んでいるのだが、私はなんという遅々たる歩みだろうか。

しかし、諦めてはいけない。聖書(伝道の書 11章6節)には次のように書いてある。

「朝のうちに種をまけ、夕まで手を休めてはならない。
実るのは、これであるか、あれであるか、あるいは二つともに良いのであるか、あなたは知らないからである。」
と、私はたびたびこの聖句を思い出しては励んでいる。

だから成熟するかどうか、実るかどうかを決めるのは私ではないし、他の誰でもない。それを決めるのは神であるとおっしゃるのだから、神の御手に委ねて励めばいいのだ。


友との交わりが信仰から信仰へと導いてくれ、今は亡き三浦綾子さんの祈りを思い出させた。

「どうか自分の努力や自分の才能をのみ数えることがありませんように。心を静めて御前に深い感謝を捧げ得ますように、私の心をお導きください。
神さま、どうか私を優しい人間に変えてください。キリストの御名によって祈ります」。
(『天の梯子』より)
神は愛なり!
アーメン!

知子は猛烈に集中した2ヶ月間を経て仕事のメドがつき、7月からはユキの登園を見送ってから出社し父親と共に帰宅できそうだと言った。
7月早々の参観日や学期末の個人懇談会も出席できるというので私も一息つけそうだ。

しかし、ホッとした時の気の緩みで体調を壊さないようにと、今アフリカにミッション中のクマ(次女の婿)のことや、まもなくアジアのミッションを控えているマチ(次女)のことを思って自らを励ましている。


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2013年04月10日

衝撃と人生の不可解さ

「リック・ウォレン氏の末息子が自殺」。
週に1度程度の頻度で開く『クリスチャン・トゥディ』から驚くべき記事が目に飛び込んできた。公開時刻は4月8日に日付けが変わろうとする時だった。ウォレン氏が次のように詳細を語っている。

「マシューはとても賢く、誰が一番痛みの中にあるか、あるいは部屋の中で一番不快感を感じているかを感じ取ることができました。さらにそのような人と関わりを持って励ましたりもしていました。

しかし、マシューと最も近い位置にいる人間だけが知っていることでしたが、彼は生まれた時から精神病と格闘していました。彼はうつ病の暗い穴の中に引きずり込まれ、自殺したいという思いにさえ駆られることがありました。

米国内最高の医師、薬、カウンセラーや癒やしの祈りがあったにもかかわらず、彼の精神病の苦しみは決して止むことがありませんでした。今日、ケイと私と楽しい夕方の時間を過ごした後、自宅で瞬間的な絶望感に襲われ、彼は自ら命を絶ちました」。


翌8日午前、同誌に「サドルバック教会、ウォレン氏息子の自殺受け追悼礼拝」が更新された。

米サドルバック教会は7日、同教会牧師のリック・ウォレン氏の末息子、マシューさん(27)の自殺を受け、追悼礼拝を行った。7日付の米クリスチャンポスト紙が報じた。

7日の礼拝では、同教会教役者のトム・ホラディ氏が説教した。ホラディ氏も前日ウォレン氏本人から、マシューさんの突然の死について知らされたばかり。会堂は、マシューさんへの哀悼の祈りに満ちた。

ホラディ氏は、すでに先週初めにはウォレン氏からこの日の説教を依頼されていたことを明かした。ウォレン氏は、「人生最悪の日に何をすべきかを説教してほしい」と頼んだという。その時点ではまだ、マシューさんの死を知る由もなかった。

ホラディ氏は、ダビデ王が戦いから帰還した時にツィクラグの街すべてが焼き払われていた場面(サムエル記上30章)を引用し、「ダビデ王と彼の民の取った対応は、希望が遠くに思える状況にあって、どのように対処すべきかのモデルだ」と説いた。その上で、ウォレン氏夫妻がダビデ王らが選んだ同様のステップを踏むことができるよう祈りを求めた。

ホラディ氏は、ダビデ王らがまず第一に「泣いた」と強調し、「人間としての感情の露出を否定しないことが重要だ」と説いた。また、「イエス様も泣かれた。神に対して叫ばれた。そのような感情を他者と共有された」と語った。

第二は「心を苦くせず、他者を赦すこと」、第三は「神にある自分を励まし、神の民を導くこと。御言葉を読み、イエス・キリストの中に希望を見出すこと」。第四は「希望をもって未来を見つめること」。ホラディ氏は、ただ過去に留まっていてはいけないと指摘した。

最後は「悪に打ち勝つこと」だ。ホラディ氏は、「ウォレン氏夫妻のために祈る他にも、それぞれが各自の生活の中で悪に打ち勝つ必要がある」と説いた。

リック・ウォレンと言えば、2009年1月20日にバラク・オバマが第44代アメリカ合衆国大統領に就任した式典で祈りを捧げた牧師だ。
日本でも多くのクリスチャンたちが彼の著書を愛読し、私もたびたびデボーション(祈り)の時に用いているだけに大きな衝撃だった。

関連記事を読み終わったあとも、人生の不可解さに思いをいたし、その後、しばらく考え込んでいた。そして、キリストに在る未来に目を向けた。

ウォレン氏のこれまでの日々を想い、毎日が闘いの日々であり必死で生きている人々や、主(しゅ・キリスト)の教えに倣って励んでいる人々、一方で、畳の上でゆったりと、また、ぬるま湯につかっているような牧師、あるいは形骸化した教会はないだろうかとの思いも強く迫ってきた。

そんな思いもあって、今朝の国会で質問に立った公明党の浮島智子氏の情熱に胸を打たれた。今朝の答弁は教育関連ゆえに関心があり、ユキを迎えに行く11時半までに家事をこなさねばならないので時間を気にしながらも、質問に立った最初の2人の女性に引き込まれて40分ほど耳を傾けてしまった。地に足ついた浮島氏の働きは大きいだろう。私たちもあの熱さを共有して神の働きを進めていきたいものだ。

ウォレン氏はこの悲しみを背負って最後まで生きていかなくてはならない。一人ひとりの人生はなんと重く、それゆえに誰も皆、常に「今」を大切に生きていかねばならない。


posted by 優子 at 17:41| 随想 | 更新情報をチェックする

2013年03月21日

この時をこそ恵みと受け取る

この1か月間ほどある方とメールのやりとりをしていた。やりとりしながら、私はあるクリスチャンカウンセラーがクライアントに鳥瞰図を作らせるという話を思い出していた。こんな話だったと思う。

「自分のルーツを一人ひとり見直す必要がある。どうして自分はこのようになったのかを考えるために、3代前まで考え調査する。
自分の歪んだ状態はその2〜3代前から原因があり、この人も犠牲になっていたのだということがわかるので、鳥瞰図を作ることによってゆるしの準備ができてくる。
この作業はとても大切なように思う。この作業をやった人は2〜3年経つと変わってくる」。


遺伝子の無傷な人はいないように、心の面もまた無傷の人はいない。心の問題や自己を直視できる人は幸いだ。そして、鳥の眼で見るように人間を客観的に見ることができれば幸いである。

日本でもカウンセリングが普及し、第3者の助けが必要な時はカウンセリングの知識と技法を持ったカウンセラーの存在はありがたいものだ。

しかしながら、カウンセリングの理論には何十種類もあり内容は大きく違ってくる。何よりも全てのカウンセリングの基礎はヒューマニズムから出てきているので、ヒューマニズムのもっている人間像を全て鵜呑みにすると危険であり、その弊害はカウンセリングの中にもたくさん出てきているので注意が必要だ。

私は今、久しぶりに玉谷直美氏や三木アヤ氏の本を開いている。
私もまた30代から40代前半までは、自分はいかに生きるかに全精力を傾けたものだ。実に情熱的で社会的活動も盛んだった。

東大阪市の読書会代表(通算8年間)、東大阪市のいくつかの行政委員(通算12年間)、PTAの学年委員長や広報活動(8年間)・・・。また、長女の中学校入学と同時に臨床心理学を学ぶなど、自分を磨くことに専念した。
一番楽しかった時代だ。その後半には神経難病になった母の介護が加わり、10年に及ぶ苦難の百戦錬磨の時代に入っていくのであるが。

しかし、30歳に時に『美しき午後へのスタート』を読んでおり、いわば人生の最盛期の時から,あるいは最盛期に向かう以前から「生命の変わり目」の時をも視野に入れての理想的な歩みでもあった。そして、50代初めに閉経という「生命の変わり目」を迎え、私は今、老年への過渡期に在る。

人間のライフサイクルでは、17歳から22歳が成人への過渡期で、17歳から40歳までを成人前期、40歳から45歳が人生半ばの過渡期で、40歳から60歳までが中年期、60歳から65歳までが老年への過渡期であり老年期と区分される。

今何年かぶりにこれらの本を手にして、ここ数年はじっくり思索する時間を確保できなかったために、精神性をないがしろにしていたのではないかと一瞬焦った。死に向かって魂の変容への歩みを忘れていたのではないかと心配になったのだ。

老人と孫が同居するのは互いにとても良いことであるが、日々の動きに目を奪われてウッカリしていると備えもなく死を迎えることになりかねない。私自身の人生の段階がないがしろにならないようにと心にとめた。

知子は子育てと仕事の両立という問題を抱えているので参考になるであろうし、憎悪の精神によって支え続けられているあの人には大きな気づきが与えられるのではないか。他にも何人かの友や知人の顔が浮かぶが、残念なことに既に廃版になっている。

要するに誰も皆、いろんな問題や試練は、生きる意味を問われ続けていることにほかならないのである。私たちは常に、この時をこそ神の恵みの時として受け止め、良い機会としたい。お互いに良き人生を送りたいものである。


附記:20・21日は「神戸連続児童殺傷事件から15年」http://yukochappy.seesaa.net/article/271137029.htmlへのアクセス数が、それぞれに200を超えている。何か動きがあったのであろうか。
また、2月早々から1ヶ月間毎日のアクセス数が1800から2000を数えた。

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2013年03月10日

祈りの課題

昨日の気温は23.1度にも上がり4月下旬から5月上旬の暖かさになった。観測史上初めてのことらしいが、今日の寒冷前線の通過で気温はガラリと変わり、夜の外気温は昨夜より10度以上も低い5度になっている。

私が「この町で一番に咲く桜」と言っていたのはオカメザクラで、早咲きの桜で2月下旬から3月上旬ごろに花を開く。花木の名前を知ったのは去年の6月だった(過去ログ:2012年6月8日記載)。

おかめ桜.jpg

今朝も17〜8度はあっただろうか、季節はずれの暖かい空気は気持ちよかったが、チャッピーの散歩もそこそこに写真を撮ると最短コースで帰宅した。8日からの中国の大気汚染を案じてゆえだ。

季節柄今回は黄砂に混じって「PM2.5」(Particulate Matter)と花粉が合わさっての注意報が出ていた。「PM2.5」にも対応できるマスクは1枚につき300円もしたが、10時間吊るし干しすればガーゼを取り替えて繰り返し使えると書いてあった。この程度でもしないよりはマシだろうと買った。

ユキのうさぎ組もあと僅か、あっという間の1年だった。
春の感情にまたひとつ、ユキの入園という懐かしい思い出が加わった。

知子は月曜日に続いて木・金曜日も欠勤した。そのおかげで胃腸炎はようやく完治したが、中耳炎の予後ははかばかしくなく、右耳の鼓膜は大きく穴を開けたとは言え、1日でふさがるのに未だふさがってはいない。難聴になるかもしれないそうだ。

私たちのことを祈ってくださっている方々への感謝、日々闘っておられる友のこと、早く死にたいと言われるご老人のこと、・・・そして、知子の心身のことも祈ろう。机の前に貼っている「祈りの課題」は増えるばかりである。

「小さなことへの忠実さ・・・小さければ小さいほど、大きな愛をこめましょう」。
何度もマザー・テレサの言葉をかみしめる日々である。そして、明日は東日本大震災から2年目を迎える。

「震災はもはや過去の出来事のように忘れ去られようとしています。忘れやすい私たちの罪、無関心を装う私たちの罪をお赦しください。

あれほどの事故が起こった原子力発電所を、再び動かそうとするこの地震国の指導者たちを押し止め、より賢明な道を選ばせてください。

苦しむ人々のことを忘れて、自分たちのことばかりを考える私たちの自己中心の罪をどうぞお赦しください。

あなたが慰めを与え続けておられる人々のもとに、私たちもまたとどまり続けることができるように、あなたの愛を与えてください」。


附記:3月7日に美濃紙業のホームページ" being & doing " が更新されました。タイトルは「全人経営へのチャレンジ」です。「お気に入りリンク」に追加しましたのでお読み下さい。


posted by 優子 at 21:40| 随想 | 更新情報をチェックする

2013年03月04日

3月とは思えぬ寒さ

チャッピーの水凍る.jpg

チャッピーの水が1.5センチほど凍り、水面からせり上がって角(つの)のような形で凍っていた。昨年の冬(2月19日)にも同じような氷を発見したが、この日は‐5.3度で水入れの底まで凍っていたと記録されていた。

今朝の気温は‐3度で、氷の厚さも1センチほどだったのに氷の角はもっと垂直に長く突き出ていた。この現象は諏訪湖の御神渡り(おみわたり)と同じ原理なのだろうか。私は子供のような驚きと感動を味わっている。

そんな今日、知子は会社を休んだ。昨朝から酷い嘔吐と胃痛で日曜日もやっている内科を受診(先日の耳鼻科と同じ医院)した。診断は胃腸炎だった。点滴注射の効果もあって吐き気はおさまったが疲労困憊でダウン。耳は両耳とも改善されなくて深刻だ。

2月25日朝にユキが吐いて2日間欠席し、27日・28日に私がダウンし4日間かかって全快。そして、次は知子が嘔吐した。症状は最も重い。もはやこれらの体調不調を軽視してはいけない。体が警告していることを真剣に受け止めねばならない。

今週は春を呼ぶ高気圧が張り出して昼は1日1日と暖かくなり、週末には20度くらいにもなるそうだ。

そして、あの日からまもなく2年目を迎える。

posted by 優子 at 22:47| 随想 | 更新情報をチェックする

2013年02月02日

神の導きに期待して

つい昨日新年を迎えたかと思えば、早2月に入った。
今日は北日本付近を通過した低気圧の影響で南寄りの風が吹いて、日中の最高気温は17.7度(最低気温も7.6度)、東京では20.9度まで上がり、全国的に4月頃の暖かさになった。44年ぶりだそうだ。

ということは、私が17歳の時だったのかと、いつものように亡くなった両親の年を数え、その時母は43歳で父は44歳・・・と、懐かしい父母に思いを馳せた。
明日は今日よりも10度前後も低くなるそうだ。ワシントンは最低気温が‐9度で日中も0度と厳しい寒さが続いている。ミネソタで鍛えられた2人にはどうということはないだろうが。

さて、ここ1週間ブログを更新できなかったのは、2件の共同体の問題と1件の家族問題が深刻で、祈りと聖書や信仰書を読むことに費やしていたからだ。

今再び人間の実相について深く考えさせられており、先月の教会の「交わりの会」でも神の希望を語ったが、祈り導かれて400字にまとめて教会レターに寄稿した。それは「今年の抱負」として参加者全員に原稿依頼されたものであり、発行されたら公開したい。

最後に『山頂をめざして』より:
私たちは、ツバメが太洋に面と向かって恐れずに、波の上を飛んでいくのを見るのが好きである。たとえ私が海の向こうに陸地があるという証拠を一つも持っていなくても、つばめの本能だけで私は満足である。
                    
     小鳥が道なき道を見るように
     私は私の道を見る。
     そして私は到達する
       いつどのような道を通ってか
        私はそれを問うことはしない。
     神は神の良しと見られるとき
     私を導き、小鳥を導かれるのだ。

         (F・W・ボレハム)

            

posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2013年01月12日

神の御臨在を感じた甥の結婚式

今日は夫の甥の結婚式があるのでお昼前に家を出て大阪南港に向かった。結婚式会場は陽射しを取り入れた明るいチャペルだった。

花嫁入場で花嫁の孫娘を見つめておられる母方の祖母に目がとまった。その姿が亡き母と重なり、娘たちを愛してくれた父母に思いをはせた。

式が始まった早々から知子のことを思って心が痛んだ。そして、ユキのことを思った。
「神が合わせられたものを、人は引き離してはならない」。
牧師の宣言(聖句)が奇妙に聞こえた。

知子の結婚は私たち夫婦が反対し続けたものであった。その場合も牧師の宣言はふさわしいのだろうか・・・と思ったのだ。2年に及ぶ時をかけて娘に心を尽くしたが聞き入れられず、ついに私たちは手を離した。娘の人生は娘自身のものだから。
しかし、私たちは祝福して結婚式に臨んだ。

結婚後すぐに娘自身も私たちの助言が正しかったことを知ることになったが、私たちには相談することもできず2年8ヶ月間痛々しい努力を続けた。心身を病むまでに。
そして、全てが明るみにされたのが2009年3月末で、終止符を打ったのは2010年1月だった。

私は心の痛みと悲哀で胸がいっぱいだったので一心に讃美歌を歌った。

「いつくしみ深き友なるイエスは 変わらぬ愛もて導きたもう」
深い慰めを感じた。
その通りだ。知子は今、神の恵みの中で力強く生かされている。知子でしか歩むことのできない人生を生きている。

そして、今朝読んでいた聖書の言葉も思い出していた。 
「神は、彼らを再び(キリストと)つぎ合わすことができるのです」。
「神の賜物と召命とは変わることがありません」。
(ロマ書11章)

賜物は力であり、召命は計画でもある。
つまり、神の力と計画は変わることがない。知子のことは神が心配して下さるのだから心安んじて励むことだ。ユキのことも。

式の間ずっと神の臨在を強く感じていた。
新郎新婦の幸せを祈った。


そして、式が終わった時、外国人の牧師が最前列の新郎の両親家族を祝福し、2列目の私にも挨拶してくださった。
牧師の司式は形式的ではない熱いものが感じられ、個人的な体験をも織り込まれた聴く者に届くメッセージだった。教会ではなくホテルでされる形式だけのキリスト教結婚式では珍しい外国人牧師だった。

牧師が私にも声をかけてくださった時、私は牧師を励ましたく" I am a christian." と言葉をかけ、" It was a wonderful message of your marriage ceremony. I am writing Jesus Christ's testimony. "と言い、気がつけば握手していたので、慌てて手を引っ込めた。あまりにもひどく荒れたカサカサの手だったからだ。

彼はご自身の教会について話されたので名刺を差し出すと、「『過去には感謝、現在は勝利、未来には希望』。いい言葉ですね。」と、私の名刺に印字している漢字も難なく読まれた!

心の痛みを感じ淋しい思いをしていた私に、神さまは牧師を通して豊かに祝福してくださったのである。

このあともまた話しかけてくださり少しの間しゃべっていた。牧師が日本語を自由に話すことができると分かったので日本語で話した。私は英語が不自由だから(笑)。

教会が抱える深刻な問題も神さまはそのままにはされないであろう。外国人牧師は私の心に大きな虹を架けた。


posted by 優子 at 23:26| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年12月31日

感謝に溢れて2012年を送る

アメリカから元気に帰国したマチ・クマは父親にうつされて風邪を引いている。こんなにひどいのは6年振りだそうだ。マチは29日朝から声が出ない。お正月はみんなゆっくり休養するといい。

今年は私も例外ではなく手応えのある一年だった。神さまが年の初めから今日まで私たち一人ひとりを導いてくださったことを感謝して2012年を送ろう。

「主は今に至るまでわれわれを助けられた」。 
                      (第Tサムエル記 7章12節)

2013年が皆様にとって良き一年になりますようにお祈りし、私もますます充実した日々を送ることができますように。

posted by 優子 at 23:57| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年12月29日

2012年述懐

この1年は人間の自我の強さ、頑なさを見る出来事が多くあった。自分自身からの苦悩ではなく外側からのものであり、他者を通して人間の弱さ、限界を見せられ考えさせられる年だった。

「この人が」と思う人が自分の立場のみを主張して譲らない姿を見たこと、伴侶の死を堺に無慈悲で非道な本性を現した人、ある職業人として資質の問題について考えさせられたこと、組織対組織の争い事について(2件)・・・など、自分自身との問題と相談された問題と半々であった。

いずれの場合も共通しているのは話が空転してかみ合わないことだ。
客観的な筆致で叙述することは難しいという理由もあったが、ブログでは事実関係に触れられないので更新が途絶えがちになった。

画家が自画像を描くのは自分の内面を描くのであり、物を書く人は自分の内面を書くのである。私もそれをこそ書きたいのであり、心の内を書かねば読む人の心を打たない。

しかしながらブログという性質上自分の心の内を書くのは難しく、それならば私の求めるブログの意義がないではないかと存続意義に疑問を感じたこともあった。


しかし、「これからもブログに勇気を頂き続けます! 読者に勇気をください!」と反響を寄せて下さる友や、「幸いなブログを感謝します」と言って下さる牧師に支えられて続けることができた。

私はPTAの広報誌を書いていた時も、「たった一人の人でもいい、私の書いたものを読んでくださるならば」との祈りと信念で書いていた。そして、このブログを通してたった一人の人でもいい、まことの神さまと出会ってくだされば嬉しいとの真摯な気持ちで書き続けている。

さて上記に挙げた問題は解決とまではいかなくても未だ終止符が打たれていない1件については、今後は明確に自分の意見を述べることになるだろう。

家族については、今年も家族の健康が守られてそれぞれの持ち場で精一杯のわざを尽くせたこと、ユキが楽しく幼稚園生活を送っていることことが何よりも嬉しく感謝している。

そして、夫の事業経営の大改革に着手したこと。これは何よりも大きな出来事であり、今後も気持ちを緩めないで続行するミッションである。

私の体調も今秋からかなり安定している。ここ数日の血圧は150台になるなど、夜ふかししたりストレスに感じる話になるとてきめんに具合いが悪くなるが、12月早々からの厳しい寒さでもさほど恐怖感はない。

2012年を振り返るとき、今月16日の衆院選について触れずにはおられない。信じ難い結果だった。

日本人は原発事故を経験しても何も学ぶことができないのだ。何が一番大切で何を最も優先させねばならないのか。永遠に解放されない放射能の危険をも後回しにするのが日本人なのだ。


選挙前と選挙後で文言が変わる政治家たちがおぞましい。投票率も59・32%で戦後最低を記録したことにも日本人の意識が現れているのだと思う。世代の違いだけではあるまい。 

今まさに日本の歴史的な節目である。
真の政治家は一人も居ないのだろうか。サラリーマン化し、あるいは、名誉欲か、パフォーマンスを楽しんでいるだけなのだろうか。ただただ日本が破滅への道を進まないように祈るのみ。政治家たちの言動から目が離せない。

今年もあと2日。
病床にある方や悲嘆の中にある方には神の支えと励ましがあるように祈るばかりである。病気以外のことで苦しみの連続であった方には具体的に何か助けにならないものかと思う時、まずお薦めするのが「バウンダリーズ」だ。何人かの人にこの書物を贈っている。

悩みは様々であろうが人間関係においてはシナリオ的に似ているように思う。その処方箋として「バウンダリーズ(境界線)」は大いに助けられる。

バウンダリーズは「自分の責任と他人の責任の領域の境界線のこと」で、自己洞察し、自分の限界を知ることにより境界線を引くことができ生きやすくなる。http://yukochappy.seesaa.net/archives/20080725-1.html
私も心新たに自己への旅を続けたいと思う。


附記:この記事の正しい更新時間は30日午前1時38分。


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2012年12月02日

「最後だとわかっていたなら」

今夜10時過ぎになって笹子トンネルの天井崩落事故を知った。私たちが教会へ行く前に大事故が起きていたのだ。

今朝午前8時ごろ、「山梨県大月市と甲州市にまたがる中央自動車道上り線の笹子トンネル(全長約4.7キロ)で、トンネル内のコンクリート製の天井板が崩落し、少なくとも3台の車が巻き込まれた」。

このトンネルは日本の高度成長期に作られたもので、40年前に作られたインフラはとても多い。
思えば人類史は試練の連続だ。そして、救助、修復工事、土木工学・・・など、どの時代にも同時代に生きる人たちが助け合ってきたことを強く思う。

そして、今日何が起こるかはわからないことを思い知らされ、亡くなられた方々のこと、遺された御家族のことを思うと言葉が出ない。
3.11やこのような時はこの詩を思い出す。

この詩が書かれたのは1989年で、溺れた子を助けようとした10歳の長男を失ったノーマさんが、長男に伝えたかった気持ちを詩にしたもので、9.11同時多発テロの追悼式で読まれ世界中に広がった。

「最後だとわかっていたなら」                 
作・ノーマ コーネット マレック / 訳・佐川 睦

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても
分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための 
ほんのちょっとの時間を
どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも
いつまでも 大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう そうすれば
もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

私たちも明日のことはわからないのだから、いつもいつも家族を大切に生きていきたい。日々関わる人々とも。

posted by 優子 at 23:06| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年11月29日

60代を生きよ!

今日は孫が通っている幼稚園が小学校と共に「オープンスクール」と銘打って終日開放された。これは年中行事になっていて、かつて民生委員として小学校を見学し給食を試食させていただいたことがある。

知子は15分間ほどだけ参加して園をあとにして駅へ走って行った。
私も洗濯物を干しただけで出かけたので1時間ほどで退散するつもりだったのに、保育参観や作品展などを見学して2時間半も滞在することになった。感動と共にいくつか感じたことを書きたいのだが、夜も遅いので次の機会にゆずり、昨日の記事を読んでくださった友から嬉しいコメントメールをいただいて、気づかされたことがあるので書いてみたい。

友は渡辺和子さんの「ふがいない自分と生きる」から言葉を贈ってくださった。
「若い頃は人生の量が大事だったけれど、人生の終わりはする事が限られ、丁寧に自分のあり方を見る暇もできるので量より質に目を向ける向けることができる。『老い』を受け入れる事ができる」というものであった。

友のメールを読んで「そういうことなのかもしれない」と思った。
最近は血圧もほぼコントロールできて体調は良いのだが(こういうことを書くとてきめんに調子が悪くなることが多いが)、今日も幼稚園で1時間も立っていると腰が痛くてたまらなくなってくる。左の股関節は疼(うず)いてくるし、空いている園児のイスを借りて座らねばならなかった。家に居るときでさえ休憩をとらずに横にならないでいると痛くてどうしようもない。

体調が良くてもこんな具合いだから情けない気持ちになってしまう。同じ世代の人どころか、教会や自治会でも私よりももっと年上の人たちがよく動いておられるだけに、私は怠け者で自分に甘いからダメなんだと思ってしまうことしきりである。

そんな日常であり心情なので、私は私の老いがわからないからイライラして不機嫌になりやすいのかもしれないと思った。

30代や40代の頃を思い出すことで自分の老いを認めることができるように思う。それでもなお多くの活動的な人々を思うと、まだまだ自己確立できないような心境ではあるが・・・


第一、私よりも6歳年上の夫は毎朝6時半過ぎに家を出て、10〜20分すらの昼寝もしないで一日を過ごす。
義父が現職だった頃は運転手の送迎で10時に出社し、まずは会社の向かいにある喫茶店でコーヒータイムを取り、6時に帰宅という時代だった。今や「重役出勤」という言葉は死語で時代は全く変わってしまった。

夫と比べなくても私は自分の体力のなさや仕事量の少なさに苛立ちをおぼえる。ユキの世話があるとは言え4時間は自分の時間があるのに何も形になっていないし、動き続けているのに自分の時間がとれないこともしばしばだ。

ところで渡辺和子さんと言えば、私が30代になる前から何冊も著書を買い求めては何十回も読んでいた人だ。ここ10年ぐらい手にすることはなかったが、アメリカ・ボストンカレッジ大学院で教育学の博士号を取得したのち、36歳という若さで岡山のノートルダム清心女子大学の学長に就任されたシスターである。

私がクリスチャンになってから自分の遅々とした歩みに悩んでいた時、一度だけ手紙を出したことがあった。
渡辺さんはカトリックの方なので信仰が違うのだが、多数の著書を熟読し尊敬していた方だった。するとあの多忙な方が肉筆でお返事をくださったのだった。

私はこれからこそ質的に人生を高めていかねばならないのに、老いの焦りからか若い頃にも求めてはいなかった量的なものに目がいっていたように思う。
そのことを友のメールに気づかされた。J姉に感謝!


posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年11月28日

葉の落ちた木々も美しい

今週から年の瀬の寒さになっている。今朝の最低気温は0.3度だった。木々はすっかり葉を落として幹と枝だけになっtていた。

冬の始まり.jpg

「でもステキよ」と、私は木々に声をかけた。
「生命みなぎる時や紅葉の時だけではなく今もステキよ」と。
 
木々の枝には11月初めには新しい蕾をつけていた。それから半年近くもかけて咲く準備するとは・・・と、今朝は万物を創造された神さまのことを思いつつチャッピーと歩いた。

木は花の季節や、新緑や万緑の時だけが美しいのではない。幹と枝だけになって寒さに耐えている姿も山桜らしく、本物の美しさに心惹かれる。
人間も同じだ。試練に耐え笑顔を失っている時も美しいのであり、苦しいい時は苦しいと言い、弱さを分かつことのできる人に惹かれる。


私もまた人生のどの段階においても自分らしく、ほかの誰でもないユニークな私らしさを失わないで生きていきたいと思う。造花のような生き方は嫌だ。

しかし、最近は心の弾力性がなくて困る。年齢を重ねた血管は弾力を失って高血圧になるというが、それと同じだ。心の弾力を失っているのだろう、家族に不機嫌をぶつけることが多い。悔い改めるのにも時間がかかる。だから感動することも乏しくなり楽しくない。

短所がいっぱいの私だが、最たる長所は悔い改めが速いことだったのに・・・と、そんな今夕、宝物がいっぱい詰まった郵便物が届いていた。

いつも祈りに覚えているお一人で、このブログを読んでくださり「チャッピーは讃美犬ですね」と言ってくださったI牧師からだった。

それはこの記事のことを仰ったのだった。http://yukochappy.seesaa.net/archives/20060126-1.html 私がつけたタイトルの「讃美歌犬」より「讚美犬」のほうがふさわしい。

このような師の存在が私を元気づける。聖霊に満たされて感謝の気持ちを刻んだ。書き終わったとき悔い改めへと導かれて自分らしさが戻っていた。二重の喜び、溢れる感謝!


附記:昨日、美濃紙業のホームページ" being & doing " が更新されました。タイトルは「経営改革初年度の手ごたえ ―全体会議より @―」です。ご覧ください。
http://being-and-doing.seesaa.net/


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2012年11月13日

四季は晩秋から冬へ、私は人生の秋を往く

晩秋@.jpg

緑の季節.jpg  
落ち葉.jpg
「裏を見せ 表を見せて 散る紅葉」 
良寛が死んだ時に詠んだ貞心尼のうた。

昨日の朝に撮した木々は今朝はもっと葉を落としていた。今夕の嵐でかなり散ったことだろう。天気予報通り寒冷前線が通過して急激に温度が下がってきた。明日の最低気温は5度で12度しか上がらないという。季節はいよいよ晩秋から冬に移る。

9月からブログの更新が途絶えぎみになっているのは精神活動が緩慢になっているからだ。そんな先週初めからたびたびギックリ腰のような腰痛を4〜5回繰り返している。

痛みは階段も上がれないほどなのに、おかしなことに強い痛みは1日ほどたてば嘘のように消え普段の状態に戻る。まるで学校へ行きたくない、行けない子供が朝になれば腹痛を起こす登校拒否の症状だ。
こんなことは初めてだが、継続中のストレスをうまく処理できなくて身体が反応しているのだと思う。

その合間に孫のスモックを縫ったり、年頭に予約していた植木の剪定があったりと忙しい日々もあり、今月に入ってからはパソコンを開けるのも夕方になることもしばしばだ。
腰痛で身体を休めることが多かったこともあって、すっかり怠け癖がついてしまい思考力や感受性も萎えている。

そんな昨朝、美しい紅葉に魅せられて人生の四季を想った。
私は今、人生サイクルで言えば秋を生きている。人生のどの段階も大切だが、冬に入るまでの年月はとても大切だ。しかも四季と違って突然に冬がやって来るかもしれないのだから、もはやかつての演習を繰り返していてはいけない。


経験を生かして精神的ストレスをうまく処理することだ。
それは神と共にでしか不可能なことも経験済みなのだからと、自らを叱咤激励しつつもエンジンがかからず長女に励まされ支えられるばかりの日々でもあった。

人生が秋色になってきた私は、梢から離れて落ちていく葉っぱをしばらく眺めていた。今一度情熱を奮い立たせて創造的に始めねばと思った。

人生苦を知らぬ幼いユキよ、正しく強い人物になれ!
おさなごたちが喜びと希望を全身に充満させて歌う「まっかな秋」は、一昨日が今秋の歌い納めになるのだろう。http://www.youtube.com/watch?v=jPg15ndgc1w&feature=fvwrel

14日21時56分追記:
今日は幼稚園の都合でいつもより1時間早くユキの迎えに出た。
午後1時10分頃、マン悪く急に雨風の空模様になり、1〜2分間だったが霰(あられ)が降った。明日はもっと寒く、2〜3日は真冬の寒さだそうだ。


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2012年11月01日

全ては通過点

「だから、皆さん、元気を出しなさい。万事はわたしに告げられたとおりに成って行くと、わたしは、神かけて信じている」。    
             (使徒行伝 27章25節)

以下は目に止まった『東京プレイヤーセンター』のコラム記事だ。
◆自分の持っていない専門知識を持つ人に助言を求める。
        (使徒行伝 27章10節)

◆絶対に、絶対に、絶対にあきらめない。
        (〃 27章24節)

◆逆境にあるとき、これは終点ではなく通過点と考える。
        (〃 27章25節)

◆自分の目標をすでに達成したかのように行動する。
        (〃 27章34節)

◆成功後、誰かのメンターになって他者を助ける。
        (〃 27章31節)

私たちも厳しい状況下に在っても、パウロの信仰に倣って生きがいある人生の歩み方をしたいものだ。祈りに覚えている方々を思いつつ励ましと希望を発信!
誰よりもまず私自身に!わーい(嬉しい顔)

posted by 優子 at 11:09| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年09月09日

「心を高くあげよ!」

今日は礼拝のあと昼食を済ませて、香芝市ふたかみ文化センターで開催された「朗読劇グループ遊夢10周年記念公演」の午後の部に参加した。東大阪の読書会でご一緒だった方からご案内をいただいて、8月早々に図書館に整理券を申し込んでいた。

プログラムは以下の通り。朝の散歩で疲れていたユキと夫まで開幕と同時に引き込まれてしまった。

@ 絵本「おじさんのかさ」(佐野洋子 作)
A 朗読劇「あらしのよるに」(木村裕一 作)
B みんなで楽しく「子どもたちの詩」 
  灰谷健次郎さんの『たいようのおなら』より
C 朗読劇『ブレーメンの音楽隊』(グリム 作)
D 群読『平家物語』より「祇園精舎」「小督」

どれもこれもすごい熱演だった。私は時々夫の顔を横目に見ていたが終始熱心に笑顔で観ていた。

明日からの私の絵本の読み聞かせにも熱が入る。
是非『おじいさんのかさ』と『あらしのよるに』を読んでやりたい。いや、ユキを前にしてどこまで感情表現ができるかやってみたい。
『平家物語』の群読には大いに魅せられつつも、無教養な私にはまるで外国語を聞いているようで、英語のほうがもう少しはわかるだろうと思うほどわからなかった。(>_<)

0歳児から5〜6歳(?)までの子供たちから60歳以上の人々まで、いろんな世代の人々60人近く集っていたと思う。会場の小ホールは人で埋まった。
吉田市長も来られたのでご挨拶したら、「今、調べているところです」と給食食材の放射能汚染のことを仰ったので、「さすが(覚えておられる)」と思った。

懐かしい友との語らいは私を元気にさせた。友は宝だ。民生委員でご一緒だった方も活動されていて、この方もまた今も変わらず良き日々を重ねておられるようだった。目や声の表情はその人の生き様が多分に現れるからだ。

そして、劇団の良い雰囲気が漂っていた。きっと団員一人ひとりのベクトルが同じ方向に向いているからだろう。言葉を代えれば、「for what」がわかっているからこそ同じ目的をもって良きパフォーマンスを生み出せるのだ。

私はここずっと私の関係するところで、何のためにやるのかを見失って言葉だけがひとり歩きしている人たちに失望していただけに深い感銘を受けた。この人たちはお金にならないことであるにも関わらず、かくもモチベーション高く磨きをかけ、しかも楽しみつつ社会教育にも貢献しているのである。


今日のタイトルは、今朝の礼拝で歌った『讃美歌21』の18番、「心を高くあげよ!」(Lift up your heart !)からとった。
「霧のような憂いも、闇のような恐れも、みな後ろに投げ捨てて、心を高くあげよう」。

そして思い出した。
「私の誉れよ、我が栄えよ、私の内にある最上最高のものよ、目覚めよ!」(Wake up my glory !)

友よ、感謝!


追記:2010.9.20に新設したカテゴリ「馬見労祷教会関係」を本日削除し「神(聖書)」に組み入れた。


posted by 優子 at 22:49| 奈良 ☁| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年07月27日

神を近くに感じる時

週の初めから養生していたが一向に回復せず、25日の午後はいよいよしんどくて手足が冷たくなった。熱が上がる前の兆候だ。指先は氷のように冷たくなって痛くてしびれた。そして、熱が猛烈に上がり出した。

「早く帰宅して欲しい」と会社に一報を入れて伝言したが家族の帰りを待てず、ユキは曾祖母に預けてタクシーを呼んだ。医者までの5〜6分間でさえ車の中のクーラーは耐え難く長く感じられた。

直ぐに胸のx線検査と血液検査を受けた。咳きは出ないものの肺の下が少し白くなっているので気管支炎と診断された。白血球が増えていないことやリンパ腺も腫れていないので初期だったのだろう。しかし、声が殆ど出ないし、胸の痛みの原因は不明だった。

受診した時は38.7度だったが、帰宅した時は39.9度にも上がっていた。その後、頓服薬や薬が効き始めたのか気分が楽になっていたので、大急ぎでシャワー浴をした。幸いその夜も大事なく次の朝を迎えた。

この日(昨日)ユキは近隣の知人が長時間預かってくださることになった。昨年の幼児教室でお世話下さっていた方だ。神さまの助けだと思った。おかげで午後はユキの心配もしないでずっとウトウトしていた。

この日は夫が東京出張でいつもより30分ほど遅くに家を出ればいいからと、チャッピーの散歩を済ませてくれていた。
ところがユキにねだられて知子もまたユキと短い散歩に出たのだった。その時に近隣の知人に会い、「20分後には電車に乗っているのに蝉取りしてるの?」と大笑いし、理由を聞かれた知人はユキを預かってくださることになり、10時半頃に迎えに来てくださって8時間近くも預かって下さった。

送り届けて下さった時は私も朝より少しは元気になっていたのでしばらく待っていただき、必死で大きなスイカを持ち上げて外へ出た。このあと知子も帰る前にお訪ねしてお礼を申し上げてきたのだが、私もお目にかかって感謝を伝えることができてよかった。

庭で何度も水遊びをさせていただいたユキ。楽しそうな様子を知子に伝えてくださったことで、まだユキが帰っていないことに驚いた知子が電話してきた。私も午後から気になりながらも横たわっていた。

着替えや衣類をたたんだりするのも全部自分でできるので、本当に手のかからない子だと驚いておられた。
昼食の焼き飯をお代わりして、昼寝しそうにないのでスーパーへ行きお菓子を買っていただき、公園ではフルパワーで遊んだので目の下にクマができていた。
我が孫、固まる君にしてはすごいことだ。一人でお友達の家へ遊びに行ってエンジョイしてきたんだから。

別れるとき、1歳年下のNちゃんが「ユキちゃん、帰ったらいや」と泣き、「ユキちゃんがスイカになったね」と帰りの車で言ったという。

ユキはこのまま朝まで寝てしまいそうな状況だったので、私は気合いを入れて湯船の縁に座ってユキを簡単に洗ってやった。そして、歯磨きもしてやらないとと思っていたら、ユキは直ぐに爆睡してしまった。今朝の6時過ぎまで。(笑)

その夜、私は寝つきが悪くて
隣りのベッドで寝ている夫を見ていたら奇妙な気持ちになった
私は何もしないで寝ていただけなのに
この人は東京を往復してきたのだ・・・と見つめていた

そして、長い時空を超えて遠い遠い日々に想いを馳せた

病気した時はいつも食欲がなくて
母がいろいろと口に合うものを作ってくれた

今は少し食欲が出てきたのか
うどんならば食べられそうな気がして
急に温かいうどんが食べたくなった

子供の頃もそうだった
食欲の回復時はいつもうどんだったように思う
そう、「深川」のうどんが食べたい
実家の駅前近くに今でもあるのだろうか

「まいどー!」と元気な声がよく玄関に響いた
ふ か が わ 
何と懐かしい音の響き

私のお気に入りは かやくうどんと鍋焼きうどんだった
お腹の悪い時は出前でとったものをもう一度煮込んでくれた母

今日の午後はかなり回復してきた
水なすの浅漬に土生姜をすっておいしくいただいた
人が最後に食べたいものは決して豪華な食事ではなく
温かいご飯にお漬物や海苔、お味噌汁など素朴な味なのだろう
日本で生まれ育った者の懐かしいふるさとの味だ

明日は是非店屋のものが食べたい
昔ながらの店がいい
夫に連れていってもらおう
道頓堀の「今井」にも是非行きたいな
両親と行った懐かしい店
夫とは一度行ったことがあるが
たぶん娘たちは一度も連れて行ってやっていない

昨夜はそんなことを想っていたら眠ってしまった

いつしか夕焼け空が淡いパープル色に変わり
今まさに日が暮れようとしている
明日も暑い一日になるだろう

痛みと熱に唸っていた時は死を意識した
救い出されたことを感謝し
これまでの罪の赦しと残される家族のことを
ひたすら神に祈っていた

そして肉体の苦痛から解放されて静かに横臥する時
神を近くに感じ
全てが美しく愛と感謝に満たされた
今闘いの中にある人に主の平安がありますように
ただただ平安を祈ります

主の平安
これが地上での最高のものだ
このたびの病気でそのことがよくわかった
私はずっと主の平安の中にあった

使命があるならば
必ずもう一度立ち上がらせて下さることは百も承知の上だから
どんなときも友のためにも平安を祈ろう
私もまた友の篤いお祈りを感謝しつつ

シャローム
(「シャローム」とはヘブライ語で「平安あれ」の意味)


附記:
おかげさまで今日の午後は平熱に下がっているようで、夕方からずっと起きています。
1週間何もせずに寝てばかりの日々、その間も家族が守られたことを感謝します。


posted by 優子 at 19:24| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年07月24日

夏の祈り

「あっ、車のタイヤに蝉がおるから動かしたらあかん!」タ孵化した蝉.jpg
今朝、夫をパーキングまで見送りに行った時、ユキは視覚に入りにくいタイヤにとまっている蝉を見つけて叫んだ。

蝉は孵化したばかりで羽は透き通っていて、写真で見るよりももっと黄緑色をしていた。カメラを取りに帰った私の話を聞いて知子も目を輝かせてやってきた。 

蝉は5年間も地中にいて地上に出てからは2週間ほどの命だという。蝉の声が心地よく体内にしみいる。私は真夏にこそ命を実感し命の輝きを知る。

実はまたしても体調が悪く19日の異常なしんどさは熱中症かと思った。日曜日からいよいよしんどくなり礼拝中に吐き気を感じて、帰宅してから寝込んでしまった。

喉が痛いので風邪だろうと様子をみているが、しんどさ以上に胸が痛くて痛くてたまらないのだ。肋骨に囲まれている部分のあらゆる箇所に肋間神経痛の強い痛みがあり、耐えられないほど強くて唸っている。

昨夜も一昨夜も痛みで目が覚めるほどだ。今朝もベッドの上で唸りながら夜明けを待っていた。長い時間だった。

今この時も癌の痛みで苦しんでおられる知人に想いを馳せていた。また、母や父の病床の時と自分の最期を想像して重ねたり、父と祖父たちが逝った夏の日を思い出したりしていた。

高校一年の夏に亡くなった父方の祖父、大学4回生の時に亡くなった祖父(父の養父で祖父の独身だった兄)、そして、2000年の父が逝った夏を思い出していた。


最近は売薬さえ服用するのが嫌で風邪薬も飲まなかったのだが、あまりに痛いので昨日は飲んだ。飲むとまもなく痛みが嘘のように和らいだ。しかし、6時間ほど経つと再び痛み出した。今日は薬を毎食後飲むことにしたので楽になった。時々、痛みが走るだけだ。

昨日も今日も一日中寝ていた。熱も下がった。体の変わり目なのか最近は故障続きで嫌になる。「上手に60の大台に乗らないとずっと弱くなってしまうよ」と友が心配してくれる。

自分の体力にかげりがあるだけに命が輝いて見える。
洗濯物を入れるときに見つけたトンボ。何もかまってやれないのでユキは退屈しきっている。トンボの名前を嬉しそうに教えてくれた。
「これはね、シオカラトンボ!」シオカラトンボ.jpg

神さま、病気で眠れない人々をお守りください。
今夜も痛みや心配で眠れない人々をお守りください。
主のお守りの中で安らかに眠ることができますように。
主イエス・キリストによって祈ります。
アーメン



posted by 優子 at 23:54| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年07月01日

どんな時も感謝できる喜び

昨日も先週末に続いて内科と眼科を受診することになった。
結膜下出血は1週間ほどで自然吸収されたが、(先月)26日の夜から同じ右目に線状の光が走る。

光は非常に良くないからと両目の瞳孔を開いての眼底検査となった。幸い眼底出血はしていなかったが経過観察のため1ヶ月後も行くことになっている。
(21:20追記:眼科医は4〜5日経っても光が見えるのを懸念しておられたが、その夜も今も光るので心配だ。)

このとき内科にも2週間を待たずに受診したのは、先週の投薬で血圧は見事にコントロールされたものの、即効薬ではない降圧剤が直ぐに効き、しかも下がりすぎの時もあるからだ。
別の病気が隠されているかもしれないとのことだが再び降圧剤を変薬してもらった。

「年を取ると(このような症状がでてくるので)」と眼科でも内科でも言われたのは、やはり少なからずショックだった。

最近は同年齢の人と比べて体力がないので「情けない」「情けない」と思ってしまうのだが、私はハタと気がついた。それは「神さまは情けない」と言っているのと同じだと。だからもう言うまい。私は私のペースで歩めばいいのだ。

叔母の相談事で体調を崩してからというもの、日常の心労が今まで以上に重く感じる。特にしんどいわけではないが、今はユキに大きな声で注意したり、それを聞くだけでも心身に非常な負担感がある。

今は1週間だけでもいいから一人静かに静養したいところだがそれも叶わず、私が療養の身になっては大変なので昨日今日は知子に任せて安静にしている。不本意ながら当分の間、知子と私を教会のご奉仕から外していただくように牧師にお願いした。

27日から登園し始めたユキの体力はすっかり回復したようだが機嫌が悪くよく怒る。最近の我が家は常に会社運営全般についての話題一色なので、ユキにも安らぎをなくさせているのだろう。

それを思ってか、今日は夫(ユキの祖父)が10冊も読み聞かせしてくれたり、雨の合間を縫ってユキを虫採りに連れて行ってくれた。大事業を成功させたところで我が子や孫を犠牲にしては意味がない。

最近のユキについて特筆すべきことは、幼稚園生活に慣れた頃から自ら祈らなくなったことだ。かつては「祈りの人」とまで呼ばれ、おじいちゃんの導き手になっていたユキが今では祈るのを嫌がるのだ。

そんなユキを熱心に祈るように促す夫(ユキの祖父)。今日は固く拒むユキに代わって、夫自らがお祈りするので私と知子は声を抑えて歓喜した。

これはストレスフルな日々にあって大きな喜びだった。
このようなことを喜びとし感謝する私達をご覧になっている神さまは、必ずや私達を祝福してくださるであろう。


私は老いを感じ体力に自信がなくなったからか、6年もほったらかしていたことをやり始めることにした。久保田暁一先生(著名な文芸評論家)に今まで書き溜めたものを一冊にするようにと、何度も声をかけていただいていたものだ。

先週半ばに取り掛かり始めたものの今は1時間もすればしんどくて1回やったきりで終わっている。私に残された時間が迫っているのだろうか、神さまからの促しのように思えるので仕上げたいと思う。

「神の道は完全であり、
主の言葉は真実です。
主はすべて寄り頼む者の盾です。

主のほかに、だれが神でしょうか。
われらの神のほかに、だれが岩でしょうか。

神はわたしに力を帯びさせ、
わたしの道を安全にされました。

神はわたしの足をめじかの足のようにされ、
わたしを高い所に安全に立たせ、
わたしの手を戦いに慣らされたので、
わたしの腕は青銅の弓をもひくことができます。

あなたはその救いの盾をわたしに与え、
あなたの右の手はわたしをささえ、
あなたの助けはわたしを大いなる者とされました。

あなたがわたしの歩む所を広くされたので、
わたしの足はすべらなかったのです」。


        (詩篇 18篇30節〜36節)

「自分のしようとすることをみな神さまにゆだねなさい。
信頼するものを神さまは助けてくださいます」。
        


     
posted by 優子 at 16:54| 随想 | 更新情報をチェックする