2012年11月13日

四季は晩秋から冬へ、私は人生の秋を往く

晩秋@.jpg

緑の季節.jpg  
落ち葉.jpg
「裏を見せ 表を見せて 散る紅葉」 
良寛が死んだ時に詠んだ貞心尼のうた。

昨日の朝に撮した木々は今朝はもっと葉を落としていた。今夕の嵐でかなり散ったことだろう。天気予報通り寒冷前線が通過して急激に温度が下がってきた。明日の最低気温は5度で12度しか上がらないという。季節はいよいよ晩秋から冬に移る。

9月からブログの更新が途絶えぎみになっているのは精神活動が緩慢になっているからだ。そんな先週初めからたびたびギックリ腰のような腰痛を4〜5回繰り返している。

痛みは階段も上がれないほどなのに、おかしなことに強い痛みは1日ほどたてば嘘のように消え普段の状態に戻る。まるで学校へ行きたくない、行けない子供が朝になれば腹痛を起こす登校拒否の症状だ。
こんなことは初めてだが、継続中のストレスをうまく処理できなくて身体が反応しているのだと思う。

その合間に孫のスモックを縫ったり、年頭に予約していた植木の剪定があったりと忙しい日々もあり、今月に入ってからはパソコンを開けるのも夕方になることもしばしばだ。
腰痛で身体を休めることが多かったこともあって、すっかり怠け癖がついてしまい思考力や感受性も萎えている。

そんな昨朝、美しい紅葉に魅せられて人生の四季を想った。
私は今、人生サイクルで言えば秋を生きている。人生のどの段階も大切だが、冬に入るまでの年月はとても大切だ。しかも四季と違って突然に冬がやって来るかもしれないのだから、もはやかつての演習を繰り返していてはいけない。


経験を生かして精神的ストレスをうまく処理することだ。
それは神と共にでしか不可能なことも経験済みなのだからと、自らを叱咤激励しつつもエンジンがかからず長女に励まされ支えられるばかりの日々でもあった。

人生が秋色になってきた私は、梢から離れて落ちていく葉っぱをしばらく眺めていた。今一度情熱を奮い立たせて創造的に始めねばと思った。

人生苦を知らぬ幼いユキよ、正しく強い人物になれ!
おさなごたちが喜びと希望を全身に充満させて歌う「まっかな秋」は、一昨日が今秋の歌い納めになるのだろう。http://www.youtube.com/watch?v=jPg15ndgc1w&feature=fvwrel

14日21時56分追記:
今日は幼稚園の都合でいつもより1時間早くユキの迎えに出た。
午後1時10分頃、マン悪く急に雨風の空模様になり、1〜2分間だったが霰(あられ)が降った。明日はもっと寒く、2〜3日は真冬の寒さだそうだ。


posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年11月01日

全ては通過点

「だから、皆さん、元気を出しなさい。万事はわたしに告げられたとおりに成って行くと、わたしは、神かけて信じている」。    
             (使徒行伝 27章25節)

以下は目に止まった『東京プレイヤーセンター』のコラム記事だ。
◆自分の持っていない専門知識を持つ人に助言を求める。
        (使徒行伝 27章10節)

◆絶対に、絶対に、絶対にあきらめない。
        (〃 27章24節)

◆逆境にあるとき、これは終点ではなく通過点と考える。
        (〃 27章25節)

◆自分の目標をすでに達成したかのように行動する。
        (〃 27章34節)

◆成功後、誰かのメンターになって他者を助ける。
        (〃 27章31節)

私たちも厳しい状況下に在っても、パウロの信仰に倣って生きがいある人生の歩み方をしたいものだ。祈りに覚えている方々を思いつつ励ましと希望を発信!
誰よりもまず私自身に!わーい(嬉しい顔)

posted by 優子 at 11:09| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年09月09日

「心を高くあげよ!」

今日は礼拝のあと昼食を済ませて、香芝市ふたかみ文化センターで開催された「朗読劇グループ遊夢10周年記念公演」の午後の部に参加した。東大阪の読書会でご一緒だった方からご案内をいただいて、8月早々に図書館に整理券を申し込んでいた。

プログラムは以下の通り。朝の散歩で疲れていたユキと夫まで開幕と同時に引き込まれてしまった。

@ 絵本「おじさんのかさ」(佐野洋子 作)
A 朗読劇「あらしのよるに」(木村裕一 作)
B みんなで楽しく「子どもたちの詩」 
  灰谷健次郎さんの『たいようのおなら』より
C 朗読劇『ブレーメンの音楽隊』(グリム 作)
D 群読『平家物語』より「祇園精舎」「小督」

どれもこれもすごい熱演だった。私は時々夫の顔を横目に見ていたが終始熱心に笑顔で観ていた。

明日からの私の絵本の読み聞かせにも熱が入る。
是非『おじいさんのかさ』と『あらしのよるに』を読んでやりたい。いや、ユキを前にしてどこまで感情表現ができるかやってみたい。
『平家物語』の群読には大いに魅せられつつも、無教養な私にはまるで外国語を聞いているようで、英語のほうがもう少しはわかるだろうと思うほどわからなかった。(>_<)

0歳児から5〜6歳(?)までの子供たちから60歳以上の人々まで、いろんな世代の人々60人近く集っていたと思う。会場の小ホールは人で埋まった。
吉田市長も来られたのでご挨拶したら、「今、調べているところです」と給食食材の放射能汚染のことを仰ったので、「さすが(覚えておられる)」と思った。

懐かしい友との語らいは私を元気にさせた。友は宝だ。民生委員でご一緒だった方も活動されていて、この方もまた今も変わらず良き日々を重ねておられるようだった。目や声の表情はその人の生き様が多分に現れるからだ。

そして、劇団の良い雰囲気が漂っていた。きっと団員一人ひとりのベクトルが同じ方向に向いているからだろう。言葉を代えれば、「for what」がわかっているからこそ同じ目的をもって良きパフォーマンスを生み出せるのだ。

私はここずっと私の関係するところで、何のためにやるのかを見失って言葉だけがひとり歩きしている人たちに失望していただけに深い感銘を受けた。この人たちはお金にならないことであるにも関わらず、かくもモチベーション高く磨きをかけ、しかも楽しみつつ社会教育にも貢献しているのである。


今日のタイトルは、今朝の礼拝で歌った『讃美歌21』の18番、「心を高くあげよ!」(Lift up your heart !)からとった。
「霧のような憂いも、闇のような恐れも、みな後ろに投げ捨てて、心を高くあげよう」。

そして思い出した。
「私の誉れよ、我が栄えよ、私の内にある最上最高のものよ、目覚めよ!」(Wake up my glory !)

友よ、感謝!


追記:2010.9.20に新設したカテゴリ「馬見労祷教会関係」を本日削除し「神(聖書)」に組み入れた。


posted by 優子 at 22:49| 奈良 ☁| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年07月27日

神を近くに感じる時

週の初めから養生していたが一向に回復せず、25日の午後はいよいよしんどくて手足が冷たくなった。熱が上がる前の兆候だ。指先は氷のように冷たくなって痛くてしびれた。そして、熱が猛烈に上がり出した。

「早く帰宅して欲しい」と会社に一報を入れて伝言したが家族の帰りを待てず、ユキは曾祖母に預けてタクシーを呼んだ。医者までの5〜6分間でさえ車の中のクーラーは耐え難く長く感じられた。

直ぐに胸のx線検査と血液検査を受けた。咳きは出ないものの肺の下が少し白くなっているので気管支炎と診断された。白血球が増えていないことやリンパ腺も腫れていないので初期だったのだろう。しかし、声が殆ど出ないし、胸の痛みの原因は不明だった。

受診した時は38.7度だったが、帰宅した時は39.9度にも上がっていた。その後、頓服薬や薬が効き始めたのか気分が楽になっていたので、大急ぎでシャワー浴をした。幸いその夜も大事なく次の朝を迎えた。

この日(昨日)ユキは近隣の知人が長時間預かってくださることになった。昨年の幼児教室でお世話下さっていた方だ。神さまの助けだと思った。おかげで午後はユキの心配もしないでずっとウトウトしていた。

この日は夫が東京出張でいつもより30分ほど遅くに家を出ればいいからと、チャッピーの散歩を済ませてくれていた。
ところがユキにねだられて知子もまたユキと短い散歩に出たのだった。その時に近隣の知人に会い、「20分後には電車に乗っているのに蝉取りしてるの?」と大笑いし、理由を聞かれた知人はユキを預かってくださることになり、10時半頃に迎えに来てくださって8時間近くも預かって下さった。

送り届けて下さった時は私も朝より少しは元気になっていたのでしばらく待っていただき、必死で大きなスイカを持ち上げて外へ出た。このあと知子も帰る前にお訪ねしてお礼を申し上げてきたのだが、私もお目にかかって感謝を伝えることができてよかった。

庭で何度も水遊びをさせていただいたユキ。楽しそうな様子を知子に伝えてくださったことで、まだユキが帰っていないことに驚いた知子が電話してきた。私も午後から気になりながらも横たわっていた。

着替えや衣類をたたんだりするのも全部自分でできるので、本当に手のかからない子だと驚いておられた。
昼食の焼き飯をお代わりして、昼寝しそうにないのでスーパーへ行きお菓子を買っていただき、公園ではフルパワーで遊んだので目の下にクマができていた。
我が孫、固まる君にしてはすごいことだ。一人でお友達の家へ遊びに行ってエンジョイしてきたんだから。

別れるとき、1歳年下のNちゃんが「ユキちゃん、帰ったらいや」と泣き、「ユキちゃんがスイカになったね」と帰りの車で言ったという。

ユキはこのまま朝まで寝てしまいそうな状況だったので、私は気合いを入れて湯船の縁に座ってユキを簡単に洗ってやった。そして、歯磨きもしてやらないとと思っていたら、ユキは直ぐに爆睡してしまった。今朝の6時過ぎまで。(笑)

その夜、私は寝つきが悪くて
隣りのベッドで寝ている夫を見ていたら奇妙な気持ちになった
私は何もしないで寝ていただけなのに
この人は東京を往復してきたのだ・・・と見つめていた

そして、長い時空を超えて遠い遠い日々に想いを馳せた

病気した時はいつも食欲がなくて
母がいろいろと口に合うものを作ってくれた

今は少し食欲が出てきたのか
うどんならば食べられそうな気がして
急に温かいうどんが食べたくなった

子供の頃もそうだった
食欲の回復時はいつもうどんだったように思う
そう、「深川」のうどんが食べたい
実家の駅前近くに今でもあるのだろうか

「まいどー!」と元気な声がよく玄関に響いた
ふ か が わ 
何と懐かしい音の響き

私のお気に入りは かやくうどんと鍋焼きうどんだった
お腹の悪い時は出前でとったものをもう一度煮込んでくれた母

今日の午後はかなり回復してきた
水なすの浅漬に土生姜をすっておいしくいただいた
人が最後に食べたいものは決して豪華な食事ではなく
温かいご飯にお漬物や海苔、お味噌汁など素朴な味なのだろう
日本で生まれ育った者の懐かしいふるさとの味だ

明日は是非店屋のものが食べたい
昔ながらの店がいい
夫に連れていってもらおう
道頓堀の「今井」にも是非行きたいな
両親と行った懐かしい店
夫とは一度行ったことがあるが
たぶん娘たちは一度も連れて行ってやっていない

昨夜はそんなことを想っていたら眠ってしまった

いつしか夕焼け空が淡いパープル色に変わり
今まさに日が暮れようとしている
明日も暑い一日になるだろう

痛みと熱に唸っていた時は死を意識した
救い出されたことを感謝し
これまでの罪の赦しと残される家族のことを
ひたすら神に祈っていた

そして肉体の苦痛から解放されて静かに横臥する時
神を近くに感じ
全てが美しく愛と感謝に満たされた
今闘いの中にある人に主の平安がありますように
ただただ平安を祈ります

主の平安
これが地上での最高のものだ
このたびの病気でそのことがよくわかった
私はずっと主の平安の中にあった

使命があるならば
必ずもう一度立ち上がらせて下さることは百も承知の上だから
どんなときも友のためにも平安を祈ろう
私もまた友の篤いお祈りを感謝しつつ

シャローム
(「シャローム」とはヘブライ語で「平安あれ」の意味)


附記:
おかげさまで今日の午後は平熱に下がっているようで、夕方からずっと起きています。
1週間何もせずに寝てばかりの日々、その間も家族が守られたことを感謝します。


posted by 優子 at 19:24| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年07月24日

夏の祈り

「あっ、車のタイヤに蝉がおるから動かしたらあかん!」タ孵化した蝉.jpg
今朝、夫をパーキングまで見送りに行った時、ユキは視覚に入りにくいタイヤにとまっている蝉を見つけて叫んだ。

蝉は孵化したばかりで羽は透き通っていて、写真で見るよりももっと黄緑色をしていた。カメラを取りに帰った私の話を聞いて知子も目を輝かせてやってきた。 

蝉は5年間も地中にいて地上に出てからは2週間ほどの命だという。蝉の声が心地よく体内にしみいる。私は真夏にこそ命を実感し命の輝きを知る。

実はまたしても体調が悪く19日の異常なしんどさは熱中症かと思った。日曜日からいよいよしんどくなり礼拝中に吐き気を感じて、帰宅してから寝込んでしまった。

喉が痛いので風邪だろうと様子をみているが、しんどさ以上に胸が痛くて痛くてたまらないのだ。肋骨に囲まれている部分のあらゆる箇所に肋間神経痛の強い痛みがあり、耐えられないほど強くて唸っている。

昨夜も一昨夜も痛みで目が覚めるほどだ。今朝もベッドの上で唸りながら夜明けを待っていた。長い時間だった。

今この時も癌の痛みで苦しんでおられる知人に想いを馳せていた。また、母や父の病床の時と自分の最期を想像して重ねたり、父と祖父たちが逝った夏の日を思い出したりしていた。

高校一年の夏に亡くなった父方の祖父、大学4回生の時に亡くなった祖父(父の養父で祖父の独身だった兄)、そして、2000年の父が逝った夏を思い出していた。


最近は売薬さえ服用するのが嫌で風邪薬も飲まなかったのだが、あまりに痛いので昨日は飲んだ。飲むとまもなく痛みが嘘のように和らいだ。しかし、6時間ほど経つと再び痛み出した。今日は薬を毎食後飲むことにしたので楽になった。時々、痛みが走るだけだ。

昨日も今日も一日中寝ていた。熱も下がった。体の変わり目なのか最近は故障続きで嫌になる。「上手に60の大台に乗らないとずっと弱くなってしまうよ」と友が心配してくれる。

自分の体力にかげりがあるだけに命が輝いて見える。
洗濯物を入れるときに見つけたトンボ。何もかまってやれないのでユキは退屈しきっている。トンボの名前を嬉しそうに教えてくれた。
「これはね、シオカラトンボ!」シオカラトンボ.jpg

神さま、病気で眠れない人々をお守りください。
今夜も痛みや心配で眠れない人々をお守りください。
主のお守りの中で安らかに眠ることができますように。
主イエス・キリストによって祈ります。
アーメン



posted by 優子 at 23:54| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年07月01日

どんな時も感謝できる喜び

昨日も先週末に続いて内科と眼科を受診することになった。
結膜下出血は1週間ほどで自然吸収されたが、(先月)26日の夜から同じ右目に線状の光が走る。

光は非常に良くないからと両目の瞳孔を開いての眼底検査となった。幸い眼底出血はしていなかったが経過観察のため1ヶ月後も行くことになっている。
(21:20追記:眼科医は4〜5日経っても光が見えるのを懸念しておられたが、その夜も今も光るので心配だ。)

このとき内科にも2週間を待たずに受診したのは、先週の投薬で血圧は見事にコントロールされたものの、即効薬ではない降圧剤が直ぐに効き、しかも下がりすぎの時もあるからだ。
別の病気が隠されているかもしれないとのことだが再び降圧剤を変薬してもらった。

「年を取ると(このような症状がでてくるので)」と眼科でも内科でも言われたのは、やはり少なからずショックだった。

最近は同年齢の人と比べて体力がないので「情けない」「情けない」と思ってしまうのだが、私はハタと気がついた。それは「神さまは情けない」と言っているのと同じだと。だからもう言うまい。私は私のペースで歩めばいいのだ。

叔母の相談事で体調を崩してからというもの、日常の心労が今まで以上に重く感じる。特にしんどいわけではないが、今はユキに大きな声で注意したり、それを聞くだけでも心身に非常な負担感がある。

今は1週間だけでもいいから一人静かに静養したいところだがそれも叶わず、私が療養の身になっては大変なので昨日今日は知子に任せて安静にしている。不本意ながら当分の間、知子と私を教会のご奉仕から外していただくように牧師にお願いした。

27日から登園し始めたユキの体力はすっかり回復したようだが機嫌が悪くよく怒る。最近の我が家は常に会社運営全般についての話題一色なので、ユキにも安らぎをなくさせているのだろう。

それを思ってか、今日は夫(ユキの祖父)が10冊も読み聞かせしてくれたり、雨の合間を縫ってユキを虫採りに連れて行ってくれた。大事業を成功させたところで我が子や孫を犠牲にしては意味がない。

最近のユキについて特筆すべきことは、幼稚園生活に慣れた頃から自ら祈らなくなったことだ。かつては「祈りの人」とまで呼ばれ、おじいちゃんの導き手になっていたユキが今では祈るのを嫌がるのだ。

そんなユキを熱心に祈るように促す夫(ユキの祖父)。今日は固く拒むユキに代わって、夫自らがお祈りするので私と知子は声を抑えて歓喜した。

これはストレスフルな日々にあって大きな喜びだった。
このようなことを喜びとし感謝する私達をご覧になっている神さまは、必ずや私達を祝福してくださるであろう。


私は老いを感じ体力に自信がなくなったからか、6年もほったらかしていたことをやり始めることにした。久保田暁一先生(著名な文芸評論家)に今まで書き溜めたものを一冊にするようにと、何度も声をかけていただいていたものだ。

先週半ばに取り掛かり始めたものの今は1時間もすればしんどくて1回やったきりで終わっている。私に残された時間が迫っているのだろうか、神さまからの促しのように思えるので仕上げたいと思う。

「神の道は完全であり、
主の言葉は真実です。
主はすべて寄り頼む者の盾です。

主のほかに、だれが神でしょうか。
われらの神のほかに、だれが岩でしょうか。

神はわたしに力を帯びさせ、
わたしの道を安全にされました。

神はわたしの足をめじかの足のようにされ、
わたしを高い所に安全に立たせ、
わたしの手を戦いに慣らされたので、
わたしの腕は青銅の弓をもひくことができます。

あなたはその救いの盾をわたしに与え、
あなたの右の手はわたしをささえ、
あなたの助けはわたしを大いなる者とされました。

あなたがわたしの歩む所を広くされたので、
わたしの足はすべらなかったのです」。


        (詩篇 18篇30節〜36節)

「自分のしようとすることをみな神さまにゆだねなさい。
信頼するものを神さまは助けてくださいます」。
        


     
posted by 優子 at 16:54| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年06月21日

主に在っては祈りつつミッションの日々

前記事の翌日(18日)、参観日の代休にユキは昼過ぎから熱を出した。受診したが風邪でもなく意味不明の熱で、通園している幼稚園では何も流行していないとのこと。

疲れなのだろうか。とにかく5月中頃からというもの、ユキの昼寝は夜まで続き3時間も4時間も寝るので、毎日夕食時はスッタモンダして起こすという具合である。

今回は入園後初めての受診というので医師は驚いておられたそうだが、それどころか1年2ヶ月ぶりの受診である。とは言え、その間に2度ほど熱を出している。

知子や真智子は1〜2ヶ月に1度は医者通いをしていたことを思うと、ユキは強いようだがそうでもない。事実、皆勤の子供たちも結構多い。しかも彼らは昼寝なしで習い事をこなしているのだ。

19日の朝には平熱に戻っていたが台風接近ということもあって休ませた。園児が帰宅する頃は長い間雨も降らなかったが、知子のPCには2時に一斉下校とのPTA緊急メールが入ったとのこと。

その影響なのだろうか、美濃紙業も3時で社員たちを帰らせて夫と知子は4時半頃に帰宅した。この日神戸では休校だったそうだ。6月上陸の珍しい台風4号は去っていったが続いて台風5号で週末まで鬱陶しい日が続く。

そして、20日は登園したはいいが、熱があるからと園から電話が入り、降園より1時間早く迎えに行った。本人はいたって元気だが今日も休ませた。

私は先週末より体調が悪く、今日またしても結膜下出血を起こした。昨年7月に発症して3度目である。やはり日常の出来事と大いに関係があることがわかった。

花を見ていると心癒される。梅雨に似合うイソトマ.jpg
梅雨にはイソトマもよく似合う。

心をアメリカの次女夫婦に向けて気分転換しよう。
クマ(次女の婿)は初めてのミッションで只今アフリカに滞在している。ロンドン経由で2日間かけて担当国に到着したという。

今はようやく半分過ぎたところで愛妻のもとへ帰るまでもうしばらくの辛抱だが、その後、マチもまた7月早々に次々と2ヶ国の短いミッションを控えているのでワシントンの家は寂しいことだろう。 

”mission ”(ミッション)とは「海外での交渉を担う派遣団、交渉団の任務、使命」の意味であり、次女夫婦はIMF職員として任務を果たしているのであるが、クリスチャンにとっては日々ミッションである。

今回は私事ではないが、あまりにも重い相談事に体調を崩してしまった。しかし、「使命」とは文字通り「命を使う」ことであるから命を削ることを惜しむことなかれ。

主に在る人々にとっては最善のことが定められてあると固く信じよう。

「神が誰の改心を望んでいられるか、
 その救いのみこころはおまえにはわからない」。



posted by 優子 at 21:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年06月13日

救いは今

あじさい.jpg

あじさいの時季(とき)、あまりに美しいので今朝のチャッピーの散歩はカメラを持って出た。

今週末にクリスチャン・ペンクラブの例会があり、翌日の礼拝では「こどもの礼拝」でメッセージの御用に立たせて頂くことになっている。今日の午前中にメッセージの準備はできたが、作品は完成まであと一歩。

夕方、ある人から深刻な電話が入った。

クリスチャンが試練に直面した際、「あなたを神の御用に間に合うものにしようとして問題が起きることを許されます。
問題が来たとき『もう一段成長するときがきた』『神がそれを許されたのだから必ず解決する』という考え方をもっていないと、神の真の目的に間に合わないクリスチャン生活を送ってしまうことになります。

試練は神様の許可があってやってきているのであり、試練を通してクリスチャンが強められ、倒れないようにされていく」のだという。

     (クリスチャン・トゥデイ:2012年5月21日より)

この記事は長女に贈りたくて取っていた。
そして、「この重責を許されたのだから必ず成功する」と伝えてやりたくて。

娘にその人のことを話した。信仰を分かち合える幸せは何にも代え難い。話し合いながら神の導きが示された。

その方の救いは今だと思う。
神に遣わされる者として私を整え備えて下さるように。闘うべきは闘い、神に委ねよう。神の御心が成るように。
紫陽花の時季.jpg

大好きな色のタチアオイが咲いていた。

タチアオイ.jpg

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたし(イエス・キリスト)のもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。

わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。
    
        (マタイによる福音書 11章28節〜30節)

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2012年06月08日

神の促し

今日は幼稚園の「PTA親子親睦会」があるので知子は欠勤した。ユキを見送ってから登園するまでに一緒に散歩する時間はあったが、今朝は神の促しを感じて独りで散歩に出た。

人の声は黙想の邪魔になるが、チャッピーは黙々と歩くので邪魔にはならない。チャッピーと歩きながらの神さまとの語らいは私に深い休息をもたらす。

ところが、スタート早々にある老婦人と初めて話すことになった。
この方は民生委員をしている時に独居老人ということで訪問した方だ。人を寄せつけない人だから関わらなくてもいいとの引き継ぎを受けていたとおり、「私は民生委員に世話になるようなことはありません」と問答無用で門前払された。

民生委員に対してひと昔前の認識をされていてプライドが傷ついたのかもしれない。説明したが名刺とチラシさえ受け取ってはもらえなかった。

ところが、その方が今朝玄関から出てこられた瞬間、私は聖霊(神)さまの気配を感じたと同時に気がついたら声を出していた。

この町で一番先に咲く桜を毎年楽しませて頂いていることを話した。人恋しく思っておられたのだろうか会話は長く続き、最後には悩み事まで話されたのには驚いた。

腰を痛めての独り暮らしは不安だろうからと私の名前と自宅を伝えた。別れる時は表情が明るくなり笑顔でお礼を言ってくださった。

あの桜は「おかめ桜」と言い小さい苗を買ってきて植えたそうだ。別れてからその方のことを祈りながら歩いた。

チャッピーは立ち話が長くなると腹ばいになって待っていてくれるので、盲導犬のように賢いところある。(笑)

そのあともう一人の老婦人と会って話している時、まるで記憶喪失していた記憶が戻ってくるような感じがした。

母や父の介護の時、病院で出会った人々との関わりを思い起こさせ、私が真に生かされる場所を神さまに示されたように感じた。

散歩では静まることはできなかったが、神の愛の中で生かされていることへの深い感謝を覚えた。


緑の季節.jpg

周囲の草が刈られて木々が美しく映える。

草が生えるまで期間限定のお気に入りの景色だ。
午前中の緩やかな陽射しを残す空は急きょ曇天に変わり、昼頃から小雨が降り出した。昼のニュースで西日本が梅雨入りしたもようだと報じていた。

自然界はまもなく深い万緑の季節を迎える。



posted by 優子 at 22:14| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年06月04日

「ハンサム・ウーマン」として生きた新島襄の妻・八重

もう何十年とNHK大河ドラマを見たことがないが、翌2013年の大河ドラマは新島襄の妻・八重が主人公であるというのは私の耳にも入っている。
先日届いた今年の同志社同窓会報の特集は「新島八重」がとりあげられており興味深く読んだ。貴重なグラビア写真もたくさん掲載されている。

同志社に入学すると最初に新島襄の生涯を学ぶので、私も八重のことを少しは知っているがごく僅かだ。
同志社は山本覺馬(かくま:会津藩士、人生の半ばに失明)から新島襄に譲渡された旧薩摩藩邸の敷地(6000坪)に設立された。私は6年間毎朝「薩摩藩邸跡」の碑を見ながらキャンパスに入っていたことを懐かしく思い出す。

覺馬より17歳年下の妹が八重であり、幕末最後の会津藩の戦いでは男装して刀と鉄砲を持って戦った勇ましい女性である。
余談だが、会津藩に合流して共に戦った土方歳三は八重と会っているのだろうか、幕末に想いを馳せる。

八重は結婚式の前日に洗礼を受け、京都で初めての受洗者となり、2人の結婚式が京都で初めてのキリスト教式の結婚式だった。

八重のことでよく引用されるのが、新島襄がアメリカのハーディ夫人に宛てた手紙だ。
"Of course she is not handsome at all. But what I know of her that she is a person who does handsome."

「彼女は決して美人ではありません。しかし、私が知っているのは、美しい行いをする人(ハンサム・ウーマン)だということです。私にはそれで充分です」。

同窓会報には101歳になる1928年卒業生の御子息が、母上から口述筆記した話が刻まれている。

「八重さんと新島先生の性格が対照的で、会津出身の気丈な八重さんに対し、先生は非常にお優しく、周囲に対して大変な気配りの方であったこと、・・・『八重さん、八重さん』と言っておられ、周囲はその様子を見て仰天していたことなどです」。

そして、この記事のあとに今年2月にご逝去されたことも附記されていた。

襄と八重は共に聖書を読み、「八重さん」「襄」と呼び合ったというから、互いを尊んだ精神性の高さがよくわかる。

いや現代であってもどちらか一方が敬称をつけるのならば、「襄さん」「八重」であろう。今から150年も前のことであるから、尚更に「周囲はその様子を見て仰天していた」のだろう。

新島襄の人柄は内村鑑三との関わりにおいても同じで、鑑三のことでアマスト大学のシーリー総長に愛の配慮をしたように、キリストの香りを放つ人物であったことがよくわかる。

八重は夫を亡くしてから社会奉仕に情熱を注ぎ86歳で天に帰った。同志社葬では八重の遺志により山室軍平(救世軍)が追悼説教したことと説教の一部も紹介されている。

「同志社の母」と呼ばれ、「ハンサム・ウーマン」として生きた八重。大河ドラマではどのように描かれるのか楽しみだ。

その一方で「会津魂」を持った女性であったことだけではなく、「クリスチャン」であったことが曖昧にされないようにと願う。人格の中核が曖昧になるとその人物を正しく描ききれないからだ。


同志社は全校あげて『八重の桜』で盛り上がっていることであろう。私も来年の大河ドラマこそ必ず見たいと思う。同志社が新島襄の建学精神を継承し使命を果たしていくことを祈りつつ。

posted by 優子 at 18:16| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年05月14日

初めて知るサクランボの季節に

当地に引っ越して13回目の春である。この春に私は生まれて初めてサクランボができる季節を知った。
さくらんぼの実る時季.jpg

町の端にあるサクランボの実る桜は知っていたが、昨日の散歩で教えてもらったサクランボはいつも通っている街路樹の桜だった。今まで知らなかったとは私の目は何という節穴なのだろう。

ちょうど昨日、教会員さんが御自宅に実ったサクランボをたくさん持ってきてくださった。実のなる桜はふつうの桜よりも雄しべと雌しべが長いそうだ。花も見たいものだ。

礼拝後には、ユキは2人のお友達と一緒に別の教会員さんのいちご畑へ連れて行ってもらった。露地物はこれからだそうだ。子供たちは畑でいちごを積みながら口に入れ、私たちも礼拝後の「交わりの会」でいちごとサクランボをご馳走になった。

今朝、木に実っているサクランボを見て私の心は子どものように躍った。60歳にして初めてサクランボの季節を感じたのである。私には初めて直に知った季節だ。

今日の穏やかな風はやさしく肌を撫で、小鳥のさえずりが心を癒す。
シャンソンの「サクランボの時(実る頃)」に浸り、サクランボの季節を味わおう。桜の花のようにサクランボの季節は短いのだから。

この曲を聞いていると人生の何もかもが懐かしく感じる。
母の上に起こった理屈に合わない苦難の不条理さに泣いた時も、人生がうまく行かなかった時も全てが懐かしい。心の痛みも残っているけれど・・・きっとどんなことも最後には全てが懐かしさに変わるのだと思う。

いや、人生のゴールが見えてきて、これから人生の胸突き八丁も超えていかねばならないのに、甘い懐古に浸るにはまだ早い。しかし、痛みに満ちた苦しかった日々こそが懐かしく感じられるのは不思議である。
 

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」

     (第1テサロニケ人への手紙 5章16節〜18節)

このみことばは実に真実だと思う。
だからどんなに苦しい時も、どんなに悲しい時も、生かされている間は、いつも喜んで感謝して歩いていきたいと思う。最後まで。

イエスが「互いにゆるし合いなさい」と言われたのも、ゆるさなかったら人生を破綻させてしまうことをご存知だからで、そのようになってほしくないから教えお導きくださるのだ。

おお主よ!
これからも導かれる者でありますように。
そして、私を愛の人に変えてください!

苦悩を本当に苦悩して通り抜けた人だけが聖書の教える「愛」を知るのだろう。だから口先できれいごとを並べていてはだめだ。神学や聖書の知識よりも遥かに大切なことは神との親密な関係だ。

弱さはお互いさまの姿だけれど、いつまでも心を頑なにしている人や問題を見つめないで他のこととすり替えてしまう人の多いこと。

ましてや、神と出会い、神のメッセージを語り、神を証しする人が、小さな小さな問題とも言えない日常の出来事で豹変してしまう人を見るのは悲しいことだ。

その時にこそ私たちの魂は輝きを放つのに!
その時にこそ神の平安を深く深く味わえるのに!


自分のことも他人のことも人間の本質をリアリズムの目で見ない限り、決して苦悩を通り抜けることはできないし、経験を積み上げていくことはできない。人間の本質を直視しない限り聖書の「愛」には行き着かないだろう。

ネガティブなことから目を背けないで正面から向き合い、真に苦悩を通り抜けた者だけが霊の目を開かれて神に目覚めるのだと思う。

神さまが創られた美しい自然、さくらんぼを見ていたら、私の霊は神をほめたたえずにはおられず、何度も神の息吹きを深呼吸しながらいつまでも満面の笑みを天に向けていた。

さくらんぼ.jpg

この記事は大好きなマリオ・アカールの「さくらんぼの季節(時)」(私訳)を聞きながら書いたので、この曲を聞きながら読んでくだされば嬉しい。
" Le Temps des Cerises " (Mario Hacquard)
http://www.youtube.com/watch?v=Zh39Eoyy4O8&feature=related

附記:12日の土曜日のこと、このサクランボの木の下に夫は携帯電話を落としたのを知らずに松竹座へ出かけた。

あの朝、知子とユキがチャッピーを連れて駅まで送ってくれたのだが、私は知子と喋りしながら歩き、後ろから夫とユキが歩いていた。
そして、夫はサクランボの実をユキに取ってやろうとジャンプし、その時に携帯電話が胸ポケットから飛び出てしまったのだ。

ようやくそのことを思い出して、10時間後に夫の手に戻った!


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2012年05月12日

今日の歌舞伎は悲しくて気分転換にはならなかった

今日は夫婦で松竹座へ出かけた。今回は長女と行き、夫は孫を交通科学博物館へ連れて行くはずだったが、孫は昨日も幼稚園を休んだので例年どおり夫婦で出かけた。20年ほど前から歌舞伎を観る機会が与えられ、いつしか歌舞伎の世界を楽しんでいる。

「團菊祭五月大歌舞伎」午前の演目は、「歌舞伎三大名作の一つ『菅原伝授手習鑑』の中でも特に人気の高い名場面」の『寺子屋』と、「狂言の『花子』をもとに作られた」舞踏劇『身替座禅』、そして、おなじみ近松門左衛門の梅川・忠兵衛こと『封印切』だ。

藤十郎の忠兵衛と菊之助の遊女梅川だが、江戸歌舞伎役者は上方にはなじまない感じがした。
印象に残っている片岡秀太郎の梅川のように、上方ものは上方の役者でないと良い味をだせないのではないだろうか。江戸は江戸出身の役者というように、それぞれの地方出身の人物にこそ独特の味わいがあるように思う。

『寺子屋』は男女を問わず周囲の観客が涙を拭いていた。
松王丸(松緑)と千代(菊之助)が我が子・小太郎を菅秀才の身代わりにする話。封建時代の信じ難い悲しみと憤りの方が強くて最初は涙も堪えていたが、首を落とされた子の亡き骸を見て涙が吹き出してきた。

主君のために愛する我が子を身代わりに立てなければならない親の気持ちと、健気に死んでいった幼い子供のことが頭から離れず、今回は気分転換どころかそれとは反対に、松竹座を出たとき悪夢から覚めた時のように現実世界でよかったと思った。それもまた、それほどに感動させられたということだが。


それにしてもずっと肌寒い日が続いている。今日はもう肌寒いどころではなく、心斎橋でもセーターを着ている人を何人も見た。4月初めの服装では寒くて、松竹座を出ると夫に引っ付いて腕を組んで歩いた。高島屋へ寄ったのはいいが1時間も食料品売り場をウロウロしてしまった。

夫は風邪がひどくなってきたこともあってしんどがるので椅子に座って待っててもらい、私は何回も見て回ってユキと知子に満足してもらえるようなケーキを選んだ。

大学時代は地下鉄御堂筋線の難波で下車して南海電車に乗っていたので、高島屋界隈は毎日通っていた所である。しかし、心斎橋どころか高島屋に寄ることも数えるしかなかったので未だに高島屋の中がわからない。お気に入りの七味を買うにも案内人の助けをかりねば全くわからなかった。

明日は「母の日」だからもうすぐ5月の半ばになろうとしているのに、明日の最低気温が5度と予報しているから尋常ではない。

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2012年05月08日

良い一日をね!

1泊2日の旅行から帰ってきた翌5日の午後、ユキも一緒に夫と買い出しに着いて来た。2件目の店内で選んだお菓子をカゴに入れると、「先に行って自動車で待ってるから」とユキは自分から休憩を申し出た。

帰宅してすぐに知子に報告。ユキを抱くと熱い。38度5分の熱があり、夜には39.5度にまで上がった。

私の子育て中、熱だけならば2日ほどは様子を見てもよいと医師に言われたので、遠くにある救急医療機関にも行かずに朝まで様子を見ることにした。

疲れというよりも風邪のようだ。翌朝、37度台になり夕方には平熱に下がっていたが、寝ると咳き込んでいたので月曜日(昨日)は幼稚園を休ませた。

私も土曜日の午後から喉が痛くなり夜にはしんどくなり、6日の礼拝は全員欠席した。昨日は1日中ユキとゴロゴロしていたが夜はもっとひどくなり、夫も風邪薬を飲んでいた。
今日は幼稚園の創立記念日で休み。ユキは快方に向かっているが、私は相変わらずしんどい。

病気の人々のことを想う。
元気な者は健康でいることが当たり前のことのように思い、神さまからの賜物であることをしばしば忘れることがある。私も例外ではない。しかしまた、よく思い出すほうであるとも思う。

もっと正直に言えば、病床にある人々のことを思うといつも気持ちが滅入る。母と父の晩年のことや、病院の中ではお正月もゴールデンウィークも休みなく変わらぬ日々が続いているのを思い、加齢と共に自分のことが現実感をもって想像できるからだろう。

病床にある知人友人を覚えて祈り、その人たちを忘れてはいないことを伝えることができますように。

健康でいることが当たり前ではない。健康も家族も仕事もすべて、今与えられているものは神の賜物である。それらを失ったり損じた時に、そのありがたさや価値に気づく。

家族とのかけがえのない日常生活も仕事が与えられていることも全ての全てが感謝である。傍若無人な夫も感謝なのだ。いつもそのことを忘れないで生きることができますように。

当たり前ではない今日という1日、いのち。
そして、病む時には私もまた耐え忍ぶことができますように。

常に神への感謝の気持ちを忘れないで生きたい。それが今日を大切に生きるということであり、最も悔いのない生き方だと思う。その意味を込めて、近隣の人にもしばしば「良い1日をね!」と声をかける。

そして、今日も最愛の娘にそう言って送り出した、「良い一日をね!」と。


附記:今日、私より年上のご夫妻がヨーロッパ旅行に出発された。いくつもの病気を抱えての方だけに嬉しくてならない。健康が支えられて良き時間を過ごされるように、旅の御無事と祝福をお祈りしている。るんるん


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2012年04月19日

春の陽射しの中で散ったチューリップ

「あっ!」
チューリップの花びらが散っていた。
逝く.jpg

私は家族の死を看取っているような気持ちだった。どうしようもないほど悲しくていつまでも見つめていた。土に植えられたままで咲いていたかったであろうに、首を折られてからも小さなビンの中で生き、いのちを全うしたチューリップ。心の奥深くで「よく頑張ったね」と言葉をかけた。

花の死は、死をもって難病の苦しみから解放された母の最期を思い起こさせ、そして、いつか私が生を終えた時の姿とも重なり、眠りについた私を見る娘たちの姿も見えるようだった。

チューリップへの思いは年齢を重ねてきた者の感慨だろう。いのちが輝いて見える。

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2012年03月31日

降圧剤を飲むようになって2年4ヶ月、今日別の医師を訪ねる

今日は天気予報通り春の嵐が通り過ぎた。その嵐の最中に長女に新たな内科医院に連れて行ってもらった。かかりつけの医師には何度も訴えてきたが変薬さえしてくれず、全く血圧がコントロールできなくてこれ以上放置しておくのは怖いからだ。

長女に1年以上も前から何度も促されており、教会の友も親身になってアドバイスして下さっていたのに真剣になって取り組まなかったが、150〜160の数値は日常的で体調も安定しない。先日は180/105という数字に怖くなった。

今日の医師は血液検査だけではなく、検尿、胸のレントゲン撮影、心電図、動脈硬化の程度を調べられた。説明や私の質問に対する返答も論理的で要点をついて話してくださり、これを機にもう一度真剣に日常生活をも改善しようと意欲的になった。

結果は1週間後だが、ベッドサイドの機器に私のデータが残っていた。何のことかわからないが2つの項目に「正常値範囲内」、動脈硬化度は「50代前半」と書いてあったのでひとまず胸をなでおろした。

その後、予約していた店で遅い昼食を摂った。チャッピーの餌も買いに連れて行ってくれて帰宅したのは夕方4時を過ぎていた。ユキはお昼寝なしで、知子とユキの3人で夕食のシーフードグラタンを作った。

グラタン作り.jpg

28日にユキと神戸の叔母を訪ねた時に、従姉妹が作ってくれていた豪華なシーフードグラタンをご馳走になったからだ。叔母はユキの入園祝いにお赤飯を炊いてくれていた。そして、今年も手作りのイカナゴの釘煮(くぎに)を真智子の分まで預かってきた。
叔母の優しさが身にしみ母を思い出させた。

明日から受難週に入る。

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2012年01月18日

春を予感

60歳はまだまだそれなりにテキパキできる年齢であろうが、知子は常に私の体調を気遣ってくれる。
次女夫婦が発った日と翌日にパジャマやシーツは洗ったもののそのあとはそのままだった。今日は幾分体調がいいようなのでゆっくりのんびり2階の掃除し、ようやく今夜から自分たちのベッドで寝られるようになった。

というのは、狭い我が家では次女夫婦が帰宅する時は民族の大移動ならぬ我が家内で大移動になる。
まず、夫が寝ているセミダブルのベッドには知子とユキに、夫は空いている真智子の部屋へ。私はそのままで、知子とユキのベッドを次女夫婦に譲るというわけだ。

今日は知子とユキだけでも自分の部屋で寝られるようにとやり始めたところ、夫の分もできそうなので移動し、もう少し頑張って私のところもホコリを払って気持ちよくした。2時間要して全部やり終えることができた。

さて、今週末に関西学院大学で開催される日本キリスト教文学会がある。昨年末に久保田先生から「遠藤周作だから行きませんか」とお電話を頂いた時、申し上げにくかったが関西支部長(関西学院大学の副学長)にメールし退会したことをお伝えした。

久保田先生にご紹介頂いて入会したのにご相談もしないで退会したのだが、探究心は全く消え失せて自分の可能性の限界を感じていた。

しかし、久保田先生がはるばるお出でになるならば是非サポート役をさせて頂きたいと思っていたが、体調が良くないので昨夕欠席する旨お電話したのだった。先生も大事をとって欠席されるとのことで気持ちは楽になった。

退会したことについては後悔はしていないが、十分に祈りもしないで自分の思いで事を進めたことはよくなかった。

同じ頃に森有正の妹・関屋綾子さんのことを書いてみないかと声をかけて下さった方もあるが、こんな機会にも食いつかず見逃すことができるというのが現状だ。

しかしながら、今年は3年ぶりに手帳を持った。今ではすっかり孫との生活に慣れ親しんでしまって、予定が入っても手帳に書き込むのを忘れる。まさに社会復帰、リハビリが必要だ。


今春からはユキが幼稚園に入園するので徐々に自分の時間がとれるだろう。焦らずに、しかし、止まらずに、何かを始めていきたい。今はまだ全くテーマも見つかっていないが。

知子は今月末の株主総会と新体制に向けてハードな日々を過ごしている。今や知力も全開して小・中学校時代のような冴えを見せている。
私は生き返った知子が嬉しくてならない。

あれから3年。
今年は春の感情を思い出すことができるのだろうか。
知子の耳に鶯の声はどのように響くのだろうか。
大寒を前にして春を予感する。

posted by 優子 at 23:27| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年12月20日

希望と感謝のクリスマスを迎えたい

18日の礼拝説教でお聴きした「アフリカに靴を売りに行った商人の話」は示唆に富むエピソードだった。

「ある人はここでは誰も靴を履いていないから靴はいらないと考え、もう一人の人はここは靴を売れる絶好の場所だと考えて大量に靴を発注した」。

「脳は想像したことを現実として捉え、それが体の反応に出てくるそうだ。不安と恐れにだけ目を留めるならば全てその通りになり、果ては疑心暗鬼になってしまう」。


私は奏楽のご奉仕にあった知子と目を合わせて頷きあった。
まさにその前日も知子との会話でこのことで盛り上がり、体力的なことで気弱になりやすい私は「溌剌とした気持ちで生きるね」と話していたところだったからだ。

さて、イエスの誕生を喜んだ人がいる一方でヘロデ王は不安を覚えた。
そして、恐れの元を抹殺しようと、「ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺し」てしまった。

しかし、3人の博士は希望と喜びだけを見出した。
人はどちらを選ぶのか、何に目を向けるのかで人生の方向性が決まる。何を選択するのかはそれぞれに任されている。
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「いと高きところでは、神に栄光があるように、
地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。

私は希望と喜びと感謝に溢れるクリスマスを迎えるために、神の御前で深く頭を垂れる。祝されたクリスマスをお迎えになりますように祈ります。

附記:
★昨日の午後、キム・ジョンイルの死去を報じた。
罪を悔い改めずに逝ったであろうことを思って魂が震撼した。クリスチャンである横田早紀江さんも同じようなことをコメントされていた。

拉致されたご家族の方々もかなりの高齢になっておられる。
どうか今こそ神の奇跡的な展開をなさしめ、これまで積み上げられてきた祈りを成就して下さるように切に祈る。

posted by 優子 at 16:55| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年11月29日

どこもかしこもクリスマス一色だが

27日からアドベントに入った。
「アドベント」は「到来、到着、接近、出現」などの意味であり、日本語では「待降節」と訳されている。12月25日の4週間前の日曜日から24日までの期間を言い、今年はちょうど25日の聖日がクリスマス礼拝になる。

26日は夫の会社が半日勤務だったため「子連れ狼」ならぬ「孫連れ」で、ユキと一緒に教会の委員会に出席した。
会議中、ユキはクリスマス飾りのお手伝い(?)させて頂いて楽しかったようだ。その夜、我が家のツリーも飾った。

昨日は朝から喉が痛かったがユキを連れて梅田まで出かけ、キリスト教書店とデパートでの用事を済ませ、ユキが希望していた地下鉄にも乗った。
しかし、時間の経過と共に喉の痛みは全面に広がり夜には熱も出てダウン。今日はずっと寝ていた。

ところで、今や街もレストランもデパートも幼稚園もどこもかしこもクリスマス一色だ。しかし、みんな何を喜び何をお祝いするのだろうか不思議でならない。

今年は「3.11」と原発事故の深刻な状況が今も続いている。自宅近くのお宅のクリスマスイルミネーションは節電のためになくなった。今年こそ全ての人が本当のクリスマスの意味を考える時ではないだろうか。


イチョウの木の下で.jpg
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2011年11月16日

シルバー人材センターの植木剪定チームに感激!

外壁工事中の不自由さに慣れるのも不思議ならば、足場が撤去されて窓から外を見ると、あのシートに覆われた日々も夢のようだった。
このような感覚は今までにも何度も経験したものであるが、大震災の被害もこのように感じる程度であるならばどんなにいいか。神さまがこの艱難を耐えさせて下さるように。

工事スタート.jpg 足場撤去.jpg 外壁工事完了!.jpg

昨日はシルバー人材センターから植木剪定に来て下さった。
今年から義母は植木の剪定を私に頼んでくれるようになった。昨夏のお盆での出来事に起因しているがブログには曖昧にしか書けなかった。

その後、11月になっていたと思うが、理不尽な言動のあげく急に投げ出されて困った私は、近隣の親友Nさん宅の植木屋さんを紹介して頂いて助けられた。

しかも11月中に、義母の予算額内で裏はソコソコ手を入れるだけで何とか格好をつけて頂いた。

そこで今年は3月頃に市のシルバー人材センターにお願いして予約した。
例年、年の瀬もいいところで25〜28日頃だったので、今年からは要望通り11月半ばにしてもらえるのでありがたい。

そんなわけで昨日は8時ジャストにチャイムが鳴り、門を開けると何と総勢9名の方々が立っておられた。そのチームプレイ良く、早々午後3時には完了して引き上げられるほどの手際の良さだった。

西側から裏庭部分は全員の方がびっくりされるような密林のごとき状態だった。
「ひとり生(ば)え」と言って、鳥が種を落として生えてきたような木が多いそうだ。「ひとり生え」とは何て風情のある言葉だろう。

義母にも立ち合ってもらい承諾を得て、「ひとり生え」の木を伐採してもらったので明るくなった。
私達の家を建てるために移植した2本の松は、「おじいちゃんが大事にしていた」と義母から何度も聞かされている。今月末で義父が亡くなって7年になる。義父への想いが深まる秋である。
義父が愛した松.jpg

手際の悪い私は9人分のコーヒーを入れるのに必死だった。ふらふら

午後はチャッピーを久々にリビングに入れてやった。毎年冬の午後はよく入れてやっていたものだが、知子がユキを連れて我が家にリターンして以来、チャピーの入室禁止令が発布されてチャックンは寒い冬を過ごしている。

久々のリビング.jpg

知子がこの写真を見たら悲鳴を上げるだろう。
足と口が布から出ている。

チャッピーを居間に入れてやった時のユキの喜びようといったらない。嬉しくて嬉しくて飛び跳ねていた。この写真はポーズを取ってもらったのでユキは起きている。わーい(嬉しい顔)
植木もスッキリ!.jpg
屋根の色を黒からオリーブ色に変えたことと、
軒裏を黒から白に塗り替えたので家が明るくなった。
そして、植木の剪定も終わってスッキリした。

「もうお正月やなあ」.jpg

「もうお正月やなあ」
「これでお正月がいつ来てもええなあ」

シルバーさんたちはでき栄えを見つめながら満足げに異口同音に言われた。その言葉に忘れていた懐かしい感情を思い出した。

シルバーさんたちは年間1500件の仕事をこなし、この中には大規模な仕事になる学校が8件も入っているという。7月に予約しようものならば年明けになるとのこと。

仕事の明細書を頂いており、伐採されて出たゴミ処分費はそれに加算される。ゴミは昼食後まもなく行かれたのだろうか、2時半頃には処理場(王寺町近辺)から戻って来られた。

今日早速請求書が届いた。ゴミ510キロ、6630円+消費税が加算されての請求額は、今までよりも20%の経費削減となった。

ただ一点思うのは、もう少し遅くまでやってもらえば人員を1人減らせるのではないだろうか。シルバーさんのやり方が決まっているのだと思うが、3時に完了というのは早過ぎると感じるのは私だけだろうか。

義母は1日でやってくれたことだけではなく仕上がりも大満足してくれた。
シルバーさんたちは輝いておられた。その働きは大きな力だ。シルバー人材センターはお薦めである。

posted by 優子 at 18:26| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年11月05日

ついに足場解体、それぞれの専門分野の方々に感謝!

「カンカンカン!」
今日は朝から足場の取り外しで軽やかな音が響いていた。本当ならばこの日をどんなに待ちに待っていたことだろうか。しかし、今ではすっかり慣れて意外なほど感激は小さかった。

吹き付け塗装の前に窓の外側をビニールで覆われた時が一番苦痛だった。密閉状態になって文字通り息が詰まりそうだった。
その間も夜は風呂場とトイレの窓はビニールを外して下さったのでありがたかったが、そのあと少しずつビニールが外されていき完全に取り除かれた時は嬉しかった。

それでも家全体をシートが覆っているのだが、朝夕窓を開けられるだけでも気持ちは全然違う。その後はそれまでのストレスとは比べものにならないほど軽減されていた。

それでもなお苦痛ではあったが、ある時、まつげも眉毛も真っ白になったペンキ屋さんの顔を見て私の鬱陶しい気持ちは吹っ飛んでしまった。

高圧洗浄から殆ど全てを彼1人でやってくれた。吹き付けや屋根の作業の時には2人でされていたが、毎日毎日根気のいる仕事をコツコツとして下さっていた。

私は最初の1週間は自分自身のストレスを耐えるのが精一杯で、それに加えて血圧が高くてしんどい日もたびたびだったので彼に気配りできず、ただ安全と健康を祈っているだけだった。

昨日は25度(大阪は26.3度で全国76ヶ所で夏日になった)まで上がり、今週は例年にない暖かさなので11月でも庭にはヤブ蚊だらけで悩まされたことと思う。
気がつかなくて申し訳なくて、早速腰に吊る蚊取り線香を使ってもらうことにした。

今朝は先月足場を組み立てて下さった2人が取り外しに来て下さった。まるで大怪我が治って包帯を取るときのような心境だった。
それぞれの分野で専門家が居て下さっているというのは本当にありがたく、私達はいろんな人に助けられて生きていくのだと感謝が溢れた。


それにしてもペンキ屋さんの健康が心配でならない。
マスクをしていても鼻毛はバキバキになるというのに、まるで高度経済成長期の話でもあるまいにマスクの質に全く注意が払われていない。すぐにでも高性能のマスク使用を義務づけるべきだ。

目も心配だからゴーグルをかけてやればいいよと言えば、飛散したペンキがついて何も見えなくなるからできないと言うではないか。それが眼球にかかっているのである!

長年この仕事をされてきた年配の方の健康状態も特に問題はないらしく、「自分はそんなに気にならない」と言われたが、眼球と呼吸器保護のために改善せねばならない。

お昼前から雨が降り出したが、その後まもなく完了して足場屋さんたちをお見送りした。「足場屋」という言葉も今回初めて知った。

最後に昨日の昼食前のユキのお祈りをご紹介したい。私は笑うのを堪えながら、幼いユキの想いと純朴さに感極まった。

「いつもお兄ちゃんがお仕事して下さっていて助かります。
屋根から落ちないようにイエッしゃまがお守りください。
おばあちゃんも元気だったら屋根に登りたいと思います。その時は落ちないように見ていて下さい。
お兄ちゃんがおうちに帰ったら、ゆっくり休憩できますように。イエッしゃまのお名前によってお祈りします。アーメン」


このお兄ちゃんは20歳の若者で2歳の女の子のパパだった!
ここが私の終(つい)の棲み家である限り(事業経営が破綻して家を差し押さえられなければ)、丁寧な仕事をして下さったY君のことは忘れない。思い出に写真も撮らせてもらった。

人間の順応力もさることながら、今回のようなストレス期間を耐えやすくするのも愛だ。他者への愛が豊かな人ほどストレスは少ないのだと思う。

出遅れたと言おうか、これが私の現状なのだが、それでもなお愛深い人に変えられていく望みを持って生きている。

施工期間2週間よりほぼ1週間遅れて、いよいよ7日が仕事最終日である。
チャッピーのパーキング生活も終わる。犬


posted by 優子 at 17:11| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年11月02日

神の存在と人生の意味を模索していたジョブズ氏のことと、カダフィ大佐死亡をキリスト者としてどう受け止めるのかについて ―『クリスチャン・トゥデイ』より―

ジョブズ氏については彼の死によって知り、以来彼の内面について関心がある。
2011年10月7日の記事は「カテゴリ:社会的なこと」に綴じたが、10月25日記事でも触れている「キリストの真理を通して情報を読む」は「随想」の関係から、再読したい時のために今日の転載記事も同カテゴリに収めておきたい。

これは2011年10月26日に配信された記事である。

ジョブズ氏、信仰と人生の意味を模索 
   ―ジョブズ氏の自伝著者がインタビューで明らかに―

▲スティーブ・ジョブズ氏自伝

(先月)24日講談社より発売されたスティーブ・ジョブズ氏の伝記「スティーブ・ジョブズ(著者:ウォルター・アイザックソン氏、日本語訳:井口耕二氏)」の著者ウォルター・アイザックソン氏が23日の米CBS「60ミニッツ」でのインタビューで、5日に死去したアップル共同創業者スティーブ・ジョブズ氏が自身の死が近づくにつれて神を信じることと宗教に関する葛藤に直面していたことを明らかにした。24日、米クリスチャンポスト(CP)が報じた。

アイザックソン氏によると、仏教徒であると自称していたジョブズ氏は、死に至る数か月間において、神の存在と人生の意味について深く模索し始めるようになっていたという。


アイザックソン氏は「ある日ジョブズ氏は裏庭に座り、神について話し始められたことがあったのを覚えています。

ジョブズ氏は『ときどき、神を信じるんだ。しかし信じないときもある。多分半分は信じて半分は信じていないのだと思う。自分が癌になってから、このことについてもっと深く考えるようになってきたんだ。

そしてもっと神を信じる時間が長くなっていることに気付いたんだ。多分その理由は、自分が死んだ後の世界があることを信じたいと思うからだと思う。

つまりもし死んだら、その後全てのこと、これまで自分が積み重ねてきた知識の全てがただ無になるというわけではないと思うんだ。そのようなものはどうにかして死んだ後も残っているだろう―そうさ。生と死というのは、オンとオフで切り替わるスイッチのようなものだと思うこともあるんだ。

クリックすると、死んでしまう―だからアップルの製品にはオン・オフで切り替わるスイッチをつけたいと思わないんだ』と話されていました」と番組内のインタビューで明らかにした。

ジョブズ氏はアイザックソン氏と自身の伝記を作成する話し合いをしている最中に、自分自身の存在意義についても疑問を感じていることを伝え、「ひとりで生まれてきたのだから、死ぬ時もひとりで死ぬだろう。そのときに問題となることは何だろうか?私が死んで周りが問題と思うのは、『スティーブ』という人間が失われたということだろうか?そのことに何の意味もないのではないだろうか」と述べていたという。

次の記事は2011年10月26日に、同じく『クリスチャン・トゥデイ』が配信したものである。

 カダフィ大佐死亡-キリスト者としてどう向き合うか?
指導者が腐敗する原因は自身の権力欲

10月20日、リビアで42年間の独裁を行ってきたカダフィ大佐が死亡した報道を受け、多くの人々が独裁政権の崩壊に喜びを見せている。一方で世界中で多くの信仰心あるキリスト者は今回の射殺による独裁者死亡をどのように受け止めるべきか自問している。

米クリスチャンポスト(CP)は25日、米オハイオ州コロンバスにあるアドベント・ユナイテッド・チャーチ・オブ・クライスト主任牧師のスーザン・スミス氏が、米ワシントン・ポストへの最近の寄稿の中でこの疑問に対する見解を記述したことを報じた。

寄稿の中で同氏は「キリスト者である」ということを検証し、どれだけのキリスト者、あるいは宗教者が神のしもべとしての道から逸れてしまっているか、どれだけのキリスト者がカダフィ大佐の死に対し、その人物の独裁政権による残虐行為にもかかわらずひとつの命が失われたことに対する同情を示すことができているだろうかと問いかけている。

私自身は、カダフィ大佐が銃撃を受け、殺されたという事実自体に対して『喜ぶ』ということはできません。このようなことで喜んでいる日々は神様にとっては喜ばれる日々ではないでしょう」
と述べている。

オンライン上でも多くのキリスト者らがカダフィ大佐の死について、リビアでの長年の圧制に終焉を遂げるものとなったとして喜びのメッセージを投稿している。

一方でカダフィ大佐がたとえどんな恐ろしい人物であるとしたとしても、他人の命を奪い取るという行為は許されるべきものではないといった意見も見られている。

カダフィ大佐の死についてフェイスブックではクリスチャンユーザーらから、「カダフィ大佐による圧制が消え去ったことを喜ぶとしても、永遠に失われてしまった魂については決して喜ぶことはできないだろう」。

「神様はいかなる人間の死をも喜ばれない。それならば私たちも同様に喜ぶべきではない。カダフィ大佐のご家族のために祈りましょう。彼らの命が保たれている限り、主に立ち返り悔い改める機会があるのですから」
などの意見が述べられている。

またカダフィ大佐の圧制で長年苦しんできたリビア国民の間からも同様の議論が聞かれている。
posted by 優子 at 07:37| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年10月25日

キリストの真理を通して情報を読む

近江兄弟社出版部が発行している『湖畔の声』10月号が届いた。今月の福井達雨氏の連載は、「なでしこジャパン」の過激な報道からマスメディアの在り方を考えるものだった。

周知のように福井氏は止揚学園(知能に重いしょう害をもつ人たちの家)の園長である。世の弱者たちのために人生を捧げておられる福井氏ゆえに、その言葉は実感をもって伝わり私の眠りを覚ました。

「例えば、人間は強さ、賢さを求めがちです。そのために強者、賢者は尊敬され、自分の生き方や努力の目標になります。弱者を誉め、自分の歩む指針にする人はまず、いないと思います。

だから、『なでしこジャパンに感動して、生きる勇気が与えられた』とその強さに称賛の声が上がるのです」。


実にそのとおりだと感じ、そのあとに長い沈黙が落ちた。
福井氏に指摘されなければ気づかなかったことが大きなショックだった。私もまた時代の影響を受け霊的感性が鈍化していたのであろうか。


福井氏は次のように続けて書いておられる。

「しかし、聖書には『わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さをほころう』と説かれ、『弱さを誇ろう』という御言が何度も出てきます。・・・

強さや賢さを力にする人間、弱さや愚かさを誇りにする聖書、この違いこそ深い意味があります。・・・

聖書が生み出す真実は人間の知恵には惑わされないイエスさまの御言なのです。その真実は真理なのです。

その真理こそ、私たちがマスメディアにしばられて、身動きできなくなることから抜け出させ、自由を与えてくれる源です。聖書は、『真理は、あたがたに自由を得させるであろう』と語っています」。


確かに最近の私は主(しゅ)に在る主体性が希薄になっている。それゆえに、普段接する人々が子供の教育について語っておられるのを耳にしてもしんどく感じた。

しかし、教育問題は今に始まったことでもなく私も子育てをし、イエスさまから目を離さずに歩いて行ったから世に振り回されることなくたどり着けた経験もあるのである。

私達は今、情報過多という言葉でさえ言い表すことができないインターネット時代に生きている。そして、今ほど個人の在り方、理念が重要視される時代はないだろう。

だからこそ私も十分に心して生きているつもりであるが、福井氏の文章を読んで今の私は何とお粗末で出来合いのものしか感じることができなくなっていたことかと思った。
情報に翻弄されては骨抜きにされてしまい、クリスチャンにとって命取り(霊的な死)になりかねない。


こう気づかされたあとに今日の記事をネット情報で終わるのは愚弄されるかもしれないが、昨日世界同時発売されたジョブズ氏の伝記著者がジョブズ氏の人間像を語っており、その内容は10月7日に記録した彼の側面とは正反対のエピソードで意外なものだった。
ジョブズ氏をよく知る人の発言であるからたいへん興味深いものである。

【10月24日 AFP】米アップル(Apple)の共同創業者、故スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)氏は完璧主義者で、従業員たちに厳しくあたり、いら立ち、痛烈に否定的な態度を示すこともあった―24日に発売されるジョブズ氏の伝記の著者はこう語る。

「彼は心温まるような人物ではなかった。とても短気だった。とても冷淡で、ときに他人に対してとても意地悪になれた」。ジョブス氏の伝記を執筆したウォルター・アイザックソン(Walter Isaacson)氏は、米CBSテレビの情報番組「60ミニッツ(60 Minutes)」のインタビューでこう語った。

■人にも厳しく求めた完璧主義

アイザックソン氏いわく「彼は、レストランのウエートレスに対しても、プログラミングのために一晩中起きていた人に対しても、近づいていって『全部間違ってるぞ。ひどいもんだ』と言える人間なんだ。それで相手が『なんでそんなこと言うんだ?もっと優しくなれないのか?』と言えば、彼はこう返す。『私は完璧を求める人間とだけ一緒にいたいんだ。それが私だ』」。

ジョブズ氏の完璧主義は、養父のポール・ジョブズ(Paul Jobs)氏譲りだったという。(略)

アイザックソン氏は、「(ジョブズ氏は)世界最高の経営者ではなかった」と語る。「実際、彼は世界最低の経営者だったかもしれない。

「彼はいつも物事をひっくり返していた。それに物事を混乱に陥れていた。最高の製品を作ったかもしれないが、最高の経営スタイルを生み出したとは言えない」。

2004年に膵臓癌が見つかった時、医師は「非常に進行が遅く、(すぐに手術すれば)完治できる」と説明したが、手術を受け入れたのは9ヶ月後のこと。しかしその時、癌は膵臓の周囲にまで転移していたという。

「アイザックソン氏がジョブズ氏に手術を拒否した理由を尋ねると、ジョブズ氏は『体を開けられるのがいやだった。そんな風に自分を侵害されたくなかったんだ』と答えた」という。

人間は矛盾を併せ持つ存在であるから、これもまた意外なエピソードとは言えないかもしれない。
しかし、「体を開けられるのがいやだった。そんな風に自分を侵害されたくなかったんだ」という言葉に彼の全てが語られているように思い、私の中で悲しみが込み上げてきた。
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posted by 優子 at 18:10| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年10月10日

我が家の門は掲示板

「結婚以来、わたしの願っていたことが一つあった。それは自分の家の前に掲示板を立てることだった。20センチほどの片屋根をつけて、その掲示板に、教会案内と聖書の言葉を貼っておきたかった。

そうすることは、わたしたちの信仰を、世間に明らかにすることになる。旗色鮮明ということは大事なことだと、わたしは思っていた」。


これは三浦綾子の「三部作」と呼ばれる作品の「第二部」・『この土の器をも』に出てくる言葉である。

かつてマンションに住んでいた時、1階ロビーの掲示板に教会のチラシを貼ることができなかったので、この箇所もまた強烈な印象として残っている。

そして当地へ引越し一軒家に住むようになってから、門に教会やキリスト集会のポスターやチラシを貼り、我が家で開いていた家庭集会、「聖書を読む会・オリーブの会」の案内も数多く貼っていた。

私は「隠れキリシタン」としてではなく、キリスト信仰の旗印を鮮明に掲げて歩み始めたのである。
これが我が家の掲示板である。我が家の掲示板.jpg
そして、昨日教会から持ち帰ったポスターを早速掲げた。来週の特別伝道礼拝のお知らせである。牧師がラミネート加工して下さっているので雨になっても大丈夫。横には「ご自由にお持ち下さい」と書いてチラシを入れた。
2011年度 特別伝道礼拝
〜いのちゃんの腹話術とお話〜

  日 時:10月16日(日)午前10時30分
  ところ:日本キリスト教団 馬見労祷教会
  お 話:「永遠のいのち」 猪股武文さん(フィリピン在住)

どなたでもご自由に参加できます。
お子さまとご一緒にぜひ一度、教会にお越しください。
入場無料ですが、礼拝中に献金があります。(自由献金)

  連絡先:古森敬子牧師
      奈良県北葛城郡広陵町平尾546−3 
      TEL/FAX 0745−55−7573

続いて私からご案内です!
この爽やかな秋の一日、教会で聖書のメッセージをお聞きになりませんか?
私は孫の成長に伴って再び教育について考えることが多くなってきました。娘たちには通学可能な範囲内に行かせたい私立校がなかったので公立校で学ばせましたが、周囲を見れば塾通いの子供たちばかりでした。

我が子を良い環境の学校へ入れたいと思うのは誰しも思うことです。
しかし、例えば我が子を同志社へ入れたいと思う人の多くは、キリスト教主義の教育を受けさせたいからではなく、その大多数は今も変わらずブランド志向で学校を選んでいます。
いつの世もブランド信仰、学歴信仰、金銭信仰・・・に生きる人が何と多いことでしょうか!

そういえば今から22年前のこと、子育て真っ最中の時に次のような文章を書きました。
今や学校選びはブランド志向と化し、我が子を有名私立校に入学させるために人々は世に振り回され、盲目的に突進している。

その渦中に翻弄される寸前、神より絶対的価値観を与えられた私は、決して人々に悩まされることなく親子共々、最高の人生を歩む特権を与えられた。

親の教育観は、即ち親の価値観であり、問われるべきは親の価値観である。

(過去ログ:2007年8月22日より抜粋。http://yukochappy.seesaa.net/archives/20070822-1.html

とは言うものの時には、塾に行かせなくていいのだろうか、私立へ入れるべきかと周囲の様子から不安を感じたこともあり、まるで激流の川の真ん中で足に力を入れて踏ん張っているような心境の時もありました。しかし、娘たちは一度も塾へ通うことなく自学自習で過ごしました。

子育て、夫婦の問題、嫁姑、近隣や職場の人間関係、親子関係、経済的な悩み、病気、老いの問題・・・など、私達は常に人生のどの段階においても多くの悩みを抱えながら生きています。

しかし私は人生の悩みに打ち勝ち、苦難の時も他人の愚かな嘲笑や非難にも負けずに生きられる最高の人生へと導かれてきました。だからこれからのことも根本的な心配はしていません。

たった一度の人生ですもの、喜びと希望と感謝に溢れて生きていきたいですね。教会ではそんなことに気づかせられるお話を聴けるところです。是非一度お近くの教会にお出かけ下さい。
教会に行くのに遠慮はご無用!きっと大歓迎されることでしょう。


私は孫が腹話術の人形を見てどんな反応を示すのか密かな楽しみです。(^―^)
これをお読み下さった方々の上に神さまのお導きがありますように切にお祈りします。


posted by 優子 at 15:24| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年06月21日

わが心も梅雨空のごとし

「もう真智たちは飛行機に乗っている」
あと何時間・・・と指折り数える今朝の目覚めだった。

" chicken or beef ? "
快活な英語。機内の様子を思い出して微笑んだ。

無事到着の電話を楽しみに、夫の傍若無人で自分勝手きわまりない相変わらずの生き方に引きずり込まれないようにしよう。

自分に打ち克っている知子に支えられつつも、・・・・情けなくて悲しくて4日目の今も吹っ切れないでいる。

こんなことでどうすると、被災された方々のことを思い出しては立ち直ろうとするのだが・・・・互いに年を重ねてきてこれでは情けな過ぎる。今までの苦楽は何だったんだろうと虚脱感が覆っている。

ユキが起きた。

記事をアップすると「最新記事」のタイトルが目に入った。
夫に導かれて教会か・・・そんなこともあった・・・覚えている。
夫を赦し、気持ちが変えられますように。

posted by 優子 at 07:30| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年05月29日

今朝は夫に導かれて教会へ!

この時期に台風2号というのは時期はずれであるが、大雨警報が出ていたので今朝は教会へ行くのを躊躇していた。

私はいつしかくつろいだ雰囲気の中で大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』を開き、印象に残っている箇所を夫と長女を相手に朗読していた。

というのは、今夏、次女夫婦も一緒に家族で広島へ行く計画を立てているからだ。原爆資料館は幼児に恐怖を与えないかと心配だが、その箇所に目を向けさせないように娘と交代して・・・と思っているがどうだろう。
ユキには新幹線にも乗せてやれるので、交代で子守りしながらでも是非現地に立って考えてみたい。

さて、『ヒロシマ・ノート』の一部朗読を終えたのは9時45分頃だった。
すると夫が「教会へ行こう!」と言うではないか。私は瞬間的に悔い改め、大急ぎでお化粧して雨にも負けず出かけた。思いもしない夫の導きだった。幸いなことに行きも帰りも霧雨だった。

今日のメッセージで私の中で強化された真髄は、悟りや心の目が開かれるのは神さまの働きであるということ。

私達は神さまと出会って信じるのであるが、信じる者となれるのは神さまの働きである。神さまとの出会いを与えて下さって救いを得させて下さったのは神さまなのだ。


私達は信仰をどのように受け取り、どのように神さまの恵みを受け取っているだろうかとの問いかけに、先週から精神がたるんでいる私は姿勢を正した。

神さまから頂いた恵み、感謝の心、正義のために働く勇気、人々を助ける愛に生き、周囲の人々に神の恵みを伝えていくことができるように真剣に求めたい。

今週の週報には大阪教区にある教会の牧師就任式が記されていて、その中にクリスチャン・ペンクラブの集会で行った大阪城北教会と昨年召された鳩飼さんの淀川教会があった。

夕食後、淀川教会のHPを開いた。久々に集合写真の鳩飼さんを見て悲しみに包まれてしまった。(http://yukochappy.seesaa.net/archives/20101118-1.html)鳩飼きい子(本名:きよ子)さんは作家活動されていたので検索するとすぐに出てくる。

大江健三郎については何度も勉強会を重ねた。
文学や信仰について、島尾敏雄についてもよく語り合った。
先日も梅田に出た時、おしゃべりしながら一緒に歩いたことが懐かしくてならなかった。このたびの大震災や原発事故について何度も鳩飼さんと会話している。

夜10時を過ぎているのにお風呂にも入らないで何をするでもなくパソコンを開いていたら、2階から夫が降りてきて「テレビで日野原さんが出てるで」と教えてくれ、それを機にパソコンを閉じることができた。

2階へ上がってテレビを見ていたら夫はすぐに眠ってしまった。日野原重明さんの話を聴き終わってお風呂に入ったのは11時前だった。

特に新しい話を聞いたわけではなく著書からよく知っていることばかりだったが、後ろ向きになっていた目を前方に向けられた。

過去の恵みに目を奪われがちになる私は、神さまは過ぎた日々にも増して恵みを注いで下さることを忘れないでいたい。
そして、今年100歳になられる日野原さんの生き方からパウロの言葉が我が胸に響いた。


「兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。
すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである」。
            
            (ピリピ人への手紙 3章13・14節)

台風は温帯低気圧に変わったが強風が吹いている。

posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする